先週の「ベスト・オヴ・クラシック」最後の放送回は、個人的には待ってましたな感ありのバッハ最晩年の大作「フーガの技法」BWV.1080 を取り上げたスペインを代表する弦楽四重奏団のひとつ、カザルス弦楽四重奏団(Cuarteto Casals)の来日公演(2023年 11月2日、浜離宮朝日ホール)でした。カザルス弦楽四重奏団のレパートリーは、ワタシも寡聞にして耳にしたことのないスペインのモーツァルトと称される夭逝の作曲家ホアン・クリソストモ・アリアーガとかエドゥアルド・トルドラといった珍しい作品から、ラベル、ドビュッシー、バルトークなど近現代も手がけるほど守備範囲が広い。
いまは「らじるらじる」の聴き逃し配信で放送後1週間はぞんぶんに楽しめるので、以前の NHK-FM を知っている人間としてはありがたいかぎり。で、公演とは直接、カンケイないけれどもこの作品の説明で、「……その死をもって未完のまま出版された」作品、と紹介してましたが、たしかにバッハは出版するつもり(おそらく「クラヴィーア練習曲集」の続編のようなかたちで)だったけれども、作品後半の各楽曲の配列にはもはやバッハの意図は反映されていない。はっきり言えば、「このフーガで、対位主題に BACH の名が持ち込まれたところで、作曲者は死去した」なんて息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが書き込んでいるのも、「せっかく高額な銅板まで彫ったんだからモトはとらないと」という切実な(?)事情のもとにあえて未完のままエエイママヨ的に刊行された、というのがほんとうのところのようです。
演奏の感想に入る前に、まずこの作品で最大の問題が楽曲配列なのでそのへんを少しだけ。上記のような出版に至る経緯に加え、バッハの死後に出版を急いだ息子たちの手になる「初版」譜と、いわゆる「ベルリン自筆譜」(SBB-PK P200)とで曲の書法そのものが一部違っていること、楽曲の構成がバッハの息のかかっていない後半部に大きく食い違っていること(詳細は拙過去記事。バッハは「コントラプンクトゥス11」までは確実に彫版を監督していたと考えられている)があって、事態をさらにややこしくしている。
先週の放送でかかった浜離宮朝日ホールでの公演で演奏された楽曲の順番は以下のとおり。演奏者は4声曲では全員参加、3/2声曲では手すきのメンバーは舞台後方の椅子に控える、というちょっとおもしろい趣向も盛り込まれていたみたい。そのためなのか、8 ⇒ 13a という変則的な順番になっているのも、「3人で3声を演奏する」ということで3声部曲でまとめたのかな、と。
プログラム前半:コントラプンクトゥス1, 2, 3, 4[4声], カノン 14, 15[2声], コントラプンクトゥス5, 6, 7, 9[4声]
プログラム後半:コントラプンクトゥス10, 11[4声], 同 8, 13a[3声], カノン16, 17[2声], コントラプンクトゥス12a、3つの主題による3重フーガ[4声], コラール「汝の御座の前にわれはいま進み出で(われら苦しみの極みにあるとき)」BWV.668a
で、聴いた感想ですが、手許にあるケラー弦楽四重奏団のアルバムのように、弦楽四重奏ならではの弾むような、丁々発止とした各パートのやりとりがまるで生き物のように躍動して、それがこちらにビンビン伝わってくるかのような演奏ですばらしい。音友社のポケットスコア繰りながら神経を集中して聴くと、たとえば初版譜にあるスラーなどの指示書きに忠実だったり、さりげなく装飾音を入れたりフレーズの切り方を変えたりしているので、あまりこの特殊作品≠聴く機会のない聴き手でもわりと容易に主題−応答の入り/原形主題−変形主題(の反行形など)がくっきり立ち上って聴こえてきたんじゃないでしょうか。
なんでもカザルス弦楽四重奏団がこのバッハ畢生の大作を取り上げる気になったのは、結成 25 周年を迎えるに当たり、さてどんな作品がふさわしいか、と考えたとき、「どんな楽器編成でも演奏可能な作品だったから」(アベル・トーマス氏、Vn.)、「フーガの技法」を選曲したんだそうですよ。
ただ、全曲演奏とはいえ、「鏡像フーガ」の2曲は基本形 a のみの演奏で、「鏡写しにした」ほうのヴァージョン b は省略してます。ま、基本形のあとにまた最初に戻って「鏡像」形を演奏してもいいんでしょうけれども、ライヴ公演的にはあまり意味のないことかもしれない。「ゴルトベルク」BWV.988 の「繰り返し箇所」を演奏するか/しないか問題のようなもの。
最後の未完の3重フーガですけれども、「すべてニ長調の和音で終結させているので、それに合わせた」ということで、最後のワンフレーズでふにゃふにゃっと尻すぼみで終わるよくあるパターンではなくて、その少し前、ニ長調の和音になるところでキレイに終わらせています。なので、出だしの4声単純フーガの終結部の食い違いと同様、カザルス弦楽四重奏団が演奏で使用しているのは初版譜にもとづく校訂版かと思われます。
テンポもやたら感傷的に遅くなったりせず、終始一貫安定しています。そして彼らが演奏で使用しているのはバロック・ボウ。「細かい表情や響きが加わり、モダンの弓とは違った音のつながりを感じることができ、音の息遣いが変わる」(ヴェラ・マルティネス・メーナー氏、Vn.)からというのが理由のようです。
初版譜つながりで言えば、この未完フーガのすぐあとにオルガンコラール BWV.668a で〆ているのもその証拠と言えそう。メンバーによれば、「この作品には、感謝の祈りのような、解放的な結末が必要だと感じる」(ジョナサン・ブラウン氏、Va.)という理由のようですが。公演のアンコールにはスペインらしく、そして、いまだに各地で戦争が続く現代世界を思ってか、カタルーニャ民謡の「鳥の歌」でした。
2024年03月15日
2023年11月30日
NHK Classic Fes.2023 に行ってきた話
先日、NHK-FM の「今日は一日 NHK Classic 三昧」関連イベントとして開かれた野外コンサートを聴きに行きました。ナマの演奏に触れるのは何年ぶりだろう! きっかけは、解禁されたばかりのボージョレ・ヌーヴォーを呑みながらたまたま観ていたEテレの「クラシック音楽館」。番組後半で、なかば番宣のような感じで現役音大生の室内楽団3組が紹介されてまして、なかでも「洗足学園音楽大学 AQUA Woodwind Quintet」に興味を惹かれました …… なんたって「アクア」ですし(笑)。というわけで、アクアつながりで聴きに行ったしだい(しかも正午の開始早々、彼らの演奏だったのでこちらもラッキー。いくら暖かい日だったとはいえ、渋谷川! の真上の観覧席とあっては冷えるだろう、と思っていたが、まさにそのとおりだった。それに昨年暮れにいただいた身体守りをお焚き上げしてもらうため、穏田神社さんに返す[そして新しいお守りを買う]という大切な目的もあり、さらについでに近所の原宿ゲーマーズにも立ち寄って、『LoveLive! Days』ニジガク特集増刊本も買った。嵐千砂都そっくりのお団子ヘアのかわいらしい店員さんがいた)。
ときおり日差しがあったとはいえ、どちらかといえば cloudy なお昼どきだったけれども、幸い絶好の天気に恵まれました。たった 30 分間だったとはいえ、久しぶりのライヴ演奏、それもふだんのワタシがまず耳にすることがない木管五重奏(フルート/オーボエ/クラリネット/ファゴット/ホルン)という編成だったので感激もひとしお。プログラムは、まずは NHK つながり(?)で「ゆうがたクインテット」のユーモラスな演奏で始まり、ドイツの作曲家ダンツィの「木管五重奏曲 Op. 56−1」、ジョルジュ・ビゼーの「カルメン組曲」から前奏曲・ハバネラ・闘牛士の歌、「ハウルの動く城」などの宮崎アニメメドレー、「ふるさと変奏曲」、そしてチャイコフスキーのこの時期定番の「金平糖の精の踊り」(バレエ音楽「くるみ割り人形」)でした。途中でメンバーによる MC というか楽器紹介みたいなコーナーもあり、「シングルリード」楽器と「ダブルリード」楽器の説明もありましたね(オルガンのリードパイプはシングルリード管になる。ついでにホルンを担当していた方の相貌は、某若手女優さんに瓜二つだった)。
このあと神宮外苑前の有名なイチョウ並木の黄葉を撮りに行くため、そそくさと会場をあとにした。ふだんは Organlive.com や「らじる」といったストリーミング配信をかけっぱなしで仕事をしている身ではありますが、やっぱり音楽というのはナマがいちばんだなァとあらためて感じたしだい。そういえば Liella! じゃなくて Libera もたしか来日していたらしい。海外アーティストの公演もかなり復活してきて、ひろい意味での舞台芸術であるコンサートでなければ味わえない感動というものは、ストリーミング配信全盛時代にあっても(否、それだからこそ)あるのだと思う。
ただ、海外来日組による❝お高い❞コンサートを否定するつもりはさらさらないが(この前、ミック・ジャガーのインタビュー記事を訳したばかり)、クラシック音楽に関しては、いまほんとうに求められているのは、このような気軽に参加できるタイプのコンサートではないかと強く思う。むしろこういうコンサート活動こそ大切で、地味ながらもこの手の演奏活動に人とおカネを入れて支援しないと、いつまでたってもクラシック音楽を聴く聴衆はこの国では育たず、また若返ることもないという気がする(テレビ画面に映るN響定演の客層を見ればわかる)。アニメつながりで言えば、ちょうどこのコンサートと時を同じくして一挙放送されていた『青のオーケストラ』もすばらしかった。いちおうこれでも元ブラバンの末席にいた過去があるから、あのアニメで描かれていた練習風景や主人公たちの葛藤は共感しかなかったですね。おかげで苦い思い出も蘇ったりしたけれども …… そういえばこの『青オケ』、演奏していたのが渋谷ストリームで実演に接した洗足学園音大のオーケストラだそうですよ。BRAVI!!
ときおり日差しがあったとはいえ、どちらかといえば cloudy なお昼どきだったけれども、幸い絶好の天気に恵まれました。たった 30 分間だったとはいえ、久しぶりのライヴ演奏、それもふだんのワタシがまず耳にすることがない木管五重奏(フルート/オーボエ/クラリネット/ファゴット/ホルン)という編成だったので感激もひとしお。プログラムは、まずは NHK つながり(?)で「ゆうがたクインテット」のユーモラスな演奏で始まり、ドイツの作曲家ダンツィの「木管五重奏曲 Op. 56−1」、ジョルジュ・ビゼーの「カルメン組曲」から前奏曲・ハバネラ・闘牛士の歌、「ハウルの動く城」などの宮崎アニメメドレー、「ふるさと変奏曲」、そしてチャイコフスキーのこの時期定番の「金平糖の精の踊り」(バレエ音楽「くるみ割り人形」)でした。途中でメンバーによる MC というか楽器紹介みたいなコーナーもあり、「シングルリード」楽器と「ダブルリード」楽器の説明もありましたね(オルガンのリードパイプはシングルリード管になる。ついでにホルンを担当していた方の相貌は、某若手女優さんに瓜二つだった)。
このあと神宮外苑前の有名なイチョウ並木の黄葉を撮りに行くため、そそくさと会場をあとにした。ふだんは Organlive.com や「らじる」といったストリーミング配信をかけっぱなしで仕事をしている身ではありますが、やっぱり音楽というのはナマがいちばんだなァとあらためて感じたしだい。そういえば Liella! じゃなくて Libera もたしか来日していたらしい。海外アーティストの公演もかなり復活してきて、ひろい意味での舞台芸術であるコンサートでなければ味わえない感動というものは、ストリーミング配信全盛時代にあっても(否、それだからこそ)あるのだと思う。
ただ、海外来日組による❝お高い❞コンサートを否定するつもりはさらさらないが(この前、ミック・ジャガーのインタビュー記事を訳したばかり)、クラシック音楽に関しては、いまほんとうに求められているのは、このような気軽に参加できるタイプのコンサートではないかと強く思う。むしろこういうコンサート活動こそ大切で、地味ながらもこの手の演奏活動に人とおカネを入れて支援しないと、いつまでたってもクラシック音楽を聴く聴衆はこの国では育たず、また若返ることもないという気がする(テレビ画面に映るN響定演の客層を見ればわかる)。アニメつながりで言えば、ちょうどこのコンサートと時を同じくして一挙放送されていた『青のオーケストラ』もすばらしかった。いちおうこれでも元ブラバンの末席にいた過去があるから、あのアニメで描かれていた練習風景や主人公たちの葛藤は共感しかなかったですね。おかげで苦い思い出も蘇ったりしたけれども …… そういえばこの『青オケ』、演奏していたのが渋谷ストリームで実演に接した洗足学園音大のオーケストラだそうですよ。BRAVI!!
2022年12月31日
We are observing your Earth ...
ウクライナ侵攻に始まり、乱高下するドル円に世界的な景気後退局面入り、終わりの見えないコロナ禍、そしてまたもや台風や風水害、地震や火山噴火などの天災に見舞われた寅年でした。来年は個人的にも大好きな卯(うさぎ、とくにネザーランドドワーフが好き)年ということで、なんとかぶじに、そして飛躍の年にしたいものだと内心、願っております(先日、念願かなって、『ラブライブ! スーパースター!!』の Liella! メンバーのひとり、平安名すみれの実家設定の穏田神社さんにお参りに行って、「茅の輪くぐり」して、御朱印と、「技芸上達守」もいただいてきましたずら)。
毎年、この時期になると古い欧州の音楽伝統における「クリスマスと新年」が流れる「古楽の楽しみ」ですが、シュッツの「クリスマス物語」、そしてこの時期おなじみの「高き天よりわれは来たれり」(パッヘルベル)、「古き年は過ぎ去りぬ」(バッハ、BWV 614)などのオルガンコラールの名品もかかっていやがうえにもクリスマス気分がアガったのですが、フランスバロックのルイ=クロード・ダカン(1694−1772)が編んだオルガンのための「ノエル集」もまたこの時期よくかかります。でも先日の放送では「ノエル第3番」がかかる前に、MC の先生がなにやらもったいつけて「ある仕掛け」があるから聴き逃さないように、と言っていたのでたぶんアレだろうと思ったら BINGO でした。
ありていに言いますと、「水笛」というオルガンの自動演奏装置のストップが曲の後半で追加されていた、ということ。水笛はフランスでは「ナイチンゲール」を意味する「ロシニョール」(rossignol)とも呼ばれているのだそうで(こちらは初耳でした)、オンライン辞書でてっとり早く調べてみたら、rossignol にはなんと「売れ残りの本」、「流行遅れの品」なんて意味まであるじゃないですか! 「国家とは怪物である」とかつて喝破したニーチェじゃないですけれども、国家の指導者が誰も望んでなどいない侵略戦争を勝手に起こし、失われずにすんだ人命を殺戮するという、このアナクロ全開な動物以下の業(ごう)は、いつになったら「時代遅れ」になるのでしょうか。
そんな折も折、やはり NHK-FM のこちらの番組で流れていた「星空に愛を」を、2022 年を締めくくる1曲としてご紹介しようと思ったしだいです。じつはこちらの楽曲、カナダのプログレバンドのクラトゥの作品で、カーペンターズがそれをカバーして 1976 年に発表したものです。…… いかにも '70 年代な「オールヒットレイディオ」なる音楽番組で、「電リク」(もはや死語か …)してきた「マイク・レジャーウッド」なる人物に、DJ がやたらと早口で「リクエストをどうぞ!」とまくしたてて曲は始まる(気温 11℃、番組開始 13 分過ぎ)。
まさにいま、この歌詞のまんまな事態に陥りつつあるのは、まことに遺憾ながら認めざるをえない気がする(この前ここで触れた例の本の読後感は年明けに。もうひとつちょっと書きたいこともべつにあるので)。良き新年を。
毎年、この時期になると古い欧州の音楽伝統における「クリスマスと新年」が流れる「古楽の楽しみ」ですが、シュッツの「クリスマス物語」、そしてこの時期おなじみの「高き天よりわれは来たれり」(パッヘルベル)、「古き年は過ぎ去りぬ」(バッハ、BWV 614)などのオルガンコラールの名品もかかっていやがうえにもクリスマス気分がアガったのですが、フランスバロックのルイ=クロード・ダカン(1694−1772)が編んだオルガンのための「ノエル集」もまたこの時期よくかかります。でも先日の放送では「ノエル第3番」がかかる前に、MC の先生がなにやらもったいつけて「ある仕掛け」があるから聴き逃さないように、と言っていたのでたぶんアレだろうと思ったら BINGO でした。
ありていに言いますと、「水笛」というオルガンの自動演奏装置のストップが曲の後半で追加されていた、ということ。水笛はフランスでは「ナイチンゲール」を意味する「ロシニョール」(rossignol)とも呼ばれているのだそうで(こちらは初耳でした)、オンライン辞書でてっとり早く調べてみたら、rossignol にはなんと「売れ残りの本」、「流行遅れの品」なんて意味まであるじゃないですか! 「国家とは怪物である」とかつて喝破したニーチェじゃないですけれども、国家の指導者が誰も望んでなどいない侵略戦争を勝手に起こし、失われずにすんだ人命を殺戮するという、このアナクロ全開な動物以下の業(ごう)は、いつになったら「時代遅れ」になるのでしょうか。
そんな折も折、やはり NHK-FM のこちらの番組で流れていた「星空に愛を」を、2022 年を締めくくる1曲としてご紹介しようと思ったしだいです。じつはこちらの楽曲、カナダのプログレバンドのクラトゥの作品で、カーペンターズがそれをカバーして 1976 年に発表したものです。…… いかにも '70 年代な「オールヒットレイディオ」なる音楽番組で、「電リク」(もはや死語か …)してきた「マイク・レジャーウッド」なる人物に、DJ がやたらと早口で「リクエストをどうぞ!」とまくしたてて曲は始まる(気温 11℃、番組開始 13 分過ぎ)。
「ワレワレハ、キミタチノ地球ヲ観察シテキタ…」
「あ〜、マイクごめんよ、そういう曲はうちのプレイリストにはないんだ」
「ワレワレハ、キミタチノ地球ヲ観察シテイル ……」
「あ〜ごめんマイク、それはないんだ、あのね ……」
「ワレワレハ コンタクトヲトリタイ キミタチト …… BABYチャン」
[※最後のはミア・テイラーふうにしてみました]
お願い どうか平和的にやってきて
(降り立てばきっとわかる)
わたしたちの地球はもう持たないかも
(だからお願い、来て)
どうかお願い、惑星間お巡りさん
サインをくれませんか? サインを
応答を示すサインを?
(↑、"Only a landing will teach them" で太字部分がなぜか? love となっている誤記が散見されるため、ご注意。そうとったらそもそも意味がつながるはずもなし)
まさにいま、この歌詞のまんまな事態に陥りつつあるのは、まことに遺憾ながら認めざるをえない気がする(この前ここで触れた例の本の読後感は年明けに。もうひとつちょっと書きたいこともべつにあるので)。良き新年を。
2022年11月30日
バッハの無伴奏チェロ組曲
先週の「古楽の楽しみ」は、バッハの6つの無伴奏チェロ組曲の特集みたいな構成でして、聴いたことがない珍しい音源があったり、じつは「フーガの技法」や「平均律」とおなじく、このケーテン時代の傑作にも「先行例」があったことなど、たいへん興味深く聴取させてもらった。願わくばこの番組も、「らじる」の聴き逃し対応にしてくれませんかね ……
珍しい音源とは、ちょうど祝日だった先週水曜の回でかかった、グスタフ・レオンハルト自身がチェンバロ独奏用に編曲した版で自作自演した音源のことでして、ワタシはもうずいぶん前になるが、たしか東京芸術劇場で開かれたレオンハルトのオルガンリサイタル(招聘したアレグロミュージックさんの前宣伝には「貴(あて)なる人」とか書いてあった)会場にて購入した、「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」のチェンバロ独奏用編曲自作自演盤なら持っていて、ときおり耳を傾けたりしているけれども、こちらはまったくの初耳。さすがレオンハルト大人(たいじん)、無伴奏ものはヴァイオリンソナタ/パルティータのみならず、しっかりチェロ組曲も鍵盤用に編曲されていたんですね〜、掛け値なしにすばらしいとしか言いようがない(いま探してみたら、鍵盤編曲ヴァージョンの全曲盤もありました)。というか、気がつけば今年は没後 10 年ではないですか。レオンハルトは若かりしころがちょうど第二次大戦真っ只中で、電気も水もなく食料もわずかななかで、音が外に漏れないように練習していたとかどこかで読んだ記憶があります。いままた暗雲垂れこめつつある欧州の現状を、草葉の陰でどう思っているのだろうか。またレオンハルトには、こんなレアものの音源まであるみたいです。
「無伴奏チェロ」の先行例として紹介されていたのが、ドメニコ・ガブリエッリ(ca. 1650〜1690)という北イタリアのボローニャの音楽家が残した「チェロのためのリチェルカーレ」という曲集のようで、こちらも寡聞にして初耳だった(遅かりし由良之助)。ちなみにこちらのガブリエッリ氏、ヴェネツィアの有名なガブリエリ一族とは無関係の人。バッハはこの人の出版譜かなにかを所有していたのかな? 『バッハ事典』に転載されていた「遺産目録」のコピーとか、あとで確認してみよう。 この「無伴奏チェロ」づくしな「古楽の楽しみ」、かかった演奏者もレオンハルトをはじめアンナー・ビルスマ、そしてバッハのこの作品ときたらぜったいに外せないパブロ・カザルスなど、往年の名手の懐かしい名録音も聴けて、なんだか心洗われる思いがした。
珍しい音源とは、ちょうど祝日だった先週水曜の回でかかった、グスタフ・レオンハルト自身がチェンバロ独奏用に編曲した版で自作自演した音源のことでして、ワタシはもうずいぶん前になるが、たしか東京芸術劇場で開かれたレオンハルトのオルガンリサイタル(招聘したアレグロミュージックさんの前宣伝には「貴(あて)なる人」とか書いてあった)会場にて購入した、「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」のチェンバロ独奏用編曲自作自演盤なら持っていて、ときおり耳を傾けたりしているけれども、こちらはまったくの初耳。さすがレオンハルト大人(たいじん)、無伴奏ものはヴァイオリンソナタ/パルティータのみならず、しっかりチェロ組曲も鍵盤用に編曲されていたんですね〜、掛け値なしにすばらしいとしか言いようがない(いま探してみたら、鍵盤編曲ヴァージョンの全曲盤もありました)。というか、気がつけば今年は没後 10 年ではないですか。レオンハルトは若かりしころがちょうど第二次大戦真っ只中で、電気も水もなく食料もわずかななかで、音が外に漏れないように練習していたとかどこかで読んだ記憶があります。いままた暗雲垂れこめつつある欧州の現状を、草葉の陰でどう思っているのだろうか。またレオンハルトには、こんなレアものの音源まであるみたいです。
「無伴奏チェロ」の先行例として紹介されていたのが、ドメニコ・ガブリエッリ(ca. 1650〜1690)という北イタリアのボローニャの音楽家が残した「チェロのためのリチェルカーレ」という曲集のようで、こちらも寡聞にして初耳だった(遅かりし由良之助)。ちなみにこちらのガブリエッリ氏、ヴェネツィアの有名なガブリエリ一族とは無関係の人。バッハはこの人の出版譜かなにかを所有していたのかな? 『バッハ事典』に転載されていた「遺産目録」のコピーとか、あとで確認してみよう。 この「無伴奏チェロ」づくしな「古楽の楽しみ」、かかった演奏者もレオンハルトをはじめアンナー・ビルスマ、そしてバッハのこの作品ときたらぜったいに外せないパブロ・カザルスなど、往年の名手の懐かしい名録音も聴けて、なんだか心洗われる思いがした。
2022年08月25日
ヴィヴァルディとバッハ
まったく久しぶりに NHK-FM がらみで。今週の「古楽の楽しみ」、今年聴取したなかでは個人的にいちばん気に入った特集だったかも(ここんところ『ラブライブ!』シリーズの話題多めで、以前からこの拙い脱線だらけのブログを見てくださっている少数の方がたにとっては、ワタシがすっかり別人になってしまったかのように心配[?]している向きもおられるかもしれませんが、バッハ大好きオルガン大好き路線にはいささかも揺るぎなし、ということだけはハッキリさせておきます。しかしワタシは音楽をジャンルべつに腑分けするというのがそもそもキライで、バッハだろうと Aqours やニジガクだろうと、良いものは良い、という芸術至上主義者でありますのでそのへんはお間違いなく)。
案内役の先生のおっしゃるとおり、若き日のバッハの「イタリア体験」がなかったら、おそらくいまのわたしたちが知っているようなあの16分音符ペコペコ進行多しみたいな独特なバッハ様式はなかっただろうし、その後の西洋音楽(クラシック)もいまとは異なる方向に発展していたかもしれない。ただ、お話を聞いていて、「え、なんだアレもか?!」とヴィヴァルディ体験の影響を受けたバッハ作品の多さにちょっとびっくりしたり。たとえばけさの放送で聴いた、「教会カンタータ第 146 番」のシンフォニアおよび8声の合唱曲とか。シンフォニアはなるほど、たしかに現存するチェンバロ協奏曲(ニ短調、BWV 1052)の出だしの楽章のパロディ(転用)ですが、8声の合唱のほうは注意して聴いてないと BWV 1052 の緩徐楽章だと気づきにくい。「大規模に発展させた見返りに、ここではヴィヴァルディにあったわかりやすさは犠牲にされている」と先生は指摘されていたが、いやいやこの大規模ヴァージョンの精神的な深さはどうですか。バッハは、シンプルさが多少消えても、「マタイ」や「ヨハネ」を思わせる劇的効果はこれくらい声部を分厚くした対位法書法じゃなきゃダメだ、ということがわかったうえで書いたんだと思う。というわけで、今週はヴィヴァルディの『調和の霊感(L'estro Armonico)』とバッハ作品との相関関係について取り上げてます。
ヴィヴァルディ体験がもたらした果実は、たとえば以前ここにも書いた、BWV 544 の「前奏曲とフーガ ロ短調」にも現れているという。言われてみればたしかに。前半の前奏曲は、リトルネッロ形式のイタリアバロックな協奏曲を思わせます。そしてバッハは南の代表のイタリア様式と、師匠とも言うべきブクステフーデから学んだ北ドイツの幻想様式(北ドイツ・オルガン楽派)とが渾然一体と化した、「前奏曲とフーガ ホ短調 BWV 548」の巨大なフーガへと発展させる。…… 先生のお話を聴きながら、すこし spine-tingling な気持ちを味わってました。
ただしヴィヴァルディは、バッハをはじめとする当時の名だたる大音楽家に多大な影響を与えた功績の持ち主らしからぬ最期を遂げてしまったのがいかにも悲しい。彼は 1740 年の春ごろ、ウィーン(ほんとはヴィーン)へと旅立った。最晩年のバッハとおなじく、自分の音楽(彼の場合はオペラ・セリア)が時代に合わなくなったこともひとつの要因となって、新天地を求めた、というわけ。かの地には、あらたにパトロンになってくれそうな神聖ローマ皇帝カール6世がいて、その援助を当てにしたのだけれども、なんとなんとヴィヴァルディのウィーン到着後、ほどなくして皇帝その人が急死してしまった。当然、国内は喪に服すことになったから、現代の新型コロナではないが、音楽どころでなくなった。翌 1741 年、彼もまた病気になり、貧窮と失意のうちに亡くなる。身寄りのない expat だった彼は貧民墓地に埋葬されて、現在、遺骨は行方不明のままです。
それでも彼の明朗快活な調べはまさしく不朽。バッハやヘンデル、テレマン、ラモー、クープラン、スカルラッティ父子、コレッリなどとともに、バロック時代を代表するヴァイオリンの大家にして大作曲家として、時代を超えていつまでも愛聴されつづけるでしょうね。前にも書いたけれども、歩行器の赤ちゃんがヴィヴァルディの合奏協奏曲を聴かせると、ヒョコヒョコお尻振って喜ぶってのは、どう考えてもスゴいことずら。
案内役の先生のおっしゃるとおり、若き日のバッハの「イタリア体験」がなかったら、おそらくいまのわたしたちが知っているようなあの16分音符ペコペコ進行多しみたいな独特なバッハ様式はなかっただろうし、その後の西洋音楽(クラシック)もいまとは異なる方向に発展していたかもしれない。ただ、お話を聞いていて、「え、なんだアレもか?!」とヴィヴァルディ体験の影響を受けたバッハ作品の多さにちょっとびっくりしたり。たとえばけさの放送で聴いた、「教会カンタータ第 146 番」のシンフォニアおよび8声の合唱曲とか。シンフォニアはなるほど、たしかに現存するチェンバロ協奏曲(ニ短調、BWV 1052)の出だしの楽章のパロディ(転用)ですが、8声の合唱のほうは注意して聴いてないと BWV 1052 の緩徐楽章だと気づきにくい。「大規模に発展させた見返りに、ここではヴィヴァルディにあったわかりやすさは犠牲にされている」と先生は指摘されていたが、いやいやこの大規模ヴァージョンの精神的な深さはどうですか。バッハは、シンプルさが多少消えても、「マタイ」や「ヨハネ」を思わせる劇的効果はこれくらい声部を分厚くした対位法書法じゃなきゃダメだ、ということがわかったうえで書いたんだと思う。というわけで、今週はヴィヴァルディの『調和の霊感(L'estro Armonico)』とバッハ作品との相関関係について取り上げてます。
ヴィヴァルディ体験がもたらした果実は、たとえば以前ここにも書いた、BWV 544 の「前奏曲とフーガ ロ短調」にも現れているという。言われてみればたしかに。前半の前奏曲は、リトルネッロ形式のイタリアバロックな協奏曲を思わせます。そしてバッハは南の代表のイタリア様式と、師匠とも言うべきブクステフーデから学んだ北ドイツの幻想様式(北ドイツ・オルガン楽派)とが渾然一体と化した、「前奏曲とフーガ ホ短調 BWV 548」の巨大なフーガへと発展させる。…… 先生のお話を聴きながら、すこし spine-tingling な気持ちを味わってました。
ただしヴィヴァルディは、バッハをはじめとする当時の名だたる大音楽家に多大な影響を与えた功績の持ち主らしからぬ最期を遂げてしまったのがいかにも悲しい。彼は 1740 年の春ごろ、ウィーン(ほんとはヴィーン)へと旅立った。最晩年のバッハとおなじく、自分の音楽(彼の場合はオペラ・セリア)が時代に合わなくなったこともひとつの要因となって、新天地を求めた、というわけ。かの地には、あらたにパトロンになってくれそうな神聖ローマ皇帝カール6世がいて、その援助を当てにしたのだけれども、なんとなんとヴィヴァルディのウィーン到着後、ほどなくして皇帝その人が急死してしまった。当然、国内は喪に服すことになったから、現代の新型コロナではないが、音楽どころでなくなった。翌 1741 年、彼もまた病気になり、貧窮と失意のうちに亡くなる。身寄りのない expat だった彼は貧民墓地に埋葬されて、現在、遺骨は行方不明のままです。
それでも彼の明朗快活な調べはまさしく不朽。バッハやヘンデル、テレマン、ラモー、クープラン、スカルラッティ父子、コレッリなどとともに、バロック時代を代表するヴァイオリンの大家にして大作曲家として、時代を超えていつまでも愛聴されつづけるでしょうね。前にも書いたけれども、歩行器の赤ちゃんがヴィヴァルディの合奏協奏曲を聴かせると、ヒョコヒョコお尻振って喜ぶってのは、どう考えてもスゴいことずら。
2022年05月04日
ヴォーカロイドから教えてもらったこと
いま、『今日は一日ラブライブ三昧3』を聴取しながら書いてます。
ちょうどかかっていたのが「Awaken the power」で、コレは函館聖泉女子高等学院という函館市内の私立高校に在籍する鹿角(かづの)姉妹のユニット SaintSnow と、沼津・内浦の浦の星女学院スクールアイドル Aqours の1年生組とが合同した SaintAqoursSnow として披露した劇中歌。畑亜貴さんの歌詞はいつにも増してさらに力強く、「聴いている人の背中を押す」パワーにあふれた楽曲なんですが、昨夜、『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期を地上波で観る前に(田舎なんで放映日時が遅いんです)たまたまコチラの番組を視聴した。視聴後、頭の中に響いていたのがまさにこの「Awaken the power」の歌詞(“セカイはきっと知らないパワーで輝いてる/なにを選ぶか自分しだいさ/眠るチカラが動きはじめる”……)でした。
初音ミクという「16歳の少女歌手」がデビューするまでの経緯ははじめて知ることばかりでそれだけでもすこぶる「蒙を啓かれた」思いもしたんですが、そのなかでもとくにボカロPと呼ばれる、プロデューサー的な人たちの話がかなり刺さったのも事実。ボカロPの人たちは、いわば初音ミクというヴォーカロイドの「中の人」、狂言回し的な役回りの人のことです。
不肖ワタシが「初音ミク」という名前をはじめて耳にしたのは初音ミクが登場したばかりのころ、当時在籍していた職場の年下の同僚からだった。はつねみくって聞いて、ナニソレ意味ワカンナイ(μ's の西木野真姫の口癖です)状態だったのだが、この番組で紹介されたような、初音ミクがはじめて「一般の人」にも TV で紹介されたときの「偏見に満ちた塩対応」などもちろんしなかった。この手のトピックを取り上げるたびにおんなじこと書いてきたような気もしないわけでもなくなくはないんですが(黒澤ダイヤの科白のパロディ)、ワタシはこう見えて(すでに五十路[「いそじ」と読む、念のため]を超えたおっさん)、自分より若い世代が心血を注いでいることに対してアタマゴナシに「へっ!」と思ったことなど一度もないのが自慢。むしろ逆。「オラにももっと教えてくれずら♪」と相手がドン引きするほど首を突っ込みたいほう。沼津が舞台の『サンシャイン!!』だってそうだったし。首を突っ込みすぎて、ぞっこんというかどっぷりというか、完全に沼にはまってしまった感はある(微苦笑)。
初音ミクの話にもどって、印象的だったシーンをふたつ。まず、ボカロPきくお氏のこちらの楽曲。「ソワカ」って出てきますが、これは「般若心経」の一節の引用。『デジタル大辞泉』によると「《(梵)svāhāの音写。円満・成就などと訳す》仏語。幸あれ、祝福あれ、といった意を込めて、陀羅尼・呪文 (じゅもん) などのあとにつけて唱える語」とあります(梵というのは梵語、サンスクリット語のこと)。それとそうそう、あの「うっせぇうっせぇうっせえわ!」の Ado さん。彼女がドスを効かせた声で連呼して歌う例のメロディーライン、なんかどっかで聞いたことある …… と思ったら、安良里のお寺の法会でいつも耳にする「般若心経」のリズムとおんなじだった(とくに「ぼーじーそーわーかー」のところ。アレレこれも「そわか」じゃん)。
米国を代表するジャーナリストのひとりビル・モイヤーズは比較神話学者のジョー・キャンベルとの対談(『神話の力』)で、映画『スター・ウォーズ』の最初の3部作(EP 4〜6)について、「これは最新の衣装をまとった、とても古い話だな」という第一印象を語っている。こちらの楽曲もまったくおなじですね。技術的に音楽をこさえているのは DTM つまり「打ち込み」という「最新の衣装(いや、意匠か)」ながら、その中身は古人(いにしえびと)の叡智というか、古いものなんですね。「最新の革袋に入れたヴィンテージものワイン」といったおもむき。
ふたつ目は、ボカロPきくお氏の密着取材の場面。きくお氏はいまは地方にお住まいで、そこで楽曲作りをされているようなのですが、ここしばらく新曲が発表できず、スランプに陥っていたらしい。その間、適応障害(いま、わりとよく聞く症例のひとつ)と診断されたりとしんどかったようですが、ようやく前記の「ソワカの声」を完成させた、というところまでが密着取材されていた。そして番組に登場したボカロPの人たちがほぼ異口同音に、「初音ミクという存在に救われてきた」という趣旨のことをおっしゃっていた。実際の作業のようすも興味津々で拝見したが(人様の仕事部屋とか書斎とかを見るのが大好きなスノッブ人間)、たとえば「発語の最初の音」の調整風景なんか、まんま発声レッスン、楽器で言うところのヴォイシングですね。舞台上のボーイソプラノのソリスト少年に、「そのハ〜…からはじまるくだり、それはもっとアタマの先から客席の真後ろの壁面めがけて思いっきりブツけるように歌ってYO!」みたいにヴォイストレーナーや指揮者が指示を飛ばすのと変わりなかった。
さて番組のエンディングで「初音ミクとは?」との問いに対し、きくお氏はこう答えていた。
これまたキャンベルや、小説家のジェイムズ・ジョイスが言っていたのとまったくおなじだった。ジョイスは「真の芸術」の定義を、「エピファニーを与えるもの」だと言った。「役に立つ」からとか、「ある政治的イデオロギー」を声高に押しつけるのではない(そういうのをジョイスはそれぞれ「ポルノグラフィー」、「教訓的芸術」と呼んだ)。すなおに感動しましたよ。
初音ミクの知名度は、いまやグローバル(『ラブライブ!』シリーズの知名度もおなじくグローバル。もっともこれは日本のアニメ全般に言えることかもしれないが)。初音ミク動画を動画共有サイトにアップすれば、速攻で海外ガチ勢の「歌ってみた」的なコール&レスポンス動画が返信代わりにアップされる。これって和歌の「返歌/反歌」にも似ている。なので、こうしたやりとりはじつは平安時代とあまり変わらないのかもしれない。変化したのはそれを相手に伝えるツールと通信手段だけだ。
前にもここで触れたかもしれないけれども、初音ミクの名がクラシック音楽ガチ勢の耳にも強烈に届いたのは、2016 年に亡くなった冨田勲氏が手掛けた『イーハトーヴ交響曲』での起用でしょう(初演は 2012年)。
そんなワタシが好きな初音ミクヴァージョンは、やっぱコレですかねぇ(以前にも関連動画を紹介したことがあったが、重複を顧みずもう一度)↓
最後に、備忘録代わりに『今日は一日ラブライブ三昧3』のオンエア曲リスト(セットリスト、略してセトリと言うそうですが)をコピペしておきます(注:番組公式さんに怒られたらすぐ引っこめますずら、悪しからず)
……ええっと個人的にひとこと。……「ビリアゲ」からの「ブラメロ」が入ってないんか〜い!!
