2008年01月27日

NYCのランチタイムコンサート

1). NYC関連の話題ニ題。まずはこちらの記事。バッテリーパークにほど近い、ウォール街の入り口に当たる場所に建つトリニティ(三位一体)教会。ここの音楽監督を17年も務めたオーウェン・バーディック氏がいきなり(?)辞職したことを報じたもの。バーディック氏のお名前は寡聞にしてはじめて知ったのですが、Naxosレーベルにここの聖歌隊を指揮したハイドンとヘンデルの録音を出している人みたいです。職を辞したのは今月7日のことで、記事によると、29日公演予定のモンテヴェルディの有名な「聖母マリアの夕べの祈り」のリハーサルをしていた最中のことだったらしい。教会がこの事実をはじめて公表したのも金曜日になってある記者に訊かれてからで、なんでまた急に、と記事を書いた記者が取材しても教会側は「被雇用者の辞職事由についてはノーコメント」。当の本人に電話したら、「いまは忙しくて話せない」。その後も無しのつぶてだそうです。なんだかよくわかりませんが、なにかあったことだけはたしかなようですね。3月にはハイドンのミサ曲、5月にはフランス古典期のモテットを演奏予定だったようですが、今月末のモンテヴェルディと5月のモテットのほうは代役を確保したものの、ハイドンのほうはまだ決まっていないとか。ちなみにここの教会のオルガンは9/11事件のときに被害を被ったため、プロスペクトのパイプ列だけ残して中身はそっくりデジタル楽器に入れ替えられた代物らしい(→関連記事)。

2). ここ数年、首都圏のコンサート会場では平日お昼のランチタイムコンサートが盛んになっていますが、この記事によると、NYCでも流行っているようです。たいていこの手のコンサートってなじみのある名曲が演奏されるもの、と思いきや、記事ののっけからなんとも通好みの作品が演奏されているではないですか(Amédée Rasettiってだれだか知らないけれど、18世紀の忘れられた作曲家らしい)。なんでもJupiter Symphony Chamber Playersという室内楽団は、あまり名の知られていない作曲家の作品を積極的に取り上げる昼・夜のコンサートを年20回、月曜日に開いているとか。また記者がクリスマス前に聴いたという'Trefoil'なる古楽三重奏団のランチタイムコンサートは14世紀イタリアのノエルを35分間、無料で聴かせてくれたという。ちなみにここの教会(パークアヴェニュー沿いのセントバーソロミュー教会)の音響は、

They began by slowly walking up the aisle, and from my spot in the 6th of 15 rows I could hear each voice distinctly as it passed, in clear, otherworldly harmonies.

だそうで、声楽にはうってつけの会場だったようですね。

 ユダヤ教シナゴーグのランチタイムコンサートはなんとオルガン演奏会。そこの楽器にはクレズマーの楽師が使うクラリネット(?)と「ショーファ」なる羊の角笛を模した変わった音色のストップを備えているんだとか。いったいどんな音だ??? もちろんNYCなので、デューク・エリントンとか、ジャズのランチタイムコンサートもあります。

 またジュリアード音楽院でもランチタイムコンサートを重要なカリキュラムの一環として力を入れているそうで、音楽院のキャリア開発部長氏いわく、

'One of the educational requirements for students is that they get performance experience,” Derek Mithaug, director of career development at Juilliard, said. “These kinds of concerts tend to attract a wide range of audiences, and they are a wonderful opportunity to connect to people who would not normally come into a concert hall.'

下線部はうなづけるお話です。日本でもそうですよね。こういう気軽に楽しめるコンサートを通じて音楽の喜びに接する機会をたくさん作ることがなにより重要かと考えます。

 ちょっとおもしろいな、と感じたのはつぎの一文。

At the same time, daytime concertgoers can be the best behaved of all. At Good Shepherd-Faith, where the Jupiter clientele is mostly retirees, all sat in rapt silence once the music began. I have never witnessed such decorum even at the Metropolitan Opera, where tickets cost up to 15 times as much.

えッ、それほんとですか、と思わず訊きたくなる。なんか逆のような気がしますが。さらにもっと驚くのは、

At first I thought people might have fallen asleep, something I’ve seen plenty of times at the Met. (And at the Philharmonic and Carnegie Hall.)

へぇ、そうなんだ! そういえばLiberaの子たちが、日本の聴衆は音楽に集中してくれるから好きとかって言っていたのを読んだことがあります。そんなにnoisyなのかなあ、向こうの聴衆というのは。居眠りについて言えば、ワインを飲んでから演奏会に臨んだものの、途中で舟を漕ぎはじめたという失態を一度、やらかした前科があります(恥)。

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2008年01月14日

IntelとOLPCの仲たがい

1). きのうと内容がすこしカブりますが、NHK総合の「海外ネットワーク」で報じられたNPO団体・OLPC('One Laptop Per Child'、「子どもひとりに一台のPCを」)と、昨年夏にこの運動に参加したばかりの半導体最大手Intelが仲たがいした、という記事が先日載ってました(→CnetJapanサイトの関連記事)。

 これは、つまるところ発展途上国の子どもたちをたんなる「モノを売りつける市場」としてとらえるIntel(とMicrosoft)側と、損得勘定は度外視する「富裕な国の使命」ととらえるOLPCの立場のちがいから生じたごたごたなのですが、個人的にはOLPC代表のネグロポンテ氏のめざす方向性は正しいと思っていたので、いささか残念です。

 NHKの番組でも取り上げていたペルーの事例では、Intel側も協力すると言っておきながら、そのじつ現場では自社製品を搭載し、Microsoft社のOfficeまで入ったもうすこし値段の高いClassmateなるノートマシンをペルー政府側に売りこんでいたらしい(XOマシンはAMD製のチップを搭載)。昨年10月にはモンゴル政府に、OLPC側のXOマシンとClassmateマシンとをならべて性能比較させて売りこみをかけていたようです。いかにもIntelがやりそうなことですね。OLPCが長年にわたって準備してきた、発展途上国へのXOマシン配布計画じたいもこのままだと頓挫しかねないと言います。Intelの脱退は唐突だったようで、OLPC側も、一部報道機関からのリークではじめてその事実を知ったらしい(Intelから正式に電子メールで通知されたのはもっとあとのことで、Intel側が事実公表のさいの不手際を詫びている)。なので先日開催されたCESには本来Intel製チップを搭載したXOがお披露目になるはずだったがそれも幻になってしまったというこぼれ話つき。

 いまのXOマシンは事実上の世界標準であるWindowsOSを搭載していないので、多くのWindowsソフトが動作しないからあまり魅力がないなんて意見も聞きますが、このマシンが使用される現場は砂漠だったり熱帯雨林だったりする。そもそもOLPCは、どんな過酷な環境下でも動作しつづけるマシンを量産できること、それらをなるべく低価格で途上国の教育現場に提供しようという運動なのです。TV画面に映し出されたペルーの山岳地帯の小学校に通う子どもたちはみな表情が輝いていました。さっそく「ぐぐって」もいました。電気が村に引かれたのはなんと3年前。村以外の外の世界を知らない子どもたちがこのマシンをもち、世界中の子どもたちと交信しあう、というのはやはりすばらしいことだと思う(有害サイトの問題はもちろんありますが、それだったら自分たちが子どもだったときはTVが悪者のように言われていた。たしかXOマシンのブラウザにはフィルタリング機能があったように思います。ちなみに液晶画面両脇から「耳」のごとく飛び出しているのは無線LANアンテナ)。

 でもこういう取り組みってどうしていつも米国発なんだろう。日本はTronOSとかいろいろ特許もあるし、技術面ではとても貢献しているとは思うけれども、ほんとうの意味での「日本発世界標準」を目指すのであれば、日本国内の携帯電話の通信規格を普及させることではなく、こういう運動に率先して取り組むことではじめて目標は達成されるのでは? と思います(→OLPCについて以前書いた拙記事)。

 …そしてこれはOLPCとは関係ない記事ですが、あのWikipedia財団がサーチエンジンにも進出するらしい(一部事実誤認があったので、訂正しましたm(_ _)m)。

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2007年12月09日

またこの写本がらみで…

1). 今月6日は「子どもの守護聖人」小アジアの聖人ニコラオスの祝日。なのでよい子のみなさんは、本来はこの日にプレゼントをもらわなくてはならない。聖ニコラオスは世界中の教区教会で人気があるらしく、イングランドだけでもこの人を守護聖人として崇めている教会はなんと400もあるという。サンタクロースの語源は17世紀、オランダ系移民が米国ニュー・アムステルダム(いまのN.Y.)にやってきたとき、故国で伝わっていたSinterklaas伝説をもちこんでからと言われていますから、オランダ語のSinterklaasが訛ってサンタさんになったらしい。そして今年もこの時期になるとNoradがミサイル追跡をやめてサンタさんの追跡をはじめる(笑、今年から専用サイトがすこし新しくなったみたい)。7日は聖歌作者としても有名なミラノ司教アンブロジウスの祝日。そしてきのう8日はジョン・レノンが暴漢に射殺されてしまった日でもある(今日、朝刊を見たら9/11テロ事件関連発言で物議を醸した現代音楽作曲家シュトックハウゼンが亡くなったと報じていました)。12日はアイルランドの聖フィニアンの祝日。ウェールズの聖ダヴィドやカドク、ギルダスのもとで教育を受け、530年ごろにクロナード修道院を建て、その修道院学校から初期修道制度をアイルランド全土に広めることになる数多くの修道士を輩出します。コルンバもふたりのブレンダン(クロンファートとバーの)もじつはこの人の弟子だったりする。

 今月2日からオンデマンド放送をつづけている毎年恒例のセントジョンズカレッジの「待降節キャロル礼拝」、先日例によってごろごろしながら聴いていたら、なんとブリテンに「聖コルンバ聖歌」なんて作品があるんですね。コルンバついでに、数年前に買ったジョン・キャメロンがプロデュースしたという「ケルトのミサ」というアルバムも思い出しました。こちらにも「アイオナへ」とか「コロンキルの悲歌」、「サンクトゥス/リンディスファーン福音書」とか「コロンバヌスの航海」とかおもしろい曲が収録されています。歌っているのはヒギンボトム先生率いるオックスフォード・ニューカレッジ聖歌隊。

2). そんな折りも折り、NYTimes電子版を眺めていたら、こんなコラムが。書いた人は米国きっての聖書学者で、コプト語写本学者らしい。なんだってまたこの時期に…という気もしないわけではないんですが。

 自分は今年の夏に買った「チャコス写本」の決定版(?)を一読後、学術的にも価値の高い労作だとここにすこしばかし卑見を書きましたが、著者April D. Deconick先生は全米地理学協会(以下NG)の「秘密主義」をあらためて批判しています。根拠としていくつか誤訳をあげていますが、'daimon(δαιμωυ)'の訳語以外はいずれも「チャコス写本」のCritical Editionでは訂正済み(その前に出た邦訳本はあくまで「暫定的な」訳だらけなのでこちらのほうは問題あるかも)。たとえば写本のpp.46-7(The Gospel of Judas Critical Edition, pp.211-12)最下段の文について。

... According to the National Geographic translation, Judas’s ascent to the holy generation would be cursed. But it’s clear from the transcription that the scholars altered the Coptic original, which eliminated a negative from the original sentence. In fact, the original states that Judas will “not ascend to the holy generation.” To its credit, National Geographic has acknowledged this mistake, albeit far too late to change the public misconception.

