2017年08月20日

「反戦」ではなく「非戦」

 いまからたしか 30 年ほど前だったと思うけれども、某宅配大手の TVCM で、吉幾三さんとどこかの事務所に所属しているとおぼしきおばあさん俳優が出てきまして、ちょっとコントめいたことをしゃべるんです。で、戦争がらみの報道とか見聞きしたときに、その会話が勝手に脳内再生されることがあります。その CM で、おばあさん俳優はこう訊き返すんです。

−− また、戦争? 

 あれから 30 数年、個人的にはべつに惰眠をむさぼっていたわけでもないのに、戦争の軍靴の靴音が、はっきりと聞こえるような気がするほどその不安は現実のものとなりつつあるのではないか、と今年ほどつよく感じたことはない。例のミサイル問題や、たがいに応酬しあっている愚かな指導者約二名なんですが、あのとき「また、戦争? 」と訊いていたおばあさん本人だってふたたび「第二の戦前」になろうなどとは、夢にも思ってなかったでしょう。

 毎年この時期になると、地元紙にもあいついで戦争関連記事とか特集ものが掲載されるわけなんですが、とくに目についた記事をここでも一部転記して紹介したいと思います。ふだんは意識しなくても、広島・長崎の原爆忌と 8月 15 日がやってくると、どうしても考えざるを得なくなります( 前にも書いたが、ワタシの伯父さんのひとりはいま、戦艦「武蔵」とともに南洋で眠っている )。

 まずは詩人アーサー・ビナードさんの寄稿文。「これからを生きる君へ / いま戦争を伝える」と題された文章でして、自身が戦争体験者から聞き書きした本のことを書いたもの。未読の本をあれこれ言うのはまちがっているが、経験上言わせてもらえば、この手の本は社会派なんとかいう肩書きを持つ人の手になるものより、詩を書くことを生業にしている人の書いた本のほうが内容が格段に深いし、物事の本質を突いていると思っている。心打たれるのは、やはり苛烈な体験をした当事者の声の数々。「兵士はけっきょく、機関銃や大砲や戦闘機とおなじなんだ。使えなくなれば捨てられる」、「おなじ日本兵に手榴弾を投げてかんたんに殺し、相手の食べ物を奪う。こんな光景を毎日見ていた」[ 以前Eテレで、日本文学翻訳家のドナルド・キーン氏のドキュメンタリーを放映してましたが、キーン氏が戦場でじっさいに見た凄惨な日本軍敗残兵たちの末路は、まさにこれだった ]。愚かな約二名にはこのことばのもつ強烈な耐えがたき重みがほんとうにわかっているのだろうか、と思わざるを得ない。「全員が力を振り絞って必死に話してくれた。ぼくも持っている想像力や表現力を限界まで使わなければ、ちゃんと向き合ったことにならない[ ビナード氏 ]」。

 この記事の結びのことばにまた、心打たれる思いがする。「ひとりひとりの語りに『戦後づくり』の知恵が詰まっている。それはわたしたちが生き延びていくための知恵なんです」。ここにいる門外漢は、これからを生きる者にとってのせめてもの希望はここにあるのであり、けっして「戦後レジームからの脱却」なんかではない、と嘆息したのであった。

 いまひとつご紹介したいのは −− そしてちょっとびっくりしたのだが −− 末期癌であることを公表した映画監督の大林信彦氏のメッセージが綴られた「大林信彦監督、映画と平和語る」と題された記事。以下、戦争を知らない世代として年食ってしまった門外漢がつぶやくより、監督の渾身のことばに虚心坦懐に耳を傾けるべきだと思うので、いくつか転記[ 以下、仮名遣いを若干変更して転記。下線強調は引用者で山かっこ内の文言は引用者の心の声 ]。
… 戦争といえば、無意識に、本能的に嫌だ、やめよう、ばかばかしいと思う。反戦じゃないんです。非戦なんです。戦争がないことが一番というのが皮膚感覚としてある。

… いろんな情報が瞬時に等価値で入ってくると< たとえば Twitter >、自分にとってなにが大切かわからなくなる。その結果、ぜんぶ人ごとになってしまうんです< 自分ごととしてとらえなくなると、無関心になる。これがもっともこわい >。

… [ 映画という物語にすることについて ]虚構の真実の中に希望が見えると、人はやっぱりその真実を信じて生き始めるんです。

… 平和を手繰り寄せるためには、限りなく、止めどなく努力して、紡いでいかなきゃいけない。夢は見ていると必ずいつか実現する。平和の映画を作っていれば、いつか世界は平和になる。ぼくは映画という道具を使って、人間の夢を、理想を手繰り寄せたいと思っているんです。
映画や物語といった「虚構」を( もっと言えば「芸術」というものを )、ただの作りものとかまがいものと思っている人は、傲慢だと思う。そういうスキを突いて戦争はやってくる。回想録とか聞き書きとかでよく目にする証言に、太平洋戦争開戦時、気がついたら戦争が始まっていた、というものがある。ドイツの昔話に、「あなた方はどこから来たんですか?」と問う馬鹿に、「平和からだ」と兵隊が返す。どこへ行くのかと問われ、戦争だ、と答える。なぜ戦争へ行くのかと馬鹿に再度問われた兵隊は、「平和を取りもどすためだ」とこたえてそのまま通過する。ひとり残された馬鹿はこうひとりごちる「へぇ、平和からやってきて、平和を取りもどすために戦争に行くとは。なんでもとの平和にとどまらないんだろう?」。

 これは、人間の歴史が過去からずっと引きずってきた重い宿題であり、とてつもなく重い禅問答でもある。せめてそうならないことを祈るほかない。そのためにはいまこそ「芸術」の持つ力が必要だと思う。またとくにフェミニストというわけじゃないが、やはり男性原理の社会構造から女性原理の社会構造へと転換することも大事かと。そんな折、あのマララ・ユスフザイさんが英オックスフォード大学に進学されるとの報道を目にした。こういうときにこのようなことを知ると、生きる希望がすこしは湧いてくるものだ。

[付記]:この前 NHK-FM で聴いたこちらの番組。ギーゼキング好きの人にしてみれば、いまごろ? と言われそうだが、このピアノの巨匠( 体もでかかった )はなんと、1945 年 1月 23 日夜、連合軍のベルリン空襲のさなかにベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番 『皇帝』)」の録音( !!! )をやってのけていたことをはじめて知り、文字どおり驚愕( しかも最古のステレオ録音 )。たしかに弱音部では高射砲の爆音が聞こえたりする。この精神的集中はどうですか。ヴァルヒャが空襲下のフランクフルト市民をバッハのオルガン作品演奏会を開いて慰めた、という話もある。「戦争の世紀」だった前世紀が「巨匠の時代」と言われたのもむりからぬ話だと感じ入るとともに、もうこんなことは二度とあってはならないとやはり思う。

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2016年12月30日

Post-Truth だろうとなんだろうと、「すべては今日から」! 

 まずは関係のないマクラから。けさ聴取した「古楽の楽しみ / リクエスト・アラカルト」、いちばん印象に残ったのはルクレールの「ソナタ 第 11 番 ロ短調」とバッハの「フルート、オーボエとバイオリンのための協奏曲 ニ長調 BWV. 1064 a 」でした。ルクレールのほうはフルートソナタなんですけど、はっきり言ってこれ構成がパルティータ、組曲なんです。で、聴いているうちに、あ、これをそのまま鍵盤に移植したらバッハの鍵盤作品だと称してもじゅうぶん通用するな、と。いかにもフランス古典でござい、と思わせといて、じつはイタリア趣味満載だったりするところがおもしろかった。2番目のはバッハの「3台チェンバロのための協奏曲 ハ長調」の原曲復元、というか、編曲の編曲。で、岐阜県にお住まいのラジオネーム「やまあるきにすと」さんがリクエストしたのは、なんとなんと往年のマエストロ、ヘルムート・ヴィンシャーマン( まだまだご存命 ) !!! いや〜、なんという懐かしい響き !! 案内役の大塚直哉先生も言っていたけど、最近の古楽ではこの名前、ほんと聞かなくなった( リヒターもヴァルヒャも例外ではない )。2016 年最後にかかったリクエスト曲がこのようなすばらしい音源だったとは、これまたうれしいサプライズでありましたね。 本題。今年ほど、いろいろな分野の音楽家が物故した一年、というのはあんまり記憶にない。ちょっと思い出してみるだけでも中村紘子さん( 7.26 )、プリンス氏( 4.21 )、ピエール・ブーレーズ氏( 1.5 )、デヴィッド・ボウイ氏( 1.10 )、以前ここでもちょこっと書いたマーラー研究家で実業家のギルバート・キャプラン氏( 1.1 )、キース・エマーソン氏( 3.10 )に、おなじ ELP のギタリストだったグレッグ・レイク氏( 12. 7 )、サー・ネヴィル・マリナー氏( 10.2 )、そしてニコラウス・アーノンクール氏( 3.5 )… 直近でいちばんびっくりしたのは、キャリー・フィッシャーさんと、「雨に唄えば( 1952 )」の名演で知られる母親のデビー・レイノルズさんがあいついで亡くなられたことですね … 心よりご冥福をお祈りします。往年の SW ファンとしては次回作が気になるところだが、すでに「エピソード8」は収録済みなんだそうです。最終作は … いったいどういう展開になるのだろうか? 翻訳関連では『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』などのジョン・ル・カレのエスピオナージュものの邦訳で知られる村上博基先生も不帰の人になっている( 4.30、享年 80 )し、ここでも取り上げた柳瀬尚紀先生も逝去された( 7.30 )。 不肖ワタシは以前、のら(?)の子猫ちゃんを動物病院に連れてゆく展開になりまして、しかたないから移動中の車中では自分の膝の上に乗っけてたんですけど、病院到着前、なんか心なしか「ふっ」と子猫の体重が軽くなったような感覚が。そのときはあまり意識してなかったんですけど、まさにそのとき、子猫は天に召されたのであった。なので、魂とか霊魂とかいうのは確実に存在すると確信するようになった。だってげんに「軽く」なったんですもの。生命あるものにはそのエネルギーを吹きこむ「なにか」が、確実に存在する( inspire という動詞のほんらいの意味は、「息を吹きこむ」)。そういえばこういう番組も先だって見ました。 なんでまた音楽関係の著名人の訃報やら、子猫の話を持ってきたかというと、ここ数年ずっとそうだろうけれども、子どもたちの自殺がほんと後を絶たないからでして … いちばん個人的に心痛めたのは青森の女子中学生の件ですかね …… なんでこうも自分の命を粗末に扱うのかってほんとうに口惜しい。「線が細い」とかって言い方があるけど、たかが十何年生きただけでかんたんに死ぬなよ、と声を大にして言いたい。この件についてはいろいろ言いたいことがあるが、あんまりここで喋々してもしかたないだろうから、ひとつだけ。やっぱり親御さんの責任は大きいと思う。べつに責めるつもりは毛頭ないが、わが子の自尊心というか自分を大切にする心というのが、けっきょくはそれだけのものだったのではないか、とつよく感じられるからです。自分の子どもに遠慮なんかしてどうするのですか。「サザエさん」じゃないけど、もっとおおっぴらにやりあうくらい膝突きあわせて徹底的に話しあうとか、そういうことさえなかったのでは、と思ってしまう。学校の先生を責める前にもっとやるべきことはあったんじゃないのかな( もっともハレンチな論外教師は今年も相変わらずけっこういましたが … )。
もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。
昨年の夏休み期間だったか、こんなツイートが話題を集めたことがありました。なるほど図書館ねぇ、と思ったもんですが、逃げ道を作る、という知恵はこういうときにこそ発揮すべきで、たとえば図書館とか物理的な場所ではなく、「他者に邪魔立てされない、自分だけの神聖な時間を作る」ということだっていいわけです。あっさり電車に飛びこんでしまう勇気があったら、なにかひとつ夢中になれるものを見つければいい。きっとそれがその子の命を救うことになるし、結果的に「全世界も救われる」ことになる … かもしれないのですよ。「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ( 「マタイ 10:16」 )」というイエスの名言もありますし。とにかく生きること、これに尽きる。生きているだけでいいんです、あとはなんとかなる( ついでにキャンベルふうの物言いを又借りしてくれば、大金持ちだろうと貧乏人だろうと中間層だろうと、自分の思い描いたとおりに生きている人なんてひとりもいやしないんです )。 それにしてもこの一年ほど、人間のことばの持つ力のブライトサイドとダークサイドを見せつけられた年があったかな、とあらためて感じる。たとえばこういうのはどうですか。あるいはまたこちらの記事とか( こっちは今月 23 日付地元紙コラムにも取り上げられていた )。もうこうなるとこちとらは空いた口が塞がらない、いや、背筋がぞっと寒くなる。これじゃいつぞやここで書いたオルテガの『大衆の反逆』じゃないですか、いやこれこそ「帝国の逆襲」なのかな。
… すべての人々が、新しい生の原理を樹立することの急務を感じている。しかし ―― このような危機の時代にはつねに見られることだが ―― ある人々は、すでに失効してしまった原理を、過度にしかも人為的に強化することによって現状を救おうと試みている。今日われわれが目撃している「ナショナリズム」的爆発の意味するところはこれである。…… 最後の炎は最も長く、最後の溜息は、最も深いものだ。消滅寸前にあって国境 ―― 軍事的国境と経済的国境 ―― は、極端に敏感になっている。―― オルテガ・イ・ガセット / 神吉敬三訳『大衆の反逆』ちくま学芸文庫版、pp. 261 − 2
 地元紙コラムはかつて先輩記者に口酸っぱく言われたこととして、「事実と憶測を混同するな」を挙げています。いまは一見すると、かつては考えられなかったくらい多種多様な情報がそれこそ全世界から入ってきて、あるいはいま自分のいる場所から全世界に向けて発信できたりして、30 年ほど前に喧伝されていたような「高度情報化社会」になったかのようにも見える。でもそのじつ、以前ここでも書いたマッキベンの言う「情報喪失の時代」に生きているのではないかという思いがますます募るいっぽう。その最たるものが、ついったーでしょうかね。言い方は悪いが、次期米国大統領閣下は従来メディアへの対抗手段として、「特定のニーズを満たし、特定のニーズにのみ届く」という SNS の長所でもあり短所でもあるこの点を巧みに突いて利用( 悪用 ?? )しているだけなんじゃないかって気もしますね。ついでに個人的に Twitterというシステムが気に入らない。あれはどう見ても「中央集権的」構造で、「 PPAP 」みたいな例はまあよしとして、けっきょくのところジャスティン・ビーバーかトランプか、発言力のつよい人に大多数を追随させるようにできている。ひところネットで「フラット化」が進む、なんてもてはやされたりもしたが、フタを開けてみたらちっともフラットじゃなかった、ってことですかね。 人間のことばの持つ魔力にいちはやく気づいていたのは、われわれじゃなくて太古の人間だったと最近、ほんとに痛感します。いまの人は「即時性」を求めるあまり、平気で他人を傷つける暴言をツイートし(「 … 落ちた日本死ね」)、また波平さんみたいなうるさ型オヤジが激減( ?! )したせいかどうかは知らぬが、どうでもいいことをわざわざ物議を醸すような物言いで垂れ流す御仁も老若男女問わずゴマンといるのも事実。トイレの落書きにもならないような繰り言を全世界に放って、あとは知らない、では話が通らない。そう言えば先月だったか、英オックスフォード大学出版局の選んだ「今年の漢字」ならぬ「今年の単語 Word of the Year 」に PPAP じゃなくて「脱構築」でもなく「脱真実 Post-Truth 」を選んだんだそうです。post-truth とは言い得て妙、かな? 英語の世界にまたひとつ新顔の仲間入りということか( ちなみに昨年は Face with Tears of Joy、嬉し泣き顔の絵文字[ ?! ]だったようでして )。 その点、たとえば古代ケルト人とか昔の日本人( ことだま )はちがっていた。とりわけ言語感覚が鋭かったのはケルト人だったような気がします。フィリ filidh と呼ばれていた知識階級( 古アイルランド社会においては、「紀元 7 世紀ごろにはすでにフィリたちがドルイド階級の職務と彼らの特権を引き継ぐ事実上唯一の後継者[ P. マッカーナ ]」となっていたらしい )。当時のアイルランドでは、フィリの放つ「ゲッシュ」、もしくは呪いにはほんとうに人を殺す力があると信じられていた( 呪いで相手をやっつけた、という話が多く存在する )。われわれはどうなんだろう? 人間のことばの持つ恐ろしさを肌で感じているだろうか。人間のことばにはたしかに鎌倉の図書館員さんのツイートのような温かい励ましもあれば、その真逆の人を絶望の淵に追いやり、その人の生命を奪うか、あるいは逆上して他者の生命財産へと矛先が向かうことだってある。またプロパガンダというたぐいのことばもある。この点で次期米国大統領閣下におかれましては、やってることは ISIS とたいして変わらない、ということになる( もっともむずかしいこと、それは「汝自身を知れ」)。この手のカルトについて、沼津市出身の小説家、芹沢光治良氏はこんなことを書き残してもいます。
いろいろ新しい宗教や信仰が、現在、さかんのようだが、それは、人間がつくった神で、祈ったからとて、何の力もない。他に神があるように説いて、信仰をすすめる者が多いが、それは、そう説く者の、私利、私欲によるもので、神とは全く関係ないので、愚かにも惑わされては、恥である ―― くどいようだが、重大なことであるから、重ねて言うが、神は、ただ、大自然の親神しか、存在しない。他に、神名を挙げる者があっても、それは、人間が勝手につくった偶像で、神でないばかりか、ただのお話にすぎないのだ ――『大自然の夢』1992、p. 191
 そんな世相を察知したのか(?)、はたまた現代のフィリということなのか、今年のノーベル文学賞があの「風に吹かれて」のボブ・ディランさんに決まったのは、なんか当然の成り行きだったような感じがした。
How many roads must a man walk downBefore you call him a man?...... Yes, ’n’ how many times must the cannonballs flyBefore they’re forever banned?The answer, my friend, is blowin’ in the windThe answer is blowin’ in the wind
 こういう時代だからこそ、やはり批判的に物事を考える習慣というのは大事なんじゃないかって思われます。「こたえは風に吹かれている」。ちょっと目を凝らせば、おのずと取るべき道が、こたえが見えてくるんじゃないかって気がしますね。 … とここまでつらつら勝手なことを書いてきたけれども、本年最後もやはり、珠玉のことばの花束で締めたいと思います。
… 日本人は道義心がつよいし、責任感もつよい。だがそのつよさゆえに、自分自身の人生に振り向けるべきエネルギーを奪われてしまっている。日本人は、課せられた仕事に対するのとおなじくらい、自分の人生を愛してほしい。自分と家族、あるいは友人たちと好きなことをして過ごす時間を大切にしてもらいたい。…… 人は、発展するために生まれてきたのではない。幸せになるために生まれてきたのだ。―― ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領( TV 番組のインタヴューからの抜粋なんですが、これホントにすばらしい、感動的名言だと思う )

…… われわれは独力で冒険を挑む必要さえない。あらゆる時代の英雄たちが先に進んでくれたからだ。もはや迷路の出口はすべて明らかにされている。われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。そうすれば、かつては恐るべき怪物に会うと思っていたところで神に出会うだろう。そしてかつては他人を殺すべきだと思っていたところで自我を殺すことだろう。まだ遠くまで旅を続けなければと思っていたところで、われわれ自身の存在の中心に到達するだろう。そして、孤独だと思い込んでいたのに、実は全世界が自分と共にあることを知るだろう。―― ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』( 飛田茂雄訳『神話の力』、早川書房刊 )

…… 首尾よくドイツ文学科の学生となった僕は、当然のことながら日々ドイツ語との苦闘を強いられることとなった。そんなある日、僕の心を鮮烈に捉えたドイツ語が、… 「アプ・ホイテ」であった。初めて目にして声に出した瞬間、なんともユーモラスな感じがしたのと、何度も口ずさんでいるうちに妙に楽しく愉快な気分になってきた。"今日から" "アプ・ホイテ"、そうだ、すべては今日からだ !! ―― 児玉清『すべては今日から』p. 239
Alles beginnt ab heute !! すべては今日からはじまる !! 来たる年はこれで行きましょう! [ 上記ドイツ語表現についてはベルリン在住の方に校閲してもらいました ]

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2016年04月18日

いとちはやぶる …

 今年の春はいったいどうしてしまったのだろうか … まず天候がおかしい。この季節に雹が叩きつけるように降ってきておどろいた。とにかく天気が悪くて、平成に変わったばかりの3月4月ごろを思い出した( あのときも菜種梅雨で、気温も高かった )。そして、まだ東日本大震災の復興もままならないうちに、こんどは九州・熊本での一連の活断層活動による震度階5, 6, 7の大きな地震動がほぼ連日のように発生するという、地震学者でさえ今後どのように推移するかが「評価できない」、ようするに「わからない」と認めざるを得なくなるという経緯をたどっています[ 折悪しく南米エクアドル太平洋岸でも大地震が起きてしまって、あっちこっちたいへんなことになってしまっています ]。

 かつてさる風景写真家の先生が、諸外国の自然と日本の自然とを比べて、「日本の自然はやさしい」と評した人がいたけれど、そのやさしい顔した日本の自然もいざこのような事態になると、『古事記』や『古今和歌集』じゃないけど、まさに「ちはやぶる」、「荒ぶる神」という恐ろしい一面を見せつけ、われわれを翻弄する。

 被災された方にはかけることばも見つからないのだけれども、とにかく一刻も早い収束を願っています … とはいえここにきて腹立たしいのは、某週刊誌の新聞広告でして、たしか '90 年代後半にも、この週刊誌はわけのわからん記事を書いてました。そのとき静岡県民は市町役場から小冊子を渡されまして、そこには「一般論」として、「関東地震」と直下型の「小田原地震」の周期について書いてあり、記憶が正しければたしか「76 年プラスマイナス 〜 年と言われています」という書き方をしていたように思う。それをさも「切迫性を自治体みずから認めた」みたいに報じたデマ記事をでっちあげていた。

