2014年06月16日

「聖杯」⇒ ひとの翻訳にケチつけるということ

 … 前回の「聖杯」がらみの記事、じつはこれから書くことの伏線だったりします。

 いまやどこのネット通販サイトでも、利用者による「レヴュー」が当たり前になってます。それはそれでたしかに便利です。これこれの商品ほしいな、という場合、いちばんいいのは「買った人の意見」を読むこと。これがずらっと並んで一瞥できるんだから、ある意味理想的なシステムだと言えるかもしれない。

 とはいえ、世の中好事魔多しというか、そうそう喜んでばかりもいられなくて … たとえば「サクラ( 春に咲く花じゃないよ )」、「なりすまし」などのステルスマーケティングとか呼ばれるじつにセコいことする輩がいたり。何事もモノゴトというのはいい面悪い面があります。それは致し方ない。

 でもようはバランスかと。いくら「言論の自由」があったって、どんな勝手なことコメントしていいってわけにはいかない。発言にはつねに責任( 文責 )が伴うもの ―― たとえそれが著名人が書いたものであれ、市井の人であれ。

 自分もすでに何度も「書評」みたいな記事を投稿しているから、あまり他人様のことは言えないながら、ことひとさまの「翻訳」についてコメントするときは、よくよくの注意が肝要かと思う。

 たとえば ―― なんかいまごろって感じもしないではないが ――『ダ・ヴィンチ・コード』翻訳者の先生の書いた翻訳指南書について、こんなとこで勝手に孫引用して投稿した方には申し訳ないが、とにかくこういう評が目に入ってきた。
私は英語の専門家ではありません。… その程度の人間が読んでも、この本の翻訳は疑問が多くあります。本当に英語が出来る人は翻訳者にならないのかもしれません。彼らに魅力的な仕事にしない限り、今後も悪訳が増産されることでしょう。

 へぇ、そうなの? と思い、『ダ・ヴィンチ・コード』から転載された演習問題セクションを「検討」したという箇所を調べるため、『パルチヴァール』ついでにさっそく邦訳書( ハードカバー2冊 !! )と原本( The Da Vinci Code : A Novel, Doubleday 版ペーパーバック )も図書館から借りだして、俎上に上げられた「翻訳指南書」とあわせて首っ引きで見てみた( 余談ながら、ブラウンのこのミステリ、たしかにおもしろいですね !! この小説の映画版で司教役だったと思うが、演じた俳優さんが休暇中にたまたまやってきたプールサイドを見回したら、そこにいたみんなが寝そべって The Da Vinci Code を熱心に読んでいた、なんてことをインタヴューかなにかでこたえていたこともついでに思い出した )。

 文章心理学というのが正式な学問なのかどうかいまいちはっきりしないけれども、子どものころから駄文ばっか綴ってきたしがない門外漢でも、書かれた文章からだいたいのことがわかったりします(「文は人なり」と言うごとく )。たとえば対案として出された「母性信仰」では、この本に何度も出てくるキーワードのひとつ the sacred feminine に対する訳語としてふさわしくないことは明白( 物語の後半で 'The goddess. The sacred feminine'. という言い回しも出てくるし )。あるいは「椅子に座っていれば上体だけを伸ばすのです。小さな声で聞こえるということは、上半身が彼女に近づいているから」という指摘もどうかと … だってふたりはタクシーのバックシートでしゃべっているんだし、このすぐあと運ちゃんが盗聴していることに気づいたソフィーがラングドン教授の上着胸ポケットからピストルを抜き取って( てっ!)運ちゃんに突きつけ、哀れな運ちゃんはつまみ出されて「オートマしか運転できない」ラングドン教授がハンドルを握るハメになる(苦笑)。

 「カリスはカトリック教会の用語 … 現物は寿司屋の湯飲みよりもまだ大きい … その絵を読者に伝えるのに杯という訳語は妨げになる」という指摘について。この手の文章は直前の章からのつながりで見ないと。昔、「聖杯」は Sangreal / Sangraal( 原文イタリック ) と呼ばれていた、との説明に事情がさっぱり呑みこめないソフィー嬢に、「つまり 'Holy Grail' のことだ」とつづけたラングドン教授。ホーリーグレイルのことだと聞かされたソフィー嬢、でもそれってキリストの cup という、ただそれだけのことじゃないの? と返す。ここで問題の箇所がつづく。
"Sophie," Langdon whispered, leaning toward her now, "according to the Priory of Sion, the Holy Grail is not a cup at all. They claim the Grail legend ―― that of a chalice ―― is actually an ingeniously conceived allegory. That is, that the Grail story uses the chalice as a metaphor for something else, something far more powerful." ... ( p. 176 )

