… を先日、こちらの番組にて視聴した。
当時 49 歳(!)、めちゃ若々しいマエストロ・サヴァリッシュのキレのある棒さばきから紡がれる“ブラ1”(「交響曲第1番 ハ短調 op.68」)、いやぁ感動的でしたねぇ。昨今はやりの通勤快速的テンポのせかされ感はまるでなく、タメるところはタメる、聴かせどころは聴かせるというメリハリがなんとも心地よく、しかし楽曲全般はいかにもドイツ的に小気味よく進行してゆく、そんな印象を受けました。
初回放映当時はまだ入園前の幼児(!)の身ゆえ、映りの悪い半世紀以上も前のブラウン管(!!)のちっこい画面の受像機で果たしてコレを観ていたのかどうか …… は、記憶があいまい。しかしうろ覚えながらも記憶に残っているのは、「ほら見てごらん、世界最大級のパイプオルガンだってよ」という母のことばだった。
…… そういうしだいでふと、「そうだ。同時期に開催されたイジー・ラインベルガーのオルガン開きリサイタルってプログラムとかどこかに転がってるのかな?」と思い立ち、いつもの「日本の古本屋」さんに行ったらあっさり見つかった。即お買い上げ。
中学生のころ、巷にまだ LP(老婆心ながら Long Playing の頭文字ね)アナログレコードがあふれていた時代、どこのレーベルかは失念したがそのチェコスロヴァキアのオルガン奏者ラインベルガーさんの「バッハ・オルガン名曲集」が売られていた(ジャケット写真はブクスフーデゆかりのリューベック・聖マリア教会)。で、たしかライナーの解説には、「生粋のアルピニストで、来日したときに海抜0mから歩いて富士登山した」とか書いてあったと思う。…… あれから幾星霜、ついにご本人の肖像写真を拝見できた。やはり、というか謹厳実直なタイプの端正な横顔の紳士だったが、つぶらな感じの目だったので、どことなく私たち日本人的な顔立ちにも見えた。
オープニングリサイタルの当日、ストップの入れ替えとか譜めくりとかの助手として演奏を支えていたのは奥さんだったらしい。ググれば当時、コロンビアレーベルから発売されていたほうのラインベルガー氏のアナログ音盤ジャケットが出てくると思うけれども、そのジャケ写真こそ、1973 年6月 22 日、24 日とサヴァリッシュ/N響の杮(こけら)落とし公演をあいだに挟んで開かれた新 NHK ホール大オルガンのオープニングリサイタルになります。
半世紀以上も前の美品のプログラムを繰ってみると、初日(6月 22 日)のリサイタル最初の楽曲は、バッハの例の有名曲(BWV 565)でした。なにしろ本場のオルガン、しかも世界最大級のバカでかい本格的コンサートオルガンなんて一般的な日本人は誰も見たことも、そのサウンドを体験したこともなく、そもそも西洋の器楽ということでは最古参ジャンルのひとつオルガン音楽に親しむリスナーなど皆無といっていい時代。だからコレは耳慣らしとしてはしごくまっとうな選択でしょう。2日目のほうはこれまた有名な「小フーガ」(BWV 578)が入ってます。ほかにバッハは17(18)のコラールとして知られる一連のコラール前奏曲から待降節の有名な曲(BWV 659)、「パッサカリア」(BWV 582)。2日目ではクリスマス時期によく演奏される「パストラーレ」(BWV 590)も加わってました。
でもバッハは数曲で、すぐにレーガーやフランクやヒンデミット、そしてチェコの作曲家がふたり続いて終わってます。なんかいきなりツウ好みな、バッハしか聴いたことのない聴衆にはまるで馴染みがないであろう楽曲のオンパレードな印象。とくに同郷人のチェコの人の作品はオラもまったく知らず。だからなおさら聴いてみたいと思う。以前、NHK ホールのオルガンつながりでは、なんとあの古関裕而氏が弾いている貴重な映像を歌謡番組かなにかでチラっと拝見したことはあるが、こんどはぜひ杮落としオルガンリサイタルの映像を放映してほしい、と「心からのせつ菜る願い」を申し添えておきます。
プログラムに解説を書いているのは高名なバッハ学者の角倉一郎先生なんですが、ところどころ欧州の古いオルガンのモノクロ写真が添えられてます。でもこれってパっと見てどこどこの楽器だなとかわかる人はおそらく誰もいなかったでしょうね。せめてキャプションでもつけるべきだったのではないかな? 最初のほうに掲載されている、現存する世界最古の演奏可能な「燕の巣オルガン」については、解説の本文でも触れられてはいますがね …… いちおうルネサンスからバロックと時代を追って並べられているようですが、イタリアの1段手鍵盤ものの古オルガンやオランダのバロックオルガン(おそらくマーススライス大教会の、ルドルフ・ガレルスが建造した歴史的楽器)、そしてお兄さんのほうのジルバーマンが建造した、スイス・バーゼル州のアルレスハイム大聖堂の歴史的楽器あたりは特定できた。あと、駐日チェコスロヴァキア大使さんの賛辞文の「現代のチェコ・オルガン学派の創始者」ってのは、「楽派」のミスプリでしょう。
紙数(?)が尽きたのでいったんこの話はここまで。ほんとはまだ続きがあるんですけど、それはまた後日にでも。いずれにしても今回の半世紀の時空を超えた再放映は、まことにありがたいかぎり。今後もどんどんやってね。
※ 昨年 11 月、『スパスタ!!』3期の聖地巡礼がてら、これまたウン十年ぶりに NHK ホールの前まで行ってみた。プロムナードなんかすっかり変わっていて、ワタシがN響定演を聴くため初めて連れて行ってもらったとき(1985年3月末。プログラムは三善晃の児童合唱付きの初演作品と、メシアンの「トゥランガリラ交響曲」)、ホール前の道路はフツーに舗装道路だったと思う。いまは Liella! のランニングコースとして登場するようなケヤキ並木の広い散歩道といった感じのタイル舗装になっていた。それと NHK ホール正面玄関へのアプローチもだいぶ変わった。なんか放送センターは絶賛建て替え中らしいけれども、とりあえずホールのほうはこのまま現役続行のようです。あとは、かつてのようにオルガンリサイタルの復活を望むばかり ……。ついでに文中の「心からのせつ菜る願い」は、有名な受難のコラール(ハンス・レオ・ハスラーの失恋の歌が原曲なんですが)をバッハがオルガン独奏用に編曲したコラール前奏曲(BWV 727)に、ニジガク成分を混ぜ込んだパロディ(メンバーの優木せつ菜から拝借)。
2025年01月26日
2024年12月31日
「救いは、あなたの中にある」
はじめに個人的な話を少々。10 月に高齢の母が緊急入院して以降、いろいろありまして、グループホームに落ち着き(初の高額医療費申請)、年の瀬になってようやくほっとできまして、いま「クラシック名演・名舞台 2024」を視聴しているところ。ココの更新をサボっていたのはそれがおもな理由になります。その間もふつうに仕事していたから、書く時間がない、というより、なにをどう書こうかがなかなかまとまらずに時間だけ過ぎていったというしだい。
で、書きながら番組観ていたら、マエストロ・井上道義氏が登場して、2月のN響定演で指揮したショスタコーヴィチの「交響曲第 13 番 バビ・ヤール」(バビ・ヤールは、ウクライナの首都キーウ郊外にある峡谷の名)について語った名言をまた聞くことができた。井上氏は自身の指揮活動の掉尾を飾る作品として、この「問題作」を選んだ。では、いまなぜ「バビ・ヤール」なのか、については次のように発言している。
もっとも、各人がてんでばらばら好き勝手してかまわない、と言っているのではない。公共の福祉の観点が欠けていたら、そもそも人間社会は成り立たない。不利益を被る他者がいるから己が存在する。逆もまた然り。それはつねに留意すべき。大切なのは、コレだけは死んでも譲れない、不可侵の領域を作ること、ようするに「聖地」を持つことかと。
「推し活」という用語が定着して久しいが、依存症と混同されるのは困りもの。アーノルド・ベネットが『文学の味わい方』(拙新訳版も出したけれども)でも書いているように、もし心から共鳴し感動した作品(アート)があれば、現実の人生にそれを取り込むことが大切だと思う。アニメとか文学とかは関係ない。ほんもののアートは、人種も民族も言語の障壁も超越して普遍的なパワーが宿っているものなのだから。趣味嗜好が変わるのは、トシをとってくればそりゃ仕方ないでしょう、自分も含めて。しかしその核となる部分はそうそう変わるもんじゃない。そういう核心部分は失われずに残るものだと思う。
母の緊急入院からグループホームに落ち着くまでの2か月余りは、ちょうど『ラブライブ! スーパースター!!』(スパスタ)の第3期の放映時期と重なった。その間、何度か『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編第1章』(通称えいがさき)も観に行った。グループホームは、母校の高校のすぐ近くだった。数十年ぶりに母校を眺めた。マルに目がない Liella! のちぃちゃん部長(嵐千砂都)じゃないけれど、自分自身が大きな円環を描いているような錯覚に襲われた。だからスパスタの最終回を迎えたときは感慨深いものがありましたね。来たる年はもう少しまじめに更新しようと思いマス。
で、書きながら番組観ていたら、マエストロ・井上道義氏が登場して、2月のN響定演で指揮したショスタコーヴィチの「交響曲第 13 番 バビ・ヤール」(バビ・ヤールは、ウクライナの首都キーウ郊外にある峡谷の名)について語った名言をまた聞くことができた。井上氏は自身の指揮活動の掉尾を飾る作品として、この「問題作」を選んだ。では、いまなぜ「バビ・ヤール」なのか、については次のように発言している。
… いま実際に、この音楽で糾弾しているようなことが起こっているじゃない、何万人も死んだりさ。演奏したくないぐらいだよ …… でも若い人にこれ聴いてほしいね。[この作品で]ショスタコーヴィチが最後に何を言いたかったっていうと、「希望はあるか? … 希望はあるか? ないとしたら、おまえのせいだぞ …… そういうことを、心の底から問いかけているから。いい曲だよ。答えはないよ。救いはないよ。救いは、あなたの中にある。そういう内容なんですね。おもしろい、おもしろい。知れば知るほどおもしろいよ」このときはじめて(だと思う)この作品を聴いたけれども、個人的にもっとも心惹かれたのは、「ユーモア」と題された第2楽章。世界の支配階級を引き合いに出した歌詞に、こんな一節が出てくる。
ツァーリをはじめ、地球上の全権力者は閲兵式を指揮できても、ユーモアだけは指揮できなかった ……また例の人(!)が米国大統領に選ばれたから、残念ながらウクライナはもう打つ手がないだろう。しかしユーモアというものは、どんなに弾圧されても死に絶えるなんてことは決してない。似たようなことはジェイムズ・ヒルトンの『チップス先生さようなら』(1934)にも書かれている。そしてこれもまた耳タコかもしれないが、何度でも繰り返して言う。世の中、いくら制度を変えてもリーダーの首をすげ替えても良くはならない。いちばん大切なのは、各人が活き活きとすることだ。活き活きとさえしていれば、どんな世界でもまっとうな世界(ジョーゼフ・キャンベル)なんである。これはラディカルで無政府主義的でニヒリズム的で刹那的で御しがたいしょーもない危険思想に思えるかもしれない。が、ほんとうにそうだろうか。個人的には、これは突き詰めて考えるべき深遠なテーマだと思っている。
ユーモアは永久不滅 ……
ユーモアはすばしこい ……
ユーモアはあらゆるもの、あらゆる人をすり抜けてゆく
ユーモアに栄光あれ!
もっとも、各人がてんでばらばら好き勝手してかまわない、と言っているのではない。公共の福祉の観点が欠けていたら、そもそも人間社会は成り立たない。不利益を被る他者がいるから己が存在する。逆もまた然り。それはつねに留意すべき。大切なのは、コレだけは死んでも譲れない、不可侵の領域を作ること、ようするに「聖地」を持つことかと。
「推し活」という用語が定着して久しいが、依存症と混同されるのは困りもの。アーノルド・ベネットが『文学の味わい方』(拙新訳版も出したけれども)でも書いているように、もし心から共鳴し感動した作品(アート)があれば、現実の人生にそれを取り込むことが大切だと思う。アニメとか文学とかは関係ない。ほんもののアートは、人種も民族も言語の障壁も超越して普遍的なパワーが宿っているものなのだから。趣味嗜好が変わるのは、トシをとってくればそりゃ仕方ないでしょう、自分も含めて。しかしその核となる部分はそうそう変わるもんじゃない。そういう核心部分は失われずに残るものだと思う。
母の緊急入院からグループホームに落ち着くまでの2か月余りは、ちょうど『ラブライブ! スーパースター!!』(スパスタ)の第3期の放映時期と重なった。その間、何度か『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編第1章』(通称えいがさき)も観に行った。グループホームは、母校の高校のすぐ近くだった。数十年ぶりに母校を眺めた。マルに目がない Liella! のちぃちゃん部長(嵐千砂都)じゃないけれど、自分自身が大きな円環を描いているような錯覚に襲われた。だからスパスタの最終回を迎えたときは感慨深いものがありましたね。来たる年はもう少しまじめに更新しようと思いマス。
2022年10月19日
気がつけばグールド超え
先日、こちらの番組を観まして、カナダの伝説的なピアニストのグレン・グールドが亡くなって今月4日でちょうど 40 年(!)になることを知りました …… ピアニストでは、先月、奇しくもグールドとほぼ同い年でみまかった、ドイツの著名ピアニスト、ラルス・フォークト氏のこととかも思い出されるが …… 幼娘を残しての早逝。さぞ無念だったろうと思う。合掌。
グールドとくると、あのハミングしながらくねくねと体を動かして、まるでチェンバロみたいにピアノを演奏していた姿が思い浮かぶけれども、ご本人はさっさとピアノ演奏活動を引退して、作曲と指揮をやりたかったとかって伝記本かなにかで読んだ記憶がある。もっとも左利き(sinistral)だったから、指揮される側からすればめちゃやりにくかった、なんて話もあります。たしか最晩年の録音って、リヒャルト・ヴァーグナーの室内管弦楽作品「ジークフリートの牧歌」だったと思う。だからグールドはピアノ弾きとして一生を終えたのではなく、願望どおり指揮者として終えたことになります。
グールドはとかく奇行癖ばかりが取り沙汰されるきらいがありますけれども、グールドが書いた作品評なり、録音した音源のためにみずから書き下ろしたライナーノーツなりを読むと、びっくりするほど博学で、芸術の本質を深く見抜いていたことにあらためて気づかされる。手許にグールドが録音した、「バード&ギボンズ作品集」という国内盤アルバムがあるんですが、この直筆ライナー(の邦訳版)の四角四面な音楽学者然とした生真面目そのものの考察読まされると、コレがあのグールドが書いた文章なのかって不遜ながら思ってしまう。
「父さん、ぼくはやりたいと思ったことはだいたいできたと思うよ」。これが、グールドが倒れて、トロント市内の病院に担ぎこまれる前に、父親と電話で話した内容だったようです。当たり前ですけれども、音楽好きとしてはリヒターともども、もっと長生きして活躍してほしかった。バッハ学者の故礒山雅先生はかつて担当していた「NHK 市民講座」の番組内で、「コンサートは死んだ」と演奏会場を捨てて録音スタジオに閉じこもった演奏家としてのグールドを、「不幸だ」と残念がっていたのがなぜか頭にこびりついていて、あれから 30 ウン年経ったいまもグールドの話が出るたびに思い出す。
でもたぶんそれは磯山先生の勇み足だったように思う。たとえば、DTP(いわゆる打ち込みってやつ)とインターネット上の動画共有サイトの存在。もしあれをグールドが見たらもろ手をあげて喜ぶんじゃないでしょうかね。歌手の Ado さんとか、以前ここでも書いた、ボーカロイドとボカロPさんたちとか。いまや自宅にいながらにして、世界のどこかで視聴しているかもしれない音楽プロデューサー宛てに自作自演の楽曲を届けられちゃうんですぞ。もちろん音楽、ことにクラシック畑は、そりゃ生演奏にかなうものはないですよ。オルガンなんかまさしくそう。あのサウンドを体感するには、なにはともあれ楽器が設置された会場に行かないことには始まらない。
それでもグールドは、音楽以外の夾雑物をいっさいシャットアウトするために録音という表現を選び取ったんだと思う(ってこれもいつか書いたかもしれませんが)。録音テープの切り貼り(文字どおりのカット&ペースト)までして、自身が理想とする音楽を再現することに徹底的にこだわったグールドの姿勢は、音楽ジャンルは違っても、いまのボカロPさんたちもきっと共感してくれるはずです。と、フト気づけばトシだけはグールドを超えていた(苦笑)しがない門外漢はアタマを掻きながら、みずからの本分に折角精進しようと誓ったしだい。
↓ は、グールド自身が出演した TV 番組用に作曲した「じゃあフーガが書きたいの?」
追記:静岡県東部の街で、オラの住む沼津にも近い裾野市にある市民文化センターでこんなとんでもない事故があったらしい。…… あそこのホールは思い出があって、パリ木(パリ木の十字架少年合唱団)の来日公演をはじめて聴いたのがそこだったし、2011 年初夏に NHK 交響楽団の公演を聴いたのもそこだった。だから今回のような事案はたいへんに遺憾。思うんですが、もしこれが N 響でも、こんな塩対応したんでしょうか? まさかずっと音沙汰なしってことはあるまい。常識を疑ってしまう。水浸しといえば、なんとシドニーのオペラハウスでも似たような事故があったらしい。改装工事中にスプリンクラーが誤作動して …… こういうことってよく起こるんだろうか? 調整中だったコンサートオルガンも被水して、詳細は不明ながら、まだ修復中らしい。※
1996 年だったか、浜松のアクトシティ中ホールのコンサートオルガンもスプリンクラーの誤作動で冠水、大修理したことがあった。そのとき建造したオルガンビルダーがフランスから駆けつけて、こう悲しげにつぶやいたそうです。「もっと楽器に愛情を持ってほしい」。
「仏作って魂入れず」じゃないけれども、とかく日本人ってウツワばっか気にして、完成すればあとは良きに計らえみたいなところがあって困る。納税者から「ハコモノ行政」って言われてもしかたない話ではある。
※…… 事実誤認していたため、悪しからず訂正しました。
グールドとくると、あのハミングしながらくねくねと体を動かして、まるでチェンバロみたいにピアノを演奏していた姿が思い浮かぶけれども、ご本人はさっさとピアノ演奏活動を引退して、作曲と指揮をやりたかったとかって伝記本かなにかで読んだ記憶がある。もっとも左利き(sinistral)だったから、指揮される側からすればめちゃやりにくかった、なんて話もあります。たしか最晩年の録音って、リヒャルト・ヴァーグナーの室内管弦楽作品「ジークフリートの牧歌」だったと思う。だからグールドはピアノ弾きとして一生を終えたのではなく、願望どおり指揮者として終えたことになります。
グールドはとかく奇行癖ばかりが取り沙汰されるきらいがありますけれども、グールドが書いた作品評なり、録音した音源のためにみずから書き下ろしたライナーノーツなりを読むと、びっくりするほど博学で、芸術の本質を深く見抜いていたことにあらためて気づかされる。手許にグールドが録音した、「バード&ギボンズ作品集」という国内盤アルバムがあるんですが、この直筆ライナー(の邦訳版)の四角四面な音楽学者然とした生真面目そのものの考察読まされると、コレがあのグールドが書いた文章なのかって不遜ながら思ってしまう。
「父さん、ぼくはやりたいと思ったことはだいたいできたと思うよ」。これが、グールドが倒れて、トロント市内の病院に担ぎこまれる前に、父親と電話で話した内容だったようです。当たり前ですけれども、音楽好きとしてはリヒターともども、もっと長生きして活躍してほしかった。バッハ学者の故礒山雅先生はかつて担当していた「NHK 市民講座」の番組内で、「コンサートは死んだ」と演奏会場を捨てて録音スタジオに閉じこもった演奏家としてのグールドを、「不幸だ」と残念がっていたのがなぜか頭にこびりついていて、あれから 30 ウン年経ったいまもグールドの話が出るたびに思い出す。
でもたぶんそれは磯山先生の勇み足だったように思う。たとえば、DTP(いわゆる打ち込みってやつ)とインターネット上の動画共有サイトの存在。もしあれをグールドが見たらもろ手をあげて喜ぶんじゃないでしょうかね。歌手の Ado さんとか、以前ここでも書いた、ボーカロイドとボカロPさんたちとか。いまや自宅にいながらにして、世界のどこかで視聴しているかもしれない音楽プロデューサー宛てに自作自演の楽曲を届けられちゃうんですぞ。もちろん音楽、ことにクラシック畑は、そりゃ生演奏にかなうものはないですよ。オルガンなんかまさしくそう。あのサウンドを体感するには、なにはともあれ楽器が設置された会場に行かないことには始まらない。
それでもグールドは、音楽以外の夾雑物をいっさいシャットアウトするために録音という表現を選び取ったんだと思う(ってこれもいつか書いたかもしれませんが)。録音テープの切り貼り(文字どおりのカット&ペースト)までして、自身が理想とする音楽を再現することに徹底的にこだわったグールドの姿勢は、音楽ジャンルは違っても、いまのボカロPさんたちもきっと共感してくれるはずです。と、フト気づけばトシだけはグールドを超えていた(苦笑)しがない門外漢はアタマを掻きながら、みずからの本分に折角精進しようと誓ったしだい。
↓ は、グールド自身が出演した TV 番組用に作曲した「じゃあフーガが書きたいの?」
追記:静岡県東部の街で、オラの住む沼津にも近い裾野市にある市民文化センターでこんなとんでもない事故があったらしい。…… あそこのホールは思い出があって、パリ木(パリ木の十字架少年合唱団)の来日公演をはじめて聴いたのがそこだったし、2011 年初夏に NHK 交響楽団の公演を聴いたのもそこだった。だから今回のような事案はたいへんに遺憾。思うんですが、もしこれが N 響でも、こんな塩対応したんでしょうか? まさかずっと音沙汰なしってことはあるまい。常識を疑ってしまう。水浸しといえば、なんとシドニーのオペラハウスでも似たような事故があったらしい。改装工事中にスプリンクラーが誤作動して …… こういうことってよく起こるんだろうか? 調整中だったコンサートオルガンも被水して、詳細は不明ながら、まだ修復中らしい。※
1996 年だったか、浜松のアクトシティ中ホールのコンサートオルガンもスプリンクラーの誤作動で冠水、大修理したことがあった。そのとき建造したオルガンビルダーがフランスから駆けつけて、こう悲しげにつぶやいたそうです。「もっと楽器に愛情を持ってほしい」。
「仏作って魂入れず」じゃないけれども、とかく日本人ってウツワばっか気にして、完成すればあとは良きに計らえみたいなところがあって困る。納税者から「ハコモノ行政」って言われてもしかたない話ではある。
※…… 事実誤認していたため、悪しからず訂正しました。
2020年10月20日
ベートーヴェンの『田園』推し
先週末のこの番組、なかなか見応えがありました。今年はまことに運悪く、こういう深刻な事態になってしまったがために、ほんらいならば──広上淳一氏ふうに言えば──「ベートーヴェン先生」の生誕 250 年を盛大にお祝いしていたはずでした。今年はほかにもコープランド(生誕 120 年、没後 30 年)、そして武満徹氏の生誕 90 年でもあります。
で、これから言うことは番組内でもすでにゲストの高関健氏が述べていることの二番煎じなので、新鮮味はあまりないのだけれども、ワタシも以前から、ハリウッドの映画音楽ももとをたどれば究極的にはベートーヴェンの『交響曲 第6番』、つまり『田園』に行き着くと思っていたので、そうそう、そうなんだよね〜、と安酒のスパークリングワインを呑みながらひとりごちていた。
バッハ大好き人間ではあるけれど、たまにベートーヴェンの『田園』、『ピアノ協奏曲 第5番《皇帝》』、そして『第9』なんか聴くと、やはり「ベートーヴェンという作曲家は西洋音楽史上最大の革命家」という印象がとても強い。晩年のモーツァルトやハイドンなんかも「フリーランス音楽家」のはしりみたいな言われ方がされるけど、正真正銘、フリーランス作曲家/演奏家のいちばん最初の人はやはりベートーヴェン。それが音楽にいちばんわかりやすいかたちで表現されているのがたとえば超有名な『5番《運命》』だと思うけれども、いやいや、ホンワカしているように見えて『田園』のほうがはるかに斬新だと思うな。この約 20 年後ですよ、あのベルリオーズが『幻想交響曲』を書いたのは。
ベートーヴェンつながりでは今年の正月、おなじ NHK のベートーヴェンイヤー特番で、名ピアニストのアンドラーシュ・シフさんがベートーヴェンという作曲家のすばらしい点について、こんなことを言ってました:「内面においてつねに前進し、戦い、けっしてあきらめないことです。わたしにとって、ベートーヴェンのもっとも大切な部分はそんなところにあります。英雄性ではなく、内面の温かさ、人間愛です」。そう、この人はただの引っ越し魔ではない !!
そういえばだいぶ前、NYT 紙の音楽記事にベートーヴェンの傑作『大フーガ op. 133』のことが取り上げられていて、ベートーヴェン本人の弁として、「なぜ聴衆はほかの楽章ばかり聴きたがるんだ、この xx野郎が!」とかなんとか、怒り心頭だったとか、そんなことが紹介されていて、ホンマかいな、と思ったんですが、興味ある方はこのペダンティックな大作もぜひ聴かれることをワタシからも強くオススメする(この曲は単独で発表されたものではなく、当初は『弦楽四重奏曲 第 13 番 変ロ長調 op. 130』の最終楽章として作曲されている)。ちなみにこの「フーガ」ですが、ふつうならば出だしに主題がデーンと提示されるところですが、主要主題から導かれた前口上的な楽句がひとしきりつづいたあと、30 小節目からようやく開始されます。たいへん複雑、かつ前衛的な対位法作品だったので、人気がなかったのはむりもないこと。
なにかと不穏で不安な情勢ではあるが、せっかくの秋の夜長だしこういうときこそ記念イヤーのベートーヴェンの気に入った作品を聴き流しつつ、お気に入りの本とか読んで過ごすのって …… それはそれでステキなことじゃない(桜内梨子ふうに)?
… アンドラーシュ・シフさんついでに、前出のインタビューでこんなことも言ってましたよ。独り言で済ませておけばいいことまで全世界に拡散させられちゃう昨今の人にとっては耳の痛い「苦言」かもね。
↓ は、『田園』でいちばん好きな最終楽章の 230 小節過ぎに出てくる、弦楽パートから。
で、これから言うことは番組内でもすでにゲストの高関健氏が述べていることの二番煎じなので、新鮮味はあまりないのだけれども、ワタシも以前から、ハリウッドの映画音楽ももとをたどれば究極的にはベートーヴェンの『交響曲 第6番』、つまり『田園』に行き着くと思っていたので、そうそう、そうなんだよね〜、と安酒のスパークリングワインを呑みながらひとりごちていた。
バッハ大好き人間ではあるけれど、たまにベートーヴェンの『田園』、『ピアノ協奏曲 第5番《皇帝》』、そして『第9』なんか聴くと、やはり「ベートーヴェンという作曲家は西洋音楽史上最大の革命家」という印象がとても強い。晩年のモーツァルトやハイドンなんかも「フリーランス音楽家」のはしりみたいな言われ方がされるけど、正真正銘、フリーランス作曲家/演奏家のいちばん最初の人はやはりベートーヴェン。それが音楽にいちばんわかりやすいかたちで表現されているのがたとえば超有名な『5番《運命》』だと思うけれども、いやいや、ホンワカしているように見えて『田園』のほうがはるかに斬新だと思うな。この約 20 年後ですよ、あのベルリオーズが『幻想交響曲』を書いたのは。
ベートーヴェンつながりでは今年の正月、おなじ NHK のベートーヴェンイヤー特番で、名ピアニストのアンドラーシュ・シフさんがベートーヴェンという作曲家のすばらしい点について、こんなことを言ってました:「内面においてつねに前進し、戦い、けっしてあきらめないことです。わたしにとって、ベートーヴェンのもっとも大切な部分はそんなところにあります。英雄性ではなく、内面の温かさ、人間愛です」。そう、この人はただの引っ越し魔ではない !!
そういえばだいぶ前、NYT 紙の音楽記事にベートーヴェンの傑作『大フーガ op. 133』のことが取り上げられていて、ベートーヴェン本人の弁として、「なぜ聴衆はほかの楽章ばかり聴きたがるんだ、この xx野郎が!」とかなんとか、怒り心頭だったとか、そんなことが紹介されていて、ホンマかいな、と思ったんですが、興味ある方はこのペダンティックな大作もぜひ聴かれることをワタシからも強くオススメする(この曲は単独で発表されたものではなく、当初は『弦楽四重奏曲 第 13 番 変ロ長調 op. 130』の最終楽章として作曲されている)。ちなみにこの「フーガ」ですが、ふつうならば出だしに主題がデーンと提示されるところですが、主要主題から導かれた前口上的な楽句がひとしきりつづいたあと、30 小節目からようやく開始されます。たいへん複雑、かつ前衛的な対位法作品だったので、人気がなかったのはむりもないこと。
なにかと不穏で不安な情勢ではあるが、せっかくの秋の夜長だしこういうときこそ記念イヤーのベートーヴェンの気に入った作品を聴き流しつつ、お気に入りの本とか読んで過ごすのって …… それはそれでステキなことじゃない(桜内梨子ふうに)?
… アンドラーシュ・シフさんついでに、前出のインタビューでこんなことも言ってましたよ。独り言で済ませておけばいいことまで全世界に拡散させられちゃう昨今の人にとっては耳の痛い「苦言」かもね。
人びとはつまらないことですぐに不満を言います。でも、ベートーヴェンをご覧なさい!
↓ は、『田園』でいちばん好きな最終楽章の 230 小節過ぎに出てくる、弦楽パートから。
2019年11月23日
Totally beaten! 参った …
前々から行こう行こうと思ってはやウン十年、このたびようやく浜松市楽器博物館に行ってきました。いまこれを宿泊先のホテル(われながら柄にもなく!)で書いてます。
中央エントランスを入っていきなりデデンと鎮座ましますのは、ミャンマーの「サイン・ワイン」と呼ばれる大型伝統楽器。ドラゴンとかのきらびやかな装飾の施された太鼓やゴングからなる楽器なんですが、この楽器を使用して以前、行われた実演の映像を観ると、なんとこの楽器の中に演奏者が入って演奏するというからさらにビックリ。
… 展示室に入るなり、すでにしてやられた感ありですが、向かって右手に雅楽や歌舞伎、寺院などで使われてきた邦楽の楽器の展示室が、サイン・ワインを挟んで反対側に有名な「ガムラン」を含むアジアの伝統楽器や中東の民族楽器が広〜い展示室内を埋め尽くすように配置されていて、それだけでも壮観のひとこと。ガムランの奥に、世界最大とされる竹でできたガムラン「ジェゴグ」もあります。
楽器専門の博物館らしく、展示楽器のなかにはヘッドフォンでじっさいの音が聴ける仕掛けもあります。そして写真撮影 O.K. という、なんともありがたいサービスに甘えて、もうキュルケゴールじゃないが「あれかこれか」って感じで食指をそそられるものは手当たりしだいにバシャバシャ撮りまくっていた。サントゥールやカーヌーンというツィターや現代ピアノのご先祖様に当たるイランの古楽器をはじめ、チャルメラみたいなダブルリード楽器に、リュートや琵琶の共通の祖先のような弦楽器ウードとか、名前こそ聞いたことはあれど現物を目の当たりにするのはもちろんはじめてなのでおのずと血が騒ごうというもの。
ほかに印象的だったのはパプア・ニューギニアのいわゆる成人儀礼、イニシエーションのときに吹かれるという尺八みたいな湾曲した巨大な縦笛や、中南米に伝わったマリンバのような打楽器、あと原始的な太鼓をはじめとするアフリカ各地の民族楽器なんかはまるで知らないから、ヘッドフォンで試聴したりするうちに自分のなかで西欧クラシック音楽以外の民族音楽というものに対する考え方、いや偏見なのかもしれないが、とにかく短時間のうちにそれがどんどん変わっていくのに気がついた。たしかにリュートもピアノも、もとははるかかなたの中東起源だから、ほんらいこういう感慨に浸るのはヘンだとは思うが、「クラシック音楽の楽器」というあまりに偏ったモノの見方にいかに慣れきってしまっているか、ということがこうした楽器たちが一堂に会するすばらしい博物館に来るとよくわかった気がして、ほんともう目からウロコが落ちっぱなしで、泣けてきた。
で、当然ながら、当方にとってはなじみの古楽器たちももちろんおりました。その名のとおり真っ黒な蛇がのたくったかのような管楽器セルパン(チューバの先祖、ちなみにセルパンの名はオルガンのストップ名称に残っている)、「愛のヴィオラ」ヴィオラ・ダモーレをはじめとするヴィオール属、そしてオルガンやチェンバロ、フォルテピアノからピアノロールと呼ばれた自動演奏装置付きピアノまで、よくぞこれだけの数を収集なすった、と終始圧倒されどうしでした。
ワタシの大好きなオルガンですけど、見かけは本物のポジティフオルガンかと見紛うほどよくできたストップ付きリードオルガンが三つほどと、チェンバーオルガンが展示してありました。でもここの鍵盤楽器コレクションの白眉は、「鍵盤楽器展示室」を入ってすぐ目につく場所にスポットライト浴びて展示されている、フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ2世(F.E. Blanchet II, c.1730-1766)製作の二段手鍵盤のクラヴサン(チェンバロ、ハープシコードの仏語名)。たしかこの楽器、記憶が正しければ、あのレオンハルトも何十年か前に録音で弾いたという歴史的名器だったように思う。例の試聴ヘッドフォンから流れてきたのは、ジャック・デュフリの「三美神 ニ長調」という『クラヴサン曲集 第3巻』に収められた音源から(ちなみにニ長調という調性は、「輝かしさ」や「明るさ」を表現する作品に多く使われる)。音源はたぶん、この楽器を使用して録音された中野振一郎氏のアルバムからだと思う。典型的な古典フレンチの二段手鍵盤タイプの、重厚ではあるがどこか軽やかさ、典雅さも感じられる音色の楽器です。
とにかく今回、来て、じっさいに観て、触れて(チェンバロ、クラヴィコード、ピアノはアクションと呼ばれる発音機構の模型も置いてあって、だれでも触って音を出してみることができる)、これまでの音楽観を揺さぶられるほどの感動を味わった。こんなとてつもない施設が楽器の街として知られるここ浜松にあるとは、なんともうらやましく、ぜいたくにも感じられたのでありました。というわけで、いまはNHK杯女子・男子フリーをホテルの TV で観ながら持参した読みかけの洋書を読むところ。
中央エントランスを入っていきなりデデンと鎮座ましますのは、ミャンマーの「サイン・ワイン」と呼ばれる大型伝統楽器。ドラゴンとかのきらびやかな装飾の施された太鼓やゴングからなる楽器なんですが、この楽器を使用して以前、行われた実演の映像を観ると、なんとこの楽器の中に演奏者が入って演奏するというからさらにビックリ。
… 展示室に入るなり、すでにしてやられた感ありですが、向かって右手に雅楽や歌舞伎、寺院などで使われてきた邦楽の楽器の展示室が、サイン・ワインを挟んで反対側に有名な「ガムラン」を含むアジアの伝統楽器や中東の民族楽器が広〜い展示室内を埋め尽くすように配置されていて、それだけでも壮観のひとこと。ガムランの奥に、世界最大とされる竹でできたガムラン「ジェゴグ」もあります。
楽器専門の博物館らしく、展示楽器のなかにはヘッドフォンでじっさいの音が聴ける仕掛けもあります。そして写真撮影 O.K. という、なんともありがたいサービスに甘えて、もうキュルケゴールじゃないが「あれかこれか」って感じで食指をそそられるものは手当たりしだいにバシャバシャ撮りまくっていた。サントゥールやカーヌーンというツィターや現代ピアノのご先祖様に当たるイランの古楽器をはじめ、チャルメラみたいなダブルリード楽器に、リュートや琵琶の共通の祖先のような弦楽器ウードとか、名前こそ聞いたことはあれど現物を目の当たりにするのはもちろんはじめてなのでおのずと血が騒ごうというもの。
ほかに印象的だったのはパプア・ニューギニアのいわゆる成人儀礼、イニシエーションのときに吹かれるという尺八みたいな湾曲した巨大な縦笛や、中南米に伝わったマリンバのような打楽器、あと原始的な太鼓をはじめとするアフリカ各地の民族楽器なんかはまるで知らないから、ヘッドフォンで試聴したりするうちに自分のなかで西欧クラシック音楽以外の民族音楽というものに対する考え方、いや偏見なのかもしれないが、とにかく短時間のうちにそれがどんどん変わっていくのに気がついた。たしかにリュートもピアノも、もとははるかかなたの中東起源だから、ほんらいこういう感慨に浸るのはヘンだとは思うが、「クラシック音楽の楽器」というあまりに偏ったモノの見方にいかに慣れきってしまっているか、ということがこうした楽器たちが一堂に会するすばらしい博物館に来るとよくわかった気がして、ほんともう目からウロコが落ちっぱなしで、泣けてきた。
で、当然ながら、当方にとってはなじみの古楽器たちももちろんおりました。その名のとおり真っ黒な蛇がのたくったかのような管楽器セルパン(チューバの先祖、ちなみにセルパンの名はオルガンのストップ名称に残っている)、「愛のヴィオラ」ヴィオラ・ダモーレをはじめとするヴィオール属、そしてオルガンやチェンバロ、フォルテピアノからピアノロールと呼ばれた自動演奏装置付きピアノまで、よくぞこれだけの数を収集なすった、と終始圧倒されどうしでした。
ワタシの大好きなオルガンですけど、見かけは本物のポジティフオルガンかと見紛うほどよくできたストップ付きリードオルガンが三つほどと、チェンバーオルガンが展示してありました。でもここの鍵盤楽器コレクションの白眉は、「鍵盤楽器展示室」を入ってすぐ目につく場所にスポットライト浴びて展示されている、フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ2世(F.E. Blanchet II, c.1730-1766)製作の二段手鍵盤のクラヴサン(チェンバロ、ハープシコードの仏語名)。たしかこの楽器、記憶が正しければ、あのレオンハルトも何十年か前に録音で弾いたという歴史的名器だったように思う。例の試聴ヘッドフォンから流れてきたのは、ジャック・デュフリの「三美神 ニ長調」という『クラヴサン曲集 第3巻』に収められた音源から(ちなみにニ長調という調性は、「輝かしさ」や「明るさ」を表現する作品に多く使われる)。音源はたぶん、この楽器を使用して録音された中野振一郎氏のアルバムからだと思う。典型的な古典フレンチの二段手鍵盤タイプの、重厚ではあるがどこか軽やかさ、典雅さも感じられる音色の楽器です。
とにかく今回、来て、じっさいに観て、触れて(チェンバロ、クラヴィコード、ピアノはアクションと呼ばれる発音機構の模型も置いてあって、だれでも触って音を出してみることができる)、これまでの音楽観を揺さぶられるほどの感動を味わった。こんなとてつもない施設が楽器の街として知られるここ浜松にあるとは、なんともうらやましく、ぜいたくにも感じられたのでありました。というわけで、いまはNHK杯女子・男子フリーをホテルの TV で観ながら持参した読みかけの洋書を読むところ。
2017年05月07日
ジルバーマン、トロースト、ヒルデブラント
早いものでもう連休もおしまい、みたいな感じで相も変わらずゴタゴタしている不肖ワタシです。そういえば先月はこういうすんばらしい番組を放映してくれた NHK にはほんと感謝しかなし。とくにうれしかったのは動画配信サイトでもわりと露出度の高いフライベルクの聖マリア大聖堂ジルバーマンオルガンとかナウムブルクの聖ヴェンツェル教会のヒルデブラントオルガンだけでなく、ジルバーマン(兄のアンドレアスのほうではなく、中部ドイツで活躍し、バッハとも親しかったゴットフリートのほう)の建造した比較的小型の知られざる名器も紹介してくれたこと。あと、当然のことながら案内役の鈴木雅明先生はじめ、取材先の 3つのオルガンのオルガニストの顔ぶれとかお話とかが聞けてほんとうに得難い経験でしたね。
最初に紹介されたフライベルクの楽器は 1714 年建造のもので、ゴットフリートがアルザスにあった兄さんの工房で修行したのち故国にもどって最初に手がけた大きな仕事の成果と言われている楽器。フランス趣味が混在する楽器ということもあり、鈴木先生の選曲( と演奏 )はたとえば「幻想曲 BWV.572 」とか「パッサカリア BWV.582」などこのオルガンにぴったりのもの(「パッサカリア」の成立年代は 1710 年代、バッハのヴァイマール時代なので、このオルガンとほぼ同時期の作品になる )。ところでここのオルガン、とくると昔買った日本コロムビアから出ていた PCM(!)録音によるハンス・オットーのこととか思い出すんですけれども、オットーさんはとうに故人になっており、現在のオルガニストは寡聞にして知らなかった。番組ではアルブレヒト・コッホという若い人が出てました。ここのオルガンの演奏台って基壇から一段下がっていて、なんかちょっと狭苦しい感じ … がしないでもない。
つぎに出てきたのが、「ジルバーマンとは対照的な」トビアス・ハインリヒ・ゴットフリート・トローストの建造したオルガン( 1738 年完成、奉献は 1741 年 )で、丘を登りきったところに聳えるお城の付属教会にある楽器。番組でも紹介されていたから二番煎じなのだがバッハは 1739 年 9 月はじめ、ここの楽器を「試奏」している。以下、『バッハの街』という本からの引用になるが、これは非公式の訪問であったらしい。つまり新オルガンの公式な鑑定ではなく、トローストとバッハとのあいだでの個人的なやりとりであったらしい( 城館教会入口付近にはバッハ訪問を示す銘板があり、番組でもちゃんと紹介されていた )。上掲書によると、バッハは「楽器の構造に耐久性があり、それぞれのストップ群の特性と魅力がみごとに引き出されていると判定した」。絶賛だったわけですな( ただし鈴木先生によると、ここのオルガンの鍵盤は「ひじょうに重い」んだそうだ。いったいどんなすごい力で速いパッセージとか弾くんだろ ?? )。
番組でも鈴木先生はここのオルガンの音色の特徴について触れながら、「いざ来ませ異邦人の救い主よ BWV.599 」の出だしを例にいろんな可能性があるよ、ということをじつにわかりやすく説明されていたけれども、これってたとえば翻訳にも通じる気がする。翻訳者は目の前の原書なり原文なりを前に「いかに」日本語文へと移し替えるかに腐心するわけですけれども、このプロセスはオルガニストがあれやこれやストップを引っ張り出し、さまざまな音色のパレットを試すのと似ている。ちなみにここのオルガンは「保守的な」ジルバーマンの楽器とは正反対に前衛的なストップが多く、ここのオルガニストのフェーリクス・フリードリヒ博士によるとフルート系と弦楽器系の、自然倍音を心地よく響かせる独奏に向いたストップが多いようです。
最後に出てきたのが、お待たせしました、という感じのナウムブルクにある聖ヴェンツェル教会の大オルガン( 1746 )。ここのオルガンはバッハが生涯最後に鑑定した楽器でもある( ってこれもそうナレーションされてましたっけ )。ツァハリアス・ヒルデブラント( 1688 − 1757 )はゴットフリートの弟子だった人で、独立後、師匠とは仲が悪かったらしい。1746年 9月 26 日、師匠ゴットフリートとバッハはともにこの楽器の鑑定試験を行っているけど、ヒルデブラントを高く買っていたバッハはこの機会を利用して師匠と弟子とを仲直りさせようとした、という話もある( 上掲書著者は、当時のナウムブルク市参事会の記録からそう推察している )。
ところでこの大オルガン( 実働 53 ストップ、3段手鍵盤と足鍵盤 )、「中部ドイツ型としては珍しく演奏者の後ろにリュックポジティフがある」というナレーションのとおり、そのパイプ列を収納したケースを演奏者が文字どおり「背負って」いるのですけれども、これってひょっとしたら「豪華なプロスペクトを新しいオルガンに採り入れること[ 上掲書 ]」が建造家ヒルデブラントに課せられた注文だった、というのとなんらかの関係があるのかもしれない( もっともこれはたんなる下衆の勘繰りかもしれないが )。プロスペクトというのはオルガンの顔、ケースを飾っているパイプ列のこと。ナウムブルクではバッハとジルバーマンの泊まった宿屋「緑の盾」のあった建物までしっかりと映されており、しかも「商館『赤い鹿』という新しい建物が造られた」という記述を裏付けるように「鹿」の意匠まで大きく映し出していたのは拍手もの(「緑の盾」は「赤い鹿」に建て替えられて現存しない )。
でも「上手の手から水が」。せっかくこんなすばらしい番組放映してくれたのはありがたいかぎりだが、鈴木先生はうろ覚えで( これに関しては当方も常習者だから、人のことを言えた義理ではないことは重々承知のうえ )バッハ晩年の傑作「前奏曲とフーガ BWV.548 」を「二楽章のシンフォニー」と評した人物をシュヴァイツァー博士だったかな? と疑問符つきでコメントされていた。そこまではいいけど、裏も取らずそのまま字幕にするのはどうにも挨拶に困るところ。昔の NHK だったらきちんと校閲しているところだと思う( じっさいはシュヴァイツァーではなく、ブラームス[ 本日が誕生日 ]の友だちの音楽学者フィリップ・シュピッタ、ちなみに「『オルガン小曲集』はバッハの音楽語法の辞典」と古典的著作『バッハ』に書いたのはまちがいなくシュヴァイツァー。んなことだれが言ったっていい、なんて向きもいるでしょうけど、「NHK なんで」やはりこういうところはしっかり確認してほしい )。それにしても先生がごくごく飲んでいたあのリースリングカビネットの白、いいですねぇ、今夜はワタシも呑むぞ( ↓ は、ナウムブルク聖ヴェンツェル教会ヒルデブラントオルガン、弾いているのはここのオルガニストのダーヴィット・フランケ氏。ただ Organlive とかでこの楽器を使用した音源を聴くと、個人的にはここの会堂は少々残響時間が長すぎてワンワンしがちだと思う )!
最初に紹介されたフライベルクの楽器は 1714 年建造のもので、ゴットフリートがアルザスにあった兄さんの工房で修行したのち故国にもどって最初に手がけた大きな仕事の成果と言われている楽器。フランス趣味が混在する楽器ということもあり、鈴木先生の選曲( と演奏 )はたとえば「幻想曲 BWV.572 」とか「パッサカリア BWV.582」などこのオルガンにぴったりのもの(「パッサカリア」の成立年代は 1710 年代、バッハのヴァイマール時代なので、このオルガンとほぼ同時期の作品になる )。ところでここのオルガン、とくると昔買った日本コロムビアから出ていた PCM(!)録音によるハンス・オットーのこととか思い出すんですけれども、オットーさんはとうに故人になっており、現在のオルガニストは寡聞にして知らなかった。番組ではアルブレヒト・コッホという若い人が出てました。ここのオルガンの演奏台って基壇から一段下がっていて、なんかちょっと狭苦しい感じ … がしないでもない。
つぎに出てきたのが、「ジルバーマンとは対照的な」トビアス・ハインリヒ・ゴットフリート・トローストの建造したオルガン( 1738 年完成、奉献は 1741 年 )で、丘を登りきったところに聳えるお城の付属教会にある楽器。番組でも紹介されていたから二番煎じなのだがバッハは 1739 年 9 月はじめ、ここの楽器を「試奏」している。以下、『バッハの街』という本からの引用になるが、これは非公式の訪問であったらしい。つまり新オルガンの公式な鑑定ではなく、トローストとバッハとのあいだでの個人的なやりとりであったらしい( 城館教会入口付近にはバッハ訪問を示す銘板があり、番組でもちゃんと紹介されていた )。上掲書によると、バッハは「楽器の構造に耐久性があり、それぞれのストップ群の特性と魅力がみごとに引き出されていると判定した」。絶賛だったわけですな( ただし鈴木先生によると、ここのオルガンの鍵盤は「ひじょうに重い」んだそうだ。いったいどんなすごい力で速いパッセージとか弾くんだろ ?? )。
番組でも鈴木先生はここのオルガンの音色の特徴について触れながら、「いざ来ませ異邦人の救い主よ BWV.599 」の出だしを例にいろんな可能性があるよ、ということをじつにわかりやすく説明されていたけれども、これってたとえば翻訳にも通じる気がする。翻訳者は目の前の原書なり原文なりを前に「いかに」日本語文へと移し替えるかに腐心するわけですけれども、このプロセスはオルガニストがあれやこれやストップを引っ張り出し、さまざまな音色のパレットを試すのと似ている。ちなみにここのオルガンは「保守的な」ジルバーマンの楽器とは正反対に前衛的なストップが多く、ここのオルガニストのフェーリクス・フリードリヒ博士によるとフルート系と弦楽器系の、自然倍音を心地よく響かせる独奏に向いたストップが多いようです。
最後に出てきたのが、お待たせしました、という感じのナウムブルクにある聖ヴェンツェル教会の大オルガン( 1746 )。ここのオルガンはバッハが生涯最後に鑑定した楽器でもある( ってこれもそうナレーションされてましたっけ )。ツァハリアス・ヒルデブラント( 1688 − 1757 )はゴットフリートの弟子だった人で、独立後、師匠とは仲が悪かったらしい。1746年 9月 26 日、師匠ゴットフリートとバッハはともにこの楽器の鑑定試験を行っているけど、ヒルデブラントを高く買っていたバッハはこの機会を利用して師匠と弟子とを仲直りさせようとした、という話もある( 上掲書著者は、当時のナウムブルク市参事会の記録からそう推察している )。
ところでこの大オルガン( 実働 53 ストップ、3段手鍵盤と足鍵盤 )、「中部ドイツ型としては珍しく演奏者の後ろにリュックポジティフがある」というナレーションのとおり、そのパイプ列を収納したケースを演奏者が文字どおり「背負って」いるのですけれども、これってひょっとしたら「豪華なプロスペクトを新しいオルガンに採り入れること[ 上掲書 ]」が建造家ヒルデブラントに課せられた注文だった、というのとなんらかの関係があるのかもしれない( もっともこれはたんなる下衆の勘繰りかもしれないが )。プロスペクトというのはオルガンの顔、ケースを飾っているパイプ列のこと。ナウムブルクではバッハとジルバーマンの泊まった宿屋「緑の盾」のあった建物までしっかりと映されており、しかも「商館『赤い鹿』という新しい建物が造られた」という記述を裏付けるように「鹿」の意匠まで大きく映し出していたのは拍手もの(「緑の盾」は「赤い鹿」に建て替えられて現存しない )。
でも「上手の手から水が」。せっかくこんなすばらしい番組放映してくれたのはありがたいかぎりだが、鈴木先生はうろ覚えで( これに関しては当方も常習者だから、人のことを言えた義理ではないことは重々承知のうえ )バッハ晩年の傑作「前奏曲とフーガ BWV.548 」を「二楽章のシンフォニー」と評した人物をシュヴァイツァー博士だったかな? と疑問符つきでコメントされていた。そこまではいいけど、裏も取らずそのまま字幕にするのはどうにも挨拶に困るところ。昔の NHK だったらきちんと校閲しているところだと思う( じっさいはシュヴァイツァーではなく、ブラームス[ 本日が誕生日 ]の友だちの音楽学者フィリップ・シュピッタ、ちなみに「『オルガン小曲集』はバッハの音楽語法の辞典」と古典的著作『バッハ』に書いたのはまちがいなくシュヴァイツァー。んなことだれが言ったっていい、なんて向きもいるでしょうけど、「NHK なんで」やはりこういうところはしっかり確認してほしい )。それにしても先生がごくごく飲んでいたあのリースリングカビネットの白、いいですねぇ、今夜はワタシも呑むぞ( ↓ は、ナウムブルク聖ヴェンツェル教会ヒルデブラントオルガン、弾いているのはここのオルガニストのダーヴィット・フランケ氏。ただ Organlive とかでこの楽器を使用した音源を聴くと、個人的にはここの会堂は少々残響時間が長すぎてワンワンしがちだと思う )!
2016年12月25日
「ラスコー展」⇒ パリ木 ⇒ 「鏡の中の鏡」
1). 本日はなんともう( 早 !! )クリスマスじゃないですか。ここんとこいろいろヤボ用が立てこみ、また部屋の整理ついでに National Geographic 日本版など古雑誌や古本やらを整理し( 以前、神田の古本屋さんでティム・セヴェリンの「ブレンダン号の航海」特集号を買ったりしたけど、いまじゃ買い取りしてくれる古書店にお伺いを立ててもこの手の雑誌系は相手にもされない。写真とか付録地図とか、けっこう価値ありだと思うんですがね、雑誌の売れない時代のせいなんですかね )、息つく間もなかったような、今日このごろ。
でもまあ風邪も引かずにここまでなんとかやってこられまして、そのことに深く感謝しつつ、ひさしぶりにお上りさんで先日、かねてより興味のあった「ラスコー展」を見に行ってきた。なんとかいう TV ドラマのせいで(?)、平日でもけっこう混んでるかも、なんていうビッグデータ解析サイト(!)の予測なんかも参考にはして出かけたんですけど、それはみごとにはずれまして会場にすんなり入れました。なるほど、こりゃすごいです。なんせ3万年も前のクロマニョン人の描いた洞窟壁画を精密な3Dレーザースキャンによる測量( 最近はハンドヘルド型で持ち歩きながら自在にその3次元空間のレーザー測距ができる座標測定マシン[ CMM ]というすごい機械もあるから、さらにびっくり )して忠実に再現したラスコー壁画のレプリカ展示は、圧巻( そういえばさっき見た「日曜美術館 / アートシーン」でも紹介されてましたね )。
レプリカ展示もよかったけど、貴重な出土品の数々 ―― ランプ台、矢じり、フリント石器、本邦初公開というトナカイの角に彫りつけた「体を舐めるバイソン」や「馬の彫像」… もすごかったが、もっかキャンベル本( Goddesses )を読んでる身としては、なんといってもイタリアの遺跡から出土したという「ヴィーナス像( 34,000−25,000 年前 )」には文字どおり刮目させられた。いわゆる日本の「土偶」体型。典型的な大地母神のイメージが、はやくもこの時代にみごとに表現されていることに驚かされました。
驚いた、ということでは最後の「後期旧石器時代の日本」に関する展示でもちょっとしたサプライズが。「初音ヶ原遺跡の世界最古の落とし穴」と紹介されていた地層剥ぎ取り断面図の写真パネル。ええっと思いましたよ、わりと近所の遺跡だったので( 苦笑 )。こんなとこでお目にかかるとは、ずいぶん遠回りしたような気分でもある。
でも隣り合わせに展示されていた「東野遺跡の発掘ピット」の写真パネルは、ちょっとよくわからない。長泉町の東野地区にある遺跡のことなのかな? あそこはベルナール・ビュフェ美術館とかヴァンジ彫刻庭園美術館とかが建つ「クレマチスの丘」という複合文化施設のあるところでもあるけど … それはともかく、初音ヶ原遺跡の落とし穴って世界最古級なんだ、それはまったくの初耳。ラスコー洞窟壁画に話をもどすと、生き生きと描かれた牛や馬、バイソンや鹿、ライオンなどの動物群の壁画もすばらしかったけれども、なんといっても印象的だったのはやはり「トリ人間」ですかね。
2). 上野でラスコー壁画の世界を堪能したあと、こんどは「パリ木」を聴くため東京芸術劇場( 芸劇 )へ。ここに来るのもまたひさしぶり。NHK(?)か知らないが TV カメラが入っていて、開場時間になってもぐずぐずしていて入れなかった( 中継が入るとたいていこうなる、1999 年の王子ホール公演のときもそうだった )。今回はア・カペラ歌唱で知られるパリ木にしてはこれまた珍しく、オルガン伴奏つき! なのです( だから行くことにした )。芸劇コンサートホールの「回転オルガン( !! )」は、今回は白いタケノコをスパっとたてに切ったようなデザインのロマンティックオルガン面でした。
パリ木( PCCB )の来日公演を聴くのもひさしぶりだったんですが( 前回は東京カテドラル聖マリア大聖堂[関口教会]での公演で、そのときはヴェロニク・トマサン女史という方が指揮者だった、現在はヴァンサン・カロンという若い方 )、'90 年代の公演スタイルとはかなり様変わりしていてある意味とても新鮮でした。「古参」ファンのなかには「グレゴリオ聖歌ばっかじゃかなわない、アンケートで抗議しようか」なんてことをつぶやく人もいたようだが、 べつに来日公演だからってムリしてまで日本語で日本歌曲を歌うこともないんじゃないでしょうかね。前にも書いたことながら、日本語の歌詞をもっとも美しく歌い上げられるのは、日本の子どもたちですし。ただ、団員の子たちによる曲目紹介くらいはあってもよかったかも。前半の締めがバッハの「ヨハネ受難曲」終結コラールというのもパリ木としてはひじょうにめずらしいプログラムだったけれども、なんといっても印象的だったのは当日オルガンを弾いていた現芸術監督のユーゴ・ギュティエレス( Hugo Gutierrrez )氏みずから作曲した「アニュス・デイ( 神の子羊 )」。この合唱のハーモニーはほんとうに感動的だった。とくに終結の 'Dona nobis pacem, PACEM, PACEM!' の連呼が ―― 昨年から今年にかけて、凶悪なテロ事件に揺れた欧州の人々を慰めるかのような清冽なフォルテで何度も繰り返されるこの「われらに平和を!」は、ほんとうにすばらしかった。でもあいにくプログラムノート( 書き手はなんと「古楽の楽しみ」の関根敏子先生だ !! )は「 … 中世のミサ曲からパリ木の芸術監督ギュティエレスが編曲しています」とずいぶんあっさり終わっているため(?)か、パリ木団員たち渾身の「思い」がいまいち聴衆に伝わっていなかった気がするのはすこぶる残念( 平和ボケ、とは言いませんが、こういう作品こそ反応してほしいところではある。歌っている団員たちの顔にも切実な思いが現れていた )。そういえばこの時期の定番でもあるような「カッチーニのアヴェ・マリア」も歌ってくれました。この作品については、先日放映のこちらの番組で加羽沢美濃さんが作曲家としての鋭い指摘( マイナーコード → メジャーコード … というコード進行は、初期バロックではありえないこと )も交えて解説してましたね。そもそもカッチーニは教会音楽家じゃないから、たしかにありえない話ではある( 'Ave Maria ...' のみの歌詞ってのもことさらにありえない )。最近はしっかり「ヴァヴィロフ作曲 / 編曲」と但し書きされて紹介されることがふつうになってきたから、これはけっこうなことだと思う。レーベル会社や招聘元も誤解を招く言い方ないし表記はそろそろ改めるべきでしょう。
3). パリ木の少年たちの清純な歌声とフランスのオルガン音楽( 当日はギルマンとデュプレのオルガン曲も演奏されて、こちらも大満足 )をたっぷり精神と肉体に取りこんで( 笑 )、最後は音楽そのものについてちょっと書きたいと思います。
先日、地元紙に「世界を翔るタクト」連載中の世界的な指揮者・山田和樹氏が、「音楽のすばらしさは、技術的なうまい・へたを超えたところにある」という趣旨のことを書いていらして、わが意を得たり、と思いました。そんな折も折、愛聴している「きらクラ!」のあのふかわりょうさんがピアノ、遠藤真理さんがチェロでアルヴォ・ペルトのあの「鏡の中の鏡」を演奏してくれたことは( ワタシだけじゃなく、全リスナーがそう感じていたであろうと思うが )ほんとうにうれしいサプライズでした。フーマンさん、Danke schön !!
ヴァヴィロフの話じゃないけど、音楽作品にかぎらず芸術作品というのは作者の手を離れて、リスナーや読み手のものになった瞬間、もう作者のものではなくなる( と思う )。だれが作ったのかという真贋論争というのもたしかにそれはそれで大事なことですけど、芸術が人の心に呼び起こす感動というのはプロとか素人とか、それでカネ稼いでいるとかいないとか、そんなこととはまったく関係のない次元の話であって、ワタシはとくに音楽作品そのもののもつ「価値」を最重要視するほう。だからきょくたんな話、プロの名演であろうがちょっと足取りの危なっかしい子どもの演奏だろうが、しぜんと感動を呼び起こすのがホンモノの音楽作品、芸術のもつ底力なんじゃないかって気がします。みなさまもよき( そしてなによりも平和を !! )クリスマスと新年を。
でもまあ風邪も引かずにここまでなんとかやってこられまして、そのことに深く感謝しつつ、ひさしぶりにお上りさんで先日、かねてより興味のあった「ラスコー展」を見に行ってきた。なんとかいう TV ドラマのせいで(?)、平日でもけっこう混んでるかも、なんていうビッグデータ解析サイト(!)の予測なんかも参考にはして出かけたんですけど、それはみごとにはずれまして会場にすんなり入れました。なるほど、こりゃすごいです。なんせ3万年も前のクロマニョン人の描いた洞窟壁画を精密な3Dレーザースキャンによる測量( 最近はハンドヘルド型で持ち歩きながら自在にその3次元空間のレーザー測距ができる座標測定マシン[ CMM ]というすごい機械もあるから、さらにびっくり )して忠実に再現したラスコー壁画のレプリカ展示は、圧巻( そういえばさっき見た「日曜美術館 / アートシーン」でも紹介されてましたね )。
レプリカ展示もよかったけど、貴重な出土品の数々 ―― ランプ台、矢じり、フリント石器、本邦初公開というトナカイの角に彫りつけた「体を舐めるバイソン」や「馬の彫像」… もすごかったが、もっかキャンベル本( Goddesses )を読んでる身としては、なんといってもイタリアの遺跡から出土したという「ヴィーナス像( 34,000−25,000 年前 )」には文字どおり刮目させられた。いわゆる日本の「土偶」体型。典型的な大地母神のイメージが、はやくもこの時代にみごとに表現されていることに驚かされました。
驚いた、ということでは最後の「後期旧石器時代の日本」に関する展示でもちょっとしたサプライズが。「初音ヶ原遺跡の世界最古の落とし穴」と紹介されていた地層剥ぎ取り断面図の写真パネル。ええっと思いましたよ、わりと近所の遺跡だったので( 苦笑 )。こんなとこでお目にかかるとは、ずいぶん遠回りしたような気分でもある。
でも隣り合わせに展示されていた「東野遺跡の発掘ピット」の写真パネルは、ちょっとよくわからない。長泉町の東野地区にある遺跡のことなのかな? あそこはベルナール・ビュフェ美術館とかヴァンジ彫刻庭園美術館とかが建つ「クレマチスの丘」という複合文化施設のあるところでもあるけど … それはともかく、初音ヶ原遺跡の落とし穴って世界最古級なんだ、それはまったくの初耳。ラスコー洞窟壁画に話をもどすと、生き生きと描かれた牛や馬、バイソンや鹿、ライオンなどの動物群の壁画もすばらしかったけれども、なんといっても印象的だったのはやはり「トリ人間」ですかね。
2). 上野でラスコー壁画の世界を堪能したあと、こんどは「パリ木」を聴くため東京芸術劇場( 芸劇 )へ。ここに来るのもまたひさしぶり。NHK(?)か知らないが TV カメラが入っていて、開場時間になってもぐずぐずしていて入れなかった( 中継が入るとたいていこうなる、1999 年の王子ホール公演のときもそうだった )。今回はア・カペラ歌唱で知られるパリ木にしてはこれまた珍しく、オルガン伴奏つき! なのです( だから行くことにした )。芸劇コンサートホールの「回転オルガン( !! )」は、今回は白いタケノコをスパっとたてに切ったようなデザインのロマンティックオルガン面でした。
パリ木( PCCB )の来日公演を聴くのもひさしぶりだったんですが( 前回は東京カテドラル聖マリア大聖堂[関口教会]での公演で、そのときはヴェロニク・トマサン女史という方が指揮者だった、現在はヴァンサン・カロンという若い方 )、'90 年代の公演スタイルとはかなり様変わりしていてある意味とても新鮮でした。「古参」ファンのなかには「グレゴリオ聖歌ばっかじゃかなわない、アンケートで抗議しようか」なんてことをつぶやく人もいたようだが、 べつに来日公演だからってムリしてまで日本語で日本歌曲を歌うこともないんじゃないでしょうかね。前にも書いたことながら、日本語の歌詞をもっとも美しく歌い上げられるのは、日本の子どもたちですし。ただ、団員の子たちによる曲目紹介くらいはあってもよかったかも。前半の締めがバッハの「ヨハネ受難曲」終結コラールというのもパリ木としてはひじょうにめずらしいプログラムだったけれども、なんといっても印象的だったのは当日オルガンを弾いていた現芸術監督のユーゴ・ギュティエレス( Hugo Gutierrrez )氏みずから作曲した「アニュス・デイ( 神の子羊 )」。この合唱のハーモニーはほんとうに感動的だった。とくに終結の 'Dona nobis pacem, PACEM, PACEM!' の連呼が ―― 昨年から今年にかけて、凶悪なテロ事件に揺れた欧州の人々を慰めるかのような清冽なフォルテで何度も繰り返されるこの「われらに平和を!」は、ほんとうにすばらしかった。でもあいにくプログラムノート( 書き手はなんと「古楽の楽しみ」の関根敏子先生だ !! )は「 … 中世のミサ曲からパリ木の芸術監督ギュティエレスが編曲しています」とずいぶんあっさり終わっているため(?)か、パリ木団員たち渾身の「思い」がいまいち聴衆に伝わっていなかった気がするのはすこぶる残念( 平和ボケ、とは言いませんが、こういう作品こそ反応してほしいところではある。歌っている団員たちの顔にも切実な思いが現れていた )。そういえばこの時期の定番でもあるような「カッチーニのアヴェ・マリア」も歌ってくれました。この作品については、先日放映のこちらの番組で加羽沢美濃さんが作曲家としての鋭い指摘( マイナーコード → メジャーコード … というコード進行は、初期バロックではありえないこと )も交えて解説してましたね。そもそもカッチーニは教会音楽家じゃないから、たしかにありえない話ではある( 'Ave Maria ...' のみの歌詞ってのもことさらにありえない )。最近はしっかり「ヴァヴィロフ作曲 / 編曲」と但し書きされて紹介されることがふつうになってきたから、これはけっこうなことだと思う。レーベル会社や招聘元も誤解を招く言い方ないし表記はそろそろ改めるべきでしょう。
3). パリ木の少年たちの清純な歌声とフランスのオルガン音楽( 当日はギルマンとデュプレのオルガン曲も演奏されて、こちらも大満足 )をたっぷり精神と肉体に取りこんで( 笑 )、最後は音楽そのものについてちょっと書きたいと思います。
先日、地元紙に「世界を翔るタクト」連載中の世界的な指揮者・山田和樹氏が、「音楽のすばらしさは、技術的なうまい・へたを超えたところにある」という趣旨のことを書いていらして、わが意を得たり、と思いました。そんな折も折、愛聴している「きらクラ!」のあのふかわりょうさんがピアノ、遠藤真理さんがチェロでアルヴォ・ペルトのあの「鏡の中の鏡」を演奏してくれたことは( ワタシだけじゃなく、全リスナーがそう感じていたであろうと思うが )ほんとうにうれしいサプライズでした。フーマンさん、Danke schön !!
ヴァヴィロフの話じゃないけど、音楽作品にかぎらず芸術作品というのは作者の手を離れて、リスナーや読み手のものになった瞬間、もう作者のものではなくなる( と思う )。だれが作ったのかという真贋論争というのもたしかにそれはそれで大事なことですけど、芸術が人の心に呼び起こす感動というのはプロとか素人とか、それでカネ稼いでいるとかいないとか、そんなこととはまったく関係のない次元の話であって、ワタシはとくに音楽作品そのもののもつ「価値」を最重要視するほう。だからきょくたんな話、プロの名演であろうがちょっと足取りの危なっかしい子どもの演奏だろうが、しぜんと感動を呼び起こすのがホンモノの音楽作品、芸術のもつ底力なんじゃないかって気がします。みなさまもよき( そしてなによりも平和を !! )クリスマスと新年を。
2016年10月23日
'AKSEL!' ⇒ PPAP( 苦笑 )
1). 以前、ここでもちょこっと触れたノルウェイの大型新人少年歌手( ボーイソプラノ / トレブル )のアクセル・リクヴィン( Aksel Rykkvin )くん。今年 13 歳のアクセル少年の豊かな声量、たくまざるテクニックとそのノビのよい歌声をはじめて聴いたとき、「この子はアレッドの再来か ?! 」って思ったもんです( リンク貼ったのは、いまどきこの伝説的ボーイソプラノを知らない人がほとんどではないかと思ったまでのこと )。
で、いまそのアクセルくんのデビューアルバム( AKSEL! Arias by Bach, Handel and Mozart )聴きながら書いてるんですけど、個人的な好みではもうすこし「少年らしさ」があってもいいんじゃないかとも感じます。とくにヘンデルのアリアで顕著なんですが、コロラトゥーラ唱法にこだわり過ぎてるところがなきにしもあらず、と思えるので … でもヘンデルはじめバッハやモーツァルトなど、バロック−前期古典派といった古い時代の作品をもっとも得意としているらしくて、これはすなおにとてもうれしいことではある。バッハ( 真の作者はシュテルツェル )「御身がそばにいるならば BWV. 508 」なんかもう最高。アクセルくんと言えば、この前 BBC Radio3 のある番組に呼ばれて生の歌声も披露してくれたけど、このアルバムの録音に参加しているオケがこれまたすごくて、なんとナイジェル・ショート指揮のエイジ・オヴ・エンライトゥンメント管弦楽団ですぞ !!
収録はロンドンの教会で行われたようで、「 fantastic な経験だった」とすまし顔でインタヴューにこたえてたアクセル少年、じつはこのアルバムリリースはいまはやりの「クラウドファンディング」で資金調達( !! )したんだとか。で、ライナーの最後のページにその資金提供者のご芳名がずらり並んでいる( あいにく邦人の名前はなかったけど。レーベルはテュークスベリーのアルバムなど、聖歌隊ものをけっこう出している英 Signum Records )。
いまからちょうど 10 年前だったかな、米 Time 誌の恒例「今年の人」に選ばれたのが、なんと YOU !!! 当時、日本でも認知されはじめた大手動画投稿サイトのプレーヤー画面を模したその表紙は鏡面光沢になっていて、手に取った読者はそのプレーヤー画面に自分の顔が映る、というおもしろいデザインだったのを思い出す。いまや動画投稿は当たり前、これで稼ぐ人まで現れるし、SNS 経由であっという間に全世界に「拡散」し、一躍ときの人、なんてことも日常茶飯事になりつつある( そういや My Space っていまはいずこ … ?)。なのでこういう話を聞くと、やはり時代だなあ、と感じてしまうのも事実。インターネットも SNS も動画投稿サイトもなーんもなかったころ、アンディ・ウォーホルだったか、「だれでも 15 分間は有名になれる」とか、そんなこと言っていた人がいたけど、いやはやたいへんな時代になったもんである。
そのアクセル少年は、もちろんそんな「一発屋( one-hit wonder )」なんかじゃありませんで、5歳にして歌手になると決心、オスロ大聖堂聖歌隊のオーディションに行ったそうです。翌年、入隊が認められて、いまもそこの少年聖歌隊員で、3年前からはノルウェイのナショナルオペラ & バレエの児童合唱団にも参加しているそうです。どうりでオペラアリアの歌いっぷりが堂に入っているわけだ。
2). 「歌声がアレッド(・ジョーンズ)に似ている」ってさっき書いたけど、じつは彼の目標がそのアレッドのようで … 歌手を志していたとき、家でボーイソプラノの CD とかよく聴いていたんだそうです。もっとも音楽的才能と稀有な歌声に恵まれているとはいえ、男の子の場合はどうしても「声変わり」という関門を避けられないので、そのへんをうまく切り抜けてくれればよいがなと、お節介ながら思ってしまう。
彼の目標のアレッドは、かつて日本でも大ブレイクしたことがあったけど、この声変わりをうまく切り抜けることができなかった( 一時期、なんとあの D. フィッシャー−ディースカウに師事していたこともある )。その後 BBC の仕事とかミュージカルに出たりして、結婚してからようやく声が安定したのか、変声後はじめてのアルバムを出したのが 2002 年のこと( 国内盤が翌年出ていたとはいままで知らなかった )。オトナになると、かつての志がいつのまにかどっかに行って、比較神話学者キャンベルふうに言えば、「お金がどこから来て、どこへ向かうのか」にどうしても意識と関心が集中してしまいがちになる。
もちろんおカネは大事です !! いっつも財布の中身がピーピーな不肖ワタシは、ほんとにそう思う。でも願わくばそんな芸事の本筋とは関係ないことにはあまり煩わされずに大好きな道をどんどん突き進んでいって折角精進してほしい、と思う。だって芸術、アートってのはほんらい、「お金がどこから来て、どこへ向かうのか」とは次元の異なるものなのだから。
以前、キャンベル先生が受講者だかなんだかわからんが、聴衆を前にジョイスに関する講義を行っている動画を見たことがあります … で、『若い芸術家の肖像( A Portrait of the Artist as a Young Man )』を手にとって、「ジョイスは、芸術には static なものと、kinetic なものがあると言っている」とか、そんなことを語っていた。どういうことかと言うと、「こうすればもっと受ける」とか、「観客動員数を上げよう」とか、そういうことを最優先にしてこさえるのが「動的」な芸術。そうでなくて、純粋に内なる声に耳を傾け、対話し、内面のもっとも深いところまで降りていって「そのものの完全性( Integritas )」を認識させるような作品を苦心してこさえるのが「静的な」芸術だ、ということ。だいぶ前だが、いわゆる「ケータイ小説」なるものを書いている人の執筆現場というのを TV で見たことがあるけど、なんと読者となかば対話しつつ、彼らの要望も取り入れながら書いていたのには仰天した。ワタシの常識ではほとんど理解不能な「創作姿勢」です。
これ書くためにほんとひさしぶりにアレッドの自伝本( Aled : The Autobiography, 2005 )を引っぱり出してみると、所帯持ちになったアレッドが「デビューアルバムがチャートの何番目に入っているか」をしきりに気にしている箇所が出てくる。デビュー盤の発売初日、アレッドは「どれくらい売れるのか見当がつかず、こわかった」と正直に告白している( p. 203 )。アーティスト本人が事前に知らされているのは、先行予約がどれくらい入っているかという情報だけ。文字通りフタを開けてみないとわからない世界というわけです。
3). フタを開けてみなけりゃわからなかった、という一例として、こちらも挙げていいのかもしれない。ジャスティン・ビーバーのたったひと言で一躍世界的な「有名人」になった、あのピコ太郎氏。なるほど、ある意味ひじょうに計算し尽くされていて、あれはあれでよくできているとは思いますよ。とはいえこれだけメガヒット( かな? )を飛ばすとは、そしてデスメタル調(?)あり、バラッド調ありと全世界からマネされようとは、当のご本人もまるで予期していなかったにちがいない。
でもほんとうに試金石になるのが、やはり「2作目」とそれ以降でしょう。映画なんかそうですね。アレッドもセカンドアルバム Higher を出す際、強烈なプレッシャーを感じていたと述懐しています( このアルバムに収録されている 'You Raise Me Up' はけっこう好きです )。そしてじつはキャンベル先生もまた、『神の仮面』シリーズの 2番目の著作『東洋神話』の巻の執筆にたいへん難渋したとか。それもこれも当時、国際的な宗教会議に出席するため日本( !!! )に行かなければならず、あまり執筆の時間がなかったため一気呵成に書き上げた( はずの )第 1 巻『原始神話』が著者の予想に反して(?)けっこう売れた、ということがあり、それが重荷になっていた … らしいです( カリフォルニアの景勝地ビッグ・サーで長年、開いていたレクチャーのある回でキャンベル自身がそう語っている )。アクセル少年は … おそらくそんなことはなかろう。まだまだ若いし、人生これから。そういう芸術とはあまり関係ない事項に汲々としなければならなくなるのは、「もうとうに、まだまだ」だろうから。
繰り返すが、芸術家にとっておカネは、はっきり言って副次的なもの。いちばん大事なのは、他者がどう見ているか、どう反応するか、その結果、儲かるか、とかそんなことじゃないはずです。なにが大事かって? 不肖ワタシがえらそうな御託を並べるより、真の偉人に語ってもらったほうがよいでしょう[ 文中の下線強調は引用者 ]。↓
[ 付記 ]:今月 2日、世界的指揮者のサー・ネヴィル・マリナー氏が逝去された( 享年 92 )。自分もマリナー氏の指揮によるディーリアスやヴォーン・ウィリアムズなどの英国作曲家のアルバムとかときおり聴くのでとても残念でならない。アクセル少年はじめ、最近のアーティストはたいてい SNS アカウントを持っていて、「いついつにこれこれをやるから聴きに / 見に来てね!」とか、「いいね!」してもらうのが当たり前みたいになっているこのご時世になかば流されるように生きていると、そういう人たちが手の届かないところにいた過去を懐かしくも感じたりする。「巨匠の時代」は遠くなりにけり、か( 先週の「クラシック音楽館」で 2014 年2月に N響サントリー定期を振ったときの録画を流してくれたのはうれしかった。合掌 )。
* ... ホセ・オルテガ・イ・ガセット、佐々木孝訳『ドン・キホーテをめぐる思索』未來社、1987、p. 177。このすぐあとに、「私は、この英雄の『実践的』かつ行動的独創性以上に深い独創性が存在するとは思わない。彼の一生は、習慣的できまりきったことに対するたえまのない反抗である。… このような生涯は、永遠の苦悩であり、習慣のままに物質の奴隷となっている自己の部分から絶えず身をひきはなすことなのだ」とつづく。
で、いまそのアクセルくんのデビューアルバム( AKSEL! Arias by Bach, Handel and Mozart )聴きながら書いてるんですけど、個人的な好みではもうすこし「少年らしさ」があってもいいんじゃないかとも感じます。とくにヘンデルのアリアで顕著なんですが、コロラトゥーラ唱法にこだわり過ぎてるところがなきにしもあらず、と思えるので … でもヘンデルはじめバッハやモーツァルトなど、バロック−前期古典派といった古い時代の作品をもっとも得意としているらしくて、これはすなおにとてもうれしいことではある。バッハ( 真の作者はシュテルツェル )「御身がそばにいるならば BWV. 508 」なんかもう最高。アクセルくんと言えば、この前 BBC Radio3 のある番組に呼ばれて生の歌声も披露してくれたけど、このアルバムの録音に参加しているオケがこれまたすごくて、なんとナイジェル・ショート指揮のエイジ・オヴ・エンライトゥンメント管弦楽団ですぞ !!
収録はロンドンの教会で行われたようで、「 fantastic な経験だった」とすまし顔でインタヴューにこたえてたアクセル少年、じつはこのアルバムリリースはいまはやりの「クラウドファンディング」で資金調達( !! )したんだとか。で、ライナーの最後のページにその資金提供者のご芳名がずらり並んでいる( あいにく邦人の名前はなかったけど。レーベルはテュークスベリーのアルバムなど、聖歌隊ものをけっこう出している英 Signum Records )。
いまからちょうど 10 年前だったかな、米 Time 誌の恒例「今年の人」に選ばれたのが、なんと YOU !!! 当時、日本でも認知されはじめた大手動画投稿サイトのプレーヤー画面を模したその表紙は鏡面光沢になっていて、手に取った読者はそのプレーヤー画面に自分の顔が映る、というおもしろいデザインだったのを思い出す。いまや動画投稿は当たり前、これで稼ぐ人まで現れるし、SNS 経由であっという間に全世界に「拡散」し、一躍ときの人、なんてことも日常茶飯事になりつつある( そういや My Space っていまはいずこ … ?)。なのでこういう話を聞くと、やはり時代だなあ、と感じてしまうのも事実。インターネットも SNS も動画投稿サイトもなーんもなかったころ、アンディ・ウォーホルだったか、「だれでも 15 分間は有名になれる」とか、そんなこと言っていた人がいたけど、いやはやたいへんな時代になったもんである。
そのアクセル少年は、もちろんそんな「一発屋( one-hit wonder )」なんかじゃありませんで、5歳にして歌手になると決心、オスロ大聖堂聖歌隊のオーディションに行ったそうです。翌年、入隊が認められて、いまもそこの少年聖歌隊員で、3年前からはノルウェイのナショナルオペラ & バレエの児童合唱団にも参加しているそうです。どうりでオペラアリアの歌いっぷりが堂に入っているわけだ。
2). 「歌声がアレッド(・ジョーンズ)に似ている」ってさっき書いたけど、じつは彼の目標がそのアレッドのようで … 歌手を志していたとき、家でボーイソプラノの CD とかよく聴いていたんだそうです。もっとも音楽的才能と稀有な歌声に恵まれているとはいえ、男の子の場合はどうしても「声変わり」という関門を避けられないので、そのへんをうまく切り抜けてくれればよいがなと、お節介ながら思ってしまう。
彼の目標のアレッドは、かつて日本でも大ブレイクしたことがあったけど、この声変わりをうまく切り抜けることができなかった( 一時期、なんとあの D. フィッシャー−ディースカウに師事していたこともある )。その後 BBC の仕事とかミュージカルに出たりして、結婚してからようやく声が安定したのか、変声後はじめてのアルバムを出したのが 2002 年のこと( 国内盤が翌年出ていたとはいままで知らなかった )。オトナになると、かつての志がいつのまにかどっかに行って、比較神話学者キャンベルふうに言えば、「お金がどこから来て、どこへ向かうのか」にどうしても意識と関心が集中してしまいがちになる。
もちろんおカネは大事です !! いっつも財布の中身がピーピーな不肖ワタシは、ほんとにそう思う。でも願わくばそんな芸事の本筋とは関係ないことにはあまり煩わされずに大好きな道をどんどん突き進んでいって折角精進してほしい、と思う。だって芸術、アートってのはほんらい、「お金がどこから来て、どこへ向かうのか」とは次元の異なるものなのだから。
以前、キャンベル先生が受講者だかなんだかわからんが、聴衆を前にジョイスに関する講義を行っている動画を見たことがあります … で、『若い芸術家の肖像( A Portrait of the Artist as a Young Man )』を手にとって、「ジョイスは、芸術には static なものと、kinetic なものがあると言っている」とか、そんなことを語っていた。どういうことかと言うと、「こうすればもっと受ける」とか、「観客動員数を上げよう」とか、そういうことを最優先にしてこさえるのが「動的」な芸術。そうでなくて、純粋に内なる声に耳を傾け、対話し、内面のもっとも深いところまで降りていって「そのものの完全性( Integritas )」を認識させるような作品を苦心してこさえるのが「静的な」芸術だ、ということ。だいぶ前だが、いわゆる「ケータイ小説」なるものを書いている人の執筆現場というのを TV で見たことがあるけど、なんと読者となかば対話しつつ、彼らの要望も取り入れながら書いていたのには仰天した。ワタシの常識ではほとんど理解不能な「創作姿勢」です。
これ書くためにほんとひさしぶりにアレッドの自伝本( Aled : The Autobiography, 2005 )を引っぱり出してみると、所帯持ちになったアレッドが「デビューアルバムがチャートの何番目に入っているか」をしきりに気にしている箇所が出てくる。デビュー盤の発売初日、アレッドは「どれくらい売れるのか見当がつかず、こわかった」と正直に告白している( p. 203 )。アーティスト本人が事前に知らされているのは、先行予約がどれくらい入っているかという情報だけ。文字通りフタを開けてみないとわからない世界というわけです。
3). フタを開けてみなけりゃわからなかった、という一例として、こちらも挙げていいのかもしれない。ジャスティン・ビーバーのたったひと言で一躍世界的な「有名人」になった、あのピコ太郎氏。なるほど、ある意味ひじょうに計算し尽くされていて、あれはあれでよくできているとは思いますよ。とはいえこれだけメガヒット( かな? )を飛ばすとは、そしてデスメタル調(?)あり、バラッド調ありと全世界からマネされようとは、当のご本人もまるで予期していなかったにちがいない。
でもほんとうに試金石になるのが、やはり「2作目」とそれ以降でしょう。映画なんかそうですね。アレッドもセカンドアルバム Higher を出す際、強烈なプレッシャーを感じていたと述懐しています( このアルバムに収録されている 'You Raise Me Up' はけっこう好きです )。そしてじつはキャンベル先生もまた、『神の仮面』シリーズの 2番目の著作『東洋神話』の巻の執筆にたいへん難渋したとか。それもこれも当時、国際的な宗教会議に出席するため日本( !!! )に行かなければならず、あまり執筆の時間がなかったため一気呵成に書き上げた( はずの )第 1 巻『原始神話』が著者の予想に反して(?)けっこう売れた、ということがあり、それが重荷になっていた … らしいです( カリフォルニアの景勝地ビッグ・サーで長年、開いていたレクチャーのある回でキャンベル自身がそう語っている )。アクセル少年は … おそらくそんなことはなかろう。まだまだ若いし、人生これから。そういう芸術とはあまり関係ない事項に汲々としなければならなくなるのは、「もうとうに、まだまだ」だろうから。
繰り返すが、芸術家にとっておカネは、はっきり言って副次的なもの。いちばん大事なのは、他者がどう見ているか、どう反応するか、その結果、儲かるか、とかそんなことじゃないはずです。なにが大事かって? 不肖ワタシがえらそうな御託を並べるより、真の偉人に語ってもらったほうがよいでしょう[ 文中の下線強調は引用者 ]。↓
… しかし現実に満足しまいと決意した人たちが存在することも、また事実である。このような人たちは、事物が別のコースをとることを熱望している。つまり、習慣や伝統、簡単に言うなら生物的な本能がおしつけてくるいろいろな所作を繰り返すことを拒否するのである。われわれはこの者たちを英雄と呼ぶ。なぜなら、英雄であるとは唯一のものであること、自分自身であることだからである。もしわれわれが伝統や周囲のものがある決まりきった行為を強制することに反抗するとしたら、それは、われわれが自分たちの行為の起源を、われわれ自身に、われわれのみに求めようとするからなのだ。英雄がなにかを欲するとき、そうするのは彼の中にある先祖たちでもなく、現在の慣行でもない。彼自身が欲するのである。そして、このように自分自身であろうとすることこそ英雄なのだ。*
[ 付記 ]:今月 2日、世界的指揮者のサー・ネヴィル・マリナー氏が逝去された( 享年 92 )。自分もマリナー氏の指揮によるディーリアスやヴォーン・ウィリアムズなどの英国作曲家のアルバムとかときおり聴くのでとても残念でならない。アクセル少年はじめ、最近のアーティストはたいてい SNS アカウントを持っていて、「いついつにこれこれをやるから聴きに / 見に来てね!」とか、「いいね!」してもらうのが当たり前みたいになっているこのご時世になかば流されるように生きていると、そういう人たちが手の届かないところにいた過去を懐かしくも感じたりする。「巨匠の時代」は遠くなりにけり、か( 先週の「クラシック音楽館」で 2014 年2月に N響サントリー定期を振ったときの録画を流してくれたのはうれしかった。合掌 )。
* ... ホセ・オルテガ・イ・ガセット、佐々木孝訳『ドン・キホーテをめぐる思索』未來社、1987、p. 177。このすぐあとに、「私は、この英雄の『実践的』かつ行動的独創性以上に深い独創性が存在するとは思わない。彼の一生は、習慣的できまりきったことに対するたえまのない反抗である。… このような生涯は、永遠の苦悩であり、習慣のままに物質の奴隷となっている自己の部分から絶えず身をひきはなすことなのだ」とつづく。
2016年09月18日
バッハは「無名の音楽家」??
以下は、あくまで個人的感想で、それ以下でも以上でもなし。とはいえバッハ大好き人間としては、ちょっと挨拶に困るかなあ、というわけですこし書かせていただきます。
先日見た民放のクラシック音楽家関連番組。もっともダ・ヴィンチも含まれていたから、必ずしもそうとは言えないかもしれないが( でも、ダ・ヴィンチ自身、すぐれたリュート弾きでもあった、ついでにガリレオの親父さんも )、とにかくその番組の出だしで取り上げられたのがわれらがバッハ。で、のっけから紹介されていたのが最晩年の作品「音楽の捧げもの BWV. 1079 」の「各種カノン」のひとつ、「2声の逆行カノン」。カニさんの横歩きにも似ていることから、「蟹のカノン」とも呼ばれる形式の、一種の音楽クイズじみた作品です。番組でも紹介されていたごとくバッハ自筆譜のままではどうやって演奏してよいものやら見当もつかないが、お尻のハ音記号から逆向きに[ つまり、鏡写しに表記されている ]書かれた音型も同時に鳴らすとアラ不思議、2声カノンとして成立するというもの。
… と、ここまではよかったんですけど、そのあとで聞き捨てならないこんな趣旨の発言が。「生前のバッハは無名の音楽家だった。それが 19 世紀になって、再発見された」。
むむむむむ、はへひほふ[ 柳瀬訳『フィネガン』の悪影響 ]、「無名の音楽家」なんて断定しちゃあ、それこそバッハも形無しでしょうよ、「シドいこと言うなあ」なんて。手許の文庫本を繰ってみると、
「知名度」ということでは、たしかにハンブルクの盟友テレマンやかのハンデル、昔の名前ヘンデル氏には足許にもおよばず、そういう点では劣っていたことは紛れもない事実。でも即、「名なしの音楽家」呼ばわりされてしまうと、一地方の宮仕え音楽家ていどでほんとに知られてなかったかのような印象を与える。当時の絶対王政社会では、音楽家は宮仕えが当たり前で、「知名度」イコール人口に膾炙していたというわけではない。ジャガイモ畑を汗して耕していた農民にとっては「ザクセン選帝侯宮廷作曲家」の称号も縁遠い話だったろうし、とにかくいまの尺度とはまるでちがっていたはず。いや、バッハの地元の人ならばたとえば礼拝で、あるいは公開演奏会で、はたまた「マルシャンとの公開鍵盤対決!」みたいなことを伝え聞いたりして、バッハのすばらしいオルガン / クラヴィーア独奏の妙技を知らぬ者はむしろいなかったと思う、というかバッハ一族が代々活躍してきた中部ドイツでは「音楽家」= バッハ、音楽家の代名詞的存在とも言える存在だった。いくらバッハが生業として「領主 / 宮廷 / 教会当局のため」に作品を書いたからといって、即それが「名無しの音楽家」というわけでもなかったことは、公共図書館にあるバッハ関連本をいくつか漁ってみれば明らかなこと。ラジオもテレビもなーんもない時代、海の向こうのヘンデル氏がいくら知名度抜群だったからって、当時の領邦国家集合体に住む人みんながみんなその名を知っていたわけじゃないでしょう。むしろ身近なバッハ氏のほうがよく知られていたはず。
ものは言いよう、とは言うものの、もしバッハがほんとに「無名の音楽家」に過ぎなかったら、それこそメンデルスゾーンのような若き天才に「再発見」されようもなく、あるいはブラームスが、届けられた『ヘンデル全集』には目もくれなかったように、冷遇されたんじゃないかしら? よく知られていることながら、バッハの死後、彼の作品をいわば「伝統流派」のごとく継承していった音楽家が少なからずいた ―― むろんそこにはバッハの息子たちも、そしてバッハ直伝の弟子たちもいた ―― という幸運があったからこそ、メンデルスゾーンが肉屋の包み紙( だったっけ )に使われていたとかいう「マタイ」の自筆譜を見つけ、19 世紀のバッハ再評価へとつながったんじゃないかしら( くどいようだが、それがいいのかどうかはまた別問題 )。
もっとも手許の本にもあるように「バッハの死をもってバロック音楽の終結を見るのは、19 世紀以来のドイツ音楽史観の悪癖」だと思うし、昨今の急激なバッハ研究の進展とかを素人なりに遠巻きに見ても、そういう 19 世紀以来の厚ぼったいバッハ像、バッハ神話はだいぶ崩されてきたようには思う。西洋音楽史におけるバロック音楽の終わりとバッハとの関係は、再検証されてしかるべきでしょう。
逆に、当時はよく知られていたのにいまはほとんど忘れられている、なんていう音楽家もゴマンといる。たとえばバッハ評伝作者として超有名なフォルケルだって当時としては高名な音楽家で、たくさん作品を残しているのに、「古楽の楽しみ」その他の音楽番組で取り上げられたこととかあっただろうか ?? すくなくともワタシにはそんな記憶はなし。
こう考えると、「無名」の基準っていったいなんだろ、って思う。なにをもって無名なのか。無名とくるとなんだかアマチュアみたいにも聞こえるが、アルビノーニはまさしくそんなハイアマチュアだった人。でもしっかりその作品は後世に残り、たびたび演奏会で取り上げられてもいる[ もっとも「アダージョ」は、「発見者」ジャゾットの作品だけど ]。そのじつバッハの親戚筋のヴァルターなんかはどうかな。『音楽事典 Musicalisches Lexicon 』編纂者としても有名だったこの人のオルガンコラール作品とかはたまーに耳にしたりするけど、ヴァルターの名前はいまやほとんど忘れられているように思う。パッヘルベルも声楽作品とか室内楽作品とかも書いているのに、「ニ長調のカノン」とちがってこちらは演奏されることはほとんどない、というか「きらクラ!」の「メンバー紹介」じゃないけど、「カノン」につづく「ジーグ」さえ演奏されることはめったにない。
知名度ということではバッハの次男坊カール・フィリップ・エマヌエルのほうが、あるいはモーツァルトを教えたことでも知られる「ロンドンのバッハ」、末っ子ヨハン・クリスティアンのほうが親父さんのバッハより断然高かった … けれども、いまじゃどうなんでしょうかねぇ。一昨年生誕 300 年( ! )だったカール・フィリップ・エマヌエル作品の「全曲演奏会」みたいな企画はあったのだろうか … 欧州ではそんな企画があったのかもしれませんが( あ、いま聴いてる「リサイタル・ノヴァ」で、その次男坊の無伴奏フルートソナタ[ 無伴奏フルート・ソナタ Wq. 132 ]のオーボエ版がかかってました )。
そういえばきのう、ヤボ用で静岡市にいたんですけど、駅前の本屋さんの洋書コーナーにてこういう本を見た。ぴろっとめくったら、いきなりバッハのあの例のハウスマンの描いた肖像画が。キャプション読むと、「[ 唯一バッハ当人を描いたものとされる肖像画中の ]バッハのむくんだ顔つきと手、そして晩年の自筆譜の乱れと眼疾は、糖尿病の症例と一致する」* 。むむむそうなのか ?? たしか卒中の発作とかなんとか、それが直接の死因だったような記憶があるけど。たしかにこちらのページにも書いてあるように、バッハがけっこう「よく食べる人」だったのはまちがいないようなので … ちなみに上記の本はやはり、というか、邦訳がすでに出ています。あ、そうそう、その本屋さんでもっとも驚いたのが、シュペングラーの『西洋の没落』の「新装復刊版」が昨年、刊行されていたこと。「現品限り、レジにて 30 % オフ!」というワゴンに突っこんであったけれども、それでもお高いことに変わりはない( 苦笑 )。個人的には、オビに紹介されていたオルテガ・イ・ガセットの全著作とかが復刊されるといいんだけど … というわけで、その本( 第 2 巻しかなかった )はもとにもどして、代わりにサン−テックスの新訳版『人間の大地』を買いました。
付記:「クラシック音楽館」で今月 4 日に放映されていたこちらのコーナー(?)。N響コンマスの「まろ」さんこと篠崎史紀さんと指揮者の広上淳一さんとの対談がすこぶるおもしろかった。そうそう、バッハって、「誰が弾いてもおんなじように感動」を味わえる、稀有な作曲家だってワタシもジュッっと前から思ってたんですよ! それを受けてまろさんが、「バッハの前では万人が平等なんだよね」と受けていたのも、またつく嬉ずうぜ[ ただし、エルマンのジョイス評伝に引用されていた、「バッハは変化のない人生を送った」というジョイスのことばは、むむむむ、はへひほふ、なのであった ]。
* … 追記。静岡市美術館にて開催中のこちらの展覧会を見に行ったついでに、ふたたび確認してみると、
先日見た民放のクラシック音楽家関連番組。もっともダ・ヴィンチも含まれていたから、必ずしもそうとは言えないかもしれないが( でも、ダ・ヴィンチ自身、すぐれたリュート弾きでもあった、ついでにガリレオの親父さんも )、とにかくその番組の出だしで取り上げられたのがわれらがバッハ。で、のっけから紹介されていたのが最晩年の作品「音楽の捧げもの BWV. 1079 」の「各種カノン」のひとつ、「2声の逆行カノン」。カニさんの横歩きにも似ていることから、「蟹のカノン」とも呼ばれる形式の、一種の音楽クイズじみた作品です。番組でも紹介されていたごとくバッハ自筆譜のままではどうやって演奏してよいものやら見当もつかないが、お尻のハ音記号から逆向きに[ つまり、鏡写しに表記されている ]書かれた音型も同時に鳴らすとアラ不思議、2声カノンとして成立するというもの。
… と、ここまではよかったんですけど、そのあとで聞き捨てならないこんな趣旨の発言が。「生前のバッハは無名の音楽家だった。それが 19 世紀になって、再発見された」。
むむむむむ、はへひほふ[ 柳瀬訳『フィネガン』の悪影響 ]、「無名の音楽家」なんて断定しちゃあ、それこそバッハも形無しでしょうよ、「シドいこと言うなあ」なんて。手許の文庫本を繰ってみると、
… 18 世紀をまっぷたつに区切る 1750 年に、どちらかいえば不遇のうちに世を去ったバッハは、音楽家として、特にオルガンやクラヴィーアの大演奏家として尊敬を受けてはいたものの、作曲家としてはすでにある程度時代遅れの存在だった。
「知名度」ということでは、たしかにハンブルクの盟友テレマンやかのハンデル、昔の名前ヘンデル氏には足許にもおよばず、そういう点では劣っていたことは紛れもない事実。でも即、「名なしの音楽家」呼ばわりされてしまうと、一地方の宮仕え音楽家ていどでほんとに知られてなかったかのような印象を与える。当時の絶対王政社会では、音楽家は宮仕えが当たり前で、「知名度」イコール人口に膾炙していたというわけではない。ジャガイモ畑を汗して耕していた農民にとっては「ザクセン選帝侯宮廷作曲家」の称号も縁遠い話だったろうし、とにかくいまの尺度とはまるでちがっていたはず。いや、バッハの地元の人ならばたとえば礼拝で、あるいは公開演奏会で、はたまた「マルシャンとの公開鍵盤対決!」みたいなことを伝え聞いたりして、バッハのすばらしいオルガン / クラヴィーア独奏の妙技を知らぬ者はむしろいなかったと思う、というかバッハ一族が代々活躍してきた中部ドイツでは「音楽家」= バッハ、音楽家の代名詞的存在とも言える存在だった。いくらバッハが生業として「領主 / 宮廷 / 教会当局のため」に作品を書いたからといって、即それが「名無しの音楽家」というわけでもなかったことは、公共図書館にあるバッハ関連本をいくつか漁ってみれば明らかなこと。ラジオもテレビもなーんもない時代、海の向こうのヘンデル氏がいくら知名度抜群だったからって、当時の領邦国家集合体に住む人みんながみんなその名を知っていたわけじゃないでしょう。むしろ身近なバッハ氏のほうがよく知られていたはず。
ものは言いよう、とは言うものの、もしバッハがほんとに「無名の音楽家」に過ぎなかったら、それこそメンデルスゾーンのような若き天才に「再発見」されようもなく、あるいはブラームスが、届けられた『ヘンデル全集』には目もくれなかったように、冷遇されたんじゃないかしら? よく知られていることながら、バッハの死後、彼の作品をいわば「伝統流派」のごとく継承していった音楽家が少なからずいた ―― むろんそこにはバッハの息子たちも、そしてバッハ直伝の弟子たちもいた ―― という幸運があったからこそ、メンデルスゾーンが肉屋の包み紙( だったっけ )に使われていたとかいう「マタイ」の自筆譜を見つけ、19 世紀のバッハ再評価へとつながったんじゃないかしら( くどいようだが、それがいいのかどうかはまた別問題 )。
もっとも手許の本にもあるように「バッハの死をもってバロック音楽の終結を見るのは、19 世紀以来のドイツ音楽史観の悪癖」だと思うし、昨今の急激なバッハ研究の進展とかを素人なりに遠巻きに見ても、そういう 19 世紀以来の厚ぼったいバッハ像、バッハ神話はだいぶ崩されてきたようには思う。西洋音楽史におけるバロック音楽の終わりとバッハとの関係は、再検証されてしかるべきでしょう。
逆に、当時はよく知られていたのにいまはほとんど忘れられている、なんていう音楽家もゴマンといる。たとえばバッハ評伝作者として超有名なフォルケルだって当時としては高名な音楽家で、たくさん作品を残しているのに、「古楽の楽しみ」その他の音楽番組で取り上げられたこととかあっただろうか ?? すくなくともワタシにはそんな記憶はなし。
こう考えると、「無名」の基準っていったいなんだろ、って思う。なにをもって無名なのか。無名とくるとなんだかアマチュアみたいにも聞こえるが、アルビノーニはまさしくそんなハイアマチュアだった人。でもしっかりその作品は後世に残り、たびたび演奏会で取り上げられてもいる[ もっとも「アダージョ」は、「発見者」ジャゾットの作品だけど ]。そのじつバッハの親戚筋のヴァルターなんかはどうかな。『音楽事典 Musicalisches Lexicon 』編纂者としても有名だったこの人のオルガンコラール作品とかはたまーに耳にしたりするけど、ヴァルターの名前はいまやほとんど忘れられているように思う。パッヘルベルも声楽作品とか室内楽作品とかも書いているのに、「ニ長調のカノン」とちがってこちらは演奏されることはほとんどない、というか「きらクラ!」の「メンバー紹介」じゃないけど、「カノン」につづく「ジーグ」さえ演奏されることはめったにない。
知名度ということではバッハの次男坊カール・フィリップ・エマヌエルのほうが、あるいはモーツァルトを教えたことでも知られる「ロンドンのバッハ」、末っ子ヨハン・クリスティアンのほうが親父さんのバッハより断然高かった … けれども、いまじゃどうなんでしょうかねぇ。一昨年生誕 300 年( ! )だったカール・フィリップ・エマヌエル作品の「全曲演奏会」みたいな企画はあったのだろうか … 欧州ではそんな企画があったのかもしれませんが( あ、いま聴いてる「リサイタル・ノヴァ」で、その次男坊の無伴奏フルートソナタ[ 無伴奏フルート・ソナタ Wq. 132 ]のオーボエ版がかかってました )。
そういえばきのう、ヤボ用で静岡市にいたんですけど、駅前の本屋さんの洋書コーナーにてこういう本を見た。ぴろっとめくったら、いきなりバッハのあの例のハウスマンの描いた肖像画が。キャプション読むと、「[ 唯一バッハ当人を描いたものとされる肖像画中の ]バッハのむくんだ顔つきと手、そして晩年の自筆譜の乱れと眼疾は、糖尿病の症例と一致する」* 。むむむそうなのか ?? たしか卒中の発作とかなんとか、それが直接の死因だったような記憶があるけど。たしかにこちらのページにも書いてあるように、バッハがけっこう「よく食べる人」だったのはまちがいないようなので … ちなみに上記の本はやはり、というか、邦訳がすでに出ています。あ、そうそう、その本屋さんでもっとも驚いたのが、シュペングラーの『西洋の没落』の「新装復刊版」が昨年、刊行されていたこと。「現品限り、レジにて 30 % オフ!」というワゴンに突っこんであったけれども、それでもお高いことに変わりはない( 苦笑 )。個人的には、オビに紹介されていたオルテガ・イ・ガセットの全著作とかが復刊されるといいんだけど … というわけで、その本( 第 2 巻しかなかった )はもとにもどして、代わりにサン−テックスの新訳版『人間の大地』を買いました。
付記:「クラシック音楽館」で今月 4 日に放映されていたこちらのコーナー(?)。N響コンマスの「まろ」さんこと篠崎史紀さんと指揮者の広上淳一さんとの対談がすこぶるおもしろかった。そうそう、バッハって、「誰が弾いてもおんなじように感動」を味わえる、稀有な作曲家だってワタシもジュッっと前から思ってたんですよ! それを受けてまろさんが、「バッハの前では万人が平等なんだよね」と受けていたのも、またつく嬉ずうぜ[ ただし、エルマンのジョイス評伝に引用されていた、「バッハは変化のない人生を送った」というジョイスのことばは、むむむむ、はへひほふ、なのであった ]。
* … 追記。静岡市美術館にて開催中のこちらの展覧会を見に行ったついでに、ふたたび確認してみると、
... His puffy face and hands in his only authenticated portrait, and his deteriorating handwriting and vision in his later years, are consistent with a diagnosis of diabetes[ p. 449 ].とあり、数十歩行った先の書架にその邦訳本2巻もあったので( 苦笑、すぐ近くにキャンベル本もあった )、確認してきました。「 … 後年失明して自分で書けなくなったのは、糖尿病のそれ[ 症例 ]と一致する」みたいな訳でした。ようするにダイアモンド氏は、ちょうどバッハが生きていたころのドイツでは「甘い尿の出る奇妙な病気」が流行っていたらしくて、バッハ晩年の症状が糖尿病患者の「それ[ こういう書き方は好きじゃないけど邦訳書ふうに書くと ]」とおんなじだ、っていうことが言いたいらしい。で、その話はこれでおしまいで、そこからつぎのセクションが始まっていた( 苦笑x2)。
2016年06月19日
最高のアマチュア、理想のアマチュア
いまさっき見た「クラシック音楽館」。今宵もまた4月の N響定演[ サントリーホール定期 ]からで、指揮はこの前バッハ・プロでおおいに感動させてくれたマエストロ・スラットキン。で、本日は「米国の指揮者はこの人なくして存在し得ない」とまで言った、かのレナード・バーンスタインの名作ミュージカル「ウェストサイド物語」から「シンフォニエッタ・ダンス」や「キャンディード序曲」、「3つのダンス・エピソード」、そして後半が「感情に訴える力、という点で共通点がある」というマーラーの「4番」でした。
今回、個人的にひじょうに感銘を受けたのは、プログラム後半前にスラットキン自身が語っていたことでした。それは銀行・投資関係の専門誌 Institutional Investor なる業界誌があるそうなんですが、その創刊に携わったひとりの実業家の話でして、その人、ギルバート・キャプラン氏はあるとき、マーラーの「2番」、いわゆる「復活」を聴いて天啓を受けたごとくいたく感動し、それ以来暇さえあれば楽曲研究にどっぷり、それだけでは気がすまず、ゲオルグ・ショルティなど米国の指揮者数名に宛てて手紙をしたため、「頼むからどこかのオケでこの作品を自分に振らせてほしい!」と頼みつづけていたんだそうです。スラットキンさんのところにもこのお願いの手紙が来たので、なら会ってみましょう、ということでじっさいに会って話してみた。「スコアは読めるの?」と訊いたら、「読めないけど、ピアノは少々心得がある」。で、仕事の合間を縫ってなんと、スラットキン氏みずから個人レッスン !!! 数年がかりでようやくこれなら大丈夫、というわけで「最初で最後の」つもりで念願かなってオケを前に「復活」を振ったらこれが大絶賛され、以後、マーラーの「復活」専門指揮者(!)としてあっちこっちのオケを客演したり、マーラーに関する講演まで引き受けたりと、なんともすごい展開になってしまったんだそうです[ ついでにお金持ちだったので自筆スコアまで買って、初版譜に 300 もの誤りを見つけ、みずから「校訂楽譜」を作ってしまったというからもっとびっくり ]。
で、そんな折にスラットキンさんがキャプラン氏に、マーラーの講演をしてくれないかと連絡したら、「ドクターストップがかかってしまって残念ながらできそうにない」と。それからほどなくして帰らぬ人になってしまったんだそうです( キャプラン氏は今年の元日に逝去 )。
… 不肖ワタシはこのお話を聞いて、深く感動するとともに、いろいろ考えさせられてしまった。いくら好きだからって、惚れこんだからって、キャプランさんのようにじっさいに夢をかなえられる人というのはそうはいないでしょう。でもマエストロ・スラットキンがいみじくも言うように、「情熱、ということに関して言えば、プロよりアマチュアのほうが上だったりする」。言ってみればキャプランさんはハイアマチュアの典型、アマチュアの理想像、最高のアマチュアだったと思う。マーラーのその作品が、それまで本人も気づくことさえなかった自分がほんとうにやりたいこと、あるいは「至福」の発見と自覚へと導いた、と言えるのではないか。マーラーが、キャプラン氏のほんらいの自己を引き出したように思えてならない。
「彼のことを思うたび、芸術の持つ力のすばらしさを感ぜずにはいられない。マーラーを振るときはいつも彼のことを思う」というふうにスラットキンさんはおっしゃっていた。ほんとすばらしい話だった。
でもってこんな美しい話のあとでこういうこと持ち出すのは、品性下劣のなせる業かもしれないけど、そのとき同時にワタシの脳裡をかすめたのは辞職した都知事氏のこと。といっても今回の件ではなくて、もっと昔の若かりしころの、それも「翻訳」がらみの話。なんでも当時、政治学者の卵だった方が下訳者としてこき使われたあげく、訳書には自分のクレジットはおろか、一文字たりとも訳出さえしてないこの国際政治学者先生の名前で麗々しく出版され、その後もウンともスンともなかった、というあのお話です。
門外漢がここで気になったのは、なんでこのタイミングでそんな古い話を … という点もさることながら、「業績を横取りされた」、盗まれたと強調していること。たしかにお気の毒ではある。下訳者制度って日本特有みたいでして、米国で活躍しているさる翻訳者先生の著作を読んだとき、こちらと向こうの翻訳者事情、とりわけ下訳制度について言及している箇所が目にとまった。その先生は、自分の名前を出す、つまり文責を取るだけの資質のない者がなんで「他人の名前」で翻訳書を刊行するのか、さっぱりわからない、と同僚に言われたんだそうです。いつぞやのゴーストライター騒動じゃないですけど、たしかにこういう例はけっこうふつうにあります。それがまた、しっかり朱を入れてくれるんならまだしも、当の上訳者ないし監訳者は上がってきたゲラ刷りさえろくに見もしないでそのまま印刷所に回す、なんてことがとくに昔はよくあったようです( これはチェックを怠った版元編集者も同罪 )。心理学や経済学など、人文科学系の一般教養書のたぐいに読むに耐えないホンヤクがひじょうに多かった、というのは、ひとつにはこの下訳制度の「悪用」の必然的結果、と言えるとも思います。
ただどうしても解せないのが、「翻訳書を出すことが学者 / 研究者としての業績としてカウントされる」というこの業界(?)の慣行です。ことばは悪いが点数稼ぎ、ということか。じっさい、「業績作りをしたいので、なにか翻訳の仕事、ありますか?」って訊いてきた大学の先生がいたっていう話が昔あった。大学人にもいろいろござれではあるが、そのていどの感覚の人って昔は多かったのかな、いまはどうだか知りませんけど。「二足のわらじ」として翻訳という営為にかかわる、というんなら、「やむにやまれぬ情熱」、あるいは熱意に突き動かされて、っていうのが、ほんらいあるべき仕事の態度じゃないでしょうか。これこそアマチュアの理想形、アマチュアでしかなし得ないこと、最高のアマチュア、アマチュア冥利に尽きると思うんですけどね … たんなる「業績(=点数 )のため」に「翻訳でも」というのは、結果オーライならそれでいいじゃん、と言えなくもないけれど、キャプラン氏の成し遂げた「業績」とははるか遠いところ、対極に位置していると思うのはワタシだけだろうか。
今回、個人的にひじょうに感銘を受けたのは、プログラム後半前にスラットキン自身が語っていたことでした。それは銀行・投資関係の専門誌 Institutional Investor なる業界誌があるそうなんですが、その創刊に携わったひとりの実業家の話でして、その人、ギルバート・キャプラン氏はあるとき、マーラーの「2番」、いわゆる「復活」を聴いて天啓を受けたごとくいたく感動し、それ以来暇さえあれば楽曲研究にどっぷり、それだけでは気がすまず、ゲオルグ・ショルティなど米国の指揮者数名に宛てて手紙をしたため、「頼むからどこかのオケでこの作品を自分に振らせてほしい!」と頼みつづけていたんだそうです。スラットキンさんのところにもこのお願いの手紙が来たので、なら会ってみましょう、ということでじっさいに会って話してみた。「スコアは読めるの?」と訊いたら、「読めないけど、ピアノは少々心得がある」。で、仕事の合間を縫ってなんと、スラットキン氏みずから個人レッスン !!! 数年がかりでようやくこれなら大丈夫、というわけで「最初で最後の」つもりで念願かなってオケを前に「復活」を振ったらこれが大絶賛され、以後、マーラーの「復活」専門指揮者(!)としてあっちこっちのオケを客演したり、マーラーに関する講演まで引き受けたりと、なんともすごい展開になってしまったんだそうです[ ついでにお金持ちだったので自筆スコアまで買って、初版譜に 300 もの誤りを見つけ、みずから「校訂楽譜」を作ってしまったというからもっとびっくり ]。
で、そんな折にスラットキンさんがキャプラン氏に、マーラーの講演をしてくれないかと連絡したら、「ドクターストップがかかってしまって残念ながらできそうにない」と。それからほどなくして帰らぬ人になってしまったんだそうです( キャプラン氏は今年の元日に逝去 )。
… 不肖ワタシはこのお話を聞いて、深く感動するとともに、いろいろ考えさせられてしまった。いくら好きだからって、惚れこんだからって、キャプランさんのようにじっさいに夢をかなえられる人というのはそうはいないでしょう。でもマエストロ・スラットキンがいみじくも言うように、「情熱、ということに関して言えば、プロよりアマチュアのほうが上だったりする」。言ってみればキャプランさんはハイアマチュアの典型、アマチュアの理想像、最高のアマチュアだったと思う。マーラーのその作品が、それまで本人も気づくことさえなかった自分がほんとうにやりたいこと、あるいは「至福」の発見と自覚へと導いた、と言えるのではないか。マーラーが、キャプラン氏のほんらいの自己を引き出したように思えてならない。
「彼のことを思うたび、芸術の持つ力のすばらしさを感ぜずにはいられない。マーラーを振るときはいつも彼のことを思う」というふうにスラットキンさんはおっしゃっていた。ほんとすばらしい話だった。
でもってこんな美しい話のあとでこういうこと持ち出すのは、品性下劣のなせる業かもしれないけど、そのとき同時にワタシの脳裡をかすめたのは辞職した都知事氏のこと。といっても今回の件ではなくて、もっと昔の若かりしころの、それも「翻訳」がらみの話。なんでも当時、政治学者の卵だった方が下訳者としてこき使われたあげく、訳書には自分のクレジットはおろか、一文字たりとも訳出さえしてないこの国際政治学者先生の名前で麗々しく出版され、その後もウンともスンともなかった、というあのお話です。
門外漢がここで気になったのは、なんでこのタイミングでそんな古い話を … という点もさることながら、「業績を横取りされた」、盗まれたと強調していること。たしかにお気の毒ではある。下訳者制度って日本特有みたいでして、米国で活躍しているさる翻訳者先生の著作を読んだとき、こちらと向こうの翻訳者事情、とりわけ下訳制度について言及している箇所が目にとまった。その先生は、自分の名前を出す、つまり文責を取るだけの資質のない者がなんで「他人の名前」で翻訳書を刊行するのか、さっぱりわからない、と同僚に言われたんだそうです。いつぞやのゴーストライター騒動じゃないですけど、たしかにこういう例はけっこうふつうにあります。それがまた、しっかり朱を入れてくれるんならまだしも、当の上訳者ないし監訳者は上がってきたゲラ刷りさえろくに見もしないでそのまま印刷所に回す、なんてことがとくに昔はよくあったようです( これはチェックを怠った版元編集者も同罪 )。心理学や経済学など、人文科学系の一般教養書のたぐいに読むに耐えないホンヤクがひじょうに多かった、というのは、ひとつにはこの下訳制度の「悪用」の必然的結果、と言えるとも思います。
ただどうしても解せないのが、「翻訳書を出すことが学者 / 研究者としての業績としてカウントされる」というこの業界(?)の慣行です。ことばは悪いが点数稼ぎ、ということか。じっさい、「業績作りをしたいので、なにか翻訳の仕事、ありますか?」って訊いてきた大学の先生がいたっていう話が昔あった。大学人にもいろいろござれではあるが、そのていどの感覚の人って昔は多かったのかな、いまはどうだか知りませんけど。「二足のわらじ」として翻訳という営為にかかわる、というんなら、「やむにやまれぬ情熱」、あるいは熱意に突き動かされて、っていうのが、ほんらいあるべき仕事の態度じゃないでしょうか。これこそアマチュアの理想形、アマチュアでしかなし得ないこと、最高のアマチュア、アマチュア冥利に尽きると思うんですけどね … たんなる「業績(=点数 )のため」に「翻訳でも」というのは、結果オーライならそれでいいじゃん、と言えなくもないけれど、キャプラン氏の成し遂げた「業績」とははるか遠いところ、対極に位置していると思うのはワタシだけだろうか。
2016年06月05日
よい音楽と、そうでない音楽
いまさっき視聴したこちらの番組。4月 16 日に開かれた「第 1832 回 N響定演」からで、前半は大好きなバッハのさまざまな仮面、じゃなくて、いろんな編曲ものの至れり尽くせりオンパレードみたいなプログラム( まったくの偶然ながら、1+8+3+2+= 14、BACH だ !! )、後半は「革新的」と指揮者スラットキンが評するプロコフィエフの「交響曲第5番 変ロ長調 作品 100 」。
スラットキンはインタヴューで開口一番、「この世には二種類の音楽しかない。よい音楽と、そうでない音楽だ[ 'There is good music, and there's the other stuff.' のように言ってた ]」とおっしゃってまして、個人的にまったくそのとおり、というか、ふだん思っていることをまんま言ってくださったのがうれしかった。スラットキンさんはジャンル横断的になんでも聴くと言っていて、その際基準になるのがたしかな耳があるかどうかだ、とも。ワタシもこのブログで、好き嫌いの問題という言い方をよくしてきたけれども、行きつくところはとどのつまりそうなるとは思うが、好きか嫌いか以前に聴くに値する音楽なのかどうなのか、これが的確に判断できるということも大事だと思う。そういう能力ないし感覚を持ちあわせてないと、いつぞやの「 HIROSHIMA 」事件ではないけれど、音楽とまるで関係ないところで文句つけたりすることにもなる( いまは著作権とかうるさいからしかたないけど、バッハ時代はふつーに人さまの作品をせっせと筆写して好き勝手に編曲して演奏していた )。作曲者がだれかではなく、作品としてどうなのか、ここが大事だと考えます。
と、前置きはさておいて、この日の定演は生中継で「らじる」でも楽しんでいたけど、TV はやっぱいいもんだ。最近、NHKホールのシュッケオルガンの出番がなにげに増えているような気がして(?)そちらもうれしい。でもスラットキンさんの指揮でこの日の公演のもようを見ているうちに、ああ、この定演だけは実演に接するべきだったかも、と思ったり。なんたって「教会カンタータ BWV. 26 」の出だしのシンフォニア、原曲の無伴奏パルティータ BWV. 1006 前奏曲と、さらに管弦楽編曲版と、なんと3回も !!! 楽しめてしまうという、なんともぜーたくなプログラムだったのだから。オルガン弾いていた美しい女性奏者はどなたなのか、クレジットもされてなかったのでわからなかったけれども、オケのメンバー同様、オルガン界にも若い人材がどんどん出てきているから、だんだんこういうことが増えてくるのだらう。
もうひとつうれしかったことは、なんと !!! 若きスラットキンさんとN響との懐かしの初共演に、これまたなんともひさしぶりにお目にかかれたこと。1984 年 10 月 17 日、というから、32 年前! しかも演奏曲がヴェーベルン編曲による「リチェルカータ」。そうか、スラットキンさん指揮N響の初顔合わせはバッハだったんだ。で、自分は中学生のとき、「N響アワー」でこれを見ています。眺めているうちに涙目になってきてしまった。原曲は言わずと知れた「音楽の捧げもの」の「6声のリチェルカーレ」で、「大王の主題」が一音ずつ金管から木管、そして弦楽へと受け渡されていくというひじょうにおもしろい、色彩的な管弦楽語法が駆使されてます。ヴェーベルン好きな人は、まずもって聴くべきすぱらしい編曲ものだと思います。
そして最後の締めが、またまたバッハ、それも「シャコンヌ( BWV.1004 の終曲 )」を、4人のチェロアンサンブルで !!!! こういう編曲は寡聞にして聴いたことがなかったから、なんか今宵はすごく得した気分だ。チェロは音域のとても広い楽器だから、なるほどこういう芸当もありというわけなんですね。
冒頭のインタヴューにもどるけれども、スラットキンさんは子どものころ、身近なところにオルガンを持つ音楽ホールもなく、またユダヤ教徒の集会所のシナゴーグにもオルガンなんかなかったから、バッハ体験はもっぱら管弦楽編曲されたもの、オーマンディ、ストコフスキー、レスピーギといった人たちの編曲を通して聴いたのが最初だったと話してました。「それがわたしにとっての authentic なバッハだったのです」。でも、前にも書いたことの蒸し返しになるが、どんなに転がっても、どんなに姿かたちを変じても、バッハはバッハなんですねぇ。この日の定演のもようを聴き直してみて、あらためてバッハの音楽の持つ測り知れない奥深さ、果てしない広がり、そしてなによりもその生き生きとした生命力、エネルギーをバシバシ感じました。ありがたいことです。マエストロ・スラットキンに、心からの感謝を捧げます( ほぼおなじ内容のことがこちらのページにも掲載されてます )。
スラットキンはインタヴューで開口一番、「この世には二種類の音楽しかない。よい音楽と、そうでない音楽だ[ 'There is good music, and there's the other stuff.' のように言ってた ]」とおっしゃってまして、個人的にまったくそのとおり、というか、ふだん思っていることをまんま言ってくださったのがうれしかった。スラットキンさんはジャンル横断的になんでも聴くと言っていて、その際基準になるのがたしかな耳があるかどうかだ、とも。ワタシもこのブログで、好き嫌いの問題という言い方をよくしてきたけれども、行きつくところはとどのつまりそうなるとは思うが、好きか嫌いか以前に聴くに値する音楽なのかどうなのか、これが的確に判断できるということも大事だと思う。そういう能力ないし感覚を持ちあわせてないと、いつぞやの「 HIROSHIMA 」事件ではないけれど、音楽とまるで関係ないところで文句つけたりすることにもなる( いまは著作権とかうるさいからしかたないけど、バッハ時代はふつーに人さまの作品をせっせと筆写して好き勝手に編曲して演奏していた )。作曲者がだれかではなく、作品としてどうなのか、ここが大事だと考えます。
と、前置きはさておいて、この日の定演は生中継で「らじる」でも楽しんでいたけど、TV はやっぱいいもんだ。最近、NHKホールのシュッケオルガンの出番がなにげに増えているような気がして(?)そちらもうれしい。でもスラットキンさんの指揮でこの日の公演のもようを見ているうちに、ああ、この定演だけは実演に接するべきだったかも、と思ったり。なんたって「教会カンタータ BWV. 26 」の出だしのシンフォニア、原曲の無伴奏パルティータ BWV. 1006 前奏曲と、さらに管弦楽編曲版と、なんと3回も !!! 楽しめてしまうという、なんともぜーたくなプログラムだったのだから。オルガン弾いていた美しい女性奏者はどなたなのか、クレジットもされてなかったのでわからなかったけれども、オケのメンバー同様、オルガン界にも若い人材がどんどん出てきているから、だんだんこういうことが増えてくるのだらう。
もうひとつうれしかったことは、なんと !!! 若きスラットキンさんとN響との懐かしの初共演に、これまたなんともひさしぶりにお目にかかれたこと。1984 年 10 月 17 日、というから、32 年前! しかも演奏曲がヴェーベルン編曲による「リチェルカータ」。そうか、スラットキンさん指揮N響の初顔合わせはバッハだったんだ。で、自分は中学生のとき、「N響アワー」でこれを見ています。眺めているうちに涙目になってきてしまった。原曲は言わずと知れた「音楽の捧げもの」の「6声のリチェルカーレ」で、「大王の主題」が一音ずつ金管から木管、そして弦楽へと受け渡されていくというひじょうにおもしろい、色彩的な管弦楽語法が駆使されてます。ヴェーベルン好きな人は、まずもって聴くべきすぱらしい編曲ものだと思います。
そして最後の締めが、またまたバッハ、それも「シャコンヌ( BWV.1004 の終曲 )」を、4人のチェロアンサンブルで !!!! こういう編曲は寡聞にして聴いたことがなかったから、なんか今宵はすごく得した気分だ。チェロは音域のとても広い楽器だから、なるほどこういう芸当もありというわけなんですね。
冒頭のインタヴューにもどるけれども、スラットキンさんは子どものころ、身近なところにオルガンを持つ音楽ホールもなく、またユダヤ教徒の集会所のシナゴーグにもオルガンなんかなかったから、バッハ体験はもっぱら管弦楽編曲されたもの、オーマンディ、ストコフスキー、レスピーギといった人たちの編曲を通して聴いたのが最初だったと話してました。「それがわたしにとっての authentic なバッハだったのです」。でも、前にも書いたことの蒸し返しになるが、どんなに転がっても、どんなに姿かたちを変じても、バッハはバッハなんですねぇ。この日の定演のもようを聴き直してみて、あらためてバッハの音楽の持つ測り知れない奥深さ、果てしない広がり、そしてなによりもその生き生きとした生命力、エネルギーをバシバシ感じました。ありがたいことです。マエストロ・スラットキンに、心からの感謝を捧げます( ほぼおなじ内容のことがこちらのページにも掲載されてます )。
2016年03月21日
「花に隠れた大砲」⇒ ブルックナー ⇒ エーコ語録
1). 先日見たこちらの番組。ショパンの「マズルカ」を叩き台に、このポーランド土着のダンス音楽の旋律にこめられた作曲者の想いに迫るといった内容でした。作曲者の想いに迫る、というのは、ようするにその楽曲を「解釈」することにほかならない。
指南役マクレガー教授によれば、とくにこの「マズルカ」には故国を思うショパンの心情が表出していると言います。その傍証として挙げているのが同時代のリスト、シューマン(「諸君、脱帽せよ、天才が現れた」はよく知られた賛辞 )らのショパン評で、とくにシューマンはショパンの一連のピアノ独奏作品をして「花に隠れた大砲」だと言っているとか。一見、華やかで優美な舞踏音楽みたいに聴こえる彼の音楽には、祖国に対するつよい政治的メッセージが隠れているのだという。
またマクレガー先生がその一例として実演した後期の傑作「マズルカ イ短調 17−4 」では、中途半端な感じの出だし、大胆な半音階的跳躍に「こたえを求めて彷徨いつづける」ような旋律線、そしていわゆる音楽上の「解決」もせず唐突に幕引きする終結部の革新性などに触れて、「このような音楽はほかに例がない」とも( もっとも「彷徨いつづける音型」というのはかなーり古い時代からあって、直接的には比較の対象にはならないものの、グレゴリオ聖歌の歌い方のひとつ Tonus Peregrinus というのがあったりします。またマクレガー先生はマズルカ作品の一節を弾いて、ショパンにおける対位法の扱いの例も実演していた )。
「こたえを求めて彷徨いつづける」ということについては、数年前に NHK「あさイチ」にゲスト出演して「献呈」とかを演奏してくれた若き俊英、牛田智大さんのコメントともダブっていた。当時、まだ 13 歳だった牛田さんはリストとショパンが大好きだと言ったうえで、ふたりの音楽のちがいをこんなふうに説明していた。「リストは、とにかく『解決するぞッ!』って感じで音楽が進んで最後は解決するんですけど、ショパンのほうは最初は解決するぞッ! と思ってるんですけど最後のほうになると、ま、いいか! って開き直っちゃう感じなんです」。言い方はいかにも少年らしくて微笑ましいが、そのじつ直観的にショパン作品の本質を突いていたんじゃないかっていまになって思ったりします。そういえば牛田さんだったかだれかほかの演奏家だったか忘れたが、リストは弾きやすいがショパンはむずかしいということをおっしゃっていたピアニストがいた。
マクレガー先生のおっしゃるように、ショパンはパリに亡命してきた身ゆえがちがちの古典派の枠からはみ出していて、だからこそ当時の聴衆の耳にも斬新な音楽作りができたように思います。バッハについても以前、似たようなことむ書いたような気がするが、たいてい芸術分野の革新というのは「中心」から来るのではなくて、「周縁」からもたらされる場合がひじょうに多い。マズルカ、ポロネーズなんかもそうですね。もしショパンが出現しなかったら、もしシューマンによって絶賛されていなかったら … 西洋音楽、ことにピアノ音楽の歴史が変わっていたかもしれない。
蛇足ながらバッハも「ポロネーズ」を書いてはいるけれども、当時流行った宮廷舞踏音楽のひとつに過ぎなかったものでショパン作品とは区別して考えないといけない。強いてバッハとショパンの共通点を上げれば、ともに即興演奏の名手だった、ということか。一連の「マズルカ」も「音楽の捧げもの」と同様、ショパンの即興演奏の妙技を記録したという側面はあるでしょう[「24 の前奏曲」はバッハの「平均律」から着想を得ていると言われている ]。マクレガー先生によると、ショパン自身、「半音階のはしご」ということばを残しているんだそうな。そしてバッハと同様、後世の音楽家に多大な影響を与えてもいる、として、ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」3幕3場の出だしとグラズノフの「交響曲 第3番」を挙げている! あの「トリスタン進行」も、もとをたどればショパンの「半音階のはしご」だったのか !! そういえば昨夜の「クラシック音楽館」は、そのショパン国際ピアノコンクール入賞者によるガラコンサートの模様を放映してましたね。チョ・ソンジンさんの「英雄ポロネーズ」、むむむこれは … 作曲者が聴いたらニッコリするのではないかという、とてつもないアンコールピースでした。さすが天才肌なのかな、若さより解釈の深さが感じられる名演だったように思う。
2). 手許にあるこちらの文庫本
。以前ここでもちょこっと紹介したけど、その中で岩城さんはブルックナーの交響曲作品について、「なぜこうゲネラル・パウゼ、つまり総休止が多いのだろう」と疑問に思っていたそうです。で、あるとき、かつてブルックナー自身も棒を振っていた楽友協会大ホールでブルックナーの交響曲を振ったとき、「はじめてその意味が」わかったのだと言います。
3). 先月 16 日に 84 歳で逝去された記号論学者にして小説家としても高名なウンベルト・エーコ氏。いまちょうどこういう対談もの
を読んでいたので、最後にこちらからもすこしばかり引いておきます。
… 本日はバッハの 331 回目の誕生日でしたが、先日地元紙見たら、音楽評論家の渡辺和彦氏が「レーガー、グラナドス没後 100 年、ヒナステラ、デュティユー生誕 100 年」という記事を寄稿していた。ヴァルヒャは毛嫌いしていたけど、そうか今年はマックス・レーガーの記念イヤーだったんだ。少年合唱好きにとっては、「マリアの子守歌」なんかがけっこう知られているとは思うが、オルガン音楽好きでないと、レーガーの名前さえ聞いたことない音楽ファンもけっこう多そうな気がする。
指南役マクレガー教授によれば、とくにこの「マズルカ」には故国を思うショパンの心情が表出していると言います。その傍証として挙げているのが同時代のリスト、シューマン(「諸君、脱帽せよ、天才が現れた」はよく知られた賛辞 )らのショパン評で、とくにシューマンはショパンの一連のピアノ独奏作品をして「花に隠れた大砲」だと言っているとか。一見、華やかで優美な舞踏音楽みたいに聴こえる彼の音楽には、祖国に対するつよい政治的メッセージが隠れているのだという。
またマクレガー先生がその一例として実演した後期の傑作「マズルカ イ短調 17−4 」では、中途半端な感じの出だし、大胆な半音階的跳躍に「こたえを求めて彷徨いつづける」ような旋律線、そしていわゆる音楽上の「解決」もせず唐突に幕引きする終結部の革新性などに触れて、「このような音楽はほかに例がない」とも( もっとも「彷徨いつづける音型」というのはかなーり古い時代からあって、直接的には比較の対象にはならないものの、グレゴリオ聖歌の歌い方のひとつ Tonus Peregrinus というのがあったりします。またマクレガー先生はマズルカ作品の一節を弾いて、ショパンにおける対位法の扱いの例も実演していた )。
「こたえを求めて彷徨いつづける」ということについては、数年前に NHK「あさイチ」にゲスト出演して「献呈」とかを演奏してくれた若き俊英、牛田智大さんのコメントともダブっていた。当時、まだ 13 歳だった牛田さんはリストとショパンが大好きだと言ったうえで、ふたりの音楽のちがいをこんなふうに説明していた。「リストは、とにかく『解決するぞッ!』って感じで音楽が進んで最後は解決するんですけど、ショパンのほうは最初は解決するぞッ! と思ってるんですけど最後のほうになると、ま、いいか! って開き直っちゃう感じなんです」。言い方はいかにも少年らしくて微笑ましいが、そのじつ直観的にショパン作品の本質を突いていたんじゃないかっていまになって思ったりします。そういえば牛田さんだったかだれかほかの演奏家だったか忘れたが、リストは弾きやすいがショパンはむずかしいということをおっしゃっていたピアニストがいた。
マクレガー先生のおっしゃるように、ショパンはパリに亡命してきた身ゆえがちがちの古典派の枠からはみ出していて、だからこそ当時の聴衆の耳にも斬新な音楽作りができたように思います。バッハについても以前、似たようなことむ書いたような気がするが、たいてい芸術分野の革新というのは「中心」から来るのではなくて、「周縁」からもたらされる場合がひじょうに多い。マズルカ、ポロネーズなんかもそうですね。もしショパンが出現しなかったら、もしシューマンによって絶賛されていなかったら … 西洋音楽、ことにピアノ音楽の歴史が変わっていたかもしれない。
蛇足ながらバッハも「ポロネーズ」を書いてはいるけれども、当時流行った宮廷舞踏音楽のひとつに過ぎなかったものでショパン作品とは区別して考えないといけない。強いてバッハとショパンの共通点を上げれば、ともに即興演奏の名手だった、ということか。一連の「マズルカ」も「音楽の捧げもの」と同様、ショパンの即興演奏の妙技を記録したという側面はあるでしょう[「24 の前奏曲」はバッハの「平均律」から着想を得ていると言われている ]。マクレガー先生によると、ショパン自身、「半音階のはしご」ということばを残しているんだそうな。そしてバッハと同様、後世の音楽家に多大な影響を与えてもいる、として、ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」3幕3場の出だしとグラズノフの「交響曲 第3番」を挙げている! あの「トリスタン進行」も、もとをたどればショパンの「半音階のはしご」だったのか !! そういえば昨夜の「クラシック音楽館」は、そのショパン国際ピアノコンクール入賞者によるガラコンサートの模様を放映してましたね。チョ・ソンジンさんの「英雄ポロネーズ」、むむむこれは … 作曲者が聴いたらニッコリするのではないかという、とてつもないアンコールピースでした。さすが天才肌なのかな、若さより解釈の深さが感じられる名演だったように思う。
2). 手許にあるこちらの文庫本
猛烈なフォルティッシモのあと、その響きがたいへん効果的に残り、それがグルグルと会場の中を回るようにホールの天井に登って行き、上の窓から外へスッと出て行ってしまうのを見たように思いました。……で、たとえば『ブルックナー / マーラー事典』なんかを見ますと、終生、ザンクトフローリアンのオルガン奏者でもあったブルックナーらしく、オルガン音楽の影響として論じていたりします。
… つまり、音が突然止まって、響きが残り、やがて消えていくのを追う喜びを、一生の間このホールをホームグラウンドにしていたブルックナーは曲に必要な部分として、ちゃんと構想に入れて作曲したのです( pp. 214 − 5)。
… ゲネラルパウゼ。これも初期の作品に多く見出される様式上の特徴である。…… 教会でオルガン音楽などを聴く場合に、残響の効果に絶大なものがあることは周知の事実であり、総休止にしても、そこには響きの要素が皆無となるわけではない。ブルックナーはそうした効果を日常的に感じ、それが交響曲の中にも反映したと考えることができよう( p. 27 )。だからと言って岩城さんの解釈がまちがっている、というわけではない。おそらく楽友協会大ホールという理想的な音響空間で長らく仕事をしてきたという体験も影響していると思うから、こちらも実体験にもとづいた楽曲の解釈の一例、と言うことができると思います。もっともオルガン好きとしては、たとえば「2番」とか「8番」なんかは、曲作りの発想法はオルガン音楽がベースになっているような気はしてますが。「8番」も「クラシック音楽館」でスクロヴァチェフスキ指揮、読売日本交響楽団によるすばらしい演奏も視聴できて、こちらもよかったです。
3). 先月 16 日に 84 歳で逝去された記号論学者にして小説家としても高名なウンベルト・エーコ氏。いまちょうどこういう対談もの
[ 知る、ということはほんとうに大切なことかと脚本家ジャン−クロード・カリエールの質問を受けて ]最大多数の人間が過去を知るべきかというご質問でしたら、答えは「はい」です。過去を知ることはあらゆる文明の基礎です。樫の木の下で、夜、部族の物語を語る老人こそが、部族と過去とをつなぎ、古( いにしえ )の知恵を伝えるんです。我々人類は、アメリカ人みたいに、三百年前に何が起こったかなんてもうどうでもいい、自分たちにとっては何の重要性も持たない、と考えたい衝動に駆られるかもしれません。ブッシュ大統領は、アフガン戦争に関する本を読んでいなかったので、イギリス人の経験から教訓を引き出すことができなかった、だから自国の軍隊を前線に送ったんです。ヒトラーがナポレオンのロシア遠征のことを研究していたら、ロシアに侵攻しようなんて馬鹿な考えは起こさなかったでしょう。冬が来る前にモスクワにたどり着けるほど夏という季節は長くないということがわかったはずです( pp. 418 − 9 )。
… 本日はバッハの 331 回目の誕生日でしたが、先日地元紙見たら、音楽評論家の渡辺和彦氏が「レーガー、グラナドス没後 100 年、ヒナステラ、デュティユー生誕 100 年」という記事を寄稿していた。ヴァルヒャは毛嫌いしていたけど、そうか今年はマックス・レーガーの記念イヤーだったんだ。少年合唱好きにとっては、「マリアの子守歌」なんかがけっこう知られているとは思うが、オルガン音楽好きでないと、レーガーの名前さえ聞いたことない音楽ファンもけっこう多そうな気がする。
2015年12月27日
小さな名歌手たちの思ひ出
この時期が巡ってくると、いろいろと脳裡に去来する思いあり。といっても、この国の行く末は、とか、そんなスケールの大きなことではもちろんなくて、徹頭徹尾 Epicurean で天邪鬼なワタシのアタマにやってくるのは、この時期の定番とも言ってよい、世界各国各地域から来日してその美しい歌声を届けてくれる「小さな音楽親善大使」たちのことです。
もうここでも折にふれて書いてきたことなのでいちいち繰り返さないが、ワタシはもともとバロック、とりわけバッハの鍵盤作品、それもオルガン独奏作品を偏愛している人なので、モーツァルト以後の作曲家の作品とか、器楽以外の楽曲には耳もくれなかった、というのは大げさながら、ようするに聴いてこなかったし興味関心もたいしてなかった。それがあるとき、清冽な湧き水に癒やされる如くに子どもたちの歌声、とりわけボーイソプラノの歌声に魅了されるようになった。
そこから先はいわば泥沼( 苦笑 )にはまり、お足もないくせしてせっせと少年合唱ものやボーイソプラノのソリストくんたちをフィーチャーしたアルバムなどを買いあさり、あるいはヒマさえあればわりとマメに来日公演にも足を運んだりした。そんな「音楽親善大使たち」の実演にはじめて接したのは 1993 年のこの時期、通称「パリ木」の名で知られる「木の十字架少年合唱団」来日公演を近隣市の文化センターに聴きに行った時だった。このときの衝撃はいまだに忘れがたいものがある。パレストリーナの「オー・メモリアーレ」、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、トレネの「美し国フランス」、ラモーの「夜」、グリーグの「ソルヴェイグの歌」… いまではおなじみの感ありな楽曲なんですけど、恥ずかしながらこれらの作品をこのときはじめて知ったのであった。当時、「パリ木」のソロを歌っていたレジスくんとかマチューくんは、その後ボーイソプラノの独唱者の声質を判断するうえである意味個人的基準になったのでありました( ちなみに当時の公演パンフを繰ってみると、マチューくんの好きな音楽家はあのフレディ・マーキュリーのいた「クイーン」だった )。ただあいにく最近の「パリ木」は隣国での公演が多くて、あんまり来なくなった。直近で最後の公演のことはこちらで。
「パリ木」の子たちの声質は、個人的にとても気に入っているけれども、その後聴きに行ったウィーン少年合唱団[ WSK ]や英国のアングリカン系大聖堂聖歌隊、ドイツの名門レーゲンスブルクにヴィントスバッハ、そしてドレスデン聖十字架合唱団、チェコの「ボニ・プエリ」、ロシアの「モスクワアカデミー合唱団」、ラトヴィアの「リガ大聖堂少年聖歌隊」… といろいろ聴いてあるていど耳が肥えてくると、それぞれのお国柄というか、個性のちがいが感じられるようになってきてこれまた得難い経験だった。日本人にはもうすっかり年中行事と化しているような WSK 来日公演については、はじめて聴きに行ったのが自分の地元で開催された演奏会でして、ハンスという名前の団員がすごい人気だった[ もちろん見た目だけでなく、実力もありましたが ]。当時の公演パンフを見ると「将来の夢」みたいな質問に対し、「ピアニスト」と答えていたけど、この前たまたまさる SNS サイトでひさしぶりにお名前を見かけたら、しっかり夢を実現されてまして、ご同慶の至りであります。
話もどりまして、数ある来日公演のなかでもひときわ印象に残っているのが ―― 作曲者本人はむしろイヤだったかもしれないが ―― 映画「プラトーン」でも使用された、かのバーバーの「弦楽のためのアダージョ」を作曲者自ら声楽版に編曲したヴァージョンをやはり英国の名門、オックスフォード大学ニューカレッジ聖歌隊来日公演( 2001、2003 )で接したことだった。あの全声部が上行するクライマックス、ほんとうに鳥肌が立つというか、ぶるぶると全身が震えたのはあとにも先にもそのときだけだったように思う。
それに次ぐ経験となると、一世を風靡した( のかな? )某レコード会社のプロデューサーが結成させたという Boys Air Choir [ BAC ]だった。こちらはセントポール、イーリー、ウィンチェスターカレッジなど、イングランドを代表する伝統ある有名どころのコリスターと呼ばれる少年聖歌隊員の選りすぐりからなる、「聖歌隊のドリームチーム」みたいなヴォーカルユニットだった。こちらも 1999 年8月末、東京芸術劇場にて開かれた最初の来日公演から、2004 年 12 月の最後の来日公演まで実演に接してきた。最初の公演のとき、客席からのなかなかやまない咳き込みに動揺( ?! )したのか、スタンフォードの「ブルーバード」のソロを歌っていたエドワード・バロウズくんの音程がやや怪しくなったときなんかは、こっちまで手に汗握るような思いをしたものだったけど … そのあとだったか、渋谷のもと HMV 店舗内にてその BAC のめんめんが残していったサイン色紙がありまして、'Many many thanks to HMV Shibuya ! ' とのエドの達筆を拝見したのであった。その後の BAC ソリストくんたちも、「列伝」が書けそうなくらいの銘酒、ではなく名手ぞろいでして、「紅白」じゃないけど大トリを務めたハリー・セヴァーくんの歌いっぷりはもうみごとと言うしかなかった。このときおそらく前例がないであろう、フォーレの「レクイエム」全声部を少年合唱で通すという離れ業をやってのけたんですが、一般の合唱ものに耳の肥えた聴き手が鑑賞しても、名演だったんじゃないでしょうか。BAC ではいまひとつ 2000 年 12 月の焼津公演が忘れられない。アンドリュー・ジョンソンくんの歌うメンデルスゾーンの名曲「鳩のように飛べたなら」、あれは感動的だった。
あと英国ものではオックスフォード・クライストチャーチ大聖堂聖歌隊 & ケンブリッジ大学セントジョンズカレッジ聖歌隊のジョイントコンサート( !!! )という、本国でもめったに聴けないようなまさしく夢のコラボレーションが一度だけあった( 1998年 12 月 )。あれはすごかったなあ。鳴り止まない拍手喝采にそれぞれの音楽監督氏が何度も舞台に呼び戻されたものでしたが、最後は疲れたのか( ?! )、扉をバタン !!! と閉めて帰ってしまった、たたた。2006、2010 年にはイートンカレッジ聖歌隊公演にも行きました。
それとそうそう、英国ものでは Libera も聴きに行った … それもどういうわけか( て )、BAC 最後の公演のとき渡されたチラシ( !! )に来年春、Libera 初来日公演決定! とあり、先行予約手続きまでしっかり書いてあったのにはあまりのビジネスライクさに閉口した( 苦笑 )。とかなんとか言いながら、しっかり聴きに行ったヤツ。しかもなんとその年は 10 月末にも再来日公演が横浜みなとみらいホールにてありまして、こっちもしっかり聴きに行ったという … 完全に相手の戦術に乗せられた感あり。でもよかったですよ、これはこれで。Libera のアルバムは前身のセントフィリップスのころからだいたい持ってますし[ ただし、おなじ楽曲の使い回しが多い ]。2006 年以降も聴きに行こうかしら、なんて思っていたらあの NHK TV ドラマ「氷壁」テーマ曲「彼方の光」で大ブレイクしたためか、チケット予約がちっともとれなくて、アタマきて聴きに行くのやめちゃった( 苦笑 x2)。その後彼らはワイドショーでも引っ張りだことなったけれども、来日すると決まって行くお気に入りの場所がなんと「神社仏閣」。これってどことなく、いまの「御朱印帳ブーム」とか「パワースポットブーム」とかを外国の子どもたちが何年も前に先取りしているんじゃないでしょうかねぇ。なにが言いたいのかというと、「日本の文物は日本人にしかワカラナイ」という、ワタシにはまるで理解しがたい発想がいまだ根強いことのアンチテーゼとして、よい一例かなと思って引き合いに出したしだい。
ラトヴィアの「リガ大聖堂」も 1999、2004 年と聴いたけれども、2004 年のときのソリストくんは女声オペラ歌手ばりに表現力があって、これはこれで聴きごたえがありまして堪能させていただいた。そのとき大聖堂オルガニストも来日していて、当然のことながらオルガン独奏も披露してくれたから、喜びも2倍という感じでした( ただし、新宿文化センター大ホールの「壁掛け」オルガンの音響は芳しくなかった。開演前にいきなり現れて弾き始めたんですけど、そのとき聴こえてきたのはバッハのカンタータ BWV. 29 冒頭の「シンフォニア[ 原曲は BWV. 1006 の前奏曲 ]」オルガン版でした )。
それと、忘れちゃいけないのがドイツの名門少年合唱団ですな! 1995 年8月の酷暑のなか来てくれたヴィントスバッハの子たち歌声もすばらしかった。イザークの「インスブルックよ、さようなら」なんか、涙あふるるほどの名演だったと思う( そのとき松葉杖姿の団員もいて、彼ひとりだけスツールに浅く腰掛けて歌ってました。プロだなあ )。あいにく「テルツ」はいまだ実演に接する機会がなく … そんなこと言えば大バッハゆかりの「聖トーマス教会聖歌隊」だってまだだが … できれば「マタイ」とか受難曲じゃなくて、バッハ最後の最高傑作「ロ短調ミサ」をぜひ聴きたいです。
ワタシは子どもたちはみんな「名歌手」だと思っているので、あんまりチャチャ入れたくはないんですけど、なかには「?」がつく公演もある。たとえば以前書いた拙記事の二番煎じで申し訳ないが、2006 年のモスクワアカデミーとか、2007 年時の「ボニ・プエリ」とか … それとつい先日、NHK-FM にて聴取したこちらの公演とか … 。
かつて名指揮者の岩城宏之さんが生涯を通じてもっとも好きだったのが、共演した少年少女たちの歌声だった、というお話をどこかで聞いたことがある。日本人の子どもたちだってすごいですよ。TOKYO FM 少年合唱団なんか大好きですね。彼らの公演はクリスマスと毎年春の定演を4回ほど[ 2006、2008、2009 ]聴きに行ったことがありますが、とても安定感があって、なんといっても元気なところがよいですね !! やはりボーイソプラノは線の細い声、ではなくて、ちょっと破綻してもいいくらいの勢いと元気のよさがあっていい。あとは鎌倉の雪ノ下カトリック教会を拠点に活動しているグロリア少年合唱団ですね。いまこれを書きながら当時の「名歌手たち」の顔とか思い出したりするけれど、ワタシにとっても彼らの心洗われるピュアな歌声、美しい天上のハーモニー、彼らの調べの数々は文字どおりわが財産だなあ、という気がする。神話学者キャンベル流に言えば、Their voices to live by といったところか。あのとき彼らとおなじ空間を共有し、彼らの音楽に耳を傾けていたあの瞬間こそ「至高経験」であり、「エピファニー」だったかもしれない。
追記:けっきょく今年聴きに行ったのは、掛川市出身の若きピアニスト佐藤元洋さんの地元開催リサイタルのみ … だったけれども、オケもオルガンも合唱もなんでもそうですがやはり生演奏に接するのはいいものだ。使用されていたピアノも掛川で生産された YAMAHA のすばらしい楽器だった、というのもあるかもしれないが、ベートーヴェン、リスト、ショパン、スクリャービンのピアノソナタを中心に組まれたプログラムはすばらしかった。当方はオルガンびいきながら、ピアノも、名手の手にかかるとこうも心打たれる響きがするもんですねぇ、というわけで、つぎの機会はぜひ佐藤さんのバッハを聴いてみたいと念願しております。
もうここでも折にふれて書いてきたことなのでいちいち繰り返さないが、ワタシはもともとバロック、とりわけバッハの鍵盤作品、それもオルガン独奏作品を偏愛している人なので、モーツァルト以後の作曲家の作品とか、器楽以外の楽曲には耳もくれなかった、というのは大げさながら、ようするに聴いてこなかったし興味関心もたいしてなかった。それがあるとき、清冽な湧き水に癒やされる如くに子どもたちの歌声、とりわけボーイソプラノの歌声に魅了されるようになった。
そこから先はいわば泥沼( 苦笑 )にはまり、お足もないくせしてせっせと少年合唱ものやボーイソプラノのソリストくんたちをフィーチャーしたアルバムなどを買いあさり、あるいはヒマさえあればわりとマメに来日公演にも足を運んだりした。そんな「音楽親善大使たち」の実演にはじめて接したのは 1993 年のこの時期、通称「パリ木」の名で知られる「木の十字架少年合唱団」来日公演を近隣市の文化センターに聴きに行った時だった。このときの衝撃はいまだに忘れがたいものがある。パレストリーナの「オー・メモリアーレ」、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、トレネの「美し国フランス」、ラモーの「夜」、グリーグの「ソルヴェイグの歌」… いまではおなじみの感ありな楽曲なんですけど、恥ずかしながらこれらの作品をこのときはじめて知ったのであった。当時、「パリ木」のソロを歌っていたレジスくんとかマチューくんは、その後ボーイソプラノの独唱者の声質を判断するうえである意味個人的基準になったのでありました( ちなみに当時の公演パンフを繰ってみると、マチューくんの好きな音楽家はあのフレディ・マーキュリーのいた「クイーン」だった )。ただあいにく最近の「パリ木」は隣国での公演が多くて、あんまり来なくなった。直近で最後の公演のことはこちらで。
「パリ木」の子たちの声質は、個人的にとても気に入っているけれども、その後聴きに行ったウィーン少年合唱団[ WSK ]や英国のアングリカン系大聖堂聖歌隊、ドイツの名門レーゲンスブルクにヴィントスバッハ、そしてドレスデン聖十字架合唱団、チェコの「ボニ・プエリ」、ロシアの「モスクワアカデミー合唱団」、ラトヴィアの「リガ大聖堂少年聖歌隊」… といろいろ聴いてあるていど耳が肥えてくると、それぞれのお国柄というか、個性のちがいが感じられるようになってきてこれまた得難い経験だった。日本人にはもうすっかり年中行事と化しているような WSK 来日公演については、はじめて聴きに行ったのが自分の地元で開催された演奏会でして、ハンスという名前の団員がすごい人気だった[ もちろん見た目だけでなく、実力もありましたが ]。当時の公演パンフを見ると「将来の夢」みたいな質問に対し、「ピアニスト」と答えていたけど、この前たまたまさる SNS サイトでひさしぶりにお名前を見かけたら、しっかり夢を実現されてまして、ご同慶の至りであります。
話もどりまして、数ある来日公演のなかでもひときわ印象に残っているのが ―― 作曲者本人はむしろイヤだったかもしれないが ―― 映画「プラトーン」でも使用された、かのバーバーの「弦楽のためのアダージョ」を作曲者自ら声楽版に編曲したヴァージョンをやはり英国の名門、オックスフォード大学ニューカレッジ聖歌隊来日公演( 2001、2003 )で接したことだった。あの全声部が上行するクライマックス、ほんとうに鳥肌が立つというか、ぶるぶると全身が震えたのはあとにも先にもそのときだけだったように思う。
それに次ぐ経験となると、一世を風靡した( のかな? )某レコード会社のプロデューサーが結成させたという Boys Air Choir [ BAC ]だった。こちらはセントポール、イーリー、ウィンチェスターカレッジなど、イングランドを代表する伝統ある有名どころのコリスターと呼ばれる少年聖歌隊員の選りすぐりからなる、「聖歌隊のドリームチーム」みたいなヴォーカルユニットだった。こちらも 1999 年8月末、東京芸術劇場にて開かれた最初の来日公演から、2004 年 12 月の最後の来日公演まで実演に接してきた。最初の公演のとき、客席からのなかなかやまない咳き込みに動揺( ?! )したのか、スタンフォードの「ブルーバード」のソロを歌っていたエドワード・バロウズくんの音程がやや怪しくなったときなんかは、こっちまで手に汗握るような思いをしたものだったけど … そのあとだったか、渋谷のもと HMV 店舗内にてその BAC のめんめんが残していったサイン色紙がありまして、'Many many thanks to HMV Shibuya ! ' とのエドの達筆を拝見したのであった。その後の BAC ソリストくんたちも、「列伝」が書けそうなくらいの銘酒、ではなく名手ぞろいでして、「紅白」じゃないけど大トリを務めたハリー・セヴァーくんの歌いっぷりはもうみごとと言うしかなかった。このときおそらく前例がないであろう、フォーレの「レクイエム」全声部を少年合唱で通すという離れ業をやってのけたんですが、一般の合唱ものに耳の肥えた聴き手が鑑賞しても、名演だったんじゃないでしょうか。BAC ではいまひとつ 2000 年 12 月の焼津公演が忘れられない。アンドリュー・ジョンソンくんの歌うメンデルスゾーンの名曲「鳩のように飛べたなら」、あれは感動的だった。
あと英国ものではオックスフォード・クライストチャーチ大聖堂聖歌隊 & ケンブリッジ大学セントジョンズカレッジ聖歌隊のジョイントコンサート( !!! )という、本国でもめったに聴けないようなまさしく夢のコラボレーションが一度だけあった( 1998年 12 月 )。あれはすごかったなあ。鳴り止まない拍手喝采にそれぞれの音楽監督氏が何度も舞台に呼び戻されたものでしたが、最後は疲れたのか( ?! )、扉をバタン !!! と閉めて帰ってしまった、たたた。2006、2010 年にはイートンカレッジ聖歌隊公演にも行きました。
それとそうそう、英国ものでは Libera も聴きに行った … それもどういうわけか( て )、BAC 最後の公演のとき渡されたチラシ( !! )に来年春、Libera 初来日公演決定! とあり、先行予約手続きまでしっかり書いてあったのにはあまりのビジネスライクさに閉口した( 苦笑 )。とかなんとか言いながら、しっかり聴きに行ったヤツ。しかもなんとその年は 10 月末にも再来日公演が横浜みなとみらいホールにてありまして、こっちもしっかり聴きに行ったという … 完全に相手の戦術に乗せられた感あり。でもよかったですよ、これはこれで。Libera のアルバムは前身のセントフィリップスのころからだいたい持ってますし[ ただし、おなじ楽曲の使い回しが多い ]。2006 年以降も聴きに行こうかしら、なんて思っていたらあの NHK TV ドラマ「氷壁」テーマ曲「彼方の光」で大ブレイクしたためか、チケット予約がちっともとれなくて、アタマきて聴きに行くのやめちゃった( 苦笑 x2)。その後彼らはワイドショーでも引っ張りだことなったけれども、来日すると決まって行くお気に入りの場所がなんと「神社仏閣」。これってどことなく、いまの「御朱印帳ブーム」とか「パワースポットブーム」とかを外国の子どもたちが何年も前に先取りしているんじゃないでしょうかねぇ。なにが言いたいのかというと、「日本の文物は日本人にしかワカラナイ」という、ワタシにはまるで理解しがたい発想がいまだ根強いことのアンチテーゼとして、よい一例かなと思って引き合いに出したしだい。
ラトヴィアの「リガ大聖堂」も 1999、2004 年と聴いたけれども、2004 年のときのソリストくんは女声オペラ歌手ばりに表現力があって、これはこれで聴きごたえがありまして堪能させていただいた。そのとき大聖堂オルガニストも来日していて、当然のことながらオルガン独奏も披露してくれたから、喜びも2倍という感じでした( ただし、新宿文化センター大ホールの「壁掛け」オルガンの音響は芳しくなかった。開演前にいきなり現れて弾き始めたんですけど、そのとき聴こえてきたのはバッハのカンタータ BWV. 29 冒頭の「シンフォニア[ 原曲は BWV. 1006 の前奏曲 ]」オルガン版でした )。
それと、忘れちゃいけないのがドイツの名門少年合唱団ですな! 1995 年8月の酷暑のなか来てくれたヴィントスバッハの子たち歌声もすばらしかった。イザークの「インスブルックよ、さようなら」なんか、涙あふるるほどの名演だったと思う( そのとき松葉杖姿の団員もいて、彼ひとりだけスツールに浅く腰掛けて歌ってました。プロだなあ )。あいにく「テルツ」はいまだ実演に接する機会がなく … そんなこと言えば大バッハゆかりの「聖トーマス教会聖歌隊」だってまだだが … できれば「マタイ」とか受難曲じゃなくて、バッハ最後の最高傑作「ロ短調ミサ」をぜひ聴きたいです。
ワタシは子どもたちはみんな「名歌手」だと思っているので、あんまりチャチャ入れたくはないんですけど、なかには「?」がつく公演もある。たとえば以前書いた拙記事の二番煎じで申し訳ないが、2006 年のモスクワアカデミーとか、2007 年時の「ボニ・プエリ」とか … それとつい先日、NHK-FM にて聴取したこちらの公演とか … 。
かつて名指揮者の岩城宏之さんが生涯を通じてもっとも好きだったのが、共演した少年少女たちの歌声だった、というお話をどこかで聞いたことがある。日本人の子どもたちだってすごいですよ。TOKYO FM 少年合唱団なんか大好きですね。彼らの公演はクリスマスと毎年春の定演を4回ほど[ 2006、2008、2009 ]聴きに行ったことがありますが、とても安定感があって、なんといっても元気なところがよいですね !! やはりボーイソプラノは線の細い声、ではなくて、ちょっと破綻してもいいくらいの勢いと元気のよさがあっていい。あとは鎌倉の雪ノ下カトリック教会を拠点に活動しているグロリア少年合唱団ですね。いまこれを書きながら当時の「名歌手たち」の顔とか思い出したりするけれど、ワタシにとっても彼らの心洗われるピュアな歌声、美しい天上のハーモニー、彼らの調べの数々は文字どおりわが財産だなあ、という気がする。神話学者キャンベル流に言えば、Their voices to live by といったところか。あのとき彼らとおなじ空間を共有し、彼らの音楽に耳を傾けていたあの瞬間こそ「至高経験」であり、「エピファニー」だったかもしれない。
追記:けっきょく今年聴きに行ったのは、掛川市出身の若きピアニスト佐藤元洋さんの地元開催リサイタルのみ … だったけれども、オケもオルガンも合唱もなんでもそうですがやはり生演奏に接するのはいいものだ。使用されていたピアノも掛川で生産された YAMAHA のすばらしい楽器だった、というのもあるかもしれないが、ベートーヴェン、リスト、ショパン、スクリャービンのピアノソナタを中心に組まれたプログラムはすばらしかった。当方はオルガンびいきながら、ピアノも、名手の手にかかるとこうも心打たれる響きがするもんですねぇ、というわけで、つぎの機会はぜひ佐藤さんのバッハを聴いてみたいと念願しております。
2015年11月30日
シベリウスはお好き?
昨晩の「クラシック音楽館」は、来月8日でちょうど 150 年目の誕生日を迎えるジャン・シベリウス尽くし! でした。
フィンランドとくると、叙事詩「カレワラ」や、第2の国歌とも言われる「フィンランディア」… と言いたいところだが、少年合唱好きとしてはかつて NHK BS2 で放映されたヘルシンキ大聖堂少年聖歌隊の来日公演とかがどうしても思い出される( 苦笑)。で、今月はじめにサントリーホールで開かれた公演の録画を見たんですが、これ名演だったと思います!
シベリウスの音楽って、じつは「フィンランディア」以外はほとんど聴いたことがなくて、Ottava を聴くようになってからちょくちょく耳にするようになってきた( もっとも NHK-FM でもかかってましたが )。シベリウスの交響曲作品で日本でウケがすこぶるよいのは「2番 ニ長調」… のようだけれども、ワタシは2年ほど前だったか、なにかの番組で聴いた「5番 変ホ長調」が、なぜか自分の感性とフィットして、大好きになった。そしてつい最近、音楽学者の皆川達夫先生が案内役をつとめる「音楽の泉」にて、シベリウス最後の交響曲「7番」をたまたま耳にして、こちらも好きになった[ 以前 BBC Music だったか、作曲者が北の人か南の人かでできあがった音楽作品の「温度」が決まってくる、みたいなコラムを読んだことがある。シベリウスはやはり、夏のクソ暑いときこそふさわしい。冬は … どうなのかな ]。
いま、ユッカ−ペッカ・サラステ指揮、フィンランド放送交響楽団による音源をいつも行ってる図書館から借りてきて聴きながら書いてるんですが、昨夜見た公演というのが、まさにこの音源のフィンランド放送交響楽団の来日公演だった。まったく知らずに借りてきたので、これはまことにうれしい偶然。
現首席指揮者ハンヌ・リントゥ氏の説明によれば、「2番」を純粋な音楽作品として聴いてほしい … みたいなことをおっしゃっていたのが印象的だった。ロシア支配からの独立、民族自決 !! みたいなフィルターを通さずに、ただひたすら一音楽作品として楽しんでほしい、そんな趣旨のコメントでした。「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」もすばらしかった。リントゥ氏はソリストの諏訪内さんを、「ひじょうに軽やかに表現してくれた」と評価してました。ヴァイオリン弾きでもあったシベリウスのこのヴァイオリン協奏曲は、それまでの同ジャンルの作品とはたしかに異質というか、とてもユニークだというのは、ワタシのような門外漢が聴いても感じられる( カデンツァの配置の仕方とか )。そして当然の事ながら、と言うべきか、技巧的にも困難を極める難曲だということもリントゥはおっしゃっていた。「2番」と「ヴァイオリン協奏曲」は、ほぼ同時期に作曲されたんだそうです。
ワタシの好きな「5番」については、終楽章で金管が鐘のような動機を朗々と吹奏する場面が、やっぱり好きですね … 作曲者自身はこの特徴的な動機について、湖面で鳴き交わす白鳥をイメージして作ったとかって読んだことがあります。シベリウス作品とくると北欧の厳しい自然の描写、という先入観がどうしてもつきものですが、なるほど、たしかにこりゃ白鳥の鳴き声だわ。それがまたじつに神々しい。
最後の交響曲の「7番[ 調性はハ長調 ]」についてはリントゥ氏曰く、「無駄な音などひとつもない」傑作。単一楽章しかない、演奏時間わずか 20 分ほどのこの作品を交響曲と呼んでいいものか、と疑問に思う向きもいるかもしれないが、長けりゃいいってもんでも、またないんじゃないかって個人的には思います。だからってマーラーやブルックナーは長すぎ、なんて言わないけれども … ふだんは短いものだと数分ほどで終わるバロック音楽ばっか聴いているものだから、たまーに「巨人」とか「ロマンチック」とか聴くと、いつの間にか夢の世界へ旅立っていたりする( 苦笑 )。
サントリーホールでの公演ではアンコールをふたつ(「ベルシャザール王のうたげ」から「夜の音楽」と「4つの伝説」から「レンミンカイネンの帰郷」 )も !! 演奏するなど大サーヴィス。TV 画面を見ていても当日の興奮というか、会場の雰囲気は伝わってきた。この実演に接した人は、幸せだったと思う。
そんなわけできのうの夜は宅配ピザをつまみつつこのすばらしい演奏会を TV 鑑賞して、ボージョレ・ヌーヴォーを開けてたんですが( 笑、それにしてもアルコール度数 13 % というのは … ヴィラージュ・ヌーヴォーにいたっては、13.5 % !! パンチは効いてるけど、その分軽やかさがやや削がれている気はした。色も例年に比べてカベルネ / シラーかと思うほど濃厚ですし )、その 29 日というのは、聖ブレンダンつながりでは「バーの聖ブレンダン」の祝日でもあったりする。だいぶ前に書いた拙記事の二番煎じではあるが、ついでに思い出したのでご参考までに。
… 「クラシック音楽館」のあと、BBC Radio 3 の Choral Evensong で毎年この時期恒例のセントジョンズカレッジ聖歌隊による待降節礼拝の中継に耳を傾けてました … 今年もあっという間に 12 月、去来する思いはいろいろあれど、とにかく皆さまも ――「きらクラ!」の決まり文句じゃないけど ―― どうぞ時節柄ご自愛くださいませ。
追記:明日、NHK-FMにておなじ公演の放送があります。
フィンランドとくると、叙事詩「カレワラ」や、第2の国歌とも言われる「フィンランディア」… と言いたいところだが、少年合唱好きとしてはかつて NHK BS2 で放映されたヘルシンキ大聖堂少年聖歌隊の来日公演とかがどうしても思い出される( 苦笑)。で、今月はじめにサントリーホールで開かれた公演の録画を見たんですが、これ名演だったと思います!
シベリウスの音楽って、じつは「フィンランディア」以外はほとんど聴いたことがなくて、Ottava を聴くようになってからちょくちょく耳にするようになってきた( もっとも NHK-FM でもかかってましたが )。シベリウスの交響曲作品で日本でウケがすこぶるよいのは「2番 ニ長調」… のようだけれども、ワタシは2年ほど前だったか、なにかの番組で聴いた「5番 変ホ長調」が、なぜか自分の感性とフィットして、大好きになった。そしてつい最近、音楽学者の皆川達夫先生が案内役をつとめる「音楽の泉」にて、シベリウス最後の交響曲「7番」をたまたま耳にして、こちらも好きになった[ 以前 BBC Music だったか、作曲者が北の人か南の人かでできあがった音楽作品の「温度」が決まってくる、みたいなコラムを読んだことがある。シベリウスはやはり、夏のクソ暑いときこそふさわしい。冬は … どうなのかな ]。
いま、ユッカ−ペッカ・サラステ指揮、フィンランド放送交響楽団による音源をいつも行ってる図書館から借りてきて聴きながら書いてるんですが、昨夜見た公演というのが、まさにこの音源のフィンランド放送交響楽団の来日公演だった。まったく知らずに借りてきたので、これはまことにうれしい偶然。
現首席指揮者ハンヌ・リントゥ氏の説明によれば、「2番」を純粋な音楽作品として聴いてほしい … みたいなことをおっしゃっていたのが印象的だった。ロシア支配からの独立、民族自決 !! みたいなフィルターを通さずに、ただひたすら一音楽作品として楽しんでほしい、そんな趣旨のコメントでした。「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」もすばらしかった。リントゥ氏はソリストの諏訪内さんを、「ひじょうに軽やかに表現してくれた」と評価してました。ヴァイオリン弾きでもあったシベリウスのこのヴァイオリン協奏曲は、それまでの同ジャンルの作品とはたしかに異質というか、とてもユニークだというのは、ワタシのような門外漢が聴いても感じられる( カデンツァの配置の仕方とか )。そして当然の事ながら、と言うべきか、技巧的にも困難を極める難曲だということもリントゥはおっしゃっていた。「2番」と「ヴァイオリン協奏曲」は、ほぼ同時期に作曲されたんだそうです。
ワタシの好きな「5番」については、終楽章で金管が鐘のような動機を朗々と吹奏する場面が、やっぱり好きですね … 作曲者自身はこの特徴的な動機について、湖面で鳴き交わす白鳥をイメージして作ったとかって読んだことがあります。シベリウス作品とくると北欧の厳しい自然の描写、という先入観がどうしてもつきものですが、なるほど、たしかにこりゃ白鳥の鳴き声だわ。それがまたじつに神々しい。
最後の交響曲の「7番[ 調性はハ長調 ]」についてはリントゥ氏曰く、「無駄な音などひとつもない」傑作。単一楽章しかない、演奏時間わずか 20 分ほどのこの作品を交響曲と呼んでいいものか、と疑問に思う向きもいるかもしれないが、長けりゃいいってもんでも、またないんじゃないかって個人的には思います。だからってマーラーやブルックナーは長すぎ、なんて言わないけれども … ふだんは短いものだと数分ほどで終わるバロック音楽ばっか聴いているものだから、たまーに「巨人」とか「ロマンチック」とか聴くと、いつの間にか夢の世界へ旅立っていたりする( 苦笑 )。
サントリーホールでの公演ではアンコールをふたつ(「ベルシャザール王のうたげ」から「夜の音楽」と「4つの伝説」から「レンミンカイネンの帰郷」 )も !! 演奏するなど大サーヴィス。TV 画面を見ていても当日の興奮というか、会場の雰囲気は伝わってきた。この実演に接した人は、幸せだったと思う。
そんなわけできのうの夜は宅配ピザをつまみつつこのすばらしい演奏会を TV 鑑賞して、ボージョレ・ヌーヴォーを開けてたんですが( 笑、それにしてもアルコール度数 13 % というのは … ヴィラージュ・ヌーヴォーにいたっては、13.5 % !! パンチは効いてるけど、その分軽やかさがやや削がれている気はした。色も例年に比べてカベルネ / シラーかと思うほど濃厚ですし )、その 29 日というのは、聖ブレンダンつながりでは「バーの聖ブレンダン」の祝日でもあったりする。だいぶ前に書いた拙記事の二番煎じではあるが、ついでに思い出したのでご参考までに。
… 「クラシック音楽館」のあと、BBC Radio 3 の Choral Evensong で毎年この時期恒例のセントジョンズカレッジ聖歌隊による待降節礼拝の中継に耳を傾けてました … 今年もあっという間に 12 月、去来する思いはいろいろあれど、とにかく皆さまも ――「きらクラ!」の決まり文句じゃないけど ―― どうぞ時節柄ご自愛くださいませ。
追記:明日、NHK-FMにておなじ公演の放送があります。
2015年03月09日
「神の時は最善の時なり BWV. 106 」
もう絶版だと思うけれど、漫画家の砂川しげひささんのコミカルな音楽エッセイ本『のぼりつめたら大バッハ』
。各ページの余白に、「ついにやった !! 努力と忍耐の結晶、教会カンタータ 200 曲全曲完聴記」なんてのも書かれていた。「時空を超えた対決、グールド vs. バッハ(「バッハの御前試合」)」なんてのがあったり、版元の名物編集者の迷言(?)、「バッハは『フーガの技法』である」にまつわるエピソードとか、ゆるいイラストとともに楽しめる本なんですが、一昨年、そんな自分が、よもやおんなじことに「挑戦」しようなどとはまるで思っていなかった( → 関連拙記事 )。
手許の『「音楽の捧げもの」が生まれた晩 / バッハとフリードリヒ大王』
と小学館の『バッハ全集』によると、この作品はバッハがまだ若きオルガンのヴィルトゥオーゾだった 1707年ごろ、というから「小フーガ BWV. 578 」の作曲時期とほぼおなじころだと思うが、母方の伯父トビアス・レンマーヒルトの葬儀用として作曲されたのではないかとされる作品( なので「哀悼行事 Actus Tragicus 」という別名もついている )。全曲の演奏時間は 20 分そこそこで、晩年、ライプツィッヒ時代の大規模な教会カンタータと比べるととてもちんまりした印象を受ける。でも、この世のものとは思えないほどの浄福感というか、静謐さを湛えたこのカンタータには、後年の巨匠バッハの片鱗というか筆の冴えをすでに雄弁に披露していると言っても差し支えないと思う。
出だしの「ソナティーナ」からして、「マタイ」の冒頭合唱を聴いたときみたいに、いきなり涙腺が緩んでしまう。「エール( アリア、BWV. 1068 )」とか「アンダンテ( 無伴奏ヴァイオリンソナタ BWV. 1003 )」、あとバッハの「アリオーソ」として知られる有名な旋律とか、なんかせっかちでペコペコした印象もつよかったりするバッハ作品には、このような聴く者の心をわしづかみにするような強烈に美しい旋律がときどき顔を出したりします。この本によると、転調プランとかも細かく説明してあるのですが、そのくだりを読むと、いつぞや目にした、さる指揮者先生による「マタイ」と「ヨハネ」の転調についての一文も思い出されます。それによると、「マタイ」では「最後の晩餐」場面以降、急激にフラット圏へと傾き、かたや「ヨハネ」では、「ペトロの否認」と、それにつづく「イエスの受けた平手打ち」あたりからシャープ圏へと遠隔転調し、ちょうど5度圏を5つ、それぞれが逆回りに転調進行している、と言います。このカンタータでも、ボーイアルトが歌うアリア「わたしの霊を御手にゆだねます」でフラット5個の変ロ短調に転じて、「バッハはその後も激しい悲しみや絶望を表現する時にのみ、フラットが非常に多い調性を使い、深く沈み込んでいくような感覚を生み出した。その例のひとつが『マタイ受難曲』のなかで磔にされたキリストが人間的な弱さをさらけだしつつ、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになるのですか』と叫ぶ場面である( 長い時を経て、バッハはふたたび変ロ短調にちどり着くが、それは約 40 年も先の話である )」( ibid., p. 115)。
この本の著者ゲインズ氏はそうとうバッハに思い入れがあるようで、「この哀悼行事のカンタータは、ほとんど言葉に言い尽くせぬ美しさを備えた芸術作品である」とも書いてます。
もうすぐ 11 日が来ます … 大津波。未曾有の原発事故。15 日夜の富士山中腹を震源とする最大震度6強( 富士宮市で観測 )の誘発地震。噴火するのではという緊張。いっこうに収まらない余震。計画停電。食パンが、乾電池が陳列棚からいっせいに消えた光景。ますます募る想定東海地震と南海トラフ「3連動」巨大地震への不安。そして直下型地震の場合はいつ、どこで発生するのか、予測さえできない。できることをつづけ、あるいは備えるしかないのでしょうけれども、とにかく「記憶の風化浸蝕」だけは、なんとしても食い止めたいと思う。そして、まったくの偶然なのか、戦艦「武蔵」の船体が発見されたという報も入ってきた。自分には、「武蔵」とともに眠っている親戚がいます … いろいろな思いが去来し、錯綜する。しばらくのあいだ、このカンタータに耳を傾けたいと思う。
手許の『「音楽の捧げもの」が生まれた晩 / バッハとフリードリヒ大王』
… 曲は 12 の部分にこまかく分かれ … さまざまなレベルで進行する「時間」が曲全体のテーマになっている。天地創造からキリストの再臨にいたる地球上の魂の遍歴としての非常に長いスパンの「時間」、… 贖罪にいたる個々の人生の「時間」、さらには神の「時間」が描かれる。…
―― ジェイムズ・R・ゲインズ著、松村哲哉 訳『「音楽の捧げもの」が生まれた晩 / バッハとフリードリヒ大王』p. 114
出だしの「ソナティーナ」からして、「マタイ」の冒頭合唱を聴いたときみたいに、いきなり涙腺が緩んでしまう。「エール( アリア、BWV. 1068 )」とか「アンダンテ( 無伴奏ヴァイオリンソナタ BWV. 1003 )」、あとバッハの「アリオーソ」として知られる有名な旋律とか、なんかせっかちでペコペコした印象もつよかったりするバッハ作品には、このような聴く者の心をわしづかみにするような強烈に美しい旋律がときどき顔を出したりします。この本によると、転調プランとかも細かく説明してあるのですが、そのくだりを読むと、いつぞや目にした、さる指揮者先生による「マタイ」と「ヨハネ」の転調についての一文も思い出されます。それによると、「マタイ」では「最後の晩餐」場面以降、急激にフラット圏へと傾き、かたや「ヨハネ」では、「ペトロの否認」と、それにつづく「イエスの受けた平手打ち」あたりからシャープ圏へと遠隔転調し、ちょうど5度圏を5つ、それぞれが逆回りに転調進行している、と言います。このカンタータでも、ボーイアルトが歌うアリア「わたしの霊を御手にゆだねます」でフラット5個の変ロ短調に転じて、「バッハはその後も激しい悲しみや絶望を表現する時にのみ、フラットが非常に多い調性を使い、深く沈み込んでいくような感覚を生み出した。その例のひとつが『マタイ受難曲』のなかで磔にされたキリストが人間的な弱さをさらけだしつつ、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになるのですか』と叫ぶ場面である( 長い時を経て、バッハはふたたび変ロ短調にちどり着くが、それは約 40 年も先の話である )」( ibid., p. 115)。
この本の著者ゲインズ氏はそうとうバッハに思い入れがあるようで、「この哀悼行事のカンタータは、ほとんど言葉に言い尽くせぬ美しさを備えた芸術作品である」とも書いてます。
… 一度この本を脇に置き、スコアを取り出し、曲を聴きながら歌詞と楽譜の双方に目を配ってみよう。何回となく曲を聴くうちに、… 天才の力がしっかりと伝わってくるはずだ。『マタイ受難曲』も、『ロ短調ミサ曲』も、『ブランデンブルク協奏曲』も、無伴奏チェロ組曲も、すべてはここから始まったのである。( ibid., p. 117 )
もうすぐ 11 日が来ます … 大津波。未曾有の原発事故。15 日夜の富士山中腹を震源とする最大震度6強( 富士宮市で観測 )の誘発地震。噴火するのではという緊張。いっこうに収まらない余震。計画停電。食パンが、乾電池が陳列棚からいっせいに消えた光景。ますます募る想定東海地震と南海トラフ「3連動」巨大地震への不安。そして直下型地震の場合はいつ、どこで発生するのか、予測さえできない。できることをつづけ、あるいは備えるしかないのでしょうけれども、とにかく「記憶の風化浸蝕」だけは、なんとしても食い止めたいと思う。そして、まったくの偶然なのか、戦艦「武蔵」の船体が発見されたという報も入ってきた。自分には、「武蔵」とともに眠っている親戚がいます … いろいろな思いが去来し、錯綜する。しばらくのあいだ、このカンタータに耳を傾けたいと思う。
2014年11月24日
「大王の主題」の真の作者は … 次男坊?
[ 22日夜に発生した長野県北部地震で被災された方へ心よりお見舞い申し上げます ]
1). きのう、いつも行っている図書館にてふと見つけたこちらの本。パラパラと繰ったら、拙い読書経験からでもこれは must 文献だと直感。そのときは先約本があったため借りなかったが、とりわけ目が釘づけになったのは冒頭の章。あの「音楽の捧げもの」の、いわゆる「大王の主題」というのが、以前からどーも引っかかってたんですよね。フリードリヒ大王( 「訳者あとがき」にもあったけれども、ほんらいは「フリードリヒ2世」とすべきところ )って、その性格の悪さゆえ有名だったようで、国籍不明語で言えば「ドS」なお人だったらしい。お抱えのフルート奏者クヴァンツは、大王自身もフルート吹きなので贔屓していたそうだが、当時、宮廷楽団に在籍していた大バッハの次男坊カール・フィリップ・エマヌエルは冷遇されていたとか、どっかで読んだことがあります。そして、なんといっても当時 62 歳の老バッハと、大王の音楽趣味はまるで相容れないものだった … はず。試しに NML でフリードリヒ2世作曲とされている作品なんかを聴いてみるといいです( たとえば、これとか )。
この本によれば、なんでもシェーンベルクが、早くもこの「主題」の真の作者を見抜いていたらしい( 知らなかった )。ワタシもあんな長ったらしい、半音進行だらけでその後の展開を思うと厄介な代物と言ってもいいような複雑なフーガ主題を思いついたのがフリードリヒ2世だったなんて、とうてい信じられなかった。しかも! またしても白水社の文庫クセジュから出ているマルセル・ビッチ著『フーガ』によれば、「『音楽の捧げ物』の主題はバッハ自身が作ったものだという説もあり、もしそうでなくても、少なくとも彼が手直ししたものだとする説もある。ともあれ、『フーガの技法』の主唱との類似性は著しい( pp. 62−3 )」。これだけでも食指をそそられてしまう。
ちゃんと通読もしないで中身を云々するのは嫌いですけど、じつはこの本はすぐれたバッハ評伝とも読める。そうか、フリードリヒ2世の音楽観とバッハのそれとは、まるで相容れない水と油、旧世代と新世代の衝突そのものだった … という主張は、言い得て妙かも。1747 年5月7日のポツダムの夜は、たとえばその後のベートーヴェンの「第九」とか、もっと下ってストラヴィンスキーの「春の祭典」とかの初演時のように、時代の転機を画すような出来事だったのかもしれない( バッハ時代までは生き残っていた楽器もこのころになると音楽史の表舞台から次々と姿を消し、また「通奏低音」技法もギャラント様式と和声音楽が支配的になってくるにつれて自然消滅してゆく )。
2). 本日放映予定の「花子とアン 総集編」… ついでに、本編放映中に気づいたこととか少しだけ。
本編6月 23日放映回( 73話 )で、のちに蓮子さんと「駆け落ち」する宮本龍一をはじめとする帝大生たちが蓮子さんについて非難しているシーンに、村岡印刷父こと村岡平祐が学生たちに割って入り、「詩人のボアローはこう言っている。『批評はたやすく、芸術はむずかしい』」と言うなり、蓮子さん( 白蓮 )の歌集を宮本青年に差し出す。
これ、ちょっと調べたら、どうもボワローじゃないんですね。意図的かどうか不明ながら、ドラマではボワロー作として誤って伝えられたもの、人口に膾炙した通説を採用したもようです。真作者はボワローではなく、バッハと同時代に生きたフランスの戯曲家のデトゥーシュの作品 Le Glorieux に出てくることばのようです。
「あら探し」はたやすく、芸術はむつかしい。だからみんなはあら探しに走り、才能ある書き手を萎縮させてしまう … ってところでしょうか。
いまひとつ、話が前後するけど花子さんや醍醐さん、畠山さん( 答辞読むの緊張しますわ !! と答辞の草稿を小さく小さく折りたたんだり「廊下スライド」でコケそうになったり個人的にけっこうお気に入りのキャラクターでした )たちが修和女学校を卒業するシーン。卒業式後、恩師の富山先生が、ブラックバーン校長の餞のことばを通訳した花子を褒めて、'Every woman is the architect of her own fortune.' と言う場面。これは共和制ローマ時代の政治家アッピウス・クラウディウス・カエクスの演説のもじりみたいです。こちらのページの記述をそのまま引用すれば、
「花子とアン」のおかげで(?)、長らく絶版状態だった村岡花子の訳業が見直され、復刊があいついだり未発表原稿などがあらためて書籍化されたりと、こういう流れはアーアー、まことにけっこうなこと、デアリマス( 歩ちゃんふうに )。かくいうワタシも『想像の翼にのって』などの「村岡花子エッセイ集」をすべて買ったり、『赤毛のアン』原本とその村岡訳を買ったり、あるいは関連書を図書館で借りたり( この朝ドラが始まったばかりのとき、図書館にて「赤毛のアン」関連本を検索したらほとんどすべてが「貸出中」と表示されたのにはたまげた )と、これはこれで楽しめましたね。なかでも白眉は、やはり教文館で開催されていた「村岡花子展」を見に行ったことでしょうか。とくに3階、村岡花子が編集者として働いていたそのフロアにずらっと並んでいた、バッハのオルガン作品スコア( ペータース版など )とか「オルガン教本」、英国聖公会の聖歌集( Hymns, Old and New
とか )なんかを指をくわえて眺めていた( 笑 )。いまごろはクリスマス商戦ですかねー、近所の山野楽器さんも。
1). きのう、いつも行っている図書館にてふと見つけたこちらの本。パラパラと繰ったら、拙い読書経験からでもこれは must 文献だと直感。そのときは先約本があったため借りなかったが、とりわけ目が釘づけになったのは冒頭の章。あの「音楽の捧げもの」の、いわゆる「大王の主題」というのが、以前からどーも引っかかってたんですよね。フリードリヒ大王( 「訳者あとがき」にもあったけれども、ほんらいは「フリードリヒ2世」とすべきところ )って、その性格の悪さゆえ有名だったようで、国籍不明語で言えば「ドS」なお人だったらしい。お抱えのフルート奏者クヴァンツは、大王自身もフルート吹きなので贔屓していたそうだが、当時、宮廷楽団に在籍していた大バッハの次男坊カール・フィリップ・エマヌエルは冷遇されていたとか、どっかで読んだことがあります。そして、なんといっても当時 62 歳の老バッハと、大王の音楽趣味はまるで相容れないものだった … はず。試しに NML でフリードリヒ2世作曲とされている作品なんかを聴いてみるといいです( たとえば、これとか )。
この本によれば、なんでもシェーンベルクが、早くもこの「主題」の真の作者を見抜いていたらしい( 知らなかった )。ワタシもあんな長ったらしい、半音進行だらけでその後の展開を思うと厄介な代物と言ってもいいような複雑なフーガ主題を思いついたのがフリードリヒ2世だったなんて、とうてい信じられなかった。しかも! またしても白水社の文庫クセジュから出ているマルセル・ビッチ著『フーガ』によれば、「『音楽の捧げ物』の主題はバッハ自身が作ったものだという説もあり、もしそうでなくても、少なくとも彼が手直ししたものだとする説もある。ともあれ、『フーガの技法』の主唱との類似性は著しい( pp. 62−3 )」。これだけでも食指をそそられてしまう。
ちゃんと通読もしないで中身を云々するのは嫌いですけど、じつはこの本はすぐれたバッハ評伝とも読める。そうか、フリードリヒ2世の音楽観とバッハのそれとは、まるで相容れない水と油、旧世代と新世代の衝突そのものだった … という主張は、言い得て妙かも。1747 年5月7日のポツダムの夜は、たとえばその後のベートーヴェンの「第九」とか、もっと下ってストラヴィンスキーの「春の祭典」とかの初演時のように、時代の転機を画すような出来事だったのかもしれない( バッハ時代までは生き残っていた楽器もこのころになると音楽史の表舞台から次々と姿を消し、また「通奏低音」技法もギャラント様式と和声音楽が支配的になってくるにつれて自然消滅してゆく )。
2). 本日放映予定の「花子とアン 総集編」… ついでに、本編放映中に気づいたこととか少しだけ。
本編6月 23日放映回( 73話 )で、のちに蓮子さんと「駆け落ち」する宮本龍一をはじめとする帝大生たちが蓮子さんについて非難しているシーンに、村岡印刷父こと村岡平祐が学生たちに割って入り、「詩人のボアローはこう言っている。『批評はたやすく、芸術はむずかしい』」と言うなり、蓮子さん( 白蓮 )の歌集を宮本青年に差し出す。
これ、ちょっと調べたら、どうもボワローじゃないんですね。意図的かどうか不明ながら、ドラマではボワロー作として誤って伝えられたもの、人口に膾炙した通説を採用したもようです。真作者はボワローではなく、バッハと同時代に生きたフランスの戯曲家のデトゥーシュの作品 Le Glorieux に出てくることばのようです。
La critique est aisée, et l’art est difficile. ≫ ( Le Glorieux, II, 5 ) En fait traduction de Polybe ( HISTOIRE Livre : XII, C : XI, 25c, 5 )
「あら探し」はたやすく、芸術はむつかしい。だからみんなはあら探しに走り、才能ある書き手を萎縮させてしまう … ってところでしょうか。
いまひとつ、話が前後するけど花子さんや醍醐さん、畠山さん( 答辞読むの緊張しますわ !! と答辞の草稿を小さく小さく折りたたんだり「廊下スライド」でコケそうになったり個人的にけっこうお気に入りのキャラクターでした )たちが修和女学校を卒業するシーン。卒業式後、恩師の富山先生が、ブラックバーン校長の餞のことばを通訳した花子を褒めて、'Every woman is the architect of her own fortune.' と言う場面。これは共和制ローマ時代の政治家アッピウス・クラウディウス・カエクスの演説のもじりみたいです。こちらのページの記述をそのまま引用すれば、
This speech, exhorting the Romans not to make peace with Pyrrhus, was the first to be preserved in written form and so became the foundation for Latin prose composition. The dictum Faber est suae quisque fortunae ("Every man is the architect of his own fortune"), which was quoted by Sallust in his "Speech to Caesar on the State" also is attributed to him.
「花子とアン」のおかげで(?)、長らく絶版状態だった村岡花子の訳業が見直され、復刊があいついだり未発表原稿などがあらためて書籍化されたりと、こういう流れはアーアー、まことにけっこうなこと、デアリマス( 歩ちゃんふうに )。かくいうワタシも『想像の翼にのって』などの「村岡花子エッセイ集」をすべて買ったり、『赤毛のアン』原本とその村岡訳を買ったり、あるいは関連書を図書館で借りたり( この朝ドラが始まったばかりのとき、図書館にて「赤毛のアン」関連本を検索したらほとんどすべてが「貸出中」と表示されたのにはたまげた )と、これはこれで楽しめましたね。なかでも白眉は、やはり教文館で開催されていた「村岡花子展」を見に行ったことでしょうか。とくに3階、村岡花子が編集者として働いていたそのフロアにずらっと並んでいた、バッハのオルガン作品スコア( ペータース版など )とか「オルガン教本」、英国聖公会の聖歌集( Hymns, Old and New
2014年10月19日
本日の音楽番組から2題
1). けさ、たまたま見た「題名のない音楽会」。「らじる」の「名演奏ライブラリー( 本日はヘンリク・シェリング !! )」をかけっぱなしにしたまま視聴していたら、思いがけない内容だった。
いまの公立小・中学校の音楽ってどんな教科書で、何時間くらいやってんだかまるで知らないけれど、いくらなんでもこりゃヒドいんじゃないでしょうか … 「埴生の宿」や「翼をください」、そしてかのフォスターの名曲、「ローレライ」などなど、一覧のフリップも見たけれど、音楽の教科書からこんなにたくさんの「名曲」が、いつの間にやら消えていたんですねぇ、こちとらとしては、ただもう絶句するほかなし。
なんでこういった作品が、いまの「検定済」音楽教科書からごっそり消えてしまったのか。ゲストの先生がしゃべっていたその理由というのが、たとえば「埴生の宿」ですと、「使用されている日本語歌詞が古すぎて、わからない子が多いから」みたいなことでさらにビックリ。教えるほうも、「はにゅう」の意味がわからない … って、そういうことを教えるのがみなさんの仕事なんじゃありませんか、と TV 画面に激しく突っこんでいた(苦笑x2)。
たしかに義務教育現場はただでさえ疲弊している。現場の先生はほんとたいへんだ。精神を病んで離職する教員も後を絶たず … という話も見聞します。小学校の英語教育云々なんか見ていても、この前 NHK のこちらの番組とか見たんですが、なんというか、しょせんは「2020年東京五輪向け対策」なのかしら、とも思う。あっちへブレ、こっちにブレ、ツケはみんな現場に負わせる。音楽などの芸術教育なんか、そのアオリをもろに食らっているだろうことは容易に察しがつく。キャンベル本にも引用が多いシュペングラーの2巻本『西洋の没落』の最終節がずばりお金、経済についてでして、古代世界における貨幣といま流通している貨幣とはその意味がまるでちがう、というくだりがあります。21世紀のいま、音楽などの芸術教育、広い意味での教養を育む教育は、「費用対効果」というモノサシから見るとはなはだ心もとなく、ようするに「いますぐ結果」が出せない、もっと言えば「手っ取り早くおカネにならない」。大学なんかもそうでしょ? 文科省の方針転換で、このままでは早晩、国内の大学から文学部は消滅するかもしれない、と危惧する当事者はけっこう多いです。
音楽教科書の問題にしても、小学校からの英語必修化にしても、大学の文学部に代表される教養課程の消滅問題にしても、「費用対効果」とか、「いますぐ役に立つかどうか」、ただそれだけで判断されている。ほかの基準なり、あるいは将来像なりにもとづいて計画的に … なんてことは微塵も感じられず、その結果がこういったかたちとなって現れているのではないかって思わざるを得ません。
2). というわけで、そのあとそのシュペングラーを読みつつ、「きらクラ!」を聴いて過ごしてました( ふかわさん、お帰り! )。ええと、なんですか、また新コーナーですか。「お仲間紹介」。初回は、パッヘルベルの超有名な「カノン」と、「ジーグ( 2曲ともニ長調 )」。ふかわさん、そうとう驚いていたみたいですね。「ええッ !! このふたつってユニットだったの ?! 」みたいなことを言っていた。ユニットかあ、なるほど、言い得て妙だ。「あまり知られていない仲間作品」という趣旨ならば、ワタシだったらオルガンのためのバッハの一連の「小フーガ」を挙げるかも。バッハの「小フーガ」とくると、有名な BWV. 578 の愛らしい、だが一度聴いたらまず忘れないであろう、ひじょうに印象的なフーガ主題のあの作品を思い浮かべる人が大半だと思うが、じつは BWV 番号のあの近辺には他にもオルガン独奏用の「小フーガ」作品が7つほど並んでいます。「( レグレンツィの主題による )フーガ ハ短調 BWV. 574 」、「フーガ ハ短調 BWV. 575 」、「フーガ ト長調 BWV. 576」、「フーガ ト長調 BWV. 577 」、「( コレッリの主題による )フーガ ロ短調 BWV. 579 」、「フーガ ニ長調 BWV. 580 」、「フーガ ト長調 BWV. 581 」。ただし BWV. 576、BWV. 577、BWV. 580、BWV. 581 は偽作ないしはその疑いあり、つまりアカの他人の作品らしいです。『バッハ事典』によれば、BWV. 580 / 581 は弟子の作品ではないか、としています。Organlive.com とか聴いていると( とくにバロック特集を組む水曜日 )、この中で比較的よくかかるのは BWV. 577 のわりとアップテンポで調子のいいジーグ風フーガ( ありゃ、またしてもジーグだ )、ついでコレッリ( コレルリという表記には抵抗がある )、レグレンツィの主題にもとづくフーガですね。
本日出題の「BGM 選手権」、音楽教科書とはべつの意味でたいへん驚いた。なんと、北原白秋訳の『まざあ・ぐうす』所収の「コケコッコおどり」なのです !! ちなみに原文はこちらのページに掲載されてました。
「ローレライ」といい、以前、東京 FM 少年合唱団( TFM )で聴いたシューマンの「流浪の民」といい、明治の先達の訳業のすばらしさはどうですか。というか、白秋が『マザー・グース』の翻訳をしていたことじたい知らなかった。村岡花子さんをモデルにした朝ドラ「花子とアン」の影響で、当時の児童文学者の錚々たる面々が、競うようにトウェインとかストウ夫人とかの作品を邦訳紹介していて、三島市出身の小出正吾氏なども『トム・ソーヤー』を翻訳していたなんていう事実もあらためて発見したけれども、「埴生の宿」も含めて、子どもたちにほんとうに英語を身につけさせたいんなら、まずもって先達の残してくれたこういう「知の遺産」を十全に活用すべきではないですか。いまこの国に必要なのはカジノなんかじゃなくて、「美しい」日本語と、それを血肉として身につけた子どもたちへの、真の意味での「投資」だと思いますよ( 英語がらみで言えば、筆記体の読み書きにも力を入れてもらいたいところではある )!
いまの公立小・中学校の音楽ってどんな教科書で、何時間くらいやってんだかまるで知らないけれど、いくらなんでもこりゃヒドいんじゃないでしょうか … 「埴生の宿」や「翼をください」、そしてかのフォスターの名曲、「ローレライ」などなど、一覧のフリップも見たけれど、音楽の教科書からこんなにたくさんの「名曲」が、いつの間にやら消えていたんですねぇ、こちとらとしては、ただもう絶句するほかなし。
なんでこういった作品が、いまの「検定済」音楽教科書からごっそり消えてしまったのか。ゲストの先生がしゃべっていたその理由というのが、たとえば「埴生の宿」ですと、「使用されている日本語歌詞が古すぎて、わからない子が多いから」みたいなことでさらにビックリ。教えるほうも、「はにゅう」の意味がわからない … って、そういうことを教えるのがみなさんの仕事なんじゃありませんか、と TV 画面に激しく突っこんでいた(苦笑x2)。
たしかに義務教育現場はただでさえ疲弊している。現場の先生はほんとたいへんだ。精神を病んで離職する教員も後を絶たず … という話も見聞します。小学校の英語教育云々なんか見ていても、この前 NHK のこちらの番組とか見たんですが、なんというか、しょせんは「2020年東京五輪向け対策」なのかしら、とも思う。あっちへブレ、こっちにブレ、ツケはみんな現場に負わせる。音楽などの芸術教育なんか、そのアオリをもろに食らっているだろうことは容易に察しがつく。キャンベル本にも引用が多いシュペングラーの2巻本『西洋の没落』の最終節がずばりお金、経済についてでして、古代世界における貨幣といま流通している貨幣とはその意味がまるでちがう、というくだりがあります。21世紀のいま、音楽などの芸術教育、広い意味での教養を育む教育は、「費用対効果」というモノサシから見るとはなはだ心もとなく、ようするに「いますぐ結果」が出せない、もっと言えば「手っ取り早くおカネにならない」。大学なんかもそうでしょ? 文科省の方針転換で、このままでは早晩、国内の大学から文学部は消滅するかもしれない、と危惧する当事者はけっこう多いです。
音楽教科書の問題にしても、小学校からの英語必修化にしても、大学の文学部に代表される教養課程の消滅問題にしても、「費用対効果」とか、「いますぐ役に立つかどうか」、ただそれだけで判断されている。ほかの基準なり、あるいは将来像なりにもとづいて計画的に … なんてことは微塵も感じられず、その結果がこういったかたちとなって現れているのではないかって思わざるを得ません。
2). というわけで、そのあとそのシュペングラーを読みつつ、「きらクラ!」を聴いて過ごしてました( ふかわさん、お帰り! )。ええと、なんですか、また新コーナーですか。「お仲間紹介」。初回は、パッヘルベルの超有名な「カノン」と、「ジーグ( 2曲ともニ長調 )」。ふかわさん、そうとう驚いていたみたいですね。「ええッ !! このふたつってユニットだったの ?! 」みたいなことを言っていた。ユニットかあ、なるほど、言い得て妙だ。「あまり知られていない仲間作品」という趣旨ならば、ワタシだったらオルガンのためのバッハの一連の「小フーガ」を挙げるかも。バッハの「小フーガ」とくると、有名な BWV. 578 の愛らしい、だが一度聴いたらまず忘れないであろう、ひじょうに印象的なフーガ主題のあの作品を思い浮かべる人が大半だと思うが、じつは BWV 番号のあの近辺には他にもオルガン独奏用の「小フーガ」作品が7つほど並んでいます。「( レグレンツィの主題による )フーガ ハ短調 BWV. 574 」、「フーガ ハ短調 BWV. 575 」、「フーガ ト長調 BWV. 576」、「フーガ ト長調 BWV. 577 」、「( コレッリの主題による )フーガ ロ短調 BWV. 579 」、「フーガ ニ長調 BWV. 580 」、「フーガ ト長調 BWV. 581 」。ただし BWV. 576、BWV. 577、BWV. 580、BWV. 581 は偽作ないしはその疑いあり、つまりアカの他人の作品らしいです。『バッハ事典』によれば、BWV. 580 / 581 は弟子の作品ではないか、としています。Organlive.com とか聴いていると( とくにバロック特集を組む水曜日 )、この中で比較的よくかかるのは BWV. 577 のわりとアップテンポで調子のいいジーグ風フーガ( ありゃ、またしてもジーグだ )、ついでコレッリ( コレルリという表記には抵抗がある )、レグレンツィの主題にもとづくフーガですね。
本日出題の「BGM 選手権」、音楽教科書とはべつの意味でたいへん驚いた。なんと、北原白秋訳の『まざあ・ぐうす』所収の「コケコッコおどり」なのです !! ちなみに原文はこちらのページに掲載されてました。
Cock A Doodle Doo!
My Dame has lost her shoe,
My Master's lost his fiddling stick,
And doesn't know what to do.
Cock A Doodle Doo!
What is my Dame to do?
Till Master finds his fiddling stick,
She'll dance without her shoe.
コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
おくさんがおくつをなァくした。
だんなさんがヴァイオリンの弓をなくし、
どうしていいのかおおよわり。
コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
おやおや、おくさんどうなさる。
だんなさんがヴァイオリンの弓をさがす、
それまで、はだしでおおどりか。
「ローレライ」といい、以前、東京 FM 少年合唱団( TFM )で聴いたシューマンの「流浪の民」といい、明治の先達の訳業のすばらしさはどうですか。というか、白秋が『マザー・グース』の翻訳をしていたことじたい知らなかった。村岡花子さんをモデルにした朝ドラ「花子とアン」の影響で、当時の児童文学者の錚々たる面々が、競うようにトウェインとかストウ夫人とかの作品を邦訳紹介していて、三島市出身の小出正吾氏なども『トム・ソーヤー』を翻訳していたなんていう事実もあらためて発見したけれども、「埴生の宿」も含めて、子どもたちにほんとうに英語を身につけさせたいんなら、まずもって先達の残してくれたこういう「知の遺産」を十全に活用すべきではないですか。いまこの国に必要なのはカジノなんかじゃなくて、「美しい」日本語と、それを血肉として身につけた子どもたちへの、真の意味での「投資」だと思いますよ( 英語がらみで言えば、筆記体の読み書きにも力を入れてもらいたいところではある )!
2014年10月07日
意外と知られてない作品
↑ のようなお題をつけてみたものの、音楽って聴く人によってほんとうにさまざま、よりどりみどりなので、言ってみれば自分がそう思っているだけなのかもしれない( 以下、リンク先はすべて NML サイト )。ここんところ大型台風の来襲が相次いでいて気になるところではありますが( ちょうど18号が「真上」を突進していたまさにそのとき、不肖ワタシめは人間ドックの最中でした … そして病院の正面玄関とか廊下の天井からは、Jack-o'-Lanterns がお化けといっしょにぶら下がっていたりして )、秋の夜長、コオロギの鳴き声を BGM に、ふだんあまり聴くことのない作品に触れるというのも一興ではないかな。
オルガン音楽好きなんで、たとえばブラームスのオルガン作品とかどうでしょうか。ブラームスのオルガン曲、とくると、「11 のオルガン コラール前奏曲 作品 122」の「一輪の薔薇が咲いて」なんかはクリスマス時期に演奏されたりするので、ああこれか、と思われる向きもあるかもしれない。自分は、クリストフ・アルブレヒトがベルリンの聖マリア教会にあるヴァーグナーオルガンを弾いた安い( 1,000円!)音源を持ってます。ライナーによると、なんでもバッハのほか、なんとザムエル・シャイトを研究していたんだとか( そしてこの音源のライナーには使用楽器のディスポジション、つまりストップリストまで記載されていて、お得感はさらに倍増 )。シューマンがその才能を絶賛したわけだな。
もう終わったかもしれないけれど、「名曲アルバム」でつい最近、リストの有名な「慰め 第3番」が取り上げられてました。この作品もまたオルガン編曲ヴァージョンがありまして、たしか故マリー−クレール・アランが 1987年あたりに来日した際、これを弾いていたと思う( NHKの「芸術劇場」で放映されていた )。で、ブラームスついでに、 2011年6月に実演に接した「ピアノ協奏曲 イ短調 作品 56 」や「交響曲第3番 'ライン'( 作品 97 )」などで知られるロベルト・シューマンも、じつはオルガンでも演奏可能な作品を書いてるんですねー。「ペダル付きピアノのためのスケッチ」というのがそれなんですが、なかでも最後の、なんとも言えない諧謔が感じられる愛らしい小品は、ときおりオルガンリサイタルでも演奏されたりします。
また、ベートーヴェンにはなんと、「スコットランドとアイルランドの民謡集」なんていう歌曲集まであったりします。寡聞にして知らないが、これって一部でも演奏会で取り上げられることは多いのだろうか。おそらくそんなにはないはずです。だいぶ以前の話になりますが、たしかスウェーデン放送合唱団だったか、来日公演のさい、アンコールだかなんだかで歌っていて、その模様を放送した「ベスト・オヴ・クラシック」で聴いたような気がする( そんなことここでも書いたかな? めんどくさいので調べなかったけど )。
いま、これ書きながら聴いているのは、こちらのアルバム。畏友 Ken さんの所属するアマオケの定演に聴きに来ませんか、と誘われて、出かけていったついでに教文館の「村岡花子展」に立ち寄り、さらについでにすぐ近所の山野楽器にも立ち寄ったら、幸運にもこの音盤がありました !! とくに「地上の美のために」、「すべては美しく輝き」、「レクイエム( 天上的なボーイソプラノのソロで聴く「ピエ・イエズ」は絶品 )」、「主があなたを祝福しあなたを守るように」、「なんと甘美な音楽( What a sweeter music )」… と、挙げていったらそれこそキリないくらいのヒットメーカー( と、言ってよいのかな?)、英国の誇るジョン・ラッターに、こんなおもしろい、聴いて楽しいチェンバロ( ハープシコード )+フルートのための組曲(「古風な組曲」)があったなんて … というか、コレよく耳にする曲ではないですか。この曲のことを知ったのは、たしかあのふかわりょうさんと遠藤真理師匠の「きらクラ!」だったと思う( この前の公開収録、ふかわさん自作自演作品が最後に披露されて、これまたビックリ )。「オレのフランセ、わたしのアーン( ?! )」だったっけ、なんかそんな迷文句があったような … とにかく現代音楽ってとっつきにくい作品が多いという印象がないわけではないが、収録されているラッター、グラス、フランセ作品、どれを取ってもみんな意外性にあふれていてすこぶる楽しい。チェンバロという古楽器のあらたな可能性の地平を切り拓いた、そんな感じさえ受けます( ↓ は、キングズカレッジ聖歌隊による「なんと甘美な音楽」 )。
と、あらら、いま聴きはじめた「新生」Ottava、なんとそのラッターの「古風な組曲」がかかってます !! プレゼンターは、「リサイタル・ノヴァ」でもおなじみ、ピアニストの本田聖嗣さんです。公式サイト上の放送リスト見たら、サン−サーンスの「7つの即興曲 作品 150 」とかヴォーン・ウィリアムズの「ミサ曲 ト短調」とか、けっこうオルガンものがかかってたんですねぇ( そしてつい最近、ドヴォルジャークもオルガン作品を書いていたことをはじめて知りました … )。
関係ない追記:本日の地元紙夕刊紙面の「珍名さん大集合!」なる連載記事。あらー、これどっかで見たと思いきや、 palo borracho( drunken tree の意 ) ではありませんか。この樹、日本でもわりと知られるジャカランダとならんで南米ではよく街路樹として植えられている樹らしいのですが、記事本文脇の写真を見るとほんとだ、たしかに幹が膨らんで、「ビール腹( ?! )」よろしく見えますな … 同時に、懐かしくもあり。いつだったか読んだジェラルド・ダレルの本に出てきたこの樹。この記事を見て、和名が「トックリキワタ( 徳利木綿 )」もしくは「ヨッパライノキ(!)」ということもこのたびはじめて知った。どっちにしても「酒呑み」と関係があるんですねぇ。でもこの花色がピンクの種の画像を見てさらに驚いた。ジャカランダもきれいだなーと思ったものですが、こちらも開花期になると、いやいやヨッパライだのトックリだのといった呼称が吹っ飛ぶくらいのなんとみごとな咲かせっぷりではないですか。ある意味、見習いたいような気も( え?)… 。
オルガン音楽好きなんで、たとえばブラームスのオルガン作品とかどうでしょうか。ブラームスのオルガン曲、とくると、「11 のオルガン コラール前奏曲 作品 122」の「一輪の薔薇が咲いて」なんかはクリスマス時期に演奏されたりするので、ああこれか、と思われる向きもあるかもしれない。自分は、クリストフ・アルブレヒトがベルリンの聖マリア教会にあるヴァーグナーオルガンを弾いた安い( 1,000円!)音源を持ってます。ライナーによると、なんでもバッハのほか、なんとザムエル・シャイトを研究していたんだとか( そしてこの音源のライナーには使用楽器のディスポジション、つまりストップリストまで記載されていて、お得感はさらに倍増 )。シューマンがその才能を絶賛したわけだな。
もう終わったかもしれないけれど、「名曲アルバム」でつい最近、リストの有名な「慰め 第3番」が取り上げられてました。この作品もまたオルガン編曲ヴァージョンがありまして、たしか故マリー−クレール・アランが 1987年あたりに来日した際、これを弾いていたと思う( NHKの「芸術劇場」で放映されていた )。で、ブラームスついでに、 2011年6月に実演に接した「ピアノ協奏曲 イ短調 作品 56 」や「交響曲第3番 'ライン'( 作品 97 )」などで知られるロベルト・シューマンも、じつはオルガンでも演奏可能な作品を書いてるんですねー。「ペダル付きピアノのためのスケッチ」というのがそれなんですが、なかでも最後の、なんとも言えない諧謔が感じられる愛らしい小品は、ときおりオルガンリサイタルでも演奏されたりします。
また、ベートーヴェンにはなんと、「スコットランドとアイルランドの民謡集」なんていう歌曲集まであったりします。寡聞にして知らないが、これって一部でも演奏会で取り上げられることは多いのだろうか。おそらくそんなにはないはずです。だいぶ以前の話になりますが、たしかスウェーデン放送合唱団だったか、来日公演のさい、アンコールだかなんだかで歌っていて、その模様を放送した「ベスト・オヴ・クラシック」で聴いたような気がする( そんなことここでも書いたかな? めんどくさいので調べなかったけど )。
いま、これ書きながら聴いているのは、こちらのアルバム。畏友 Ken さんの所属するアマオケの定演に聴きに来ませんか、と誘われて、出かけていったついでに教文館の「村岡花子展」に立ち寄り、さらについでにすぐ近所の山野楽器にも立ち寄ったら、幸運にもこの音盤がありました !! とくに「地上の美のために」、「すべては美しく輝き」、「レクイエム( 天上的なボーイソプラノのソロで聴く「ピエ・イエズ」は絶品 )」、「主があなたを祝福しあなたを守るように」、「なんと甘美な音楽( What a sweeter music )」… と、挙げていったらそれこそキリないくらいのヒットメーカー( と、言ってよいのかな?)、英国の誇るジョン・ラッターに、こんなおもしろい、聴いて楽しいチェンバロ( ハープシコード )+フルートのための組曲(「古風な組曲」)があったなんて … というか、コレよく耳にする曲ではないですか。この曲のことを知ったのは、たしかあのふかわりょうさんと遠藤真理師匠の「きらクラ!」だったと思う( この前の公開収録、ふかわさん自作自演作品が最後に披露されて、これまたビックリ )。「オレのフランセ、わたしのアーン( ?! )」だったっけ、なんかそんな迷文句があったような … とにかく現代音楽ってとっつきにくい作品が多いという印象がないわけではないが、収録されているラッター、グラス、フランセ作品、どれを取ってもみんな意外性にあふれていてすこぶる楽しい。チェンバロという古楽器のあらたな可能性の地平を切り拓いた、そんな感じさえ受けます( ↓ は、キングズカレッジ聖歌隊による「なんと甘美な音楽」 )。
と、あらら、いま聴きはじめた「新生」Ottava、なんとそのラッターの「古風な組曲」がかかってます !! プレゼンターは、「リサイタル・ノヴァ」でもおなじみ、ピアニストの本田聖嗣さんです。公式サイト上の放送リスト見たら、サン−サーンスの「7つの即興曲 作品 150 」とかヴォーン・ウィリアムズの「ミサ曲 ト短調」とか、けっこうオルガンものがかかってたんですねぇ( そしてつい最近、ドヴォルジャークもオルガン作品を書いていたことをはじめて知りました … )。
関係ない追記:本日の地元紙夕刊紙面の「珍名さん大集合!」なる連載記事。あらー、これどっかで見たと思いきや、 palo borracho( drunken tree の意 ) ではありませんか。この樹、日本でもわりと知られるジャカランダとならんで南米ではよく街路樹として植えられている樹らしいのですが、記事本文脇の写真を見るとほんとだ、たしかに幹が膨らんで、「ビール腹( ?! )」よろしく見えますな … 同時に、懐かしくもあり。いつだったか読んだジェラルド・ダレルの本に出てきたこの樹。この記事を見て、和名が「トックリキワタ( 徳利木綿 )」もしくは「ヨッパライノキ(!)」ということもこのたびはじめて知った。どっちにしても「酒呑み」と関係があるんですねぇ。でもこの花色がピンクの種の画像を見てさらに驚いた。ジャカランダもきれいだなーと思ったものですが、こちらも開花期になると、いやいやヨッパライだのトックリだのといった呼称が吹っ飛ぶくらいのなんとみごとな咲かせっぷりではないですか。ある意味、見習いたいような気も( え?)… 。
2014年04月27日
奇跡の楽器、ストラド
あまりにも刺激的だったのでつい再放送と再々放送と見てしまった、この番組。なんだかんだ言われる NHK、ときおり? と思うこともあるとはいえ、やっぱりこの手の丹念に取材したドキュメンタリーものでは右に出るものなしだと思う。とりわけ、西洋音楽界における至宝と言ってもいい名器ストラドの秘密に迫ったこの番組はすばらしかった。といってもことヴァイオリンに関しては素人もいいところ、「正面から見て左端( IV 線 )の開放弦がG線( ちなみに「G線上のアリア」というのは 19世紀イタリアのヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ、ヴィルヘルミが勝手にアレンジしたヴァージョンであり、バッハの原曲[ 管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV.1068 の2曲目の「エール」 ]とは関係なし)」ということくらいしか知らない。
以前、ここで CT スキャンによるツタンカーメン王のミイラ調査のことを書いたけれども、最新技術の粋を集めたような fMRI という、おもに脳の病気の診断に使用されるスキャン装置でストラドを「解剖」したら、それまで知られていなかったあらたな発見がいくつかあった( 「駒」直下の「魂柱」で楽器は寸分の狂いもなく二等分されていた、とか )というのもおどろいたし、当時の欧州はいわゆる「小氷河期」で、もともと年輪の詰まったスプルース材が寒冷気候のためにさらに年輪が詰まって、結果的にストラドの音響を向上させたとか、無響室でストラドを鳴らし、それを 40数チャンネルもの同時録音をしたら、ストラドから発する音にはあきらかな「指向性」が認められた … などなど、知的興奮の連続技なり。
ところでアントニオ・ストラディヴァリというこのクレモナのヴァイオリン作りの名匠、じつはその一生はよくわかっていない。番組ではじめて知ったトリヴィア(?)として、ストラディヴァリは 23のときに結婚したらしいけれども、当時の教会の記録( よく残ってたもんだ )によれば、なんと「できちゃった」婚だったという! 元気といえば、その長生きにもおどろかされる。生涯最後のヴァイオリンを世に送り出したとき、なんと齢 90 を越えていたという !! そんな天才職人がこの世を去ったのは 1737年、ライプツィッヒの聖トーマス教会カントルだった当時 52歳の大バッハがアドルフ・シャイベという若い学生に「不自然でわかりにくい」ときびしく批判された年でもあった … 文字どおり音楽によって生かされた人なのかなとも思う。ただまったく残念なことに息子たちはつぎつぎと夭折、けっきょくヴァイオリン作りの「秘伝の技」も一代かぎりで途絶したという。
音楽によって長生き … それを地で行くような人が番組最後に登場した。巨匠イヴリー・ギトリス、御年満 91歳。いやー、もうびっくり。もうそんな歳になるんだ! … でもちっともそんなふうには見えません。ほんとすごいです。かくありたいとも思う。
ところでストラドは時代的にはじゅうぶん「古楽器」で、たとえばストラディヴァリが製作した当時のまま保存されているという楽器と、あとの時代のニーズにあわせて「改造」の手が加えられた楽器とふたつ比較するたいへん興味深い場面もありましたが、オルガンも含めて、たいていバロック時代に製作された楽器がそのまんま残ってる、ということはほとんどないと思う。なんらかの改造の手が入っているのがふつうで、最悪の場合、それによって歴史的な楽器が永遠に失われたりもする。
クレモナのどっかの古い教会内でのストラド演奏シーンでは、バッハの「無伴奏パルティータ BWV.1006 」の出だしの有名な前奏曲が朗々と鳴り響いておりました( これはライプツィッヒ市参事会員交代式用の教会カンタータ 29番冒頭の「シンフォニア」としてバッハ自身が編曲してもいる )。それと、ストラドってなんかイコールヴァイオリン、というイメージしかなかったんだが、番組に出てきた「マーラー」なる楽器も含めて、チェロにもストラドってあるんですねぇ、知らなかった。
で、その老巨匠ギトリス氏が、締めくくりとしてこんなこと言ってました。
「このヴァイオリンは、わたしが生まれるはるか昔から生きてきた。わたしがいなくなったあとも生き永らえてほしい … わたしはこれを自分だけの所有物だとは考えていない。なぜならわたしはこの楽器の生涯においては通過者のひとりにすぎないのだから。いつかわたしがこの世からいなくなっても、この楽器はだれかほかの人と幸せになってもらいたい … 」。
けだし、門外漢は頭を垂れ、ただ聞き入るのみ。
以前、ここで CT スキャンによるツタンカーメン王のミイラ調査のことを書いたけれども、最新技術の粋を集めたような fMRI という、おもに脳の病気の診断に使用されるスキャン装置でストラドを「解剖」したら、それまで知られていなかったあらたな発見がいくつかあった( 「駒」直下の「魂柱」で楽器は寸分の狂いもなく二等分されていた、とか )というのもおどろいたし、当時の欧州はいわゆる「小氷河期」で、もともと年輪の詰まったスプルース材が寒冷気候のためにさらに年輪が詰まって、結果的にストラドの音響を向上させたとか、無響室でストラドを鳴らし、それを 40数チャンネルもの同時録音をしたら、ストラドから発する音にはあきらかな「指向性」が認められた … などなど、知的興奮の連続技なり。
ところでアントニオ・ストラディヴァリというこのクレモナのヴァイオリン作りの名匠、じつはその一生はよくわかっていない。番組ではじめて知ったトリヴィア(?)として、ストラディヴァリは 23のときに結婚したらしいけれども、当時の教会の記録( よく残ってたもんだ )によれば、なんと「できちゃった」婚だったという! 元気といえば、その長生きにもおどろかされる。生涯最後のヴァイオリンを世に送り出したとき、なんと齢 90 を越えていたという !! そんな天才職人がこの世を去ったのは 1737年、ライプツィッヒの聖トーマス教会カントルだった当時 52歳の大バッハがアドルフ・シャイベという若い学生に「不自然でわかりにくい」ときびしく批判された年でもあった … 文字どおり音楽によって生かされた人なのかなとも思う。ただまったく残念なことに息子たちはつぎつぎと夭折、けっきょくヴァイオリン作りの「秘伝の技」も一代かぎりで途絶したという。
音楽によって長生き … それを地で行くような人が番組最後に登場した。巨匠イヴリー・ギトリス、御年満 91歳。いやー、もうびっくり。もうそんな歳になるんだ! … でもちっともそんなふうには見えません。ほんとすごいです。かくありたいとも思う。
ところでストラドは時代的にはじゅうぶん「古楽器」で、たとえばストラディヴァリが製作した当時のまま保存されているという楽器と、あとの時代のニーズにあわせて「改造」の手が加えられた楽器とふたつ比較するたいへん興味深い場面もありましたが、オルガンも含めて、たいていバロック時代に製作された楽器がそのまんま残ってる、ということはほとんどないと思う。なんらかの改造の手が入っているのがふつうで、最悪の場合、それによって歴史的な楽器が永遠に失われたりもする。
クレモナのどっかの古い教会内でのストラド演奏シーンでは、バッハの「無伴奏パルティータ BWV.1006 」の出だしの有名な前奏曲が朗々と鳴り響いておりました( これはライプツィッヒ市参事会員交代式用の教会カンタータ 29番冒頭の「シンフォニア」としてバッハ自身が編曲してもいる )。それと、ストラドってなんかイコールヴァイオリン、というイメージしかなかったんだが、番組に出てきた「マーラー」なる楽器も含めて、チェロにもストラドってあるんですねぇ、知らなかった。
で、その老巨匠ギトリス氏が、締めくくりとしてこんなこと言ってました。
'This violin has lived long time before me, and I hope it'll live and live after me, ... but I don't consider it to be my property only, because I am a passenger in the life of this instrument ... one day he will be without me, and I hope he will be happy with somebody else. ...'
「このヴァイオリンは、わたしが生まれるはるか昔から生きてきた。わたしがいなくなったあとも生き永らえてほしい … わたしはこれを自分だけの所有物だとは考えていない。なぜならわたしはこの楽器の生涯においては通過者のひとりにすぎないのだから。いつかわたしがこの世からいなくなっても、この楽器はだれかほかの人と幸せになってもらいたい … 」。
けだし、門外漢は頭を垂れ、ただ聞き入るのみ。
2014年04月14日
ブルックナー ⇒ 「カルミナ・ブラーナ」⇒ OTTAVA 終了( 泣 )
ひさしぶりに NHK ラジオ第2の「攻略!英語リスニング」を聴取しながら書いてます。ほう、「チューリップ・バブル」ですか。「ヤマをはる」=投機するの意味の speculate、「球根」の bulb( electronic bulb はかたちが似ているからそう呼ばれる )とか、けっこうおもしろい。そしてためになる。たしか沼野先生解説の「英語で読む村上春樹」のとき、その前にこちらの番組もついでに聞いていたけれど、そのときも時事問題から宇宙、考古学、歴史ととんでもなく幅広い分野を取り上げていたことにいまさらながら新鮮なおどろきを感じていたものでした。
昨晩の「クラシック音楽館」。いつものように N 響定演からでしたが、カール・オルフのふたつの合唱作品もの。「カルミナ・ブラーナ」… はひじょうに有名、というかアマの合唱団でもよく取り上げられる定番みたいな作品なので、こっちはそんなに意外な感じはしなかったものの、当日のプログラム前半に演奏された「カトゥリ・カルミナ」という作品のほうは、はっきり言ってたいへんおどろいた。まず編成がヘン。ピアノ4台、マリンバ、大太鼓、銅羅など打楽器群と、混声合唱。なんでも古代ローマの詩人カトゥルスという人の詩集から抜粋したもの … らしいが、これがトンでもない内容で、いまごろ知ったのだがオルフ作品に詳しい向きでは「いったいあのお下劣な歌詞の字幕をどう放送するのか」という、まるで音楽とはカンケイない方向ですでに盛り上がっていた … らしいです。いずれにせよはじめて聴いた印象としては、そんな歌詞内容とかカトゥルスという詩人がどんなやつだったか知らなくても、音楽じたいが一種の「破格構文」で、哄笑あり、拍手ありと脱線してばっかいるこのブログ記事みたいな作品だった。なのでこの手の音楽は、はっきり聴き手の好みが分かれるところ。ワタシは … BGM としてはいけるかなあ、と。嫌いじゃないですね、こういうのも。もっとも朝に見たこちらの番組のように、「ノイズミュージック」と言うのですか、ああいうのはちょっと困るが( 今回、大友さんのおかげで、英国人即興演奏家・ギタリストのデレク・ベイリーという人の作品も知ることができた。番組でかかった音源はわりと「静か」で、ミニマル音楽のようで、ワタシとしてはこっちのほうが好き )。
話もどって「カルミナ・ブラーナ」のほうですが、児童合唱は東京少年少女合唱隊。総勢 20人くらいいたかな。とはいえ前半の「カトゥリ・カルミナ」ほどではないけど、「ゴリアール」と呼ばれる中世ヨーロッパ版「アウトサイダー」たちのものした戯れ歌恋歌諷刺歌なので、よくこんなの子どもに歌わせているなーとときおり思ったりもする。でも 'In Trutina' とかは大好きですけどね。そしてやはり、この作品で熱燗、じゃない、圧巻なのが出だしと最後の「運命の女神」の大合唱。これはいつ聴いても心揺さぶられるものがある。キャンベル本にもよく出てくる中世ヨーロッパにおける「運命の輪」ってやつですね。
その部分の歌詞については、こちらのサイト樣ページを見ていただくとして … アタマの中が「葡萄酒色の海」となりはじめたとき、TV 画面に映し出される邦訳歌詞を眺めているうち、これなんかに似ているな … と思った。そうだ、『平家物語』だ !! とりわけ「貧困も権勢も 氷のごとく溶かし去る」という箇所は、
とみごとに共鳴しあっている、と感じるのは、ここにいる酔っぱらいだけだろうか。
そういえば、その前のNHK-FM「N 響定演」のライヴ中継。ブルックナーの「5番」で、ゲストの西村 朗先生がいいこと言ってました。「ブルックナーのこの作品は、根底にオルガンの音響というのがある。オーケストレーションも、音楽語法も、すべてオルガンのレジスター( ストップのこと、独語の Register )を引っ張りだしたりといった効果をそのまま移している」という趣旨のことをおっしゃっていて、さすが、本質をみごとに捉えていると思ったしだい。最近、シューマン、メンデルスゾーン、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスといった主要作曲家の交響曲をよく借りて聴いているので、こんど図書館に行ったらブルックナーの「5番」をあらためて聴き直してみよう、と思う(ブロムシュテット指揮「ロマンチック」はすでに聴いた。とはいえショスタコーヴィチの全交響曲には、いまだ手が出ないけれども )。
ところで … ええッ、と思った。まさかの OTTAVA 放送休止 !!! あらら、日本版 'Classic FM' を目指していたんじゃなかったの、と言いたいところですが、決定したことは仕方ない。夜、寝るときはかっこうの BGM だったんですがね … ときたま、リュプザムの弾く「小フーガ BWV.578」に「バビロンの流れのほとりにて BWV.663 」やジュリア・ブラウンの弾くブクステフーデの「シャコンヌ BuxWV.160 」とか、けっこうよかったんですけどね。6月末で終了、ということなので、しばらくは気合入れて聴取するつもり。関係者の方々、いままでご苦労さまでした。
昨晩の「クラシック音楽館」。いつものように N 響定演からでしたが、カール・オルフのふたつの合唱作品もの。「カルミナ・ブラーナ」… はひじょうに有名、というかアマの合唱団でもよく取り上げられる定番みたいな作品なので、こっちはそんなに意外な感じはしなかったものの、当日のプログラム前半に演奏された「カトゥリ・カルミナ」という作品のほうは、はっきり言ってたいへんおどろいた。まず編成がヘン。ピアノ4台、マリンバ、大太鼓、銅羅など打楽器群と、混声合唱。なんでも古代ローマの詩人カトゥルスという人の詩集から抜粋したもの … らしいが、これがトンでもない内容で、いまごろ知ったのだがオルフ作品に詳しい向きでは「いったいあのお下劣な歌詞の字幕をどう放送するのか」という、まるで音楽とはカンケイない方向ですでに盛り上がっていた … らしいです。いずれにせよはじめて聴いた印象としては、そんな歌詞内容とかカトゥルスという詩人がどんなやつだったか知らなくても、音楽じたいが一種の「破格構文」で、哄笑あり、拍手ありと脱線してばっかいるこのブログ記事みたいな作品だった。なのでこの手の音楽は、はっきり聴き手の好みが分かれるところ。ワタシは … BGM としてはいけるかなあ、と。嫌いじゃないですね、こういうのも。もっとも朝に見たこちらの番組のように、「ノイズミュージック」と言うのですか、ああいうのはちょっと困るが( 今回、大友さんのおかげで、英国人即興演奏家・ギタリストのデレク・ベイリーという人の作品も知ることができた。番組でかかった音源はわりと「静か」で、ミニマル音楽のようで、ワタシとしてはこっちのほうが好き )。
話もどって「カルミナ・ブラーナ」のほうですが、児童合唱は東京少年少女合唱隊。総勢 20人くらいいたかな。とはいえ前半の「カトゥリ・カルミナ」ほどではないけど、「ゴリアール」と呼ばれる中世ヨーロッパ版「アウトサイダー」たちのものした戯れ歌恋歌諷刺歌なので、よくこんなの子どもに歌わせているなーとときおり思ったりもする。でも 'In Trutina' とかは大好きですけどね。そしてやはり、この作品で熱燗、じゃない、圧巻なのが出だしと最後の「運命の女神」の大合唱。これはいつ聴いても心揺さぶられるものがある。キャンベル本にもよく出てくる中世ヨーロッパにおける「運命の輪」ってやつですね。
その部分の歌詞については、こちらのサイト樣ページを見ていただくとして … アタマの中が「葡萄酒色の海」となりはじめたとき、TV 画面に映し出される邦訳歌詞を眺めているうち、これなんかに似ているな … と思った。そうだ、『平家物語』だ !! とりわけ「貧困も権勢も 氷のごとく溶かし去る」という箇所は、
… おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ
とみごとに共鳴しあっている、と感じるのは、ここにいる酔っぱらいだけだろうか。
そういえば、その前のNHK-FM「N 響定演」のライヴ中継。ブルックナーの「5番」で、ゲストの西村 朗先生がいいこと言ってました。「ブルックナーのこの作品は、根底にオルガンの音響というのがある。オーケストレーションも、音楽語法も、すべてオルガンのレジスター( ストップのこと、独語の Register )を引っ張りだしたりといった効果をそのまま移している」という趣旨のことをおっしゃっていて、さすが、本質をみごとに捉えていると思ったしだい。最近、シューマン、メンデルスゾーン、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスといった主要作曲家の交響曲をよく借りて聴いているので、こんど図書館に行ったらブルックナーの「5番」をあらためて聴き直してみよう、と思う(ブロムシュテット指揮「ロマンチック」はすでに聴いた。とはいえショスタコーヴィチの全交響曲には、いまだ手が出ないけれども )。
ところで … ええッ、と思った。まさかの OTTAVA 放送休止 !!! あらら、日本版 'Classic FM' を目指していたんじゃなかったの、と言いたいところですが、決定したことは仕方ない。夜、寝るときはかっこうの BGM だったんですがね … ときたま、リュプザムの弾く「小フーガ BWV.578」に「バビロンの流れのほとりにて BWV.663 」やジュリア・ブラウンの弾くブクステフーデの「シャコンヌ BuxWV.160 」とか、けっこうよかったんですけどね。6月末で終了、ということなので、しばらくは気合入れて聴取するつもり。関係者の方々、いままでご苦労さまでした。
2013年10月14日
「音楽記念帳」のこと
以前、ここでも書いたことのつづきみたいになってしまうけれども、モーツァルトがその場で書きつけたという「小ジーグ ト長調」。いま図書館から借りている『バッハ全集』解説本に、たいへん興味を惹かれる記事があったので、あらためて備忘録程度にメモらせていただきます。
そもそもこの「ゲストブック」なるものはなにか ? について、とんと知らなかったものだから、音楽学者の伊東辰彦先生によるこの論考はすこぶるおもしろく、かつ参考になった。
このゲストブックの起源については諸説あるようですが、伊東先生によると、ドイツにおける宗教改革運動の中心だったヴィッテンベルク大学の学生のあいだではやった習慣がそのはじまりだったようです。晴れて大学を卒業するにあたって、卒業生が恩師や学友たちに餞別のことばを書きこんでもらうための「白い用紙( 当初はただたんにラテン語で album と呼ばれた )」を用意したことが、この「ゲストブック」のはじまりだったらしい。
時代は下っても基本的な機能は変化なかったようで、とりわけ知識と教養ある市民階級にとってはひとつのたしなみであり、社交辞令上も無視できない存在だったようです。もちろん気のおけない友だちどうし、あるいは遠方の親戚とひさしぶりに会って、ふたたび別れるときにこの「用紙」に、「たがいの絆、友情」を確認するために使用した、なんてことも多かった … ドイツ人は几帳面とはいえ、こんな記帳の習慣まであったとはね( なんだか「ヒゲじい」みたいな書き方になってしまった )。
日本でもたとえば「寄せ書き」なんてのがあったりしますが、このドイツにおける「ゲストブック」、伊東先生の言い方を借りれば「音楽記念帳」に書きこむ習慣というのはそれとは比較にならないほど重要なものだったらしい。いまふうの言い方をすると、FB あたりの「ウォール」に似ていなくもない … 気もするが、これを研究する側から言わせると、その人の人間関係のみならず当時の社会背景まで俯瞰しうる貴重な証言者でもある。… そして掲載されている図版を見てびっくり。たとえばバッハやクーナウの先輩にあたるトーマスカントルのヨハン・ヘルマン・シャインとか、シャインとならぶ「ドイツ 3S 」のひとり、ハインリヒ・シュッツといった作曲家直筆の「記念帳」が残っていたりするんですぞ ! シャインのそれには、きれいな円形状に書いた五線譜に「1 テンプス[ ブレヴィス ]間隔のフーガ(またはカノン、テンプスとブレヴィスについてはこちらの記事が参考になるかも) 」を書きつけ、「息あるすべてのものに主をほめたたえさせよ / おお、時よ、おお、世の習いよ ! 」という献呈の詞まで付しているという凝りようです(p. 173)。
同論考によりますと、この「記念帳」、本来は「縦長」判型だったものが、17世紀半ばを境にして「横長」の用紙に書くのが主流になり、18世紀以降は専用の函に保管するようになり、ばらばらの用紙の使用もはじまった。ライプツィッヒでモーツァルトが記入したのも、こういう「記念帳」だったんだろう。ちなみに音楽家の場合、こういう帳面に記入するのは伝統的には短いカノンだったが、18世紀半ばというからちょうど大バッハが亡くなったあたりから、ドイツリートなどの歌曲やピアノ小品へと変わっていったという。
そのバッハですが、モーツァルト同様、「音楽記念帳」用として作った「小カノン」作品がいくつか残ってます … BWV. 1073− 75、1077、1078 の 5曲はバッハ本人の書いた献呈辞が残っていて、うち 1073、1075、1077 は自筆資料が現存している。「二声の無限カノン BWV.1075 」はさる「名親」氏宛てに書かれ、献呈辞もドイツ語で書かれている。対して「主題にもとづく二重カノン BWV. 1077 ( ↓ 参照 )」のほうは当時ライプツィッヒ大学神学部学生だったヨハン・ゴットフリート・フルデなる人に宛てに記入されたもので、この「記念帳」にはライプツィッヒ大学総長とかハレ大学の哲学科教授とか、錚々たる面々も「記帳」しているからなのか、バッハもこのフルデ氏宛てには献呈辞をラテン語の定型句を使って書き、しかも BWV.1075 とは比較にならないほど手のこんだ「謎かけカノン」形式で記譜している。つまり献呈する相手によって、あるいは TPO によって使い分けていたということか。ともあれ、これら一連のカノンを収録したアルバムはあいにくなかなか見つからなかったりするけれど、自分は以前、おなじ『全集』に収められた弦楽合奏版で聴いたことがあります … そのこともたしか前にここで、「なんだか現代音楽を聴いているみたいだ」とかなんとか、書いた憶えがありますが、バッハの息子たちもやはり同様の「記念帳」に小品を献呈していたりするので、この「記念帳」の伝統がいかに深くドイツ人のあいだに根を下ろしていたかがわかります。この「記念帳」ないし「ゲストブック」、なんと 20世紀前半までつづいていたという。そのときにはどちらかというと「寄せ書き」っぽくなって、その呼び名もいかめしい「友情の形見」から、「詩のアルバム ( Poesiealbum )」、またはたんに 'Poesie' と呼ばれるようになったようですが。
バッハとその息子たち、そしてモーツァルトとときて、最後にベートーヴェンも出てきます。ヴァルトシュタイン伯爵が、ボンを旅立とうとするベートーヴェンに対して送ったという餞のことばも、じつはこの「記念帳」に書かれているという。「…モーツァルトの魂をハイドンから受け取るように…」。
小林義武先生などもそうだと思うけれども、この手の「古文献」を研究し、日々、それらと向き合うことを仕事としている人たちは、ワタシのような門外漢から見ますとやはりうらやましい … 気もする。伊東先生は論考のなかで「音楽記念帳」について、本格的な研究調査が望まれる、とも書いていますが、こういう文献の調査研究って、その昔カール・セルマーが欧州大陸の図書館を渡り歩いて渉猟した、ラテン語版『聖ブレンダンの航海』の写本群の調査研究と、どことなく通底しているような気がする。「使用したインクはどんなものか」、「透かしはなにを使っているか」といった科学的調査や、「様式上の変遷」といった「文献的な」調査とか、中世の古写本群にもバロック時代の「音楽記念帳」でも、やってることはそんなに変わらないかもしれない。そしてなんといってもこういう学者が扱うのは、いずれの場合もおなじく、はるか昔の人がじっさいに紙の上に「書いた」ものにほかならない。デジタルな資料はあっという間にキャンセルできたり、永久に「消去」できたりするけれども、こういった昔ながらの資料というのは、焼失したとか虫喰っちゃったとか、物理的損害がないかぎりは何百年もあとまで残るものですし。
… もっとも自分の場合、そういう「もの」に対して、ただたんに漠然とした憧れを抱いているだけなのかもしれない。

… そうだ、今日は親戚の子の誕生日だった。Yくん、Happy Birthday to You !!!
そもそもこの「ゲストブック」なるものはなにか ? について、とんと知らなかったものだから、音楽学者の伊東辰彦先生によるこの論考はすこぶるおもしろく、かつ参考になった。
このゲストブックの起源については諸説あるようですが、伊東先生によると、ドイツにおける宗教改革運動の中心だったヴィッテンベルク大学の学生のあいだではやった習慣がそのはじまりだったようです。晴れて大学を卒業するにあたって、卒業生が恩師や学友たちに餞別のことばを書きこんでもらうための「白い用紙( 当初はただたんにラテン語で album と呼ばれた )」を用意したことが、この「ゲストブック」のはじまりだったらしい。
時代は下っても基本的な機能は変化なかったようで、とりわけ知識と教養ある市民階級にとってはひとつのたしなみであり、社交辞令上も無視できない存在だったようです。もちろん気のおけない友だちどうし、あるいは遠方の親戚とひさしぶりに会って、ふたたび別れるときにこの「用紙」に、「たがいの絆、友情」を確認するために使用した、なんてことも多かった … ドイツ人は几帳面とはいえ、こんな記帳の習慣まであったとはね( なんだか「ヒゲじい」みたいな書き方になってしまった )。
日本でもたとえば「寄せ書き」なんてのがあったりしますが、このドイツにおける「ゲストブック」、伊東先生の言い方を借りれば「音楽記念帳」に書きこむ習慣というのはそれとは比較にならないほど重要なものだったらしい。いまふうの言い方をすると、FB あたりの「ウォール」に似ていなくもない … 気もするが、これを研究する側から言わせると、その人の人間関係のみならず当時の社会背景まで俯瞰しうる貴重な証言者でもある。… そして掲載されている図版を見てびっくり。たとえばバッハやクーナウの先輩にあたるトーマスカントルのヨハン・ヘルマン・シャインとか、シャインとならぶ「ドイツ 3S 」のひとり、ハインリヒ・シュッツといった作曲家直筆の「記念帳」が残っていたりするんですぞ ! シャインのそれには、きれいな円形状に書いた五線譜に「1 テンプス[ ブレヴィス ]間隔のフーガ(またはカノン、テンプスとブレヴィスについてはこちらの記事が参考になるかも) 」を書きつけ、「息あるすべてのものに主をほめたたえさせよ / おお、時よ、おお、世の習いよ ! 」という献呈の詞まで付しているという凝りようです(p. 173)。
同論考によりますと、この「記念帳」、本来は「縦長」判型だったものが、17世紀半ばを境にして「横長」の用紙に書くのが主流になり、18世紀以降は専用の函に保管するようになり、ばらばらの用紙の使用もはじまった。ライプツィッヒでモーツァルトが記入したのも、こういう「記念帳」だったんだろう。ちなみに音楽家の場合、こういう帳面に記入するのは伝統的には短いカノンだったが、18世紀半ばというからちょうど大バッハが亡くなったあたりから、ドイツリートなどの歌曲やピアノ小品へと変わっていったという。
そのバッハですが、モーツァルト同様、「音楽記念帳」用として作った「小カノン」作品がいくつか残ってます … BWV. 1073− 75、1077、1078 の 5曲はバッハ本人の書いた献呈辞が残っていて、うち 1073、1075、1077 は自筆資料が現存している。「二声の無限カノン BWV.1075 」はさる「名親」氏宛てに書かれ、献呈辞もドイツ語で書かれている。対して「主題にもとづく二重カノン BWV. 1077 ( ↓ 参照 )」のほうは当時ライプツィッヒ大学神学部学生だったヨハン・ゴットフリート・フルデなる人に宛てに記入されたもので、この「記念帳」にはライプツィッヒ大学総長とかハレ大学の哲学科教授とか、錚々たる面々も「記帳」しているからなのか、バッハもこのフルデ氏宛てには献呈辞をラテン語の定型句を使って書き、しかも BWV.1075 とは比較にならないほど手のこんだ「謎かけカノン」形式で記譜している。つまり献呈する相手によって、あるいは TPO によって使い分けていたということか。ともあれ、これら一連のカノンを収録したアルバムはあいにくなかなか見つからなかったりするけれど、自分は以前、おなじ『全集』に収められた弦楽合奏版で聴いたことがあります … そのこともたしか前にここで、「なんだか現代音楽を聴いているみたいだ」とかなんとか、書いた憶えがありますが、バッハの息子たちもやはり同様の「記念帳」に小品を献呈していたりするので、この「記念帳」の伝統がいかに深くドイツ人のあいだに根を下ろしていたかがわかります。この「記念帳」ないし「ゲストブック」、なんと 20世紀前半までつづいていたという。そのときにはどちらかというと「寄せ書き」っぽくなって、その呼び名もいかめしい「友情の形見」から、「詩のアルバム ( Poesiealbum )」、またはたんに 'Poesie' と呼ばれるようになったようですが。
バッハとその息子たち、そしてモーツァルトとときて、最後にベートーヴェンも出てきます。ヴァルトシュタイン伯爵が、ボンを旅立とうとするベートーヴェンに対して送ったという餞のことばも、じつはこの「記念帳」に書かれているという。「…モーツァルトの魂をハイドンから受け取るように…」。
小林義武先生などもそうだと思うけれども、この手の「古文献」を研究し、日々、それらと向き合うことを仕事としている人たちは、ワタシのような門外漢から見ますとやはりうらやましい … 気もする。伊東先生は論考のなかで「音楽記念帳」について、本格的な研究調査が望まれる、とも書いていますが、こういう文献の調査研究って、その昔カール・セルマーが欧州大陸の図書館を渡り歩いて渉猟した、ラテン語版『聖ブレンダンの航海』の写本群の調査研究と、どことなく通底しているような気がする。「使用したインクはどんなものか」、「透かしはなにを使っているか」といった科学的調査や、「様式上の変遷」といった「文献的な」調査とか、中世の古写本群にもバロック時代の「音楽記念帳」でも、やってることはそんなに変わらないかもしれない。そしてなんといってもこういう学者が扱うのは、いずれの場合もおなじく、はるか昔の人がじっさいに紙の上に「書いた」ものにほかならない。デジタルな資料はあっという間にキャンセルできたり、永久に「消去」できたりするけれども、こういった昔ながらの資料というのは、焼失したとか虫喰っちゃったとか、物理的損害がないかぎりは何百年もあとまで残るものですし。
… もっとも自分の場合、そういう「もの」に対して、ただたんに漠然とした憧れを抱いているだけなのかもしれない。

… そうだ、今日は親戚の子の誕生日だった。Yくん、Happy Birthday to You !!!
2013年09月29日
教会カンタータ:「150」番まで聴いてみて
今年のささやかな目標にして楽しみ、それはバッハの教会カンタータ全曲を完聴すること。聴くときは居住まい正して、付録の解説本をひもといて当該カンタータが上演された当時の説教で使用された「聖句」、福音書などの引用箇所、そして歌詞台本も見て … と言いたいところだがなかなかそうもゆかず、たいがいがななめ読みですませ、ときにそのまま寝てしまう、というていたらく。酷暑のさなかも時間があればひたすら聴きつづけ、気がつけばもう 150番台。中秋の名月も過ぎ、キンモクセイの花咲きはじめる季節となりました。
ここまで聴いてきて、あきらかに自分のなかにあったバッハ像は変わった、と思う。どう変わったか、といえば、いろいろあって一言でまとめるのはなかなか … なんだが、乱暴に要約すると、バッハという人の音楽作りのやり方ないし流儀を理解するためには、バッハ好きならばなんでもいいからとにかく教会カンタータを聴くべきだ、と思うようになった。オルガン作品好きならおなじみの「前奏曲とフーガ」形式も、じつは教会カンタータ作品にかなり流用されていて、カンタータという声楽作品に用いられた「前奏曲とフーガ」形式から、オルガン用のそれを見ると、たとえばいかにも器楽的な、即興的にも思えるようなパッセージひとつとってもそこにはきわめて声楽的な「歌」が潜んでいることに気づくようになるとか … 鍵盤作品の楽曲解釈という点でも、教会カンタータ作品を知ることで得られるものは大きい、ということもあらためて知った。フーガひとつとってみても、バッハがこの形式を教会用の声楽作品でいかに活用したか、についてその実践例をいくつも聴いていくと、いままでおなじみだと思いこんでいたオルガンフーガの数々もまた新鮮に聴こえたりする … 以上あくまでディレッタントの感想ではあるが。また、楽器の使用法にも意味があったりということもあらためて知った … たとえば「審判」、「勝利」を表象するトランペット、「狩り」を象徴するホルン、「受難」を暗示するフルートとか … バッハは歌詞台本やカンタータ上演当日の礼拝で朗読される聖句や福音書の引用箇所などのテキストにもっともふさわしい楽器編成 ―― もっともその楽器の演奏者が手配できなかったりすると話はべつだが ―― へと変更して総譜およびパート譜を書いていたらしい。ついでに楽器編成にコルネットが追加される場合もありますが、これは現代の、金ピカに光るあれじゃなくて、じつはマウスピースのついた木管楽器なんであります。
小学館『バッハ全集』の解説本にくっついている「インタヴュー付録」の「編集部だより」にはすばらしいコメントが紹介されていて、いわく、「バッハの教会カンタータは、汲めども尽きぬ人生の喜び」のようなものだ、と。たしかに。じっさい聴いてみて、ああもっとはやく聴いていればよかった、と感じたこともしばしば。
もっとも有名な定番曲、ボーイソプラノのソロがひじょうに美しい曲とかは以前からよく聴いていて、最初から順番に聴いていってそんなアリアとかに突き当たるとやはりうれしい。また知っていたつもりではいたが、「チェンバロ協奏曲 BWV.1052 」とか「同 BWV.1056 」の有名な「アリオーソ( こちらはカンタータ 156番冒頭のシンフォニア )」、「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ BWV.1006 」冒頭の前奏曲( シンフォニア、カンタータ 29番 )とか、オルガンのための「トリオソナタ」の緩徐楽章などが流用、というか転用されている作品がけっこうあって、あ、これはあの曲じゃん、とそういう点でも楽しめるところがまたバッハのいいところでもある。こうした転用ないしパロディ手法は、最晩年の大作「ロ短調ミサ BWV.232 」などを引くまでもなく、たんなる「手抜き」ではありません !
今月中旬だったか、「古楽の楽しみ」で「詩編曲特集」というのがありまして、バッハのカンタータからは 196 番と 131 番が取り上げられていた。後者は「深い淵の底から … 」ではじまる有名な「都上りの歌」のひとつ、「詩編」第130番を全曲通しての歌詞として使用したもの。番組ではこの二曲のみだったが、いま聴いている BWV.138 から 149までのつぎの巻に収録されているカンタータ 150番も、詩編歌のみで構成されたカンタータにして、現存するバッハの教会カンタータ中、おそらくもっとも古い作品ではないかという。ライプツィッヒ時代に作曲された傑作にも好きなアリアとかあったりしてそれはそれでいいのだけれども、ここまで聴いてきた感想としては、たとえば以前ここでも触れた「ソナティーナ」がひじょうに印象的な 106番(「神の時は最善の時 / 追悼行事」) や 143番のようなヴァイマール時代かそれ以前のミュールハウゼン時代の、まだ若かりしバッハの手になるカンタータにおおいに心惹かれています。今後はこの若きバッハによって作曲された一連の教会カンタータをもうすこし突っこんで聴いてみたい、とも考えている。
本日は、「大天使ミカエルの祝日」。ちょうどおあつらえ向きに、いま聴いている巻に収録されたカンタータにこの祝日用に作曲されたカンタータもある( 149番 )。4曲目のソプラノのアリアがまた、美しい。解説にもあるように、天使の飛翔を思わせるような弦楽器の伴奏に乗って楽しげに歌う、ハノーファー少年合唱団員だったセバスティアン・ヘニッヒのソロがすばらしい。ちなみにここのアリアの歌詞は、
関係のない追記:いつものように本題と関係ない追記ではあるが … NHKラジオ第2 で放送中の「英語で読む村上春樹 / 世界のなかの日本文学」が、すこぶる刺激的で示唆に富み、かつおもしろい !! こっちももっとはやく聴取していればよかった。来月分からまじめに取り組もう、と決意したしだい ( 苦笑 )。本邦を代表するロシア・ポーランド文学者、沼野充義先生のお話には深い共感をおぼえます。こんなふうに英訳とつきあわせて徹底的にテキストを読みこむ、という態度は、ある意味たいへん貴重な試みかと思う … 昨今の英語関連講座のなかでは。
ここまで聴いてきて、あきらかに自分のなかにあったバッハ像は変わった、と思う。どう変わったか、といえば、いろいろあって一言でまとめるのはなかなか … なんだが、乱暴に要約すると、バッハという人の音楽作りのやり方ないし流儀を理解するためには、バッハ好きならばなんでもいいからとにかく教会カンタータを聴くべきだ、と思うようになった。オルガン作品好きならおなじみの「前奏曲とフーガ」形式も、じつは教会カンタータ作品にかなり流用されていて、カンタータという声楽作品に用いられた「前奏曲とフーガ」形式から、オルガン用のそれを見ると、たとえばいかにも器楽的な、即興的にも思えるようなパッセージひとつとってもそこにはきわめて声楽的な「歌」が潜んでいることに気づくようになるとか … 鍵盤作品の楽曲解釈という点でも、教会カンタータ作品を知ることで得られるものは大きい、ということもあらためて知った。フーガひとつとってみても、バッハがこの形式を教会用の声楽作品でいかに活用したか、についてその実践例をいくつも聴いていくと、いままでおなじみだと思いこんでいたオルガンフーガの数々もまた新鮮に聴こえたりする … 以上あくまでディレッタントの感想ではあるが。また、楽器の使用法にも意味があったりということもあらためて知った … たとえば「審判」、「勝利」を表象するトランペット、「狩り」を象徴するホルン、「受難」を暗示するフルートとか … バッハは歌詞台本やカンタータ上演当日の礼拝で朗読される聖句や福音書の引用箇所などのテキストにもっともふさわしい楽器編成 ―― もっともその楽器の演奏者が手配できなかったりすると話はべつだが ―― へと変更して総譜およびパート譜を書いていたらしい。ついでに楽器編成にコルネットが追加される場合もありますが、これは現代の、金ピカに光るあれじゃなくて、じつはマウスピースのついた木管楽器なんであります。
小学館『バッハ全集』の解説本にくっついている「インタヴュー付録」の「編集部だより」にはすばらしいコメントが紹介されていて、いわく、「バッハの教会カンタータは、汲めども尽きぬ人生の喜び」のようなものだ、と。たしかに。じっさい聴いてみて、ああもっとはやく聴いていればよかった、と感じたこともしばしば。
もっとも有名な定番曲、ボーイソプラノのソロがひじょうに美しい曲とかは以前からよく聴いていて、最初から順番に聴いていってそんなアリアとかに突き当たるとやはりうれしい。また知っていたつもりではいたが、「チェンバロ協奏曲 BWV.1052 」とか「同 BWV.1056 」の有名な「アリオーソ( こちらはカンタータ 156番冒頭のシンフォニア )」、「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ BWV.1006 」冒頭の前奏曲( シンフォニア、カンタータ 29番 )とか、オルガンのための「トリオソナタ」の緩徐楽章などが流用、というか転用されている作品がけっこうあって、あ、これはあの曲じゃん、とそういう点でも楽しめるところがまたバッハのいいところでもある。こうした転用ないしパロディ手法は、最晩年の大作「ロ短調ミサ BWV.232 」などを引くまでもなく、たんなる「手抜き」ではありません !
今月中旬だったか、「古楽の楽しみ」で「詩編曲特集」というのがありまして、バッハのカンタータからは 196 番と 131 番が取り上げられていた。後者は「深い淵の底から … 」ではじまる有名な「都上りの歌」のひとつ、「詩編」第130番を全曲通しての歌詞として使用したもの。番組ではこの二曲のみだったが、いま聴いている BWV.138 から 149までのつぎの巻に収録されているカンタータ 150番も、詩編歌のみで構成されたカンタータにして、現存するバッハの教会カンタータ中、おそらくもっとも古い作品ではないかという。ライプツィッヒ時代に作曲された傑作にも好きなアリアとかあったりしてそれはそれでいいのだけれども、ここまで聴いてきた感想としては、たとえば以前ここでも触れた「ソナティーナ」がひじょうに印象的な 106番(「神の時は最善の時 / 追悼行事」) や 143番のようなヴァイマール時代かそれ以前のミュールハウゼン時代の、まだ若かりしバッハの手になるカンタータにおおいに心惹かれています。今後はこの若きバッハによって作曲された一連の教会カンタータをもうすこし突っこんで聴いてみたい、とも考えている。
本日は、「大天使ミカエルの祝日」。ちょうどおあつらえ向きに、いま聴いている巻に収録されたカンタータにこの祝日用に作曲されたカンタータもある( 149番 )。4曲目のソプラノのアリアがまた、美しい。解説にもあるように、天使の飛翔を思わせるような弦楽器の伴奏に乗って楽しげに歌う、ハノーファー少年合唱団員だったセバスティアン・ヘニッヒのソロがすばらしい。ちなみにここのアリアの歌詞は、
神の御使いは離れない、
わたしのそばで最後まで。
わたしが眠れば見張りをし、
わたしが歩み、わたしが立てば、
手でわたしを運んでくれる
関係のない追記:いつものように本題と関係ない追記ではあるが … NHKラジオ第2 で放送中の「英語で読む村上春樹 / 世界のなかの日本文学」が、すこぶる刺激的で示唆に富み、かつおもしろい !! こっちももっとはやく聴取していればよかった。来月分からまじめに取り組もう、と決意したしだい ( 苦笑 )。本邦を代表するロシア・ポーランド文学者、沼野充義先生のお話には深い共感をおぼえます。こんなふうに英訳とつきあわせて徹底的にテキストを読みこむ、という態度は、ある意味たいへん貴重な試みかと思う … 昨今の英語関連講座のなかでは。