2014年04月27日

奇跡の楽器、ストラド

 あまりにも刺激的だったのでつい再放送と再々放送と見てしまった、この番組。なんだかんだ言われる NHK、ときおり? と思うこともあるとはいえ、やっぱりこの手の丹念に取材したドキュメンタリーものでは右に出るものなしだと思う。とりわけ、西洋音楽界における至宝と言ってもいい名器ストラドの秘密に迫ったこの番組はすばらしかった。といってもことヴァイオリンに関しては素人もいいところ、「正面から見て左端( IV 線 )の開放弦がG線( ちなみに「G線上のアリア」というのは 19世紀イタリアのヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ、ヴィルヘルミが勝手にアレンジしたヴァージョンであり、バッハの原曲[ 管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV.1068 の2曲目の「エール」 ]とは関係なし)」ということくらいしか知らない。

 以前、ここで CT スキャンによるツタンカーメン王のミイラ調査のことを書いたけれども、最新技術の粋を集めたような fMRI という、おもに脳の病気の診断に使用されるスキャン装置でストラドを「解剖」したら、それまで知られていなかったあらたな発見がいくつかあった( 「駒」直下の「魂柱」で楽器は寸分の狂いもなく二等分されていた、とか )というのもおどろいたし、当時の欧州はいわゆる「小氷河期」で、もともと年輪の詰まったスプルース材が寒冷気候のためにさらに年輪が詰まって、結果的にストラドの音響を向上させたとか、無響室でストラドを鳴らし、それを 40数チャンネルもの同時録音をしたら、ストラドから発する音にはあきらかな「指向性」が認められた … などなど、知的興奮の連続技なり。

 ところでアントニオ・ストラディヴァリというこのクレモナのヴァイオリン作りの名匠、じつはその一生はよくわかっていない。番組ではじめて知ったトリヴィア(?)として、ストラディヴァリは 23のときに結婚したらしいけれども、当時の教会の記録( よく残ってたもんだ )によれば、なんと「できちゃった」婚だったという! 元気といえば、その長生きにもおどろかされる。生涯最後のヴァイオリンを世に送り出したとき、なんと齢 90 を越えていたという !! そんな天才職人がこの世を去ったのは 1737年、ライプツィッヒの聖トーマス教会カントルだった当時 52歳の大バッハがアドルフ・シャイベという若い学生に「不自然でわかりにくい」ときびしく批判された年でもあった … 文字どおり音楽によって生かされた人なのかなとも思う。ただまったく残念なことに息子たちはつぎつぎと夭折、けっきょくヴァイオリン作りの「秘伝の技」も一代かぎりで途絶したという。

 音楽によって長生き … それを地で行くような人が番組最後に登場した。巨匠イヴリー・ギトリス、御年満 91歳。いやー、もうびっくり。もうそんな歳になるんだ! … でもちっともそんなふうには見えません。ほんとすごいです。かくありたいとも思う。

 ところでストラドは時代的にはじゅうぶん「古楽器」で、たとえばストラディヴァリが製作した当時のまま保存されているという楽器と、あとの時代のニーズにあわせて「改造」の手が加えられた楽器とふたつ比較するたいへん興味深い場面もありましたが、オルガンも含めて、たいていバロック時代に製作された楽器がそのまんま残ってる、ということはほとんどないと思う。なんらかの改造の手が入っているのがふつうで、最悪の場合、それによって歴史的な楽器が永遠に失われたりもする。

 クレモナのどっかの古い教会内でのストラド演奏シーンでは、バッハの「無伴奏パルティータ BWV.1006 」の出だしの有名な前奏曲が朗々と鳴り響いておりました( これはライプツィッヒ市参事会員交代式用の教会カンタータ 29番冒頭の「シンフォニア」としてバッハ自身が編曲してもいる )。それと、ストラドってなんかイコールヴァイオリン、というイメージしかなかったんだが、番組に出てきた「マーラー」なる楽器も含めて、チェロにもストラドってあるんですねぇ、知らなかった。

 で、その老巨匠ギトリス氏が、締めくくりとしてこんなこと言ってました。
'This violin has lived long time before me, and I hope it'll live and live after me, ... but I don't consider it to be my property only, because I am a passenger in the life of this instrument ... one day he will be without me, and I hope he will be happy with somebody else. ...'

 「このヴァイオリンは、わたしが生まれるはるか昔から生きてきた。わたしがいなくなったあとも生き永らえてほしい … わたしはこれを自分だけの所有物だとは考えていない。なぜならわたしはこの楽器の生涯においては通過者のひとりにすぎないのだから。いつかわたしがこの世からいなくなっても、この楽器はだれかほかの人と幸せになってもらいたい … 」。

 けだし、門外漢は頭を垂れ、ただ聞き入るのみ。

posted by Curragh at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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