ここで言いたいのは、もとは最後の晩餐でイエスが使用し、かつアリマタヤのヨセフがイエスの亡骸を引き取るときに流れでた血を受け取ったという cup 、つまりローマカトリックの聖体拝領で使う chalice は、じつは Holy Grail なるものが意味するもっととてつもないもののメタファー、アレゴリー、記号として利用されている「仮の姿」なんだ、それはとても込み入っていて、そいつがほんとうに意味しているのは … と、そういうことだろうと思う。「カリス」という言い方をどうしても出したければ「杯」にルビをふればそれですむ話。ここでは教会で使われるカリスが具体的にどういう姿形のものかはさして重要ではないと思いますね。ラングドンにとって重要なのは Holy Grail 。このあと Grail は頻出するが、chalice のほうは見たところ出てこないですし、最初の chalice が不定冠詞つきなのもそういう理由からではないかな( 日本語表記だと、どっちもおんなじ「聖杯」になってしまうが )。イタリックについては、ブラウンという人は内的独白も含めてやたらと使って効果を上げる書き方をしているだけかと( chalice ていどの単語でイタリック強調というのはふつうはないはず )。

 また、「この場合は on なので雨が顔の表面にある」ので、「雨が顔を覆い視界がはっきりしない」にすべきだというけれど、日本語としてヘンじゃないですか? じっさい、ここの場面は土砂降りなんだし。邦訳書の「目をあけてまわりを見ようとしたが、顔を打つ雨が視界を曇らせた」のほうが、個人的には「小説の描写がくっきりと絵として浮かぶ」んですけれどもね。

 そして、「翻訳業の人たちは著者の日本語に違和感がないようですが、それは彼らが学生時代から英語が好きで、… 人工的な日本語に慣れているからだと思います」。言わんとするところは、ようするに翻訳業の人はおしなべて母国語でモノを書く能力に問題あり、ということなんでしょう。

 こういうこと書く人は、商品としての文章を書くことがいかに大変か、あるいはいわゆる「文芸もの」を専門とするプロの翻訳者( と編集者、校正者 )がどれだけ訳文に神経を使っているかをおそらくご存じない( 逆に、ワープロソフトなんかで文章を綴る人のほうが気になる。とくに漢字の使い方が。Web 上のニュース記事も含めて、漢字の分量に気を使わない書き手が多すぎる )。'on' のことを指摘した箇所も、文脈を考えて発言しているとはとても思えない。「各部の寸法が気味が悪いほど正確に1対 Φ の比を守っている」からも、それは明らかです( 原本にもしっかり 'PHI'、'1.618' って何度も書いてあるし、そうしないとこのあとの重要な展開につながらない。「著者はPHIが Φ であることに気付いていないようです」というのは、いくらなんでも著者に対して失礼 )。

 自分もたまーに似たようなことを指弾したりした前科があるけれど、すくなくとも当人は「揚げ足取り」はしていないつもり。前にも書いたけどどんな高名な先生の仕事でも叩けばホコリが出るのが翻訳。個人的には、まちがいより日本語として読むに堪えない「悪訳」のほうが問題( もちろん誤りは少ないに越したことはない )。そしてやはり首を傾げたくなるのは、「本当に英語が出来る人は翻訳者にならない」と断じているくだり。いくらソース言語がネイティヴ並みにできたって、それを過不足なく、達意の母国語に翻訳する能力が伴わなければ、それこそだれにも買ってもらえないでしょう。と言ってもどこぞやの「超訳」は、冗談抜きにぶっ飛んで「跳躍」しているので、問題外ですけれども。

 以上、ひとさまの翻訳にケチつけるときは最低限、原本と訳本をそろえてからにしてください。いまや子どもでも、モバイル端末からあっという間に自分の書いた文章が全世界へ発信できちゃう時代。軽い気持ちでなさらないようにお願いします。

付記:『ダ・ヴィンチ・コード』に出てくる「黄金比」がらみでは、こんな記事にもぶつかった。あや? と思って原本( p. 100 )開いたら、たしかに 'He pronounced it fee.' ってありました。

 ジョークで、しかも相手は「フィー」と発音しているので、ひょっとしてこれ 'pee' と引っかけてんのかな、と門外漢は思ったが … そうすればすぐあとの "PHI is one H of a lot cooler than PI ! " ともつながるんじゃないかと…。

 それと、語学ついでにこういう本も先月出たみたい。「なか見! 検索」で立ち読みしたら … 認知言語学云々は興味深いながら、掲載図版になんとなく既視感が … もっとも高校生とかにはとても役に立ちそうな本だと思った。前にも書いたけれども、昔、「前置詞3年、冠詞7年」と言った先生がいた。それだけ習得に時間がかかる、ということ。なのでこんどはその「冠詞編」を上梓していただきたいですね! 

posted by Curragh at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学関連
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