2013年08月12日

「オルガンのある街 〜 ヨーロッパの名器を聴く 〜 」

1). 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」は「ドイツのオーケストラ」。バッハ好きのワタシは当然、木曜夜の回がよかった。「チェンバロ協奏曲 第 1 番 ニ短調 BWV.1052 」を、現代ピアノで弾いたものでしたが、抑制の効いた、わりと軽快な響きで楽器を奏でていた印象でした。独奏ピアノを支えるオケは中部ドイツ放送交響楽団、指揮はクリスティアン・ヤルヴィ氏でした。

 この放送聴いていてもっとも大きな「発見」だったのは、かのグスタフ・マーラーが、バッハの「管弦楽組曲」の 2番と3番からいくつかの楽曲を組み合わせてオケ用に「編曲」した作品がある、ということでした。というわけではじめて聴くその作品は、なんか意外なほど ( ? ) 原曲に沿ったオーケストレーションだったように思えた。もっともよくよく聴くと、うしろでピアノやフルートがバラバラと自由なフレーズを奏でていたりしたので、念のため図書館にて『ブルックナー / マーラー事典』の記述も見てみました … それによると当時すでに忘れ去られていた通奏低音の「再現」を試みたとあり、初演のさい、マーラーが用いたのはチェンバロの音響を模倣した「チェンバロもどき」の楽器だったらしい ( スピネットと本人は言っている )。マーラーの「バッハ理解」はこんにちのそれとはかなり異なり、むしろ自身の考える、あるべき音楽の姿をバッハの音楽のうちに見出していたと見たほうが適切かと思うが、それでもマーラーは「バッハこそポリフォニーの真の巨匠である」と公言していたそうだから、マーラーにとってもバッハはきわめて重要な音楽家だったことはまちがいない。「アダージェット」で有名な「5番」だって、終楽章はかなり込み入ったポリフォニックな構造になってますし。

2). いま、「オルガンのある街 〜 ヨーロッパの名器を聴く 〜 」という「夏の特集番組」を聴きながら書いてます … なにもこんなクソ暑いときに、とも思ったが、せっかくなんで扇風機をがんがん回して聴取。で、初日は、ライプツィッヒの聖トーマス教会から。番組でかかったのは19 世紀末に建造された古いザウアーオルガンではなくて、すべてバッハ没後 250年を記念して 2000 年にあらたに建造された「バッハオルガン」を使った音源から。現トーマス教会正オルガニストのウルリヒ・ベーメはじめ、なんとジリアン・ウィーアの音源までかかってまして、とても興味を惹かれました。

 この白亜のケースの美しい「バッハオルガン」は、特定の歴史的楽器を復元したのではなくて、ゴットフリート・ジルバーマンや弟子のヒルデブラントなどに代表される、中部ドイツ型と呼ばれるオルガンを手本に、かつてバッハが作成したオルガン改造計画書なども参考にまったくあたらしく建造されたもの。4段手鍵盤と足鍵盤、実働 61ストップ。番組中かかったベーメさんの弾く「パッサカリアとフーガ BWV.582 」は、ずいぶんとせっかちだなあという印象は受けた。もうすこし「重々しさ」があってもよかったのでは、と個人的には感じた。ちなみにドイツのオルガン、とくると、たとえばブクステフーデに代表されるような「北ドイツ様式の」、そそり立つペダルタワーの印象的なシュニットガーなどの楽器を思い浮かべる向きも多いかと思いますが、じっさいのところ、現存するそれらの楽器はあんまりバッハ作品の演奏には向いてなかったりする。調律法の問題や、「ブロークンオクターヴ」などの扱いづらい鍵盤などがあるため ( カペルのシュニットガーオルガンとかもそう ) 。
 
 ところで以前、ここでこの教会には計三つの楽器がある、みたいなことを書いてしまったが、どうも現在はこの白いバッハオルガンと古いザウアーと二基しかないみたいです … ヘンだなあ、じゃ「聖トーマス教会のクリスマス」という DVD に収録されたあのもうひとつの白い、四角いケースの楽器はいったいどこへ … いったのかな ??? 

 明日はパリ・ノートルダム大聖堂のカヴァイエ-コルの楽器らしいから、19 世紀ロマンティックオルガンの時代、というわけか。最終日はオランダ各地に残っている歴史的楽器が聴けるというので、こちらもおおいに楽しみ。

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2013年06月22日

「ヨーロッパのオルガン音楽」! 

 今週の「古楽の楽しみ」は、「ヨーロッパのオルガン音楽」! というわけで、漫然とではなくしっかり聴取してました。

 月曜朝の初回は、オランダ・アムステルダム古教会 ( Oude Kerk ) オルガン奏者にして当時すでに高名な作曲家だったヤン・ピーテルスゾーン・スヴェーリンクのオルガン作品から。わりと知られた「ニ調のトッカータ」や「大公のバレット( 舞踏会 )」とかがかかりましたが、「バレット」のほう、なんと磯山先生によると弟子のひとりのザムエル・シャイトの作品ではないか … という学説がにわかに浮上しているとか。前にも書いたことながらシャイトはじめ、数多くのドイツ人オルガン奏者を育成したことから、「ドイツのオルガニスト作り」の渾名まで頂戴してしまったというスヴェーリンク。終生、故国を離れることはなかったけれども、『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』にもその作品が収録されているくらい、その知名度は高く、なんでも殺人 ( ? ) を犯してお尋ね者となった英国人「ヴァージナリスト」、ジョン・ブルがオランダあたりに逃亡したとき、このふたりの音楽家は面会したらしい、なんて話もあるくらい ( → 「大公のバレット」。以下、リンク先はすべて NML )。

 ところで使用楽器はそのスヴェーリンクゆかりの古教会の歴史的楽器なんですが、この前半のプログラムまでが近年修復された後のもので、調律もスヴェーリンク当時の「ミーントーン」。中全音律とも訳されるこの調律法、ひらたく言えば「純正律と平均律の中間」みたいな折衷方式で、多くの長3度を純正に調律する方法。でもこれは完全な平均律ではないから、和音によっては聴くに堪えない「うなり ( 狼、ウルフ音と呼ばれる )」が発生したり、エンハーモニックにならない音程があったりして、ようするに使用可能な調性が限定されてしまうという欠点がある。スヴェーリンク当時は「まったく濁りのない、完全なハーモニー」がまだまだ重要とされていた時代だったかもしれないが、すでにそのスヴェーリンク自身が「半音階的ファンタジア」という作品も書いているし、いずれにせよミーントーンは響きの点ではえも言えぬ美しさがあったけれども、「自由自在に調を操って」書く場合にはやはり不便きわまりない不完全な調律法だった。

 アントニ・ファン・ノールトという人ははじめて耳にした名前だったが、この人こそスヴェーリンクの後継者だったという。レオンハルトはさすがだ、ちゃんとこの同郷の先輩の作品の録音も残してくれている。この前のシュタイクレーターもそうだったが、こういうはじめて知るいにしえのオルガン音楽の先達たちの作品を知ることが、最近のワタシのあらたな楽しみになりつつある。

 二日目は「リューベック」編。リューベック、とくるとやっぱりブクステフーデ … なんでしょうけれども、まずはブクステフーデの二代前の聖マリア教会オルガニスト、ペーター・ハッセという人の「前奏曲 ヘ長調」から。ペーター・ハッセという名前も初耳だったが、なんとバッハの同時代人、ドレスデン宮廷で活躍したアドルフ・ハッセの父上だった。こんなとこでつながりがあったとは。で、その次がフランツ・トゥンダーで、ここのしきたりを守ってその娘さんと結婚してここのオルガン奏者のポストを継いだのがブクステフーデその人、ということになる。磯山先生も言っていたけれども、リューベックって戦火に見舞われたことも災いして、マリア教会はじめもともとあった歴史的オルガンのほとんどが失われてしまっているから、音源もリューベックではないところに現存しているトゥンダー / ブクステフーデゆかりの製作者の楽器、ということになる。当時リューベック一帯でオルガンを建造していた一族としてはシュテルヴァーゲンが有名で、使用音源にもそのシュテルヴァーゲンの楽器が使われてました。ちなみに「前奏曲、フーガとシャコンヌ ハ長調 BuxWV.137 」の演奏者のフォックルールという人。どっかで聞いたような名前 … と思って手許の History of the Organ 2 - From Sweelinck to Bachの DVD 見たら、ここでアルプ・シュニットガー製作の歴史的楽器を弾いていた人でした。この人の演奏、ひとことで言えば音色選択もとても趣味がよくて、だれとは言いませんがやたら突っ走ることもなく、終始一貫中庸なテンポで朗々と響かせています。

 ヘンデルやヨハン・マッテゾン、そしてはたちの ( ! ) バッハにも愛娘との「縁談」がご破算になってしまった哀れなブクステフーデ … じつはその後、娘婿となってマリア教会オルガン奏者の地位を継いだのがだれなのか、まるで知らずにウン十年が経ち、ようやくそのナゾが明かされるときが来た ( 大げさな )。その人の名はシーファーデッカー。だれ ? と思ったら、磯山先生の解説によるとこの人は聖トーマス学校の出身で、ライプツィッヒ大学在学中にすでにカンタータだかオペラだか書いて上演した経験があるという、なかなかの才能の持ち主だったらしい。で、そのシーファーデッカーさんのオルガンコラール前奏曲、「わが魂は主をあがめ」がかかりました。とりあえず NML サイト内では、こちらの音源が引っかかりました。あとでぜんぶ寄稿、ではなくて聴こう。

 三日目は、「ドレスデン」編。いままではどっちかというといわゆる「北ドイツ・オルガン楽派」の流れを汲む作曲家と、そんな作曲家の霊感を刺激するような豪壮華麗な大オルガンを建造してきたシュテルヴァーゲン / シュニットガー一族の楽器が中心でしたが、こんどは一転して中部ドイツ。ここはバッハと友だちだったゴットフリート・ジルバーマンという高名なオルガンビルダーが活躍した地。前にも書いたけれども北ドイツのオルガンとジルバーマンオルガンとが異なる点は、1). ヴェルク ( 風箱 ) どうしの独立性があまりない構造、2). 演奏者の背負う( ? ) 「リュックポジティフ」オルガンがない代わりに演奏者の直上に配置される「ブルストヴェルク」があり、3). 独立した巨大な「ペダルタワー」もなく、4). 北ドイツ型と較べるとキンキンしたミクスチュア族ストップよりも三度管系ストップが充実し、ハーモニーの心地よいフルーストップ系も目立つ、などが挙げられると思います。

 のっけにかかったスイス在住の小糸恵さんによる「幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542 」は、疎開してかろうじて激しい戦火を免れた、ドレスデン宮廷教会のゴットフリート・ジルバーマン建造の楽器。47 ストップ、三つの手鍵盤と足鍵盤を擁する楽器。小糸さんの演奏はたまにかかったりするけれども、この「ト短調の大フーガ」としても知られる有名な作品 ( たしか以前「名曲アルバム」でも流れていた ) の演奏はゆったり目のテンポに支えられた悠揚迫らぬ威風堂々といった感じでこちらも好印象。

 「トッカータとフーガ ニ短調 BWV.538 」、通称「ドリア調」の演奏者は往年の名手リヒター。使用楽器はこれまた有名なフライベルク大聖堂のジルバーマンオルガン。こちらは44 ストップの楽器。これ聴いていてちょっと不思議だったのが、「ヴィブラート」?? みたいな音の震えがときおり挿入されていたこと。変わった演奏だなあ、どうやってんのかな ? とか思いつつ聴いてました。たぶん不規則に同音連打していたんじゃないかと思うが … 。でもその演奏効果はけっこうあったように思う。無意味なつけ足し、というふうには思わなかった。

 「コラール・パルティータ BWV.770 」について。この使用楽器は大バッハ本人が竣工検査をしたナウムブルクというところにあるヴェンツェルス教会の大オルガン。製作者はヒルデブラントで、この楽器を使用した音源はたびたび Organlive.com でもかかってます。残響がひじょうに豊かで、楽器の音色もすばらしい。ツェーンダーの演奏もそんな楽器の特徴がよく出ていたと思う。磯山先生の解説によると、当時、師匠 G. ジルバーマンと弟子ヒルデブラントは仲たがいしていたらしくて、完成検査に立ち会ったバッハみずから師匠を引き連れてこの弟子の「力作」を鑑定し、そのさいふたりの仲を取り持ったというから、いやビックリ。バッハという人は、どうも「宮仕え」というのが性にあってないんじゃないか、と思われる騒動 ( ? ) 話にこと欠かない人、というイメージが自分の中でできあがっていたので、こういうエピソードを知ると、バッハという人がいたずらに頑なな人だったわけではないことがわかる。バッハ一流の気遣いを感じさせる、いいお話じゃ、じぇじぇ、と思ったしだい。

 最後が音楽の都、「ヴィーン」編。ここはあえてヴィーンと書く。ヴィーンとくると、オルガン音楽好きにとってまず思い浮かぶのがムッファトとフローベルガー。ムッファトについて『音楽中辞典』では、
ムッファト , ゲオルク
Muffat , Georg 1653・6・1 洗礼 サヴォワのメジェーヴ−1704・2・23 パッサウ 

 フランス生まれのドイツの作曲家,オルガニスト。ゴットリープの父。1663−69 年にパリでリュリに師事。アルザスのセレスタとモルスハイム,インゴルシュタット,ウィーンで学ぶ。1677−78 年プラハ滞在。78年ザルツブルクの大司教宮廷音楽家。81−82 年ローマでパスクイーニに師事,コレッリと交流。90年パッサウの司教宮廷楽長。器楽アンサンブル,オルガンのための作品が重要。フランス,イタリア様式をドイツに導入。

とあり、この人がフランス人との混血だったことがわかる。これは知らなかった。諸国遍歴した人だったようだが、息子のゴットリープは終生ハプスブルク家のヴィーンにとどまり、「ハプスブルク王朝最後の大音楽家」だったようだ。父親のほうの鍵盤作品はレオンハルトの音源なんかでわりと耳にする機会もあるけれども、あいにく息子の方は聴いた憶えすらなく、だから今回、「ミサ曲 ヘ長調」からキリエとグロリアが聴けたのはまことにラッキー。ちなみにこれ磯山先生の解説によると「ヴェルセトル」、verset だそうで、該当箇所のグレゴリアン・チャントと交互に演奏される小品のこと。→ ゲオルク・ムッファトの「パッサカリア ハ短調」。「準備のできたオルガニストのための音楽」って、この音源に収録されている Apparatus musico-organisticus のことなんだろうか。

 フローベルガーのほうは、「カプリッチョ 第 8番」が、レオンハルトの音源でかかりました ( リンク先は、弟子のアスペレン盤 )。

 おしまいがヨハン・ヨーゼフ・フックス。おなじく『中辞典』を見ると ――
フックス , ヨハン・ヨーゼフ
Fux , Johann Joseph 1660 シュタイアーマルク州ヒルテンフェルト−1741・2・13 ウィーン 

 オーストリアの作曲家,理論家。1698年ウィーンの宮廷作曲家に任命され,1705 年聖シュテファン大聖堂の副楽長,12年同首席楽長に就任。15年首席宮廷楽長に任命され,終生その職にあった。約 80曲のミサ曲を含む宗教曲のほか器楽曲も多数作曲。理論書《グラドゥス・アド・パルナッスム》( 1725 ) は,厳格な対位法様式にもとづく作曲の教科書として後世に大きな影響を与えた。

とあり、バッハの「フーガの技法 BWV.1080 」はこれに着想を得て書かれたのではないかとも言われてます。もっとも耳で聴いて楽しいのは、バッハのほうですがね。

 きのうの「リクエスト」。ビクトリアのミサ曲「めでたし、海の星」がなんといってもよかった。ウェストミンスター大聖堂聖歌隊、いつ聴いてもいいなあ、とくにこの目覚めの時間にはぴったりだ。もっともビクトリアのわりと長めのア・カペラ作品なんか聴いていると、また夢の国に引きもどされそうにはなりますが ( 苦笑 )。

 そして関係ないことながら、NML サイトにて『音楽中辞典』が使用できなくなるのは、残念至極。そのつど図書館に行ってもいられないし、そろそろ買うか ( 苦笑 )。

 本題とは関係のないひとこと:まもなく富士山が「世界文化遺産」登録される … みたいですが、なんか報道が偏っているせいなのかどうかはいざ知らず、どうもみなさん「カネ」がらみの話しか聞こえてこないような … そりゃそっちのほうも重要なんだろうけれども、以前ここで書いた、浜松アクトシティ中ホールのオルガンが水浸しになったあの事件。製作者コワラン氏は嘆いてましたよ、日本人が被害金額の話しかしないって。楽器は生き物、もっと愛情をもって接してほしいとかなんとか、そうこぼしていたという話を、どういうわけだか今回の富士山文化遺産登録関連ニュースを見ているうちに思い出してしまった。なにかカンちがいしていませんか、カネが落ちるとかどうとか、そんな次元で今回の登録を云々してほしくない。今月、NHK ホールがめでたく開場満 40周年を迎えたそうですが、こけら落としのときに旧東ベルリンのカール・シュッケ社建造の大オルガンを弾いたのが、旧チェコスロヴァキア出身のイルジー・ラインベルガーというオルガニストだった。この人は筋金入りのアルピニストでもありまして、「五合目までクルマで行く」というのが邪道だとして、なんと !! 富士山を一合目から歩いて登山したのだそうです !! ワタシが尊敬する人というのは、こういう人なんです ( ついでにWikipedia 記事のリンク先が百年前の作曲家ヨーゼフ・ラインベルガーになってます … ) 。

posted by Curragh at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年04月28日

才能はすばらしいが …

 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」は、なんとうれしいことに「オルガンの響き」! というわけで、モンテヴェルディのいつものファンファーレに乗って、たっぷりと欧州のオルガンの響きを堪能できたことはとても幸運でありました … とはいえもっとも楽しみにしていた最終日のトマーナとの演奏会のもようは、あいにく疲労困憊していたためか、ぐっすり眠っていて右の耳から左の耳へと抜けていたのでまるで記憶なし。気づいたのはすでに番組終了まぎわ、2月に逝去したフランスの名オルガニスト、M.C. アラン女史による「パッサカリア BWV.582 」だった。

