2008年01月19日

リコーダーとサックスの意外な共通点

1). いま「名曲リサイタル」を聴きながら書いていますが、今日はリコーダーとサックスが主役。そこでまたしてもtrivialな話ですが、リコーダーとサックスの「指使い」がおんなじ! ということはいまはじめて知った ( 昔、Bクラとフルートは吹いたことがあるけれど )。それとバロック時代、よく「ブロックフレーテ」と呼ばれていたけれど、本物のブロックフレーテといまのリコーダーのちがいは吹き口内部に木片がはさまっているかどうかだそうで、それゆえ「ブロックフレーテ」という名がついたらしい ( 以前にも書いたけれども英語の recorder はもともと「鳥の囀りをまねる」という意味の動詞からきている。動詞の record は「記録する」ほうだけが残ってこっちは廃れました )。それとおもしろかったのは絶対音感 ( perfect pitch ) についてのお話。加羽沢さんは絶対音感の持ち主らしいですが、ゲストの演奏家の方はチェンバリストの女性奏者をのぞいてそうではない人ばかり。以前、絶対音感のある人から聞いたことがあるんですが、場合によっては絶対音感というものはひじょうにジャマらしい。たとえばチェンバロ。モダンチェンバロならともかく、いまの楽器はいわゆる「レプリカ楽器」がほとんどで、調律も「ピリオド奏法」全盛、当時の音高に調律することが主流です。本日使われたチェンバロはいまのピッチより半音低く調律してあるとチェンバロ奏者の方が言ってましたが、そうすると絶対音感のある人がこの楽器のドの音を耳にするとそれはシに聴こえる。ヘ長調の曲がホ長調で演奏されているように聴こえる。またバロック時代のフランスではさらに半音低い音、つまり一全音低いピッチも使われていたようなので、そのピッチで調律されたチェンバロでレの音を出すとドに聴こえる。たしかにこれは「気持ち悪い」。だから絶対音感などかえってないほうがいい、という理屈のようです。そうは言っても、ない人からすればなんともぜいたくな悩み(?)だなあとも感じてしまいます。絶対音感があれば、耳で聞いただけですぐ鍵盤をたたいてリピートすることだってできるし。なんでも物事には便利な面と不自由な面がある、ということでしょうか。フランスバロックのオトテール、デュパールにフィリドール、イタリアのマルチェッロなどの作品を演奏していました ( フィリドールという人の曲ははじめて聴いた )。ちなみに番組前半で演奏した Ut / Fa というアンサンブル、いまふうに言えば「ド / ファ」。「元祖階名唱法」ではウト、レ、ミ、ファ…と発音していたことに由来するとのこと。この元祖版の発明者は「グィードの手」で知られるイタリアの修道士で音楽教師のグィード・ダレッツォ。さらに脱線して The English Chorister にも「グィードの手」の図版が掲載されています。当時の少年聖歌隊員はそれを見ながらドレミをマスターしたらしい ( p. 23。ついでに中世初期の修道院・教会内での音楽教育について書かれた p.6 を見ますと、グィード師いわく、「『詩編』を注意深く読めるようになった少年は、もうどんな書物でもそこに書かれてあることがわかるようになる」ですと。かなり誇張した言い方ですね!)。

2). 「バロックの森」、月曜の朝はバッハのオルガン曲「前奏曲とフーガ BWV. 541 」がかかりました。案内役の先生が、「ヴァイマール時代に書かれた作品」と紹介していたので、念のため図書館にて確認したところ、? 付きながら、作曲年代はやはりヴァイマール時代の 1714 年ごろらしい。手許の古いバッハ本(ヘルマン・ケラー著『バッハのオルガン作品』)を見ると、この曲がライプツィッヒ時代に分類されている ( pp.191-4 )。もっともケラーは「この作品ほど、若々しい幸せがみなぎった表現を基調としているバッハのオルガン作品はほかに一つもない。したがってこの曲はおそらく、バッハのもっとも幸せな時代、つまりケーテン時代に成立したものと考えてよいだろう」と作曲年代はもっとさかのぼることを暗示していますが、巻末の作品一覧では、「[成立] ヴァイマル、1708〜17?」となっている( あれれ? )。フーガ主題はカンタータ21番にも出てくることから、関連性を指摘されてもいます。図書館で当たった事典によると、フーガ主題はヴィヴァルディの「協奏曲第 11 番 ニ短調 RV. 565 」によるとか書いてありました。この日かかった盤の演奏者はヴォルフガング・リュプサム。この人の盤では Naxos から出ている「フーガの技法」をもっていますが、オルガンの音色とやたら長い残響から、これもまた米国のどこかの大学礼拝堂の楽器を使っているのかしら、と思いました。せっかちな演奏が多いなか、気持ち緩めのテンポ。残響のことを考えてのものだったかもしれません。「フーガの技法」でもわりとゆっくり弾いてました ( というか残響がやたらとワンワンしすぎで自分としてはあんまり好きではないけれど )。ちなみにこの作品、初期版 ( バッハ自身の自筆譜は現存していない )を書き写した筆写譜も残っていますが、こちらにはのちの「オルガンのためのトリオソナタ BWV. 528 」の終楽章のはじめの13小節が記譜され、あとで抹消されています。バッハは当初、楽想の異なる3部構成の作品を考えていたらしいけれども、なんらかの理由で放棄、最終的にはいま見るかたちで清書した完成稿に仕上げたようです。なのでときおり、失われた3部構成、つまり前奏曲-トリオソナタ BWV. 528 の3楽章−フーガという組み合わせでも演奏されたりします。作品はケラーも書いたとおり、ひじょうに明るくて、浮き浮きした気分に終始包まれた親しみやすいオルガン曲なんですが、演奏はかなり難しい。さらにくわえて3部構成にもどして (?) 演奏するとなると、もっと難しい。6つの「オルガンのためのトリオソナタ」はいまでも試験課題として使われるほど、オルガニストにきわめて高度な演奏技巧を要求する作品なので。

 木曜の朝には「膀胱手術」の音楽で有名なマラン・マレーの「スペインのフォリア」、金曜の朝にはウェストミンスター・アビイ聖歌隊の演奏、サイモン・プレストンの指揮でヘンデルの「デッティンゲン・アンセム」がかかってました。

posted by Curragh at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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