2006年12月30日

decencyということ

 今年も早いものであっというまに大晦日。年末に入って個人的には残念な事柄があったとはいえ、病気も怪我も事故もなくて、その点ではよい一年であったように思います。

 今月は散財がちょっと過ぎたみたいで…ひと月に買ったCDが6枚というのは…いくらなんでも多すぎですね…反省…(うち一枚は贈り物用)。

 今年を象徴する漢字一文字がいつものように京都・清水寺の管主(かんす)が揮毫している場面をTVで見ましたが、今年は「」。毎年、日本漢字能力検定協会が「今年の漢字」を公募してもっとも多かった漢字一文字を揮毫してもらう行事ですが、今年はことあるごとにこのことばのもつ意味を考えさせられました。

 かつてシュヴァイツァー博士は退廃した文明世界を救うには崇高な理想の復活こそ急務と考え、その最高の理想を「生命への畏敬」ということばで表現した。以前ヴァイオリニストの五嶋龍くんがインタヴューかなにかで、学校でシュヴァイツァー博士のことを学んだ、とこたえていたのを読んだことがあり、そのときふと思ったのが、いまの日本の小中学校ではシュヴァイツァー博士のことを学ぶ機会は果たしてあるのだろうかということ。いまほど博士の「生命への畏敬」の理念が必要とされる時代もないのではないか。そればかりかこの国では教科としての「歴史(日本史・世界史)」まで受験教科優先とか言ってないがしろにしているくらいですし、それがバレたらバレたで子どもたちに命の重みを教えるべき立場の人まで命を粗末にするしまつ…というのは、やはりどこかがおかしいと言わざるを得ない。

 …最近、武士道とか、武士をテーマにした映画とかがけっこう受けていますね。これは昨今とみにはびこっている感ありの拝金主義と無関係ではないでしょう…「武士は食わねど高楊枝」という諺もある。『国家の品格』という新書本がベストセラーになってますが、それで思い出すのがノーベル文学賞を受けたかの大江健三郎さんの書いたことです…ジョージ・オーウェルについての評論とカート・ヴォネガットのエッセイに出てくるdecencyという単語。大江さん自身、「当の言葉に適切な訳語をあたええていない」と率直に認められているこのdecencyこそ、昔の日本人には当然のごとくそなわっていた美徳ないし良心であって、いまの日本ではとうに失われてしまっているものではないかとつねづね思っていたので、さきの新書(じっさいには著者の書き下ろしではなく講演集にすぎず、書名は編集者がつけたもの)が売れている、という話を目にしたとき、真っ先に大江さんの言っていたこのdecencyという英語を思い出した。大江さんのほうはどちらかというとこの語にたいする適切な訳語とはについてでしたが、それ以来、たびたびこの単語が脳裏をかすめてきた。もっとも自分もうっかり口をすべらせたり、失礼な振る舞いを――あまのじゃくな人間なので――してしまう場面が多々ありますが、しかしたとえばいい歳して「金もうけ、そんなに悪いことですか?」なんて平然と言ってのけるようなことはけっしてない。すくなくともそれくらいのdecencyはわきまえている自信はありますよ。

 …新聞を見ても暗澹とした気分にさせられる報道がほんと多すぎるのですが、そんななかでたまに感動するニュースとか記事とか見つけるとほんとうにほっとします…。たとえばこちら5 oceans という、ヨット単独世界一周を競うレースがあります。「世界一過酷な外洋レース」とも言われるこのレースに参加している冒険家・白石康次郎さんと西伊豆町・仁科小学校の児童が衛星回線を通じて交信した、という先月の地元紙の記事。白石さんは西伊豆とは縁が深くて、1993年、松崎港から単独無寄港世界一周を成し遂げたすごい方(しかも当時の最年少記録まで更新!)。で、そんなつながりもあって、このような形で「実況授業」第一回目を仁科小学校でおこなった、というわけです。これはすばらしい試みですね。最先端の情報技術によっていまやどこに住んでいてもわりとかんたんに連絡がとれるようになり、またblogなどで個人が気軽に情報発信したり意見表明ができる時代。仁科小の子どもたちもこんなまたとないチャンスに恵まれて、きっと大きな夢と生きる勇気をもらったことでしょう。こういう形でならIT技術をどんどん活かしてほしいものです(関係ないけれど、児童が集まっている教室は音楽室ですな。バッハの肖像画が見える)。

 …それといまひとつ印象に残ったのが静岡市の「歩き煙草禁止条例」。東京の千代田区などはもうとっくで、「なんだ静岡はまだだったの?」なんて声も聞こえてきそうですが、じつはこれを昨年、市議会に誓願したのは当時中一の少年。この子は喘息持ちで、小学生のときにレストランで食事中、ほかのお客の吸う煙草の煙ではげしい発作を起こした。それ以来、煙草の受動喫煙のおよぼす健康被害について地道に調べあげ、その調査結果を根拠に「歩き煙草をぜひ禁止して」と誓願したものです。誓願は晴れて認められまして静岡市では特定の街区にかぎってこの10月から歩き煙草が全面的に禁止されました(欲を言えばJR静岡駅周辺の商店街はまるごと禁止したほうがもっとよかった)。で、きのうの地元紙朝刊の読者投稿欄を見ますとなんと請願者本人の投稿が。この条例制定にむけて支えてくれた周りの人々にたいする感謝のことばが綴られていて、胸打たれました。

 …というわけで、静岡市にお出かけの際はぜひ条例理解と協力を! とわたしからもお願いします。m(_ _)m



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2006年12月18日

「星の王子さま こころの旅」

 …を、いまさっき見ました(BShiで放映した番組の短縮版らしい)。で、ひとつ思ったのが、箱根の「星の王子さまミュージアム」で見た、『星の王子さま』をサン-テグジュペリが執筆した部屋がちがっていた、ということ。箱根に再現されているのは当時米国で亡命生活を送っていたサン-テックスが滞在していたという、ニューヨークのアパートの居室だったんですが、最終的に作品を完成させたのは現在「星の王子さまの家」と呼ばれているニューヨーク市郊外のコテージの書斎だったみたいです…こっちのほうが窓から見る景色もすばらしくて、作者がもっとも幸福だった少年時代に住んでいた南仏サン-モーリス・ド・レマンス城あたりの景色ともどことなく似ています…妻のコンスエロは、書き上げた『星の王子さま』とともに、夫の生還を願っていたんですね。

 アニメーションの王子さまは原作の淡い色彩とはまるでちがう、ずいぶんカラフルで派手な色使いでしたが、『星の王子さま』のストーリーに沿う形で番組が進行するので、原作を知らない人にもとっつきやすかったんじゃないかなとは思いました…自分にとっては少々くどい気はしたけれども…。それと「なじみになる」というキツネの科白。岩波版では「飼いならされる」という訳語を当てていましたが、こちらのほうがしっくりきますね。どこの版だか忘れたけれども、「なじみになる」という表現を使っていた訳書があるから、番組ではそちらも参考にしてアニメ版を作ったのかな(→こちらのサイトにそのへんの事情がくわしく分析されています)。

 …番組を見て、6年前に発見された妻との往復書簡類のことは知っていたけれども、1998年に地中海から引き揚げられた銀のブレスレッドのことは知らなかった。二度の世界大戦にはさまれた時代を文字どおり駆け抜けるように飛び去っていったサン-テックスがいまの世界を見たら…なんと言うのだろうか。

 ↓は、箱根のミュージアムで撮った写真から。

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正門前のB612広場。


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サン-テックス展示ホール前の「王さま通り」。

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展示ホール出口付近。

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映像ホール前の広場にたたずむ王子さま。

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2006年11月06日

箱根・星の王子さまミュージアム

 …に、連休最終日に行ってきました(→公式サイト)。

 今年は名作『星の王子さま』仏語版初版が作者の故国フランス・ガリマール社から発行されて60年の節目の年、故国でもいろいろ催し物が開かれたりしているようですが、箱根に『星の王子さま』を中心に、サン-テグジュペリについて学べるミュージアムがあるということを半年ほど前に知り(ここにも書きましたね)、せっかくだから近いうちに行こうと考えてました。箱根湯本駅からバスで20分ほど、仙石原地区にあります。

 当日、ときおり陽が射しこんだりはしたものの、箱根のカルデラの中、ということもあってか曇り気味で、肌寒い陽気。紅葉…もぜんぜんまだ。園内の建物は作者にちなんで、生まれ育った城館(!、サン-テグジュペリは貴族出身)や肌色の壁に代赭色(たいしゃいろ)の瓦といった20世紀初頭南仏風で、けっこう手のこんだ造り…入り口受け付けから一歩、足を踏み入れるとせまい路地裏みたいな空間に出るので一気にサン-テグジュペリの生きた当時のフランスへタイムスリップしたかのようで、それだけでも楽しめました…園内にはカエデやミズナラなど紅葉する樹も多くあったけれどもほとんどがまだ緑色。これらの落葉樹がいっせいに紅葉したら、南仏風の建物といい、さらに美しい景色になるだろうなとカメラをかまえながら思いました。

 しばらく道なりに進むとサン-テグジュペリの生涯が追体験できる展示ホールの入り口。展示室は階上でして、玄関から古びた木製の階段を上がってゆくんですが、玄関も階段も生家にあるものとそっくりに作ってあるという念の入れよう。踊り場つきの階段を上りきると、作者の子ども時代から、ゆかりの貴重な品々とともに追体験できるようになってました…解説もわかりやすくて、とても勉強になる。作者が子供のころ過ごした寝室とか、アルゼンチンで郵便飛行機会社の現地支配人として働いていたころの事務所とか、当時の郵便飛行機の中とか、『星の王子さま』を執筆したニューヨークの部屋とかが忠実に再現してあり、じつによくできている。こまかいところの演出もまた巧みでして、アルゼンチンの事務所のコーナーではモールス信号が、ニューヨーク亡命時代のコーナーではサン-テグジュペリ本人の肉声が聞けたり…また展示室の造りも時代に合わせて郵便飛行機内風、パリのサン・ジェルマン通り風、モロッコの砂漠風、また作者が路線飛行士時代に過ごしていた定宿の部屋のドアなんかも復元されてさりげなく配置されていたりと、どこをとっても手を抜いていない造りなので、こういう面でも感心してしまった。

 …いままで断片的にしか知らなかったサン-テグジュペリの生涯をこうして文字どおり追体験できたのは大いなる収穫でしたが、あらためて見てみると、飛行機が誕生して間もないころの飛行気乗りとしても型破りのとんでもない飛行気乗りにして、それをすぐれた文学作品としてものせたすごい作家だということを強く感じました…飛行機を操縦することと文筆活動は彼にとってひとつだったんでしょう。そしてやっぱり、当時の苛烈な時代背景もまた感じないわけにはいかなかった。文豪アンドレ・ジッドともつきあいがあったようで、『夜間飛行』にはみずから「書かせてくれ」と言ったという序文の邦訳も紹介されていました…。「人間の愚かな面をえぐり、それを糾す文学と言うのはたくさんあるけれど、サン-テグジュペリのように、人間の負の側面を認識したうえで、『さらにそれを超えたもの』を追求した文学と言うのはめったにお目にかかれない」というような趣旨のことばだったのですが…これって現代文学にもじゅうぶん通用する警句ではないか、と思いました。日本の文学賞を見ても、なんか「軽薄短小」で視野の狭い、「小粒な」作品ばかりじゃないでしょうか。時代性というのもあるかもしれないが、もっと「深み」のある、「精神性の高い文学」というのはもはや皆無ではないかという気さえします。100年後も古典として残る作品がいったいどれくらいあるのか…すくなくともサン-テグジュペリの生きていた時代のほうが、和洋問わず長く読みつがれる文学作品が現代より多く生み出されていたような気がする。いまはやたらと出版点数が多いだけで、ほんとうの「良書」というか、古典として残る作品は少ないと思う。

 時代性、というと、サン-テグジュペリの生きた時代はちょうど二度の世界大戦にはさまれた時期。ヒットラー…なんかも当然出てきますが、その時代の展示を見ていると、なんか薄ら寒いというか…9.11後のいまの世界は、いままさにあらたな「戦前」ではないかとの危惧を強く持ってしまった。おんなじようなことは舞台Kamikazeの俳優さんでもと自衛官だった方も地元紙のインタヴューでおんなじことを言っていたけれども…。

 最後のコーナーは、仲のよかった米国人写真家ジョン・フィリップスが撮影した、サン-テグジュペリ最後の日々をとらえた大判モノクロ写真が所狭しと飾られていました(フィリップス本人の写真には、ローライフレックスが写っていて、これでサン-テグジュペリを撮影したらしい)。また『星の王子さま』原稿の下書きらしいものも数点展示されていました。原文が読めないので、せめておおまかな説明文くらいはほしいかなと思ったが。作者の貴重な書簡類も各時代ごとにたくさん展示されていて、一部にはすでに「小惑星B612の王子さま」を思わせるスケッチもあって、おおいに興味を惹かれました。「王子さま」のモデルのスケッチを見るかぎり、すくなくとも1930年代の終わりにはすでに作者の頭の中にこの少年は棲みついていたらしい。

 いまひとつ感じたのは、サン-テグジュペリがいなかったら、飛行機の黎明時代に活躍した名もなき飛行士たち、とくに「郵便飛行士」たちの活躍が、ろくに記録もされずに忘却のかなたへと葬り去られてしまっただろう、ということ。以前ベリル・マーカムという女性(!)パイロットの自伝(West with the night邦訳『夜とともに西へ』角川文庫刊)を読んだことがありますが、共通して言えるのは、当時の飛行機乗りのすごさ、偉大さ。当時、飛行機を操るというのはほんと命懸けで至難の技、かぎられた人のみが空を飛べた時代。いまははるかに巨大なジェット機でひとっ飛びする人がおおぜいいるけれども、飛行機のことなんかまるで知らなくてもかまわない。操縦は人任せ、乗客は寝ているあいだに目的地に着いてしまう。このへん、やはりおなじく名もなき「船乗り修道士」たちの活躍した時代というのを寓意的に記録した『聖ブレンダンの航海』ともどこか通じるものがある。

 …ここを過ぎるとサン-テグジュペリが最後に搭乗していたP38ライトニングの機体模型が吊り下げられた階段ホール。ゆく手の壁に短い映像が映し出され、ここで作者の生涯を追体験する展示が終わり、こんどは『星の王子さま』の世界の幻想的な展示がはじまる。おなじみのキャラクターがけっこう大きな立体模型で再現されてました…ここで個人的に新しい発見が。「大切なことは目には見えない」ことを王子さまに教えたあのキツネ、じつはサハラ砂漠あたりに生息する*「フェネックギツネ」がモデルらしい…作者自身、モロッコ赴任時代にフェネックを一匹飼っていたそうで…どうりであのキツネ、異様に耳が長いんだと納得。

 『星の王子さま』の世界が終わると、最後が各国語訳版『星の王子さま』本のオンパレード! 個人的にはこれがひじょうにおもしろくて、ほかの入園者がさっさと通過するなか、ひとり目を丸くして見入ってしまった。たとえばドイツ語版、といってもシュヴァーベン語版、ケルン語版などじつに多種多様。「ルクセンブルク語版」、「ラディン語版」、「フリウリ語版」など、これまためったにお目にかからないマイナーな現地語訳版まで用意されていて、この作品の人気の高さが知れようと言うもの(ほかに現物が展示されていたのはオランダ・リンブルク方言版、ルーマニア語版、ギリシャ語版、南チロル方言版、東スペイン・アラゴン方言版に北スペイン・アストリア方言版、デンマーク語版、スロヴェニア語版、チェコ語版、ハングル版、クメール語版、ヒンディー語版、それになんとラテン語版[!]まであった)。もちろんアイルランドゲール語版もあるし、現物こそなかったけれども「フェロー語版」もある。アラビア語版やウルドゥー語版にトルコ語版、さらには人工言語「エスペラント」版まで(読める人いるんかいな…??)! よりどりみどりの感あり(スコットランドゲール語版とウェールズ語版は現物展示なし)。

 ちなみに各国語版のタイトルについて。アイルランドゲール語版ではAn Prionsa Beag、ドイツ・シュヴァーベン語版ではDr Kleine Prinz、オック語(ラングドック)版ではLo Princilhon、プロヴァンス語版ではLou Pichot Prince、ルクセンブルク語版ではDe Klenge Prënzとなってました…とてもじゃないけどぜんぶはメモれない…(←必死にメモっていた自分。→各国語版にかんするサイト)。

 薄暗い館内から外に出ると、明るい日差しが射しこんで、いい気分。しばし休憩。庭園の奥、「ウワバミの小径」の突き当たりにちいさなチャペルが。サン-テグジュペリが少年時代を過ごした城館敷地内にあるチャペルのレプリカらしい。ここもちょっとした広場になっていて、「王子さま」の像も立ってました。カフェなんかもあるんですが、建物はもちろん作者行きつけのカフェのレプリカ。アールグレイをいただいた。広場に面して映像ホールという施設もあったので、たまたま上映がはじまるところだったので見たりしました。サン-テグジュペリの生涯と『星の王子さま』を追ったドキュメンタリーで、なんとレオン・ヴェルトの息子クロードさん(子どものころサン-テグジュペリによく遊んでもらったらしい)まで登場してました。ちなみにナレーターはなぜか竹内海南江さん…TBSつながりからか(ここっていつからTBS系列になったんだろ…)?? 映像ホールの造りは砂漠の洞窟風でして、そこの手前にある「プレルーム」はパリの劇場ロビー風、王子さまが渡り鳥とともに旅立つ場面の天井画まで描かれてあり、ほんと凝った造り。

 『星の王子さま』つながりでは、「王子」のモデルはひょっとしたら作者が聖ヨハネ学院寄宿生だった17歳のとき、喘息のため15歳で早世した弟フランソワだったかも…とふと思いました。サン-テグジュペリ本人が撮影した、フランソワの亡骸の写真にはやはり心が痛みます。もっとも王子さまのモデルは、子どもだったころの作者本人…かもしれないけれど(くせ毛の金髪なんかはそっくり)。

 映像ホールを出ると中庭風の庭園。向かい側にレストランとグッズショップ。ショップに入ってみると、でかいのから小さいのまで王子さまのぬいぐるみがいっぱい、象を呑みこんだウワバミやらキツネやらもいっぱい(笑)。変わったところでは、南仏産ポプリの詰め合わせや蜂蜜、マルセイユ名物の石鹸なんてものまでありました…原作本の邦訳本にその他関連本もいろいろ売ってましたが、「アカデミー・フランセーズ小説大賞」受賞作の『人間の土地』という本の邦訳を買ってみました…それと来年のカレンダー兼手帳も(笑)。それから英光社から出ている『星の王子さま』のもともとの英訳本(というかこちらがもともとの初版)も。

 いちおう子ども向けに書かれた作品の主人公にちなんだ施設ゆえ、ちいさなお子さん連れも当然多かったけれども、サン-テグジュペリという稀有な作家について学べるすばらしい施設なので、『星の王子さま』ファンのみならず一見の価値はあると思います…入園料1,500円はちとお高いけれども。

 帰りはバスを乗り継ぎ強羅駅から元箱根港、そして芦ノ湖の夕景を眺めながら三島へ。強羅駅→元箱根港のバス接続が悪くて、ずいぶん時間がかかってしまった。箱根峠を下るころにはすっかり日も暮れて、三島や田方平野の夜景が眼下に広がるなか、東の空には美しい満月が昇ってました。

 帰宅して英訳本をパラパラ繰ってみると、巻末に映画版の写真なんかが掲載されていましたが…びっくりしたのは次ページのCD朗読劇版の宣伝でして、王子さま役がなんとなんとかのマーク・レスター!!! しかも飛行士役が父親、キツネと蛇役が母親、バラの花が妹!! 一家総出演の豪華版!! …こんなの出してたんだ…すごすぎです(笑)

*…フェネックギツネについてすこしだけ。どんなキツネかはこちらで。3月ごろだったか、たまたま「子ぎつねヘレン」宣伝番組で、主役の深澤嵐くんが池袋のサンシャイン国際水族館で本物のフェネックギツネを抱っこさせてもらった映像を見ました…このキツネ、体はちいさいくせに耳が異様に長くて大きいのが特徴なんですが、深澤くんもさすがにびっくりしたのか、「耳がでかい…」とつぶやいてました。かくいう自分も動く映像ははじめて見たので、けっこうおもしろかった。ついでにキツネもタヌキもともにイヌ科の動物です。

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2006年07月04日

悲喜こもごも

 まずは残念なお知らせから。

  • マクマナーズくん来日中止! さっそくAmazonの日本サイトからも「国内盤予約受け付け中! 買ってね!」みたいな案内メールまでいただいて、期待していたのに…こちらとあちらの調整がうまくいかなかったんなら、それはそれでしかたないか。韓国へ行く、という話はどうなったんだろ? …いずれにしろ七夕には「歌う王子さま」は降臨されなかった…ということになるみたい(いろいろWeb上の情報を見てますと、どうしても「星の王子さま」のイメージで語られてしまうようですね。歌声は年末年始にかけてさんざClassic FMのネットラジオで流れていたので聴いてましたが、高音のノビぐあいなんか、ほんと気持ちよさそうに歌ってますね。そしてこちらもおもしろそう)。

  • レオンハルト氏が病気療養中?! こちらにもびっくりしました…先週、招聘元サイトをたまたまのぞいたら、

    グスタフ・レオンハルト来日公演中止(来年以降に延期の可能性)およびムジカ・アンティクヮ・ケルン、アリオン・バロック・オーケストラの前売開始日変更のお知らせ
    グスタフ・レオンハルト氏が病気療養のため、10月の来日公演は中止となりました。延期となる可能性がございますので、決まり次第、当ホームページにて発表させていただきます。

    とあったので驚きました…いろいろ調べてもそれ以上のことはなにもわからず…とにかく来年、また元気な姿で来日されることを祈るのみ。1996年の芸劇でのオルガン、2004年の静岡公演でのチェンバロはすばらしかった。今年も行こうかなと思っていたところだったので、残念。

  • こんどは個人的に喜ばしい(?)ニュース。あのKV.63、なんとツタンカーメン王の母キヤの墓だった??!!。でもハワス博士のサイトにもKV.63公式サイトにもそのことについてはなにも新しい情報は見当たらず…。もう少し経てばなにか掲載されるかな。

  • タンガロア号、航海開始から60日が経過、順調に航海中!! 
    …ひさしぶりに公式blogを見たら、リマを出航してからサメに遭遇したり、時化にあったり、細かい部分が壊れたりはしたけれども航海事態はいたって順調、こちらのページで筏の現在位置を確認すると、あともうすこしで目的地のタヒチ! という海域まで進んでいました。危険な環礁水域ですが、このぶんだと来月には到着しそうです(おじいさんのときは、筏がラロイア環礁で座礁)。そういえばさっきTVで加山雄三さんが、南太平洋での真夜中の航海が忘れられないと言ってました。海のど真ん中だから当然真っ暗、油を流したようなベタ凪、空にはそれこそ「5億の鈴」のごとき満天の星、それが凪いだ海面にも映し出されてさながら星の海、宇宙のただなかを航海しているようなすごい光景だったそうで、クルー全員涙を流して感動した、とおっしゃってました。海はたしかに危険だけれど、陸(おか)ではけっしてこんなすごい体験はできませんね(ちなみに加山さんの愛艇は西伊豆・安良里港に係留してあります)。

 …そしてテュークスベリー・アビイ少年聖歌隊。チェルトナムのDean Close Preparatory Schoolというところが、Tewkesbury Abbey Schola Cantorum at Dean Close Preparatory School, Cheltenham と改名して、9月から正式に聖歌隊を引き継ぐことになったそうです。こちらもよかった(ラテン語とギリシャ語のできる英国人VoAメンバーは、どうせならSchola Cantorum Decani とラテン語で統一すればいいのにと言ってたけれども…このさいどうでもいいか)。
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2006年04月09日

上手の手から水

 日曜の午後2時前、こちらの番組を見ていました…すでにヨセで、白番石田九段、6目半のコミを入れても届かず、黒番中野九段の勝ちは確実かと思っていたら…あらら…まさかの大失着、バタバタバタと黒石が死んでしまって白番の逆転中押し勝ちに。解説の小林九段も「なんで?!」を連発。打った中野九段も、自身のとんでもない失着に気づいたものの時すでに遅しで、苦笑いを浮かべてさっと一礼…素人同然の自分でもわかる見損じで、百戦錬磨の手練でもこんなことがあるんだなーと思いました。

 来週は期待の十代、井山裕太七段が登場、とあっては見ない手はない…井山七段は「こども囲碁名人戦」時代からずば抜けた力量をいかんなく発揮して、昨年も全日本早碁オープン戦決勝で史上最年少優勝して段位も4段から一気に7段へと飛び級昇進した、文字通り日本囲碁界の期待の星なので、ぜひがんばっていただきたいと思います。

 話変わりまして…きのう、本屋に立ち寄ったらこの雑誌が目に留まり…昨年のツタンカーメン王のミイラのCTスキャンを特集した号以来、ひさしぶりに購入。もっとも以前はsubscriberでして、自室には数年間分のストックがありますが、いつだったかたまたま立ち寄った神保町の某大型書店にて、定期購読専用だったはずのこの雑誌がなんの予告もなく、版元の突然の方針転換(?)により陳列されているのを見て唖然…そんなに熱心な読者でもなかったので(pace)、あっさり定期購読を解除して、それ以来ほしい号だけを本屋で買うことにしました。

 地震の記事は、1906年4月18日に発生したサンフランシスコ沖大地震をきっかけに現代の地震学が誕生した経緯を軸に、スマトラ沖の大地震やパキスタン地震など幅広く取り上げてあり、読み応えがありました。「東海地震」や「大震法」まで言及してあり、しかもこちらの施設まで紹介されていました(まだ行ってない…汗)。

 原文を見てないのでなんとも言えませんが、「プレスリップは存在するのか」という副題つきセクション。東海地震発生前に起こるとされる「前兆滑り」現象はほんとうに起こるのか、という趣旨で、非科学的と一蹴する研究者の意見を紹介したあと、


  …東海地震に対する警戒ばかり高まっていることを疑問視する地震学者もいる。6434人の死者を出した阪神・淡路大震災が発生した1995年当時、神戸の市民も行政当局者も、ほとんど誰もが阪神地方で大地震が起きるなどと思っていなかった。地震は他人事、東海や関東で起きる災害だと考えていたのだ。(p.64)

 引用部、周期的に繰り返される海溝境界型(プレート境界型)の大地震と、内陸部の活断層がいきなりもぞもぞやる直下型地震とごっちゃにしている印象あり。もっともそもそも地震に規則性はあるのかということからして、どっかのTVCMの神様とおんなじで、地震学者でもいまだ「わかんない」分野。もっとも予知しやすいといわれたサンアンドレアス断層群のパークフィールド近辺で発生する地震も、けっきょく予測は10年もはずれて2004年に発生、震央も当初予測していた地点より数キロ南へずれていたことから、地震に規則性はなしと結論づける研究者もいます。いっぽうでスマトラ沖大地震では、断層破壊が南へ南へ順繰りにつづいたことから「明らかな規則性があり、予知は可能」と主張する研究者もいます。「東海」はどうなのか…直前でも予知できればそれこそ「減災」につながるのでそうであってほしいとは思いますが(とはいえつぎの関東地震との関連性もわかっていない。いったいどちらが先なのか? このへんの説明もほしいところ)。

 それともうひとつ、ケルト関連記事があったのも購入理由でした…こちらもアイルランド、ウェールズ、ブルターニュ、スペイン・ガリシア地方など、幅広く取材して楽しい読み物になっています…「ケルトの聖人は天国に入りきれないほどたくさんいる、というジョークがある」というのは笑ってしまいました…たしかにアイルランドだけでも相当数います…自分もアイルランド人のキリスト教聖人をすべて知っているわけではもちろんないのですが、かりにケルトの全聖人を網羅して、祝日別にまとめたら本一冊だけでは足りないのではないかと思います(アラン諸島イニッシュモアの有名な古代遺跡 Dún Aonghus の美しい航空写真も掲載されてました。日本語版ができてからこの遺跡の写真が掲載されるのはたぶんこれが二度目だろうと思います。こちらのサイトを見ると、縦横に張り巡らされた石灰石の障害物の存在が、アイルランドのケルト人がイベリア半島から渡来した証拠と主張する学者の意見も紹介されています)。

 …しばらく本屋をうろつき、『音楽の友』をちょこっと立ち読み。若手ピアニスト・ランラン(郎朗)くんがライプツィッヒのバッハ・アルヒーフを訪問したときのエピソードも紹介されていました…なんでもバッハ直筆譜をいくつか見せられた郎朗くん、いきなり弾きたくなって(?)、なんとアルヒーフのチェンバロを弾きはじめた…!! はじめは思うようにいかなかったようすだったけれどもだんだん調子が出てきて、「パルティータ第6番」からトッカータ、ゴールトベルク変奏曲を取り混ぜて即興演奏を披露したそうです…聴いてみたかった。

 チェンバロのタッチは独特です…ことばで言うのは難しいのですが、キーを押すと、ジャック先端の爪(プレクトラム)が弦を持ち上げるまでは指にピンと張った弦の抵抗が感じられます…レオンハルトが「鍵盤で弦を感じることができる」と発言したのはこのことだろうと想像します…ところが爪が弦をはじく瞬間、「カクッ」という感じでいきなり力が抜けて音が出る、そんな触感なんです。あれはいきなりだとプロの演奏家でも弾きにくい。ピアニストだとよけい弾きにくかっただろうと思われます。ある意味オルガン以上に弾きにくいかも。

 …チェンバロついでに、いましがた聴いたNHK-FM「現代の音楽」。ポーランドの作曲家による「チェンバロ、オーケストラとテープのための協奏曲」という5楽章構成の作品を聴きました…波の音のようなノイズとかなり分厚い編成のオケつき、いわゆるクラスタ効果に近い箇所もあったりで、チェンバロも負けじとバラバラ音を出しつづけていたのが印象的でしたが、どうもこれ、チェンバロの音をいくぶん増幅してあるらしい…生演奏で聴いたら、おそらくチェンバロの音は聴き取れないんじゃないかと危惧します…実演に接した方ならわかりますが、チェンバロの音はほんとうにか細くて、繊細なのです。

もともとのチェンバロの姿は
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2006年04月03日

医療と音楽

 地元紙夕刊に著名人が交代で寄稿する連載コラムがあります。先日、そのコラムに寄稿された、静岡出身の女優・加藤貴子さんの文章が目にとまりました。

 加藤さんの父親が、余命いくばくもないと診断されたときのこと。医師は治療法なしとして退院するよう言った。加藤さんが検査結果を見せてほしいと頼んだら、なんとこの医師、「素人にそんなこと言われたのははじめてです。見てどうするんですか? 参考までに聞かせてください」とのたもうた。どんな病状なのかくわしい説明もしないくせにこんな暴言を吐いたという。

 手許にある黄ばんだ古いペイパーバック。伊東市沖合で有史以来という海底火山が噴火したころに神保町の洋書屋で買ったもので、著者は米国の若手外科医だったバーニー・シーゲル医博。1978年、癌などの末期患者の治療にあたっていた著者は、医師としての力不足に悩み、苦しんでいた。そんなとき、心と体は本来分かちがたく結びついているものなのに、病変部分のみを、まるで機械のパーツのように扱う専門分化の進みすぎた現代医療に疑問を感じ、実験的にグループケアを組織して精神的な治癒、つまり healing が末期患者にどう作用するかを観察しはじめた。すると奇跡的に生還する患者がつぎつぎと現れはじめた。試行錯誤の中、著者は精神的な healing 、とりわけ「愛」が、患者自身のもつ自然治癒力を引き出し、患者の生存率にいかに多大な影響をあたえるか、というみずからの体験を率直に綴った記録で、数年間世界的大ベストセラーになった本です。この本の続編もあって、邦訳はどちらもこちらから出ています。

 ちょうど時おなじくして、日本では『ぼくが医者をやめた理由』という本がベストセラーに。当時この両者を比較して、「前者は悩みつつも医師としてさらに成長したが、後者にはそれがなかった」みたいな批評を読んだことがあります。とはいえなにも後者は器の小さい医師でした、と言うつもりはありません。両者は方向性がちがっていただけなのでしょう。

 医療先進国と言われる米国にも、シーゲル医博のように人としてスケールの大きなすばらしいお医者さんもいれば、「ドクハラ」医者やインチキな藪医者もいるのでしょうが、この国の現状はどうなんでしょう。アガリクス本をはじめ、藁にもすがる思いの末期患者と家族を食い物にしている輩が多すぎる気がする。

 とはいえ、きのうの「芸術劇場」では、医師でありながらプロの音楽家でもあるすばらしいふたりの方を紹介していました。ひとりは札幌市の神経内科医師・上杉春雄氏で、もうひとりは鹿児島大学大学院教授の米澤傑氏。上杉先生はピアニストから医師に転身した方で、それだけでもすごいことなんですが、院内コンサートを定期的に開催していくなかで、自分の演奏を心待ちにしている患者の姿を見て、それまでの演奏スタイルががらりと変わったとおっしゃっていました。演奏者でもある医師が、音楽という共通の手段によって患者ときわめて深い部分で通じ合う、触れあっているという、ある意味うらやましいお話でした。

 いったいこの差はどこからくるのか…。目的意識の有無? それもあるでしょう。患者の立場からひとつ言えるのは、加藤さんのお父さまの担当医には患者を人として見る視点がまるで欠如していたということ。これはいくら医学の専門書を読み漁ったところで身につくものではありません。

 医師兼音楽家で思い出すのが、やはりアルベール・シュヴァイツァー博士。高名なバッハ研究家で教会オルガニストにして、神学部教授でもあったシュヴァイツァーは突然、医師としてアフリカ行きを決意する。医師の資格を取り、周囲の猛反対を押し切って向かった先が当時仏領だったガボンのランバレネ。以来半世紀以上もの長きにわたって医師として奉仕活動をおこない、その功績が認められてノーベル平和賞を受賞したのは有名な話ですね。

 いまではシュヴァイツァー博士のやり方は白人優先主義で非近代的という批判もありますが、当時としてはしかたなかった部分も多いでしょう。なにしろ博士が赴任した当時のランバレネは呪術師が医者で、迷信のはびこっていた時代ですから。科学的な治療活動をするにはあるていど「高圧的な」姿勢で臨まなければならなかったのでした。そして博士のモットー「生命への畏敬」は、いま、ますますその重みを増している気がします。

 シーゲル博士は前述した著書で、病院 hospital というのは本来「客人をもてなす場所」のはずなのに、じっさいの建物にそのような配慮が施されていることはめったにない、薬物治療以外の患者の世話や心の看護にほとんど注意を払っていないと言い、せめて病室の天井にはなにかカラフルな絵を描いてほしいとよく思ったと書いています。どの病室にもテレビはあるが、病気を治す環境作りのために音楽的・創造的・瞑想的効果のあるビデオなどが活用されているのか、患者が個性を失わないためにどんな自由が許されているのかとも問うています。

 いまでは音楽療法をはじめ、さまざまな形態で患者の自然治癒力を高める治療法が整備されて、シーゲル先生が四苦八苦していたころとはずいぶん進歩してきているとは思いますが、昨今の不祥事やらドタバタを見るにつけ、願うことは――医は仁術であってほしい

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2006年03月28日

3月26日は

 比較神話学の大先生であるジョーゼフ・キャンベル氏の誕生日だということを、こちらで知りました。春分の日のバッハや翌日のリュリの命日(指揮棒で自分の足を突いて、それが原因で亡くなった話は音楽史上のこぼれ話として有名。ちなみに当時の指揮は重たい棒で床をドンドン突いて拍子を取っていた)にばかり気を取られていたもので…。

 ほんとは個人的にコメント送信したかったのですが、どういうわけか? できなくて、しかたないから代わりにここでガス抜き書かせてもらいます。

 昨年、とうとうシリーズ完結したStar Warsシリーズ。ジョージ・ルーカス監督がこの壮大な宇宙神話創生にあたり参考にしたのが、ジョーゼフ・キャンベルの一連の著作だというのはファンのあいだではつとに有名な話。というか、本人の弁では『千の顔をもつ英雄』だったか、それを読んでいたく感銘を受けて、「押しかけ弟子」にしてもらったとか。というわけで、Star Wars シリーズにはキャンベル神話学の影響がそこここに見られます。そもそもテーマじたいが「父と子の葛藤」、「英雄の冒険と帰還」といった古今東西の神話によく見られるモチーフなので、物語のもつ普遍性も大ヒットした要因だろうと思います…かくいう自分も1978年の初公開以来、とうとうシリーズすべてを映画館で見てしまった(エピソード3では先行上映にも行ってしまった…ある意味シスの手に落ちた?)…。

 十何年か前、NHK教育で放映したキャンベルとビル・モイヤーズの対談番組を見たときの衝撃は忘れられません。キャンベル先生の独善的なところのいっさいない、魅力的なストーリーテリングに文字どおり魅了されてしまいました。当時、自分でもつかみどころのなかった「宗教」や「神」の概念が、じつにわかりやすく、さまざまな神話を通して語られ、「そうか、こういうことだったのか」と、それこそ目からうろこが落ちる思いがしたものです。「神は、存在するとも、しないとも言えない」はけだし至言だと思います。考えてみればたしかにそうなんですが…なかなか気づかないものです。至高存在である神は、それゆえ世界各地でさまざまな「仮面」をかぶって、ときにトリックスターとして人々を幻惑したりします。古代ギリシャの神々のようにじつに人間くさい神のいる一方、古代インド神話のヴィシュヌやシヴァなど、あきらかに怪物じみた存在の神もいますし。この対談で印象に深く刻まれたことばはいくつかありますが、とりわけ印象的だったのは、「長年世界各地の神話を研究してきて驚かされるのは、それぞれがいかによく似ているかだ」ということばです。またこのときはじめて、アメリカ先住民の神話や長老の話がいかに普遍的で、すばらしいものかということも教えてもらいました(Liberaのアルバムに収められている Do not stand at my grave は、女流詩人メアリ・エリザベス・フライ作ということになっているらしいけれど、これとよく似た伝承が米国先住民にも伝わっていて、個人的にはそこから拝借したようにも思う)。

 キャンベル先生自身はローマカトリックの信徒だったのですが、晩年、関心の中心は仏教や東洋神話に移っていたようです。とはいえミサの聖体拝領に見られる象徴性には深い共感を寄せつづけていました。フランスに留学していたころ、シャルトル大聖堂に熱心に通い、それを見ていた堂守にそそり立つ鐘楼へと案内されて、いっしょに時を告げる鐘を突かせてもらったという楽しい思い出話も聞きました。キャンベル先生のすばらしいところは、表面的な姿かたちにこだわると本質を見失うということを伝えている点です。「十字架のイメージも邪魔だ」とさえ言い切り、目に見える事柄ばかりにとらわれるなと戒めています。『星の王子さま』の名言を引くまでもなく、ほんとうに大切なものは「目には見えない」のです。

 また組織宗教というものはいつの時代でもそうだろうと思いますが、個人の内なる神秘体験を異端視する傾向があります。…中世には火刑なんてことにもなったりで…いわゆる New Age の火付け役になった、シャーリー・マクレーンの著作にも似たようなことが書いてありました。「本来 religion ということばは『再び結びつける』という意味なのに、現代の宗教は人々をひとつにするのではなくて、バラバラに引き裂いている」。

 中世アイルランドではどうだったか。教皇を頂点とする中央集権的なシステムとはまったくちがうことからしても、個人的には「ローマカトリックよりはまだまし」だったろうとは思う…そのかわり修道規則に抵触したときは厳罰が科せられた。これは当時のアイルランドの社会制度と密接にかかわっている部分でもありました。

 キャンベル先生は癌かなにかの病気の手術後、経過が芳しくなくて亡くなられたらしい。いま生きていたら102歳。あのようなスケールの大きな学者は当分現れないのではないか。キャンベル先生は真の意味での教養人でした。著書を読むと、学識の深さと考察の鋭さにあらためて驚かされるとともに、いかにも欧米人らしいユーモアというか、茶目っ気すら感じられる。Decentでとてもカッコいいのです。インチキなカルト教団もどきに騙されている本邦の宗教学者なんかとは雲泥の差がある(むしろ比較の対象外か)。

 キャンベル氏の代表的な著書は邦訳が出てますが、個人的にキャンベル神話学入門としておすすめなのが、角川書店から出ている『生きるよすがとしての神話』と、TV対談を収めた『神話の力』です。まがいものが横行する昨今、真の意味での良書だと思います(こちらの本は知らなかった。こっちもおもしろそうですね)。

 ダース・ヴェイダーとの身長差…キャンベル先生自身スポーツマンで、すらりと長身のハンサムな紳士だったので、すくなくともアナキンを破滅させたダース・シディアス(銀河帝国皇帝)ほど見劣りしないと思います…たぶん。

posted by Curragh at 05:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の雑感など

2006年03月05日

覚悟いたすべし

 以下はどちらかというと静岡県限定の話になりますが…。

 先日、某ローカル紙の読者投稿欄に寄せられた一通の投稿を見て、二言三言、書きたくなってしまいました。

 この投稿は、先月25日付朝刊に掲載されていた、「いまの世の中、ウソが氾濫しているのでよくよく見極めてかからないといけない」旨の某脳科学者によるコラムを読んだ感想なのですが、いただけないのがつぎのくだり。脳科学の先生が、「ウソとホント」の一例として引き合いに出しているのが大地震と一連の耐震偽装事件。いつくるかわからない大地震。自分の住んでいるマンションが耐震基準を満たしていなかった。大地震はめったに起こらない。大地震はいつ発生するかわからず、地震前に建て替えをむかえることだってありうる。それでも知ってしまった以上、いままでどおりの生活はつづけられなくなる。狂牛病危険部位がずさんなやり方で混入していた米輸入牛もおなじ。それと知らずに食べて必ずヤコブ病に罹患するとはかぎらない。その前に交通事故死するかもしれない。

 …「ホントに地震って来るの? 購入した防災グッズの金額もばかにならないし古家の耐震強化費用も膨大なものだ。これって誰かの金もうけのために踊らされているのではないでしょうね。…」

 たしかに耐震補強費用はバカにならず、阪神淡路震災を教訓に静岡県が進める「TOKAI 0(倒壊ゼロ)」運動も理解はできるが、家が現行の耐震基準を満たしていないからといってそうおいそれと大枚はたいて耐震補強工事なぞできるものじゃありません。最悪の場合、詐欺師同然の業者をつかまされることだってある。

 でも待ってください。脳科学の先生はあくまでもののたとえとして引き合いに出したまでで、「大地震は来ない」なんて言ってません。「誰かの金もうけ」なんてまったくもって不謹慎で、スマトラ大地震や中越地震など、これまで日本国内で発生した多くの震災で亡くなられたすべての人にたいして失礼です。

 2000年以降、日本国内はM5ないし6クラスの地震が毎年のように発生しているのに、ずいぶんのんきなもんだな、と思わずにはいられません(2004年の東南海沖で発生した地震には心底冷や汗ものでした。津波もしっかり来たし…)。

 東海地震はどんな形で起こるにせよ――最悪の場合は東海・東南海・南海地震の同時発生さえ危惧されている――150年周期でかならず発生するものです(すでに経過している)。この地域に住んでいる以上、避けられません。できることをいまのうちに準備しておけば、なにも準備もなくその日を迎えるよりはいくらかでもまし、と思いますがいかがでしょう。

 ほかの地域ではこんなTV CMを流しているかどうかは知りませんが――地震にめっぽう強い家を作っているさる会社のCMにこんなものがあります。

 リポーターが高名な科学者に詰め寄って「地震は何年何月何日に起こるんですか?」
 学者先生 : 「そんなことわかんないよ!! 神様じゃないんだから!!」
 リポーター : 「もういいよ! 神様に訊いてくるから」
 (寝台で横になる神様に向かって)リポーター : 「神様、地震はいつ起きますか?」
 神様 : 「ワカンナイネ!」

 東海地震の予知について、自分は悲観論者です。地震予知連の先生方ががんばっておられるのは知っていますが、地震学者の中には予知はムリと相手にしない人もいます。そして大多数の静岡県人は、予知してくれるものと信じています。

 ただしはっきり言えるのは、1854年、前回の東海地震である安政東海地震が発生した後に書き記されたことばです。大津波に見舞われた下田の商家だったらしい人の筆で、こう書き記されていました。

 いまから100年、もしくは150年後にはふたたび大地震が起こる。覚悟いたすべし。

 これは、当時の人がすでにこの地震の周期性を知っていたという証拠でもあるのです。しかと耳を傾けなければなりません。

 自分の住んでいる地区の地形・地質構造・地名の由来を知るのも重要です…たとえば房総半島の野島埼、伊豆半島の石廊崎、静岡の御前崎、愛知の伊良湖岬、和歌山の潮岬はほぼ等間隔で太平洋に突き出しています。これは大地震のたびに隆起を繰り返してきたことを物語っています(ちなみに伊豆半島は東海岸から下田にかけてが隆起海岸で、隆起しつづけていた下田柿崎は安政東海地震後、約1m沈降、その後隆起に転じている。反対に波勝崎から北の西海岸は典型的なリアス式海岸で、もっとも沈降しているのは沼津市内浦地区。これは伊豆半島を乗せているフィリピン海プレートの北西-南東方向の沈みこみのため)。また古くから伝わる地名もないがしろにはできません。たとえば新田という地名は、暗に軟弱地盤であることを示唆していますし、汐入みたいな地名は、かつて津波で水浸しになった土地かもしれないのです。

 年がら年中、「もしかしたら明日かも…」などと思いながら生活できるはずもないのですが、ほうっておけば岩石の風化とおなじく、かんたんに過去の教訓を忘却のかなたへ風化させてしまうのが人間なので、せめて心の片隅にでもとどめる努力はしないと…自戒の意味もこめて(個人的に最近気になるのが関東地方の中規模地震。数年前から発生頻度が高くなっていますね…)。

posted by Curragh at 00:48| Comment(0) | 日々の雑感など

2006年02月19日

モーツァルトづくし

 いま、これを聴きながら書いてます。

 10時間10分もモーツァルトのリクエスト特番を組むというのは、いかにこの夭折した大作曲家がひろく愛聴されているかの証明みたいな気がしますが、ほかにNHKではこんな番組もやってます。

 バッハ党としてははなはだうらやましいかぎりです。バッハイヤーではこんなことありえない。

 KV63の続報、いろいろ探してみたらこちらのブログを発見。そうか、BBCニュースサイトというのもありましたね。Choral Evensong ばかり気を取られていてつい見過ごしていた。BBCはいち早くWebベースの報道にも力を入れていて、しかも過去記事もかなり保存されているのでとても重宝します。どこかの国の、ITとメディア(TV)の融合…というかけ声ばかりで中身の伴わない実態とは大違い。

 とはいえ、ネフェルティティの墓所では…という一部の憶測はいくらなんでも飛躍のし過ぎの感あり。木棺の主がだれなのかが判明しないことには…。

 Luxor News というサイトには、KV63の写真がいろいろ掲載されています。

 ところでいましがたメール確認したら、Amazonからこんなお知らせが。

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 2002年に刊行された上記研究書を買う人じたい、そんなにいないと思うけれども…LiberaのCDのほうがはるかに売れていると思いますが。


モーツァルトが好まれる理由
posted by Curragh at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など