2014年05月16日

番外編:エリウゲナと『自然の区分』

 『聖ブレンダンの航海』12章「聖エルベの島の共同体」のくだり。一日の聖務日課の締めくくりとなる「終課( ad completorium )」を皆であげたあと、島の共同体の修道院長と聖ブレンダンはそのまま礼拝堂に残って、「霊的な光」がやってくるのを見届けた。「霊的な光」は矢となって窓から堂内に飛びこみ、祭壇前に据えられていた燭台すべてを灯したかと思う間もなくふたたび飛び去っていった。

 そのときブレンダンは島の修道院長に、こんな形而上学的な質問をぶつけます。
「物体の中で非物体の光が物体のように燃えるとは、どうしてそのようなことが起こりうるのでしょうか?」
'Quomode potest / in corporali creatura lumen incorporale corporaliter ardere ? '

この箇所、オメイラ教授の英訳本( The Voyage of Saint Brendan, Journey to the Promised Land, 1976 ; repr. Colin Smythe, Gerrards Cross, 1991, 1999., p. 32)では、
'How can an incorporeal light burn corporeally in a corporeal creature ?'

になってます。オメイラ先生は「まえがき」で上掲文を引いたうえで、「… これはまさしく9世紀の哲学者ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナが大著『自然の区分( De divisione naturae )』で書き記した疑問である。この科白にもそれが感じられる。だがほんの一瞬にすぎない。そしてそのこたえも聖書の一節であって、エリウゲナではない」のように書いてます( ibid., p. xvii - xviii )。

 自分もここの箇所をはじめて読んだとき、「ずいぶんもってまわった訊き方するなあ」と感じたんですが … この作品は兄弟格の『メルドゥーンの航海』と比べて、「素朴な洗練さ」があると英訳者先生は評してます。なのでよけいにこのブレンダンの科白が目立ちます。

 ちなみにいま読んでるキャンベルの Creative Mythology にも、ショーペンハウアーの、なんの著作かはよくわかんないながら、とにかくその著作に引用されたかたち( つまり孫引用 )でエリウゲナがひょっこり顔を出してます( エリウゲナの言う「神」=ショーペンハウアーの言う「生命に対する意思」 ということみたい )。

 ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナの生涯についてはよくわかっていない。手許の『ブリタニカ』のコピーによると、「851 年頃西フランク、シャルル禿頭王( はげてなかったとする説あり[ 苦笑 ] )の宮廷学校の教授となった。神学論争に巻き込まれ、その結果『救済予定について』De praedestinatione を著した。この著作は論争をしずめなかったばかりか、かえってそれを激化させ、バランス( 855 )とラングル( 859 )の宗教会議で断罪された。またシャルル王の命を受けて、偽ディオニュシオス・アレオパギタの著書( 5世紀後半に成立 )や証聖者マクシムスの『両議論』De ambigua を翻訳した。… 」とあります。

 トマス・ケイヒルの『聖者と学僧の島』には、博学・博覧強記にしてどうやらアイルランド出身者らしく(?)こうと思ったら妥協を許さず、「みずからの意思」を貫いた学者だったエリウゲナの迎えた「最期」のこととかも書かれていますが、上記リンク先記事を見るかぎりこのわりと知られたエピソードも後世に作られた話のようですね。

 「第一の自然は、創造し、創造されない自然 / 第二の自然は、創造されて、創造する自然 / 第三の自然は、創造されて、創造しない自然 / 第四の自然は、創造せず、創造もされない自然」というのは正直ワタシのアタマでは難解すぎて( 苦笑 )、… でもたとえば、『ケルト ―― 伝統と民俗の想像力』という本にある解説とか読むと、どうもエリウゲナという人の考えていた神とか世界観は、意外にも(?)砂漠の一神教の伝統の中にいながら、そのじつ「汎神論」的だったりします … こういうものの発想が、エックハルトやクザーヌス、さらにはショーペンハウアーにまでつながっているのかとも思う。いずれにせよ後世に与えた影響は決して過小評価してはならない、重要な学者だったことはまちがいないと思います。

 … というわけで本日 5月 16日、「聖ブレンダンの祝日」をぶじに迎えることができたことに、心から感謝をこめて。

追記:きのういつも行ってる図書館で、こんな本を閲覧。そうそう、近くにこういう貴重な資料があったのに、いま読んでいるキャンベル本の調べ物でいつも反対側を向いて( つまり、背中を向けて )ニーチェだのカントだのショーペンハウアーだの漁っていたから、記事書くまで気がつかなかった。ほかにも借り出した本( いわゆるひとつの、「花子とアン」関連 !! )が複数あり、とてもじゃないがこんなボリュームのある大作を家に持って帰るのはムリだったので、とりあえず必要な箇所のみ複写。また後日、加筆するかもしれない。本家サイトでもここでも『ブリタニカ』の表記どおり「ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ」としたけれど、ジョイスみたいに別人の「ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス」とかとの混同を避けるためと、けっきょく下線部は「アイルランド人」ということを繰り返している冗語表記であることから、いまではヨハネス・エリウゲナもしくはヨハネス・スコトゥスと書くのがふつうみたいです( また上記平凡社の本によると、Johannes Scotus Eriugena という表記も正しくなく、ほんらいは Scottus と書くべきらしい)。

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