2014年12月22日

朔旦冬至 ⇒ ガルッピ ⇒ ドレスデン ⇒ ふかわさんがんばれ! 

1). 本日は「冬至」、なんですが、ただの冬至ではなくて、「朔旦冬至」という特別な日なんだそうです … そういえば、まさに今日は「新月」。と、こういう話を聞くと、もとはケルトの新年を祝う儀式だったハロウィーン( サウィン )とか、キャンベル本によく出てくる「死と復活」、「死と再生」といった通奏低音的モティーフとかがつい、思い浮かんでしまう。ところで「冬至祭」って、なにもケルトやゲルマン民族の闊歩していた時代の欧州( その後、ドルイディズムはじめ、彼らの信仰に巨大な足跡を押し付けることになる新興のキリスト教からすれば、「異教徒の蛮族」の世界だったろうけど )、古代ローマ( ミトラ教 )世界だけの話じゃあなくて、じつはほかならぬ日本でも、古来よりお祝いされてきたようですよ。ユング心理学に拠って世界各地の神話を生涯、読み解いてきたプロフェッサー・キャンベルじゃないけど、やっぱり人間というのは、どこにいても、いつの時代も、精神の深層構造はおんなじじゃないかって気がしてきます。

 閑話休題。いまさっき聴いた「第九」、よかったですね〜。今年の指揮者フランソワ・グザヴィエ・ロトさんについてはまったくなにも知らないながら、ゲストのチェンバリストの中野振一郎さんのおっしゃるごとく、「斬新」だった気がします。清新なる第九、という印象を受けました。もっとも児童合唱好きにとっては、数年前の公演のほうがはるかに印象には残っているけれども … 。

2). 終演後、なにが始まるかと思いきや、中野先生による「チェンバロ欧州漫遊紀行」みたいなコーナーだった( 笑 )。かかったのは、まず英国のパーセル(「ロンド ニ短調」、ブリテンが「青少年のための管弦楽入門」で使用したフーガ主題の原曲 )、フランスの「大」クープラン(「ティク・トク・ショク」)、イタリアのヴェネツィアで活躍していたガルッピ(「ソナタ ハ長調」から「アンダンテ」)、ドイツからは大バッハ(「イタリア協奏曲 BWV. 971 」)、最後にオーストリアのウィンナワルツ( だったかな? )

 クープランの作品 … はじめて耳にしたけれども、演奏者自身の説明のとおり、たしかにフランス古典期の音楽って、「だれそれのポートレイト」みたいな作品がひじょうに多いですよね。「ラ・フォルクレ」とか、「諸国の人々」とか「修道女モニク」とか。でもさすがに「うなぎ」なんていう作品まであるとは寡聞にして知らなかった。何度も「うなぎ」を連発するものだから、ちょっとぐぐったらありましたねー。これにはビックリ。ちなみに「ティク・トク・ショク」ってオノマトペで、カチカチカチ … という感じらしい。もっともこれもだれかを揶揄した表題とのこと。エルガーも似たような手法を使ってますよね。有名な「変奏曲 なぞ」で( ワタシはやはり第9変奏の「ニムロッド」が好き )。

 ガルッピの作品は、いわゆる前古典派的スタイル。通奏低音なんてものはもうなくて、モーツァルトを思わせるようなド−ソ−ミ−ソの繰り返しの伴奏の上に右手がメロディーを奏でる、という書法です。ガルッピとくると、やっぱり「チェンバロの慰め」かな。

3). 昨晩、ボージョレの新酒の飲みかけを飲み干しつつ( 笑 )、「ドレスデン十字架合唱団 演奏会」を楽しんでました … もう数年前のことになるが、みなとみらいホールにて、ここの合唱団と管弦楽団による「マタイ」を聴いた感動の余韻は、いまだ耳の奥に残ってます。放映されたのは、2012年のクリスマスシーズンに来日したときのものらしい。しかもオペラシティコンサートホールの大オルガン( スイスのクーン社製、実働 54 ストップ )つき !! でした。オルガンは、巨匠レオンハルトの最後の来日公演とその翌年のセントジョンズカレッジ来日公演以来、接してないので、そろそろ生の響きが聴きたくなってきたかも … 。

4). 最後に「きらクラ!」について。リスナーから、「わたしの今年の一曲」みたいな特集をやってまして、不肖ワタシもこの番組ではじめて聴いて感動した、アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」もかかってました … で、ビックリしたのは、ふかわさんがいきなり、「これ、やろう !!! 」と宣言したこと。いやー、そうだった、遠藤真理師匠はチェリストだし、ピアノとチェロ、ぴったりだ! ぜひとも実現させていただきたいところです。そうそう、本日は奇しくもそのあとの「クラシック カフェ」でも、音源は異なるけれどおんなじ作品がかかってました。ほんとうに美しい作品だと思います。この作品を推したリスナーが、「うっかりしていると、魂まで持って行かれそうになる」とか、そんなふうに書いていらしたようですが、まったくそのとおりですね( ついでに思い出したが、先月だったかな、「古楽の楽しみ」の金曜リクエスト特集の日で、横浜市在住の7歳のヴァイオリンを習っている女の子がリクエストしてきたことがあった。なんでもその子はその曲をいま習っているとかで、どれどれどんなだろ、と思って聴いたらヴィヴァルディの、たしか「調和の霊感」からの作品だと思ったが、ずいぶんむずかしい作品を弾かれるのですね !! こちらにもビックリ。将来が楽しみ )。

 もうじき、2014年のクリスマスがやってきます。BBC Radio3 のオンデマンド放送では、この時期恒例のこちらの特番とか楽しめますし、そしてもちろん、「9つの日課とキャロルの祭典」もあります !! で、さらについでにこんな記事も見つけました。出だしを飾る 'Once in Royal David’s City' のソリストくんって、ホントに本番直前に決まるんですねぇ。
クレオベリー:前もって知らせることはありません。礼拝は BBC ニュース終了後の午後3時2分から始まります。ニュースの2分間、赤ランプが点いているんですが、ある時点を経過すると点滅しはじめて、中継が切り替わることを知らせるという精巧な仕掛けになってます。それで礼拝開始 10秒前だということがわかるんです。そのとき、ひとりの少年隊員を手招きして前へ出るよう促し、そして彼は自分のすべきことを知るのです。

皆さまもよきクリスマスを。

付記:Libera のこちらのクリスマスアルバム、なんと !! 24 日までの期間限定ながら、全トラックの無料試聴ができます。

posted by Curragh at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2014年05月17日

教会カンタータ 149番と「吹奏楽+オルガン」!! 

1). ここで書くのは二回目になりますか、「吹奏楽のひびき」という番組。いま再放送聴きながら書いてるんですが … 今回のテーマはなんと …「オルガンと吹奏楽の共演」!! 

 のっけのロン・ネルソンという人の作曲した「ペブル・ビーチ・サジャーン」は、なんともノリのいい、いかにも日差し燦々カリフォルニアの海辺のゴルフコースでプレー、という感じで出だしにふさわしい。ヘブルビーチって、有名なゴルフ場のあるところですよね、たしか。もとの曲名はたぶん Pebble Beach Sojourn なんだろうけれど、でもなんでまたペブルビーチの楽しい思い出(?)を描いたであろう作品で、吹奏楽のほかにオルガンも入れようって思ったのかな ?? 

 つぎにかかったヒンデミットの「室内音楽第7番 “オルガン協奏曲” 作品 46-2」は、もっとすごいぞ。使用音源の指揮者は … なんとあの惜しくも物故された、名指揮者クラウディオ・アバドだ! パウル・ヒンデミット … は、オルガン好きにもわりと知っている人が多いんじゃないかな。でも寡聞にしてこういう毛色の変わった(?)作品があることは知らなかった。

 でもたしかに案内役の中橋先生のおっしゃるとおり、吹奏楽もオルガンも原理的にはおんなじ。風を送りこむか、演奏者の息かのちがいだけで。なので相性はいいはず。たとえばアラン女史とモーリス・アンドレによる「オルガン+トランペット」というかたちの二重奏の音源があってわりとよくかかったりするんですが、この手の組み合わせは昔からわりと録音されてきた。いまひとつそれで思い出したこと ―― 前にも書いたことの二番煎じながら、バッハが新オルガン落成前の監査でまず最初にしたことは、すべてのストップ( レギスター )を引っ張りだして前奏曲を演奏することだったという。「この楽器がよい『肺』を持っているか調べないと」が口癖だったようです。吹奏楽とオルガンって、意外と近い親戚だったようですね。

 「吹奏楽とオルガンのための協奏曲」の作曲者は、なんと日本人。オルガンは松居直美さん。作曲者の中村隆一( 1941〜 )という人は国立音大出身で、この作品は母校の講堂に完成したオルガンのこけら落とし用として作曲したんだとか。その楽器ってこれのことかしら? 冒頭はやわらかい音色のストップを組み合わせたオルガン独奏。しばらくしてクラリネットを皮切りにウィンドアンサンブルが絡み合う。途中のオーボエソロもいいですね。ここのオルガンの音はこの音源ではじめて耳にしたけど、総じてバランスのとれた美しい響きだと思う。あんまりわんわんうるさくないのがいい。

 最後の「アレルヤ! ラウダムス・テ」は、読んでわかるように教会の合唱音楽なんかでよく歌われる神の讃歌、ローマカトリックふうに言えば「アレルヤ頌」ってとこですか。1973年に作曲された作品。「て」なんて聞くと、「花子とアン」にすっかりハマってしまっている重症患者の耳にはつい、「てっ !? 」と聞こえたりして … もちろんこれは you ですよね。'I praise you( thee )' くらいの意味。作曲者アルフレッド・リードという人は、「アルメニアン・ダンス」という作品がつとに有名らしい。この作品は「オルガンと吹奏楽のかけあい」ではなく、エルガーの行進曲「威風堂々 第1番」のような、オルガンの響きと吹奏楽の響きが渾然一体となった語法で書かれてます。でもなんというか、いかにもアメリカンな感じはする。悪く言うと、押しつけがましさが感じられる。なんか、ファンダメンタリズムの人からいきなり「あなたは、救われてますか?」とかなんとか、質問される場面とかをつい「想像の翼をひろげて」思い浮かべてしまったり( 苦笑 )。バッハの場合は、そんなことないのにね。

 ここまで聴いてきて思ったのは、探せばまだいくらでも「吹奏楽+オルガン」という音源は出てくるんじゃないか、ってことです。そう、中村先生の言うとおり、この手の作品って、「オルガンによって加わる音の厚みがおもしろ」いんですよね。

2). きのうの「古楽の楽しみ / リクエスト・ア・ラ・カルト」。テレマンや大クープランの作品がかかってましたが、なんといってもすこぶる印象的だったのが、埼玉県上尾市の方のお便り。お遊戯会でがんばった幼稚園児のお孫さんへのごほうびとしてリクエストしたのが ―― なんと、バッハの「教会カンタータ 149番」!! でも、この選択は正しいかも。この教会カンタータ、ソプラノ独唱パートがあるんですが、この音源でそれを歌っているのが、この手のものが好きな人なら耳にしたことがあるであろう、往年の名ボーイソプラノ、セバスティアン・ヘニッヒ。父上のハインツ・ヘニッヒ氏の創設した北ドイツの名門ハノーファー少年合唱団で活躍していたころのもので、指揮はレオンハルト。たぶん「カンタータ全集」の音源でしょう。おっと「カンタータ全集」と言えば、もうひとりの指揮者アーノンクールも思い出す。この前のN響定演のあとの「ガットのしらべ」では、そのアーノンクールがヴィオラ・ダ・ガンバ( ヴィオール )を弾いてましたね! ある意味貴重な音源じゃないでしょうか。

 幼児とバッハ … つながりでは、「リサイタル・ノヴァ」でも以前、若手ギタリストの方がこんなこと言ってましたよ。高知県だか、とにかく四国のどこかの地方で幼稚園児集めて生のギターの響きを楽しんでもらったんだそうです。みんな食い入るように静かに聴いていたとか。で、あとで「どんな曲がよかった?」と園児たちに訊いたところ … なんと! アニメの主題歌とかじゃなくて、バッハがよかったって答えたんだそうです … うーむ、やはり本物というのは、どこのだれが聴いても通用するんだな。

 ↓ は、そのヘニッヒがソロを歌ったもの( 57分40秒くらいから )。


posted by Curragh at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2014年05月05日

もはや新幹線? 「カノンとジーグ ニ長調」

 先々週の放送になってしまうが「古楽の楽しみ」、オルガニスト / チェンバリストの大塚直哉先生案内による「カノンの魅力」と題した回がすこぶるおもしろかったことをすこし書いておきます。

 のっけから超有名なパッヘルベルの「カノンとジーグ」。で、演奏を聴いてまたびっくり。以前、最近の古楽の演奏テンポがどんどん速くなってきて、速けりゃいいってもんじゃないでしょみたいなことをここで言ったことあるけれども、いやあそんなもんじゃないです。ムジカ・アンティクァ・ケルンのこの音源、とにかく速すぎという印象で、ボンヤリしていたらあっという間に終わる。なんというか、ここまで高速だと、「特別快速( 言い方が古い? )」を通り越して、もはや新幹線並みですな( 笑 )。

 つぎの「14のカノン BWV.1087」は、やはりムジカ・アンティクァ・ケルンによる多重録音( だったかと思う )で聴いたことがあるが、ほんらいの姿(?)であるチェンバロ独奏盤で聴いたのはこれがはじめて。演奏者はリチャード・エガー。なかなか聴き応えあり。はじめわりと単純なベースライン主題(「ゴルトベルク」の低音主題 )が、「バッハの数」へと進むに連れて複雑さを増し、リズムも活発になり、高潮してゆく。カノンは、たしかに高度な作曲技法が要求され、バッハ以前の、たとえばローマに渡ったフランドル派の音楽家たちにとってはカノン形式の「音楽クイズ」など一種の名人芸披露の場みたいなところがあったけれども、パッヘルベルにせよバッハにせよ、とっつきにくさは微塵も感じさせず、とにかくただ聴いているだけでも楽しい。

 大塚先生の回では、その前の日に放送した「幻想曲」特集もまたをかし。ウスタシュ・デュ・コロアという人は寡聞にしてまったく知らなかったが、「修道女モニク」にもとづく幻想曲は、あれ、どっかで聴いたことあるかも、という印象。モニカだったら … そういえば昔、そんな歌がはやってましたねぇ( ちがう )。

 けさ聴いた「吹奏楽のひびき」もけっこう楽しめました … 「バンド維新 2014 」、へぇー、こんなのがあるんだ … あの西村 朗先生の書き下ろしもかかってましたが、なによりおどろいたのが、なんと「鍵盤ハーモニカ」を大胆に使用(!)したという、'WINDS SINGING A SONG' という作品。あの園児が吹くような音色かと思いきや、まるで「笙」ではないですか! これには一本とられた、という感じ。鍵盤ハーモニカでもやりようによってはあんな効果が出せるんですな。もっとも笙にしても鍵盤ハーモニカにしても、「リード」で発音する楽器である点はおんなじだけど( 原理的に、笙はオルガンの「リードパイプ」とおなじ構造 )。

 そういえば今日は、この時期のもはや定番になった感ありの LFJ( La Folle Journée au Japon )の足かけ 10時間(!)の生放送の日でもあった。この音楽祭ももう 10周年なんだー。自分が会場にのこのこ出かけていったのは、2009年の「バッハとヨーロッパ」だったんだが、生中継開始早々、10年間に登場した作曲家の紹介でなぜか(?)バッハの名前がなかったような気が…。

 それはともかく、こういう企画はもっともっとあっていいと思う。これは「ロバの音楽座」の上野哲生先生の受け売りになるけれども、音楽は「心の石焼き芋」、「精神の糧」だと信じているので。

posted by Curragh at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2014年04月06日

バルバートル ⇒ テュイルリー公園 ⇒ 「花子とアン」

 先週の「古楽の楽しみ」は、関根敏子先生によるフランス古典期もの。オルガン好きとしては、やっぱりこの人、バルバートルの作品にどうしても注意が行ってしまう。

 バルバートルについては以前にもすこし書いたような気がするけれど、この人は運悪く、大革命の動乱期に当ってしまった人で、ギヨタン医師の考案した処刑道具の魔の手はからくも逃れたものの、晩年は『ラ・マルセイエーズ』とか、市民階級の求めに応じた作品を作・編曲したりして糊口をしのいでいたという … それにしてもちょっとびっくりだったのが、上記リンク先記事にて知った、子だくさんの事実。二度の結婚でもうけた子どもはなんと 18人! おとなりの国で活躍していた大バッハと、なんだかダブってしまいますね。