 月曜日はスロヴァキア最大級とかいう、おそらくコンサートオルガンと呼ばれるタイプの楽器を使用した公開放送リサイタル。楽器の音色じたいはよかったんですけれど、なんかこう物足りない … と思ったら、残響があんまりありません。ラジオスタジオ内にあるせいかもしれないが … 曲目はフレスコバルディにフローベルガー、バッハとよかったんですけれどもね。

火曜日は、黒マリアさんと「モンセラートの朱い本」で有名なカタルーニャの聖地、モンセラート修道院内聖堂のオルガン。モンセラは FB 上でもしょっちゅう画像とか見てるけれども、ここの楽器もまた現代の楽器、というかここのページ見ると 2010年に建造したばっかの真新しい楽器みたいです。水平トランペットが突き出すこの大オルガンは 4段の手鍵盤、63ストップというもの。当然のことながら残響はたいへんに豊かで、音色もキンキンしたところがなく、とても耳に心地よい。バッハの「前奏曲とフーガ BWV.552 」とかかかってましたが … あらら、なんだかずいぶん中途半端なところで切るんですな。演奏者のミケル・ゴンサレスさんの意図がどのへんにあるのかは知りませんけれども、前奏曲だけでなく、「三位一体の」三重フーガの終結部まで、最終小節まで演奏せずに終わってしまったのはいったい … ??? 番組後半の、タラゴーナにあるカタルーニャ最大の楽器というオルガンで演奏されたプログラムにはご当地の作曲家カバニーリェスのガイヤルドとカンツォーナなどで、こっちの楽器もモンセラの現代楽器に負けずに響きが美しく、すばらしかった。

 で、トマーナの回はあいにく書いたとおりなので、最後に聴取した米国の若き「天才奏者」、キャメロン・カーペンターについて。この人のお名前は、図書館から借りて聴いているバッハの教会カンタータ全集 … とオルガン版「ゴルトベルク」のあいまにかけっぱなしにしている Organlive.com ではじめて知った。第一印象としては、「ヴァージル・フォックスの再来 ? 」みたいな感じ。故カルロ・カーリー以上にド派手で、型破りな演奏スタイル。でも番組でこの人の経歴紹介を聞かされると、いわゆる「天才肌の人」ということがわかった。十代のころより作曲も手がけ、長いオルガン音楽の伝統に則った「即興演奏」も得意としている。作曲のみならず編曲もけっこうこなし、番組でかかったのだけでもバッハの「無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV. 1007 」とかリストの「超絶技巧練習曲」から「鬼火」、アイヴズの「ピアノ・ソナタ 第2番 マサチューセッツ州 コンコード 1840年 〜 60年」から第3楽章などなど、じつに多彩・多才です。とくにリスト作品は超がつくほどの難曲。たしかに天才です。でもワタシはあいにくこういうスタイルの演奏が苦手。それでもバッハの「ト短調の幻想曲とフーガ BWV.542 」をしかと「聴き」耳立てて聴取していたが … ひとつ重要な問題を考えざるを得なくなった。こういう演奏家って、「音楽の美しさ」という基準はいったいどうなってんのかな、と。会場はブクステフーデゆかりのリューベックの音楽会議場というところで、オルガンの音響を聴いているかぎりではおそらく演奏者当人が会場に持ちこんだ「チャーチオルガン」っぽい。BWV. 542 の演奏をひとことで言えば、「街角の手回しオルガンが奏でるバッハ」という印象でしかない。ころころ音色を変える演奏も好きになれないし、楽器の響きじたいが薄っぺらで安っぽく、ときおり耳障りでさえある。

 … どういうわけか米国のオルガニストって、せっかくの天賦の才能をこういうかたちでしか表現しないタイプの人が多いような気がする。かちかちの伝統にとらわれない、自由自在なスタイルならなんだっていいみたいなところがある。その点、おんなじ系統に属したカルロ・カーリーのほうが、「音楽の美しさ」においてまだましだった。個人的には「まともな」演奏を聴かせてくれる米国人オルガニストとくると、エドワード・パワー・ビッグスくらいしか思い浮かばない。

 同様に、たとえばモーツァルトのピアノ協奏曲のカデンツァにいきなりモダンジャズ ? を即興演奏しちゃうタイプの奏者も気に入らない。なんでもかんでもジャズにしていいってもんじゃないでしょ、と言いたくなる。

 というわけで、けさ NHK第 1 の「音楽の泉」でかかっていた「バッハのオルガン曲集」のほうが、よっぽどよかったというオチでした。

重要な追記:いましがた、待てよひょっとして … と思って過去記事検索したら、この人のことしっかり書いていたりして ( 脂汗) 。なにせ記事本数が 700 を超えているので、書いた当人も ―― 似たようなことは村上春樹氏もおっしゃっていたけれども ―― 昔書いた記事のことはてんで忘れてしまっているていたらくなので、何卒ご容赦を。m(_ _)m 

posted by Curragh at 20:54| Comment(2) | TrackBack(0) | NHK-FM

2013年02月24日

BWV.639 と「オルガンつき」と …

 先週の「第 1750 回 N響定演」。2011 年 6月に裾野市で東フィルの演奏で聴いたリストの「レ・プレリュード」ふたたび。そして「ピアノ協奏曲 第 1 番 変ホ長調」。ソリストはルーマニア出身の中堅奏者ヘルベルト・シュフという方でしたが、バッハ好きにとってはアンコールがなんといってもよかった、おおいに満足の二重丸。「オルガン小曲集」のなかでわりとよく演奏される、そして「母べえ」にもヴォカリーズ版としても流れていた、「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる BWV.639 」。これは「小曲集」中唯一の三声部作品で、コラール旋律がソプラノで歌っているあいだ、不安に駆られた人間の拍動のような 16 分音型をずっと刻む内声、そして歩みのリズムのバスという構成 ( ↓ 動画参照 ) 。ブゾーニの編曲版でしたが、いやあ、このアンコールとにかくすばらしかった。感動しました。ワタシの判断基準はバッハしかないので ( 苦笑 ) このルーマニア出身のピアニストの名前はおぼえておくことにします。



ちなみに前にも書いたけれども、N響定演の番組最後にかかるオルガンコラールも「オルガン小曲集」に収録されたもので、こちらは受難節用のコラール。こちらも BWV.639 と同様にわりとよく演奏される曲で、「マタイ受難曲」にも同コラールによる合唱が出てくるから、ご存じの方も多いはず。でもこの日の白眉はやっぱりサン-サーンスの「オルガンつき」。フルオルガン、なんだろうけれども、指揮者メルケルさんのサジ加減が効いているようで、わりと抑え目な印象を受けました。でもワタシは以前聴いた、小澤征爾指揮の、フランスのどっかの教会 ? みたいなえらく残響の長い空間で録音された音源のような、もっとパンチの効いた最終楽章の演奏のほうが好きですね。好みの問題。池辺晋一郎氏によると、この公演にそなえてふたりのピアニストが長時間、練習していたそうです。音楽家はたいへんだ。残念ながら主役のオルガニストのお名前を失念してしまったが … たしか女流奏者の方だったと思う。Brava !! そしてこんどの N響定演は 4月ですか … 花粉症がひどくなっていそう ( くしゃみと涙目 ) 。

 「古楽の楽しみ」はなんでもチェロの活躍する作品特集だったそうで、バッハのモテット BWV. 228 や、フレスコバルディの「音楽の花束」から楽曲がかかったりと、けっこう多彩な内容。もっともオルガン好きにとっては木曜朝の「前奏曲とフーガ ホ短調 BWV.548 」が最高 ! でしたが。演奏者は名手ピート・ケー。このリンク先記事見てはじめて知ったのですが、若かりしころ、あのリヒターやハイラーをおさえて即興演奏部門で優勝した経歴の持ち主だったんですね、これはびっくり。アントン・ハイラー … とたんに目頭が熱くなりそう … この人のお名前ほんとひさしぶりに聞いた。ウィーンのオルガン楽派の代表だったみたいな人で、中学生のとき、はじめて買ったバッハのオルガン作品集の LP ( !! ) の演奏者がこの人だった。録音もたいへん古くてたしか 1950 年代の、モノラルに毛の生えたようなしょぼい音源だったように思う。ジャケット表紙の写真に使われていた楽器はオランダの有名な古オルガンで、マーススライス大教会のルドルフ・ガレルス製作の歴史的楽器だったこともはっきりおぼえている。もっともそのレコードの録音に使用された楽器がそれだったわけではなかったが。このときはじめて「ニ短調のトッカータ BWV.565 」や「幻想曲とフーガ BWV.542 」、「パッサカリア BWV.582 」、「目覚めよ ! と呼ぶ声が聞こえ BWV.645 」なんかに接したものでした。

 ところで先日まで、カザルスホールのアーレントオルガンを使用した音源を図書館から借りて聴いていたんですが、解説を読むとカザルスホールの楽器、ミラノの聖シンプリチアーノ教会の楽器とは兄弟関係で、しかもミラノの楽器は若きバッハがほんの短い間、オルガニストをつとめていたミュールハウゼンの聖ブラジウス教会のバッハ自身によるプランで製作されたオルガンのストップ構成に似せて建造された楽器だというから、こっちもおどろき。… ギエルミさんによるアーレントオルガンのシリーズはたったの一枚しか持ってないけれど、ふーん、なるほどそうだったのか … でもあくまでも個人的な独断に満ちた印象ながら、なんかこう「乾いた」音色だなあ、というのが率直な感想としてあったりする。バッハが「セスクィアルテラ」という混合パイプ列によるストップの音色が好きだったらしい、ということはケラーの『バッハのオルガン作品』にも引用されてて知ってはいたけれども … 自分の感覚としては、このブラジウス教会のバッハ・オルガンを手本としたアーレントオルガンよりも、むしろそのあとバッハがオルガニストをつとめていたヴァイマール宮廷の城内礼拝堂「天の城」にあったといわれるオルガンのほうが気になる。この時代のオルガン作品の理想の音色って、むしろこっちなんじゃないかと思うんですが、どうなのかな ? ちなみにこの「天の城」、1774 年の大火で焼失 … この楽器もまた着任早々にバッハが改造させたものなので、りっぱに「バッハ改オルガン」と呼べるものでした。オルガンは礼拝堂の何層にもわたって吹き抜けになった高ーい天井の最上階にあったらしいから、「天使の歌声」同様、オルガンの響きは文字どおり天から降ってきたように聴こえたはずです ( → 関連ページ )。

 … 来週は「バッハのチェンバロ協奏曲」の再放送。BWV.1056 の有名な「アリオーソ」ふたたび、というところですか。

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2013年02月16日

バッハは一日にして成らず

 いま、故吉田秀和氏が長年案内役をつとめてきた「名曲のたのしみ」の後釜番組、「クラシックの迷宮」を聴きながらライヴ進行で書いてます ( 笑 )。今宵は「私の試聴室」でして、なんと「ブクステフーデとバッハ」! その音源というのが、ルクセンブルク出身の今年 31 歳になる若きピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメという人の音源から。

 寡聞にしてこの人のことは知らなかったが、びっくりしたことに、けさの朝刊日曜版の「CD セレクション」欄にもこのフランチェスコ・トリスターノの同名音源の紹介がありました … 「作曲も手掛けるルクセンブルク出身のピアニストが、17〜18 世紀の作曲家ブクステフーデとバッハ、さらに自作を弾く。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』にはブクステフーデの影響が見え、ピアニストはバッハをリミックス。古典は時空を超え、現代音楽とつながり得ると実感させてくれる」。むむむ … ワタシにとって「古典」とは「本来時空を超えているものである」という認識でいるものだから、まあそうでしょうよという感覚なんだが … それはともかく先週のこの紙面にも、北イタリア・ドロミテ渓谷麓の村に暮らす吉田愛さんの新譜「4 手の対話」が紹介されていたりと、うれしいことながら最近はクラシック関連アルバムの紹介がつづいてます。… とにかくこのフランチェスコ・トリスターノなる人、きわめて個性的な演奏家なのかもしれない ( 作曲もするので、加羽沢美濃さんじゃないけど、「コンポーザー・ピアニスト」と呼ぶべきなのかも ) 。

 前半、かかったのは若きバッハの師匠と言ってもよいリューベックの教会オルガニストで作曲家のディートリヒ・ブクステフーデの鍵盤作品。うち BuxWV. 160 のみオルガン作品であとはクラヴィーア作品。… おそらく演奏者トリスターノ自身の編曲によるピアノ版なんだろうと思うけれども、粒のきれいに揃った、端正な品のいい演奏、というのが第一印象。前にちょこっと書いたけれども、この音源、「ゴルトベルク変奏曲 BWV.988 」の第 30 変奏「クォドリベット」にひょこっと顔を出しているという、ブクステフーデの「アリア 『ラ・カプリッチョーサ』と 32の変奏曲 BuxWV.250 」に絡めているらしい ( いつもご教示いただいている、「一日一バッハ」の aeternitas さんの情報によれば、バッハもブクステフーデももとをたどれば「ベルガマスカ」の旋律にたどり着くようです ) 。バッハの音楽は、きのうの「小惑星」や「隕石」とはちがって、突如として出現したわけではない、「ビバ ! 合唱」でも案内役の先生が言っていたように、スヴェーリンク → シャイト → … トゥンダー → ブクステフーデ、というぐあいに受け継がれてきた北ドイツオルガン楽派という下地があってのこそ、というわけです。

 案内役の先生の話でちょっとおもしろかったのは、バッハ晩年の傑作「ゴルトベルク」には、若き日に薫陶を受けた北ドイツの巨匠ブクステフーデへのオマージュというか、そんな気持ちが「それとなく隠してある」ということ。隠してありますよ … そういえば柳瀬先生の『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』にもそんなようなことが書いてあったな … それとなくほのめかす、ここに隠してありますよ、と。それでさらに思い出したのですが、リストだけでなくシューマンにも「BACH の名による … 」というオルガン曲があり、それをついこの前 Organlive.com にて聴いたばかり。こっちにもおどろきました。けっこうおもしろい作品だったので。

 アルバム名の 'Long Walk' 、ジョイスお得意の「カバン語」じゃないけど、バッハがドイツ中部の田舎町アルンシュタットからハンザ同盟都市リューベックまでてくてく歩いていった「リューベック詣で」と、バッハから自身までえんえんとつづく音楽の系譜とを引っかけたネーミングらしい。この演奏者自身の作品は、バッハ最晩年の「14 のカノン」のコラージュ的なもの … に仕上がっているらしい。電子音楽的テイストをこれまた控えめに効かせた作品ながら、印象としてはうん、たしかにこれ以前聴いた、小学館の『バッハ全集』に収録されていた「ゴルトベルク」低音旋律をもとにした「カノン」ベースの作品ですね。

 … それにしてもあの隕石落下にはびっくりした … あの火の玉、核爆弾の炸裂のようにも見えたが、不気味な白煙を曳きながら落下してゆく隕石の映像を見ながら思ったことは、1908 年にやはりおんなじ国 ( 当時は旧ソ連 ) のシベリア・ツングースカで大量の針葉樹をなぎ倒した「大爆発」のことだった。ついでに 1910 年にはハレー彗星のしっぽが地球と衝突する、人類滅亡だなどと騒がれたこともありましたね … 今回の隕石は秒速 18 km くらいの、文字どおり想像を絶する猛烈な速さで地球の大気圏に突っこんできたものだから、火球は何万度という超高温プラズマ状態だったらしい。衝撃的映像の数々を見ると、瞬間的に「太陽がふたつ」あった状態だったと言っても言いすぎじゃないでしょう。まさしく一寸先はなにが起こるかわからず、そんな折も折ワタシもバスに乗ろうとしたそのせつな、暴走運転の自転車にハネ飛ばされそうになって瞬間湯沸器状態になったりと、まさに「無常」を痛感した出来事ではあったが、いやそれだからこそ人生は「無上」だったりするわけで … とにかく隕石落下の直接の犠牲者が出なかったことは、不幸中の幸いだったと思う。

