2021年09月30日

「個人の自由」の履き違え

 先日読んだ、元陸上選手の為末大氏が寄稿したこちらのコラム。一読して頭に浮かんだのは、ジョーゼフ・キャンベルの『生きるよすがとしての神話』という講演集に出てくる、「統合失調症──内面への旅」と「月面歩行──宇宙への旅」と題されたふたつの講演。「宇宙飛行士が特別な外的世界を体験するのに対し、アスリートは特別な内的世界を体験する。内的世界とは『心の世界』と言い換えてもいい」と為末氏は書いているけれども、両者は同じコインの裏と表、きっぱり同じものだと言い切ってよいと個人的には感じている。

 このコラムの結び近くに、「ぜひ五輪、パラリンピックを目指した日々について、アスリートたちは言葉でその体験を社会に還元してほしい」との呼びかけがある。これを見たとき、ふと、仕事柄しかたないとはいえ、COVID-19 の感染者が相次いでいる芸能関係の人も、もうすこし自身の体験について観ている側にも伝わるような努力をされたほうがよいのではと感じてしまった。もっともこれは個人のプライバシーの問題でもあり、強制はできない。しかしいまは平時ではないので、公共の福祉という観点からも積極的に啓発してもよいだろうと思うのだが、手前勝手な理屈だろうか。

 為末氏のコラムには人間心理への深い洞察があって、「『心の世界』の学びの面白いところは段階的ではないところだ。ある瞬間にひらめくように悟れば、もうそうとしか感じられなくなる」といったすこぶる示唆に富むくだりにも現れているけれども、こういう「気づき」って体得できる人にはそれができ、そうでない人はいっこうにできないというもどかしさがある(下線強調は引用者)。とくに平時ではない、いまみたいなときがそう。悟りが遅いのはしかたない。自分もそうだから。だが、ハナから耳をふさいでしまっては、せっかくすばらしいことを語り聞かせ、書きことばとして残してくれてもなんにもならないではないか。それどころか、害悪をバラまき、ひいては社会全体の混乱に拍車をかけることにもなりかねないし、げんにそういう方向に扇動する言動を平然と垂れ流している御仁もけっこういる。

 「マスクをする・しないは個人の自由」という主張もよくわからない。未知(感染症の専門家でさえ例外ではない)の疫病が世界を席巻し、その感染者が2億人を超え、死者も 400 万人を超えている。疫病はひとつの自然災害で、自然は人間が勝手にこしらえたルールや道徳などいっさいおかまいなしに暴れるもの。地球の生態系は微妙なバランスの上に成立しており、それがすこしでも崩れればとたんに平衡を失う。温暖化がかまびすしく言われるようになって久しいが、 COVID-19 のパンデミックだっておなじだ。

 将来、このような未知の病原体によるパンデミックを防ぐには、ジャレド・ダイアモンド博士が言っているように、野生生物の乱獲と市場流通を即刻やめることだろう、マラリアを媒介する蚊の絶滅を目指すのではなくて(某研究所流出説は、こちらの WP 紙の速報記事にも書いてあるように科学的な根拠はほとんどない)。欧米には歴史的背景からして、「自然をコントロールする」という発想が根強く残っている。このへんが東洋人には生理的に相容れないところ。いつぞやの「ガイア理論」もしかりです。

 ここで大切なのは、自然ではなくて、わたしたちの側の行動変容のほうでしょう。たとえば、個人の自由という概念。「あなたはほんとうの自由に耐えられるか?」という一文で結ばれたエッセイの文庫本をすぐ手に取れるところに置いて折を見て再読したりしているんですけれども、まったくもってそのとおりで、自由というのはみんなが思っているほど単純なもんじゃない。自由には必然的に責任が伴う。平時なら問題にならない行動でも、そうは済まされない場合がある。この点に関しては悪い意味での“超”個人主義が横行している欧米なんかも日本のこと言えないのですが、それでも日本には確固とした“個”というものがなく、“個”と世間様との境界線がきわめてあいまいというのも相変わらず。個人的には、ここが最大の問題だと思っている。“個”ということでは、昨今ちやほや(?)されている「Z 世代」にもおなじことが言えるだろう。彼らの符牒に「ウチら」という、なんか西伊豆語の「うちっち」みたいな造語があるそうですよ。そこなんですぞ、問題なのは。「あなた自身はどうなのか」、これがなければただの「烏合の衆」にすぎない。まず先に来るのは仲間とかみんなじゃなくて、「個人」としてどうするのか。逆ではない。

 たとえば、大規模音楽イベント。聴衆が黙って静かに耳を傾けるクラシック音楽の演奏会と、パリピな大群衆がワーワー大騒ぎするような大イベントとを同列に扱うのはどう転んでもおかしい。もちろんなんでもかんでも中止、という段階ではいまはなくなりつつあるから(ただし警戒は緩めずに)、そのへんは皆が知恵を出し合う必要があるとは思う。ただ、一個人の勝手な主張を他人にゴリ押しするのは自由でもなんでもない。米国ではあのシュワルツェネッガー氏が「自由には義務や責任が伴う。他の人を感染させ、相手が亡くなる可能性もある」という趣旨の発言して、一部からかなりのブーイングを食らったそうですが、負けるなシュワちゃん !! ですな。

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2020年11月30日

橋幸夫さんの「名文」に思うこと

 まず、↓ の文章をご覧ください。
…… 少し前の話ですが、あのトランプ大統領の新型コロナ感染のニュースには驚きました。世界中がコロナに悩む中、私も四苦八苦しながら何とか感染から逃れてきました。
 皆が早く以前の生活に戻ってほしいと祈る中、「自分だけは大丈夫」と思ったのか、マスクすら着けずに※ 強がりを続けていたトランプさん。やはり対策を軽視していたのではないかと思わざるを得ません。退院後の大統領の発言や行動に、どれだけの人が納得できたでしょうか。
 ……コロナの恐ろしさは、何と言っても目に見えず、えたいも分からないところにあります。誰が感染者なのか全く分からないこの恐怖感。私なりに生意気を言わせてもらえば、人類全てがこの地球という星の大変化と、何らかの大転換期に「気づきなさい」と何者かに言われているように思えるのです。……

 これは 10 月、地元紙夕刊に掲載された、3か月ごとに交代する持ち回り担当の身辺雑記的コラムでして、書いたのはあの国民的歌手の橋幸夫さん。いまちょっと調べたら、けっこう本を上梓しているんですね。まっさん(さだまさしさん)みたいだ。あいにく芸能関係の人の書いた本っていままでまったくといっていいほど興味関心がなくて、橋さんの著書も読んだことないんですけれども、なんかひさしぶりに読んで気分がスッキリしたというか、読後感のなんと爽やかな日本語だろうと思ったんですけれども、みなさんはどうでしょうか。

 これは折に触れここで何度も言っていることの何番煎じになるけれども、だれしも「ついーと」できるようになってからというもの、こういう配慮の利いた、読んで気持ちのいい文章ってめっきり少なくなったと感じている。いちおうコレでも人さまの書いた横文字の文章をせっせとタテに直している稼業の人なので、昨今の SNS での断定調の垂れ流しなんか見ていると、だれもが「人さまに読んでもらうための書き方」なんてまるで考えてない文章をバチャバチャ打ち込んで投稿するという行為をなんとも思わなくなって、感覚麻痺を起こしてるんじゃないかっていつも感じている。なのでよけいにこういう文章に出会ったときの喜びは大きくて、陳腐な比喩ながら、「砂漠のど真ん中でオアシス」を見つけたような気持ちにさえなる。もっとも日本語文章のプロ、たとえば校正の人が見たら直したくなる箇所もないわけではなかろう、とは思うが(個人的な話で恐縮だが、いまある本をまるまる一冊下訳していて、めちゃくちゃに直しを入れられてときおり滅入ったりしている。正しい日本語で書く、という行為がいかにタイヘンかをいまさらながら痛飲、じゃなくて、痛感しているところ)、以上を踏まえてこの橋さんのコラムを読むと、ワタシはまちがいなくこれは「名文」だと思う。

 ひるがえってじゃあワタシはどうなんだろ、となると、たとえばここでも書きなぐっていて、そうでないところでもライターとして文章を publish してきた身としてはなはだ心許ないが、せめて橋さんみたいな「配慮の行き届いた」日本語文の書き手になろう、とひそかに決意したしだい。

余談:橋さんも書かれているように、今年はほんとうにとんでもないウイルスに翻弄されてきた感があるけれど、そんな年ならではの「新語」も登場したり …… たとえば "covidiot"。英語のわかる人が見ればハハンそうかみたいなカバン語で、co(vid19)に idiotをくっつけた単語。使われる場面としては、たとえば橋さんが書いていたように、マスク着用すべき人が着用すべき場面で平然としていない、そういう人を揶揄した言い方。新語つながりでは、つい最近の地元紙に載っていた "sober curious"。こっちはまったく知らなかったから、とても参考になりました。その記事によると、この単語は「ファッションブロガーや自己啓発の指導者が脱アルコールを先端の生活スタイルとして発信。ソーバーキュリアスは米英発の現象として日本でも紹介され始めている」んだそうな。

 下世話な想像ながら、いつぞやの「Twitter 教」を日本で布教した輩みたいに、こっちも我先とばかり飛びついてひと儲けしようなんてもくろんでいる手合いがさっそくいるかもね。ま、勝手にどうぞ。

 ヘンなオチになってしまったので、お口直しにふたたび橋さんの名調子に再登場してもらいましょう。本日の地元紙夕刊に掲載されていたコラムから、結びの部分を引いておきます。
私は今年、芸能生活60周年を迎えました。その記念曲として「恋せよカトリーヌ」というラブソングと「この世のおまけ」の2曲を発表しました。人を愛することのすてきさと、熟年を超えた私たちの人生は「おまけ」なんですよ、考え方次第で明るくも楽しくもなりますよ──。そんな歌を元気に歌える自分に感謝しながら楽しく過ごしています。皆さんも暗くならずにお元気で。また来週。

※ …… マスクの効用について、たとえば専門家はこういう発言をしてますが、スーパーコンピューターなどの試算やその他の研究により、使い捨てマスクも含めたマスクの絶大な効用はすでに明らか。なんせワタシなんか、べつに対人恐怖とかじゃないけれども、退職するまでいた職場の都合上、暑かろうが寒かろうが年中、通勤の行き来にもマスクを着用しつづけてきたし、そのせいなのか、風邪もひかなくなった。マスクするのがクセになっているので、欧米人はともかくこのご時世になってもなお「マスクするのがイヤ」とかまず信じられないし、だいいち医療現場で身を挺して働いているエッシェンシャルワーカーの方に失礼だと思わないのか。

タグ:橋幸夫
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2020年07月28日

嗤う COVID-19

 全世界で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の猛威が止まらない。
今年に入ってから、引き受ける案件には毎月必ず1本は COVID-19 関連の記事訳出が含まれるくらいで、やはりそのことを実感せざるをえない。最近だと NYT の救急救命士の聞き書き記事とかがあって、そうそう、そうなんだよな、と思わざるをえなかった(→ 原文記事を引用したブログ記事、なお拙訳文はじっさいに掲載された邦訳記事とは異なっている点をお断りしておきます)。
私の仕事を知りたい人など誰もいないだろう。あなたたちは英雄だ、と口先だけの称賛を送る人はいるだろうが、救急救命士の話は誰もが聞きたいと思うような話ではない。……
…… 死者は2万人余りに達しているというのに、レストランの外には早くも長い行列ができ、バーはごった返している。このウイルスはまだ市中にいて、消え去ったわけではない。毎日、新型コロナウイルス感染症の 911 番通報を受けて出動する。これまで 200 人を超える市民が亡くなった現場にいて、蘇生処置を施し、家族に慰めのことばをかけてきた。しかし世間の人は 1.8 メートルの社会的距離も守れなければ、マスクをつけようともしない。なぜだ? 自分はタフガイだから? 弱そうに見られないため? このウイルスの真実に向き合おうとせず、自分はぜったいに大丈夫と見せかけて済ますつもりなのだろうか? 
…… われわれが英雄? 冗談じゃない。怒りに圧し潰されそうだ。

 'Friday Ovation'って英国が発祥らしいけれども、最前線で生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ戦っている人の発言の重みとパンチの強さの前にはむなしい。

 ブラジルの大統領なんか、もはや歩く人災だね。経済がぁ、とのたまわっているが、かんじんの国民の生命がつぎつぎと失われてしまっては、元も子もないじゃないかっていう子どもでも理解できることがわかってない。その点、COVID-19 でいっとき猖獗を極めたイタリアの人は(みんながみんなそうではないと思うが)腹が据わっている。『テルマエ・ロマエ』原作者の方が電話越しに耳にしたイタリア人の旦那さんの発言を引用した文章を地元紙で見たんですが、旦那さんいわく、「イタリアはかつてのペスト以降、疫病に何度も襲われてきた。経済か人間の命か、どちらが大切かと問われれば、人間の命に決まってる」、だからロックダウンされようと平気だ、と。

 個人という意識の弱さ、マイホーム主義やムラ意識に代表される集団同化意識と同調圧が疫病とおなじく蔓延する島国に住む人間として、なんか民族性のちがいをまざまざと見せつけられたような気がした。欧州は日本より遅れている点、とりわけマスクをする習慣さえなかったことも考えれば、そりゃいろいろと問題はあるでしょう。でもドイツみたいに WHO のパンデミック宣言の出る前から検査体制や医療体制の拡充を図っている国の例などを見るにつけ、せいぜい胸を張れるのはマスク着用とか「3密(3C)」を避けよう、くらいのものかと。いくら都知事選とかがからんでいるからって、個人の意識の徹底という点では日本も米国もブラジルもたいして変わらないと思う。個人的に意外だったのは、スウェーデンの対応だった。「集団免疫」戦略だったんですが、あいにくうまくいってない。他の北欧諸国がなんとか抑え込んでいるのに対し、高齢者を中心に死者数がとんでもないことになっている(→ NYT 報道記事の邦訳ページ)。

 もちろん、未知のウイルス(コロナウイルスじたいの発見もせいぜい数十年前)によるいままで経験したことのないパンデミックなので(パンデミックという用語は、そもそもインフルエンザのみに適用されてきたもの)、絶対確実な方法なんてあるわけもなく、各国の対策とか見ているとお国柄というか国民性みたいなものが出ていると感じる。しかしたとえ未知のウイルス感染症パンデミックでも、そのおおもとの方針は揺るぎないはず──「人間の生命を守ることが最優先」されるべきではないか。ブラジルの大統領がもし国内経済を好転させたとしても、この点においては為政者失格、ということになる。この人の「無策」の最大の犠牲は、アマゾンの密林に暮らす先住民だ。

 いまひとつよくわからないのは、しきりと「第2波」だ、とテレビとかが喧伝していること。個人的には、病原体があきらかに変異して、100 年前のスペインかぜパンデミックを引き起こしたようなことが起こればまちがいなくそれは「第2波」と言える。ただ、いま現在は「再流行」と言うべきで、「第2波」と決めつけるような言い方はいかがなものか、といつも感じる(WHO の専門家も含め、世界の感染症研究者で新型コロナウイルスが「変異」したと明言する人は現時点ではひとりもいない)。今月の地元紙切り抜きを見ると、たとえばポルトガルでは「[外出規制]緩和後、若い世代の感染率が高まり、首都リスボン近郊の一部地域に外出規制を課した」とある。規制再拡大の動きは隣国スペインでもおなじで、パブ文化のある英国でも規制強化を望む声が世論の8割を超えている、という。これって日本でもおんなじですよね、とくに「若い世代の感染率が高まり」というくだりは。ようするに、規制緩和したらやっぱり感染率が高くなって、市中感染が始まりつつある、ということだと思う。

 また、「接触8割減」ということばが独り歩きしたことがあったけれども、舌の根の乾かぬうちにこんどは「これまで感染が確認された人のおよそ8割はほかの人に感染させていない」と言って GOTO トラベルを見切り発車してトラベルならぬ無用のトラブルを招き、沖縄などの離島部を含め地方都市で集団感染が立て続けに発生したり。目を覆うようなことがつづいて正直、ウンザリでもある。

 言っておくが自分は「ナントカ警察」ではない。ただ、マスクひとつとっても、先日の地元紙にコラムを寄稿した米ジョンズ・ホプキンズ大学大学院副学長ケント・カルダー氏が書いたように、「多くの米国人はマスクを着けるようになっているのだが、強制には反発している。草の根の米国人、特に南部の人々はマスク着用を銃所有と同じように個人が自由に決めるべきものだと強く」思っているかぎり、人類はこの新型ウイルスという強敵にはとうてい勝ち目はないだろう、と感じている。いま一度つよく言いたいのは、もはや COVID-19 以前のような日常生活にはもどれない、ということ。個人ひとりびとりが、ここをよ〜く考えてから行動すべきだ。ダレダレが悪いから、というのは通用しない。あなたがどうすべきかだ。このままだと COVID-19 の思うツボになるのは目に見えている。

タグ:COVID-19
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2019年10月12日

深層意識のあらわれとしての「しかたがない」

 台風接近中のきのう手にした地元紙夕刊。かつて旭化成富士支社で研究されていたという、同社名誉フェローの吉野彰氏のノーベル化学賞受賞の吉報を読む。たしかに「リチウムイオン電池」の発明って、われわれの生活を一変させ、ひいては世の中を変えましたね。手許にあるスマホや iPad mini、外出時の携帯用に使っている B5ノートブックPC だって、コレなしではここまで薄く、そして軽い構造は実現できなかったと思う。

 先日、千葉県地方に甚大な被害をもたらした台風による長期間の停電災害に見舞われた地区で、日産の EV 車から電気を引いていた映像を見た。吉野先生は、こうした EV 車がもっと普及すれば「巨大な蓄電システムが自動的にできあが」り、さらに技術革新著しい AI と組み合わせることで、温暖化対策にも有効だと指摘する。

 さてそのおなじ夕刊に識者が交代で寄稿するコラムがありまして、今月から書き手になった米国人のラジオパーソナリティの方が、「わたしの嫌いな日本語」の筆頭に「しかた(が)ない」を槍玉(?)に挙げていた。

 前の拙記事にも書いたが、こと西洋人というのはマラリア蚊撲滅、みたいな発想をわりと平然と実行に移したりする。これについて、「人間は世界を変えられる」という根拠のまったくないとほうもない自信ないし傲岸さのなせるわざ、という見方もできるかと思う。もっとも西洋型文明、西洋型文化、西洋型合理主義がなかったら、リチウムイオン電池の発明もなかっただろう。その点は疑いの余地はない。けれどもいま一度、日本人の深層意識を垣間見せる代表格のようなこの「しかたがない」ということばの真の意味を、アタマごなしに批判する前に考えてみる必要があるように思う。

 「しかたがない / しかたない」は、諦観とか諦念といったマイナスイメージのつきまとう言い方ではある。でも人間のことばなので、英語圏に似た表現がないかと言えばそんなこともなくて、'It should be that'.、'It's the way it is.'、'That's the way it goes.'、'There is no choice.' のようなフレーズがそれに相当するように思う。コラム寄稿者はこうつづける。「私はできるだけ使わないようにしています。言い訳に聞こえるから。私からすれば『仕方ない』をよく言う人は現状維持にしか興味がないように見えます。『知らぬが仏』ということですね」。

 「知らぬが仏」と「しかたがない」はまるで意味が異なる表現だと思うが(「知っているからこそ腹も立つが、知らなければ、仏様のようにすました顔でいられる。見ぬが仏。転じて、当人だけが知らないですましているさまをあざけっていう語」と、『大辞林 第三版』にはある。ここはむしろ「見て見ぬふり」のほうだろう)、「しかたがない」というのは、ムチャしてでも強引に自然を、現状を変えてしまおうとする西欧型発想をよしとする人間には得体の知れない発想に映るのかもしれない。西欧型の発想法には端的に言えば、差し出された現状をそのまま唯々諾々と受け入れようとせず、とにかく変えなくてはならない、変えることこそ人間の使命、というプロテスタント的勤勉主義が根底にあるせいかもしれない。プロテスタント的勤勉主義とは、そうしないと死んだとき、「最後の審判」をくぐりぬけてハレて「父なる神のおわします天の王国」に入れないから[「母なる神 … ではないことに注意」]。「しかたがない」を日本人の精神に染みついた観念だと捉えるのならば、この「プロテスタント的勤勉主義」もまた、一般的西欧人にとっての一種の強迫観念と言えるのではないか。

 かつてラドヤード・キプリングは「東は東、西は西、 両者あいまみえることなし。 神の偉大な審判の席に天地が並んで立つまでは」とかって書いたけれども、いっくら英語ができて英語に堪能な人でも、こういう西洋人「特有の」深層意識的なものってなかなか理解しがたいはず。たとえば先日、ジョーゼフ・キャンベル財団のインスタ投稿のキャプションで、
'Image : Kintsugi, Japanese art of repairing broken pottery, can be seen to have similarities to the Japanese philosophy of wabi-sabi, often defined as an embracing of the flawed or imperfect.'
という説明を見ました。「傷もの、あるいは不完全なものを尊重する意と定義されることの多い」日本の価値観として「侘び・さび」が引き合いに出されてたりする。たしかに「金継ぎ」はそういうアートフォームですけれども、われわれ日本語ネイティヴが「侘び・さび」ということばを耳にしたときに感じるのは「傷もの、不完全なもの」というより、ヘタに手を入れずに「現状のママ」に受け入れることの大切さというか、そこに美的表出、ジョイスの言う「エピファニー」を見いだすというか、慰めを見いだすというか、そっちじゃないかって個人的には感じている。英語で flawed, imperfect と言われるとなんかこう、お尻のあたりがむずむずしてくる(不潔にしているからではありません)。これが人間のことばの限界なのかなとも思う。そもそもこの世界というのはビッグバン以来、「完全だったこと」なんてただの一度もなく、138 億年このかた、ひたすらエントロピー過程まっしぐらに進んできている(はず)。perfect かどうかという西欧型発想法の基準こそ、いかにも皮相的に見える。

 くだんのコラムの結びには、「今度、問題に直面したら『しょうがない』に逃げる前に、もうちょっとその問題について知ろうとする努力をしてみてはいかが? 世界が平和になるかもしれません」とある。個人的な印象では、西欧プロテスタント的勤勉主義による「現状をなにがなんでも変えてやる」という発想法は、リチウムイオン電池のような画期的製品の発明や、あるいはインターネットのように真にわれわれの暮らしを一変させるような技術革新をもたらしてきたのは事実。だがいっぽうで核兵器や生物兵器、ドローン兵器のような無人攻撃型兵器、「ラウンドアップ」のような猛毒な除草剤に遺伝子改変トウモロコシなどもパンドラの箱よろしく世界中にバラまかれたのもまた事実。テクノロジー信奉者によくあるのが、たとえば「不老不死」の実現。げんに死後、凍結保存されて「蘇生」を心待ちにしている人までいる。はっきり言って理解不能な発想だ。いつまでも生きていることこそ不自然だしゾンビみたいで気持ち悪いし、こういうときこそ「しかたがない」と一線を引く勇気が大切なんじゃないかって、マラリア蚊撲滅の話もそうだが、この手の「欧米発」のニュースに接するたびにいつもそう思う。テクノロジー礼賛一辺倒では、いずれ『2001年宇宙の旅』の HAL 9000 みたいに本末転倒なことになりますよ。いや、すでにもうそうなりつつあるか。

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2019年09月30日

明日から「1割増し」? それとも8%のまま ?? 

9月も今日で終わり、明日からはついに消費税が10%、除外品目以外はなに買っても「1割増し」になってしまいます(汗)… これ、やはり大きいですね。べつに駆け込んだつもりはないですけど、たまたま高額商品系を買い換えることになって、10 年選手の液晶 TV セットをさらに大画面の 4K TVセットに更新したりとか、前々から食指をそそられていた某りんごマークの会社の生産打ち切りになったばかりのノートブックを「整備済み製品」枠で買ったりとか、その他こまごまとした付属品やらをたてつづけに購入したので、はっきり言って貧乏人にはかなーりの出費となりました(でも最近の TV ってすごいな。いまごろそんなこと言ってんの、とくさされそうだが、Wi-Fi につながっていればなんと YouTube の動画や、Radiko まで楽しめるのには驚いた! ためしに NHK-FM とか聴いてみたら音質もクリアですこぶるいいのにもビックリ。YouTube も、これで晴れて文字どおり「テレビ[tube]」になったんだなあ、と感慨に浸っていたりした)。

 ちなみに消費税って英語表記はもうそのまんま consumption tax で統一されているようですが、たとえば欧州なんかではこれとほぼおなじ定義の税金のことを Value-added tax、略して VAT と表記するのが一般的。海外のショッピングサイトなんかで VAT 込み / なし、なんて但し書きを見たことがある方も多いかと思いますが、これのことですね。

 で、今回の増税、個人的には明日から大混乱が起きやしないか、危惧しているところです … きのうもさる TV 番組でクイズ形式でやってたんですけども、「これは清涼飲料水だから8%」、「そっちは医薬部外品だから10%」、「ミネラルウォーターは飲用水なので8%、水道水は飲用とはかぎらないから 10%」、「コンビニで買った新聞は 10%、でも定期購読の場合は8%」… 。気になる向きは、こちらのページなどをご覧になってください。

 大手スーパーでは、明日から軽減税率対象商品には8、そうでない商品には 10 とレシートに「ちいさく」印字するんだそうで … 中小企業や個人事業主には軽減税率対応レジや POSシステムもまだ導入していない、という方もけっこういると聞きます。個人的には「8%と10%双方の税率計算可能な電卓」でこと足りるんじゃねーのか、って思ってるんですけどね … なんでこんなヤヤコシイことをするんだろうか。政府広報の告知ページを見ると、どうも軽減税率の線引きって「食品表示法に規定する食品(酒税法に規定する酒類を除く)」が基準になっており、「外食は含まれない」。… ハァ ??? なんかこう、底意地の悪さしか感じられないのは、僻み根性のなせる技か? はっきり言ってイジメですわ。

 専門家じゃないから、消費税先進地の欧州各国ではどうなってんのかは知らないが、ようするに政府と財務省と国税当局がやっているのは一般国民の利便性云々はどうでもよくて、「法律の区分に従って」機械的に振り分けた、としか思えない。こんなこと人に押しつけておいて、何事も起こらずに済むわけがない。で、いざことが起きれば起きたで、だれひとりとして責任を取りやしない。先日の東電の元執行部に対するワケワカラン無罪判決しかり。そしてこの前もここで書いたけど、なぜか着工を急ぐリニア新幹線の南アルプスのトンネル工事をめぐるJR東海の一連のおざなりな対応と、これまた無責任にも着工を急かしている近隣県の知事たち(おたくの県にこの話持ち込まれたらどうなの、という発想は彼らにはまるでないらしい。かつて「地方分権」が叫ばれたとき、米国の州政府のような強い権限を道府県に与えるべきという風潮が高まったことがあったけど、エゴとマイホーム主義とおらがムラ主義全開の現状を変えないかぎり、いまよりさらに事態が悪化するのは目に見えている。東京一極集中にますます歯止めがかからなくなるだけだろう)もまたしかりでして。

 … と、しがない門外漢のボヤキはここまで。来月から心機一転? ここもほんのすこしだけリニューアルというか、書き方というか、記事の書式と言いますか、変えることにします。具体的には

1.字数制限ではないですけど、「1記事1トピック」を原則として、もっと短くまとめます[あくまで予定 … ]
2.原則として毎週更新[こちらも不可抗力的なにかがないかぎり、あくまで予定 … ]
3.以前よりさらに corrosive な書き方になる … かもしれない

ざっとこんな感じ。公序良俗に反すること、あきらかな誹謗中傷、根拠にもとづかない批判 / 批判するにしても読み手が不快にならないていどにとどめる、という自己規制ラインはこれまでどおり(自分が読んで「つまらない」と感じることは書かない)。ただ、「以前に比べて Weblog が全般的につまんなくなった」と感じていることは、まず書くつもり。これには「わーどぷれす」なるツールが爆発的に普及して以来、とくに強く感じているので、そんなこともまずは書く予定ではおります。

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2018年10月30日

ルオーとキャンベルにとっての radiance とは

 今日、10 月 30 日は Halloween eve … じゃなくて、米国の比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルが異界へと旅立った日。自分が好きでコツコツ訳しためているとあるキャンベル本に収録された文章に、ゴーギャンやジョイスといった「破滅型の芸術家」についての考察がありまして、たとえばこんなふうに言っている。*
 もしあなたが壁で囲まれた集落に留まって生きてゆくのなら、身のまわりのことはその集落が面倒を見てくれるでしょう。でもひとり冒険の旅に出るのだったら、果たしていまが出発すべき時なのか、よくよく考えてみなくてはなりません。冒険の渇望に取り憑かれるのが人生後半、すでにあれやこれや責任を負っている年齢にそんな炎が灯ったとしたら、これはのっぴきならない問題になります。ゴーギャンがそうです。彼の後半生は破滅そのものでした。自身の人生はおろか、家族の人生までもが滅茶苦茶になったのですから。ですが、ゴーギャンの人生は破滅だったでしょうが、彼の芸術はそのためにかえって偉大なものとなりました。彼が絵を描くことに真剣に向き合いはじめたのは、45歳くらいから。以後、彼の人生は絵を描くこと以外になくなりました。ゴーギャンの生き方は、ある種の英雄の旅だったでしょうが、その代償はあまりにも高くつきました。なんとも皮肉なことです。ゴーギャンは人間としては大いなるしくじりを犯したと言えるでしょうが、しかし芸術家としては勝利者だったのです。[中略]

 最後の大作『フィネガンズ・ウェイク』を書き上げるのに、ジョイスはじつに16年を費やしています。さてこの作品が出版されたとき、いかなる書評が書かれたのか、ぜひ読んでみるべきでしょう。曰く、「この男はいったいなにをしようとしているのだろうか? 発狂でもしたのか? いかれた破壊行為を働いているだけなのか?」。『フィネガンズ・ウェイク』初版本は2か月と経たないうちに見切り本扱いとして安売りされました。わたしはこの作品を4部、それぞれたったの56セントで買いました。見切り売りがはじまったとき、版元はどうにかして出版費用を回収しようと立ち回ってました。よって著者のジョイスの手許にはなんの見返りもありませんでした。
 ジョイスは生涯最後の本として計画していた作品に手をつけることなく、59歳の誕生日を迎える3週間前に亡くなっています。ジョイスの生き方は、わたしにとっては手本たりえない。ですがわたしにとっての芸術の手本は、まちがいなくジョイスです。トーマス・マンはジョイスについて、おそらく20世紀最高の小説家だと評しました。でも、そのために彼が払った犠牲がどれほどのものだったか。
 またこの文章には『4分 33 秒』で有名な前衛作曲家ジョン・ケージのことば「名声などつまらんもの」という引用もあったりで興味は尽きないけれども、引用者がキャンベルのこの文章(もとはエサレン・インスティテュートというリトリート研修施設で行われた集中セミナーみたいな場での講義)でもっとも感動したのは(下線強調は引用者)、
 ジョイスは、これらもろもろの苦難を耐え忍んだ。ひとえに自身の希求する「完全さ」ゆえに。この完全さこそ、芸術の内包する成就であり、ジョイスはそれを成し遂げました。対して「生きる」というのは、不完全なものです。生きる上で立ち現れるあらゆるものはみな不完全なものにすぎませんが、芸術の働きというのはこの不完全な生を貫く「輝き(radiance)」を目に見えるようにすることにほかなりません
 先日、たまたま見たこちらの番組で、フランスの宗教画家ジョルジュ・ルオーの展覧会のことを取り上げてました。ルオー、とくると、パブロフのなんとかですぐ、あのぶっとい黒い線に囲繞されたキリストのご聖顔を思い出すんですけれども、イエスと聖家族を描いた最晩年の作品『秋、またはナザレット(1957)』を見た瞬間、ジョイスの言うエピファニーを感じてしまった。ルオーは十代のとき、ステンドグラス職人の徒弟修業に出ていたとのことでして、なるほどそれであんなぶっとい黒線か、とも思ったんですが、こちらの作品でつよく感じるのは背後から差しこむ後光のようなおごそかな「輝き」のほうでした。ステンドグラスから教会堂の石の床にまだらに投げかける、あの光、あの輝きが、その作品にはたしかにあった。もっとも絵画というのはホンモノを見るにかぎる、というわけで、まだ会期中だし、見てこようかなと思案中です(エドヴァルド・ムンクのほうも気にはなってる)。

 ところでキャンベル先生は最晩年になっても若々しくて、あんなふうに年を取りたいものだなんてのほほんと思っていたりするんですが(白髪は増えたが)、そんなキャンベル先生はわりと新しもの好きだったようで、
モイヤーズ われわれは自己のイメージに従って世界を改造したい、われわれがそうあるべきだと思ったとおりに作り直したい、という願望を持っており、機械はそれを実現するのに役立っている。
キャンベル そうです。ところが、そのうちに機械が人間に指図を与える時期がやってきます。たとえば、わたしは例のすばらしい機械、コンピュータを買いました。いまわたしは神々に関する一権威者といったところです。コンピュータをそんなふうに見てるんですよ。旧約聖書に出てくる、たくさんの掟を持つ情けを知らぬ神のようなものだと。…… わたしは自分のコンピュータから神話についての啓示を得ました。あるソフトウェアを買うと、そこに自分の目標を達成するために必要なすべての記号がセットされているのです。べつのシステムのソフトウェアに属する記号をいろいろ操ったところで、なんの役にも立たない。
…… ある人がほんとうにある宗教にのめり込み、それを基盤にして自分の人生を築こうとするのなら、その人は自分が得たソフトウェアだけを用いつづけたほうがいい。でも、このわたしみたいに、あれこれのソフトウェアをもてあそびたい人間は、たぶん聖者に近い経験を持つことは永久にないでしょうな。―― 『神話の力』飛田茂雄訳、早川書房 1992[なお表記は自分のスタイルにあわせてあることをお断りしておきます、以下同].
 いま、インターネットをめぐってはさまざまな問題があり、そうは言ってもすばらしい可能性もまだまだ未開拓のまま残されている余地はひじょうに多い、と個人的には思うけど、「移民集団にはおおぜいのギャングや悪いヤツらが交じっている。どうか引き返してくれ。これはわが国への侵略でわが軍が待ちかまえているぞ!(「讀賣新聞」サイトの訳)」といったたぐいのツイートを垂れ流し、悪いのは fake news をまき散らす CNN や NYT だ、オレはなーんも悪かない、みたいな人間が世界の超大国にしてキャンベル先生の故国のリーダーでもある現状は、先生の眼にはいったいどう映るんだろうと、そういう妄言録を見聞きするたびに思う、今日このごろ。あの人の言っていることにいちいち心酔するような人たちってちょっとゾッとするんですけど、ひとことで言えば前にも言ったけど、90 年近くも前にオルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』で書いたような人々なんでしょうな(どうでもいいけど、いまの米国大統領ってどうしてこう「時計の針」をもどそうもどそうとばかりするのか? なんかもう『風と共に去りぬ』の世界にまでもどってしまいかねない危惧がある)。

*... from A Joseph Campbell Companion: Reflections on the Art of Living, selected and edited by Diane K. Osbon, Harper Collins, New York, 1991.

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2017年08月20日

「反戦」ではなく「非戦」

 いまからたしか 30 年ほど前だったと思うけれども、某宅配大手の TVCM で、吉幾三さんとどこかの事務所に所属しているとおぼしきおばあさん俳優が出てきまして、ちょっとコントめいたことをしゃべるんです。で、戦争がらみの報道とか見聞きしたときに、その会話が勝手に脳内再生されることがあります。その CM で、おばあさん俳優はこう訊き返すんです。

−− また、戦争? 

 あれから 30 数年、個人的にはべつに惰眠をむさぼっていたわけでもないのに、戦争の軍靴の靴音が、はっきりと聞こえるような気がするほどその不安は現実のものとなりつつあるのではないか、と今年ほどつよく感じたことはない。例のミサイル問題や、たがいに応酬しあっている愚かな指導者約二名なんですが、あのとき「また、戦争? 」と訊いていたおばあさん本人だってふたたび「第二の戦前」になろうなどとは、夢にも思ってなかったでしょう。

 毎年この時期になると、地元紙にもあいついで戦争関連記事とか特集ものが掲載されるわけなんですが、とくに目についた記事をここでも一部転記して紹介したいと思います。ふだんは意識しなくても、広島・長崎の原爆忌と 8月 15 日がやってくると、どうしても考えざるを得なくなります( 前にも書いたが、ワタシの伯父さんのひとりはいま、戦艦「武蔵」とともに南洋で眠っている )。

 まずは詩人アーサー・ビナードさんの寄稿文。「これからを生きる君へ / いま戦争を伝える」と題された文章でして、自身が戦争体験者から聞き書きした本のことを書いたもの。未読の本をあれこれ言うのはまちがっているが、経験上言わせてもらえば、この手の本は社会派なんとかいう肩書きを持つ人の手になるものより、詩を書くことを生業にしている人の書いた本のほうが内容が格段に深いし、物事の本質を突いていると思っている。心打たれるのは、やはり苛烈な体験をした当事者の声の数々。「兵士はけっきょく、機関銃や大砲や戦闘機とおなじなんだ。使えなくなれば捨てられる」、「おなじ日本兵に手榴弾を投げてかんたんに殺し、相手の食べ物を奪う。こんな光景を毎日見ていた」[ 以前Eテレで、日本文学翻訳家のドナルド・キーン氏のドキュメンタリーを放映してましたが、キーン氏が戦場でじっさいに見た凄惨な日本軍敗残兵たちの末路は、まさにこれだった ]。愚かな約二名にはこのことばのもつ強烈な耐えがたき重みがほんとうにわかっているのだろうか、と思わざるを得ない。「全員が力を振り絞って必死に話してくれた。ぼくも持っている想像力や表現力を限界まで使わなければ、ちゃんと向き合ったことにならない[ ビナード氏 ]」。

 この記事の結びのことばにまた、心打たれる思いがする。「ひとりひとりの語りに『戦後づくり』の知恵が詰まっている。それはわたしたちが生き延びていくための知恵なんです」。ここにいる門外漢は、これからを生きる者にとってのせめてもの希望はここにあるのであり、けっして「戦後レジームからの脱却」なんかではない、と嘆息したのであった。

 いまひとつご紹介したいのは −− そしてちょっとびっくりしたのだが −− 末期癌であることを公表した映画監督の大林信彦氏のメッセージが綴られた「大林信彦監督、映画と平和語る」と題された記事。以下、戦争を知らない世代として年食ってしまった門外漢がつぶやくより、監督の渾身のことばに虚心坦懐に耳を傾けるべきだと思うので、いくつか転記[ 以下、仮名遣いを若干変更して転記。下線強調は引用者で山かっこ内の文言は引用者の心の声 ]。
… 戦争といえば、無意識に、本能的に嫌だ、やめよう、ばかばかしいと思う。反戦じゃないんです。非戦なんです。戦争がないことが一番というのが皮膚感覚としてある。

… いろんな情報が瞬時に等価値で入ってくると< たとえば Twitter >、自分にとってなにが大切かわからなくなる。その結果、ぜんぶ人ごとになってしまうんです< 自分ごととしてとらえなくなると、無関心になる。これがもっともこわい >。

… [ 映画という物語にすることについて ]虚構の真実の中に希望が見えると、人はやっぱりその真実を信じて生き始めるんです。

… 平和を手繰り寄せるためには、限りなく、止めどなく努力して、紡いでいかなきゃいけない。夢は見ていると必ずいつか実現する。平和の映画を作っていれば、いつか世界は平和になる。ぼくは映画という道具を使って、人間の夢を、理想を手繰り寄せたいと思っているんです。
映画や物語といった「虚構」を( もっと言えば「芸術」というものを )、ただの作りものとかまがいものと思っている人は、傲慢だと思う。そういうスキを突いて戦争はやってくる。回想録とか聞き書きとかでよく目にする証言に、太平洋戦争開戦時、気がついたら戦争が始まっていた、というものがある。ドイツの昔話に、「あなた方はどこから来たんですか?」と問う馬鹿に、「平和からだ」と兵隊が返す。どこへ行くのかと問われ、戦争だ、と答える。なぜ戦争へ行くのかと馬鹿に再度問われた兵隊は、「平和を取りもどすためだ」とこたえてそのまま通過する。ひとり残された馬鹿はこうひとりごちる「へぇ、平和からやってきて、平和を取りもどすために戦争に行くとは。なんでもとの平和にとどまらないんだろう?」。

 これは、人間の歴史が過去からずっと引きずってきた重い宿題であり、とてつもなく重い禅問答でもある。せめてそうならないことを祈るほかない。そのためにはいまこそ「芸術」の持つ力が必要だと思う。またとくにフェミニストというわけじゃないが、やはり男性原理の社会構造から女性原理の社会構造へと転換することも大事かと。そんな折、あのマララ・ユスフザイさんが英オックスフォード大学に進学されるとの報道を目にした。こういうときにこのようなことを知ると、生きる希望がすこしは湧いてくるものだ。

[付記]:この前 NHK-FM で聴いたこちらの番組。ギーゼキング好きの人にしてみれば、いまごろ? と言われそうだが、このピアノの巨匠( 体もでかかった )はなんと、1945 年 1月 23 日夜、連合軍のベルリン空襲のさなかにベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番 『皇帝』)」の録音( !!! )をやってのけていたことをはじめて知り、文字どおり驚愕( しかも最古のステレオ録音 )。たしかに弱音部では高射砲の爆音が聞こえたりする。この精神的集中はどうですか。ヴァルヒャが空襲下のフランクフルト市民をバッハのオルガン作品演奏会を開いて慰めた、という話もある。「戦争の世紀」だった前世紀が「巨匠の時代」と言われたのもむりからぬ話だと感じ入るとともに、もうこんなことは二度とあってはならないとやはり思う。

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2016年12月30日

Post-Truth だろうとなんだろうと、「すべては今日から」! 

 まずは関係のないマクラから。けさ聴取した「古楽の楽しみ / リクエスト・アラカルト」、いちばん印象に残ったのはルクレールの「ソナタ 第 11 番 ロ短調」とバッハの「フルート、オーボエとバイオリンのための協奏曲 ニ長調 BWV. 1064 a 」でした。ルクレールのほうはフルートソナタなんですけど、はっきり言ってこれ構成がパルティータ、組曲なんです。で、聴いているうちに、あ、これをそのまま鍵盤に移植したらバッハの鍵盤作品だと称してもじゅうぶん通用するな、と。いかにもフランス古典でござい、と思わせといて、じつはイタリア趣味満載だったりするところがおもしろかった。2番目のはバッハの「3台チェンバロのための協奏曲 ハ長調」の原曲復元、というか、編曲の編曲。で、岐阜県にお住まいのラジオネーム「やまあるきにすと」さんがリクエストしたのは、なんとなんと往年のマエストロ、ヘルムート・ヴィンシャーマン( まだまだご存命 ) !!! いや〜、なんという懐かしい響き !! 案内役の大塚直哉先生も言っていたけど、最近の古楽ではこの名前、ほんと聞かなくなった( リヒターもヴァルヒャも例外ではない )。2016 年最後にかかったリクエスト曲がこのようなすばらしい音源だったとは、これまたうれしいサプライズでありましたね。 本題。今年ほど、いろいろな分野の音楽家が物故した一年、というのはあんまり記憶にない。ちょっと思い出してみるだけでも中村紘子さん( 7.26 )、プリンス氏( 4.21 )、ピエール・ブーレーズ氏( 1.5 )、デヴィッド・ボウイ氏( 1.10 )、以前ここでもちょこっと書いたマーラー研究家で実業家のギルバート・キャプラン氏( 1.1 )、キース・エマーソン氏( 3.10 )に、おなじ ELP のギタリストだったグレッグ・レイク氏( 12. 7 )、サー・ネヴィル・マリナー氏( 10.2 )、そしてニコラウス・アーノンクール氏( 3.5 )… 直近でいちばんびっくりしたのは、キャリー・フィッシャーさんと、「雨に唄えば( 1952 )」の名演で知られる母親のデビー・レイノルズさんがあいついで亡くなられたことですね … 心よりご冥福をお祈りします。往年の SW ファンとしては次回作が気になるところだが、すでに「エピソード8」は収録済みなんだそうです。最終作は … いったいどういう展開になるのだろうか? 翻訳関連では『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』などのジョン・ル・カレのエスピオナージュものの邦訳で知られる村上博基先生も不帰の人になっている( 4.30、享年 80 )し、ここでも取り上げた柳瀬尚紀先生も逝去された( 7.30 )。 不肖ワタシは以前、のら(?)の子猫ちゃんを動物病院に連れてゆく展開になりまして、しかたないから移動中の車中では自分の膝の上に乗っけてたんですけど、病院到着前、なんか心なしか「ふっ」と子猫の体重が軽くなったような感覚が。そのときはあまり意識してなかったんですけど、まさにそのとき、子猫は天に召されたのであった。なので、魂とか霊魂とかいうのは確実に存在すると確信するようになった。だってげんに「軽く」なったんですもの。生命あるものにはそのエネルギーを吹きこむ「なにか」が、確実に存在する( inspire という動詞のほんらいの意味は、「息を吹きこむ」)。そういえばこういう番組も先だって見ました。 なんでまた音楽関係の著名人の訃報やら、子猫の話を持ってきたかというと、ここ数年ずっとそうだろうけれども、子どもたちの自殺がほんと後を絶たないからでして … いちばん個人的に心痛めたのは青森の女子中学生の件ですかね …… なんでこうも自分の命を粗末に扱うのかってほんとうに口惜しい。「線が細い」とかって言い方があるけど、たかが十何年生きただけでかんたんに死ぬなよ、と声を大にして言いたい。この件についてはいろいろ言いたいことがあるが、あんまりここで喋々してもしかたないだろうから、ひとつだけ。やっぱり親御さんの責任は大きいと思う。べつに責めるつもりは毛頭ないが、わが子の自尊心というか自分を大切にする心というのが、けっきょくはそれだけのものだったのではないか、とつよく感じられるからです。自分の子どもに遠慮なんかしてどうするのですか。「サザエさん」じゃないけど、もっとおおっぴらにやりあうくらい膝突きあわせて徹底的に話しあうとか、そういうことさえなかったのでは、と思ってしまう。学校の先生を責める前にもっとやるべきことはあったんじゃないのかな( もっともハレンチな論外教師は今年も相変わらずけっこういましたが … )。
もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。
昨年の夏休み期間だったか、こんなツイートが話題を集めたことがありました。なるほど図書館ねぇ、と思ったもんですが、逃げ道を作る、という知恵はこういうときにこそ発揮すべきで、たとえば図書館とか物理的な場所ではなく、「他者に邪魔立てされない、自分だけの神聖な時間を作る」ということだっていいわけです。あっさり電車に飛びこんでしまう勇気があったら、なにかひとつ夢中になれるものを見つければいい。きっとそれがその子の命を救うことになるし、結果的に「全世界も救われる」ことになる … かもしれないのですよ。「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ( 「マタイ 10:16」 )」というイエスの名言もありますし。とにかく生きること、これに尽きる。生きているだけでいいんです、あとはなんとかなる( ついでにキャンベルふうの物言いを又借りしてくれば、大金持ちだろうと貧乏人だろうと中間層だろうと、自分の思い描いたとおりに生きている人なんてひとりもいやしないんです )。 それにしてもこの一年ほど、人間のことばの持つ力のブライトサイドとダークサイドを見せつけられた年があったかな、とあらためて感じる。たとえばこういうのはどうですか。あるいはまたこちらの記事とか( こっちは今月 23 日付地元紙コラムにも取り上げられていた )。もうこうなるとこちとらは空いた口が塞がらない、いや、背筋がぞっと寒くなる。これじゃいつぞやここで書いたオルテガの『大衆の反逆』じゃないですか、いやこれこそ「帝国の逆襲」なのかな。
… すべての人々が、新しい生の原理を樹立することの急務を感じている。しかし ―― このような危機の時代にはつねに見られることだが ―― ある人々は、すでに失効してしまった原理を、過度にしかも人為的に強化することによって現状を救おうと試みている。今日われわれが目撃している「ナショナリズム」的爆発の意味するところはこれである。…… 最後の炎は最も長く、最後の溜息は、最も深いものだ。消滅寸前にあって国境 ―― 軍事的国境と経済的国境 ―― は、極端に敏感になっている。―― オルテガ・イ・ガセット / 神吉敬三訳『大衆の反逆』ちくま学芸文庫版、pp. 261 − 2
 地元紙コラムはかつて先輩記者に口酸っぱく言われたこととして、「事実と憶測を混同するな」を挙げています。いまは一見すると、かつては考えられなかったくらい多種多様な情報がそれこそ全世界から入ってきて、あるいはいま自分のいる場所から全世界に向けて発信できたりして、30 年ほど前に喧伝されていたような「高度情報化社会」になったかのようにも見える。でもそのじつ、以前ここでも書いたマッキベンの言う「情報喪失の時代」に生きているのではないかという思いがますます募るいっぽう。その最たるものが、ついったーでしょうかね。言い方は悪いが、次期米国大統領閣下は従来メディアへの対抗手段として、「特定のニーズを満たし、特定のニーズにのみ届く」という SNS の長所でもあり短所でもあるこの点を巧みに突いて利用( 悪用 ?? )しているだけなんじゃないかって気もしますね。ついでに個人的に Twitterというシステムが気に入らない。あれはどう見ても「中央集権的」構造で、「 PPAP 」みたいな例はまあよしとして、けっきょくのところジャスティン・ビーバーかトランプか、発言力のつよい人に大多数を追随させるようにできている。ひところネットで「フラット化」が進む、なんてもてはやされたりもしたが、フタを開けてみたらちっともフラットじゃなかった、ってことですかね。 人間のことばの持つ魔力にいちはやく気づいていたのは、われわれじゃなくて太古の人間だったと最近、ほんとに痛感します。いまの人は「即時性」を求めるあまり、平気で他人を傷つける暴言をツイートし(「 … 落ちた日本死ね」)、また波平さんみたいなうるさ型オヤジが激減( ?! )したせいかどうかは知らぬが、どうでもいいことをわざわざ物議を醸すような物言いで垂れ流す御仁も老若男女問わずゴマンといるのも事実。トイレの落書きにもならないような繰り言を全世界に放って、あとは知らない、では話が通らない。そう言えば先月だったか、英オックスフォード大学出版局の選んだ「今年の漢字」ならぬ「今年の単語 Word of the Year 」に PPAP じゃなくて「脱構築」でもなく「脱真実 Post-Truth 」を選んだんだそうです。post-truth とは言い得て妙、かな? 英語の世界にまたひとつ新顔の仲間入りということか( ちなみに昨年は Face with Tears of Joy、嬉し泣き顔の絵文字[ ?! ]だったようでして )。 その点、たとえば古代ケルト人とか昔の日本人( ことだま )はちがっていた。とりわけ言語感覚が鋭かったのはケルト人だったような気がします。フィリ filidh と呼ばれていた知識階級( 古アイルランド社会においては、「紀元 7 世紀ごろにはすでにフィリたちがドルイド階級の職務と彼らの特権を引き継ぐ事実上唯一の後継者[ P. マッカーナ ]」となっていたらしい )。当時のアイルランドでは、フィリの放つ「ゲッシュ」、もしくは呪いにはほんとうに人を殺す力があると信じられていた( 呪いで相手をやっつけた、という話が多く存在する )。われわれはどうなんだろう? 人間のことばの持つ恐ろしさを肌で感じているだろうか。人間のことばにはたしかに鎌倉の図書館員さんのツイートのような温かい励ましもあれば、その真逆の人を絶望の淵に追いやり、その人の生命を奪うか、あるいは逆上して他者の生命財産へと矛先が向かうことだってある。またプロパガンダというたぐいのことばもある。この点で次期米国大統領閣下におかれましては、やってることは ISIS とたいして変わらない、ということになる( もっともむずかしいこと、それは「汝自身を知れ」)。この手のカルトについて、沼津市出身の小説家、芹沢光治良氏はこんなことを書き残してもいます。
いろいろ新しい宗教や信仰が、現在、さかんのようだが、それは、人間がつくった神で、祈ったからとて、何の力もない。他に神があるように説いて、信仰をすすめる者が多いが、それは、そう説く者の、私利、私欲によるもので、神とは全く関係ないので、愚かにも惑わされては、恥である ―― くどいようだが、重大なことであるから、重ねて言うが、神は、ただ、大自然の親神しか、存在しない。他に、神名を挙げる者があっても、それは、人間が勝手につくった偶像で、神でないばかりか、ただのお話にすぎないのだ ――『大自然の夢』1992、p. 191
 そんな世相を察知したのか(?)、はたまた現代のフィリということなのか、今年のノーベル文学賞があの「風に吹かれて」のボブ・ディランさんに決まったのは、なんか当然の成り行きだったような感じがした。
How many roads must a man walk downBefore you call him a man?...... Yes, ’n’ how many times must the cannonballs flyBefore they’re forever banned?The answer, my friend, is blowin’ in the windThe answer is blowin’ in the wind
 こういう時代だからこそ、やはり批判的に物事を考える習慣というのは大事なんじゃないかって思われます。「こたえは風に吹かれている」。ちょっと目を凝らせば、おのずと取るべき道が、こたえが見えてくるんじゃないかって気がしますね。 … とここまでつらつら勝手なことを書いてきたけれども、本年最後もやはり、珠玉のことばの花束で締めたいと思います。
… 日本人は道義心がつよいし、責任感もつよい。だがそのつよさゆえに、自分自身の人生に振り向けるべきエネルギーを奪われてしまっている。日本人は、課せられた仕事に対するのとおなじくらい、自分の人生を愛してほしい。自分と家族、あるいは友人たちと好きなことをして過ごす時間を大切にしてもらいたい。…… 人は、発展するために生まれてきたのではない。幸せになるために生まれてきたのだ。―― ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領( TV 番組のインタヴューからの抜粋なんですが、これホントにすばらしい、感動的名言だと思う )

…… われわれは独力で冒険を挑む必要さえない。あらゆる時代の英雄たちが先に進んでくれたからだ。もはや迷路の出口はすべて明らかにされている。われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。そうすれば、かつては恐るべき怪物に会うと思っていたところで神に出会うだろう。そしてかつては他人を殺すべきだと思っていたところで自我を殺すことだろう。まだ遠くまで旅を続けなければと思っていたところで、われわれ自身の存在の中心に到達するだろう。そして、孤独だと思い込んでいたのに、実は全世界が自分と共にあることを知るだろう。―― ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』( 飛田茂雄訳『神話の力』、早川書房刊 )

…… 首尾よくドイツ文学科の学生となった僕は、当然のことながら日々ドイツ語との苦闘を強いられることとなった。そんなある日、僕の心を鮮烈に捉えたドイツ語が、… 「アプ・ホイテ」であった。初めて目にして声に出した瞬間、なんともユーモラスな感じがしたのと、何度も口ずさんでいるうちに妙に楽しく愉快な気分になってきた。"今日から" "アプ・ホイテ"、そうだ、すべては今日からだ !! ―― 児玉清『すべては今日から』p. 239
Alles beginnt ab heute !! すべては今日からはじまる !! 来たる年はこれで行きましょう! [ 上記ドイツ語表現についてはベルリン在住の方に校閲してもらいました ]

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2016年04月18日

いとちはやぶる …

 今年の春はいったいどうしてしまったのだろうか … まず天候がおかしい。この季節に雹が叩きつけるように降ってきておどろいた。とにかく天気が悪くて、平成に変わったばかりの3月4月ごろを思い出した( あのときも菜種梅雨で、気温も高かった )。そして、まだ東日本大震災の復興もままならないうちに、こんどは九州・熊本での一連の活断層活動による震度階5, 6, 7の大きな地震動がほぼ連日のように発生するという、地震学者でさえ今後どのように推移するかが「評価できない」、ようするに「わからない」と認めざるを得なくなるという経緯をたどっています[ 折悪しく南米エクアドル太平洋岸でも大地震が起きてしまって、あっちこっちたいへんなことになってしまっています ]。

 かつてさる風景写真家の先生が、諸外国の自然と日本の自然とを比べて、「日本の自然はやさしい」と評した人がいたけれど、そのやさしい顔した日本の自然もいざこのような事態になると、『古事記』や『古今和歌集』じゃないけど、まさに「ちはやぶる」、「荒ぶる神」という恐ろしい一面を見せつけ、われわれを翻弄する。

 被災された方にはかけることばも見つからないのだけれども、とにかく一刻も早い収束を願っています … とはいえここにきて腹立たしいのは、某週刊誌の新聞広告でして、たしか '90 年代後半にも、この週刊誌はわけのわからん記事を書いてました。そのとき静岡県民は市町役場から小冊子を渡されまして、そこには「一般論」として、「関東地震」と直下型の「小田原地震」の周期について書いてあり、記憶が正しければたしか「76 年プラスマイナス 〜 年と言われています」という書き方をしていたように思う。それをさも「切迫性を自治体みずから認めた」みたいに報じたデマ記事をでっちあげていた。

 阪神大震災以降、いわゆる「宏観現象」ものからいかにも素性の怪しいブラジルの予言者(?)だか占い師だかを登場させたりと、やたらと不安を煽る記事を掲載するのが好きのようです。いっとき福島第1原発から放出されたセシウム関連で放射能ものの記事も量産していたのもたしかこの週刊誌だったような。デマといえば富士山関連も多くて、たとえば真冬に地肌が露わになっていると、どこかの TV ワイドショーだかが「噴気」とくっつけて危ないんじゃないかって報じたりする。こういうのもなんとかならんかっていつも思う。ワタシはたまたま地学も好きで、その気もないのに伊豆半島ジオガイド検定なんてのも受けたりした一介のディレッタントながら、真冬の富士山の雪化粧のあるなしは噴火とか地熱とかぜんぜん関係ありません。前にも書いたことをもう一度書くと、富士山の積雪がもっとも多くなるのはちょうどいまごろです。春山の高山地帯ってどこも積雪がすごいでしょ。噴気は、そりゃ活火山だものすこしくらいは上がるでしょう。箱根山の大涌谷なんかいつもそうだし( でも昨年の騒動はすこしおどろいたが )。登山者の証言として、戦後間もないころの富士山は、登ると足の裏が熱くなったっていうのもあるくらいで、いまはその当時に比べれば冷えているらしい。冷えていると言っても油断は禁物で、5年前の 3 月 15 日夜、富士山南西山腹直下を震源とする最大震度6強のあの地震は、噴火するかもしれないぞとすごくピリピリしていたのを思い出す。そしてその富士山ですが、最近、こういうのができまして、ワタシも参考までにクリッピングしてあります( ちなみに富士山山頂火口が最後に噴火したのは約 2,200 年前と言われており、その後の貞観噴火や宝永噴火などを含めた一連の記録に残る噴火は、すべて「山体の割れ目火口」型による。割れ目の走向はほぼ南東−北西ラインで宝永の3つの火口もこのライン上に口を開けている )。

 また静岡県東部地域に住む者として気がかりなのは、ここもいつ動いてもおかしくない活断層帯に囲まれていることです … 有名なところでは 1930 年、工事中の丹那トンネルをずらした(!)「北伊豆地震[M 7.3 ]」を起こした「丹那断層[ 国指定天然記念物、いまは「北伊豆断層帯」って言うそうです ]」があるけど、個人的にもっとも警戒するのは富士川河口断層帯といわゆる「東海地震( 駿河湾トラフ )」の同時発生。あと活断層ではほかに「中央構造線」の突っ切る県西部の「青崩峠」というところもあります。山梨リニアのくそ長いトンネルってたしか … 構造線だったか「糸魚川−静岡構造線」だったか、たしか丹那トンネルよろしく突っ切るルートだったような気がしたけど … 。

 最後にすこしはお役に立てそうなリンクをここにも貼っておきます[ たまたま Ottava 聴いてたら、なんでも本日がレスピーギの誕生日だそうで、この人の管弦楽編曲した BWV. 659 のクリップも貼っておきます。バッハの美しい音楽で、すこしでも気持ちが和らぎますように ]。

1). 日本赤十字社「平成 28 年熊本地震災害義援金
注記:日赤宛て義援金は、「窓口」で振替の場合、手数料はかかりません。不肖ワタシが郵便局窓口でささやかながら払い込もうとしたところ、窓口のお姉さんに「手数料 103 円がかかります」なんてやられた。ムっとしたが、細かいのがなかったから千円札1枚よけいに渡したら、「手数料かからなかったので、これはお返しします」… こういう周知、きちんとしてくれませんかねぇ。航空便だって、こっちが「小形包装物で」と断らないと平然と高くつく通常航空郵便扱いにされちゃったりすることもあるし( ただし「小形包装物」は信書以外のもの限定、宛先国の税関に申告するための緑の紙に内容物と重量、価格、署名を記入する必要がある )。

2). 熊本地震速報】災害・募金寄付・ボランティア情報まとめ



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2015年12月31日

「中心は、至るところにある」

 今年もついに大晦日を迎えることができて、まずは感謝、でもいろいろとくたびれることがつづきまして、少々精神的に疲れてもいる。こういうときは … 音楽だ !! というわけで OTTAVA Salone、ゲレンさんの回をただいま聴取中[ 右下コラム、長らく貼っていたチャロのゴガクルバナーに代わりまして、OTTAVA バナーに切り替えました ]。お! そうでした、今年はシベリウスイヤーでもあったが、バッハ生誕 330 年でもあったわけでした( タネーエフという人も今年が没後 100 年だった )。ってワタシはそれこそ年がら年中バッハを聴き、またへたっぴながらちょこっと弾いてみたり、楽譜を繰ってみたり、という生活を送っているので、あんまり実感がない( 苦笑 )。

 今年は気象観測史上、もっとも暑い年だったそうです … 台風の強大化、「半世紀に一度あるかないか」の異常降雨の増加、デング熱など熱帯感染症を運ぶ害虫の北上、そして最大規模と言われるエルニーニョ現象の発生 … ここ何年か、「いつまでも暑い、と思っていたら秋を通り越していつのまにか冬になっていた」、みたいなきょくたんな気候変化が当たり前になりつつある。日本の四季はいったいいずこへいったのか、みたいなことが日常になりつつある。クリスマスどきの異常な暖かさ、寒がりなんでこれはこれでありがたいけれども、気温変動があまりにも激しくて、ほんとうにこれが冬なのか? とむしろ寒気をおぼえる。

 エピキュリアンなワタシがこんなこと書くのは不適格かつ僭越きわまりないとは思うが、年が明けたと思ったらいきなり邦人2名が IS に拉致された、というとんでもない報道が飛びこんできた。IS については以前こちらで書いたとおりですけど、ああいう手合を見ていると、どうしても比較神話学者キャンベルのことばが思い出されてしまう。
… 「神は人間の知性で認識できる領域であり、その領域の中心はあらゆるところにあり、円周[ 境界 ]はどこにもない」… 私たちひとりひとりが ―― それがだれであろうと、どこにいようとかまわないのですが ―― 中心なのであり、その人の内部に、その人が知ろうが知るまいが、「自在な心」が存在しているのです。―― ジョーゼフ・キャンベル著、飛田茂雄ほか訳『生きるよすがとしての神話』、p. 280
 キャンベルという人は少年期、ローマカトリックの教えを受けていたが、欧州留学を経て大恐慌まっただなかの本国に帰国したとき、親類縁者に対して「わたしはカトリックの信仰を捨てます」と「棄教」を宣言したという。これが当時の米国北東岸の社会においてどれだけ衝撃的な事件だったかは、ちょっと想像するのがむつかしいかもしれない。とにかくキャンベル青年は恐れることなく棄教すると言ってのけたわけです。

 最近、あいにくこちらも絶版なんで図書館で借りて読了したキャンベル本『野に雁の飛ぶとき』という 1969 年に刊行された論文集をはじめ、今年もまた( ここには紹介してないが )いろいろ読みましたよ。もちろん気に入った CD や書籍は原則的にぜんぶ買う人なので( あまりにお高いものはさすがにちょっと考えるけれども )たとえば昨年の話だけど村岡花子の復刊されたエッセイ集も買い揃えたし、前にちょこっと言及した『岩城音楽教室』も児玉清さんの遺稿集『すべては今日から』も買ったり、そうかと思えば『ハムレット( いまごろ ?! )』、漱石の『草枕』、鈴木大拙師の『禅』なんかも買った。それとこちらも前に紹介したけれど、鴻巣友季子先生訳『風と共に去りぬ』新訳本も読み、それがきっかけでこっちの本へと脱線し … とはいえだいぶ前に買っておいて「積んどいた」本、ショーペンハウアーの『知性について』とかもいまだまともに読んでないし、キャンベル本にも出てきたハクスリーの『知覚の扉』も読了していない、というわけで年末年始、この時期恒例みたいな感じでまたしても悩ましいことになってしまった。以上、キャンベル本しか読んでないのか、というギモンに先回りして[ in advance ]釈明したしだい。

 話もどりまして、IS やかつてのオウムなどに引き寄せられる人についてはこちら側にいるわれわれも頭ごなしに否定していては、いつまでたっても解決にはつながらないし、今後もこういう過激思想に染まる若い人がつづいてしまうだろうと思う。彼らを操っている不届き者は徹底的に叩くべきとは思うが、では「砂漠の一神教」のどこが問題なのか。その問いに対するひとつのこたえが、↑ で挙げた『 24 賢人の書 Liber XXIV philosophorum 』に出てくるあのことばかと思う。なんでもそうだが、原理主義に凝り固まった人というのは、自分の信条( 信仰 )が絶対的正義、みたいなことを露ほどにも疑わない。疑わないから、他人様にそれを押し売りする。正月どきにやってくるなんとかの証人みたいに( あの人たちはなんでまた『聖書』を売りつけに来るんだろ … 当方だって「新共同訳」くらいは持ってますぞ )。
あなたとあなたの神とは、あなたとあなたの夢がひとつであるのと全く同じく、ひとつです。とはいえ、あなたの神は私の神ではありません。だから私にそれを押しつけないでください。各人がそれぞれ独自の存在と意識とを持っているのですから。( Campbell, op.cit., p. 169 )
 その点、中世初頭のアイルランドでの「改宗」事情は欧州大陸とは大きく異なっていた。アイルランドでは一滴の血を流すことなくわりとすんなりキリスト教化されたのは有名な話、聖パトリックが実在の人物だったかどうかはさておいて。ひさしぶりにケイヒルの『聖者と学僧の島』を読み返してみると、ヒントになりそうな一節がありました。「自分には確固としたアイデンティティなどなく、自分は、現実の残余として流れゆく液体にすぎない存在、もともと本質の欠落した存在なのだという思い[ p. 183 ]」。これだけではわかりにくいのでかいつまんで書くと、キリスト教到来前の古代アイルランド人は氏族間の抗争に明け暮れ、気まぐれで「移ろいやすい」特有の自然の持つ暗さ、恐ろしさを肌で感じながら日々を送るしかなかった。その証拠にアイルランドの古代神話に出てくる英雄も牡牛になったり鷹になったりあるいは海を渡る風になったりと変身しつづける、なんていうモティーフがよく出てくる。でも! もう恐れることはない、「いかにひどく、がまんのできないことであっても、かならずや終わりがくること … 神は謙虚な祈りにこたえて、道に迷いさまよう人たちに神の食物をあたえる」。それまでの「神」は、人間の首を要求した( かつてのケルト人氏族には首狩りの習慣があり、その名残りともいうべき意匠がたとえばシャルトル大聖堂とかにもレリーフとして刻まれている )。ようするに人身御供とひきかえに豊饒など、切なる願いを聞き入れた。それが(「旧約」のアブラハムとイサクの話のように )屠られる対象が人間から子羊へと変わり、そしてついには「神のひとり子」をアダムの子孫たるわれわれの「原罪」を贖うために十字架につけ、救済してくれた … というわけで、キリスト教って日本人にとっては「三位一体ってなんぞや」みたいな難解なイメージがつきまとい、悲しいことにそうした無知につけこむ連中もいるわけなんですが、当時のアイルランドに生きる人々にとっては文字どおり漆黒の雲間からさっと差しこむ強烈な「光明」のごとく見えたのは想像に難くない。ようするに「砂漠の一神教」の教えは自然の移ろいやすさから切り離されている安心感、そしてこういう論理の明快さ、わかりやすさが決め手になったんじゃないかって思わざるをえない。この「わかりやすさ」があったからこそ使徒パウロの伝道が功を奏し、結果的にそれまでの「地中海世界の多神教」は廃れてしまったんじゃないかって思うのです。当時の人々にとってはまさしくそれまでの価値観と時代、世界観の崩壊、「この世の終わり」を象徴する出来事だったんではないかと … もっともその変化はいっきに来たわけではなく、「気がついたらそうなっていた」のかもしれませんが。

 と、ここまでつらつら愚考していると、またしてもキャンベル本に出てくる引用箇所が思い出される。それは以前ここでも紹介したヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ作『パルツィヴァール』[ 加倉井粛之、伊藤泰治ほか共訳『パルチヴァール』郁文堂出版、1974 ]。この聖杯探求をめぐる壮大な冒険物語の結尾に、にわかに信じられないことが書いてあります。前にも引用した箇所だが、もう一度繰り返しておきます[ 下線強調は引用者 ]。
 そのとき聖杯に文字が読まれた。神により他の国々のあるじと定められた聖杯の騎士は、他人に自分の名前や素性を尋ねさせないことを条件に、その国の人々の権利の実現に力を貸してやるようにと、記されてあった( p. 427 )。
これスゴイことですよ、だって『大憲章 Magna Carta Libertatum 』発効の 5 年前にすでにドイツ人詩人にして騎士の著者がはっきり書き残しているんだもの。こういうこともみんなキャンベル先生に教えてもらった( → 関連拙記事 )。
… 新しい神話は、ある特定の「民族」のちょうちん持ちをするために書かれたものではなく、人々を目覚めさせる神話です。人間はただ( この美しい地球上で )領地を争っているエゴどもではなく、みんなが等しく「自在な心」の中心なのだと気づかせる神話です。そのような自覚に目覚めるとき、各人はそれぞれ独自のやり方で万人や万物と一体となり、すべての境界は消失するでしょう( ibid., p. 281 )。
 … と、『フィネガンズ・ウェイク』よろしくここまで「忍耐強く[ cf.「さあて、忍耐だ。忘れてはならん、忍耐こそは偉大なるもの ( 柳瀬尚紀訳、I 巻 p. 209 )」 ]」読んでくださって妄評多謝であります。m( _ _ )m 今年最後は … やはり大バッハに登場してもらいましょうか。今年、何度となく、胸中に響いていた旋律と歌詞です。
Dona nobis pacem.
われらに平安を与えたまえ



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2015年08月17日

南北戦争 ⇒ 終戦 70 年

1). 新訳版『風と共に去りぬ』に、次のようなスカーレットの科白が出てきます。
「もっと綿を植えよう。もっともっと。あしたポークをメイコンへ
()
って、種を買ってこさせよう。もうヤンキーに焼かれることもないし、味方の軍隊にとられることもないんだ。ああ、やれやれ! この秋には、綿花の値もうなぎ上りよ!」

 70 回目の終戦の日の何日か前だったと思うけれども、地元紙投稿欄にも「明日からはもう空襲はないんだ!」という戦争体験者の方の述懐が載っていました。心情的には、南北戦争時代の南部白人スカーレットと、こちらの述懐とは、なんらの距離もなくて、戦争の惨禍を文字通り命からがらくぐり抜けてきた凄絶な体験をした人ならばだれだって心底、そう思うものだろう。

 ところでふたつ前の拙記事で取り上げた Ninety Six という地名の出てくる本。『風と共に … 』を読み進めていくうちに、なんか急に(?)当時の南部プランテーションで奴隷として白人に従事していたアフリカ系米国人のことが気になりだして、件の本がいつぞやお世話になった静大附属図書館(!)の書庫に入っていることを知り、いつも行ってる図書館経由で( 相互利用制度 )借りることができたので、さっそく読んでみた。例の '96' は、当時北軍の第3海兵歩兵部隊に所属していたジェイムズ・マクファーソンという名の中尉さんだった人の行軍日記が出典だということがわかった。1864 年5月5日、マクファーソン中尉はヴァージニア州の戦闘で南軍側の捕虜になり、サウスカロライナ州コロンビア近くの収容所に送られた。同年 11 月下旬、マクファーソン中尉は仲間3人とともに収容所から脱走。テネシー州ノックスヴィル近くの北部合衆国側との境界線を目指し、200 マイル以上もの距離をひたすら逃げ、脱走にからくも成功したという話。で、マクファーソン中尉の「日記」からわかるのは、当時の黒人たちの共同体が彼らの脱走成功には欠かせなかった、ということです。「口コミ」という連絡手段がありますが、あれのもっと大掛かりなやつ( bush telegraph )を駆使して、ひとつの黒人コミュニティからつぎのコミュニティへと、彼らの逃亡ルートの道案内をリレーしただけでなく、「おいしい食べ物( 'Here the negroes could not do enough for us, supplying us with edibles of a nice character ...', p. 114 )」までたっぷり用意してくれたりとその働きぶりに目を見張ったことが鮮やかに活写されています。ようするに貴重な第一級史料のひとつ、なんですな。例の Ninety Six の北にあったとかいう鉄道を横切った、という話は、12 月5日付の日記に出てきます。

 この本( George P. Rawick, From Sundown to Sunup, 1972 )全体を ―― 期限が切られていたのでやや大雑把ではあるが ―― 通読してみて思ったのは、「南部の黒人奴隷たちは人間としての自由を剥奪された被害者だ」とか、「強制収容所だった」みたいな言説は必ずしもあたらない、ということだった。そしてこれも寡聞にしてはじめて知ったのだが、南北戦争前にも、奴隷ではない「自由な」黒人たちというのがきわめて少数ながらも存在していたこと、そして、『風と共に … 』でもそれとなく出てきたのでありますが、黒人奴隷女性が「マッサ( またはマースなど )」と呼ばれていた使用者( 主人 )の子どもを産む(!)というケースもけっこうあったらしい。つまり「黒人社会と白人社会とは完全に断絶されていたわけでなく、抑圧的な場合が多かったとはいえ、南部プランテーション制度での両者の交流は活発だった」ということでした。なのでスカーレットの乳母が黒人の大女マミーであったのも、当時の南部ではよくあることで、それにもとづいて書いた、ということになる。そしてこれもはじめて知ったのだが、南北戦争当時、すでに黒人奴隷および解放奴隷に対する「聞き書き」調査が連邦政府後援プロジェクトとして行われていたという事実。この「聞き書き」は 1930 年代、FSA の写真家ドロシア・ラングとかウォーカー・エヴァンス、ゴードン・パークス、カール・マイダンスとかが活躍していた時代にもさらに大規模に実施されていたけれども、その存在は 1960 年代に「再発見」されるまで埋もれていた( その間、黒人奴隷の記録はほとんど残っていないというまちがった認識がはびこった )。この本は、そういう元奴隷だったアフリカ系米国人による膨大なナラティヴを集めたもの( Volume I Of The American Slave: A Composite Autobiography, 1972−79 )で、この本はその巻頭を飾る、言わば全体を俯瞰したような内容の本だった( これらの調査はほとんどが聞き書きだが、なかには元奴隷本人の直筆もある。書名の From Sundown to Sunup は、昼間は主人にこき使われている黒人たちが、日没から夜が明けるまでのあいだは「自分自身のために生き、完全な犠牲者になるのを防ぐための基盤としての行動や制度を創り上げていった」ことを指している )。

 とはいえ当時の黒人奴隷たちの境遇がひどかったことに変わりはないけれど、そんな逆境の中でもたくましく生きていた黒人たちの話がたくさん出てくる。たとえば先祖の土地である西アフリカ沿岸地域に伝わる土着の神々が姿と役割をがらりと変えて、新大陸でも崇拝されていたとか、黒人教会の母体になった「夜の密会」の話とか( 黒人奴隷たちは、わりとすんなりキリスト教を受け入れていた。たとえば「三位一体」という教義については、土着のトリックスター信仰にもあった「神さまはいろいろに変身する」というふうに捉え再解釈していた。この関連でハイチのヴードゥー教の話なんかも出てくる )、結婚するときに不可欠な「ほうき飛び越えの儀式」とか「地下鉄道」とか、とにかく知らない話がいろいろ出てきて個人的にはおおいに刺激を受けた。そして( 当然と言えば当然ながら )南北戦争勃発時の北部は黒人奴隷に依存する綿花栽培経済とはまるで構造の異なる経済と社会であり、北部にいた黒人の数も南部に比べれば圧倒的に少なかったらしい。南部人にとってはありふれた黒人も、北部人にとっては人づてに耳にするていどのもので、南北戦争開戦時は「なんでそんな連中のために戦わなければならないのだ」と、アイルランド系移民などの低賃金労働者からの突き上げ、ないし反発がすごかったという。なかでももっとも大きかった暴動が、1863 年に起きたニューヨーク徴兵暴動だった。ちなみに終戦後、黒人「もと奴隷」たちはせっかく解放されてもまともな仕事にありつけず( 識字率も低いしろくな教育を受けていなかったため、というのもあるが、「プアホワイト」と呼ばれた低所得白人層の子弟にとっても事情はおんなじだった )、仕事を求めてやっとの思いで北部にたどり着いてもおなじく低所得でこき使われていた白人労働者階級から迫害されたりで、けっきょくもとの「マッサ / マース」たちの経営する大農園へともどったり、あるいはどこも行くあてがないからと、戦前同様にそのまま農園主の許で働く黒人たちが大半だったようです。その後も悪名高い KKK や南部諸州による隔離政策の合法化など、マルコムXやキング牧師の時代まで苦汁をなめつづけたアフリカ系米国人たちの歴史は、周知のとおり。あと、黒人霊歌( 'Steal Away' とか )の話もちょこっと出てきたりします。そして社会学の立場から、北部流儀のいびつな資本主義の産業構造が押しつけられた結果、白人の底辺労働者層と「もと奴隷」黒人とがいかに搾取され、かつ人種偏見も助長されたか、みたいなくだりも目を開かれる思いがして、なんだか部分的にながらも『 21 世紀の資本』の先取りみたいな印象も受けた。

 … ついでながら、かつて日本でもブームを巻き起こしたアレックス・ヘイリーの自伝的作品『ルーツ』も思い出した … 当時、小学生だったけれども見てましたよ、あのテレビドラマシリーズ !! 最後には著者( カメオ出演ではなく、演じていたのはプロの俳優 )も出てきて、「[ 自分のご先祖さまは ]クンタ・キンテだ !! 」と叫ぶ場面とか、米国で苦労した年老いた父親に空港(?)かどっかの売店で自ら買った自分のベストセラー( !! )を差し出して、受け取った父親が息子に向かって微笑んで「ありがとう」と言う場面とか、ほんとうに久しぶりに思い出しましたよ … ちなみに「ルーツ roots 」なる外来語が定着したのも、この『ルーツ』がきっかけでした。以後、「自分のルーツ探し」が巷で流行ったりする[ 老婆心ながら、著者ヘイリーは『大空港』で知られるアーサー・ヘイリーとは別人 ]。

2). 『風と共に … 』を読んでいまひとつ強く感じたのは、太平洋戦争時の日本と南北戦争時の米国南部の情況が不気味なくらい符合することが多々ある、ということです( 周りの「空気」を怖れてなにも言えないとか )。人間のやることだから、あるいは人間心理というのは洋の東西を問わず … と括ることもできるかもしれないが、先の大戦での犠牲者 310 万人余、南北戦争に斃れた兵士 50 万人以上、というとんでもない犠牲を払ったその「大義」、「正義」っていったいなんだったのかと思わざるをえない。IS などの原理主義勢力によるテロリズムの脅威や、核戦争の危機もいまだ拭えていない 21 世紀のいまに生きるわれわれにとって、やはり確実に言えることは「戦争というのは絶対悪である」ということだろう。米国の作家で L. スプレイグ・ディ−キャンプという人がいたけど、その人のファンタジーものに、「ひとりだろうが百人だろうが、殺人は殺人だ」というくだりが出てくる。そういえば最近、与党の若手議員だかが、安保法制法案に反対を叫ぶ学生団体に対して「自分勝手だ」とかなんとか、のたまわったなんて話を聞きますと、連日 33 度超えのクソ暑さにもかかわらず、怪談よろしく背筋が凍りつく思いがする。若い人たちが反対するのはしごく当然だ。いつの時代も、戦争に駆り出されるのは体力のある若い人。その人たちの両親だって、わが子に進んで見ず知らずの若い人を殺してほしいなんて思うわけもない。憎しみの連鎖というものを断ち切らないと、詩人の谷川俊太郎さんじゃないけど、「戦争はなくならない」。そういうことを平然と垂れる議員さん方には、先日、松崎町在住の主婦の方が地元紙に投稿した一文を見るといい。
 近年世界情勢は変化しましたが、自国の防衛が個別的自衛権では、どこがどのようにいけないのでしょうか。…… 今回も戦争の悲惨さを知らない世代の政治家たちが、国民の安全は政治家が守ると言いながら自分達の解釈によって議論もそこそこに法案を成立させようとするのは、あまりにも乱暴なように思われます。…… 民主主義国家とは国民が主権者ではないでしょうか。
 前にも書いたかもしれないが、自分がはたちのとき、癌で入院していた伯父さんが、「おまえはたちになったのか? なら徴兵検査だな」とつぶやいたのを鮮明に覚えている。そして Microsoft の創業者のひとりによって発見されたのが、もうひとり別の伯父さんが乗艦していた「戦艦武蔵」だった。戦争体験者のほとんどが 80−90 歳代になり、ほとんどが自分も含めて戦争を知らない世代が大半を占めるようになった。

3). 首相の談話の公式な「英訳」というのが地元紙紙面に大きく掲載されてました。で、気になったのは下線部分。
Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.

 In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.

[ 談話原文 ]寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

ここ、どうにもつながりが悪いと思いませんか? なんか前後の文脈顧みずむりやりって感じで … ほかの人はどうかなって思っていたら、たとえばこちらの比較ページにも、この箇所が取り上げられていたりするし、こちらの記事でも、'But he added:“We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with the war, be predestined to apologise ... "' みたいに紹介している。ワタシはこの件に関して、基本的にこちらの先生の意見とおんなじですね。「歴史の延長線上に自分たちがいると認識する」ことがなくなったら、またこの国の指導者は暴走するだろう、立憲君主としての時の天皇の意見や心情もろくに斟酌せずにね。こういう発想は、原発再稼働とおんなじです。「喉元すぎれば … 」とか「ほとぼりが … 」とか、そろそろいい頃合いだろうとか、見くびっているというかタカをくくってるんじゃないでしょうかねぇ。そういえば最近、中電の「浜岡原子力館」の TV CM がやたら目につくようになった。

 この英訳にもどれば、新聞紙上のコメントにあるように、remorse とか repentance などの単語はよほど洋書・洋雑誌を多読しないかぎり、あんまりお目にかからないだろうから、この際覚えておいて損はないでしょうね。

追記:いまさっきひょっとして、と思って動画サイトあたってみたら、↓ のようなクリップが出てきました … そしていまさらながら、原作者ヘイリーを演じていた俳優というのが、なんとなんとあのジェイムズ・アール・ジョーンズだった !! そうかあ、ダース・ヴェイダーのあの声の吹き替えやっていた黒人名優さんだったのか … と、遅かりし由良之助の心境( 苦笑 )。



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2015年02月15日

色聴 ⇒ ピケティ ⇒ 「いかずち」

 日曜の昼下がり、いつものように「きらクラ!」を聴きつつ書いてます。

1). 先日、地元紙夕刊で連載中のピアニスト、小山実稚恵さんの「あふれる音の贈り物」。いつも楽しみにしているこのエッセイもはや第 23 回ですか。けっこう息の長い連載です。

 で、その 23 回目の本文にはこんなことが書いてありました。
真っ赤な色が目に飛び込んでくる ―― 。チャイコフスキーのピアノコンチェルトを演奏すると、いつもそんな印象を受けます。
 「音が感じさせる色」というものがあるような気がするのです。ゴッホが描く黄色や青色のような鮮烈な色から、モネの睡蓮のように柔らかでコクのある不思議な色調、水彩画のような透明な色彩、水墨画のようなモノトーンの世界 … 。ピアノを演奏していると、本当にいろいろな色を感じます。実際には色を見ているわけではないのに、音から色の世界が広がってゆく。音楽にはそういう魅力もあるのです。

ここを読んだとき、その直前にたまたま耳にした、'OTTAVA Salone' の放送回を思い出していた。「色聴」に言及したさるリスナーのコメントを読んでいたその日の担当プレゼンターさんが、へぇ〜、そんなのあるんだ! と感心されてたんです。こういうのを共時性って言うんでしょうか、まったく関係ない場面で、まったくつながりのない個人からおんなじ話題、トピックが口をついて出る、ということが時折あります( だから世の中おもしろい )。

 当方、「シキチョウ」なる語を聞くと、なんとかの犬状態で、即スクリャービンを思い出す。このロシアの作曲家自身もまた色聴があったそうで、驚くことに最後の交響曲「交響曲第5番 作品 60( プロメテ ― 火の詩 )」では、演奏する音に反応してカラー照明の演出を行う「色光ピアノ(!)」なる楽器を初演に担ぎ出そうとしていたくらい( けっきょく作曲者の意図に反して、その「演出」は実現しなかった )。ちなみに個人的に発見だったのは、スクリャービン、ではなくて、同時代人のリャードフが最晩年に作曲した2声小フーガ( ラ−ド−ファの主題によるフーガ )。まるでバッハ時代に逆もどりしたかのような、擬古典的とでも言うのでしょうか、なんて愛らしい小フーガなんだろう、と思う。フーガついでに、グールドはバッハの「フーガの技法」出だしの4声単純フーガについて、「色彩のない、モノトーンの世界がひたすら広がる」と、そんなふうに評していたのを読んだことがある。

2). いま、巷で話題なものとくると、「妖怪ウォッチ」ではなくて … トマ・ピケティ教授の『 21世紀の資本』ですね !! ついこの前も、本屋でこの『ハリー・ポッター』本並みに分厚い学術書( 版元はなんと、あのみすず書房ですぞ !!! )の山を見かけたので、片手で持ってちょいと立ち読みするにはひじょーにツラい … んですが、ちょっと読んでみた。でもってびっくりしたことに、ワタシが目を走らせている端から、平積みの本がつぎつぎと文字どおりレジ方向に飛んで行くではないですか。

 めぼしい箇所を牛が草食むごとく browse しただけで云々するのは、もちろんアンフェア。でも印象を述べさせていただくと、結論的にはわれわれ一般庶民、市井の人間がそうとう以前から直感的に思っていたことが、「やっぱりそうなのか」と上書きされただけだった。「クローズアップ現代」とか「白熱教室」とか、いろいろ取り上げられていたからもう二番煎じでしょうけれども、ようするに「 r > g 」、「資本市場が完全になればなるほど、資本収益率rが経済成長率gを上回る可能性も高まる」ということ。ほらヘミングウェイ作品名にもあるじゃない、あれですね、「持つと持たぬと( To Have and Have Not )」、とくに「お金」を持っている人と、そうでない人との「格差」は、このままほうっておくとえらいことになるよ、ということ。

 ではどうするか。「クローズアップ現代」でのインタヴューでは、著者先生は、「グローバル資本税」みたいなことをすべきだ、としている。こういう発想について、いわゆる識者なる class の方々がいろいろに「自説」を展開されているので門外漢はこれ以上は関知しないが、労働者階級( 英国は階級社会として有名だけど、現代フランスではどうなのだろう … やはり移民差別問題のほうがはるかに大きいかもしれないが )出身のピケティ教授の生い立ちが、ユング心理学ではないですけど、やはり深く深く根を下ろしているのでは、と思われます。でもたとえば政府が抱える膨大な借金について( 以下、下線強調は引用者 )、
… 金持ちからお金をふんだくって財政再建すればよいというのは、フランスの左派思想家であるピケティらしい主張とも言えるが、日本の常識で言えばとても現実的とも賢明とも思えない。
と、「ピケティにかこつけて」持論を展開しているさる経済学先生のコラムも先日、やはり地元紙に載っていた。ええと、「日本の常識」から見ても、この先生の言われる「死亡消費税」なる発想は、そうとう尋常じゃあないでしょうよ。ちなみに、「あれだけ厚くて中身の濃い本を、どれだけの人が理解できるのかは疑問を持っている。私の大学の学生と英語版を何回かに分けて 200 ページほど読んでみたが、一般の人がそう簡単に読めるような内容ではない」とも( 先生ご自身は読破されたのでしょうか? )。

 かつてバロウズ本の邦訳紹介でその名が知られるようになったこのとてつもない文字どおりの労作、tome の翻訳者のおひとりの山形浩生氏は、ご自身のブログ上でもこの本の持つ「むつかしさ」についてわれわれ一般読者に対して念押しされているから、まあたしかにそうなんでしょうけれども、それではアダム・スミスやケインズとかはどうなの? 分野がちがうけれどゲーテは、ヴィトゲンシュタインは ?? トーマス・マンはジョイスは ??? いまさっきふかわさんが、「いまの世の中、人々が『水に流さなく』なったねぇ …」って嘆息混じりにこぼしていたけれども、心の狭い、文字どおり小市民なワタシなんかはつい、「よけいなお世話じゃ」と思ってしまう( スミマセン、ひねくれているもので )。ちなみにピケティ教授ご本人曰く、「ほとんどの人が非常に読みやすいと感じている」( ふかわさんはつづけて、「心に溜まったあれやこれやを流してくれるのが、音楽だ」 )。

 もうひとつ疑問。ピケティ教授って、そんなに「左派思想家」なの ?? なんかこちらの記事とか見ますと、ピケティ本の主張を生理的に嫌う向きがどうしても多数派になるお国柄の米国民の拒否反応のごとく、相対的主観にすぎないんじゃないだろうか。とすれば、この先生の視点もまた、「米国追随」型発想から抜けられないというふうにもとれる。というか、そろそろこのコラム、執筆陣を一新したらどうかっていつも思うんですけど … だめかしら。こういうのも根拠のないたんなる思いこみにもとづく「偏向」記事なんじゃない? 「『ジョー・キャンベルなんかと関わり合うなよ。あいつはユング派だ』。私はユング派なんかじゃありませんよ」(『ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚とは冒険である』馬場悠子訳、p. 171 )。学生相手におだやかな調子で講義するピケティ教授の姿を見ているかぎりでは、おそらくご本人ですら「左派思想家」なんて自覚はないだろうと思いますよ。いずれにせよ、この手の硬派な、データや資料中心の( 一部使用されているデータや統計がヘンだ、という批判もあるけど )労作がそれこそなんとか警部ものみたいに売れてゆく、というのはとてもいいことだ。おなじ売れるんならこういう本のほうがまだマシですし、またべつの見方をすれば、ベストセラーリスト入りする本ってたいていの場合、なんらかの分野の翻訳ものが含まれるケースがほとんどで、しかも今回は異例とも言える分野の専門書の邦訳本( 英語版からの重訳みたいです。仏語が得意な向きは原本も買って読み比べればさらに楽しめる[?]でしょう )が売れている。たまにはこういうこともあっていい( と言いつつ、立ち読みした本をもとの山に返して平然とその場を立ち去るワタシ )。

3). 最後もまたまた地元紙連載から。「国語は生きている / 白川静『字訓』を読む」からでして、これすごく勉強になります( ヨイショではない )。で、この前目にした記事では、いまもっとも問題になっていること、「いのち」という日本語についてでした。
… 白川静さんは呼吸の「息」に「気」の漢字も挙げていますが、その「気」は「い」とも読んで、「生き」や「息」のもとになる言葉です。… 「いぶかし」も「気」をもとにする言葉です。…「いきどおる( いきどほる )」は息が通ることではなくて、激しい怒りで生きが胸につかえることです。…「厳し」「厳めし」の「いか」も「いき」の系統です。内部のさかんな力が、外に激しくあらわれることが「厳し」。「厳めし」は威勢があっておごそかであることです。

 なんだか英語の spirit にも通じる話ではないですか。こっちの語源は『聖ブレンダンの航海』( この航海譚の性質上 )でもときどき見かけるラテン語 spiritus で、そのまんま「息」、「息吹き」ですね。

 でも、なんといってもワタシが瞠目したは、その結語でした。
最後に紹介したいのは、かみなりです。「いか」は「厳」のこと。「つ」は「の」の意味の古代語。「ち」は「霊」です。恐るべき神だった雷鳴のことです。
 正直、カミナリに打たれたような気持ちになってしまいましたよ。そしてもちろん、アタマの中ではあのヤナセ語訳『フィネガン』の「雷鳴」が鳴り響いていたのでした。そういえば『ユリシーズ』でもちょうど本の真ん中あたり、第 14 挿話(「太陽神の牛」)で雷鳴が轟き、またエリオットの『荒地』の「雷が言ったこと」に登場する DA、Datta も連想していた。ちなみに「かみなり」とは関係ないが、バッハのあの長大な「シャコンヌ( BWV. 1004 )」も、全6曲のセット( バッハにはこういう「6つでワンセット」な作品がままある、「オルガンのための6つのトリオソナタ」とか )のちょうどど真ん中に当たる部分に位置している。

 … とはいえ、あの中東の狂信的カルト過激派自称国家、なんとかならないものか。こんどはデンマークで襲撃事件が起きたようですが … この前も書いたこと、「ペンは剣よりも強し」について、なんとあの村上春樹氏もまた当方とおなじような見解を表明していて勇気づけられた口なんですが、ISIS / ISIL なる「組織」は、じつに巧妙かつ狡猾に社会からはじき出された若い人を引きずりこんで、自分たちは手を汚さずひたすら財産と資源の略奪と、自分たちの意に沿わないものは片っ端から処刑するという、たしかにいままで例のなかったタイプの過激派だとは思うが、日本はすでにこのひな形みたいな忌まわしい事件を 20 年前に経験済み、ということを忘れてる人が多いような気がします。なので、例のイスラム法学者氏の会見とか見ていると、なんかこう歯がゆいんですね。たしかあのときも、「宗教学者としての死」などと宣言していた宗教学の先生がいましたから。この前やはり地元紙にイラクだか、まっとうなイスラム教の権威みたいな先生が取材に回答している記事を目にしたんですが、「あれはカルト集団」だとはっきり断じていたのは、まことに正論だと思った。でもいっぽうで、すこし時間はかかるが資金源を断ち、「兵量攻め」にして追い詰めれば、汚い仕事は傭兵任せ、みたいな組織のこと、内部崩壊するはずだとも思うが … 。はっきり言って、連中のやってることはこの前読んだばかりの『大衆の反逆』に書いてあることの「何度目かの」二番煎じにすぎない。「大衆がみずから行動するときは、ほかに方法がないから、次のようなただ一つのやり方でするのである。つまり、リンチである」、「じっさい、われわれは普遍的なゆすりの時代に生きているのである。これは二つの補足的な面をもっている。暴力のゆすりと、冗談半分のゆすりである。そのどちらも同じことを望んでいるのだ。つまり、劣等な者、凡庸な人間が、いっさいの服従からの解放感を味わおうというのだ( 中公クラシックス版、寺田和夫訳、p. 144、252 )」。
時計がこわれたら 二つのうちどちらかをすることになる
火にくべるか 修理にだすかだ
前者のほうが てっとり早い
―― マーク・トウェイン著 大久保博 訳『ちょっと面白い話』p. 238

付記:「ロバの音楽座」上野先生の今年の「動く年賀状」、すばらしいのでここでもご紹介しておきます。↓


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2014年12月31日

想像力という名の翼に乗って

 2014 年、いざ過ぎてみればあっという間だったような、なかったような … 言いたいことはいろいろあれど、とにもかくにもぶじでなにより、この一語に尽きます。

 脱線ばっかのワタシなんかがここであれやこれや言うより、やっぱり今年の店じまいに際しては、個人的に心に残った「ことばの花束」として、兼好法師のごとく、つれづれなるままに書き連ねるのがいちばんよいかと思い、引用集として再録しておしまいにしたいと思います( 否、手抜きではけっしてない。以下、太字強調は引用者 )。

 ―― プロでないわたしが言うんだから、あてになるのかならないのかわかりませんけど、政治の役割はふたつあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もうひとつは、これがもっとも大事です。ぜったいに戦争をしないこと! … アメリカにも、良心厚い人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国はちがえても、おなじ人間だ。みな、手を結びあおうよ。―― 故菅原文太氏、11 月1日の「1万人うまんちゅ大集会」ゲストあいさつにて。周知のとおり、これが最後のメッセージになった。合掌。

 ―― 世界には多くの種類の壁があります。民族、宗教、不寛容、原理主義、強欲、そして不安といった壁です。私たちは壁というシステムなしには生きられないのでしょうか。小説家にとって壁は突き破らなければならない障害です。… ジョン・レノンがかつて歌ったように、わたしたちだれもが想像する力を持っています。暴力的でシニカルな現実を前に、それはか弱く、はかない希望に見えるかもしれません。でもくじけずに、より良い、より自由な世界についての物語を語りつづける静かで息の長い努力をすること。ひとりひとりの想像する力は、そこから見いだされるのです。―― 村上春樹氏、11 月7日、ベルリンにて、ウェルト文学賞受賞記念スピーチで

 ―― Dear sisters and brothers, the so-called world of adults may understand it, but we children don't. Why is it that countries which we call strong are so powerful in creating wars but are so weak in bringing peace? Why is it that giving guns is so easy but giving books is so hard? Why is it, why is it that making tanks is so easy, but building schools is so hard?
    We are living in the modern age and we believe that nothing is impossible. We have reached the moon 45 years ago and maybe will soon land on Mars. Then, in this 21st century, we must be able to give every child quality education.
    Dear sisters and brothers, dear fellow children, we must work… not wait. Not just the politicians and the world leaders, we all need to contribute. Me. You. We. It is our duty.

[ 邦訳文 ]:親愛なる兄弟姉妹のみなさん。いわゆる大人の世界であれば理解されているのかもしれませんが、わたしたち子どもにはわかりません。なぜ「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。なぜ、銃を与えることはとてもかんたんなのに、本を与えることはとてもむずかしいのでしょうか。なぜ戦車をつくることはとてもかんたんで、学校を建てることはとてもむずかしいのでしょうか。
 … 現代に暮らす中で、わたしたちはみな、不可能なことはないと信じています。45 年前に人類は月に到達し、おそらく火星にもまもなく降り立つでしょう。それならば、この 21 世紀には、すべての子どもたちに質の高い教育を与えられなければなりません。
 … 親愛なる姉妹兄弟のみなさん、わたしたちは動くべきです。待っていてはいけない。動くべきなんです。政治家や世界の指導者だけでなく、わたしたちすべての人が、貢献しなくてはなりません。わたしも、あなたたちも、わたしたちも。それがわたしたちの務めなのです。

―― マララ・ユスフザイ氏、12 月 10 日、オスロ、ノーベル平和賞受賞演説にて。子どもたちに本とペン、教育を !! という胸打たれるマララさんの主張を聞いていると、なぜか「希望は、戦争」なんてこと言った人を思い出した。「想像力」があるかないか、その差が、とどのつまり人を作るんじゃないだろうか。

 ―― ここ二、三十年来、次々と書店が姿を消して、生き残った書店の本棚を占めるのは、興味本位の娯楽書や実用書ばかりである。とりわけ古書店の衰退は顕著で、古本屋めぐりの楽しみも奪われてしまった。それと機( ママ )を一にするかのように、多くの大学から教養部が消え、伝統的な文学部が消えた。国際化・情報化の名の下に、教養教育が軽視され、古典はおろか近代作家の作品すら読めない、さらには読書すらしない学生が、目立つようになった。人は文字遺産によって先人の叡智を学び、豊かな感性を養う。教育機関の存在意義は、新に自律的な教養人を育てることにある。このことをおろそかにした実学偏重は、基礎工事抜きで高層建築を建てるに等しい。―― 元静岡大学教授 上杉省和氏、1月 13 日付 「静岡新聞」掲載の「教養教育の意義」から

 最後に、やっぱりいま一度、名優・高倉健さんの名言を引いておきたい。これはたぶん、ジョイスの言う「エピファニー」とおんなじことを言っているのだと思ってます。

 ―― 人生は切ない。切ないからこそ、なにかに「うわっ」と感じる瞬間がある

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2014年09月21日

「国際平和デイ」に想うこと

 けさの地元紙日曜版を見たら、1面のコラムにこんなことが。
中米の小国コスタリカ。… 日本と同様に「憲法で軍隊を持つことを禁じている国」と知る人は少なくないかもしれない。/ そのコスタリカと英国の提案で「国際平和デー」制定が国連で決議されたのは30年余り前。通常総会が始まる9月の第3火曜を、平和への関心を高める日とした。

 そんなに前から、しかもコスタリカの呼びかけで始まったとは恥ずかしながらこのトシになるまで知らなかった。ときおり、事務総長たちが国連本部中庭にある「平和の鐘」を鳴らす場面とか TV のニュースで見たことはあったけれども … でもこの世界平和を祈念する日、じつは 2001年9月のこの日まで、こうした行事はいっさいなかったそうです。2001年9月と言えば、そう、あの忌まわしいテロ攻撃のあったときです。

 これではいかん! と思って立ち上がったのが、英国人俳優のジェレミー・ギリ氏だったそうだ。これもまた、本日付コラムにてはじめて知る。
変人扱いもされたが、粘り強い訴えはやがて世界の指導者を動かす。活動が実り、あらためて全世界的な停戦の日として9月21日を「国際平和デー」とする決議が国連で行われた。

 かたや日本じゃどうでせう。以前、さる著名な方の SNS 投稿を見たら、東日本大震災発生後、しばらく言われた「絆」とか「忘れるな」とかいうことばにつよい違和感を感じた、という人が意外や多かったみたいです。口先だけの「絆」とか「がんばろう」じゃたしかにそうだろうけれども、「記憶を風化させない」ことは、なににも増して大事なことなんだと思いますよ。ギリさんの行動は、いまを生きる人に「戦争をなくすことはできる」ということへの覚醒を促すというか、とにかく「意識」させることだったはず。

 日本人はとかく … とよく言われるけれども、ついにあの忌まわしい大戦の記憶まで、葬り去ろうとしているかのごとき不気味な動き、映画の「スター・ウォーズ」好きなのでそっちの用語で言えば「見えざる脅威( Phantom Menace )」になりつつあるんじゃないかって最近、よく感じます。広島・長崎のことを知らない若い人が増えている。ドイツでも同様に、「ベルリンの壁」を知らない若い人が増えている。前にも書いたが、人っていうのはほうっておくと、脆い海蝕崖よろしく、記憶という砦がどんどん undercut に晒されてしまう。侵食され尽くされ、ついにはなくなる。人間の脳は ―― ってべつに脳科学の話じゃないが ―― 誕生からあちらの世界へ召されるまで、すべての出来事を「記憶」しつづける、なんてことはできっこない。記憶のエントロピー過程なるものがないと、一日たりともまともに生きてはいけないでしょう。もしそれができたとしても、おそらく重篤な精神疾患、ようするに発狂して終わり、でしょう。

 だからと言って、いまだに 2,633 人( 今年3月時点 )もの不明の方がいる大震災と大津波、そしていまだ収束のめども立たない原発事故の影響がつづいているというのに、そのときの教訓を忘れていいはずがない。昔の人は、たとえば民話とか伝承という「かたち」で後世に伝えてきた。「物語」というのは、そのための伝達装置としての役目も果たしてきたと思う。逆に言うと、こうした「物語」を失ったとき、またおんなじような災い、いやもっと悲惨なことがふたたび降りかかってくる … と思う。

 「じゃあ関東大震災は? もっと古い地震は? そんなこと覚えている人がいるだろうか」と、たしかその人は書いていたように思う。過去を記憶することではなく、いかにして被害を軽減させるか、その技術を各人が学ぶことのほうが重要、みたいにつづけていた。

 でもやはりそれだけでは足りん、と考える。そして、地震などの自然災害で犠牲になった人を記憶することと、先の世界大戦の惨禍、それをくぐり抜けてきた人の証言を若い人に伝え、みずからも耳を傾ける、というのはけっきょくのところおんなじことだと思います。人間はすぐ忘れる動物なので、過去の教訓を「物語る」ことでリレーしてゆく必要がある。そうしないと、たとえば「なんとか新田」という地名にこめられた先人の警告に気づかずに家を建て、ある日、まったく予期しなかった災難にあう、なんてことも起きかねない( 古地名にはメッセージが隠されている場合が多い )。だいいちあの震災にせよ、それが引き金となって発生した未曾有の事故にせよ、直接・間接の犠牲者および被災者の方がおおぜいいるのに、「いちいち昔の震災 / 戦争のことなど覚えていられるわけがない」という態度は、不遜以外の何物でもない。

 せんだって、とある学生さんのとあるアカウントに、「八紘一宇」なんてそれこそ亡霊のごとき「死語」が麗々しく掲げられてるのを発見して、なんだか目眩をおぼえた。… 国対抗のスポーツを観戦しているサポーターの「応援」と、「愛国心」とをごっちゃにしているのかね … 古くはニーチェ、またキャンベル本にも多く引用されているシュペングラーの『西洋の没落』とかひもとけば、ことはそう単純ではないことに気づくはず。

 ワタシの親戚の伯父さんのお兄さんは、あの大戦末期、1944年に戦艦ごと散ってしまった。またある親戚には、「おまえ、今年でいくつになった?」と訊かれ、「はたちだよ」とこたえたら、「徴兵だな」と返されたこともある。こういう人たちが身近なところからどんどんいなくなっている。げんに「超」高齢化が進行中だし、一部の人が危惧しているように、予想よりも早く「戦争体験者ゼロ社会」に突入するかもしれない。

 もうすぐ大団円を逢える NHK 朝ドラ「花子とアン」に出てくる花子の「腹心の友」、蓮子さんの愛息もまた終戦直前に戦死してしまったが、モデルになった歌人の白蓮( 宮崎Y子 )さんもひとり息子を戦争で亡くしている。戦後、「国際悲母の会」を設立した白蓮さんは、こんな文章も残している( 下線強調は引用者 )。
国境はもはや、不要のものだと思う。地球上の海も陸も、すべては全人類の共有財産であり、自然が與( あた )える無差な恵であり、一国や一民族の独占すべきものではない。全人類の共存と幸福を追求するためだといって、暴力に訴えることは、意味をなさないそれは平和的な手段によってのみ打開されるべきものである。先年の戦争で、日本にはたくさんの犠牲者がいる。これらにたいして、国はなんの救護もしていない。国民を偽って戦争にかりたてた政府が、このうえにまたもや再び人民を戦争に追いやろうとする。その結果として残るものは、混乱と、叛逆と、殺戮と、ついには滅亡だけであろう。*

 比較神話学者ジョー・キャンベルは 1950年代というからこれが書かれたのとほぼおなじ時期、京都で開催された国際宗教会議に出席するため来日している。1960年代終わりごろに完成した大作『神の仮面』にも、じつは似たようなことが書かれているし、そのあとで刊行された『生きるよすがとしての神話( 1971、1996年に飛田茂雄先生による邦訳書が刊行されているが、絶版らしいので公共図書館に行けば置いてあると思う )』に収録された最後の講演録も、「もはや境界線はいらない」という内容だった。

 白蓮さんの言いたかったことは、もちろんキャンベルのような霊的というか、精神的な趣旨というのではなく、文字どおり「国境は必要ない」、そんなもののためにきみ、死にたまふことなかれということだったと思うが、とにかく「八紘一宇」だのわたしはミギだのあんたはヒダリだの、そういう発想は捨ててもらいたい。

 でも … 本家サイトにもあえて目につくところにバナーを貼ってあるように、被災地に寄り添い、ほんとうの意味での復興に日々、取り組んでいる若い人たちもおおぜいいるし、広島の土砂災害被災地にもたくさんの若い人が汗を流して活動している。東北の被災地支援では、たとえばこんな団体もあったりします … 。

 いずれにせよ、いまを生きる若い方々にはもっともっと幅広い視野を持ってほしいですね。あるいは「無言館」のような施設にも足を運ばれるのもよいと思う。

 ちょうどキャンベルが『神の仮面』を書いていた '60年代は「キューバ危機」に代表されるように、全面核戦争の脅威がわりと身近だった( 映画「渚にて」、ティム・オブライエンの作品とか )。前にも書いたかもしれないが、「正義のための戦争」なんてあるわけもなく、あるのはただ破壊のみ。だけど、「創造的破壊」なら大歓迎。若さというのは、そういう底力、いまふうに言うとポテンシャルに満ちあふれている。これはここにいるしがない門外漢の、いわば遺言です。

*… 柳原Y子「片隅からの言葉」(『日本評論』1951年4月号、村岡恵理著『アンのゆりかご / 村岡花子の生涯』p. 327−8 )

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2014年06月07日

「花子とアン」⇒ 『国王牧歌』⇒ 「ブルターニュもの」

 昨年からずっと心待ちにしていた NHK朝ドラの「花子とアン」。毎日、こぴっと見てるんですが、ミッション系女学校時代のはな( 村岡花子 )が「風変わりな転校生」、のちに「腹心の友」となる白蓮こと蓮子さんに、桂冠詩人アルフレッド・テニスンの長編詩『国王牧歌』の一節を読んで聞かせる場面があったと思います。原案の『アンのゆりかご』では、「乙女の恋は栄光の冠、人妻の恋はいばらの十字架、… 」と出てくる箇所です。

 具体的にどの部分の「翻案」なんだろうと思って目を皿のようにして探すもあえなく挫折( てっ )。この前静岡市に行った折、『赤毛のアン』原書( パフィンブックス版 )と村岡訳『赤毛のアン』と『アンの青春』を買いまして、ついでに図書館から松本侑子さんの『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』も借りまして、きのう一日がかりで、原本のどの箇所にどんな英米文学作品の「引用」が隠れているか、蛍光ペンでマーキングしつつ出典を書いた付箋をペタペタ貼っていったら … たちまち付箋だらけ( てぇっ!? )。

 せっかく原本買ったんだから、キャンベル本も急いで読みたい気持ちをグッとこらえて( 苦笑 )、とりあえず最初の数章を曲がりなりにも読んでみたんですが … 出だしからしてすでに児童向け読み物とは思えないほど格調高い風景描写 … 'the whys and wherefores thereof' とか 'perforce ...' とかの言い回しはやはり時代( 初版は 1908年 )かとも思ったが、これはそうとうな難物だ、というのが正直な感想でした。いくら主人公のアンが文学大好き少女で、いずれは教職を目指すとはいえ、ゲームばっかやってる( 失礼 )いまどきのカナダの子どもがこれ果たしてこぴっと読めるんだろうか、作者のメッセージを深く理解できるんだろうか、などと考えてしまった。とにかくその引用が質量ともにハンパじゃない。あの当時の純文学系作品は、児童ものでもこれくらいがふつうだったのかもしれないが( 『チップス先生さようなら』にもあるように、英国のパブリックスクールではラテン語でキケロとか読まされ、暗唱させられたりしていた時代 )、たとえばいまどきの日本の子が蕪村の「行き行きてここに行き行く夏野かな」から、これは『和漢朗詠集』を下敷きにしているなと思い浮かべるような、そんなたぐいの引用箇所がわんさと出てくる。

 もっともそんなことわかんなくたって、アンのお話はじゅうぶん魅力的だし、当時のプリンスエドワード島の一角に立つ「緑の破風館」での暮らしがどんなだったかは楽しめるとは思う。でも松本さんの本にもあるように、引用にはその場面と密接にかかわる意味があり、そして引用元としっかりリンクして物語が構成されていて、いわば時代を超えた文学作品どうしが「シェイクスピア」とか「スコットランド」とか「アーサー王物語群」とかと二重フーガ三重フーガよろしく絡みあっている。だからそういう背景知識というか教養というか、知っていれば知っていたほうがいいに決まってます( ちなみにマシュー・カスバートの「カスバート( クトベルト )」もケルト教会の聖人ですね。松本さんは北海に浮かぶホーリー島にも行ったらしいですが、ここはかつて原作者モンゴメリも訪れた場所であったらしい。でも個人的には「ホーリー・アイランド( 聖なる島 )」表記より、「リンディスファーン」のほうがすっとアタマに入るけど )。そしてこれは寡聞にして松本さんのこの労作ではじめて知ったのだが、シェイクスピアの『マクベス』でマクベスに暗殺されたスコットランド国王ダンカンの埋葬地が、なんとあのアイオナ島だったとは( キャプション表記が「聖コロンバ教会」になっているけど、「アイオナ修道院」でいいんじゃないかな )。

 なので、前出の本を読むと、たいへんな労作だということがわかる。よくぞここまで、と思う。『国王牧歌』だって、松本さんが『アン』新訳を依頼された当時は、クリック数回でリンク貼れる時代じゃなかったですし( ネットさえなかったころ。当然、各国の図書館とか大学などにも問い合わせメールも送信できなかったし、Amazon も当然なかった )。必要とあらば『テニスン全詩集』とか『ローマ帝国衰亡史』とかを「大人買い」したり … ネットがなかったころはパソコン通信(!)で公開されていたシェイクスピア戯曲を片っ端から調べたり … 米国のどっかの大学の図書館に入り浸ってはせっせと大量コピーに励み、警備のおじさんを怒らせ、文字どおり叩きだされたり … いまどきの若い人には信じられんでしょうな。

 門外漢のワタシもかつて似たような経験があるので、松本さんの書かれていることはよくわかる( つもり )。ラテン語版『聖ブレンダンの航海』関連の調べ物では松本さん同様、国会図書館にはよく通った。そのついでに三省堂に立ち寄っては洋書の検索をしてもらい、セヴェリンの本とか注文した。当然交通費だってバカにならない。PASMO だってなかった( 苦笑 )。

 でも世の中、「バタフライ効果」というのか、不思議な縁( えにし )というのはあるもので … ワタシの場合はまったく同時期、松岡利次先生の『ケルトの聖書物語』や藤代幸一先生の『聖ブランダン航海譚』などが出版されて、おおいに興奮したものだ( それに、上野の東京都美術館で「ケルト美術展」が開催されたのもそんなときだった )。松本さんの場合もやはりおんなじことが起きたようで、『アン』新訳作業中、まったくの偶然で、本国カナダのモンゴメリの女流研究者が『注釈付き 赤毛のアン』を刊行した。つまりおんなじような作業にコツコツ従事していた女性が地球の反対側にそれぞれひとり、いたことになる。

 そんなこんなでこの松本さんの本はすこぶるおもしろい! STAP … 関係の方もそうでない現役の学生さんとかも、この労作の「あとがき」は一読の価値ありと思いますよ。

 ところで『アン』の 28章は、タイトルからして「アーサー王物語群」を連想させる。というか、それにもとづいたテニスンの『国王牧歌』( やたらに長い!)の「ランスロットとエレーン」を下敷きにしている。で、これも不思議なことながら、読んでいるキャンベル本の該当箇所がまさにそのアーサー王関係でして、もちろん『国王牧歌』も出てきます( とはいえほんの少しだけど。もっぱらヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィヴァル[ 邦訳書名は『パルチヴァール』] 』の話なので )。

 で、松本さんの本には、たとえばこんなくだりが出てきます。
アーサー王については、テニスン作品だけでなく、いろいろな文学書がある。たとえば、13世紀にフランス語で書かれた『アーサー王の死』、15世紀にサー・トーマス・マロリーが英語で書いた『アーサー王の死』、…

下線部、探したけれども見当たらず[ 下記参照 ] … キャンベル本( pp. 525−6 )には当時、ラテン語ではモンマスのジェフリーの書いた『ブリタニア列王史』、アングロ・ノルマン語の韻文で書いたヴァースの『ブリュ物語』、そのちょうど半世紀後、ウースターシャーの聖職者ラーヤモンが古英語詩に翻案した( 原典の倍の長さになっている )ものとかが列挙されていて、のちのマロリーの『アーサー王の死』やテニスンの『国王牧歌』の最終節はこの( 文字で記録されはじめた 1136−1205年の )アーサー王伝承群に由来するとかって書いてありました。ジェフリーはのちに『マーリン伝』を書き、そこでアヴァロン島への渡し守としてアーサー王をかの地へと運ぶ役回りで登場するバリントゥスは、ラテン語版『航海』出だしでブレンダン修道院長に「聖人たちの約束の島」訪問を語るあのバーリンド( バリントゥス )とおなじ[ かも ]、という話は前に書いたとおり。*

 そしてアーサー王伝説つながりでは、松本さんは伝説ゆかりの地でもあるブルターニュ半島を訪問することになる。… 考えてみれば不思議なもんだ。自分が『航海』関連調べ物で、ブノワによるアングロ・ノルマン版の邦訳を発表した先生の論文中に、「ブルターニュもの」として前にも書いた「トリスタン跳び」とか、いくつか情報が書いてあったけれども、そのときはまだ漠然としていた。それがいまこうして『アン』にも出てくるし、いま猛然と(?)読んでるキャンベル本にもそのことが出てくるし。こうしてひとつの円環としてつながってゆく。それがまた、たまらなく心地よい( そういえば何巻目かわかんないながら、『アン』シリーズ続巻には夭折の詩人ルパート・ブルックの題辞が掲げられているとか。ブルックの The Old Vicarage Grantchester という生まれ故郷を描写した美しい詩なら、いま手許にある。これはケンブリッジのメル友からいただいたもので、いずれは日本語にできれば、なんて大それたこと考えているけれども、とても自分にはムリそう … どこかの先生が邦訳した本とかないかしらと探したりしているけれど、いまのところこの小品は未訳らしい )。

 … そういえばいまさっき聴取していた「N響定演」ライヴ。なんでもチャイコフスキーがあの名作「くるみ割り人形」。本日の公演ではよく聴く「組曲」形式ではなく、全曲版で聴き応えありすぎるくらいでしたが、ゲストの音楽評論家の先生の解説によってはじめて知ったこと ―― それはあの最後の交響曲(「悲愴」)とおなじ時期に作曲され、しかもそのころ最愛の妹を亡くしていた、ということ。…『星の王子さま』にはまちがいなくサン−テックスの実弟フランソワが投影されているのとおなじく、主人公クララには亡き妹が投影されているのだろう … と思います。バッハの場合だって、「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」作曲の時期はちょうど最初の奥さんマリア・バルバラを亡くしたころですし( 例の「シャコンヌ」のことです。故レオンハルトはまっこうから否定していたけれども )… 芸術作品というのは、概してそういうものです。

 ちなみにご存知でしょうけれども、「花子とアン」もまた『アン』からの引用というか、転用、パロディが多い。石板でぶったたく場面、「一生懸命やって勝つことのつぎにいいことは、一生懸命やって負けることだ」という台詞( 村岡訳版では「一生懸命にやって勝つことのつぎにいいことは、一生懸命にやって落ちることなのよ」の箇所 )、おとなりさんの木場リン → リンド夫人、周造じいやん → マシューといったぐあい。てっきり「朝市」くんはギルバート? かと思いきや、どうもご本人の弁ではそうでもないようで …。

* ... こちらの記事に書いたように、これはこちらのミス。キャンベル本をよくよく読んでみたら、脚注の小さい活字( ibid., p. 531 n )ながら、いわゆる「流布本系」の最後の物語として『アーサー王の死 La Mortu Artu 』が入っていた。悪しからず訂正させていただきます。m( _ _ )m

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2014年03月23日

329 回目と 150回目と 110回目の誕生日

1). いまさっき、こちらの番組を見てました … そうか、今年は C.P.E. バッハだけじゃなかった、リヒャルト・シュトラウスも記念イヤーだったんだ。

 この人の作品について、出演者の方々がそれぞれに語ってましたが、どれもナルホドなぁ、と思わされることばかり。「ド−ソ−ド」の多用、これってたしかいつぞやの Schola でも似たような話を聞いたけれども … 中世ヨーロッパの音楽では「ミ」のない5度音程ばっかで「ド−ミ−ソ」と三つ揃うのはバロック以後、みたいなことをしゃべっていたと思う。引き合いに出されていたジョン・ウィリアムズの「宇宙三部作」、たしかにシュトラウスばりの「ド−ソ」の5度音程が多用されてますね。

 オルガン好きとしても、シュトラウスははずせない。なんと言ってもあの「ツァラトゥストラ」の出だし! でしょうな。そして「アルプス交響曲」。「ウインドマシーン」だっけ、オルガンも「雷鳴」を象徴する役回りで活躍してましたが … さて、この時期、とくればバッハ好きにとっては年に一度のわれらが大バッハの「生誕祭」が巡ってくる季節でもあり、イースターバニーが卵から出現する季節でもある( いつも買ってる某菓子パン製造会社のシュークリームの外装にも「イースターバニー」が印刷されていたのにはびっくり。この「八百万の神々のおわす島国」では、イースターつまり復活祭はクリスマスほどには普及してないはずだが ??? )。

 でも、番組を見ているうちにふと思う … シュトラウスの活躍していた後期ロマン派、そしてそれ以後のモダンエイジ突入、最初の世界大戦まで突入、という文字どおり大荒れの欧州大陸の音楽におけるオルガンという楽器の地位というのが、どうしても感じられてしまうのだった … 時代遅れの産物。機械化され、大量生産されるオルガン。ひたすら管弦楽やピアノの「亜流」に走り、「ウルリッツァー」に代表されるような映画の BGM ていどでしか活用されなくなってしまったオルガン。「雷鳴」=オルガンを使おう、という発想じたい、この楽器の西洋音楽史における地位の凋落ぶりを物語っているような気がしてならんのです。ようするにたんなる効果音その一。で、ちょうどそんなときに救世主よろしく登場したのが、「バッハへ帰れ」と唱えた、あのシュヴァイツァーらによる「ドイツ・オルガン復興運動」だった。

 息子たちのスタイルをも自家薬籠中の物にしようと、保守的なくせして流行には意外と(?)敏感だった大バッハも、もしシュトラウスのようなオルガンの「使い方」を耳にしたらどう思ったろうなどと、お節介ながらつい邪推してしまったりもするのでした。

2). で、そのリヒャルト・シュトラウスですが、「原典」の『ツァラトゥストラはこう語った』を著したフリードリヒ・ニーチェ。この人は最晩年、スイスかどっかの田舎道でムチ打たれる老いぼれロバを眼にしたとたん、いきなりその老ロバをしっかと抱きしめはげしく慟哭した、とかってたしか『バッハ全集』のカンタータの巻で読んだことがあり、そのときは『ツァラトゥストラ』であれほど希求してやまなかった「超人」の末路を見るようでこっちまで涙腺が潤んできてしまった。

 「神は死んだ」という宣告が超有名ながら、真に意図するところを理解している人はなかなかいないのかもしれない。でも『バッハ全集』によると、なんとこの人、「今日、バッハの『マタイ受難曲』を聴いてきました … 今週はこれで3回目です」とかなんとか、そんなことを友人宛て書簡に書いているというのだからいやおどろいた。この人がもし皮相的な無神論者だったら、いくらなんでもバッハの、しかも「受難曲」なんて聴く耳は持たなかったでしょう( と思う )。

3). 「神は死んだ、ということを耳にしたことがないのか」について、比較神話学者キャンベルはなんと言っているかというと、
… ここに言う神は名づけられ限定された創造神、歴史的制約をもつ聖書に登場する神を指しています。この神が死んだのは、聖書という真理と徳への手引書が編まれてから数世紀からこのかた、生活状況だけでなく思想状況も大きく変化してきているからです。意図的に偏狭かつ制限的であろうとする自民族中心主義的な視野と部族的な「妬む神」( 出エジプト記二〇章五節 )をもつ聖書は、あまりにも特定の文化に密着しており、そこでは「民族的観念」と「基本的観念」がほとんど不可分に融合しているのです。… もしザラスシュトラ[ ツァラトゥストラ ]が現代に蘇ったなら、彼はもはや絶対としての善と悪について説かないでしょう。… 現代の教えは、善悪の彼岸にある、生についての教えとなるでしょう。
―― 鈴木 晶 / 入江良平 共訳『宇宙意識』人文書院刊、p. 56, p. 58.

 ところでこの本、ひさしぶりに開いたら、いきなりこんな箇所が目に留まった。
… かつてドルイド教の地であり、キリスト教伝道の対称( ママ )となったアイルランドに栄えた、深遠な象徴的修道院芸術の ―― 全部とは言わぬでも、その多くの ―― 根底には、秘かにグノーシス的な意味が含まれていた、ということだってありうるのです。ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパの他の地域の学芸がゴート人、ヴァンダル人、アングロ=サクソン人などの異教の蛮族によって抹殺されていたとき、アイルランドの修道院長たちは、まだギリシャ語を読み、その翻訳をしていました。彼らの典礼に見られるある種の特殊性は、かつて普遍的だったギリシャの儀式に由来しています。… 当時のアイルランドには、学問と体験を通じてキリスト教の隠喩に内包される霊的意味を認識するためのあらゆる条件がそろっていた、ということには疑問の余地がないのです。 ―― ibid., p. 118, 下線強調は引用者

むむむ … たしかに東方教会的な特徴はあるにせよ、先生そこまでおっしゃられるか、というのが率直な感想なのであった。といっても前にも書いたが、当時のアイルランド教会が「異端」として弾劾されていた、なんていう史実は知るかぎり聞いたことがない。

 この 20世紀米国を代表するような比較神話学の大家はいまから 110年前、1904年 3月 26日の生まれ。ここでも何度か書き、また現在大作『神の仮面』最終巻を半分ほど読み進めているのだけれども、門外漢なりにキャンベルのメッセージを解すれば、つまるところこういうことに行き着く ―― ニーチェの言う「国家の正体」などがそうだけど、「境界線」を勝手に地球上に引いてきたのは人間であり、ほんらいこの世にはなんらの分割線もなく( cf., op.cit., p. 176 )、あなたもわたしもみな存在の中の絶対的存在、名づけられもせず存在するともしないとも言えない超越的な「意識」の現れなのだ ―― そういう深いところにおいて、人間の内面と地球、そして宇宙の存在はひとつであり、人類の未来はそのことを認識できるかどうか、それを認識させてくれるような「あたらしい神話」を持てるかどうかにかかっている。かつてはシャーマンや神秘家、予言者が精神的に導いていたが、現代においてその役目を担っているのは芸術家、アーティストである。芸術家といってもジョイスの言う「動的な」、人々を突き動かす作品を創造する芸術家ではなく、真の芸術家 ―― 神話の担い手としての芸術家 ―― は、「静的な」作品を提供する芸術家である。そして、ビル・モイヤーズとの対談を収録した『神話の力』には、こんな一節も出てくる。
モイヤーズ エデンがいまある ―― 苦痛と死と暴力にあふれたこの世界にですか? 
キャンベル 世界はそういう有様に見えますが、そう、これがエデンです。この地上に天国が広がっているのを見るとき、世界における古い考え方が払拭される。それがこの世の終わりです。世界の終末は未来にやってくる出来事ではなく、心理的な変身、ヴィジョンの変革という出来事です。そこで、あなたは具体的な事物の世界ではなく、光明の世界を見ます。―― 飛田茂雄訳『神話の力』早川書房刊、p. 400、下線強調は原文では「傍点」強調箇所。

 たしか NHK の「海外ドキュメンタリー」でこの対談を見たときも、やはりおんなじようなことをしゃべっていた記憶があるけれども、ほんともうここはまさしく目からウロコ、というくだりです。『聖なる妄想の歴史』という本を、ここで触れたかどうか定かじゃないけど、こちらは取材を重ねてふつうの庶民的常識観に基づいたドライな、いかにもジャーナリスティックな切り口で書いていた本だったけれども、キャンベルのこのことばは、ズバっと心の奥底にまで響くものです。よくぞ言ってくれました、と快哉を叫びたくなったのを憶えています。

 キャンベル財団のこのバイオグラフィとか読むと、キャンベル先生の人生もけっこう山あり谷ありだったようで … 大恐慌前に実家の火事で祖母を失っていたりとか、ヨーロッパ留学から急遽帰国したはいいが就職先が見つからない。70通以上も CV を書いてもいっこうに採用されず( いまふうに言えば「お祈りメール」ばかりもらっていた ) … でもここからが本領発揮というか、いきなり車を飛ばして大陸横断して西海岸へ。そこでスタインベック夫妻とか交流したり、詩人ロビンソン・ジェファーズを発見したり … 水道も引いてない小屋を借りて文字どおり「読書漬け」の生活をなんと5年! も送った末、母校のプレップスクールに教職を得た。その後名門女子大学のサラ・ローレンスの教授を引き受けるのですが、そこでも自分のもっともやりたいことを優先させていたらしい。結果的にキャンベル教授の講義はいつも満席だったというから、神話を読み解くことで鍛えられたストーリーテリングの能力はほかの教授陣を圧倒していたと言えるかもしれない。そのキャンベル先生は退官後、こんどはラジオやテレビに出て米国市民に向かって、みずからの思想も交えて神話の奥深い世界を淡々と話し、そこでまた反響を呼ぶことになる … なぜこの人の話がかようなまでに聞く人の心に響くのか。それはたぶん『神話の力』などのキャンベル本の邦訳を晩年に残された訳者・飛田先生の「訳者あとがき」にいみじくも表現されていると思う。
… 押しつけがましい論理ではなく、… 読者自身にその問題を考えさせるのである。私は、キャンベルの豊かな学殖だけでなく、深い思想性と、独善から程遠い静かな語り口と、その言葉の音楽に引き込まれてしまった。… 鋭い感受性の持ち主であれば、ジョーゼフ・キャンベルの詩的インスピレーションのなかに、仏教で言う悟りのなんたるかを会得されるかもしれない。
―― Campbell / Moyers, op. cit., p. 407.

 『神の仮面 第四部( Creative Mythology )』にも、またほかのキャンベルの著作にも、以上のようなことが繰り返し、それこそこの前ここで触れた「ライトモティーフ」のごとく何度もフーガの主題−応答よろしく出現する。地球上にはいかなる境界線も存在しない ―― こういうことを、冷戦まっただ中の 1960年代終わり( 『神の仮面』四部作の完結は 1968年 )に、すでに書いていたのだから、いろいろ批判はあっても( 「ジョー・キャンベルなんかと関わり合うなよ。あいつはユング派だ」なんて言われたことがあります* )、やっぱりキャンベルという学者はすごい、と思う。自分がここまで肩入れするきっかけになったのは、あの大震災だった。もちろんかつて NHK のテレビで再放映とあわせて何度か「神話の力」シリーズを見ている。けれども、あいにく悟りが遅いためか、あらためてキャンベル本の数々に目を通してみてまるで理解が足りなかったというか、「感得」にいたっていなかったことを痛感した。同時に、「ことばの音楽」に知らず知らずのうちに引きこまれていく自分も感じている。いままで取り立ててたいした人生を送ってきたわけじゃないけど、キャンベルの著作と彼の思想に出会えたことは、ほんとうにありがたいことだと思っている( 震災時、気持ちが定まらなかったとき、なぜか谷崎の『細雪』を手にとって読んでいた … みたいなことを書いた雑誌かなにかの寄稿を見たことがあるけど、その気持ちよくわかる )。前にもここで書いたけれども、「写経」も、原文・翻訳文あわせてついに6万語の大台に乗りそう。塵も積もれば … かな。

 ところで米国人の学者先生ってキャンベルのような「一風変わった」人って多いのかな? 中にはガチガチの石頭タイプも多いとは思うが … たとえばラテン語版『聖ブレンダンの航海』初の完全な ―― 間然とするところがない、とまではいかないものの ―― 校訂本を世に問うたのも、米国人文献学者のカール・セルマーだったし。でもこの前、検索かけても( Google.com でも ) Carl Selmer に関するデータはさっぱり釣れず。こんどはこの人についてもうすこし知りたいものだと思う。

 けさの地元紙日曜版の「親子の本棚」ページに、米国の絵本作家といったらこの人かしら、と個人的に思っているドクタースースの名前をひさしぶりに見た。『きみの行く道』という書名の絵本で、つぎの一文が引用されていた。
今日この日は、きみのもの! きみの山が、待ってますよ。さあ、出発しなさい、きみの道をね。

 キャンベルもまた、おんなじようなことを言ってます … 「各自が自分の人生において求めねばならないものは、かつてどこにもなかったものです。自分だけのユニークな潜在能力から発生するもの、いままで存在したことのない、他のだれひとり経験したことのないものです」。

 キャンベルのモットー、「あなたの至福に従え」は、けっして楽観主義的お気楽な生き方なんかじゃない。逆だ。ちょっと考えてみれば、これが言うは易く行うは難し、ということがわかるはずです … たとえば「自分の好きなことを仕事にしているか」、とか。

 仏教ではたとえば「この世はすべて無常」、あるいは「一切皆苦」という。さる劇作家のことばを借りれば、「積極的無常観」。キャンベルの思想の根幹には、まちがいなくこれと通底する考えが流れている。そういうことをすべて受け入れた上で、すべてを肯定する。菩薩の生き方。「楽園は、この地上に広がっている」と説くグノーシス文書『トマスによる福音書』。… なかなか険しい道のりです。
キャンベル 悟りとは、万物 ―― 時間と幻のなかで、裁きによって善と見なされるものだけでなく、悪と見なされるものも含めてすべて ―― を貫いている永遠の輝きを認めることです。ここに至るためには、現世の利益を願い、それらを失うことを恐れる心から、完全に脱却しなければなりません。…。
モイヤーズ なかなか大変な旅ですね。
キャンベル 天国への旅ですよ。
―― op.cit., pp. 290−1.

*… 馬場悠子訳『ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚とは冒険である』築地書館刊、p. 171.
[ 追記 ]:このほどビッグバン時の「重力波」の名残りの波形がはじめて捉えられた、とのすごい報道があったけれども、神話の世界に生きていたいにしえの人々は、その当時なりの理解のしかたでそういう根源的なことが感覚的にわかってたんじゃないかって思う。キャンベルも、「科学と神話は矛盾しない」みたいな趣旨のことを書いている。神話はけっして「絵空事」ではない。絵空事だと切り捨てれば、過去の教訓を後世に伝えるという役割も失われ、結果的に似たような不幸が繰り返されることにもなりかねない、と思います。人間がそういう物語を失ったときが、じつはもっとも危険なときかもしれない。これはたとえば古地図や古地名なんかにも当てはまりますよね。

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2014年03月09日

大震災から3回目の春

 けさの朝刊の書評欄に、こんな本が紹介されてました … 書評子曰く、「東電は計画停電を強行し大混乱をもたらしたが、東北電は2度目の夏も回避した。… コストを度外視して苦難に挑む原動力は戊辰戦争以降、国策から見捨てられ疲弊にあえいできた『東北振興の礎』という企業理念 … 」。なるほどねぇ、とこれ読んですなおに思った。

 被災地の住民の方々 … 福島県の「避難指示区域」に居住されていた方のようにいまだ故郷にも帰れず、また帰還もいったいいつになるのかまるで見通しすら ―― あれから3年が経とうとしているのに ―― 立たずに途方に暮れている方が5万人近くもいるという現実( 福島県内で避難生活を送っている方もあわせると 13万5千人以上もいる )。

 最近、「ラジオ深夜便」のインタヴューコーナーに出ていた、あのシャネル(!)の社長、リシャール・コラス氏のお話がずぶっと心に突き刺さった。同氏は、「 'おもてなし' はけっこうなことながら、日本の人を見ていると、ウチとソトの温度差が大きいように感じる。たとえば、がれき処理問題のとき。あのときわたしはこう思った、どうしてこういうときに救いの手を差し出さないのか、どうして引き受けないのか? ことばでは『絆』と言いつつ、じつは直接自分に降りかからないかぎりわれ関せずを決めこんでいるのではないのか」と、だいたいこんな趣旨のことを言っていた。自分のとこさえよければそれでいい、マイホーム主義。

 きのうも書いたけれども先週の「クラシックの迷宮」でも、「岩手県特集」をやってました。案内役の評論家、片山杜秀氏のお話に触発されて、さっそく『セロ弾きゴーシュ』を読んでみた。片山さんのこの作品の解釈でもっともすばらしいと思ったのは、へたっぴセロ( チェロ )弾きゴーシュがたった十日でお客さんを感動させる弾き手になったのはどうしてか、ということについて。片山さんに言わせれば、自然と人間との調和、「共生」が生まれたからだという。とりわけそれがよく出ているのが、子ねずみをぽんと楽器の響胴に放りこんで、「何とかラプソディとかいうものをごうごうがあがあ」弾きだすくだり。ゴーシュのチェロから出てきた子ねずみは、「すこしもへんじもしないでまだしばらく眼をつぶったままぶるぶるぶるぶるふるえていましたがにわかに起きあがって走りだした」。人間の創りだした「音楽」といういわば人工物が自然に働きかけて、自然を癒す。ゴーシュはじつはこのとき、自分の楽器で動物たちを癒していたばかりでなく、夜な夜な訪問してくる動物たちによって、音楽家としての腕もめきめき上達させていった。自然によってゴーシュは真の意味で「音楽を奏でるとはどういうことか」を会得したともとれる。

 顧みていまのわれわれはどうなんだろう … とやはり思ってしまうのだった。明治三陸地震のときに生を受け、昭和三陸地震のときに逝った作者の宮沢賢治は、いまのこの国と日本人を見たら、なんと言うのだろうか … 。

 テクノロジーの進化は、たしかに悪いことばかりじゃない。ピーター・ディアマンティスという凄腕の起業家の人の著した本の邦訳が最近出たらしいけれども( 『楽観主義者の未来予測』、原題は Abundance、副題は 'The Future is better than you think' )、中身を見ずして本の評価を口にするのは( おなじたとえの繰り返しで失礼 )「これはわたしの飲んだことのないおいしい / まずいワインです」と言うようなもので気が引けるが、こういう本を見聞きすると即、マッキベンの『人間の終焉』とか『ディープ・エコノミー』、あるいはウェンデル・ベリーのエッセイ集に収録されていた『エネルギーの使い方について( 'The Use of Energy' )』という一篇を思い浮かべてしまう。ベリーは南部の農本主義的主義主張もかいま見えて、すこしラジカルにすぎるかなと思うこともあるけれども、言っていることはおおむね正しいと思う。「エネルギー問題というのは、エネルギーそのものの問題ではなくて、その使い方にあるんだ」という主張は、ほんとそのとおりだと思う。ひょっとしたらベリーは米国版宮沢賢治みたいな詩人・作家なのかもしれない。

 テクノユートピアン的発想はいかにも「砂漠の一神教的」自然征服的思考もしくは人間中心主義的発想だと思われがちで、いやわれわれ日本人はちがうぞ、みたいな主張の本とかもよく見かける。縄文人の叡智に学べ、みたいな。でもいま、この国で縄文人のように、セロ弾きゴーシュそして宮沢賢治のように自然に寄り添い、自然に従って暮らしている人っていったいどれだけいるのか … ほとんどの人は、ワタシも含めてこうやって電力会社から電気を買って使って生きているし、バスや電車に乗れば人によっては家族それぞれがクルマを所有し、「ピークオイル」だと言われているのに排ガスまき散らして狭い国土を走り回り、どっぷりと西洋近代文明の恩恵に浴して生きているではないか。そして近代以降の西洋型文明は、いまや資本主義経済至上主義的になっている。これを回している原動力が、大量生産・大量消費型社会なのだから、まずもってここから変えていかないといけないはず。われわれはセロ弾きゴーシュたちのかつていた世界からひじょうに遠く隔たった世界に生きている。

 3.11 のような巨大自然災害は、いままで隠れて目立たなかっただけの問題の数々を、これでもか、ともっとも先鋭的な形でわれわれに突きつけてくる。これもまた真実。そして原発に関して言えば、やはりこれは必要悪の範疇をはるかに越えた絶対悪と言わざるを得ないと思う … たまたま今年の3月は、「第五福竜丸事件」から満 60年に当たり、地元紙にも関連報道が多く載ってます( NHK 静岡放送局の取り組みもまたすばらしい )。よく言われることながら、いまの国内にある原発最大の問題と言ったら、やっぱり使用済み核燃料の最終処理をどうするか、でしょう。たとえば核兵器転用可能なプルトニウムなんか、半減期が何万年単位ですよ。どう転んでもこんなの管理しようがないでしょ。しかもダイオキシンも真っ青の超猛毒物質だし。

 そんな折も折、故立松和平さんがバブル全盛期のころに世に問うた『緑の星に生まれて』という本を、これまたひょんなきっかけで読み直していた。当時、この本を買って読んだ当人のくせして、こんな衝撃的な記述があったことを完全に忘れていた。すこし長くなるけど、以下に引用しておきます。立松さんが当時、直下型地震に襲われたばかりのアルメニアを取材したときに書いたもの。
日本の震度でいえば、震度6だったらしいね。日本の、コンクリート・パネルを組み合わせる建築方法は、耐震度が高いらしい。専門家は、そう言うよね。しかし、これほどの地震が東京に襲いかかったら、はたしてほんとうに耐え切れるんだろうか。もしダメだったとしたら、被害や犠牲者は、アルメニアを( はる )かに超えるだろうね。アルメニアも日本も地震多発地域だから、やっぱり、こういう惨事がいつ起きても不思議じゃない。そう思ってなくちゃいけないんじゃないかな。自然の力というのは、人間の計算なんか、あっというまに飲み込んでしまうんだよ。

 … レニナカンの知事が言ってたのは、こういうことだった。もし震源地が原発のすぐ近くだったら大惨事になっていただろう、地震の多発地域に原発をつくるのは一種の犯罪だ、ってね。確かにそのとおりだよ。
 だけど、まがりなりにも原発を閉鎖したっていうのは、素晴らしいことだよね。トルコにも電気を輸出したりして、経済的にはひじょうに重要な原発を止めちゃうんだもん。人間の叡智だと思う。原発を止める叡智と勇気、それがはたして日本にあるだろうか。
 アルメニア原発に行ってみたんだけど、荒野の真ん中にあるんだね。人家があるところまで、十キロ …… いや、十キロじゃきかないだろうなあ。そういう荒野の真ん中にあるわけ。…

 … 日本で、ある学者と話してたらさ、その人はこんなことを言うんだよ。「人のいないところへ原発をつくるから、いいんだ」と。びっくりしたよ、オレ。そんな場所、この狭い日本のどこにあるのよ。岬の先っぽにつくったって、車で十分も走れば、すぐに町があるじゃないか。

 … 確かに、原発がくると巨額の金が動くよ。道路が整備されたり、漁業補償なんかがあるからね。ただ、それで共同体がまっぷたつに割れちゃうことが多いんだよ。

 … そんなふうに共同体がめちゃくちゃになっちゃって、ほんとうに、原発によって町が活性化されるんだろうか。原発がきたために人が集まった町なんて聞いたことないよ。逆に、人が出ていくんじゃないか。…

 … 原発の怖いところは、根源的な破壊力を含んでいるということなんだ。回復できない破壊。物質を壊すのも、原子レベルから壊してしまうからね。しかも、核廃棄物の処理までを含めたシステムが、まだ完成してないんだよね。途中段階の技術で、稼働させてるんだよ。
 ところが、そういったことは地元の住民には一切伝わらない。いま地球は温暖化してるけど原発があったら温暖化は防げるとかさ、そんなことを言ってるんだよ。もうちょっと正しい、原発のいい面悪い面両方含めた情報を出すべきなんだよ、電力会社は。…

 … 結局さ、地域の活性化なんか考えてないよ、都市の、企業の側は。都市の矛盾みたいなものを、力の弱くなったところに押しつけてるわけ。

 いまの政権のやり方とか見ていると、どうしてこう時代の流れに歯向かって後戻りしようとするのか、はなはだ理解しかねる( 改憲論議とか。ちなみに TPP 交渉ですが、たとえばこんな記事もあり、かの国でも問題視している人はそれなりにいることがわかる。だいいち具体的交渉内容が、国民生活に直結するのになにひとつ明かされない、とはこれいかに。そもそもこれっていったいだれのためにやってる交渉なの? )。

 かつての東京五輪のころのような、いまだに大量消費型成長モデルを理想視している向きが少なからずいることにも辟易する。折しも「リニア中央新幹線計画」が進行中で、着工も時間の問題になりつつある。南アルプスについては、いま、UNESCO のエコパーク登録に向けていろいろと準備が進んでいるところなんですが、ここにきてリニア新幹線トンネル工事に伴う大量の排土問題が出てきて、地元の静岡市などで問題視する向きがひじょうに多くなっています。そんなとき、地元紙に、山岳写真の第一人者、白籏史朗氏のお話が掲載されていて、ほんとそのとおりだよなあと感じたしだい。
リニア中央新幹線計画は本当に必要なのかと問いたい。日本の国土を蜂の巣のようにして、何のプラスがあるのか。必ず弊害が出てくると思う。… 富士山で入山料を試行した。集まった金の使い道はこれから考えると言っているが本末転倒だろう。まず自然保護をしっかり考え、制度設計するのが絶対必要だ。南アルプスも同様と言いたい。
 富士山も南アルプスも世界遺産を目指してきたが、今まで何をしてきたのかと問いたい。会議を何回も開いたが、形になっていない。JR 東海や中部電力は今後、南アルプスの自然に対して何ができるかを、真剣に考えないといけない。ダムは、三保松原の海岸にも影響を及ぼしているではないか。

 … 自然への畏敬の念。それがないと、いつか私たちに大きなしっぺ返しが来る。

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2014年02月24日

H. ベルリオーズの「テ・デウム」! 

1). 先週の「クラシックカフェ」再放送。もっとも印象に残ったのは、イタリアのバロックヴァイオリンとアコーディオンという組み合わせの毛色の変わったデュオ、「インコエレンテ」によるイタリア初期バロックの作曲家・教会オルガニストのメールラの「チャッコーナ( シャコンヌの伊語表記 )」、そしてバッハの「バイオリン ソナタ 第6番 ト長調 BWV.1019 」。メールラのチャッコーナではアコーディオンの低音が調子のいい主題を繰り返し演奏していたけれども、耳を疑ったのはバッハのヴァイオリンソナタのほう。手元にある音源としては往年のヴァルヒャ / シェリング盤とかがあってときおり聴いてますが、いやー、この「インコエレンテ」編曲版はびっくりです。アコーディオンという楽器 ―― 親戚筋(?)のバンドネオンだってどうやって弾いてんたのかさっぱりだが ―― で、よくあれだけ複雑に絡みあったポリフォニックな旋律線が、しかもくっきりと! 演奏できるもんだと心底おどろきました … この曲は全6曲中、唯一の楽章構成で、かつ第3楽章のみほんらいは通奏低音を担うチェンバロが主役、というかチェンバロ独奏曲になってます( なおこの BWV.1019 はバッハが何度も書きなおした形跡のある作品で、改訂の過程をめぐっては、これまでに演奏家・学者のあいだでさまざまな説が提示されている )。うーむ、このイタリア人デュオ、そうとうな手練と見た。これは音源を探してみる価値あり。

 とにかくこのようなバッハは理屈ぬきに聴いててすこぶる楽しい。こういう変わった組み合わせの編曲版でも、やっぱりバッハはバッハなんですねぇ。そういえば最近読んだ鴻巣友季子さんの『カーヴの隅の本棚』というすばらしいエッセイ本にも、文学における「古典」について似たようなことが書いてあり、わが意を得たりと膝を打ったもんです( こちらについてはまた後日、書くかもしれない )。

2). 話変わって … いまさっき見たこちらの番組。いやー、こんな贅沢なプログラム、めったにない! ワタシはスペインの安い赤をちびちびやりつつ、ひとりで感激しながら聴いてました。… エクトル・ベルリオーズって、たとえば「キリストの幼時」は知ってるけれども( とりわけ「羊飼いたちの別れ」は名曲として知られる )、寡聞にしてこっちの「テ・デウム」は知らんかったなあ … プーランクの「グロリア」は、やはり先週の「クラシックカフェ」でもかかっていたけれども。そして曲の出だし、あの管弦楽とオルガンが交互に、まるで「カントリス」と「デケイナイ」の二手に分かれた聖歌隊が呼びかけ合うように交代しながら歌うようなあの出だしの分厚い和音 !! マエストロ・デュトワの魔術にいっきに引きこまれてしまった、という感じです。

 そして子どもの合唱好きにとってさらにうれしいことに、この大きな作品は児童合唱まで加わっている。歌っていたのは通称「N児」でしたが、あれだけの大人数の大人の声に掻き消されることなくしっかり清冽な歌声を響かせていたのはさすが。もっとも個人的にはいつぞやのゲルギエフ指揮のマーラー「3番」のように、TFM( Tokyo FM 少年合唱団 )だったらなあ、と思ったけれども … それでも管弦楽+混声合唱+児童合唱、そしてオルガン! とこれだけオールスター総出演の作品演奏の機会なんてそうそうあるものではないし、当日の夜、NHKホールであの演奏を聴けた人はまこと幸運だったと言うほかなし。

3). … まもなくソチ五輪も閉会式ですね。始まる前はどうなることかと思ったりもしたけれど、開会式の演出や聖火台の洒落たデザイン( もちろん「火の鳥」ですよね、あれは。聖火が駆け上がっていく場面の連続写真を見ると、なんだか「炎のランナー」がてっぺんめざして駆け登っていくかのようだった )、そしてバンクーバー大会からハマってしまった女子カーリングに今回もまたハマり、深夜のフィギュアを食い入るように見入ってそのまま朝になったり( 苦笑 )、スノーボードのスロープスタイルの「障害物」として巨大「こけし」よろしくゴーグルかけた金髪のマトリョーシカがでんと鎮座していたり、ラージヒルジャンプ台の着地点付近にはシンボル(?)のイルカやヤシをかたどった植え込みがあったり … フィギュアのエキシビションも趣向を凝らした演出が光っていたし、個人的には大会は大成功だったのではないかと思います。五輪ついでに毎度、何個メダルを取ったかとか、「金」はいくつだとか、そんなことが喋々されますが、これを見ても明らかなように、4年に一度の大舞台でメダル、それも「金」を獲得するというのは超人的というか、生半可なことではとてもできませんよ。あれだけの国と地域が参加しても、メダルが取れるのはほんのひと握りです。お国のためとかなんとかいうより、まずは参加されている選手みずからが徹頭徹尾楽しむことではないかな。それは時によってはおのれとの孤独な闘いになったりするでしょう。でもとにかく「歌ってるぼくが楽しくなければ、聴きに来てくれているお客さんだって楽しくないでしょ?」とかつて答えていたアンソニー・ウェイと、ワタシも基本的に同意見ですね。まずは選手自身がとことん楽しむ、五輪という大舞台に参加し、競技していることを十全に楽しむことが第一に来るべきだと思います。

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2013年12月31日

たわみつつも生きるということ

 1). いろいろあったけれども、個人的にひとつ引っかかる思いがあります。もちろん原発事故の今後とかひじょうに気になる。消費税増税とか、けっきょく使い道をまちがえてるんじゃないかっていう疑念のつよい一連の「便乗」復興増税。いまだに故郷を追われて苦しい仮説住居暮らしを強いられている避難者の方々 … それに今年はとりわけ風水害がひどかった。でもそんななかで、もっともつよく感じる思いがあります。

 それは死に急ぐ子どもたちのこと。今年もまた、なんかこうかんたんに投げ捨てるようにみずから命を絶ってしまった子どもたちが多かったような気がする。

 なんだかんだ言ってもこの国は 60年以上も平和な世の中がつづいて、たとえばパレスティナなど、ほんとうの「紛争地帯」、あるいはおなじ国の民族どうしが殺しあう「内戦」というのを―― われわれも含めて ―― 体験したことがない。たしかに生きることが苦しいことはだれにもありますし、ここにいる門外漢も人前にそんな思いにとらわれることもしばしば。あるていど年取った人が「自死」を選ぶ、というのと年端もいかない子どもが( 見たかぎり )あっけなく飛び降りたりするのとは、やはり区別する必要があるように思う。

 先日、なんとはなしに聞こえてきた地元ラジオのパーソナリティが、リスナーからのこんな便りを紹介してました。曰く、「子どもが、『今日はつまんない一日だった』と言って帰ってきた。だからこう言ってやった。『あんたがつまらないと感じた今日という一日は、きのう亡くなった人にとっては、なにがなんでも生きたかった一日なのよ。だから大切に使おうね』」。パッと光の差すような体験、もしくはジョイスの言う「エピファニー」というのはこういうことかもと思いつつ聞いてました。

 以前、ここでも引用したジョー・キャンベルのことば。重複も顧みずにまたしても引用する。
… 芝生のことを考えてください。… 芝が、「頼むからよく考えてくれ。あんたがこうしょっちゅう刈り取られたとしたら、どうなると思う」と言ったとしても不思議ではない。でも、芝はそんなことを言わずに、ひたすら伸びつづけようとする。ここに私は中心のエネルギーを感じます。… 根源はいったん生命体として存在したからには、なにが起ころうがかまいません。肝心なのは、与えること、成ることです。そしてそれがあなたの内にある<成りて成る生命> であり、神話のすべてはその大事さをあなたに告げようとしているのです。

 これってたとえば前にも書いたけれども、「死生学」のアルフォンス・デーケン教授の思想とも相通じるところがあるように思うし、いまちょうど地元紙に連載中の、五木寛之氏の『親鸞 完結編』にも、キャンベル本で見かけたことのあるような内容が書かれていたりします( グノーシス文書「トマスによる福音書」のような、「天国( =浄土 )」は、死後のどこかの世界のことではなく、いまここにある、というような思想 )。

 このブログ記事を検索したら、ちょうど昨年の暮れにも似たようなことを書いていたようです、当人は完全に忘れていたけれども。でも柴田トヨさんではないですが、ワタシもこう思います。「生きてさえいれば、そのうちきっといいこともある、とにかくくじけないで」、と。

 というわけで、このあいも変わらずなに綴ってんだか本人も関知しないブログは今年もぶじ店じまい。いま、ちょうど記事が 740 を超えたところです。バッハの作品番号で言えば、「ああ神よ、天から見たまえ」。このオルガンコラールはバッハがまだはたちかそこらのころの作品で、定旋律が低音、足鍵盤上に現れる。そしてこんなこといま言うべきことじゃないですが、バッハ作品番号の 1080 番目、「フーガの技法」台までこの拙いブログ記事を綴った時点で、完全閉店しようかとも考えています( といっても、これについてはとくに深い理由などありません )。

 命、あるいは「生きる」というのはどういうことか、それをもっとも親しみやすく、大上段に構えずに、幼児にもわかることばで表現した人がいます。故やなせたかしさんです。著作権上の問題があるので、個人的に重要な箇所のみ引用して、今年最後の記事を締めたいと思います。

「アンパンマンのマーチ」
作詞 やなせたかし

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ



なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙



時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび




生きる喜び … そう ! かのベートーヴェンもこう言っているではないか。「おお友よ、このような調べではない ! もっと快い調べにともに声を合わせよう。喜びに満ちた調べに ! 」。FREUDE !!! 

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2013年11月01日

キャンベルの「創作作法」

 11月1日は、ローマカトリックなどの西方キリスト教会の暦で言うところの「諸聖人の日( All Saints' Day or Allhallows, 東方教会では「衆聖人の主日」と呼び、聖霊降臨祭後の日曜日になる )」。子どもたちがかわいいお化けやらなんやらに仮装して、手に Jack-o'-lantern をぶら下げて、'Trick or treat !!' と練り歩くのが日本でもすっかり定着した感ありのハロウィーンですが、教会暦ではこの「諸聖人の日」前夜( Allhallows Eve ) という位置づけであることも、知っておいて損はない。そして前にも書いたことですが、ハロウィーンの元祖はケルト人の収穫感謝と新年を祝う祭り、Samhain( Samhuinn、発音はサウィン )だと言われてます( → アイルランド各地に残る、サウィンゆかりの地めぐりの記事 )。そういえば先日こちらの番組で見た、「ターシャ・テューダーとパンプキンパイ」は、おいしそうだった。

 米国の比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルが「向こう岸」へと船出したのは、26年前のハロウィーンのそのまた前の日のことでした。当時の NYT とかの追悼記事を見るかぎり、食道癌治療の予後がよくなかったらしい。じつはジョーゼフ・キャンベル財団( JCF )サイトにはこんな展覧会の紹介ページがあって、モノを書く人、つまりゼロからなにかをこさえる人、いま風に言えば「クリエイターの仕事の現場」というものに並々ならぬ関心を持っているワタシとしては、あーこれ、現物をぜひ見てみたかったな … と思ってしまった。

 キャンベルの書簡や草稿、蔵書などをすべて保管しているというこちらの研究センターのサイトにはハワイのキャンベル邸の書斎の画像もあって、それを見るとふつうのライティングビューローが写っていたりするんですが、展覧会紹介ページによると、キャンベルの著作の数々は、「ジョーとジーン・アードマンの結婚祝いとして彫刻家のトーマス・ペニング夫妻から贈られたウォルナット製ピクニックテーブルとベンチ」で著されたという !!! 

 もちろん展示では模式的に配置されているため、この通りにキャンベルがじっさいの執筆活動をしたわけじゃないけれども、その「ワークフロー」がどんなものであったかはよくわかる。中央の大きな画像はクリッカブルになっていて、たとえばテーブル上の蔵書とかその背後の「こけし」に「浮世絵」だの、前衛絵画だの後ろ側のベンチに平積みされた本の山だのをクリックするとキャプションが出てくるという仕掛けになってるんですが、やはり個人的にはキャンベルの執筆はどのようにおこなわれていたか、に興味津々。

 手前側ベンチとテーブル上に無造作に置かれたように見える五つの黄色いリーガルパッドの紙。これがこの展覧会でキャンベルの仕事のやり方ないし作法を再現した部分になる。ここのキャプションとキャンベルの草稿や蔵書すべてを管理しているセンターのページの記述とかも参考にその仕事ぶりを再現してみると、

1). テーブルとベンチの向かって左手にあるリーガルパッドの束は、これから書き上げるための下書き原稿。
2). テーブル上にある用紙は、いままさに書いている原稿。
3). テーブルとベンチの右側にある束は、タイピストに渡す、いわば決定稿。
4). 反対側ベンチに積んであるのは、いま現在は入り用ではないがのちほど参照するための参考文献類。

というわけで、キャンベルは自らはタイプ原稿を作成しなかったようで、つねに専属( ? )のタイピストを雇っていたようです。最初にキャンベルの助手となった女性がこう述懐しているのも印象的。「先生は毎朝 9時きっかりに鉛筆を紙に下ろし、そのまま正午前までほとんど休むことなく書きつづけていた」。

 自分の著作とそのための調査に時間を当てるため、当時の勤務先だったサラ・ローレンス大学では規定の四分の三しか出講せず、自分の報酬もその分減額してくれと大学当局に申し出ていたんだそうだ。「カネではなく、自らの至福を追求せよ」というのは、自分の生き方から出たモットー、ということになりますな。週四日は著述活動に専念していたようです。

 また、1970 年代後半にキャンベルの助手だった女性によると、毎朝、「前日に書きあげた黄色い紙の束」が机上に用意され、各用紙にほんの二、三行だけ追加すると、「先生はそれらの用紙をあれこれ配列し直して、最適な順序を見つけた」。またキャンベル最晩年に助手をつとめた男性によれば、「先生はハサミを取り出し、各ページを切っては文章をあれこれ入れ替えていた」。そうやって下書きを総合的にまとめて原稿を書き、タイプしてもらう、という手順を踏んでいたらしい。ここでふと、以前見た、故吉田秀和氏を特集した番組の一場面を思い出した。生前の吉田氏の仕事場を映していたシーンで、万年筆で手書きした譜例をハサミでチョキチョキ切って、原稿用紙に糊づけしていた場面です。糊づけしながら吉田氏はこんな趣旨のことを言ってました。「原稿を書くっていうのはね、手仕事なんですよ。手仕事というのは大事にしないといけないと思うね。これはありそうにないことだけれども、もしコンピュータというのを覚えて、それで原稿を書くようなことになったら … たいそうがっかりするんじゃないかしら ? 」。ビル・モイヤーズとの対談集『神話の力』なんか読むと、どうも最晩年のキャンベルは Mac ?? だろうか、とにかく PC を導入したよとさも嬉しそうに発言しているくだりがあって、このへん吉田氏とはちがうかもと思わせるけれども、タイピストだった人の話を読むかぎりでは、キャンベルもまた「手仕事の人」だったのかもしれません。でも振付師 / ダンサーの奥さん( ジーン・アードマン・キャンベル )にとっては少々困ったことに、食事をしようにも、先生がここで書き物をはじめてしまうと資料やらなんやらすべて出しっぱなし状態になるので、あいにくこのテーブル本来の用途では使えなかった、とのこと。ちなみに出版社に渡した原稿はみんな処分して、手許には日の目を見ることのなかったほうの原稿を残すことがよくあったとか。このへんも大胆と言えば、大胆かな。そういえば JCF FB 公式ページにて、『千の顔を持つ英雄』の「元型」になったという草稿を見かけたことがあります。

 そんなふうにして書かれたキャンベルの著作には、ビックリ箱じゃないけどほんとびっくりさせられる展開が多いことも事実。いま読んでる『創造的神話』の巻だって、たとえばアベラールとエロイーズの話をしている最中にいきなり「白隠禅師坐禅和讃」の鈴木大拙師による英訳なんかが平然と出てくるのだから( 「衆生近きを知らずして / 遠く求むるはかなさよ … 当所即ち蓮華国 / この身即ち仏なり」 ) … もっとも上記引用文の少し前には『源氏物語』なんかも出てきますが。そこのパラグラフ冒頭は、'troubadour' ということばの語源の話になっている ―― どうですこの自在さ。いったいなんのこっちゃ、という向きにかんたんに説明すると、キャンベルの見るところ、「個人」という発想をはじめて出現させたのは、11−12世紀のトルバドゥールたちだという。で、アベラールとエロイーズのあの有名な話が出現したのもまさにちょうどこの時代のことで、トルバドゥールとアラブ世界の詩人との類似性を主張するさる先生の著作を引用し、こうした貴族階級における神秘主義的恋愛ものの伝統というのは姿かたちこそさまざまに変えながらも、発祥の地インドから東は紫式部による感傷的な藤原氏の宮廷の物語へ、そして西はアイルランドから黄海に至るまで、その頂点に上りつめた時というのがまさしくアベラールとエロイーズの悲劇が起こったその時代なのだ、という箇所。

 この『創造的神話』の巻、いまようやく「第二部 荒れ地」の出だしの章、「愛の死」を読み進めているところ。これも上記引用箇所のつづきとして有名な「トリスタンとイゾルデ」の物語が、例によって古今東西の文献引用を散りばめて詳述されている。このつぎの章が、『フィネガンズ・ウェイク』を中心に論じた「フェニックスの火」になります。そういえばこの前の「きらクラ ! 」では若い女流ハーピストの方がゲスト出演されてましたが、なんとも折よく( ? )ちょうどそのときの読みかけの箇所に掲載されていたのが、「イゾルデに竪琴を教える騎士トリスタン」の図( いまは大英博物館にあるらしいチャーツィー大修道院タイル画の一部、13世紀 )。ヘルメス → アポロン → オルフェウス → トリスタンの共通要素は「竪琴」。番組ではゲストのハーピストの方が、ダビデを引き合いに出していた。そうだった、オランダの古いオルガンなんか、必ずと言っていいほどダビデ王の彫像がペダルタワーにでんと乗っかっていたりする。

 … この前も安良里の禅寺での法事で「坐禅和讃」をあげたばかりだし、静岡県東部地区の住人としてはまさかこんなに身近な先人の名がキャンベル本に出てくるとは、まったく思ってもみないことだったので、なんかうれしいような感じもしないでもない。

 ところで最近物故された人、というと、やはりショックだったのはやなせたかし氏ですね … アンパンマンって、最初はぜんぜんと言っていいくらい世間的には受け入れられなかったようです。「顔の一部をちぎって食べさせるとはなんて残酷な」とかなんとか、そういういまにして思うとまるで的はずれな批判があったからとかって聞きましたが、アンパンマンこそ、キャンベルの言う「英雄」そのものですよ。英雄には「自己犠牲」がつきもの、アンパンマンは幼児でもわかる語法でそれをみごとに表現しているように思いますね。合掌。
… われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。そうすれば、かつては恐るべき怪物に会うと思っていたところで神に出会うだろう。そしてかつては他人を殺すべきだと思っていたところで自我を殺すことだろう。まだ遠くまで旅を続けなければと思っていたところで、われわれ自身の存在の中心に到達するだろう。そして、孤独だと思い込んでいたのに、実は全世界が自分と共にあることを知るだろう。

―― ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』( 飛田茂雄訳『神話の力』、早川書房刊から )


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2013年03月10日

アイスランドと日本

 先日まで、地元紙夕刊に原発事故関連のフォローアップみたいな記事が連載されてまして、初回分連載がもと第一原発で通称「炉心屋」として勤務していた方の取材記事でして、個人的にはたいへん感銘を受けました。

 その方はいま四国のほうで「なるべく電気に依存しない暮らし」を実践されていて、自宅で消費する電源はすべて太陽光などの自家発電で賄い、それを「蓄電」して使うという方式の普及活動もしているというものでした。その記事を見たとき、ああおなじ電力会社という巨大組織にいた人でも、世の中こういう人もいるもんだなと率直に思った。

 自他ともに認めるエピキュリアンのワタシがこんなこと言うのははなはだ不適切だということはじゅうぶん承知のうえであえて言わせてもらえば、われわれがみんなこの方の言う暮らしというものを実践できるわけではないとは思う … でも前にも書いたかもしれないけれど持っている自家用車の台数を減らすとか、TV も冷蔵庫も一家に一台にするとか、あるいはこのもと東電マンの言うように、電気で保温するタイプの湯沸かしポットの使用をやめるとか、各人、いくらでも工夫の余地はあると思う。ようは無理なく実践可能な範囲で実行してゆけばいいのだ。そのうえでたとえば ―― これも前に書いたかも ―― 火山国日本のあっちこっちで湯煙上げている温泉で手軽に発電できる装置なりを開発してどんどん電源を「地産地消」の「分散型発電」にすればよいのでは、原発依存じゃなくて、と個人的にはそう考えてるんですがね … と、そんな折も折、こんな番組を見ました。見た感想としては、いまの日本がお手本とすべきはまさしくアイスランドではないか、と。

 「… わたしたちは背伸びしすぎていたんです。身の丈にあわないことを求めていたんです。もっと実体のあるものから地道に、じっくりと取り組むことこそ大切なことだと気がついたんです」と、そんな旨の発言がとくに印象的でした。顧みていまのこの国はどうだろうかと、思わずにはいられない … アベノなんたらとか、株高になったとか、これってどれもこれもみな「いつか来た道」なんじゃないですか ? … オリンピック招致も悪いとは言わない。だが、あの大地震からまる二年が経とうというのに、いまだに仮設住まいで仕事もなし、とりわけ原発事故で避難した方はいったいいつになったら故郷に帰れるのか、まるでメドさえ立っていないというこの苛烈な現実。また故郷に残った住民と、故郷を離れた住民とのあいだの意識の温度差というか、溝が日に日に大きくなってきてもいるとも報じられていて、その手の記事を目にするたびにこちらの気持ちも沈んでしまう。

 ときおり、大きな余震とみられる活動も起きているし、東海地震、あるいは南海トラフ沿い巨大地震の危険性がにわかに高まっているというのに、大多数の国民から日に日にそういった「意識」が風化しつつある … ように感じるのは自分だけだろうか。

 と、嘆いてばかりもいられないので、いま一度、できることからはじめてみようと思っているしだい。

 そういえばけさの朝刊書評欄に、興味を惹かれる新書本の著者インタヴュー記事が出てました。『東北発の震災論』という本で、著者は首都大学東京准教授の山下祐介氏。「震災がいつのまにか被災地だけの問題になり、どれだけ補償すればいいかという話に矮小化されている。怖いのは今後、中心から『いつまで被災地に金をかけるんだ』という声があがることです。… 被災者だけでなく、みんなで問題を背負っていくのが本当の支援。日本人はこれからどう生きていくのかという問題ともつながる」。

 まだ読んでない本についてあれこれ喋々するのはおかしいが、おそらく山下氏がこの本で言っている「広域システム」というのは、分野はまったく異なるように見えて、そのじつ以前ここで紹介したウェンデル・ベリーの本が主張していることとも通じ合うように感じる。文化面のみならず、真の意味での変革というのは「一握りの人間しかいない」中心から大多数のいる周縁へと半強制的に派生させるものではなく、その逆だということです。ただし、おそらくここで真に障害となるのは物理的中央集権システムというより、最終的には古来営々とつづいている悪しき「ムラ意識体質」なんじゃないかと感じる。自分が一アウトサイダーだから、よけいそうひねくれて感じるだけなのかもしれないが。でもこの本は読んでみたいと思います。それとおなじく書評欄にて紹介されていた、『災害復興の日本史』という単行本も。

タグ:山下祐介
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2013年02月02日

追記:「ブラックオートンのマルハナバチ」

 先日、ここですこし触れた、英国の小学生たちと神経科学者の先生が共同執筆したという「独創的な研究論文」をじっくり読んでみました。意外と歯ごたえのある ( ? ) 内容で、リンク先の関連論文とかも参照しながら、これがどんな実験だったのか、素人なりにまとめてみた。もっとも手っ取り早い要約はすでに番組で紹介ずみだから、これは蛇足みたいなもんですが。

1). 実験道具:ハチを入れる 1 m 四方のプレクシグラスで作った立方体を用意。前面にハチをいれる穴が開けられ、反対側には6 本の蛍光管の並んだ陽極酸化アルミ製の箱型光源と、その前方にプレクシグラス。グラス前面に十字型仕切りがあり、仕切りにはそれぞれ黒いアルミ板 4 枚が差しこめるようになっている。各アルミ板には径 8cm の円形の切り抜きが開けられていて、それが 16 個の正方形状に配列されている。切り抜き裏側にはそれぞれゼラチンフィルターを差しこむスロットがある。真ん中にはプレクシグラス製の「おしべ」があって、真ん中のくぼみに砂糖水や塩水を注入できるようになっている。

2). ハチの準備と訓練:マルハナバチの巣箱は Koppert UK. Ltd 社が提供。ハチを馴らすために、まず白色光源のみですべての「おしべ」に砂糖水を入れ、ハチがありつけるようにした。ハチたちが学習するまで 4日かかった。ハチたちを瓶に入れ、冷蔵庫で眠らせてからそれぞれ識別用のマーキングをした。ハチはぜんぶで 5匹、それぞれ黄・・オレンジ・ / オレンジ・ / 黄と色分けした。色分けしたハチはプレクシグラスの実験箱にもどされて、まず外側の切り抜きには黄色、内側には青とその逆の配列を 10 - 40 分おきに入れ替えて実験。真ん中にきた色の花にごほうびの砂糖水 ( 砂糖と水の比率は 1:1 ) 。黄色でも青色でも真ん中にある 4つの「花」にやってきて口吻を差しこんだら正解、ということを学習させた。最初の 2 日間では真ん中の 4 つの花に砂糖水を仕込ませただけだったが、つぎの 2 日間では周囲の 12 個の花に塩水を仕込ませて、色だけでなく「色どうしの空間的配置」を学習させた。ハチたちはたがいに情報交換できないように単独でガラス箱に放たれた。ごほうびがないと当てずっぽうに探しはじめるため、テストは一匹当たり 30 回で打ち切った。

3). 第一の実験:配色はそのままだがハチたちの色の記憶をリセットするため一度、4 枚の黒アルミ板を時計回りに回転させてから実験。真ん中の花にあったごほうびはなし。あいにく「黄色」のマーキングをしたハチだけ参加せず、4 匹のみでの観察。正解率は 90.6% 。うち 1 匹は色の組み合わせを正しく見極めていて、残りは色の好みがはっきり出た。

4). 第二の実験:真ん中の 4 つの花の色を緑に変えて観察。その結果、正解率は 30.9 % にとどまった。これで、前の実験でハチたちは色に関係なく「真ん中に」集まっていたわけでないことが証明された。ただし「 / オレンジと」のハチだけは 5匹中、真ん中の緑の花にもっとも多くやってきた。これはほかの 3匹とは異なる見分け方をしていることを示唆している。

5). 最後の実験:真ん中の 4つの花を抜いて、四辺の四隅にそれぞれ配置。ハチたちが「もっとも数の少ない色」めざしてやってきているのかを確認するため。その結果、最初の実験で真ん中の色に集まってきたハチたちはおなじ色が四隅にある場合では 40.1% しか飛来しなかった。「 / オレンジと」のハチも、前回のときとはちがってこんどは各パネルの真ん中の花には高頻度で飛来してこなかった。このことから、この 2 匹は花の蜜を吸うための条件として、「周囲を異なる色で囲まれた場合」を利用しているらしいことが判明した。

まとめ:実験 1 では、5 匹のハチはおおむねパズルを解くことを学習したといえる。ただし、認識方法にはそれぞれ個体差 ( 個性 ) があり、優秀なハチもいればそうでないものもいた。それぞれ色の好みがあることもわかった。実験 2 では、3 匹のハチは真ん中の緑の花ではなく、前の実験で学習した色の花に向かった。「」を含む 2 匹のハチは、真ん中の花に飛来したので、ほかの 3 匹とは異なるルールでパズルを解いていたことになる。実験 3 で判明したのは、ハチたちは色に関係なく「真ん中に」飛来してくるわけではないこと、もっとも数の少ない色に飛来するわけではないことだった。ハチたちは手当たり次第に花を選んでいるようにも見えたが、それでも「お気に入りの色」に飛来することはやめなかった。

 … というわけで、番組でも出てきた「結論」がつづいて登場します。「ハチたちは、複雑なルールを理解することによって、パズルを解く方法を学習できるけれども、ときおりまちがえる。ひとつのパズルを解くために、ハチたちはおたがいに ( 間接的に ) 力をあわせることができる。 … またわたしたちは、個々の花の、それぞれに異なる『形状パターン』を手がかりに、ハチたちがお目当ての花に向かうことも学んだ。だからハチたちは賢い。ひとつの形状パターンを記憶できるから。… ハチたちはどうやら … 思考するらしい ! 」。

 なお文中の「ゼラチンフィルター」については、たぶん大判写真術でレンズ前にかざして使用する、正方形の薄っぺらいフィルターのことなんじゃないかと思う。自分もそういうのを一枚、持ってました。

posted by Curragh at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など