ちょうどかかっていたのが「Awaken the power」で、コレは函館聖泉女子高等学院という函館市内の私立高校に在籍する鹿角(かづの)姉妹のユニット SaintSnow と、沼津・内浦の浦の星女学院スクールアイドル Aqours の1年生組とが合同した SaintAqoursSnow として披露した劇中歌。畑亜貴さんの歌詞はいつにも増してさらに力強く、「聴いている人の背中を押す」パワーにあふれた楽曲なんですが、昨夜、『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期を地上波で観る前に(田舎なんで放映日時が遅いんです)たまたまコチラの番組を視聴した。視聴後、頭の中に響いていたのがまさにこの「Awaken the power」の歌詞(“セカイはきっと知らないパワーで輝いてる/なにを選ぶか自分しだいさ/眠るチカラが動きはじめる”……)でした。
初音ミクという「16歳の少女歌手」がデビューするまでの経緯ははじめて知ることばかりでそれだけでもすこぶる「蒙を啓かれた」思いもしたんですが、そのなかでもとくにボカロPと呼ばれる、プロデューサー的な人たちの話がかなり刺さったのも事実。ボカロPの人たちは、いわば初音ミクというヴォーカロイドの「中の人」、狂言回し的な役回りの人のことです。
不肖ワタシが「初音ミク」という名前をはじめて耳にしたのは初音ミクが登場したばかりのころ、当時在籍していた職場の年下の同僚からだった。はつねみくって聞いて、ナニソレ意味ワカンナイ(μ's の西木野真姫の口癖です)状態だったのだが、この番組で紹介されたような、初音ミクがはじめて「一般の人」にも TV で紹介されたときの「偏見に満ちた塩対応」などもちろんしなかった。この手のトピックを取り上げるたびにおんなじこと書いてきたような気もしないわけでもなくなくはないんですが(黒澤ダイヤの科白のパロディ)、ワタシはこう見えて(すでに五十路[「いそじ」と読む、念のため]を超えたおっさん)、自分より若い世代が心血を注いでいることに対してアタマゴナシに「へっ!」と思ったことなど一度もないのが自慢。むしろ逆。「オラにももっと教えてくれずら♪」と相手がドン引きするほど首を突っ込みたいほう。沼津が舞台の『サンシャイン!!』だってそうだったし。首を突っ込みすぎて、ぞっこんというかどっぷりというか、完全に沼にはまってしまった感はある(微苦笑)。
初音ミクの話にもどって、印象的だったシーンをふたつ。まず、ボカロPきくお氏のこちらの楽曲。「ソワカ」って出てきますが、これは「般若心経」の一節の引用。『デジタル大辞泉』によると「《(梵)svāhāの音写。円満・成就などと訳す》仏語。幸あれ、祝福あれ、といった意を込めて、陀羅尼・呪文 (じゅもん) などのあとにつけて唱える語」とあります(梵というのは梵語、サンスクリット語のこと)。それとそうそう、あの「うっせぇうっせぇうっせえわ!」の Ado さん。彼女がドスを効かせた声で連呼して歌う例のメロディーライン、なんかどっかで聞いたことある …… と思ったら、安良里のお寺の法会でいつも耳にする「般若心経」のリズムとおんなじだった(とくに「ぼーじーそーわーかー」のところ。アレレこれも「そわか」じゃん)。
米国を代表するジャーナリストのひとりビル・モイヤーズは比較神話学者のジョー・キャンベルとの対談(『神話の力』)で、映画『スター・ウォーズ』の最初の3部作(EP 4〜6)について、「これは最新の衣装をまとった、とても古い話だな」という第一印象を語っている。こちらの楽曲もまったくおなじですね。技術的に音楽をこさえているのは DTM つまり「打ち込み」という「最新の衣装(いや、意匠か)」ながら、その中身は古人(いにしえびと)の叡智というか、古いものなんですね。「最新の革袋に入れたヴィンテージものワイン」といったおもむき。
ふたつ目は、ボカロPきくお氏の密着取材の場面。きくお氏はいまは地方にお住まいで、そこで楽曲作りをされているようなのですが、ここしばらく新曲が発表できず、スランプに陥っていたらしい。その間、適応障害(いま、わりとよく聞く症例のひとつ)と診断されたりとしんどかったようですが、ようやく前記の「ソワカの声」を完成させた、というところまでが密着取材されていた。そして番組に登場したボカロPの人たちがほぼ異口同音に、「初音ミクという存在に救われてきた」という趣旨のことをおっしゃっていた。実際の作業のようすも興味津々で拝見したが(人様の仕事部屋とか書斎とかを見るのが大好きなスノッブ人間)、たとえば「発語の最初の音」の調整風景なんか、まんま発声レッスン、楽器で言うところのヴォイシングですね。舞台上のボーイソプラノのソリスト少年に、「そのハ〜…からはじまるくだり、それはもっとアタマの先から客席の真後ろの壁面めがけて思いっきりブツけるように歌ってYO!」みたいにヴォイストレーナーや指揮者が指示を飛ばすのと変わりなかった。
さて番組のエンディングで「初音ミクとは?」との問いに対し、きくお氏はこう答えていた。
純粋な音楽であること
純粋な魂であって
純粋な美そのものであること
これまたキャンベルや、小説家のジェイムズ・ジョイスが言っていたのとまったくおなじだった。ジョイスは「真の芸術」の定義を、「エピファニーを与えるもの」だと言った。「役に立つ」からとか、「ある政治的イデオロギー」を声高に押しつけるのではない(そういうのをジョイスはそれぞれ「ポルノグラフィー」、「教訓的芸術」と呼んだ)。すなおに感動しましたよ。
初音ミクの知名度は、いまやグローバル(『ラブライブ!』シリーズの知名度もおなじくグローバル。もっともこれは日本のアニメ全般に言えることかもしれないが)。初音ミク動画を動画共有サイトにアップすれば、速攻で海外ガチ勢の「歌ってみた」的なコール&レスポンス動画が返信代わりにアップされる。これって和歌の「返歌/反歌」にも似ている。なので、こうしたやりとりはじつは平安時代とあまり変わらないのかもしれない。変化したのはそれを相手に伝えるツールと通信手段だけだ。
前にもここで触れたかもしれないけれども、初音ミクの名がクラシック音楽ガチ勢の耳にも強烈に届いたのは、2016 年に亡くなった冨田勲氏が手掛けた『イーハトーヴ交響曲』での起用でしょう(初演は 2012年)。
そんなワタシが好きな初音ミクヴァージョンは、やっぱコレですかねぇ(以前にも関連動画を紹介したことがあったが、重複を顧みずもう一度)↓
最後に、備忘録代わりに『今日は一日ラブライブ三昧3』のオンエア曲リスト(セットリスト、略してセトリと言うそうですが)をコピペしておきます(注:番組公式さんに怒られたらすぐ引っこめますずら、悪しからず)
01. 始まりは君の空/Liella!
02. 僕らのLIVE 君とのLIFE(TVサイズ)/μ's
03. 僕らは今のなかで(TVサイズ)/μ's
04. ユメ語るよりユメ歌おう(TVサイズ)/Aqours
05. 未来の僕らは知ってるよ(TVサイズ)/Aqours
06. 虹色Passions!(TVサイズ)/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
07. NEO SKY, NEO MAP!(TVサイズ)/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
08. START!! True dreams(TVサイズ)/Liella!
09. 未来は風のように(第11話ver.)/Liella!
10. SUNNY DAY SONG (Movie Edit)/μ's
11. Fantastic Departure!/Aqours
12. TOKIMEKI Runners /虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
13. もぎゅっと“love”で接近中!/μ's
14. Snow halation /μ's
15. Love wing bell /星空 凛(飯田里穂)、西木野真姫(Pile)、小泉花陽(久保ユリカ)、 絢瀬絵里(南條愛乃)、東條 希(楠田亜衣奈)、矢澤にこ(徳井青空)
16. なってしまった!/μ’s
17. ススメ→トゥモロウ/高坂穂乃果(新田恵海)、南ことり(内田彩)、園田海未(三森すずこ)
18. ほんのちょっぴり/澁谷かのん(伊達さゆり)
19. 輝夜[かぐや]の城で踊りたい/μ's
20. ミはμ'sicのミ/μ's
21. 未熟DREAMER /Aqours
22. 想いよひとつになれ/Aqours
23. Thank you, FRIENDS!!/Aqours
24. DREAMY COLOR/Aqours
25. 青空Jumping Heart/Aqours
26. BANZAI! digital trippers(1CHO)/Aqours × 初音ミク
27. VIVID WORLD (TVサイズ)/朝香果林(久保田未夢)
28. サイコーハート (TVサイズ)/宮下愛(村上奈津実)
29. La Bella Patria(TVサイズ)/エマ・ヴェルデ(指出毬亜)
30. 決意の光(1CHO)/三船栞子(小泉萌香)
31. Dream with You(TVサイズ) /上原歩夢(大西亜玖璃)
32. Poppin' Up!(TVサイズ)/中須かすみ(相良茉優)
33. Solitude Rain(TVサイズ) /桜坂しずく(前田佳織里)
34. Butterfly(TVサイズ)/近江彼方(鬼頭明里)
35. DIVE!(TVサイズ)/優木せつ菜(楠木ともり)
36. ツナガルコネクト(TVサイズ) /天王寺璃奈(田中ちえ美)
37. L!L!L! (Love the Life We Live)/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
38. 夢がここからはじまるよ/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
39. Music S.T.A.R.T!! /μ’s
40. Wonderful Rush /μ’s
41. それは僕たちの奇跡/μ’s
42. Cutie Panther /BiBi(南條愛乃、Pile、徳井青空)
43. START:DASH!!/μ's
44. Tiny Stars /澁谷かのん(伊達さゆり)、唐 可可[タン・クゥクゥ](Liyuu)
45. ノンフィクション!!/Liella!
46. 未来予報ハレルヤ!/Liella!
47. Awaken the power /Saint Aqours Snow
48. 夜明珠[イエミンジュ](1CHO)/鐘 嵐珠[ショウ・ランジュ](法元明菜)
49. Toy Doll(1CHO)/ミア・テイラー(内田 秀)
50. HOT PASSION!!/Sunny Passion
51. Shocking Party /A-RISE
52. LIVE with a smile!/ Aqours、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、Liella!
53. A song for You! You? You!!/μ's
54. なんどだって約束!/Aqours
55. ユメノトビラ/μ's
56. WATER BLUE NEW WORLD /Aqours
57. KiRa-KiRa Sensation!/μ's
58. キセキヒカル/Aqours
59. 夢が僕らの太陽さ/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
60. Wish Song /Liella!
61. 僕たちはひとつの光/μ's
62. 勇気はどこに?君の胸に!/Aqours
63. MONSTER GIRLS /R3BIRTH(小泉萌香、内田 秀、法元明菜)
64. 常夏☆サンシャイン/澁谷かのん(伊達さゆり)、唐可可(Liyuu)、嵐千砂都(岬なこ)、平安名すみれ(ペイトン尚未)
65. Colorful Dreams! Colorful Smiles!/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
66. Starlight Prologue /Liella!
……ええっと個人的にひとこと。……「ビリアゲ」からの「ブラメロ」が入ってないんか〜い!!
2021年03月17日
貴重な音源が聴けてうれしかった話2題
1.この前の「古楽の楽しみ」、今谷和徳先生の回で「16 世紀イングランドの音楽」というのをやってました。イングランドの古楽の作曲家でジョン・タヴァーナーやトマス・タリスなんかはわりと知られているほうだから、ときおり聴いたことがあるぞという向きも多いかと思いますが、クリストファー・タイだの「イートン・クワイヤブック」に収められた楽曲だのはかなりの通好みと言うか、よほどイングランドの教会音楽、もっと言えばアングリカン(イングランド国教会)の音楽に親しんでいるような人でないと名前も知らないでしょう。そんな古い作品もけっこうかけてくれたから、こちらとしてはいとをかし。ヘンリー8世作曲の声楽曲なんてのもめったに聴けない珍品だから、この手の音楽が好きな人にとっては文字どおり朝から耳のごちそうだったんじゃないでしょうかね。
そんなアングリカンの作曲家として初日にかかったのが、ウィリアム・コーニッシュという人の宗教声楽曲。じつはこれふたりいて、おなじ名前の親子(父子)なんです。なにぶん古い時代の人なので、史料でさえ父親のほうなのか息子のほうなのかワカラン場合も多々あるようです。「イートン・クワイヤブック」に収録されているのは同名の父の作品らしいけれども、やはりよくわからない。
今谷先生が紹介されたように、コーニッシュ父子はチューダー朝時代にチャペル・ロイヤルと呼ばれる王室専属の少年聖歌隊長や、ウェストミンスター・アビイ聖母礼拝堂付き少年聖歌隊長を務めていた人だと言われてます。だいぶ前にここでも内容を紹介した手許の本をこれまたひさしぶりに開いて確認すると、「カイウス・クワイヤブック」に収録されている「第8旋法によるマニフィカト」は伝「父」コーニッシュの作品のようで、「グロリア」の終結部(アングリカンで歌われる英語のアンセムでは "... As it was in the beginning, and now, and ever shall be." に当たる箇所)は「テノールとバスの二重唱がひとしきり続いて開始され、複雑さを増しつつソプラノへと上行する」、言い換えれば「天界へと上昇して、天の栄光を賛美する」ように作られているとか。
「息子」の手がけた世俗歌曲のほうもいくつか現存していて、わりと知られているのが初日にもかかった「ああ、ロビン、やさしいロビン」でしょうか。でも「おーい、陽気なラッターキン」とか「角笛を吹け、狩人よ」とかは寡聞にして知らなかったからなんか得した気分。タイトルどおり肩の凝らない、楽しい歌です。
2.聴けてうれしい貴重、いや希少な音源ということでは、日曜に聴いたこちらの番組も負けてない。なんと、あのヴィルヘルム・ケンプがオルガンを独奏しているのですぞ! それもなんと !! カトリック広島司教区の世界平和記念聖堂に完成したてのオルガンこけら落としリサイタルのライヴ録音(1954) !!! もうたまらんですわ。というか、在庫あるじゃん! No Music, No Life! なワタシではあるが、ここんとこ Aqours の CD しか買ってなかったから、コレはさっそく買わなくては。
演奏を聴いた印象ですが、バッハの超有名な受難のコラールを使った小品「わが心の切なる願い BWV 727」の場合、コラールの各節の出だしで鍵盤交替してストップ間の音色の対比を際立たせているように感じた(ちなみにこのオルガンコラールは「受難の調」と言われるロ短調で書かれていて、番組後半でも流れたが、ケンプみずからピアノ独奏用に編曲もしている)。こういう演奏ははっきりいって古臭くて、ケンプのバッハ演奏が 19 世紀ロマン派のスタイルをしっかり踏襲していることがわかる。それでもなんと言いますか、えも言えぬ感情が深いところから湧き上がってくるのを抑えることができない。テンポばかりがやったら快速で薄っぺらい印象さえ受ける 21 世紀の演奏スタイルとは格が違うぞ、ということなのか。ヴァルヒャの演奏にも言えるけれども、ケンプもまた精神性のきわめて高い、心にストレートに刺さってくるバッハ演奏であり、バッハの音楽を「演奏(≒翻訳)」ではなく、まんまバッハの音楽がそのままドン! と突きつけられる感じがする。こういう感覚もまた、ひさしぶりに味わいましたね。
ケンプは最晩年、認知症とパーキンソン病を患っていたようで、95 歳で大往生を遂げるまで演奏活動から何年も遠ざかってそれっきりだった。でも当時高校生だった不肖ワタシも、回想録『鳴り響く星のもとに──ヴィルヘルム・ケンプ青春回想録』という本には深い感銘を受けたものです(ちなみに「鳴り響く星」というのは、ストップを引き出すとくるくる回りだしてかわいらしい金属音を響かせる「ツィンベルシュテルン[英語読みでは「シンバルスター」]」のこと。文字どおりオルガンのプロスペクトを飾る「星」のかたちをしている)。
そういえばケンプも、尊敬するオルガン奏者のヘルムート・ヴァルヒャも、逝去した年がまったくおなじ 1991 年だから、おふたりとも今年で没後満 30 年になる …… 早いものだ。なんかあっという間の 30 年だったな……などとついみずからの来し方を振り返ってしまう、今日このごろ。COVID-19 パンデミックにあえぐ人間世界を俯瞰して、両巨匠はなにを思うぞ。
そんなアングリカンの作曲家として初日にかかったのが、ウィリアム・コーニッシュという人の宗教声楽曲。じつはこれふたりいて、おなじ名前の親子(父子)なんです。なにぶん古い時代の人なので、史料でさえ父親のほうなのか息子のほうなのかワカラン場合も多々あるようです。「イートン・クワイヤブック」に収録されているのは同名の父の作品らしいけれども、やはりよくわからない。
今谷先生が紹介されたように、コーニッシュ父子はチューダー朝時代にチャペル・ロイヤルと呼ばれる王室専属の少年聖歌隊長や、ウェストミンスター・アビイ聖母礼拝堂付き少年聖歌隊長を務めていた人だと言われてます。だいぶ前にここでも内容を紹介した手許の本をこれまたひさしぶりに開いて確認すると、「カイウス・クワイヤブック」に収録されている「第8旋法によるマニフィカト」は伝「父」コーニッシュの作品のようで、「グロリア」の終結部(アングリカンで歌われる英語のアンセムでは "... As it was in the beginning, and now, and ever shall be." に当たる箇所)は「テノールとバスの二重唱がひとしきり続いて開始され、複雑さを増しつつソプラノへと上行する」、言い換えれば「天界へと上昇して、天の栄光を賛美する」ように作られているとか。
「息子」の手がけた世俗歌曲のほうもいくつか現存していて、わりと知られているのが初日にもかかった「ああ、ロビン、やさしいロビン」でしょうか。でも「おーい、陽気なラッターキン」とか「角笛を吹け、狩人よ」とかは寡聞にして知らなかったからなんか得した気分。タイトルどおり肩の凝らない、楽しい歌です。
2.聴けてうれしい貴重、いや希少な音源ということでは、日曜に聴いたこちらの番組も負けてない。なんと、あのヴィルヘルム・ケンプがオルガンを独奏しているのですぞ! それもなんと !! カトリック広島司教区の世界平和記念聖堂に完成したてのオルガンこけら落としリサイタルのライヴ録音(1954) !!! もうたまらんですわ。というか、在庫あるじゃん! No Music, No Life! なワタシではあるが、ここんとこ Aqours の CD しか買ってなかったから、コレはさっそく買わなくては。
演奏を聴いた印象ですが、バッハの超有名な受難のコラールを使った小品「わが心の切なる願い BWV 727」の場合、コラールの各節の出だしで鍵盤交替してストップ間の音色の対比を際立たせているように感じた(ちなみにこのオルガンコラールは「受難の調」と言われるロ短調で書かれていて、番組後半でも流れたが、ケンプみずからピアノ独奏用に編曲もしている)。こういう演奏ははっきりいって古臭くて、ケンプのバッハ演奏が 19 世紀ロマン派のスタイルをしっかり踏襲していることがわかる。それでもなんと言いますか、えも言えぬ感情が深いところから湧き上がってくるのを抑えることができない。テンポばかりがやったら快速で薄っぺらい印象さえ受ける 21 世紀の演奏スタイルとは格が違うぞ、ということなのか。ヴァルヒャの演奏にも言えるけれども、ケンプもまた精神性のきわめて高い、心にストレートに刺さってくるバッハ演奏であり、バッハの音楽を「演奏(≒翻訳)」ではなく、まんまバッハの音楽がそのままドン! と突きつけられる感じがする。こういう感覚もまた、ひさしぶりに味わいましたね。
ケンプは最晩年、認知症とパーキンソン病を患っていたようで、95 歳で大往生を遂げるまで演奏活動から何年も遠ざかってそれっきりだった。でも当時高校生だった不肖ワタシも、回想録『鳴り響く星のもとに──ヴィルヘルム・ケンプ青春回想録』という本には深い感銘を受けたものです(ちなみに「鳴り響く星」というのは、ストップを引き出すとくるくる回りだしてかわいらしい金属音を響かせる「ツィンベルシュテルン[英語読みでは「シンバルスター」]」のこと。文字どおりオルガンのプロスペクトを飾る「星」のかたちをしている)。
そういえばケンプも、尊敬するオルガン奏者のヘルムート・ヴァルヒャも、逝去した年がまったくおなじ 1991 年だから、おふたりとも今年で没後満 30 年になる …… 早いものだ。なんかあっという間の 30 年だったな……などとついみずからの来し方を振り返ってしまう、今日このごろ。COVID-19 パンデミックにあえぐ人間世界を俯瞰して、両巨匠はなにを思うぞ。
2021年01月31日
バッハは名アレンジャー
先週の「古楽の楽しみ」、バッハ好きにはたまらん特集でした。仕事の切れ目が朝になったり夜になったりで毎朝聴取できてないとはいえ、一連の「ブランデンブルク協奏曲」を聴き、案内役の加藤拓未先生のお話に耳を傾けていると、やっぱりバッハという人は稀代の名アレンジャーだったんだな、という思いを強くしたしだい。
これは前にも書いたことで、もはや何番煎じかもわからないけれども、翻訳ってよく演奏行為にたとえられます。しかし、どっちかと言えば翻訳は「編曲」つまりアレンジに近い。「ヨコのものをタテにする」っていう言い方がかつてはありましたが、編曲という行為の場合、原曲(オリジナル言語)があり、それをべつの楽器やべつの編成(ターゲット言語)に変更して「改作」するのだから、まさしく翻訳そのものです。編曲=翻訳ととらえれば、さしずめバッハは歴史に残る名翻訳家だと言えます。
そして、翻訳者に求められる資質とアレンジャーに求められる資質というのもまたよく似ている気がする。まず研究熱心であること。これは分野問わずアートな仕事に関わっている人にはすべて当てはまるだろうが、こと外国語で書かれ、異国の文化から発信されたテキストを日本語に翻訳するのは「〜の公式」みたいに機械的になにかの原理や公式を当てはめてハイ一丁上がり、なんてことにはぜったいにならない。まずもって目の前に広げた原書なり、Web 上の英文なりの「背景」を知らないと話にならない。知らなければ、学習しなければならない。これが嫌いな人は翻訳者に向いてない。たとえばいきなり「グノーシス」だの、「デミウルゴス」がどうのこうの、果ては「イーアイ・イーアイ・オー」とかがなんの前触れもなく出てくるかもしれない(最後の例は、たまたまいま読んでる哲学者ダニエル・デネットの最新の著作にホントに出てくる)。
編曲もまさにそう。1714 年ごろ、バッハは当時仕えていたザクセン=ヴァイマール公国領主の 14 歳(!)だった甥っ子ヨハン・エルンスト公に、ヴィヴァルディとかの当時最新のイタリア音楽様式で書かれた「コンチェルト・グロッソ」を編曲するよう依頼され、さらにまたヨハン・エルンスト自身の作品も編曲するよう仰せつかった。で、ヨハン・エルンストが所望したのは、「これらの協奏曲を、すべてオルガン1台で弾けるようにすること」だった。
バッハがどんな気持ちでこの依頼を引き受けたかはまったく妄想するほかないが、自分がもっとも得意とする楽器のために編曲せよ、というのはもう仕事というよりホビーに近かっただろうと思う。バッハは少年時代から、他人の作品の研究が大好きな人間で、しかもこんどはヨハン・エルンストじきじきに留学先のオランダから持ち帰ってきた、当時最新のイタリア様式の楽曲の出版譜が目の前にあったのだから。仕事として依頼を受けなくてもみずから率先してオルガン用編曲(BWV592 〜 597)に取りかかっていたはずです。若き巨匠バッハにとって、ヴィヴァルディらの楽譜はまさに「宝の山」であり、オルガン用にアレンジして過ごした時間は、文字どおり「至福のひととき」だったにちがいない。
じっさい、そんなバッハの「ワクワク感」は、一連の「オルガン協奏曲」を聴くこちらにもビシバシ伝わってくる。バッハの音楽スタイルに、あらたな生命が宿ったその瞬間に立ち会っている錯覚さえおぼえる。有名な「小フーガ BWV578」など、バッハははたち前後から、それまで猛烈に影響を受けていた北ドイツの幻想様式を脱皮して、「朗々と旋律線を歌わせる」、音楽学者ハインリッヒ・ベッセラーの言う「歌唱的ポリフォニー」へと大きく変化していった。この「イタリア音楽編曲体験」も、そんな時期のバッハと重なっている。結果的に、後年のバッハの音楽スタイルは北ドイツ・南ドイツ・フランス・イタリアと当時の欧州大陸の音楽の流れが注ぎ込む「海」のような独特な混淆様式になっていった。加えて、最晩年にはパレストリーナやフレスコバルディなどの古様式研究の成果も反映された巨大な楽曲群(「フーガの技法 BWV1080」、「音楽の捧げもの BWV1079」、「ミサ曲ロ短調 BWV232」、「14 のカノン BWV1087」など)も生み出されることになる。だからダジャレ好きだったらしいベートーヴェンが、「バッハは小川ではなくて大海」と言ったのは、正直な気持ちの吐露だったのだろう。