 『ユリシーズ』のブルームじゃないけれども、バッハの音楽に耳を傾けていると、やっぱりこう思ってしまう。「ああ、最高 … 」。

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2013年02月11日

文は人なり、音楽もまた人なり

1). NHK-FM および「Eテレ ( この言い方好かんわ … ) 」から。「きらクラ ! 」と「ららら ♪ クラシック」とかけもち出演 ( ? ) されたギタリスト鈴木大介さん。かつて「きらクラ ! 」の前身番組「気ままにクラシック」の「マスター」を務めていた方だけに、ひさしぶりの登場はうれしかったですね。で、これは「ららら」のほうで大介さんがしゃべっていたことなんですが、あの有名なシューベルトの「セレナーデ (「白鳥の歌 D.957 / 4 」) 」は、じつはギターを爪弾きながら作曲したんじゃないか、ですと。当時のウィーンではギターが大流行、シューベルトも一丁、持っていたんだとか。へぇ、それは知らんかった。でも似たような話はバッハにもあります。若きバッハ、アルンシュタットの教会オルガニストに就く前は一時期、ヴァイマール公の宮廷でヴァイオリンを担当したことがあり、またリュートもダ・ヴィンチに負けず劣らず名人だったようなので、たとえばあの超有名な BWV.565 のニ短調のトッカータも、じつはヴァイオリン用として作曲したんじゃないかっていう説がある。その説にもとづいた「復元」演奏盤というのもいつだったか「バロックの森」でかかったことがあったけれども、譜面を見ればワタシのような素人でもそれとわかるほど、あきらかにオルガンらしからぬ書法で書かれてます。加羽沢さんも、あれはピアノだと弾きにくいんですよね 〜 とかおっしゃっていた。自分は弦楽器系はからっきしわからないのでなんとも言えないが、大介さん曰くギターで弾くと左手はコードを押さえたままで右手で爪弾けばいいのでラクなんだそうな。

2). もうひとつ音楽関連でおどろいたのは ―― なにをいまごろ、とお思いの向きもいるだろうけれども ―― 冨田勲さんの最新作「イーハトーヴ交響曲」の世界初演のこと。なにがって、またですわ、初音ミク。こんどはなんと !! 指揮者にあわせて歌うことが可能になったという ! しかもさらにおどろくのはオペラシティの大オルガンの前面に掲げられた半透明なスクリーン上に映し出された彼女の姿。… まるでオルガンパイプの真ん前で、現実に空中に浮かんでいるかのような圧倒的存在感で歌っているではないですか。… 番組で、技術者たちは当初、冨田さんの要求に頭を抱えていたけれども … こうしてリアルタイムで指揮者の指示、あるいはリタルダンドとかテンポの大きな揺れにも対応可能となると、いままで想像もしなかったような「コラボレーション」が実現するということでもあるので、これを機に ( ? ) いよいよ仮想空間を突き破ってじっさいの演奏会場へと「進出」する、なんてことが今後ますます増えるのかなあ … とおどろきと懐疑とが入り混じった印象を受けつつ見入ってました。でも冨田さんのこの交響曲の場合、初音ミクの起用は成功していたと思う。ヤナセ語ふうに言えば、宮沢賢治文学の放つ「化身とならざる霊 ( 『フィネガンズ・ウェイク III 』 ) 」がみごとに表現されていたと感じたから。そしてこの番組で、冨田さんが幼少時、直下型の「三河地震」を体験していたこともはじめて知った。それゆえ初音ミクの起用とその扱いも、いたずらに流行を追った皮相的なたぐいに堕しなかったのだと思います。とにかく感動的な「世界初演」でした。ちょっとおもしろかったのは、作曲にはもちろん PC を使っていたけれども、五線紙と鉛筆という昔ながらのアナログな道具もまた健在だったこと。もっともご本人は、「こんな何段もある管弦楽用の総譜なんて、もう年だししんどいよ … 」みたいなことを漏らされていたけれども。「音楽もまた人なり」、をあらためて感じたしだい。そして本日は、東日本大震災からまる 1 年11か月目。宮沢文学には東北地方を再三襲った大地震と大津波の影響がつよく反映されていると言われ、冨田さん自身もやはり大地震で被災した体験を持つひとり。だからこそこのように聴く者の魂を深く揺さぶる音楽作品が作れるのですね。そういえば本日の午後、NHK-FM でオンエアされた冨田さんの特番もたいへん興味深かった。へぇ、大阪万博のとき、モーグ・シンセサイザーでバッハの「シンフォニア ( BWV.29 ) 」なんて演奏していたんだ ! カーロスの「スイッチト・オン・バッハ」に触発されてのことだったらしいけれども、原点はバッハだったんだな、と勝手にひとりごちる。

3). 本日は祝日。で、こちらの番組も見ました … ロアルド・ダールの『チャーリーとチョコレート工場』とくると、ダール好きでなくても聞いたことのある作品じゃないでしょうか。ロアルド・ダールとくると、以前ここでもちょくちょく言及していた自伝『少年』。正月いっきに読みまして、ああ、「除籍本市」でもらって正解だった、と思えるおもしろい本でした。永井淳氏の訳も、この作者特有のひねりとブラックユーモアがきらりと光る名訳だと思う。番組でも取り上げていたけれども、ダール氏の送りこまれた寄宿学校とその後進学したパブリックスクールでは、上級生によるいじめと教師による「鞭打ち」が日常茶飯事に行われていた … たしか元首相のチャーチルも、やはり自伝にそんなこと書いていた。いまはどうだか知らないが、とにかく昔の英国のパブリックスクールにおけるいじめないし教師の「体罰」は、それはヒドかったといいます。折りしもいま、この国でもあらためてこの「古くてあたらしい問題」について、さまざまに取り沙汰されているけれども … 。

 番組でも「かまど」が言及していたように、『少年』を読んでとくに印象的だったのは、ダール氏が母親宛てに綴った手紙の数々がまるまる一章を割いて書かれている章です。1957 年に母親が死期を悟ったとき、愛息ダール氏にそれまで大切に保管していた手紙の束を渡したのですが、なんとその総数 600 通以上 ! だったそうです。「年をとってから昔を語るときに引き合いに出せるこういうものを持っているということは、とてもしあわせだと思う」。

 『少年』で、ダール氏は「体罰」について、こんなふうに怒りをこめて述懐している。
… ここまで書いてくれば、みなさんはなぜわたしが学校における体罰をかくも強調して書くのかと不思議に思われるに違いない。その答は、要するに書かずにいられないからである。学校生活を通じて、わたしは教師や上級生がほかの生徒たちを文字どおり傷つける、それもときには手ひどく傷つけることを許されていた、という事実に愕然とさせられた。わたしにはそのことがどうしても納得できなかった。いまだに納得していない。当時すべての教師が常習的に生徒を殴っていたといえば、もちろんいいすぎになる。そんなことはなかった。常習的に生徒を殴るのはごく一部の教師だけだったが、それだけでわたしに永続的な恐怖の印象を刻みつけるには充分だった。そのことはもうひとつの肉体的な印象をもわたしに刻みつけた。いまでも、固いベンチや椅子にある時間坐ることを強いられるたびに、約五十五年前にお尻にできた古い鞭の痕が疼きだすのを感じる。… あの当時だれかにこのサディスティックな聖職者がやがてカンタベリー大主教になることを教えられたとしても、わたしは絶対にそれを信じなかっただろう。
 わたしが宗教はおろか神さえも疑うようになったのは、このことが原因だったと思う。

ロアルド・ダール自伝 『少年』

 ちなみにここで描かれているヒドい校長にして聖職者の人は、のちにカンタベリー大主教として現女王を戴冠した人なんだそうです … 。

 文学ついでに、このほどやっと柳瀬新訳版『ダブリナーズ』、読了しました。でもなんかこれ、ほぼ一世紀前の西の果ての島国の首都の物語というより、21 世紀のいまを生きる自分の住んでいるところもそうだが、現代日本の疲弊した一地方都市の市民生活とがダブリまくりなのはいったいどういうことなんだろう、と … そしてやはり前評判どおり ( ? ) 、掉尾を飾る「死せるものたち ( 'The Dead' ) 」の印象がかなり強烈。ところで最近『神話の力』を繰っていたら、インタヴュアーのビル・モイヤーズの書いた「まえがき」に、ジョン・ヒューストン監督がこの 'The Dead' を映画化して、その試写会のこととかにも触れてまして、あらためてへぇそうなのか、と思ったしだい。ところでこの映画化作品、国内でも封切られていたんだろうか … あいにく記憶がない。そういえば「かまど」で読み上げられた『チャーリーと … 』も、柳瀬訳版でしたっけ。柳瀬先生は『ユリシーズ』はどうなってんだろう … いまだ「辛航中」なのかな ? 全訳刊行成ることを期待しています。
 ああ、腹がへった。
 彼はデイヴィー・バーンへ入った。謹厳なるパブ。おやじは無駄口を叩かない。たまに一杯おごることもある。もっとも閏年みたいに四年に一度。いつか小切手を両替してくれたっけ。
 さて何を食おうか ? 彼は懐中時計を取り出した。さて、ええと、シャンディーガフ ? 
 ―― やあ、ブルーム。でかっ鼻フリンが坐ったまま声をかけてきた。
 ―― やあ、フリン。
 ―― 元気か ? 
 ―― ああ、最高 …… 。ええと。バーガンディを一杯もらおう …… それから、ええと。―― 『ユリシーズのダブリン』より

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2013年02月03日

天才は天才を知る

 先週の「古楽の楽しみ」は、「バッハからモーツァルトへ」。で、ワタシがとくに全身耳になったのは、最終日の回。かなーり昔に、たしか NHK ホールの大オルガンを使ったリサイタル中継番組だったかで聴いた、ケッヘル番号608 の「ヘ短調の幻想曲」。それと、はじめて耳にしたケッヘル番号574 の「ト短調の小ジーグ」。もっともなによりおどろいたのは磯山先生の解説のほうでしたけれども。

 後者、K.574 の小品は、1789 年というからフランス革命の年、33歳のモーツァルトがバッハゆかりの地ライプツィッヒを訪問したとき、当地の宮廷オルガン奏者カール・イマニュエル・エンゲルという人の「記念帳」に「即興で」書きつけた作品だという。なんでも大バッハのモテット BWV.225 を当地で聴いていたく感激したモーツァルト、この輝かしい 8 声二重合唱のモテットの楽譜のコピーを一部所望して、それからエンゲルのゲストブックに小ジーグを書いたらしくて、バッハに敬意をこめて、BACH 音型を盛りこんで書いたという。で、聴いてみると、すばしこいパッセージ中にたしかに BACH が聴こえる。へぇ、モーツァルトにこんな毛色の変わった作品があったのかと、ひとりで勝手に感動していた。

 K.608 のほうは「自動オルガンのためのアレグロとアンダンテ」というのが正式名みたいですが、磯山先生の解説ははじめて聞く内容だったので、こういうおもしろいことを耳にするといてもたってもいられない性分のワタシは、さっそく図書館に行って「小ジーグ」とともにこっちもちょこっと調べてみた。参照したのは『モーツァルト事典 ( 東京書籍、1991 ) 』、『モーツァルト大事典 ( 平凡社、1996 ) 』、『モーツァルト全作品事典 ( 音楽之友社、2006 ) 』の三つ。

 「小ジーグ」について、磯山先生の解説によればバッハの影響ありとしていたけれども、どういうわけか ( ? ) 『大事典』の記述では「1789 年 5 月16日、ライプツィヒ (自筆譜による) / ヘンデルの <<組曲 ヘ短調>> 第 1 集第 8 番のジグを模倣したもの」とあり、バッハのバの字も出てこない (苦笑)。いっぽう、三冊のなかではもっともあたらしい『全作品事典』では「 … 明らかにバッハへの捧げ物である。しかし、対位法様式によるジーグであることを除けば、われわれにバッハを想起させるものは非常に少ない。しかしそれまでに書かれた作品のなかで最もモーツァルトらしいというわけでもない。実際のところ、この作品は、大胆な外形や絡み合うリズム、冒険的な和声などを有する、非常に孤立した現象であったと思われる」とあって、しっかりバッハの影響を書いている(が、BACH 音型については触れていない )。ちなみにこの事典はいままでモーツァルト作品について書かれた著名な評をかき集めたような本らしくて、これ書いたのはサー・ウィリアム・グロックという、2000 年に物故した英国の著名な音楽批評家の人。ながらく The Observer 紙に音楽批評を書いていた人物みたいです。そして関係ないことながら、この本の「監訳者あとがき」を見て翻訳にたいする姿勢にもひじょうに好感をおぼえた。音楽関係の本の邦訳って当たりハズレが激しいんですが ( 苦笑 )、こういう真摯な訳者先生の手になるものだったらたぶん、大丈夫でしょう。この手の「事典」もので 3,800 円という本体価格も安いと思いますし。

 K.608 は、寡聞にして知らなかったが、当時ウィーン ( ほんとはィーンと表記したいところだが ) にあった「蝋人形館」の依頼で書かれた作品だという。作曲年代はモーツァルトが死んだ年、1791 年 3月 3日というから、最晩年も最晩年の作品ということになる。姉妹作品にやはりおなじ蝋人形館の依頼で書かれた K.594 もあるとか。で、『大事典』によるとこれまたおもしろいことが書かれてあって、興味は尽きないですねぇ。K.608 は将軍だったラウドン男爵という人の死に寄せて、霊廟が建立されるのにあわせて蝋人形館運営者で美術商のミュラー・ダイム氏という人から頼まれたんだという。では金欠のどん底にあったモーツァルト先生はこの依頼に喜んで作曲の筆を進めたかというとそうでもなかったらしい。
僕は毎日ちょっとずつ書いているけど、いつも途中で退屈してやめてしまいます。もしこれが大きな楽器だったなら、オルガン作品のように響いて、僕もいくらかうれしいのだけれど。実際は小さなパイプだけでできていて、僕には子供じみた、高い音にしか聞こえないのです。

いやいや作曲してたんだなぁ !!! これはビックリ。その「自動オルガン」というのがいったいどんな代物なのかは知りようもないが、当時はこの手の「自動楽器」がはやっていて、くだんのオルガンは当時「音楽時計」と呼ばれていたようだから、時計でも組みこまれていたんかな ?? とにかく「いやいや」作曲していたとは毛ほども感じさせないすばらしい作品で、なんとベートーヴェンもこの作品を筆写していたといいます。まだ「アヴェ・ヴェルム・コルプス」も知らなかったころ、自分もまたこの作品を聴いたとき、あれ、モーツァルトってバッハみたいな曲も書いてんだと素人ながらに感じていたことなんかも思いだした。

 そういえばすこし前に見た「ぶらり途中下車の旅」という番組で、「アルモニカ」の国内ではただひとりの演奏家の先生が登場して、なんとも形容しがたい天上の響きを奏でていたのを見ましたが、モーツァルトもベートーヴェンもこのガラスでできた楽器のために作品を書いているとか言ってました。モーツァルトのほうは「アダージョ K.356 」という作品があり、三冊の事典を繰ってみたらどうもこれ盲目の若き女流アルモニカ演奏家の予約演奏会のために書いた曲だったらしい。『事典』によれば、アルモニカ ( グラスハーモニカ ) という楽器は当時すでに機械化されはじめていて、鍵盤で音が出る仕組みになってもいたという。音域も 1770 年代には c−c4 、あるいは c−f3 まで拡大していたらしい。番組では、演奏家先生がえんえん 1 時間もかけて ( !!! ) 手を洗っていたのが印象的だった。でも聴いてみたいなぁ、この楽器。

 「小ジーグ」と「幻想曲 ヘ短調」、ともに演奏はイタリアの中堅奏者アレッシオ・コルティの音源によるもの。コルティは「フーガの技法」全曲も録音していて、NML サイトにてファーイウスとかほかの奏者とともによく聴いてました。来週の「古楽の楽しみ」は今谷和徳先生による「イングランドの音楽その 2 」というから、こっちも楽しみ。というか最近は Organlive.com にどっぷりハマってしまっている … こうしてかけっぱなしにしていると、オルガン音楽の歴史のただならぬ長さ、深さというものを感じないわけにはいかない。ピアノ音楽もたしかに歴史は長く、そのレパートリーも膨大だが、なんの、オルガン音楽にくらべればまだまだかわいいもんですわ。なんせこっちは中世聖歌隊の伴奏からルネサンス・バロック、バッハからロマン派、現代にいたるまで途切れることなく滔々と流れる大河のごとくつづいているのだからね。

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2013年01月28日

ケーテン時代のバッハ

1). 最後の回の放映は本日で終わってしまったけれども、今月の「名曲アルバム」では大バッハの「ブランデンブルク」の 5 番 ( BWV.1050 ) が流れてましたね。

 最新映像で見るバッハゆかりの地ケーテンは、とてもおしゃれで美しいところだなあ、と思いました … 映像から察するに、どうもクリスマス時期に取材に行ったらしい。ケーテン城前にも大きなクリスマスツリーにかけられた電飾が煌々と輝いていたし、「鏡の間」でのコンサートのもようなんかも、いかにも楽しそうで見ているこちらはちとうらやましくもなったり ( ケーテン城内礼拝堂にあった、あの数ストップほどの一段手鍵盤のオルガンが個人的にはすごく気になる )。バッハはヴァイマール公と事実上のけんか別れとなって放免されてケーテンへと赴任したわけですが、バッハをして「骨を埋めるつもり」だったケーテン時代は、たったの 6年間しかつづかなった。芸術家にとって、幸福な期間というのはかくも短かしという典型例かもしれないが、この短期間のあいだにも「平均律」や「フランス組曲」、「半音階的幻想曲とフーガ」、「 6つのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」、「 6つの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」、「無伴奏チェロ組曲」、「インヴェンションとシンフォニア」の初期稿などなど、名曲をつぎつぎと生み出している。

 6 曲からなる「ブランデンブルク」もそんなケーテン時代の傑作のひとつ。とりわけ、「ピアノ協奏曲の誕生」とものちに評されることになる第 5 番第 1 楽章はひじょうに有名だし、バッハ作品のなかでも人気の高い曲だからけっこうひんぱんに演奏会のレパートリーとして取りあげられてもいます。あの浮き浮きとした通奏低音だけ聴いても、バッハ作品にしてはひじょうに明るくて、親しみやすさではまず筆頭格なんじゃないかと思います。チェンバロを弾くほうは、それどころじゃないかもしれないが。

 以前、ここでも書いたことと重複するけれど、ケーテン時代のバッハのオルガン作品、とくると、やはり「大フーガ」で知られる BWV.542 くらいのものですが、だからといってオルガンを忘れていたわけでもなく、ケーテン宮廷赴任直前にもハレの聖母教会に新造された 65 ストップの大オルガンの鑑定に招かれたり、ライプツィッヒのパウロ教会の新オルガンの鑑定をしたりしてます。鑑定後の試奏あるいはこけら落とし独奏会では、たぶん前任地にて書きためていた旧作か、あるいはライプツィッヒ時代に浄書された一部の「前奏曲とフーガ」の初期稿版なんかを、即興演奏とまじえて聴衆をおどろかせつつ、弾きまくったんだろう … ということは想像にかたくない。

2). けさの「古楽の楽しみ」はバッハの息子たちの作品が流れてました。次男坊カール・フィリップ・エマヌエルの「ロンド ホ短調 『ジルバーマン・クラヴィーアからの別れ』」もかかってましたが、印象的だったのが「フーガ 変ホ長調 Wq.119/6」というオルガンフーガ。演奏者は往年の名手マリー-クレール・アラン。のちのモーツァルトにつづくギャラントな雰囲気はたしかに感じられたけれども、がっちりとした構築性というか、巧みに絡みあいつつ進行する対位法書法は、あきらかに「旧時代」の父親バッハ直伝のものなのでした。

 ところで「きらクラ ! 」の「DON ! 」コーナー。出だしを耳にするなりふかわさんが、「なにこれ、このビョ〜ンは ?! 定規かなんかみたい ! 」と声を上げていましたが ( 笑 )、そうですねぇ、ヤナセ語ふうに言うと、「ヅェ〜ンバロ」ってやつですかね。

追記:tunein 経由でこれを聴きながら書いてたんですが、ちょうどいま、こんなアルバムが流れてました。おどろいた。ネットラジオ探索の旅は、まだまだつづく ( 笑 )。

posted by Curragh at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年12月24日

ヴァージナルってけっこういいかも

 クリスマスイヴの朝、「古楽の楽しみ」ではなんと英国ルネサンス期のヴァージナル作品がかかりました ( その前にフレスコバルディの「パッサカリアによる 100 のパルティータ」とかもかかってました。もちろん季節柄、シャルパンティエの楽しい「真夜中のミサ」も ) 。かかったのは、「ブルのおやすみ」のジョン・ブルの「みどりごが生まれたまいぬ」という愛らしい小品。でももっとも印象的だったのは、ほかならぬヴァージナルの調べそのものです。じつに味わい深い。クラヴィコードみたいにか細く、繊細すぎない音で、しかも独特のハリがある。だからといってチェンバロのようにやたらとビンビン響くわけでもない。なんとも形容しがたい心地よい響きなのでした。ちょっとこの音源メモメモ ( 笑 ) 。またのちほど NML でも探してみよう。

 明朝、クリスマス当日はバッハの「クリスマス・オラトリオ BWV.248」から。前にも書いたけれどもこれは教会暦でいう年明け 6 日までの降誕節の 12 日間の主要祝日のために連作した一連のカンタータをそう呼んでいるだけなので、べつに全部通して聴くチクルスというわけではない。個人的にはやっぱりあの冒頭の晴れやかな喜びに満ち満ちたトランペットの活躍する曲とか好きですねぇ。

 … それはそうと、こちらの地元紙記事。いやあ、すごいことです。なんせ 210 歳の英国製ピアノ、経年劣化のため録音ではなんと一楽章ごとに調律しなおしたんだとか。調律の狂いやすさではチェンバーオルガンなんかもたいへんらしくて、苦労話を披露されている楽器屋さんのブログ記事とかもよく見かける。教会のオルガンももちろん話はおなじで、とくに酷寒に見舞われる欧州では演奏中にだんだんピッチが下がってきて、聞いた話では本来はラなのに一音下げてソで歌ったりと聖歌隊も苦労するみたいです。気温によるピッチ変化では、むしろ室温上昇とともにピッチが上がる場合のほうが多いと思います。

 きのうは出かけていたので、けさは寝ながら「きらクラ ! 」再放送分を聴いてました。最後のほうで読まれたお便りには、こっちもなんだかしんみりしてしまいましたね … そしてこちらもいろいろと思うところがあったり。その関連ではたとえば深夜に見たこの番組もすごいといえばすごかった。まさしく今年最後を飾るにふさわしいすぐれた記録番組だと思う。なるほど、ピダハン語ですか ! このまさしく絶滅しかかっている言語には、なんと過去も未来もなくて、ただ「いま現在」のこと以外を言い表す表現ないしことばがそもそもないのだという。… いまこのとき、この瞬間がなによりも肝心。それ以外のことはどうだっていい。たしかにそうだ。「明日を思いわずらうな」ってたしかイエスも言っていた。比較神話学者キャンベルもまた「永遠をいま、この瞬間に経験することがなければ、けっして永遠を経験することはできない」みたいなことを言っていた。昔読んだあるエッセイに、「明日をもっとも必然としない者だけが、もっとも晴れやかな顔で明日に向かうことができる」みたいなことが書いてあった。言わんとするところはみんなおんなじなのかもしれない。というわけで、昨年の震災以降いろいろ去来する思いはあるが、今宵は心しずかに、BBC World Service で毎年クリスマス恒例のキングズカレッジ聖歌隊による「9つの朗読とキャロルの祭典」に耳を傾けることにします ( 日本時間では、明日午前零時から )。

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2012年12月16日

地上には平和を

1). 「古楽の楽しみ」、この前の金曜朝のリクエストでは大バッハの「パストラーレ ヘ長調 BWV. 590 」と「オルガンのためのトリオソナタ BWV.525 」がかかってました。「パストラーレ」は往年の名手、マリー - クレール・アラン、「トリオソナタ」のほうはコープマン。たぶんコープマンのほうは音源を持ってるはずなので、またあとで全曲聴いてみようかな。それとこの時期の定番 ( ? ) コレッリの「クリスマス協奏曲」も流れてましたね。演奏者は英国のこれまた鍵盤楽器の名手、トレヴァー・ピノック率いるイングリッシュ・コンサート。

 ところで次週の「古楽の楽しみ」は、「パリのレ・アール地区と音楽」。ジャン - フランソワ・ダンドリューの鍵盤作品もかかるそうで、こっちも楽しみ。ところで「フランス古典もの」ではいろんな名前の「舞曲」、つまりダンス音楽が頻出しますが、「エスタンピ」と「ブランル」なんかもよく出てきますね。というわけで NML の『音楽中辞典』を引いてみる。↓
estampie[仏] estampida[プロヴァンス] istanpitta, stampita[伊] 
 13,14世紀のフランスやイタリアの写本にこの曲種名が残されている。多くは旋律のみだが歌詞のあるものもあり,「踏み踊り」の名称が示すように舞曲とされる。半(開)終止でくり返され,全(閉)終止におわるいくつかの楽節からなる。

branle[仏] 
1. 15,16世紀のバス・ダンスで横へのステップもしくは動きを示した言葉。
2. フランスの民俗舞踊。拍子,テンポ,踊り方などは地方によって異なり,のちにメヌエットやガヴォットへと発展したものもある。16世紀末にはいくつかのブランルを順にならべた一種の組曲も存在した。

これらとは関係ないが、「だれだれのマスク」とかいう曲名の作品は、英国ルネサンス期音楽あたりでよく見かけます。「だれだれのトイ」というのや、「ジョン・ブルのおやすみ」なんてヴァージナル楽曲まである。トイというのは、そのものずばり「玩具」のこと。そういえば追悼音楽として、「だれだれのトンボー」というのもあったな。
toy, toye[英] 
16世紀末から17世紀のイギリスで用いられた,リュートやヴァージナルのための小曲の表題。

 「ビバ ! 合唱」も、時期的に楽しいプログラムがつづいてます。先週は「バロック時代フランスのクリスマス音楽」、そしてけさは「ジョン・ラターによるクリスマスの歌」。ラッター ( と自分は表記 ) は、BBC Radio2 の毎年恒例の「今年の若き聖歌隊員 YCOY 」コンペの審査員としてもお馴染みの感ありですが、この人の「ピエ・イエズ」は大好きだし、「球根の中には ( 'There is a flower' ) 」とか「地上の美のために ( 'For the Beauty of the Earth' )」なんかも名曲だと思うし、合唱好きにとっては定番ですね。英国の作曲家はなんといっても声楽・合唱ものはつよいです。器楽一辺倒だったころは見向きもしなかったが、いま本棚の CD 突っこんである区画を眺めると、英国直輸入盤の英国作曲家もの音源も数こそまだまだ少ないが、バッハに混じってちらほら見えている。ハーバート・ハウエルズとか、ウィンチェスターカレッジ聖歌隊の歌うジョージ・ダイソンという人の作品集とか ( この人のご子息が、著名な物理学者のフリーマン・ダイソン氏 ) 。でもけさの放送を聴いてみて、クリスマスものだけでもけっこういろんな自作・編曲があるもんだ、と感じたしだい。「明日はわたしが踊る日」、「サセックス キャロル」、「クリスマスの 12日」、「主があなたを祝福し、あなたを守られるように」… 。英国ものは、実演でもご当地の聖歌隊で接することが多かった。Boys Air Choir、セントジョンズ、オックスフォード・クライストチャーチ。「パリ木」や Boni Pueri も彼らのアルバムで英国もの、とりわけブリテンの「キャロルの祭典」を収録していたりするけれども、お国柄というか、「外国の歌」を歌ってますという感じでこれはこれでおもしろいけれども、英国人聖歌隊による歌唱のほうがやはり違和感なく聴けますね。

2). いまさっき NHK TV のニュースで「聖誕教会のクリスマス」のもようを見ました … 寡聞にして知らなかったが、ベツレヘムはたびたび武力衝突の戦闘の只中に巻きこまれてきた場所。こんなふうに派手な電飾を施した、文字どおり Deck the Hall みたいなでっかいツリーなんか飾って盛大にお祝いする、なんてことがいままでにもあったんだろうか … いかにものどかで、平和で、まるで日本の教会のクリスマスみたいな光景だった。たしかここだったと思うが、だいぶ前、邦人観光客カップルがパレスティナ・イスラエル両軍対峙しているそのど真ん中を平然と歩いていて、兵士が唖然としていた、なんて話を聞いたことがあります。いずれにせよこのふたりが紛争地帯に迷いこんだ是非については蝶々しない。とにかく TV で見た聖誕教会の光景は平和そのもので、これからもこの状態がずっとつづくようにと祈らずにはいられない。と、ここでまたしてもジョイスの『フィネガン』の一節が思い出される。柳瀬訳版の第三巻に出てくる、「ベネント・セント・ブリジッド国立夜学出の」29 人の女学生たちが暇を告げるショーンに向かって呼びかける各国語による「平和」の連呼が ―― この国ではついきのうまでべつの「連呼」がこだましていたけれども。そういえば先だって地元紙面の若い人の投稿欄にもそんなことが書いてありました。書いたのは 13 歳の中学生です。「僕は、みんなの意見をしっかり聞いて自分の意見をはっきりと言える人になりたいです。そして、それを人に伝えられるような力を持って自分で何かを変えられるよう努力します。そして、戦争ではなく話し合いで平和になれる世界をつくれる日本人になりたいです」。
Frida! Freda! Paza! Paisy! Irine! Areinette! Bridomay! Bentamai! Sososopky! Bebebekka! Bababadkessy! Ghugugoothoyou! Dama! Damadomina! Takiya! Tokaya! Scioccara! Siuccherillina! Peocchia! Peucchia! Ho Mi Hoping! Ha Me Happinice! Mirra! Myrha! Solyma! Salemita! Sainta! Sianta! O Peace! ―― Finnegans Wake Book III , pp. 470 - 1.

 教会つながりではパリの「ノートルダム」も建設着工から 850 周年 ( ! ) だそうで、祝賀行事がはじまるそうですよ。そして個人的なことながら、大晦日恒例 ( ? ) のクォートですが、じつは半年ほど前からもう決まっていまして、今年はこれで締めようと考えてます。最近大きめの地震とか多くなってきた感じがするので、とにかく年末年始は平和を、平安なクリスマスを、とせつに願っております。皆様もよきクリスマスを。

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2012年11月10日

たしかに似ている

1). 金曜朝の「古楽の楽しみ」のいつものリクエスト特集。出だしは「調子のよい鍛冶屋」の終曲 (「アリアと変奏」)で有名な、ヘンデルの「組曲 第5番 ホ長調」。かかった音源は曽根麻矢子女史の師匠でもあった故スコット・ロス。つづいてバッハ作品がふたつかかり、まずはカンタータ 147 番「心と口と行いと生活 BWV.147 」で、これはたしか廉価版で手に入れた Teldec 盤のもので、ソプラノ / アルトの独唱もテルツ少年合唱団メンバーが歌っているもの。自分の持ってる音源には BWV.147 と BWV.140 の「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」とがセットになって入っていて、最近これ聴いてなかったから、なんだか新鮮味があった。最近のバッハのカンタータものの録音って、当時の習慣そのままにボーイソプラノ / ボーイアルトにソロを歌わせた音源ってあるのだろうか ? リフキンだっけ、「マタイ」は 4声パートの独唱のみならず合唱までじつは最低限の人数で歌われていたとかって「新説」を出してきた音楽学者さんは ? うーん、じっさいはどうなんでしょ、ここにいるバッハ好きの門外漢は、いくら倹約家の大バッハでもそれはなかったんじゃないかと思うんですがね … 。それならはじめから聖歌隊なんて必要ないですし。

 最後にかかったのはハインリヒ・シャイデマンのちんまりした作品「プレアンブルム ニ調」で、こちらも手許にあるソニークラシカル盤から。演奏者は今年 1 月に残念ながら亡くなったグスタフ・レオンハルト、使用楽器は録音当時、建造された時代に忠実に再修復されたばかりのハンブルク・聖ヤコビ教会の A. シュニットガーオルガン ( 1693年建造 )。ここのオルガンを使った録音では、近年ではレオンハルトの弟子のコープマンによる「バッハ・オルガン作品全集」がある。この歴史的名器の修復を行ったのはユルゲン・アーレント氏で、ロレンツォ・ギエルミがオルガニストを務めるミラノの教会の楽器とかも手がけているし、そういえばあのカザルスホールの楽器もアーレントオルガンだった。いまにして思えば、カザルスホールのアーレントオルガンの響きを聴いておくべきだった。

2). いまさっき聴いた「ガットのしらべ」。番組名がなんだか往年の「朝のハーモニー / オルガンのしらべ」を彷彿とさせますが、とにかく聴いてみて、おや ?! と思いました。

 バッハの有名なあの「シャコンヌ ( または伊語表記でチャコーナ、BWV.1004 の終曲 ) 」は、じつはビーバーの「ロザリオのソナタ集」所収の「パッサカリア ト短調」に霊感を得て作曲されたらしいとか。じっさい聴いてみると、… むむむむたしかによく似ているな ! とくにコーダのところなんかは。バッハ時代の「宮仕え型」音楽家というのは純粋におのれの内なる心の声に従って作曲し、それを世に問う、ということはまれで、たいていがなにかの必要に迫られてとか、雇用主の領主や貴族、教会側の要望に沿った作品を提供することが求められていたから、ひょっとしたら「特定のだれか」の必要のために書いたのかもしれない。… なんてこと書いていたら、あらら、以前ワタシはこんなこと書いていたのね … 。

 ハンブルクのヤコビ教会のオルガンにもどると、この楽器の仕様は 4段手鍵盤に実働 60ストップという、当時としてはひじょうに大規模な楽器でした。バッハがここのオルガニストに志願した、というのは有名な話 ( 前にも書いたから、蒸し返しませんが )。

3). そういえば前回の「きらクラ ! 」は公開生放送、ということで、ゲストはいまをときめく若手バンドネオン奏者の三浦一馬さんとピアノの BABBO さん。バンドネオン発祥の地がアルゼンチンではなくてドイツだった、というのは知っていたけれども、そもそも教会のオルガンの代役として開発された、という話ははじめて知った。バンドネオンのなんとも言えない哀感を帯びた調べは自分も好きですが、バンドネオンってもう生産していないのだそうだ。ピアソラの 'Oblivion' も演奏されましたが、楽器としてのバンドネオンもいまや風前の灯、文字どおり「忘却」のかなたへ、かつてのサックバットやクルムホルン、セルパンなどとともに消え去ってしまうのだろうか。でも三浦さんのような若い奏者がおおいに活躍されれば、当分そんなことはなかろうと楽観していますが。

追記。バッハ時代からおたがいによきライヴァル関係にある、ライプツィッヒの聖トーマス教会聖歌隊とドレスデンの聖十字架教会合唱団。いまさっき FB 公式ページ見たら、なんと 14 歳の団員が作曲したトリオ作品がベルリンフィル主催の作曲コンペで優勝して、晴れてベルリンフィルのメンバーによる演奏で初演されるという !!! … 世の中、神童はいるもんですね。日時は来月 14 日だそうです。もうひとつは、こちら。自分もきのうの夕刊にてはじめて知った … いいなあ、これ聴いた「約 80 人」の聴き手は。ワタシもぜひ聴きたかったなあ … 。

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2012年10月08日

セントジョンズ & ドイツバロック期のオルガン音楽

1). 今週の「古楽の楽しみ」は … 「ドイツ・バロックのオルガン音楽」だ !! もっともこれ 6 月の再放送みたいですが、忘れっぽい人としてはこの「繰り返し」はまことにありがたい。心して ( ? ) 聴きたいと思う。

 けさはオランダのスヴェーリンクからはじまり、その弟子シャイトの「新タブラトゥーラ」第二巻からと、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ツァハウというほぼヨハン・パッヘルベルと同時代に生きた人の、あっという間に駆け抜ける短い「前奏曲とフーガ ト長調」を巨匠レオンハルトの音源で。つづいてバッハの有名なコラール編曲がかかりましたが、ツァハウの「ああ主よ、哀れな罪人である私を」というコラール前奏曲、なんかどっかで聴いたことある定旋律だなあと思っていたら、そのすぐあとかかったバッハのコラール編曲 ( BWV.727 ) を聴いて、ああなんだ、ハンス・レオ・ハスラーの「わが心は千々に乱れ」だった。もとはこれ若者の失恋を歌った流行り歌だったのに、あっという間にイエスの受難を思いやる歌詞へと早変わり。ここが、音楽のもつ力の素晴らしいところ。以前も書いたけれどもかの地で「リパブリック賛歌」として歌われている曲が、ここでは「権兵衛さんの赤ちゃん」になったりする。この柔軟性こそ、言語を超越した音楽ならではの最大の強み、長所ではないかと思います。ちなみにツァハウという人は寡聞にしてよく知らないが、1663 年にライプツィッヒの音楽家一家に生まれ、ハレの聖マリア教会オルガニストを務めた人だったらしい。だから流れ的には「北ドイツオルガン楽派」になるのかな。でも手持ちの「レオンハルト ジュビリーエディション」所収の音源では「アルプス地方のオルガン音楽」におんなじ「前奏曲とフーガ」が収録されているけれど … 。

 後半、音源がかかっていたベルギー在住のオルガニスト国分桃代さんは、拙ブログのリンク欄にもある「晴れた日のオルガン」の作者さんでもある。いまさっき確認したら新しい URL に変更されていたので、リンクを貼り直すつもり。ちなみにこちらの記事を見たら、資料画像にスヴェーリンク師のお顔が写ってました。

2). ちょうど 1 週間前の月曜夜の「ベスト・オヴ・クラシック」。なんとあのセントジョンズ東京オペラシティ公演の録音がかかった !! 7月末のサントリーホール公演に行ったとき、「NHK-FM あたりでオペラシティ公演とかかかんないかな ♪ 」なんて軽く期待していたら、ほんとにそうなった ( thanks !! )。で、さっそく全身耳にしてこっちの公演を聴いてみると、おどろかされるのはやっぱり彼らの間口の広さ、レパートリーの幅広さでした。

 英国ルネサンス期のロバート・パーソンズの静謐な祈りが寄せては返す波のごとく幾重にも連なる「アヴェ・マリア」からはじまり、ラフマニノフの「晩祷 ( これは 2006 年のモスクワアカデミー公演で聴いたことあり )」、パーセルにエルガー ( 有名な「アヴェ・ヴェルム・コルプス」 )、ブリテンにパリー (「わたしはうれしかった」)、ヴォーン-ウィリアムズの愛らしい小品「味わい、知れ、主の恵み深さを」にマサイアスの「神よ、諸国の民があなたをたたえ ( チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚式用に作曲された作品。プログラム表記では「マシアス」となっているけれど、NHK-FM の放送のとおりこれって「マサイアス」なんじゃ … ?? ) 」、ジョン・タヴナー ( ルネサンス期のタヴァーナーとよく混同される現代の作曲家 ) の「アテネのための歌」、そしてアンコールで歌われたビートルズの 'With a Little Help from My Friends' までかかるという大盤振る舞い !! ヴォーン-ウィリアムズの小品はサントリーホール公演でも歌ってくれたもので、澄んだボーイソプラノソロで開始される、短いながらもとても印象的な作品だった。なのでオペラシティ公演の録音まで聴けて、二度、楽しめた。Thumbs up! 

 サントリーホール公演と同様、オペラシティ公演でもふたりのオルガンスカラーのお兄さんが交替で演奏をそれぞれ一回ずつおこない、最初にかかったのが大バッハの「前奏曲とフーガ BWV.541 」から難易度のとびきり高い 4声フーガ。この作品についてはこちらの拙記事で。

 そういえば BBC Radio3 の The Choir 。先週はなんと 10 年ぶり ( ! ) に英国公演を行なっているウィーン少年合唱団特集 ! でした。司会のアレッドもなんだかうれしそう。ケンブリッジに住むメル友情報によると、キングズカレッジ礼拝堂でも歌ったらしい。公式サイト見たら、キングズの子たちとサッカーの親善試合までしていたらしい。英国に行っているのは「ハイドンコア」で、英国公演は今日まで。

 ちなみに今週の放送は、合唱音楽と伴奏との関係に焦点を当てた特集の再放送。もちろんオルガン伴奏付きの楽曲も出てきました。興味ある方はぜひ ( 'Only Men Aloud' ってヴォーカルバンドは以前、BBC Radio2 の Young Choristers of the Year にゲスト出演していたような憶えがある ) 。

追記:最近、ワタシは TuneIn なる Android アプリを Desire に入れてみた ( iPhone アプリ版もあり ) 。これ、すごいです ! すなおに感動に襲われた、数少ないアプリ。これでいまやどこに行っても、BBC Radio3 の Choral Evensong をはじめ、世界中のネットラジオが聴取できる !! 数年前までこんなこととても考えられんこと。もちろん移動中のお供として「らじるらじる」も活躍中ラジー ( 笑 ) 。なのでいまは PC 経由で聴取するのはやめて、TuneIn で受信した放送をライン接続したラジカセから流して聴いてます。こっちのほうが省電力だし、高音質。もちろん Ottava も聴けます。Ottava で思い出したが、「リサイタル・ノヴァ」支配人のピアニスト本田聖嗣氏。なんとセントジョンズサントリーホール公演を聴きに来ていたらしい。あいにくお顔は拝見できなくて、残念。

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2012年08月26日

スヴェーリンク、グールド、モンセラート

1). 「ビバ ! 合唱」の昨晩聴いた再放送分。今年生誕 450 年の記念イヤーに当たる初期バロックオランダ最大の作曲家にして「ドイツのオルガニスト作り」、スヴェーリンク特集でした ( 本放送のときはあいにく寝ていた人 ) 。のっけからオルガン作品「ニ調のエコー・ファンタジア」がかかってました。演奏は「古楽の楽しみ」でもよく音源がかかるハラルド・フォーゲル。で、ルター派以上に当時のカルヴァン派の事情にはうといのですが、どうも「コラール」のカルヴァン派版ともいうべき「ジュネーヴ詩編歌」なるものがさかんに歌われていたという ( 150 編からなる「詩編」はアイルランド教会やローマカトリックの別に関係なく、原始教会時代から典礼の最重要レパートリーだった ) 。で、当然スヴェーリンクも多くの「ジュネーヴ詩編歌」にもとづく声楽曲を残しています。とはいえ自分はもっぱら「オルガン音楽の先駆者」としてのスヴェーリンクしか聴いてこなかったので、こちらの声楽曲はなにも知らないにひとしいから、今回の企画はまさにタイムリーでしたね。6 − 8 声というからかなり複雑で技法的だと感じた。スヴェーリンクはフランドル楽派の「模倣対位法」に代表されるルネサンス音楽からバロックへと、ちょうど橋渡しの役目も果たしていたから、いってみればこれはその後のバッハへとレールを敷いたことにもなる。バッハがモーツァルトやベートーヴェンなどの時代への橋渡しをしたのとまったくおなじ役割を、アムステルダム古教会 ( Oude Kerk ) オルガニストだったスヴェーリンクもまた果たしていた、ということになる。多くの弟子を育てた名伯楽でもあったという点も両者は共通している。

2). この前も書いたけれどもグールドの特番の再放送もありました。で、唯一のオルガン独奏版「フーガの技法」について、その後グールドが残りのフーガを収録しなかったのは収録に使用した、「グールドお気に入りのトロントのオールセインツ教会のカサヴァン社建造のオルガン」がなんと、その後教会とともに焼失した、との解説が ( → 現在のオルガン ) 。さっそく図書館に立ち寄った折、グールドの伝記本 3 冊をひろげてみたらたしかにそう書いてあった。でも手許のアルバムのライナーにはこの楽器のほかに、ニューヨークの Theological College という聖職者養成専門の大学 ( ? ) チャペルのオルガンでも録音したとある。グールドはこの録音セッションのあと肩の故障に悩まされていたので、もうそれに懲りた、というのが主たる理由のようです。それにしても来月 25 日で生誕 80 年、10 月 4 日で没後 30 年。あらためて伝記本を読むと、どうも 50 歳の誕生日あたりから頭痛など不調を訴えていたようで、病院に担ぎ込まれてからわずか二週間で脳死と判定され、その後家族の同意を得て生命維持装置が取り外されたのが 10 月 4 日だったという。グールド指揮によるヴァーグナー「ジークフリートの牧歌」の音源や多重録音による「マイスタージンガー」の音源は聴いたことなかったから、すごく新鮮でした ( あと、大好きなベートーヴェン「田園」のグールド自身のピアノ編曲版とかも聴けてよかった ) 。それにしてもグールドってかぎりなくストイックだし、いろいろ伝記とか読んでるとなんかヴァルヒャにも似ているなあとさえ感じる。たとえば、あのハミング。グールドのあの明瞭なアーティキュレイションによるフーガの演奏は、ときに旋律線どうしの会話にも聴こえるし、なにより生命というか、音に宿っている魂みたいなものも感じる。同時に、歌心に満ちている。ヴァルヒャも心がけていたのはほかならぬこの「旋律線どうしの奏でる歌」だったから、方向性はちがえど、けっきょく表現しようとしていたことはそんなに大差なかったように思う。ちなみにグールドのデビューリサイタルはピアノではなくなんとオルガンでして、1945 年、 わずか 13 歳のとき。バッハが「ゴルトベルク」を書きあげたときその愛弟子は 14 歳で、しかもグールドのデビュー盤も「ゴルトベルク」だったし、こう考えるとグールドってゴルトベルクの生まれ変わりなんじゃないかって気さえしてくる。

3). この前 E テレで見た「スペイン語」講座。なんとあのモンセラート修道院付属学校少年聖歌隊が取りあげられてました ! … 「モンセラートの朱い本」や「黒マリアさん ( 地元では 'Moreneta' と呼ばれている ) 」で有名なモンセラート修道院。文字どおり「のこぎり山」の異様な山容と山麓から湧きあがる雲に包まれるさまはまさしく圧巻、畏敬の念に打たれる絶景です ( 登山列車の駅で降りるともう目の前に奇岩怪石の絶壁がそそり立っている ) 。… こんなとこ来たら、人生観まで変わりそうだ。もっともそういう風景はアイルランド西海岸地方にだってあるけれども ( いま問題になっている「竹島」のあの威容は、世界遺産のスケリグ・マイケルそっくりだ ) … 。子どもたちの練習のもよう ( 腹式呼吸法による発声訓練のように見えた ) やミサでの清冽な歌声は、まさにこの世のものとは思えず、天上の音楽そのものです。Montserrat は現地語カタルーニャ語の言い方で、「ムンセラ」あたりがもっとも近い表記らしい。

 ここの聖歌隊についてすこし補足。以前、NYTこういう記事が掲載されてました。ここの修道院付属学校少年聖歌隊は設立が 13 世紀、800 年の歴史があるというから、レーゲンスブルクとならんでおそらく欧州でも最古の少年聖歌隊だろうと思う。記事によると寄宿制のこの付属学校、規則がだいぶ緩和されたようで、なんと ! 近い将来は女子聖歌隊員も養成するとか。いま現在は TV で見たかぎりではまだそうではないようだが、いずれはここもそうなるんでしょうね。ちなみにスペインバロックの作曲家のひとりアントニオ・ソレールも、少年時代はここの聖歌隊員だった。ソレール、とくると、曽根麻矢子さんの奏でる「ファンダンゴ」なんかも思い出す。

"I'd compare the Escolania with Hogwarts in 'Harry Potter,' " said Xavier Palá, a 14-year-old who is graduating. "There they teach you to make magic with wands, and here they teach us how to make magic with music."

そう、ここの子どもたちはまさしく「音楽で人に魔法をかけること」を教わるんですな ! それはそうと、parasol がスペイン語とは寡聞にして知らんかった ( 『ランダムハウス』ではイタリア語起源になっていた ) 。

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2012年08月14日

いまもあたらしいグールド

1). 今週はちょうど旧盆期間。早朝の「深夜便」ではもうすぐ命日のプレスリーとかかかってまして、うつらうつらしながら聴いてたんですが、いま NHK-FM では「グレン・グールド変奏曲 〜 名盤を通して知る大ピアニスト」というおもしろい番組をやってます。で、以前から、「あ、今年はグールドが 50 ( ! ) で急逝してからちょうど 30 年目なんだ … 」とか漠然と感じてはいたものの、そうか、生誕 80 周年でもあったんだ、といまごろになって気づいた ( 激遅 ) 。

 いま手許に図書館から『フィネガンズ・ウェイク I 』といっしょに借りてきた『文藝別冊 グレン・グールド』というバッハ没後 250 年にあたる 2000 年に刊行されたムックがあるんですが、この中に去る 5 月に亡くなられた故吉田秀和氏の「グールド讃」という文章が転載されてます。そういえばこの前、こちらの番組で吉田秀和氏のことを取り上げていて、その中で使われていた「… このことに関しては、自分ひとりでも、正しいと考えることを遠慮なく発表しようと決心した」という一文が、じつはこの「グールド讃」からの引用だった。あらためて読んでみると、なにかこう、グールドの直感的でありながら作品の本質をずばり突いたような演奏解釈と相通ずるところがあるなあ、と感じた。たとえば、ウィーンのさるピアニストがクラヴィコードでスカルラッティを弾くのを聴いた吉田氏は、グールドがピアノによるバッハ作品演奏で表現したかったのは、チェンバロでは「本来果たすべきなのに構造上の理由で果たせない、その音質を手に入れるためにピアノを」用いたと鋭く指摘している。「グールドのピアノは、よほど特異である」。こういうことを書いた人って、1965 年当時では吉田氏ただひとりだったかもしれない。また、グールド自身によるライナーの解説についても、「… 彼自身の解説は比類なくすぐれたもので、凡百の解説の水準をはるかに抜いている点で、彼の演奏と同様の性格をもっている」ことも指摘している ( 「バード & ギボンズ作品集」に付されている解説を見ておどろいた自分としても、これはまったく同感 ) 。

 「直観が論理となっているばかりでなく、秩序が直観を導いている」。だからグールドの演奏は、一見いや一聴するとすごく奇矯に聴こえるけれども、とても新鮮かつ説得力ある解釈だということがわかってくる。もっともグールドだって人の子、たとえば ―― オルガンとピアノというちがいはあるが ―― おんなじ「コントラプンクトゥス 1 ( 「フーガの技法 BWV.1080)」を弾いても、若かったころの録音と最晩年の録音ではまるで様相が異なる。もっとも個人的には、ブツブツ切って、なんだかあいだに休符でもあるかのような徹底したノンレガート奏法の解釈も、消え入るような最弱音の出だしとやたらゆっくりしたテンポに支えられた最晩年の演奏も、どっちも好きではあるが。最近、「バード & ギボンズ」のほうは聴いてなかったから、ひさしぶりに聴いてみようかと思う。

2). というわけで、「グレン・グールド変奏曲」を聴きつつ、前にも書いたヤナセ訳『フィネガンズ・ウェイク I 』をようやく読み終えた。まだ I 巻だから、もちろん II, III - IV と読み進めるわけなんですが、これ読みはじめたらまともなものが読めなくなりそう ( 苦笑 ) 。内容もそうだけど、とにかく目だけでなく、アタマもどうにかなりそう。なんと「ブレンダンの鯡沼むこうのマークランドの葡萄土では … 」なんてくだりまで出てくるじゃないですか。この前、鶴岡真弓さんが ETV の番組に出ていたけれども、その鶴岡さんの『聖パトリック祭の夜』という著作にも書かれていたかどうか … 本棚の奥深くにあって取り出せないからなんとも言えないが、たしか『フィネガンズ・ウェイク』にも聖ブレンダンが言及されているという指摘があったような気が ( ? ) する。

 にしてもようやく読み切った巻その一。かばん語、ジョイス語、ヤナセ語のオンパレードで、ただただもう圧倒されっぱなし。こちらの記事にあるようにもともとこれは 19 世紀後半にはやった俗謡みたいで、下敷きになっているのはケルト神話上の人物フィン・マクールということらしい。で、ひじょうに筋がたどりにくいのがこの難物の特徴ではあるけれども、いちおう主人公はパブのおやじハンフリー・チムデン・イアウィッカー ( H.C.E. ) と、その妻アナ・リヴィア・プルーラベル ( A.L.P. ) 。このふたりはむしろ H.C.E. と A.L.P. の通り名で頻繁に出てくる ―― それもひっくり返ったり、変形されたり、変身したり、さまざまなかたちとなって変奏、変装、変裝する。

 比較神話学者キャンベルも書いているけれども、H.C.E. は 'Here Comes Everybody' だというのはわりとよく知られている事実で、ようは人類すべて、あなたもわたしもみんなにもあてはまる物語、みたいなふうにも読める。キャンベル本を読むとよく出てくる「中世宮廷もの」のモティーフ、たとえばアーサー王の円卓の騎士の話とか、「トリスタンとイズー」の物語なんかも彷彿とさせるし、げんに後者はそれとなく何度も登場する。

 キャンベルの大作『神の仮面』については前にもすこし書いたけれども、とりあえず『西洋神話』の巻は邦訳されているものの ( あいにくそのできは … あんまりよろしくない ) 、全四巻のうちいちばん興味を持っていた最終巻『創造的神話』はどこの版元からも出そうになく、かつどなたも邦訳してくれないみたいなので、手っ取り早くまたしても Amazon にて買ってしまった。本文だけで 678 ページ、こんなもんはたして読み通せるのかどうか … はさておいて、Ch.5 はなんとその『フィネガンズ・ウェイク』を軸に書かれていて、あれまこんな偶然ってあるのねぇ、と止まっていたしゃっくりがまた出てきた ( 笑 ) 。

 … ヤナセ訳では「すっティんペラリー」だの「フー・イズ・シルヴァー ( これってシューベルトの「シルヴィアはだれ ? 」のもじりなのか ?? )」だの、そしてたしか「シューラ・ルーン」まで出てくるこの巻その一、なんとなんとあのバッハまで出てくるじゃないの !! 「 … ピアノ相手にバツハカリヤからブルース迄ぼいんぼろろんとやつてからシユヴアイツアの寝臺下に注意深く崩れ落ち」!!! なおこの章だけなぜか旧字体と旧かなづかいで書かれてゐる ( ここは A.L.P. のことばを手紙にしたためた書き手である息子の「筆男シェム」について書かれてある … ように思う ) 。問題の部分は、バッハとパッサカリア ( BWV.582 ) の合体形じゃな。ちなみに『神の仮面』の「あとがき ( 正確には、全巻完成に寄せて書かれたもの ) 」に出てくる引用箇所のすぐあとで、その A.L.P. の書かせた手紙を「肥え場」で発見したのが「かの原罪雌鶏」。ついでにキャンベル本でよく引用される『西洋の没落』の著者名が、「 … 新イタリア学派あるいは古パリ學派の思裝家や朱ペングラつき家たちの言い分をここで訂正しておかねばならない」として登場している。ついでに巻その一最終章は、なぜか世界中の河川名がそこここに溢れている。A.L.P. =リフィー河ともとれるので、そのつながりか ? あと、個人的に絶句したのはつぎの箇所 → 「 … われは、と北 ( ほく ) に在ルスターがいう、そしてそれが誇りなり。われは、と南岐のマンスターがいう、難儀なるわれを救いたまえ ! われは、と東方のレンスターがいう、そして当方何も語らず。われは、と西に来ナートがいう、何のことなーと ? ( p.118 ) 」。

 … ヤナセ訳のほかにも抄訳ものとか、ほかにも邦訳はあってそっちもおおいに興味あり ( そしてこっちの本も ) 。とにかくこのとんでもない傑作を最終巻まで読んだ暁には、ただでさえおかしいアタマがいよいよ本格的にどうにかなりそう … な気はする。なんというか、「毒を食わらば皿まで」てな感じですかね。もうあとは勢いよ ! 

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2012年07月08日

典礼劇「ダニエル物語」

 けさ聴いた「ビバ ! 合唱」。なんでも中世の典礼劇「ダニエル物語」だそうで、前回の予告を耳にして以来、どんな作品なのか楽しみにしてました。

 畏友の Ken さんのこのすばらしいブログ記事を見ていただいたほうが、はっきりいって手っ取り早いのですが ( 汗 ) 、案内役の花井哲郎先生の解説のとおり、もともとこの典礼劇は 13 世紀初頭ごろ、ゴシック様式の大伽藍で有名なフランスのボーヴェ大聖堂にて、バビロン捕囚時代の預言者ダニエルと救い主のイエスとをむすびつけた筋書きの劇としてクリスマス時期に上演されたのがはじまりだったらしい。これが受けて、大陸中に広まったといいます。

 前書きはともかくじっさい放送を通して聴いてみると、なんというか、マンロウなどの「ゴシックの音楽」と、遊び心満載の巷の流行歌をまぜこぜにしたような、じつに活発で明るい歌と器楽でした。コンドゥクトゥス、なんて聞くとなんだか重々しいですが、なんのことはない、いまふうに言えば行進歌で、王妃とダニエルの退場とか、そんな場面でにぎにぎしく歌われてました。ときおり持ち運びできる小型オルガンの「ポルタティフ」と思われる楽器の音色も伴奏に加わってました。花井先生によると、現存する最古の楽譜は 13 世紀のもので、おそらく即興的に複数の声部をつけて、「オルガヌム」つまりもっとも初期のポリフォニーとして奏でられたらしい。想像するだけで楽しくなる。すべて通して聴くと 1 時間以上にもなる大作なので、今回は前半のみかかりました。

 この件について手許の資料のコピーをそのまま引用すると、
ボヴェから伝えられた 13 世紀初頭の<<ダニエル劇>>とフルーリから伝えられた幼児殺しに関する<<ヘロデ劇>>は、今や古楽演奏団体の ( 力を入れ過ぎている感も有るが ) 主要演目になっている。これらの劇の音楽は多くの聖歌を連ねて出来たものであるが、演劇に似て、行列と仕草を伴っていた。時に舞台、背景、衣装、聖職者から選ばれた俳優が用いられていた証拠を示す写本も、少数ながら有る。

 これにつづいてヒルデガルト・フォン・ビンゲン作の非典礼用宗教音楽劇「諸徳目の秩序 ( c.1151 ) 」というのが紹介されてます。これはたとえば後年のモンテヴェルディの「倫理的・宗教的森」所収のモテットのような、いわゆる「道徳劇」だったらしい。

 ワタシはこの手の中世ゴシックの大聖堂で演じられた典礼劇、とくると、以前読んだ少年聖歌隊員の歴史本の影響なのか、すぐ 'Quem quaeritis in sepulchro' 、「墓でだれを探しているのか」 と天使に扮した子ども聖歌隊員の話とか思い出す。「ダニエル物語」が降誕節の劇だったのにたいし、こっちは読んでわかるように復活祭用。なんでも大聖堂のあの高いヴォールトアーチ天井に開いた穴から宙吊りになって降りてきたりと、かなりのスペクタクルだったらしい。やらされた少年聖歌隊員は、そうとうな肝っ玉の持ち主だったんだろうな。→ 参考リンク

 ちなみにボーヴェ大聖堂は 1247 年に建設がはじまり、1272年に内陣が完成したときは、天井高が当時の欧州最高の 51 m にまで達したものの、さすがに中世の建造技術の限界で、完成後たったの 12 年であえなくヴォールト天井が崩壊してしまったという、いわくつきの聖堂。その後百年戦争などで遅々として再建は進まず、1569 年に高さ 153m に達する塔が交差部に完成したが、こちらもあっけなく倒壊してしまった。けっきょく当初規模での工事続行は不可能になり、ちっぽけな外陣のみが付け足された T 字型のヘンテコなかたちになってしまった。というわけでいまも、巨大な威容を誇る内陣のみがやたらと目立つ、奇妙な外観の大聖堂になっている。おそらく「ダニエル物語」が上演されたころは、巨大な内陣の工事の最中だったのではないかと思います (現在の内陣天井高は 48 m で、これはケルン大聖堂よりも高い)。→ ボーヴェのサンピエール大聖堂

 … そのあとで聴いた「名演奏ライブラリー」は、往年の名フルーティスト、オーレル・ニコレ特集。カール・リヒターとのデュオで伝バッハの「フルートとチェンバロのためのソナタ 変ホ長調 BWV.1031 」やヴィヴァルディの「ごしきひわ」、シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ イ短調」に、バッハの「組曲 第2番 ロ短調 BWV.1067 」などなど、盛りだくさん ! ニコレさんて、リヒターとおない年だったんだ。リヒターの早世が、いまさらながら惜しまれる。「3声のリチェルカーレ」ではなんだか生き急いでいるかのようなアップテンポの演奏だったが、「シチリアーノ」では、わりとゆったり目のテンポでしたね。そういえば次回の花井先生の出演する「ビバ ! 合唱」はなんと、今年が生誕 450 年の記念イヤーのスヴェーリンクの合唱曲特集 ! だそうで、いまから楽しみ。

 関係のない追記。前にも書いたけれども SSD 、やっとのことで導入しました。いまのところはとくに問題はないですが、しばらくはようすを見ないと。HDD ほどではないけれど、それなりに発熱はするようです。導入したのは、CFD の 64GB 製品。電源とは反対側のいちばん端っこの 41 番ピンのみがはじめからなかったので、?? と思っていたが、そういう仕様らしい。電源側ピンにはジャンパまでついてました ( 2.5 インチタイプの HDD には、ふつうはジャンパ設定はなし ) 。SSD のいいところは、やはり起動が速いことですか。でも時代遅れの UATA133 ( IDE ) 接続なので、体感はこんなものかな、という感じ。それでもこの製品はキャッシュメモリを搭載しているためか、いわゆる「プチフリーズ」というのはないみたいです。そしてなんといっても SSD のいいところは、HDD 特有のあのカリカリいう騒音がいっさいないこと。「カッコーン」というあの大きな音は、心臓にはあんまりよくないですね。↓ は、PC 本体から取り外した現行 HDD と、SSD。

旧 HDD と SSD


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2012年06月18日

ラッター & 吸殻の出てきたチェロ ( ?! )

1). 前回の「きらクラ ! 」。しばし聴いていたら、クレオベリー指揮 / ケンブリッジ・キングズカレッジ礼拝堂聖歌隊によるジョン・ラッターの「ピエ・イエズ」が流れてきた。音源はどうもラッターの「レクイエム」全曲盤らしいから、手許にはない音源だったので、ちょっと得した気分。ふかわりょうさんが、「なんかこう別世界に入っちゃうよね。天使の歌声って言うの ? このまま眠っちゃってもいい ? 」みたいなことを発言していた。たしかに。自分もかつてはアンソニー・ウェイのアルバムでこの「ピエ・イエズ」をさんざ聴いていたし。ふかわさんはラッターはご存じなかったっぽいけれど、合唱好きの人ならこの手の英国系作曲家にくわしい人はかなりいると思う。サー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード、ハーバード・ハウエルズケネス・レイトン、ベンジャミン・ブリテン、ジョン・アイアランドフランシス・グリアジュディス・ビンガムサー・ジョン・タヴナー … そして「ミスター・ビーン」のテーマでもおなじみのハワード・グッドールとか。ちなみにグッドールはこんなおもしろそうな本までものしていたとは、いまはじめて知った。

 「そぐわない音楽」コーナーでは、どこかの学校のランチ開始を告げる音楽 ( ? ) というのが、なんとバッハの「トッカータ BWV.565 」だそうでして … たしかにそぐわないですな。それからこれも番組聴いててはじめて知ったことだが、今年はフレデリック・ディーリアスもドビュッシー同様、生誕 150 年の記念イヤーだそうです。ディーリアス、とくると「夏の庭」とか「チェロ協奏曲」くらいしか知らんのですが、携帯 mp3 プレーヤーに入れて持ち歩いている作品がひとつだけありまして、それが「冬の夜 ( 「そりすべり」と呼ばれることもあり ) 」。かなり昔、日曜朝にオンエアされていた「朝のハーモニー / オルガンのしらべ」という番組があり、あるとき女流オルガニストによってオルガン独奏用に編曲されたこの作品を耳にして、たちまち好きになってしまった思い出があります。数年前に mp3 プレーヤーを買ったとき、これもデジタル化して持ち歩こうと思い立ち、以来クリスマスシーズンになるたびに聴いています。というわけでいまさっき見つけたもうひとつのオルガン編曲版を貼っておきます ↓



こちらの編曲では、使用楽器に「ツィンベルシュテルン」がないのか、「オルガンのしらべ」版とちがって「そりの鈴の音」みたいな効果音がなくて、少々さびしい気がする。

 それはそうと、今週の「古楽の楽しみ」は … 「ドイツ・バロックのオルガン音楽」だ ( やったー ) !! けさは初回ということか、「ドイツのオルガニスト作り」の異名をとったオランダの巨匠スヴェーリンクの作品ではじまり、シャイトの「新タブラトゥーラ 第 2 巻」からと、ベルギーで活躍されている国分桃代さんの弾くバッハなどがかかりました。何曲目だったか忘れたけれど、ドイツのどこだかの教会にある「燕の巣」型オルガンを弾いた音源など、音響のバランスがすばらしくて、うっとりと ―― うつらうつらしつつ ―― 聴き入ってました。ドイツにおけるオルガン音楽というのは、いわば当時の音楽後進国ドイツが唯一、誇れるジャンルだったと言っていいと思う。ドイツのオルガン音楽は欧州大陸の中央部という土地柄もあって、南はフィッシャー、ケルル、フローベルガー ( そしてイタリアからはフレスコバルディやメールロ、アンドレア / ジョヴァンニ・ガブリエーリなど )、パッヘルベルなどの影響を受け、西からは隣国のフランス古典期の巨匠たち、大クープラン、ド・グリニー、ダカン、ダンドリューなどの影響も受けてはいるけれど、なんといってもスヴェーリンクに端を発する「北ドイツ・オルガン楽派」の流れは、その後のドイツのオルガン建造およびオルガン音楽に決定的な影響を与えたように思う。その流れからブクステフーデが現れ、そしてこのすべてを集大成するかたちで大バッハが登場する。前にも書いたけれども、バッハ晩年の傑作「前奏曲とフーガ ホ短調 BWV.548」は、まさしくこの北と南の伝統がひとつに融合した、「二楽章のオルガン交響曲」にふさわしい壮大な作品です。

2). 昨夜見た「ららら ♪ クラシック」。活動休止宣言直前の世界的指揮者、小澤征爾さんによる水戸室内管弦楽団の公演のもようが放映されてました。モーツァルトの「交響曲第35番 K. 385 」に、ハイドンの「チェロ協奏曲 第 1 番 ハ長調」。ソリストは、若き天才奏者の宮田大さん。宮田さんはこの前も「リサイタル・ノヴァ」に出演されていたけれど、ご本人の話によると、現在使用中の楽器はなんとあの齋藤秀雄氏の持っていた楽器だそうで、しかも年季が入っているのみならず、内部から煙草の吸殻 ( !!! ) まで出てきたことがあって困った … とかすごいこと話されていた。小澤さんもご自身の師匠愛用の楽器が次の世代の演奏家によって奏でられるのを聴くのは、感慨もひとしおだったのではと思いますね。

[ 関係のない追記 ]:ご存じの方も多いかとは思うけれど、念のためここでも告知。DNS Changer というマルウェアが数年前から跋扈しているとのこと。これに感染したままだと、来月にもネット接続ができなくなるおそれがある … ということなので、まだ未確認の人は JPCERT コーディネーションセンターの DNS Changer 感染確認ページにて早急に確認されることをお勧めします ( → 関連記事 ) 。

posted by Curragh at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年04月30日

受難曲、オランダの歴史的オルガン、レオンハルト

1). 先週の「古楽の楽しみ」は、「ドイツ・バロックの受難曲」特集。月曜の朝、のっけから案内役の磯山先生が、「復活祭を過ぎているけれども、お許しをいただいてお送りします」。額面通りに受け取ると、だれか文句つけた人とかいるのかしら ? べつにすこしズレたっていいじゃない、音楽なんだから … と、こんなこと書くと信徒の方からお叱りを受けそうだが。

 ドイツバロック教会音楽における「受難曲」というジャンルは、格別のものがあると思う。古くはシュッツの作品とかよく演奏されたりするけれども、ここで磯山先生はとくに「北方ドイツ起源の」ルター派典礼における受難曲、とくに「オラトリオ受難曲」の変遷を時代順に作品を紹介しつつ丁寧に解説されていた。

 でも個人的にはこの記事にもあるように、受難曲という形式そのものの起源はそうとう古く、中世初期のいわゆる「神秘劇」にまで遡ると思う。神秘劇っていうのは、イエスの受難と十字架上の死、そして復活を再現した典礼劇のこと。たとえば英国の大聖堂ではヴォールト天井のてっぺんに穴が開いていて、そこから子どもの聖歌隊員扮する天使が下ったりといった手のこんだ演出がされていたという話を読んだことがあります ( → 関連拙記事 ) 。いずれにしてもヨハン・クリストフ・ローテなる人の「マタイ」とか、フリードリヒ・ニコラウス・ブラウンスという人の「マルコ」とか、ふだん耳なじみのない作品ばかりで、楽しかった。ちなみに磯山先生の解説によるとなんとなんとこの「マルコ」、以前ラインハルト・カイザー作とされてきた通称「ブロッケス受難曲」なんだという !!! それほんと ? とちょっと調べたら、こんなすごいページがありました ( 「2009.10.16 (金) W. ヨハネ受難曲をめぐって――15」の項目 ) 。言い出しっぺはクリストフ・ヴォルフ先生であられるか。

2). ところでいまひさしぶりに Pipedreams サイトで聴いているんですが、最新のオンエアはこれまたうれしいことに、「オランダの巨匠たち」。オランダのオルガン音楽、とくるとまっさきにヤン・ピーテルスゾーン・スヴェーリンクが思い浮かぶんですが、もちろんほかにも当時有名な人というのはいるわけで、ふだんなかなか耳にできない貴重な音源をこれでもかというほどの大盤振る舞い ( 笑 ) 。オルガン音楽好きにはまったく、たまらない。これぞ至福のときと云ふべきか。

 オランダの当時の楽器って、小型中型のものは建造家の個性が出ていておもしろい意匠の凝らされた楽器がけっこう残っています。演奏台が真正面ではなく、なぜか側面にくっついていたり、ストップノブがどういうわけか譜面台のてっぺんのほうに横一列に並んでいたり ( 操作しずらそう … ) 。たいして大型の楽器は「ブラバント型」とか「ニーホフ型」とか呼ばれるタイプが残っていて、巨大な「ペダルタワー」が両側にそそり立っている場合が多い ( シュニットガーの楽器でもそんなタイプの楽器、たとえばハンブルクの聖ヤコビ教会の楽器とかあるけれど、規模がまるでちがう ) 。たとえばこのハーレムの聖バーヴォ教会のミュラーオルガン。プロスペクトと呼ばれる「外装用パイプ」を収めるケースの高さは、なんと 30m にも達する。今回のプログラムでは、ヴァルヒャの弾いたアルクマールの F.C. シュニットガー改作の大型楽器とかも登場します。主鍵盤とポジティフ鍵盤が物理的に分離している場合がほとんどで、現地でその響きを聴いたことはないが、レオンハルトが最後の来日公演で弾いてくれた明治学院チャペルのオランダバロック期のレプリカ楽器のように、心地よいステレオ効果をもった音響だと思われます。天井が木造の会堂が多いため、残響はそんなにはないかもしれない。そのぶん、鍵盤どうしの対比効果は明瞭に聴き分けられるはずです。

 当時のオランダの教会って改革派、カルヴァン派がほとんどだから、教会音楽もルター派のように「会衆みんなで参加してコラール」、なんていうふうには発展しなかった。反対に、それを埋め合わせるかのようにオルガンの自由な即興演奏は長いこと認められていて、それがスヴェーリンクのような名人芸を売り物にするオルガニストを輩出し、まだ音楽後進国だったドイツからスヴェーリンクの名声を伝え聞いた弟子たちが大量に押しかけていった … ようです ( だからといって、この前の「音楽遊覧飛行」の DJ のように、スヴェーリンクを評して「ジミ・ヘンドリックスみたいな存在だったのかな」というのは、いやはやなんとも … ちなみにそのときかかっていたのは「大公のバレット ( Variations on Balletto del granduca ) 」で、鬼才ブリツィのクラヴィオルガン版でした。原曲は、Pipedreams のこのストリーミングで聴ける。演奏者はピート・ケー ) 。スヴェーリンクの有名な弟子にはザムエル・シャイトもいて、有名な変奏曲「わが青春はすでに過ぎ去り」も、シャイトから聞いたドイツ古謡の旋律にインスピレーションを得て作曲したとか言われてます ( → 関連拙記事 ) 。ちなみにレオンハルトも永らくオルガニストを務めていたアムステルダム新教会の楽器がそのニーホフという建造家の製作した楽器で、スヴェーリンクの音楽をよく響かせるにはこのニーホフ型の楽器がもっともふさわしい、ということになる。そしてペダルタワーが大型化するにつれ、それまで爪先だけで補助的に演奏していたにすぎない「プルダウン式」足鍵盤もしだいに大型の鍵盤に代わり、やがて両足を華麗に使ったブクステフーデのような北ドイツオルガン楽派が発展します。足鍵盤の音響が著しく発達したのもネーデルラント - 北ドイツオルガンの特徴。カトリック勢力の強かった南ドイツの楽器では、足で弾く鍵盤の役割は北ドイツほど発達せず、いまだ「プルダウン式」か、「奥行きの短い」補助的な足鍵盤が主流だった。

 番組ではオランダゆかりの故レオンハルトの演奏した音源もかかっていて ( この音源は持ってる。曲はスヴェーリンクの「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」による 4 つの変奏 ) 、今回、はじめてどこの楽器を使用していたのかがわかった。カンペンにあるこの巨大なオルガンだった。なんて心に染み入る、いい音色なんだろう ! と、この音源を聴くたびに思ってきたのですが、なるほどここの楽器だったわけだ。

 ちなみにレオンハルト氏の葬儀はここでとり行われたようですが、こちらのブログでは、「なんで新教会とかオルガニストとして務めていた教会から送り出さないのだ ? 」と疑問を呈している。コメントとか見ると、ただたんに「新教会は国事行為以外では 30 年以上も使用されてないし、ヴァールセ教会は狭すぎる。選択肢として残ったのはその教会」ということのようです ( ちなみにこの記事によると、レオンハルト氏は癌を患っていたらしい。あらためて氏のご冥福を祈ります ) 。

 番組では DJ のマイケル・バローン氏が、「今年生誕 450 年を迎えるオランダの巨匠の作品の演奏者としてレオンハルト氏ほどふさわしい奏者はいない」みたいなことを言っていたが、そうか、今年はスヴェーリンク生誕 450 周年なのか !! 根が単純なので、ひさしぶりにレオンハルト校訂版「わが青春は … 」の楽譜を取り出してみようかしら … 。またバローン氏は、高校生のときに接したパワー・ビッグズの演奏から受けた強い印象についても述懐していた。

< 本文とまるで関係のない追記 >:こちらの記事を参考に ―― というかコピペしただけ ―― CSS 3.0 というものを一部、本家サイトに取り入れてみました。といっても日本語表記のほうではなく、横文字版のほう。見ていただければどこを変えたのか気がつかれると思います。ようするに、洋雑誌とかの書き出しみたいに、最初の文字をでかくしたかった、ただそれだけです。ただしこの属性に対応しているのは Google Chrome や最新版の Firefox など。Windows7 に搭載されている IE9 ではどうだか … 年季の入った XP ユーザーなので、このへんのところはよくわかりませんが。

posted by Curragh at 14:24| Comment(2) | TrackBack(0) | NHK-FM

2012年02月25日

プラドの「モナ・リザ」を描いたのは ?? 

1). だいぶあいだがあいてしまいましたが、オルガン好きとしては書かないわけにはいかない ( 笑 ) 。10 日の金曜夜の「ベスト・オヴ・クラシック」。「プラハの春音楽祭 2011」から、なんとオルガン四手コンサート ! こういうのがオンエアされるとは、ほんとうれしいのひとこと ( だが、長年つづいてきた良質な音楽番組、たとえば「N響アワー」を終了させるというのは、いったいどういうこと? と思う。後継番組は、この前ちょこっとだけ放映された「ららら♪ クラシック」とかいう番組らしいが、「芸術劇場」といい見応えのある音楽番組はまたぞろ地上波から消滅していく感じ orz ) 。

 「プラハの春音楽祭」にもどって … 演奏者のマルティン・ロストという奏者は、旧東独ハレの生まれで、音大学生時代から早くもライプツィッヒ・ゲヴァントハウスの第二オルガニストを務めた人。歴史的楽器の修復にも携わっているらしい。もうひとりのパヴェル・チェルニーという奏者はパヴェルという名前を見ればわかるように地元プラハの人で、1994 年の「プラハの春 国際音楽コンクール」で優勝後、本格的に演奏活動に入り、来日公演もしたことがあるらしい。プログラム前半は、モーツァルトの残した断片から、彼の死後にマクシミリアン・シュタードナーという作曲家が仕上げたという「フーガ ト短調 K.401」とか、シューベルトがウィーン郊外の村でオルガンを弾くよう頼まれて、たった一晩で書きあげた ( !! ) という「フーガ ホ短調」、1809 年ポーランドに生まれ、生まれ故郷のオルガニストとして生涯を送ったヘッセという人の「幻想曲 ニ短調」、ドレスデンの聖十字架教会オルガニストだったホフナーの「コラール『今やすべての森は憩い』による変奏曲 ( 同名コラールは「偽作」扱いだが、BWV 番号にも入っている [ BWV.756 ] ) 、そしてドイツのちいさな田舎町の音楽家だったというレフラーの「祈り」などなど、聴いたことのない美しい作品ぞろい。プラハのキリスト福音教会にあるオルガンは、現代の楽器なのかどうかわからないけれども、とても暖かい響きをもつ楽器だと思った。そしてメルケルというドイツ人作曲家の作品「ソナタ ニ短調 作品 30」というのは、なんでも四手用としては演奏するのがもっともむつかしい作品なんだそうな。アンコールで演奏された小品では、グロッケンのストップも加わって、なんだか「手回しオルガン」みたいでユーモラスな曲で、クリスマスあたりに演奏するとぴったりだったかも。

 この日はもうひとつ同音楽祭からオルガンのプログラムがかかりまして、こちらはエポック室内管弦楽団、アレシュ・バールタ ( 1960年生まれ ) のオルガンによる、齢 90 を超えてなお現役のチェコの作曲家、カレル・フサ ( 1921年生まれ ) の「オルガン協奏曲」でした。はじめて聴く作品ですが、印象としては冒頭のクラスタっぽいあたりなんか、どことなくトゥルヌミールとかメシアン、ガストン・リテーズみたいな感じ。使用楽器はルドルフィヌム内ドボルジャーク・ホールのオルガン。

 そういえばこの前聴いた「ビバ ! 合唱」では、フォーレの特集を組んでいて、「タントゥム・エルゴ作品 65 の 2 」がかかってました。これをとても澄んだ声で歌っていたのはパリ郊外のヌイイ聖十字架教会聖歌隊のソリストで、ボーイソプラノとボーイアルトのデュエットという珍しい録音。前にも書いたことの繰り返しですが、ここの聖歌隊のアルバムではペルゴレージの「スターバト・マーテル」を持っているけれども、こちらもいいね ! 

2). それはそうと、↓ の報道にはびっくりした。ええ ?! と思って、この前行った「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想展」の図録を引っ張り出して確認。p.104 に掲載されている、「美しきモナ・リザ」というのが、問題の「模写」作品らしい。背景は真っ黒 … そして袖の襞々は、色鮮やかな緋色。ところが今回、修復したら、なんと真っ黒だったはずの背景は後年の加筆で、取り除いたらルーヴルの真筆「モナ・リザ」とまったくおなじ荒々しい岩山と渓流が出てきたんですと !!! ちなみに同ページのレオナルド研究の権威で静岡展の監修にも当たったアレッサンドロ・ヴェッツォージ先生による解説では、

 ―― 原画は、背景の風景がなく、赤と緑の色使いと薄い上塗りという創意工夫をもって描かれたもので、以前はレオナルド作と考えられていたが、近年ではフェルディナンド・ヤニュス・デ・ラ・アルメディーナ作との説が有力である。彼はスペイン人のレオナルド派画家で、1500 年代初期にイタリア・トスカーナ地方で過ごし、レオナルドが「アンギアーリの戦い」を制作していた頃にはおそらく一緒に働いていたと考えられている。

だそうな。でも AFPBB 記事では、なんでもサライだの、メルツィだの、直系の弟子が描いたのではないか、とするプラド美術館のルネサンス絵画主任キュレーターの見解が載ってますけど … 「アイルワースのモナ・リザ」といい、こっちも今後の展開が楽しみではある。というか、「モナ・リザ」直系の模写って、ずいぶんあるもんなんですねぇ。

 … 神話学者キャンベルは、「神話は絵画的な言語」だと言い、レオナルドは、「絵画はもの言わぬ詩であり、詩は盲目の絵画である」と書き残している。なんだか相通ずるものを感じますね。

posted by Curragh at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2011年11月06日

やはり音楽は必要

1). 先日、地元紙にリヨン国立歌劇場首席指揮者を務める大野和士氏が、東日本大震災の被災地を中心に「ふれあいコンサート」を開いて巡回している、という記事を見つけた。「音楽の力 被災地に」と題されたこの記事で、大野氏が2008 年以来、「ほんとうに必要としている場所に音楽を届けたい」との思いで病院を中心に巡回して開催していると知り、ああなんてすばらしいことなんだ、と胸打たれる思いがした。

 大野氏いわく、「病状が深刻な患者さんが、音楽を聴くことで少しばかり快方の兆候を見せることもあったと聞いています。音楽の力ですね」。また、今後も被災地でこの手作り出前コンサートを開催していくべきだと考えているそうです。「同じような意志を持つ音楽家はたくさんいる。連携してより大きな取り組みになることを願っている。それが音楽が果たすべき大切な役割だから」。盛岡市の大学付属病院での院内コンサートではオペラ歌手との共演で、みずからピアノ伴奏して「オー・ソレ・ミオ」などのカンツォーネを披露して、患者さんたちや勤務する医師たちから盛大な拍手をもらったといいます。ひさしぶりにいいお話を聞いたという思いでした。やはり音楽にはすごい力があると思う。前にも書いたけれども、もっとも音楽の力を必要としている人は、けっして concert-goers ばかりじゃない。コンサートに行くことがなかなかできない、こうした入院患者さんたちのような人こそ音楽は必要だ。大野氏はそのことをよく理解されている方なんだと思う。また、NHK 総合で放映された「さど☆まさし 題名のある音楽会」もすばらしかった。レスピーギの交響詩「ローマの松」最終曲「アッピア街道の松」は、とりわけ渾身の熱演に思えました … ローマ帝国歩兵隊の「行軍」の音型が、被災地の方を励ましているようにも聴こえて、とても感動的でした。

2). 先週の NHK-FM 。火曜夜の「ベスト・オヴ・クラシック」は「ストラディヴァリウス & N 響チャリティー・コンサート」で、出だしのバッハ ( BWV.1043 ) も快演。また金曜夜の「三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル」には … もうおどろくほかなし。弱冠 18 歳 !! とはとうてい、思えません。ウィーンにて研鑽中 … らしいですが、この人の弾くバッハの「無伴奏ソナタ / パルティータ」って、どんな感じなんだろ、とつい思ってしまう ( 基準がこれしかないもので ) 。バッハのアルバムもぜひ出してほしいですね。明朝の「古楽の楽しみ」は … そのバッハですな ( おもに教会カンタータ ) 。ほかに親戚筋のヴァルターのオルガンコラールやオルガンフーガ、バッハの「協奏曲 ト長調 BWV.592」もかかる ! そしてホミリウスのカンタータ作品の音源は、あのドレスデン聖十字架合唱団 ! 「マタイ」横浜公演にて身も心も震えるような感動をおぼえた者としては、こちらも楽しみ。

 昨夜の「FM シアター」は、三度目 ( ? ) の放送のような気もするが、「東京 Voice 」。変声障害に悩む男子大学生が声帯手術を受けるまでの心の軌跡を丁寧に描写したお話なんですが、再々放送でもやはり終盤はほろり、とさせられますね。秀逸なオーディオドラマだと思います。

 なお前回の「気まクラ DON ! 」について、すこしだけ補足。BWV.1031 ですが、低音部などの「土台」はバッハが作曲し、あとは弟子が作った、という説もあります。表記は女性名詞の「シチリアーナ」でもいいけれど、こちらの第 2 楽章の呼称は男性名詞版の Siciliano のほうがふつうだと思う ( 譜面にもそう表記してある ) 。原曲は「変ホ長調」ですが、第 2 楽章のみ「ト短調」で書かれてます。自分で録音した伴奏を再生しつつ、それに乗っけてフルートのメロディーラインを弾くのが好き ( 笑 ) 。

 … いま、「サンデークラシックワイド・海外コンサート」で、「ハンス・クリストフ・ラーデマン指揮、コンチェルト・ケルン演奏による『マタイ受難曲 BWV.244』」を聴いてます!! ドレスデン聖十字架の「マタイ」の感動が、蘇りますね!!! 出だしの「来たれ、娘たちよ!」なんかもう … 今年はとくに胸に迫るものがある。だれだったか年に一度くらい、洞穴にこもって「マタイ」を聴きたくなるときがあるって発言していた音楽評論家だかいましたが、その気持ち、すごくよくわかる。

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2011年10月03日

「らじる」入れたラジ (笑)

1). NHK の「らじる」の Android アプリがいよいよ公開されたというので、さっそくDesire に入れてみました( あいにくSD カードへは インストールできない仕様みたいですが)。で、千円ちょっとで売っていた audio-technica 製の「モバイル機器用ポータブルスピーカー」をつなげて聴取してみたら、けっこういい感じで聴けました。ただし遅延は PC 版よりもさらにあるようで、これを最小にするにはバッファ時間を「30秒」に設定するしかないみたい。遅れはしかたないですが、これはこれでいい。今日も利用してみると、音楽中心の NHK-FM もいいけれど、語学番組中心の NHK 第2 がとりわけクリアに聴取できることにおどろいた。「擬似ステレオ」効果かなんだか知らんが、とにかく語学番組との相性はバッチリだと思う。某 SNS にも「これは便利! 最高!」とか、「山間部の難聴取地域に住んでいるから、こんなにクリアに聞けてうれしい。これであきらめていた語学番組が快適に聞ける」とか声が寄せられてまして、読んでますとこちらの気持ちもなんかほっこりしてきましたね。でもこの「らじる」は「試験サービス」なので、今後の展開がどうなるのか、やや気がかりなところではある ( そしてらじるは、「つぶやき」まではじめちゃっている [ 笑 ] ) 。

 …というわけで、いまさっきは「NHK 音楽祭 2011」を聴いてました … 記念すべき第一弾は、ロシア人ピアニストのボリス・ベレゾフスキー氏を招いてのリスト「ピアノ協奏曲 第 1 番 変ホ長調」。リストももちろん名演だったけれども、なんといってもチャイコフスキーの白鳥の歌、「交響曲 第 6 番 ロ短調 作品74 『悲愴』」がよかった!! それにアンコールをなんと 2 曲、演奏してくれるという大サービスつき。こりゃ、聴きに行った人は大満足だったでしょうね。

2). またしてもがらりと話変わりまして、あの『死海文書』のうち 5 巻分のデジタル文書が公開されたと聞いてこっちもちょこっとのぞいてみた。… このデジタルアーカイヴ化事業には Google が協力していて、クリックした箇所の現代英訳文が表示されるなど、使い勝手もよく考えられていると感心したしだい。そして公開するだけでは飽きたらず、なんとコメントや多言語訳を投稿することもできるという! …

 古文書のデジタルアーカイヴ化、とくると、そういえばアイルランドの国宝、『ケルズの書』はどうなってんのかなとちょっと調べてみたら、こちらは DVD-ROM 版があるらしい。そのうち電子書籍版とか出て、スマートフォンなんかでいつでも、どこでも見られるようになるんでしょうか?? 

 電子書籍についてはいまだ懐疑的な自分なんですが、ふと本家 Amazon サイトのトップを見たら、Kindle 最新版を紹介するベゾス CEO のことばが目に飛びこんだ。↓

Dear Customer,

There are two types of companies: those that work hard to charge customers more, and those that work hard to charge customers less. Both approaches can work. We are firmly in the second camp.

We are excited to announce four new products: the all-new Kindle for only $79, two new touch Kindles – Kindle Touch and Kindle Touch 3G – for $99 and $149, and a new class of Kindle – Kindle Fire – a beautiful full color Kindle for movies, TV shows, music, books, magazines, apps, games, web browsing and more, for only $199.

… 某携帯キャリアのトップも、「正道か邪道か」なんて上から目線でつぶやいてないで、おなじ言うにもこういう物言いをしたほうがよかったんじゃないでしょうかね? こっちのほうがエスプリというかことばにセンスがあるし、嫌味もないし ( → 関連記事 ) 。



 … いま「きたやまおさむのレクチャー&ミュージック」を聴いてますが、人にたいして「むずかしいこと」を言わなくなる → むずかしいことを考えなくなる、そして「大学はそもそもむずかしいことを考える場でしょ? むずかしいことに取り組むのが学生の仕事! 」。そうそういいこと言う! 

posted by Curragh at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2011年08月21日

「らじる」とは??? 

1). NHK のラジオ放送もついにネット配信?! と思ってはみたものの、ここは日本だし、Facebook に公式ページを開設したりしたとはいえ、そこはそれ NHK ですから、BBC Radio のようにはいくまい、と思っていたらどうもそうみたい。難視聴地域対策中心の試行的なもの … という感じらしい。それでも「スマートフォンで聴けるようになる」というのは意外といけるかも、とすこしは期待しています。HTC Desire にはなぜか (?) FM ラジオ機能なんかついてたりするんですが、あいにく感度がイマイチで、けっきょくお古の MP3 プレーヤの FM で聴いているので。BBC Radio の iPlayer は Real Media 形式ゆえ、あいにくDesire 経由の聴取はむり。しかしこの「らじる」っていったい … ?? 

 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」は火曜のバッハ「ゴルトベルク BWV. 988 」がよかった。でもこれがただの「ゴルトベルク」ではありません! なんとサックス 5本 + コントラバス 4本というめったに聴けない編曲もの(サックスはソプラノやアルトの楽器はひとりが掛け持ちで担当していたらしい)。アンコールの「無伴奏チェロ組曲 第 1 番 ト長調 BWV.1007 」から「ジーグ」。冒頭に即興演奏つきという、なんともぜいたくな趣向です。とにかくひじょうに斬新な編曲で、すなおに聴いてておもしろかったです。本日の「今日は一日 … 」は、あいにく耳にあわなくて(苦笑)、オリジナルの「ゴルトベルク」とか、手持ちの CD を聴きながら過ごしてました。ようやく Myths to live by を読了。あいにくボンクラにはいまいち不明な点が残った箇所がいくつかあったが、最後の章なんかはとくにキャンベル節が全開という感じで、この手の本はじっくり読みにかぎると言いながら、ページを繰るのももどかしいほど、はやく先を読みたくなってしまった (自分としては珍しいこと) 。東洋の宗教および東洋神話を論じた章では「禅」や「相撲」など、ずいぶんと日本のことも出てきました (当たり前か) 。でも書かれている時代が半世紀以上も前と古いので、平成の世に生きる身から見ると … ちょっと違和感も感じるのはいたしかたなしか。それでも『神話の力』邦訳者の故飛田茂雄氏がはじめてこの本を読んで感動したと「訳者あとがき (『神話の力』) 」に書いていたように、あの大きな震災といまだ落ち着かない余震・突発地震活動のただなかにあるので、ある意味すがるような思いでこの本のページを繰っていたのかもしれない(ちなみにこの本は1960 年代、由緒あるクーパー・ユニオンの大講堂にて開かれた比較神話に関する連続講演から編みなおされたもの)。キャンベルといえばついさっきも公式サイトにてこういうことばを見かけた。

"Writer’s block results from too much head. Cut off your head.
Pegasus, poetry, was born of Medusa when her head was cut off. You have to be reckless when writing. Be as crazy as your conscience allows."

2). ことばといえば、先日地元紙日曜版にて見かけた『漢字が日本語をほろぼす』の著者さんインタヴュー。中身も読んでないのにこんなこと書くのはどうかとも思ったが、この本の趣旨は「漢字廃止論」。著者さんの言によると、「日本人は時代が危機にあると感じると、やたらに漢字を増やし、言葉の難しさで武装しようとする」。「怪しくなると漢字を連ね、時にはメルトダウンなんて英語を使ったり。漢字と外来語でごまかしてきたんですね」。「私たちは薄氷を踏むような自信のない言語生活をしているのでは」。ここにいる門外漢が思いますに、問題なのは「漢字(あるいは漢語的表現)」が悪いというより、使用する側が故意かはたまたそうではないのか、やたらと漢字尽くしにしていっそうわかりづらい文章をこさえて平然としている (たとえば、霞が関の住人とか) 、そういったことばにたいする無神経さ、傲慢さだと思う。

 問題だと感じるのは、こういう発言。→「日本語が漢字と手を切り、誰にも易しく使えるようになったとき、真に民主的な言葉になると思います」。では実験。「きのう、わたしはりょうしんのつかいでとなりまちにでかけた」。… 「わかち書き」をしないかぎり、これではかえって意味不明瞭きわまりなし。かといって、「昨日、私は両親の遣いで隣町に出掛けた」。では漢字の使用分量が多すぎ。「漢字廃止論」を唱える先生の発言から起こしたこの記事本文だって、個人的にはまだ漢字使用率が多すぎる。もっとひらいたらいいのに。「だれ」とか「ことば」とかは、自分だったらひらいて書くけど。「漢字は権力者が民衆を欺くために使われる」という言い分も、論点がズレているように感じます。お役人と政治家の「詭弁」を取り締まればいい。具体的には、米国連邦政府 ( と大統領 ) が使用する Plain English みたいな「簡潔明瞭な日本語表現規則」みたいに一定の制約をかければいいと思う。たとえば法律、とくに刑法なんか、改正されたとはいえ「幇助」なんてことば、それこそだれも使わない。「未必の故意」というのもわかったようで、よくわからないし。難解かつ冗長な言葉づかいを改めるだけでも、かなり効果はあるように思いますね。悪いのは漢字じゃなくて、使い方をあやまっているほうです。昔、詩人の鮎川信夫はこう言ってました。「外国語にたいする日本語の耐える力というのは、そうとうなものだ」って。明治以来、カタカナ語・翻訳によるあたらしい漢語表現創出などで、日本語が外国語という「外圧」を受けてもなお、屈しなかった、どころか柳のごとくしなってどんどん吸収していった過程を考えてみれば、そう安易に「漢字なんかなくしてしまえ」とは言えないんじゃないでしょうか (敗戦直後、志賀直哉が「いっそフランス語にしてしまえ」と言ったとかいう話は有名) 。でもこういう議論って、じつは昔から繰り返されていたりする。そのたびに議論が空転して、堂々めぐりして、そのうち顧みられなくなってしまう(苦笑)。その不毛な繰り返しに終始してしまうのは、もうやめにしてもらいたいものです。

posted by Curragh at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2011年07月31日

だいたい予想どおり? 

 … なんだか今年の7月も、昨年にひきつづき災害の多いひと月だったような気がする。ただ今年の場合は大震災の余波と見られるやや大きい地震が頻発し、かつ地震の被災地でもある福島県(と新潟県)で記録的豪雨による洪水被害。水害はほんとうにひどくて、TV 画面に映し出される被災地の惨状にはことばもない。またしても台風が接近中ですが、このまままた直撃されたらたまったもんじゃない。台風の進路ばかりはなんともならないとはいえ、やはりそれてほしいと願わずにはいられない。

 本日はひさびさの第5週の日曜で、深夜はもちろん「生さだ」を見てまして、いまさっきまで「サンデークラシックワイド ― 特選アラカルト ― クラシックリクエスト」を聴いてました(夕方はすこしのあいだラジオ第1 の「地球ラジオ」で「海外留学事情」を聞いていた。みなさん、がんばっておられますね)。

 「クラシックリクエスト」の本日のお題は、「涼しく感じるクラシック」。前週までたびたび放送予告が流れていたので、個人的に「涼しいクラシック音楽」とはどんなもんかな? と事前予想していた(笑)。「アルプス交響曲」とか出そうだなとか、ヴィヴァルディの「冬」は確実だろうとか、「エステ荘の噴水」や「月の光」、あとグリーグ、シベリウスなど「ほとんど北極圏」のいかにも寒々とした作品もぜったいかかるだろうとか。ひとり勝手に妄想をふくらませていた。

で、じっさいにかかった曲目を見てみますと(以下、公式サイトより)

オンエア曲目リスト

001(14:03)グリーグ作曲 組曲「ホルベアの時代から」 前奏曲
ピアノ:ペーテル・ヤブロンスキー<LONDON POCL-1744>
002(14:09)ヘンデル作曲 歌劇「クセルクセス」 から ラルゴ「なつかしい木陰」
テノール:プラシド・ドミンゴ、合奏:ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルティ交響楽団、指揮:マルチェロ・ヴィオッティ<DEUTSCHE GRAMMOPHON UCCG-1134>
003(14:15)ワルトトイフェル作曲 ワルツ「スケートをする人々」
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団、指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン<EMI CLASSICS TOCE-3482>
004(14:26)サン・サーンス作曲 組曲「動物の謝肉祭」 から 「水族館」
ピアノ:ルース・シーガル/ナオミ・シーガル、管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック、指揮:レナード・バーンスタイン<SONY CLASSICAL SRCR 9949/9950>
005(14:31)シベリウス作曲 交響詩「四つの伝説」 作品 22 から 「トゥオネラの白鳥」
管弦楽:フィンランド放送交響楽団、指揮:オッコ・カム<DEUTSCHE GRAMMOPHON UCCG-9324>
006(14:42)アルヴェーン作曲 バレエ音楽「山の王」 作品 37 から 「羊飼いの踊り」
管弦楽:オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、指揮:マリス・ヤンソンス<EMI CLASSICS TOCE-9700>
007(14:49)リスト作曲 「巡礼の年 第 3 年」 から 「エステ荘の噴水」
ピアノ:クラウディオ・アラウ<CB238.60 PHILIPS UCCP-9349>
008(15:05)グリーグ作曲 「ペールギュント」組曲 第 1 番から 朝
管弦楽 : アカデミー室内管弦楽団、指揮 : ネヴィル・マリナー
009(15:09)レスピーギ作曲 交響詩「ローマの噴水」から 昼のトレヴィの噴水
管弦楽 : ヒルフェルサム・オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団、指揮 : ウラディーミル・アシュケナージ
010(15:16)ワーグナー作曲 歌劇「ローエングリン」から 前奏曲
管弦楽 : バイエルン放送交響楽団、指揮 : コリン・デーヴィス
011(15:27)ドビュッシー作曲 「ベルガマスク組曲」から 月の光
ピアノ : パスカル・ロジェ
012(15:35)モーツァルト作曲 アダージョとロンド ハ短調 K. 617
グラスハーモニカ : ブルーノ・ホフマン、フルート : オーレル・ニコレ、オーボエ : ハインツ・ホリガー、ビオラ : カール・シャウテン、チェロ : ジャン・デクロース
013(15:57)ムソルグスキー作曲 歌劇「ホヴァンシチナ」前奏曲
管弦楽 : シドニー交響楽団、指揮 : ホセ・セレブリエール<IMG Records IMGCD1611>
014(16:05)チャイコフスキー作曲 バレエ音楽「白鳥の湖」 第 2 幕から 情景
管弦楽 : マリインスキー劇場 管弦楽団、指揮 : ワレリー・ゲルギエフ<DECCA UCCP1124>
015(16:11)吉松 隆(よしまつ たかし)作曲 白い風景 作品 47 a(オーケストラ版)
管弦楽 : マンチェスター室内管弦楽団、指揮 : 藤岡 幸夫(ふじおか さちお)<CAMERATA LC7038>
016(16:23)ロドリーゴ作曲 アランフエスの協奏曲 から 第 2 楽章
ギター : ジョン・ウィリアムズ、管弦楽 : フィルハーモニア管弦楽団、指揮 : ルイ・フレモー<SONY SRCR2608>
017(16:36)ラヴェル作曲 水の戯れ
ピアノ : アレクサンドル・タロー<CB260.52-53 harmonia mundi HMC901811>
018(16:45)ヴィヴァルディ作曲 四季 から 冬
バイオリン : ピーナ・カルミレルリ、合奏 : イ・ムジチ合奏団<CC88.79 PHILIPS 410 001-2>
019(16:56)ホルスト作曲 組曲「惑星」作品 32 から 金星
管弦楽 : トロント交響楽団、指揮 : アンドルー・デーヴィス<EMI classics TOCE-4095>
020(17:10)ラヴェル作曲 歌劇「こどもと魔法」から 猫の二重唱
メゾ・ソプラノ : ソフィー・コッホ、バリトン : フランソア・ル・ルー、管弦楽 : ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮 : サイモン・ラトル<EMI classics TOCE90010>
021(17:15)グロフェ作曲 組曲「大峡谷」から 山道を行く
管弦楽 : ニューヨーク・フィルハーモニック、指揮 : レナード・バーンスタイン<SONY 30DC 751>
022(17:25)ダンディ作曲 「フランスの山人の歌による交響曲 作品 25 」から 第 3 楽章
ピアノ : アルド・チッコリーニ、管弦楽 : パリ管弦楽団、指揮 : セルジュ・ボド<東芝EMI TOCE1543>
023(17:36)メンデルスゾーン作曲 「夏の夜の夢」序曲 作品 21
管弦楽 : ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮 : クリスティアン・ティーレマン<DEUTSCHE GRAMMOPHON UCCG-1173>
024(17:52)ドビュッシー作曲 「前奏曲集 第 2 巻」から 水の精
ピアノ : ジャック・ルヴィエ<DENON COCQ-85159>
エンディング テーマ リスト作曲「泉のほとりで」
ピアノ:フジ子・ヘミング<VICC-60335>

事前予想していた作品は、ほぼ出揃っていた?? なるほど、「トゥオネラの白鳥」ですか。たしかこれ記憶が正しければ、以前「名曲アルバム」にてアイスランドの氷河地帯の空撮とかそんな映像をバックに放映されていたような … エンディングに、アイスランド南岸ディルホーラエイの黒ぐろとした熔岩の風化海岸の砂利浜と海蝕洞門が映ってました。あのときはお古の受像機だったから、おなじ映像をいまのハイヴィジョン映像で見たら印象はさらに強烈だったかも。ダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」というのは、思いつかなかった。あいにく「アルプス交響曲」はなかったけれども。「山道を行く」って、自分の印象としてはむしろ暑い?? 「名曲アルバム」ではたしか放送開始 35 周年記念だかで「未来に残したい名曲」とかいうリクエストを受けつけて … と思っていま見たらあれッ、もう募集終了?! でも来月は … 「ト短調の大フーガ(BWV.542/2)」がかかるッ(ちなみに掲載画像のオルガンはハンブルク・聖ヤコビ教会のアルプ・シュニットガー製作の歴史的名器。バッハは転職活動でここのオルガニスト採用試験を受け、北ドイツ楽派の老巨匠ラインケンに即興演奏を絶賛され採用されたものの、けっきょく辞退した。理由は「多額の寄付金の手持ちがなかったため」。これを残念がったエルトマン・ノイマイスター牧師はクリスマス礼拝のとき、「天使がやってきて神のように演奏し、ヤコビ教会のオルガニストになりたいと申し出ても、金を持ってなければふたたび飛び去るばかりだ」と説教して嘆いたとマッテゾンが伝えている)!! 

 暑い、とくると、自分はあまり消化器系統が強くないため、出先での飲み物はいつも「熱いお茶」、はっきりいえばホットの「おーい お茶」と決めている(「伊右衛門」でもなんでもいいけれど、とにかくホットのお茶)。で、ラベルをはがすときに目にする「新俳句大賞」入選作の数々には毎度、感心させられます。とくに子どもたちの作品がすばらしい。文字どおり清新な感性を感じさせる作品ぞろいで、眺めているだけで気持ちだけは(?)すこし涼しくなってくる。これぞ一服の清涼剤、といったところかな。

 … というわけで、いまは「FM シンフォニーコンサート」にて、東京フィルによる「四季」で、ふたたびの「冬」を聴いているところ。夏には冬の寒さが恋しくなり、冬には … と言ったのは、たしか波平さんだったっけ? あとそうそう、つい先日の28日はバッハの命日でしたが、Desire の Wikipedia 連動「今日は何の日」によると、なんとヴィヴァルディの命日もまたおなじ28日 (1741年)だったとは、寡聞にして知らなかった。自然の猛威に畏れを感じつつ、2011年の7月も過ぎ、明日からは8月がはじまる。そして8月11日は、ヴァルヒャ没後20年の節目の日になります。

posted by Curragh at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM