2012年04月16日

こういうのは困る

1). 先週末、You've Got Mail という10 年以上前に公開された洋画が深夜のローカル局で放映されていたので見てました。なんでもこれ昔の作品のリメイクだそうで、かつての「恋文 ( この言い方はもう古い ? ) 」に代わって、電子メールでのやりとりが全面に押し出された感じの作品。このころのトム・ハンクスといえば、「アポロ13」のラヴェル船長役をすぐ思い浮かべるんですけれども、それにしてもこの映画を見ると、インターネットの使い方というものがわずか 10 年ほどのあいだでこれほどまでに変わってしまったのかとヘンな意味で感心してしまったり … 当時は当然、ダイアルアップ接続 ! しかも最近とんと見なくなった AOL の接続ソフト !! つまり電話線でつないでいた。いまみたいに定額制なんてないから、使えば使っただけ通信代金がかかる従量制。いまなんかすごいですよね。iPhone とか Android 端末、iPad などのタブレット端末とかはみな携帯電話回線か、Wi-Fi 経由でつなぐのが当たり前、プリンタなんかも NetBEUI だったか、有線でさえ PC と接続するのに一苦労だったというのに、いまじゃ Wi-Fi 経由のプリント対応機種では無線LAN ルータ経由でかんたんにつなげてしまうのだから。

 トム・ハンクスと相手役のメグ・ライアンは Mac Book ? かな、いちいちノート PC をベッドに持ちこんだり、デスクトップ型マシンの CRT の前で頬杖ついたりしてチャットしたりメールを打ちこんだりしているけれども、iPhone で猛烈な速さでテキスト打ちこむいまの若い世代の人がこれ見たらなんて思うかな。この映画では老舗の街角の本屋さん vs. 大型量販書店という話でもあったが、いまじゃどっちも旗色が悪い。もちろん電子書籍のことだが … それについては、たとえばこんな報道もありましたね。

 ことほどさようにテクノロジーの発展というか進化の速さには目を見張るものがある。たとえば Google。まだ日本語版が登場する前から「これはすごい ! 」と使ってきた年季の入った ( ? ) ユーザーなので、最近の Google を見てるとなんかもうついてゆけない感じもする。それでも Person Finder というサービスをいちはやく立ち上げたりして社会貢献もしている … 点も考えると、好むと好まざるとにかかわらず、もはや Google は地球規模での社会インフラみたいな存在になってきている、と思う。ちなみにいまこういう本を読んでいるのですが、いかんせん分厚い大作なので、ただいま中断中 ( ほかにも読むものがあるので … )。マッキベンの本もそうだけど、この取材本もひじょうにおもしろいので、近いうちにこちらについてもここで感想を書くつもりではいる。Google という社名が、創業者のひとりが登記するときに Googol と申請しようとしてミススペルした結果のもの、というのは知らなかった。Google っていったいなにしている会社なの ? とか、Google のいまを知りたい向きにこの本はおすすめです。ちなみに Google 以前の「検索エンジン」というのは、まず AltaVista 、そして Inktomi というのが主流でした。どっちもいまの Google みたいに「ほぼ一発で」知りたい情報にたどりつける、なんていう芸当にはほど遠かった … 。

 と、そんな折も折、こんなニュースが目につきました。うーむ … テクノロジーの発展でかならず問題になるのが、人間の仕事の口をつぎつぎと奪ってしまう、ということ。たしかジョブズ氏は、荷馬車からトラックへと輸送手段が変わるにつれて、人の仕事もまたそれにあわせて変わるものだ、みたいなことを言っていたような気がするけれど、「自然の摂理」に人間の手前勝手な経済モデルを押しつけるいまの経済社会構造にはっきりノーを突きつけている農民にして詩人のウェンデル・ベリーは、これにからめてつぎのように書いている ( 訳は拙訳 ) 。

 ―― かつて技能は、最終的には質を指すことばだった。その仕事はどれくらいできがよいか ? その品はどれくらいよくて、長持ちして、使っていて心地がよいか ? だが機械が大型化し、複雑さを増すにつれ、われわれの機械に対する畏怖の念もまた大きくなり、労働力をさらに節約したいと欲するようになってからは、技能というものを質ではなく量として判断する傾向がますます強まっていった。ある人はどれくらい速く、安く仕事ができるか? といったぐあいに。「計量化できる」技能ばかりが、ますます求められている。計量可能な技能が求められるほど、それはいともたやすく機械に取って代わられる。機械が技能に取って代わるにつれ、機械は生命とのつながりを絶ち、人間と生命とのあいだに割って入るようになる。*

 これはあくまで農業について書かれたものだけれども、おんなじようなことを比較神話学者キャンベルもまた書いていたりする ( 『生きるよすがとしての神話』の6 章、「東洋芸術のインスピレーション」後半部分 ) 。たしかに便利になることじたいに反対するような人は、きわめて少数派だろう ( いまのところは ) 。でも「テクノロジーの発展 = 楽して手抜き」であっていいわけがない。それとこれとは話がべつだし。どうも最近、こういう話が多いような気がする。誤訳とかなんとか、それ以前の「意識」の問題ですね。これこそ、機械と人間の手仕事との重要なちがいなのにね。

2). それともうひとつ、地元紙夕刊紙上にて「にっぽん色めぐり / 桜花の淡紅」という記事を見ました … 内容は、なんでいまの日本では桜、というとソメイヨシノ一辺倒なのか、ということをおもに歴史から焦点を当てて考察したもの。署名はないけれど、なかなか読ませるコラムでした。ワタシはソメイヨシノ … ももちろん好きではあるが、あればっかりというのはやはり自然の植生という点から見てもいただけないと前々から思ってます。個人的に理想なのは、吉野山のようなヤマザクラとその自然交雑種。ソメイヨシノは、いわゆるクローンなので、いっせいに咲き出す。オオシマザクラゆずりの大型の花はたしかに見栄えがいいし、散りぎわも華やかだし花筏もまたをかし。でも ! ヤマザクラの美しさはまた格別ですよ ! あの鮮やかなオレンジ色の若葉と同時に花を咲かせる姿が大好き。あれを見ると、なんというか欧米人が「イースターエッグ」を見て思い浮かべるのとおんなじような、強い生命力というものを感じます。先日、西伊豆へ花見に行ったのですが、あいにく今年は例の暴風が二度も吹きまくったためか、塩害でせっかくの花びらが変色した樹が目立った。これもまた自然だと自分に言い聞かせて撮影していたが、当日はくそ寒くて、午後は冷たい西風が吹きまくり、吹き飛ばされそうになりながらも堂ヶ島で断崖に砕け散る波とか撮ってました ( 苦笑 ) 。

 … けさの「古楽の楽しみ」は、リュート作品特集みたいだったようで、ダウランドの「涙のパヴァーヌ」とかかかってました。そういえばバッハもリュート独奏作品をいくつか残しているけれども、キリのいい BWV.1000 はなにかと言えば、「ト短調のフーガ」でした。

* ... The Unsettling of America, p.91.