バッハの「編曲好き」はヨハン・エルンストによってもたらされた「イタリア体験」後もすさまじく、「無伴奏ヴァイオリンパルティータ BWV1006」の前奏曲を「教会カンタータ第 29 番」のシンフォニアに転用しているし、そもそも「ブランデンブルク」じたいがすべて自作の原曲を編曲・改作したもので、番組ではめったに聴けない「初期稿」ヴァージョンにもとづく演奏まで聴けたりと、興味は尽きない。とくに「5番」の第1楽章の有名なチェンバロ独奏パート、初期稿版はたしかに「そっけない」かもしれないが、いやいやどうしてこっちもおもしろいではないか! 「ニジガク」の侑ちゃんではないけれども、「完全にトキメいちゃった」感じ。こういう多様性、規則だらけに見えてもそれを軽々と超越してあらたな音の世界を作り出していくこのいかにもバロック的な生命力、グールドがかつて言ったようなバッハの「運動性」にこそ、バッハの真の魅力があると思う。ジャック・ルーシェ・トリオがあれだけかけ離れたスタイルで演奏してもやっぱりバッハはバッハでしっかり響いてくる理由も、このバッハならではのヴァイタリティにあるように思うし、それをもたらしたのは、ほかならぬバッハの研究熱心さ、そして一連の「編曲(=翻訳)」作業にあったように思う。有名なマルチェッロの「オーボエ協奏曲」や、そしてなんと! ペルゴレージの「悲しみの聖母(スターバト・マーテル)」まで、バッハは編曲しているのですぞ(BWV1083、前者はチェンバロ独奏用、後者はドイツ語歌詞によるモテットに編曲している)。
バッハが 21 世紀に生きていたら、まちがいなく偉大なアレンジャーになったでしょうね。いまは Mac 系ではおなじみの「GarageBand」という DTM ソフトウェアもあるし、楽譜作成では「Sibelius」などのソフトウェアもある。もちろん無料の DTM ソフトウェアや素材もたくさんあるし、バッハがいま生きていたらいったいどんな音楽を作って、聴かせてくれたのだろうかと考えるだけでも楽しい(↓は、BWV592 の演奏クリップ)。
これは前にも書いたことで、もはや何番煎じかもわからないけれども、翻訳ってよく演奏行為にたとえられます。しかし、どっちかと言えば翻訳は「編曲」つまりアレンジに近い。「ヨコのものをタテにする」っていう言い方がかつてはありましたが、編曲という行為の場合、原曲(オリジナル言語)があり、それをべつの楽器やべつの編成(ターゲット言語)に変更して「改作」するのだから、まさしく翻訳そのものです。編曲=翻訳ととらえれば、さしずめバッハは歴史に残る名翻訳家だと言えます。
そして、翻訳者に求められる資質とアレンジャーに求められる資質というのもまたよく似ている気がする。まず研究熱心であること。これは分野問わずアートな仕事に関わっている人にはすべて当てはまるだろうが、こと外国語で書かれ、異国の文化から発信されたテキストを日本語に翻訳するのは「〜の公式」みたいに機械的になにかの原理や公式を当てはめてハイ一丁上がり、なんてことにはぜったいにならない。まずもって目の前に広げた原書なり、Web 上の英文なりの「背景」を知らないと話にならない。知らなければ、学習しなければならない。これが嫌いな人は翻訳者に向いてない。たとえばいきなり「グノーシス」だの、「デミウルゴス」がどうのこうの、果ては「イーアイ・イーアイ・オー」とかがなんの前触れもなく出てくるかもしれない(最後の例は、たまたまいま読んでる哲学者ダニエル・デネットの最新の著作にホントに出てくる)。
編曲もまさにそう。1714 年ごろ、バッハは当時仕えていたザクセン=ヴァイマール公国領主の 14 歳(!)だった甥っ子ヨハン・エルンスト公に、ヴィヴァルディとかの当時最新のイタリア音楽様式で書かれた「コンチェルト・グロッソ」を編曲するよう依頼され、さらにまたヨハン・エルンスト自身の作品も編曲するよう仰せつかった。で、ヨハン・エルンストが所望したのは、「これらの協奏曲を、すべてオルガン1台で弾けるようにすること」だった。
バッハがどんな気持ちでこの依頼を引き受けたかはまったく妄想するほかないが、自分がもっとも得意とする楽器のために編曲せよ、というのはもう仕事というよりホビーに近かっただろうと思う。バッハは少年時代から、他人の作品の研究が大好きな人間で、しかもこんどはヨハン・エルンストじきじきに留学先のオランダから持ち帰ってきた、当時最新のイタリア様式の楽曲の出版譜が目の前にあったのだから。仕事として依頼を受けなくてもみずから率先してオルガン用編曲(BWV592 〜 597)に取りかかっていたはずです。若き巨匠バッハにとって、ヴィヴァルディらの楽譜はまさに「宝の山」であり、オルガン用にアレンジして過ごした時間は、文字どおり「至福のひととき」だったにちがいない。
じっさい、そんなバッハの「ワクワク感」は、一連の「オルガン協奏曲」を聴くこちらにもビシバシ伝わってくる。バッハの音楽スタイルに、あらたな生命が宿ったその瞬間に立ち会っている錯覚さえおぼえる。有名な「小フーガ BWV578」など、バッハははたち前後から、それまで猛烈に影響を受けていた北ドイツの幻想様式を脱皮して、「朗々と旋律線を歌わせる」、音楽学者ハインリッヒ・ベッセラーの言う「歌唱的ポリフォニー」へと大きく変化していった。この「イタリア音楽編曲体験」も、そんな時期のバッハと重なっている。結果的に、後年のバッハの音楽スタイルは北ドイツ・南ドイツ・フランス・イタリアと当時の欧州大陸の音楽の流れが注ぎ込む「海」のような独特な混淆様式になっていった。加えて、最晩年にはパレストリーナやフレスコバルディなどの古様式研究の成果も反映された巨大な楽曲群(「フーガの技法 BWV1080」、「音楽の捧げもの BWV1079」、「ミサ曲ロ短調 BWV232」、「14 のカノン BWV1087」など)も生み出されることになる。だからダジャレ好きだったらしいベートーヴェンが、「バッハは小川ではなくて大海」と言ったのは、正直な気持ちの吐露だったのだろう。
バッハの「編曲好き」はヨハン・エルンストによってもたらされた「イタリア体験」後もすさまじく、「無伴奏ヴァイオリンパルティータ BWV1006」の前奏曲を「教会カンタータ第 29 番」のシンフォニアに転用しているし、そもそも「ブランデンブルク」じたいがすべて自作の原曲を編曲・改作したもので、番組ではめったに聴けない「初期稿」ヴァージョンにもとづく演奏まで聴けたりと、興味は尽きない。とくに「5番」の第1楽章の有名なチェンバロ独奏パート、初期稿版はたしかに「そっけない」かもしれないが、いやいやどうしてこっちもおもしろいではないか! 「ニジガク」の侑ちゃんではないけれども、「完全にトキメいちゃった」感じ。こういう多様性、規則だらけに見えてもそれを軽々と超越してあらたな音の世界を作り出していくこのいかにもバロック的な生命力、グールドがかつて言ったようなバッハの「運動性」にこそ、バッハの真の魅力があると思う。ジャック・ルーシェ・トリオがあれだけかけ離れたスタイルで演奏してもやっぱりバッハはバッハでしっかり響いてくる理由も、このバッハならではのヴァイタリティにあるように思うし、それをもたらしたのは、ほかならぬバッハの研究熱心さ、そして一連の「編曲(=翻訳)」作業にあったように思う。有名なマルチェッロの「オーボエ協奏曲」や、そしてなんと! ペルゴレージの「悲しみの聖母(スターバト・マーテル)」まで、バッハは編曲しているのですぞ(BWV1083、前者はチェンバロ独奏用、後者はドイツ語歌詞によるモテットに編曲している)。
バッハが 21 世紀に生きていたら、まちがいなく偉大なアレンジャーになったでしょうね。いまは Mac 系ではおなじみの「GarageBand」という DTM ソフトウェアもあるし、楽譜作成では「Sibelius」などのソフトウェアもある。もちろん無料の DTM ソフトウェアや素材もたくさんあるし、バッハがいま生きていたらいったいどんな音楽を作って、聴かせてくれたのだろうかと考えるだけでも楽しい(↓は、BWV592 の演奏クリップ)。
2020年12月06日
たまにはイジワル爺さんみたいにツッコんでみた話
いまさっき NHK-FM で「N響演奏会」ライヴやってまして、プログラムはショスタコーヴィチの「5番」とか、伊福部昭の「日本狂詩曲」とか。とくにこの「日本狂詩曲」は昭和のはじめ、米国の指揮者ファビエン・セヴィツキーからの依頼で書き上げて、向こうで初演したら大喝采で作曲コンクールでも賞をとったというのだからある意味すごい逸話付きの作品。で、日本人のくせして日本人作曲家の作品をロクに聴いてこなかったワタシも訳出作業を進めつつはじめて聴いて、日本の伝統的な打楽器を効果的に多用した特有の「作品世界」というか、お囃子の「ノリ」みたいな作風に感嘆したのでありました。
で、当然、ゲストの音楽評論家先生もそんな感想を述べられてまして、その流れでこんなこと言ってました。「… こういう音楽を聴くと、やはり自分も日本人なんだなァと思いました。こんな音楽を書けるのは日本人しかいない。どうだ、日本人もすごいだろう、と ……」。
聖ヨハネス・クリュソストモス、またの名「金口イオアン」は「かくして悪魔はこっそりと街に入り火をつける、ありとあらゆる悪意に満ちた歌でいっぱいの、堕落した音楽によって ! 」と警句を吐いていたりする。おらが同胞の音楽の、しかも生演奏の大迫力に圧倒され心奪われたその心情をすなおに吐露する、のはまことけっこうなことながら、同時に危険でもある。音楽にはこういう「悪魔的力」があるのもまた事実だし、さきごろ放送の終わった古関裕而の半生を描いた朝ドラにも、そんな音楽のもつ「負の側面」が描かれていたようにも思えるが、このすなおな心情の吐露にはべつの問題もある──「こんな音楽を書けるのは日本人しかいない」
こういう発言を耳にして、だいぶ前にここで書いたことをいま一度、引っ張り出したくなった。それはオルガニストの松居直美さんがドイツ留学していたときに、地元のご老人にこう断定されてしまったというこぼれ話──「日本人に、ドイツ・オルガンコラールの演奏はできない」。
伊福部作品を聴いて感激して思わず口にした発言と、松井さんがドイツ人に言われたことは、じつはまったくおんなじコインの裏と表だ。不肖ワタシはこれ聞いた瞬間、「んなわけない!」って口走っていた。前にも書いたが、米国から日本にやってきて日本人顔負けの尺八演奏家になった人はいるし、お茶のソムリエだったかそういう仕事に就いているフランス人もいる。ガイジンだからとか日本人だからとか「そんなの関係ねぇ」のであります。ややもすれば誤解を招きかねない発言じゃないかって思う。
もっとも、問題発言ということだったら、またしても亡霊のごとく「NHKの教育(Eテレね)の電波帯を売却しろ」とかなんとか、またそんなアホなこと言ってる人が出てきたりで、ただでさえコロナで鬱々としているところに追い打ちかけられるような気がしてほんとイヤになってくる。
…… なんて悶々としていたら、そのあとの「鍵盤のつばさ」はなんと! オルガンの話じゃありませんか !! NHKホールのシュッケオルガンの響きもホントひさしぶりに聴けて、うれしかった。プリンツィパール管の積み重ね(8’+4’+2’ のストップを重ねる基本技)から、フルート管族やリード管族との音色の比較や3度管、5度管といった音質そのものを変えるミューテーションストップを同時に使用して鳴らしたりと、オルガン初心者にもじゅうぶん楽しめる内容だったんじゃないでしょうか。MC の作曲家先生「初の」オルガン曲も「初演」されて御同慶の至りではありますが …… なんかトゥルヌミールかメシアンばりの作風でしたね。デジャヴュ感ありあり。
…… でも、MC の作曲家先生がオルガンのリード管の音色を何度も「オバちゃん」呼ばわりするのは、喩えだからとはいえ、いくらなんでも女性オルガニストのゲストを前に失礼ですぞ。
で、当然、ゲストの音楽評論家先生もそんな感想を述べられてまして、その流れでこんなこと言ってました。「… こういう音楽を聴くと、やはり自分も日本人なんだなァと思いました。こんな音楽を書けるのは日本人しかいない。どうだ、日本人もすごいだろう、と ……」。
聖ヨハネス・クリュソストモス、またの名「金口イオアン」は「かくして悪魔はこっそりと街に入り火をつける、ありとあらゆる悪意に満ちた歌でいっぱいの、堕落した音楽によって ! 」と警句を吐いていたりする。おらが同胞の音楽の、しかも生演奏の大迫力に圧倒され心奪われたその心情をすなおに吐露する、のはまことけっこうなことながら、同時に危険でもある。音楽にはこういう「悪魔的力」があるのもまた事実だし、さきごろ放送の終わった古関裕而の半生を描いた朝ドラにも、そんな音楽のもつ「負の側面」が描かれていたようにも思えるが、このすなおな心情の吐露にはべつの問題もある──「こんな音楽を書けるのは日本人しかいない」
こういう発言を耳にして、だいぶ前にここで書いたことをいま一度、引っ張り出したくなった。それはオルガニストの松居直美さんがドイツ留学していたときに、地元のご老人にこう断定されてしまったというこぼれ話──「日本人に、ドイツ・オルガンコラールの演奏はできない」。
伊福部作品を聴いて感激して思わず口にした発言と、松井さんがドイツ人に言われたことは、じつはまったくおんなじコインの裏と表だ。不肖ワタシはこれ聞いた瞬間、「んなわけない!」って口走っていた。前にも書いたが、米国から日本にやってきて日本人顔負けの尺八演奏家になった人はいるし、お茶のソムリエだったかそういう仕事に就いているフランス人もいる。ガイジンだからとか日本人だからとか「そんなの関係ねぇ」のであります。ややもすれば誤解を招きかねない発言じゃないかって思う。
もっとも、問題発言ということだったら、またしても亡霊のごとく「NHKの教育(Eテレね)の電波帯を売却しろ」とかなんとか、またそんなアホなこと言ってる人が出てきたりで、ただでさえコロナで鬱々としているところに追い打ちかけられるような気がしてほんとイヤになってくる。
…… なんて悶々としていたら、そのあとの「鍵盤のつばさ」はなんと! オルガンの話じゃありませんか !! NHKホールのシュッケオルガンの響きもホントひさしぶりに聴けて、うれしかった。プリンツィパール管の積み重ね(8’+4’+2’ のストップを重ねる基本技)から、フルート管族やリード管族との音色の比較や3度管、5度管といった音質そのものを変えるミューテーションストップを同時に使用して鳴らしたりと、オルガン初心者にもじゅうぶん楽しめる内容だったんじゃないでしょうか。MC の作曲家先生「初の」オルガン曲も「初演」されて御同慶の至りではありますが …… なんかトゥルヌミールかメシアンばりの作風でしたね。デジャヴュ感ありあり。
…… でも、MC の作曲家先生がオルガンのリード管の音色を何度も「オバちゃん」呼ばわりするのは、喩えだからとはいえ、いくらなんでも女性オルガニストのゲストを前に失礼ですぞ。
2017年09月03日
たしかに、だがしかし …
早いものでもう9月、しかも明日はシュヴァイツァー博士の 52 回目の命日 … だから、というわけでもなんでもないんですけど、突然、音楽演奏における自由ってなんだろ、という哲学的ギモンにとらわれてしまった。
いまさっき見たこちらの番組。ハンガリーの兄弟デュオということで、「チャールダーシュ」を弾きはじめたはいいがいきなり「シャコンヌ」になったり、ようするになにがなんだかわからない展開に。ご本人曰く、「バッハ、モーツァルト、サラサーテなど、かつては即興演奏が当たり前でした。音楽でもっとも重要なのは、自由であることです」みたいなことを発言されていて、それはそれでハイたしかにそのとおり。だが、… とここで門外漢は止まってしまうわけです。
音楽演奏における自由はどこまで許されるのか、についてはそれこそ古くて新しい問題で、腕の立つ演奏家ならだれしもこの難題にぶつかっている( はず )。ただ、この手の演奏って聴いたかぎりでは「なにがなんだかわからん」ってことになって、とどのつまり「ただ好き勝手に弾いてるだけじゃん!」という感想に行きついてしまうのですね。
超絶技巧とかヴィルトゥオーソって度が過ぎればただの客寄せ、見世物小屋かサーカスの曲芸みたいなもので、ようは一発芸の世界。その場で、ライヴで接していたらたしかにそれもアリかとは思うが、とてもじゃないがこんなだれの作品だかわからないチャンポン状態、闇鍋同然の演奏をはいっと差し出されてもこちとら挨拶に困るだけです。ワタシはこと音楽の解釈とか演奏における奏者の自由という点についてはわりと寛容というか柔軟なほうだと自負しているけれども( コワモテ・カチコチの原理主義者じゃない )、さすがにこーゆーのはムリ !! です。おなじエンターティナー型の演奏なら、まだ故カルロ・カーリーのような演奏のほうがいい。カーリーさんの場合はけっして「なにがなんだかよくわからない、だれの作品を演奏しているのかも判然としない」演奏はしなかった。それは 30 年ほど前の NHK ホールでのオルガン演奏会のとき、「わたしは美しいものを信じます」とみずから発言していたことからもうかがえるように、なし崩し的にヴィルトゥオジティに走ることなく、美的観点から、あるいは作品解釈という点から超えてはならない一線を引いていたからです。
同様なことがこの前 NHK-FM で聴いた、ヴィルトゥオジティを売り物にしたさるチェンバロ奏者によるバッハの「ゴルトベルク BWV. 988 」にも言える。こっちは「アリア」が聴こえてくるものと思って待っていたら、始まったのは不可解な和音の連続。??? って思ったら、なんとこれ演奏者がリサイタル当日に勝手に追加した即興演奏でした … で、肝心の本編はどうかとくると、素人の耳でもなんか雑だなあ、という感じでやはり挨拶に困ったのであった。ついでに招聘元からの DM でこの方のリサイタルの案内はもらっていたけれども、高い金払ってまで行く必要はなかったとなぜか安堵( ?? )したり。
でも、そのおなじ番組で先週、こういうチェンバロリサイタルの再放送もやってまして、こちらはすこぶるよかった。名演、と言えないまでも、快演だったんじゃないでしょうか。とくにバッハの「フランス組曲 第5番 ト長調 BWV. 816 」はほんとうにすばらしい演奏でした。
ときおり、畑違いの演奏家がオケと協奏曲で共演して、「自由さ」を前面に打ち出すあまり時代錯誤もはなはだしいカデンツァとかバラバラ弾きまくって煙に巻くということがあるようですけど、いまさっき聴いた兄弟デュオのキテレツな演奏解釈と同様、ワタシにとっては生理的に受け付けられない演奏スタイルです。むろん演奏・解釈というのは時間がたてばどんどん変わるもの。それはしごく自然なことです。人間、だれしもトシとってくれば「変わりつづけること」に対してあまり抵抗を感じなくなるのとおんなじで。名演奏家と言われる人たちはみな、異口同音に「自分の解釈は 10 年前のそれとはちがう」と堂々と発言していて、これはまったくそのとおりです。でも「好き勝手に」弾いていいわけがない。超えてはならない一線はどこかで引くべきだと考えます、ってまたしても文句のオッサンになってしまった … ずら。
[ 関係のない追記 ]:いつものように最近、ちょっと気になったことを勝手につぶやくコーナー( Twitter は情報源として役に立ったりしますが、ワタシ個人はもともと短文で相手に誤解なく伝える力に乏しいと自覚しているため、個人ではあえて使わない )。例の世界的ジャズトランペッター氏が中坊( 失礼 )に手を挙げてしまった、という話。かりに相手がナイフを持って襲いかかってきた場合( 血気盛んな青年バッハが「禿げ頭のバッハ」のポンコツファゴット吹きにナイフだかサーベルだかを抜いて切りかかった、という話も思い出されるが )、これはいたしかたなし。正当防衛ってやつですね。でもいちおう、いかなる理由であれ子どもに対する体罰は法律で禁じられている。なのでカーッとなっていたことは痛いほどわかるけれども( 自分も瞬間湯沸かし器型なので )、ここはたとえばほかのスタッフさんとかも呼んでドラムセットごと片付けちゃうとか「聞こえるようにイヤミを言う[ 昭和時代に放映されていた桃屋の「ごはんですよ!」の TVCM みたいに ]」、そういうやり方だったらスマートに幕引きとあいなった、ということになったような気はする。こういうときこそユーモア精神を発揮しなくては。こういうところでふだんは仮面をかぶって隠れている、われわれ日本人の深層意識がぽろっと出てくるのかもしれません。これが欧米人だったら、彼らはもともと「個人の主張」を前面に出す( いや、出しすぎ )文化なので、もっとほかのやり方、ないし笑える対処法をとっさにとれたりする … かもしれない( 人によるか )。
いまさっき見たこちらの番組。ハンガリーの兄弟デュオということで、「チャールダーシュ」を弾きはじめたはいいがいきなり「シャコンヌ」になったり、ようするになにがなんだかわからない展開に。ご本人曰く、「バッハ、モーツァルト、サラサーテなど、かつては即興演奏が当たり前でした。音楽でもっとも重要なのは、自由であることです」みたいなことを発言されていて、それはそれでハイたしかにそのとおり。だが、… とここで門外漢は止まってしまうわけです。
音楽演奏における自由はどこまで許されるのか、についてはそれこそ古くて新しい問題で、腕の立つ演奏家ならだれしもこの難題にぶつかっている( はず )。ただ、この手の演奏って聴いたかぎりでは「なにがなんだかわからん」ってことになって、とどのつまり「ただ好き勝手に弾いてるだけじゃん!」という感想に行きついてしまうのですね。
超絶技巧とかヴィルトゥオーソって度が過ぎればただの客寄せ、見世物小屋かサーカスの曲芸みたいなもので、ようは一発芸の世界。その場で、ライヴで接していたらたしかにそれもアリかとは思うが、とてもじゃないがこんなだれの作品だかわからないチャンポン状態、闇鍋同然の演奏をはいっと差し出されてもこちとら挨拶に困るだけです。ワタシはこと音楽の解釈とか演奏における奏者の自由という点についてはわりと寛容というか柔軟なほうだと自負しているけれども( コワモテ・カチコチの原理主義者じゃない )、さすがにこーゆーのはムリ !! です。おなじエンターティナー型の演奏なら、まだ故カルロ・カーリーのような演奏のほうがいい。カーリーさんの場合はけっして「なにがなんだかよくわからない、だれの作品を演奏しているのかも判然としない」演奏はしなかった。それは 30 年ほど前の NHK ホールでのオルガン演奏会のとき、「わたしは美しいものを信じます」とみずから発言していたことからもうかがえるように、なし崩し的にヴィルトゥオジティに走ることなく、美的観点から、あるいは作品解釈という点から超えてはならない一線を引いていたからです。
同様なことがこの前 NHK-FM で聴いた、ヴィルトゥオジティを売り物にしたさるチェンバロ奏者によるバッハの「ゴルトベルク BWV. 988 」にも言える。こっちは「アリア」が聴こえてくるものと思って待っていたら、始まったのは不可解な和音の連続。??? って思ったら、なんとこれ演奏者がリサイタル当日に勝手に追加した即興演奏でした … で、肝心の本編はどうかとくると、素人の耳でもなんか雑だなあ、という感じでやはり挨拶に困ったのであった。ついでに招聘元からの DM でこの方のリサイタルの案内はもらっていたけれども、高い金払ってまで行く必要はなかったとなぜか安堵( ?? )したり。
でも、そのおなじ番組で先週、こういうチェンバロリサイタルの再放送もやってまして、こちらはすこぶるよかった。名演、と言えないまでも、快演だったんじゃないでしょうか。とくにバッハの「フランス組曲 第5番 ト長調 BWV. 816 」はほんとうにすばらしい演奏でした。
ときおり、畑違いの演奏家がオケと協奏曲で共演して、「自由さ」を前面に打ち出すあまり時代錯誤もはなはだしいカデンツァとかバラバラ弾きまくって煙に巻くということがあるようですけど、いまさっき聴いた兄弟デュオのキテレツな演奏解釈と同様、ワタシにとっては生理的に受け付けられない演奏スタイルです。むろん演奏・解釈というのは時間がたてばどんどん変わるもの。それはしごく自然なことです。人間、だれしもトシとってくれば「変わりつづけること」に対してあまり抵抗を感じなくなるのとおんなじで。名演奏家と言われる人たちはみな、異口同音に「自分の解釈は 10 年前のそれとはちがう」と堂々と発言していて、これはまったくそのとおりです。でも「好き勝手に」弾いていいわけがない。超えてはならない一線はどこかで引くべきだと考えます、ってまたしても文句のオッサンになってしまった … ずら。
[ 関係のない追記 ]:いつものように最近、ちょっと気になったことを勝手につぶやくコーナー( Twitter は情報源として役に立ったりしますが、ワタシ個人はもともと短文で相手に誤解なく伝える力に乏しいと自覚しているため、個人ではあえて使わない )。例の世界的ジャズトランペッター氏が中坊( 失礼 )に手を挙げてしまった、という話。かりに相手がナイフを持って襲いかかってきた場合( 血気盛んな青年バッハが「禿げ頭のバッハ」のポンコツファゴット吹きにナイフだかサーベルだかを抜いて切りかかった、という話も思い出されるが )、これはいたしかたなし。正当防衛ってやつですね。でもいちおう、いかなる理由であれ子どもに対する体罰は法律で禁じられている。なのでカーッとなっていたことは痛いほどわかるけれども( 自分も瞬間湯沸かし器型なので )、ここはたとえばほかのスタッフさんとかも呼んでドラムセットごと片付けちゃうとか「聞こえるようにイヤミを言う[ 昭和時代に放映されていた桃屋の「ごはんですよ!」の TVCM みたいに ]」、そういうやり方だったらスマートに幕引きとあいなった、ということになったような気はする。こういうときこそユーモア精神を発揮しなくては。こういうところでふだんは仮面をかぶって隠れている、われわれ日本人の深層意識がぽろっと出てくるのかもしれません。これが欧米人だったら、彼らはもともと「個人の主張」を前面に出す( いや、出しすぎ )文化なので、もっとほかのやり方、ないし笑える対処法をとっさにとれたりする … かもしれない( 人によるか )。
2016年11月27日
日本オルガン界の超新星登場!
だいぶ前のことですけど、「リサイタル・ノヴァ」になんと、若きオルガニストが登場! しかも第 20 回バッハ国際コンクールのオルガン部門でみごと第1位と聴衆賞を受賞 !! もちろんオルガン部門で邦人演奏家が第1位をとったのもはじめての快挙。「遅かりし由良之助」ながら、冨田一樹さん、Big Congratulations !!
冨田さんは現在、北ドイツのリューベック音大大学院オルガン科に在籍中とのことで、バッハの師匠でもあったブクステフーデの活躍した街に在住とのこと( リューベックはまたトーマス・マンゆかりの地でもある )。大阪音楽大学オルガン専攻科を卒業されたそうなんですが、大阪音大にもオルガン専攻科ってあるんですね( 知らなかった人。松蔭女子学院大学やエリザベト音大にはオルガン科があった … と思った )。ご本人によると、なんと中学生のころから独自にバッハのオルガン作品分析と研究をつづけてきたんだとか。オルガンとバッハ開眼のきっかけは、たまたまお母さまが持っていた CD に「トッカータとフーガ BWV. 565 」を聴いたことだったとか( これは、わりとよくあるパターンかも )。でも冨田さんののめりこみようはすごくて、バッハ作品の楽譜をせっせと買ってきて楽曲構造を研究するだけにとどまらず、なんと中学生にしてご自身でもバッハ「ふう」のフーガ作品( 金管六重奏曲 )を作曲したとか( 吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたので、仲間と演奏できる対位法楽曲として作曲したらしいです )。
こういう「読み」の深さが、冨田さんのバッハ演奏の真骨頂、と言えるのかもしれない。NHKホールのシュッケオルガン( 92ストップ )を使用して収録したんだそうですが、まずその響きの美しさ、加えて内声処理の鮮やかさにおどろかされた( とくに「幻想曲とフーガ ハ短調 BWV. 537 」)。テンポもやたらせかせかしてなくてこれもまたよいですね! BWV. 537 はバッハのヴァイマール時代後期( 1712 − 17 )の作品で、いわゆる「カンタービレ・ポリフォニー」書法の作品。バッハ版「悲愴」とでも言いたいような悲痛な幻想曲のあとで決然と開始されるフーガはいきおい前のめりになりがちですけど、あくまで中庸のテンポを維持して進み、聴いていてとても安定感があってすばらしい。ちなみにヘルマン・ケラーはこのフーガについて、中間部をはさんでソナタ形式の萌芽を思わせるとしてのちの「ホ短調大フーガ[ BWV. 548 ]」と似ていると指摘している。
でも冨田さんのバッハ演奏のすばらしさはじつは「コラール前奏曲」の解釈にこそあるのかもしれない。番組では BWV. 537 につづいて「おお愛する魂よ、汝を飾れ BWV. 654 」もかかったんですけど、いきなり涙腺が崩壊しそうになってしまって困った。こんなことひさしぶりです。ほんとうに心洗われる、掛け値なし文句なしの名演ですよ、これは。なにがいいかってまずレジストレーションのセンスが最高です。まるでドイツのどこか村の教会の ―― コンクール予選で弾いたというレータ村の聖ゲオルグ教会のジルバーマンオルガンとか ―― 歴史的な楽器の音かと思うほど、NHKホールのコンサートオルガンを鳴らしているとはにわかに信じられないほどピュアなハーモニーが耳に飛びこんできて、ほんとうにおどろきました。しんみりと聴き入っているうちに、サイモン・プレストンのヴァルヒャ評を思い出していた ――「気取らない、素朴な演奏だったからよかったんです」。フーガ終結近くの装飾音のつけ方もとても自然でこれもまたすばらしい。
こういう演奏ができるのも、解釈が的確だからにほかなりません。気になっていろいろ検索していたら、コンクールの審査員のひとりでバッハ研究の世界的権威、クリストフ・ヴォルフ先生がこのように評していたらしい。「彼の演奏はわたしたちの心に響いてきました。バッハの音楽の力を感じさせてくれました」。これ以上の賛辞があるでしょうか。
これに関連してついでに思い出したんですけど、かつて松居直美さんがドイツでさる音大の教授から、こんなことを言われたんだという。「日本人にはオルガンコラールは弾けない」。
この先生にはたいへん申し訳ないけれども、たとえばニューヨーク州生まれのちゃきちゃきの米国人が、東京で「アイバンラーメン」ってラーメン屋さんを開いていたり、あるいは欧州から尺八の演奏家になるべく研鑽を積んでいる人だっているわけです、数こそ少ないけれども( あいにくオーキンさんは東京のお店は閉めたみたいです。いまは故郷のニューヨーカーたち相手に「本物の」ラーメンの味を伝道しているとか )。それとおんなじで、日本人だからこれこれができない / 弾けない、なんてことはもちろんない。こういう発想ってけっこうこわいと思う。究極的には排外主義に陥ると思うので。またその話かって言われそうだが、一国の文化のみがすばらしくほかは排除せよとか、あるいは民族が異なるからあの連中にはこれこれこういうことができない、やってはいけない、なんてことが大手を振ってまかり通る世の中になったら、人類は滅亡しかねない、ということだけは声を大にして言いたい。え? 次期米国大統領? 言ってることがコロコロ変節して危なっかしいのはたしかだが、なんというか、不肖ワタシには植木等さんが演じた「無責任男」にしか見えませんねー。これからどうなるのかはまるでわかりませんけど、と本題からかなり離れたので軌道修正して … とにかく冨田さんは、なんというかバッハの弟子の生まれ変わりなのではないか( ゴルトベルクとか )と思わせるほど、感動的なバッハを聞かせてくださる稀有な演奏家と見た。国内でリサイタルとかあったらぜひ聴いてみたいですし、はやくデジューアルバムがリリースされるとよいですね。NHKホールでのオルガンリサイタルはどうかしら? ご本人いわく、コンクールで弾いたオルガンはどれもクセものぞろいだったという。それに対して NHKホールの楽器は「すごく弾きやすいオルガンで、びっくりしました!」。
もうひとつ「古楽の楽しみ」の「フローベルガーの作品を中心に[ 11月14 − 17 日 ]」、これも負けずにすばらしい企画でしたね !! 前にも書いたけれども今年はヨハン・ヤーコプ・フローベルガー生誕 400 周年。マティアス・ヴェックマンとお友だちで、彼らの交友をつうじて北ドイツと南ドイツ( イタリア )の音楽の伝統が合流し、やがてそれがバッハという大きな果実を生み出した、なんていうことを少しばかりここでも書いたけれども、あらためてフローベルガーという人のスケールの大きさを感じざるを得ない。コスモポリタンのはしりみたいな音楽家で、ドイツ → オーストリア( ヴィーン )→ イタリア( ローマのフレスコバルディのもとで学ぶ )→ ベルギー → 英国( ロンドン )→ フランスと欧州大陸を文字どおり股にかけてます。おんなじドイツ出身でもバッハとはほんと対照的な人生です。でも最晩年はわりとおだやかだったようで、そのお話を聞いたときはなんかわがことのようにまたしても涙腺が緩んでしまったのであった( 仕えていたフェルディナント3世の死後、冷遇され解雇されたフローベルガーは各地を渡り歩き、最終的に仏アルザスのエリクールの寡婦となった公爵夫人の館に落ち着き、彼女の音楽教師をして過ごしたらしい )。
そしてなかなか波乱含みの生涯を送った人のようで、番組でも紹介されていたように、舞曲をつらねた「組曲」という形式の確立者でもある。で、冒頭の「アルマンド」はフローベルガーの場合「ライン渡河の船中で重大な危険に遭遇して作曲」とか、「フローベルガーの山からの転落(「組曲第 16 番 ト長調」)」とか、「標題」がくっついていることが大きな特徴。解説の渡邊孝先生もおっしゃるように、おそらくヴィヴァルディに先駆けた人なんじゃないでしょうか。しかも !! フローベルガーは自分の死というものをつねづね考えていたようなふしまである。こういう作品まであるんですぞ。「死を想え、フローベルガー」 !! 「アルマンド」という形式は、フローベルガーにとってはなんというか、日記を書くような感覚だったのかもしれませんね。
…あ、もうすぐ今年最後の「生さだ」が始まる。この前芦ノ湖を湖尻から元箱根まで写真撮りながら歩いてたんですが、それから何日も経たないうちにまさか(!)雪が積もるとはね … どうも天候が安定しませんが、みなさまもどうぞご自愛ください。
[ 追記 ] 聖ヤコビ教会大オルガンについて:だいぶ前のことになりますが、ここでもこの教会のオルガンについて記事を書いたことがあります。そのときはシュニットガーオルガンとばかり思っていたこの「大オルガン( Große Orgel )」は、じっさいには製作者不詳で、こちらの記事によると現存する部材で最古のものは 1465 / 66年にまで溯るものらしい。その後数度にわたって異なる製作家によって「建て増し」を繰り返し、バッハがライプツィッヒで活躍していた 1739 − 41年にかけて現在のプロスペクトを持つ楽器になったようです。ただ、先日放映のこの番組で紹介されていた「カール・シュッケ」というのはベルリン市に本社を構える現代のオルガンビルダーで、NHKホールや愛知県芸術劇場の大オルガンを建造した会社。おそらくレストアを行ったのでしょう( その証拠にコンピュータ記憶装置[ コンビネーションストップ、手鍵盤下にある「親指ボタン」で複数ストップを一気に入れ替える装置で、電子オルガンの「レジストレーションメモリー」のようなもの ]つきの現代ふうの演奏台になっている。引用元記事にはオルガン改修を行った会社としてオランダのフレントロップ社の名前もあったが )。なので誤解を招く表記だと思う。気になったので念のため。
冨田さんは現在、北ドイツのリューベック音大大学院オルガン科に在籍中とのことで、バッハの師匠でもあったブクステフーデの活躍した街に在住とのこと( リューベックはまたトーマス・マンゆかりの地でもある )。大阪音楽大学オルガン専攻科を卒業されたそうなんですが、大阪音大にもオルガン専攻科ってあるんですね( 知らなかった人。松蔭女子学院大学やエリザベト音大にはオルガン科があった … と思った )。ご本人によると、なんと中学生のころから独自にバッハのオルガン作品分析と研究をつづけてきたんだとか。オルガンとバッハ開眼のきっかけは、たまたまお母さまが持っていた CD に「トッカータとフーガ BWV. 565 」を聴いたことだったとか( これは、わりとよくあるパターンかも )。でも冨田さんののめりこみようはすごくて、バッハ作品の楽譜をせっせと買ってきて楽曲構造を研究するだけにとどまらず、なんと中学生にしてご自身でもバッハ「ふう」のフーガ作品( 金管六重奏曲 )を作曲したとか( 吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたので、仲間と演奏できる対位法楽曲として作曲したらしいです )。
こういう「読み」の深さが、冨田さんのバッハ演奏の真骨頂、と言えるのかもしれない。NHKホールのシュッケオルガン( 92ストップ )を使用して収録したんだそうですが、まずその響きの美しさ、加えて内声処理の鮮やかさにおどろかされた( とくに「幻想曲とフーガ ハ短調 BWV. 537 」)。テンポもやたらせかせかしてなくてこれもまたよいですね! BWV. 537 はバッハのヴァイマール時代後期( 1712 − 17 )の作品で、いわゆる「カンタービレ・ポリフォニー」書法の作品。バッハ版「悲愴」とでも言いたいような悲痛な幻想曲のあとで決然と開始されるフーガはいきおい前のめりになりがちですけど、あくまで中庸のテンポを維持して進み、聴いていてとても安定感があってすばらしい。ちなみにヘルマン・ケラーはこのフーガについて、中間部をはさんでソナタ形式の萌芽を思わせるとしてのちの「ホ短調大フーガ[ BWV. 548 ]」と似ていると指摘している。
でも冨田さんのバッハ演奏のすばらしさはじつは「コラール前奏曲」の解釈にこそあるのかもしれない。番組では BWV. 537 につづいて「おお愛する魂よ、汝を飾れ BWV. 654 」もかかったんですけど、いきなり涙腺が崩壊しそうになってしまって困った。こんなことひさしぶりです。ほんとうに心洗われる、掛け値なし文句なしの名演ですよ、これは。なにがいいかってまずレジストレーションのセンスが最高です。まるでドイツのどこか村の教会の ―― コンクール予選で弾いたというレータ村の聖ゲオルグ教会のジルバーマンオルガンとか ―― 歴史的な楽器の音かと思うほど、NHKホールのコンサートオルガンを鳴らしているとはにわかに信じられないほどピュアなハーモニーが耳に飛びこんできて、ほんとうにおどろきました。しんみりと聴き入っているうちに、サイモン・プレストンのヴァルヒャ評を思い出していた ――「気取らない、素朴な演奏だったからよかったんです」。フーガ終結近くの装飾音のつけ方もとても自然でこれもまたすばらしい。
…「定旋律のまわりには、金色に塗った葉飾りがついている。そして< もし、人生がわたしから希望と信仰を奪い取ったとしても、このただ一つのコラールがわたしにそれらを取りもどしてくれるだろう >と君( フェリックス・メンデルスゾーン )が自らわたしに告白したほどの至福が、ここに注ぎ込まれていた」
―― ケラー著、中西和枝ほか訳『バッハのオルガン作品( 音楽之友社、1986、p. 323 )』から、1840 年に開催されたバッハ記念碑建立のために開催されたトーマス教会でのオルガンリサイタルでシューマンが述べたとされることばより
こういう演奏ができるのも、解釈が的確だからにほかなりません。気になっていろいろ検索していたら、コンクールの審査員のひとりでバッハ研究の世界的権威、クリストフ・ヴォルフ先生がこのように評していたらしい。「彼の演奏はわたしたちの心に響いてきました。バッハの音楽の力を感じさせてくれました」。これ以上の賛辞があるでしょうか。
これに関連してついでに思い出したんですけど、かつて松居直美さんがドイツでさる音大の教授から、こんなことを言われたんだという。「日本人にはオルガンコラールは弾けない」。
この先生にはたいへん申し訳ないけれども、たとえばニューヨーク州生まれのちゃきちゃきの米国人が、東京で「アイバンラーメン」ってラーメン屋さんを開いていたり、あるいは欧州から尺八の演奏家になるべく研鑽を積んでいる人だっているわけです、数こそ少ないけれども( あいにくオーキンさんは東京のお店は閉めたみたいです。いまは故郷のニューヨーカーたち相手に「本物の」ラーメンの味を伝道しているとか )。それとおんなじで、日本人だからこれこれができない / 弾けない、なんてことはもちろんない。こういう発想ってけっこうこわいと思う。究極的には排外主義に陥ると思うので。またその話かって言われそうだが、一国の文化のみがすばらしくほかは排除せよとか、あるいは民族が異なるからあの連中にはこれこれこういうことができない、やってはいけない、なんてことが大手を振ってまかり通る世の中になったら、人類は滅亡しかねない、ということだけは声を大にして言いたい。え? 次期米国大統領? 言ってることがコロコロ変節して危なっかしいのはたしかだが、なんというか、不肖ワタシには植木等さんが演じた「無責任男」にしか見えませんねー。これからどうなるのかはまるでわかりませんけど、と本題からかなり離れたので軌道修正して … とにかく冨田さんは、なんというかバッハの弟子の生まれ変わりなのではないか( ゴルトベルクとか )と思わせるほど、感動的なバッハを聞かせてくださる稀有な演奏家と見た。国内でリサイタルとかあったらぜひ聴いてみたいですし、はやくデジューアルバムがリリースされるとよいですね。NHKホールでのオルガンリサイタルはどうかしら? ご本人いわく、コンクールで弾いたオルガンはどれもクセものぞろいだったという。それに対して NHKホールの楽器は「すごく弾きやすいオルガンで、びっくりしました!」。
もうひとつ「古楽の楽しみ」の「フローベルガーの作品を中心に[ 11月14 − 17 日 ]」、これも負けずにすばらしい企画でしたね !! 前にも書いたけれども今年はヨハン・ヤーコプ・フローベルガー生誕 400 周年。マティアス・ヴェックマンとお友だちで、彼らの交友をつうじて北ドイツと南ドイツ( イタリア )の音楽の伝統が合流し、やがてそれがバッハという大きな果実を生み出した、なんていうことを少しばかりここでも書いたけれども、あらためてフローベルガーという人のスケールの大きさを感じざるを得ない。コスモポリタンのはしりみたいな音楽家で、ドイツ → オーストリア( ヴィーン )→ イタリア( ローマのフレスコバルディのもとで学ぶ )→ ベルギー → 英国( ロンドン )→ フランスと欧州大陸を文字どおり股にかけてます。おんなじドイツ出身でもバッハとはほんと対照的な人生です。でも最晩年はわりとおだやかだったようで、そのお話を聞いたときはなんかわがことのようにまたしても涙腺が緩んでしまったのであった( 仕えていたフェルディナント3世の死後、冷遇され解雇されたフローベルガーは各地を渡り歩き、最終的に仏アルザスのエリクールの寡婦となった公爵夫人の館に落ち着き、彼女の音楽教師をして過ごしたらしい )。
そしてなかなか波乱含みの生涯を送った人のようで、番組でも紹介されていたように、舞曲をつらねた「組曲」という形式の確立者でもある。で、冒頭の「アルマンド」はフローベルガーの場合「ライン渡河の船中で重大な危険に遭遇して作曲」とか、「フローベルガーの山からの転落(「組曲第 16 番 ト長調」)」とか、「標題」がくっついていることが大きな特徴。解説の渡邊孝先生もおっしゃるように、おそらくヴィヴァルディに先駆けた人なんじゃないでしょうか。しかも !! フローベルガーは自分の死というものをつねづね考えていたようなふしまである。こういう作品まであるんですぞ。「死を想え、フローベルガー」 !! 「アルマンド」という形式は、フローベルガーにとってはなんというか、日記を書くような感覚だったのかもしれませんね。
…あ、もうすぐ今年最後の「生さだ」が始まる。この前芦ノ湖を湖尻から元箱根まで写真撮りながら歩いてたんですが、それから何日も経たないうちにまさか(!)雪が積もるとはね … どうも天候が安定しませんが、みなさまもどうぞご自愛ください。
[ 追記 ] 聖ヤコビ教会大オルガンについて:だいぶ前のことになりますが、ここでもこの教会のオルガンについて記事を書いたことがあります。そのときはシュニットガーオルガンとばかり思っていたこの「大オルガン( Große Orgel )」は、じっさいには製作者不詳で、こちらの記事によると現存する部材で最古のものは 1465 / 66年にまで溯るものらしい。その後数度にわたって異なる製作家によって「建て増し」を繰り返し、バッハがライプツィッヒで活躍していた 1739 − 41年にかけて現在のプロスペクトを持つ楽器になったようです。ただ、先日放映のこの番組で紹介されていた「カール・シュッケ」というのはベルリン市に本社を構える現代のオルガンビルダーで、NHKホールや愛知県芸術劇場の大オルガンを建造した会社。おそらくレストアを行ったのでしょう( その証拠にコンピュータ記憶装置[ コンビネーションストップ、手鍵盤下にある「親指ボタン」で複数ストップを一気に入れ替える装置で、電子オルガンの「レジストレーションメモリー」のようなもの ]つきの現代ふうの演奏台になっている。引用元記事にはオルガン改修を行った会社としてオランダのフレントロップ社の名前もあったが )。なので誤解を招く表記だと思う。気になったので念のため。
2016年05月09日
バッハのヴァイオリン協奏曲の「オルガン独奏版」⇒ B−S の新星 from Norway
1). 今週の「古楽の楽しみ」、なんでもバッハの現存する「ヴァイオリン協奏曲」特集だそうで、けさはひととおり( BWV. 1041 − 43)かかってました。最後の「2台のヴァイオリンのための … 」は、とくに緩徐楽章での二丁の独奏ヴァイオリンどうしの、えも言えぬ美しいかけあいがひじょうに有名な作品なので、聴けばああこれか、と思われる向きも多いと思う … が、ワタシにとっての本日のお楽しみはそのあとにやってきた。なんと、寡聞にして知らなかったが、っていっつもこればっかで申し訳ないけど、この一連のヴァイオリン協奏曲、「オルガン独奏用」として編曲されたアルバムなるものが存在していたことが判明 !! これにはまいった。またしても磯山先生にしてやられた( 苦笑 )。
で、さっそく例のとこに行って探してみたら … ありました、これか。演奏者のボッカッチョなる方も初耳で、磯山先生が手短に紹介されたパドヴァにあるという使用楽器についてもよくわからない。掲載画像の見た目で判断すると、どうもレプリカ楽器っぽい気がする。でもってワタシは番組でかかった作品ではなくて、映画「わが母の記」で滑沢渓谷[ 旧天城湯ヶ島町、現在の伊豆市 ]付近を行くボンネットバスのシーンで印象的に使われていた、BWV. 1041 の「アンダンテ」を聴いてみました … 真夜中にえんえん流れる OTTAVA のライブラリー収録曲にも使われていて何度も耳にしているこのアンダンテ、けっこう好きなんです。まだ全トラックは聴取してないけれど( 木曜まで毎日かけるって先生がブログ記事で書いてましたけども )、これはすばらしい編曲だ。そしてこういう編曲ものでどうしても思い出すのが、前にも書いたことながらヴィヴァルディ「四季」オルガン版。昔、まだ LP というものの全盛期、クラシックのコーナーにてこれを見かけて興味をそそられたことがある。その後ヴァルヒャによる「バッハ オルガン作品全集」を大枚はたいて買ったとき、いずれこの「四季」も CD 化されるだろうから出たら買おう、なんてのんきに構えていたけど、けっきょく出なかったようで … 少し前にぐぐってみるも、ついぞお目にかかれずじまい( ちなみに前記事の故マッカーナ教授の著作 Celtic Mythology、破格のお値段で売られているのを見かけたのでこっちは注文済み )。
また OTTAVA ではこういうのもかかってました( 初版で言うところの「12 度の転回対位法による原形主題と新主題の二重フーガ[ コントラプンクトゥス 9 ]」)。これは「初版譜」にもとづく演奏ではなくて、「ベルリン自筆譜 P 200 」にもとづく演奏盤でして、ついでだからと番組でかかっていた9番目のフーガ( ベルリン自筆譜では「フーガ 第5」)のほかに出だしの「4声単純フーガ[ コントラプンクトゥス 1]」を聴いてみたり。たまには「自筆譜」ヴァージョンもよいなあ、と感じたしだい。
2). 最後にお決まりの脱線。最近、めっきりボーイソプラノ / トレブルのアルバムを聴くことが少なくなってきたけど( 飽きがきた、というわけではアリマセン。先日も SBS ラジオだったかな、静岡市出身の歌人の田中章義さんが「ウィーン少( WSK )」のことをしゃべっていたのをたまたま耳にして、おやこの方も同好の士だったのかと思ったり )、最近、動画サイトで偶然見つけた、ノルウェイのこの子がちょっと気になってます。声質は、かつてのアレッド・ジョーンズを思わせるところがあって、こちらも負けじとすばらしいです。
で、さっそく例のとこに行って探してみたら … ありました、これか。演奏者のボッカッチョなる方も初耳で、磯山先生が手短に紹介されたパドヴァにあるという使用楽器についてもよくわからない。掲載画像の見た目で判断すると、どうもレプリカ楽器っぽい気がする。でもってワタシは番組でかかった作品ではなくて、映画「わが母の記」で滑沢渓谷[ 旧天城湯ヶ島町、現在の伊豆市 ]付近を行くボンネットバスのシーンで印象的に使われていた、BWV. 1041 の「アンダンテ」を聴いてみました … 真夜中にえんえん流れる OTTAVA のライブラリー収録曲にも使われていて何度も耳にしているこのアンダンテ、けっこう好きなんです。まだ全トラックは聴取してないけれど( 木曜まで毎日かけるって先生がブログ記事で書いてましたけども )、これはすばらしい編曲だ。そしてこういう編曲ものでどうしても思い出すのが、前にも書いたことながらヴィヴァルディ「四季」オルガン版。昔、まだ LP というものの全盛期、クラシックのコーナーにてこれを見かけて興味をそそられたことがある。その後ヴァルヒャによる「バッハ オルガン作品全集」を大枚はたいて買ったとき、いずれこの「四季」も CD 化されるだろうから出たら買おう、なんてのんきに構えていたけど、けっきょく出なかったようで … 少し前にぐぐってみるも、ついぞお目にかかれずじまい( ちなみに前記事の故マッカーナ教授の著作 Celtic Mythology、破格のお値段で売られているのを見かけたのでこっちは注文済み )。
また OTTAVA ではこういうのもかかってました( 初版で言うところの「12 度の転回対位法による原形主題と新主題の二重フーガ[ コントラプンクトゥス 9 ]」)。これは「初版譜」にもとづく演奏ではなくて、「ベルリン自筆譜 P 200 」にもとづく演奏盤でして、ついでだからと番組でかかっていた9番目のフーガ( ベルリン自筆譜では「フーガ 第5」)のほかに出だしの「4声単純フーガ[ コントラプンクトゥス 1]」を聴いてみたり。たまには「自筆譜」ヴァージョンもよいなあ、と感じたしだい。
2). 最後にお決まりの脱線。最近、めっきりボーイソプラノ / トレブルのアルバムを聴くことが少なくなってきたけど( 飽きがきた、というわけではアリマセン。先日も SBS ラジオだったかな、静岡市出身の歌人の田中章義さんが「ウィーン少( WSK )」のことをしゃべっていたのをたまたま耳にして、おやこの方も同好の士だったのかと思ったり )、最近、動画サイトで偶然見つけた、ノルウェイのこの子がちょっと気になってます。声質は、かつてのアレッド・ジョーンズを思わせるところがあって、こちらも負けじとすばらしいです。
タグ:ダニエレ・ボッカッチョ
2016年02月28日
ヴェックマンとフローベルガー
先週の「古楽の楽しみ」は「音楽家を巡る人間模様」というテーマでしたが、ワタシがとくに惹きつけられたのはフローベルガーとヴェックマンの回。南ドイツ( とオーストリア )のオルガン楽派の代表みたいに思っているフローベルガーと、北ドイツのハンブルクで活躍していたヴェックマン。寡聞にしてはじめて知ったのが、ふたりはよきライヴァルにしてよき親友 ?! だったという事実。
案内役の大塚先生によると、フローベルガーとヴェックマンは 1645 − 53年のあいだ、ドレスデンにて夢の鍵盤楽器対決 !! をしたらしい。ってこれってどっかで聞いたような … そう、ドレスデンで音楽対決、というと、すぐバッハ vs. マルシャンを思い出す。こちらは 1717 年 9月、ヴァイオリン奏者にしてドレスデン宮廷楽師長ヴォリュミエに招待されたバッハがいそいそと行ってみたものの、当地に着いたら当の対戦相手マルシャンは不戦敗? を決めこんでさっさと帰国したあとだった。けっきょくバッハ氏のワンマンショーと化した … らしい。へぇ、ほぼ 70 年前にもやはりおなじドレスデンにてそのような「夢の対決」があっただなんて。
でもこれってあとあとのオルガン音楽発展を考えるとすごく重要な史実だ、と思い、さっそく図書館へ。あいにく音友社『新訂 標準音楽辞典』には記載がなかったが、平凡社の『音楽大事典』のヴェックマンの項目には「 … ドレスデンに戻り、ここでフローベルガーとの競演が行われた」とはっきり書いてあった( フローベルガーの項目にも「 … ドレスデンでヴェックマンと競演し、親交を結んだ … 」との記述あり )。
これがどうして大事かって言うと、北ドイツ・オルガン楽派を汲むヴェックマンと、南ドイツ流派のフローベルガーが互いの作品や情報を交換したことで、ふたつの大きな流派の作風が融合したってことです。やがてこれが大バッハのオルガン音楽へと流れこむ。オールドルフで教会オルガニストをしていた長兄ヨハン・クリストフの許に引き取られたバッハ少年、この長兄からはじめてクラヴィーアの手ほどきを受け、あッという間に課題曲を弾きこなしたものだから練習する作品がなくなった。そこでバッハ少年は、兄ちゃん秘蔵の楽譜が見たくてしようがない。ところがケチ[ 失礼 ]なクリストフ兄ちゃんは「まだアンタにゃ早すぎる !! 」とどうしても許可してくれない。しかたないから夜、みんなが寝静まってから、鍵のかかった格子戸の隙間に手を突っこんで楽譜を丸めて取り出し、月明かりのもとで(!)写しとった。後日、これがバレてしまい、せっかくの苦労の結晶も兄ちゃんに没収されてしまった。このとき写譜したであろう楽譜こそ、パッヘルベル、ケルル、そしてフローベルガーらの鍵盤作品だったと言われてます。
やがて長兄の家を去り、リューネブルクの聖ミカエル教会の聖歌隊学校に入ったバッハ少年は、学校から歩いて数分のマルクト広場に面した聖ヨハネ教会オルガニストだったゲオルク・ベームの教えも受けたことが確実視されてもいる。* この人はスヴェーリンク、シャイト、シャイデマン、ラインケン、トゥンダー、そしてヴェックマンといった北ドイツ楽派の流れを汲む巨匠のひとりだったので、この時点で早くも若きバッハは南と北のオルガン音楽流派を体得したことになる。1703 年、弱冠 18 歳の若きオルガニスト・バッハは破格の待遇でアルンシュタットにできたばかりの聖ボニファティウス教会( 新教会 )の、しかもできたてホヤホヤのオルガンの奏者として赴任。このアルンシュタット時代にかの有名な「夕べの音楽」を聴きにはるばる 300 km 以上もの道程を歩いて( !! )ハンザ同盟都市リューベックのブクステフーデ師匠を訪問することになります。こうしてバッハはフローベルガーらの流派からはフレスコバルディなどを源流とするイタリアの鍵盤音楽、ブクステフーデやベーム、ラインケンなどからはヴェックマンを含む北ドイツ・オルガン楽派の作品を学習したことになります。これにいわゆる「ヴィヴァルディ体験」と呼ばれる一連のオルガン / クラヴィーア協奏曲といった編曲もの( マルチェッロの有名なオーボエ協奏曲のクラヴィーア編曲 BWV. 974 もあり )と、マルシャンなどのフランス音楽趣味も自家薬籠中の物としたバッハは、結果的に当時の全欧州の音楽の流儀を統合する方向へと進むことになり、「バッハ様式」とでも呼んでもいい高みへと登りつめることになります、って砂川しげひささんの『のぼりつめたら大バッハ』じゃないけど。
↓ は、ケラーの『バッハのオルガン作品[ 音楽之友社、1986 ]』邦訳書から転載( フローベルガーとヴェックマンを結ぶ実線、およびプレトリウスとヨハン・クリストフ・バッハ[ 父の従兄のほうですが … ]を結ぶ点線は、引用者が追加したもの )。
ついでに金曜の夜に見たこの番組、いやー、おもしろいですね !! というかなんとまたタイムリーな。ちょうどフローベルガーとヴェックマンのこと書こうかな、なんて思っていた矢先だったので。「教会カンタータ BWV. 82 [ シメオンの頌、いわゆる Nunc Dimittis が主題 ]」の有名なアリアの「ラメントバス」音型とか、「ジーグ」の話とか( 富井ちえりさんという英国王立音楽院大学院に留学されている方の BWV. 1004 の演奏はすばらしかった、そして使用楽器は 1699 年製ストラド !! )、話しているのが王立音楽院副学長なんだから当たり前だが正確かつ当を得た、そして比喩を交えたとてもわかりやすい講義でとてもよかった … だったんですけど、視聴していておや? と感じたのが、いまさっき書いたばかりのバッハのアルンシュタット時代の不名誉な逸話についてのお話のところ。夏のある日、広場のベンチにバッハが座っていたら、「禿頭のバッハ[ ガイエルスバッハ ]」という渾名の教会聖歌隊ファゴット吹きの学生に呼び止められてケンカになったという有名なあの話。バッハは「ナイフ」を抜いて応戦した … ってアラそうだったっけ、砂川さんの本のイラストにもあったように、たしか腰に下げていた礼装用のサーベルを抜いてチャンチャンバラバラじゃなかったっけ、なーんて思ったので、さっそく本棚からシュヴァイツァーの『バッハ』上巻を繰ってみた。そしたら、「 … 彼[ バッハ ]は合唱隊員たちや、その指揮をしていた生徒と非常に仲が悪かった。リューベック旅行の前には、彼とガイエルスバッハという生徒とのあいだにとんでもない一場があった。ガイエルスバッハは、バッハに罵倒されたというので、街上で杖を振上げてバッハに殴りかかった。バッハは短刀を抜いた」。† もうひとつ『「音楽の捧げもの」が生まれた晩』を開くと、
…「短剣」が、一部の人の頭のなかでは ―― ワタシも含めて ―― いつのまにか「腰に下げたサーベル」というイメージにすり替わっていたようです[ とはいえ「血気盛んな人間の多かった当時は、みな普通に持ち歩いていた」っていう但し書きだかなんだか知りませんけど、これってどうなのって思うが ]。いずれにせよ王立音楽院副学長ジョーンズ博士の言う 'he drew a knife ...' というのは、やっぱり dagger とかって言い換えたほうがよいような気がするが … それはともかく、事実関係はこまめに裏を取りましょう、という教訓でした。ちなみにバッハという人はたいへん控え目な人だったらしくて、自分の腕前をハナにかける、なんてことは生前なかったようです。敵前逃亡したマルシャンの鍵盤作品の楽譜も持ってて、弟子の前でよく弾いて聴かせていたらしい。なんと謙虚な、だがすこぶる貪欲な音楽家なのだらう !!
話をもとにもどして … フローベルガーと仲よくなったヴェックマン、互いの作品を交換するだけでなく、親友から学んだ南ドイツ流派の技法をさっそく取り入れた作品も書いており、そのサンプルとしてかかったのが「カンツォーナ ニ短調」でした。ここでは便宜上南ドイツ楽派として書いているフローベルガーですが、この人はいわゆるコスモポリタンでして、ローマで大家フレスコバルディの許で研鑽を積んだのち、パリ、ロンドン、ブリュッセルと巡ったあと、晩年を指揮者コンクールで有名なブザンソンにも近いエリクールで過ごしたらしい。この人の曲集に出てくるトッカータは即興的なフーガ部分を含み、これがやがては「トッカータとフーガ」形式へと発展することになります。そして若かりし日の先生のひとりに、以前ここでもちょこっと書いたオルガニストのシュタイクレーダーもいたというから、やはりつながってますねー。
ついでにヴェックマンのほうはなんと、ドレスデン宮廷にてハインリヒ・シュッツ門下の少年聖歌隊員だったという! シュッツの弟子だったんだ、この人。ちょうど 30 年戦争のころ、たいへんな時代を生き抜いた音楽家だったのでした。
* ... 椎名雄一郎さんのアルバム The Road to Bach の角倉一郎先生の書かれたライナーによると、「 … 2006 年にヴァイマルの図書館で驚くべき楽譜が発見された。それはバッハ自身がタブラチュアという記譜法で書き写したラインケン( ハンブルクのカテリーナ教会オルガニスト )のコラール幻想曲『バビロンの流れのほとりで』という有名な曲で、この手稿譜の最後には『ゲオルク・ベームの家で、1700 年にリューネブルクで記入』( Ā Dom. Georg Böhme descriptum a. 1700 Lunaburugi )とバッハ自身の手で記されている。しかもこの楽譜が書かれている紙の種類が、ベーム自身が日頃使っていた紙と同質であることも確認されたのである。この事実は何を語るのだろうか? もっとも自然な想像は、この楽譜を筆写したとき、バッハはベームの家の内弟子として同居していただろうということである[ p.2]」とのこと。
† ... アルベルト・シュヴァイツァー / 浅井真男他訳『バッハ 上』白水社、p. 149 、典拠はアンドレ・ピロによる。
追記:というわけで、先日いつも行ってる図書館にていくつかバッハ関連本漁ってみたら、「 … バッハは腰に差していた剣を抜いて … 」とか、『バッハ資料集』の引用として「 … バッハは剣を抜いて … 」とか書いてあった。日本語で「剣を抜いて」とくると、たいていの人は「短剣」ではなく、やはりサーベルのほうを連想するんじゃないかな。というか、短剣かはたまたサーベルか、バッハはいったいどっちの「武器」を手にしてガイエルスバッハと対峙したのであるか ??? そしてよくよく考えると ―― いや、よく考えなくても ―― 今年ってフローベルガーの記念イヤー( 5月 19 日で生誕 400 年、その前の 16 日はわれらが聖ブレンダンの祝日 )、そして生年不詳ながらもいちおうヴェックマンも、一部資料によればおない年生まれということになってます。ということで個人的には、今年はヴェックマン&フローベルガー全作品を制覇しよう !! と決めたのであった。
案内役の大塚先生によると、フローベルガーとヴェックマンは 1645 − 53年のあいだ、ドレスデンにて夢の鍵盤楽器対決 !! をしたらしい。ってこれってどっかで聞いたような … そう、ドレスデンで音楽対決、というと、すぐバッハ vs. マルシャンを思い出す。こちらは 1717 年 9月、ヴァイオリン奏者にしてドレスデン宮廷楽師長ヴォリュミエに招待されたバッハがいそいそと行ってみたものの、当地に着いたら当の対戦相手マルシャンは不戦敗? を決めこんでさっさと帰国したあとだった。けっきょくバッハ氏のワンマンショーと化した … らしい。へぇ、ほぼ 70 年前にもやはりおなじドレスデンにてそのような「夢の対決」があっただなんて。
でもこれってあとあとのオルガン音楽発展を考えるとすごく重要な史実だ、と思い、さっそく図書館へ。あいにく音友社『新訂 標準音楽辞典』には記載がなかったが、平凡社の『音楽大事典』のヴェックマンの項目には「 … ドレスデンに戻り、ここでフローベルガーとの競演が行われた」とはっきり書いてあった( フローベルガーの項目にも「 … ドレスデンでヴェックマンと競演し、親交を結んだ … 」との記述あり )。
これがどうして大事かって言うと、北ドイツ・オルガン楽派を汲むヴェックマンと、南ドイツ流派のフローベルガーが互いの作品や情報を交換したことで、ふたつの大きな流派の作風が融合したってことです。やがてこれが大バッハのオルガン音楽へと流れこむ。オールドルフで教会オルガニストをしていた長兄ヨハン・クリストフの許に引き取られたバッハ少年、この長兄からはじめてクラヴィーアの手ほどきを受け、あッという間に課題曲を弾きこなしたものだから練習する作品がなくなった。そこでバッハ少年は、兄ちゃん秘蔵の楽譜が見たくてしようがない。ところがケチ[ 失礼 ]なクリストフ兄ちゃんは「まだアンタにゃ早すぎる !! 」とどうしても許可してくれない。しかたないから夜、みんなが寝静まってから、鍵のかかった格子戸の隙間に手を突っこんで楽譜を丸めて取り出し、月明かりのもとで(!)写しとった。後日、これがバレてしまい、せっかくの苦労の結晶も兄ちゃんに没収されてしまった。このとき写譜したであろう楽譜こそ、パッヘルベル、ケルル、そしてフローベルガーらの鍵盤作品だったと言われてます。
やがて長兄の家を去り、リューネブルクの聖ミカエル教会の聖歌隊学校に入ったバッハ少年は、学校から歩いて数分のマルクト広場に面した聖ヨハネ教会オルガニストだったゲオルク・ベームの教えも受けたことが確実視されてもいる。* この人はスヴェーリンク、シャイト、シャイデマン、ラインケン、トゥンダー、そしてヴェックマンといった北ドイツ楽派の流れを汲む巨匠のひとりだったので、この時点で早くも若きバッハは南と北のオルガン音楽流派を体得したことになる。1703 年、弱冠 18 歳の若きオルガニスト・バッハは破格の待遇でアルンシュタットにできたばかりの聖ボニファティウス教会( 新教会 )の、しかもできたてホヤホヤのオルガンの奏者として赴任。このアルンシュタット時代にかの有名な「夕べの音楽」を聴きにはるばる 300 km 以上もの道程を歩いて( !! )ハンザ同盟都市リューベックのブクステフーデ師匠を訪問することになります。こうしてバッハはフローベルガーらの流派からはフレスコバルディなどを源流とするイタリアの鍵盤音楽、ブクステフーデやベーム、ラインケンなどからはヴェックマンを含む北ドイツ・オルガン楽派の作品を学習したことになります。これにいわゆる「ヴィヴァルディ体験」と呼ばれる一連のオルガン / クラヴィーア協奏曲といった編曲もの( マルチェッロの有名なオーボエ協奏曲のクラヴィーア編曲 BWV. 974 もあり )と、マルシャンなどのフランス音楽趣味も自家薬籠中の物としたバッハは、結果的に当時の全欧州の音楽の流儀を統合する方向へと進むことになり、「バッハ様式」とでも呼んでもいい高みへと登りつめることになります、って砂川しげひささんの『のぼりつめたら大バッハ』じゃないけど。
↓ は、ケラーの『バッハのオルガン作品[ 音楽之友社、1986 ]』邦訳書から転載( フローベルガーとヴェックマンを結ぶ実線、およびプレトリウスとヨハン・クリストフ・バッハ[ 父の従兄のほうですが … ]を結ぶ点線は、引用者が追加したもの )。
ついでに金曜の夜に見たこの番組、いやー、おもしろいですね !! というかなんとまたタイムリーな。ちょうどフローベルガーとヴェックマンのこと書こうかな、なんて思っていた矢先だったので。「教会カンタータ BWV. 82 [ シメオンの頌、いわゆる Nunc Dimittis が主題 ]」の有名なアリアの「ラメントバス」音型とか、「ジーグ」の話とか( 富井ちえりさんという英国王立音楽院大学院に留学されている方の BWV. 1004 の演奏はすばらしかった、そして使用楽器は 1699 年製ストラド !! )、話しているのが王立音楽院副学長なんだから当たり前だが正確かつ当を得た、そして比喩を交えたとてもわかりやすい講義でとてもよかった … だったんですけど、視聴していておや? と感じたのが、いまさっき書いたばかりのバッハのアルンシュタット時代の不名誉な逸話についてのお話のところ。夏のある日、広場のベンチにバッハが座っていたら、「禿頭のバッハ[ ガイエルスバッハ ]」という渾名の教会聖歌隊ファゴット吹きの学生に呼び止められてケンカになったという有名なあの話。バッハは「ナイフ」を抜いて応戦した … ってアラそうだったっけ、砂川さんの本のイラストにもあったように、たしか腰に下げていた礼装用のサーベルを抜いてチャンチャンバラバラじゃなかったっけ、なーんて思ったので、さっそく本棚からシュヴァイツァーの『バッハ』上巻を繰ってみた。そしたら、「 … 彼[ バッハ ]は合唱隊員たちや、その指揮をしていた生徒と非常に仲が悪かった。リューベック旅行の前には、彼とガイエルスバッハという生徒とのあいだにとんでもない一場があった。ガイエルスバッハは、バッハに罵倒されたというので、街上で杖を振上げてバッハに殴りかかった。バッハは短刀を抜いた」。† もうひとつ『「音楽の捧げもの」が生まれた晩』を開くと、
教会の記録によると、ファゴット奏者の学生ヨハン・ハインリヒ・ガイアースバッハがマルクト広場で帰宅途中のバッハの行く手をふさぎ、自分の演奏をやぎの鳴き声と比べたことについて糾弾するとともに、教師であるバッハを臆病な犬と呼んだあげく、棒で殴りかかったという。バッハはのちに、ガイアースバッハが先に殴りかかったのでなければ、間違っても短剣( 血気盛んな人間の多かった当時は、みな普通に持ち歩いていた )を抜くようなまねはしなかったと述べている。教会の説明によると、「両者とも[ ガイアースバッハと ]一緒にいた学生がふたりを引き離すまでもみ合っていた」という[ p. 109 ]。
…「短剣」が、一部の人の頭のなかでは ―― ワタシも含めて ―― いつのまにか「腰に下げたサーベル」というイメージにすり替わっていたようです[ とはいえ「血気盛んな人間の多かった当時は、みな普通に持ち歩いていた」っていう但し書きだかなんだか知りませんけど、これってどうなのって思うが ]。いずれにせよ王立音楽院副学長ジョーンズ博士の言う 'he drew a knife ...' というのは、やっぱり dagger とかって言い換えたほうがよいような気がするが … それはともかく、事実関係はこまめに裏を取りましょう、という教訓でした。ちなみにバッハという人はたいへん控え目な人だったらしくて、自分の腕前をハナにかける、なんてことは生前なかったようです。敵前逃亡したマルシャンの鍵盤作品の楽譜も持ってて、弟子の前でよく弾いて聴かせていたらしい。なんと謙虚な、だがすこぶる貪欲な音楽家なのだらう !!
話をもとにもどして … フローベルガーと仲よくなったヴェックマン、互いの作品を交換するだけでなく、親友から学んだ南ドイツ流派の技法をさっそく取り入れた作品も書いており、そのサンプルとしてかかったのが「カンツォーナ ニ短調」でした。ここでは便宜上南ドイツ楽派として書いているフローベルガーですが、この人はいわゆるコスモポリタンでして、ローマで大家フレスコバルディの許で研鑽を積んだのち、パリ、ロンドン、ブリュッセルと巡ったあと、晩年を指揮者コンクールで有名なブザンソンにも近いエリクールで過ごしたらしい。この人の曲集に出てくるトッカータは即興的なフーガ部分を含み、これがやがては「トッカータとフーガ」形式へと発展することになります。そして若かりし日の先生のひとりに、以前ここでもちょこっと書いたオルガニストのシュタイクレーダーもいたというから、やはりつながってますねー。
ついでにヴェックマンのほうはなんと、ドレスデン宮廷にてハインリヒ・シュッツ門下の少年聖歌隊員だったという! シュッツの弟子だったんだ、この人。ちょうど 30 年戦争のころ、たいへんな時代を生き抜いた音楽家だったのでした。
* ... 椎名雄一郎さんのアルバム The Road to Bach の角倉一郎先生の書かれたライナーによると、「 … 2006 年にヴァイマルの図書館で驚くべき楽譜が発見された。それはバッハ自身がタブラチュアという記譜法で書き写したラインケン( ハンブルクのカテリーナ教会オルガニスト )のコラール幻想曲『バビロンの流れのほとりで』という有名な曲で、この手稿譜の最後には『ゲオルク・ベームの家で、1700 年にリューネブルクで記入』( Ā Dom. Georg Böhme descriptum a. 1700 Lunaburugi )とバッハ自身の手で記されている。しかもこの楽譜が書かれている紙の種類が、ベーム自身が日頃使っていた紙と同質であることも確認されたのである。この事実は何を語るのだろうか? もっとも自然な想像は、この楽譜を筆写したとき、バッハはベームの家の内弟子として同居していただろうということである[ p.2]」とのこと。
† ... アルベルト・シュヴァイツァー / 浅井真男他訳『バッハ 上』白水社、p. 149 、典拠はアンドレ・ピロによる。
追記:というわけで、先日いつも行ってる図書館にていくつかバッハ関連本漁ってみたら、「 … バッハは腰に差していた剣を抜いて … 」とか、『バッハ資料集』の引用として「 … バッハは剣を抜いて … 」とか書いてあった。日本語で「剣を抜いて」とくると、たいていの人は「短剣」ではなく、やはりサーベルのほうを連想するんじゃないかな。というか、短剣かはたまたサーベルか、バッハはいったいどっちの「武器」を手にしてガイエルスバッハと対峙したのであるか ??? そしてよくよく考えると ―― いや、よく考えなくても ―― 今年ってフローベルガーの記念イヤー( 5月 19 日で生誕 400 年、その前の 16 日はわれらが聖ブレンダンの祝日 )、そして生年不詳ながらもいちおうヴェックマンも、一部資料によればおない年生まれということになってます。ということで個人的には、今年はヴェックマン&フローベルガー全作品を制覇しよう !! と決めたのであった。
2016年01月09日
フランス古典期のクリスマス音楽
1). 先週の「古楽の楽しみ」は、「フランス各地のクリスマスとお正月の音楽」と題して、オルガン好きにとってもおなじみ(?)なルイ−クロード・ダカンの「プロヴァンスのノエル」やジャン−フランソワ・ダンドリューの「幼子が生まれた」、クロード・バルバートル( → 以前書いた関連拙記事、ついでにテュイルリー宮殿にもオルガンがあったそうで、バルバートルはそこの楽器も演奏していたそうです )の「偉大な神よ、あなたの慈しみは」などがかかりました! といっても当方にとってこの時代のフランス宮廷の音楽というのはまるで疎いので、カルヴィエールという人の「オルガン小品」とかル・ベーグという人の「オルガン曲集 第3巻から マリアの愛のためのノエル」とかいう作品ははじめて知った。
今回、気になったのは録音で使用された楽器でして、たとえばカンプラの「クリスマスミサ曲」から「キリエ」、「アニュス・デイ」などで使用されたのはヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂にあるクリコ製作の歴史的名器、かたやカルヴィエール作品は現代フランスの名手、オリヴィエ・ラトリーによるパリ・ノートルダム大聖堂のカヴァイエ−コル製作のいわゆる「ロマンティックオルガン」と呼ばれる大型楽器でした … で、今回はちょっと対比が際立っていたとは思うが、やっぱりこの時代の音楽の演奏には同時代に建造されたオルガンでなくちゃだめだなあ、ということ。これがおなじオルガンという楽器のために書かれた作品かと思うくらい、音響というか、音の鳴り方がまるで別物だったのでした。ラトリーさんがどうしてカルヴィエール作品の演奏に「ロマンティックオルガン」を選んだのか、についてはおそらくそこでかつてこの作品が演奏されたからだろうと思う。案内役の関根先生によると、バルバートルについては笑える逸話も残っていて、なんでもクリスマス時期、ここのオルガンを使ってリサイタルを開いたら大、大、大盛況でして、会堂から聴衆がわんさとあふれてしまって大混乱、ついに教会当局[ つまりはパリ管区を統括するここの司教さんだろう ]から「おまえさんはもうここでオルガン独奏会を開いちゃイカン !! 」とつまみ出されたんだとか。むむむ立ち見も出るくらいのオルガンリサイタルってこれいかに … とつい思うんですけど、譬えはヘンだが彼のオルガン演奏会ってフランス古典期版 X JAPAN みたいなものだったんかな[ ↓ は、ヴェルサイユの王室礼拝堂クリコオルガンによるバルバートルの協奏曲作品から ] ???
話もどりまして … ようするにかつてバルバートルやカルヴィエールがかつて弾いた場所、ということでここの楽器を選んだのかもしれない。でも、直前に聴いたヴェルサイユの歴史的楽器のえも言えぬ精妙なる響き、空間を優しくすっぽり包み込むかのような人間味あふれるあの美しい調べ、とまるで真反対な、ぎすぎすして耳を鋭く突き刺すような 19 世紀フランスオルガン特有のケバケバしさがやたらと目に、いや耳についた。そっちが品のない原色でベタヘダ塗りたくった系なら、ヴェルサイユの楽器の音は繊細な中間色系とでも言おうか。少なくともここにいる門外漢のいいかげんな耳にはそんなふうに聴こえてしまったのでありました。もっともカヴァイエ−コル製作の楽器( フォーレとサン−サーンスゆかりのマドレーヌ寺院や聖トゥスターシュ教会、シャイヨー宮のオルガンなんかもそう )の「音」が悪い、と言ってるんじゃありません。ただこの楽器はたとえばヴィドールの「オルガン交響曲」なら、すばらしい効果を上げたと思う。ちなみに 19 世紀のこれら「ロマンティックオルガン」、あるいは「シンフォニックオルガン」と呼ばれる大型楽器のパイプ列に送られる「風圧」はけっこう高くて、バッハ時代のドイツの楽器からでは想像もつかないほどの高圧だった[ だからわんわんうるさかったりする ]。高圧のため鍵盤も重くなり、重くなった鍵盤を「軽く」するための空気圧(!)レバー[ バーカーレバー ]まで用意された楽器も少なくなかった。もっともそんな楽器では伝統的な「てこ」の原理で動作する「トラッカーアクション」のような機敏な反応は期待できず、当時のオルガニストは目先の利便さと引き換えにこんどは楽器の反応の鈍感さに耐えるはめになった。
もうひとつ個人的にうれしい発見だったのは、カトリック系ではいまなお教会オルガニストの重要な役目である「即興演奏」が聴けたこと。それがさっき書いたカンプラの「クリスマスミサ曲」からの抜粋なんですが、当時の即興演奏のようすがありありと目に浮かぶようで、ほんとにすばらしかった。声楽で歌われるパートの合間に、ああいうふうに合いの手ならぬ即興演奏が入ってたんですな[ いまでもたとえば聖イグナチオ教会とかで、ミサにおける「聖体拝領」のときにオルガニストは信徒の背後で即興演奏をしているはず ]。「チャルメラ」にも似たどこか懐かしいような独特な響きのリード管が朗々と歌ってました。イタリアバロックの巨匠フレスコバルディのいくつかの「トッカータ」も、自身の華麗なる即興演奏の記録みたいな感じで後世に残された作品群だと思う。
この番組は磯山先生のドイツもの、今谷先生のイタリアもの、大塚先生の混在もの( 失礼 )、そして関根先生のフランス古典期ものとわりとカラーがはっきりしてますが、ワタシはどうもバッハびいきのためなのか、この時期のフランスバロック音楽にはたいして興味が湧かなかった。いちばんの理由は、「貴族趣味」な点、ということになるだろうが … いずれパンも食えない庶民の怒りが爆発してあのような革命とその後動乱の時代がつづくことを考えると( その動乱期をバルバートルはなんとか生き延びた )あのキラキラしたクラヴサンのこの世離れした響きとか、外の人間にはまるで解せないバレ・ド・クールの華麗な世界とか … それでもだいぶ前にルイ 14 世時代の音楽とかオルレアン公フィリップ[ フィリップ・ドルレアン ]とかの話を聞くと、「朕は国家なり」も朝から夜寝るまでやれ起床ラッパだやれ着替えだ狩りだ食事だ執務だバレエだダンスだ晩餐だ、と年がら年中ほぼ「衆人環視」状態でフランス国王やってたんだからこれはこれでタイヘンだなあ、とかため息ついてたり。「絶対王政」って言うけれど、王侯貴族もいざその当人になったらこりゃタイヘンですよ、もう。一日のスケジュールを耳にしただけで、カンベンしてくれって感じでしたから。結婚たって愛もなにもない政略結婚がフツーの時代でしたしね。そういう時代背景をすこしでも知ることができたのは、この番組のお陰でございます。そうそう「サックバット」というのも、ちょうどこの時代の金管楽器でしたね。
2). それはそうと … フランスつながりでは悲しい知らせも入ってきました … 現代音楽の巨匠、ピエール・ブーレーズ氏逝去、享年 90 歳。作曲家としてももちろん高名でしたが、近年は指揮者としてその名を知る人も多かったと思う。合掌。
そして … あの古楽の巨匠、ニコラウス・アーノンクール氏が昨年暮れになっていきなり現役引退を発表したこともちょっと衝撃的だった。まだまだお元気そうに見えたが … やはりそうとうこたえていたのかもしれません。盟友レオンハルトとともに取り組んだ「教会カンタータ全集」録音の偉業、忘れません。
今回、気になったのは録音で使用された楽器でして、たとえばカンプラの「クリスマスミサ曲」から「キリエ」、「アニュス・デイ」などで使用されたのはヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂にあるクリコ製作の歴史的名器、かたやカルヴィエール作品は現代フランスの名手、オリヴィエ・ラトリーによるパリ・ノートルダム大聖堂のカヴァイエ−コル製作のいわゆる「ロマンティックオルガン」と呼ばれる大型楽器でした … で、今回はちょっと対比が際立っていたとは思うが、やっぱりこの時代の音楽の演奏には同時代に建造されたオルガンでなくちゃだめだなあ、ということ。これがおなじオルガンという楽器のために書かれた作品かと思うくらい、音響というか、音の鳴り方がまるで別物だったのでした。ラトリーさんがどうしてカルヴィエール作品の演奏に「ロマンティックオルガン」を選んだのか、についてはおそらくそこでかつてこの作品が演奏されたからだろうと思う。案内役の関根先生によると、バルバートルについては笑える逸話も残っていて、なんでもクリスマス時期、ここのオルガンを使ってリサイタルを開いたら大、大、大盛況でして、会堂から聴衆がわんさとあふれてしまって大混乱、ついに教会当局[ つまりはパリ管区を統括するここの司教さんだろう ]から「おまえさんはもうここでオルガン独奏会を開いちゃイカン !! 」とつまみ出されたんだとか。むむむ立ち見も出るくらいのオルガンリサイタルってこれいかに … とつい思うんですけど、譬えはヘンだが彼のオルガン演奏会ってフランス古典期版 X JAPAN みたいなものだったんかな[ ↓ は、ヴェルサイユの王室礼拝堂クリコオルガンによるバルバートルの協奏曲作品から ] ???
話もどりまして … ようするにかつてバルバートルやカルヴィエールがかつて弾いた場所、ということでここの楽器を選んだのかもしれない。でも、直前に聴いたヴェルサイユの歴史的楽器のえも言えぬ精妙なる響き、空間を優しくすっぽり包み込むかのような人間味あふれるあの美しい調べ、とまるで真反対な、ぎすぎすして耳を鋭く突き刺すような 19 世紀フランスオルガン特有のケバケバしさがやたらと目に、いや耳についた。そっちが品のない原色でベタヘダ塗りたくった系なら、ヴェルサイユの楽器の音は繊細な中間色系とでも言おうか。少なくともここにいる門外漢のいいかげんな耳にはそんなふうに聴こえてしまったのでありました。もっともカヴァイエ−コル製作の楽器( フォーレとサン−サーンスゆかりのマドレーヌ寺院や聖トゥスターシュ教会、シャイヨー宮のオルガンなんかもそう )の「音」が悪い、と言ってるんじゃありません。ただこの楽器はたとえばヴィドールの「オルガン交響曲」なら、すばらしい効果を上げたと思う。ちなみに 19 世紀のこれら「ロマンティックオルガン」、あるいは「シンフォニックオルガン」と呼ばれる大型楽器のパイプ列に送られる「風圧」はけっこう高くて、バッハ時代のドイツの楽器からでは想像もつかないほどの高圧だった[ だからわんわんうるさかったりする ]。高圧のため鍵盤も重くなり、重くなった鍵盤を「軽く」するための空気圧(!)レバー[ バーカーレバー ]まで用意された楽器も少なくなかった。もっともそんな楽器では伝統的な「てこ」の原理で動作する「トラッカーアクション」のような機敏な反応は期待できず、当時のオルガニストは目先の利便さと引き換えにこんどは楽器の反応の鈍感さに耐えるはめになった。
もうひとつ個人的にうれしい発見だったのは、カトリック系ではいまなお教会オルガニストの重要な役目である「即興演奏」が聴けたこと。それがさっき書いたカンプラの「クリスマスミサ曲」からの抜粋なんですが、当時の即興演奏のようすがありありと目に浮かぶようで、ほんとにすばらしかった。声楽で歌われるパートの合間に、ああいうふうに合いの手ならぬ即興演奏が入ってたんですな[ いまでもたとえば聖イグナチオ教会とかで、ミサにおける「聖体拝領」のときにオルガニストは信徒の背後で即興演奏をしているはず ]。「チャルメラ」にも似たどこか懐かしいような独特な響きのリード管が朗々と歌ってました。イタリアバロックの巨匠フレスコバルディのいくつかの「トッカータ」も、自身の華麗なる即興演奏の記録みたいな感じで後世に残された作品群だと思う。
この番組は磯山先生のドイツもの、今谷先生のイタリアもの、大塚先生の混在もの( 失礼 )、そして関根先生のフランス古典期ものとわりとカラーがはっきりしてますが、ワタシはどうもバッハびいきのためなのか、この時期のフランスバロック音楽にはたいして興味が湧かなかった。いちばんの理由は、「貴族趣味」な点、ということになるだろうが … いずれパンも食えない庶民の怒りが爆発してあのような革命とその後動乱の時代がつづくことを考えると( その動乱期をバルバートルはなんとか生き延びた )あのキラキラしたクラヴサンのこの世離れした響きとか、外の人間にはまるで解せないバレ・ド・クールの華麗な世界とか … それでもだいぶ前にルイ 14 世時代の音楽とかオルレアン公フィリップ[ フィリップ・ドルレアン ]とかの話を聞くと、「朕は国家なり」も朝から夜寝るまでやれ起床ラッパだやれ着替えだ狩りだ食事だ執務だバレエだダンスだ晩餐だ、と年がら年中ほぼ「衆人環視」状態でフランス国王やってたんだからこれはこれでタイヘンだなあ、とかため息ついてたり。「絶対王政」って言うけれど、王侯貴族もいざその当人になったらこりゃタイヘンですよ、もう。一日のスケジュールを耳にしただけで、カンベンしてくれって感じでしたから。結婚たって愛もなにもない政略結婚がフツーの時代でしたしね。そういう時代背景をすこしでも知ることができたのは、この番組のお陰でございます。そうそう「サックバット」というのも、ちょうどこの時代の金管楽器でしたね。
2). それはそうと … フランスつながりでは悲しい知らせも入ってきました … 現代音楽の巨匠、ピエール・ブーレーズ氏逝去、享年 90 歳。作曲家としてももちろん高名でしたが、近年は指揮者としてその名を知る人も多かったと思う。合掌。
そして … あの古楽の巨匠、ニコラウス・アーノンクール氏が昨年暮れになっていきなり現役引退を発表したこともちょっと衝撃的だった。まだまだお元気そうに見えたが … やはりそうとうこたえていたのかもしれません。盟友レオンハルトとともに取り組んだ「教会カンタータ全集」録音の偉業、忘れません。
2015年10月25日
「マタイ」なのか、「ケーテン侯の葬送音楽」なのか
先週の「古楽の楽しみ」は、大好きなバッハのオルガン作品がまたぞろ出てくる、というわけで、聴取前までそっちの関心しかなかったのではあるが …「 BWV. 244a」なる作品、はて、そんなもんシュミーダーの作品目録にあったかしらん、などと首をひねって寝違えそうになり、ええっとたしか 200 番台はモテットとかオラトリオ、ミサ曲( バッハはルター派なので、ほんらいはミサ曲をこさえる職務上の義務などなかったが、当時のライプツィッヒ市ではキリエとグロリア、いわゆる「小ミサ」を上演する習慣があったとかなんとか、そんなことをどこかで耳にした覚えがある )、受難曲だったっけ …… なんて思ってさて聴取してみたら、なんだこれ「マタイ」じゃん !?¿
使用音源は、ハルモニア・ムンディのこの音盤( しっかし NML ってすごいな、こんな新録音までライブラリーに入ってるとは … )。カウンターテナーのダミアン・ギヨンさんて、たしか 2009 年の LFJ で教会カンタータを歌っていた歌手じゃなかったかな。あのときの指揮者はお名前は失念したが、本業がヴァイオリニストの方だと思った。この「ケーテン侯のための葬送音楽」はうまいぐあいに四つの部分に分かれているから、一日ひとつずつ聴いていく、ついでにオルガン作品もね、みたいな構成だった[ → 参考までに磯山先生のブログ記事 ]。
で、今回、カギとなるのがどうもフォルケルによる『バッハ伝』の記述だったので、幸い、いつも行ってる図書館に岩波文庫版[『バッハの生涯と芸術』]があったので借りてきてまじめに通読してみる気になった( 苦笑 )。* フォルケルのこの評伝はその筋では超有名ながら、恥ずかしながらきちんと読んだことさえなかったから ―― 「 96 」の From Sundown to Sunup のときのように ―― せっかくのよい機会だからこのさい目を通しておこう、と殊勝な思いを抱いたしだい。磯山先生に感謝しなくては。
そのフォルケルによれば[ 下線強調は引用者 ]、
ただ、磯山先生によると、この「再現演奏」をドイツのどっかで開いたら、聴衆のうち8名ほどが「気分が悪くなって」会場を出て行った、なんていうこぼれ話までついてました。うーん、たしかにドイツ人聴衆は当然のことながら母国語で聴いているし、なんてったってこれ「マタイ」の「転用[ パロディ ]」作品ですから、無理からぬ話かもしれない。
そそっかしいワタシは、てっきりいっしょにかかるオルガン作品も、なんらかの関係があるのかなんて期待していたけれど、これは先生の趣味で選曲されたものらしい。でも「パッサカリア BWV. 582 」が「バッハがまだ若いころの初期作品の傑作」というのは、いまだに信じられない人( ケラーはたしかケーテン時代の作品に分類していた )。最新のバッハ研究ではそうなんだろうけれども、あの老成した堂々たる8小節にもおよぶ低音主題といい、つづくフーガの展開といい、そして圧倒的なナポリの6の終結といい、どう考えてもこれがまだはたちになるか、ならないかの時代に作曲されたなんて思えない。いくら「天才」だったとはいえ( → BWV. 582 についてはこちらの拙記事も参照 )。ちなみにかかっていた音源のオルガンの響きもすばらしくて、気に入りました。どっかに売ってないかな?
* ... 訂正:当初、ワタシはバッハの次男坊 C. P. E. バッハらが書いたと言われる『故人略伝( 1754 )』と、フォルケルが彼らの証言にもとづいて 1802 年に出版した『バッハ伝』とをゴッチャにしてました。誤記をお詫びしたうえで、当該箇所を訂正しました m( _ _)m ちなみに岩波文庫版訳者先生によれば、バッハの長男ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルとのあいだには生後すぐ死亡した「双子の姉弟」がいた、とのことで、彼は正確には次男坊ではなく「三男坊」にあたる、ということもはじめて知った … 18 世紀当時のことなので、新生児の死亡率がひじょうに高かったわけですね。
使用音源は、ハルモニア・ムンディのこの音盤( しっかし NML ってすごいな、こんな新録音までライブラリーに入ってるとは … )。カウンターテナーのダミアン・ギヨンさんて、たしか 2009 年の LFJ で教会カンタータを歌っていた歌手じゃなかったかな。あのときの指揮者はお名前は失念したが、本業がヴァイオリニストの方だと思った。この「ケーテン侯のための葬送音楽」はうまいぐあいに四つの部分に分かれているから、一日ひとつずつ聴いていく、ついでにオルガン作品もね、みたいな構成だった[ → 参考までに磯山先生のブログ記事 ]。
で、今回、カギとなるのがどうもフォルケルによる『バッハ伝』の記述だったので、幸い、いつも行ってる図書館に岩波文庫版[『バッハの生涯と芸術』]があったので借りてきてまじめに通読してみる気になった( 苦笑 )。* フォルケルのこの評伝はその筋では超有名ながら、恥ずかしながらきちんと読んだことさえなかったから ―― 「 96 」の From Sundown to Sunup のときのように ―― せっかくのよい機会だからこのさい目を通しておこう、と殊勝な思いを抱いたしだい。磯山先生に感謝しなくては。
そのフォルケルによれば[ 下線強調は引用者 ]、
1723 年、クーナウの死後、バッハはライプツィヒのトーマス学校のカントル兼音楽監督に任命された。… アンハルト・ケーテンのレーオポルト侯は彼を非常に愛していた。それゆえバッハとしては侯に仕えるのをやめるのは、気が進まなかった。しかし、それから間もなく侯が歿したので、天命が彼を正しく導いたことを知った。彼にとって非常に悲しい侯の死に寄せて、とりわけ美しい数々の二重合唱をふくむ葬送の音楽を作って、それをケーテンでみずから上演した。で、そのすぐあとの「訳注」を見ますと、
その葬送カンタータは『嘆け、子供たちよ … 』BWV 244a であり、それのバッハ自筆の楽譜をフォルケルが所有していたが、のちに散佚した。むむむ … そうだったのか、遅かりし由良之助、寡聞にしてこの「葬送音楽」はまるで知らなかった。でもそうですねぇ、磯山先生のおっしゃるように、自筆譜ないし筆写譜が残ってさえいれば、レチタティーヴォはまちがいなくバッハの新作だったはずなので、だいぶ印象は変わってくるだろうな。第一印象としては、言い方はなんだかなあとは思うが、まんま「マタイ」のパクり( 失礼 )という印象が拭えない。でも、こういう「再現」の試みじたいは高く評価したいと思う。個人的には、これはこれでけっこう気に入ったので。そしてもちろん、作曲者バッハ本人にしても、いまは亡き愛する主君への文字どおり万感の思いをこめて上演したことは想像に難くない。ワタシは磯山先生がこの『故人略伝』の記述を引いて説明してくれたとき、なんかこう目頭がカーっと熱くなるのであった[ バッハがケーテンの宮廷に仕えていたのは、わずか6年間にすぎない ]。
11 曲から成るこの曲にバッハは、そのころ作曲していた『マタイ受難曲』BWV 244 から9曲を取り入れ、歌詞を書き換えて用いた。冒頭の合唱の音楽は、前に作った別の葬送カンタータ BWV 198 の中のものを用いた。またこの冒頭の曲はのちに『ロ短調ミサ』BWV 232 の冒頭の「キューリエ」に用いられた。
バッハの教会用の声楽曲は非常に数は多いが、右に見られるように、すでに作ってある曲を、組合わせを変えたり、歌詞を入れ換えたりして作り上げる例が少なくなかった。[ 以上、pp. 44 − 5 ]
ただ、磯山先生によると、この「再現演奏」をドイツのどっかで開いたら、聴衆のうち8名ほどが「気分が悪くなって」会場を出て行った、なんていうこぼれ話までついてました。うーん、たしかにドイツ人聴衆は当然のことながら母国語で聴いているし、なんてったってこれ「マタイ」の「転用[ パロディ ]」作品ですから、無理からぬ話かもしれない。
そそっかしいワタシは、てっきりいっしょにかかるオルガン作品も、なんらかの関係があるのかなんて期待していたけれど、これは先生の趣味で選曲されたものらしい。でも「パッサカリア BWV. 582 」が「バッハがまだ若いころの初期作品の傑作」というのは、いまだに信じられない人( ケラーはたしかケーテン時代の作品に分類していた )。最新のバッハ研究ではそうなんだろうけれども、あの老成した堂々たる8小節にもおよぶ低音主題といい、つづくフーガの展開といい、そして圧倒的なナポリの6の終結といい、どう考えてもこれがまだはたちになるか、ならないかの時代に作曲されたなんて思えない。いくら「天才」だったとはいえ( → BWV. 582 についてはこちらの拙記事も参照 )。ちなみにかかっていた音源のオルガンの響きもすばらしくて、気に入りました。どっかに売ってないかな?
* ... 訂正:当初、ワタシはバッハの次男坊 C. P. E. バッハらが書いたと言われる『故人略伝( 1754 )』と、フォルケルが彼らの証言にもとづいて 1802 年に出版した『バッハ伝』とをゴッチャにしてました。誤記をお詫びしたうえで、当該箇所を訂正しました m( _ _)m ちなみに岩波文庫版訳者先生によれば、バッハの長男ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルとのあいだには生後すぐ死亡した「双子の姉弟」がいた、とのことで、彼は正確には次男坊ではなく「三男坊」にあたる、ということもはじめて知った … 18 世紀当時のことなので、新生児の死亡率がひじょうに高かったわけですね。
2015年09月22日
「繰り返し」の復権 ⇒ 「赤い扇風機」 ⇒ 「舞踏譜」
ただいま、「今日は一日 “世界のオーケストラ” 三昧」聴取中。堀米ゆず子さんや、宮本文昭さんとかが出演されてしゃべってます( お昼すぎくらいには、指揮者の高関健さんもゲスト出演されてました )。
1). きのうの「クラシックの迷宮」。「妙技 エスファハニのチェンバロ」と題していたので、興味津々、聴いてました。このマハン・エスファハニというチェンバリスト、寡聞にしてまったく知らなかった。「ミニマル音楽」のスティーヴ・ライヒの「ピアノ・フェイズ」だったかな、多重録音した音源らしいですが、ピアノ以上に機械的(!)、無機質なチェンバロのキンキン音を聴いていると、発狂しそうになってきた( 苦笑 )。チェンバロは前にも書いたように、ピアノみたいな音量増減による表情をつけられない( 上と下の鍵盤の交替とか連結とかバフストップとかによるしかない )ので、この手の作品の演奏ではよけいその無機質な感じが強調されるのだと思う。またグレツキの「チェンバロ協奏曲 作品 40 」という作品も初耳だったが … なんという圧倒的な「繰り返し」!!! 畳みかけるような、とかそんなもんじゃない、これはもう暴力的とさえ感じられるいかんともしがたい音の絨毯爆撃、みたいなものすごい作品だった、少なくともワタシの耳では。なんというか、いかにも現代音楽だなあ、という感じ。バッハやクープランがこれ聴いたらどう思うかな。なんつー弾き方してんだコラ! って一喝するかも。ガルッピの「チェンバロの慰め」の正反対、これほどまでに聴く者に不安を掻き立てるチェンバロ音楽は聴いたことがない。ところでこの音源で使われていた楽器ってまさかバロックチェンバロのレプリカ楽器ではあるまい。オケだって大音量で攻撃してくるし、負けじとダンダンダンダンって叩きつけていたことから察すると、使用していたのはモダンチェンバロじゃないかな? いずれにしてもこのエスファハニという演奏家、チェンバロの鬼才って感じですね! 要チェックかな。
それともうひとつ、案内役の片山さんの解説で印象的だったのが、「繰り返し」の復権、ということば。バロック時代までの変奏曲形式、たとえばシャコンヌ / パッサカリア、グラウンド( パーセルなど )には「固執低音主題」というのが付き物だったけれども、古典派以降は「ソナタ形式」が主流になって見向きもされなくなった( そして通奏低音も消滅した )… が、1980 年代くらいから、その「固執する主題」あるいは動機が復活してきた、とそんなふうにおっしゃっていた。そういえば basso ostinato を「執拗低音」なんて訳語で呼んだりするけれども、おんなじ動機 / 主題がえんえんと「しつこく」、コーダまで繰り返される。これのもっとも極端な例が「ミニマル音楽」なんだろうけれども、なるほど、そう言われてみればそうかも、と思ったのでした。音楽における「繰り返し」って、言わばもっとも原初的なものだから、かつて廃れた形式がこういうかたちでそれこそしつこく回帰してくるものなのかもしれない。
2). で、本日の「世界のオーケストラ」三昧なんですが … ボストン交響楽団は例外として、フィラデルフィア管弦楽団、NYフィル、シカゴ交響楽団など、米国の一流と言われているオケの「本拠地」ホールって、どういうわけか(?)音響が悪い場合が多かったりする。ようするに NHK ホールみたいに残響が短すぎる。そのせいなのか、やたら音を張り上げるようなスタイルの奏法が特徴になったりする。ホールの良し悪しがオケの音質、いや音楽性まで左右するという、なんともソラ恐ろしい話ではある。
それはそうと、高関さんだったかな、ぽろっとついでみたいに話された内容がすごすぎて、思わず聞き耳を立ててしまった ―― ロシアの名指揮者、スヴェトラーノフ氏はなんとなんと、指揮台の譜面台の上に小さな「赤い扇風機」を演奏中ずっと回しっぱなしにしていた、という !!!
ホントかね、と思って聴きながらスマホで検索したら、たとえばこちらの検証ページとかが引っかかった。いやもう驚いた。そんなことしてたんだなあ[ と、口あんぐり ]。なくて七癖、ってとこかしら。
3). そういえば先週の「古楽の楽しみ」は太陽王ルイ 14 世時代のリュリとかカンベールとかのバレエ、オペラ作品を中心にかかっていたけれども、関根先生が、「 … これはステップの指示が記された舞踏譜で … 」と、そんなことを話していた。と、ここで天啓のごとくナゾが解けた。なんのナゾかって、いつぞや書いたこの拙記事で疑問に思った、あの「譜面のあるダンス」。ほんとのところを知るには原文に当たってみるほかないが、おそらくこれは関根先生の言う「舞踏譜」の意味にちがいないでしょうな、時代的にもどんぴしゃですし。「舞踏譜」って現物がどんなのか見たことないけど、「数字付き低音[ 通奏低音 ]」みたいな楽譜なんですかねぇ。
1). きのうの「クラシックの迷宮」。「妙技 エスファハニのチェンバロ」と題していたので、興味津々、聴いてました。このマハン・エスファハニというチェンバリスト、寡聞にしてまったく知らなかった。「ミニマル音楽」のスティーヴ・ライヒの「ピアノ・フェイズ」だったかな、多重録音した音源らしいですが、ピアノ以上に機械的(!)、無機質なチェンバロのキンキン音を聴いていると、発狂しそうになってきた( 苦笑 )。チェンバロは前にも書いたように、ピアノみたいな音量増減による表情をつけられない( 上と下の鍵盤の交替とか連結とかバフストップとかによるしかない )ので、この手の作品の演奏ではよけいその無機質な感じが強調されるのだと思う。またグレツキの「チェンバロ協奏曲 作品 40 」という作品も初耳だったが … なんという圧倒的な「繰り返し」!!! 畳みかけるような、とかそんなもんじゃない、これはもう暴力的とさえ感じられるいかんともしがたい音の絨毯爆撃、みたいなものすごい作品だった、少なくともワタシの耳では。なんというか、いかにも現代音楽だなあ、という感じ。バッハやクープランがこれ聴いたらどう思うかな。なんつー弾き方してんだコラ! って一喝するかも。ガルッピの「チェンバロの慰め」の正反対、これほどまでに聴く者に不安を掻き立てるチェンバロ音楽は聴いたことがない。ところでこの音源で使われていた楽器ってまさかバロックチェンバロのレプリカ楽器ではあるまい。オケだって大音量で攻撃してくるし、負けじとダンダンダンダンって叩きつけていたことから察すると、使用していたのはモダンチェンバロじゃないかな? いずれにしてもこのエスファハニという演奏家、チェンバロの鬼才って感じですね! 要チェックかな。
それともうひとつ、案内役の片山さんの解説で印象的だったのが、「繰り返し」の復権、ということば。バロック時代までの変奏曲形式、たとえばシャコンヌ / パッサカリア、グラウンド( パーセルなど )には「固執低音主題」というのが付き物だったけれども、古典派以降は「ソナタ形式」が主流になって見向きもされなくなった( そして通奏低音も消滅した )… が、1980 年代くらいから、その「固執する主題」あるいは動機が復活してきた、とそんなふうにおっしゃっていた。そういえば basso ostinato を「執拗低音」なんて訳語で呼んだりするけれども、おんなじ動機 / 主題がえんえんと「しつこく」、コーダまで繰り返される。これのもっとも極端な例が「ミニマル音楽」なんだろうけれども、なるほど、そう言われてみればそうかも、と思ったのでした。音楽における「繰り返し」って、言わばもっとも原初的なものだから、かつて廃れた形式がこういうかたちでそれこそしつこく回帰してくるものなのかもしれない。
2). で、本日の「世界のオーケストラ」三昧なんですが … ボストン交響楽団は例外として、フィラデルフィア管弦楽団、NYフィル、シカゴ交響楽団など、米国の一流と言われているオケの「本拠地」ホールって、どういうわけか(?)音響が悪い場合が多かったりする。ようするに NHK ホールみたいに残響が短すぎる。そのせいなのか、やたら音を張り上げるようなスタイルの奏法が特徴になったりする。ホールの良し悪しがオケの音質、いや音楽性まで左右するという、なんともソラ恐ろしい話ではある。
それはそうと、高関さんだったかな、ぽろっとついでみたいに話された内容がすごすぎて、思わず聞き耳を立ててしまった ―― ロシアの名指揮者、スヴェトラーノフ氏はなんとなんと、指揮台の譜面台の上に小さな「赤い扇風機」を演奏中ずっと回しっぱなしにしていた、という !!!
ホントかね、と思って聴きながらスマホで検索したら、たとえばこちらの検証ページとかが引っかかった。いやもう驚いた。そんなことしてたんだなあ[ と、口あんぐり ]。なくて七癖、ってとこかしら。
3). そういえば先週の「古楽の楽しみ」は太陽王ルイ 14 世時代のリュリとかカンベールとかのバレエ、オペラ作品を中心にかかっていたけれども、関根先生が、「 … これはステップの指示が記された舞踏譜で … 」と、そんなことを話していた。と、ここで天啓のごとくナゾが解けた。なんのナゾかって、いつぞや書いたこの拙記事で疑問に思った、あの「譜面のあるダンス」。ほんとのところを知るには原文に当たってみるほかないが、おそらくこれは関根先生の言う「舞踏譜」の意味にちがいないでしょうな、時代的にもどんぴしゃですし。「舞踏譜」って現物がどんなのか見たことないけど、「数字付き低音[ 通奏低音 ]」みたいな楽譜なんですかねぇ。
2015年08月18日
チェンバロの響きは朝にこそふさわしい?
先週の「古楽の楽しみ」は夏休み特番(?)、「特集 “チェンバロの魅力” 〜 チェンバロってどんな楽器? 」。で、ふだんとはちがう大きなスタジオに案内役のおひとり、大塚直哉先生所有の大型2段鍵盤フレンチタイプの楽器まで持ちこみ、必要に応じて実際に音を出したり、あるいはゲストの演奏家とデュオをライヴで(!)聴かせてくれたりと、チェンバロ好きにとっては至れり尽くせりの感ありだったんじゃないでしょうか。
自分も放送を聴取して、いま一度この楽器の仕組みを再確認したところです … まず2段鍵盤楽器の場合、下の鍵盤がメインで、いわば典型的なチェンバロらしい音を響かせる鍵盤、上のは弦を弾く「爪[ プレクトラム ]」の位置がより端に近いため、下の鍵盤に比べて「軽め」の音が出るようになってます。いずれもオルガンのフィート律で言うところの「8フィート」弦ですが、下の鍵盤にはもうひとつ弦が張ってあり、こちらはオクターヴ高い4フィート弦が張ってある … つまり、ぜんぶで三種類の弦が張ってある、ということになります。鍵盤の両脇にはスライダーのつまみがついていて、これでどの弦を鳴らすかを決める( オルガンで言うストップ / レジスター )。もうひとつ音色を変える機構として、「リュートストップ / バフストップ」という仕掛けがあり、これは弦にフェルトを押し当てて「こもった」ような響きに変えるもの。ポロンポロンと、ハープみたいなやさしい音が出ます。なんでこういうことをするかと言えば、ピアノみたいに切れ目なく音量を上げたり減らしたりができないから。いわゆるデュナーミクの表現については、チェンバロの発想法はオルガンのそれとほぼおなじものと言っていいと思う。つまり鍵盤交替、カプラーによる鍵盤連結による、「階段式」の強弱の付け方、もしくは「陰影の付け方」とでも言うべきか。大塚先生によれば、じつは指先の微調整でもクラヴィコードみたいに音が微妙に変わるんだとか。上の鍵盤を押しこむと、下の鍵盤と連動する( カプラー )ので、イタリア様式の合奏協奏曲のような、「ソロ」と「テュッティ」の擬似効果が生まれる。バッハの「イタリア協奏曲 BWV. 971 」は、まさにそのような2段鍵盤チェンバロ特有の表現を前提にして書かれている( から、ほんらいはピアノでは弾けないはず。ただしグールドの演奏は好きだが )。
個人的には水曜放送分の西山まりえさんとのやりとりがおもしろかった。とくに「ミーントーン[ 中全音律 ]」話とか … ミーントーンで盛り上がるおふたりの会話を聞いてると、まるで音大生どうしのコアな会話を立ち聞きしているような気がする( 笑 )。さらには西山さんの持ちこんだイタリア様式1段鍵盤楽器は、低音部がいわゆる分割鍵盤、ブロークンオクターヴの楽器だった。なんでもレの半音の上にさらにキーが乗っかってるんだそうだ … マジで弾きにくそう( 苦笑 )。
通奏低音についてのおふたりの話( と実演 )もすこぶる興味深かったんですが、なんと言っても熱燗だったのが、即興演奏。ドレミファ 〜 長調で即興を披露した大塚氏に対し、西山氏はおなじような音型を短調で弾いて即興を披露。「バッハが遠隔転調したあと、どうやってもどってくるのか、わかるようになる気がする」とかなんとか、即興演奏ができるようになるとそんなことも「見えて」くるのか 〜 と、脱帽状態、いや脱力状態か( 分割鍵盤のレの半音のそのまた上の鍵の音も出していた )。一度でいいからそんなカッコいいこと言ってみたいものだ。
最終日はおなじみ松川梨香さんと。松川さんは実物に触るのがはじめてだったようで、キーを押すと弦を弾く、あの独特な感覚を体感して感激していたようす。以下、視聴者からの質問コーナーに寄せられた質問に答えつつ進行:
1). チェンバロケースの装飾について
17−18 世紀、貴族の時代から市民階級の時代へと移るとともに、きらびやかな装飾から質実剛健な外観へと変わっていった。イタリアの1段鍵盤タイプは白木のまま、フレンチタイプは華やかな装飾、とくに「シノワズリ」などの東洋風趣味な装飾ケースが流行ったりした
トレヴァー・ピノックの音源でヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」
2). 鍵盤の色が黒白逆なのは?
現代ピアノのようなタイプもけっこうある。イタリアの1段鍵盤タイプの楽器など
白=象牙 / 牛骨、黒=黒檀のことが多い
一説によれば、女性奏者の指先を美しく見せるため?
3). なぜチェンバロには上下2段の鍵盤なのか
1段鍵盤の楽器も多い( ルッカース一族製作の楽器、たとえばヴァルヒャが「平均律クラヴィーア」録音で使用したような歴史的楽器とか )
ソロとテュッティの交替をひとりの奏者で表現できる
上の鍵盤は張り方の違いと爪の位置のちがいで「軽く」響く
リクエストのヴァルヒャの音源では、モダンチェンバロ( アンマーチェンバロ )を使用している。「イギリス組曲 第3番 BWV. 808 」前奏曲
この演奏では、16 フィート弦や鍵盤連結を使用してオルガンのような重厚さを強調している
4). ヴァージナルは、狭義には箱型小型チェンバロで、英国で流行した
通常の大型チェンバロは、フリューゲル[ 翼型 ]タイプと呼ばれる、独の大型楽器は先端が「丸く」なっているものもあり
ホグウッドの音源でバードの小品「この道を通りゆく人は」
5). ピアノと弾くときとチェンバロを弾くときのちがいは、ピアノが弾ければチェンバロも弾けるのか?
ピアノ=打弦楽器、チェンバロ=撥弦楽器
はい、ともいいえ、とも答えられる
求められる技術が異なるから
鍵盤のタッチは比較的軽い、幅[ と奥行き ]はピアノより狭い
鍵盤連結するとタッチはその分重くなる
スコット・ロスの音源でD. スカルラッティ「ソナタ ト長調 K. 13」
6). 強弱をつけられないチェンバロでの演奏はどのようにしているのか
弦を弾くタイミングをずらす、鍵盤を連結する、鍵盤交替するなど
リクエスト:ユゲット・ドレフュスの音源によるバッハ「平均律 第1巻 22番」の前奏曲
7). チェンバロの場合、ミーントーンを含め、調律の種類がひじょうに多い
ギターやヴァイオリン奏者と同様、調律は演奏者自身がする
リサイタルの場合は専属の調律師に頼む場合もある
プレクトラムが折れる、弦が切れるというトラブルもまれにある
8). チェンバロのための現代作品はけっこう多い
武満徹、リゲティ、ラッター、グラス、フランセなど
リクエスト:F. クープラン「神秘な防壁」[ 生演奏 ]
… 願わくば再放送を希望。あるいは次回はオルガン特番にしてほしいです。ちなみに仏語のクラヴサン clavecin は、原型になった古楽器 clavicymbalum から派生したもので、クラヴィ+シンバルだそうです。なるほど。チェンバロはもちろん伊語の clavicembalo の独語読みで、どっちもクラヴィチェンバルム clavicembalum[ 鍵盤で弾くツィンバロム ]から派生した呼び名になります。そういえば「モダンチェンバロ」についての言及もあったけれども、'70 年代の「イージーリスニング」ものにはモダンチェンバロ、ないしは「プリペアド・チェンバロ」とでも言うべき改造楽器がやたら演奏に加わっていたような記憶がある。前にも書いたけど、たとえばポール・モーリアなんかがそうですよね(「恋はみずいろ」など )。
先週はこのようにチェンバロづくし、松川さんも「チェンバロの響きは朝にふさわしい!」みたいなことをおっしゃっていて、なるほどたしかにそうかもと思ったり。こう暑いと( 苦笑 )、いくら無類のオルガン音楽好きでもワンワン響くオルガンよりすっと減衰する心地よいチェンバロの響きのほうが精神的にもいいかもです。ヴァルヒャの2度目の「平均律クラヴィーア」の音源もあることだし、週末の朝にでも全曲、聴いてみようかと思う、今日このごろ[ * 2016 年 3 月の再放送を聴取しての加筆訂正あり ]。
自分も放送を聴取して、いま一度この楽器の仕組みを再確認したところです … まず2段鍵盤楽器の場合、下の鍵盤がメインで、いわば典型的なチェンバロらしい音を響かせる鍵盤、上のは弦を弾く「爪[ プレクトラム ]」の位置がより端に近いため、下の鍵盤に比べて「軽め」の音が出るようになってます。いずれもオルガンのフィート律で言うところの「8フィート」弦ですが、下の鍵盤にはもうひとつ弦が張ってあり、こちらはオクターヴ高い4フィート弦が張ってある … つまり、ぜんぶで三種類の弦が張ってある、ということになります。鍵盤の両脇にはスライダーのつまみがついていて、これでどの弦を鳴らすかを決める( オルガンで言うストップ / レジスター )。もうひとつ音色を変える機構として、「リュートストップ / バフストップ」という仕掛けがあり、これは弦にフェルトを押し当てて「こもった」ような響きに変えるもの。ポロンポロンと、ハープみたいなやさしい音が出ます。なんでこういうことをするかと言えば、ピアノみたいに切れ目なく音量を上げたり減らしたりができないから。いわゆるデュナーミクの表現については、チェンバロの発想法はオルガンのそれとほぼおなじものと言っていいと思う。つまり鍵盤交替、カプラーによる鍵盤連結による、「階段式」の強弱の付け方、もしくは「陰影の付け方」とでも言うべきか。大塚先生によれば、じつは指先の微調整でもクラヴィコードみたいに音が微妙に変わるんだとか。上の鍵盤を押しこむと、下の鍵盤と連動する( カプラー )ので、イタリア様式の合奏協奏曲のような、「ソロ」と「テュッティ」の擬似効果が生まれる。バッハの「イタリア協奏曲 BWV. 971 」は、まさにそのような2段鍵盤チェンバロ特有の表現を前提にして書かれている( から、ほんらいはピアノでは弾けないはず。ただしグールドの演奏は好きだが )。
個人的には水曜放送分の西山まりえさんとのやりとりがおもしろかった。とくに「ミーントーン[ 中全音律 ]」話とか … ミーントーンで盛り上がるおふたりの会話を聞いてると、まるで音大生どうしのコアな会話を立ち聞きしているような気がする( 笑 )。さらには西山さんの持ちこんだイタリア様式1段鍵盤楽器は、低音部がいわゆる分割鍵盤、ブロークンオクターヴの楽器だった。なんでもレの半音の上にさらにキーが乗っかってるんだそうだ … マジで弾きにくそう( 苦笑 )。
通奏低音についてのおふたりの話( と実演 )もすこぶる興味深かったんですが、なんと言っても熱燗だったのが、即興演奏。ドレミファ 〜 長調で即興を披露した大塚氏に対し、西山氏はおなじような音型を短調で弾いて即興を披露。「バッハが遠隔転調したあと、どうやってもどってくるのか、わかるようになる気がする」とかなんとか、即興演奏ができるようになるとそんなことも「見えて」くるのか 〜 と、脱帽状態、いや脱力状態か( 分割鍵盤のレの半音のそのまた上の鍵の音も出していた )。一度でいいからそんなカッコいいこと言ってみたいものだ。
最終日はおなじみ松川梨香さんと。松川さんは実物に触るのがはじめてだったようで、キーを押すと弦を弾く、あの独特な感覚を体感して感激していたようす。以下、視聴者からの質問コーナーに寄せられた質問に答えつつ進行:
1). チェンバロケースの装飾について
17−18 世紀、貴族の時代から市民階級の時代へと移るとともに、きらびやかな装飾から質実剛健な外観へと変わっていった。イタリアの1段鍵盤タイプは白木のまま、フレンチタイプは華やかな装飾、とくに「シノワズリ」などの東洋風趣味な装飾ケースが流行ったりした
トレヴァー・ピノックの音源でヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」
2). 鍵盤の色が黒白逆なのは?
現代ピアノのようなタイプもけっこうある。イタリアの1段鍵盤タイプの楽器など
白=象牙 / 牛骨、黒=黒檀のことが多い
一説によれば、女性奏者の指先を美しく見せるため?
3). なぜチェンバロには上下2段の鍵盤なのか
1段鍵盤の楽器も多い( ルッカース一族製作の楽器、たとえばヴァルヒャが「平均律クラヴィーア」録音で使用したような歴史的楽器とか )
ソロとテュッティの交替をひとりの奏者で表現できる
上の鍵盤は張り方の違いと爪の位置のちがいで「軽く」響く
リクエストのヴァルヒャの音源では、モダンチェンバロ( アンマーチェンバロ )を使用している。「イギリス組曲 第3番 BWV. 808 」前奏曲
この演奏では、16 フィート弦や鍵盤連結を使用してオルガンのような重厚さを強調している
4). ヴァージナルは、狭義には箱型小型チェンバロで、英国で流行した
通常の大型チェンバロは、フリューゲル[ 翼型 ]タイプと呼ばれる、独の大型楽器は先端が「丸く」なっているものもあり
ホグウッドの音源でバードの小品「この道を通りゆく人は」
5). ピアノと弾くときとチェンバロを弾くときのちがいは、ピアノが弾ければチェンバロも弾けるのか?
ピアノ=打弦楽器、チェンバロ=撥弦楽器
はい、ともいいえ、とも答えられる
求められる技術が異なるから
鍵盤のタッチは比較的軽い、幅[ と奥行き ]はピアノより狭い
鍵盤連結するとタッチはその分重くなる
スコット・ロスの音源でD. スカルラッティ「ソナタ ト長調 K. 13」
6). 強弱をつけられないチェンバロでの演奏はどのようにしているのか
弦を弾くタイミングをずらす、鍵盤を連結する、鍵盤交替するなど
リクエスト:ユゲット・ドレフュスの音源によるバッハ「平均律 第1巻 22番」の前奏曲
7). チェンバロの場合、ミーントーンを含め、調律の種類がひじょうに多い
ギターやヴァイオリン奏者と同様、調律は演奏者自身がする
リサイタルの場合は専属の調律師に頼む場合もある
プレクトラムが折れる、弦が切れるというトラブルもまれにある
8). チェンバロのための現代作品はけっこう多い
武満徹、リゲティ、ラッター、グラス、フランセなど
リクエスト:F. クープラン「神秘な防壁」[ 生演奏 ]
… 願わくば再放送を希望。あるいは次回はオルガン特番にしてほしいです。ちなみに仏語のクラヴサン clavecin は、原型になった古楽器 clavicymbalum から派生したもので、クラヴィ+シンバルだそうです。なるほど。チェンバロはもちろん伊語の clavicembalo の独語読みで、どっちもクラヴィチェンバルム clavicembalum[ 鍵盤で弾くツィンバロム ]から派生した呼び名になります。そういえば「モダンチェンバロ」についての言及もあったけれども、'70 年代の「イージーリスニング」ものにはモダンチェンバロ、ないしは「プリペアド・チェンバロ」とでも言うべき改造楽器がやたら演奏に加わっていたような記憶がある。前にも書いたけど、たとえばポール・モーリアなんかがそうですよね(「恋はみずいろ」など )。
先週はこのようにチェンバロづくし、松川さんも「チェンバロの響きは朝にふさわしい!」みたいなことをおっしゃっていて、なるほどたしかにそうかもと思ったり。こう暑いと( 苦笑 )、いくら無類のオルガン音楽好きでもワンワン響くオルガンよりすっと減衰する心地よいチェンバロの響きのほうが精神的にもいいかもです。ヴァルヒャの2度目の「平均律クラヴィーア」の音源もあることだし、週末の朝にでも全曲、聴いてみようかと思う、今日このごろ[ * 2016 年 3 月の再放送を聴取しての加筆訂正あり ]。
2015年07月13日
「1」と「 96 」な話
1). 先週の「古楽の楽しみ」は「バッハの6つのパルティータ」特集。この「パルティータ」は 1726 年の「第1番」以降、最後の「6番」まで順次出版されたのち、 1731 年に合本されて「クラヴィーア練習曲集 第1巻」として出版されたもので、フォルケルとかの伝記作者によると、売れ行きは芳しくなかったとか、そんなことが書いてあったように思う。ところがあにはからんや、最近の研究ではそんなことはなくて、むしろ逆だった、という磯山先生のお話を聞きまして、作品そのものよりそっちのほうが気になってしまった( 苦笑 )。
考えてみれば、大バッハほどことおカネに関しては超がつくほどの合理主義者、贈られた赤ワインの瓶が破損して中身がほとんどなくなったのを悔やんで贈り主にその恨み節を私信にしたためるほどの人( おなじくワイン好きだから、気持ちは痛いほどわかるけれども )。そんな締まり屋バッハ氏なので、記念すべき「作品番号1」の曲集が売れなかったら、以後、きっぱりとこのような venture には乗り出さなかったはず。「作品番号1」の売上げがよかったからこそ、これに気をよくして(?)二匹目のナントカを狙ったわけだし(オルガン作品では、「6つのシュープラーコラール集」が好評だったようです )。
チェンバロつながりでは、先週、こちらの番組でも「イタリア協奏曲 BWV. 971 」が取り上げられて、しかもゲストがあのふかわりょうさんでしたが、これと「フランス風序曲 BWV. 831 」が組み合わされて「クラヴィーア練習曲集 第2巻( 1735 )」となって出版されてますね。番組では、チェンバロ特有の機構や仕掛け( 上と下の鍵盤を連動させるカプラーやストップなど )もわかりやすく紹介されていたので、はじめてこの楽器を知ったという向きにはなかなか興味深かったんじゃないかしら( ついでに、地元紙夕刊に連載中の「楽器万華鏡」は、すこぶるおもしろい企画 !! )。
2). 話いきなり変わって、いま、縁あって鴻巣友季子先生による『風と共に去りぬ』のフレッシュなもぎたて新訳を読んでます。で、南北戦争時代 … とくると、個人的にどうしても亡霊のごとく甦ってくるものが ↓
ところがこれ、「事実は小説よりも奇なり」でして、なんとなんとサウスカロライナ州にある「町の名前」、地名だったという前代未聞、驚愕のオチつき。この「真実」を通報したのがいまは亡き SF 翻訳の第一人者、矢野徹先生と、キャンベル本の翻訳者、飛田茂雄先生だった。矢野先生は、この事実を Encyclopedia Americana で突き止めたんだそうです。え、アメリカーナ ?? あらそれだったらいつも行ってる図書館にもあるわってんで、さっそく該当箇所を複写。
で、「プリンス・ジョージ砦[ いまはダム湖の下 ]から 96 マイル」というのは、どうもこちらの Wikipedia 記事によると根拠なし、ということのようですが、とにかくここが 2000 年時点で人口 1,936 人の風光明媚な町で、独立戦争時代のわりと有名な戦場史跡が点在するところ、ということはよくわかる。とはいえ原著者の書き方だって意地が悪い。なんでスペルアウトしてないのかな? もっともこの引用箇所は北軍兵士の従軍日記からの孫引用なので、もとがそう表記されていたのかもしれない( その可能性が高い )。
3). … とそんな折も折、あの「ソーラー・インパルス2」、名古屋空港から離陸して5日間の連続飛行ののち、ぶじハワイに到着したみたいで、なによりでした( でもこんどはこういう問題が … )。そして、こんなニュースも飛びこんできた。こちらは「作品番号1」ではなくて、文字どおり「一番乗り」争いなんですが、おなじ争うんならこういう競争のほうがはるかにいいに決まってます。「ソーラー・インパルス2」の偉大な挑戦といい、「Eファン」といい … 翻って日本は? … 波力発電に関しては、たとえばこんなのもありますし、英国コーンウォールのこの巨大実験施設なんかどうですか。リンク先の会社の開発した発電装置も含めた計 60 基の再生可能エネルギー発電機をつないで、10 MW の発電実験を行うとか。これは約1万世帯分を賄える発電量らしいです … というわけで、「1」と「 96 」にまつわるヨタ話でした。お後がよろしいようで。
* ... 緯度ではなくて、「西経 96 度」なら、テキサス州とかミネソタ州など平原部の各州を通過するからあり得ると言えばあり得るかも。ついでに Google マップで調べたら、246、248、34 号線ならあった。
考えてみれば、大バッハほどことおカネに関しては超がつくほどの合理主義者、贈られた赤ワインの瓶が破損して中身がほとんどなくなったのを悔やんで贈り主にその恨み節を私信にしたためるほどの人( おなじくワイン好きだから、気持ちは痛いほどわかるけれども )。そんな締まり屋バッハ氏なので、記念すべき「作品番号1」の曲集が売れなかったら、以後、きっぱりとこのような venture には乗り出さなかったはず。「作品番号1」の売上げがよかったからこそ、これに気をよくして(?)二匹目のナントカを狙ったわけだし(オルガン作品では、「6つのシュープラーコラール集」が好評だったようです )。
チェンバロつながりでは、先週、こちらの番組でも「イタリア協奏曲 BWV. 971 」が取り上げられて、しかもゲストがあのふかわりょうさんでしたが、これと「フランス風序曲 BWV. 831 」が組み合わされて「クラヴィーア練習曲集 第2巻( 1735 )」となって出版されてますね。番組では、チェンバロ特有の機構や仕掛け( 上と下の鍵盤を連動させるカプラーやストップなど )もわかりやすく紹介されていたので、はじめてこの楽器を知ったという向きにはなかなか興味深かったんじゃないかしら( ついでに、地元紙夕刊に連載中の「楽器万華鏡」は、すこぶるおもしろい企画 !! )。
2). 話いきなり変わって、いま、縁あって鴻巣友季子先生による『風と共に去りぬ』のフレッシュなもぎたて新訳を読んでます。で、南北戦争時代 … とくると、個人的にどうしても亡霊のごとく甦ってくるものが ↓
During the night crossed the railroad above 96, ...これは米国奴隷制度を社会史的に考察した本の一節で、ここを訳者先生はなんと「夜の間に約 96 以上の鉄道を横切り」とやっていた。さる雑誌の人気連載だった翻訳批評の俎上に載せられ、評者先生は「ルートナンバーとばかり思っていた」、そして念のため同僚のネイティヴの先生にも訊いてみたら、「緯度のはずないしね」。*
ところがこれ、「事実は小説よりも奇なり」でして、なんとなんとサウスカロライナ州にある「町の名前」、地名だったという前代未聞、驚愕のオチつき。この「真実」を通報したのがいまは亡き SF 翻訳の第一人者、矢野徹先生と、キャンベル本の翻訳者、飛田茂雄先生だった。矢野先生は、この事実を Encyclopedia Americana で突き止めたんだそうです。え、アメリカーナ ?? あらそれだったらいつも行ってる図書館にもあるわってんで、さっそく該当箇所を複写。
NINETY SIX, town, South Carolina, in Greenwood County, seven miles east of Greenwood. Its industries include the manufacture of bricks, lumber, textiles, and cottonseed oil.当時、日本初の ISP の IIJ もなにもなかったバブル絶頂期、リゾート法なる天下の悪法のもとゴルフ場が乱立し「地上げ屋」が横行していたそんな時代、この手の調べ物をするにはたとえば都内の大型書店にて「全米自動車地図」とか、そういうのを立ち読みするとか国会図書館に行くとか大使館に訊くしか方法がなかった。足で稼ぐ調べ物はキホンとはいえ、やっぱり家に居ながらにしてすすっと答えが引き出せちゃうネット( と Google や Wikipedia など )は、やはりありがたいかぎり、ではある( 玉石混交なんでもありの無法地帯とはいえ )。
The original settlement was made by Capt. John Francis about 1730, and the village which grew up took its name from being 96 miles from Fort Prince George on the Keowee River. During the Revolutionary War the British established a stronghold at nearby Star Fort, which in May and June of 1781 was besieged without success by Gen. Nathanael Greene. After the arrival of British reinforcements, the siege was raised : but on June 29 the British abandoned the fort and retired to the coast.
With the building of the railroad in 1855, the village was moved about two miles away from its original location, now called Site of Old Ninety Six. In 1940, nearby Lake Greenwood, whose shores form Greenwood State Park, was created by the completion of Buzzard Roost Dam on the Sadula River. Pop. 1, 435.
―― from Encyclopedia Americana, ver. 1966, pp. 367−8.
で、「プリンス・ジョージ砦[ いまはダム湖の下 ]から 96 マイル」というのは、どうもこちらの Wikipedia 記事によると根拠なし、ということのようですが、とにかくここが 2000 年時点で人口 1,936 人の風光明媚な町で、独立戦争時代のわりと有名な戦場史跡が点在するところ、ということはよくわかる。とはいえ原著者の書き方だって意地が悪い。なんでスペルアウトしてないのかな? もっともこの引用箇所は北軍兵士の従軍日記からの孫引用なので、もとがそう表記されていたのかもしれない( その可能性が高い )。
3). … とそんな折も折、あの「ソーラー・インパルス2」、名古屋空港から離陸して5日間の連続飛行ののち、ぶじハワイに到着したみたいで、なによりでした( でもこんどはこういう問題が … )。そして、こんなニュースも飛びこんできた。こちらは「作品番号1」ではなくて、文字どおり「一番乗り」争いなんですが、おなじ争うんならこういう競争のほうがはるかにいいに決まってます。「ソーラー・インパルス2」の偉大な挑戦といい、「Eファン」といい … 翻って日本は? … 波力発電に関しては、たとえばこんなのもありますし、英国コーンウォールのこの巨大実験施設なんかどうですか。リンク先の会社の開発した発電装置も含めた計 60 基の再生可能エネルギー発電機をつないで、10 MW の発電実験を行うとか。これは約1万世帯分を賄える発電量らしいです … というわけで、「1」と「 96 」にまつわるヨタ話でした。お後がよろしいようで。
* ... 緯度ではなくて、「西経 96 度」なら、テキサス州とかミネソタ州など平原部の各州を通過するからあり得ると言えばあり得るかも。ついでに Google マップで調べたら、246、248、34 号線ならあった。
2015年05月11日
「 B-A-C-H 音型」いろいろ
先日放送の「クラシックの迷宮」。言わずと知れた、故吉田秀和氏の「名曲の楽しみ」の後を引き継ぐかたちで始まったこの番組、案内役の片山杜秀さんの軽妙洒脱かつ幅広い知識・薀蓄いっぱいの楽しい解説( と、ときおり聞こえる鍵盤ハーモニカ )がいつもおもしろいんですが、今回のテーマ( フーガふうに言えば、主題 )は、ずばり「 B-A-C-H 音型」。
のっけのショスタコーヴィチ「交響曲 第10番 ホ短調 作品 93 」3楽章以降には、「 D-S[ Es ]-C-H 音型」なんてのが出てくるんですね! おなじくきのう E テレにて放映の「クラシック音楽館 / 第 1803 回N響定演」では有名な「5番」をやってましたが、ショスタコーヴィチも自身の「サイン」を作品に書きこんでいたとは。この作品は何回か聴いたことはあるけど、そういう事情があるとはつゆ知らず( > <;) 。
でも、つづいてかかったスヴェーリンクのオルガン作品(「幻想曲 SwWV. 273 」)にまで、なんと「B-A-C-H 音型」が出てくるとは !! こちらも寡聞にして知らず。で、片山さんは、先祖代々の音楽一家だったバッハ家のだれかさんと知り合いだったか、あるいはまったく偶然に、この「ふわふわとつかみどころのない」半音進行の妙というか、この半音音型のもつ可能性をおもしろく感じて曲に盛りこんだんじゃないかとか、そんな推測を披露してました。「サイン」つまり署名ということでは、シューマンのピアノ作品「アベッグ変奏曲」もそういう作品みたいです( シューマンの「 BACH による6つのフーガ」の「ヴィヴァーチェ」では、「いかにもシューマンらしい、ああでもないここでもない、オイオイどっちに行くんだ、いい意味でグダグダな音楽」という言い方には笑った)。
シューマンのつぎにかかったリストのオルガン作品のほうは、けっこう有名だからとくにどうということはなかったけれども( もちろんリストなんで、超絶技巧の塊みたいなとんでもない曲、ちなみにバッハつながりではこんな作品もあります )、驚いたのはプーランクの「バッハの名による即興的ワルツ」というピアノ小品。さすがプーランク! あの強面のカントル、バッハもかわいいアンナ奥さんと踊ってるような、そんな妄想が湧いてくるような洒落た作品です。プーランクつながりでは、おなじく日曜夜放送の「ブラボー! オーケストラ」のエンディングにかかるあの曲もじつはプーランクでして、「フランス組曲」の「シシリエンヌ」。音源は、たぶんこれだと思う。クラヴサンがチャンチャンと聴こえてくるあたりなんかとくに好き。でもリンク先記事によると、プーランクのオリジナルではなくて、一種の「編曲」ものなんですね。このあと「 B-A-C-H 音型」を使ってオルガン曲とか書いたのはレーガーとかブゾーニとかがつづくのは、片山さんの解説どおり。
プーランクの「 B-A-C-H 音型」は、片山さんに言わせれば、「ふたつの世界大戦にはさまれた時期、それまでの鷹揚で厚ぼったいロマン派から、ストラヴィンスキーの『バッハへ帰れ』のかけ声のもと、よりこざっぱりした、モダンで洒落た音楽」として書かれた一連の作品のひとつ[ またちょうどこの時代、いわゆる「新即物主義」がもてはやされたのも偶然ではないだろう]。つづくカゼッラの「バッハの名による2つのリチェルカーレ」も、「そんな野蛮なもの」。
ところが第二次大戦の影が迫ってきた 1930 年代になると、たとえばヴォーン・ウィリアムズの「交響曲 第4番 ヘ短調」のように、この ―― ワルツふうにも使われたりしたおなじ「 B-A-C-H 音型」が ―― こんどは「どこへ向かうのか定まらない不安、ないし強迫観念的に」、深刻度を増して使用される例が出てくる。この作品の4楽章後半、たたみかけるように出てくる「 B-A-C-H 音型」を聴いていると、たしかにあの当時に生きた欧州の人の言い知れぬ不安感、というか恐怖さえ感じられる。
シャルル・ケックランというフランスの作曲家の「バッハの名による音楽のささげもの」、これもはじめて耳にする「 B-A-C-H 音型」作品でした。片山さんによると、ナチスドイツ占領下、パッサカリアやコラールやフーガといったバッハ愛用の形式を使ってこつこつと作曲した作品。「20 世紀音楽の傑作であると思う」というコメント、まったくうなずくほかなし。ワタシはこの作品の抜粋を聴きまして、「 B-A-C-H 音型」それじたいよりも、バッハ音楽の持つ懐のとてつもない深さを感ぜずにいられない。フランス人ケックランが、当の敵国ドイツの大作曲家の名前を使ってこの作品を書いたというその事実だけでも、そのことを如実に物語っているではないか( ジョイスじゃないけど、真の芸術作品というのはそういうもの。あらゆる対立物のペアを超越する。くどいけれど、バッハ最晩年の大作「ロ短調ミサ BWV. 232 」が、その好例。だから、ルター派信仰のない日本人がバッハ作品に感動したってべつだん不思議なことでもなんでもないし、米国人青年が尺八に魅せられて来日して、尺八の師匠に弟子入りしたってちっともおかしくない。おかしいのは、「これは日本人でないと理解できない」、「外国人にはコラールが理解できない」という表面上の皮相なちがいだけで物事を判断するという愚のほう )。ケックランその人も、「 B-A-C-H 音型」に託して、切実に祈りつつ作曲の筆を進めていたにちがいない。おなじころ、吉田秀和氏は押入れに篭って、近所に音が漏れないよう蓄音機ごと座布団で覆って SP 盤を聴き、空襲のときは(「花子とアン」で、花子がでかい英英辞典と『赤毛のアン』原書を抱えて防空壕に避難したように )その SP 盤を抱えて防空壕に逃げこんでいた。
ケックランのこのバッハへのオマージュは、むしろいまを生きる人間こそ、居住まい正し、心して聴く必要のある作品なんじゃないかって思います( もっともこの音型じたいが内包する力というのも大きいとは思う。つまり、「不安と希望」のような相反する対立項を表現しやすい、という点において )。テロや戦争に対する言い知れない不安、強迫観念、不寛容、地に足つかず、ふわふわ漂って寄る辺ない感覚、温暖化など人間を取り巻く地球環境の変質 … そういう現代をこの「 B-A-C-H 」の4音はみごとに表出しているように感じる[ 注記:先日、再放送をあらためて聴取したので、元記事に若干の訂正を加えてあります ]。
のっけのショスタコーヴィチ「交響曲 第10番 ホ短調 作品 93 」3楽章以降には、「 D-S[ Es ]-C-H 音型」なんてのが出てくるんですね! おなじくきのう E テレにて放映の「クラシック音楽館 / 第 1803 回N響定演」では有名な「5番」をやってましたが、ショスタコーヴィチも自身の「サイン」を作品に書きこんでいたとは。この作品は何回か聴いたことはあるけど、そういう事情があるとはつゆ知らず( > <;) 。
でも、つづいてかかったスヴェーリンクのオルガン作品(「幻想曲 SwWV. 273 」)にまで、なんと「B-A-C-H 音型」が出てくるとは !! こちらも寡聞にして知らず。で、片山さんは、先祖代々の音楽一家だったバッハ家のだれかさんと知り合いだったか、あるいはまったく偶然に、この「ふわふわとつかみどころのない」半音進行の妙というか、この半音音型のもつ可能性をおもしろく感じて曲に盛りこんだんじゃないかとか、そんな推測を披露してました。「サイン」つまり署名ということでは、シューマンのピアノ作品「アベッグ変奏曲」もそういう作品みたいです( シューマンの「 BACH による6つのフーガ」の「ヴィヴァーチェ」では、「いかにもシューマンらしい、ああでもないここでもない、オイオイどっちに行くんだ、いい意味でグダグダな音楽」という言い方には笑った)。
シューマンのつぎにかかったリストのオルガン作品のほうは、けっこう有名だからとくにどうということはなかったけれども( もちろんリストなんで、超絶技巧の塊みたいなとんでもない曲、ちなみにバッハつながりではこんな作品もあります )、驚いたのはプーランクの「バッハの名による即興的ワルツ」というピアノ小品。さすがプーランク! あの強面のカントル、バッハもかわいいアンナ奥さんと踊ってるような、そんな妄想が湧いてくるような洒落た作品です。プーランクつながりでは、おなじく日曜夜放送の「ブラボー! オーケストラ」のエンディングにかかるあの曲もじつはプーランクでして、「フランス組曲」の「シシリエンヌ」。音源は、たぶんこれだと思う。クラヴサンがチャンチャンと聴こえてくるあたりなんかとくに好き。でもリンク先記事によると、プーランクのオリジナルではなくて、一種の「編曲」ものなんですね。このあと「 B-A-C-H 音型」を使ってオルガン曲とか書いたのはレーガーとかブゾーニとかがつづくのは、片山さんの解説どおり。
プーランクの「 B-A-C-H 音型」は、片山さんに言わせれば、「ふたつの世界大戦にはさまれた時期、それまでの鷹揚で厚ぼったいロマン派から、ストラヴィンスキーの『バッハへ帰れ』のかけ声のもと、よりこざっぱりした、モダンで洒落た音楽」として書かれた一連の作品のひとつ[ またちょうどこの時代、いわゆる「新即物主義」がもてはやされたのも偶然ではないだろう]。つづくカゼッラの「バッハの名による2つのリチェルカーレ」も、「そんな野蛮なもの」。
ところが第二次大戦の影が迫ってきた 1930 年代になると、たとえばヴォーン・ウィリアムズの「交響曲 第4番 ヘ短調」のように、この ―― ワルツふうにも使われたりしたおなじ「 B-A-C-H 音型」が ―― こんどは「どこへ向かうのか定まらない不安、ないし強迫観念的に」、深刻度を増して使用される例が出てくる。この作品の4楽章後半、たたみかけるように出てくる「 B-A-C-H 音型」を聴いていると、たしかにあの当時に生きた欧州の人の言い知れぬ不安感、というか恐怖さえ感じられる。
シャルル・ケックランというフランスの作曲家の「バッハの名による音楽のささげもの」、これもはじめて耳にする「 B-A-C-H 音型」作品でした。片山さんによると、ナチスドイツ占領下、パッサカリアやコラールやフーガといったバッハ愛用の形式を使ってこつこつと作曲した作品。「20 世紀音楽の傑作であると思う」というコメント、まったくうなずくほかなし。ワタシはこの作品の抜粋を聴きまして、「 B-A-C-H 音型」それじたいよりも、バッハ音楽の持つ懐のとてつもない深さを感ぜずにいられない。フランス人ケックランが、当の敵国ドイツの大作曲家の名前を使ってこの作品を書いたというその事実だけでも、そのことを如実に物語っているではないか( ジョイスじゃないけど、真の芸術作品というのはそういうもの。あらゆる対立物のペアを超越する。くどいけれど、バッハ最晩年の大作「ロ短調ミサ BWV. 232 」が、その好例。だから、ルター派信仰のない日本人がバッハ作品に感動したってべつだん不思議なことでもなんでもないし、米国人青年が尺八に魅せられて来日して、尺八の師匠に弟子入りしたってちっともおかしくない。おかしいのは、「これは日本人でないと理解できない」、「外国人にはコラールが理解できない」という表面上の皮相なちがいだけで物事を判断するという愚のほう )。ケックランその人も、「 B-A-C-H 音型」に託して、切実に祈りつつ作曲の筆を進めていたにちがいない。おなじころ、吉田秀和氏は押入れに篭って、近所に音が漏れないよう蓄音機ごと座布団で覆って SP 盤を聴き、空襲のときは(「花子とアン」で、花子がでかい英英辞典と『赤毛のアン』原書を抱えて防空壕に避難したように )その SP 盤を抱えて防空壕に逃げこんでいた。
ケックランのこのバッハへのオマージュは、むしろいまを生きる人間こそ、居住まい正し、心して聴く必要のある作品なんじゃないかって思います( もっともこの音型じたいが内包する力というのも大きいとは思う。つまり、「不安と希望」のような相反する対立項を表現しやすい、という点において )。テロや戦争に対する言い知れない不安、強迫観念、不寛容、地に足つかず、ふわふわ漂って寄る辺ない感覚、温暖化など人間を取り巻く地球環境の変質 … そういう現代をこの「 B-A-C-H 」の4音はみごとに表出しているように感じる[ 注記:先日、再放送をあらためて聴取したので、元記事に若干の訂正を加えてあります ]。
2015年04月18日
ハイドンと「笛時計」と「リラ・オルガニザータ」
今週の「古楽の楽しみ」は「古楽としてのハイドン」と題して、パパ・ハイドンの 10代のころの作品とか、いまではその名さえも聞かない「死んだ楽器」のために書かれた作品とか盛りだくさんの内容。器楽もよかったけれども、たとえば「サルヴェ・レジーナ ホ長調 Hob. 23b−1 」は、合唱がなんとあのテルツの音源でして( ちょこっと調べたらかなり古そうなので、たぶん廃盤 )、はじめて聴いたので新鮮この上ない。なんでも 1756 年、というからかのアマデウス・モーツァルト誕生の年に作曲したもののようで、ハイドン 24 歳、いわゆる「疾風怒濤期」あたりの作品らしい( ついでにハイドンって、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハとおない年なんですって )。しかも !! こちらのブログ記事によりますと、この作品をハイドンのペンに書かせたのはなんと失恋事件 ?! 意中の人が修道女になってしまい、それでなのか「あめのきさき」、マリアさんに捧げる声楽作品を書いたんだとか。またハイドンの「サルヴェ・レジーナ」は、あともう一曲あるようです( 1771 年 )。テルツ、とは言っても、聴いた感じソプラノソロが多くて、少年合唱は完全な脇役、ってところでしたが。
それにも増してびっくりだったのは、若かりしパパ・ハイドンが、当時流行っていた「自動演奏楽器」のための作品を残していること。お題の「笛時計」というのは、モーツァルトの「幻想曲 ヘ短調 K. 608 」、「小ジーグ K. 574 」なんかの作品がそうなんですが、ようするにからくり仕掛けの自動演奏オルガン。オルゴールの元祖みたいな楽器で、当時は金持ちの家とかにけっこうあったそうなんです。で、当時金持ちならぬ金欠だったモーツァルト氏、この「自動楽器」のための作品を書いてくれと頼まれて、しぶしぶ(?)引き受けた、ということは前にも書きました。ふぅ〜ん、ハイドン先生も書いていたのかあ。小遣い稼ぎ( ?? )にはちょうどよかったかもね( おなじく金欠症の人 )。かかったのは、「ヴィヴァーチェ ハ長調 Hob. 19−13( リンク先ページにはつぎの曲も収録されてます ) 」と「メヌエット ハ長調 Hob. 19−14 」。おそらく2フィートフルート管であろう、口笛みたいな愛らしい音色がころころ転がっていくような作品でした。オルガンつながりでは、コープマンの弾き振りによる音源もかかってました(「オルガン協奏曲 ハ長調 Hob. 18−1」)。「小ミサ Hob. 22−1 」という小品もかかりましたが、作曲したのは 17 歳! のときだそうです。メンデルスゾーンなんか中坊のころに( 失礼 )すでに弦楽合奏のための一連の作品を書いてるし、バッハだってパッヘルベルとかベームとか筆写したりコラール前奏曲を書いてるし、驚くほどのことではないのでしょうけれども … って念のためいま調べたら、この小ミサ、すでに聴いていたという … 。
さらに、バッハもそうだったけれども、ハイドンもまた、当時発明されていたヘンテコな楽器のためにも作品を書いていた ――「2つのリラ・オルガニザータのための協奏曲 ト長調 Hob. 7h−3 」が、それ。こちらは 1786 年ごろ、ときのナポリ王フェルディナンド4世の依頼で作曲したとか。「リラ・オルガニザータ Lira organizzata 」というのは、磯山先生によると、「鍵盤で弾くハーディ・ガーディ」だそうで … なんと珍妙な楽器 !!! と門外漢は思ってしまふのでした … で、期待して音源を聴いてみたら、「フルート2本で代用」した音源でした orz → 関連ブログ記事。
話が前後するけれど、「サルヴェ・レジーナ」の収録された音源には「ミサ 『スント・ボナ・ミクスタ・マリス』」という作品も入っていて、これは 1983 年、北アイルランドの田舎家の屋根裏部屋(!)から、『フィネガンズ・ウェイク』に出てくる ALP の手紙をゴミ溜めの山から掘り出す雌鶏よろしく、サルヴェージされたというからまたびっくり。なんでまたそんなところに … ????
案内役の磯山先生のブログ記事をのぞいてみたら、
とあり、楽曲選定にはかなり苦労されたようです。ハイドン、とくると、いつだったか弟ミヒャエルの宗教声楽作品を聴いたことがあったような … たしか「名曲アルバム」だったような気がするけど。
それにも増してびっくりだったのは、若かりしパパ・ハイドンが、当時流行っていた「自動演奏楽器」のための作品を残していること。お題の「笛時計」というのは、モーツァルトの「幻想曲 ヘ短調 K. 608 」、「小ジーグ K. 574 」なんかの作品がそうなんですが、ようするにからくり仕掛けの自動演奏オルガン。オルゴールの元祖みたいな楽器で、当時は金持ちの家とかにけっこうあったそうなんです。で、当時金持ちならぬ金欠だったモーツァルト氏、この「自動楽器」のための作品を書いてくれと頼まれて、しぶしぶ(?)引き受けた、ということは前にも書きました。ふぅ〜ん、ハイドン先生も書いていたのかあ。小遣い稼ぎ( ?? )にはちょうどよかったかもね( おなじく金欠症の人 )。かかったのは、「ヴィヴァーチェ ハ長調 Hob. 19−13( リンク先ページにはつぎの曲も収録されてます ) 」と「メヌエット ハ長調 Hob. 19−14 」。おそらく2フィートフルート管であろう、口笛みたいな愛らしい音色がころころ転がっていくような作品でした。オルガンつながりでは、コープマンの弾き振りによる音源もかかってました(「オルガン協奏曲 ハ長調 Hob. 18−1」)。「小ミサ Hob. 22−1 」という小品もかかりましたが、作曲したのは 17 歳! のときだそうです。メンデルスゾーンなんか中坊のころに( 失礼 )すでに弦楽合奏のための一連の作品を書いてるし、バッハだってパッヘルベルとかベームとか筆写したりコラール前奏曲を書いてるし、驚くほどのことではないのでしょうけれども … って念のためいま調べたら、この小ミサ、すでに聴いていたという … 。
さらに、バッハもそうだったけれども、ハイドンもまた、当時発明されていたヘンテコな楽器のためにも作品を書いていた ――「2つのリラ・オルガニザータのための協奏曲 ト長調 Hob. 7h−3 」が、それ。こちらは 1786 年ごろ、ときのナポリ王フェルディナンド4世の依頼で作曲したとか。「リラ・オルガニザータ Lira organizzata 」というのは、磯山先生によると、「鍵盤で弾くハーディ・ガーディ」だそうで … なんと珍妙な楽器 !!! と門外漢は思ってしまふのでした … で、期待して音源を聴いてみたら、「フルート2本で代用」した音源でした orz → 関連ブログ記事。
話が前後するけれど、「サルヴェ・レジーナ」の収録された音源には「ミサ 『スント・ボナ・ミクスタ・マリス』」という作品も入っていて、これは 1983 年、北アイルランドの田舎家の屋根裏部屋(!)から、『フィネガンズ・ウェイク』に出てくる ALP の手紙をゴミ溜めの山から掘り出す雌鶏よろしく、サルヴェージされたというからまたびっくり。なんでまたそんなところに … ????
案内役の磯山先生のブログ記事をのぞいてみたら、
… しかしハイドンの初期は資料不足のため研究がまだ進んでおらず、真偽不明、年代不明の作品がたくさんあるばかりか、ジャンルも多岐にわたっている。作品表を調べるだけでも四苦八苦、という状態になりました。でも、やってよかったと思っています。なぜなら、その質の高さは並大抵のものではなく、平素あまり親しんでいなかったことを反省させられたからです。4日間を費やしても、ご紹介できたのは氷山のほんの一角でした。
とあり、楽曲選定にはかなり苦労されたようです。ハイドン、とくると、いつだったか弟ミヒャエルの宗教声楽作品を聴いたことがあったような … たしか「名曲アルバム」だったような気がするけど。
2015年03月20日
The Masks of BACH
いま、この特番を聴いてます。なんでも今年の今月 22 日は、日本でラジオ放送が始まって ―― つまり、「花子とアン」にも出てきた NHK の前身、あーあー、JOAK 東京放送局、デアリマス ―― 90 年の節目に当たるんだとか。で、当然のことながら、ラジオ放送のご本家である NHK では、木曜日あたりから「90 周年特集」がつづいてます。
最初、公式ページ見たときは ??? 、なぜにバッハのこの大曲、しかも「キリストの受難」をテーマにしたこの声楽作品を2時間の特番に、とか不審がっていたけれども、時期的にぴったりなこと( 来月3日が「聖金曜日」、つぎの日曜が「復活日( ルーテル教会での呼び方、ローマカトリックでは「復活の主日 )」)だし、このさいヘンな詮索はよそう、と心に決めて、虚心坦懐に聴取することにした。
まず番組のっけから、「マタイ」の分厚い冒頭部二重合唱とコラール。はじめてこの冒頭合唱「来たれ、娘たち、ともに嘆こう」の、定旋律コラール「おお神の仔羊よ、罪なく十字架につけられし汝 … 」を CD で聴いたとき、凛とした清々しささえ伴って、はるか天の高みからさっと光が差しこんできたかのようなこのすばらしい音楽に文字どおり圧倒されて涙腺崩壊状態に陥った。もともと少年合唱好き、というのもたぶんに影響しているとは思うけれども、この冒頭合唱だけですっかりシビれてしまったわけです。曲の後半は、磯山先生によると鋭いスタッカートで強調された音型が、「ごらんよ / いずこを / われらの罪を!」と、これはわれわれ自身の問題でもあるのだ、ということの再確認を促している。このへんの音楽の作り込みのすばらしさはさすが、としか言いようがない。
解説の磯山先生は、往年のマエストロ、オットー・クレンペラーによる「マタイ」ではじめてこの作品に触れたらしいですが、「合唱はまだですか?」と隣りから突っこまれるほど、ほんとテンポがやたら遅くて、悪く言えばもたついててヘンに重々しい。つぎにかかったリッカルド・シャイー音源ではクレンペラー盤の「2倍以上」の通勤快速ライナー並みで、こんどは速すぎてここにいる門外漢はついていけない( 苦笑 )。ワタシは 2007 年2月、ドレスデン十字架合唱団による「マタイ」実演に接しているけれど、あのときはシャイーさんほどにはやたらせかせかしてなくて、クレンペラーとシャイーのちょうど中間のテンポだったと思う。
そして、なにをいまごろって思われる人もいるでしょうけれども … 「最後の晩餐」場面に出てくる宗教詩人パウル・ゲルハルト作コラール「おお俗世よ、おまえの生活を見よ( 1647 ) 第5節」って、あれもともとの「原曲」が、あのハインリッヒ・イザークの超がつくほど有名な「インスブルックよ、さようなら」だったんですねぇ! あらためて聴き比べてみると( 原曲とコラールがつづけてかかった )、なるほど、たしかにこれは「インスブルック」でした orz
おなじゲルハルトの「おお、御頭は血潮にまみれ( 1656 )」の有名なコラールもかかってました。こちらはいぞや書いたけれども、ルネサンス期に流行っていたという、ハンス・レオ・ハスラーの「恋わずらひ」の世俗歌曲「わが心は千々に乱れ」が原曲です( リンクは、出来心で初音ミク版にしてみました )。
なんか重いですよねー、やっぱり、とか出演者が言っていると( 「受難曲」ですからね … )、でも後半にはかすかながら希望の光も見えてきます、みたいなことを磯山先生が述べて、有名なアルトのアリア「憐れみたまえ、わが神よ」や、バスのアリア「わが心よ、己を清めよ」がかかりました( たしかこちらは3年前に逝去したフィッシャー−ディースカウの音源でした )。ちなみにワタシは、これまた往年のアーノンクール / レオンハルトによる「教会カンタータ大全集」の、ウィーン少年合唱団( WSK )のソリストくんが歌った「愛ゆえに、わが救い主は死にたまわんとす」が大好きで、これが入った「聖なる歌声 / ボーイ・ソプラノ・バッハ」でよく聴いてました。第2次世界大戦直前のオランダでの録音( これまた往年のメンゲルベルク盤 )など、歴史的音源がいくつかかかったこともあり、途中からもと NHK の録音技師( だったかな )の方が入ってきて、当時の録音技術といまのデジタル全盛時代の録音とのちがいなどを話してました。まあたしかにいまは、「何百曲もポケットに入れて持ち歩ける」時代ですね、いいんだか、悪いんだかはさておいて。
最終合唱の「われらは涙を流してうずくまった」。文字どおり駆け足的な感じではあったが、ゲスト一同「いやあ、やっぱり全曲聴かないとダメですね!」。まあなんでもそうだとは思うけれども、「食わず嫌い」は、ほんとうにもったいない。じつはいまさっき、当の磯山先生の「日記」を見つけたんですが、なるほど、薄氷を踏む思いだったんですな。でもワタシ思いますに、これ成功じゃないでしょうか。とくに「マタイ受難曲ってなに? バッハ ?? 」という向きにはぴったりだったと思う。
と、こんなこと書くと、「いいや、受難曲を正しく理解するにはクリスチャンでないと」とかいう反論も聞こえてきそうです。磯山先生自身、「バッハ音楽を聴くにはキリスト教の信仰は必要か?」という問題にずいぶん悩んだ、とある本に書いてます。
で、ここにいるしがない門外漢のワタシの卑見を述べさせていただければ、「信仰」は、あればそれに越したことないけれど、なくったって平気。このことはとくに番組後半で磯山先生が強調していたところでもある。以前、こんな拙記事書いたことがあるけど、「ロ短調ミサ」を書くにいたるバッハにとって、だれだれはローマカトリック、だれだれはルター派、というのはもはやどうでもよくなっていったように思えてしかたがない。ここんとこキャンベル本に入れこんでいるから、多少はその影響を受けているだろうけれども、真に天才的芸術家、というのは、ある到達点に達すると、そういう表面的皮相的な「くくり」は、必然的に突き抜けるものだと考える。キャンベル本に導かれるようにして接したジョイスやマンの小説作品だって、おんなじことが言えると思うな。バッハの、とくに最晩年の音楽は、そういう「組織宗教」云々を「超越」している。そこが、非キリスト教徒がほとんどの国民も感動できる最大の理由だと思いますね( とはいえ、イエスの受難物語くらいは知っていたほうがいい。できれば「共観福音書」と「ヨハネ」の該当箇所は読んでおいたほうがいい )。もっとも若かったときから、バッハの書く音楽にはかたじけなさ、神々しさが備わっていたのも疑う余地はない( ひとつ前の拙記事参照のこと )。これはたとえば、10 歳になるかならないかであいついで両親を失って孤児になったこと、ふたりの奥さんとのあいだに生まれた 20 人(!)の子どもも、成人したのは半分だけだったという事実からして、バッハにとって「死」は必然的に身近なものにならざるを得なかったことがほぼまちがいなく影響していると思う。
そして、どんな演奏スタイルになっても、やっぱりバッハはバッハなんである。ザ・スィングル・シンガーズにも、「マタイ」のアリア編曲があったんですね、こちらははじめて聴いた( と思う、「フーガの技法」の「12度転回対位法による原形主題と新主題の二重フーガ」は、聴いたことあるけど)。でも、いかに「変形」されても、バッハの音楽のもつ生命力は、いささかも失われていない。どころか、新しい「仮面」をかぶって、ますますその音楽のもつ力、エネルギーは増しているようにさえ思う。そういえば今週の「古楽の楽しみ」はおなじく磯山先生の担当でして、テーマは「バッハの管弦楽組曲」、で、マーラーが 1911 年に出版したという「管弦楽組曲」もかかってまして、こちらにもたいそう驚いた。これはバッハの「管弦楽組曲」の「2番」と「3番」から、有名な「アリア」や「バディヌリ(!)」など、5曲をまったくあらたにつなぎなおしたある意味ひじょうに野心的かつ大胆な試みでして、初演時は、なんとマーラー自身が「ピアノを改造したチェンバロ」を弾きながら指揮をしたんだとか。… いまみたいに TV 中継とかが当時あったのなら、ぜひ見たかったものだ。さぞ見ものだったでしょうに。
巷では『21 世紀の資本』が売れているらしい … そして、「解説本」と称する本もついでに売れているらしい。でもほんとうにそのものを知りたければ、そのものをとにかく全部、読むしかない。意味不明語の連続である『フィネガンズ・ウェイク』を読まされるわけじゃないし、前にここにちょこっと書いたけれども、すくなくとも「はじめに( 日本語版表記による。ワタシが目を通したのは英語版の Kindle 本[ 買ってはいない、立ち読みしているだけ ] )」数ページ読んだ感じとしては、「だれにでもわかる」ように書いてあります。もっとも「各論」に入れば、それなりにテクニカルなんでしょうけれども、英訳本の Introduction を読んだかぎりでは、カポーティや『赤毛のアン』を原文で読むよりはやさしい、と思った。今回の「特番」で、バッハの「マタイ」や、「ロ短調ミサ」などの宗教声楽作品に興味を抱かれた向きには、ぜひ全曲通して聴いてみることをおすすめします( 磯山先生のサイト経由で知ったけれども、明日、バッハの 330 回目の誕生日! に、大阪でこんなおもしろそうなオルガンリサイタルが開かるんですねぇ、ええなあ。いずみホールのオルガンは、デザインが古風でこれまたいいなあ。「グラントルグ」という表記法を使っているところから見ると、フランスの楽器みたいです。静岡駅前の AOI で、「バッハのオルガン作品全曲演奏会」みたいなことをやってくれたのなら、全曲聴きに行ったのに )。
追記:『21 世紀の資本』ついでに … きのうの地元紙朝刊紙面に、「ピケティブームの意味 / 経済観転換 必要性示す」と題されたコラムが載ってました。書いたのは佐伯啓思氏。結びに、「… 先進国はもはや成長を求め、物的富を追求し、さらにはカネをばらまくことで無理に富を生み出そうというような社会ではなくなっている。経済成長の追求に中軸をおいたわれわれの価値観を転換しなければならない。ピケティが述べているわけではないが、この本が暗示することは経済観の転換なのである」とありました。この分厚い本をきっちり読めば、おのずとこんな感想なり読後感を持つのがふつうなんじゃないでしょうか。この労作の評として、これほど的確に本質を言い当てているのはほかに見たためしなし。
最初、公式ページ見たときは ??? 、なぜにバッハのこの大曲、しかも「キリストの受難」をテーマにしたこの声楽作品を2時間の特番に、とか不審がっていたけれども、時期的にぴったりなこと( 来月3日が「聖金曜日」、つぎの日曜が「復活日( ルーテル教会での呼び方、ローマカトリックでは「復活の主日 )」)だし、このさいヘンな詮索はよそう、と心に決めて、虚心坦懐に聴取することにした。
まず番組のっけから、「マタイ」の分厚い冒頭部二重合唱とコラール。はじめてこの冒頭合唱「来たれ、娘たち、ともに嘆こう」の、定旋律コラール「おお神の仔羊よ、罪なく十字架につけられし汝 … 」を CD で聴いたとき、凛とした清々しささえ伴って、はるか天の高みからさっと光が差しこんできたかのようなこのすばらしい音楽に文字どおり圧倒されて涙腺崩壊状態に陥った。もともと少年合唱好き、というのもたぶんに影響しているとは思うけれども、この冒頭合唱だけですっかりシビれてしまったわけです。曲の後半は、磯山先生によると鋭いスタッカートで強調された音型が、「ごらんよ / いずこを / われらの罪を!」と、これはわれわれ自身の問題でもあるのだ、ということの再確認を促している。このへんの音楽の作り込みのすばらしさはさすが、としか言いようがない。
解説の磯山先生は、往年のマエストロ、オットー・クレンペラーによる「マタイ」ではじめてこの作品に触れたらしいですが、「合唱はまだですか?」と隣りから突っこまれるほど、ほんとテンポがやたら遅くて、悪く言えばもたついててヘンに重々しい。つぎにかかったリッカルド・シャイー音源ではクレンペラー盤の「2倍以上」の通勤快速ライナー並みで、こんどは速すぎてここにいる門外漢はついていけない( 苦笑 )。ワタシは 2007 年2月、ドレスデン十字架合唱団による「マタイ」実演に接しているけれど、あのときはシャイーさんほどにはやたらせかせかしてなくて、クレンペラーとシャイーのちょうど中間のテンポだったと思う。
そして、なにをいまごろって思われる人もいるでしょうけれども … 「最後の晩餐」場面に出てくる宗教詩人パウル・ゲルハルト作コラール「おお俗世よ、おまえの生活を見よ( 1647 ) 第5節」って、あれもともとの「原曲」が、あのハインリッヒ・イザークの超がつくほど有名な「インスブルックよ、さようなら」だったんですねぇ! あらためて聴き比べてみると( 原曲とコラールがつづけてかかった )、なるほど、たしかにこれは「インスブルック」でした orz
おなじゲルハルトの「おお、御頭は血潮にまみれ( 1656 )」の有名なコラールもかかってました。こちらはいぞや書いたけれども、ルネサンス期に流行っていたという、ハンス・レオ・ハスラーの「恋わずらひ」の世俗歌曲「わが心は千々に乱れ」が原曲です( リンクは、出来心で初音ミク版にしてみました )。
なんか重いですよねー、やっぱり、とか出演者が言っていると( 「受難曲」ですからね … )、でも後半にはかすかながら希望の光も見えてきます、みたいなことを磯山先生が述べて、有名なアルトのアリア「憐れみたまえ、わが神よ」や、バスのアリア「わが心よ、己を清めよ」がかかりました( たしかこちらは3年前に逝去したフィッシャー−ディースカウの音源でした )。ちなみにワタシは、これまた往年のアーノンクール / レオンハルトによる「教会カンタータ大全集」の、ウィーン少年合唱団( WSK )のソリストくんが歌った「愛ゆえに、わが救い主は死にたまわんとす」が大好きで、これが入った「聖なる歌声 / ボーイ・ソプラノ・バッハ」でよく聴いてました。第2次世界大戦直前のオランダでの録音( これまた往年のメンゲルベルク盤 )など、歴史的音源がいくつかかかったこともあり、途中からもと NHK の録音技師( だったかな )の方が入ってきて、当時の録音技術といまのデジタル全盛時代の録音とのちがいなどを話してました。まあたしかにいまは、「何百曲もポケットに入れて持ち歩ける」時代ですね、いいんだか、悪いんだかはさておいて。
最終合唱の「われらは涙を流してうずくまった」。文字どおり駆け足的な感じではあったが、ゲスト一同「いやあ、やっぱり全曲聴かないとダメですね!」。まあなんでもそうだとは思うけれども、「食わず嫌い」は、ほんとうにもったいない。じつはいまさっき、当の磯山先生の「日記」を見つけたんですが、なるほど、薄氷を踏む思いだったんですな。でもワタシ思いますに、これ成功じゃないでしょうか。とくに「マタイ受難曲ってなに? バッハ ?? 」という向きにはぴったりだったと思う。
と、こんなこと書くと、「いいや、受難曲を正しく理解するにはクリスチャンでないと」とかいう反論も聞こえてきそうです。磯山先生自身、「バッハ音楽を聴くにはキリスト教の信仰は必要か?」という問題にずいぶん悩んだ、とある本に書いてます。
で、ここにいるしがない門外漢のワタシの卑見を述べさせていただければ、「信仰」は、あればそれに越したことないけれど、なくったって平気。このことはとくに番組後半で磯山先生が強調していたところでもある。以前、こんな拙記事書いたことがあるけど、「ロ短調ミサ」を書くにいたるバッハにとって、だれだれはローマカトリック、だれだれはルター派、というのはもはやどうでもよくなっていったように思えてしかたがない。ここんとこキャンベル本に入れこんでいるから、多少はその影響を受けているだろうけれども、真に天才的芸術家、というのは、ある到達点に達すると、そういう表面的皮相的な「くくり」は、必然的に突き抜けるものだと考える。キャンベル本に導かれるようにして接したジョイスやマンの小説作品だって、おんなじことが言えると思うな。バッハの、とくに最晩年の音楽は、そういう「組織宗教」云々を「超越」している。そこが、非キリスト教徒がほとんどの国民も感動できる最大の理由だと思いますね( とはいえ、イエスの受難物語くらいは知っていたほうがいい。できれば「共観福音書」と「ヨハネ」の該当箇所は読んでおいたほうがいい )。もっとも若かったときから、バッハの書く音楽にはかたじけなさ、神々しさが備わっていたのも疑う余地はない( ひとつ前の拙記事参照のこと )。これはたとえば、10 歳になるかならないかであいついで両親を失って孤児になったこと、ふたりの奥さんとのあいだに生まれた 20 人(!)の子どもも、成人したのは半分だけだったという事実からして、バッハにとって「死」は必然的に身近なものにならざるを得なかったことがほぼまちがいなく影響していると思う。
そして、どんな演奏スタイルになっても、やっぱりバッハはバッハなんである。ザ・スィングル・シンガーズにも、「マタイ」のアリア編曲があったんですね、こちらははじめて聴いた( と思う、「フーガの技法」の「12度転回対位法による原形主題と新主題の二重フーガ」は、聴いたことあるけど)。でも、いかに「変形」されても、バッハの音楽のもつ生命力は、いささかも失われていない。どころか、新しい「仮面」をかぶって、ますますその音楽のもつ力、エネルギーは増しているようにさえ思う。そういえば今週の「古楽の楽しみ」はおなじく磯山先生の担当でして、テーマは「バッハの管弦楽組曲」、で、マーラーが 1911 年に出版したという「管弦楽組曲」もかかってまして、こちらにもたいそう驚いた。これはバッハの「管弦楽組曲」の「2番」と「3番」から、有名な「アリア」や「バディヌリ(!)」など、5曲をまったくあらたにつなぎなおしたある意味ひじょうに野心的かつ大胆な試みでして、初演時は、なんとマーラー自身が「ピアノを改造したチェンバロ」を弾きながら指揮をしたんだとか。… いまみたいに TV 中継とかが当時あったのなら、ぜひ見たかったものだ。さぞ見ものだったでしょうに。
巷では『21 世紀の資本』が売れているらしい … そして、「解説本」と称する本もついでに売れているらしい。でもほんとうにそのものを知りたければ、そのものをとにかく全部、読むしかない。意味不明語の連続である『フィネガンズ・ウェイク』を読まされるわけじゃないし、前にここにちょこっと書いたけれども、すくなくとも「はじめに( 日本語版表記による。ワタシが目を通したのは英語版の Kindle 本[ 買ってはいない、立ち読みしているだけ ] )」数ページ読んだ感じとしては、「だれにでもわかる」ように書いてあります。もっとも「各論」に入れば、それなりにテクニカルなんでしょうけれども、英訳本の Introduction を読んだかぎりでは、カポーティや『赤毛のアン』を原文で読むよりはやさしい、と思った。今回の「特番」で、バッハの「マタイ」や、「ロ短調ミサ」などの宗教声楽作品に興味を抱かれた向きには、ぜひ全曲通して聴いてみることをおすすめします( 磯山先生のサイト経由で知ったけれども、明日、バッハの 330 回目の誕生日! に、大阪でこんなおもしろそうなオルガンリサイタルが開かるんですねぇ、ええなあ。いずみホールのオルガンは、デザインが古風でこれまたいいなあ。「グラントルグ」という表記法を使っているところから見ると、フランスの楽器みたいです。静岡駅前の AOI で、「バッハのオルガン作品全曲演奏会」みたいなことをやってくれたのなら、全曲聴きに行ったのに )。
追記:『21 世紀の資本』ついでに … きのうの地元紙朝刊紙面に、「ピケティブームの意味 / 経済観転換 必要性示す」と題されたコラムが載ってました。書いたのは佐伯啓思氏。結びに、「… 先進国はもはや成長を求め、物的富を追求し、さらにはカネをばらまくことで無理に富を生み出そうというような社会ではなくなっている。経済成長の追求に中軸をおいたわれわれの価値観を転換しなければならない。ピケティが述べているわけではないが、この本が暗示することは経済観の転換なのである」とありました。この分厚い本をきっちり読めば、おのずとこんな感想なり読後感を持つのがふつうなんじゃないでしょうか。この労作の評として、これほど的確に本質を言い当てているのはほかに見たためしなし。
2015年01月19日
NHK ホールの大オルガンって ⇒ カリンニコフ ⇒ 「チャンチャン」チェンバロ
1). 先週放映分の「クラシック音楽館」。今年の「こどもの日」で満 30 歳になるアルメニアのヴァイオリニスト、セルゲイ・ハチャトゥリヤンさんの弾いてくれたアンコールピースは大バッハの「無伴奏パルティータ BWV. 1004 」から「サラバンド( 自筆浄書譜表記は Sarabanda )」。で、これが感涙ものですばらしかった。いつごろからだろうか、ヴィヴァルディの「四季」や、バッハの「ブランデンブルク」でも、なんかこうやたらせかせか、そんなに急いでどこ行くの〜みたいな、そんな「快速通勤型」演奏がすっかりメインストリームみたいになってしまったのは。で、そんな「高速な」演奏スタイルに毒された(?)耳には、セルゲイさんのこの悠揚迫らず、大きく息の長いフレージングの「サラバンド」、すこぶる清新で、目を閉じて聴き入っていた。たまにはこういうスタイルの「解釈」もいいと思う。この人の「シャコンヌ」も、ぜひ聴いてみたい( ちなみにこの「サラバンド」、どことなく「真打」の「シャコンヌ」を予感させる旋律線だと思いませんか? バッハのことだから、おそらく内的関連性はあると思う )。
しかし … 昨年、R. シュトラウス生誕 150 周年ということだろうと思うが、この番組で聴いた「アルプス交響曲」といい、また昨晩、ネルロ・サンティ氏指揮による「ローマの松」といい、あそこの大オルガンって最近、めっきり「オルガン独奏会」を開かなくなりましたね! そんな折、レオンハルトなどの古楽奏者・団体の招聘元として有名なアレグロミュージックさんから送られてきた公演予定案内を見て、津田ホールが取り壊しになる、という事実をはじめて知った。ほへっ、いったいどんな「オトナの事情」があるのかは知らないが、たかだか開場 26 年くらいで音楽ホールを閉じ、しかも壊すというのは、いかにも日本らしい。そういえばカザルスホールのときも大騒ぎだったような … 話をもどすと、昨晩、「アッピア街道の松」の壮大なフィナーレに酔いしれ、観客とともに TV 画面のマエストロ・サンティに拍手を送っていたら、マエストロはオルガンバルコニーを向いて、「さあ立って、立って !! 」と美しい(!)女性奏者に促していた。で、そのときふと思ったんだが … NHK ホールはすでに開場 40 年以上が経過している。年末の「紅白」ではオルガンバルコニーはただのカメラ / 照明器具置き場となり、そればかりかクラッカー( !! )までがあそこから客席に向けてハデにぶっぱなされ( 「あ〜ビックリしたあ」> 吉高由里子さん )、そんな過酷な環境にもめげず、地震にも倒壊せず、ミシェル・シャピュイ、ヴァージル・フォックス、マリー−クレール・アラン、ジャン・ギユーなどなど世界の名だたる巨匠オルガニストが名演を披露してくれたこの独カール・シュッケ社建造の楽器も、いずれはホールとともに姿を消すのだろうか … とにわかに不安に駆られたのであった。いくら「オトナの事情」とか、自然災害が多いとか、いろいろ理由はあるだろうけれど、たった半世紀ほどで音楽ホールもコンサートオルガンもぶっ壊す、というのでは、この国がいまだ文化途上国だ、ということを証明しているようでとても悲しい。真面目な話、NHK はあの巨大ホールをどうするのかな? 放送センター建て替え資金をせっせと積み立てている最中らしいし … 。
2). きのうの「きらクラ!」。カリンニコフの「交響曲 第1番 ト短調」。かかったのは冒頭楽章でしたが、はじめて聴いた耳にはセルゲイさんの弾いたアンコールのバッハ同様、とても新鮮だったので、図書館で探してみようかと思った。最近、この番組でもよく耳にするフィンジの作品もいいですね。「鏡の中の鏡」とおなじく、この番組を通して新しい音楽を知ることができるのは大いなる喜び。これはもちろん、新生 OTTAVA にも言えますが。
ふかわさんがしみじみと語っていた、モーツァルト最晩年の傑作「アヴェ・ヴェルム・コルプス ニ長調 K. 618 」。リストやチャイコフスキーなどが名編曲を残していることでも知られるこのわずか 46 小節の声楽作品、ワタシも大好きで、以前にも書いたけど 1993 年暮れに来日した「パリ木( 木の十字架少年合唱団 )」の生歌でこれ聴いたときの衝撃は忘れられない。以来、少年合唱もののコンサートで、いろんな国の、いろんな文化的背景を持つ少年たちの清冽な歌声による「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の実演に接してきたんですが、ふかわさんの言うように、なにかお気に入りの音盤でこの作品を毎日、かならず1回は聴くということを1年つづければ、それこそキャンベル / モイヤーズの対談本『神話の力』じゃないけど、「なにかが起こるでしょう」。それと個人的にラッキーだったのは、立てつづけにバッハの「ブランデンブルク」がかかったこと。なかでも「ピアノ協奏曲の誕生」と言われる「5番」冒頭楽章のカデンツァを、「まるでドラムの派手な即興演奏みたい」と評したリスナーさんに座布団 10 枚! それと、ふかわさんがリヒター盤の「3番」からの抜粋を聴いたあと、「これってチェンバロ入ってました? 」という質問に対して遠藤真理平師匠が、「ええ、入ってましたよ。チャンチャン、とだけですけど」みたいに受けていた。チャンチャン … たしかにそう聴こえたけどねぇ( 苦笑 )。ちなみにこの音源のチャンチャンチェンバロ、おそらくキンキンした響きからして当時はわりと録音に使われることの多かった、いわゆる「モダンチェンバロ」だと思う。
今週の「古楽の楽しみ」は、ドイツ・バロック音楽におけるチェンバロの歴史を遡る、という趣旨でして、さっそく楽しんで( 寒くてかなわないが )聴いてます。磯山先生もお風邪など召されずにどうか「ご自愛」くださいね。
ヨタ話の最後は、ネルロ・サンティ氏の心に残るつぎのことばを。いまの世界、とくに欧州大陸を覆う「空気」を思うと、昨年末に「第九」を指揮した仏人指揮者グザヴィエ−ロトさんの漏らした、「この美しい惑星に生きるわれわれは、共生し、理解するために最大限努力しなければならない。日本は、いろいろな点ですばらしいと思う。欧州の人間がこれまで気づかなかった、共生のコツを知っているからだ。『第九』のメッセージは、われわれはみな兄弟だ、ということだ。互いの個性を認めあい、共生していかなければならない … 」という発言とも共鳴することばだと思う。
付記:クラシック音楽家のポートレイト撮影で有名な木之下晃さんが 12 日に逝去されたそうです。つい先日、地元紙夕刊の芸能紙面にて連載中の、ピアニスト小山実稚恵さんの「あふれる音の贈り物」にも、特急あずさ車中にてばったり出会い、「旅の道すがらでもあったせいか存分におしゃべりでき、大いに盛り上がりました。そして、未来の話を夢とともに語りながら、人生は何かこういう不思議なご縁に導かれているのだと2人で納得して、確信しました」とあったのに … 合掌。
しかし … 昨年、R. シュトラウス生誕 150 周年ということだろうと思うが、この番組で聴いた「アルプス交響曲」といい、また昨晩、ネルロ・サンティ氏指揮による「ローマの松」といい、あそこの大オルガンって最近、めっきり「オルガン独奏会」を開かなくなりましたね! そんな折、レオンハルトなどの古楽奏者・団体の招聘元として有名なアレグロミュージックさんから送られてきた公演予定案内を見て、津田ホールが取り壊しになる、という事実をはじめて知った。ほへっ、いったいどんな「オトナの事情」があるのかは知らないが、たかだか開場 26 年くらいで音楽ホールを閉じ、しかも壊すというのは、いかにも日本らしい。そういえばカザルスホールのときも大騒ぎだったような … 話をもどすと、昨晩、「アッピア街道の松」の壮大なフィナーレに酔いしれ、観客とともに TV 画面のマエストロ・サンティに拍手を送っていたら、マエストロはオルガンバルコニーを向いて、「さあ立って、立って !! 」と美しい(!)女性奏者に促していた。で、そのときふと思ったんだが … NHK ホールはすでに開場 40 年以上が経過している。年末の「紅白」ではオルガンバルコニーはただのカメラ / 照明器具置き場となり、そればかりかクラッカー( !! )までがあそこから客席に向けてハデにぶっぱなされ( 「あ〜ビックリしたあ」> 吉高由里子さん )、そんな過酷な環境にもめげず、地震にも倒壊せず、ミシェル・シャピュイ、ヴァージル・フォックス、マリー−クレール・アラン、ジャン・ギユーなどなど世界の名だたる巨匠オルガニストが名演を披露してくれたこの独カール・シュッケ社建造の楽器も、いずれはホールとともに姿を消すのだろうか … とにわかに不安に駆られたのであった。いくら「オトナの事情」とか、自然災害が多いとか、いろいろ理由はあるだろうけれど、たった半世紀ほどで音楽ホールもコンサートオルガンもぶっ壊す、というのでは、この国がいまだ文化途上国だ、ということを証明しているようでとても悲しい。真面目な話、NHK はあの巨大ホールをどうするのかな? 放送センター建て替え資金をせっせと積み立てている最中らしいし … 。
2). きのうの「きらクラ!」。カリンニコフの「交響曲 第1番 ト短調」。かかったのは冒頭楽章でしたが、はじめて聴いた耳にはセルゲイさんの弾いたアンコールのバッハ同様、とても新鮮だったので、図書館で探してみようかと思った。最近、この番組でもよく耳にするフィンジの作品もいいですね。「鏡の中の鏡」とおなじく、この番組を通して新しい音楽を知ることができるのは大いなる喜び。これはもちろん、新生 OTTAVA にも言えますが。
ふかわさんがしみじみと語っていた、モーツァルト最晩年の傑作「アヴェ・ヴェルム・コルプス ニ長調 K. 618 」。リストやチャイコフスキーなどが名編曲を残していることでも知られるこのわずか 46 小節の声楽作品、ワタシも大好きで、以前にも書いたけど 1993 年暮れに来日した「パリ木( 木の十字架少年合唱団 )」の生歌でこれ聴いたときの衝撃は忘れられない。以来、少年合唱もののコンサートで、いろんな国の、いろんな文化的背景を持つ少年たちの清冽な歌声による「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の実演に接してきたんですが、ふかわさんの言うように、なにかお気に入りの音盤でこの作品を毎日、かならず1回は聴くということを1年つづければ、それこそキャンベル / モイヤーズの対談本『神話の力』じゃないけど、「なにかが起こるでしょう」。それと個人的にラッキーだったのは、立てつづけにバッハの「ブランデンブルク」がかかったこと。なかでも「ピアノ協奏曲の誕生」と言われる「5番」冒頭楽章のカデンツァを、「まるでドラムの派手な即興演奏みたい」と評したリスナーさんに座布団 10 枚! それと、ふかわさんがリヒター盤の「3番」からの抜粋を聴いたあと、「これってチェンバロ入ってました? 」という質問に対して遠藤真理平師匠が、「ええ、入ってましたよ。チャンチャン、とだけですけど」みたいに受けていた。チャンチャン … たしかにそう聴こえたけどねぇ( 苦笑 )。ちなみにこの音源のチャンチャンチェンバロ、おそらくキンキンした響きからして当時はわりと録音に使われることの多かった、いわゆる「モダンチェンバロ」だと思う。
今週の「古楽の楽しみ」は、ドイツ・バロック音楽におけるチェンバロの歴史を遡る、という趣旨でして、さっそく楽しんで( 寒くてかなわないが )聴いてます。磯山先生もお風邪など召されずにどうか「ご自愛」くださいね。
ヨタ話の最後は、ネルロ・サンティ氏の心に残るつぎのことばを。いまの世界、とくに欧州大陸を覆う「空気」を思うと、昨年末に「第九」を指揮した仏人指揮者グザヴィエ−ロトさんの漏らした、「この美しい惑星に生きるわれわれは、共生し、理解するために最大限努力しなければならない。日本は、いろいろな点ですばらしいと思う。欧州の人間がこれまで気づかなかった、共生のコツを知っているからだ。『第九』のメッセージは、われわれはみな兄弟だ、ということだ。互いの個性を認めあい、共生していかなければならない … 」という発言とも共鳴することばだと思う。
人間はただ楽器を奏でているだけだったら、戦争なんかしません。意見がちがって演奏家どうしで殴り合いになることはあるでしょうが、戦争にはなりませんよ
付記:クラシック音楽家のポートレイト撮影で有名な木之下晃さんが 12 日に逝去されたそうです。つい先日、地元紙夕刊の芸能紙面にて連載中の、ピアニスト小山実稚恵さんの「あふれる音の贈り物」にも、特急あずさ車中にてばったり出会い、「旅の道すがらでもあったせいか存分におしゃべりでき、大いに盛り上がりました。そして、未来の話を夢とともに語りながら、人生は何かこういう不思議なご縁に導かれているのだと2人で納得して、確信しました」とあったのに … 合掌。