Critical Editionではきちんと否定文になっていて、問題の箇所は判読が難しい部分としながらも、「赤外線調査をして」判読できたと脚注には書いてあります――おっしゃるとおりいまさらという感なきにしもあらずですが、知らぬ顔の半兵衛を決めこまれるよりはましかと。

 たしかにdaimonについては自分もなんかヘンだなと思ってはいたのでうなづけるご意見だとは思いましたが(グノーシスではつねに「悪魔」の意味になるらしい。pneumaのほうじゃなくて)、ようするにごくごく少数の人間にしかアクセスを許さないやり方ではどうしたってこの手のミスはつきもの、なのできわめてもろい、保存処理が最優先される古文書についてはまず実物大のファクシミリ版を刊行して世界中の学者から意見を聞くのがベストだと言っています。げんにそういうことをさだめた通告みたいなものが存在するらしい。この点に関してはまったくそのとおりで、例のギリシャ人女性は今回NGと「独占契約」を結んだときに200万ドルを手に入れたとか言われていますし。もっとも写本修復作業に当てる「軍資金」でもあるので、金目当てとは思いません。でもやっぱり順番がちがう。また、今回の秘密プロジェクトからはじき出された学者先生のお歴々たち――『ナグ・ハマディ』のジム・ロビンソン博士とか――が頭にきてみんなで寄ってたかってNGを叩いているわけでもむろんありません。おんなじような経緯がかつて死海写本の解読作業でもあったらしい。たしかそのへんの内幕を暴露したという本の邦訳を図書館で見かけたことがあります(借りようと思ったらあいにく曝書整理期間中だったorz)。最初からそういう方法論をとっていれば、わりと早い時期に遜色ないCritical Editionも刊行できたんじゃないでしょうか。↓

... I think the big problem is that National Geographic wanted an exclusive. So it required its scholars to sign nondisclosure statements, to not discuss the text with other experts before publication. The best scholarship is done when life-sized photos of each page of a new manuscript are published before a translation, allowing experts worldwide to share information as they independently work through the text.

 …コラムの末尾に、この先生の近日刊行予定のご本の紹介が(「なか見! 検索」つき)。こんなの見たらまたほしくなるじゃないの(笑)。ただでさえこの時期はピーピー(おなかをこわしているのではない)なのに…。

 最後に余談。クリスマス(Christmas)は「キリストのミサ」という意味で、よく見かけるX'masは誤り。正しくはXmas。Xはギリシャ語のキリスト(XPI乃O, 発音は「クリストゥース」に近い)の頭文字で、有名な『ケルズの書』XPIのページとかにもでかでかときらびやかに書かれてありますね。XPIだけでキリストを象徴するので、XPIの図案はよく見かけます。蛇足だとは思いつつも念のため。

posted by Curragh at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | Articles from NYTimes

2007年11月19日

ラテン語ミサ復活その他いろいろ

1). まずはこちらの記事から。現教皇ベネディクト16世が今年の夏、1570年制定のMissale Romanum(『ローマミサ典書』)にもとづくミサを司教の許可なしにおこなってもよいという書簡を発表したことを受けて、さっそくトリエント式ミサをやってみました、というもの(前教皇は、司教の許可があればトリエント式ミサをおこなってもよいとしていた)。

 歴史的に見れば、西方教会にとってのラテン語の位置づけは教会の公式言語そのもの。なので、ラテン語でなきゃダメと憤懣やるかたなしの保守派がすくなくないとも聞きます(→関連記事)。

 しかしながらTimesの記事はあまりそのへんの事情には深く突っこんで書いてなくて、少々物足りない感じ(記事後半にごくかんたんに触れてはいますが)。記事に出てくるニュージャージー州の教会では、16歳の女の子が、来月から復活するラテン語によるミサの準備クラスに参加した感想として、

 'I always attended the English Mass, but I never really paid much attention,'/'It's quiet,' she said. 'People are paying attention. In the English Mass, it's noisy. There are babies crying. But here people are completely focused on God.'

おなじ説教を拝聴するにしても、母国語で話されるとたいして緊張感もなし、いきおい注意散漫になってしまう。ところがまるで異質な外国語の説教だとどうしたって前身耳にして謹聴しないわけにはいかなくなるし、すべてがわかるわけではないにしても、なぜだかありがたさは母国語のときよりも強く感じる…というのは、自分があんまり聞き取れていないながらもBBC Radio3のChoral Evensongを聴いているときに感じていることとたいして変わりはないように思います。当然のことながら米国内の25大司教区でトリエント式ミサをあげている小教区教会はほんのごく一握りにすぎず、なかには興味さえなしという司教区もあるという。記事にもあるとおりトリエント式ミサはいわゆる「背面式」、司祭は信徒には顔ならぬ尻を向けて立ち、祭壇に向かって祈りをラテン語で、それも小声でぼそぼそとあげる。これではなにやってんだかわからないので、信徒には羅英対照の典書つき(聖書朗読と説教のみ英語)。ときおり座るのか立つのか戸惑う場面もあったようですが、

Parishioners seemed confused at times about when to sit or stand. Yet no one seemed to be straining to hear the priest. They looked instead to their missals or prayed on their own.

…お祈りはラテン語マスターの司祭に任せて、みなさんそれぞれ思い思いに過ごされているみたいです(苦笑)。

 ロードアイランド州のこちらの教会でトリエント式ミサに出席した信徒の話では、

'I have no memory of the Latin Mass from my childhood,' Anne McLaughlin said at St.Leo's. 'But for me it's so refreshing to see him facing the east, the Tabernacle, focusing on Christ.'
Her daughter Aine, 15, agreed and said, 'It's so much prettier.'

 やはり見かけの「物珍しさ」が受けているようです。

 でも個人的に引っかかったのがそのつぎの段落。

'The Mass was like this for 1,500 years, and it was changed by committee in the 1960s,' Joseph Dagostino, 35, said after a Wednesday night service at St. Andrew's. Joseph Strada, 62, said, “When you can change the liturgy, you can change anything.” Mr. Dagostino interjected, 'Like the church's teachings on abortion or the sanctity of life.'

 下線部、ブレンダンが活躍していた西暦507年から第二ヴァティカン公会議までずっとこのかた、一貫して「トリエント式」に代表されるような形式の盛儀ミサをつづけてきたような発言です。原始教会から中世にかけて、とくに西方教会ではベネヴェント式、ケルト式、アンブロシウス(ミラノ)式、ローマ式、モサラベ式、ガリア式とじつに地域色豊かな典礼形式が同時並行的に存在していた。このへんが東方のビザンチン教会系と大きく異なるところです。これにはゲルマン民族の大移動など、西ヨーロッパでは混乱した時代がしばらくつづいたからでもあるのですが、とにかくこれは誤解にもとづく言い方。そもそもトリエント公会議で決まったミサ式次第は大幅に簡略化して刷新した教会暦にもとづき、中世を通じてつづけられてきた慣習(膨大なトロープスやセクエンツィアのレパートリーなど)を大胆に削ったりしていて、それまでの式次第とは大きく異なります。中世のミサだって一枚岩ではなくて、たとえば修道院式と在俗教会式とあって微妙に中身が異なるし、おなじ「ベネディクト戒律」を掲げる修道院でも典礼重視のクリュニー系と手仕事による労働重視のシトー会系ではやはりちがいますし。本来長い連祷の一部だったとされる'Agnus Dei'は中世ではきちんと3回の嘆願句が繰り返されたのに、トリエント以後16-7世紀の教会音楽家はかならずしもこの3回の繰り返しを守って曲を書かなくなります。教皇庁付き作曲家の代表みたいなパレストリーナの場合は2回だけだったりする。いずれにせよトリエント以前のミサ式次第と、トリエント以後から第二ヴァティカン公会議までのミサ式次第はあきらかに別物と考えるべき。トリエント式典礼=中世西方教会伝統の式次第ではありません。

 記事にもどって…いまのところ、このラテン語によるミサをはじめた教区教会ではどこも信徒が詰め掛けて大盛況みたいですが、これがいつまでつづくのか…ほんとに根付くのかについては今後の追いかけ記事に期待します(笑)。ただ自分としては、ミサにラテン語を一方的に押し付けるようなやり方は賛成できない。記事に登場する教皇庁立グレゴリアン大学典礼学教授の先生も、第二ヴァティカン公会議で公認された各国語によるミサにあずかってきた全世界のローマカトリック信徒は、45年前にくらべれば完璧ではないにせよいまのほうがまだましだと感じている向きがほとんどのはずと述べたあと、こうつづけています。

'... They can understand the liturgy. Men and women are invited into celebration. There's greater diversity and a greater sense of ownership of the parish by the laity.'

 なにはともあれ、内容が理解できなければお話にならない。もっともなご意見だと思いました。

2). アンドラーシュ・シフが、ベートーヴェンのピアノソナタ連続演奏会をN.Y.でやっているそうです。これは作品の出版年代順に全32曲を弾くという企画で、初回と2回目が先月下旬カーネギーホールにて開かれ、好評だったようです。評者によると、シフの演奏は作品そのものと言っていいくらい自然な音楽が紡ぎだされ、自分の勝手なイメージにもとづいて作品を弾くのではなく、あくまでも作品そのものに仕える、作品がまず先にありきで、演奏者は後からついてゆくもの、というスタイル。ひじょうに端正で美しい響きなので、もっと荒っぽさというか形振り構わないところがときおりあってもよかったくらいだとも評しています。また評者の耳では、「テンポがやや速すぎる」部分があったらしい。裏を返せば、

I also think some of his tempos were too fast, but then, he would think mine too slow.

 けっきょく個人の好みというか、判断の問題なのでしょう。演奏者のシフにとっては、これこそが作曲家が理想としていた速さだと思ってそのテンポで弾いたのでしょうから。

3). 最後にこちら。おお、いつぞやのシモン・ボリバル・ユース・オケ!! 指揮者若いッ!! 26だって!! ほえーっ、これがあのグスターボ・ドゥダメルさんか! なんかすごいワイルドな印象! Timesの評者はけっこう辛口なんですが、総勢200余名、15-25歳という指揮者に負けず劣らず若いオケのレヴェルの高さと強烈な演奏にしてやられたのか、手放しで褒めちぎっています。

 この南米ベネズエラの若手オケは、N.Y.C.での'Berlin in Lights'というイベントのゲストとして呼ばれたらしい。だからこれが文字どおりN.Y.デビュー公演。最初がバルトークの協奏曲、つぎがショスタコーヴィチの「交響曲10番 ホ短調」という1時間の大曲。こちらの作品はなんとベルリン・フィルの常任指揮者ラトルが振ったというからもうすごいとしか言いようがない。ラトルも彼らの年齢離れした大熱演にいたく満足したようで、演奏が終わると指揮台から団員のみんなのなかにダイヴ! 二日間の公演ともにアンコールつき、それも「ウェストサイド物語」の「マンボ」! ラトルみずから客席のほうを向いては例のかけ声でお客さんにもハッパをかけていたらしい。

 このオケの団員もすごいとは思うけれども、このドゥダメルという人もまたすごい。8年前から指揮者としてこのオケを率いているというから、なんと18歳のときから! まるでバッハ!! もっともバッハはアルンシュタット時代、自分より年上の聖歌隊員ガイエルス・バッハと剣を抜いて一戦を交えたりと指導者としてはかなり問題があったようですが、このユースオケとドゥダメルの関係は一心同体というか、たがいの呼吸もぴたりあっている理想的な関係のようです。

 今日はシューベルトの命日でもありました…。けさの「バロックの森」はオール・バッハでしたが(お気に入りの「チェンバロ協奏曲 5番 BWV.1056」がかかっていた)。

お詫び: 最後の項目、元記事にリンクを張ったつもりでいたのに、リンクがありませんでした。m(_ _)m 最近この手の凡ミスが多くて、自分でもほとほとイヤになってくる。

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2007年10月14日

災難つづき >「糸車の聖母」、「アルジャントゥイユ橋」…

 最近の欧州はなんだかぶっそうだ。

 ここ数年、フランス国内だけでも絵画の盗難や絵画の破壊行為があいついでいます(→NYTimes記事)。南仏の美術館では8月、女が時価3億円相当のサイ・トンブリの絵(といってもなんにも描かれていないただの白いカンヴァスだけども…)になんとキスマークをつけるというあきれた事件が起きていますし(→関連記事)。ついこの前も、オルセーにあるモネの名画がなんと「げんこ(!)」で穴を開けられたり…(→関連記事)

 事件があった7日の夜は'White Night(Nuit Blanche)'という、アートと音楽のお祭りみたいな日で文字どおり「眠らない夜」ということで、通りに出て騒ぎ立てる酔っ払いどもが続出したらしい。オルセーに闖入した輩もそんな酔いどれ連中5人組だったようです。というか、芸術の本場であるはずのパリの美術館の夜間警備っていったいどうなってるの? というのが偽らざる感想。

 どうも文化施設の警護状況は海の向こうも芳しくないようで…日本でもいつだったか金塊が賊に盗られたということがあり、そのときも警備の手薄な季節と時間帯を狙っての犯行だった。パリをはじめ、欧州の美術館も財政難からなのか、似たような盲点を抱えているみたいです。今回は、夜間の館内解放というサービスが裏目に出たということらしい。

 それにしても絵にパンチを食らわす、なんて前代未聞。殴られたほうの絵も大迷惑。裂け目が4インチ近い…ということは10cmくらいはあって、けっこうな深手。それでも幸いなことに、修復は可能という。

 それにしてもこちらの想像以上に向こうは治安が悪いような気がする。日本人にも人気のあるオペラ座界隈も、じつは日本人観光客を狙う賊が跋扈しているとか聞きますし。美術評論家のマイケル・キメルマン氏の関連コラムには、最近続発する絵画への「破壊行為」の背景について考察していますが、こんなことも書いています。

 It's tempting to look for a grand, unified theory of vandalism, but the specific motivations of the people who attack art are clearly as diverse as the objects they choose to hurt. I admit that I wasn't entirely surprised to learn the next morning about the shenanigans at Orsay, having spent White Night in Paris, where I was awakened at 5 in the morning by the sound of drunken revelers inching along my hotel window ledge.

 いまひとつはこちら。4年前の8月にスコットランドの古城から盗まれたダ・ヴィンチの名画「糸車の聖母」(たいていの作品は知っているつもりだったが、こういうのもあったんだ。1501年に描かれたらしいというから、レオナルド49歳のときの作品ということになる)。世界中の警察機関がそれこそ血眼になって探しつづけてきたこの絵も、ついにグラスゴーにてぶじ確保。絵の取り引きのため現れた実行犯4人を逮捕。絵もそのときに発見したらしい(→国内の関連記事)。肝心の絵の状態ですが、すこぶる良好だそうで、まずはひと安心といったところ。でも残念ながらこの絵の所有者であるバックリー公爵は先月、絵の帰還を見届けることなく83歳で亡くなっていて、後を継いだ現公爵の息子さんがそのことを残念がっていました(→BBCの記事)。

 しかも関連リンクをたどっていくと、驚くべきことにこの手の盗難事件は氷山の一角、という感じで芋づる式に出るわ出るわ。ピカソの孫娘の自宅から絵画3点が盗まれただの(うち一枚はひょっとしたら上野で開催された「ピカソ 子どもの世界展」で見たかも)、名器ストラディヴァリウスが盗まれただのともうあきれるというか、これが古代エジプトがらみの遺物だったらあのカウボーイハットにジーンズの博士が烈火のごとく怒るところ。それにしてもいったいどのくらいの絵画がこうやって盗まれ、不正に流通しているのだろうか。3年前、ノルウェーのムンク美術館から白昼堂々、「叫び」の一点が盗まれ、昨年発見されたことも記憶に新しいですし。『チャコス写本』が公表されたときも「不正に流通する美術品市場」のことを書いたけれども…。

 盗難ではなく、破壊行為としてはこちらの記事が目についた。こちらは「きわどい」系の写真展だったようですが、バールや斧を手にした賊が閉館間際に堂々と押し入り、展示中の作品のうち7枚の写真をめった切りに切り裂いたという。たしかに作品も物議を醸すたぐいのものではあるが、実行犯はどうもネオナチの一派らしい。で、ここから先がある意味時代を反映しているのだが――なんと蛮行の一部始終を手持ちのカメラで撮影、映像をYouTubeでおおっぴらに公開していたという! ちなみに問題の動画はすでに削除されています。

 また、モネやシスレーの絵画4点が盗まれていたらしい。記事を読んでもっとびっくりするのは、9年前にもおんなじ美術館からおんなじモネの絵が盗まれ、そのときはなんと美術館職員が関与していたという!! そう言えば似たような本末転倒な話、エルミタージュ美術館でもあったっけな…。欧州よ、しっかりしろ! 自分たちの文化遺産を盗んで売買するとはまさにvandalismにほかならない。語源にされちゃったヴァンダル族だってそんなさもしい真似はしない?? …語源ついでにスペインのアンダルシア(Andalusia、スペイン語綴りAndalucía)という地方名も、ヴァンダル族のアラビア語読みに由来します(さらに脱線すれば以前、「決定的瞬間」で有名なカルティエ-ブレッソンの写真展を見に行ったときのこと。おばさまがふたり、アンダルシアのなんとかというタイトルのついた作品の前で、「アンダルシアって…犬よねぇ?」と話していたのを聞いた自分、「おお! ダリの『アンダルシアの犬』のことか!」と半分感心していたら…「ちがうわよ、それダルメシアンよ!!」orzorzorz...)。

 …関係ないけれどいま聴いている「気まクラ」。「どこ似てコーナー」に出てきた「これってホメことば?」とパッヘルベルの「カノン ニ長調」。大介さんはお情け(?)でヒット…と判定しましたが、あれはちっとも似てませんぞ(笑)。最後にかかったジョスカン・デ・プレのリュート曲、「そして地上には平和あれ」はとてもよかった。大介さんは演奏者のポール・オデットさんを絶賛していました。哀愁を漂わせつつそっと包み込むような柔らかい響きのリュート、たしかに秋にはいいかも。以前ヴィオール六重奏のフレットワークというグループによる「フーガの技法」を聴いたけれども、こんどはリュート合奏版を探すかな。大介さんはリュートを聴くと赤ワインを飲みたくなるらしい…では自分もスペインの赤(この前ここに書いたSegura Viudas Viña Heredadの赤)を飲むかなるんるん

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2007年10月01日

災害用としても役に立つかも

 電源のないところでも使えるノートPCとしてたとえば「手回しクランク付き」マシンがありますが、'One Laptop Per Child'、つまり発展途上国の子どもたちひとりに一台のPCを、という非営利団体OLPCの運動は今回Timesの記事を見てはじめて知りました。こういうのっていかにも米国らしい、壮大ですばらしい発想ではないですか。

 運動の提唱者はM.I.T.のメディアラボ所長の方で、一昨年くらいから100ドルで買えるノートPCの開発と途上国への売りこみをつづけているらしい(→関連記事)。ここにきてようやく試作機の評価をもとに台湾製マシン'XO'の正式な量産態勢に入り、運動はいよいよ本格始動するらしい。Times記事によるといまのところこの廉価マシンの売りこみという点については当の途上国側の反応はいまひとつのようですが、今回、クリスマス商戦にあわせて「399ドル払えば一台は税金控除扱いで途上国の子どもへ、もう一台はあなたのもとへ届けます」というキャンペーンを米国とカナダで展開、一般の消費者への知名度をいっきに高めて資金調達にはずみをつけたい考え。

 今回のキャンペーンで、かりに4千万ドルの寄付が集まった場合、10万台のマシンが途上国の子どもたちに渡る計算になるそうです。OLPCではイタリア政府が5万台買い上げてエチオピアへ配給する合意も取りつけ、またペルーやメキシコでも今後大量発注を受ける見込みとのこと。

 もともと途上国の子ども向けに開発されたマシンなので、米国内で販売するのは今回が最初で最後の機会になるそうですが、売れなくては話にならないので、国内販売にあたっては検討に検討を重ねてきたといいます。たとえば8月末には国内の子どもたちにじっさいに使ってもらって意見を集めたりもしている。で、「超ダサい!」という意見もなくはないが、「これなら温暖化も防げる」という建設的意見を述べる子もいたり、反応は上々だったそうです。

 かんじんの'XO'という名前のノート型マシンですが、見た目はちゃっちい…感じはするけれど、なかなかどうしてひじょうによくできています。まず途上国での過酷な使用環境にじゅうぶん耐えられる頑丈な設計になっていること、太陽光発電式充電器をそなえ、消費電力は一般のノート型マシンの10%かそれ以下というからすごい。OSはLinuxベース、もちろんブラウザにメーラー、かんたんなワープロソフトまでそなえた搭載アプリもすべてオープンソース。7.5インチのLCDはなんと1200x900pixelの高解像度、LCD画面じたいも太陽光がぎらぎら照りつける砂漠でもちゃんと見えるように造られ、1.5mの高さから落下しても壊れない、クランク式手回し充電などさまざまな電源方式に対応、しかも無線LANまで搭載(液晶画面の両側から突き出た「耳」みたいなものがアンテナらしい)…とこれは製品面から見てもひじょうに完成度の高い、画期的なノートPCではないですか(→関連記事)。

 で、日本では残念ながらこれは買えませんが、途上国の子どものために開発されたマシンとはいえ、たとえば震災などの非常時にもおおいに性能を発揮するのではという気がする。じっさいに現物を見てみたい。

 けっして西洋にかぎったことではないが、こういう話を見聞きするたびに、'Noblesse Oblige'ということばを思い出す。どういうつながりがあるかは知らないが、たとえば晴れて2代目The Choirboysのひとりとなったアンドリュー・スウェイトくんも、自分のCDの売り上げ金を中国山間部の寒村へ通じる道路建設のために投じ、また寄付を呼びかけてもいます(→現在の道路建設状況)。日本人でもたとえばカンボジアの村に井戸を掘ったり、自社製品をたずさえて途上国へ無償提供に赴く方もいる。ノーベル賞とは縁がないかもしれないが、こういう人たちの取り組みには頭の下がる思いがしますし、まだまだ世の中にはこのような'Noblesse Oblige'精神をもったすばらしい人々がたくさんいるというのも事実なのです。静岡つながりでは、二宮尊徳がはじめたという「報徳運動」がこれにあたるかもしれない。

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2007年09月22日

'Thin-Computing'って?

 先日のNYTimes技術関連記事から。情報技術分野では、あたらしい市場の火付け役となったり人々の行動を一変させるような技術革命は単独では出現せず、そういった革新があるていど蓄積されたあとで出現するもの。言ってみれば個人芸のソロではなく、「シンフォニー」。たとえば革命的とも言える個人使用のコンピュータ(PC)を可能にしたのはチップとソフト両面で長年にわたり進歩しつづけた結果だし、インターネットも数十年の試行期間を経て、多くの人が安価なPCに高速回線、高性能ブラウザを手に入れられるようになって爆発的に普及した。おなじことがnetwork computer, またはthin-client computerにも言えるとつづき、1990年代はさっぱり普及しなかったこの市場もこの10年の飛躍的な技術革新により、ようやく当初の構想が実現してきた…とあります。最初、このthin-client computer/thin computingという語を見て、てっきり「いまはやりの軽量薄型PC」のことかと早合点してました。そうじゃなくて、最近はどこの職場でも見かけることの多い、構内LAN経由でホストサーバーと結ばれた「安価で、セキュリティ面でも堅牢で、障害にも強い」コンピュータネットワークシステムのことでした。

 Wikipediaこちらの記事を見ると、おおまかに1). ネットワークブート、2). サーバーベース、3). ブレードPC、4). 仮想マシンの4通りがあるみたいです。そういえば以前、起動に失敗した職場のノート型クライアントマシンのエラー表示を見たら、'PXE-E51: No DHCP or BOOTP offers received'とかなんとか、こんなメッセージが出ていて、あとで調べてみたらどうも「Intel社のPXEネットワークブート型」のthin-clientシステムらしい。自分はSEでもなんでもないし、一介の末端人員にすぎないのでじっさいのところよくわからないが、Timesの記事を見てそのときのことを思い出した。

 たしかに何百台というPCをただつないだだけでは投資金額はべらぼうな額になるし、セキュリティ上なにかまずいことがあったらそれこそ一大事で復旧するまでこれまた膨大な手間とお金がかかる。だから「稼動OSもアプリもすべて中央サーバーで一括管理、LANでつながった子機(クライアント)には必要最低限の機能のみ」のほうが安上がりで維持管理がしやすいことはずぶの素人にだってわかる。とはいえまだ技術水準が追いついていなかった時代では、かつてのインターネットと同様、永らく研究開発はつづけられてきたけれどもなかなか当初の思惑どおりにはことは運ばなかった。けれどもここへきてチップセットの高性能化と低価格化が同時に進み、ブロードバンド環境が普及したこともあって、ようやく最近になってあらためて「古くてあたらしい」thin-computing技術があらたな市場として注目されるようになった、ということらしい。表計算などのオフィスアプリだって、バカ高い某社のソフトを買い込まなくたって、無償のOpen Officeや、あるいはまだ試験段階だがGoogle提供によるWebベースで走るまったくあたらしいサービスだってありますし、この点ではAjaxをはじめとしてWeb2.0の技術も一役買っている思う。たとえば医療機関で使用されるPC。以前はMRIなどを描画するグラフィック性能上の限界から、この手のthin-computingには不向きだと思われていたけれども、いまや安価なthin-clientマシンに相当数が置き換え可能になったとか、カリフォルニアのメリーズヴィル市警もノート型の――文字どおり「薄い」――thin-clientマシンをパトカーに搭載して州警察とのやりとりに活用しているとか、ダイエット商品会社も社内の全PCをthin-clientに切り換えたとか、米国での導入事例がいくつか紹介されています。コスト面ではほかにも、PCにくらべて格段に消費電力が少ないこともこの手のシステムの大きなメリット。環境にもやさしいというわけ。

 たしかにマシンじたいの価格差はたいして開きはない…のですが、維持管理にかかる費用で大きな差が出ます。記事にもあるWyse Technologyという会社はこの筋では最大手らしくて、個人向けPCの大手ヴェンダーであるHP社もこの手の会社の買収に積極的に乗り出しているとか(→関連記事)。つまりは

 ...: thin-client computing was a market that could not be ignored.

なのです(ちなみに記事中の画像に出てくるノート型thin-clientマシンはHPに買収されたNeoware社の製品みたい)。

 と、ここまで読んではたと気づく。こういう小回りのきいたというか、さらなる使いやすさを提供する商品とかサービスの開発って日本のほうが米国より秀でているんじゃないのか…と思っていくつか当たってみたら、売り込みはしているみたいです。たとえば日立とか、NECにもそういうラインアップがあるみたいですね(余談ながらIBM製のHDD、デスクスター/トラベルスターは何年か前に日立の一部門HGSTに買収され、PCショップに行くと日立のロゴのついたバルク品を見かけますが、HGSTはかなりの赤字つづきで苦戦しているみたいです)。

 昨年、けっこう話題になった「山田ウィルス」は、けっきょく「端末マシンにはデータを置かない」これらのthin-computingシステムではなく、ごくふつうのPCを職場で使用していたために引き起こされたということも被害を拡大した背景としてあると思う。私企業のみならず医療機関、警察、学校でも守秘義務というのは当然あるのだから、職場(仕事)で使う端末は個人が勝手に怪しげなソフトのインストールのできない、HDDすら内蔵しないこの手のthin-client方式にすべて切り換えるべきではないかなとこの記事を読んで思ったしだい。記事にも'No sensitive information, like criminal records, is stored on a notebook, which could be lost or stolen. “From a security standpoint, it’s wonderful,” Lieutenant Kostas said.'と書いてありますし。

 …とはいえ基本的な疑問なのだがこのthin-computingシステムって本家本元の中央サーバーが倒れたらどうなるんだろうか? まさかクライアントごと共倒れ…なんてことはないとは思うけれども。そう言えばいつだったかさるblogを見たら、大家のサーバーがこけたらしくて、「記事が消えるなんてことがあるんだ!」と慨嘆まじりに綴っていました。

 ほかのサービスではどうだかわかりませんが、いちおうここの大家(さくらのブログ)には「MTインポート/エクスポート」というツールが用意されていて、これで自分のマシン上にMTファイルをバックアップしたり、またそれを大家に転送できるみたいです…大家が倒れた場合、じっさいにはどうなるのかさっぱりですが…こんな駄blogでも記事数があるていどまとまってくると、やはりアーカイヴとしての価値というか、自分の書き残してきた記録でもあるし、これがいっぺんに消滅したらやっぱり本意ではないですし。みなさんも一度、利用しているサービスでバックアップが取れるかどうか、確認してみるとよいかもしれません――老婆心ながら。

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2007年09月02日

ギリシャの山火事

 ギリシャの山火事はほんとにひどいことになっています。山火事はおもにペロポネソス半島で発生していますが、アテネ北方のユービア島でも発生しています。

 NYTimes現地取材記事を見ると、火炎が松の実を激しくはぜさせながら自分の家に迫ってきたとき、その家の主である男性がとっさに使ったのが――なんとワイン(!)。「これしかなかった」と、まさしく窮余の策だったがこれでかろうじて自宅への延焼を食い止めたといいます。しかもおなじ方法で2年前にも山火事の類焼を防いだというから、さらに驚く。ギリシャの大規模山火事は今年に入ってなんと3回目。これでは「政府はいったいなにやったんだ!」と国民が怒り心頭に発するのも理解できる。

 今回の大火の犠牲者は記事では63人となっているが今日の時点でさらに増えて65人になってしまった。ギリシャ行政府は放火によるものとして捜査しているらしいけれども、NHKの報道と記事を見るかぎり国民はだれも政府の言い分を信用していない。ローマ教皇は放火犯を非難する声明を早くも発表したようですが、ほんとにこれ放火が原因なのか? 

 痛ましいのは迫る炎に気づいて車で脱出しようとした村人の話。町まで逃げようとして丘をくだる道路に出たはいいがすでにぐるりを炎に取り囲まれ、あわてて車を捨てて走って逃げようとするも激しい火炎ともうもうたる煙に巻かれてつぎつぎと命を落としてしまったらしい。犠牲者の大半は自宅に残って消火作業にあたっていた人ではなく、車や徒歩で村から脱出を試みた村人だったとのこと。なかにはたまたまヴァカンス休暇でアテネから来ていたという若い女教師が4人のわが子を必死にかばって抱きしめたまま倒れていた…という。記事見出し('In Greece, Wine Saves Life; a Mother’s Arms Do Not')はまさにそれを伝えています――おそらくは犠牲者にたいする同情の念と、無策なギリシャ政府にたいする怒りとともに。

 ワインで延焼を食い止めた男性は、「カラマンリス(首相)をここに連れて来い。やつの髪の毛ひっつかんで引っぱってきて、俺がどうやって火を食い止めたか見せてやる!」と憤懣やるかたなしです。自分もときおりワインをたしなむので、万一のとき、ワインが水の代用になるということは今回はじめて知ったけれども…('Wine is mostly water, and thus can also douse flames.')。またこれほどの大火になった一因として、オリーヴ畑のつづく丘陵地帯だったことも挙げられる(南欧はとくにそうですよね)。オリーヴ…は油分が多いから、まさしく「火に油」。最悪の事態としか言いようがない。当然、この地方のオリーヴオイル生産も壊滅的打撃を被っています。

 日曜に放映されるNHK総合の海外ニュースでもギリシャ大火のことが報じられていて、ザハロ市長が取材にこたえていたのを見ましたが、「山の上には火事の監視所もあるし、貯水タンクだってある」とかまるで他人事みたいなふぜいでしゃべっていた(ちっとも役に立ってないじゃないの!)。ある村人は「消防署に通報してもだれも出なかった」。放火云々…というより、こういう後手後手のお役所体質がここまで山火事を大きくしてしまったのではないのか。

 たしかにここ数年、欧州南部は熱波に襲われ、クロアチアやイタリアでも山火事が頻発(ちょうどそのころ英国中南部では記録的豪雨のため各地で河川が氾濫していた)。昨年はスペインでもありました。地球規模の気候異変あるいは温暖化の影響も否定できないけれども、ことギリシャにかぎれば毎年のように大きな山火事に見舞われているというのに、行政府の対応はいくらなんでもお粗末すぎやしないか。

 また、

...The descriptions from people who saw it were the same: flames moving at an unimaginable rate and no one apart from the police to help.

 とあるので、火勢の強い場所ではひょっとしたら「火炎旋風」のような現象が起きていたのかもしれない。これではたまらない。

 ワインで消火した男性の奥さんは、いとこにあたる、ともに70代の未婚の老人老女とともに逃げるとき、警察官から自分の車に同乗するよう言われたが、ふたりのいとこは唯一の財産であるロバを置き去りにするわけにはいかないと断り、ロバとともに徒歩で脱出する最中、火焔に巻かれてロバともども落命したという。記事の左側にはいとこふたりを亡くした女性が白のデイジーを手向けている写真が掲載されていて、こちらまでつらくなってくる。

週刊誌の記事で
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2007年07月22日

二段鍵盤ピアノ

1). 手で弾く鍵盤がふたつある、とくるとオルガンかチェンバロか…と思いきや、なんとかつてピアノにもそんな「変わり種」が存在していた! ということをこちらの記事にてはじめて知りました。20世紀初頭には欧州の有名製造元ベーゼンドルファーが50台ほど製造したけれど、88鍵だけでじゅうぶん…な楽器なので、ほかのメーカーはほんの数台作ったのみ、米国のスタインウェイにいたってはたったの1台しか製作しなかったという、文字どおり幻のピアノだったという。

 このけったいな楽器の考案者は、エマニュエル・ムーアというハンガリー出身の作曲家らしい。上段の鍵盤はごくふつうのピアノとおなじ象牙製で76鍵、下段は上段鍵盤を乗せる出っ張りのついた特殊な形状の鍵盤で88鍵、上下あわせて164鍵(!!)。てっきりチェンバロとおんなじように弦がそれぞれの手鍵盤用に張ってあるのかと思ったらそうではなくて、どちらもおなじ弦を共有。ではどんな仕掛けになっているかというと、記事を読むかぎりでは「上段鍵盤を弾くと、下段鍵盤側のオクターヴ高い同音鍵が同時に鳴る」、または「4番目のペダルを踏み込むと、下段鍵盤で弾いた音鍵のオクターヴ上の同音鍵が上段鍵盤で同時に鳴る(カプラーペダル機構)」んだそうです…。動画もあるので、ピアニストのテイラー氏によるデモ演奏を見たほうが早いかと思います…テイラー氏曰く、このdouble-keyboard ピアノで弾くのにもっともふさわしい曲はバッハの「ゴルトベルク」だとか。たしかに「二段手鍵盤つきチェンバロ」と――バッハにしては珍しく――楽器指定している数少ない作品だし、演奏作法としてもテイラー氏の言うとおり、「両手交差」などなかった時代の鍵盤作品の演奏としては「よりバッハ時代に近い」かたちかもしれない。

 と言ってもこの楽器の構造からしてバッハ時代のチェンバロとは似て非なるものなので、このへん微妙と言えば微妙ですが。「12度、またはそれ以上離れた音鍵が片手で同時に弾ける」という、この楽器ならではの弾き方はありますが、音楽的にはどうなのか。アルフレッド・コルトーはムーアの二段鍵盤ピアノで演奏していたらしい(録音が残っていないのが残念)。ラヴェルにいたっては、「自分の作品が意図どおりに演奏されているのをいまはじめて聴いた」と賞賛したり、音楽批評家サー・ドナルド・トーヴィーは1920年代、Encyclopedia Britannica のピアノの項目でこのムーアピアノを絶賛しているとか(ちなみにトーヴィーは「フーガの技法」最終フーガの補筆完成版も作ったりしていますが聴いたことなし)。

 いずれにしても上下段とも、おんなじ弦を叩いて音を出しているので、チェンバロのように音色の対比という効果はありません。テイラー氏自身も最初、この復元されたスタインウェイ社製ムーアピアノをどう弾いたらいいのかあれこれ試してみたそうなので、ムーアが目指していた響きを再現する弾き方はどうだったのかはわかりません。動画を見るかぎりでは、バッハの一部のコラール作品で見られるような、「定旋律を弾きながら上または下の手鍵盤の音鍵を弾く」といった感じで片手で上下段両方弾く(または指をスライドさせる)、という奏法を披露してました。バッハがこの楽器を見たらなんて言うかな?? 

 記事の出だしの'Jeopardy!'は、米国の有名なクイズ番組名。いま調べてみたら、Real Arcade にも同番組を模したオンラインゲームがありました(笑)。

2). 柏崎刈羽原発の被害は想像以上にひどい。TVニュースを見て目を疑いました。NYTimes はじめ海外メディアの関心も、地震で運転中の原発施設が被災した、というのは――当然ながら――いままで例がないから、どうしてもそこに集中します。AP通信配信のこちらの記事、すでに最新版に差し替えられて、自分が見た17日付けの記事とは内容が異なりますが、自分が見たとき、柏崎刈羽原発のことを'the world's largest nuclear plant in power output capacity'とあり、日本最大規模の原発=世界最大級とは恐れ入った。これほどの地震大国でありながら、この国の電力はあまりに原発に依存しすぎとしか言いようがない。デンマークみたいに自然エネルギーによる発電を早くから真剣に検討していた国を見習うべきだった。静岡には浜岡原発があるけれど、いざこのような「不測の」事態が起きたら起きたですぐ「想定外でした」のひと言でお茶を濁そうとする。そのくせ浜岡のときもそうだったが、原子炉増設のときの地元住民への公開説明会ではきまって「絶対安全です」と平然と口にする。自然はときとして人知のまったく及ばない恐るべき力を見せつけてきたことはいままでの歴史を見ても明らかなのに、いともかんたんに「絶対安全」とのたまう。自然に絶対なんてありっこない。「絶対」をつけると、そのことばを聞かされたほうはかえって不安を募らせるものです。今後は「絶対…」という科白を軽々に使わないでいただきたい。それより大切なのは、もっと具体的に「発災時にはこれこれの対策をとります」と周辺住民にたいして周知をはかることではないでしょうか。それでも最近は、なにか不具合があったときには新聞の折り込みに経過報告のチラシを入れるようになったから、以前にくらべればましにはなりましたが。とにかくへたに隠蔽工作なんかしないで、きちんと情報開示してください。というわけで、自分はこちらの方の意見にまったく賛成です。

 …それにしても、IAEAの調査申し入れを断るとは、首相周辺はいったいなに考えているんだか。新潟県知事がIAEA調査を政府に要請するにいたって一転、受け入れると方針転換するとは、お粗末にもほどがある。そう言えば17日付けのAP配信記事には'Officials ... acknowledged it took a day to discover about 100 drums of low-level nuclear waste that were overturned, some with the lids open.' とあって、じっさいそのとおりの画像をTVで見ました。幾重にも重なり、ひっくり返っている黄色のドラム缶の山! 17日の段階でかなり具体的に被災状況を伝えていますね。国内ニュースでそこまで報道していたところがあったかどうかはわかりませんが、すくなくとも自分は見ていません。

3). ハリー・ポッターの最終巻をめぐってひと悶着、震源地はなんとNYTimes書評欄だった、と聞いて、さっそく見てみました。ほとんど野次馬。原作者の逆鱗に触れたのはこの箇所らしい。

... and in this volume, the losses mount with unnerving speed: at least a half-dozen characters we have come to know die in these pages, and many others are wounded or tortured.

 たしかに「解禁直前」に一部でもストーリーをばらすような書き方はまずかったかも知れないが、このていどでもだめなのかな…というのが率直な感想でした(→関連記事)。

 また記事では、寄宿学校ものから探偵もの、果ては叙事詩的探求物語にまで広範なジャンルを融合させて発展する『ハリー・ポッター』シリーズの巧みな語りは、「ジョーゼフ・キャンベルの調査した英雄の神話的元型における重要証拠Aになるかもしれない」とキャンベル氏まで引き合いに出しておりました。

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2007年07月14日

油断は大敵 > 多剤耐性結核

1). 先日、NYTimes に気になる記事が。これだけではいまいち不明な点があったので、こちらの報道も見ました。アトランタの弁護士とかいうこの御仁、自身の結核感染を知りながら旅客機でヨーロッパへ新婚旅行、とはまたなんとも挨拶に困る話。たしかSARSに感染していながら、台湾から来日して観光旅行をしていた若い医者(!)の話なんかもありましたね。ただ不幸中の幸いと言うべきか、米国疾病対策センターC.D.C. に「超多剤耐性結核」と診断され、海外渡航するなと言われていたスピーカー氏が帰国後の先月1日にデンヴァーで強制隔離されたあと、各種検査の結果、すこしはましな「多剤耐性結核」だったことが判明したということ。とはいえAFPの記事にもあるように、感染症対策にはもっとも神経を尖らせている米国でさえ制度上の欠陥があることを露呈し、またCNNの記事ではそうとは知らずに同乗した飛行機の客9人がスピーカー氏に損害賠償訴訟を起こしたりと、すくなからずショッキングな事件だったようです。これだけ扱いが大きいのに、地元紙には―― USA Today 紙特約と謳っているけれど――なにも載っていませんでしたorz。

 いずれにせよ、感染症のこわさを知らない人がのほほんとウロチョロされてはたまったもんじゃない。最近は、若い医者で結核を知らない人もいるとか。「バチルス桿菌」の仲間の結核菌は、顕微鏡写真で見るかぎり、細くて寸詰まりな丸太みたいなやつで、インフルエンザウィルスやトゲトゲだらけのAIDSほどにはおそろしくは見えないけれど、結核をあなどってはいけない。エタンブトールとかイソニコチン酸ヒドラジドとか、すぐれた抗生物質があるとはいえ、結核はいまだに完治できない。「略治」というらしい。だから若いときにそれとは知らずに感染した人が、年を取り抵抗力が落ちたとたん発病するというパターンがひじょうに多い。結核菌は毒性はさほど強くはないが、抵抗力はやたらと強いので、石灰化してもその中で――宿主が死ぬまで――運命を共にするというか、冬眠状態で眠りつづけるらしい。なのでお年寄りの発病…はあるていどしかたないことではあるけれど、このように昔から人々を苦しめてきた感染症は、けっして過去の病気ではありません! と声を大にして言いたい。ついこの前まで騒がれていたはしか(麻疹)もそう。そう言えば、カナダに滞在していた修学旅行生のひとりがはしかを発病したため、保健当局が一行を隔離したり、帰国便への搭乗を拒否する事態になったりと大騒ぎでした。はっきり言って、米国やカナダからは「日本は感染症の輸出源」と考えられているふしがある。気軽に海外旅行するのもいいけれど、こちらとむこうとでは感染症にたいする警戒意識というか、危機意識がまるでちがうということを忘れてはいけない。

 しかし…スピーカー氏の新妻って…相手が重篤な結核に冒されていると知ってか知らずか、よくもまあ新婚旅行までしましたね! こちとらあきれて口あんぐりです。

2). 先週発売されたApple 社のiPhone。先日もここで取り上げたけれど、こぼれ話的な記事もありました。長いこと行列を作ってまでしてようやくお目当ての品を手に入れ、ガッツポーズする人…なんかはTVのニュースでも見たけれど、要りもしないのにiPhone をいくつも買って、その足でeBay とか、オークションサイトに出品する輩も大勢いた、というお話です。…行きもしない演奏会のチケットを買っては金券ショップで換金またはオークションで転売する輩も多いから、ご時世といえばそれまでか(でも最近では転売チケットでの入場は却下される場合がほとんどなのでご注意)。でも残念でした、だれも買おうという人はいなかったようで…けっきょく返品期限内に商品を捌くことができず、泣く泣くAppleストアに返品する、という光景が各地のApple ストアで見られたとのこと。もっとも店舗側も品薄なので、返品したはじからそれを購入する客が出てきたり。こうした「先物買い」に走った人は、任天堂のWiiのことが念頭にあったらしい…そのときは需要予想を誤ったことから極端な品薄状態に陥り、ノドから手が出るほどほしがっていた人相手にオークションサイトで売りさばいて荒稼ぎするということがあったそうです。言わば二匹目のドジョウを狙ったわけですが、今回はまるでアテがはずれたというわけです。

3). NYTimes の直接引用ではないけれど、最後にこちらを。ニューヨーク州もワイン産地だったとはまるで知らなかった。でもNYCってたしか「酒類を丸見えの状態で持ち歩くと罰金」だったような…それと公共の場所、たとえば公園でお花見の「酒盛り」を開けば即逮捕されるので要注意。州によって法律が異なるけれど、ことお酒にかんしては米国は日本ほどには甘くはないので、「買った酒はホテルなどに持ち帰ってから飲む」ようにしたほうが無難ですね。

 …どうも台風がこっちめざして来ているみたい…雨も降りっぱなし、ますます雨脚が強くなってきた。すでに近所では河川が危険水位に達し、一部で緊急避難がはじまっています。2004年10月に堂ヶ島に上陸して伊豆半島を突っ切った台風22号のことが頭をよぎります…。はやく通過してくれるといいですが。

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2007年07月04日

iPhone騒動、マグロ騒動

1). iPhoneフィーヴァーぶりを伝える先月27日付けのNYTimes の記事。気の早い人は数日前から寝袋一式など完全装備で最寄りのApple ストア前に並んだり。先日、国内ニュースでもその加熱ぶりを報道してましたね。

 記事中に引用されているiPod 情報サイトの編集長という人が言っているように、昔からジョブズという人は新製品の売りこみにかけては天才的です。ついせんだって開催されたApple 関係開発者向けイベントでも、iPhoneや次期OSXのみならず、Windows 版Safari まで発表したりと話題づくりがほんとうにうまい(とはいえこちらのほうは、「またWindowsユーザーに媚を売って!」と一部から不興を買ったのか、株価がいっとき急落したとか[...Shares of Apple dropped sharply after the announcement, falling $4.30, to $120.19.]。→関連記事)。ちなみにWindows版Safari、最近Apple の好きな'Public Beta' とかいうテスト版で、リリース直後から「深刻な critical」バグだの脆弱性だのそれこそごろごろ(苦笑)。どうしても使いたい向きは、次期OSXと同時に出る正式版を待ったほうがいいかもしれない(というか、やはりSafari ブラウザはOSXの付属品として使うのが正解のような気がしますが。でもちょっと気になる存在ではある。選択肢が増えることじたいは大歓迎ですけどね)。記者の取材を受けた編集長いわく、「半年も前から新製品の告知を出して、その間大衆の関心を維持するのみならず、熱狂にまで高める。そんなことができる会社がいったいいくつあると思う? 驚異的としか言いようがないね('Ask yourself how many companies can announce a product six months in advance and not just sustain public interest but even build the frenzy. It’s staggering to me.')」。

 そのすぐ下の段落、「この手の派手な予告宣伝はなにもいまにはじまったことではない」とつづき、その例として挙げられているのが

 Just ask any 12-year-old Harry Potter fan or middle-age Star Wars cultist. Last year, video game addicts slept on sidewalks outside Sony stores to be the first to buy the PlayStation 3.

だそうでして…中年のSW ファンで悪かったわね(1978年、小学生のときに映画館で見て以来、けっきょく最後まで見届けた口 orz)!

 記事を見てゆくと、あれれ、どっかで見たような名前が。MySpace はじつはSpam2.0 とも言うべき代物だとぶった、若きジャーナリストの卵氏と同姓同名の人が出てくるではないか(→詳細はこちらのblogで)。これって同一人物なんだろうか?? でも'Web developer' なんて肩書きですね(別人??)…。でもまぁ、みんな熱心ですねぇ。当方、並ぶのが大嫌いな人なので、「行列のできるイタリア料理店/ラーメン屋」のたぐいにははじめから行かない。長時間待たされくたくたになったあげく食べたって、おいしくなんかないですって(苦笑)。ただたんにあまのじゃくなだけかもしれないが。あ、でもこの前「ホクレア号」を撮りに行った帰り、横浜駅・相鉄ジョイナスの地階レストラン街の一角にある洋食屋のオムライスはおいしかったです。

 話をもとにもどして…iPhoneはほしい。でも――自分みたいに――長い行列を作ってまで待たされるのはもっとイヤだ、そんな向きには――世の中いろんな商売があるもんだ――なんと代書屋(これって死語?)ならぬ、代理で並んであげましょう、という人に頼むという手もある。出向く前日より場所をキープしたい場合は250米ドルから、なんて宣伝を出して客集めした人もいるとか。またこのサンフランシスコ在住の27歳のWebエンジニア氏の場合、

 Within hours of posting his offer to sit in line at the Apple store in San Francisco for $300, Daniel Roberts, 27, a Web engineer, said he got three takers.

かなり見入りのいい臨時収入ですね(ん?)…。

2). つぎはこちらの記事。世界的な本マグロ(blue fin)の総数減少により、マグロの価格が急騰、マグロなしでは生きてゆけない人の多い日本ではちょっとしたパニックに、という東京発の記事です。いまさっきちょこちょこ検索してみたら国内でも解説したサイトがいくつか見つかるので、詳細はそちらへ丸投げというか、割愛(→米国発ニュースを日本語で要約しているサイトの関連記事)。ただ二点だけメモしておきます。

So far, top sushi restaurants have avoided the shortages by paying top yen for premium bluefin caught off domestic ports like Ouma in northern Japan.

はて「オウマ」ってどこだろ…と思ったら、なんだ、青森の大間町のことか!! orz 自分は高級マグロとは縁のない人なので、これ見たとき瞬時にどこだかわかりませんでした(近くに有名な景勝地・仏ヶ浦がありますね)。

 このヘンテコな地名表記を見て思い出したのが、ティム・セヴェリンのThe China Voyage。この復元古代船(厳密には筏)航海記にも日本語の固有名詞について、負けず劣らずヘンテコな読み方が出てきます。たとえば「泡盛」。これが'Omori' になっていたり、「ありがとーッ!」が'origato!' になったり…でもこれはいたしかたないか…(『誰も知らない』で柳樂くんがカンヌで主演男優賞をさらったとき、その作品を紹介したビデオクリップで、NYTimes の映画担当記者が'Yuya Yagira' と言うべきところを'Yayu Yagira' と発音していたのもついでに思い出しましたorz。でも人の名前くらいきちんと発音してよ、と言いたい)。

 ふたつ目は、出だしの一文。

 These are some of the most extreme alternatives being considered by Japanese chefs as shortages of tuna threaten to remove it from Japan’s sushi menus ― something as unthinkable here as baseball without hot dogs or Texas without barbecue.

テキサスってそんなにバーベキュー料理が盛んなのか、とか思っていたらほんとにそうらしい(→Wikipedia関連記事)。こちらのスナック菓子の名前にもなっているくらい。勉強になりました(しかしアボガド巻きって…いったいなんなんだ。マグロ急騰のあおりを食らった「回転」しない寿司屋でさえ、米国の寿司ネタを試験的に取り入れている店があるとか…そんなにいまの現状はひどいのか? まるで実感ないけれど >記者のマーティンさん)。

 これはむしろ、日本以外の国でマグロ消費量が急増したのも要因ではないかと思うが。記事中にも

 The problem is the growing appetite for sushi and sashimi outside Japan, not only in the United States but also in countries with new wealth, like Russia, South Korea and China. And the problem will not go away. Fishing experts say that the shortages and rising prices will only become more severe as the population of bluefin tuna ― the big, slow-maturing type most favored in sushi ― fails to keep up with worldwide demand.

 って書いてあるし。水産庁の統計では、日本での本マグロ3種あわせた年間消費量は全世界の漁獲量のおよそ4分の3、6万トンだという。

 記事見出しは、ほかのblogにも書いてあるように、わりと知られたジョークのもじり。ときおりこんなふうになにかの引用もしくは下敷きにした言い方がなんの前触れもなくひょこっと顔を出したりするので注意が肝要です(と、これは自分自身への戒めでもある)。たとえば昔読んだ『くまのパディントン』シリーズ。その中に、'...he had something up his paw' という一節がありました。これもよく使われる慣用表現、'to have something up one's sleeve' をもじったもの。paw となっているのは、もちろんパディントンがクマの坊やだからです。

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2007年06月23日

グランド・キャニオンのSkywalk

 またしても「古い」話題ではあるが…。先月19日付けNYTimesこちらの記事。今年の3月、グランド・キャニオンにあらたな観光名所がオープンしまして、その評を書いています。

 グランド・キャンニオンでこんな人工物をこさえていいものなんだろうか…と思っていたら、峡谷の西端地域(Grand Canyon West)は国立公園ではなく、1883年に地元部族ウァバパイ族に居住区として譲渡された土地なので、おおがかりな誘客用の人工物を作ってもとくに問題はなかったらしい。

 グランド・キャニオン西端地域は有名なサウス・リムよりずっと下流に位置し、ラスベガスから車で2時間ほどとわりと利便性はある…とはいえ、道中はダートなので、4輪駆動車でないとけっこうきついみたいです(→日本の取材記事)。飛行場の近くからシャトルバスが出ていて、総工費は3.000万ドル以上。ラスベガスの旅行会社オーナーが費用を出したそうで、いまはアジアからの観光客を呼びこんで工事費を回収しているとか。ようするに先行投資というわけです。

 このSkywalk と名づけられた橋は絶壁から約20m、谷底からの高さ1.200mと、文字どおり空中に突き出した馬蹄形の歩道橋で、床面がガラス張りになってます。ガラスは5重構造で、ひじょうに頑丈にできてはいるけれど、入場者はガラスを傷つける恐れのある所持品(カメラも!)はすべて手荷物預かり所に預けて、足元を黄色のビニール袋みたいなカバーで覆ってからはじめて橋の上を歩けるようになります…もちろん入場料というか歩行料金はとられまして、居住区に入る費用負担とあわせて74.95米ドル。ほかにもいくつか料金プランはありますが、ようするにこの歩道橋を体験してみたい人は、なんらかのパッケージツアーを選ばなければならない。

 この値段が高いのか安いのかはべつにして、すぐそばの崖っぷちに立てば、じゅうぶんおなじ「目のまわる」感覚は味わえると記者。ではなんでこんな人工物を谷に作ったのか、というと、地元先住部族の意向が強く働いたためと言います。すぐ近くのラスベガスには賭博産業がある。ここで生きていくためには先祖伝来のこの土地にもっともっと多くの観光客を引き寄せるなにかがないとだめだ。ここは国立公園化されているサウス・リムとノース・リムにくらべて峡谷の深さ、落差、景観という点でやや迫力に欠ける。それなら谷を見はるかす絶壁からガラス張りの歩道橋をかけてでも誘客しなくては、ということのようです。

 記事を読んだとき、観光地はどこもみんな似たようなもんだな…と思った。伊豆半島もそうだし。昨年の暮れだったか、「伊豆ナンバー」というご当地ナンバーが誕生したのも、観光地伊豆を全国的にアピールする道具として期待されているという側面があります。人工物という点では先日の記事にも書いたことの繰り返しになりますが、まず自然環境ありきでお願いしたい。スカイウォークの例では、今後さらに観光客を増やすために、スカイウォークを核としていろいろな施設を建設する計画らしい…未舗装道路はすべて舗装、飛行場もジェット機が着陸できるように拡張(すでに工事中)、カフェにレストラン、ビジターセンター、Imax映画館(!)と目白押し。スカイウォークができるまでは一日当たりの観光客が400人ていどだったのが、いまでは1.500人と倍以上に急増。計画中の施設すべてが完成した暁には、一日当たり5-6.000人の観光客を見込んでいる。ただし問題は、いまのところ軽油燃料の発電機に太陽電池しか電力設備がないこと。こんな貧弱なインフラでは今後建設される「スカイウォーク複合施設」すべてはとうていまかなえないという。

 いまさっきTVのクイズ番組でこのへんのことを取り上げてまして、スカイウォークも写ってました。たしかに集客施設や観光客の利便性を考えた施設というのはあるていどは必要だろうし、先住民にとっては生活がかかっていることは理解できる。でもやっぱりこういう場所は「自然景観」じたいが売り物なので、ようは自然環境にあまり手を入れず、見た目も邪魔にならないていどにすべきでしょう。そういう視点で見ると、ちとやりすぎかな? という気はします…。

 西伊豆の場合だと、3年前にできた黄金崎の木製展望台。とくにボートとかに乗って海から見上げると、売り物の「黄金色の断崖絶壁」というより、展望台デッキのほうがやけに目立つ…それでも雨の日など、崖っぷちの遊歩道はすぐ滑りやすくなって危なかったから、観光客の足元を考えると致し方なかったかもしれない。もっとも数十年前、崖っぷちには手すりとか柵さえなかった。堂ヶ島の場合だと、沢田公園というところの一角に絶壁のふちをくりぬいて作った露天風呂があって、入湯料が500円なのはできたばかりのころから変わってなくてけっこうながら、「国の名勝指定」区域であるため、本来は文化庁の許可を取ってから作るべきところが無許可で掘って店開きしてしまったのがまずかった。この問題、いまは丸く収まっているのかどうかは知りませんけれども。

 記事にもどると、国立公園として管理している「国立公園局NPS」のほうが、かつて強敵だった新興移民国家が先住民の「聖地」を守り、先祖伝来の土地を守るべき先住民族側が積極的に開発に乗り出しているといういわば「逆転現象」について触れたあと、ここには日々の喧騒や仕事から離れられるトレッキングコースとか、国立公園側にはきちんと用意されているものが欠けている点を指摘しています。

 集客施設…もいいけれど、なにごともやりすぎは逆効果になりかねませんね。なんといっても大自然あってのキャニオンですから。

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2007年02月26日

ふたつの紙面から

 ほとんど備忘録。手短に書きます。

1). せんだってNYTimes電子版を見ていたら、このようなローカル記事に目がとまりました。2学期制が一般的な米国では新入学の季節は9月なのですが、新入学シーズンでもなんでもないこの寒い季節に、ニューヨーク市当局がスクールバス路線の大幅見直しにもとづく路線統廃合を実施、新路線・新運行時間となった翌朝から親御さんたちと子どもたちは大混乱、ということを伝える内容。ブルームバーグ市長いわく、市当局はかねてから周知徹底を図ってきたし、バスが必要ない生徒のいる地区にまでバスを走らせていた従来の無駄遣いをなくしただけ、「バスを必要とする生徒のいる地区にのみバス路線を維持し、そうでない生徒のいる地区を受け持つバス会社には税金を使わないようにしているにすぎず、限られた予算内で手助けできる人に手を差しのべるにはどうすれば効率的かを考えなくてはいけない」と釈明…でもじっさいには説明の食いちがいのせいで来るはずのバスが来ない。またある生徒などバス停で40分待てど暮らせどバスは来ず。「このままじゃ凍えちゃう。ぼくの足先にはもう感覚がない」とけっきょく父親に電話して車で送ってもらうことにしたとか。さらには運行時間に大幅な遅れが出て、文字どおりすし詰め状態で登校したとか。対象地区に住む父兄の多くが、変更の一週間前になるまで市当局からなんの通知も受け取らなかったとか…。市当局側は、ほんとは新学期にあわせて実施するはずが父兄に周知するのに時間をとられ、またバス会社からも路線変更中止命令を出してもらおうと裁判沙汰にされるなどで、計画を何度も延期せざるをえなかったなどと言い訳しています。

 もし学校までの距離が徒歩1時間圏内であれば、暖かい季節ならばむしろ歩いて登校したほうがいいような気もしましたが(小学生の時分、毎日30分以上かけて歩いて登校してました。いまでもなるべく歩くようにしています)、これではやはり父兄も子どもも納得せんだろうなぁ。…と思ったけれども、日本と単純比較はできないとはいえ、1時間くらいだったら歩いたほうが速いんじゃない? 大雪でも吹雪でも歩け、とは言いませんが。

2). こんどは地元紙。けさの朝刊に、南極大陸のかつて棚氷で覆われていた海域から、12本の脚をもつヒトデや新種とみられる甲殻類、深海魚が見つかった、という記事を見ました。おりしもつい先日、2040年夏には北極の海氷が消滅するかも…という記事を見たばかりだし、今年の異常な暖冬ともダブってなんだかうすら寒くなりました。気候変動…というのはいくらデータをかき集めてスーパーコンピュータに計算させても完全にはつかめない…つかみようのない研究分野だと思いますが、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の報告を待つまでもなく、この100年で急激に平均気温が上昇したはあきらかに「人間活動の結果」と言えるでしょう。そしてこれは前々から思っていたことですが、半世紀ほど前の写真とくらべて、どうも西伊豆の海岸に打ち寄せる海面の高さが若干上がっているような…とくに大潮時なんかは。たとえば安良里漁協前の岸壁なんか、以前だったら大潮のときは海水が岸壁ぎりぎりにまで上がることはあっても超えるほどではありませんでした(長年漁師をやってる伯父もそう言っている)。ところが最近では、なんと海水があふれて漁協前は完全に「冠水」してしまうようなのです…岸壁だけにとどまらず、漁協前の道路まで浸水するとか…。で、じっさいに海面の高さは過去100年でなんと20cm近くも上昇していると聞いたとき、自分の感じていたことは思い過ごしではなかったと確信するようになりました。『不都合な真実』という本も話題になってますね。ウェンデル・ベリーの本に、「自分の生活は一般的なものにすぎない、というのはもはや言い訳にはならない」みたいな一文があったのを思い出します。つまりは各人がよっぽどつましい生活、環境に負荷をかけない「生き方」を選択しないかぎり根本的な解決にはならないという趣旨だったのですが、ベリーの求めるレヴェルは無理かもしれないが、これはひとりひとりが真剣に取り組まなければならない問題…だろう(こんなもん書いている場合じゃないか)。

 …さて本日の朝刊には地元の大学2校の前期試験問題と解答も掲載されてまして、ついでに見てみるとここでも引用したくなってしまいました。

 ↓に引用するのは「『英語』というと、単一の言語、というふうにとらえられがちだが、書き言葉はともかく、話し言葉の場合には人それぞれに身につけた固有の『方言』がある。方言にはそれぞれ正しい・正しくないという区別もなければ、上下関係もない。あるのはちがいだけだ」という論旨の、colloquialな英語における「方言」について書かれた文章です。

 ... It is also important to point out that none of these combinations --- none of these dialects --- is linguistically superior in any way to any other. We may as individuals be rather fond of our own dialect. This should not make us think, though, that it is actually any better than any other dialect. Dialects are not good or bad, nice or nasty, right or wrong --- they are just different from one another, and it is the mark of a civilized society that it tolerates different dialects just as it tolerates different races, religions and sexes. American English is not better --- or worse --- than British English. The dialect of BBC newsreaders is not linguistically superior to the dialect of Bristol dockers or Suffolk farmworkers. There is nothing you can do or say in one dialect that you cannot do or say in another dialect.

…ちょっと引用部分が長かったかな…設問は下線部を和訳せよというものです。

 現役高校生で、これ見て一発で文意がわかった方は、高校英語がきちんと身についていると自信をもっていいと思います…すくなくとも自分はそうじゃなかった。orz 

 文意は「一方の方言で言い表せるものが、ほかの方言では言い表せない、なんてことはない」です(正答例はもっときちんとしたことばで綴られた模範訳。さすがはプロ。自分のはちょっと言い方をくずしてみました)。ポイントは、nothingにうしろふたつのclauseがかかっている、ということがわかるかどうか、かな。

 もしこれ見てわからなくても、悲観することはありません。いまや英語は金なんか出さなくても、その気になればWebを駆使して、家にいながらにして学べるという、ある意味たいへん恵まれた時代に生きているのだから(自分のころは当たり前だが場所を取らない電子辞書なんてものもなかった。ひたすら紙の辞書をひきひき…紙の辞書でいまだに現役なのは『リーダーズ』くらいかしら…)。たとえばNYTimesみたいな海外新聞の電子化がひじょうに進んでいるからそれらを利用するもよし、海外のメル友を作るもよし。もし金をかけてもNHKのテキスト代くらいでじゅうぶんではないでしょうか。英語にかぎって見ても、いまのNHKの語学番組の質の高さはダテじゃありませんよ。あ、今夜は仏語会話に伊語会話だ、見なくては! 先週はなんとダンテ・アリギエリ(え、知らない? 世界史の教科書のどっかにかならず書いてありますよ)の墓まではじめて見ることができたし…。

 …けっきょくあんまり短くなってない…。orz

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2007年01月23日

スコット先生のブクステフーデ連続演奏会

 「今年注目の人」とは…じつはこちら。自分にとっては今年はシベリウスイヤーではなくて、ブクステフーデイヤーなのです。

 現在、5番街にあるこの有名な聖トーマス教会音楽監督兼オルガニストをつとめるのが John Scott。かつてセントポール大聖堂聖歌隊でバロウズ三兄弟やアンソニー・ウェイなど優秀なコリスターを育てた名伯楽、あのジョン・スコット先生なのです。ここの教会音楽監督の地位に就任したのが 2004年のこと。現在セントポールの音楽監督兼オルガニストをつとめているのはもとウェルズ大聖堂音楽監督・聖歌隊長にして作曲家のマルコム・アーチャー。セントポールと言えば、今週の'Choral Evensong' で生中継されますね。

 ディートリヒ・ブクステフーデは一説によるとデンマーク出身らしい…『新グローヴ』にはドイツ出身と書いてあるらしいが … 記事の冒頭、ペンシルヴェニアにある大学の生徒が一昨年、バッハが徒歩でリューベックに旅立ってからちょうど 300年の節目の年 (1705年) だからと、バッハの誕生日 (3月21日) にあわせてニュージャージーからニューヨークのマンハッタンめざして33マイルの距離を3日かけて歩きとおした…んだそうです…なんだか3そろいですが、もちろんこれは学校のスケジュールと折り合いをつけるため。で、目的地に到着したあと、てっきりどっかの教会で当のブクステフーデのオルガン曲でも聴いたのかと思いきや、あいにくそのようなコンサートはなくて、けっきょくリンカーンセンターのエイヴリー・フィッシャー・ホールにて NYフィルによるメンデルスゾーンを聴いて帰ってきたらしい。ま、バッハつながりだからこれでもまだ妥当な線かもしれませんが…。

 ここの教会のオルガン…記事を見たあとでオルガンビルダーのサイトにて仕様を確認すると、たしかにスコット先生の言うとおり、おなじ北ドイツオンガン楽派の作品を演奏するんならセントポールよりこちらの楽器のほうがふさわしいですね(→教会サイト)。実働ストップ数21、2段手鍵盤と足鍵盤というちんまりした構成、送風装置もなんとバッハ時代の手動式(!)まで備えるというある意味本格派。これなら停電しても大丈夫?! 何人か「ふいご係」が必要ではあるけれど…。そしてこれは妄想ながら、この楽器がブクステフーデ作品の演奏にふさわしい北ドイツ型オルガンのレプリカならば、おそらく現代のアーレントオルガン (東京御茶ノ水のカザルスホールにもあります) のような、よく澄んだ、乾いた音色を奏でる楽器のような気がします。

 NYTimes の記事にはもちろんバッハが「夕べの音楽」を聴きに行った有名な逸話にも触れていまして、バッハが休暇を4週間から勝手に 4か月 ( ! ) に延長してリューベックに居座りつづけたことについて、スコット先生は「離れがたいなにか」があったにちがいないと述べています。けれどもブクステフーデの自筆譜というのは現存しておらず、現在伝えられているのはおそらくブクステフーデの即興演奏を記譜した弟子たちの筆写譜。なかには「偽作」もあるとか…それゆえ研究者・演奏家にとっては演奏上、いろいろと難題をはらんでいる…バッハでさえ何十年も研究者を振り回しているくらいなので、このへんはいたし方ないところでしょうか。

 記事中、「われらがイエスの四肢」なる声楽曲はいまだ聴いたことなし。今年にあわせてこの作品を収録した新譜が2枚、出たらしい。「バロックの森」にでもリクエスト出そうかな? またオルガン曲として引き合いに出されている'Prelude in C'というのは、たぶん「前奏曲、フーガとシャコンヌ ハ長調 BuxWV.137 」のことだろうと思う。念のためこちらのサイト(よくこれだけ作ったなぁ…バッハやパッヘルベル、モーツァルトもあるし…世の中にはすごい人がいるもんだ)で確認しても、ほかに「ペダルパートのソロ」で導入される自由オルガン曲はこれしかないみたいですし。この曲は20年以上前、NHK-FMでエアチェックしたことがあります(大掃除のとき取り出したカセットをついこの前まで聴いていた)。また紹介したMIDIサイトに掲載されている「トッカータ ニ短調 BuxWV.155 」*。 これ出だしなんかほとんどバッハのあのトッカータ BWV.565そっくり!。この曲をやはりNHK-FMで聴いたのもだいぶ前になるけれども、解説書のたぐいを見てもこの作品とバッハのトッカータとの関連性に触れたものは見たことがない。もしこの曲の作曲年代がバッハの「リューベック詣で」以前とすれば、おそらくバッハも聖マリア教会で尊敬する師匠の生演奏によってこの曲(もしくはこのような感じの即興演奏)を耳にしたはずです。両者の終結部も雰囲気が似てますね。あと目新しいところでは「パッサカリア ニ短調 BuxWV.161 」とバッハ唯一のパッサカリア(BWV.582、ちなみにバッハはシャコンヌもパッサカリアもたったひとつしか、それも独奏曲としてしか残していない)との類似性について。以前、自分はアンドレ・レゾンの主題から着想した…という説を信じていたのですが、新ブクステフーデ全集編纂に参画している米国人オルガニストのクリスティ氏によると、「疑わしい」。バッハ版パッサカリアにしても、いまだに作曲年代がまちまちで、ヴァイマール時代と書いてあるライナーもあればケーテン時代の作、としているものもあったり…ヴァイマール以前、なんてのも見たことがあります (いったいどっちなんだ ?! ) 。orz

 名オルガニスト、ジョン・スコット先生のブクステフーデ・オルガン作品連続公演は先日の日曜(21日)からはじまり、不定期に5月下旬まで開催される予定とのこと。この手の音楽が好きで、ニューヨークへ出かける予定のある方は行ってみる価値はおおいにあると思われます(しかもなんと無料!! なんとぜいたくな!)。

 …NHK-FMの「ベスト・オヴ・クラシック」。昨夜はマーラーの 6番「悲劇的」でした。全曲聴く機会はあんまりないから、とてもよかった。

トッカータ ニ短調 BuxWV.155の動画
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2006年06月12日

Da Vinci Clone?

 まだ観に行ってないなぁ、The Da Vince Code…とそんな折りも折り、こんどは原作本についてあらたな盗作疑惑が

 震源地はVanity Fairに掲載されたセス・ムヌーキン氏の書いた'Da Vince Clone?'。→NYTimesの関連記事

 今回の疑惑は、以前ダン・ブラウン氏相手に訴訟を起こして負けた、米国人作家ルイス・パーデュー氏が2000年に出版したDaughter of Godというミステリに、プロットが酷似している、というもの。それとダ・ヴィンチがロボット(からくり人形?)を考案していた、という説を唱える、おなじく米国のロボット工学の専門家マーク・ロシェイム氏の描写とそっくりな箇所があるとも指摘しています([]内は『ダ・ヴィンチ・コード』の該当部分)。

 プロットのどのへんが酷似しているのか、というと、

  • 米国人女性美術館長がスイスへ飛んで老収集家に会いに行く[米国人記号学者がルーヴルの館長に会いに行くため渡仏する]。

  • 老収集家の目的は人類の歴史を変えかねない古代宗教の秘密を伝えること[史上最大の秘密のひとつを明かすこと]。

  • 老収集家もルーヴル館長も秘密の暴露を恐れる何者かによって殺害される

  • 両者ともテーマになっているのは初期キリスト教における女性の秘められた役割。

 …という感じなんですが、ついでにAmazonで冒頭部分をちょこっと「立ち読み」しますとスイスの老収集家の邸宅へ招かれる場面ではじまりなにやらおもしろそう…しかもヒロインの名前がZoe、その夫で刑事というのがSeth。これってひょっとしてグノーシスがらみ?? 物語じたいは上記著者サイトによると、Sophiaという4世紀はじめに異端のかどで処刑された預言者(?)をめぐる話らしい。その謎解きのカギは、おなじく美術品の中に隠されている、ということです。

 …個人的にすぐ目にとまったのは'On the wall above a gilded harpsichord, she spotted a Tintoretto that she knew ...'のくだり。やっぱりチェンバロ(英名ハープシコード)のイメージってどうも貴族趣味というか、金持ちの邸宅になってしまうのかな…。

 『原典 ユダの福音書』などもふくめて最近のグノーシスブームについて書こうかと思っていたけれど、気が変わってこちらのほうを先に書いてしまった。
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2006年01月23日

NYTimesの記事から

 新年最初の月もはや後半にさしかかってきましたが、米国の読書界では正月明けからこの本の話題でもちきりです。

 こちら、なんと400ページを超える、『ハリー・ポッター』にせまる分厚い本で、MEMOIRと銘打っています。

 autobiographyもmemoirもrecollectionsも日本語にすれば「自叙伝」あるいは「回想録」というジャンルになると思いますが、なんでこの「自伝」が海の向こうで話題になっているかというと、中身の大半が事実ではなかったということです。

 今月11日付NewYorkTimes電子版の記事にもありましたが、いくら一個人の「私見」から書き綴ったものとはいえ、入ったこともないのにムショ暮らしをしただの、犯したこともないのにさもいろんなワルもやってきただの、書くものじゃありません(NYTimesも、「事実の捏造」という点ではあんまり人のことは言えないが…)。

 昨今の米国はブログのみならず「自叙伝」ブームでもあるようで、有名無名取り混ぜていろんな「自叙伝/回想録」が刊行されつづけています…。

 作者の現在の本業は脚本家らしいですが、おなじ出すんならはじめから正々堂々、「これは事実にもとづいた物語です」くらいの但し書きをすべきでした。テレビのトーク番組で、自ら嘘でした、なんて開き直るのはいくらなんでもひどすぎる。「これはわたしの飲んだことのないおいしい赤ワインです。どうぞ召し上がれ」と言うようなもので。

 日本風の「私小説」仕立てならたぶん問題はなかったのではないか…と思われます。書き手以外の第三者の登場人物の扱いについてはまた難しい問題が出てきたりしますが…(あんまり事細かに規制してしまうとこんどはなにも書けない)。

 こんなトンデモ本を買わされてしまった読者のほうも反応がまちまちで、たとえ事実にもとづかなくても物語じたいはすばらしいといった好意的意見もあるにはありますが、釈然としないといった意見も多い。それはそうでしょう、Timesの記事にもおんなじような指摘がありましたが、自伝や回想録の魅力は「書き手がじっさいに体験した事実の記録」が読めることに尽きます。完全な虚構よりも現実に起こった出来事のほうがはるかに想像を超えていて、おもしろかったり逆ににわかには信じられないほど衝撃的だったりということはよくあります。時間が経てば、こんどは第一級の「歴史の証言者」的史料として後世に残る…可能性だってないわけではありません。

 「おもしろければそれでいい」という悪しき風潮がいまや世界的に蔓延しているような気がします。そういえば十数年前、某出版社が「超訳」と銘打ったシドニィ・シェルダンの一連のシリーズ。いまどうなっているかは知りませんが、さる高名な先生が原本と突きあわせて調べてみたら、嘘八百のトンデモ本だった、ということがありました。ついでに原作者がその「事実」を知らされたとき、愕然とはしたものの、けっきょく黙認してしまった、という落ちがついています…。

 売れればそれでいい…出版社も作者も大切なのは読み手ではなくてやっぱりMidas touchなのですかね…。

 「文は人なり」。モノを書く人はこのことばのもつたいへんな重みをいま一度よく噛みしめるべきです。

posted by Curragh at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | Articles from NYTimes