 阪神大震災以降、いわゆる「宏観現象」ものからいかにも素性の怪しいブラジルの予言者(?)だか占い師だかを登場させたりと、やたらと不安を煽る記事を掲載するのが好きのようです。いっとき福島第1原発から放出されたセシウム関連で放射能ものの記事も量産していたのもたしかこの週刊誌だったような。デマといえば富士山関連も多くて、たとえば真冬に地肌が露わになっていると、どこかの TV ワイドショーだかが「噴気」とくっつけて危ないんじゃないかって報じたりする。こういうのもなんとかならんかっていつも思う。ワタシはたまたま地学も好きで、その気もないのに伊豆半島ジオガイド検定なんてのも受けたりした一介のディレッタントながら、真冬の富士山の雪化粧のあるなしは噴火とか地熱とかぜんぜん関係ありません。前にも書いたことをもう一度書くと、富士山の積雪がもっとも多くなるのはちょうどいまごろです。春山の高山地帯ってどこも積雪がすごいでしょ。噴気は、そりゃ活火山だものすこしくらいは上がるでしょう。箱根山の大涌谷なんかいつもそうだし( でも昨年の騒動はすこしおどろいたが )。登山者の証言として、戦後間もないころの富士山は、登ると足の裏が熱くなったっていうのもあるくらいで、いまはその当時に比べれば冷えているらしい。冷えていると言っても油断は禁物で、5年前の 3 月 15 日夜、富士山南西山腹直下を震源とする最大震度6強のあの地震は、噴火するかもしれないぞとすごくピリピリしていたのを思い出す。そしてその富士山ですが、最近、こういうのができまして、ワタシも参考までにクリッピングしてあります( ちなみに富士山山頂火口が最後に噴火したのは約 2,200 年前と言われており、その後の貞観噴火や宝永噴火などを含めた一連の記録に残る噴火は、すべて「山体の割れ目火口」型による。割れ目の走向はほぼ南東−北西ラインで宝永の3つの火口もこのライン上に口を開けている )。

 また静岡県東部地域に住む者として気がかりなのは、ここもいつ動いてもおかしくない活断層帯に囲まれていることです … 有名なところでは 1930 年、工事中の丹那トンネルをずらした(!)「北伊豆地震[M 7.3 ]」を起こした「丹那断層[ 国指定天然記念物、いまは「北伊豆断層帯」って言うそうです ]」があるけど、個人的にもっとも警戒するのは富士川河口断層帯といわゆる「東海地震( 駿河湾トラフ )」の同時発生。あと活断層ではほかに「中央構造線」の突っ切る県西部の「青崩峠」というところもあります。山梨リニアのくそ長いトンネルってたしか … 構造線だったか「糸魚川−静岡構造線」だったか、たしか丹那トンネルよろしく突っ切るルートだったような気がしたけど … 。

 最後にすこしはお役に立てそうなリンクをここにも貼っておきます[ たまたま Ottava 聴いてたら、なんでも本日がレスピーギの誕生日だそうで、この人の管弦楽編曲した BWV. 659 のクリップも貼っておきます。バッハの美しい音楽で、すこしでも気持ちが和らぎますように ]。

1). 日本赤十字社「平成 28 年熊本地震災害義援金
注記:日赤宛て義援金は、「窓口」で振替の場合、手数料はかかりません。不肖ワタシが郵便局窓口でささやかながら払い込もうとしたところ、窓口のお姉さんに「手数料 103 円がかかります」なんてやられた。ムっとしたが、細かいのがなかったから千円札1枚よけいに渡したら、「手数料かからなかったので、これはお返しします」… こういう周知、きちんとしてくれませんかねぇ。航空便だって、こっちが「小形包装物で」と断らないと平然と高くつく通常航空郵便扱いにされちゃったりすることもあるし( ただし「小形包装物」は信書以外のもの限定、宛先国の税関に申告するための緑の紙に内容物と重量、価格、署名を記入する必要がある )。

2). 熊本地震速報】災害・募金寄付・ボランティア情報まとめ



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2015年12月31日

「中心は、至るところにある」

 今年もついに大晦日を迎えることができて、まずは感謝、でもいろいろとくたびれることがつづきまして、少々精神的に疲れてもいる。こういうときは … 音楽だ !! というわけで OTTAVA Salone、ゲレンさんの回をただいま聴取中[ 右下コラム、長らく貼っていたチャロのゴガクルバナーに代わりまして、OTTAVA バナーに切り替えました ]。お! そうでした、今年はシベリウスイヤーでもあったが、バッハ生誕 330 年でもあったわけでした( タネーエフという人も今年が没後 100 年だった )。ってワタシはそれこそ年がら年中バッハを聴き、またへたっぴながらちょこっと弾いてみたり、楽譜を繰ってみたり、という生活を送っているので、あんまり実感がない( 苦笑 )。

 今年は気象観測史上、もっとも暑い年だったそうです … 台風の強大化、「半世紀に一度あるかないか」の異常降雨の増加、デング熱など熱帯感染症を運ぶ害虫の北上、そして最大規模と言われるエルニーニョ現象の発生 … ここ何年か、「いつまでも暑い、と思っていたら秋を通り越していつのまにか冬になっていた」、みたいなきょくたんな気候変化が当たり前になりつつある。日本の四季はいったいいずこへいったのか、みたいなことが日常になりつつある。クリスマスどきの異常な暖かさ、寒がりなんでこれはこれでありがたいけれども、気温変動があまりにも激しくて、ほんとうにこれが冬なのか? とむしろ寒気をおぼえる。

 エピキュリアンなワタシがこんなこと書くのは不適格かつ僭越きわまりないとは思うが、年が明けたと思ったらいきなり邦人2名が IS に拉致された、というとんでもない報道が飛びこんできた。IS については以前こちらで書いたとおりですけど、ああいう手合を見ていると、どうしても比較神話学者キャンベルのことばが思い出されてしまう。
… 「神は人間の知性で認識できる領域であり、その領域の中心はあらゆるところにあり、円周[ 境界 ]はどこにもない」… 私たちひとりひとりが ―― それがだれであろうと、どこにいようとかまわないのですが ―― 中心なのであり、その人の内部に、その人が知ろうが知るまいが、「自在な心」が存在しているのです。―― ジョーゼフ・キャンベル著、飛田茂雄ほか訳『生きるよすがとしての神話』、p. 280
 キャンベルという人は少年期、ローマカトリックの教えを受けていたが、欧州留学を経て大恐慌まっただなかの本国に帰国したとき、親類縁者に対して「わたしはカトリックの信仰を捨てます」と「棄教」を宣言したという。これが当時の米国北東岸の社会においてどれだけ衝撃的な事件だったかは、ちょっと想像するのがむつかしいかもしれない。とにかくキャンベル青年は恐れることなく棄教すると言ってのけたわけです。

 最近、あいにくこちらも絶版なんで図書館で借りて読了したキャンベル本『野に雁の飛ぶとき』という 1969 年に刊行された論文集をはじめ、今年もまた( ここには紹介してないが )いろいろ読みましたよ。もちろん気に入った CD や書籍は原則的にぜんぶ買う人なので( あまりにお高いものはさすがにちょっと考えるけれども )たとえば昨年の話だけど村岡花子の復刊されたエッセイ集も買い揃えたし、前にちょこっと言及した『岩城音楽教室』も児玉清さんの遺稿集『すべては今日から』も買ったり、そうかと思えば『ハムレット( いまごろ ?! )』、漱石の『草枕』、鈴木大拙師の『禅』なんかも買った。それとこちらも前に紹介したけれど、鴻巣友季子先生訳『風と共に去りぬ』新訳本も読み、それがきっかけでこっちの本へと脱線し … とはいえだいぶ前に買っておいて「積んどいた」本、ショーペンハウアーの『知性について』とかもいまだまともに読んでないし、キャンベル本にも出てきたハクスリーの『知覚の扉』も読了していない、というわけで年末年始、この時期恒例みたいな感じでまたしても悩ましいことになってしまった。以上、キャンベル本しか読んでないのか、というギモンに先回りして[ in advance ]釈明したしだい。

 話もどりまして、IS やかつてのオウムなどに引き寄せられる人についてはこちら側にいるわれわれも頭ごなしに否定していては、いつまでたっても解決にはつながらないし、今後もこういう過激思想に染まる若い人がつづいてしまうだろうと思う。彼らを操っている不届き者は徹底的に叩くべきとは思うが、では「砂漠の一神教」のどこが問題なのか。その問いに対するひとつのこたえが、↑ で挙げた『 24 賢人の書 Liber XXIV philosophorum 』に出てくるあのことばかと思う。なんでもそうだが、原理主義に凝り固まった人というのは、自分の信条( 信仰 )が絶対的正義、みたいなことを露ほどにも疑わない。疑わないから、他人様にそれを押し売りする。正月どきにやってくるなんとかの証人みたいに( あの人たちはなんでまた『聖書』を売りつけに来るんだろ … 当方だって「新共同訳」くらいは持ってますぞ )。
あなたとあなたの神とは、あなたとあなたの夢がひとつであるのと全く同じく、ひとつです。とはいえ、あなたの神は私の神ではありません。だから私にそれを押しつけないでください。各人がそれぞれ独自の存在と意識とを持っているのですから。( Campbell, op.cit., p. 169 )
 その点、中世初頭のアイルランドでの「改宗」事情は欧州大陸とは大きく異なっていた。アイルランドでは一滴の血を流すことなくわりとすんなりキリスト教化されたのは有名な話、聖パトリックが実在の人物だったかどうかはさておいて。ひさしぶりにケイヒルの『聖者と学僧の島』を読み返してみると、ヒントになりそうな一節がありました。「自分には確固としたアイデンティティなどなく、自分は、現実の残余として流れゆく液体にすぎない存在、もともと本質の欠落した存在なのだという思い[ p. 183 ]」。これだけではわかりにくいのでかいつまんで書くと、キリスト教到来前の古代アイルランド人は氏族間の抗争に明け暮れ、気まぐれで「移ろいやすい」特有の自然の持つ暗さ、恐ろしさを肌で感じながら日々を送るしかなかった。その証拠にアイルランドの古代神話に出てくる英雄も牡牛になったり鷹になったりあるいは海を渡る風になったりと変身しつづける、なんていうモティーフがよく出てくる。でも! もう恐れることはない、「いかにひどく、がまんのできないことであっても、かならずや終わりがくること … 神は謙虚な祈りにこたえて、道に迷いさまよう人たちに神の食物をあたえる」。それまでの「神」は、人間の首を要求した( かつてのケルト人氏族には首狩りの習慣があり、その名残りともいうべき意匠がたとえばシャルトル大聖堂とかにもレリーフとして刻まれている )。ようするに人身御供とひきかえに豊饒など、切なる願いを聞き入れた。それが(「旧約」のアブラハムとイサクの話のように )屠られる対象が人間から子羊へと変わり、そしてついには「神のひとり子」をアダムの子孫たるわれわれの「原罪」を贖うために十字架につけ、救済してくれた … というわけで、キリスト教って日本人にとっては「三位一体ってなんぞや」みたいな難解なイメージがつきまとい、悲しいことにそうした無知につけこむ連中もいるわけなんですが、当時のアイルランドに生きる人々にとっては文字どおり漆黒の雲間からさっと差しこむ強烈な「光明」のごとく見えたのは想像に難くない。ようするに「砂漠の一神教」の教えは自然の移ろいやすさから切り離されている安心感、そしてこういう論理の明快さ、わかりやすさが決め手になったんじゃないかって思わざるをえない。この「わかりやすさ」があったからこそ使徒パウロの伝道が功を奏し、結果的にそれまでの「地中海世界の多神教」は廃れてしまったんじゃないかって思うのです。当時の人々にとってはまさしくそれまでの価値観と時代、世界観の崩壊、「この世の終わり」を象徴する出来事だったんではないかと … もっともその変化はいっきに来たわけではなく、「気がついたらそうなっていた」のかもしれませんが。

 と、ここまでつらつら愚考していると、またしてもキャンベル本に出てくる引用箇所が思い出される。それは以前ここでも紹介したヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ作『パルツィヴァール』[ 加倉井粛之、伊藤泰治ほか共訳『パルチヴァール』郁文堂出版、1974 ]。この聖杯探求をめぐる壮大な冒険物語の結尾に、にわかに信じられないことが書いてあります。前にも引用した箇所だが、もう一度繰り返しておきます[ 下線強調は引用者 ]。
 そのとき聖杯に文字が読まれた。神により他の国々のあるじと定められた聖杯の騎士は、他人に自分の名前や素性を尋ねさせないことを条件に、その国の人々の権利の実現に力を貸してやるようにと、記されてあった( p. 427 )。
これスゴイことですよ、だって『大憲章 Magna Carta Libertatum 』発効の 5 年前にすでにドイツ人詩人にして騎士の著者がはっきり書き残しているんだもの。こういうこともみんなキャンベル先生に教えてもらった( → 関連拙記事 )。
… 新しい神話は、ある特定の「民族」のちょうちん持ちをするために書かれたものではなく、人々を目覚めさせる神話です。人間はただ( この美しい地球上で )領地を争っているエゴどもではなく、みんなが等しく「自在な心」の中心なのだと気づかせる神話です。そのような自覚に目覚めるとき、各人はそれぞれ独自のやり方で万人や万物と一体となり、すべての境界は消失するでしょう( ibid., p. 281 )。
 … と、『フィネガンズ・ウェイク』よろしくここまで「忍耐強く[ cf.「さあて、忍耐だ。忘れてはならん、忍耐こそは偉大なるもの ( 柳瀬尚紀訳、I 巻 p. 209 )」 ]」読んでくださって妄評多謝であります。m( _ _ )m 今年最後は … やはり大バッハに登場してもらいましょうか。今年、何度となく、胸中に響いていた旋律と歌詞です。
Dona nobis pacem.
われらに平安を与えたまえ



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2015年08月17日

南北戦争 ⇒ 終戦 70 年

1). 新訳版『風と共に去りぬ』に、次のようなスカーレットの科白が出てきます。
「もっと綿を植えよう。もっともっと。あしたポークをメイコンへ
()
って、種を買ってこさせよう。もうヤンキーに焼かれることもないし、味方の軍隊にとられることもないんだ。ああ、やれやれ! この秋には、綿花の値もうなぎ上りよ!」

 70 回目の終戦の日の何日か前だったと思うけれども、地元紙投稿欄にも「明日からはもう空襲はないんだ!」という戦争体験者の方の述懐が載っていました。心情的には、南北戦争時代の南部白人スカーレットと、こちらの述懐とは、なんらの距離もなくて、戦争の惨禍を文字通り命からがらくぐり抜けてきた凄絶な体験をした人ならばだれだって心底、そう思うものだろう。

 ところでふたつ前の拙記事で取り上げた Ninety Six という地名の出てくる本。『風と共に … 』を読み進めていくうちに、なんか急に(?)当時の南部プランテーションで奴隷として白人に従事していたアフリカ系米国人のことが気になりだして、件の本がいつぞやお世話になった静大附属図書館(!)の書庫に入っていることを知り、いつも行ってる図書館経由で( 相互利用制度 )借りることができたので、さっそく読んでみた。例の '96' は、当時北軍の第3海兵歩兵部隊に所属していたジェイムズ・マクファーソンという名の中尉さんだった人の行軍日記が出典だということがわかった。1864 年5月5日、マクファーソン中尉はヴァージニア州の戦闘で南軍側の捕虜になり、サウスカロライナ州コロンビア近くの収容所に送られた。同年 11 月下旬、マクファーソン中尉は仲間3人とともに収容所から脱走。テネシー州ノックスヴィル近くの北部合衆国側との境界線を目指し、200 マイル以上もの距離をひたすら逃げ、脱走にからくも成功したという話。で、マクファーソン中尉の「日記」からわかるのは、当時の黒人たちの共同体が彼らの脱走成功には欠かせなかった、ということです。「口コミ」という連絡手段がありますが、あれのもっと大掛かりなやつ( bush telegraph )を駆使して、ひとつの黒人コミュニティからつぎのコミュニティへと、彼らの逃亡ルートの道案内をリレーしただけでなく、「おいしい食べ物( 'Here the negroes could not do enough for us, supplying us with edibles of a nice character ...', p. 114 )」までたっぷり用意してくれたりとその働きぶりに目を見張ったことが鮮やかに活写されています。ようするに貴重な第一級史料のひとつ、なんですな。例の Ninety Six の北にあったとかいう鉄道を横切った、という話は、12 月5日付の日記に出てきます。

 この本( George P. Rawick, From Sundown to Sunup, 1972 )全体を ―― 期限が切られていたのでやや大雑把ではあるが ―― 通読してみて思ったのは、「南部の黒人奴隷たちは人間としての自由を剥奪された被害者だ」とか、「強制収容所だった」みたいな言説は必ずしもあたらない、ということだった。そしてこれも寡聞にしてはじめて知ったのだが、南北戦争前にも、奴隷ではない「自由な」黒人たちというのがきわめて少数ながらも存在していたこと、そして、『風と共に … 』でもそれとなく出てきたのでありますが、黒人奴隷女性が「マッサ( またはマースなど )」と呼ばれていた使用者( 主人 )の子どもを産む(!)というケースもけっこうあったらしい。つまり「黒人社会と白人社会とは完全に断絶されていたわけでなく、抑圧的な場合が多かったとはいえ、南部プランテーション制度での両者の交流は活発だった」ということでした。なのでスカーレットの乳母が黒人の大女マミーであったのも、当時の南部ではよくあることで、それにもとづいて書いた、ということになる。そしてこれもはじめて知ったのだが、南北戦争当時、すでに黒人奴隷および解放奴隷に対する「聞き書き」調査が連邦政府後援プロジェクトとして行われていたという事実。この「聞き書き」は 1930 年代、FSA の写真家ドロシア・ラングとかウォーカー・エヴァンス、ゴードン・パークス、カール・マイダンスとかが活躍していた時代にもさらに大規模に実施されていたけれども、その存在は 1960 年代に「再発見」されるまで埋もれていた( その間、黒人奴隷の記録はほとんど残っていないというまちがった認識がはびこった )。この本は、そういう元奴隷だったアフリカ系米国人による膨大なナラティヴを集めたもの( Volume I Of The American Slave: A Composite Autobiography, 1972−79 )で、この本はその巻頭を飾る、言わば全体を俯瞰したような内容の本だった( これらの調査はほとんどが聞き書きだが、なかには元奴隷本人の直筆もある。書名の From Sundown to Sunup は、昼間は主人にこき使われている黒人たちが、日没から夜が明けるまでのあいだは「自分自身のために生き、完全な犠牲者になるのを防ぐための基盤としての行動や制度を創り上げていった」ことを指している )。

 とはいえ当時の黒人奴隷たちの境遇がひどかったことに変わりはないけれど、そんな逆境の中でもたくましく生きていた黒人たちの話がたくさん出てくる。たとえば先祖の土地である西アフリカ沿岸地域に伝わる土着の神々が姿と役割をがらりと変えて、新大陸でも崇拝されていたとか、黒人教会の母体になった「夜の密会」の話とか( 黒人奴隷たちは、わりとすんなりキリスト教を受け入れていた。たとえば「三位一体」という教義については、土着のトリックスター信仰にもあった「神さまはいろいろに変身する」というふうに捉え再解釈していた。この関連でハイチのヴードゥー教の話なんかも出てくる )、結婚するときに不可欠な「ほうき飛び越えの儀式」とか「地下鉄道」とか、とにかく知らない話がいろいろ出てきて個人的にはおおいに刺激を受けた。そして( 当然と言えば当然ながら )南北戦争勃発時の北部は黒人奴隷に依存する綿花栽培経済とはまるで構造の異なる経済と社会であり、北部にいた黒人の数も南部に比べれば圧倒的に少なかったらしい。南部人にとってはありふれた黒人も、北部人にとっては人づてに耳にするていどのもので、南北戦争開戦時は「なんでそんな連中のために戦わなければならないのだ」と、アイルランド系移民などの低賃金労働者からの突き上げ、ないし反発がすごかったという。なかでももっとも大きかった暴動が、1863 年に起きたニューヨーク徴兵暴動だった。ちなみに終戦後、黒人「もと奴隷」たちはせっかく解放されてもまともな仕事にありつけず( 識字率も低いしろくな教育を受けていなかったため、というのもあるが、「プアホワイト」と呼ばれた低所得白人層の子弟にとっても事情はおんなじだった )、仕事を求めてやっとの思いで北部にたどり着いてもおなじく低所得でこき使われていた白人労働者階級から迫害されたりで、けっきょくもとの「マッサ / マース」たちの経営する大農園へともどったり、あるいはどこも行くあてがないからと、戦前同様にそのまま農園主の許で働く黒人たちが大半だったようです。その後も悪名高い KKK や南部諸州による隔離政策の合法化など、マルコムXやキング牧師の時代まで苦汁をなめつづけたアフリカ系米国人たちの歴史は、周知のとおり。あと、黒人霊歌( 'Steal Away' とか )の話もちょこっと出てきたりします。そして社会学の立場から、北部流儀のいびつな資本主義の産業構造が押しつけられた結果、白人の底辺労働者層と「もと奴隷」黒人とがいかに搾取され、かつ人種偏見も助長されたか、みたいなくだりも目を開かれる思いがして、なんだか部分的にながらも『 21 世紀の資本』の先取りみたいな印象も受けた。

 … ついでながら、かつて日本でもブームを巻き起こしたアレックス・ヘイリーの自伝的作品『ルーツ』も思い出した … 当時、小学生だったけれども見てましたよ、あのテレビドラマシリーズ !! 最後には著者( カメオ出演ではなく、演じていたのはプロの俳優 )も出てきて、「[ 自分のご先祖さまは ]クンタ・キンテだ !! 」と叫ぶ場面とか、米国で苦労した年老いた父親に空港(?)かどっかの売店で自ら買った自分のベストセラー( !! )を差し出して、受け取った父親が息子に向かって微笑んで「ありがとう」と言う場面とか、ほんとうに久しぶりに思い出しましたよ … ちなみに「ルーツ roots 」なる外来語が定着したのも、この『ルーツ』がきっかけでした。以後、「自分のルーツ探し」が巷で流行ったりする[ 老婆心ながら、著者ヘイリーは『大空港』で知られるアーサー・ヘイリーとは別人 ]。

2). 『風と共に … 』を読んでいまひとつ強く感じたのは、太平洋戦争時の日本と南北戦争時の米国南部の情況が不気味なくらい符合することが多々ある、ということです( 周りの「空気」を怖れてなにも言えないとか )。人間のやることだから、あるいは人間心理というのは洋の東西を問わず … と括ることもできるかもしれないが、先の大戦での犠牲者 310 万人余、南北戦争に斃れた兵士 50 万人以上、というとんでもない犠牲を払ったその「大義」、「正義」っていったいなんだったのかと思わざるをえない。IS などの原理主義勢力によるテロリズムの脅威や、核戦争の危機もいまだ拭えていない 21 世紀のいまに生きるわれわれにとって、やはり確実に言えることは「戦争というのは絶対悪である」ということだろう。米国の作家で L. スプレイグ・ディ−キャンプという人がいたけど、その人のファンタジーものに、「ひとりだろうが百人だろうが、殺人は殺人だ」というくだりが出てくる。そういえば最近、与党の若手議員だかが、安保法制法案に反対を叫ぶ学生団体に対して「自分勝手だ」とかなんとか、のたまわったなんて話を聞きますと、連日 33 度超えのクソ暑さにもかかわらず、怪談よろしく背筋が凍りつく思いがする。若い人たちが反対するのはしごく当然だ。いつの時代も、戦争に駆り出されるのは体力のある若い人。その人たちの両親だって、わが子に進んで見ず知らずの若い人を殺してほしいなんて思うわけもない。憎しみの連鎖というものを断ち切らないと、詩人の谷川俊太郎さんじゃないけど、「戦争はなくならない」。そういうことを平然と垂れる議員さん方には、先日、松崎町在住の主婦の方が地元紙に投稿した一文を見るといい。
 近年世界情勢は変化しましたが、自国の防衛が個別的自衛権では、どこがどのようにいけないのでしょうか。…… 今回も戦争の悲惨さを知らない世代の政治家たちが、国民の安全は政治家が守ると言いながら自分達の解釈によって議論もそこそこに法案を成立させようとするのは、あまりにも乱暴なように思われます。…… 民主主義国家とは国民が主権者ではないでしょうか。
 前にも書いたかもしれないが、自分がはたちのとき、癌で入院していた伯父さんが、「おまえはたちになったのか? なら徴兵検査だな」とつぶやいたのを鮮明に覚えている。そして Microsoft の創業者のひとりによって発見されたのが、もうひとり別の伯父さんが乗艦していた「戦艦武蔵」だった。戦争体験者のほとんどが 80−90 歳代になり、ほとんどが自分も含めて戦争を知らない世代が大半を占めるようになった。

3). 首相の談話の公式な「英訳」というのが地元紙紙面に大きく掲載されてました。で、気になったのは下線部分。
Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.

 In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.

[ 談話原文 ]寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

ここ、どうにもつながりが悪いと思いませんか? なんか前後の文脈顧みずむりやりって感じで … ほかの人はどうかなって思っていたら、たとえばこちらの比較ページにも、この箇所が取り上げられていたりするし、こちらの記事でも、'But he added:“We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with the war, be predestined to apologise ... "' みたいに紹介している。ワタシはこの件に関して、基本的にこちらの先生の意見とおんなじですね。「歴史の延長線上に自分たちがいると認識する」ことがなくなったら、またこの国の指導者は暴走するだろう、立憲君主としての時の天皇の意見や心情もろくに斟酌せずにね。こういう発想は、原発再稼働とおんなじです。「喉元すぎれば … 」とか「ほとぼりが … 」とか、そろそろいい頃合いだろうとか、見くびっているというかタカをくくってるんじゃないでしょうかねぇ。そういえば最近、中電の「浜岡原子力館」の TV CM がやたら目につくようになった。

 この英訳にもどれば、新聞紙上のコメントにあるように、remorse とか repentance などの単語はよほど洋書・洋雑誌を多読しないかぎり、あんまりお目にかからないだろうから、この際覚えておいて損はないでしょうね。

追記:いまさっきひょっとして、と思って動画サイトあたってみたら、↓ のようなクリップが出てきました … そしていまさらながら、原作者ヘイリーを演じていた俳優というのが、なんとなんとあのジェイムズ・アール・ジョーンズだった !! そうかあ、ダース・ヴェイダーのあの声の吹き替えやっていた黒人名優さんだったのか … と、遅かりし由良之助の心境( 苦笑 )。



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2015年02月15日

色聴 ⇒ ピケティ ⇒ 「いかずち」

 日曜の昼下がり、いつものように「きらクラ!」を聴きつつ書いてます。

1). 先日、地元紙夕刊で連載中のピアニスト、小山実稚恵さんの「あふれる音の贈り物」。いつも楽しみにしているこのエッセイもはや第 23 回ですか。けっこう息の長い連載です。

 で、その 23 回目の本文にはこんなことが書いてありました。
真っ赤な色が目に飛び込んでくる ―― 。チャイコフスキーのピアノコンチェルトを演奏すると、いつもそんな印象を受けます。
 「音が感じさせる色」というものがあるような気がするのです。ゴッホが描く黄色や青色のような鮮烈な色から、モネの睡蓮のように柔らかでコクのある不思議な色調、水彩画のような透明な色彩、水墨画のようなモノトーンの世界 … 。ピアノを演奏していると、本当にいろいろな色を感じます。実際には色を見ているわけではないのに、音から色の世界が広がってゆく。音楽にはそういう魅力もあるのです。

ここを読んだとき、その直前にたまたま耳にした、'OTTAVA Salone' の放送回を思い出していた。「色聴」に言及したさるリスナーのコメントを読んでいたその日の担当プレゼンターさんが、へぇ〜、そんなのあるんだ! と感心されてたんです。こういうのを共時性って言うんでしょうか、まったく関係ない場面で、まったくつながりのない個人からおんなじ話題、トピックが口をついて出る、ということが時折あります( だから世の中おもしろい )。

 当方、「シキチョウ」なる語を聞くと、なんとかの犬状態で、即スクリャービンを思い出す。このロシアの作曲家自身もまた色聴があったそうで、驚くことに最後の交響曲「交響曲第5番 作品 60( プロメテ ― 火の詩 )」では、演奏する音に反応してカラー照明の演出を行う「色光ピアノ(!)」なる楽器を初演に担ぎ出そうとしていたくらい( けっきょく作曲者の意図に反して、その「演出」は実現しなかった )。ちなみに個人的に発見だったのは、スクリャービン、ではなくて、同時代人のリャードフが最晩年に作曲した2声小フーガ( ラ−ド−ファの主題によるフーガ )。まるでバッハ時代に逆もどりしたかのような、擬古典的とでも言うのでしょうか、なんて愛らしい小フーガなんだろう、と思う。フーガついでに、グールドはバッハの「フーガの技法」出だしの4声単純フーガについて、「色彩のない、モノトーンの世界がひたすら広がる」と、そんなふうに評していたのを読んだことがある。

2). いま、巷で話題なものとくると、「妖怪ウォッチ」ではなくて … トマ・ピケティ教授の『 21世紀の資本』ですね !! ついこの前も、本屋でこの『ハリー・ポッター』本並みに分厚い学術書( 版元はなんと、あのみすず書房ですぞ !!! )の山を見かけたので、片手で持ってちょいと立ち読みするにはひじょーにツラい … んですが、ちょっと読んでみた。でもってびっくりしたことに、ワタシが目を走らせている端から、平積みの本がつぎつぎと文字どおりレジ方向に飛んで行くではないですか。

 めぼしい箇所を牛が草食むごとく browse しただけで云々するのは、もちろんアンフェア。でも印象を述べさせていただくと、結論的にはわれわれ一般庶民、市井の人間がそうとう以前から直感的に思っていたことが、「やっぱりそうなのか」と上書きされただけだった。「クローズアップ現代」とか「白熱教室」とか、いろいろ取り上げられていたからもう二番煎じでしょうけれども、ようするに「 r > g 」、「資本市場が完全になればなるほど、資本収益率rが経済成長率gを上回る可能性も高まる」ということ。ほらヘミングウェイ作品名にもあるじゃない、あれですね、「持つと持たぬと( To Have and Have Not )」、とくに「お金」を持っている人と、そうでない人との「格差」は、このままほうっておくとえらいことになるよ、ということ。

 ではどうするか。「クローズアップ現代」でのインタヴューでは、著者先生は、「グローバル資本税」みたいなことをすべきだ、としている。こういう発想について、いわゆる識者なる class の方々がいろいろに「自説」を展開されているので門外漢はこれ以上は関知しないが、労働者階級( 英国は階級社会として有名だけど、現代フランスではどうなのだろう … やはり移民差別問題のほうがはるかに大きいかもしれないが )出身のピケティ教授の生い立ちが、ユング心理学ではないですけど、やはり深く深く根を下ろしているのでは、と思われます。でもたとえば政府が抱える膨大な借金について( 以下、下線強調は引用者 )、
… 金持ちからお金をふんだくって財政再建すればよいというのは、フランスの左派思想家であるピケティらしい主張とも言えるが、日本の常識で言えばとても現実的とも賢明とも思えない。
と、「ピケティにかこつけて」持論を展開しているさる経済学先生のコラムも先日、やはり地元紙に載っていた。ええと、「日本の常識」から見ても、この先生の言われる「死亡消費税」なる発想は、そうとう尋常じゃあないでしょうよ。ちなみに、「あれだけ厚くて中身の濃い本を、どれだけの人が理解できるのかは疑問を持っている。私の大学の学生と英語版を何回かに分けて 200 ページほど読んでみたが、一般の人がそう簡単に読めるような内容ではない」とも( 先生ご自身は読破されたのでしょうか? )。

 かつてバロウズ本の邦訳紹介でその名が知られるようになったこのとてつもない文字どおりの労作、tome の翻訳者のおひとりの山形浩生氏は、ご自身のブログ上でもこの本の持つ「むつかしさ」についてわれわれ一般読者に対して念押しされているから、まあたしかにそうなんでしょうけれども、それではアダム・スミスやケインズとかはどうなの? 分野がちがうけれどゲーテは、ヴィトゲンシュタインは ?? トーマス・マンはジョイスは ??? いまさっきふかわさんが、「いまの世の中、人々が『水に流さなく』なったねぇ …」って嘆息混じりにこぼしていたけれども、心の狭い、文字どおり小市民なワタシなんかはつい、「よけいなお世話じゃ」と思ってしまう( スミマセン、ひねくれているもので )。ちなみにピケティ教授ご本人曰く、「ほとんどの人が非常に読みやすいと感じている」( ふかわさんはつづけて、「心に溜まったあれやこれやを流してくれるのが、音楽だ」 )。

 もうひとつ疑問。ピケティ教授って、そんなに「左派思想家」なの ?? なんかこちらの記事とか見ますと、ピケティ本の主張を生理的に嫌う向きがどうしても多数派になるお国柄の米国民の拒否反応のごとく、相対的主観にすぎないんじゃないだろうか。とすれば、この先生の視点もまた、「米国追随」型発想から抜けられないというふうにもとれる。というか、そろそろこのコラム、執筆陣を一新したらどうかっていつも思うんですけど … だめかしら。こういうのも根拠のないたんなる思いこみにもとづく「偏向」記事なんじゃない? 「『ジョー・キャンベルなんかと関わり合うなよ。あいつはユング派だ』。私はユング派なんかじゃありませんよ」(『ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚とは冒険である』馬場悠子訳、p. 171 )。学生相手におだやかな調子で講義するピケティ教授の姿を見ているかぎりでは、おそらくご本人ですら「左派思想家」なんて自覚はないだろうと思いますよ。いずれにせよ、この手の硬派な、データや資料中心の( 一部使用されているデータや統計がヘンだ、という批判もあるけど )労作がそれこそなんとか警部ものみたいに売れてゆく、というのはとてもいいことだ。おなじ売れるんならこういう本のほうがまだマシですし、またべつの見方をすれば、ベストセラーリスト入りする本ってたいていの場合、なんらかの分野の翻訳ものが含まれるケースがほとんどで、しかも今回は異例とも言える分野の専門書の邦訳本( 英語版からの重訳みたいです。仏語が得意な向きは原本も買って読み比べればさらに楽しめる[?]でしょう )が売れている。たまにはこういうこともあっていい( と言いつつ、立ち読みした本をもとの山に返して平然とその場を立ち去るワタシ )。

3). 最後もまたまた地元紙連載から。「国語は生きている / 白川静『字訓』を読む」からでして、これすごく勉強になります( ヨイショではない )。で、この前目にした記事では、いまもっとも問題になっていること、「いのち」という日本語についてでした。
… 白川静さんは呼吸の「息」に「気」の漢字も挙げていますが、その「気」は「い」とも読んで、「生き」や「息」のもとになる言葉です。… 「いぶかし」も「気」をもとにする言葉です。…「いきどおる( いきどほる )」は息が通ることではなくて、激しい怒りで生きが胸につかえることです。…「厳し」「厳めし」の「いか」も「いき」の系統です。内部のさかんな力が、外に激しくあらわれることが「厳し」。「厳めし」は威勢があっておごそかであることです。

 なんだか英語の spirit にも通じる話ではないですか。こっちの語源は『聖ブレンダンの航海』( この航海譚の性質上 )でもときどき見かけるラテン語 spiritus で、そのまんま「息」、「息吹き」ですね。

 でも、なんといってもワタシが瞠目したは、その結語でした。
最後に紹介したいのは、かみなりです。「いか」は「厳」のこと。「つ」は「の」の意味の古代語。「ち」は「霊」です。恐るべき神だった雷鳴のことです。
 正直、カミナリに打たれたような気持ちになってしまいましたよ。そしてもちろん、アタマの中ではあのヤナセ語訳『フィネガン』の「雷鳴」が鳴り響いていたのでした。そういえば『ユリシーズ』でもちょうど本の真ん中あたり、第 14 挿話(「太陽神の牛」)で雷鳴が轟き、またエリオットの『荒地』の「雷が言ったこと」に登場する DA、Datta も連想していた。ちなみに「かみなり」とは関係ないが、バッハのあの長大な「シャコンヌ( BWV. 1004 )」も、全6曲のセット( バッハにはこういう「6つでワンセット」な作品がままある、「オルガンのための6つのトリオソナタ」とか )のちょうどど真ん中に当たる部分に位置している。

 … とはいえ、あの中東の狂信的カルト過激派自称国家、なんとかならないものか。こんどはデンマークで襲撃事件が起きたようですが … この前も書いたこと、「ペンは剣よりも強し」について、なんとあの村上春樹氏もまた当方とおなじような見解を表明していて勇気づけられた口なんですが、ISIS / ISIL なる「組織」は、じつに巧妙かつ狡猾に社会からはじき出された若い人を引きずりこんで、自分たちは手を汚さずひたすら財産と資源の略奪と、自分たちの意に沿わないものは片っ端から処刑するという、たしかにいままで例のなかったタイプの過激派だとは思うが、日本はすでにこのひな形みたいな忌まわしい事件を 20 年前に経験済み、ということを忘れてる人が多いような気がします。なので、例のイスラム法学者氏の会見とか見ていると、なんかこう歯がゆいんですね。たしかあのときも、「宗教学者としての死」などと宣言していた宗教学の先生がいましたから。この前やはり地元紙にイラクだか、まっとうなイスラム教の権威みたいな先生が取材に回答している記事を目にしたんですが、「あれはカルト集団」だとはっきり断じていたのは、まことに正論だと思った。でもいっぽうで、すこし時間はかかるが資金源を断ち、「兵量攻め」にして追い詰めれば、汚い仕事は傭兵任せ、みたいな組織のこと、内部崩壊するはずだとも思うが … 。はっきり言って、連中のやってることはこの前読んだばかりの『大衆の反逆』に書いてあることの「何度目かの」二番煎じにすぎない。「大衆がみずから行動するときは、ほかに方法がないから、次のようなただ一つのやり方でするのである。つまり、リンチである」、「じっさい、われわれは普遍的なゆすりの時代に生きているのである。これは二つの補足的な面をもっている。暴力のゆすりと、冗談半分のゆすりである。そのどちらも同じことを望んでいるのだ。つまり、劣等な者、凡庸な人間が、いっさいの服従からの解放感を味わおうというのだ( 中公クラシックス版、寺田和夫訳、p. 144、252 )」。
時計がこわれたら 二つのうちどちらかをすることになる
火にくべるか 修理にだすかだ
前者のほうが てっとり早い
―― マーク・トウェイン著 大久保博 訳『ちょっと面白い話』p. 238

付記:「ロバの音楽座」上野先生の今年の「動く年賀状」、すばらしいのでここでもご紹介しておきます。↓


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2014年12月31日

想像力という名の翼に乗って

 2014 年、いざ過ぎてみればあっという間だったような、なかったような … 言いたいことはいろいろあれど、とにもかくにもぶじでなにより、この一語に尽きます。

 脱線ばっかのワタシなんかがここであれやこれや言うより、やっぱり今年の店じまいに際しては、個人的に心に残った「ことばの花束」として、兼好法師のごとく、つれづれなるままに書き連ねるのがいちばんよいかと思い、引用集として再録しておしまいにしたいと思います( 否、手抜きではけっしてない。以下、太字強調は引用者 )。

 ―― プロでないわたしが言うんだから、あてになるのかならないのかわかりませんけど、政治の役割はふたつあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もうひとつは、これがもっとも大事です。ぜったいに戦争をしないこと! … アメリカにも、良心厚い人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国はちがえても、おなじ人間だ。みな、手を結びあおうよ。―― 故菅原文太氏、11 月1日の「1万人うまんちゅ大集会」ゲストあいさつにて。周知のとおり、これが最後のメッセージになった。合掌。

 ―― 世界には多くの種類の壁があります。民族、宗教、不寛容、原理主義、強欲、そして不安といった壁です。私たちは壁というシステムなしには生きられないのでしょうか。小説家にとって壁は突き破らなければならない障害です。… ジョン・レノンがかつて歌ったように、わたしたちだれもが想像する力を持っています。暴力的でシニカルな現実を前に、それはか弱く、はかない希望に見えるかもしれません。でもくじけずに、より良い、より自由な世界についての物語を語りつづける静かで息の長い努力をすること。ひとりひとりの想像する力は、そこから見いだされるのです。―― 村上春樹氏、11 月7日、ベルリンにて、ウェルト文学賞受賞記念スピーチで

 ―― Dear sisters and brothers, the so-called world of adults may understand it, but we children don't. Why is it that countries which we call strong are so powerful in creating wars but are so weak in bringing peace? Why is it that giving guns is so easy but giving books is so hard? Why is it, why is it that making tanks is so easy, but building schools is so hard?
    We are living in the modern age and we believe that nothing is impossible. We have reached the moon 45 years ago and maybe will soon land on Mars. Then, in this 21st century, we must be able to give every child quality education.
    Dear sisters and brothers, dear fellow children, we must work… not wait. Not just the politicians and the world leaders, we all need to contribute. Me. You. We. It is our duty.

[ 邦訳文 ]:親愛なる兄弟姉妹のみなさん。いわゆる大人の世界であれば理解されているのかもしれませんが、わたしたち子どもにはわかりません。なぜ「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。なぜ、銃を与えることはとてもかんたんなのに、本を与えることはとてもむずかしいのでしょうか。なぜ戦車をつくることはとてもかんたんで、学校を建てることはとてもむずかしいのでしょうか。
 … 現代に暮らす中で、わたしたちはみな、不可能なことはないと信じています。45 年前に人類は月に到達し、おそらく火星にもまもなく降り立つでしょう。それならば、この 21 世紀には、すべての子どもたちに質の高い教育を与えられなければなりません。
 … 親愛なる姉妹兄弟のみなさん、わたしたちは動くべきです。待っていてはいけない。動くべきなんです。政治家や世界の指導者だけでなく、わたしたちすべての人が、貢献しなくてはなりません。わたしも、あなたたちも、わたしたちも。それがわたしたちの務めなのです。

―― マララ・ユスフザイ氏、12 月 10 日、オスロ、ノーベル平和賞受賞演説にて。子どもたちに本とペン、教育を !! という胸打たれるマララさんの主張を聞いていると、なぜか「希望は、戦争」なんてこと言った人を思い出した。「想像力」があるかないか、その差が、とどのつまり人を作るんじゃないだろうか。

 ―― ここ二、三十年来、次々と書店が姿を消して、生き残った書店の本棚を占めるのは、興味本位の娯楽書や実用書ばかりである。とりわけ古書店の衰退は顕著で、古本屋めぐりの楽しみも奪われてしまった。それと機( ママ )を一にするかのように、多くの大学から教養部が消え、伝統的な文学部が消えた。国際化・情報化の名の下に、教養教育が軽視され、古典はおろか近代作家の作品すら読めない、さらには読書すらしない学生が、目立つようになった。人は文字遺産によって先人の叡智を学び、豊かな感性を養う。教育機関の存在意義は、新に自律的な教養人を育てることにある。このことをおろそかにした実学偏重は、基礎工事抜きで高層建築を建てるに等しい。―― 元静岡大学教授 上杉省和氏、1月 13 日付 「静岡新聞」掲載の「教養教育の意義」から

 最後に、やっぱりいま一度、名優・高倉健さんの名言を引いておきたい。これはたぶん、ジョイスの言う「エピファニー」とおんなじことを言っているのだと思ってます。

 ―― 人生は切ない。切ないからこそ、なにかに「うわっ」と感じる瞬間がある

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2014年09月21日

「国際平和デイ」に想うこと

 けさの地元紙日曜版を見たら、1面のコラムにこんなことが。
中米の小国コスタリカ。… 日本と同様に「憲法で軍隊を持つことを禁じている国」と知る人は少なくないかもしれない。/ そのコスタリカと英国の提案で「国際平和デー」制定が国連で決議されたのは30年余り前。通常総会が始まる9月の第3火曜を、平和への関心を高める日とした。

 そんなに前から、しかもコスタリカの呼びかけで始まったとは恥ずかしながらこのトシになるまで知らなかった。ときおり、事務総長たちが国連本部中庭にある「平和の鐘」を鳴らす場面とか TV のニュースで見たことはあったけれども … でもこの世界平和を祈念する日、じつは 2001年9月のこの日まで、こうした行事はいっさいなかったそうです。2001年9月と言えば、そう、あの忌まわしいテロ攻撃のあったときです。

 これではいかん! と思って立ち上がったのが、英国人俳優のジェレミー・ギリ氏だったそうだ。これもまた、本日付コラムにてはじめて知る。
変人扱いもされたが、粘り強い訴えはやがて世界の指導者を動かす。活動が実り、あらためて全世界的な停戦の日として9月21日を「国際平和デー」とする決議が国連で行われた。

 かたや日本じゃどうでせう。以前、さる著名な方の SNS 投稿を見たら、東日本大震災発生後、しばらく言われた「絆」とか「忘れるな」とかいうことばにつよい違和感を感じた、という人が意外や多かったみたいです。口先だけの「絆」とか「がんばろう」じゃたしかにそうだろうけれども、「記憶を風化させない」ことは、なににも増して大事なことなんだと思いますよ。ギリさんの行動は、いまを生きる人に「戦争をなくすことはできる」ということへの覚醒を促すというか、とにかく「意識」させることだったはず。

 日本人はとかく … とよく言われるけれども、ついにあの忌まわしい大戦の記憶まで、葬り去ろうとしているかのごとき不気味な動き、映画の「スター・ウォーズ」好きなのでそっちの用語で言えば「見えざる脅威( Phantom Menace )」になりつつあるんじゃないかって最近、よく感じます。広島・長崎のことを知らない若い人が増えている。ドイツでも同様に、「ベルリンの壁」を知らない若い人が増えている。前にも書いたが、人っていうのはほうっておくと、脆い海蝕崖よろしく、記憶という砦がどんどん undercut に晒されてしまう。侵食され尽くされ、ついにはなくなる。人間の脳は ―― ってべつに脳科学の話じゃないが ―― 誕生からあちらの世界へ召されるまで、すべての出来事を「記憶」しつづける、なんてことはできっこない。記憶のエントロピー過程なるものがないと、一日たりともまともに生きてはいけないでしょう。もしそれができたとしても、おそらく重篤な精神疾患、ようするに発狂して終わり、でしょう。

 だからと言って、いまだに 2,633 人( 今年3月時点 )もの不明の方がいる大震災と大津波、そしていまだ収束のめども立たない原発事故の影響がつづいているというのに、そのときの教訓を忘れていいはずがない。昔の人は、たとえば民話とか伝承という「かたち」で後世に伝えてきた。「物語」というのは、そのための伝達装置としての役目も果たしてきたと思う。逆に言うと、こうした「物語」を失ったとき、またおんなじような災い、いやもっと悲惨なことがふたたび降りかかってくる … と思う。

 「じゃあ関東大震災は? もっと古い地震は? そんなこと覚えている人がいるだろうか」と、たしかその人は書いていたように思う。過去を記憶することではなく、いかにして被害を軽減させるか、その技術を各人が学ぶことのほうが重要、みたいにつづけていた。

 でもやはりそれだけでは足りん、と考える。そして、地震などの自然災害で犠牲になった人を記憶することと、先の世界大戦の惨禍、それをくぐり抜けてきた人の証言を若い人に伝え、みずからも耳を傾ける、というのはけっきょくのところおんなじことだと思います。人間はすぐ忘れる動物なので、過去の教訓を「物語る」ことでリレーしてゆく必要がある。そうしないと、たとえば「なんとか新田」という地名にこめられた先人の警告に気づかずに家を建て、ある日、まったく予期しなかった災難にあう、なんてことも起きかねない( 古地名にはメッセージが隠されている場合が多い )。だいいちあの震災にせよ、それが引き金となって発生した未曾有の事故にせよ、直接・間接の犠牲者および被災者の方がおおぜいいるのに、「いちいち昔の震災 / 戦争のことなど覚えていられるわけがない」という態度は、不遜以外の何物でもない。

 せんだって、とある学生さんのとあるアカウントに、「八紘一宇」なんてそれこそ亡霊のごとき「死語」が麗々しく掲げられてるのを発見して、なんだか目眩をおぼえた。… 国対抗のスポーツを観戦しているサポーターの「応援」と、「愛国心」とをごっちゃにしているのかね … 古くはニーチェ、またキャンベル本にも多く引用されているシュペングラーの『西洋の没落』とかひもとけば、ことはそう単純ではないことに気づくはず。

 ワタシの親戚の伯父さんのお兄さんは、あの大戦末期、1944年に戦艦ごと散ってしまった。またある親戚には、「おまえ、今年でいくつになった?」と訊かれ、「はたちだよ」とこたえたら、「徴兵だな」と返されたこともある。こういう人たちが身近なところからどんどんいなくなっている。げんに「超」高齢化が進行中だし、一部の人が危惧しているように、予想よりも早く「戦争体験者ゼロ社会」に突入するかもしれない。

 もうすぐ大団円を逢える NHK 朝ドラ「花子とアン」に出てくる花子の「腹心の友」、蓮子さんの愛息もまた終戦直前に戦死してしまったが、モデルになった歌人の白蓮( 宮崎Y子 )さんもひとり息子を戦争で亡くしている。戦後、「国際悲母の会」を設立した白蓮さんは、こんな文章も残している( 下線強調は引用者 )。
国境はもはや、不要のものだと思う。地球上の海も陸も、すべては全人類の共有財産であり、自然が與( あた )える無差な恵であり、一国や一民族の独占すべきものではない。全人類の共存と幸福を追求するためだといって、暴力に訴えることは、意味をなさないそれは平和的な手段によってのみ打開されるべきものである。先年の戦争で、日本にはたくさんの犠牲者がいる。これらにたいして、国はなんの救護もしていない。国民を偽って戦争にかりたてた政府が、このうえにまたもや再び人民を戦争に追いやろうとする。その結果として残るものは、混乱と、叛逆と、殺戮と、ついには滅亡だけであろう。*

 比較神話学者ジョー・キャンベルは 1950年代というからこれが書かれたのとほぼおなじ時期、京都で開催された国際宗教会議に出席するため来日している。1960年代終わりごろに完成した大作『神の仮面』にも、じつは似たようなことが書かれているし、そのあとで刊行された『生きるよすがとしての神話( 1971、1996年に飛田茂雄先生による邦訳書が刊行されているが、絶版らしいので公共図書館に行けば置いてあると思う )』に収録された最後の講演録も、「もはや境界線はいらない」という内容だった。

 白蓮さんの言いたかったことは、もちろんキャンベルのような霊的というか、精神的な趣旨というのではなく、文字どおり「国境は必要ない」、そんなもののためにきみ、死にたまふことなかれということだったと思うが、とにかく「八紘一宇」だのわたしはミギだのあんたはヒダリだの、そういう発想は捨ててもらいたい。

 でも … 本家サイトにもあえて目につくところにバナーを貼ってあるように、被災地に寄り添い、ほんとうの意味での復興に日々、取り組んでいる若い人たちもおおぜいいるし、広島の土砂災害被災地にもたくさんの若い人が汗を流して活動している。東北の被災地支援では、たとえばこんな団体もあったりします … 。

 いずれにせよ、いまを生きる若い方々にはもっともっと幅広い視野を持ってほしいですね。あるいは「無言館」のような施設にも足を運ばれるのもよいと思う。

 ちょうどキャンベルが『神の仮面』を書いていた '60年代は「キューバ危機」に代表されるように、全面核戦争の脅威がわりと身近だった( 映画「渚にて」、ティム・オブライエンの作品とか )。前にも書いたかもしれないが、「正義のための戦争」なんてあるわけもなく、あるのはただ破壊のみ。だけど、「創造的破壊」なら大歓迎。若さというのは、そういう底力、いまふうに言うとポテンシャルに満ちあふれている。これはここにいるしがない門外漢の、いわば遺言です。

*… 柳原Y子「片隅からの言葉」(『日本評論』1951年4月号、村岡恵理著『アンのゆりかご / 村岡花子の生涯』p. 327−8 )

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2014年06月07日

「花子とアン」⇒ 『国王牧歌』⇒ 「ブルターニュもの」

 昨年からずっと心待ちにしていた NHK朝ドラの「花子とアン」。毎日、こぴっと見てるんですが、ミッション系女学校時代のはな( 村岡花子 )が「風変わりな転校生」、のちに「腹心の友」となる白蓮こと蓮子さんに、桂冠詩人アルフレッド・テニスンの長編詩『国王牧歌』の一節を読んで聞かせる場面があったと思います。原案の『アンのゆりかご』では、「乙女の恋は栄光の冠、人妻の恋はいばらの十字架、… 」と出てくる箇所です。

 具体的にどの部分の「翻案」なんだろうと思って目を皿のようにして探すもあえなく挫折( てっ )。この前静岡市に行った折、『赤毛のアン』原書( パフィンブックス版 )と村岡訳『赤毛のアン』と『アンの青春』を買いまして、ついでに図書館から松本侑子さんの『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』も借りまして、きのう一日がかりで、原本のどの箇所にどんな英米文学作品の「引用」が隠れているか、蛍光ペンでマーキングしつつ出典を書いた付箋をペタペタ貼っていったら … たちまち付箋だらけ( てぇっ!? )。

 せっかく原本買ったんだから、キャンベル本も急いで読みたい気持ちをグッとこらえて( 苦笑 )、とりあえず最初の数章を曲がりなりにも読んでみたんですが … 出だしからしてすでに児童向け読み物とは思えないほど格調高い風景描写 … 'the whys and wherefores thereof' とか 'perforce ...' とかの言い回しはやはり時代( 初版は 1908年 )かとも思ったが、これはそうとうな難物だ、というのが正直な感想でした。いくら主人公のアンが文学大好き少女で、いずれは教職を目指すとはいえ、ゲームばっかやってる( 失礼 )いまどきのカナダの子どもがこれ果たしてこぴっと読めるんだろうか、作者のメッセージを深く理解できるんだろうか、などと考えてしまった。とにかくその引用が質量ともにハンパじゃない。あの当時の純文学系作品は、児童ものでもこれくらいがふつうだったのかもしれないが( 『チップス先生さようなら』にもあるように、英国のパブリックスクールではラテン語でキケロとか読まされ、暗唱させられたりしていた時代 )、たとえばいまどきの日本の子が蕪村の「行き行きてここに行き行く夏野かな」から、これは『和漢朗詠集』を下敷きにしているなと思い浮かべるような、そんなたぐいの引用箇所がわんさと出てくる。

 もっともそんなことわかんなくたって、アンのお話はじゅうぶん魅力的だし、当時のプリンスエドワード島の一角に立つ「緑の破風館」での暮らしがどんなだったかは楽しめるとは思う。でも松本さんの本にもあるように、引用にはその場面と密接にかかわる意味があり、そして引用元としっかりリンクして物語が構成されていて、いわば時代を超えた文学作品どうしが「シェイクスピア」とか「スコットランド」とか「アーサー王物語群」とかと二重フーガ三重フーガよろしく絡みあっている。だからそういう背景知識というか教養というか、知っていれば知っていたほうがいいに決まってます( ちなみにマシュー・カスバートの「カスバート( クトベルト )」もケルト教会の聖人ですね。松本さんは北海に浮かぶホーリー島にも行ったらしいですが、ここはかつて原作者モンゴメリも訪れた場所であったらしい。でも個人的には「ホーリー・アイランド( 聖なる島 )」表記より、「リンディスファーン」のほうがすっとアタマに入るけど )。そしてこれは寡聞にして松本さんのこの労作ではじめて知ったのだが、シェイクスピアの『マクベス』でマクベスに暗殺されたスコットランド国王ダンカンの埋葬地が、なんとあのアイオナ島だったとは( キャプション表記が「聖コロンバ教会」になっているけど、「アイオナ修道院」でいいんじゃないかな )。

 なので、前出の本を読むと、たいへんな労作だということがわかる。よくぞここまで、と思う。『国王牧歌』だって、松本さんが『アン』新訳を依頼された当時は、クリック数回でリンク貼れる時代じゃなかったですし( ネットさえなかったころ。当然、各国の図書館とか大学などにも問い合わせメールも送信できなかったし、Amazon も当然なかった )。必要とあらば『テニスン全詩集』とか『ローマ帝国衰亡史』とかを「大人買い」したり … ネットがなかったころはパソコン通信(!)で公開されていたシェイクスピア戯曲を片っ端から調べたり … 米国のどっかの大学の図書館に入り浸ってはせっせと大量コピーに励み、警備のおじさんを怒らせ、文字どおり叩きだされたり … いまどきの若い人には信じられんでしょうな。

 門外漢のワタシもかつて似たような経験があるので、松本さんの書かれていることはよくわかる( つもり )。ラテン語版『聖ブレンダンの航海』関連の調べ物では松本さん同様、国会図書館にはよく通った。そのついでに三省堂に立ち寄っては洋書の検索をしてもらい、セヴェリンの本とか注文した。当然交通費だってバカにならない。PASMO だってなかった( 苦笑 )。

 でも世の中、「バタフライ効果」というのか、不思議な縁( えにし )というのはあるもので … ワタシの場合はまったく同時期、松岡利次先生の『ケルトの聖書物語』や藤代幸一先生の『聖ブランダン航海譚』などが出版されて、おおいに興奮したものだ( それに、上野の東京都美術館で「ケルト美術展」が開催されたのもそんなときだった )。松本さんの場合もやはりおんなじことが起きたようで、『アン』新訳作業中、まったくの偶然で、本国カナダのモンゴメリの女流研究者が『注釈付き 赤毛のアン』を刊行した。つまりおんなじような作業にコツコツ従事していた女性が地球の反対側にそれぞれひとり、いたことになる。

 そんなこんなでこの松本さんの本はすこぶるおもしろい! STAP … 関係の方もそうでない現役の学生さんとかも、この労作の「あとがき」は一読の価値ありと思いますよ。

 ところで『アン』の 28章は、タイトルからして「アーサー王物語群」を連想させる。というか、それにもとづいたテニスンの『国王牧歌』( やたらに長い!)の「ランスロットとエレーン」を下敷きにしている。で、これも不思議なことながら、読んでいるキャンベル本の該当箇所がまさにそのアーサー王関係でして、もちろん『国王牧歌』も出てきます( とはいえほんの少しだけど。もっぱらヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィヴァル[ 邦訳書名は『パルチヴァール』] 』の話なので )。

 で、松本さんの本には、たとえばこんなくだりが出てきます。
アーサー王については、テニスン作品だけでなく、いろいろな文学書がある。たとえば、13世紀にフランス語で書かれた『アーサー王の死』、15世紀にサー・トーマス・マロリーが英語で書いた『アーサー王の死』、…

下線部、探したけれども見当たらず[ 下記参照 ] … キャンベル本( pp. 525−6 )には当時、ラテン語ではモンマスのジェフリーの書いた『ブリタニア列王史』、アングロ・ノルマン語の韻文で書いたヴァースの『ブリュ物語』、そのちょうど半世紀後、ウースターシャーの聖職者ラーヤモンが古英語詩に翻案した( 原典の倍の長さになっている )ものとかが列挙されていて、のちのマロリーの『アーサー王の死』やテニスンの『国王牧歌』の最終節はこの( 文字で記録されはじめた 1136−1205年の )アーサー王伝承群に由来するとかって書いてありました。ジェフリーはのちに『マーリン伝』を書き、そこでアヴァロン島への渡し守としてアーサー王をかの地へと運ぶ役回りで登場するバリントゥスは、ラテン語版『航海』出だしでブレンダン修道院長に「聖人たちの約束の島」訪問を語るあのバーリンド( バリントゥス )とおなじ[ かも ]、という話は前に書いたとおり。*

 そしてアーサー王伝説つながりでは、松本さんは伝説ゆかりの地でもあるブルターニュ半島を訪問することになる。… 考えてみれば不思議なもんだ。自分が『航海』関連調べ物で、ブノワによるアングロ・ノルマン版の邦訳を発表した先生の論文中に、「ブルターニュもの」として前にも書いた「トリスタン跳び」とか、いくつか情報が書いてあったけれども、そのときはまだ漠然としていた。それがいまこうして『アン』にも出てくるし、いま猛然と(?)読んでるキャンベル本にもそのことが出てくるし。こうしてひとつの円環としてつながってゆく。それがまた、たまらなく心地よい( そういえば何巻目かわかんないながら、『アン』シリーズ続巻には夭折の詩人ルパート・ブルックの題辞が掲げられているとか。ブルックの The Old Vicarage Grantchester という生まれ故郷を描写した美しい詩なら、いま手許にある。これはケンブリッジのメル友からいただいたもので、いずれは日本語にできれば、なんて大それたこと考えているけれども、とても自分にはムリそう … どこかの先生が邦訳した本とかないかしらと探したりしているけれど、いまのところこの小品は未訳らしい )。

 … そういえばいまさっき聴取していた「N響定演」ライヴ。なんでもチャイコフスキーがあの名作「くるみ割り人形」。本日の公演ではよく聴く「組曲」形式ではなく、全曲版で聴き応えありすぎるくらいでしたが、ゲストの音楽評論家の先生の解説によってはじめて知ったこと ―― それはあの最後の交響曲(「悲愴」)とおなじ時期に作曲され、しかもそのころ最愛の妹を亡くしていた、ということ。…『星の王子さま』にはまちがいなくサン−テックスの実弟フランソワが投影されているのとおなじく、主人公クララには亡き妹が投影されているのだろう … と思います。バッハの場合だって、「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」作曲の時期はちょうど最初の奥さんマリア・バルバラを亡くしたころですし( 例の「シャコンヌ」のことです。故レオンハルトはまっこうから否定していたけれども )… 芸術作品というのは、概してそういうものです。

 ちなみにご存知でしょうけれども、「花子とアン」もまた『アン』からの引用というか、転用、パロディが多い。石板でぶったたく場面、「一生懸命やって勝つことのつぎにいいことは、一生懸命やって負けることだ」という台詞( 村岡訳版では「一生懸命にやって勝つことのつぎにいいことは、一生懸命にやって落ちることなのよ」の箇所 )、おとなりさんの木場リン → リンド夫人、周造じいやん → マシューといったぐあい。てっきり「朝市」くんはギルバート? かと思いきや、どうもご本人の弁ではそうでもないようで …。

* ... こちらの記事に書いたように、これはこちらのミス。キャンベル本をよくよく読んでみたら、脚注の小さい活字( ibid., p. 531 n )ながら、いわゆる「流布本系」の最後の物語として『アーサー王の死 La Mortu Artu 』が入っていた。悪しからず訂正させていただきます。m( _ _ )m

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2014年03月23日

329 回目と 150回目と 110回目の誕生日

1). いまさっき、こちらの番組を見てました … そうか、今年は C.P.E. バッハだけじゃなかった、リヒャルト・シュトラウスも記念イヤーだったんだ。

 この人の作品について、出演者の方々がそれぞれに語ってましたが、どれもナルホドなぁ、と思わされることばかり。「ド−ソ−ド」の多用、これってたしかいつぞやの Schola でも似たような話を聞いたけれども … 中世ヨーロッパの音楽では「ミ」のない5度音程ばっかで「ド−ミ−ソ」と三つ揃うのはバロック以後、みたいなことをしゃべっていたと思う。引き合いに出されていたジョン・ウィリアムズの「宇宙三部作」、たしかにシュトラウスばりの「ド−ソ」の5度音程が多用されてますね。

 オルガン好きとしても、シュトラウスははずせない。なんと言ってもあの「ツァラトゥストラ」の出だし! でしょうな。そして「アルプス交響曲」。「ウインドマシーン」だっけ、オルガンも「雷鳴」を象徴する役回りで活躍してましたが … さて、この時期、とくればバッハ好きにとっては年に一度のわれらが大バッハの「生誕祭」が巡ってくる季節でもあり、イースターバニーが卵から出現する季節でもある( いつも買ってる某菓子パン製造会社のシュークリームの外装にも「イースターバニー」が印刷されていたのにはびっくり。この「八百万の神々のおわす島国」では、イースターつまり復活祭はクリスマスほどには普及してないはずだが ??? )。

 でも、番組を見ているうちにふと思う … シュトラウスの活躍していた後期ロマン派、そしてそれ以後のモダンエイジ突入、最初の世界大戦まで突入、という文字どおり大荒れの欧州大陸の音楽におけるオルガンという楽器の地位というのが、どうしても感じられてしまうのだった … 時代遅れの産物。機械化され、大量生産されるオルガン。ひたすら管弦楽やピアノの「亜流」に走り、「ウルリッツァー」に代表されるような映画の BGM ていどでしか活用されなくなってしまったオルガン。「雷鳴」=オルガンを使おう、という発想じたい、この楽器の西洋音楽史における地位の凋落ぶりを物語っているような気がしてならんのです。ようするにたんなる効果音その一。で、ちょうどそんなときに救世主よろしく登場したのが、「バッハへ帰れ」と唱えた、あのシュヴァイツァーらによる「ドイツ・オルガン復興運動」だった。

 息子たちのスタイルをも自家薬籠中の物にしようと、保守的なくせして流行には意外と(?)敏感だった大バッハも、もしシュトラウスのようなオルガンの「使い方」を耳にしたらどう思ったろうなどと、お節介ながらつい邪推してしまったりもするのでした。

2). で、そのリヒャルト・シュトラウスですが、「原典」の『ツァラトゥストラはこう語った』を著したフリードリヒ・ニーチェ。この人は最晩年、スイスかどっかの田舎道でムチ打たれる老いぼれロバを眼にしたとたん、いきなりその老ロバをしっかと抱きしめはげしく慟哭した、とかってたしか『バッハ全集』のカンタータの巻で読んだことがあり、そのときは『ツァラトゥストラ』であれほど希求してやまなかった「超人」の末路を見るようでこっちまで涙腺が潤んできてしまった。

 「神は死んだ」という宣告が超有名ながら、真に意図するところを理解している人はなかなかいないのかもしれない。でも『バッハ全集』によると、なんとこの人、「今日、バッハの『マタイ受難曲』を聴いてきました … 今週はこれで3回目です」とかなんとか、そんなことを友人宛て書簡に書いているというのだからいやおどろいた。この人がもし皮相的な無神論者だったら、いくらなんでもバッハの、しかも「受難曲」なんて聴く耳は持たなかったでしょう( と思う )。

3). 「神は死んだ、ということを耳にしたことがないのか」について、比較神話学者キャンベルはなんと言っているかというと、
… ここに言う神は名づけられ限定された創造神、歴史的制約をもつ聖書に登場する神を指しています。この神が死んだのは、聖書という真理と徳への手引書が編まれてから数世紀からこのかた、生活状況だけでなく思想状況も大きく変化してきているからです。意図的に偏狭かつ制限的であろうとする自民族中心主義的な視野と部族的な「妬む神」( 出エジプト記二〇章五節 )をもつ聖書は、あまりにも特定の文化に密着しており、そこでは「民族的観念」と「基本的観念」がほとんど不可分に融合しているのです。… もしザラスシュトラ[ ツァラトゥストラ ]が現代に蘇ったなら、彼はもはや絶対としての善と悪について説かないでしょう。… 現代の教えは、善悪の彼岸にある、生についての教えとなるでしょう。
―― 鈴木 晶 / 入江良平 共訳『宇宙意識』人文書院刊、p. 56, p. 58.

 ところでこの本、ひさしぶりに開いたら、いきなりこんな箇所が目に留まった。
… かつてドルイド教の地であり、キリスト教伝道の対称( ママ )となったアイルランドに栄えた、深遠な象徴的修道院芸術の ―― 全部とは言わぬでも、その多くの ―― 根底には、秘かにグノーシス的な意味が含まれていた、ということだってありうるのです。ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパの他の地域の学芸がゴート人、ヴァンダル人、アングロ=サクソン人などの異教の蛮族によって抹殺されていたとき、アイルランドの修道院長たちは、まだギリシャ語を読み、その翻訳をしていました。彼らの典礼に見られるある種の特殊性は、かつて普遍的だったギリシャの儀式に由来しています。… 当時のアイルランドには、学問と体験を通じてキリスト教の隠喩に内包される霊的意味を認識するためのあらゆる条件がそろっていた、ということには疑問の余地がないのです。 ―― ibid., p. 118, 下線強調は引用者

むむむ … たしかに東方教会的な特徴はあるにせよ、先生そこまでおっしゃられるか、というのが率直な感想なのであった。といっても前にも書いたが、当時のアイルランド教会が「異端」として弾劾されていた、なんていう史実は知るかぎり聞いたことがない。

 この 20世紀米国を代表するような比較神話学の大家はいまから 110年前、1904年 3月 26日の生まれ。ここでも何度か書き、また現在大作『神の仮面』最終巻を半分ほど読み進めているのだけれども、門外漢なりにキャンベルのメッセージを解すれば、つまるところこういうことに行き着く ―― ニーチェの言う「国家の正体」などがそうだけど、「境界線」を勝手に地球上に引いてきたのは人間であり、ほんらいこの世にはなんらの分割線もなく( cf., op.cit., p. 176 )、あなたもわたしもみな存在の中の絶対的存在、名づけられもせず存在するともしないとも言えない超越的な「意識」の現れなのだ ―― そういう深いところにおいて、人間の内面と地球、そして宇宙の存在はひとつであり、人類の未来はそのことを認識できるかどうか、それを認識させてくれるような「あたらしい神話」を持てるかどうかにかかっている。かつてはシャーマンや神秘家、予言者が精神的に導いていたが、現代においてその役目を担っているのは芸術家、アーティストである。芸術家といってもジョイスの言う「動的な」、人々を突き動かす作品を創造する芸術家ではなく、真の芸術家 ―― 神話の担い手としての芸術家 ―― は、「静的な」作品を提供する芸術家である。そして、ビル・モイヤーズとの対談を収録した『神話の力』には、こんな一節も出てくる。
モイヤーズ エデンがいまある ―― 苦痛と死と暴力にあふれたこの世界にですか? 
キャンベル 世界はそういう有様に見えますが、そう、これがエデンです。この地上に天国が広がっているのを見るとき、世界における古い考え方が払拭される。それがこの世の終わりです。世界の終末は未来にやってくる出来事ではなく、心理的な変身、ヴィジョンの変革という出来事です。そこで、あなたは具体的な事物の世界ではなく、光明の世界を見ます。―― 飛田茂雄訳『神話の力』早川書房刊、p. 400、下線強調は原文では「傍点」強調箇所。

 たしか NHK の「海外ドキュメンタリー」でこの対談を見たときも、やはりおんなじようなことをしゃべっていた記憶があるけれども、ほんともうここはまさしく目からウロコ、というくだりです。『聖なる妄想の歴史』という本を、ここで触れたかどうか定かじゃないけど、こちらは取材を重ねてふつうの庶民的常識観に基づいたドライな、いかにもジャーナリスティックな切り口で書いていた本だったけれども、キャンベルのこのことばは、ズバっと心の奥底にまで響くものです。よくぞ言ってくれました、と快哉を叫びたくなったのを憶えています。

 キャンベル財団のこのバイオグラフィとか読むと、キャンベル先生の人生もけっこう山あり谷ありだったようで … 大恐慌前に実家の火事で祖母を失っていたりとか、ヨーロッパ留学から急遽帰国したはいいが就職先が見つからない。70通以上も CV を書いてもいっこうに採用されず( いまふうに言えば「お祈りメール」ばかりもらっていた ) … でもここからが本領発揮というか、いきなり車を飛ばして大陸横断して西海岸へ。そこでスタインベック夫妻とか交流したり、詩人ロビンソン・ジェファーズを発見したり … 水道も引いてない小屋を借りて文字どおり「読書漬け」の生活をなんと5年! も送った末、母校のプレップスクールに教職を得た。その後名門女子大学のサラ・ローレンスの教授を引き受けるのですが、そこでも自分のもっともやりたいことを優先させていたらしい。結果的にキャンベル教授の講義はいつも満席だったというから、神話を読み解くことで鍛えられたストーリーテリングの能力はほかの教授陣を圧倒していたと言えるかもしれない。そのキャンベル先生は退官後、こんどはラジオやテレビに出て米国市民に向かって、みずからの思想も交えて神話の奥深い世界を淡々と話し、そこでまた反響を呼ぶことになる … なぜこの人の話がかようなまでに聞く人の心に響くのか。それはたぶん『神話の力』などのキャンベル本の邦訳を晩年に残された訳者・飛田先生の「訳者あとがき」にいみじくも表現されていると思う。
… 押しつけがましい論理ではなく、… 読者自身にその問題を考えさせるのである。私は、キャンベルの豊かな学殖だけでなく、深い思想性と、独善から程遠い静かな語り口と、その言葉の音楽に引き込まれてしまった。… 鋭い感受性の持ち主であれば、ジョーゼフ・キャンベルの詩的インスピレーションのなかに、仏教で言う悟りのなんたるかを会得されるかもしれない。
―― Campbell / Moyers, op. cit., p. 407.

 『神の仮面 第四部( Creative Mythology )』にも、またほかのキャンベルの著作にも、以上のようなことが繰り返し、それこそこの前ここで触れた「ライトモティーフ」のごとく何度もフーガの主題−応答よろしく出現する。地球上にはいかなる境界線も存在しない ―― こういうことを、冷戦まっただ中の 1960年代終わり( 『神の仮面』四部作の完結は 1968年 )に、すでに書いていたのだから、いろいろ批判はあっても( 「ジョー・キャンベルなんかと関わり合うなよ。あいつはユング派だ」なんて言われたことがあります* )、やっぱりキャンベルという学者はすごい、と思う。自分がここまで肩入れするきっかけになったのは、あの大震災だった。もちろんかつて NHK のテレビで再放映とあわせて何度か「神話の力」シリーズを見ている。けれども、あいにく悟りが遅いためか、あらためてキャンベル本の数々に目を通してみてまるで理解が足りなかったというか、「感得」にいたっていなかったことを痛感した。同時に、「ことばの音楽」に知らず知らずのうちに引きこまれていく自分も感じている。いままで取り立ててたいした人生を送ってきたわけじゃないけど、キャンベルの著作と彼の思想に出会えたことは、ほんとうにありがたいことだと思っている( 震災時、気持ちが定まらなかったとき、なぜか谷崎の『細雪』を手にとって読んでいた … みたいなことを書いた雑誌かなにかの寄稿を見たことがあるけど、その気持ちよくわかる )。前にもここで書いたけれども、「写経」も、原文・翻訳文あわせてついに6万語の大台に乗りそう。塵も積もれば … かな。

 ところで米国人の学者先生ってキャンベルのような「一風変わった」人って多いのかな? 中にはガチガチの石頭タイプも多いとは思うが … たとえばラテン語版『聖ブレンダンの航海』初の完全な ―― 間然とするところがない、とまではいかないものの ―― 校訂本を世に問うたのも、米国人文献学者のカール・セルマーだったし。でもこの前、検索かけても( Google.com でも ) Carl Selmer に関するデータはさっぱり釣れず。こんどはこの人についてもうすこし知りたいものだと思う。

 けさの地元紙日曜版の「親子の本棚」ページに、米国の絵本作家といったらこの人かしら、と個人的に思っているドクタースースの名前をひさしぶりに見た。『きみの行く道』という書名の絵本で、つぎの一文が引用されていた。
今日この日は、きみのもの! きみの山が、待ってますよ。さあ、出発しなさい、きみの道をね。

 キャンベルもまた、おんなじようなことを言ってます … 「各自が自分の人生において求めねばならないものは、かつてどこにもなかったものです。自分だけのユニークな潜在能力から発生するもの、いままで存在したことのない、他のだれひとり経験したことのないものです」。

 キャンベルのモットー、「あなたの至福に従え」は、けっして楽観主義的お気楽な生き方なんかじゃない。逆だ。ちょっと考えてみれば、これが言うは易く行うは難し、ということがわかるはずです … たとえば「自分の好きなことを仕事にしているか」、とか。

 仏教ではたとえば「この世はすべて無常」、あるいは「一切皆苦」という。さる劇作家のことばを借りれば、「積極的無常観」。キャンベルの思想の根幹には、まちがいなくこれと通底する考えが流れている。そういうことをすべて受け入れた上で、すべてを肯定する。菩薩の生き方。「楽園は、この地上に広がっている」と説くグノーシス文書『トマスによる福音書』。… なかなか険しい道のりです。
キャンベル 悟りとは、万物 ―― 時間と幻のなかで、裁きによって善と見なされるものだけでなく、悪と見なされるものも含めてすべて ―― を貫いている永遠の輝きを認めることです。ここに至るためには、現世の利益を願い、それらを失うことを恐れる心から、完全に脱却しなければなりません。…。
モイヤーズ なかなか大変な旅ですね。
キャンベル 天国への旅ですよ。
―― op.cit., pp. 290−1.

*… 馬場悠子訳『ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚とは冒険である』築地書館刊、p. 171.
[ 追記 ]:このほどビッグバン時の「重力波」の名残りの波形がはじめて捉えられた、とのすごい報道があったけれども、神話の世界に生きていたいにしえの人々は、その当時なりの理解のしかたでそういう根源的なことが感覚的にわかってたんじゃないかって思う。キャンベルも、「科学と神話は矛盾しない」みたいな趣旨のことを書いている。神話はけっして「絵空事」ではない。絵空事だと切り捨てれば、過去の教訓を後世に伝えるという役割も失われ、結果的に似たような不幸が繰り返されることにもなりかねない、と思います。人間がそういう物語を失ったときが、じつはもっとも危険なときかもしれない。これはたとえば古地図や古地名なんかにも当てはまりますよね。

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2014年03月09日

大震災から3回目の春

 けさの朝刊の書評欄に、こんな本が紹介されてました … 書評子曰く、「東電は計画停電を強行し大混乱をもたらしたが、東北電は2度目の夏も回避した。… コストを度外視して苦難に挑む原動力は戊辰戦争以降、国策から見捨てられ疲弊にあえいできた『東北振興の礎』という企業理念 … 」。なるほどねぇ、とこれ読んですなおに思った。

 被災地の住民の方々 … 福島県の「避難指示区域」に居住されていた方のようにいまだ故郷にも帰れず、また帰還もいったいいつになるのかまるで見通しすら ―― あれから3年が経とうとしているのに ―― 立たずに途方に暮れている方が5万人近くもいるという現実( 福島県内で避難生活を送っている方もあわせると 13万5千人以上もいる )。

 最近、「ラジオ深夜便」のインタヴューコーナーに出ていた、あのシャネル(!)の社長、リシャール・コラス氏のお話がずぶっと心に突き刺さった。同氏は、「 'おもてなし' はけっこうなことながら、日本の人を見ていると、ウチとソトの温度差が大きいように感じる。たとえば、がれき処理問題のとき。あのときわたしはこう思った、どうしてこういうときに救いの手を差し出さないのか、どうして引き受けないのか? ことばでは『絆』と言いつつ、じつは直接自分に降りかからないかぎりわれ関せずを決めこんでいるのではないのか」と、だいたいこんな趣旨のことを言っていた。自分のとこさえよければそれでいい、マイホーム主義。

 きのうも書いたけれども先週の「クラシックの迷宮」でも、「岩手県特集」をやってました。案内役の評論家、片山杜秀氏のお話に触発されて、さっそく『セロ弾きゴーシュ』を読んでみた。片山さんのこの作品の解釈でもっともすばらしいと思ったのは、へたっぴセロ( チェロ )弾きゴーシュがたった十日でお客さんを感動させる弾き手になったのはどうしてか、ということについて。片山さんに言わせれば、自然と人間との調和、「共生」が生まれたからだという。とりわけそれがよく出ているのが、子ねずみをぽんと楽器の響胴に放りこんで、「何とかラプソディとかいうものをごうごうがあがあ」弾きだすくだり。ゴーシュのチェロから出てきた子ねずみは、「すこしもへんじもしないでまだしばらく眼をつぶったままぶるぶるぶるぶるふるえていましたがにわかに起きあがって走りだした」。人間の創りだした「音楽」といういわば人工物が自然に働きかけて、自然を癒す。ゴーシュはじつはこのとき、自分の楽器で動物たちを癒していたばかりでなく、夜な夜な訪問してくる動物たちによって、音楽家としての腕もめきめき上達させていった。自然によってゴーシュは真の意味で「音楽を奏でるとはどういうことか」を会得したともとれる。

 顧みていまのわれわれはどうなんだろう … とやはり思ってしまうのだった。明治三陸地震のときに生を受け、昭和三陸地震のときに逝った作者の宮沢賢治は、いまのこの国と日本人を見たら、なんと言うのだろうか … 。

 テクノロジーの進化は、たしかに悪いことばかりじゃない。ピーター・ディアマンティスという凄腕の起業家の人の著した本の邦訳が最近出たらしいけれども( 『楽観主義者の未来予測』、原題は Abundance、副題は 'The Future is better than you think' )、中身を見ずして本の評価を口にするのは( おなじたとえの繰り返しで失礼 )「これはわたしの飲んだことのないおいしい / まずいワインです」と言うようなもので気が引けるが、こういう本を見聞きすると即、マッキベンの『人間の終焉』とか『ディープ・エコノミー』、あるいはウェンデル・ベリーのエッセイ集に収録されていた『エネルギーの使い方について( 'The Use of Energy' )』という一篇を思い浮かべてしまう。ベリーは南部の農本主義的主義主張もかいま見えて、すこしラジカルにすぎるかなと思うこともあるけれども、言っていることはおおむね正しいと思う。「エネルギー問題というのは、エネルギーそのものの問題ではなくて、その使い方にあるんだ」という主張は、ほんとそのとおりだと思う。ひょっとしたらベリーは米国版宮沢賢治みたいな詩人・作家なのかもしれない。

 テクノユートピアン的発想はいかにも「砂漠の一神教的」自然征服的思考もしくは人間中心主義的発想だと思われがちで、いやわれわれ日本人はちがうぞ、みたいな主張の本とかもよく見かける。縄文人の叡智に学べ、みたいな。でもいま、この国で縄文人のように、セロ弾きゴーシュそして宮沢賢治のように自然に寄り添い、自然に従って暮らしている人っていったいどれだけいるのか … ほとんどの人は、ワタシも含めてこうやって電力会社から電気を買って使って生きているし、バスや電車に乗れば人によっては家族それぞれがクルマを所有し、「ピークオイル」だと言われているのに排ガスまき散らして狭い国土を走り回り、どっぷりと西洋近代文明の恩恵に浴して生きているではないか。そして近代以降の西洋型文明は、いまや資本主義経済至上主義的になっている。これを回している原動力が、大量生産・大量消費型社会なのだから、まずもってここから変えていかないといけないはず。われわれはセロ弾きゴーシュたちのかつていた世界からひじょうに遠く隔たった世界に生きている。

 3.11 のような巨大自然災害は、いままで隠れて目立たなかっただけの問題の数々を、これでもか、ともっとも先鋭的な形でわれわれに突きつけてくる。これもまた真実。そして原発に関して言えば、やはりこれは必要悪の範疇をはるかに越えた絶対悪と言わざるを得ないと思う … たまたま今年の3月は、「第五福竜丸事件」から満 60年に当たり、地元紙にも関連報道が多く載ってます( NHK 静岡放送局の取り組みもまたすばらしい )。よく言われることながら、いまの国内にある原発最大の問題と言ったら、やっぱり使用済み核燃料の最終処理をどうするか、でしょう。たとえば核兵器転用可能なプルトニウムなんか、半減期が何万年単位ですよ。どう転んでもこんなの管理しようがないでしょ。しかもダイオキシンも真っ青の超猛毒物質だし。

 そんな折も折、故立松和平さんがバブル全盛期のころに世に問うた『緑の星に生まれて』という本を、これまたひょんなきっかけで読み直していた。当時、この本を買って読んだ当人のくせして、こんな衝撃的な記述があったことを完全に忘れていた。すこし長くなるけど、以下に引用しておきます。立松さんが当時、直下型地震に襲われたばかりのアルメニアを取材したときに書いたもの。
日本の震度でいえば、震度6だったらしいね。日本の、コンクリート・パネルを組み合わせる建築方法は、耐震度が高いらしい。専門家は、そう言うよね。しかし、これほどの地震が東京に襲いかかったら、はたしてほんとうに耐え切れるんだろうか。もしダメだったとしたら、被害や犠牲者は、アルメニアを( はる )かに超えるだろうね。アルメニアも日本も地震多発地域だから、やっぱり、こういう惨事がいつ起きても不思議じゃない。そう思ってなくちゃいけないんじゃないかな。自然の力というのは、人間の計算なんか、あっというまに飲み込んでしまうんだよ。

 … レニナカンの知事が言ってたのは、こういうことだった。もし震源地が原発のすぐ近くだったら大惨事になっていただろう、地震の多発地域に原発をつくるのは一種の犯罪だ、ってね。確かにそのとおりだよ。
 だけど、まがりなりにも原発を閉鎖したっていうのは、素晴らしいことだよね。トルコにも電気を輸出したりして、経済的にはひじょうに重要な原発を止めちゃうんだもん。人間の叡智だと思う。原発を止める叡智と勇気、それがはたして日本にあるだろうか。
 アルメニア原発に行ってみたんだけど、荒野の真ん中にあるんだね。人家があるところまで、十キロ …… いや、十キロじゃきかないだろうなあ。そういう荒野の真ん中にあるわけ。…

 … 日本で、ある学者と話してたらさ、その人はこんなことを言うんだよ。「人のいないところへ原発をつくるから、いいんだ」と。びっくりしたよ、オレ。そんな場所、この狭い日本のどこにあるのよ。岬の先っぽにつくったって、車で十分も走れば、すぐに町があるじゃないか。

 … 確かに、原発がくると巨額の金が動くよ。道路が整備されたり、漁業補償なんかがあるからね。ただ、それで共同体がまっぷたつに割れちゃうことが多いんだよ。

 … そんなふうに共同体がめちゃくちゃになっちゃって、ほんとうに、原発によって町が活性化されるんだろうか。原発がきたために人が集まった町なんて聞いたことないよ。逆に、人が出ていくんじゃないか。…

 … 原発の怖いところは、根源的な破壊力を含んでいるということなんだ。回復できない破壊。物質を壊すのも、原子レベルから壊してしまうからね。しかも、核廃棄物の処理までを含めたシステムが、まだ完成してないんだよね。途中段階の技術で、稼働させてるんだよ。
 ところが、そういったことは地元の住民には一切伝わらない。いま地球は温暖化してるけど原発があったら温暖化は防げるとかさ、そんなことを言ってるんだよ。もうちょっと正しい、原発のいい面悪い面両方含めた情報を出すべきなんだよ、電力会社は。…

 … 結局さ、地域の活性化なんか考えてないよ、都市の、企業の側は。都市の矛盾みたいなものを、力の弱くなったところに押しつけてるわけ。

 いまの政権のやり方とか見ていると、どうしてこう時代の流れに歯向かって後戻りしようとするのか、はなはだ理解しかねる( 改憲論議とか。ちなみに TPP 交渉ですが、たとえばこんな記事もあり、かの国でも問題視している人はそれなりにいることがわかる。だいいち具体的交渉内容が、国民生活に直結するのになにひとつ明かされない、とはこれいかに。そもそもこれっていったいだれのためにやってる交渉なの? )。

 かつての東京五輪のころのような、いまだに大量消費型成長モデルを理想視している向きが少なからずいることにも辟易する。折しも「リニア中央新幹線計画」が進行中で、着工も時間の問題になりつつある。南アルプスについては、いま、UNESCO のエコパーク登録に向けていろいろと準備が進んでいるところなんですが、ここにきてリニア新幹線トンネル工事に伴う大量の排土問題が出てきて、地元の静岡市などで問題視する向きがひじょうに多くなっています。そんなとき、地元紙に、山岳写真の第一人者、白籏史朗氏のお話が掲載されていて、ほんとそのとおりだよなあと感じたしだい。
リニア中央新幹線計画は本当に必要なのかと問いたい。日本の国土を蜂の巣のようにして、何のプラスがあるのか。必ず弊害が出てくると思う。… 富士山で入山料を試行した。集まった金の使い道はこれから考えると言っているが本末転倒だろう。まず自然保護をしっかり考え、制度設計するのが絶対必要だ。南アルプスも同様と言いたい。
 富士山も南アルプスも世界遺産を目指してきたが、今まで何をしてきたのかと問いたい。会議を何回も開いたが、形になっていない。JR 東海や中部電力は今後、南アルプスの自然に対して何ができるかを、真剣に考えないといけない。ダムは、三保松原の海岸にも影響を及ぼしているではないか。

 … 自然への畏敬の念。それがないと、いつか私たちに大きなしっぺ返しが来る。

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2014年02月24日

H. ベルリオーズの「テ・デウム」! 

1). 先週の「クラシックカフェ」再放送。もっとも印象に残ったのは、イタリアのバロックヴァイオリンとアコーディオンという組み合わせの毛色の変わったデュオ、「インコエレンテ」によるイタリア初期バロックの作曲家・教会オルガニストのメールラの「チャッコーナ( シャコンヌの伊語表記 )」、そしてバッハの「バイオリン ソナタ 第6番 ト長調 BWV.1019 」。メールラのチャッコーナではアコーディオンの低音が調子のいい主題を繰り返し演奏していたけれども、耳を疑ったのはバッハのヴァイオリンソナタのほう。手元にある音源としては往年のヴァルヒャ / シェリング盤とかがあってときおり聴いてますが、いやー、この「インコエレンテ」編曲版はびっくりです。アコーディオンという楽器 ―― 親戚筋(?)のバンドネオンだってどうやって弾いてんたのかさっぱりだが ―― で、よくあれだけ複雑に絡みあったポリフォニックな旋律線が、しかもくっきりと! 演奏できるもんだと心底おどろきました … この曲は全6曲中、唯一の楽章構成で、かつ第3楽章のみほんらいは通奏低音を担うチェンバロが主役、というかチェンバロ独奏曲になってます( なおこの BWV.1019 はバッハが何度も書きなおした形跡のある作品で、改訂の過程をめぐっては、これまでに演奏家・学者のあいだでさまざまな説が提示されている )。うーむ、このイタリア人デュオ、そうとうな手練と見た。これは音源を探してみる価値あり。

 とにかくこのようなバッハは理屈ぬきに聴いててすこぶる楽しい。こういう変わった組み合わせの編曲版でも、やっぱりバッハはバッハなんですねぇ。そういえば最近読んだ鴻巣友季子さんの『カーヴの隅の本棚』というすばらしいエッセイ本にも、文学における「古典」について似たようなことが書いてあり、わが意を得たりと膝を打ったもんです( こちらについてはまた後日、書くかもしれない )。

2). 話変わって … いまさっき見たこちらの番組。いやー、こんな贅沢なプログラム、めったにない! ワタシはスペインの安い赤をちびちびやりつつ、ひとりで感激しながら聴いてました。… エクトル・ベルリオーズって、たとえば「キリストの幼時」は知ってるけれども( とりわけ「羊飼いたちの別れ」は名曲として知られる )、寡聞にしてこっちの「テ・デウム」は知らんかったなあ … プーランクの「グロリア」は、やはり先週の「クラシックカフェ」でもかかっていたけれども。そして曲の出だし、あの管弦楽とオルガンが交互に、まるで「カントリス」と「デケイナイ」の二手に分かれた聖歌隊が呼びかけ合うように交代しながら歌うようなあの出だしの分厚い和音 !! マエストロ・デュトワの魔術にいっきに引きこまれてしまった、という感じです。

 そして子どもの合唱好きにとってさらにうれしいことに、この大きな作品は児童合唱まで加わっている。歌っていたのは通称「N児」でしたが、あれだけの大人数の大人の声に掻き消されることなくしっかり清冽な歌声を響かせていたのはさすが。もっとも個人的にはいつぞやのゲルギエフ指揮のマーラー「3番」のように、TFM( Tokyo FM 少年合唱団 )だったらなあ、と思ったけれども … それでも管弦楽+混声合唱+児童合唱、そしてオルガン! とこれだけオールスター総出演の作品演奏の機会なんてそうそうあるものではないし、当日の夜、NHKホールであの演奏を聴けた人はまこと幸運だったと言うほかなし。

3). … まもなくソチ五輪も閉会式ですね。始まる前はどうなることかと思ったりもしたけれど、開会式の演出や聖火台の洒落たデザイン( もちろん「火の鳥」ですよね、あれは。聖火が駆け上がっていく場面の連続写真を見ると、なんだか「炎のランナー」がてっぺんめざして駆け登っていくかのようだった )、そしてバンクーバー大会からハマってしまった女子カーリングに今回もまたハマり、深夜のフィギュアを食い入るように見入ってそのまま朝になったり( 苦笑 )、スノーボードのスロープスタイルの「障害物」として巨大「こけし」よろしくゴーグルかけた金髪のマトリョーシカがでんと鎮座していたり、ラージヒルジャンプ台の着地点付近にはシンボル(?)のイルカやヤシをかたどった植え込みがあったり … フィギュアのエキシビションも趣向を凝らした演出が光っていたし、個人的には大会は大成功だったのではないかと思います。五輪ついでに毎度、何個メダルを取ったかとか、「金」はいくつだとか、そんなことが喋々されますが、これを見ても明らかなように、4年に一度の大舞台でメダル、それも「金」を獲得するというのは超人的というか、生半可なことではとてもできませんよ。あれだけの国と地域が参加しても、メダルが取れるのはほんのひと握りです。お国のためとかなんとかいうより、まずは参加されている選手みずからが徹頭徹尾楽しむことではないかな。それは時によってはおのれとの孤独な闘いになったりするでしょう。でもとにかく「歌ってるぼくが楽しくなければ、聴きに来てくれているお客さんだって楽しくないでしょ?」とかつて答えていたアンソニー・ウェイと、ワタシも基本的に同意見ですね。まずは選手自身がとことん楽しむ、五輪という大舞台に参加し、競技していることを十全に楽しむことが第一に来るべきだと思います。

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2013年12月31日

たわみつつも生きるということ

 1). いろいろあったけれども、個人的にひとつ引っかかる思いがあります。もちろん原発事故の今後とかひじょうに気になる。消費税増税とか、けっきょく使い道をまちがえてるんじゃないかっていう疑念のつよい一連の「便乗」復興増税。いまだに故郷を追われて苦しい仮説住居暮らしを強いられている避難者の方々 … それに今年はとりわけ風水害がひどかった。でもそんななかで、もっともつよく感じる思いがあります。

 それは死に急ぐ子どもたちのこと。今年もまた、なんかこうかんたんに投げ捨てるようにみずから命を絶ってしまった子どもたちが多かったような気がする。

 なんだかんだ言ってもこの国は 60年以上も平和な世の中がつづいて、たとえばパレスティナなど、ほんとうの「紛争地帯」、あるいはおなじ国の民族どうしが殺しあう「内戦」というのを―― われわれも含めて ―― 体験したことがない。たしかに生きることが苦しいことはだれにもありますし、ここにいる門外漢も人前にそんな思いにとらわれることもしばしば。あるていど年取った人が「自死」を選ぶ、というのと年端もいかない子どもが( 見たかぎり )あっけなく飛び降りたりするのとは、やはり区別する必要があるように思う。

 先日、なんとはなしに聞こえてきた地元ラジオのパーソナリティが、リスナーからのこんな便りを紹介してました。曰く、「子どもが、『今日はつまんない一日だった』と言って帰ってきた。だからこう言ってやった。『あんたがつまらないと感じた今日という一日は、きのう亡くなった人にとっては、なにがなんでも生きたかった一日なのよ。だから大切に使おうね』」。パッと光の差すような体験、もしくはジョイスの言う「エピファニー」というのはこういうことかもと思いつつ聞いてました。

 以前、ここでも引用したジョー・キャンベルのことば。重複も顧みずにまたしても引用する。
… 芝生のことを考えてください。… 芝が、「頼むからよく考えてくれ。あんたがこうしょっちゅう刈り取られたとしたら、どうなると思う」と言ったとしても不思議ではない。でも、芝はそんなことを言わずに、ひたすら伸びつづけようとする。ここに私は中心のエネルギーを感じます。… 根源はいったん生命体として存在したからには、なにが起ころうがかまいません。肝心なのは、与えること、成ることです。そしてそれがあなたの内にある<成りて成る生命> であり、神話のすべてはその大事さをあなたに告げようとしているのです。

 これってたとえば前にも書いたけれども、「死生学」のアルフォンス・デーケン教授の思想とも相通じるところがあるように思うし、いまちょうど地元紙に連載中の、五木寛之氏の『親鸞 完結編』にも、キャンベル本で見かけたことのあるような内容が書かれていたりします( グノーシス文書「トマスによる福音書」のような、「天国( =浄土 )」は、死後のどこかの世界のことではなく、いまここにある、というような思想 )。

 このブログ記事を検索したら、ちょうど昨年の暮れにも似たようなことを書いていたようです、当人は完全に忘れていたけれども。でも柴田トヨさんではないですが、ワタシもこう思います。「生きてさえいれば、そのうちきっといいこともある、とにかくくじけないで」、と。

 というわけで、このあいも変わらずなに綴ってんだか本人も関知しないブログは今年もぶじ店じまい。いま、ちょうど記事が 740 を超えたところです。バッハの作品番号で言えば、「ああ神よ、天から見たまえ」。このオルガンコラールはバッハがまだはたちかそこらのころの作品で、定旋律が低音、足鍵盤上に現れる。そしてこんなこといま言うべきことじゃないですが、バッハ作品番号の 1080 番目、「フーガの技法」台までこの拙いブログ記事を綴った時点で、完全閉店しようかとも考えています( といっても、これについてはとくに深い理由などありません )。

 命、あるいは「生きる」というのはどういうことか、それをもっとも親しみやすく、大上段に構えずに、幼児にもわかることばで表現した人がいます。故やなせたかしさんです。著作権上の問題があるので、個人的に重要な箇所のみ引用して、今年最後の記事を締めたいと思います。

「アンパンマンのマーチ」
作詞 やなせたかし

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ



なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙



時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび




生きる喜び … そう ! かのベートーヴェンもこう言っているではないか。「おお友よ、このような調べではない ! もっと快い調べにともに声を合わせよう。喜びに満ちた調べに ! 」。FREUDE !!! 

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2013年11月01日

キャンベルの「創作作法」

 11月1日は、ローマカトリックなどの西方キリスト教会の暦で言うところの「諸聖人の日( All Saints' Day or Allhallows, 東方教会では「衆聖人の主日」と呼び、聖霊降臨祭後の日曜日になる )」。子どもたちがかわいいお化けやらなんやらに仮装して、手に Jack-o'-lantern をぶら下げて、'Trick or treat !!' と練り歩くのが日本でもすっかり定着した感ありのハロウィーンですが、教会暦ではこの「諸聖人の日」前夜( Allhallows Eve ) という位置づけであることも、知っておいて損はない。そして前にも書いたことですが、ハロウィーンの元祖はケルト人の収穫感謝と新年を祝う祭り、Samhain( Samhuinn、発音はサウィン )だと言われてます( → アイルランド各地に残る、サウィンゆかりの地めぐりの記事 )。そういえば先日こちらの番組で見た、「ターシャ・テューダーとパンプキンパイ」は、おいしそうだった。

 米国の比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルが「向こう岸」へと船出したのは、26年前のハロウィーンのそのまた前の日のことでした。当時の NYT とかの追悼記事を見るかぎり、食道癌治療の予後がよくなかったらしい。じつはジョーゼフ・キャンベル財団( JCF )サイトにはこんな展覧会の紹介ページがあって、モノを書く人、つまりゼロからなにかをこさえる人、いま風に言えば「クリエイターの仕事の現場」というものに並々ならぬ関心を持っているワタシとしては、あーこれ、現物をぜひ見てみたかったな … と思ってしまった。

 キャンベルの書簡や草稿、蔵書などをすべて保管しているというこちらの研究センターのサイトにはハワイのキャンベル邸の書斎の画像もあって、それを見るとふつうのライティングビューローが写っていたりするんですが、展覧会紹介ページによると、キャンベルの著作の数々は、「ジョーとジーン・アードマンの結婚祝いとして彫刻家のトーマス・ペニング夫妻から贈られたウォルナット製ピクニックテーブルとベンチ」で著されたという !!! 

 もちろん展示では模式的に配置されているため、この通りにキャンベルがじっさいの執筆活動をしたわけじゃないけれども、その「ワークフロー」がどんなものであったかはよくわかる。中央の大きな画像はクリッカブルになっていて、たとえばテーブル上の蔵書とかその背後の「こけし」に「浮世絵」だの、前衛絵画だの後ろ側のベンチに平積みされた本の山だのをクリックするとキャプションが出てくるという仕掛けになってるんですが、やはり個人的にはキャンベルの執筆はどのようにおこなわれていたか、に興味津々。

 手前側ベンチとテーブル上に無造作に置かれたように見える五つの黄色いリーガルパッドの紙。これがこの展覧会でキャンベルの仕事のやり方ないし作法を再現した部分になる。ここのキャプションとキャンベルの草稿や蔵書すべてを管理しているセンターのページの記述とかも参考にその仕事ぶりを再現してみると、

1). テーブルとベンチの向かって左手にあるリーガルパッドの束は、これから書き上げるための下書き原稿。
2). テーブル上にある用紙は、いままさに書いている原稿。
3). テーブルとベンチの右側にある束は、タイピストに渡す、いわば決定稿。
4). 反対側ベンチに積んであるのは、いま現在は入り用ではないがのちほど参照するための参考文献類。

というわけで、キャンベルは自らはタイプ原稿を作成しなかったようで、つねに専属( ? )のタイピストを雇っていたようです。最初にキャンベルの助手となった女性がこう述懐しているのも印象的。「先生は毎朝 9時きっかりに鉛筆を紙に下ろし、そのまま正午前までほとんど休むことなく書きつづけていた」。

 自分の著作とそのための調査に時間を当てるため、当時の勤務先だったサラ・ローレンス大学では規定の四分の三しか出講せず、自分の報酬もその分減額してくれと大学当局に申し出ていたんだそうだ。「カネではなく、自らの至福を追求せよ」というのは、自分の生き方から出たモットー、ということになりますな。週四日は著述活動に専念していたようです。

 また、1970 年代後半にキャンベルの助手だった女性によると、毎朝、「前日に書きあげた黄色い紙の束」が机上に用意され、各用紙にほんの二、三行だけ追加すると、「先生はそれらの用紙をあれこれ配列し直して、最適な順序を見つけた」。またキャンベル最晩年に助手をつとめた男性によれば、「先生はハサミを取り出し、各ページを切っては文章をあれこれ入れ替えていた」。そうやって下書きを総合的にまとめて原稿を書き、タイプしてもらう、という手順を踏んでいたらしい。ここでふと、以前見た、故吉田秀和氏を特集した番組の一場面を思い出した。生前の吉田氏の仕事場を映していたシーンで、万年筆で手書きした譜例をハサミでチョキチョキ切って、原稿用紙に糊づけしていた場面です。糊づけしながら吉田氏はこんな趣旨のことを言ってました。「原稿を書くっていうのはね、手仕事なんですよ。手仕事というのは大事にしないといけないと思うね。これはありそうにないことだけれども、もしコンピュータというのを覚えて、それで原稿を書くようなことになったら … たいそうがっかりするんじゃないかしら ? 」。ビル・モイヤーズとの対談集『神話の力』なんか読むと、どうも最晩年のキャンベルは Mac ?? だろうか、とにかく PC を導入したよとさも嬉しそうに発言しているくだりがあって、このへん吉田氏とはちがうかもと思わせるけれども、タイピストだった人の話を読むかぎりでは、キャンベルもまた「手仕事の人」だったのかもしれません。でも振付師 / ダンサーの奥さん( ジーン・アードマン・キャンベル )にとっては少々困ったことに、食事をしようにも、先生がここで書き物をはじめてしまうと資料やらなんやらすべて出しっぱなし状態になるので、あいにくこのテーブル本来の用途では使えなかった、とのこと。ちなみに出版社に渡した原稿はみんな処分して、手許には日の目を見ることのなかったほうの原稿を残すことがよくあったとか。このへんも大胆と言えば、大胆かな。そういえば JCF FB 公式ページにて、『千の顔を持つ英雄』の「元型」になったという草稿を見かけたことがあります。

 そんなふうにして書かれたキャンベルの著作には、ビックリ箱じゃないけどほんとびっくりさせられる展開が多いことも事実。いま読んでる『創造的神話』の巻だって、たとえばアベラールとエロイーズの話をしている最中にいきなり「白隠禅師坐禅和讃」の鈴木大拙師による英訳なんかが平然と出てくるのだから( 「衆生近きを知らずして / 遠く求むるはかなさよ … 当所即ち蓮華国 / この身即ち仏なり」 ) … もっとも上記引用文の少し前には『源氏物語』なんかも出てきますが。そこのパラグラフ冒頭は、'troubadour' ということばの語源の話になっている ―― どうですこの自在さ。いったいなんのこっちゃ、という向きにかんたんに説明すると、キャンベルの見るところ、「個人」という発想をはじめて出現させたのは、11−12世紀のトルバドゥールたちだという。で、アベラールとエロイーズのあの有名な話が出現したのもまさにちょうどこの時代のことで、トルバドゥールとアラブ世界の詩人との類似性を主張するさる先生の著作を引用し、こうした貴族階級における神秘主義的恋愛ものの伝統というのは姿かたちこそさまざまに変えながらも、発祥の地インドから東は紫式部による感傷的な藤原氏の宮廷の物語へ、そして西はアイルランドから黄海に至るまで、その頂点に上りつめた時というのがまさしくアベラールとエロイーズの悲劇が起こったその時代なのだ、という箇所。

 この『創造的神話』の巻、いまようやく「第二部 荒れ地」の出だしの章、「愛の死」を読み進めているところ。これも上記引用箇所のつづきとして有名な「トリスタンとイゾルデ」の物語が、例によって古今東西の文献引用を散りばめて詳述されている。このつぎの章が、『フィネガンズ・ウェイク』を中心に論じた「フェニックスの火」になります。そういえばこの前の「きらクラ ! 」では若い女流ハーピストの方がゲスト出演されてましたが、なんとも折よく( ? )ちょうどそのときの読みかけの箇所に掲載されていたのが、「イゾルデに竪琴を教える騎士トリスタン」の図( いまは大英博物館にあるらしいチャーツィー大修道院タイル画の一部、13世紀 )。ヘルメス → アポロン → オルフェウス → トリスタンの共通要素は「竪琴」。番組ではゲストのハーピストの方が、ダビデを引き合いに出していた。そうだった、オランダの古いオルガンなんか、必ずと言っていいほどダビデ王の彫像がペダルタワーにでんと乗っかっていたりする。

 … この前も安良里の禅寺での法事で「坐禅和讃」をあげたばかりだし、静岡県東部地区の住人としてはまさかこんなに身近な先人の名がキャンベル本に出てくるとは、まったく思ってもみないことだったので、なんかうれしいような感じもしないでもない。

 ところで最近物故された人、というと、やはりショックだったのはやなせたかし氏ですね … アンパンマンって、最初はぜんぜんと言っていいくらい世間的には受け入れられなかったようです。「顔の一部をちぎって食べさせるとはなんて残酷な」とかなんとか、そういういまにして思うとまるで的はずれな批判があったからとかって聞きましたが、アンパンマンこそ、キャンベルの言う「英雄」そのものですよ。英雄には「自己犠牲」がつきもの、アンパンマンは幼児でもわかる語法でそれをみごとに表現しているように思いますね。合掌。
… われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。そうすれば、かつては恐るべき怪物に会うと思っていたところで神に出会うだろう。そしてかつては他人を殺すべきだと思っていたところで自我を殺すことだろう。まだ遠くまで旅を続けなければと思っていたところで、われわれ自身の存在の中心に到達するだろう。そして、孤独だと思い込んでいたのに、実は全世界が自分と共にあることを知るだろう。

―― ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』( 飛田茂雄訳『神話の力』、早川書房刊から )


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2013年03月10日

アイスランドと日本

 先日まで、地元紙夕刊に原発事故関連のフォローアップみたいな記事が連載されてまして、初回分連載がもと第一原発で通称「炉心屋」として勤務していた方の取材記事でして、個人的にはたいへん感銘を受けました。

 その方はいま四国のほうで「なるべく電気に依存しない暮らし」を実践されていて、自宅で消費する電源はすべて太陽光などの自家発電で賄い、それを「蓄電」して使うという方式の普及活動もしているというものでした。その記事を見たとき、ああおなじ電力会社という巨大組織にいた人でも、世の中こういう人もいるもんだなと率直に思った。

 自他ともに認めるエピキュリアンのワタシがこんなこと言うのははなはだ不適切だということはじゅうぶん承知のうえであえて言わせてもらえば、われわれがみんなこの方の言う暮らしというものを実践できるわけではないとは思う … でも前にも書いたかもしれないけれど持っている自家用車の台数を減らすとか、TV も冷蔵庫も一家に一台にするとか、あるいはこのもと東電マンの言うように、電気で保温するタイプの湯沸かしポットの使用をやめるとか、各人、いくらでも工夫の余地はあると思う。ようは無理なく実践可能な範囲で実行してゆけばいいのだ。そのうえでたとえば ―― これも前に書いたかも ―― 火山国日本のあっちこっちで湯煙上げている温泉で手軽に発電できる装置なりを開発してどんどん電源を「地産地消」の「分散型発電」にすればよいのでは、原発依存じゃなくて、と個人的にはそう考えてるんですがね … と、そんな折も折、こんな番組を見ました。見た感想としては、いまの日本がお手本とすべきはまさしくアイスランドではないか、と。

 「… わたしたちは背伸びしすぎていたんです。身の丈にあわないことを求めていたんです。もっと実体のあるものから地道に、じっくりと取り組むことこそ大切なことだと気がついたんです」と、そんな旨の発言がとくに印象的でした。顧みていまのこの国はどうだろうかと、思わずにはいられない … アベノなんたらとか、株高になったとか、これってどれもこれもみな「いつか来た道」なんじゃないですか ? … オリンピック招致も悪いとは言わない。だが、あの大地震からまる二年が経とうというのに、いまだに仮設住まいで仕事もなし、とりわけ原発事故で避難した方はいったいいつになったら故郷に帰れるのか、まるでメドさえ立っていないというこの苛烈な現実。また故郷に残った住民と、故郷を離れた住民とのあいだの意識の温度差というか、溝が日に日に大きくなってきてもいるとも報じられていて、その手の記事を目にするたびにこちらの気持ちも沈んでしまう。

 ときおり、大きな余震とみられる活動も起きているし、東海地震、あるいは南海トラフ沿い巨大地震の危険性がにわかに高まっているというのに、大多数の国民から日に日にそういった「意識」が風化しつつある … ように感じるのは自分だけだろうか。

 と、嘆いてばかりもいられないので、いま一度、できることからはじめてみようと思っているしだい。

 そういえばけさの朝刊書評欄に、興味を惹かれる新書本の著者インタヴュー記事が出てました。『東北発の震災論』という本で、著者は首都大学東京准教授の山下祐介氏。「震災がいつのまにか被災地だけの問題になり、どれだけ補償すればいいかという話に矮小化されている。怖いのは今後、中心から『いつまで被災地に金をかけるんだ』という声があがることです。… 被災者だけでなく、みんなで問題を背負っていくのが本当の支援。日本人はこれからどう生きていくのかという問題ともつながる」。

 まだ読んでない本についてあれこれ喋々するのはおかしいが、おそらく山下氏がこの本で言っている「広域システム」というのは、分野はまったく異なるように見えて、そのじつ以前ここで紹介したウェンデル・ベリーの本が主張していることとも通じ合うように感じる。文化面のみならず、真の意味での変革というのは「一握りの人間しかいない」中心から大多数のいる周縁へと半強制的に派生させるものではなく、その逆だということです。ただし、おそらくここで真に障害となるのは物理的中央集権システムというより、最終的には古来営々とつづいている悪しき「ムラ意識体質」なんじゃないかと感じる。自分が一アウトサイダーだから、よけいそうひねくれて感じるだけなのかもしれないが。でもこの本は読んでみたいと思います。それとおなじく書評欄にて紹介されていた、『災害復興の日本史』という単行本も。

タグ:山下祐介
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2013年02月02日

追記:「ブラックオートンのマルハナバチ」

 先日、ここですこし触れた、英国の小学生たちと神経科学者の先生が共同執筆したという「独創的な研究論文」をじっくり読んでみました。意外と歯ごたえのある ( ? ) 内容で、リンク先の関連論文とかも参照しながら、これがどんな実験だったのか、素人なりにまとめてみた。もっとも手っ取り早い要約はすでに番組で紹介ずみだから、これは蛇足みたいなもんですが。

1). 実験道具:ハチを入れる 1 m 四方のプレクシグラスで作った立方体を用意。前面にハチをいれる穴が開けられ、反対側には6 本の蛍光管の並んだ陽極酸化アルミ製の箱型光源と、その前方にプレクシグラス。グラス前面に十字型仕切りがあり、仕切りにはそれぞれ黒いアルミ板 4 枚が差しこめるようになっている。各アルミ板には径 8cm の円形の切り抜きが開けられていて、それが 16 個の正方形状に配列されている。切り抜き裏側にはそれぞれゼラチンフィルターを差しこむスロットがある。真ん中にはプレクシグラス製の「おしべ」があって、真ん中のくぼみに砂糖水や塩水を注入できるようになっている。

2). ハチの準備と訓練:マルハナバチの巣箱は Koppert UK. Ltd 社が提供。ハチを馴らすために、まず白色光源のみですべての「おしべ」に砂糖水を入れ、ハチがありつけるようにした。ハチたちが学習するまで 4日かかった。ハチたちを瓶に入れ、冷蔵庫で眠らせてからそれぞれ識別用のマーキングをした。ハチはぜんぶで 5匹、それぞれ黄・・オレンジ・ / オレンジ・ / 黄と色分けした。色分けしたハチはプレクシグラスの実験箱にもどされて、まず外側の切り抜きには黄色、内側には青とその逆の配列を 10 - 40 分おきに入れ替えて実験。真ん中にきた色の花にごほうびの砂糖水 ( 砂糖と水の比率は 1:1 ) 。黄色でも青色でも真ん中にある 4つの「花」にやってきて口吻を差しこんだら正解、ということを学習させた。最初の 2 日間では真ん中の 4 つの花に砂糖水を仕込ませただけだったが、つぎの 2 日間では周囲の 12 個の花に塩水を仕込ませて、色だけでなく「色どうしの空間的配置」を学習させた。ハチたちはたがいに情報交換できないように単独でガラス箱に放たれた。ごほうびがないと当てずっぽうに探しはじめるため、テストは一匹当たり 30 回で打ち切った。

3). 第一の実験:配色はそのままだがハチたちの色の記憶をリセットするため一度、4 枚の黒アルミ板を時計回りに回転させてから実験。真ん中の花にあったごほうびはなし。あいにく「黄色」のマーキングをしたハチだけ参加せず、4 匹のみでの観察。正解率は 90.6% 。うち 1 匹は色の組み合わせを正しく見極めていて、残りは色の好みがはっきり出た。

4). 第二の実験:真ん中の 4 つの花の色を緑に変えて観察。その結果、正解率は 30.9 % にとどまった。これで、前の実験でハチたちは色に関係なく「真ん中に」集まっていたわけでないことが証明された。ただし「 / オレンジと」のハチだけは 5匹中、真ん中の緑の花にもっとも多くやってきた。これはほかの 3匹とは異なる見分け方をしていることを示唆している。

5). 最後の実験:真ん中の 4つの花を抜いて、四辺の四隅にそれぞれ配置。ハチたちが「もっとも数の少ない色」めざしてやってきているのかを確認するため。その結果、最初の実験で真ん中の色に集まってきたハチたちはおなじ色が四隅にある場合では 40.1% しか飛来しなかった。「 / オレンジと」のハチも、前回のときとはちがってこんどは各パネルの真ん中の花には高頻度で飛来してこなかった。このことから、この 2 匹は花の蜜を吸うための条件として、「周囲を異なる色で囲まれた場合」を利用しているらしいことが判明した。

まとめ:実験 1 では、5 匹のハチはおおむねパズルを解くことを学習したといえる。ただし、認識方法にはそれぞれ個体差 ( 個性 ) があり、優秀なハチもいればそうでないものもいた。それぞれ色の好みがあることもわかった。実験 2 では、3 匹のハチは真ん中の緑の花ではなく、前の実験で学習した色の花に向かった。「」を含む 2 匹のハチは、真ん中の花に飛来したので、ほかの 3 匹とは異なるルールでパズルを解いていたことになる。実験 3 で判明したのは、ハチたちは色に関係なく「真ん中に」飛来してくるわけではないこと、もっとも数の少ない色に飛来するわけではないことだった。ハチたちは手当たり次第に花を選んでいるようにも見えたが、それでも「お気に入りの色」に飛来することはやめなかった。

 … というわけで、番組でも出てきた「結論」がつづいて登場します。「ハチたちは、複雑なルールを理解することによって、パズルを解く方法を学習できるけれども、ときおりまちがえる。ひとつのパズルを解くために、ハチたちはおたがいに ( 間接的に ) 力をあわせることができる。 … またわたしたちは、個々の花の、それぞれに異なる『形状パターン』を手がかりに、ハチたちがお目当ての花に向かうことも学んだ。だからハチたちは賢い。ひとつの形状パターンを記憶できるから。… ハチたちはどうやら … 思考するらしい ! 」。

 なお文中の「ゼラチンフィルター」については、たぶん大判写真術でレンズ前にかざして使用する、正方形の薄っぺらいフィルターのことなんじゃないかと思う。自分もそういうのを一枚、持ってました。

posted by Curragh at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など

2012年12月31日

ジョイス ⇒ 鉄拳 ⇒ サッチモ

 いま Ottava を聴きながら書いてます。さっきまでバッハの名曲がいくつもかかっていて、とりわけ印象的だったのが BWV. 106 カンタータの「ソナティーナ」。カンタータ関連はたとえば有名な「コーヒーカンタータ」や「狩りのカンタータ」、「神はわがやぐら」、「心と口と行いをもって」、「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」などは音源を持っていたりするけれど、器楽作品にくらべると未聴の曲が多いのは、致し方なし ( オルガン好きなので ) 。なのでこの流れるような美しい「ソナティーナ」を発見したのは、無上の喜び。あとでまた鍵盤用の譜面とか探してみようかな。

 今年、とくに後半は Hisperica Famina とジョイス / ヤナセ語訳『フィネガン』三昧、といった感じになってしまった。昨年のいまごろ、来年は空き時間は本家『聖ブレンダンの航海』英語版サイトとりあえずの完成に優先的に充てよう、なんて目標を立ててはいたものの、あっさり放棄 ( 苦笑 ) 。あせらずぼちぼちやっていくつもり。一時期はほんとにヤナセ語訳『フィネガン』とその関連書籍三昧だったもので、その副作用なのか、「あばあばあばよわん、達っぱでな ー ! 」とかヘンテコな日本語を平気で口走ったりするしまつ ( 苦笑 ) 。

 『フィネガン』第二巻には、たがいに張りあっている双子兄弟の片割れにしてジョイスの分身らしいシェムについて、こんなくだりが出てくる。「 … 冠涙にむせびて己の挽歌を、天使の機関車の泣きむせぶごとく。理非ィなる人生は遺棄るに値するや ?  ( ) な ! 」。で、ジョーゼフ・キャンベルの対談本『神話の力』にも、ジョイスのことばとして、おそらくこの『フィネガン』からの一節をキャンベルはこんなふうに引用している。曰く、「人生は、それを捨てるに値するものだろうか ? 」。この直前に仏陀の「生はすべて苦」ということばも引いている。きのう書いたことのつづきみたいな感じではありますが、ここでキャンベルの思想の代名詞みたいにも言われることの多い「あなたの至福に従え / あなたの無上の喜びを追求せよ」ということについて、ちょっと書いておきたい。

 'Follow your bliss' がその原文なんですが、こちらの記事の一節にもあるように、向こうの人にもキャンベルのこのことばを曲解 ( 故意に ? ) する向きがいて、古代グノーシスの一派に存在していたという、いわゆる「快楽放蕩三昧」のように受け取っている人が少数だろうけれどもいるらしい。もちろんそんなことキャンベルはひとことも言ってない。前に書いたこととも重複するが、ようはエリオットの言う「回転する世界の静止する一点」、どんなことがあろうと自分を見失わない心からの、真の関心事ないし心から求めてやまないこと / ものをつかめ、ということだと思う。キャンベルの言う詩人のように、それが一生の仕事、「天職」そして「生業」になればもう言うことなしだけれども、とにかくそういうものやこと、時間やよりどころを持つべきだ、ということです。
わたしたちにはその日の新聞になにが書いてあるかも忘れ、自分の友だちがだれで、だれに借りがあるのかといったこともいっさい忘れる時間や空間が必要です。… 人は歳を重ねるにつれ、周囲から課せられる要求があまりにも大きくなって、いったい自分がどこにいるのか、なにをしようとしていたのか、わからなくなりがちです。四六時中、やらなければならない用事に追いまくられてしまう。しかし、自分にとっての無上の喜び、至福というものを追い求めるべきなんです。それは大好きな音楽を聴くことかもしれない。たとえそれが、他人は見向きもしない陳腐な音楽でもかまいません。あるいは好きな本を読むことでもいい。そういう時間や空間を持つことです。そこでは、人生を崇高なものとして感じることができます。かつて平原の狩猟民族は、世界のどこにでも、そういう「聖なる場所」を見出していました。

 キャンベルの言う「至福を追求せよ」というのは、目先の快楽ではない、真に喜びを感じることやものを見出し、それを追求せよということでしょう。では自分はどうなんだろ … と顧みるとはなはだ心もとないが … 。でもバッハの音楽やジョイスの作品を読むこと、そして ―― 自分にとってもっとも重要 ―― ラテン語版『聖ブレンダンの航海』に関する本を読み漁ることが、「無上の喜び」なんかなぁ。ちなみにキャンベルが自分の言う「あなたの至福に従え」を曲解する向きを批判して言った 'Follow your blisters' 、ヤナセ語ふうに訳せば「おまえの至福ならぬ獄でも追いかけてろ」くらい ? かなあ。

 と、いま、かけっぱなしにしている Ottava から、リクエストにこたえてブクステフーデの「暁の星はいと美しきかな BuxWV. 223」がかかってます ! なんでもリクエストしたリスナーの人はこの一年、オルガンの実演をあっちこっちと聴いて回っていたんだそうで、ご同慶の至りです。DJ の清水氏の言うように、たしかにこのオルガンコラールは鍵盤交替とレジストレーションによる音色変化が「星がキラキラ光っているように」際立っている愛らしい作品ですよね。ついでに Ottava がらみでは、「みんなでつくる復興コンサート」とか、震災で被災した音楽を学ぶ子どもたちに楽器を届ける活動とかも行なっているようです。すばらしいことだ。

 「至福に従え」の身近な例としては、たとえばパラパラ漫画の鉄拳さんなんかがそうなんじゃないかと勝手に思っている。この前「情熱大陸」という番組で、鉄拳さんの名前を世界中に轟かせた「振り子」をはじめて見て、これはすばらしい作品だと感心したしだい。ご自身の両親がモデルのようですが、「作者自身の心を捉える、真の関心事」を主題にした作品にはかならず普遍的なメッセージがこめられているものだから、これだけの支持を獲得したのだろう。番組を通して鉄拳さんの仕事ぶりも拝見したけれども、この手の仕事は翻訳もそうだけれども、好きでなければとてもじゃないができっこない。好きこそ … という使い古された言い方もあるけれども、とにかく心から打ちこめるもの、好きなことを仕事にしている人は、輝いています。それは年収がいくらとかそんな次元とはちがう。と、こんなこと書くと「それはちがうでしょ」とクレームがきそうだが、キャンベルという人は「カネのためだけになにかをやったためしのない人」だった。げんに大学教授を定年退官後、著作と講演、そして TV 対談番組出演などで生計を立てていたのですが、年収はいまの水準から見ても低いくらいだったという。『神話の力』対談でもしゃべっていたけれど、シンクレア・ルイスの『バビット』のように、「オレを見ろ、オレは生まれてからこの方、自分のしたくないことばかりして生きてきたんだ ! 」という人生に、いったいどんな意味があるというのか。そういう人は遺産はたんまり残せそうですが、はたしてそれで満足して納得して旅立っていけるのかどうか。もっとも人の死ぬ時期がいつ来るかなんて、だれにもわからないものですが。

 というわけで、またしても ―― ほんとうに毎年こればっかし、反省 ―― このなにを書いてんのか当人も関知していないブログは本日をもって今年はお開き。妄言多謝。最後の締めは、この人にご登場いただきましょう ! 



ワタシはとくに、最後の節が好き ( 下線部 )。
I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world
I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world
The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces of people going by
I see friends shaking hands, saying how do you do
They're really saying, I love you
'I hear babies cry, I watch them grow
They'll learn much more than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes, I think to myself, what a wonderful world'


グノーシス派のある文書にたしか、老人が生後何か月かの赤ん坊に人生の道を教えてもらう、とかそんなこと書いてあった。イエスも、「あなたがもっとも幼いひとりの子どもにしたことは、わたしにしたことである」と言った。これは真実だと、自分も感じている ―― 「泣き声をあげる赤ん坊。成長し、わたしの知り得ないことをたくさん学ぶだろう。そしてひとりごちる。なんてすばらしい世界だろう、と。世界はなんてすばらしいんだろう、と」。

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2012年11月18日

本物と本物まがい

1). 先週の「古楽の楽しみ」はなんか再放送週間みたいで、今年 5 月放送分がふたたびかかりました。個人的にお気に入りなのが、ジロラモ・フレスコバルディの「ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラによるカプリッチョ」で、オルガン独奏はロベルト・ロレジアンという人。ド - ラの上行六音階はいわゆる「ヘクサコード」と呼ばれるもので、『フィネガンズ・ウェイク』にも登場した、中世イタリアの修道士で音楽教師だったグイード・ダレッツォ ( 「グイードの手」で有名 ) が体系化した音階にもとづく作品。バッハにも似たような例はあって、「平均律クラヴィーア曲集 第一巻」巻頭を飾るハ長調フーガの主題が、まさにこの力強く上行進行するヘクサコード音型からなってます。

 果報は寝て待て、じゃないですが、最近、地元図書館がついに ( ? ) あのインターネット上最大級の音源ライブラリー、Naxos Music Library ( NML ) と貸し出し契約を結んだらしくて、2009 年 5 月の LFJ 以来、ほんとうにひさしぶりにここの音源が聴き放題 !!! ただしもちろん、貸出期間の二週間限定で。それでも貸し出し受付で ID とパスワードを発行してもらうだけで二週間聴き放題なんて、なんか夢みたいな話だ。もちろんバッハは気になる作品を片っ端から。グールドの「ゴルトベルク」はじめ、いろんなオルガニストによる「フーガの技法」や「チェンバロ協奏曲 BWV.1058 」の有名な「アンダンテ ( これは、今年見た邦画作品「わが母の記」の影響から ) 」、BWV.729 のクリスマス用コラール編曲やら、あるいはアルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡 (こちらは、「きらクラ ! 」のふかわりょうさんの影響から [笑]、でもたしかにこれ心に染み入る感動的な曲だ。これをきっかけにいままで疎遠だったペルトなどの現代ものを聴くようになるのか … な ? ) 」などなど、うれしくてつい長時間かけっぱなしにしたり。ただ、どういうわけか Chrome ブラウザは相性がよくないのか、ほかの原因なのかよくわかんないけれども、プチプチ音切れするので、こっちは IE で聴いてます ( いまは、アンソニー・ニューマンという人のチェンバロによる「ゴルトベルク」を聴きながら )。

 ついでながら NML にはオンラインレファレンスも充実していて、なんと『音楽中辞典』まで読める ( ただし、これも二週間限定だが ) 。で、さっきの「ヘクサコード」については、こんなふうに記載されてました。
ヘクサコード hexachord[英] Hexachord[独] hexacorde[仏] esacordo[伊]

 6つの音からなる全音階的音階。第3音と第4音のあいだだけ半音で,ほかはすべて全音であるため,両端は長6度に開く。11 世紀のグイード・ダレッツォにより体系化され,17世紀頃まで用いられた。彼は音階各音の特徴を明確にし,視唱を容易にするため,聖ヨハネ賛歌にもとづき6つの各音に「ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラ」の階名をふりあてた。13 世紀半ば頃には,当時実用されていた声楽的音域の平仮名と-2点ホ音上に7つのヘクサコードがつくられ,そのうちト音上から始まり,第3音にロ音(堅いロ音)を用いるものは「堅いヘクサコード」,ヘ音上から始まり,第4音に変ロ音(柔らかいロ音)を用いるものは「柔らかいヘクサコード」,ハ音上から始まるものは「自然なヘクサコード」とよばれた。【片桐 功】

 「古楽の楽しみ」の金曜朝恒例のリクエストでは、ヘンデルの「ジョージ二世の戴冠式賛歌」から「わが心はうるわしい言葉にあふれ」もかかってましたね。演奏は英王室と切っても切れないウェストミンスター・アビイ聖歌隊、指揮はサイモン・プレストン。

 … そういえば、けさは町内清掃のためにすこししか聴けなかったけれども「吹奏楽のひびき」にて、なんと M. プレトリウスの「テレプシコーレ」集の編曲版がいろいろとかかっていて、合間にオルガンも聴こえていた。こちらは再放送にてしっかりと聴くつもり。

2). 以上はマクラで、ここから本題。以前、こちらの番組を見まして、わお、「写メ」なんて国籍不明語が闊歩するこのご時世で「大判写真術」に打ちこむような高校生がいたんだ、とおおいに感動。と同時に懐かしくもあり … それはさておき、大型カメラによる写真撮影の流れをおおまかに説明すると、こんな感じ ―― 大判用シートフィルム ( カットフィルム ) を暗室作業でフィルムホルダーに突っこみ、組み立て暗箱と重い三脚をかついで撮影場所へ。カメラを三脚にセットしたら、見にくいピントグラス上に映る「天地左右逆像」で構図を決め、カブリ ( 冠布 ) をかぶってやおらピントを合わせて調節ネジを固定し、「シャッターを閉じて ( ここ重要 ! ) 」、フィルムホルダーを入れて空シャッターを切り、引きブタを抜き、気合を入れてレンズシャッターを切る。引きブタをもどしてロックしてからホルダーを引きぬく。自分は Kodak 社の「レディロード」ホルダーに、富士フイルムの「クイックロード」20 枚入りという妙な組み合わせで撮影していた。これで現像代も入れれば万札が飛びまくり ( 苦笑 ) 。レディロードとクイックロードについては、こちらを。これ、めんどくさい「暗室作業」いらずでたしかに便利だったんですが、冬の伊豆西海岸で撮影していると、西伊豆特有の強い西風が吹きはじめると遮光封筒に入ったシートフィルムがぴらぴらたなびいてしまうんですね。なので強風状態ではせっかくの大型カメラも使いものにならず、これには困った。一度なんか真冬の堂ヶ島海岸で撮影中に、中古のシュナイダーレンズのシャッターが壊れちゃうし。修理代+上京代でまたまた万札が … ま、いまとなってはいい思い出ではある。

 前にも書いたことかもしれないけれど、デジタル画像ってひらたく言えば 1 と 0 の無数の点々の集まりみたいなもの。いわば点描による描画。対してたとえば Velvia に代表されるカラーリヴァーサルフィルムによる描画は、ベタベタ塗りたくった油絵みたいな世界。自室の掃除ついでに昔撮った 4x5 インチサイズのリヴァーサルフィルム表面のホコリをプロワーで吹き飛ばすとき、乳剤面が盛り上がっている感じや、あの特有の鮮やかな発色と圧倒的な高画質を確認するたびに、これこそデジタル画像では出せないアナログならではの「味」なんじゃないかと思ったりもする。でも近年のデジカメの進化スピードじたいが加速しているから、いずれは画質的にはなんら遜色ない、銀塩フィルムと完全に肩を並べるような時代がすぐそこまで来ているとも感じている。もうしちめんどくさい大判写真術なんて実践する人などいるまい、なーんて思ってちょっとググったらなんとなんと「シノゴ買った ! 」みたいなエントリがけっこう見つかるじゃないですか ! そういえば以前、地元紙面にて「リンホフクラブ」会員数がじつは増えている、なんて記事まで拝見しまして、まだもうすこしはデジタルとの「共存」がつづくかも、と本人はあっさりコンパクトデジカメでお茶を濁しているくせに、なんかほっとしたものでした。問題は、値上げのつづくシートフィルムとロールフィルムがいつまで生産されるかだな。→リンホフクラブによる、大判写真術の一例

 そういえば「書く道具」なんかも昔ワープロ、いま PC 、そしてブログや SNS など、ネットにつながった状態でなにか書くとあっという間に全世界に「公開」されてしまうこのご時世で、なんと万年筆が、大判カメラよろしくじわりと売り上げを伸ばしているらしい。そんなワタシもここんとこなぜかまた万年筆でなにか書いてみたくて ( 400 字詰め原稿用紙のみならず、200 字詰めといういまとなってはかなりレアかと思われる原稿用紙もいまだに持っている人 ) 、そうだ、これでヤナセ訳『ダブリナーズ』からいくつか引いて写経してみるか、なんてしょうもないことを考えている。以前東京駅構内のコンビニにて PILOT の Vpen というものを買ったことがあるけれど、水性染料インクのためか、ハガキとかあれで書くと滲んでしまい、失敗 (苦笑)。かといってちょこっと書くのにまさかモンブランなんて買えるはずもなく (当然だ)、調べたらプラチナには 210 円で買える格安の製品とかもあるみたいなので、まずはそれを試してみようかしら。

 話もどって写真については、アナログのころから「捏造」問題がつねにつきまとっていた。あの National Geographic もまた例外にあらず。でもいまほどいともあっさりと、ありもしない映像を作れる時代は過去なかったように思う。いまはやりの「ミニチュア写真」なんかもその典型的な例。高価な「アオリレンズ」なんてなくたって、加工アプリさえあればちょちょいのちょいだ。iPhone5 なんて、歪みのないパノラマ写真まで撮れてしまうのだからもうおどろき !! 大判写真術だって、重たい湿板 → 乾板 → シートフィルムというふうに、利便性というか使い勝手が向上するように変遷してきた。暗室作業不要の「クイックロード」しかり。ようするに技術の進化というのは人間がいかにラクして高度な技が実現できるようになるか、この一点に尽きるかと思うのですが、では無数の 0 と 1 の点々の集合体の画像が、化学的に「太陽の光が描いた画」をそのまんま定着させた「光画」と、いったいどっちが「真を写した」ものなんだろう、と。2進数とか16進数に「変換」したじたいでそのへんの定義づけがなんだかあやふやになってくる、なんてこと言うと、なにやらオツムがおかしい人のようにも思われるかもしれない。

 ことは写真にかぎったことではなくて、音楽なんかもそう。新しもの好きのくせしてまるで相容れないことを平然と、二重フーガの追いかけっこよろしく同時に考えてしまうのがワタシのいいところであり、かつ悪い点なのでもあるのだが、ワタシはいまだに「煎餅を一枚一枚、切り売り」しているかのような「mp3 楽曲ダウンロード」というものに慣れず、相変わらず抵抗感をもって dubiously に眺めている。アナログの LP から CD へと切り替わったときはすんなり受け入れたくせに、「mp3 楽曲ダウンロード」とか、「音楽配信」というものにどうしてこうも抵抗を感じるのか ? … と思ってふと「圧縮音源」ということに気がついた。これもまたデジタルによる革命みたいな技術なんだろうけれども、たとえば TuneIn アプリで Ottava とかストリーミングを聴くと、「64k WMA」なんていう表示が出てくる。ストリーミング配信している「音源」が、そのていどの音質でしかないということ。でも割り切っているせいか、BBC Radio3 でもなんでも、あまり気にしたことはない。むしろ、「家にいながらにして世界中のネットラジオが聴取できる」という恩恵のほうがはるかに大きいと感じているので、「まがいものの音」ではあるがそれはそれとして割り切って楽しんでいる。NML なんかもそう。いままで探しに探していた、四手オルガンによる、モーツァルトの「交響曲第 40 番 K. 550 」をここで見つけたときの喜びはなんとも言えない。

 でもそのすぐあとで、たとえば図書館から借りてきた CD でバッハのオルガンコラールなんか聴くと、その「音の厚み」にまず気がつく。銀塩フィルム乳剤面の盛り上がりみたいなものだ。おなじデジタル音源でも、ここが決定的にちがう。非圧縮音源と圧縮音源。もっともこれ再生機器側の問題もあるので、昔いた高名なオーディオ評論家みたいな鋭い耳なんて持ちあわせてないから、一概に圧縮音源だからと括るのはよくないかもしれないけれど、違和感の主要な原因であることはまちがいない。ようするにいまの人、とくに CD のアルバムで楽曲を買わずに「圧縮音源」の「配信楽曲」ばかりを浴びるように聴いている若いリスナーというのは、「心を打つ、美しい音楽」がもたらす喜びを知らずに、「これこそが音楽だ」とアタマから信じてはいないだろうか ? という疑念があるのです。まったくもってよけいなお世話ながら。そういえば先週木曜の「ミュージックプラザ / 洋楽リクエスト」は、懐かしい曲ばかりで、うれしかった。とくに「渚のアデリーヌ」をリクエストした横浜市のリスナーのお便りには、こっちまで泣けてしまった。ついでに圧縮音源の音質って、ふつうのアナログ FM 波から流れる音源とくらべてもどうなんだろうか。比較するのが大好きなもので、ついそんなことも考えてしまった。

3). と、世間はただでさえ忙しさを増すというのに、いまごろ「解散・総選挙」ですか。こういう時期をあえて狙ったのでは、とは言わない。ただ、社会の一隅でひっそりと ( ? ) 生きている門外漢から言わせれば、この国の議会制民主主義というのはやっぱり「そう見えるだけ」にすぎないまがいものだという気がしてならない。たまさか国会中継なんか見ると、お世辞にも欧米にも負けないすぐれた「民主主義政治」だとはとうてい思えない。この国でおこなわているのはたとえば欧州諸国の歴史に見るような、民衆が血を流して必死の思いでもぎ取った「国民主権」でもなんでもなく、先の大戦で負け、占領軍による「お仕着せ」な民主主義であるところに根本的要因があるように思います。そういえば先日、地元紙投書欄にて、こんな絶望的な投稿がありました。「国民に背を向け続け政局に明け暮れている自民党、烏合の衆と化した『維新の会』など、いずれも日本の将来を託すには心もとない。私の投票所へ向かう足取りは重くなるばかりだ」。それにしてもいまの行政府のやっていることはヒドイの一言。osprey 配備問題なんかそうですよね。ウチも東富士演習場が近いせいか、米軍と合同演習なんかあると決まって頭上を低空飛行ですよ。なんの説明もなくいきなり上から、配備と飛行訓練をいついつから実施する、よろしくね、というのは、どっかの近い国の共産主義政府とおんなじだ。

 でも望みはまだある、と思う。ここ数年、「残り九割のわれわれ」とはいっさい関係ないところで暴走するグローバル資本市場至上主義のあおりを食らったかっこうで EU 加盟各国内では深刻な状態が長引き、さらにそれがひたひたとこの島国にも打ち寄せているかのような印象を受けているんですが、せっかくの機会です、やはりお仕着せだろうがなんだろうが、われわれひとりひとりに与えられた「権利」をしっかりと行使しなくてはならない。けさたまたま TV 見ていたら、街頭インタヴューされた人がこんなこと言ってました。「この時期に選挙なんてはっきり言って迷惑ですね。でも今回は ( 投票に ) 行きますよ ! 国民の出番なんだから」。

 … 今回の解散劇、例によっていろんな人が思い思いに「命名」してはいるけれど、なんかこう、ワタシとしてはいまいちのような気が … 今回の投げやりな衆院解散を見てまして、ワタシの脳裏にはすぐさまヤナセ語訳ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の一節が、それこそ「雷鳴」のごとく鳴り響いたもんです。第三巻第一章の終わり近く、樽に入ったままころころ転がって川流れになった双子兄弟の片割れショーンが吐いたおいとまのことば、というか、捨て台詞が。―― いわく、「あばあばあばよわん !  ( たっ ) ぱでな ! 解散」。ちなみにここ宮田訳ふうに言えば、「消消消消滅だ ! タパー ! 解散」。ついでに原文は 'Gaogaogaone ! Tapaa ! ( F.W. III, p. 427 )'. 'Gaogaogaone' =Gaogao + g(a)one でようするに「gone ! 」なんだろうけれども、最初の Gaogao ... にもなにか隠された意味があるのかな ? 

追記。「きらクラ ! 」のふかわさん、「バッハ (「BWV.1016 のヴァイオリンソナタ」) 聴いてたら、チェンバロの音かな ? なんか風邪がよくなってきたみたい ! バッハで風邪が治る、なんてことあるのかな ?! 気のせい ? 」―― いいや、あると思いますよ !! 

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2012年03月19日

パディントンの命をつないだマーマレード

 昨年暮れ、クリスマス時期に放映されたこちらの番組。英語初学者 ―― いや、万年初学者 ?  ―― だったころ、全巻ではないけれど読んだことのある『くまのパディントン』シリーズの原作。ぼんくらなワタシはこれらを見て、児童文学って奥が深い、そして意外とむつかしい … と感じたものです ( ただたんに読解力がなかっただけだが ) 。「どうぞこのくまのめんどうをみてやってください おたのみします」はすばらしい名訳 ! だと思っているんですが、とにかく懐かしさもありまして、とりあえず録画していたのです ( 年末はなにかと忙しいから、見ていられなかった ) 。で、やっと先日、録画を見たんですが … おどろきました! パディントンが首から下げていた荷札のあのことづてに、作者マイケル・ボンド氏の体験した忘れられない悲しい思い出がこめられていたとは … 。

 子グマのパディントンはご存知のように、ロンドンのパディントン駅構内で例の荷札を首からぶら下げて佇んでいたところをブラウンさんの奥さんに拾われ、ブラウンさん家に「居候」することになり、そこでさまざまな騒動を繰り広げる … という筋立ての物語。ペルーの「老グマ園」にいるルーシーおばさんに送り出されて「密航」して英国までやってきたとき、パディントンの命を文字どおりつないだのがあの大好物のマーマレード。今年 86 歳になられるボンド氏にとって、あれは少年期の忘れられない光景が下敷きになっている。当時、ロンドン大空襲から疎開してきた子どもたちが、パディントンとおんなじように名前と住所が書かれた紙札を首から下げて、大切なものをいっぱいに詰めこんだ鞄を持っておおぜい佇んでいた … と言います。そうなのか、あの出だしにはそんな原体験が投影されていたとは … 「殺し合いから逃れてきた人々を見るのはいたたまれませんでした」。ボンド氏の両親も、ナチス・ドイツから逃れてきたユダヤ系の子どもふたりを預かっていたという。はじめてパディントンを見たブラウン夫人が、「クマの首から下がったあの札を見て、同情する。ここが、重要なんです」。

 'PLEASE LOOK AFTER THIS BEAR Thank you.'

この一文にこめられた原作者の深い深い「思い」が、ようやくわかったように感じたのだった。

 それにしてもボンド氏はお元気だ。きっと奥様手作りのマーマレードのおかげなんだろう。『くまのパディントン』シリーズもなんと 55 年目 ! だそうで、たいへんなロングセラーだ。そしてなんと、番組が放映された昨年暮れも、ボンド氏はパディントンの最新作を 7 か月かけて執筆していた ! 執筆シーンも見ましたが、昔タイプライター、そしていまは Macbook と iMac が執筆道具なのですね !! 最新作って邦訳が出るのかどうか知りませんけれども、これはぜひ原本で読んでみなければ。『くまのパディントン』シリーズは、なんと全世界で 30 か国語以上もの翻訳が刊行されているという。ボンド氏いわく、「いまの世の中は急激に変化しています。パディントンは変わらないからいいのです。居場所もあるし、自由です。読者はそんなところに憧れを抱くのでしょう」。これを聞いて頭に浮かんだのは、サザエさん一家。あれだって変わらないから、いいんですよね。パディントンとよく似ている。ちなみにパディントンは典型的な英国紳士だと思う。まず彼は、自分のことを子どもだと思っていないふしがある。言葉遣いもいいし礼儀正しい。よれよれの帽子に、ダッフルコート。この微妙なアンバランス ( 正確には、インバランス ) さが受けたのかもしれない。'trick cyclist' なる俗語も、くまのパディントンから教わった ( 意味は「精神科医」、つまりアタマを診るお医者さん ) 。もちろんパディントンは真に受けて、「はやく自転車曲乗りを見せてください ! 」とせっつく ( 笑 ) 。こういうすっとぼけた英国流ユーモアがこのシリーズの特徴でもある。

 料理ものにはとんと疎いワタシは、英国「伝統」のマーマレードというのが苦いセビルオレンジが原料だということも知らなかった ( そういえばきのう、NHK-FM で MET によるロッシーニの「セビリアの理髪師」がオンエアされていたけれど ) 。セビリア ( 厳密に表記すればセビーリャか、セビージャ ) … とくると、『語源論』の聖イシドール ( イシドルス ) 。 アイルランド人修道士はこれをせっせとラテン語訳した。そして、パディントンの命をつないだマーマレードの原料セビルオレンジの原産地であるそのセビリアに、この前ハイドン作品の実演に接して感動した、鎌倉のグロリア少年合唱団が公演を行う、というわけなんですね。

 … しかしあの「ゆずのマーマレード」っておいしそうだな。柑橘系のワインとか西伊豆でも観光用に売り出しているけれど、「ゆずのマーマレード」ってあったかな ?? 

posted by Curragh at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など

2012年03月11日

Unsettling of Japan ??

1). あの日から今日で一年 … になりました。

 わたしはあのとき ( 金曜日 ) 、たまたま非番の日だったので、「英国王のスピーチ」という映画を観に行っていた。ベートーヴェンの「7 番」やモーツァルト、チャイコフスキーなどのクラシックの名曲が効果的に使われたすばらしい映画でしたが … 帰宅してやや遅いランチを食べた直後、ちょうど「気まクラ」の再放送のときに「緊急地震警報」がけたたましく鳴り響き、あの恐ろしく長い地震動がはじまった。

 わたしはボランティアにも行ってないし、奥尻のとき ( 1993年7月の「北海道南西沖地震」 ) ほど義援金を寄付したわけでもないけれど、ここ数か月の動きを見ているとどうもヘンだと感じてしまう。Something is wrong!

 たとえばいまごろ、という感じで恐縮だが大量の「がれき」処理問題。これは、その件の報道でなんだか全国区みたいになった島田市にかぎらない。いろいろ手続き上の問題とかあるにせよ、「広域処理がないかぎり先へ進めない」被災自治体の苦しみが、どうしておなじ国の国民なのにわかろうとしないのか。島田市長が処理を決めたがれきというのは、べつに爆発した原発のすぐ近くとか、警戒区域とかそんなところじゃない。はるか北、岩手県山田町と大槌町の分で、ほとんどが木材。それなのに、焼却場や最終処分場のある地元自治会だかの関係者を現地にまで連れて行ったりしたあげく、ようやくその人たちも事の重大さに納得 ( ? ) したのか、ここにきて正式受け入れの運びになってきた。それはたいへん喜ばしいことだけれども、どっかの政府与党同様、決定に時間がかかりすぎる。もっともこれにはなんだか素性のよくわからん市民団体だかが声高に受け入れ反対の声をあげていた事情もあったようですが … 自分の見たかぎり、地元紙報道にはあんまりその「県外の市民団体」なるものについて報道はなかったと思う ( そのへんどうなってるの ? > 地元紙殿 ) 。また地元紙の「読者投稿欄」には当初、受け入れ消極派の意見が多かったけれども、ここにきてやおら「受け入れすべし」派が多くなった。… はやく自分の住むところもできる範囲内でいいから、受け入れてもらいたいところです。風評被害 ? そういうこと言う人の気が知れない。被災地がたとえば首都の東京だったらどうでしょうか。強引にでも復興を進めるんじゃないですかね。想像力があまりにも欠如しているのではないですか

 放射線 … については、そりゃたしかに怖いですよ。でもがれきは数十万もする正式な検査機材使って計測しているんだし ( 前にも書いたが、素人計測はあんまり当てにはならない。あくまで参考ていど ) 、いつだったか問題視されたダイオキシンのほうがよっぽど体に悪いですよ。当事者の東電は当初、第一原発から「撤退」しようとして、それを知った米国の政府高官がびっくり仰天していたらしいけれども、東電と同様まるで当事者意識のない政府もそうだが、みなさんはやくも「国難」意識が風化しはじめたのでしょうか ? これでは被災地はたまらない、と思う。*

 もちろんそんなことはない … と信じたい。きのう見た NHK の特番では、その大槌町の「地場産品復興プロジェクト」のことが放映されていて、すなおに感動した。個人と個人とを結ぶ IT テクノロジーの使い方のすばらしい例、と言えるかもしれない。なによりも心動かされたのは、「お返しの新巻鮭はいつでもいいから、この活動をつづけてほしい」という応援メッセージの数々。銚子電鉄の「ぬれ煎餅」じゃないけれど、こういう支援のしかたって 10 数年前まで考えられなかったこと。

2). … 政府の原発および震災対応、そして弛緩しきった国会審議のていたらくぶりを見せつけられてはいるものの、さりとて政治家だけ、縦割りお役所組織だけを批判するのは木を見て森を見ず、かもしれない。卑見では、こういう窮状に陥ったのは、ひとつには既得権益組織の力が大きすぎていたことにもあるように思う。以前から感じていたのですが、「組織票」というやつですね。農協の組織票とか、労組の組織票とか。そういう一部の人の利益を代表する候補ばかり、あるいは「後援会組織」に支えられた「世襲」議員とか、そんな代議士が多く当選することが常態化してしまったことに原因のひとつがあるように感じる。それゆえ長らくつづいた自民党政権時代のように、「擬似政権交代内閣」がえんえんと繰り返されてきたのではないかな。個人の一票などではとうてい政治の風向きなんて変えられないし、あるいはだれがなったっておんなじさ、というアンニュイな倦怠感が一般の有権者に蔓延して、あるいはただたんに投票に行くのがめんどくさくて投票率がいっこうに上向かない、この繰り返しで国民全体が一種の思考停止状態、エゴ丸出しのマイホーム主義、てんで勝手なことし放題で気がついたらとんでもないことになっていた、という気がしてしようがない。

 将来を担う子どもたちのことを考えると、震災と大津波だけでも「もうたくさんだ」と思うし、原発事故については完全に人災でやはり申し訳ない、とは感じるけれども、かつて幸田文が『崩れ』で有珠山噴火について書いていたように、子どもたちにはこれをバネに飛翔するだけの強靭な精神力がある、と信じたい。被災した若い人たちには、「地元の役に立つ人間になりたい」とか、じつに頼もしい決意を述べられる人が多いというのもまた事実。意識の風化 … なんてとんでもない。「国難」は、まだ終わっていません。

 また今回の震災で痛感したのは、やはり自然は予測がつかないもの、ということ。高橋ジョージさんだったか、「ヘルメットをかぶって床に就く」くらいでなきゃダメかと。そこまで徹底していなくても、つねに意識しているだけでもちがうかと思う。あんまりそんなことばかり考えていたら、神経症になってしまうが。それと以前、名優高倉健さんが「宝物」として持っていたというあの「水を運ぶ少年」の近況もこの記事で知りました。

 せんだって見た「こころの時代」に出ていた哲学者の梅原猛氏ではないけれど、予測のつかない自然を制御する、というのがデカルト以降の西洋流思考法、とはときおり聞く言説ではあります。で、梅原先生は向こうのエコロジストにはそういう思想ないし西洋文明を面と向かって批判する人がいない、とかそんな旨を発言されていた。でもよくよく見てみるとエコロジー派の人でそんなこと言っている人はたしかにあまりいないかもしれないが、たとえばアーミッシュのように昔の「山川草木」を愛した日本人顔負けの暮らしを実践しつづけている共同体もないわけではない、数は少ないけれど。また、昨年読んでいい意味で衝撃を受けたウェンデル・ベリーの The Unsettling of America という古いエッセイには、ある意味こんにちのわれわれの苦境を予言したかのようなひじょうに興味深い一章がある。

 「エネルギーの使用について」と題されたその章では、ベリーが尊敬する英国の植物学者サー・アルバート・ハワード卿 ( 1873 - 1947 ) の言う「生命の輪」を引き合いに出して、米国で主流の大規模アグリビジネスによる農業は化石燃料を大量消費する「機械化」によって、利益と引き換えに深刻な破壊と汚染のみならず、食糧生産の根幹である「自然の循環」による微妙なバランスの破壊をも前提として成り立っている、と書いている。ここでベリーは農業で使うエネルギーを「生物的エネルギー」と「機械的エネルギー」とに分けて定義してまして、「機械的エネルギー」の「歯止めなき使用」をとくに問題視している。

  ―― エネルギー危機は、つまるところたったひとつの質問に要約される。技術的には可能だが、あえてそれをせずにいられるか ?  ( p.95 )

ここでもまた、「足るを知る」という日本の昔ながらの知恵に行き着いている。日本人のなかにはまさに宮沢賢治のような、あるいはベリーのような「アグラリアン」的生活を実践している人もいるとは思うが、その他おおぜいの人は ―― 宗教学者の Y 先生が言うような ―― 西洋文明、もしくは西洋のものの考え方、たとえば行き過ぎた個人主義といったものにどっぷりと浸かって数十年過ごしてきたのではあるまいか。そんな生活をほとんど無批判でつづけてきたわれわれが、これだから西洋文明的思考ではダメだ、とはとても言えまい。原発はどうですか。あれはまさしく西洋文明の申し子ですよね ? ご高説もっともながら、やはり足許から、できることから見直すことからはじめなくては、「隗よりはじめよ」でなくてはいかんと思うのです。そういえば故阿久悠さんが、「日本人は自家用車を持ちはじめてから、傲慢になった」ってなにかの本に書いているって聞きました。それは一理あるかも、と思いました。

3). 最後にやっぱり音楽について。いまさっき E テレにて放映していた仙台フィルを取り上げた番組、そして昨晩、NHK 総合で放映していた新日本フィルハーモニーの「震災当日のマーラー 5 番」公演の番組を見ますと、やっぱり勇気づけられます。音楽の持つ力だって、りっぱなエネルギーですよ。人の精神を元気づける、というエネルギーです。ことばはアタマで理解してから呑みこむものですが、ことばを超越した言語である音楽は、直接、聴く者の心に響く。とはいえことばから得られる癒しだってすばらしいパワーがあるし、精神的なエネルギーを持っています。そのことばというのはもちろん人それぞれですが、震災以降、このベリーの本もそうでしたが、やはり比較神話学者キャンベルのことばは深く深く胸に響くものがありました … 音楽と同様、自分にとって、ある意味「生きるよすが」だったかもしれない。

 震災と津波で亡くなられた方のご冥福をあらためてお祈りします。

* ... 以下、地元紙読者投稿欄からの引用。

 ―― 昨今のニュースを見ながら残念に思うのは、がれき受け入れ反対の動きです。山田町は私が住む宮古市の隣町ですが、中心部のほとんどが壊滅し、やっとがれきの処理が始まったばかりです。がれき処理が進まないと、町の復旧すらできない状況です。
 山田町は、福島から遠く離れています。直線距離で見ると島田市と大して違いはないと思います。また、放射線量が高いわけでもありません。津波被害で発生したがれきは全て汚染されているかのような受け入れ反対運動は、被災地としてはただただ悲しくなるばかりです。―― 岩手県にお住まいの会社員の方の投稿から。

 ―― 想像以上にたくさんのがれきは復興の大きな妨げになっている。その大きな壁を誰が壊すのか ? それは私たちだ。静岡県にとって地震というのは人ごとではないはず。… 私は暖かい静岡が大好きだ。だからこそ、どうか受け入れてほしい。日本の未来のために。被災地で寒さに震えている多くの人たちの笑顔のために。―― 静岡市清水区在住の女子高校生の投稿から。

posted by Curragh at 23:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の雑感など