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2012年01月09日

Fax も要らなくなる?! > Little Printer

1). 昨年暮れ近くなって、自宅で使っていたプリンタ ( 7 年選手 ) のインクが突然まったく出なくなり、あれこれ手を尽くしても復旧不能に。あわててなるべく安価で、無線 LAN が使えるものを、と某通販サイトで探したら、運よく EPSON のカラリオシリーズにそんな一台 ( PX-434A ) を見つけまして即購入 ( ああ、ただでさえ入り用のときにかぎって … ) 。無線設定ですこし手間どったけれども、いまはぶじ働いてくれています。いまでは当たり前の複合機仕様なので、これ一台で「A4 スキャン・コピー・印刷」ができるとはまったくおどろくほかなし。さらにいわゆる「スマートフォンプリント」もできる! とはいえじっさいいろいろいじくったら、専用アプリ経由でできることはたんに「スマホ内の画像データ、閲覧中の Web ページ、スキャン画像のスマホ転送」くらいで、ためしに Desire から Web ページ印刷をやってみたら、細かい印刷設定とかはできず、ページが途中で切れた状態で印刷された。orz でもスキャン機能なんかは秀逸で、指先でちょいちょいやるだけでお手軽にスキャン画像が転送されたりする。… まだお古のスキャナ ( ポジ / ネガフィルム読取りアダプター付き、こちらは 10 年選手 ) も使えるけれども、一台三役、しかもワイヤレスネットワークプリンタで1 万円ちょっとで買えるというのは、やはり「十年一昔」の感あり。

 ところで … ちょうどそんなとき、こういう記事も見かけました。以前、「スマホ連動腕時計 ( ? ) 」みたいなものがおしゃれなイタリアのメーカーから発売されたという記事も見たんですが、実用面でいったら断然、こっちのほうが完成度が高いと思うし、もし日本国内仕様が出たらけっこう ( ? ) 食指をそそられそうです。最近、ニュースサイトではスマホ仕様のページが主流になり、うっかりそんな「スマホ画面専用 Web ページ」をワイヤレスプリンタで印刷しようものなら、どうしようもないほどバカでかい活字で印刷されたりする ( さっそくやらかしている人 ) 。でもこれだったらそんな心配もなし。ただしこれは製造元と提携したクラウドサービス専用みたいだから、じっさいの使い勝手はどんなものかはよくわからない。今年から順次、売りだすみたいです。ちなみに印刷は感熱方式なので、レシートみたいな細長い感熱紙に印刷する仕掛け。これだったら置き場所もとらないし、かわいいデザインは日本でもおおいに受けそうだし、かなり応用のきく使い方もできるかもしれない。また、相手側にもこのデバイスがあれば、そのままファックスみたいに転送もできる、というから、これが普及しはじめたらことによったら従来の電話回線利用のファックスも不要になる … かもしれない (Windows XP には「FAX コンソール」というのがあったけれども、あいにく使ったことなし。現行 OS の Windows 7 にはもうそんな機能はないかもしれないが … ) 。

2). いまさっきこんな番組も見た。サンチャゴ大聖堂への長い長い巡礼路は、たしかに「お遍路」とおんなじですよね。巡礼者にとっての目的地のサンチャゴ大聖堂ではよく、ロープに吊るしたでっかい「香炉」をぐいんぐいん振りたくっているシーンを TV なんかで見ますが、あれって昔、巡礼者の体臭を消して堂内を清めるため、という目的もあったとかって話もはじめて聞いた。また身廊両側の壁には大オルガンのパイプ群がそそり立っていて、スペインのオルガンに特有の「水平トランペット」が何本も突き出てましたね。中学のときに使った音楽の教科書にはそんなスペインのオルガンの写真も載ってたんですが、たしかあれはサラマンカ大聖堂の歴史的オルガンのうち大きいほうの楽器で、ルネサンス期に製作されたという小オルガンのほうは、いまは亡き名オルガンビルダー、辻宏氏が修復したものだと思った。

 巡礼路の途中のちいさな教会で、司祭が昨年3 月の大震災と津波の犠牲者に対して祈りを捧げた場面は、やはり心に迫るものがありました。

 じつはアイルランドにも「クロー・パトリック ( Croagh Patrick 、「聖パトリックの岩」) 」という聖パトリックゆかりの山をめぐる巡礼路というのがあり、やはり洋の東西を問わず、人というのはこういう「道」が必要なのだなと感じたしだい。また、ブレンダンゆかりのブランドン山にもそんな巡礼路があります。クロー・パトリックはアイルランド西海岸メイヨー州にある標高 764 m の岩山で、伝説によるとパトリックが 40 日の苦行の最後にここで悪魔祓いをして、アイルランド全土から蛇を追い払ったとか。そういえばブレンダンの航海譚だってほかならぬ「海の巡礼」の物語だし、こうした「巡礼」というものは、旅を終えたあと、つまり「生まれ変わって」帰還することにこそ、真の意味がこめられているように思う。自分が最初にラテン語で書かれた『聖ブレンダンの航海』に興味を持ったのはティム・セヴェリンの航海記を読んだからだったけれども、しだいに『航海』の物語そのもの、それを生み出した中世初期アイルランドの修道院文学と「船乗り修道士」たちへと関心が移っていった … なんてことも見ながら思い出していた。ちなみにカミーノ・デ・サンチャゴの道案内につきものの「ホタテ貝」は、使徒聖ヤコブ ( Sant Iago ) のアトリビュート( 祝日 7 月 25 日 )。聖ヤコブは巡礼者の守護聖人でもあり、またスペイン人征服者によって新大陸にも聖ヤコブ崇拝が伝播し、それでチリの首都もサンティアゴと名づけられた。

 最後に出てきた「地の果て」、フィニステーラ岬の夕暮れ時の映像は、息を呑むほど美しく、感動的でした ( ついでに仏ブルターニュ半島最西端にある県もフィニステールといい、たぶん語源はいずれもおなじ「地の果て」を意味するラテン語でしょう ) 。カミーノ・デ・サンチャゴの巡礼者たちの最終目的地は、『航海』の「聖人たちの約束の地」を彷彿とさせるような「陽の沈む西の海」を望む岬で、番組でも映っていたように、一部の人はここで旅装束を火にくべて燃やすという。こういうのを見ると、日本人はどうしても「西国浄土」を連想してしまいますね … 。

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2011年02月13日

バッハが見たらなんと言うだろうか

 つい先日、以前より予想されていたとおり、ついにIPv4 の中央在庫が枯渇してしまいました。専門的なことはわからないけれど、IPv6 とIPv4 は基本的に互換性がないせいもあってか、いまだに移行が進んでいないらしい。当面のあいだ、われわれ一般ユーザーへの影響はないみたいですが、かつてどこかの首相が、「アイ・ピー・ヴァージョン6」がなんたらと国会でしゃべっていたのを聞いたのは、はや10年以上も前のことになる(?、いったいあれはなんだったのか)。ちなみにIPv6 への円滑な移行を促進するために、ISOCがGoogle などと協同して、今年の6月8日を「世界IPv6デー(World IPv6 Day)」にするとか。ちなみにこちらのサイトの記事末尾に、使用しているネットワーク接続がIPv6対応可能かどうかを判定してくれるページのリンクがありますので気になる向きは試してみるとよいかも(→関連記事)。

 自宅にWeb 接続環境が整った当時は、まだADSL 接続も普及してなくて、ISDN(!)なんかがさかんに宣伝されていたころ。CATV 回線経由でつないでいたのですが、遅いブロードバンドでして、下り通信速度が1Mbps も出ていなかった。RealPlayer で海外のストリーミング動画を再生すればたちまちコマ落ちになったりして。それでも自分にとってはインターネット = 世界へ開かれた窓みたいな感じで十全に楽しんでいたように思う(もっとも、中毒じゃないですけど)。なのでブロードバンドがこれほどまでに普及し、かつiPhone以降の次世代型スマートフォンの登場で文字どおりいつでもどこでもwired な世の中になってしまうとは、想像だにしていなかった(「クラウド」の普及なんかもそう)。旅先で「つぶやいている」人とかもごく当たり前に見かける時代となりました。とはいえAndroid 端末を狙った攻撃も報告されていたりで、インターネットの世界はエジプトの市民革命を導く道具であると同時に、無法地帯でもある。海にたとえれば、海賊もごろごろいるということになる。とにかく「踏み台」にされたりすることがないよう、自衛するしかない(ところで…どさくさに紛れてだれだッ、ツタンカーメンの遺品をくすねた不届きな輩は[怒]!!)。

 いつだったかTime 誌恒例の「今年の人」がYOU、つまりわれわれひとりひとりが「今年の人」なんですという年がありまして、カヴァーストーリーとして取り上げられていたのがあの動画共有サービスのYouTube でした(昨年はいま話題の[?]Facebook 創業者にして億万長者らしい26歳の方でしたね)。'Web 2.0' により、世界中の個人と個人とがより密接に結びつく時代になった…というわけなんですが、そのときYouTube とともに紹介されていたSecond Life のほうは…なんか閑古鳥が鳴いているような気が(苦笑)。以前ここで批判的に書いたことがあるけれども、Twitter のほうがまだましのような気がする。あれやこれやごてごていろんな機能で飾り立てるより、シンプルでお手軽に利用できるサービスのほうがわかりやすいし、ひろく一般受けすると思うから。

 最近ちょっと時間ができたので、ひさしぶりにYouTube サイトをのぞいてみた。バッハの作品名で検索かけると出るわ出るわ、プロ・セミプロ・アマチュア問わず名人芸を披露してくれる投稿者がぞくぞくと。しばらく見ないあいだに新規投稿がずいぶん増えてまして、スマートフォンで見入っているうちにちょっとハマってしまった(熱しやすく、冷めやすい人)。スマートフォンって便利だな! 以前はノートPC の画面で見るしかなかったが、高速なWi-Fi 経由でつなげば家のどこにいたって視聴できるというはやはりいい。とはいえ調子に乗って見ていると、あっという間にバッテリがなくなってしまうけれども(苦笑)。「自動タスクキラー」みたいなアプリもAndroid マーケット経由で導入してはいるけれども、あんまり効果はないみたい。このぶんだといずれはバッテリごと交換になりそう。

 というわけで、個人的に度肝を抜かれた、もしくは気に入った演奏の数々をここにも貼りつけておくことにします。今回はとくに「フーガの技法」にしぼってみました(→作品については拙記事参照)。Contrapunctus 1 から 「4声鏡像フーガ」の同 12 までいっきにどうぞ(最初の「基本主題による4声単純フーガ」では、こんな演奏例もありました)。作曲者のバッハが見たらなんと思うかな? かくも多くの人が世界中から自分の最晩年の作品を演奏した動画を撮影して共有サイトに投稿し、それを家にいながらにして視聴できたり、コメントしたりできるということを目の当たりにしたら…。自作出版にさいし「音楽愛好家の慰めのために」という副題をつけたりしたバッハのこと、これはもう作曲者冥利に尽きるんじゃないでしょうか。


























 …ここで番外編。このオランダ王国の若きオルガニストはそは何者か??! 超難曲「トリオソナタ BWV.529(動画は第1楽章 アレグロ)」をさも楽しそうに、さも軽々と弾きこなしているとは…いやはや世の中、すごい神童がいるもんだ(オランダ語はわからないけれど、1994年生まれらしいから、まだ高校生)。将来、教会オルガニストかコンサートオルガニストになるのかはわかりませんが、この方のお名前は覚えておくことにしよう。ほかにもいろいろ動画が用意されているので、みなさんも視聴してみてください。↓ 



 もうふたつだけおまけ。↓は、「オルガン小曲集」のBWV.611 コラール(降誕節用の一曲)。「上の鍵盤を弾きつつ、下の鍵盤で定旋律を弾く」という離れ業の例。このコラール編曲は「オルガン小曲集」中、唯一アルトに定旋律が置かれたもので、このようにふたつの鍵盤で弾き分けないと、せっかくの定旋律が混濁してよく聴き取れない。つぎの動画は、「世界最年少オルガニスト、ストップの出し入れで音色が変化することを覚えた図(笑)」。







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2008年10月31日

ヘンなもんよこすな(怒)!

 今週のNHK-FMのこととか、目に留まったNYTの記事のつまんない感想とか、フライベルクのジルバーマンオルガンのこととか書こうかしら、と思っていたのですが、まずはつい最近、自分の身に降りかかったことを先に書いたほうがいいかも、と思ったのですこし書いておきます。

 アンドリュー・スウェイトくんのアルバムSongs of Innocenceとパリ木のことが書いてある本(じっさいにはたったの2ページくらいのものだったがorz)をAmazon日本サイトにて買ったら、先方より届いた荷物のなかにいつものように宣伝チラシが入っていた。見たら、いまならゴム印全製品と名刺がなんと100円! で作成できるという。いままではこの手のチラシを見ても、クレジット機能のあるAmazonカードとか、はっきりいってあんまり必要ないものばかりだったので、とくに目には留まらなかったが、このときだけはなぜか「ゴム印でも作っておこうかしら」と思い、チケットの半券みたいなチラシを後生大事に取っていた。100円セールの期限が今日だったので、コピーとかCDの山になかば埋もれていたチラシを引っ張り出して、さっそく「Amazonユーザー様向け限定特典」サイトにアクセスしてみました。

 すると、リダイレクトされてまるでちがうURLのサイトに飛ばされた。商用サイトではよくあることだからと気にも留めず、「おめでとうございます! お客様は特典を獲得されました!」との見出しも気にならなかった。とりあえずサンプル画像を見て、どんなデザインにするか選んでいて、ふと、「あれ? ここのサイトってかんじんの支払い方法はどこに書いてあるんだろ?」と思って、別窓でサイトマップ出したもののどこにも「お支払いについて」のページが出てこない。???と思って、とりあえずヘルプページ出したらこんなことが書かれてました。「銀行振替については下記宛てまでお問い合わせください(はあ???)」。しかもこの会社のヘルプデスク、なんと日本国内にはなくて、米国にあるという!! 米国の会社に問い合わせるだと?! ここでムシの知らせがきた。また別窓開いてちょっとググってみたら、あらら、出てくる出てくる、「VistaPrintはあやしい」という情報が。あわててサンプル画像を出した窓を閉じて、しばらく調べてみた。

 Amazon利用者の方ならもうとっくにご存知の向きも多いと思いますが、自分の場合、こんな聞いたこともない会社の宣伝が同封されたのはこれがはじめて。もうすこしで法外な(?)送料とプロセス料(? 具体的には不明)を取られたあげく、勝手に会員登録されるところだった(会員登録はなかった、と報告する人もいる)。

 いったいなんのことかわからない人はまずはここのブログ様記事に寄せられた、膨大なコメントを読まれることをお奨めします。いい歳して、あやうく――ただでさえお足が出て行く季節なのに――アホなトラブルに巻き込まれるところでした。こういう会社と係わり合いになったら、おそらくロクなことはないでしょう。コメントの中には「VistaPrintはインチキ会社じゃない」みたいなことを書かれた方もいるにはいるけれど、この件については「みんなの意見は案外正しい」派なので、これだけネガティヴコメントが多数寄せられるという「事実」は認めなくてはならないと思う。日本国内に法人ももってない会社に、たいしたつくりでもないゴム印や名刺をわざわざ海外発注する人がいるだろうか。近所の印章屋さんでこさえてもらったほうがいいに決まってる。そう、はじめからそう思っていれば、こんなチラシさっさと処分しているはずでした。でも、油断していた。自分はあからさまな「詐欺」にはひっかからない、わりと用心深い・疑り深いほうだと自認していたのだが、不覚にも落とし穴にはまるところだった(と思う)。はっきり言ってこの胡散臭い会社、なんとか海外ロトくじとおんなじような手合いじゃないかと思いますね(おまけに今月末までのはずの「特典」は、11月末まで延ばされているとか)。

 …というかこんないかにも…というような会社のチラシなんか同封するなッ! と言いたい。あきれたことになんと一年くらい前からAmazon日本サイトはこんなチラシを撒き散らしているらしい。そろそろやめたら? 評判落とすだけだと思いますね。Amazon自身がいくら顧客中心主義ですと言っても、そのAmazonのネームヴァリューを――自分のように――信じて、アタマから疑わずにVistaPrintサイトへ「誘導」されてしまったAmazonのお得意さんはひじょうに多いのではないかと察します。いずれにせよわりと早く頭が「冷静モード」に切り替わったおかげで、何事もなかったからいいようなものでしたが、「目先だけの安さ」とか「通販サイトの手っ取り早さ」にはくれぐれも注意しないといかんなー…とあらためて思い知ったしだいです(そういえばインターネット環境が整ったばかりのころ、ダブリンのCDショップでブレンダン関連の音楽CD注文したら、返信メールになんとワームまでくっついてきてノートン先生が反応した、なんてことがありましたっけ)。orz

 商売については、せんだって地元紙にある読者投稿が掲載されてました。齢79のもと社長さんと思しき方の書かれた文章で、社会人になって挨拶回りに言ったさい、富士の会社社長さんから聞かされたという教訓をいくつか並べてありました。曰く「商いはバカもうけをしてはいかんよ」、「ふんだくるような形で商いしてはいけない」、「せいぜい倍くらい。うち半分が経費、あとの半分が純益」。「相手にも利を残せ」という商人道の心得でした。外資系はいざ知らず、日本の良心的な商売人がこころがけてきたこれらの教えはいまや死語になっているのではないでしょうか。あこぎな商売があまりに跋扈跳梁していませんか。以前よく「証券投資しない?」みたいな電話がやたらかかってきて閉口したことがあります。名前も名乗らずに失礼な! まずは自分が何者か名乗るのがマナーでしょうに。この投稿された方もこのような風潮を深く慨嘆されていて、「正常な方法では利益が出ないと思うのか、うそは言うし、ごまかす、だます。いかに上手にやるかが商売だと」とりちがえていると。「このような人が雨後のタケノコみたいに次々と出てくる」。最後にこう結んでいます。「政治家も同様、もっと汗にまみれ、ほこりにまみれ、時には塗炭の苦しさを味わえといいたい」。まったく同感するほかなし(I couldn't agree more!)。

 …あ、そういえば1517年の今日は、ルターがいわゆる「95か条の論題」を教会の扉に張り出した日。ルター自身も聖アウグスティノ律修会の修道士にして司祭だったから、文字どおり命がけの「抗議」だったように思う。でもこと音楽については「よい音楽には宗派はあまり関係ない」という立場だったから、ローマカトリックで伝統的に歌われてきた旋律なんかもどんどん取り入れた。こうしてルターというひとりの改革者が蒔いた種から、やがてドイツ教会音楽の集大成とも言うべき大バッハが登場することになります。カルヴァン派のように音楽をないがしろにした改革者もいたけれど、ルター派のような「音楽擁護派」もいたおかげで、ある意味皮肉かもしれないが結果的に教会音楽には豊かな実りをもたらしたように思う。と、けっきょくまた好きな音楽の話になってしまった。

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2007年09月08日

こんなものまであるとは

 最近ちっともアクセスしていなかったYouTubeをひさしぶりにのぞいてみました(NHK-FM「ジャズ・トゥナイト」でパット・メセニの新譜を聴きながら書いてます)。

 アクセスしたとき、ふとバッハのオルガン作品名で検索したら(いまや検索はGoogleエンジンですね)どんなのが出てくるのかな…と思ってためしにやってみると、オルガンなんてマイナーなジャンルなのにけっこう出てくるではないですか。

 なかにはあきらかに――投稿された国の現地法でもおそらく――著作権法に抵触しそうな動画もありますが、すでに絶版になりお蔵入りになっていたであろうTVの音楽番組の録画から抜粋したものとか、YouTubeでなければ一生(ちょっと大げさか)、目にすることはなかったであろう貴重な映像もあります。たとえば往年の名手カール・リヒター。たしか国内盤アルバムとして発売されているのはスイスのベルン――またしても著作権がらみな地名――だかどこかの大聖堂のオルガンを使った録音と、デンマークのマルクッセン社が建造した現代楽器を使った録音くらいのものだと思う。ところがリンク先の動画を見てびっくり!! 南ドイツ・オットーボイレンのベネディクト会修道院教会にあるリープ作の歴史的銘器(内陣聖職者席と一体化されたデザインのオルガンで、セントポール大聖堂の内陣オルガン同様、ふたつの楽器がたがいに向き合っている。リヒターの弾いたのは「聖霊オルガン」なのか「三位一体オルガン」なのかは不明)を弾くリヒターの姿! 感動で鳥肌さえ立った。つづくフーガの演奏では足鍵盤の速いパッセージの弾きぶりが印象的ですが、ナポリの6でいったん終止したあとに怒涛のごとく雪崩れこむコーダではカプラーで手鍵盤を連結しています…ふたつの鍵盤を物理的に連動させると当然鍵盤は「重く」なるので、指にそうとうな力を入れて弾いているはずです。リヒターついでに、おなじ場所で収録したらしいモダンチェンバロの演奏もありますね。

 しかしこれっていったいいつごろ収録されたものなんだろうか…コメント欄には晩年のものらしいことが書かれてあるけれど、とても信じられない(晩年のリヒターは分厚い眼鏡をかけていた)。髪の毛もふさふさしているし、肌のつやといい全体的にとても若々しい。

 弾き方はたしかにいまからするとやや古風かもしれない…でも手許のCDやテープで聴いていたのとおなじ「トッカータ BWV.565」でも、不思議なことにずいぶん印象がちがう。マルクッセンの楽器で録音した演奏よりこちらのほうがはるかに今風というか、違和感がないのはなぜなんだろう…響きの美しさのちがいもあるかもしれない。オットーボイレンのリープオルガンはトン・コープマンほか、さまざまな名手たちが名演を録音してきた楽器ですし、残響も長くて圧倒的。それにしてもこの楽器、演奏台もはじめて目にしたけれど、どのへんに組み込まれているのだろうか…楽器本体の基壇部分がアーチ状に刳りぬかれていて、そこに演奏台が収まっている感じ。

 オルガンつながりではほかにもいろいろあったけれども、リヒターについで印象に残ったのはコープマンが弾くフライベルク(Freiberg、黒い森近くのフライブルクではない)大聖堂のゴットフリート・ジルバーマンオルガンの映像。コープマンの弾く「小フーガ BWV.578」は何回か実演に接したことがあるけれど、どこの楽器で弾いてもあいかわらずせかせかテンポが速いなー(笑)。おそらくこの人の演奏する「小フーガ」はいままで聴いたさまざまな演奏のなかで最速だと思う。3分くらいで終わっちゃいますし。こちらの楽器もハンス・オットーが弾いた盤をもってますが、おなじ楽器を使用した演奏とはいえ、ストップの組み合わせもぜんぜんちがうし、演奏者によってずいぶんと印象が変わるもんだなーと当たり前ながら思ってしまいます。

 「フーガの技法」はどうなんだろ…と思って検索したらこちらもそこそこ出てきました…出だしの「基本主題による4声単純フーガ(Contrapunctus 1)」。クラヴサンで弾いたのとピアノで弾いたのを見ましたが…ピアノの人、すごい! だれだこのGenなんとか言う筋骨隆々の演奏者は? グールドばりにやたら遅い演奏…でもすこぶるいい! さっそくお気に入りに追加(笑)。

 また「12度の転回対位法による基本主題と新主題の二重フーガ(Contrapunctus 9)」を弾いている方の動画。鍵盤の真上から撮影しているので、運指法の勉強にはなるかも。とはいえこんな超絶技巧のフーガとなると、なかなか素人にはおいそれと手は出せないが…。

 またオルガンコラール「いざ来ませ異邦人の救い主よ BWV.659」も好きな作品なんですが、コープマンの演奏(使用楽器はおなじフライベルクのジルバーマンオルガン)とこちらの方の演奏とを比較すると、指使いのちがいがわかってたいへん興味深い。後者は伴奏声部をすべて左手で弾いているのにたいし、コープマンは定旋律の出番がないときは上のハウプトヴェルク鍵盤へ右手を移動していっしょに弾いている。もっと複雑なコラールになると、定旋律を弾きつつ上または下の鍵盤を同時に弾く、なんてこともあります。こちらの曲はスコアをもってないのでなんとも言えないけれど、やはり手を移動して(手鍵盤変更)弾くほうが楽だし当時の指使いにも近いと思います。

 MySpaceもそうだがYouTubeもアマチュア演奏家にとってはかっこうの発表の場でもある。たとえばこちら。一生懸命さが伝わってきていいですね。コメント欄にもあるとおり、いまいちレジストレーションが単純なのと、フーガ主題のアーティキュレイション(とフレージング)をもっとつけたほうがいいですね。で、こちらの動画は…なんだかよくわかんないけれどちょっとコミカルというかおかしい。場所は自宅の一室のようにも見えるが…スピーカーから音を出すチャーチオルガンで弾いているのだろうか。でもただでさえ弾きこなすのが難儀なこのトッカータを――足鍵盤も弾いて――これだけ弾いているのはたいしたもの。コメント欄を見ますと…「リードストップを使っているのは好感がもてるけど、もうすこしゆっくり弾けばミスタッチももなくなるのでは」、「自分はこの曲をオランダの教会にある33ストップの楽器で録音して公開している…でもみんなこの作品のもっとも精緻な部分、つまりフーガを捨てていることが多くてすごく残念。それ以外はいい。音もいいね」。ちなみにこのコメントを書いた人はプロのオルガニストで、動画を拝見しますとこっちも負けずに速い。「大フーガ BWV.542」の演奏もさすが、安定していますね。

 それにしても…みんな大まじめに書き込みしているなぁ…リヒターの動画なんか、いちばんの問題はストップ出しすぎで風圧が下がり、あきらかに音高が下がっているだの、かかとを使った足鍵盤の奏法が時代を反映しているだの、いやあれは背の高さゆえにすぎないだの…。

 投稿者本人の演奏ならともかく、この手の無断の二次配信についてはたしかに著作権の問題をどこで線引きするかという問題はありますが、見るほうとしてはやはりこちらの方の意見に傾いてしまう。

 It is a treasure to be able to see and hear this great musician as he played in his youth---great energy, musicality and depth(heは早世したリヒターのこと).

 日本のTV局サイドはYouTubeを映像コンテンツのゴミ捨て場のごとく批判するけれど、そう言いながら最近ではTV局側がそんなYouTubeで世界中に配信された映像をネタにする場合が多いというのは、矛盾しているような気がしますがね。ほんとうに問題なのは、著作権がビジネスになり、ほんとうに権利を守られるべきクリエイター本人の権利保護にはかならずしもなっていない点にあるように思う。あるていどの開放というか、public domainという発想が必要ではないかといつも感じています。

 最後にこちらの心なごむ動画を。NBCのニュースでも取り上げられたほど有名になったので、ご存知の向きも多いかも(また最近のデジカメにはYouTubeに投稿しやすい動画形式で撮影する、なんて機種まであるみたい→関連記事)。

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2007年05月27日

やっかいなrootkit

 先日ちょこっと触れたrootkit なるものについて、覚え書きていどに書いてみます。

 rootkit は、MS社言うところの「悪意あるソフトウェア(マルウェア)」が、自分自身の存在を隠蔽する目的で、こっそりシステム奥深くの根幹部分を一部勝手に改変してしまうクラッキングツールの詰め合わせセットみたいなものです。自分も某S社のCCCDに仕掛けられていた事件が明るみになったとき、はじめてこの耳慣れないjargon を知った口です(S社事件についてはこちら。またMacPeople 今月号にもDRMフリーに関連した記事中に言及があります)。

 いろいろ記事を読みますとrootkit には大別してふたつあるようですが、カーネルに巣食うタイプがもっとも排除困難なものらしい…rootkit に感染したOSは、よほど注意深く挙動を観察しないと感染しているかどうか見分けがつかないし、感染したシステムを稼動させたままの検出はほとんどむりみたいです。しかしながら、たとえばCD起動できるタイプのLinux(Knoppix など)からシステムディスクを検査してみる、という方法が有効…ということも目にはしたが、具体的にどう操作すれば感染しているかどうかわかるのか、まではわからなかったorz。手許にデータ救出用として一枚、CD起動型Linux をもってはいるんですが。

 最近、この手のマルウェアは文字どおり悪意(malice)に満ち満ちています…数年前までコンピュータウィルスは怪しげな添付ファイルつきメールさえ開かなければとりあえずは大丈夫、というレベルでしたが、何年もたたぬうちに「見るだけでバックドアを仕掛けるサイト」だの、「ネット回線につなぐだけで感染するインターネットワーム」だの、それらを複合的に組み合わせ、何百万台ものマシンを「踏み台」にして標的を攻撃するボットウィルスだの、とにかく巧妙化・悪質化の一途をたどっています。この流れ、MSblaster騒動 あたりからはじまったかもしれませんね。日本では個人情報を流出させる「山田Alternative」などの半分愉快犯的な、そのじつひじょうに悪質なワームも流行りましたし。いまのコンピュータウィルス、ワーム、スパイウェアなどはもはや昔の悪趣味ないたずら的なものではもはやない。個人情報もそうだがとくにいま、増えているのがクレジットカード番号など、個人資産を掠め取ることを狙ったマルウェアだということがひじょうに問題です。つまり泥棒ですな。本人のあずかり知らぬところで個人の機密情報、とくにお金にかんする情報が筒抜け、なんてことがあちこちで現実に起きている。

 だれだって「ウィルス対策がしたくてWebに接続しているわけじゃない」けれども、こういう輩がいるかぎり、ユーザー側もなんらかの自衛手段は取らないと。たとえばボットウィルス駆除でしたらこちらの総務省管轄機関のサイトを利用するという手もあります。Windowsユーザーなら、updateサイトで毎月、「悪意あるソフトウェアの駆除ツール」でチェックと駆除はできます。

 問題のrootkit については、あくまで参考ていどとはいえ、リンク先ページにも書いてあるこちらの検出ツールが役に立つかもしれません(自分も試しにやってみました↓)。

rootkitrvler.PNG


 検出結果はいわゆる空文字(null)が云々…というものしか表示されなかったので、とりあえずは大丈夫(?)そう。ただし初期設定でシステムフルスキャンモード、プログラムファイルフォルダからレジストリツリーまでくまなくスキャンするため、検査が終了するまで小一時間くらいかかりました。orz

 セキュリティ関連ついでに、せんだってWMV動画を見ようと思ったら、使っているNAVからこんな警告画面が。

iwprotection.PNG


 どうもこれZoneAlarmの吹き出し画面のような、たんにアクセス許可してもよいかどうかを訊いているだけらしい。とはいえいままであんまりこういうダイアログ窓は見たことはなかったけれども…。

 …おんなじUnix系OSなので、Mac OSX 用rootkit だってひょっとしたら存在するのかもしれないが(Linux系rootkit はすでにある)、すくなくともWindows よりはまだましでしょうね。

 …そういえば今日は「聖霊降臨祭 Whitsunday/Pentecost」でした。今週のChoral Evensong はギルドフォード大聖堂。あとで聴いてみよう。

CCCCleaner
posted by Curragh at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | Web関連

2006年10月30日

VoIP、SONY、iPodウィルス騒動

1). VoIP、つまり「ネット電話」がアナログ回線にくらべて安価なので、このところ急速に普及しつつあり、街を歩けば電柱のてっぺんあたりでなにやら工事のおじさんたちが作業している。おそらくは無線LAN関係か、光ファイバーか、IP電話関係の工事だと思いますが、ここにきてかねてより懸念していたことが。

 たとえばNTT西日本管内の大規模なIP電話の不通騒動。解約した方も多いと聞く。また携帯電話では「番号ポータビリティ」制度導入にあわせて携帯電話料金の「価格破壊」を仕掛けた某会社(東海デジタルフォン→ツーカーセルラー東海→J-phone→Vodafone…)も、「予想外」の事態に陥っているとか…。

 SEでもなく、WWWネットワークについても素人だけど、そんな素人目にもはっきりわかっていることがあります…かんたんに言えば、「現在のインターネット網という仕組みは電話インフラの代用にはならない」ということ。なんでかって、今回の一連の騒動が雄弁にそれを物語っています。

 インターネット、つまりWWWは全世界中に張り巡らされたサーバとルータによって中継される仕掛けで、本来は、核攻撃を受けた地域の中継サーバが倒れても安全に通信できるようにと開発されたコンピュータネットワーク網技術。VoIPとも言われる「IP電話」はなんか現在のメタル回線電話に取って代わるもの、というイメージを植えつけられそうになりますが、今回のことで明らかになったごとく、じっさいにはアナログメタル回線の固定電話以上に脆弱で、しかも一度トラブルとなかなか復旧しないものなのです。なんですぐに復旧しないのか、については上で書いたとおりの、WWWならではの「利点」がここでは最大の「欠陥」に化けてしまうからでして…ようするにトラブルを起こしたのがどの中継(処理)サーバなのか、しらみつぶしに調べないとわからないからです。ひとことで言えばデータ通信経路が毛糸の玉よろしく複雑怪奇にこんがらがっているため。原因特定はいわゆる「干草の山から針一本」を見つけるのとおんなじようなものなのです。

 携帯…の騒動については、これははっきり「見切り発車」以外のなにものではないのではないか。こうなることはあるていど予測できたはず。

 これではいざというときが心配で困ります。このニ例を見てもわかるとおり、なんでもかんでもデジタル化すればいいとか、アナログなFM放送なんかやめてネット放送にしたらいいというものではないのです。固定電話は100年以上の「地に足のついた」歴史とノウハウがあるいっぽう、こちらはデジカメ同様、海のものとも山のものとも、いまだどう転ぶかわからない発展途上の技術。使わされるほうも、この点をしっかり認識しなければなりません。

2). 事実上のリチウムイオンバッテリ開発元のひとつSONYによる、一連のノートPC用バッテリ発火騒動。つい先日もNHKテレビの夜のニュースで、紅蓮の炎を噴き上げるノートブック(どこのメーカーかは不明)の衝撃的な映像を見たばかりなんですが、もうやってることが支離滅裂。個人的にもSONYっていい印象はなくて、以前使っていたCDウォークマンも「メーカー保証期間」が切れてしばらくすると動かなくなったり…もっともうちの場合、家電は松下がほとんどで、テレビもラジカセもみんな20年選手。ところがいままで買った2台のCDウォークマンはあまりに短命、これがいわゆる「SONYタイマーか」と溜息をついたものです。

 今回の騒動も、やっぱりどこかつながっていると思います。SONYの有能な技術者は、会社側のリストラがはじまるとさっさと見切りをつけて離職した人が多いとも聞きますし、また生産拠点の海外移転も遠因だと聞きます。

 ついでに――する人はいないだろうと思うけれども――リチウムイオンバッテリはけっして分解しないでください…これってけっこう危険な電池なのです…へたすると腕が吹き飛びます。もし自分みたいに「バッテリ昇天」してしまったら、専門の換装業者に相談するのがいちばんです。と言っておきながら、あまりにお高い換装代金のためいまだバッテリは死んだまま…orz。

3). iPodでただいま業績絶好調らしいApple。ところがWindowsユーザにとっては信じられない事件が。なんとiPod製造用マシンに混入したウィルスに感染した状態で出荷されたiPodがあるというのです。しかもApple社側の発表も遅すぎ、おまけに謝罪と言っておきながら、Microsoft側に責任転嫁するかのような不注意な表記をめぐってまたしてもひと悶着。…たしかにセキュリティ対策万全、どこもアナはなし、なんてOSありはしませんが、責任は当然Apple社のおざなりな管理体制にあるのだから、やっぱりまずいというか、こういうところで米国の名の通った企業の顧客軽視、「大名商売」が見てとれる。もしこれが自社製品の次期OSX Leopard だったら、こんなのんきなこと言ってられないでしょうに。

 …デジカメは、気に入らないカットがあればいつでもどこでもかんたんに消去、リセットできる。RAW画像データがフラッシュメモリに記録されているにすぎないから。フィルムカメラは一度、フィルムに光が当たれば感光して映像は半永久的に焼き付けられる――失敗作も傑作も。なんでもかんでもデジタルへ、というのは、なんでもかんでもかんたんに「リセット」してしまえるという恐ろしい「誤解」をあたえかねないと危惧してしまう、今日このごろ。

 …記事とは関係ないけれど、こちらの記事も興味深いですね。↓

 ウェブ文化圏・ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝

詐欺メールについて
posted by Curragh at 02:25| Comment(0) | TrackBack(1) | Web関連

2006年04月17日

山田Alternative 騒動に思うこと

 最近、にわかに他人事でないのが「山田 Alternative」と称される一連の「情報暴露ウィルス(分類上はバックドアを仕掛けるトロイの木馬型マルウェア)」。先日、NHK地上波の子ども向けニュース番組でも Winny に感染する Antinny というウィルスとその被害の深刻さが取り上げられたくらい。

 ところが「山田〜」のこわいところは、自分のマシンに Winny を導入していなくてもネットサーフィンしているだけで感染する危険がある点。「Winny をもっていない/使っていないから大丈夫」ではないのです。Winny に感染するタイプならばおなじ Winny を使っているネットワーク内でのみ「晒される」けれど(のぞき見た人がさらに外部へ流出させればけっきょくおなじことだが)、「山田〜」のほうはHDD内の全データを片っ端からhttpプロトコルで送信してブラウザで閲覧可能な状態(html化)にしてしまうというから始末におえない。つまりはこれに感染すると、自分のマシンが全世界からアクセス可能なWebサーバに変えられてしまうということ。原型となった山田ウィルスの亜種としては最悪で、今年2月に発生が確認され、いまだに感染台数が増えつづけている…らしい。

 これ最初に作った人、犯罪ですね。まったくロクなもの作らない。不正アクセス禁止法とか、いろいろと抵触するんじゃないでしょうか。とにかくこれバラまいた張本人を検挙してほしい。

 自分がインターネットに接続しはじめたころ、コンピュータウィルスといえば、たいてい海外から一方的に送りつけられる(unsolicited)件名も差出人も不明のいかにも、という感じのメールで、お決まりの .exe とか .com とかの添付ファイルつき。まだ当時は Norton などのウィルス対策ソフトさえ導入していない利用者がけっこういた時代で、ウィルス感染はおもに海外とのやり取りの多い利用者に限られた、いわば「対岸の火事」みたいな認識しかなかったころです。

 …それがいまは昔、国産ウィルスのほうがはるかに凶悪で、やることが愚劣かつ卑劣です。寡聞にして知らないが、海外産の「悪意あるプログラム(マルウェア)」は、たとえば他人のマシンのHDDの中身をすべて消去する、というものはかなり存在するけれど、HDDの中身をあらいざらいWeb上に暴露してしまう、という悪さを働くものはないように思う。このへん、日本人の悪い意味での民族性が垣間見える。2003年の「MS Bluster」騒動以降、ようやく個人レベルでもウィルス対策ソフト導入が加速され(おかげでアンチウィルスヴェンダーは笑いが止まらない)、Microsoft側も、Blusterで攻撃に晒された Windows Update(Microsoft Update)サイトを一新したり、ときおり無償でセキュリティ対策CD-ROMを配布したりと会社を挙げて真剣に取り組むようになった。

 そうはいっても「山田〜」もしくは Antinny で情報漏洩…のニュースを見ると、自衛隊・警察・国公立や私立の教育機関、空港の通用門のパスワードに旅行代理店にJR、病院に裁判所、発電所に国会議員、株式市場に証券会社、Yahoo! 、TBSにNTT…とあまりに多岐にわたっていることに唖然としてしまう…みんな仕事で使うPCになんで Winny なんか入れてあるんだろう…もっとも「山田〜」の場合は Winny の有無に関係なく危険ですが。ほんとに口あんぐりですよ。どこかの女子大生のヨーロッパ古代史関連のレポートまで晒されているらしい。いちばん笑えた、というかあきれたのは、某ウィルス対策ソフトヴェンダーの社員のマシンが Antinny に感染して、営業資料が漏洩した…というお粗末。お客に高いソフトを買わせておきながら、なんとこの社員は自分のマシンには対策ソフトを導入していなかったというわけです。

 不注意に Winny を入れていたほうも悪いけれど、晒されたファイルを見て笑っている輩もいるわけで、これをバラまいた者ともども「愉快犯」という点では同罪だと思う。

 この問題のもっと深刻な点は、携帯電話もPCも所有していない、「まったく関係ない」人の個人情報までが、本人のあずかり知らぬところでどんどん流出してしまうこと。これはこわい。とてもじゃないけどこれではうっかりカゼもひけない。それこそ芋づる式に個人情報が漏洩してしまうので、ほんとに他人事ではないですね。

 …こういうことしておもしろがっている人っていうのは、晒されてしまった、まったく落ち度のない人の痛みというのがわかっていない。過日、地元紙に柳田邦男氏がこの問題に関連して寄稿してましたが、「古典的な情報倫理でもうたい文句だけの倫理でもない、情報窃取ソフトの犯罪視、他者中傷の情報発信の犯罪視など具体的な行動を明示した情報倫理の確立が急務」と書かれていましたが、もっともな意見ですね。とにかくいまの状況は異常です。異常を異常と認識できないことはさらに輪をかけて恐ろしい。

 …インターネット上では Echelon だったか、海底ケーブル内に盗聴装置を仕掛けてあって、個人から会社から国どうしのやり取りまですべて筒抜けになっている…という話を聞いたことがあります。ことは日本国内ですまされないということを、この手の「愉快犯」たちは認識していないのでしょう。日本国内の流出情報はひょっとしたら北朝鮮あたりに傍受されていたりして。けっしてありえないことではない。

 「山田〜」騒動で思うのは、やっぱり想像力の欠如かな。「自分がいまこれをしたらどうなるか」という想像力。「人を殺すところで自分を殺す」と言っていたのはキャンベル先生だったか。倫理以前に想像力欠如のほうが深刻だと思います。自分もふくめて人はみな聖人君子ではないから、だれしも foible はもっているし、自分なんかほんと欠点だらけで恥ずかしいかぎりなんですが、人間が生きていくうえで想像力というものはとても大切だと思う。それを養うのはいわゆる英才教育ではむろんなくて、幼いころから、たとえば満開の桜を見上げては「きれいだね」とか、てんとう虫やダンゴムシをさわって「おおっ!?」と感じること(sence of wonder)とかがけっきょくその人の性格やものの考え方をあるていど決定してしまうのではないかな。そしてよく言われることだけれど、絵本の読み聞かせなんかも大切ですよね。幼少期の英語教育よりも大事なんじゃないかと思います。よい絵本は大人の鑑賞にも耐えるもの、というか、すぐれた絵本というのはたいてい、酸いも甘いも噛み分けた作家でないと書けないものなのです。

山田チェッカーのダウンロード
posted by Curragh at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | Web関連