 絶対王政期のフランス宮廷でのバルバートルの人気はすごかったみたいでして、毎年恒例のクリスマスの「公開リサイタル」には、さまざまな階級の聴衆がどっと詰めかけて、彼のすばらしいオルガン独奏に聴き入ったと言います。関根先生によれば、教会の礼拝ではない純粋な「演奏会」というものの元祖が、どうもこの人だったらしい。バルバートルは西洋音楽史上における最初の純粋な「演奏会」、それもオルガン・リサイタルを開いた人、ということになるようです。

 ところで、先月初めのフランス古典ものの放送は、「パリのテュイルリ宮殿と音楽」と題してリュリとかランベールとかの作品がかかってました … ワタシはこのテュイルリーということばを聞くと、子ども時代のことを思い出してしまう。… 小学校低学年のころ、両親の買ってくれた『美術の図鑑』が大好きで、「モナ・リザ」や「ダビデ像」などの図版を食い入るように眺めてました … で、その当時の本なので巻末の白黒印刷ページなんか、網版印刷というのかな、きめの荒い点々でできたちいさい写真があって、それが「モナ・リザ」の収蔵されているパリのルーヴル美術館を写したものだった。手前になんか公園みたいな植え込みがあって、それが自分とテュイルリー公園とのはじめての出会いなのであった。

 あれからウン十年の歳月が流れたいま、たとえば携帯端末でちょちょいと「テュイルリー公園」とかキーワード検索をかけるとたちどころに空撮画像や、行った人の投稿した画像などがぽんぽん出てくる。それもあの当時の図版とは比べものにならないくらい鮮明に( こちらだって細かな光の点々の集まりであり、かつ圧縮されているとはいえ、あきらかに見た目がよい!)。

 テュイルリー公園は、いまは「公園」ですけどもとはここにもりっぱな宮殿が建っていて、なんでもパリ・コミューン鎮圧時の火災で焼失してしまったとか。ルーヴル宮とテュイルリー公園の間にはなんか幹線道路っぽいのが突っ切っていて、それは昔と変わらないが、いまは美術館の入り口のピラミッド型モニュメントができたりして、子どものころに眺めていた写真図版とはだいぶ様変わりした風景になっているのかなあ、と思う。カルーゼル凱旋門はそのまんまですけどね。

 ちなみにこのテュイルリー宮殿、再建計画があるようなんですが … いつくらいに「復活」するのかしら。

 というわけで、いま、待ちに待った(?)「花子とアン」を見ています … 少女時代の花子さんが、眼を爛々と輝かせて「てーっ! 本じゃ、ほんものの本じゃんけ! 夢みてぇだ !! 」と見入る場面なんか見てますと、遠い記憶のかなたに過ぎ去っていった、みずからの子ども時代のこととかが二重写しになったりして( 勝手にそう思ってるだけなんですが )、またしても涙腺が緩みそうになったりもしますが、いやあ、この朝ドラ、期待にたがわずおもしろい! そしてよく作りこまれている !! と感じた。「おらははなじゃねぇ、花子と呼んでくりょう!」という台詞が、いつぞやの「ポニョ」よろしくアタマについて離れなくて困ってる( 笑 )。そして山梨の方言( 甲州弁 )って、静岡県東部地方の方言とも共通点が多そうな印象。「ずら」ことばとかもあるし。さすがに「てーっ!」はないけど。で、もっとも印象的な言い回しが、「こぴっと」。これなかなか便利そうなことばだ( 笑 )。最近、なにかと「コピペ」してすました顔している向きが多いので、「コピペ」ばっかしてないで、「こぴっと」手を動かして書きなさい! とかって言ってやりたい、今日このごろ( STAP 論文ついでに、記者会見の場で自然科学の研究者ともあろう人が「存在を信じている」などとオカルト[?]じみた発言をしているのを聞きますと、以前ここでも紹介したこっちの「論文」のほうがよっぽどすばらしいかと )。

posted by Curragh at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2014年03月08日

「C.P.E. バッハ生誕 300年」! 

 いま、「クラシックの迷宮」を聴いてます。聴取しつつ書いてみたいと思います。

 そう、本日は大バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの満 300歳の誕生日でありますね。なんとタイミングのよいこと。で、BWV.1031 の、とのわけあの憂いを帯びた「シチリアーノ(ナ)」でつとに知られる「フルートとオブリガートチェンバロのソナタ」。あれって最近の研究ではどうもこのC.P.E. バッハの作ではないかという。現在はバッハ作品目録からはずされているとかで、それは知らなかった。C.P.E. バッハの作品目録にはヘルム番号とかいうのがあって、この「シチリアーノ」、ヘルム番号では 545 なんだそうです。親父さんの作品だったら、545 番目というとオルガン作品ですな(「前奏曲とフーガ ハ長調」)。

 そのつぎにかかった「フルート・ソナタ ホ短調 Wq. 124 」は、音源が浜松市楽器博物館所蔵の歴史的楽器を使用しての、これまた貴重な録音。やはりレプリカ楽器とはちがうなー、と感じます。歴史の重みを感じます。うん、たしかに BWV.1031 の「シチリアーノ」を彷彿とさせる作風です。いわゆる「多感様式」というやつかな。C.P.E. バッハはその代表選手みたいに言われたりします。

 ちなみに先週だったか、「古楽の楽しみ」でも C.P.E. バッハの特集やってまして、なんと、大バッハの「マタイ」のいいとこ取りみたいな作品まで作曲していたんですね! これにもびっくり。しかもアリアとかほとんど原曲のままで出てきて、たとえば「わが心の切なる願い」なんて、ほんとそのまんまでした( ついでにこれのもともとの原曲というのは、ハンス・レオ・ハスラー作曲の失恋の歌、「わが心は千々に乱れ」)。

 C.P.E. バッハというと、『正しいクラヴィーア奏法への試論』なる教本まで書いている。これもたしか「古楽の楽しみ」だったか、鍵盤楽器奏者はクラヴィコードをマスターしてはじめてオルガンやチェンバロ、そして当時最新の鍵盤楽器だったフォルテピアノも満足に演奏できるようになる、とか言っていたそうです。そんな C.P.E. バッハですが、たしかフォルケル宛てだったか、書簡に、「もうここ何年も足鍵盤を弾いていない」と書いたとか。早くもオルガンの時代はすでに過ぎ去り、さしもの名手 C.P.E. バッハでさえも、もうオルガンの足鍵盤技巧なんかには目もくれなくなっていた、ということなんでしょう。

 いま、NHK-FM でもわりとよくかかったりする「チェンバロとハンマーフリューゲルのための二重協奏曲 変ホ長調 Wq. 47 」がかかりました … この作品、けっこう好きです。フォルテピアノとチェンバロを、丁々発止勝負させるみたいな趣向で、聴いていてたいへんおもしろいし、なによりこの両者の音響のかけあいがひじょうに心地いい。合いの手を入れるかのように時折顔を出して主張するフルートもいい。フォルテピアノに負けじとバラバラやるチェンバロのパッセージなんか聴いていると、沈んでいた気分も上向きになってくる気がしてくる。

 C.P.E. バッハも、「スペインのフォリア」もの変奏曲を書いていたんですね。コレッリとかはだいぶ後になってラフマニノフとかが自作として組み入れていたりしているけれども( ラフマニノフついでに、いま図書館から借りているのが有名な「交響曲 第2番」。アダージョ、いいですねぇ )。

 「ジルバーマン殿のピアノに別れを告げて Wq. 66 」は、よく聴くフォルテピアノ独奏盤ではなくて、あんまり聴いたことのないクラヴィコードによる音源。「ため息」音型の多用とか半音階とか、こちらも典型的な多感様式の作品という印象です。この音源の楽器はレプリカなのか正真正銘の歴史的名器なのかはわからないけれども、とても繊細な響きをクリアに聴かせてくれています … 録音もいいのかな。手許にあるクレーガー盤「フーガの技法」では、キーを震わせてヴィブラートをかけたときの「ビヨンビヨン」がやたら耳につく録音でしたが。この手の「か細い」音の楽器というのは、マイクの位置がほんのすこしズレただけで結果がまったくちがってしまうから、録音技師さんにとっては扱いの厄介な楽器じゃないかと察します。

 … というわけで、今年はなるたけ多くの C.P.E. バッハ作品を聴きたいと考えてます。できれば「ジルバーマン殿のピアノに … 」みたいな美しい小品で弾けそうな作品があったら、練習してみたい。ほんとはへたっぴには「インヴェンション」とかさらったほうがいいとは思うが … 。

posted by Curragh at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2014年01月26日

衝撃の「シャコンヌ」

1). 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」は、「新しい年に名曲を聴く」がテーマで、年末年始で少々疲れた、いやふやけた心身に活を入れるかのような「春の祭典」連続攻撃(?)に始まり、リストのピアノ協奏曲あり、ハイドンのオラトリオ「天地創造」ありとなかなかの充実ぶり。そんななか、バロック好きにとってはやはりヴィヴァルディの「四季」全曲演奏が白眉でした。演奏はミハイル・タタルニコフ指揮、ロシア・ナショナル管弦楽団。

 ここのオケは、とくにバロックものとか専門にしているわけじゃないとは思いますが、たとえば「冬」の、あのたたみかけるような出だしで、チェンバロの通奏低音がひじょうに達者な名人芸を発揮していたのがすこぶる印象的でした。通奏低音では右手が即興的にバラバラ弾いたりするのが常ではありますが、いままでいろんな演奏者による「冬」を聴いてきたけれども、あのような即興パッセージを耳にしたのは今回がはじめて。チェンバロ奏者がどんな方なのかは不明ながら、いわゆる通奏低音奏法に通暁した演奏家だと思いました。

 … バロックついでに、今年は大バッハの次男、C.P.E. バッハ生誕 300年ではないか。昨年はブリテン生誕 100年でもありましたが … これを機に、C.P.E. バッハの鍵盤作品とか、可能なかぎり ―― Naxos のライブラリー音源とかもフル活用して ―― 聴いてみようかなとも思ったしだい。

2). おなじく先週の「古楽の楽しみ」。水曜は、「偽作の疑いありの作品」でして、なんとあの「トッカータとフーガ BWV.565 」もかかってました。演奏者は、オランダの名手、オールトメルセン。この人は故レオンハルトの後を継いで、ヴァールセケルクのオルガニストになった人でもある。ここの教会のオルガンもまた名器の誉れ高い歴史的な楽器で、ワタシはコープマンによるバッハの「6つのトリオソナタ」を持ってます。案内役の大塚先生は、この超有名作品の真偽論争にいまだ決着がついていないことを述べたあと、「みなさんはいかが思われるでしょうか?」みたいに水を向けてましたが、どう思われるかって訊かれてもねぇ( 微苦笑 )。

 でもこの朝の白眉はなんといっても「伝」トンマーゾ・アントニオ・ヴィターリ作曲の「シャコンヌ ト短調」でした。まちがいなく本人作の「ソナタ 第12番 'シャコンヌ'」とつづけてかかったのですが、いくら「大胆な転調」が見られるとはいえ、どう転んでもこれバロック風には聴こえないですよ、すくなくともここにいるボンクラの耳には。

 この「シャコンヌ」がヴィターリの真作かどうかはさておき、とにかくかかっていた音源がすごい迫力で … 伴奏がよくあるピアノじゃなくてオルガンだった、というのもあるけれども、いきなり冒頭の分厚い和音の重なりから後頭部を強打されたような感覚に打ちのめされ、大時化の海に放り出されたみたいに逆巻く怒涛にただ翻弄されるばかり、うねるように波打つヴァイオリンと雷鳴のごときオルガンサウンドに浸っているうちに、那智大滝を目の当たりにして別次元の世界へトンでしまったとかいう逸話の残るアンドレ・マルローじゃないけど、一瞬、トランス状態に陥りそうになった。どうもこれ昨年出たばかりの音源みたいだから、さっそく今年第1号のお買い物になりそうだ。

 NHK-FM つながりでは、先々週だったかな、「トーキング ウィズ 松尾堂」は、分野が分野なだけに、すこぶるおもしろかった。岸本佐知子さんの脱力系( ?! )トークもさることながら、海外小説翻訳という奥深い世界を垣間見た感じもしたものです( 来月に再放送されるようです )。

 翻訳家、とくると、岸本さんにつづいて思い出されるのが、鴻巣友季子さん。以前ここでも書いたけれども、「英語で読む村上春樹」でもゲストとして登場した方で、その著書も何冊か行きつけの図書館にて拝見したことがある。とりわけ『カーヴの隅の本棚』は、ワインの蘊蓄と翻訳の話を絶妙なサジ加減でまとめていて、読んで楽しい本です。

 NHKついでに、正月だったかな、「100分 de 名著」の特番で、なんと! あの鈴木晶先生( キャンベルの『宇宙意識』という本の翻訳者[ 共訳 ]でもある )が登場してしゃべってました。鈴木先生の書き下ろし『翻訳はたのしい』という本( 1996年、東京書籍刊 )。あいにくいまは絶版らしいけれど、翻訳者を目指している方は図書館などで探して読んでみる価値ありです。いろいろおもしろい情報てんこ盛りな本なんですが、… ひとつだけ、印象に残っている箇所を引いて終わることにします。
(「中年留学」で英国に渡航した時の話 )どこの大学でもそうだというわけではないらしいが、ほとんどの大学では先生をファーストネームで呼ぶらしい。日本ではとても考えられない。学生から「ねえ、ショウ、ここのところがわからないんですけど」なんて声がかかるなど、私にとっては想像を絶する事柄である。

… 明日はモーツァルトの誕生日。

追記:いま、「きらクラ!」を聴いてます。ここではあえて取り上げなかったがもちろんマエストロ・アバド( かつてNHK では「アッバード」という表記を採用していた時期があった )の訃報にはショックを受けています。そのアバド指揮のベートーヴェン「5番」の一部がかかっていたのはうれしかった。そして今回の「BGM選手権」は、これもまたどのへんから探してくるのかな、ほんとうにすばらしい、美しい作品を ―― いつぞやの『茶の本』もそうだったが ―― いつも紹介してくれて、スタッフさんに感謝( 下線部は引用者、最初のはきのう「こころの時代 セレクション」で見た中村元先生による「ブッダのことば」と通底し[ ほんとうの意味での自己=アートマン ]、二番目のほうはおんなじことを高倉健さんも言っていた )。
他人よりも自分だ、社会よりも自己だ、外よりも内だ
それを攻めろ、そして信じ切れ
孤独に深入りせよ
自然を忘れるな、自然をたのめ
自然に根ざした孤独はとりもなほさず万人に通ずる道だ
孤独を恐れるな、万人に、わからせようとするな、第二義に生きるな
根のない感激に耽る事を止めよ

けさもフランスの名指揮者マルティノンによるサンサーンスの「オルガンつき」を聴いたばっかだけれども、個人的にはこの「オルガンつき」一楽章後半部分がいいですねー。

posted by Curragh at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年12月24日

「七宝焼」つきオルガン! 

 … いつもこの時期になると、決まって去来する思いがひとつ ―― 今年もぶじにクリスマス( ほんらいは冬至祭、あるいは太陽神ミトラの祭日 )を迎えられたことにただ感謝あるのみです。

 でも日本人ゆえか、「師走」まっただ中のこの時期は人並みに雑事に追われ、せっかくの「クリイマスもの」音楽 CD とか時間があればかけっばなしにしたり、あるいは Organlive.com のクリスマスステーションをかけっぱなしにしたりしてはいるけれども、どうも心ここにあらず … という日がつづいてます。なんでこうなのか、暗いニュースばかり耳にしているせいなのか、ただたんに心の余裕がないためなのか、その両方なのか … それはともかく、この時期はみなさんおんなじようなものかとお察しします。なのでたとえば「名曲アルバム」とかで「きよしこの夜」なんか見ますと、欧州の人はこの時期一家団欒、暖炉の前に集まってギターつまびいたり歌ったりしている … そんな映像を見ているかぎりでは、向こうの人って年末の片付けとか「大掃除」とかっていう発想はあんまりないみたいですね。

 と、そんな折も折、NHK-FM で個人的にひさびさのヒット。題して「西村由紀江の古楽器さんぽ」。古楽器さんぽ、ということはチェンバロやリュート、ヴィオールとかも出てくるのかと思いきや、どうもオルガン特集のおもむき。登場する楽器はドイツのユルゲン・アーレント工房が建造した「聖グレゴリオの家」にある楽器( ポジティフオルガンと大きいオルガン )、東日本大震災で被災し、今年ようやく復活した、ミューザ川崎シンフォニーホールのスイス・クーン社建造のコンサートオルガン、おなじくミューザが所有する、フランスのマルク・ガルニエ工房製作のポジティフオルガン( 東京芸術劇場にある「回転式」オルガンを建造したオルガンビルダー、番組のインタヴューではなんと流暢な日本語[ !!! ] を操っていてビックリ )。

 「聖グレゴリオの家」… 懐かしい響きだ。バッハ生誕 300年だった 1985年、NHK教育、いまの「Eテレ」ですが、たしか二日連続でバッハ特番が放映されまして、当時「新発見」の、バッハ十代のころの秀作とおぼしきオルガンコラールが何曲か、ここのポジティフオルガンにて演奏されたのを食い入るようにして見ていた( 当時は初々しい高校生だった )。公式サイト見たら、聖堂はほぼ当時のままのようです。

 ところでここのアーレントオルガン、日本ということを意識してか、演奏台( コンソールと言う )直上のケース前面に、なんと七宝焼で象嵌された「天平の天女」像があるという !! 番組サイト見ますと、うん、なるほどたしかに … 公式サイトのほうはあいにくモノクロームな画像なのではっきりわからなかったが、極彩色な派手目な楽器です … 彩色を眺めているうち、かつてヴァルヒャが弾いた、ストラスブールのアンドレアス・ジルバーマン建造の歴史的オルガンとかも思い出した。その土地らしさ、ということでは、横浜みなとみらいホールの米国フィスク社建造のオルガンには「かもめ」のレリーフが彫りこんでありますね。

 ミューザの楽器、こちらはさすがにコンサートオルガンなので、いわば万能型の楽器。こちらも「古楽器」で括ってよいのかなあ … という気もしないではないが、こうして収録してくれてそれが聴けるのはありがたい。まだここのオルガンは生で聴いたことがないので、近いうちに聴きに行きたい( ミューザ公式にもこの番組関連のページがありました )。

 それと、番組サイトの画像見てはじめてわかったんですが、西村さんが、「このスイッチみたいなのがストップ ? 」みたいに訊いていたので、あれ、あそこの演奏台のレジスター( レギスター、ストップの独語呼称 )って、たしか「ドアノブ」型じゃなかったっけ、なんて思っていたら、ステージ上の「移動式」演奏台だった。あれは電線でつながっているので、完全な電気式スイッチ。だいぶ前、アンドレ・イゾワールがサントリーホールのオルガンを「移動式コンソール」で弾いていたら、ひとつだけ、押してもランプがつかなくて何度か押していた姿を NHK の番組で見たことがあります。昔ながらの「トラッカーアクション」のストップだったら、そういうことはぜったいにない( はず、原理的に )。

 いまのオルガンはコンサートホールの楽器を見ればわかるように、演奏台だけ見ているとなんか「エレクトーン」みたいな外観です。ランプ点灯式「親指ボタン」とか、足鍵盤の上にも「爪先ピストン」とかずらっと並んでいるし … でも機構上、外せない部分にはちゃんと昔ながらのすばらしい伝統技術を頑固なまでに守って建造されています。職人芸ってやつですね。

 ちなみに出演されていた演奏者のおひとり、塚谷水無子さんは、たしかオランダで活動している方だったように思う。塚谷さんの「癒しのパイプオルガン」というアルバムはほんとすばらしくて、一時期、就寝時の音楽として寝る前によく聴いてました。ちょうどバッハが生きていた時代に建造されたオランダの古楽器を使った録音でして、その豊かな響きとパイプの音色の繊細な美しさ、暖かみのあるサウンドは秀逸だと思ってます。このアルバムでいちばん好きなのは … やっぱ「小フーガ BWV.578 」かな( 笑 )。



 今宵からサンタさんは大忙しになりそうですが、みなさまも楽しいクリスマスとよき新年を。それと、忘れちゃいけない、今年の「9つの日課とキャロルの祭典」from キングズカレッジ !!! 今宵は明けて 25日の午前零時からです。

追記:いまさっきこんなページを偶然、見つけました … こういう配信音源があったとは、まったく知らなかった。

posted by Curragh at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年11月25日

現代人には「瞑想」が必要

 先週の「第 1768 回 N響定演」ライヴ。1977 年ウクライナ生まれというから指揮者としてはまだまだ若い部類に入る、トゥガン・ソヒエフという方が振ってました。曲目はショスタコーヴィチの「バイオリン協奏曲 第2番 嬰ハ短調」、チャイコフスキーの「交響曲第5番 ホ短調」など、オールロシアもの。

 移動中に「らじる」にて聴いたのですが、とくに後半のチャイコフスキーの「5番」なんか、まだ三十代の人が降っているとは思えないほどの深みを感じて、ちょっとシビれました … こういう感覚って、ひさしぶりです。

 ゲストの奥田佳道さんがこの若きマエストロの発言をいくつか引いていまたしが、いやあ、なんてすばらしいことを言う人なんだろうと歩きながらウンウンと頷いてしまった。もうだいぶ記憶が薄れてしまったものの、ハッキリ憶えている発言があります。曰く、「現代人はあまりに忙しすぎる。もっと瞑想する時間が必要だ」。インタヴューした奥田さん自身、年齢のわりにじつに深いことをぽんぽんおっしゃられるので、内心おどろいていたとか。

 こういう深い内面性 ―― およそワタシみたいな浅薄な輩にはないもの ―― をしっかりと持った人というのは、そうと知らなくてもちゃんと聴き手の心に届くものなんですね … その発言を耳にした瞬間、いきなり泣けてきましたよ。けだしそのとおり ! 

 けさ、「ららら ♪ クラシック」の再々放映を見てました。もちろん大バッハの「アリア(「管弦楽組曲第3番」)」だったからなんでありますが、あらためて聴いてみて、また涙腺が緩みそうになった。そうなったわけは、以前ここにも書いたこととカブるが、バッハのベースライン、つまりあの振幅の大きい通奏低音パートで。

 「古楽の楽しみ」とか「らじる」で聴きながら歩くことが多いんですが、バッハの作品って、教会カンタータにしても鍵盤作品にしても管弦楽作品にしても、わりと「ウォーキング」と相性がいい ―― ようするにあのテンポが絶妙な場合がじつに多いんです、体験的に。あのやや早足気味の通奏低音のテンポとリズム。やっぱり杉山先生の書かれたことは正しかったんだって思いますよ。バッハ作品聴きながらのウォーキングは最高です。

 もっとも「歩みのテンポ / リズム」という点では、バッハと同時代かそれ以前の作曲家の作品だって言えるんじゃないかって気がしますが、やっぱり「よく歩いた人」バッハの音楽がもっとも相応しい気がします。… ウォーキングのお供にはバッハの音楽 ?! 

 ラジオ番組ついでに昨晩、ボージョレ・ヌーヴォー飲んで「ねとねとに溶け」た脳味噌で例の「英語で読む村上春樹」を聴取していたんですが、今月号テキスト巻末には英米文学翻訳家の鴻巣友季子氏の対談が載ってまして、番組終了後しばし溶けたアタマで活字を追ってたら、'I don't know you.' という科白を「ご用件は ? 」と訳していたことについて触れていた箇所が目にとまった。おややこれはいつぞや読んだ『翻訳夜話』に出てきた、掃除機の押し売り( ? )の出てくるカーヴァーの短編で出てきた科白じゃないですか。「これはやっぱり小説家じゃないと出てこない表現だなと思いました」と鴻巣氏はつづけてましたが、たしかにそれは一理ある ! と思ったしだい( 上記科白は、掃除機のセールスマンがやってきたときに「わたし」がぶつけたことば。詳しく知りたい方は本を読んでね )。

 … 29日は「バーの」聖ブレンダンの祝日、そしていよいよ待降節 … ボージョレの新酒を口にするたびに、ああ今年も押し詰まってきたな、とつよく感じます。

posted by Curragh at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年11月10日

「ひるのいこい」と「ベスト・オヴ・クラシック」のテーマ

 先週水曜の「ベスト・オヴ・クラシック」。前夜にひきつづいて、セントラル愛知交響楽団による、「芥川也寸志と戦後日本の作曲家たち」の再放送。邦人作曲家とくると、やはり先ごろ急逝された三善晃氏もはずすわけにはいかない。中学卒業前に、N 響定演を聴きに NHKホールへ親に連れて行ってもらったことがあって、生まれてはじめて聴いたその N 響定演は外山雄三指揮によるメシアン「トゥランガリラ交響曲」と三善晃氏の「童声合唱とオーケストラのための『響紋』」だった。はじめて耳にする N 響でいきなりオンド・マルトノを聴き、そして地の底から湧き上がるような三善氏の作品はほんとうに圧倒的な迫力で、いまだに強烈な余韻となって響いています。あらためて三善氏のご冥福をお祈りします( 過日、地元紙夕刊に掲載された「クラシックの迷宮」の片山杜秀氏による追悼文にも心打たれた )。

 「ベスト・オヴ・クラシック」のほうですが、こちらも負けずに興味深かった。とりわけ「ひるのいこい」のテーマと、そしてなんと、「ベスト・オヴ・クラシック」のテーマを全曲通して !! これはおどろいた。

 ところで「ひるのいこい」って、放送開始が戦後まもない 1952年だったとは知らなかった。BBC Radio 3 の Choral Evensong もたいへんな長寿番組だが、こっちも長いですね … 1952年、昭和 27年というと、ワタシの頭にはすぐ国立安良里灯台初光点燈の年、というイメージが浮かんでしまふ。安良里灯台も夕陽で有名な田子島の灯台も、いまはいつの間にか LED のライトになってまして、なんというか、省エネでけっこうなこと( しかも太陽光の自家発電なので、灯台までの電信柱も撤去された )ではあるが、昔の灯台みたいな情緒があんまりない。2秒ごとにパッとつき、パッと消える。ついでながらこの前大田子で夕陽を撮った帰りにバス待ってたら、街路灯がすべて LED だった。これはいいことだ。自分の住んでいるところなんか、いまだ LED ではないし … 。

 話をもどして、「ベスト・オヴ・クラシック」のテーマというのは、今回はじめて最初から通して聴きました。いやあ、あんな作品だったんですねぇ。こうして「作品」として聴いてみると、またちがったように感じるから不思議なものだ。テーマ音楽なので小品ではあるけれど、これから始まる演奏会を期待させる効果というか、盛りあげ方がとてもうまいと感じた。

 いまさっき聴いた「きらクラ ! 」。来週、ゲストが来るという … それは … なんと吉松隆氏 !!! こちらもひじょうに楽しみ。

 … ところでこの前、BBC Radio 2 恒例のこのコンペの本選を聴いてたんですが、今年はわりとすんなり決まったんじゃないでしょうか( たぶん )。少年聖歌隊員部門で優勝した 13 歳の子( ロンドンのテンプル教会聖歌隊所属、ちなみに伝説的なトレブル、故アーネスト・ラフ氏もここの聖歌隊出身者で、当時のテンプル教会聖歌隊指導者ジョージ・ソールベン=ボールの作曲したオルガン作品はときおり演奏会で取り上げられたりする )、メンデルスゾーンの「鳩のように飛べたなら」をノビのよい美しいソプラノで歌い上げてました。

posted by Curragh at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年08月12日

「オルガンのある街 〜 ヨーロッパの名器を聴く 〜 」

1). 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」は「ドイツのオーケストラ」。バッハ好きのワタシは当然、木曜夜の回がよかった。「チェンバロ協奏曲 第 1 番 ニ短調 BWV.1052 」を、現代ピアノで弾いたものでしたが、抑制の効いた、わりと軽快な響きで楽器を奏でていた印象でした。独奏ピアノを支えるオケは中部ドイツ放送交響楽団、指揮はクリスティアン・ヤルヴィ氏でした。

 この放送聴いていてもっとも大きな「発見」だったのは、かのグスタフ・マーラーが、バッハの「管弦楽組曲」の 2番と3番からいくつかの楽曲を組み合わせてオケ用に「編曲」した作品がある、ということでした。というわけではじめて聴くその作品は、なんか意外なほど ( ? ) 原曲に沿ったオーケストレーションだったように思えた。もっともよくよく聴くと、うしろでピアノやフルートがバラバラと自由なフレーズを奏でていたりしたので、念のため図書館にて『ブルックナー / マーラー事典』の記述も見てみました … それによると当時すでに忘れ去られていた通奏低音の「再現」を試みたとあり、初演のさい、マーラーが用いたのはチェンバロの音響を模倣した「チェンバロもどき」の楽器だったらしい ( スピネットと本人は言っている )。マーラーの「バッハ理解」はこんにちのそれとはかなり異なり、むしろ自身の考える、あるべき音楽の姿をバッハの音楽のうちに見出していたと見たほうが適切かと思うが、それでもマーラーは「バッハこそポリフォニーの真の巨匠である」と公言していたそうだから、マーラーにとってもバッハはきわめて重要な音楽家だったことはまちがいない。「アダージェット」で有名な「5番」だって、終楽章はかなり込み入ったポリフォニックな構造になってますし。

2). いま、「オルガンのある街 〜 ヨーロッパの名器を聴く 〜 」という「夏の特集番組」を聴きながら書いてます … なにもこんなクソ暑いときに、とも思ったが、せっかくなんで扇風機をがんがん回して聴取。で、初日は、ライプツィッヒの聖トーマス教会から。番組でかかったのは19 世紀末に建造された古いザウアーオルガンではなくて、すべてバッハ没後 250年を記念して 2000 年にあらたに建造された「バッハオルガン」を使った音源から。現トーマス教会正オルガニストのウルリヒ・ベーメはじめ、なんとジリアン・ウィーアの音源までかかってまして、とても興味を惹かれました。

 この白亜のケースの美しい「バッハオルガン」は、特定の歴史的楽器を復元したのではなくて、ゴットフリート・ジルバーマンや弟子のヒルデブラントなどに代表される、中部ドイツ型と呼ばれるオルガンを手本に、かつてバッハが作成したオルガン改造計画書なども参考にまったくあたらしく建造されたもの。4段手鍵盤と足鍵盤、実働 61ストップ。番組中かかったベーメさんの弾く「パッサカリアとフーガ BWV.582 」は、ずいぶんとせっかちだなあという印象は受けた。もうすこし「重々しさ」があってもよかったのでは、と個人的には感じた。ちなみにドイツのオルガン、とくると、たとえばブクステフーデに代表されるような「北ドイツ様式の」、そそり立つペダルタワーの印象的なシュニットガーなどの楽器を思い浮かべる向きも多いかと思いますが、じっさいのところ、現存するそれらの楽器はあんまりバッハ作品の演奏には向いてなかったりする。調律法の問題や、「ブロークンオクターヴ」などの扱いづらい鍵盤などがあるため ( カペルのシュニットガーオルガンとかもそう ) 。
 
 ところで以前、ここでこの教会には計三つの楽器がある、みたいなことを書いてしまったが、どうも現在はこの白いバッハオルガンと古いザウアーと二基しかないみたいです … ヘンだなあ、じゃ「聖トーマス教会のクリスマス」という DVD に収録されたあのもうひとつの白い、四角いケースの楽器はいったいどこへ … いったのかな ??? 

 明日はパリ・ノートルダム大聖堂のカヴァイエ-コルの楽器らしいから、19 世紀ロマンティックオルガンの時代、というわけか。最終日はオランダ各地に残っている歴史的楽器が聴けるというので、こちらもおおいに楽しみ。

posted by Curragh at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年06月22日

「ヨーロッパのオルガン音楽」! 

 今週の「古楽の楽しみ」は、「ヨーロッパのオルガン音楽」! というわけで、漫然とではなくしっかり聴取してました。

 月曜朝の初回は、オランダ・アムステルダム古教会 ( Oude Kerk ) オルガン奏者にして当時すでに高名な作曲家だったヤン・ピーテルスゾーン・スヴェーリンクのオルガン作品から。わりと知られた「ニ調のトッカータ」や「大公のバレット( 舞踏会 )」とかがかかりましたが、「バレット」のほう、なんと磯山先生によると弟子のひとりのザムエル・シャイトの作品ではないか … という学説がにわかに浮上しているとか。前にも書いたことながらシャイトはじめ、数多くのドイツ人オルガン奏者を育成したことから、「ドイツのオルガニスト作り」の渾名まで頂戴してしまったというスヴェーリンク。終生、故国を離れることはなかったけれども、『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』にもその作品が収録されているくらい、その知名度は高く、なんでも殺人 ( ? ) を犯してお尋ね者となった英国人「ヴァージナリスト」、ジョン・ブルがオランダあたりに逃亡したとき、このふたりの音楽家は面会したらしい、なんて話もあるくらい ( → 「大公のバレット」。以下、リンク先はすべて NML )。

 ところで使用楽器はそのスヴェーリンクゆかりの古教会の歴史的楽器なんですが、この前半のプログラムまでが近年修復された後のもので、調律もスヴェーリンク当時の「ミーントーン」。中全音律とも訳されるこの調律法、ひらたく言えば「純正律と平均律の中間」みたいな折衷方式で、多くの長3度を純正に調律する方法。でもこれは完全な平均律ではないから、和音によっては聴くに堪えない「うなり ( 狼、ウルフ音と呼ばれる )」が発生したり、エンハーモニックにならない音程があったりして、ようするに使用可能な調性が限定されてしまうという欠点がある。スヴェーリンク当時は「まったく濁りのない、完全なハーモニー」がまだまだ重要とされていた時代だったかもしれないが、すでにそのスヴェーリンク自身が「半音階的ファンタジア」という作品も書いているし、いずれにせよミーントーンは響きの点ではえも言えぬ美しさがあったけれども、「自由自在に調を操って」書く場合にはやはり不便きわまりない不完全な調律法だった。

 アントニ・ファン・ノールトという人ははじめて耳にした名前だったが、この人こそスヴェーリンクの後継者だったという。レオンハルトはさすがだ、ちゃんとこの同郷の先輩の作品の録音も残してくれている。この前のシュタイクレーターもそうだったが、こういうはじめて知るいにしえのオルガン音楽の先達たちの作品を知ることが、最近のワタシのあらたな楽しみになりつつある。

 二日目は「リューベック」編。リューベック、とくるとやっぱりブクステフーデ … なんでしょうけれども、まずはブクステフーデの二代前の聖マリア教会オルガニスト、ペーター・ハッセという人の「前奏曲 ヘ長調」から。ペーター・ハッセという名前も初耳だったが、なんとバッハの同時代人、ドレスデン宮廷で活躍したアドルフ・ハッセの父上だった。こんなとこでつながりがあったとは。で、その次がフランツ・トゥンダーで、ここのしきたりを守ってその娘さんと結婚してここのオルガン奏者のポストを継いだのがブクステフーデその人、ということになる。磯山先生も言っていたけれども、リューベックって戦火に見舞われたことも災いして、マリア教会はじめもともとあった歴史的オルガンのほとんどが失われてしまっているから、音源もリューベックではないところに現存しているトゥンダー / ブクステフーデゆかりの製作者の楽器、ということになる。当時リューベック一帯でオルガンを建造していた一族としてはシュテルヴァーゲンが有名で、使用音源にもそのシュテルヴァーゲンの楽器が使われてました。ちなみに「前奏曲、フーガとシャコンヌ ハ長調 BuxWV.137 」の演奏者のフォックルールという人。どっかで聞いたような名前 … と思って手許の History of the Organ 2 - From Sweelinck to Bachの DVD 見たら、ここでアルプ・シュニットガー製作の歴史的楽器を弾いていた人でした。この人の演奏、ひとことで言えば音色選択もとても趣味がよくて、だれとは言いませんがやたら突っ走ることもなく、終始一貫中庸なテンポで朗々と響かせています。

 ヘンデルやヨハン・マッテゾン、そしてはたちの ( ! ) バッハにも愛娘との「縁談」がご破算になってしまった哀れなブクステフーデ … じつはその後、娘婿となってマリア教会オルガン奏者の地位を継いだのがだれなのか、まるで知らずにウン十年が経ち、ようやくそのナゾが明かされるときが来た ( 大げさな )。その人の名はシーファーデッカー。だれ ? と思ったら、磯山先生の解説によるとこの人は聖トーマス学校の出身で、ライプツィッヒ大学在学中にすでにカンタータだかオペラだか書いて上演した経験があるという、なかなかの才能の持ち主だったらしい。で、そのシーファーデッカーさんのオルガンコラール前奏曲、「わが魂は主をあがめ」がかかりました。とりあえず NML サイト内では、こちらの音源が引っかかりました。あとでぜんぶ寄稿、ではなくて聴こう。

 三日目は、「ドレスデン」編。いままではどっちかというといわゆる「北ドイツ・オルガン楽派」の流れを汲む作曲家と、そんな作曲家の霊感を刺激するような豪壮華麗な大オルガンを建造してきたシュテルヴァーゲン / シュニットガー一族の楽器が中心でしたが、こんどは一転して中部ドイツ。ここはバッハと友だちだったゴットフリート・ジルバーマンという高名なオルガンビルダーが活躍した地。前にも書いたけれども北ドイツのオルガンとジルバーマンオルガンとが異なる点は、1). ヴェルク ( 風箱 ) どうしの独立性があまりない構造、2). 演奏者の背負う( ? ) 「リュックポジティフ」オルガンがない代わりに演奏者の直上に配置される「ブルストヴェルク」があり、3). 独立した巨大な「ペダルタワー」もなく、4). 北ドイツ型と較べるとキンキンしたミクスチュア族ストップよりも三度管系ストップが充実し、ハーモニーの心地よいフルーストップ系も目立つ、などが挙げられると思います。

 のっけにかかったスイス在住の小糸恵さんによる「幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542 」は、疎開してかろうじて激しい戦火を免れた、ドレスデン宮廷教会のゴットフリート・ジルバーマン建造の楽器。47 ストップ、三つの手鍵盤と足鍵盤を擁する楽器。小糸さんの演奏はたまにかかったりするけれども、この「ト短調の大フーガ」としても知られる有名な作品 ( たしか以前「名曲アルバム」でも流れていた ) の演奏はゆったり目のテンポに支えられた悠揚迫らぬ威風堂々といった感じでこちらも好印象。

 「トッカータとフーガ ニ短調 BWV.538 」、通称「ドリア調」の演奏者は往年の名手リヒター。使用楽器はこれまた有名なフライベルク大聖堂のジルバーマンオルガン。こちらは44 ストップの楽器。これ聴いていてちょっと不思議だったのが、「ヴィブラート」?? みたいな音の震えがときおり挿入されていたこと。変わった演奏だなあ、どうやってんのかな ? とか思いつつ聴いてました。たぶん不規則に同音連打していたんじゃないかと思うが … 。でもその演奏効果はけっこうあったように思う。無意味なつけ足し、というふうには思わなかった。

 「コラール・パルティータ BWV.770 」について。この使用楽器は大バッハ本人が竣工検査をしたナウムブルクというところにあるヴェンツェルス教会の大オルガン。製作者はヒルデブラントで、この楽器を使用した音源はたびたび Organlive.com でもかかってます。残響がひじょうに豊かで、楽器の音色もすばらしい。ツェーンダーの演奏もそんな楽器の特徴がよく出ていたと思う。磯山先生の解説によると、当時、師匠 G. ジルバーマンと弟子ヒルデブラントは仲たがいしていたらしくて、完成検査に立ち会ったバッハみずから師匠を引き連れてこの弟子の「力作」を鑑定し、そのさいふたりの仲を取り持ったというから、いやビックリ。バッハという人は、どうも「宮仕え」というのが性にあってないんじゃないか、と思われる騒動 ( ? ) 話にこと欠かない人、というイメージが自分の中でできあがっていたので、こういうエピソードを知ると、バッハという人がいたずらに頑なな人だったわけではないことがわかる。バッハ一流の気遣いを感じさせる、いいお話じゃ、じぇじぇ、と思ったしだい。

 最後が音楽の都、「ヴィーン」編。ここはあえてヴィーンと書く。ヴィーンとくると、オルガン音楽好きにとってまず思い浮かぶのがムッファトとフローベルガー。ムッファトについて『音楽中辞典』では、
ムッファト , ゲオルク
Muffat , Georg 1653・6・1 洗礼 サヴォワのメジェーヴ−1704・2・23 パッサウ 

 フランス生まれのドイツの作曲家,オルガニスト。ゴットリープの父。1663−69 年にパリでリュリに師事。アルザスのセレスタとモルスハイム,インゴルシュタット,ウィーンで学ぶ。1677−78 年プラハ滞在。78年ザルツブルクの大司教宮廷音楽家。81−82 年ローマでパスクイーニに師事,コレッリと交流。90年パッサウの司教宮廷楽長。器楽アンサンブル,オルガンのための作品が重要。フランス,イタリア様式をドイツに導入。

とあり、この人がフランス人との混血だったことがわかる。これは知らなかった。諸国遍歴した人だったようだが、息子のゴットリープは終生ハプスブルク家のヴィーンにとどまり、「ハプスブルク王朝最後の大音楽家」だったようだ。父親のほうの鍵盤作品はレオンハルトの音源なんかでわりと耳にする機会もあるけれども、あいにく息子の方は聴いた憶えすらなく、だから今回、「ミサ曲 ヘ長調」からキリエとグロリアが聴けたのはまことにラッキー。ちなみにこれ磯山先生の解説によると「ヴェルセトル」、verset だそうで、該当箇所のグレゴリアン・チャントと交互に演奏される小品のこと。→ ゲオルク・ムッファトの「パッサカリア ハ短調」。「準備のできたオルガニストのための音楽」って、この音源に収録されている Apparatus musico-organisticus のことなんだろうか。

 フローベルガーのほうは、「カプリッチョ 第 8番」が、レオンハルトの音源でかかりました ( リンク先は、弟子のアスペレン盤 )。

 おしまいがヨハン・ヨーゼフ・フックス。おなじく『中辞典』を見ると ――
フックス , ヨハン・ヨーゼフ
Fux , Johann Joseph 1660 シュタイアーマルク州ヒルテンフェルト−1741・2・13 ウィーン 

 オーストリアの作曲家,理論家。1698年ウィーンの宮廷作曲家に任命され,1705 年聖シュテファン大聖堂の副楽長,12年同首席楽長に就任。15年首席宮廷楽長に任命され,終生その職にあった。約 80曲のミサ曲を含む宗教曲のほか器楽曲も多数作曲。理論書《グラドゥス・アド・パルナッスム》( 1725 ) は,厳格な対位法様式にもとづく作曲の教科書として後世に大きな影響を与えた。

とあり、バッハの「フーガの技法 BWV.1080 」はこれに着想を得て書かれたのではないかとも言われてます。もっとも耳で聴いて楽しいのは、バッハのほうですがね。

 きのうの「リクエスト」。ビクトリアのミサ曲「めでたし、海の星」がなんといってもよかった。ウェストミンスター大聖堂聖歌隊、いつ聴いてもいいなあ、とくにこの目覚めの時間にはぴったりだ。もっともビクトリアのわりと長めのア・カペラ作品なんか聴いていると、また夢の国に引きもどされそうにはなりますが ( 苦笑 )。

 そして関係ないことながら、NML サイトにて『音楽中辞典』が使用できなくなるのは、残念至極。そのつど図書館に行ってもいられないし、そろそろ買うか ( 苦笑 )。

 本題とは関係のないひとこと:まもなく富士山が「世界文化遺産」登録される … みたいですが、なんか報道が偏っているせいなのかどうかはいざ知らず、どうもみなさん「カネ」がらみの話しか聞こえてこないような … そりゃそっちのほうも重要なんだろうけれども、以前ここで書いた、浜松アクトシティ中ホールのオルガンが水浸しになったあの事件。製作者コワラン氏は嘆いてましたよ、日本人が被害金額の話しかしないって。楽器は生き物、もっと愛情をもって接してほしいとかなんとか、そうこぼしていたという話を、どういうわけだか今回の富士山文化遺産登録関連ニュースを見ているうちに思い出してしまった。なにかカンちがいしていませんか、カネが落ちるとかどうとか、そんな次元で今回の登録を云々してほしくない。今月、NHK ホールがめでたく開場満 40周年を迎えたそうですが、こけら落としのときに旧東ベルリンのカール・シュッケ社建造の大オルガンを弾いたのが、旧チェコスロヴァキア出身のイルジー・ラインベルガーというオルガニストだった。この人は筋金入りのアルピニストでもありまして、「五合目までクルマで行く」というのが邪道だとして、なんと !! 富士山を一合目から歩いて登山したのだそうです !! ワタシが尊敬する人というのは、こういう人なんです ( ついでにWikipedia 記事のリンク先が百年前の作曲家ヨーゼフ・ラインベルガーになってます … ) 。

posted by Curragh at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年04月28日

才能はすばらしいが …

 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」は、なんとうれしいことに「オルガンの響き」! というわけで、モンテヴェルディのいつものファンファーレに乗って、たっぷりと欧州のオルガンの響きを堪能できたことはとても幸運でありました … とはいえもっとも楽しみにしていた最終日のトマーナとの演奏会のもようは、あいにく疲労困憊していたためか、ぐっすり眠っていて右の耳から左の耳へと抜けていたのでまるで記憶なし。気づいたのはすでに番組終了まぎわ、2月に逝去したフランスの名オルガニスト、M.C. アラン女史による「パッサカリア BWV.582 」だった。

 月曜日はスロヴァキア最大級とかいう、おそらくコンサートオルガンと呼ばれるタイプの楽器を使用した公開放送リサイタル。楽器の音色じたいはよかったんですけれど、なんかこう物足りない … と思ったら、残響があんまりありません。ラジオスタジオ内にあるせいかもしれないが … 曲目はフレスコバルディにフローベルガー、バッハとよかったんですけれどもね。

火曜日は、黒マリアさんと「モンセラートの朱い本」で有名なカタルーニャの聖地、モンセラート修道院内聖堂のオルガン。モンセラは FB 上でもしょっちゅう画像とか見てるけれども、ここの楽器もまた現代の楽器、というかここのページ見ると 2010年に建造したばっかの真新しい楽器みたいです。水平トランペットが突き出すこの大オルガンは 4段の手鍵盤、63ストップというもの。当然のことながら残響はたいへんに豊かで、音色もキンキンしたところがなく、とても耳に心地よい。バッハの「前奏曲とフーガ BWV.552 」とかかかってましたが … あらら、なんだかずいぶん中途半端なところで切るんですな。演奏者のミケル・ゴンサレスさんの意図がどのへんにあるのかは知りませんけれども、前奏曲だけでなく、「三位一体の」三重フーガの終結部まで、最終小節まで演奏せずに終わってしまったのはいったい … ??? 番組後半の、タラゴーナにあるカタルーニャ最大の楽器というオルガンで演奏されたプログラムにはご当地の作曲家カバニーリェスのガイヤルドとカンツォーナなどで、こっちの楽器もモンセラの現代楽器に負けずに響きが美しく、すばらしかった。

 で、トマーナの回はあいにく書いたとおりなので、最後に聴取した米国の若き「天才奏者」、キャメロン・カーペンターについて。この人のお名前は、図書館から借りて聴いているバッハの教会カンタータ全集 … とオルガン版「ゴルトベルク」のあいまにかけっぱなしにしている Organlive.com ではじめて知った。第一印象としては、「ヴァージル・フォックスの再来 ? 」みたいな感じ。故カルロ・カーリー以上にド派手で、型破りな演奏スタイル。でも番組でこの人の経歴紹介を聞かされると、いわゆる「天才肌の人」ということがわかった。十代のころより作曲も手がけ、長いオルガン音楽の伝統に則った「即興演奏」も得意としている。作曲のみならず編曲もけっこうこなし、番組でかかったのだけでもバッハの「無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV. 1007 」とかリストの「超絶技巧練習曲」から「鬼火」、アイヴズの「ピアノ・ソナタ 第2番 マサチューセッツ州 コンコード 1840年 〜 60年」から第3楽章などなど、じつに多彩・多才です。とくにリスト作品は超がつくほどの難曲。たしかに天才です。でもワタシはあいにくこういうスタイルの演奏が苦手。それでもバッハの「ト短調の幻想曲とフーガ BWV.542 」をしかと「聴き」耳立てて聴取していたが … ひとつ重要な問題を考えざるを得なくなった。こういう演奏家って、「音楽の美しさ」という基準はいったいどうなってんのかな、と。会場はブクステフーデゆかりのリューベックの音楽会議場というところで、オルガンの音響を聴いているかぎりではおそらく演奏者当人が会場に持ちこんだ「チャーチオルガン」っぽい。BWV. 542 の演奏をひとことで言えば、「街角の手回しオルガンが奏でるバッハ」という印象でしかない。ころころ音色を変える演奏も好きになれないし、楽器の響きじたいが薄っぺらで安っぽく、ときおり耳障りでさえある。

 … どういうわけか米国のオルガニストって、せっかくの天賦の才能をこういうかたちでしか表現しないタイプの人が多いような気がする。かちかちの伝統にとらわれない、自由自在なスタイルならなんだっていいみたいなところがある。その点、おんなじ系統に属したカルロ・カーリーのほうが、「音楽の美しさ」においてまだましだった。個人的には「まともな」演奏を聴かせてくれる米国人オルガニストとくると、エドワード・パワー・ビッグスくらいしか思い浮かばない。

 同様に、たとえばモーツァルトのピアノ協奏曲のカデンツァにいきなりモダンジャズ ? を即興演奏しちゃうタイプの奏者も気に入らない。なんでもかんでもジャズにしていいってもんじゃないでしょ、と言いたくなる。

 というわけで、けさ NHK第 1 の「音楽の泉」でかかっていた「バッハのオルガン曲集」のほうが、よっぽどよかったというオチでした。

重要な追記:いましがた、待てよひょっとして … と思って過去記事検索したら、この人のことしっかり書いていたりして ( 脂汗) 。なにせ記事本数が 700 を超えているので、書いた当人も ―― 似たようなことは村上春樹氏もおっしゃっていたけれども ―― 昔書いた記事のことはてんで忘れてしまっているていたらくなので、何卒ご容赦を。m(_ _)m 

posted by Curragh at 20:54| Comment(2) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年02月24日

BWV.639 と「オルガンつき」と …

 先週の「第 1750 回 N響定演」。2011 年 6月に裾野市で東フィルの演奏で聴いたリストの「レ・プレリュード」ふたたび。そして「ピアノ協奏曲 第 1 番 変ホ長調」。ソリストはルーマニア出身の中堅奏者ヘルベルト・シュフという方でしたが、バッハ好きにとってはアンコールがなんといってもよかった、おおいに満足の二重丸。「オルガン小曲集」のなかでわりとよく演奏される、そして「母べえ」にもヴォカリーズ版としても流れていた、「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる BWV.639 」。これは「小曲集」中唯一の三声部作品で、コラール旋律がソプラノで歌っているあいだ、不安に駆られた人間の拍動のような 16 分音型をずっと刻む内声、そして歩みのリズムのバスという構成 ( ↓ 動画参照 ) 。ブゾーニの編曲版でしたが、いやあ、このアンコールとにかくすばらしかった。感動しました。ワタシの判断基準はバッハしかないので ( 苦笑 ) このルーマニア出身のピアニストの名前はおぼえておくことにします。



ちなみに前にも書いたけれども、N響定演の番組最後にかかるオルガンコラールも「オルガン小曲集」に収録されたもので、こちらは受難節用のコラール。こちらも BWV.639 と同様にわりとよく演奏される曲で、「マタイ受難曲」にも同コラールによる合唱が出てくるから、ご存じの方も多いはず。でもこの日の白眉はやっぱりサン-サーンスの「オルガンつき」。フルオルガン、なんだろうけれども、指揮者メルケルさんのサジ加減が効いているようで、わりと抑え目な印象を受けました。でもワタシは以前聴いた、小澤征爾指揮の、フランスのどっかの教会 ? みたいなえらく残響の長い空間で録音された音源のような、もっとパンチの効いた最終楽章の演奏のほうが好きですね。好みの問題。池辺晋一郎氏によると、この公演にそなえてふたりのピアニストが長時間、練習していたそうです。音楽家はたいへんだ。残念ながら主役のオルガニストのお名前を失念してしまったが … たしか女流奏者の方だったと思う。Brava !! そしてこんどの N響定演は 4月ですか … 花粉症がひどくなっていそう ( くしゃみと涙目 ) 。

 「古楽の楽しみ」はなんでもチェロの活躍する作品特集だったそうで、バッハのモテット BWV. 228 や、フレスコバルディの「音楽の花束」から楽曲がかかったりと、けっこう多彩な内容。もっともオルガン好きにとっては木曜朝の「前奏曲とフーガ ホ短調 BWV.548 」が最高 ! でしたが。演奏者は名手ピート・ケー。このリンク先記事見てはじめて知ったのですが、若かりしころ、あのリヒターやハイラーをおさえて即興演奏部門で優勝した経歴の持ち主だったんですね、これはびっくり。アントン・ハイラー … とたんに目頭が熱くなりそう … この人のお名前ほんとひさしぶりに聞いた。ウィーンのオルガン楽派の代表だったみたいな人で、中学生のとき、はじめて買ったバッハのオルガン作品集の LP ( !! ) の演奏者がこの人だった。録音もたいへん古くてたしか 1950 年代の、モノラルに毛の生えたようなしょぼい音源だったように思う。ジャケット表紙の写真に使われていた楽器はオランダの有名な古オルガンで、マーススライス大教会のルドルフ・ガレルス製作の歴史的楽器だったこともはっきりおぼえている。もっともそのレコードの録音に使用された楽器がそれだったわけではなかったが。このときはじめて「ニ短調のトッカータ BWV.565 」や「幻想曲とフーガ BWV.542 」、「パッサカリア BWV.582 」、「目覚めよ ! と呼ぶ声が聞こえ BWV.645 」なんかに接したものでした。

 ところで先日まで、カザルスホールのアーレントオルガンを使用した音源を図書館から借りて聴いていたんですが、解説を読むとカザルスホールの楽器、ミラノの聖シンプリチアーノ教会の楽器とは兄弟関係で、しかもミラノの楽器は若きバッハがほんの短い間、オルガニストをつとめていたミュールハウゼンの聖ブラジウス教会のバッハ自身によるプランで製作されたオルガンのストップ構成に似せて建造された楽器だというから、こっちもおどろき。… ギエルミさんによるアーレントオルガンのシリーズはたったの一枚しか持ってないけれど、ふーん、なるほどそうだったのか … でもあくまでも個人的な独断に満ちた印象ながら、なんかこう「乾いた」音色だなあ、というのが率直な感想としてあったりする。バッハが「セスクィアルテラ」という混合パイプ列によるストップの音色が好きだったらしい、ということはケラーの『バッハのオルガン作品』にも引用されてて知ってはいたけれども … 自分の感覚としては、このブラジウス教会のバッハ・オルガンを手本としたアーレントオルガンよりも、むしろそのあとバッハがオルガニストをつとめていたヴァイマール宮廷の城内礼拝堂「天の城」にあったといわれるオルガンのほうが気になる。この時代のオルガン作品の理想の音色って、むしろこっちなんじゃないかと思うんですが、どうなのかな ? ちなみにこの「天の城」、1774 年の大火で焼失 … この楽器もまた着任早々にバッハが改造させたものなので、りっぱに「バッハ改オルガン」と呼べるものでした。オルガンは礼拝堂の何層にもわたって吹き抜けになった高ーい天井の最上階にあったらしいから、「天使の歌声」同様、オルガンの響きは文字どおり天から降ってきたように聴こえたはずです ( → 関連ページ )。

 … 来週は「バッハのチェンバロ協奏曲」の再放送。BWV.1056 の有名な「アリオーソ」ふたたび、というところですか。

posted by Curragh at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年02月16日

バッハは一日にして成らず

 いま、故吉田秀和氏が長年案内役をつとめてきた「名曲のたのしみ」の後釜番組、「クラシックの迷宮」を聴きながらライヴ進行で書いてます ( 笑 )。今宵は「私の試聴室」でして、なんと「ブクステフーデとバッハ」! その音源というのが、ルクセンブルク出身の今年 31 歳になる若きピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメという人の音源から。

 寡聞にしてこの人のことは知らなかったが、びっくりしたことに、けさの朝刊日曜版の「CD セレクション」欄にもこのフランチェスコ・トリスターノの同名音源の紹介がありました … 「作曲も手掛けるルクセンブルク出身のピアニストが、17〜18 世紀の作曲家ブクステフーデとバッハ、さらに自作を弾く。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』にはブクステフーデの影響が見え、ピアニストはバッハをリミックス。古典は時空を超え、現代音楽とつながり得ると実感させてくれる」。むむむ … ワタシにとって「古典」とは「本来時空を超えているものである」という認識でいるものだから、まあそうでしょうよという感覚なんだが … それはともかく先週のこの紙面にも、北イタリア・ドロミテ渓谷麓の村に暮らす吉田愛さんの新譜「4 手の対話」が紹介されていたりと、うれしいことながら最近はクラシック関連アルバムの紹介がつづいてます。… とにかくこのフランチェスコ・トリスターノなる人、きわめて個性的な演奏家なのかもしれない ( 作曲もするので、加羽沢美濃さんじゃないけど、「コンポーザー・ピアニスト」と呼ぶべきなのかも ) 。

 前半、かかったのは若きバッハの師匠と言ってもよいリューベックの教会オルガニストで作曲家のディートリヒ・ブクステフーデの鍵盤作品。うち BuxWV. 160 のみオルガン作品であとはクラヴィーア作品。… おそらく演奏者トリスターノ自身の編曲によるピアノ版なんだろうと思うけれども、粒のきれいに揃った、端正な品のいい演奏、というのが第一印象。前にちょこっと書いたけれども、この音源、「ゴルトベルク変奏曲 BWV.988 」の第 30 変奏「クォドリベット」にひょこっと顔を出しているという、ブクステフーデの「アリア 『ラ・カプリッチョーサ』と 32の変奏曲 BuxWV.250 」に絡めているらしい ( いつもご教示いただいている、「一日一バッハ」の aeternitas さんの情報によれば、バッハもブクステフーデももとをたどれば「ベルガマスカ」の旋律にたどり着くようです ) 。バッハの音楽は、きのうの「小惑星」や「隕石」とはちがって、突如として出現したわけではない、「ビバ ! 合唱」でも案内役の先生が言っていたように、スヴェーリンク → シャイト → … トゥンダー → ブクステフーデ、というぐあいに受け継がれてきた北ドイツオルガン楽派という下地があってのこそ、というわけです。

 案内役の先生の話でちょっとおもしろかったのは、バッハ晩年の傑作「ゴルトベルク」には、若き日に薫陶を受けた北ドイツの巨匠ブクステフーデへのオマージュというか、そんな気持ちが「それとなく隠してある」ということ。隠してありますよ … そういえば柳瀬先生の『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』にもそんなようなことが書いてあったな … それとなくほのめかす、ここに隠してありますよ、と。それでさらに思い出したのですが、リストだけでなくシューマンにも「BACH の名による … 」というオルガン曲があり、それをついこの前 Organlive.com にて聴いたばかり。こっちにもおどろきました。けっこうおもしろい作品だったので。

 アルバム名の 'Long Walk' 、ジョイスお得意の「カバン語」じゃないけど、バッハがドイツ中部の田舎町アルンシュタットからハンザ同盟都市リューベックまでてくてく歩いていった「リューベック詣で」と、バッハから自身までえんえんとつづく音楽の系譜とを引っかけたネーミングらしい。この演奏者自身の作品は、バッハ最晩年の「14 のカノン」のコラージュ的なもの … に仕上がっているらしい。電子音楽的テイストをこれまた控えめに効かせた作品ながら、印象としてはうん、たしかにこれ以前聴いた、小学館の『バッハ全集』に収録されていた「ゴルトベルク」低音旋律をもとにした「カノン」ベースの作品ですね。

 … それにしてもあの隕石落下にはびっくりした … あの火の玉、核爆弾の炸裂のようにも見えたが、不気味な白煙を曳きながら落下してゆく隕石の映像を見ながら思ったことは、1908 年にやはりおんなじ国 ( 当時は旧ソ連 ) のシベリア・ツングースカで大量の針葉樹をなぎ倒した「大爆発」のことだった。ついでに 1910 年にはハレー彗星のしっぽが地球と衝突する、人類滅亡だなどと騒がれたこともありましたね … 今回の隕石は秒速 18 km くらいの、文字どおり想像を絶する猛烈な速さで地球の大気圏に突っこんできたものだから、火球は何万度という超高温プラズマ状態だったらしい。衝撃的映像の数々を見ると、瞬間的に「太陽がふたつ」あった状態だったと言っても言いすぎじゃないでしょう。まさしく一寸先はなにが起こるかわからず、そんな折も折ワタシもバスに乗ろうとしたそのせつな、暴走運転の自転車にハネ飛ばされそうになって瞬間湯沸器状態になったりと、まさに「無常」を痛感した出来事ではあったが、いやそれだからこそ人生は「無上」だったりするわけで … とにかく隕石落下の直接の犠牲者が出なかったことは、不幸中の幸いだったと思う。

 『ユリシーズ』のブルームじゃないけれども、バッハの音楽に耳を傾けていると、やっぱりこう思ってしまう。「ああ、最高 … 」。

posted by Curragh at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年02月11日

文は人なり、音楽もまた人なり

1). NHK-FM および「Eテレ ( この言い方好かんわ … ) 」から。「きらクラ ! 」と「ららら ♪ クラシック」とかけもち出演 ( ? ) されたギタリスト鈴木大介さん。かつて「きらクラ ! 」の前身番組「気ままにクラシック」の「マスター」を務めていた方だけに、ひさしぶりの登場はうれしかったですね。で、これは「ららら」のほうで大介さんがしゃべっていたことなんですが、あの有名なシューベルトの「セレナーデ (「白鳥の歌 D.957 / 4 」) 」は、じつはギターを爪弾きながら作曲したんじゃないか、ですと。当時のウィーンではギターが大流行、シューベルトも一丁、持っていたんだとか。へぇ、それは知らんかった。でも似たような話はバッハにもあります。若きバッハ、アルンシュタットの教会オルガニストに就く前は一時期、ヴァイマール公の宮廷でヴァイオリンを担当したことがあり、またリュートもダ・ヴィンチに負けず劣らず名人だったようなので、たとえばあの超有名な BWV.565 のニ短調のトッカータも、じつはヴァイオリン用として作曲したんじゃないかっていう説がある。その説にもとづいた「復元」演奏盤というのもいつだったか「バロックの森」でかかったことがあったけれども、譜面を見ればワタシのような素人でもそれとわかるほど、あきらかにオルガンらしからぬ書法で書かれてます。加羽沢さんも、あれはピアノだと弾きにくいんですよね 〜 とかおっしゃっていた。自分は弦楽器系はからっきしわからないのでなんとも言えないが、大介さん曰くギターで弾くと左手はコードを押さえたままで右手で爪弾けばいいのでラクなんだそうな。

2). もうひとつ音楽関連でおどろいたのは ―― なにをいまごろ、とお思いの向きもいるだろうけれども ―― 冨田勲さんの最新作「イーハトーヴ交響曲」の世界初演のこと。なにがって、またですわ、初音ミク。こんどはなんと !! 指揮者にあわせて歌うことが可能になったという ! しかもさらにおどろくのはオペラシティの大オルガンの前面に掲げられた半透明なスクリーン上に映し出された彼女の姿。… まるでオルガンパイプの真ん前で、現実に空中に浮かんでいるかのような圧倒的存在感で歌っているではないですか。… 番組で、技術者たちは当初、冨田さんの要求に頭を抱えていたけれども … こうしてリアルタイムで指揮者の指示、あるいはリタルダンドとかテンポの大きな揺れにも対応可能となると、いままで想像もしなかったような「コラボレーション」が実現するということでもあるので、これを機に ( ? ) いよいよ仮想空間を突き破ってじっさいの演奏会場へと「進出」する、なんてことが今後ますます増えるのかなあ … とおどろきと懐疑とが入り混じった印象を受けつつ見入ってました。でも冨田さんのこの交響曲の場合、初音ミクの起用は成功していたと思う。ヤナセ語ふうに言えば、宮沢賢治文学の放つ「化身とならざる霊 ( 『フィネガンズ・ウェイク III 』 ) 」がみごとに表現されていたと感じたから。そしてこの番組で、冨田さんが幼少時、直下型の「三河地震」を体験していたこともはじめて知った。それゆえ初音ミクの起用とその扱いも、いたずらに流行を追った皮相的なたぐいに堕しなかったのだと思います。とにかく感動的な「世界初演」でした。ちょっとおもしろかったのは、作曲にはもちろん PC を使っていたけれども、五線紙と鉛筆という昔ながらのアナログな道具もまた健在だったこと。もっともご本人は、「こんな何段もある管弦楽用の総譜なんて、もう年だししんどいよ … 」みたいなことを漏らされていたけれども。「音楽もまた人なり」、をあらためて感じたしだい。そして本日は、東日本大震災からまる 1 年11か月目。宮沢文学には東北地方を再三襲った大地震と大津波の影響がつよく反映されていると言われ、冨田さん自身もやはり大地震で被災した体験を持つひとり。だからこそこのように聴く者の魂を深く揺さぶる音楽作品が作れるのですね。そういえば本日の午後、NHK-FM でオンエアされた冨田さんの特番もたいへん興味深かった。へぇ、大阪万博のとき、モーグ・シンセサイザーでバッハの「シンフォニア ( BWV.29 ) 」なんて演奏していたんだ ! カーロスの「スイッチト・オン・バッハ」に触発されてのことだったらしいけれども、原点はバッハだったんだな、と勝手にひとりごちる。

3). 本日は祝日。で、こちらの番組も見ました … ロアルド・ダールの『チャーリーとチョコレート工場』とくると、ダール好きでなくても聞いたことのある作品じゃないでしょうか。ロアルド・ダールとくると、以前ここでもちょくちょく言及していた自伝『少年』。正月いっきに読みまして、ああ、「除籍本市」でもらって正解だった、と思えるおもしろい本でした。永井淳氏の訳も、この作者特有のひねりとブラックユーモアがきらりと光る名訳だと思う。番組でも取り上げていたけれども、ダール氏の送りこまれた寄宿学校とその後進学したパブリックスクールでは、上級生によるいじめと教師による「鞭打ち」が日常茶飯事に行われていた … たしか元首相のチャーチルも、やはり自伝にそんなこと書いていた。いまはどうだか知らないが、とにかく昔の英国のパブリックスクールにおけるいじめないし教師の「体罰」は、それはヒドかったといいます。折りしもいま、この国でもあらためてこの「古くてあたらしい問題」について、さまざまに取り沙汰されているけれども … 。

 番組でも「かまど」が言及していたように、『少年』を読んでとくに印象的だったのは、ダール氏が母親宛てに綴った手紙の数々がまるまる一章を割いて書かれている章です。1957 年に母親が死期を悟ったとき、愛息ダール氏にそれまで大切に保管していた手紙の束を渡したのですが、なんとその総数 600 通以上 ! だったそうです。「年をとってから昔を語るときに引き合いに出せるこういうものを持っているということは、とてもしあわせだと思う」。

 『少年』で、ダール氏は「体罰」について、こんなふうに怒りをこめて述懐している。
… ここまで書いてくれば、みなさんはなぜわたしが学校における体罰をかくも強調して書くのかと不思議に思われるに違いない。その答は、要するに書かずにいられないからである。学校生活を通じて、わたしは教師や上級生がほかの生徒たちを文字どおり傷つける、それもときには手ひどく傷つけることを許されていた、という事実に愕然とさせられた。わたしにはそのことがどうしても納得できなかった。いまだに納得していない。当時すべての教師が常習的に生徒を殴っていたといえば、もちろんいいすぎになる。そんなことはなかった。常習的に生徒を殴るのはごく一部の教師だけだったが、それだけでわたしに永続的な恐怖の印象を刻みつけるには充分だった。そのことはもうひとつの肉体的な印象をもわたしに刻みつけた。いまでも、固いベンチや椅子にある時間坐ることを強いられるたびに、約五十五年前にお尻にできた古い鞭の痕が疼きだすのを感じる。… あの当時だれかにこのサディスティックな聖職者がやがてカンタベリー大主教になることを教えられたとしても、わたしは絶対にそれを信じなかっただろう。
 わたしが宗教はおろか神さえも疑うようになったのは、このことが原因だったと思う。

ロアルド・ダール自伝 『少年』

 ちなみにここで描かれているヒドい校長にして聖職者の人は、のちにカンタベリー大主教として現女王を戴冠した人なんだそうです … 。

 文学ついでに、このほどやっと柳瀬新訳版『ダブリナーズ』、読了しました。でもなんかこれ、ほぼ一世紀前の西の果ての島国の首都の物語というより、21 世紀のいまを生きる自分の住んでいるところもそうだが、現代日本の疲弊した一地方都市の市民生活とがダブリまくりなのはいったいどういうことなんだろう、と … そしてやはり前評判どおり ( ? ) 、掉尾を飾る「死せるものたち ( 'The Dead' ) 」の印象がかなり強烈。ところで最近『神話の力』を繰っていたら、インタヴュアーのビル・モイヤーズの書いた「まえがき」に、ジョン・ヒューストン監督がこの 'The Dead' を映画化して、その試写会のこととかにも触れてまして、あらためてへぇそうなのか、と思ったしだい。ところでこの映画化作品、国内でも封切られていたんだろうか … あいにく記憶がない。そういえば「かまど」で読み上げられた『チャーリーと … 』も、柳瀬訳版でしたっけ。柳瀬先生は『ユリシーズ』はどうなってんだろう … いまだ「辛航中」なのかな ? 全訳刊行成ることを期待しています。
 ああ、腹がへった。
 彼はデイヴィー・バーンへ入った。謹厳なるパブ。おやじは無駄口を叩かない。たまに一杯おごることもある。もっとも閏年みたいに四年に一度。いつか小切手を両替してくれたっけ。
 さて何を食おうか ? 彼は懐中時計を取り出した。さて、ええと、シャンディーガフ ? 
 ―― やあ、ブルーム。でかっ鼻フリンが坐ったまま声をかけてきた。
 ―― やあ、フリン。
 ―― 元気か ? 
 ―― ああ、最高 …… 。ええと。バーガンディを一杯もらおう …… それから、ええと。―― 『ユリシーズのダブリン』より

posted by Curragh at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年02月03日

天才は天才を知る

 先週の「古楽の楽しみ」は、「バッハからモーツァルトへ」。で、ワタシがとくに全身耳になったのは、最終日の回。かなーり昔に、たしか NHK ホールの大オルガンを使ったリサイタル中継番組だったかで聴いた、ケッヘル番号608 の「ヘ短調の幻想曲」。それと、はじめて耳にしたケッヘル番号574 の「ト短調の小ジーグ」。もっともなによりおどろいたのは磯山先生の解説のほうでしたけれども。

 後者、K.574 の小品は、1789 年というからフランス革命の年、33歳のモーツァルトがバッハゆかりの地ライプツィッヒを訪問したとき、当地の宮廷オルガン奏者カール・イマニュエル・エンゲルという人の「記念帳」に「即興で」書きつけた作品だという。なんでも大バッハのモテット BWV.225 を当地で聴いていたく感激したモーツァルト、この輝かしい 8 声二重合唱のモテットの楽譜のコピーを一部所望して、それからエンゲルのゲストブックに小ジーグを書いたらしくて、バッハに敬意をこめて、BACH 音型を盛りこんで書いたという。で、聴いてみると、すばしこいパッセージ中にたしかに BACH が聴こえる。へぇ、モーツァルトにこんな毛色の変わった作品があったのかと、ひとりで勝手に感動していた。

 K.608 のほうは「自動オルガンのためのアレグロとアンダンテ」というのが正式名みたいですが、磯山先生の解説ははじめて聞く内容だったので、こういうおもしろいことを耳にするといてもたってもいられない性分のワタシは、さっそく図書館に行って「小ジーグ」とともにこっちもちょこっと調べてみた。参照したのは『モーツァルト事典 ( 東京書籍、1991 ) 』、『モーツァルト大事典 ( 平凡社、1996 ) 』、『モーツァルト全作品事典 ( 音楽之友社、2006 ) 』の三つ。

 「小ジーグ」について、磯山先生の解説によればバッハの影響ありとしていたけれども、どういうわけか ( ? ) 『大事典』の記述では「1789 年 5 月16日、ライプツィヒ (自筆譜による) / ヘンデルの <<組曲 ヘ短調>> 第 1 集第 8 番のジグを模倣したもの」とあり、バッハのバの字も出てこない (苦笑)。いっぽう、三冊のなかではもっともあたらしい『全作品事典』では「 … 明らかにバッハへの捧げ物である。しかし、対位法様式によるジーグであることを除けば、われわれにバッハを想起させるものは非常に少ない。しかしそれまでに書かれた作品のなかで最もモーツァルトらしいというわけでもない。実際のところ、この作品は、大胆な外形や絡み合うリズム、冒険的な和声などを有する、非常に孤立した現象であったと思われる」とあって、しっかりバッハの影響を書いている(が、BACH 音型については触れていない )。ちなみにこの事典はいままでモーツァルト作品について書かれた著名な評をかき集めたような本らしくて、これ書いたのはサー・ウィリアム・グロックという、2000 年に物故した英国の著名な音楽批評家の人。ながらく The Observer 紙に音楽批評を書いていた人物みたいです。そして関係ないことながら、この本の「監訳者あとがき」を見て翻訳にたいする姿勢にもひじょうに好感をおぼえた。音楽関係の本の邦訳って当たりハズレが激しいんですが ( 苦笑 )、こういう真摯な訳者先生の手になるものだったらたぶん、大丈夫でしょう。この手の「事典」もので 3,800 円という本体価格も安いと思いますし。

 K.608 は、寡聞にして知らなかったが、当時ウィーン ( ほんとはィーンと表記したいところだが ) にあった「蝋人形館」の依頼で書かれた作品だという。作曲年代はモーツァルトが死んだ年、1791 年 3月 3日というから、最晩年も最晩年の作品ということになる。姉妹作品にやはりおなじ蝋人形館の依頼で書かれた K.594 もあるとか。で、『大事典』によるとこれまたおもしろいことが書かれてあって、興味は尽きないですねぇ。K.608 は将軍だったラウドン男爵という人の死に寄せて、霊廟が建立されるのにあわせて蝋人形館運営者で美術商のミュラー・ダイム氏という人から頼まれたんだという。では金欠のどん底にあったモーツァルト先生はこの依頼に喜んで作曲の筆を進めたかというとそうでもなかったらしい。
僕は毎日ちょっとずつ書いているけど、いつも途中で退屈してやめてしまいます。もしこれが大きな楽器だったなら、オルガン作品のように響いて、僕もいくらかうれしいのだけれど。実際は小さなパイプだけでできていて、僕には子供じみた、高い音にしか聞こえないのです。

いやいや作曲してたんだなぁ !!! これはビックリ。その「自動オルガン」というのがいったいどんな代物なのかは知りようもないが、当時はこの手の「自動楽器」がはやっていて、くだんのオルガンは当時「音楽時計」と呼ばれていたようだから、時計でも組みこまれていたんかな ?? とにかく「いやいや」作曲していたとは毛ほども感じさせないすばらしい作品で、なんとベートーヴェンもこの作品を筆写していたといいます。まだ「アヴェ・ヴェルム・コルプス」も知らなかったころ、自分もまたこの作品を聴いたとき、あれ、モーツァルトってバッハみたいな曲も書いてんだと素人ながらに感じていたことなんかも思いだした。

 そういえばすこし前に見た「ぶらり途中下車の旅」という番組で、「アルモニカ」の国内ではただひとりの演奏家の先生が登場して、なんとも形容しがたい天上の響きを奏でていたのを見ましたが、モーツァルトもベートーヴェンもこのガラスでできた楽器のために作品を書いているとか言ってました。モーツァルトのほうは「アダージョ K.356 」という作品があり、三冊の事典を繰ってみたらどうもこれ盲目の若き女流アルモニカ演奏家の予約演奏会のために書いた曲だったらしい。『事典』によれば、アルモニカ ( グラスハーモニカ ) という楽器は当時すでに機械化されはじめていて、鍵盤で音が出る仕組みになってもいたという。音域も 1770 年代には c−c4 、あるいは c−f3 まで拡大していたらしい。番組では、演奏家先生がえんえん 1 時間もかけて ( !!! ) 手を洗っていたのが印象的だった。でも聴いてみたいなぁ、この楽器。

 「小ジーグ」と「幻想曲 ヘ短調」、ともに演奏はイタリアの中堅奏者アレッシオ・コルティの音源によるもの。コルティは「フーガの技法」全曲も録音していて、NML サイトにてファーイウスとかほかの奏者とともによく聴いてました。来週の「古楽の楽しみ」は今谷和徳先生による「イングランドの音楽その 2 」というから、こっちも楽しみ。というか最近は Organlive.com にどっぷりハマってしまっている … こうしてかけっぱなしにしていると、オルガン音楽の歴史のただならぬ長さ、深さというものを感じないわけにはいかない。ピアノ音楽もたしかに歴史は長く、そのレパートリーも膨大だが、なんの、オルガン音楽にくらべればまだまだかわいいもんですわ。なんせこっちは中世聖歌隊の伴奏からルネサンス・バロック、バッハからロマン派、現代にいたるまで途切れることなく滔々と流れる大河のごとくつづいているのだからね。

posted by Curragh at 12:00| Comment(2) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年01月28日

ケーテン時代のバッハ

1). 最後の回の放映は本日で終わってしまったけれども、今月の「名曲アルバム」では大バッハの「ブランデンブルク」の 5 番 ( BWV.1050 ) が流れてましたね。

 最新映像で見るバッハゆかりの地ケーテンは、とてもおしゃれで美しいところだなあ、と思いました … 映像から察するに、どうもクリスマス時期に取材に行ったらしい。ケーテン城前にも大きなクリスマスツリーにかけられた電飾が煌々と輝いていたし、「鏡の間」でのコンサートのもようなんかも、いかにも楽しそうで見ているこちらはちとうらやましくもなったり ( ケーテン城内礼拝堂にあった、あの数ストップほどの一段手鍵盤のオルガンが個人的にはすごく気になる )。バッハはヴァイマール公と事実上のけんか別れとなって放免されてケーテンへと赴任したわけですが、バッハをして「骨を埋めるつもり」だったケーテン時代は、たったの 6年間しかつづかなった。芸術家にとって、幸福な期間というのはかくも短かしという典型例かもしれないが、この短期間のあいだにも「平均律」や「フランス組曲」、「半音階的幻想曲とフーガ」、「 6つのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」、「 6つの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」、「無伴奏チェロ組曲」、「インヴェンションとシンフォニア」の初期稿などなど、名曲をつぎつぎと生み出している。

 6 曲からなる「ブランデンブルク」もそんなケーテン時代の傑作のひとつ。とりわけ、「ピアノ協奏曲の誕生」とものちに評されることになる第 5 番第 1 楽章はひじょうに有名だし、バッハ作品のなかでも人気の高い曲だからけっこうひんぱんに演奏会のレパートリーとして取りあげられてもいます。あの浮き浮きとした通奏低音だけ聴いても、バッハ作品にしてはひじょうに明るくて、親しみやすさではまず筆頭格なんじゃないかと思います。チェンバロを弾くほうは、それどころじゃないかもしれないが。

 以前、ここでも書いたことと重複するけれど、ケーテン時代のバッハのオルガン作品、とくると、やはり「大フーガ」で知られる BWV.542 くらいのものですが、だからといってオルガンを忘れていたわけでもなく、ケーテン宮廷赴任直前にもハレの聖母教会に新造された 65 ストップの大オルガンの鑑定に招かれたり、ライプツィッヒのパウロ教会の新オルガンの鑑定をしたりしてます。鑑定後の試奏あるいはこけら落とし独奏会では、たぶん前任地にて書きためていた旧作か、あるいはライプツィッヒ時代に浄書された一部の「前奏曲とフーガ」の初期稿版なんかを、即興演奏とまじえて聴衆をおどろかせつつ、弾きまくったんだろう … ということは想像にかたくない。

2). けさの「古楽の楽しみ」はバッハの息子たちの作品が流れてました。次男坊カール・フィリップ・エマヌエルの「ロンド ホ短調 『ジルバーマン・クラヴィーアからの別れ』」もかかってましたが、印象的だったのが「フーガ 変ホ長調 Wq.119/6」というオルガンフーガ。演奏者は往年の名手マリー-クレール・アラン。のちのモーツァルトにつづくギャラントな雰囲気はたしかに感じられたけれども、がっちりとした構築性というか、巧みに絡みあいつつ進行する対位法書法は、あきらかに「旧時代」の父親バッハ直伝のものなのでした。

 ところで「きらクラ ! 」の「DON ! 」コーナー。出だしを耳にするなりふかわさんが、「なにこれ、このビョ〜ンは ?! 定規かなんかみたい ! 」と声を上げていましたが ( 笑 )、そうですねぇ、ヤナセ語ふうに言うと、「ヅェ〜ンバロ」ってやつですかね。

追記:tunein 経由でこれを聴きながら書いてたんですが、ちょうどいま、こんなアルバムが流れてました。おどろいた。ネットラジオ探索の旅は、まだまだつづく ( 笑 )。

posted by Curragh at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年12月24日

ヴァージナルってけっこういいかも

 クリスマスイヴの朝、「古楽の楽しみ」ではなんと英国ルネサンス期のヴァージナル作品がかかりました ( その前にフレスコバルディの「パッサカリアによる 100 のパルティータ」とかもかかってました。もちろん季節柄、シャルパンティエの楽しい「真夜中のミサ」も ) 。かかったのは、「ブルのおやすみ」のジョン・ブルの「みどりごが生まれたまいぬ」という愛らしい小品。でももっとも印象的だったのは、ほかならぬヴァージナルの調べそのものです。じつに味わい深い。クラヴィコードみたいにか細く、繊細すぎない音で、しかも独特のハリがある。だからといってチェンバロのようにやたらとビンビン響くわけでもない。なんとも形容しがたい心地よい響きなのでした。ちょっとこの音源メモメモ ( 笑 ) 。またのちほど NML でも探してみよう。

 明朝、クリスマス当日はバッハの「クリスマス・オラトリオ BWV.248」から。前にも書いたけれどもこれは教会暦でいう年明け 6 日までの降誕節の 12 日間の主要祝日のために連作した一連のカンタータをそう呼んでいるだけなので、べつに全部通して聴くチクルスというわけではない。個人的にはやっぱりあの冒頭の晴れやかな喜びに満ち満ちたトランペットの活躍する曲とか好きですねぇ。

 … それはそうと、こちらの地元紙記事。いやあ、すごいことです。なんせ 210 歳の英国製ピアノ、経年劣化のため録音ではなんと一楽章ごとに調律しなおしたんだとか。調律の狂いやすさではチェンバーオルガンなんかもたいへんらしくて、苦労話を披露されている楽器屋さんのブログ記事とかもよく見かける。教会のオルガンももちろん話はおなじで、とくに酷寒に見舞われる欧州では演奏中にだんだんピッチが下がってきて、聞いた話では本来はラなのに一音下げてソで歌ったりと聖歌隊も苦労するみたいです。気温によるピッチ変化では、むしろ室温上昇とともにピッチが上がる場合のほうが多いと思います。

 きのうは出かけていたので、けさは寝ながら「きらクラ ! 」再放送分を聴いてました。最後のほうで読まれたお便りには、こっちもなんだかしんみりしてしまいましたね … そしてこちらもいろいろと思うところがあったり。その関連ではたとえば深夜に見たこの番組もすごいといえばすごかった。まさしく今年最後を飾るにふさわしいすぐれた記録番組だと思う。なるほど、ピダハン語ですか ! このまさしく絶滅しかかっている言語には、なんと過去も未来もなくて、ただ「いま現在」のこと以外を言い表す表現ないしことばがそもそもないのだという。… いまこのとき、この瞬間がなによりも肝心。それ以外のことはどうだっていい。たしかにそうだ。「明日を思いわずらうな」ってたしかイエスも言っていた。比較神話学者キャンベルもまた「永遠をいま、この瞬間に経験することがなければ、けっして永遠を経験することはできない」みたいなことを言っていた。昔読んだあるエッセイに、「明日をもっとも必然としない者だけが、もっとも晴れやかな顔で明日に向かうことができる」みたいなことが書いてあった。言わんとするところはみんなおんなじなのかもしれない。というわけで、昨年の震災以降いろいろ去来する思いはあるが、今宵は心しずかに、BBC World Service で毎年クリスマス恒例のキングズカレッジ聖歌隊による「9つの朗読とキャロルの祭典」に耳を傾けることにします ( 日本時間では、明日午前零時から )。

posted by Curragh at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年12月16日

地上には平和を

1). 「古楽の楽しみ」、この前の金曜朝のリクエストでは大バッハの「パストラーレ ヘ長調 BWV. 590 」と「オルガンのためのトリオソナタ BWV.525 」がかかってました。「パストラーレ」は往年の名手、マリー - クレール・アラン、「トリオソナタ」のほうはコープマン。たぶんコープマンのほうは音源を持ってるはずなので、またあとで全曲聴いてみようかな。それとこの時期の定番 ( ? ) コレッリの「クリスマス協奏曲」も流れてましたね。演奏者は英国のこれまた鍵盤楽器の名手、トレヴァー・ピノック率いるイングリッシュ・コンサート。

 ところで次週の「古楽の楽しみ」は、「パリのレ・アール地区と音楽」。ジャン - フランソワ・ダンドリューの鍵盤作品もかかるそうで、こっちも楽しみ。ところで「フランス古典もの」ではいろんな名前の「舞曲」、つまりダンス音楽が頻出しますが、「エスタンピ」と「ブランル」なんかもよく出てきますね。というわけで NML の『音楽中辞典』を引いてみる。↓
estampie[仏] estampida[プロヴァンス] istanpitta, stampita[伊] 
 13,14世紀のフランスやイタリアの写本にこの曲種名が残されている。多くは旋律のみだが歌詞のあるものもあり,「踏み踊り」の名称が示すように舞曲とされる。半(開)終止でくり返され,全(閉)終止におわるいくつかの楽節からなる。

branle[仏] 
1. 15,16世紀のバス・ダンスで横へのステップもしくは動きを示した言葉。
2. フランスの民俗舞踊。拍子,テンポ,踊り方などは地方によって異なり,のちにメヌエットやガヴォットへと発展したものもある。16世紀末にはいくつかのブランルを順にならべた一種の組曲も存在した。

これらとは関係ないが、「だれだれのマスク」とかいう曲名の作品は、英国ルネサンス期音楽あたりでよく見かけます。「だれだれのトイ」というのや、「ジョン・ブルのおやすみ」なんてヴァージナル楽曲まである。トイというのは、そのものずばり「玩具」のこと。そういえば追悼音楽として、「だれだれのトンボー」というのもあったな。
toy, toye[英] 
16世紀末から17世紀のイギリスで用いられた,リュートやヴァージナルのための小曲の表題。

 「ビバ ! 合唱」も、時期的に楽しいプログラムがつづいてます。先週は「バロック時代フランスのクリスマス音楽」、そしてけさは「ジョン・ラターによるクリスマスの歌」。ラッター ( と自分は表記 ) は、BBC Radio2 の毎年恒例の「今年の若き聖歌隊員 YCOY 」コンペの審査員としてもお馴染みの感ありですが、この人の「ピエ・イエズ」は大好きだし、「球根の中には ( 'There is a flower' ) 」とか「地上の美のために ( 'For the Beauty of the Earth' )」なんかも名曲だと思うし、合唱好きにとっては定番ですね。英国の作曲家はなんといっても声楽・合唱ものはつよいです。器楽一辺倒だったころは見向きもしなかったが、いま本棚の CD 突っこんである区画を眺めると、英国直輸入盤の英国作曲家もの音源も数こそまだまだ少ないが、バッハに混じってちらほら見えている。ハーバート・ハウエルズとか、ウィンチェスターカレッジ聖歌隊の歌うジョージ・ダイソンという人の作品集とか ( この人のご子息が、著名な物理学者のフリーマン・ダイソン氏 ) 。でもけさの放送を聴いてみて、クリスマスものだけでもけっこういろんな自作・編曲があるもんだ、と感じたしだい。「明日はわたしが踊る日」、「サセックス キャロル」、「クリスマスの 12日」、「主があなたを祝福し、あなたを守られるように」… 。英国ものは、実演でもご当地の聖歌隊で接することが多かった。Boys Air Choir、セントジョンズ、オックスフォード・クライストチャーチ。「パリ木」や Boni Pueri も彼らのアルバムで英国もの、とりわけブリテンの「キャロルの祭典」を収録していたりするけれども、お国柄というか、「外国の歌」を歌ってますという感じでこれはこれでおもしろいけれども、英国人聖歌隊による歌唱のほうがやはり違和感なく聴けますね。

2). いまさっき NHK TV のニュースで「聖誕教会のクリスマス」のもようを見ました … 寡聞にして知らなかったが、ベツレヘムはたびたび武力衝突の戦闘の只中に巻きこまれてきた場所。こんなふうに派手な電飾を施した、文字どおり Deck the Hall みたいなでっかいツリーなんか飾って盛大にお祝いする、なんてことがいままでにもあったんだろうか … いかにものどかで、平和で、まるで日本の教会のクリスマスみたいな光景だった。たしかここだったと思うが、だいぶ前、邦人観光客カップルがパレスティナ・イスラエル両軍対峙しているそのど真ん中を平然と歩いていて、兵士が唖然としていた、なんて話を聞いたことがあります。いずれにせよこのふたりが紛争地帯に迷いこんだ是非については蝶々しない。とにかく TV で見た聖誕教会の光景は平和そのもので、これからもこの状態がずっとつづくようにと祈らずにはいられない。と、ここでまたしてもジョイスの『フィネガン』の一節が思い出される。柳瀬訳版の第三巻に出てくる、「ベネント・セント・ブリジッド国立夜学出の」29 人の女学生たちが暇を告げるショーンに向かって呼びかける各国語による「平和」の連呼が ―― この国ではついきのうまでべつの「連呼」がこだましていたけれども。そういえば先だって地元紙面の若い人の投稿欄にもそんなことが書いてありました。書いたのは 13 歳の中学生です。「僕は、みんなの意見をしっかり聞いて自分の意見をはっきりと言える人になりたいです。そして、それを人に伝えられるような力を持って自分で何かを変えられるよう努力します。そして、戦争ではなく話し合いで平和になれる世界をつくれる日本人になりたいです」。
Frida! Freda! Paza! Paisy! Irine! Areinette! Bridomay! Bentamai! Sososopky! Bebebekka! Bababadkessy! Ghugugoothoyou! Dama! Damadomina! Takiya! Tokaya! Scioccara! Siuccherillina! Peocchia! Peucchia! Ho Mi Hoping! Ha Me Happinice! Mirra! Myrha! Solyma! Salemita! Sainta! Sianta! O Peace! ―― Finnegans Wake Book III , pp. 470 - 1.

 教会つながりではパリの「ノートルダム」も建設着工から 850 周年 ( ! ) だそうで、祝賀行事がはじまるそうですよ。そして個人的なことながら、大晦日恒例 ( ? ) のクォートですが、じつは半年ほど前からもう決まっていまして、今年はこれで締めようと考えてます。最近大きめの地震とか多くなってきた感じがするので、とにかく年末年始は平和を、平安なクリスマスを、とせつに願っております。皆様もよきクリスマスを。

posted by Curragh at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年11月10日

たしかに似ている

1). 金曜朝の「古楽の楽しみ」のいつものリクエスト特集。出だしは「調子のよい鍛冶屋」の終曲 (「アリアと変奏」)で有名な、ヘンデルの「組曲 第5番 ホ長調」。かかった音源は曽根麻矢子女史の師匠でもあった故スコット・ロス。つづいてバッハ作品がふたつかかり、まずはカンタータ 147 番「心と口と行いと生活 BWV.147 」で、これはたしか廉価版で手に入れた Teldec 盤のもので、ソプラノ / アルトの独唱もテルツ少年合唱団メンバーが歌っているもの。自分の持ってる音源には BWV.147 と BWV.140 の「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」とがセットになって入っていて、最近これ聴いてなかったから、なんだか新鮮味があった。最近のバッハのカンタータものの録音って、当時の習慣そのままにボーイソプラノ / ボーイアルトにソロを歌わせた音源ってあるのだろうか ? リフキンだっけ、「マタイ」は 4声パートの独唱のみならず合唱までじつは最低限の人数で歌われていたとかって「新説」を出してきた音楽学者さんは ? うーん、じっさいはどうなんでしょ、ここにいるバッハ好きの門外漢は、いくら倹約家の大バッハでもそれはなかったんじゃないかと思うんですがね … 。それならはじめから聖歌隊なんて必要ないですし。

 最後にかかったのはハインリヒ・シャイデマンのちんまりした作品「プレアンブルム ニ調」で、こちらも手許にあるソニークラシカル盤から。演奏者は今年 1 月に残念ながら亡くなったグスタフ・レオンハルト、使用楽器は録音当時、建造された時代に忠実に再修復されたばかりのハンブルク・聖ヤコビ教会の A. シュニットガーオルガン ( 1693年建造 )。ここのオルガンを使った録音では、近年ではレオンハルトの弟子のコープマンによる「バッハ・オルガン作品全集」がある。この歴史的名器の修復を行ったのはユルゲン・アーレント氏で、ロレンツォ・ギエルミがオルガニストを務めるミラノの教会の楽器とかも手がけているし、そういえばあのカザルスホールの楽器もアーレントオルガンだった。いまにして思えば、カザルスホールのアーレントオルガンの響きを聴いておくべきだった。

2). いまさっき聴いた「ガットのしらべ」。番組名がなんだか往年の「朝のハーモニー / オルガンのしらべ」を彷彿とさせますが、とにかく聴いてみて、おや ?! と思いました。

 バッハの有名なあの「シャコンヌ ( または伊語表記でチャコーナ、BWV.1004 の終曲 ) 」は、じつはビーバーの「ロザリオのソナタ集」所収の「パッサカリア ト短調」に霊感を得て作曲されたらしいとか。じっさい聴いてみると、… むむむむたしかによく似ているな ! とくにコーダのところなんかは。バッハ時代の「宮仕え型」音楽家というのは純粋におのれの内なる心の声に従って作曲し、それを世に問う、ということはまれで、たいていがなにかの必要に迫られてとか、雇用主の領主や貴族、教会側の要望に沿った作品を提供することが求められていたから、ひょっとしたら「特定のだれか」の必要のために書いたのかもしれない。… なんてこと書いていたら、あらら、以前ワタシはこんなこと書いていたのね … 。

 ハンブルクのヤコビ教会のオルガンにもどると、この楽器の仕様は 4段手鍵盤に実働 60ストップという、当時としてはひじょうに大規模な楽器でした。バッハがここのオルガニストに志願した、というのは有名な話 ( 前にも書いたから、蒸し返しませんが )。

3). そういえば前回の「きらクラ ! 」は公開生放送、ということで、ゲストはいまをときめく若手バンドネオン奏者の三浦一馬さんとピアノの BABBO さん。バンドネオン発祥の地がアルゼンチンではなくてドイツだった、というのは知っていたけれども、そもそも教会のオルガンの代役として開発された、という話ははじめて知った。バンドネオンのなんとも言えない哀感を帯びた調べは自分も好きですが、バンドネオンってもう生産していないのだそうだ。ピアソラの 'Oblivion' も演奏されましたが、楽器としてのバンドネオンもいまや風前の灯、文字どおり「忘却」のかなたへ、かつてのサックバットやクルムホルン、セルパンなどとともに消え去ってしまうのだろうか。でも三浦さんのような若い奏者がおおいに活躍されれば、当分そんなことはなかろうと楽観していますが。

追記。バッハ時代からおたがいによきライヴァル関係にある、ライプツィッヒの聖トーマス教会聖歌隊とドレスデンの聖十字架教会合唱団。いまさっき FB 公式ページ見たら、なんと 14 歳の団員が作曲したトリオ作品がベルリンフィル主催の作曲コンペで優勝して、晴れてベルリンフィルのメンバーによる演奏で初演されるという !!! … 世の中、神童はいるもんですね。日時は来月 14 日だそうです。もうひとつは、こちら。自分もきのうの夕刊にてはじめて知った … いいなあ、これ聴いた「約 80 人」の聴き手は。ワタシもぜひ聴きたかったなあ … 。

posted by Curragh at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年10月08日

セントジョンズ & ドイツバロック期のオルガン音楽

1). 今週の「古楽の楽しみ」は … 「ドイツ・バロックのオルガン音楽」だ !! もっともこれ 6 月の再放送みたいですが、忘れっぽい人としてはこの「繰り返し」はまことにありがたい。心して ( ? ) 聴きたいと思う。

 けさはオランダのスヴェーリンクからはじまり、その弟子シャイトの「新タブラトゥーラ」第二巻からと、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ツァハウというほぼヨハン・パッヘルベルと同時代に生きた人の、あっという間に駆け抜ける短い「前奏曲とフーガ ト長調」を巨匠レオンハルトの音源で。つづいてバッハの有名なコラール編曲がかかりましたが、ツァハウの「ああ主よ、哀れな罪人である私を」というコラール前奏曲、なんかどっかで聴いたことある定旋律だなあと思っていたら、そのすぐあとかかったバッハのコラール編曲 ( BWV.727 ) を聴いて、ああなんだ、ハンス・レオ・ハスラーの「わが心は千々に乱れ」だった。もとはこれ若者の失恋を歌った流行り歌だったのに、あっという間にイエスの受難を思いやる歌詞へと早変わり。ここが、音楽のもつ力の素晴らしいところ。以前も書いたけれどもかの地で「リパブリック賛歌」として歌われている曲が、ここでは「権兵衛さんの赤ちゃん」になったりする。この柔軟性こそ、言語を超越した音楽ならではの最大の強み、長所ではないかと思います。ちなみにツァハウという人は寡聞にしてよく知らないが、1663 年にライプツィッヒの音楽家一家に生まれ、ハレの聖マリア教会オルガニストを務めた人だったらしい。だから流れ的には「北ドイツオルガン楽派」になるのかな。でも手持ちの「レオンハルト ジュビリーエディション」所収の音源では「アルプス地方のオルガン音楽」におんなじ「前奏曲とフーガ」が収録されているけれど … 。

 後半、音源がかかっていたベルギー在住のオルガニスト国分桃代さんは、拙ブログのリンク欄にもある「晴れた日のオルガン」の作者さんでもある。いまさっき確認したら新しい URL に変更されていたので、リンクを貼り直すつもり。ちなみにこちらの記事を見たら、資料画像にスヴェーリンク師のお顔が写ってました。

2). ちょうど 1 週間前の月曜夜の「ベスト・オヴ・クラシック」。なんとあのセントジョンズ東京オペラシティ公演の録音がかかった !! 7月末のサントリーホール公演に行ったとき、「NHK-FM あたりでオペラシティ公演とかかかんないかな ♪ 」なんて軽く期待していたら、ほんとにそうなった ( thanks !! )。で、さっそく全身耳にしてこっちの公演を聴いてみると、おどろかされるのはやっぱり彼らの間口の広さ、レパートリーの幅広さでした。

 英国ルネサンス期のロバート・パーソンズの静謐な祈りが寄せては返す波のごとく幾重にも連なる「アヴェ・マリア」からはじまり、ラフマニノフの「晩祷 ( これは 2006 年のモスクワアカデミー公演で聴いたことあり )」、パーセルにエルガー ( 有名な「アヴェ・ヴェルム・コルプス」 )、ブリテンにパリー (「わたしはうれしかった」)、ヴォーン-ウィリアムズの愛らしい小品「味わい、知れ、主の恵み深さを」にマサイアスの「神よ、諸国の民があなたをたたえ ( チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚式用に作曲された作品。プログラム表記では「マシアス」となっているけれど、NHK-FM の放送のとおりこれって「マサイアス」なんじゃ … ?? ) 」、ジョン・タヴナー ( ルネサンス期のタヴァーナーとよく混同される現代の作曲家 ) の「アテネのための歌」、そしてアンコールで歌われたビートルズの 'With a Little Help from My Friends' までかかるという大盤振る舞い !! ヴォーン-ウィリアムズの小品はサントリーホール公演でも歌ってくれたもので、澄んだボーイソプラノソロで開始される、短いながらもとても印象的な作品だった。なのでオペラシティ公演の録音まで聴けて、二度、楽しめた。Thumbs up! 

 サントリーホール公演と同様、オペラシティ公演でもふたりのオルガンスカラーのお兄さんが交替で演奏をそれぞれ一回ずつおこない、最初にかかったのが大バッハの「前奏曲とフーガ BWV.541 」から難易度のとびきり高い 4声フーガ。この作品についてはこちらの拙記事で。

 そういえば BBC Radio3 の The Choir 。先週はなんと 10 年ぶり ( ! ) に英国公演を行なっているウィーン少年合唱団特集 ! でした。司会のアレッドもなんだかうれしそう。ケンブリッジに住むメル友情報によると、キングズカレッジ礼拝堂でも歌ったらしい。公式サイト見たら、キングズの子たちとサッカーの親善試合までしていたらしい。英国に行っているのは「ハイドンコア」で、英国公演は今日まで。

 ちなみに今週の放送は、合唱音楽と伴奏との関係に焦点を当てた特集の再放送。もちろんオルガン伴奏付きの楽曲も出てきました。興味ある方はぜひ ( 'Only Men Aloud' ってヴォーカルバンドは以前、BBC Radio2 の Young Choristers of the Year にゲスト出演していたような憶えがある ) 。

追記:最近、ワタシは TuneIn なる Android アプリを Desire に入れてみた ( iPhone アプリ版もあり ) 。これ、すごいです ! すなおに感動に襲われた、数少ないアプリ。これでいまやどこに行っても、BBC Radio3 の Choral Evensong をはじめ、世界中のネットラジオが聴取できる !! 数年前までこんなこととても考えられんこと。もちろん移動中のお供として「らじるらじる」も活躍中ラジー ( 笑 ) 。なのでいまは PC 経由で聴取するのはやめて、TuneIn で受信した放送をライン接続したラジカセから流して聴いてます。こっちのほうが省電力だし、高音質。もちろん Ottava も聴けます。Ottava で思い出したが、「リサイタル・ノヴァ」支配人のピアニスト本田聖嗣氏。なんとセントジョンズサントリーホール公演を聴きに来ていたらしい。あいにくお顔は拝見できなくて、残念。

posted by Curragh at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年08月26日

スヴェーリンク、グールド、モンセラート

1). 「ビバ ! 合唱」の昨晩聴いた再放送分。今年生誕 450 年の記念イヤーに当たる初期バロックオランダ最大の作曲家にして「ドイツのオルガニスト作り」、スヴェーリンク特集でした ( 本放送のときはあいにく寝ていた人 ) 。のっけからオルガン作品「ニ調のエコー・ファンタジア」がかかってました。演奏は「古楽の楽しみ」でもよく音源がかかるハラルド・フォーゲル。で、ルター派以上に当時のカルヴァン派の事情にはうといのですが、どうも「コラール」のカルヴァン派版ともいうべき「ジュネーヴ詩編歌」なるものがさかんに歌われていたという ( 150 編からなる「詩編」はアイルランド教会やローマカトリックの別に関係なく、原始教会時代から典礼の最重要レパートリーだった ) 。で、当然スヴェーリンクも多くの「ジュネーヴ詩編歌」にもとづく声楽曲を残しています。とはいえ自分はもっぱら「オルガン音楽の先駆者」としてのスヴェーリンクしか聴いてこなかったので、こちらの声楽曲はなにも知らないにひとしいから、今回の企画はまさにタイムリーでしたね。6 − 8 声というからかなり複雑で技法的だと感じた。スヴェーリンクはフランドル楽派の「模倣対位法」に代表されるルネサンス音楽からバロックへと、ちょうど橋渡しの役目も果たしていたから、いってみればこれはその後のバッハへとレールを敷いたことにもなる。バッハがモーツァルトやベートーヴェンなどの時代への橋渡しをしたのとまったくおなじ役割を、アムステルダム古教会 ( Oude Kerk ) オルガニストだったスヴェーリンクもまた果たしていた、ということになる。多くの弟子を育てた名伯楽でもあったという点も両者は共通している。

2). この前も書いたけれどもグールドの特番の再放送もありました。で、唯一のオルガン独奏版「フーガの技法」について、その後グールドが残りのフーガを収録しなかったのは収録に使用した、「グールドお気に入りのトロントのオールセインツ教会のカサヴァン社建造のオルガン」がなんと、その後教会とともに焼失した、との解説が ( → 現在のオルガン ) 。さっそく図書館に立ち寄った折、グールドの伝記本 3 冊をひろげてみたらたしかにそう書いてあった。でも手許のアルバムのライナーにはこの楽器のほかに、ニューヨークの Theological College という聖職者養成専門の大学 ( ? ) チャペルのオルガンでも録音したとある。グールドはこの録音セッションのあと肩の故障に悩まされていたので、もうそれに懲りた、というのが主たる理由のようです。それにしても来月 25 日で生誕 80 年、10 月 4 日で没後 30 年。あらためて伝記本を読むと、どうも 50 歳の誕生日あたりから頭痛など不調を訴えていたようで、病院に担ぎ込まれてからわずか二週間で脳死と判定され、その後家族の同意を得て生命維持装置が取り外されたのが 10 月 4 日だったという。グールド指揮によるヴァーグナー「ジークフリートの牧歌」の音源や多重録音による「マイスタージンガー」の音源は聴いたことなかったから、すごく新鮮でした ( あと、大好きなベートーヴェン「田園」のグールド自身のピアノ編曲版とかも聴けてよかった ) 。それにしてもグールドってかぎりなくストイックだし、いろいろ伝記とか読んでるとなんかヴァルヒャにも似ているなあとさえ感じる。たとえば、あのハミング。グールドのあの明瞭なアーティキュレイションによるフーガの演奏は、ときに旋律線どうしの会話にも聴こえるし、なにより生命というか、音に宿っている魂みたいなものも感じる。同時に、歌心に満ちている。ヴァルヒャも心がけていたのはほかならぬこの「旋律線どうしの奏でる歌」だったから、方向性はちがえど、けっきょく表現しようとしていたことはそんなに大差なかったように思う。ちなみにグールドのデビューリサイタルはピアノではなくなんとオルガンでして、1945 年、 わずか 13 歳のとき。バッハが「ゴルトベルク」を書きあげたときその愛弟子は 14 歳で、しかもグールドのデビュー盤も「ゴルトベルク」だったし、こう考えるとグールドってゴルトベルクの生まれ変わりなんじゃないかって気さえしてくる。

3). この前 E テレで見た「スペイン語」講座。なんとあのモンセラート修道院付属学校少年聖歌隊が取りあげられてました ! … 「モンセラートの朱い本」や「黒マリアさん ( 地元では 'Moreneta' と呼ばれている ) 」で有名なモンセラート修道院。文字どおり「のこぎり山」の異様な山容と山麓から湧きあがる雲に包まれるさまはまさしく圧巻、畏敬の念に打たれる絶景です ( 登山列車の駅で降りるともう目の前に奇岩怪石の絶壁がそそり立っている ) 。… こんなとこ来たら、人生観まで変わりそうだ。もっともそういう風景はアイルランド西海岸地方にだってあるけれども ( いま問題になっている「竹島」のあの威容は、世界遺産のスケリグ・マイケルそっくりだ ) … 。子どもたちの練習のもよう ( 腹式呼吸法による発声訓練のように見えた ) やミサでの清冽な歌声は、まさにこの世のものとは思えず、天上の音楽そのものです。Montserrat は現地語カタルーニャ語の言い方で、「ムンセラ」あたりがもっとも近い表記らしい。

 ここの聖歌隊についてすこし補足。以前、NYTこういう記事が掲載されてました。ここの修道院付属学校少年聖歌隊は設立が 13 世紀、800 年の歴史があるというから、レーゲンスブルクとならんでおそらく欧州でも最古の少年聖歌隊だろうと思う。記事によると寄宿制のこの付属学校、規則がだいぶ緩和されたようで、なんと ! 近い将来は女子聖歌隊員も養成するとか。いま現在は TV で見たかぎりではまだそうではないようだが、いずれはここもそうなるんでしょうね。ちなみにスペインバロックの作曲家のひとりアントニオ・ソレールも、少年時代はここの聖歌隊員だった。ソレール、とくると、曽根麻矢子さんの奏でる「ファンダンゴ」なんかも思い出す。

"I'd compare the Escolania with Hogwarts in 'Harry Potter,' " said Xavier Palá, a 14-year-old who is graduating. "There they teach you to make magic with wands, and here they teach us how to make magic with music."

そう、ここの子どもたちはまさしく「音楽で人に魔法をかけること」を教わるんですな ! それはそうと、parasol がスペイン語とは寡聞にして知らんかった ( 『ランダムハウス』ではイタリア語起源になっていた ) 。

posted by Curragh at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年08月14日

いまもあたらしいグールド

1). 今週はちょうど旧盆期間。早朝の「深夜便」ではもうすぐ命日のプレスリーとかかかってまして、うつらうつらしながら聴いてたんですが、いま NHK-FM では「グレン・グールド変奏曲 〜 名盤を通して知る大ピアニスト」というおもしろい番組をやってます。で、以前から、「あ、今年はグールドが 50 ( ! ) で急逝してからちょうど 30 年目なんだ … 」とか漠然と感じてはいたものの、そうか、生誕 80 周年でもあったんだ、といまごろになって気づいた ( 激遅 ) 。

 いま手許に図書館から『フィネガンズ・ウェイク I 』といっしょに借りてきた『文藝別冊 グレン・グールド』というバッハ没後 250 年にあたる 2000 年に刊行されたムックがあるんですが、この中に去る 5 月に亡くなられた故吉田秀和氏の「グールド讃」という文章が転載されてます。そういえばこの前、こちらの番組で吉田秀和氏のことを取り上げていて、その中で使われていた「… このことに関しては、自分ひとりでも、正しいと考えることを遠慮なく発表しようと決心した」という一文が、じつはこの「グールド讃」からの引用だった。あらためて読んでみると、なにかこう、グールドの直感的でありながら作品の本質をずばり突いたような演奏解釈と相通ずるところがあるなあ、と感じた。たとえば、ウィーンのさるピアニストがクラヴィコードでスカルラッティを弾くのを聴いた吉田氏は、グールドがピアノによるバッハ作品演奏で表現したかったのは、チェンバロでは「本来果たすべきなのに構造上の理由で果たせない、その音質を手に入れるためにピアノを」用いたと鋭く指摘している。「グールドのピアノは、よほど特異である」。こういうことを書いた人って、1965 年当時では吉田氏ただひとりだったかもしれない。また、グールド自身によるライナーの解説についても、「… 彼自身の解説は比類なくすぐれたもので、凡百の解説の水準をはるかに抜いている点で、彼の演奏と同様の性格をもっている」ことも指摘している ( 「バード & ギボンズ作品集」に付されている解説を見ておどろいた自分としても、これはまったく同感 ) 。

 「直観が論理となっているばかりでなく、秩序が直観を導いている」。だからグールドの演奏は、一見いや一聴するとすごく奇矯に聴こえるけれども、とても新鮮かつ説得力ある解釈だということがわかってくる。もっともグールドだって人の子、たとえば ―― オルガンとピアノというちがいはあるが ―― おんなじ「コントラプンクトゥス 1 ( 「フーガの技法 BWV.1080)」を弾いても、若かったころの録音と最晩年の録音ではまるで様相が異なる。もっとも個人的には、ブツブツ切って、なんだかあいだに休符でもあるかのような徹底したノンレガート奏法の解釈も、消え入るような最弱音の出だしとやたらゆっくりしたテンポに支えられた最晩年の演奏も、どっちも好きではあるが。最近、「バード & ギボンズ」のほうは聴いてなかったから、ひさしぶりに聴いてみようかと思う。

2). というわけで、「グレン・グールド変奏曲」を聴きつつ、前にも書いたヤナセ訳『フィネガンズ・ウェイク I 』をようやく読み終えた。まだ I 巻だから、もちろん II, III - IV と読み進めるわけなんですが、これ読みはじめたらまともなものが読めなくなりそう ( 苦笑 ) 。内容もそうだけど、とにかく目だけでなく、アタマもどうにかなりそう。なんと「ブレンダンの鯡沼むこうのマークランドの葡萄土では … 」なんてくだりまで出てくるじゃないですか。この前、鶴岡真弓さんが ETV の番組に出ていたけれども、その鶴岡さんの『聖パトリック祭の夜』という著作にも書かれていたかどうか … 本棚の奥深くにあって取り出せないからなんとも言えないが、たしか『フィネガンズ・ウェイク』にも聖ブレンダンが言及されているという指摘があったような気が ( ? ) する。

 にしてもようやく読み切った巻その一。かばん語、ジョイス語、ヤナセ語のオンパレードで、ただただもう圧倒されっぱなし。こちらの記事にあるようにもともとこれは 19 世紀後半にはやった俗謡みたいで、下敷きになっているのはケルト神話上の人物フィン・マクールということらしい。で、ひじょうに筋がたどりにくいのがこの難物の特徴ではあるけれども、いちおう主人公はパブのおやじハンフリー・チムデン・イアウィッカー ( H.C.E. ) と、その妻アナ・リヴィア・プルーラベル ( A.L.P. ) 。このふたりはむしろ H.C.E. と A.L.P. の通り名で頻繁に出てくる ―― それもひっくり返ったり、変形されたり、変身したり、さまざまなかたちとなって変奏、変装、変裝する。

 比較神話学者キャンベルも書いているけれども、H.C.E. は 'Here Comes Everybody' だというのはわりとよく知られている事実で、ようは人類すべて、あなたもわたしもみんなにもあてはまる物語、みたいなふうにも読める。キャンベル本を読むとよく出てくる「中世宮廷もの」のモティーフ、たとえばアーサー王の円卓の騎士の話とか、「トリスタンとイズー」の物語なんかも彷彿とさせるし、げんに後者はそれとなく何度も登場する。

 キャンベルの大作『神の仮面』については前にもすこし書いたけれども、とりあえず『西洋神話』の巻は邦訳されているものの ( あいにくそのできは … あんまりよろしくない ) 、全四巻のうちいちばん興味を持っていた最終巻『創造的神話』はどこの版元からも出そうになく、かつどなたも邦訳してくれないみたいなので、手っ取り早くまたしても Amazon にて買ってしまった。本文だけで 678 ページ、こんなもんはたして読み通せるのかどうか … はさておいて、Ch.5 はなんとその『フィネガンズ・ウェイク』を軸に書かれていて、あれまこんな偶然ってあるのねぇ、と止まっていたしゃっくりがまた出てきた ( 笑 ) 。

 … ヤナセ訳では「すっティんペラリー」だの「フー・イズ・シルヴァー ( これってシューベルトの「シルヴィアはだれ ? 」のもじりなのか ?? )」だの、そしてたしか「シューラ・ルーン」まで出てくるこの巻その一、なんとなんとあのバッハまで出てくるじゃないの !! 「 … ピアノ相手にバツハカリヤからブルース迄ぼいんぼろろんとやつてからシユヴアイツアの寝臺下に注意深く崩れ落ち」!!! なおこの章だけなぜか旧字体と旧かなづかいで書かれてゐる ( ここは A.L.P. のことばを手紙にしたためた書き手である息子の「筆男シェム」について書かれてある … ように思う ) 。問題の部分は、バッハとパッサカリア ( BWV.582 ) の合体形じゃな。ちなみに『神の仮面』の「あとがき ( 正確には、全巻完成に寄せて書かれたもの ) 」に出てくる引用箇所のすぐあとで、その A.L.P. の書かせた手紙を「肥え場」で発見したのが「かの原罪雌鶏」。ついでにキャンベル本でよく引用される『西洋の没落』の著者名が、「 … 新イタリア学派あるいは古パリ學派の思裝家や朱ペングラつき家たちの言い分をここで訂正しておかねばならない」として登場している。ついでに巻その一最終章は、なぜか世界中の河川名がそこここに溢れている。A.L.P. =リフィー河ともとれるので、そのつながりか ? あと、個人的に絶句したのはつぎの箇所 → 「 … われは、と北 ( ほく ) に在ルスターがいう、そしてそれが誇りなり。われは、と南岐のマンスターがいう、難儀なるわれを救いたまえ ! われは、と東方のレンスターがいう、そして当方何も語らず。われは、と西に来ナートがいう、何のことなーと ? ( p.118 ) 」。

 … ヤナセ訳のほかにも抄訳ものとか、ほかにも邦訳はあってそっちもおおいに興味あり ( そしてこっちの本も ) 。とにかくこのとんでもない傑作を最終巻まで読んだ暁には、ただでさえおかしいアタマがいよいよ本格的にどうにかなりそう … な気はする。なんというか、「毒を食わらば皿まで」てな感じですかね。もうあとは勢いよ ! 

posted by Curragh at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM