2010年11月08日

英語で「2010」はどう読むの? 

 前にも書いたのですが、アンドロイド携帯に入れた「今日はなんの日」ウィジェットにすっかりハマってしまい、文字どおり日めくりみたいに確認しないではいられなくなったしまった(じき飽きるとは思うけれども)。1793年の今日、あのルーヴル王宮が美術館として開館したとか、スコットランド出身のスコラ学者のヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの命日であるとか(1308年没)。またこの日が命日の芸術家としてはたとえばルネサンス期スペイン音楽の大家フランシスコ・ゲレーロ(1599年ペストで没、トマス・ルイス・デ・ビクトリアと同時代人)、詩人のジョン・ミルトン(1674年没)、そしてあのセザール・フランクの命日でもあるとか(1890年没)。最近の例では、米国人画家のノーマン・ロックウェルもそうらしい(1978年)。今日が誕生日の人はたとえばマーガレット・ミッチェル、指揮者の尾高忠明氏、そしてなんと! アラン・ドロンも今日が誕生日らしい(満75歳)。それとおお! カズオ・イシグロもそうなのか。先週の「3か月トピック英会話」は、おあつらえ向きに『日の名残り』から'Stevens, are you all right?' などが取り上げられてましたね。

 朝方はいつものように「バロックの森」、けさはスヴェーリンク特集! …といきたいところだが、いまひとつ個人的に逃せないものが。英国BBC Radio2の毎年この時期恒例のこれ。スヴェーリンクを聴く都合上、前半のみ取り急ぎ聴いてみた。運のいいことに(?)今年は少年組からスタート(最近はそうなのかな?)。たまたまお休みだったので――このために休みをとったのではありません! 念のため――ゆっくり聴けました。

 今年のこのコンペ、なんと25周年(!)だそうでして、歴代受賞者のコメントなんかも紹介されてました。おっと、いきなりウィリアム・ダットンくん! 彼はいま15歳くらいになるのかな(2006年優勝時は11歳だったと思う)? まだヴァイオリンはつづけているみたいだ。アイスクリーム屋さんのほうではなくて、まっすぐ音楽の道に進んでいるみたいですね。とにかく元気そうでよかった。それとおおッ、1999年度のウィナー、デイヴィッド・ウィグラムくんまでコメントを寄せている! たしか彼は2000年のBAC来日時のメンバーだったはず。やっぱり音楽家になっているのかな?? ところでのっけから疑問なんですが…2010年ってどう読むべきなのか?? 'Two-thousand and ten'?? 'Twenty-Ten'??? BBCの英語っていわゆる「標準英語」のはずで、ナレーターは前者の長ったらしいほう、プレゼンターのアレッドはかんたんな(?)後者の読み方をしておりました。

 トップバッターはだいぶ前に読んだ『イギリス大聖堂・歴史の旅』という紀行ものにも登場するリポン大聖堂聖歌隊のトム・ウィロック少年。一部バッハの筆が入っていると思われるシュテルツェル作曲「御身がそばにあるならば BWV.508」、それとアンソニー・ウェイも歌った'Be thou my vision'も。これって寡聞にして知らないが、アンソニーのアルバムの解説によると古アイルランド・ゲール語で書かれた詩らしい(手許に中世初期のケルト修道院文学の分厚いアンソロジーがあるけど、あいにくこの詩はなし。英語版Wikipediaには関連記事があり、それによると6世紀の作だという)。かんじんの歌は…むむ、なるほど(リポン大聖堂のオルガンケース前面には木でできた「手」が突き出している、ということはそのときに書きましたね)! 

 2番手はCGアニメも作ってしまうという多才なジェイコブ・ソーン少年。オックスフォードシャーのSt Helen's Parish Church という教会の聖歌隊員らしい。ホルストの'I vow to thee, my country'とパリーの聖歌(はじめて聴く曲。このコンペの本選では数分以内に歌える短い聖歌と自由曲のセットで競われる)。歌は…なるほど!! 

 さあいい調子になってきたぞ(笑)。3番手はオリヴァー・ヴァレンティーニ少年。エセックスのブレントウッド大聖堂聖歌隊員。「聖歌隊員になってよかったことは?」と訊かれて、「TVに出演したり、パリやフィレンツェに演奏旅行に行けたこと!」。アレッドいわくキミがうらやましい、ぼくなんかバンゴア大聖堂聖歌隊員だったときに行ったのはせいぜいチェスターだった、とかなんとかそんなやりとりが聞こえた(でもフリーの歌い手になったあとのアレッドなんか、世界一周くらいしてんじゃないのか??)。歌ったのは 'Hills of the North Rejoice' という聖歌とメンデルスゾーンの「エリヤ」から。地声と歌声の印象がぜんぜんちがってまして、いい意味で予想を裏切られた感じ。この子かな??? 

 4番手は尊者ベーダと聖カスバート(クスベルト)ゆかりの古刹ダラム大聖堂聖歌隊出身のリアム・ジョーンズ少年。歌ったのはハイドンの「小オルガン・ミサ」から「ベネディクトゥス」とあとなんだかわからない聖歌。リアムくんはちょっと変わった声質かなあ、とは思ったが文句なし! 順位を決めるのは心苦しいが、やはりこの子でしょう!! というのがワタシのいいかげんな耳で聴いたかぎりの予想。で、結果は…Bingo! と、ここでやおら「バロックの森」に切り替え、スヴェーリンクの「わが青春はすでに過ぎ去り」を聴く。知らなかったが、なんとスヴェーリンクはあのダウランドの「あふれよ、わが涙(Lachrimae pavane)」をオルガン独奏用に編曲もしていたんだ!!! …でもいかにも技巧的で、これはむずかしそう…だ(PDF版の楽譜がどっかにあるかも)。それではみなさんお疲れさまでした! Good Luck! そういえばコメントにはもとウィンチェスターカレッジの名トレブルだったハリーくんが出てこなかったような気が…(→BBCの関連記事)。

 …このあとラジオ第2で「チャロ2」を聞いて、つづいてまたFM波に切り替えて(忙しい)「気まクラ」を。今週の「気まクラ DON!」。ええっとこれは…まるでオペラじゃないかと思われるあの大編成の声楽曲の「い…ひ」ではないかな。

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2010年07月04日

「フルートソナタ」と「ブランデンブルク」

 土曜未明にやってた「芸術劇場」はオール・バッハ! 「6つのフルートソナタ」と「ブランデンブルク」の3, 4, 5番が放映されまして、個人的には大満足! でした。

 前半はエマニュエル・パユとその仲間たちの来日公演から。5月27日の銀座・王子ホールでの公演らしいけれども、共演者がまたすごい…英国の古楽演奏の草分け的存在と言ってもいい、名手トレヴァー・ピノック! ですよ。そしてもうひとりは年齢がよくわからないのですが、スコットランドのエディンバラ出身の若いチェリスト、ジョナサン・マンソン。「フルートソナタ」だけでも贅沢なのに、それぞれのソロまで披露してくれたし、アンコールだって2回も応えてくれるという、気前のよさです。

 バッハの「6つのフルートソナタ」、いちおう分類上はBWV.1030-32までが「フルートとオブリガートチェンバロのためのソナタ」で、残るBWV.1033-35までが「フルートと通奏低音のためのソナタ」ということになる。両者のちがいはこれこれを見れば一目瞭然、前者はきちんとチェンバロパートが右手・左手と整然と記譜されているのにたいし、後者のチェンバロパートは低音と数字しか書き付けられていない。これがいわゆる「数字付き低音」つまりbasso continuoというやつで、演奏者は和音もしくは音高をしめす数字を見ながらもっともふさわしいと思われる右手声部を「即興的に作曲しながら」演奏する。バロック音楽の一大特色とも言える通奏低音は、数字を見ながら即興的に旋律線が弾けるようになるには専門の訓練が必要で、いくらプロの鍵盤楽器奏者であってもそうおいそれとはできないもの。これができる人って、やっぱり憧れてしまう。

 通奏低音奏法は古楽の演奏家を目指す人にとっては必須事項といってもいい技術なので、ついこの前まで放映していた坂本教授の「スコラ」のバッハの回でも、音大生の人が「数字付き低音」の演奏について発言してました(「ただ和音をつけるだけならそんなにむずかしくはないけれど、メロディーとぴったりあうように弾かなくてはならないから、そこがむずかしいところ」とか言ってました)。

 でも手許の「キース・ジャレット & ミカラ・ペトリ」盤のライナーでジャレットみずから語っているように、こんなちがいなんか、聴き手にとっては本来どうでもいいこと。純粋に音楽を演奏してそこから得られる体験のほうが重要で、頭で理解しようとしたら音楽そのものを聴くことができなくなってしまう、という発言はいかにもこの人らしいと思ういっぽう、たしかにそのとおりだと頷かされる。なのでしろうと解説もほどほどにしておきます(笑)。図書館で借りてもよいから、とにかく聴いてみることですね。すべてはそこから。

 個人的にもっとも好きなのはBWV.1030と1031のソナタで、後者は「バッハのシチリアーノ」として有名な緩徐楽章が入ってます(変ホ長調作品だが「シチリアーノ」のみト短調)。もっとも近年の研究では、バッハの直筆ではないらしいが…とりあえずバッハ作ということにしておきましょう(苦笑)。この「シチリアーノ」、ピノックの堅実なテンポの伴奏に、パユのフルートの旋律がたゆたうようにしっとりと歌い上げていて、聴き惚れてました。ピノックのチェンバロ独奏によるヘンデルの「シャコンヌ ト長調 HWV.435」はたぶんはじめて耳にした作品だと思う。いかにもヘンデルらしい明るい曲想のシャコンヌ。文字どおりダンス用としても使えそう。またマンソンのチェロによる「無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV.1007」も負けてませんでした。出だしのあのアルペッジョ、いつ聴いても「平均律 第一巻」の出だしのハ長調前奏曲によく似ているなー。

 アンコールではヴィヴァルディの「ごしきひわ」として知られる「フルート協奏曲 ニ長調 RV.428 作品10-3」の第二楽章とバッハの「バディネリ(「管弦楽組曲 第二番 BWV.1067」)」。とくに「バディネリ」は名演!! 前にも書いたことあるけれど、重複顧みずにパユのフルートにかかると作曲者の自在な「遊び心」というものが全面に出てきて、聴き手も思わず引きこまれてしまいます。おなじ旋律線でも装飾音はそのつど変化するし、三連音符(?)の連続奏法なども盛りこんで、まるでフルートトッカータのようなおもむきさえします。

 つづいて放映されたのは「ベルリン古楽アカデミー演奏会」。トッパンホールって行ったことないけれど、あのレオンハルトが直近の公演で使った会場かな? 王子ホール同様ちんまりしていて、室内楽にはうってつけな印象。「ブランデンブルク」はもちろんよかったのですが、あのチェンバロのデザインにも惹かれた。たいていの歴史モデルのレプリカって上蓋の最先端――つまり演奏者の反対側――は角張ったものがほとんど。でもアカデミーの指揮者(?)兼チェンバリストの弾いていたレプリカの上蓋は漆のように上品な黒と赤に塗り分けられ、反対側の部分もピアノみたいに丸みを帯びてました。あのホールの据え付けの楽器なのか、それとも彼らがドイツから持ってきたのかについてはわからないけれども、響きもデザインもいい楽器だと感じたしだい。

 …ジャレットの発言を引いておきながらこんなこと書くのは気が引けますが、「ブランデンブルク」の正式名はConcerts avec plusieurs instruments(「種々の楽器による協奏曲」)という仏語。バッハは1721年3月24日付けで、自身の献辞とともにブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに一連の合奏協奏曲を献呈したという経緯から、いまでは「ブランデンブルク」という愛称のほうですっかり定着しています。さらに脱線すれば、のちにベートーヴェンがあの「第9」を献呈することになった相手は、フリードリヒ大王の甥の息子のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世でした(クリスティアン・ルートヴィヒはフリードリヒ大王の叔父に当たる)。それはともかくベルリン古楽アカデミーによる「ブランデンブルク」は快活なテンポで若々しくて清々しい演奏。なかでも「5番」は、通奏低音担当の地味な存在にすぎなかったチェンバロを、いっきに主役にしてしまった第一楽章後半のあの目もくらむようなトッカータふうのパッセージに意表を突いた転調による大胆な展開を見せるソロがやはりいい。なんか聴いていてスカっとするような(空模様はあいかわらずスカっとしませんが)。よく言われることだけど、「世界最初のピアノ協奏曲」誕生の瞬間でもある(勉強熱心なバッハのことだから、ひょっとしたら「平均律」同様、「チェンバロ協奏曲」のアイディアを先人のだれかさん作品から拝借して昇華させたものなのかもしれないが)。

 …金曜朝の「バロックの森」でかかった、チーマという人の「リチェルカーレ 第6番」は、なんかメールロとかガブリエーリみたいな作風みたいだったけれども、バッハの「音楽の捧げもの」のあの長大な「6声のリチェルカーレ」の先駆けのようなゆったりと歩むゼクエンツ個所とか印象的。楽譜探せばどっかにあるかも。土曜朝の「ボローニャの音楽」では、トレッリが聖ペトロニオ聖堂の学長として活躍したとか今谷先生がおっしゃっていた。聖ペトロニオ聖堂って、あのNHKのDVDビデオ、「パイプオルガン誕生」にも出てきた、イタリア最古級の歴史オルガンのあるあの聖堂か?! 思ってもみなかったところでまたひとつ糸がつながった(ただたんに無知なだけ)。

 …そういえばたまたま見た紀行もの番組で、東急田園都市線沿線が映し出されてまして、なにやらでかい組み立て暗箱カメラを三脚に乗っけたままうろうろしているお方が登場した。おおーッ、いまどき大キャビネ判(5x7インチ)か?! すごいなこの人…って思っていたら、それもそのはずプロ写真家の先生でして、なんでも「ダゲレオタイプ」にこだわっているらしい。撮影には最低30秒の露光が必要で、でかいシートフィルムにドカンと写し終わると大急ぎで帰宅、庭先の現像テントにガスマスク着用でもぐりこむ。しばらくすると元祖銀塩写真のできあがり! お待たせ! …近所の幼児たち、みんな目を丸くして覗きこんでいたのがすごく印象的でした。…フィルムで撮影する写真というものをすでに知らない世代だもんね、むりないか。色のない写真ではあるけれど、一様に「きれい〜っ」と歓声をあげてました。新井卓さんというこの先生、なんとすばらしいお仕事をされているのかと、ひとり感じ入ってました。ダゲレオタイプのあの機材で堂ヶ島とか黄金崎
とか撮ったらどんなあんばいになるのかな?? 一度だけでいいから撮らせてください(笑)。でもあの現像小屋も一式、持ってこないとダメだな…モノクロ写真ついでに、大型カメラ用赤外フィルムというものがあるのかどうか知らないけれど、以前コニカ赤外750nmを使ったことがあり、レッドフィルターによるあの独特な映像世界はスカっと晴れあがった初夏にはぴったりでした。たしか生産中止されたんでしたっけ…時代の流れか。え? iPadで電子書籍? Kindle? フィルムカメラみたいに紙の本が駆逐される? …それについてはまた日をあらためて書くかもしれないし、やっぱやめとくかもしれない(笑)。

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2010年06月21日

ブリテンの作品二題

 いまさっき「N響アワー」見ていたら、先月26日のサントリーホール定演のようすをやってました。プログラム前半がボッケリーニの「マドリードの夜の帰営ラッパ 」という作品とベートーヴェンの「ピアノ協奏曲 第3番」、後半が超がつくほど有名なバーバーの「アダージョ」、そしてブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」でした。

 ブリテンの当該作品についてはFMでもライヴ中継で聴いていたけれども、これって1940年、というからかなり微妙な時期に、なんと日本政府から「委嘱」されて書いたという作品だそうで、しかも「祝典用」だったという! …それがどうして「レクイエム」なのか、さっぱり解せないんですけれども、とにかく作曲者自身による指揮で日本初演されたのが戦後まもなくのことだったらしい。そのとき初演したのが、いまのN響。

 ブリテンとくると、先週のBBC Radio3 Choral Evensong。今月9日はスコットランドのピクト族への布教活動に尽力したことでも知られる聖コルンバの祝日。で、導入聖歌が、1962年に作曲されたというブリテンの「聖コルンバ賛歌」という作品でした。本来プロテスタントであるはずの「国教会(英国聖公会)」のいいところでもあり同時に欠点でもあるのは、このように本来カトリックの、しかもアイルランドの聖人であるコルンバに題材をとった作品も取り上げてしまうという、きわめて懐の深いというか柔軟性に富んでいる点にある、と個人的に勝手に思いこんでいる(アイルランドのカトリック教徒にたいしておこなった非道な振る舞いについては、話がべつ)。

 そして毎度おなじみ、最後は関係ないことながら、小型ソーラー電力セイル実証機「イカロス(IKAROS)」の「太陽光セイル」展帆成功! 太陽光を受けて「帆走」する宇宙ヨット、なんてこちらも世界初の快挙ですね! もっとも太陽風を受けて帆走する宇宙ヨット、という発想じたいはけっこう古いらしいけれども、セイル素材をどうするか、どうやって宇宙空間で展帆するかといった問題解決がむずかしく、ようやくいま、実現の運びとなったというから、やっぱりすごい! 「2010年 イカロスの航海」といったところかな。そういえばたまたま見た「こどもニュース」ではイカロスのセイルの構造について、じつにわかりやすく説明されてました。なるほど、本体がぐるぐる回転して、遠心力によって巻きついているセイルを拡げたとのこと。こうすれば最小限の骨組みと材料だけですみ、軽量化にも貢献しているんだとか(セイルも0.0075mmのポリイミド樹脂という超極薄の箔でできている)。

 …公式ページを見ると、ほのぼのとした遊び心に富んだ動画作品まで公開されているところがまた日本人らしいところ。イカロス本体の「丸印(頬?)」など、なんだか探査機というよりピカチュウの顔みたいだ(笑)。でもこれってYouTubeでも公開したら海外の人にも受けそうな…気がする。今日は夏至。今年もはや折り返し点にさしかかった。

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2010年05月23日

即興演奏から生まれた傑作

 坂本教授の「音楽の学校」、「ジャズ編」はすこぶるおもしろかった。ジャズの成り立ちからスウィングの黄金時代――往年の『スイング・ジャーナル』誌は残念ながら7月号をもって休刊してしまうが――、ビバップに「モード・ジャズ」の衝撃、そして「フリー・ジャズ」…と本にしたらそれこそ何冊分にもなるであろう事柄をこれだけコンパクトにまとめて、自分みたいに「ジャズ=てんでにソリストが即興演奏しまくっている」構図しか思い浮かばないド素人にもよくわかる内容でした。

 この番組のいいところはやっぱり子どもたちにじっさいに体験してもらうというところかな。ワークショップを通じて、子どもたちは楽器を手にとり、とりあえずやってみる。あらかじめ練習はしてあるんだろうけれども、たとえば「モード・ジャズ(これが中世教会旋法を土台にしていることくらいは知っているけれど)」の回ではマイルス・デイヴィスの記念碑的作品So What? のモード(ここでは第一旋法/ドリア調、つまりシにフラットのないニ短調)内の音ならどれを使ってもいいという即興演奏をみんなが体験したのですが、見ているこちらがびっくりするほどできちゃうものなんですねぇ。最終回の「フリー・ジャズ」なんかにくるともう…なんというか岡本太郎さんの世界ですな(笑)。また音楽とは直接関係ないけれども、最初の回に出ていた綿花畑で働く子どもの姿を捉えた白黒写真は、ひょっとしたらルイス・ハインの写真だろうか(提供元クレジットにはGetty Imagesとあったから、ここのストックフォト分かもしれない。ハインだけでもけっこうある)。

 ところで…「即興演奏」はなにもジャズだけの専売特許ではありません。バロック時代の音楽なんかまさにそう。もちろん「フリー・ジャズ」みたいになにやってもいい、なんてことはなくて、当時の演奏習慣にもとづく暗黙の了解というかルールの範囲内なら、演奏者の自由裁量に任せてもいい。あるいは演奏者どうしが、あたかも「対話」を交わすような、そんな音楽のやりとり。丁々発止の「かけあい」みたいな即興はけっこう古くから行われていて、模倣技法が発展したフランドル地方の音楽家がこの手の即興に秀でていたらしい。そんな彼らの一部がのちにイタリアに渡って、その後のイタリア音楽に多大な影響を与えたりもした。バロック音楽の特徴としても指摘される通奏低音も一種の即興ですね。

 でも即興演奏にも欠点はあって、その場で作曲しつつ演奏するという性質上、どうしても音楽があるひとつの方向性を向いてしまうということ。これはバッハほどの大天才をしてもそうで、最晩年にポツダムのサン・スーシ宮殿に招かれたとき、フリードリヒ大王から「6声のフーガを即興演奏してくれないか」と乞われた話なんかそのよい例です。その前日に招かれたときは「大王の主題」で3声フーガをみごとに即興演奏して大王はじめ列席者から賛嘆されたバッハでしたが、さすがにこれはむり。そこでその場は自作の主題――もしかしたら「フーガの技法」の基本主題か? ――にてしのいだものの、ライプツィッヒに帰ったあとも心残りだったようで、それが「フーガの技法」とならぶ最晩年の対位法の集大成、「音楽の捧げもの」として結実することになります。大王から出された「宿題」にたいするバッハのこたえが長大な「6声のリチェルカーレ」というわけなんですが、この前見つけたヴァルヒャのオルガンによる演奏を聴いて、急にこの「音楽の捧げもの BWV.1079」ばっかり聴くようになった(すぐ感化される人)。で、聴いているうちに「? 、なんかどっかで聴いたことがあるような…」と思い、ふと手許にあったウィリアムズ本を開いたら、後世の筆写譜としてオルガン版もいくつかあるようで、この「6声のリチェルカーレ」も載ってました(p. 539)。その記述を見てなるほど、と思ったのは、「幻想曲 ト長調 BWV.572」と「6声のリチェルカーレ」の最初の盛り上がり部分がよく似ているということ。提示部が終わると、一歩一歩、踏みしめるようにどんどん上行してゆくところなんかよく似ています。そうかBWV.572だったかぁ、とひとりで納得したしだい。あ、そういえば先週の「バロックの森」でもBWV.572が「フランス様式の音楽」を集めた木曜朝の放送でかかってましたね。また土曜日にかかった、M.コレットの「朝」というクラヴサン小品もはじめて聴く作品で印象に残った。

 …影響されたついでに、いままで買おうと思っていながら長いこと買わずにいた「音楽の捧げもの」のポケットスコアも手にいれた(図書館に行ったついでに楽器屋さんに立ち寄ったら、ずっと昔から売れ残っていたみたい)。「無限カノン」、「謎カノン」なんか、譜面を眺めているだけでもすごくおもしろい! 難解な「音楽クイズ」だけれども、ありがたいことに「解決譜」、つまり演奏可能な譜面もちゃんと掲載されているから、すぐに弾ける。さすがに「6声の…」はむりだから、せめて「3声のリチェルカーレ」の前半だけでも弾いてみたい。いちばん手っとり早いのは、ひじょうに短い「2声の謎カノン(Quaerendo invenietis、求めよされば見出さんの副題つき)」。ポケットスコアでは「正置形」しか掲載されてないけれど、これはまるごとひっくり返しても演奏可能な「鏡像カノン」でもあるから、あとで自分でひっくり返してみるかな。同時に「無限カノン」、つまりえんえんとダ・カーポで演奏可能でもあるので、ふつうは適当に繰り返したらフェルマータが印刷された小節で終止させる。とにかく短いし、2声しかないので、これなら時間のない自分でもなんとかなりそう。手持ちのレオンハルト盤では「正置形」のみの演奏だけど、図書館から借りたリヒター盤では「鏡像形」でも収録されてました。こういった一種の謎解きカノンというのも、もとをたどればフランドルの音楽家のあいだで流行った即興演奏にまで行き着くようです。

 話もここでダ・カーポして…即興演奏の楽しさを教える、ということは音楽の本質的な喜びを伝える手段でもあると感じる。こういう試みを音楽家はもっともっと広めるべきだと思います。って以前にもこんなこと書いたとは思うけれども。それと…「ドリアン・モード」で思い出したが、寝るときに聴いている「ゴルトベルク」。だいぶ前に買った2枚組の一枚で、演奏者はクリスティアーネ・ジャコテ。問題なのはそのライナーの翻訳でして、なんだかよくわからなん個所が多い。あきらかなまちがいもあって、もう一枚の「オルガン名曲集 Vol.II」と題したディスクのライナーには信じがたい「曲名」が印刷されている。「ドーリア人のトッカータ」!!! いったいこれなんじゃらホイ、と言いたくなるじゃありませんか。

 …そういえばけさ見た「題名のない音楽会」も「即興演奏対決」で、こっちもとても楽しくておもしろかった。

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2010年05月09日

「クラヴィーアの騎士」

 きのうとカブってしまうけれども、『バッハ全集 第11巻』の解説本に興味深い記述があったので、ここでも手短かにメモしておきます――バッハの教え方についてです。

 バッハが初学者にまず課したのは、独自に考案した「独特な指使い」だったらしい。最初は「インヴェンション」からはじまって、習熟してなにも教えることがないと判断するとこんどは「平均律」へと進ませたという。とはいえ最初の「指使い」について、弟子だった人の証言によると徹底的に叩きこまれたらしい。とにかく独立した楽句ばっかり最低半年から一年も、えんえんと練習させられたんだと。弟子の忍耐力が切れそうになると、師匠は「小プレリュード」とか「インヴェンション」のような小品を作曲しては弟子に与えていたという。目的は「両手すべての指で明確できれいな打鍵ができるようになるため」。これだけでもすごいけれども、ゲスナーという弟子の証言によると、「インヴェンション」をマスターしたあと、バッハみずから「平均律 第一巻」全曲をなんと三回も(!)弾いて聴かせてあげたんですと! これらの指使いの訓練には、あらゆる装飾音の練習が両手でマスターできるように仕込まれた。で、ここで重要なのは、弟子たちにさらに大規模でむつかしい作品へと導いていったとき、かならずバッハは自身の「模範演奏」を弟子たちに聴かせた、という。

 また作曲の訓練も同時に授けてもいるが、ここでもバッハの教授法は独特だった。『バッハ伝』作者のフォルケルによると、当時の教師たちがよくやったような、無味乾燥な対位法のお勉強とか音程比の計算を強いるなんてことはなくて、あくまで実践に即した方法、たとえば通奏低音にもとづいた4声部書法を書かせて、和声進行を把握させることからはじめたと言います。実務家バッハらしいところではあります。とにかくじっさいの演奏ありきという姿勢が徹底されていますね。

 ただしバッハはここで作曲に不向きな生徒には作曲をしないようにと忠告していたという。こいつは見込みがあるなと思った弟子には、準備的な訓練のあとで2声のフーガを書かせたそうなんですが、ここでフォルケルによると、バッハが言ったとされる有名なことばが出てきます。師いわく、「クラヴィーアの騎士」にはなるな、と。以下はバッハが弟子たちに「厳守」させたという、作曲作法の引用。

「(1) クラヴィーアを用いずに、自由な精神で作曲すること。そうしない者たちを、彼[バッハ]はクラヴィーアの騎士と呼んで叱責した。(2) 各声部それ自体でのまとまりと、それと結びついて同時に進行する諸声部との関連に絶えず留意すること。いかなる声部も、たとえそれが内声であっても、それが言うべきことを完全に語りおえるまでは、途中で途切れてはならなかった。いかなる音も先行する音と関係づけられねばならず、何処から来たか、何処へ行くのかわからない音が現われると、その音はうさんくさい音としてたちどころに追放された。各声部のこうした高度に精密な処理こそが、バッハの和声を一種の複合旋律とするものなのである」(『バッハ資料集』角倉一郎訳、白水社 1983、下線は引用者)

バッハ自身からしてたいへん勤勉な人で、いろんな国のいろんな流派の作品を筆写していたり、それらの筆写譜や出版譜をたくさんもっていた。そしてなによりバッハはものすごいオルガニストでもあるから、フォルケルが書いていることはたいへんよく理解できる。曲想の根底には鍵盤楽器、とくにクラヴィコード/オルガン/チェンバロの発想があったことはまちがいない。そしてバッハが一地方都市という「周縁」に終生、とどまっていたことも幸いしたと思う。おんなじことはたしか坂本教授の'schola'でも先生のひとりが言っていたけれども、もしバッハがパリとかローマとかにいたら、ひょっとしたら全欧州の過去さまざまな音楽流派を統合するような音楽、真に普遍的で時代を超越してしまう音楽を残さなかったかもしれない。もしバッハがドイツを離れて流行の先進地でバリバリ活躍していたら、バッハは幸福だったかもしれないが、その後の西洋音楽の歴史は確実にいまとはちがっていたはずです。…それにしてもわれわれ一般人が想像する作曲家像って、たいていピアノの前に座ってなにやらフレーズ弾いて、ブツブツ言いながら楽譜に書きつけている…そんな姿だけれども、バッハに言わせるとそれは「クラヴィーアの騎士」というわけか。

 …と、先週のChoral Evensongは大好きな聖歌隊のひとつ、トゥルーロ大聖堂聖歌隊で、ブリテンの「テ・デウム ハ長調」のボーイソプラノのソロとかもよかったんですが、あいにく最後のオルガン・ヴォランタリー(ヴィドールの「オルガン交響曲 第6番」から「アレグロ」)になっていきなりブツッブツッと…orz。で、しばし沈黙があり、また回線が切れたか(笑)と思っていたら、これはBBCのエラーだった。

'... Very sorry to say that we're ... currently(?, 正確には聞き取れず orz) Choral Evensong was overseeing a few problems with on-line to Truro ... Many apologies for having been truncated ...'とかなんとか、アナウンスが聞こえてきた。たまにはこういうこともある。

 …いまさっき、生協の宅配で届いたスペインの赤のテーブルワイン(vino de mesa)、テンプラニーリョ主体でけっこうおいしいのですが、飲みながら「N響アワー」を見てました。今日は「母の日」でしたね…「母に教え賜いし歌」、いいですねー。プーランクの「悲しみの聖母」もよかった(蒸し返しになるけれど、これは中世にたくさん作られたセクエンツィアのひとつで、反宗教改革のときにいったん廃止になったものの、18世紀になってふたたび復活した聖歌)。で、「今宵はカプリッチョ」コーナーになって代表的な「アヴェ・マリア」が「さわり」だけ数曲、かかりました。最初に聴こえてきたのはバッハ/グノーの超がつくほど有名な作品だったんですが、おややや? これ、どっかで聴いたことあるかも…どう転んでもこれは少年の声だな、いやこれははじめて聴きに行ったウィーン少公演会場で買った東芝EMIの音源ではないか、と思っていま引っ張り出して聴いてみたり(笑)…すくなくとも声質はよく似てるなー。

 脱線ついでにもうひとつ。今日の地元紙の「読書」蘭に、ひじょうにおもしろそうな新刊本を二冊、見つけました。ひとつは『ワインという名のヨーロッパ』、いまひとつは『音楽好きな脳』(!)。前者の書評いわく、「なぜイエスは(ワインに親しむ家庭環境に育ったわけでもないのに)、ワイン(ようするに葡萄酒ですな)の比喩や例え話をよく用いたのか。その間の事情を詳しく描いたこの章は、意表を突く問い掛けに満ちていて読み応えがある」ですと(ちなみにこれ書いた人は武秀樹という「書評家」さんらしい。書評だけでごはん食べていけるのかな、なんてよけいな詮索をついしてしまった)!! たしかにワインの比喩は多いですよね。いちばん有名なのは「これは多くの人のためにわたしが流す血だ」と言ってワインの杯を弟子たちにすすめた「最後の晩餐」の場面だと思うけれども…「あたらしい葡萄酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば革袋は破れて葡萄酒は流れ出て、革袋もだめになる。あたらしい葡萄酒はあたらしい革袋に入れるものだ(Matt., 9:16-7 ほか)」とかいうのもあったっけ…ついでに「カエサルのものはカエサルに返せばよい」と言って敵対するファリサイ派をだまらせた、なんてくだりもあったな(Matt., 22:15-22 ほか)。後者をものしたのは、カナダのマギル大学で心理学・行動神経科学を教えている先生だそうで、若かりしころはなんとロックバンドを組んだり、レコードプロデューサーとしても活躍していたんだとか。現存する最古の楽器はなんと5万年前、クマの大腿骨からこさえた笛なんだそうで、これはクロマニョン人、つまり現生人類の直接のご先祖様出現とおなじ時期だという! それほどヒトと音楽とのかかわりは古い、ということのようです。書評によると、「小脳は一般に運動機能をつかさどると考えられているが、音楽とも関係が深く、雑音を聞いている時は活動しないのに音楽を聴くと活発に活動する」。また小脳はいわばメトロノームで、音楽のテンポを記憶しているんだって。そんなことはじめて知った! というわけで、また例のオランダ語のサイトに行ってこよう(笑)。

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2010年05月08日

まずいハマりそうだ(苦笑)

1). まずは最近買った買い物から。こちらの廉価盤(1575円!)なんですが、いやー、これがまたいいんだな。なにしろカベソン、ヴェックマン、クロフト、ヴァレンテ、パスクィーニなど、名前なら聞いたことはあるがどんな作品書いているのかについてはさっぱり、という作曲家ばかり集めた鍵盤作品集。でもただの鍵盤音楽集ではありません――パリ音楽院付属楽器博物館所蔵の歴史的に貴重なクラヴィコード、チェンバロ、フォルテピアノを作品の書かれた時代ごとに弾き分け、これら銘器の音色を聴きくらべてみよう! というこの手の音楽が好きな者にとってはまさに垂涎もののディスク。バッハも一曲(「平均律 第一巻」からBWV.853)収録されてまして、いやもう楽しいのひとことに尽きる。またこのアルバムのよいところは、オリジナルの詳細な解説を再録していること、楽器博物館提供による各楽器の詳細なデータまで転載していること(古いものでは400年近く前の古楽器が「演奏可能な状態」であることにもおどろく)。30年以上前の古い録音ながら、デジタルリマスターで経年劣化などみじんも感じさせない。こんなすごい音源が2千円以下で入手できるんだから、これは買わなきゃ損です(笑)。

 折しもいま、いつも行っている図書館から小学館の『バッハ全集 第11巻』を借りてまして、「インヴェンションとシンフォニア」なんかを聴いています。その解説本にはバッハの教育法、バッハはどんな楽器で練習していたのか、1巻から4巻までの「クラヴィーア練習曲集」についてどういう意図で編まれ、出版されたのか、クラヴィーア組曲の歴史とバッハについて、果てはシェーンベルクらに代表されるような「十二音技法」、「セリー書法」との関連で綴られた「フランス現代音楽とバッハ」、ワンダ・ランドフスカにはじまるチェンバロ復興に見る「19世紀のチェンバロ復興」などなど、すこぶる刺激的な読み物もぎっしり!! とくに興味をそそられたのは渡邊順生氏の「リューネブルクのバッハとクラヴィコード」という記事。で、当時の状況を考えるとドイツの家庭にもっとも普及していた鍵盤楽器、とくると当然クラヴィコードになるし、苦学生バッハが世話になっていた長兄ヨハン・クリストフからはじめて手ほどきを受けたのもこのクラヴィコードかもしれないと書いてます。たしかに次男坊のC.P.E.バッハもフォルケルに伝えた話として、「クラヴィコードが上手に弾ければチェンバロの演奏もうまくいくのであり、その逆ではない」とか言ってたっけ。クラヴィコード演奏に習熟することこそ、当時のドイツの鍵盤楽器奏者/作曲家にとってはごく当然な道だった、というわけ。そこで同氏が引き合いに出しているのが「旅立つ最愛の兄に思いを寄せる奇想曲 BWV.992」。これはクラヴィコードで演奏してこそ、真の価値が発揮されるという。でもなんといっても驚愕したのはライプツィッヒ楽器博物館にあるという、「三つに重なったクラヴィコード」の現物写真(p.86、リンク先の楽器はそれとはちがいます)! クラヴィオルガンをはじめて知ったときも驚愕したが、ある意味こっちのほうがインパクトが強烈(笑)。生前、バッハはヨハン・クリストフに'3 Claviere nebst Pedal'を与えたそうで、渡邊氏によるとこれこそ「3つのクラヴィコードが重なった」楽器だと推測している。バッハはこういう楽器で弟子たちに教えたり、自身も練習していたのかな? もっともクラヴィコードだけではなくて、自家用チェンバロだって数台もっていたから必要に応じて使い分けていたのかもしれない。でも弟子たちの教育という点では、クラヴィコードを重要視していたのはおそらくまちがいないところ。当時、ヨーロッパのほかの国ではすでに「廃れた」鍵盤楽器だったクラヴィコードがドイツではオルガニストの練習用として、また家庭での音楽用として愛用されつづけたという特殊な事情が結果としてバッハという天才を生んだのかもしれませんね。

2). でもそれ以上に喜ばしく、かつ驚愕したのはこちらのサイト。いったいなんのサイトなのか、いまだによくわからないけれども(オランダ語で書かれてあるため、よくわからない)、なんとなんと、ヴァルヒャのライヴ録音が聴けるではないか! もちろんこんな音源など発売されてはいないから、大多数の日本のリスナーにとって、これは未知の音源ということになる。オランダのどっかの教会の、マルクッセンオルガン(デンマークのオルガンビルダーで、福島市音楽堂の楽器浜松市福祉文化会館の楽器なんかがそう)を弾いたコンサートらしくて、1967年12月3日の収録らしい。たぶん演奏旅行先のリサイタルということなんだろう。時期的には、「バッハ・オルガン作品全集(2度目)」の録音作業の後半にかかりはじめたころですね。

 まさかこんなすごい録音ファイルにbump intoするとは思いもよらなかった。いやもうぶっとび、Man alive(また壊れた)! しかも音源はレオンハルト、ハイラー、コープマン、イゾワール、リテーズまである(ガストン・リテーズはヴァルヒャと同様、盲目のオルガニスト/作曲家で、奇しくもヴァルヒャとほぼおなじ時期[1991年8月5日、ヴァルヒャはその6日後]に亡くなっている)! まずい、しばらくハマりそうだ…(苦笑)。最近どこの音源サイトもそうだけれど、ここもFlash(AppleのCEOは嫌っているようですが)で動くプレーヤー。ということはiPhoneのブラウザでは再生さえできないのかな? HTC Desireではどうなのかな(最近、この手のAndroid端末に興味があったりする)?? 

 …おまけにこのヴァルヒャのライヴ音源、収録数こそ三曲しかないものの、これがまたすばらしい! 「音楽の捧げもの」から「6声のリチェルカーレ」、そして「フーガの技法」から最終の「未完フーガ」ですよ(あと一曲はBWV.529の「トリオ・ソナタ 第5番」)! それも演奏者ヴァルヒャ自身による「補筆完結版」で!!! もう感謝感激雨あられ状態(たとえが古すぎるか)。というしだいなので、しばらく耽溺してきます…(「トリオ・ソナタ」の曲を誤記していたので、訂正しました)。

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2010年05月02日

「4つのデュエット」

 4月最終週の「ベスト・オヴ・クラシック」で、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメさんという、ひじょうに覚えにくいお名前のピアニストの来日公演のもようを聴きました。「フランス組曲 第6番 BWV.817」なども弾いていたんですが、もっとも興味深かったのは「4つのデュエット BWV.802-5」という小品。この4つの鍵盤曲、イントロだけ提示されて「曲名当てクイズ」をやったら、バッハ好きの人でも即答できる人はそう多くはいまいと思う。というわけで、ここですこしばかしメモしておきます。

 この4つのクラヴィーア楽曲、最長の作品でも 149 小節、演奏時間もほんの数分という小品です。いずれも、宗教改革200年記念祭に当たった1739年の聖ミカエル祭見本市期間中にバッハが出版した「クラヴィーア練習曲集 第三部」に収録された一連の鍵盤作品。ところがこの小品集、いまだに作曲者の意図するところがいまいちよくわかっていなくて、諸説紛々といったところ。おもな理由として、「クラヴィーア練習曲集」と言いながら、宗教改革200年を強く意識したと思われる、いわゆる「教理問答書コラール」が中心となっているのに、なんでこのような非宗教的楽曲まで収録されているのか。バッハ自身の序文では、「クラヴィーア練習曲集第三部。教理問答歌その他の賛美歌にもとづく、オルガンのための種々の前奏曲からなる。愛好家および、とくにこの種の作品に精通する人々の心の慰めとなるように」とあります。

 この曲集、以前はその「宗教性」が全面に押し出され、「ドイツ・オルガン・ミサ」なんていうあだ名までちょうだいしたくらいですが、近年の研究によるとバッハがお手本としたのはフランスの前例、たとえばニコラ・ド・グリニーの「オルガン小曲集」とかで、バッハが自家薬籠中のものにしているさまざまなオルガン作曲技法を開陳しよう、という意図のもとで編まれたものらしい。もっとも宗教性はあきらかな「数象徴」によってはっきりと現れているのも事実。この記念碑的な曲集の巻頭と巻末を飾るのは、あまりにも有名かつバッハ最後の自由オルガン作品としてつとに名高い「前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV.552 」で、フラット三つ、三つの主題による三重フーガつき。大きく向き合う大伽藍のごときこの大きなオルガン曲にはさまれるように、21の大小コラール編曲(小編曲のほうはおもに家庭用の小型ポジティフオルガンを想定して作曲されたらしく、足鍵盤パートのない手鍵盤のみで弾ける編曲となっている)。ここで 21 = 3 x 7 で、コラール編曲は7つの部分に分かれる。その第一部をなす「キリエ」と「グロリア」は9曲 ( 3 x 3 ) からなる。さらに「キリエ」は足鍵盤つきの「大編曲」と手鍵盤のみの「小編曲」とがそれぞれ3曲ずつ、という念の入れよう。

 問題の「4つのデュエット」は、これら大小のコラール編曲の最後、つまり「変ホ長調の三重フーガ」の直前に置かれています。かつてシュヴァイツァーはこれらを「彫版のさいに誤って」紛れこんだものと考えていたけれど、おそらくそんなことはけっしてない。4つの楽曲の調性は順に「ホ短調」、「ヘ長調」、「ト長調」、「イ短調」で、最後の三重フーガの「変ホ長調フーガ」冒頭の第一主題の開始音「変ロ」へとスムーズにつながっていく。* もっともこれら四曲が「第三部」に追加されたのはじつは出版直前で、バッハは最後まで改訂をつづけていたことがわかっている。「デュエット」も入れた総曲数は27で、つまりこれは3の三乗、3 x 3 x 3にするためだったという説もあるけれど、参照したウィリアムズ本 ( The Organ Music of J.S.Bach Second Edition ) によると、オルガニストの利便性を考えればこれらオルガンにそぐわない語法で書かれている楽曲よりもルター派のコラール編曲二組のほうがよいとし、なんらかの実用上の理由から初版発行直前になって4 つの小品を追加したのではないかと推測しています( pp. 530-1 )。

 細かいところはともかく、これら4つの小品は短いながらもバッハの作曲技法のエッセンスがきわめて凝縮された鍵盤楽曲 ( いや、練習曲 ) で、オルガンにせよチェンバロ ( クラヴィコードもよい ! ) にせよ、聴いていて楽しい作品です。いずれも二声で書かれ、活発な動機の走り出す二重フーガ ( BWV.802 ) があるかと思えば、シンメトリックな書法の支配するダ・カーポ・フーガ ( A-B-A ) で書かれたり ( BWV.803 )、二声でありながらあたかも四声フーガを聴いているかのような曲 ( BWV.804 )、複雑な二声インヴェンションのような曲 ( BWV.805 ) と、じつにさまざま。ちなみにヴァルヒャは「4つのデュエット」を最初のモノラル全集録音盤では旧東独のアンマー製モダンチェンバロで、二度目のステレオ録音盤ではオルガンで弾いています。

 …と、ここで例によってまるで関係のない余談。この前、NYT のニューズレターの「今日はなんの日」を見ていたら、先月の21日って、米国の作家Samuel Langhorne Clemensの命日だったとある。え? サミュエル・ラングホーン・クレメンズってだれじゃそれだって? なんのことはない、かのマーク・トウェイン ( Mark Twain ) ですよ。この筆名じたい、この人特有の二重性がこめられていて、もとはミシシッピ河の蒸気船水先案内人への合図「水深二尋だ、座礁しないように気をつけろ!」からきているけれども、「クレメンズの二重性に注意せよ」とも読める。事実この人はつまらない ( ? ) 駄洒落から警句までいろいろ名文句を残している。たとえば自身もひと山当てようとカリフォルニアへ金鉱掘りに行ったけれども、結果は「バカが地の底までつづくものなり」。またある日、いたずら者が1ドルを同封した郵便物を送りつけて、「これでどうぞ一語だけの原稿をお送りください」ときた。トウェインの返事はまさしく一語のみだった ―― 'Thanks !' また自分の書いた本は水だと言い、「古典は酒だが、水は子どもでも飲める」。そして「古典 ―― 人々が褒めはするが、読みはしないご本」。

 この人は物書き専業になるまで新聞記者やら蒸気船乗りやらいろんな職業を渡り歩いたらしいけれども、「宇宙から派遣された地球特派員」と自称していたようです。それはたしかに事実かもしれない。この人はハレー彗星とともに生まれて、76年後の1910年にハレー彗星が帰ってくるときに帰天しているのだから(こちらの記事見たら、『あしながおじさん』のジーン・ウェブスターってトウェインの姪っ子だったんだ、知らなかった)。

* ... ウィリアムズによると、ホ-ヘ-ト-イという上行音階はヴァルターの『音楽事典(Musicalisches Lexicon, 独語で出版された最初の音楽事典)』に掲載されたテトラコードの上4音であり、また1699年に出版されたヨハン・クリーガーの「優美なクラヴィーア練習曲集 Anmuthige Clavier-Übung, 1699 」最初の四曲も、これまたまったくおなじ「ホ短調」-「ヘ長調」-「ト長調」-「イ短調」という順番で収録されているという。

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2010年04月18日

バッハとベースライン

 「schola 音楽の学校」、見ました。「バッハ編」三回目は通奏低音。…自分には作曲も即興もとにかくそんな才能はないので、生徒さんたちがきせこちないとはいえ、基本となるベースラインからの和音を示す数字から即興でよくあれだけの旋律を紡ぎ出せるものだ、と感心しきり。バッハの通奏低音の上に、思い思いの上声部を乗せて歌わせていましたね。

 ただ、坂本龍一氏(教授と言ったほうがいいのかな?)のこの番組はこのあと「ジャズ」とか「ドラムとベース」とかに「発展」していくようなので、たとえばここでもたびたび紹介してきたBBC Radio3の「クラシック名曲徹底解剖」番組、というわけではありません。でもこういうスタイルの音楽教育番組はどういうわけか(?)いままでなかったものだし、バッハと聞くだけで敬遠していたような音楽好きにもまさにぴったりな企画です(子ども向け番組としては、以前放映された「音楽のちから」というものはあった)。

 番組を見てはじめて知ったのですが(いまごろ?)、音楽の生命線はベースラインにあり、というようなことをバッハは自分の弟子に言っていたらしい。たしかにバロック音楽って別名「通奏低音の音楽」って言われるし…そしてバッハは繰り返される低音主題上に巨大な変奏曲を書くのが案外、好きだったのかもしれない。そういう作品は数こそ少ないけれど、たとえば「ゴルトベルク」がいちばんいい例ですね。サラバンド主題がひじょうに有名ですが、ほんとうの主役はそれを支えて動く低音にある。これが30回、高度なカノンも織り交ぜて繰り返される変奏の文字どおりベースラインになっている。もっとも有名な逸話によれば、これは不眠に苦しむカイザーリンク伯爵をなんとかして慰めよう、ということだったらしいから、そうすると単一主題にもとづき基本的な和声進行もおんなじ変奏曲形式が最適、と考えたのかもしれない。もっとも作曲年代についてはこの逸話よりもっと前だったようですが、とにかく当時14歳くらいのヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクなる優秀な弟子がいたことはたしからしい。なのでフォルケルの有名な記述は、作り話として一蹴すべきではないようにも思う。やっぱりゴルトベルク少年はこれを伯爵の眠れぬ夜のために弾いて差し上げたんじゃないかな。げんにここにも、毎晩これ聴きながら寝る人がいるので(かなりハマってます)…。

 バッハと変奏曲、とくると、現存する自筆譜としては最古の部類に入る「旅立つ最愛の兄に寄せる奇想曲 BWV.992」とかも組曲の小品(変奏曲)だと思うし、また若いころのバッハは、北ドイツ楽派以来の伝統的な「コラールパルティータ」という変奏曲形式のコラール編曲もいくつか残してもいます(余談だが「ペータース版」はアルファベット順に作品を並べていて、コラール編曲では初期コラールパルティータがなぜか「オルガン小曲集」とセットになって掲載されている[V巻])。「ゴルトベルク」のほんとうのタイトルは、「二段鍵盤チェンバロのためのアリアとさまざまな変奏からなるクラヴィーア練習曲集」です。とはいえ「単一のバス旋律、あるいは和声進行」から、よくもこれだけの変奏を創造しえたものか、と聴くたびにそのとてつもなさを感じます(素人なりにではあるが)。とにかく晩年のバッハが自身の仕事の集大成として、「単一主題/単一基本低音旋律」から無限大とも言えるほどの作曲の可能性を示すことに異常なまでの執着を見せていた、ということは感じられます。

 「かくのごとくバッハはひとつの終局である。彼からは何ものも発しない。一切が彼のみを目指して進んできた」とは、あまりにも有名なシュヴァイツァー博士の評伝『バッハ』(上巻、p.26)の記述ですが、坂本氏もおんなじようなことを番組で言っていた。ジャズやロックといった現代音楽も、もとをたどればみなバッハにまで行き着く、バッハ以前(古楽)とバッハ以後では西洋音楽のありようは決定的にちがう、やっぱりすべての出発点はバッハだと。逆に言えば、シュヴァイツァー博士の言い回しになる。バッハまでの西洋(西欧)音楽を俯瞰すると、中世・ルネサンス以来のさまざまな音楽の流儀や流派、作曲技法とその伝統は、バッハというひとつの終局に向かって突き進んでいるかのような印象をどうしても受ける。作曲面では、その端的な例が対位法、カノンやフーガ(リチェルカーレ)だろう。演奏の伝統という点では、たとえばオルガンにおける「両足でつくる芸術」ということが挙げられるかもしれない。同時代人をして「あの人はバッハか悪魔にちがいない」と言わしめたほどの「音楽史上、最大最高のものすごいオルガニスト」だったし、ベースライン云々…というのもオルガン弾きなら人一倍、感じていたことだろうから、すごく納得がいく。「数字付き低音」と言われるように、ふつう通奏低音というのは基本となるベースラインの上に4とか6とか数字が書いてあるだけ、これを見ながら左手で和音を弾き、右手はその他の合奏部分とぴったり息が合うようにアドリブで旋律を弾かなくてはならないけれども、たとえば「フルートソナタ集」みたいに、バッハみずから通奏低音とその上の旋律を書きこんでいたりする例も存在しています。これはあきらかに教育用の配慮だったと思う。「オルガン小曲集」、「平均律」、「クラヴィーア練習曲集」…バッハはじつにさまざまな「練習用の」作品を創作して、そのどれもが傑作ぞろいときている。

 考えようによっては「フーガの技法」もそんな変奏曲の系譜に連なるのかもしれない。グールドは生前、この作品を絶賛していたらしいけれども、グールドとくるとやっぱりあの「ゴルトベルク」。最晩年にもおんなじ「ゴルトベルク」を録音していて、彼の墓碑には「アリア」の冒頭上声部が刻まれている。そういえばグールドという人は天秤座(Libra)生まれで、しかも50回目の誕生日を迎えた数日後が命日になってしまったから、みごとなまでに「円環」を描いて終わっています。「アリア」から「アリア」へ、というふうに(以前ここで疑問に思っていた、「アリア」主題がブクステフーデの「ラ・カプリッチョーサ BuxWV.250」の件。『バッハの鍵盤音楽』という本には、「キャベツとかぶら」のうちひとつがこのブクステフーデのチェンバロ変奏曲でも用いられていると書いてありましたが、「どっちがどっちの引用」かはやっぱり不明。それともこの旋律は俗謡のたぐいだから、ふたりともふつうに知っていたのかもしれない。またバッハみずから、自分が所有していた初版譜[自筆譜は残っていない]に「14のカノン(BWV.1087)」を追加し、「などなど(Et cetra)」と書きこんだりもしているから、この作品にはほんとうの終わりなどないのだ、という思いがあったのかもしれない)。

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2010年03月22日

バッハ博物館再オープン!

1). この前地元紙を見たら、大バッハの325回目の誕生日の20日、ライプツィッヒの「バッハ博物館」がリニューアルオープン! したそうです。で、記事中、「自身が弾いたパイプオルガンの演奏台なども展示する」とあり、「バッハが弾いたパイプオルガンの演奏台」とキャプションのついた写真まで掲載されてました! …むむむ、これ見たことない(汗)、いったいこれはどこのなんというオルガンのコンソールなんだ?! というわけでさっそくサーチ。すぐ出てきた。たとえばこれとかこれ。どうもこれ、聖ヨハネ教会のオルガンの演奏台らしくて、1743年、というからすでに「平均律 第二巻」が完成したばっかのころにバッハが弾いたと伝えられるものらしい(バッハの亡骸が発見されたのが、たしかそのヨハネ教会だったと思った)。奇跡的に戦災を免れたものという(ハンブルクのカタリナ教会の歴史的オルガンは遺憾ながら先の大戦で焼失)。ところがこのすばらしいニュース、どういうわけか英語圏ではあんまりメディアに取り上げられてないらしくて、かろうじてZDFサイトにおあつらえむきな動画を発見したのでリンクしておきます。ああ、また行きたいところが増えた(苦笑)。

2). ところで地元紙には「変わるコンマスの役割」と題したコラムも掲載されてました(著者は渡辺和彦氏)。サントリーホールにて樫本大進さんが昼夜連続でおこなった、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲演奏会を取り上げたものでしたが、主眼はそこではなくて、「コンマスとソリストについて」。樫本さんはベルリン・フィルのコンマスに就任することが決まってますが、「ソリストとして活動していた演奏家がコンマスを務めること」については、両者の役割はまるでちがうため、たとえば樫本さんの「前任者」安永徹氏はかつて渡辺氏の取材にこたえて、その「混同」を戒めていたという。

 昔は「楽団員のリーダー」にすぎなかったコンマスも、「準ソリスト」化が進んでいると指摘したうえで、「コンマスのあり方や役割も時代とともに変わりつつあるようだ」と結んでいました。

 「リーダーから準ソリストに」というサブタイトルもついていたのですが…こういうものにとんと疎いワタシなんか、逆に、「すぐれたソリストだからほしかったのかな」と思っていたもので、なるほどそう言われてみればそうなのかなと…。これはたとえば山岡氏の著書にもあったけれども、日本人の翻訳者はあくまで「英日」方向の翻訳を請け負うべき、という主張とも通じるものがあるかと思う。言ってみればソリストがコンマスを務めるのは、母国語ではない言語への翻訳にひとしい離れ業なのかもしれない。

 …ほんとは、いま図書館から借りている『バッハ全集』第12巻に収録されている「ゴルトベルク」をサカナに駄文をつらつら書こうかと思ったけれども、またにします(苦笑)。「ゴルトベルク」はいまや就寝時には必須の音楽になりつつあります(「ゴルトベルク」は曽根麻矢子さん、師匠のスコット・ロス、レオンハルト、キース・ジャレット、シュタットフェルト盤と聴いてきて、いまは『バッハ全集』のトレヴァー・ピノック盤です)。

追記。先週のChoral Evensongはちょうど折よく「聖パトリックの祝日」の放送で、ダブリンから。「パトリックの胸当て(別名「鹿の叫び声」)」の祈りによる聖歌も歌われています。

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2010年03月20日

もっと早く気づいていればよかった

1). 先日、なにげなくNHKラジオ第二に切り替えたら、どこかで聞き覚えのある声が。声の主はもと世界的オーボエ奏者にして、引退後は指揮活動に力を入れている宮本文昭氏だった。それにしてもずいぶん熱く語っている。いったいなにを語ってるんだろうと思ったら、ブルックナーの「交響曲第8番」のことだった。宮本氏は高校時代、帰宅する道すがらずっとこの長大にして深遠な作品を愛聴していたというからその熱の入れようというものがわかろうというもの。長年、惚れこみ聴きこんでいる上に、プロ演奏家としての鋭い視点からズバリ本質を言い当てるようなじつに明快な解説でして、自分みたいなボンクラでもおお、そうだったのか! と聖パウロよろしく目からウロコ状態。ブルックナーの交響曲はたまにNHK-FMか「N響アワー」経由で聴くていど、壮大なサウンドとかは圧倒される思い出はありますが、いかんせん長いしくどい、聴いているうちに寝入っていた、なんてことも(苦笑)。それでもお話にも出てきた、マーラーとブルックナー、どっちが好きかと問われればたぶん後者だとこたえる。もちろんオルガンつながりで。ブルックナーの作風はあきらかにオルガンの音作り(レジストレーションとか音色の対比とか)の影響を受けているように思う。宮本氏はあくまでも「これは自分の主観100%の意見」だと断ってはいるけれど、巷の音楽評論家の解説よりはよっぽどましだ、なんて言うと怒られそうだが、ひじょうに説得力があることはまちがいない。お話を聞いているうちに、往年のグールドの著作とかライナーとかを思い出した(「フーガの技法」については、「灰色の世界」だと評していた。言い得て妙、という感じ)。

 音楽家が楽曲を仔細に取り上げて解説する、というのはたとえばここでも何度か言及したBBCのDiscovering Musicがあります。NHKラジオ第二の「カルチャーラジオ/芸術とその魅力」という番組は、BBCの番組ほど歴史的・技術的側面からも楽曲に斬りこんで「解剖」する企画とはぜんぜん趣旨がちがうけれども、すくなくともこの手の啓蒙番組はもっともっと必要だと感じます。今回、まったくの偶然から聴取したこの番組は、今回はたまたまクラシック音楽だったけれども、アート、建築、演劇など芸術全般を対象にしているらしい。知っている人にしてみれば、「なんだ、いまごろ」でしょうけれども、あんまりこの手の番組というものにお目に/お耳にかかったことがないので、拙い感想を書いたしだい。

2). ラジオのつぎはNHK教育。お昼に見た「世界ふれあい街歩き」はベルギーの古都ブルージュでした。運河が縦横に張り巡らされ、木組みの建物が美しい街ですが、音楽好きはなんといってもカリヨン! ということで期待してみていたら、案の定、出てきました(→以前書いた記事にリンクした動画は、ここの鐘楼の楽器。おんなじ楽器が映ってました)。

 …いちばん印象的だったのは、運河沿いに住む老夫婦と一匹のレトリバー。「ヴェネツィアに行くよりここにいたほうがいい」。そりゃそうでしょう。お庭の手入れとかは大変かもしれないが、なんてすてきな場所なんだろう! また19世紀に造られたという、ボウガン射撃用の「的」とかもユニーク。とはいえ老紳士が和気あいあいつどってみんなでボウガン射撃を楽しむはいいけれど、ボウガン撃ちながらビールを呑む、というのはどうか…(苦笑)。コークの箱に入れてるんなら、ダイエット・コークでもいいんじゃない? なんて茶々を入れたくなった。

 こんなこと言うと単細胞でお叱りを受けそうですが、やはり地震のない国はいいなあ、とどうしても思ってしまう。そのかわりベルギーだから、温暖な静岡とくらべて冬はめちゃくちゃ寒いかもしれないが。

 …そういえば「新日本紀行ふたたび」も見たのですが、今年、紋別には流氷が接岸しなかったらしい。オリジナルの放映があった37年前は大量の氷塊が港を埋め尽くしていたけれど、今年の流氷はなんと500km沖合だって! 「ガリンコ号2」と船長さんは、NYTの旅行ものの記事にも登場したことがあります。番組では北海道立オホーツク流氷科学センターというところだったかな、そこの館長さんの言っていたことばが印象に残りました。ここ30年の海水温上昇は過去例にない急カーヴで、0.8度、上昇したという。「流氷は、われわれに警告を発しているのだと思います」(こんな「流氷」サイトがあるんですね。わかりやすくておもしろい)。

追記:明晩22時ごろ、BBC Radio3のこちらの番組で、あのギャレス・マローン先生がゲスト出演するみたいです。

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2010年03月07日

こんどは「アニュス・デイ」!

1). 合唱ファンにはすでにおなじみ(?)の感なきにしもあらずの「町中みんなで合唱団」シリーズ。前回の放送分はなんと! あのバーバーの名曲にして難曲の「アニュス・デイ」を歌おう、というものでした。

 まず当然、予想されたことながら教会とはおよそ縁のない、毎日の生活だけで精一杯、といった感じのごくごくふつうの労働者層が大部分な土地柄か、ラテン語で歌うなんて冗談でしょ、みたいな拒否反応が出てましたね。ある女の子は「あたしたち英国人なのよ!」と叫んでました。うん、ごもっとも。でもみなさんの母国語には「外国語」であるラテン語からもいっぱい語彙を借りているというのも事実なんではあるんですが…それはさておきそんな泣き言をこぼしていたわりには子どもの合唱団、やるじゃないですか。単純に歌詞だけ比較したら、「カルミナ・ブラーナ」のラテン語歌詞のほうがよっぽど難易度は高いと個人的には思いますよ(余談ながら、ラテン語のみならず英語に独語、伊語にロシア語の作品まで歌いこなすTFM少年合唱団もすごい)。

 サウスオキシーのコミュニティ合唱団率いるマローン先生の今回のもくろみは、「クラシック、それも心洗われる教会音楽(ラテン語のもの)を歌えるようにならなければ本物じゃない」ということにあったようです。たしかにそれはあるかも。歌いやすい、とっつきやすいものばかりこなすだけでは真にすぐれた合唱団にはなりません。食べ物だってそうですよ。やっこい(=やわらかい)ものばかり食べていたらアゴがやわくなって、それが原因となってさまざまな不具合が起きやすい、というのとおんなじで。これは勉学にもスポーツにも通じることだと思うけれども、いつまでも自分がラクしてできるレヴェルのことをつづけていてはダメ。すこし(場合によっては、かなり)背伸びしないと獲得できないもの、多少難儀しないと到達できないような高いレヴェルのものの習得を自らに課してはじめて上達するものです。そのためには「反復練習」のようなドンくさいことも必要不可欠。

 とはいえ音楽の場合は、寝っ転がってただ聴くのはともかく、とくに自分で演奏する、自分で歌うとなるとじつにたいへんなことではあります。でもそこは若き名伯楽マローン先生の手にかかるとはじめはイヤイヤ歌っていた町の人も、どんどん変わっていくから見ていて楽しい(そういう番組だから、というのは抜きにして)。ほんとこの先生は教え上手だし褒め上手だ。'Matty's Men'だったか、見るからに音楽とは縁のなさそうないかつい男たちをよくあれだけ歌わせたものだと思います(最後のパブを出るときはなんか往年のマッドネス? みたいなことをやってましたね。もっとも、縁がなかっただけできっかけさえあればこういう人たちこそ「開眼」するとガラっと変身したりするもの)。

 最初の回で見たソリストの少女や窓拭き職人のショーンさんとかも真剣に「アニュス・デイ」に打ちこんでいたし、マローン先生も先生でカシオの電子ピアノかついで一軒一軒、レッスンに廻るという熱血指導ぶりです。こうでもしないと、自身の望むレヴェルにまで町の合唱団を引き上げることができないということがわかっていたからとはいえ、その生真面目さには頭の下がる思い。

 作曲者バーバー自身はこの曲のもとの作品(「弦楽のためのアダージョ」)ばかりが取り上げられることについて憤慨していたらしいですが、そんな作曲者みずからこれを宗教声楽曲として仕上げているのだから、内心はまんざらでもないと思っていたのかもしれない。とにかくこの作品はマローン先生の言うとおり、20世紀に作曲されたこの手の声楽作品としては最高だと思う――あの最後の、「われらに平安を与えたまえ!」と八つの全声部が登りつめてありったけのフォルテで絶唱するクライマックスとか、この曲の収録盤をいつ聴き返しても鳥肌が立ってしまう(もちろん、ニューカレッジのアルバム。蒸し返しになるが2001年・2003年に実演を聴いたときは全身が身震いするほど深い感動をおぼえたものです)。

 最上声部を担当する子どもたちのコーラスも加えたサウスオキシー合唱団、晴れの舞台はなんと、セントオールバンズ大聖堂じゃないですか(セントオールバンズは3世紀後半の聖人オールバンに由来)。Choral Evensongでもおなじみですが、英国の大聖堂にしてはわりと造りがちんまり(?)した印象を受けました。とはいえここの大聖堂のスクリーン(身廊と内陣とを仕切る障壁)はすごく立派。英国の大聖堂で中世以来の石造りのスクリーンが残っているのはそんなに多くはないはずです(古い石造りのスクリーンが残る大聖堂としてはたとえばチチェスター大聖堂やエクセター大聖堂、カンタベリー大聖堂とか)。

 たぶんBSで放映しているものは全曲ノーカットだろうと思いますが、あいにく地上波版は――はじまったと思ったらいきなりクライマックスで(苦笑)なんとも言えないのですが、とにかくこれだけの難曲を短期間でよく歌いこなしたものです。だいぶ前、某音楽教室の講師から発表会を聴きこないかと言われて聴きに行ったことがありました。生徒さんたちはみんな一所懸命にヴァイオリンを弾いたり、ピアノを弾いたり、電子オルガンを弾いたりと披露していましたが、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」をときどきつかえながらも演奏しているさまを見ていると、この曲ってじつはこんなにむつかしい曲なんだ、と思ういっぽうで、演奏者のこの作品にたいする強い思い入れ、自分はこの曲が大好きなんだという思いが伝わってくるのです。…番組を見ながら、そんなことを思い出してました。次回は最終回らしいので、忘れずに見るとしよう。とにかくこれはすばらしい企画だと思う。「合唱大国」らしい番組ですね(セントオールバンズの聖歌隊ってコリスターが24人もいるんだ)。

2). この前の「芸術劇場」、後半はなんと! NHK-FMでもオンエアされたピエール・アンタイでした! バッハの「イギリス組曲第2番 BWV807」やフローベルガーの「トッカータ ホ短調」やルイ・クープランの「フローベルガー氏を模倣して」のみごとな弾きっぷりを赤ワインを飲みながら、じっくり見ることができてうれしい。ピアノリサイタルしか行かない人にとっては意外(?)に思うかもしれないが、たいてい古楽器のリサイタルは暗譜ではなく、楽譜を見ながら演奏という場合が多い(アンタイの師匠のレオンハルトも同郷のコープマンもそう)。画面に大写しになっていたクラヴサン(チェンバロ)は溜息がでるほど黒光りして美しく、お値段はいったい…なんてよけいなことをつい考えてしまったが、それよりも右手側の側板に楽譜を照らすライトがのっかっていてややびっくり。あそこのホール(武蔵野市民文化会館小ホール)って暗いのかな? またオルガンもしくはチェンバロの企画よろしくお願いします、NHK教育さん。

 それにしてもアンタイって10年ぶりの来日公演だったんだ…自分は指揮者としてのアンタイさんを昨年5月に見たけれど、こんどはぜひ鍵盤楽器奏者としてのアンタイさんを聴きに行きたい。

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2010年02月28日

「グラゴル・ミサ」!

1). いやあ、まさかTVでも放送してくれるとは思っていなかったもので、先週の「N響アワー」で予告聞いたときは、ひとりで拍手喝采でした。

 で、見てみた感想としては…まさか巨匠シャピュイまでご登場とはこれまた思いもよらなかった(来日していたことも知らなかった)。しかも――以前紹介した、東京カテドラルの新オルガンのDVDのように――シャピュイみずから弾きながらストップの説明までしてくれまして、心憎い演出もりだくさん。なるほど、NHKホールの大オルガンの「機械ストップ」って、ストップボード向かって左端の列に並んでいるのかな(番組では「トレモロ」をかけるストップを引っ張り出していた。コラールの定旋律に使われる柔らかいリード管も、ひとたびトレモロがかかるとなんとも言えない心地よいうねりが生じていいですねぇ)? Voix Humaineストップは三段目の手鍵盤だから、演奏者のすぐ上、オルガン技師望月氏父子の作業していた「ブルストヴェルク」のパイプ室にあるみたい。

 ここのホールの大オルガンは日本初の本格的コンサートオルガンで、いわゆる「万能型」の楽器。で、この楽器のあと、しばらくはこの手の楽器ばかりが増えてしまった。模倣好きな国民性なのかどうかはわからないけれども、とにかくこの楽器の「亜流」はひじょうに多い。真に個性的というか、その音響空間にふさわしいオルガンが建造されはじめたのはここ十数年くらいではないかな。

 NHKホールの楽器は旧東独のカール・シュッケ社製で、望月氏は建造当時からこの楽器に携わっている人らしい。90ストップというのは実働ストップ(speaking stops)の数で、じっさいにはさまざまな「機械ストップ」とか、「ツィンベルシュテルン」と「グロッケンシュピール」ストップがあるから、もっと多い(後者ふたつの「打楽器ストップ」は1984年に改修されたときに追加されたもので、それもふくめれば実働92ストップになる)。TVではややわかりにくいけれども、五段目の鍵盤は演奏しやすいように、気持ち手前に傾斜している。

 ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」は1926年に作曲されたもの、ということしか西村先生は言わなかったけれども、とにかくこの作品はオルガンが活躍する曲、ということしか知らなくて、また演奏される機会がひじょうに少ない。なのでオルガン好きとしては、12月定期でこの希少な(?)プログラムを組んでくれたマエストロ・デュトワには感謝しなくてはならないかも(glagolicは、9世紀なかばにいまのスラヴ地方で布教活動を行ったキュリロス・メトディオス兄弟のこしらえた、スラヴ圏最古のアルファベットのこと。のちにいまのキリル文字へと取って代わる)。

 NHKホールのオルガンの保守業務を長年、つづけている望月氏のお話はとても興味深くて、こういう裏方さんの話を聞くのがなにより大好きなほうとしては、頭が下がりっぱなしである。この企画を実現してくれた方に感謝! m(_ _)m

 …でもなんか最近、ここのホールはオルガンリサイタルそのものをやってないんじゃないかという気が…するのですが。

 そういえば…番組中に説明のために携帯型オルガンの「ポルタティフ portative」が出てきたけれども…岩槻アナが、「木管、金管(プリンシパルのこと)、…チャルメラ??」と言ったあとの妙に間のぬけた沈黙が個人的には受けました。たしかにリード管のあの音って、チャルメラ以外のなにものでもないですよね…ちなみにNHKホールのオルガンには鉄砲よろしく突き出した「水平トランペット」というのがありますが(サントリーホールとすみだトリフォニーホールの楽器にもある)、あれも単独で使ったらまるで壊れたチャルメラ。でもほかの音色とうまくブレンドして使うと効果を発揮するからあら不思議。「オルガン作りの長い歴史には『わさび』まで用意してある!」とか、『残響2秒』という本で昔読んだ記憶がある。たしかに。言い得て妙とはこのこと。

 …でもオルガニストの出入口の内側があんなふうになっているなんて、はじめて知った。てっきり通路は通路として仕切られているのかと思っていた。オルガニストも保守点検の人が出入りするのとおんなじ「パイプ室」のすぐ脇を抜けてコンソールへ向かうんですねぇ。それと昔はすけすけの「手すり」しかなかったけれども、最近は手すりを覆うようにして赤いカバーがかけられているんですね。

2). きのうの朝の「ウィークエンド・サンシャイン」。バラカンさんがデイヴィッド・サンボーンの新譜を紹介していましたが、そのタイトル、Only everythingの訳がちょっと引っかかった。…「(サンボーンにとって、敬愛する故レイ・チャールズは)すべてにすぎない」という意味だという…Only everythingと聞いた瞬間、「彼はすべてにほかならない」と理解していた当方は「え? そうなの?」と当惑してしまいました…うーん、これはそんな斜に構えた言い方だったのか? 「彼はすべてにすぎないさ」ということなのか、それとも「すべてにほかならない」のか…耳で聞いた印象は、まるでちがいますね。英語はむつかしいな、いや、日本語のほうか(溜息)。

本日のおまけ:NHKホール→シャピュイ→仏人オルガニストときて、四半世紀前、NHKホールの大オルガンをまるで巨大なおもちゃのごとく、とてつもない超絶技巧を駆使して弾きまくっていた人がいたことを思い出した。その人はジャン・ギユー。1930年生まれだから、ちょうど満80歳になりますか。というわけで、ギユー先生の「妙技」をとくとご覧あれ。この曲をこんなふうに弾けるのは、この人だけかもしれない↓



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2010年01月17日

こんどは町中みんなが合唱団

 あいにく前編は見逃したけれど、前回の放映分はしっかり録画(いまのTV受像機といっしょに買ったVHSつきDVDレコーダー)。で、見てみましたが、今回も企画もの? かどうかはわからないけれど、けっこうおもしろかったですね。

 マローン先生は現地ではアイドル(?)的な人気者らしいけれども、ロンドン交響楽団の合唱指導や「マタイ」で福音史家を努めるなど、とても30代前半の若い先生とは思えないくらいの活躍ぶりです。以前見たThe Choirboysのときもそうだったけれども、教え方がとてもうまいですね。乗せ方がうまいというか。とくに児童合唱では長時間のレッスンに飽きて好き勝手なことしはじめる子どもたちに、結成わずか5年で英国ではすでに知られる存在となった児童合唱団の歌声を聴かせて奮起させるとか。もっともみんな合唱経験のないずぶの素人、'Tears in Heaven'はやや危なっかしかったけれども、数か月間でよくこれだけの人数の歌声をひとつにまとめあげるものだと感心しきり。大人の合唱団も負けじと大健闘。窓拭き職人のディーンさんのことばだったかな、たしかに人間というのはなんらかの「帰属意識」というものが不可欠なのかもしれない。とくに欧米では行き過ぎた個人主義がはびこっているようなところがあるから…この欧米流の個人主義、個人的にはデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり…('Je pense donc je suis')」あたりからはじまっているんじゃないかと思ってるけれども…。それはさておき、サウスオキシー・コミュニティ合唱団の初舞台では、地元のCDショップで働く青年くんのソロもなかなかだったけれども、やはり大勢の聴衆を前に緊張(?)したのか、もうすこし声量があるともっとよかったように感じた。それでもこの青年の声の素質を見抜くマローン先生の耳はさすが、という感じ。もうすこし場数を踏めばもっとよくなるでしょうね。またこの青年は正規の音楽教育を受ける機会に恵まれなかったから、いまはこうして日々の生活のために働いているけれども、音楽の夢はあきらめきれないと話してました。サウスオキシーという町は――英語版Wikipediaによるとかつてはマナーハウスがあったとか――労働者層の多く住む町で、いまだに偏見の目で見られたりもするようですが、そう、ほんとうに自分のやりたい事があるんなら、かんたんにあきらちゃいけないですね。がんばれ! 

 …先週のBBC Radio3のChoral Evensongは「御公現の祝日(主の公現)」で、聴いていたら、聖書の朗読(「東方の三博士」訪問のくだり)にまじってイヴリン・ウォーのHelena(邦訳『十字架はこうして見つかった――聖女ヘレナの生涯』)の一節が出てきました…ウォーってこういう作品も書いていたんだ! こんど図書館に行ったら探してみよう。最後のヴォランタリー、バッハの「オルガン小曲集」から「汝にこそわが喜びあり BWV.615」が、いかにも小躍りしそうな快活なテンポで演奏されてました(バッハのこの編曲の場合、コラール定旋律はかなーり最後のほうになってから足鍵盤で出てくる)。



 …現日本ハム一軍投手コーチの小林繁氏が急死したという一報には驚かされた。また桑田真澄氏の父上の悲報にも…ほぼときおなじくして、N響でもおなじみだったドイツの巨匠スウィトナー氏も亡くなった(8日)。先週の「N響定演」では、スウィトナー氏を追悼して、バッハの「管弦楽組曲 第三番 BWV.1068」から有名な「エア」が演奏されてました。合掌。

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2009年12月30日

今年も残りあとわずか

1). きのう29日は、「カンタベリー大司教トマス・ア・ベケットが暗殺された日」でもありますが、アレッド・ジョーンズの誕生日でもある。39歳ですかー、まずはおめでとうございます。と、BBC Musicの取材記事とか見ながら書いてます。「100年にひとりのボーイソプラノ」と騒がれた少年時代ですが、本人はいっこうにそんな意識はなくて、当時を顧みてこんなこと言ってます。

'... At the time, I never really thought there was anything that amazing about my voice. I was just a member of the choir at Bangor Cathedral abd was proud of that, though I did notice that a lot of solos started to come my way.(下線強調は引用者)'

アレッド自身はソリストとしてよりも、「みんなといっしょに」歌いたいタイプだったようです。なのでソロ活動と聖歌隊員としての活動が両立できなくなったとき、聖歌隊長の判断でソロ活動にのみ集中することになるのですが、本人としては「ひじょうに残念な思いだったけれども、バンゴア大聖堂を去るしかなかった。いまでも、大聖堂聖歌隊という環境のなかで育まれるあの特有の仲間意識を懐かしく思い出すよ」と語ってました(原文の'camaraderie'は、和風の言い方にすれば「おなじ釜の飯をくった仲間」という感じ。前にも触れたけれども聖歌隊のOBの仲間意識はそうとう強い。おんなじような仲間意識ないしアットホームな感覚は、OBが手伝いに駆けつけるTFMのクリスマスコンサートや定演でも感じますね)。

 そういえば数年前にここに書いたアレッドの自伝に、ちょっとおもしろいエピソードが出てきます。ロイヤル・アルバート・ホールで舞台を終えたアレッド少年。当時、彼の両親は舞台袖ではなくて、一般の聴衆と混じって客席から見守っていた。アレッドは客席で待つ両親のもとへ、迷路のような舞台裏通路を急いで向かっていたら、いきなりひとりのでかいおっさんが泣きはらした目をして汗だくになって現れ、アレッドの手に紙切れみたいなものをねじこんだ。「きみの歌にすっかり心を奪われた。ありがとう。きみの歌にどれほど助けられたことか」と口ごもりながらしゃべった。手許を見たら、5ポンド札らしかった。「ありがとう。でも困ります。こんなにしていただいてうれしいのですが、歌うことはぼくの仕事なんで」と男に紙幣を返そうとしたものの、けっきょく手の中に押しもどされてその男は廊下を走り去ってしまった。手を開いてよくよく見たら、5ポンド札かと思いきやなんと50ポンド札が二枚も!! 当時の英国ポンドがどれくらいの価値なのかはちょっとわからないけれども、すくなくとも子どもが一度に手にする金額をはるかに超えていたであろうことは想像に難くない。で、けっきょくその翌朝、リージェント・ストリートにある世界最大級のおもちゃ屋ハムリーズに開店早々、買い物に行ったとか(p.56)。貯金はしなかったんだね(笑)。宵越しの金は持たないほうかしら(↓は、現在発売されているボーイソプラノ時代のアレッドのアルバム)? 

アレッドのCD2枚


2). 「バロックの森」、今年最後の一週間は…バッハによる年末年始のカンタータを中心に。「クリスマス・オラトリオ」は本来、クリスマス以降の礼拝用に作曲された6つのカンタータの集合体。なので27日は、その日の礼拝用として作られた「第三部」を、そして――もうすぐだけど――来たる元日、「イエス命名日」の礼拝用として作られた「第四部」を流すという、なんとも親切なプログラム。月曜の朝はしょっぱなから朗々と「幻想曲 ト長調 BWV.572」がかかりましたね。朝からオルガノプレーノ、朝から大音量(笑)。アンドレア・マルコンって女流奏者なのかな、端正な演奏でよかったです。火曜日の「ゴルトベルク」のアリア主題、ピエール・アンタイの独奏もすばらしかった。で、そのゴルトベルク本人が作曲したという「チェンバロ協奏曲 変ホ長調」というのは初耳で、おもしろかった。あとで音源を調べてみよう。けさは、バッハへと至る北ドイツオルガン楽派の作品がかかりました。アンドレーアス・クネラーなる人の「前奏曲 ニ短調」という作品も聴いたことがなかったのでひじょうに興味深かった。…構造としてはブクステフーデばりの、短い前奏曲→小フーガ→前奏曲という定石パターンでしたが。で、おや、元旦はなぜか(?)ジェレマイヤ・クラークの「トランペット・ヴォランタリー」がかかるんですね…。ふたたび寒波襲来で、冷たい「オオニシ」が吹きまくりそうですが…。

 …先日、こちらのサイトにてクリスマスにまつわるオルガン作品をいろいろと聴きましたが、ひさしぶりにレーガーの「クリスマスの夜」なんて作品も耳にした。いかにもレーガーらしい(?)暗い出だしなんですが、後半、グルーバーの「きよしこの夜」の旋律が出てきます。ちなみにレーガーという人はオルガンはまるで弾けなかったらしい。それでいて「難曲」ばかり書いているのだから、すごいと言えばすごい人かも(いやヘンな人?)。声楽好きの方には、「マリアの子守歌」の作曲者、と言ったほうがピンとくるかもしれない(TFMのクリスマスコンサートでもこの愛らしい作品を歌ってくれますね)。

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2009年12月05日

WSK vs. 近隣住民

1). ウィーン少年合唱団(WSK)が自前の「専用コンサートホール」を建設予定だ、ということはたしか2年ほど前にここでも触れたような…記憶がありますが、その後すっかりこのことは忘れてました。…ところがここにきて、近隣住民とのあいだで険悪な事態に発展しているようなのです。

 先日、地元紙夕刊に掲載された記事。珍しく(?)WSKがらみの記事だったので、?? と思ってよくよく見たら、「ホール建設で"バトル"」とあり、なんとその「専用コンサートホール」建設反対運動が起きていて、当事者間でかなりもめているというのです。

 この件にかんしていろいろWebサイトとか検索してみたのですが、あいにく参考になりそうなめぼしい記事が見当たらず(せいぜい英語版Wikipediaの記事にちょこっと言及があったくらい)。とにかく地元紙記事によれば、WSK側は2006年に本拠地すぐとなりのアウガルテン公園内に座席数380ほどの専用コンサートホール建設計画を発表したが、近隣住民がいっせいに猛反発。公園に泊まりこんでの抗議活動を展開。

 WSKは、公園の地権者であるオーストリア政府と年1万ユーロ(いまのレートで約145万円)にて賃貸契約を結び、昨年には着工するつもりでいた。ところが建設計画発表直後から反対派市民のテント村が建ち、市民が交代で泊りこむなどして建設絶対阻止の実力行使に出た。反対派市民の言い分はなんといっても「騒音問題」。ホール開業ともなれば来場者の車の騒音は避けられない。WSK側もこうした反対派の意向に配慮し、駐車場は公園から離れた場所に設け、コンサートホールの設計じたいも当初の計画より縮小してなんとか来年はじめには着工したい考え。とはいえ反対派住民は「ヴィーンにはじゅうぶんな数の音楽ホールがあるのに、なんでここに作る必要があるのか」とこちらも一歩も引かない。「ここはみんなのものだ。なぜほかの場所ではだめなのか」。反対派の代表いわく、「合唱団に反対なのではなく、アウガルテンへの建設に反対している」。

 現場では10月にボーリング調査がはじまり、WSK当局と反対派住民のあいだの緊張がいっきに高まったりしたらしい。いずれにせよWSK側も、「寄宿舎にも近いすばらしい環境で少年たちを育てたい」とやはり一歩も引かないかまえ。かたや「専用ホールをもつことは長年の夢」、かたや「なんでここに建設するんだ? 騒音が不安だ」。こういったもめごとは、洋の東西を問わず、こじれると泥沼になりますね。円満解決すればいいけれども。

2). 昨晩、放映された「芸術劇場」。dystoniaなる「難病」に侵されて右手の自由を失い、35年後に奇跡的に両手での演奏ができるようになったピアニストだという。自分は寡聞にしてこの演奏家のことを知らなかったのですが、来日公演の前半がバッハ尽くしだったので、興味津々で見入ってました。「100年に一度の天才」と言われた若かりしころから右手の自由を失ったこと、その後もあきらめずに左手だけで演奏をつづけたこととかご本人が話されてました。話される内容もいちいちもっともで、うなずかされることばかり。ピアノ弾きが手の自由を奪われることは死刑宣告にも近いから、ある日突然、右手が使えなくなったと知ったときには自殺も考えたという。むりもないことです。でもそれがジストニアという脳神経系の病気だとわかり、またボツリヌス毒素による治療をへて罹患後35年をへて奇跡的に快復、ふたたびピアニストとして両手で演奏できるようになったといいます。こういう苦しい、茨の道を歩まれた方だけに、やはり発言も的を突いています。フライシャーさんは来日時に若い演奏家の卵にレクチャーも開いたそうですが、過酷な競争を強いられている若い演奏家にかつての自分の姿を重ねて、心配になると言います。「何時間もばかみたいに練習してはだめだ。これは自分の考えにすぎないが、そういうことが脳に混乱を引き起こすことになるかもしれない。美術館に行ったり庭園を散策したり、そういった体験を重ねて感受性を深めることこそよい演奏には不可欠だ」。

 来日時のレッスン中にひとりの生徒にかけたことばも印象的でした。

'Trust your singing, and listen to what you're singing; because that's usually a good indication of the kind of the sounds that you want.'

「自分で歌ってごらん。それを信じて、耳でよく聴くんだ。たいてい、それが自分の求める音をつかむのによい方法だから」。かつてヴァルヒャが、一声部ずつ生徒に歌わせたというのとたぶん、おんなじことを説いているのだと思う。

 フライシャーさんの奏でるバッハは、演奏者自身も言っていたように、「音楽の本質」に迫るもののように感じたし、各旋律の「流れ」もきわめてクリアに響いて、聴いていてひじょうに心地よかった。深い精神性も感じられる演奏。やっぱり「いろいろな人生体験」が演奏にも反映されるものなんだなぁと感じた。「演奏もまた人なり」です。「狩りのカンタータ」第9曲目の「羊は安らかに草をはみ BWV.208」は絶品!! ペトリ編曲、とあるけれど、リコーダー奏者のミカラ・ペトリだろうか? ブラームス編曲の「シャコンヌ」ももちろんよかったのですが、以前、舘野泉さんの演奏盤で聴いたことがある。これって右手を故障したクララ・シューマンのために、左手だけで弾けるようにブラームスが編曲したものだという。もっともフライシャーさんによると、「オクターヴ下に移調しただけ」で、オリジナルそのものだという…ということはときおり両手も使えば、自分にも弾けるかしら? 

 またはじめて知ったことだが、この難病に苦しむ演奏家が国内だけでも200人はいるというのも驚いた。そんな演奏家に向けたメッセージにも、心を打たれる。

'Don't give up! You're absolutely right. So however difficult, don't lose your hope, and be flexible, be open to a new possibility, and you'll probably have a great, great life, as this happens to me.'

「あきらめてはいけない! あなたはけっしてまちがってなどいない。どんなに困難であっても、希望を失ってはいけません。柔軟になること、あらたな可能性に目を向けることです。そうすればすばらしい人生を送れるかもしれません。わたし自身のように」。天邪鬼な一リスナーは、ただ頭を垂れて聞き入るのみ。

 …いま聴いている「名曲のたのしみ」。ハイドンの「ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.16-19」が流れたら、あれれ?! どっかで聴いたような旋律が…ってこれって「いつも何度でも」じゃないの?!! これがあのメロディーの着想源なのか??? 

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2009年11月29日

待降節第一主日

 今日29日はAdventの開始を告げる日曜日。Advent calendarをもっている人はクリスマス当日まで一枚一枚、「窓」めくりするのが楽しくなる季節だろうと思います(クリスマス前の四週間がAdventなので、年によって開始日が異なる。今年は奇しくも「バーの聖ブレンダン」の祝日と重なった)。ついでにNYTこの記事みたいに、米国ではほとんど狂乱(?)ともいえる「ホリディシーズン」の買い物の季節の到来でもある。米国では感謝祭は今月の第四木曜日で、法定休日。商店も当然休業なんですが、某小売最大手みたいに翌日の午前零時から大幅に値引きした商品を売りはじめたりします。これをなんと! 米語用法でBlack Fridayという。意味するところはもちろん、金曜日になると「黒字」に転じるから。こちらのIT関連ニュースサイト記事にもあるように、リーマンショック以来、この風物詩(?)とも言えそうな「買い物熱」は落ちこんでいるとはいえ、あいもかわらずという感じもしないわけでもない。この意味でのBlack Fridayの用例は手許の辞書には載っていなかった。やはりこういうときはWebのほうが役に立つ。

 いま「クラシック・リクエスト」を聴きながら書いてますが、すこしばかり手持ちのCDについていくつか書いてみようと思いました。書評もどきはときおり書いたりしていたけれども、CDについてはまとまって書いたことがなかったもので。備忘録みたいなものです(番組でかかった、巨匠デムスの弾いた「旅立つ最愛の兄に思いを寄せる奇想曲 BWV.992」はさすが、という感じ)。

 手許のCDはバッハの鍵盤作品と少年合唱ものがほとんど。どれもそれぞれに思い出がありますが、最近買ったなかでもっとも印象に残っているのがトゥルーロ大聖堂聖歌隊の歌うオーランド・ギボンズの宗教・世俗声楽曲集Peace on Earth。英国の独立系レーベルのひとつLammas Recordsから出ているもので、これがすこぶるいい! のです。

 トゥルーロ大聖堂聖歌隊はいわゆるModern Foundationとしていちはやく設置された司教区なので、そんなに古い歴史があるわけではありません(トゥルーロ司教区設置は1877年)。でも聖公会系大聖堂聖歌隊のレヴェルとしては、たぶんトップクラス…に入ると思う。第一曲目の'The Silver Swan'という「マドリガーレとモテット 第一集」に収められた歌曲を歌うソプラノソロを聴けば、たちどころにその実力のほどが了解されるのではないかと思います。VoAにいたとき、おなじくメンバーで作曲家のガブリエル・ジャクソン氏もべた褒めしていたくらい(ジャクソン氏はかなり辛辣なコメントを書く人だった。氏もまた聖歌隊員出身者で、リンカーン大聖堂で歌っていた)。英国の作曲家はたいてい聖歌隊員→音楽家というキャリアを歩むのがいわば「伝統」みたいなところがある。ギボンズも、もとキングズカレッジ礼拝堂聖歌隊の少年隊員出身(兄のエドワードはキングズカレッジの少年聖歌隊長を務めたことがある)。その後ウェストミンスター・アビイのオルガニストも務め、作品数こそそんなに多くはないが、ヴァージナルやオルガンのための作品や、「ヴァイオル・コンソート(Viol Consort)」のための作品も残しています。でもやはりギボンズとくると、Choral Evensongでもおなじみの声楽曲、とくにVerse Anthemと呼ばれる作品が有名です。対位法の卓越した使い手としてもその名は知られています。

 ヴァース・アンセムというのはア・カペラで歌われるフル・アンセムにたいして、独唱と合唱が交互に交代する形式で歌われるアンセム(英語のモテット)のこと。ヴァース・アンセムはオルガンや器楽の伴奏がつきます。だれがいちばん最初にこのヴァース・アンセムを書いたのか、については定説ではウィリアム・バードということになっていますが、正確にはいまだにわからないらしい。*1 ギボンズはウィールクスやトムキンス、モーリーらとともにこの形式を発展させた作曲家として認識されています。たしかにこのディスクに収録されたギボンズのヴァース・アンセムはどれも美しい。少年隊員によるソプラノ独唱と合唱とのかけあい、ソプラノとアルト(カウンターテノール)の独唱どうしのかけあいもひじょうに美しくて、まさに至福の音楽。なかでもその頂点と言われるのが「見よ、御言葉は肉体となりぬ('See, see the Word is incarnate')」で、トゥルーロの少年聖歌隊員のソロは絶品。天上の妙なる歌声、という感じです。残念ながらここのアルバムはこれ一枚しかもってないので、もうすこし集めたいところ。ときおり挿入されている「パヴァン」、「ガイヤルド」、「グラウンド」のチェンバーオルガン曲も気分転換になっていい。ライナーによると音楽監督のリチャード・シャープという人は、2002年からトゥルーロに着任したようで、前任はリッチフィールド大聖堂聖歌隊の副オルガニスト。で、LFJに行ったときに山野楽器にて'Begone dull care'というやはりおなじくLammasから出ているCDを買ったのですが、これがそのリッチフィールド大聖堂聖歌隊のアルバムで、オルガンはたしかにこの人が弾いていました。こういう偶然もあるのですね。もちろんこっちのほうも負けてなくて、10年くらい前に録音されたものですが、音質・演奏ともにすばらしいです(↓は、The English Choristerの「見よ、御言葉は肉体となりぬ」譜例掲載箇所とトゥルーロのアルバム)。

トゥルーロのCD


 つづいて印象深いディスク、とくるとリチャード・トレーガーがクラヴィコードで弾いたバッハの「フーガの技法」。クラヴィコードで弾いた「フーガの技法」というのはこの盤が最初なんだろうか…それはともかく、クラヴィコードという楽器はひじょうに繊細な響きが特徴。言い方を変えると、「音が細い、小さい」。なので室内楽向けのわりとちんまりしたホールでも聴き取りにくい。やはり「家庭用の楽器」だと思う。それでもこの楽器を選んだのは、この楽器の音響には最高の透明性があるからだと演奏者はライナーに書いています。それにつづいて、あのシュヴァイツァー博士が『バッハ』のなかで、クラヴィコードは「小規模の弦楽四重奏団である。この楽器では楽曲のどんな細部も造形的に浮び出てくる(『バッハ』中巻 p.55)」と書いてあることも引いています。またライナーに記された録音技師のコメントもおもしろい。*2

The Clavichord is a quiet instrument, but it can fill a room with extraordinary resonance. The goal of this recording is to reproduce that effect, as it would be heard by a nearby listener. For the most realistic quality, play these recordings at a low volume level. The variations in color and dynamics are the player's own, and have not been artificially enhanced(下線強調は引用者).

 でもマイクの位置がほとんど楽器にくっついている(?)せいか、それほど音量を上げなくてもけっこうビンビン響いてくる。演奏者自身のつけた微妙なタッチの差によるヴィブラートもまたビヨンビヨン響いてくる(笑)。すこしわざとらしい感じもしないではないが、慣れてくればどうということはない。それよりもこの大作(そして難曲)をクラヴィコードでここまで表現してしまう演奏者の力量のほうにうなってしまう。演奏者によると「未完のフーガ」の初版譜では1ページ分の余白が開いていたから、コーダまで46か47小節分、追加できたのではないかという(1983年に発表されたバトラーの論文の引用)。演奏者はやや少なめに40小節くらいで「終結」させたんだとか。「未完のフーガ」を聴く楽しみは、演奏家がどんなふうにこの曲を終わらせているか、というところにもある。トレーガーの補筆完成版も自然な感じでいいと思う。「補筆完成版」としてはチェンバロではダヴィッド・モロニー盤をもっていますが、トレーガーの「補筆完成版」のほうが好ましい気がする。

 最後に前にも書いた、椎名雄一郎さんの弾いたバッハメンデルスゾーンのディスクもとても印象的だったので、これも買いたい。って米国人のこと言えないな(苦笑)。

*1... The English Chorister, p.304 n.45. また同書によると、戦時中、セントポールの子たちがコーンウォルに疎開していたとき、トゥルーロ大聖堂の礼拝でトゥルーロの子たちと日替わりで歌っていたという(p.250)。

*2... 図書館にて『バッハ』該当箇所を確認したので試訳と差し替えましたが、なぜかquartetを「室内楽」なんてやってしまいました orz。このことばはほとんど日本語化しているので「ちいさなカルテット」くらいにしておけばよかったものを、ほとんど無意識のうちにquartet→「室内楽」という連想が働いて、ケアレスミスを犯してしまった。いずれにしてもこれは当方のエラー。たいへん失礼しました。m(_ _)m

 ちなみに英訳本からの引用文はつぎのとおり。'The clavichord is a string quartet in miniature; every detail comes out lucidly on it.' この前後の記述も興味深いものがあったので、またの機会に取り上げる…かもしれません。

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2009年11月08日

「大聖堂の雀たち」にコープマン

1). 先日の「芸術劇場」は、ひさしぶり! にオルガンリサイタル、それもあのトン・コープマン! とあっては、見ないわけにはいかない(笑)。その前に放映していた、ズビン・メータ指揮ウィーンフィルによるベートーヴェン「7番」ほかもすばらしかった。「7番」は全体的にテンポが気持ちちょっと速いかなとも感じたけれども、若い指揮者のように勢いに乗って突っ走る心配もなくて、聴いていて気持ちのいい快演でした。さすがは名門ウィーンフィル。SS席(?)なんか、さぞかし高かったんだろうな…でもテジタルハイヴィジョン対応受像機に買い換えたせいか、音楽番組はほんとすごい臨場感です。まるで会場にいるみたいだ。いままで見ていたのはいったいなんだったのだろうと…。写真で言えば、「'写るんです'からいきなり4x5インチの大判フィルムに切り替わった」ような、そんな感じです。

 で、つぎのコープマン。昨年9月の来日公演からでして、楽器は東京オペラシテイ・コンサートホールの大オルガン(大阪ザ・シンフォニーホールとおんなじスイス・クーン社の楽器)。この人の演奏の最大の特徴は、「弾いているのはオルガンなんだけどチェンバロみたいに弾く」こと。なのでチェンバロっぽい語法(奏法)が随所に出てきて、聴いていて理屈ぬきに楽しい。装飾音も、ほかの奏者とくらべてひじょうに多いですし。見入っているうちに、2005年11月の静岡音楽館AOIでのオルガン・チェンバロコンサートのこととか思い出してしまった(そういえばあのとき、ティニ・マトー女史との二重奏で「フーガの技法」から数曲、弾いてくれましたっけね)。コープマンは巨匠レオンハルトの弟子のひとりでもありますが、その派手な演奏スタイルはおなじオランダ人の師匠とはまるでちがう。だからなのだろう、若いときにヘルムート・ヴァルヒャの後任として独アルヒーフレーベルからバッハのオルガン作品全集を出すはずだったのが、あまりの新奇さ(?)に保守的なアルヒーフ側が難色をしめしてあえなくお蔵入りになってしまったという話もあるくらい。

 若いときの録音にくらべていまのコープマンはゆるぎない演奏様式を確立して、親しみやすさとともに堂々たる風格も感じられます。親しみやすい演奏とくると、たとえばサイモン・プレストンなんかもそうですね。でもいかにも英国人らしく几帳面さが前面に出ていて、少々のミスも気にしない(?)コープマンとはやっぱり「親しみやすさ」の中身がちがう。レジストレーションも奇をてらったところがなく、各旋律線をくっきり際立たせることに重点が置かれていることがよくわかります。

 「チェンバロのように弾く」コープマンの演奏スタイルは、プログラムにもあった北ドイツオルガン楽派の雄、ブクステフーデとかがぴったりです。そしてこの人の弾く「小フーガ BWV.578」はたぶん最速(笑)。3分くらいで弾き終わってしまうので、カップ麺のあたため時間として使うとちょうどいい(冗談です、もちろん)。でもページには「バッハを中心に…」とあったけれども、ブクステフーデのほかにはクープランの「修道院ミサ」とかあったし、バッハ作品はたったの二曲しかなかった(「小フーガ」と詩人中原中也が大好きだったという「パッサカリア ハ短調 BWV.582」)。

2). けさの地元紙朝刊の教育欄に、あの郎朗がなんと子どもたち相手にピアノレッスン! をしたという話が掲載されていて、ちょっと驚いた。でも記事を読んで納得。郎朗自身も、――重複失礼――「トムとジェリー」の「ピアノコンサート」でトムがリストの「ハンガリー狂詩曲 第2番」を鮮やかに(?)弾きこなすのを幼少時に見たことが、ピアノへの憧れをもつきっかけだったというくらいですから、「子どものときの音楽体験」をとくに重要視しているらしい。そんな彼なので、このような企画もたしかにうなずけるお話ではあります。また彼はこうも言ってました。「親の強制はダメだ」と。「親の期待でピアノが強制されているとしたら、それは音楽教育ではありません。心からピアノが好き、だから楽しみながら演奏できるという純粋な気持ちを持たせることが大切です」。今後は小中学校にも出張する計画だとか。おおいに楽しみですね(→主催者サイト)。

3). 「世界ふれあい街歩き」という番組。これけっこう好きなんです。こういう番組が作れるのがNHKのいいところ。もっとも放送じたいは終わっていて、再放送なんですが、たまたま見た南独の古都「レーゲンスブルク」の回。期待はしてなかったけれどもなんと、あの「レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊」のめんめんも登場! これはちょっと驚いた。彼らの通う学校(ギムナジウム)も紹介されてました。たしか本放送のときにも途中から見たおぼえがあるけれども、彼らについは記憶がトンでいるから、登場場面のあとから見たんだろう。2004年夏に来日したときにアルトパートを歌っていた子だと思うけれども、「トップの雀たち(聖歌隊の少年たちは、Domspatzen=「大聖堂の雀たち」という愛称で呼ばれている)」として練習のこと、みんなと歌うことが好きでなければならないこととか、ほかのひとりとともに聖歌隊活動についてしゃべってました(当然のことながら、背丈はずいぶん伸びていて、体つきもたくましくなっている)。紹介していた子はソプラノパートのオスカルくんという年少隊員さん。最後のほうで彼も練習に加わって歌ってましたが、とてもさわやかな、「雀のさえずり」にも似たソプラノヴォイスでした。「ぼくたちは毎週日曜日に歌ってますから、ぜひミサに参加してください!」とアピール。また「大聖堂の雀たち」はWSK同様、二種類の楽器演奏ができるようになることが必須事項のようです。

 余談ながら、レーゲンスブルクも昨今の日本同様、ゴミ問題とか治安の問題とかいろいろと抱えているようです。ゴミ問題では、番組でも登場していた「インディアン」なる渾名の男性。この方、旧市街外れにあるゴミ捨て場だったところを、なんとたったひとりで緑あふれる菜園に変えてしまったというすごい方。「市当局は見て見ぬふりさ」と見物人のひとりが言っていたように、いまやこの人は市民にとっては英雄的存在になっているらしい。と、ここでつまらない疑問が…この人、どうやって生活しているのかな? 番組で見たように、採れたての新鮮な野菜と引き換えに、応援してくれるみんなから入り用のものを「物々交換」してもらって生活してるのかな? 畑の脇にはテントみたいなものもあったし…でもこういうやりとりってすばらしい。子どもたちにも人気があるみたいだし、金がすべてみたいないまの世の中、こういう大人がひとりくらいいてもよいと思う。

 また大聖堂聖歌隊がらみではさるOBが、聖歌隊の送迎用の車が盗まれたとかこぼしていたのを以前、Almost Angelsというサイトにて読んだことがある。欧州の失業率もひどいし、いまも治安状況はけっしてよくはないだろう(番組でもそこここに落書きが写っていた。でも旧市街地区は世界遺産に指定されているから、車の乗り入れができないのかもしれない。通行車両をまったくといっていいほど見かけなかったので。すくなくともこれはいいことだと思う)。

 …「バロックの森」、今週はバッハ尽くしでしたが、来週のテーマは「追悼のための音楽」。しんみりしそうだ…。

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2009年10月31日

パーセルとブロウとメンデルスゾーン

 いま図書館から借りている2枚のCD。もう返さないといけないから、ちょこっとメモっておきます。

 一枚は巨匠レオンハルトの演奏したヘンリー・パーセルとその師匠ジョン・ブロウの鍵盤作品集。とくにパーセルのほうは400以上と言われる全作品のうち、オルガン曲はほんのひとにぎりしか現存していない。これはライナーにもあるように、王政復古期の国教会における典礼では大陸、たとえばドイツやネーデルラントほどにはオルガンは活躍しなかったことがあるように思う。オルガンが活躍するのはせいぜい詩編唱やヴァース・アンセム(フル・アンセムというのは基本的にア・カペラ)の伴奏、最後のオルガン・ヴォランタリーくらいだったから(いまも基本的には変わっていない)。またパーセル作と言われているオルガン曲にも偽作の疑いのあるものもあり、以前ここにも書いたけれどもじつはジェレマイヤ・クラークの作品だった、という場合もある。レオンハルトの盤でもそのような疑いのある作品が収録されていたけれども、それでもすこぶる新鮮で、おもしろい。師匠ブロウのオルガン曲というのもめったに耳にすることなんてないから、こういう組み合わせのディスクが図書館にあったことじたいがたいへんラッキーなことだったかもしれない(ちなみにこの図書館はほかにも掘り出し物のたぐいが多い。先日借りた東京カテドラル聖マリア大聖堂の伊マショーニ社のオルガンのDVDビデオとかもそう)。なかでもブロウの「ヴォランタリー ニ短調」はなんだかおなじ調で書かれたバッハの(作と言われる)有名な「トッカータとフーガ」冒頭部のモルデントを思わせるような装飾つきの下行音型ではじまるなど、スリリングな展開。ただし弾いているのはパーセルたちが使っていたような英国の二段手鍵盤の楽器、「ダブル・オルガン(チェア・オルガンもしくは訛ってクワイヤ・オルガンともいう)」ではなくて、オランダの教会堂に備わっているでかいオルガン(笑)。だからか(?)、パーセルとブロウの時代にはなかったはずの足鍵盤パートがところどころ出てきたりします(英国のオルガンに足鍵盤が備えられるようになったのは18世紀以降のこと)。

 オルガン曲のほかにハープシコード作品もいくつか収録されていますが、ライナーで目を惹いたのはパーセル作曲の「全音階によるグラウンド」。なんとこれ、バッハが「ゴルトベルク BWV.988」で使ったのとおんなじ通奏低音にもとづいて展開されているんだとか。1693年にパーセル自身の歌劇「年老いし独身者」から取られたものとも書いてあった。とにかくこれはひじょうに興味深い。バッハはこの作品の筆写譜をもっていたということなのだろうか? また「あたらしいアイルランドの調べ」なる小品はライナーにもあったけれども、たしかにモーツァルトっぽいところがありますね。パーセルの作風はたしかに斬新なところがある。時代を先取りしているというか。それにしても36歳で亡くなっているんですよね…師匠よりも早く。死因はよくわかってないらしい。

 もう一枚のほうは日本を代表するオルガニストのおひとり、椎名雄一郎さんがあの聖トーマス教会の「バッハ・オルガン」を弾いた録音盤。こっちも負けず劣らずいいんですよねぇ…バッハとメンデルスゾーンというある意味すばらしいカップリング。メンデルスゾーンもパーセルも今年が記念イヤー(昨年は師匠のブロウがそうだった)ですが、メンデルスゾーンのオルガン曲はけっして有名ではないけれども、どれも味わい深いものばかり。たとえばディスクにも収録されている「オルガンソナタ 第6番」。コラール「天にましますわれらの父よ」にもとづいて展開される一種の変奏曲になってまして、最後の静かに曲を閉じるあたりは作曲者自身の祈りというか瞑想といった感じで、聴いているほうも心洗われる思いがします。トーマス教会のこの新オルガンは2000年のバッハ没後250年を記念して建造されたもので、バッハが理想としていた音響を再現した楽器なんだとか。とにかくこの2枚のディスクは個人的にかなりおすすめです。

 …と椎名さん関連でクグっていたら、えッ、あのカザルスホールが閉鎖?! ってそれいったいどういうこと??? 

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2009年10月11日

サラブレッドの活躍と「四季」

1). …といっても競馬の話ではなくて、ご存知のとおりハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールにて、三浦文彰さんがみごと優勝! まずはおめでとうございます、と申し上げます。報道によると、三浦さんのご両親ともに音楽家らしい。でも技芸の世界はどこぞやの二世議員とはちがって「親の七光り」なんて通用しない。これはもっと生まれた才能と、たゆまぬ努力の賜物。それと少々の運が必要かもしれない。とにかくすばらしい快挙にはちがいありません。

2). …先週のBBC Radio3のChoral Evensongは、イタリア・アッシジから(カトリックだから表記はChoral Vespersになっている)。去る4日は「太陽賛歌」で有名な聖フランチェスコの祝日ということで、説教もフランチェスコがらみの内容。アッシジとくると、どうしても1997年の直下型地震で天井が崩落した聖フランチェスコ大聖堂が思い浮かぶ。今回収録で使われたのは12世紀創建というサン・ルフィーロ大聖堂。この町の守護聖人はてっきり托鉢修道会の祖聖フランチェスコかと思いきや、そうではなくて聖ルフィヌスという3世紀ごろの人。クラウディオ・メールロのモテットとかはあんまり耳なじみのない曲だから、とてもよかった(この人はオルガン作品のほうがよく知られている)。それと最後のオルガン・ヴォランタリーもフレスコバルディの「トッカータ第6番」。さきに見た東京カテドラルの新オルガン建造のビデオグラムじゃないけれど、やっぱりイタリアの楽器はプリンシパル・コーラスがひじょうに美しい、と思う。前にも書いたけれどもイタリアの古い楽器は一段の手鍵盤のみの「ひとつの大オルガン」というタイプが多い。製作者はアンテニャーティ一族とかが有名。でもあのDVDを見てはじめて知ったのは、申し訳程度ではあるけれども足鍵盤も備わっていたということ。ギエルミさんがフレスコバルディの曲とかも弾いていたけれども、コーダ部分で和音の補強をする感じで足鍵盤を使用していた。あのやわらかい響きを聴くと、イタリアの古オルガンは聖歌隊の伴奏に最適だということがわかる。当時求められていた音楽の条件に最適な楽器だったというわけですね。

 …もうひとつ、Radio3ついでにアレッドが進行役をつとめるThe Choir。こらちもぼんやりまどろみながら聴いていたんですが、なんと'Sakura'とか'Amanogawa'とか出てきて驚いた。マシュー・ホイットールという作曲家のその名も「四季(Shiki)」という作品(番組では作曲者本人が出てきていろいろしゃべってました。「四季」の歌詞は種田山頭火の俳句から取った['The text originated from a Japanese poet, quite non-Japanese poet Santoka Taneda, who was a travelling monk, a beggar monk, and he was very very unconventional, non-traditional Haiku, and there is incredible quality of the end completely at one with nature, not in very romantic sense, but very exposed, almost dangerous sense ... I found that quality very appealing...'とかなんとか、そんなふうに聞こえた]とか言っているので、かなりの日本通なのかも。自分よりこの国の歴史とかよく知っていたら、ちょっと恥ずかしいけれども)。この意欲的な作品を歌っているのがフィンランドの合唱団というのがさらに驚き(Naxosのライブラリーにありました! ホイットール氏はカナダ出身ですが、いまはフィンランドで活躍しているらしい)。メインはハイドンの「聖母マリアをたたえるミサ曲 変ホ長調(「大オルガン・ミサ」)」という作品でした。聴いたことなかったから、交響曲や室内楽曲ばかりに目が行きがちなハイドンにこういう作品もあったのか、という感じです。たしかに声楽作品も多いですよね。オラトリオ「四季」とか。そういえば「名曲のたのしみ」でも「小ミサ ヘ長調 Hob.22-1」という作品も聴きました。アレッドによると、オルガンはハイドン自身が弾いた…らしいです。

 …週末の「バロックの森」ではブクステフーデの「シャコンヌ ホ短調」とか、タリスの「四声のミサ曲」がかかりまして、こちらもよかったですね。

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2009年10月05日

「フーガの技法」を聴く技法(?)

 いまはたぶん絶版ではないかと思うけれども、漫画家の砂川しげひささんの『のぼりつめたら大バッハ』という大笑いすることうけあいの(?)「バッハ入門本」が手許にあります(個人的にたいへんウケたのは「御前試合Part2 バッハ vs. グールド」)。で、この中に「フーガの技法を聴く技法」なる項(pp.103-6)がありまして、砂川さんの友人の版元編集者は「フーガの技法」オタクだという。彼いわく、「未完で終わっているところが、じつに技法的である」。さらにつづけて言うには「したがってバッハはフーガの技法である。と同時にフーガは未完の技法でもある」と言ったとか(笑)。

 つい最近、武蔵野市民文化会館小ホールにて、この「フーガの技法」全曲をオルガンで弾くというリサイタルがある、という情報をつかみまして、さっそくホールのサイトに行ってみたらなんと完売御礼(最新ページにはもうリンクさえなし)!!! …新型インフルエンザを警戒しつつもこれだけはぜひ聴きたかったなぁ、と口惜しさをにじませつつ、門外漢の下手の横好きを承知の上で、ガス抜きしたいと思いました(苦笑)。もしこの演奏会に行かれる方が「予習をしておこう」とググったりして万が一、この記事がひっかかっても当方は一切の責を負いません(笑)。それはそうと、行かれた方の感想とかはぜひぜひ読んでみたいものです。

 バッハは晩年、器楽でも声楽でも大作・傑作と呼ぶにふさわしい作品をつぎつぎと作曲していきましたが、ことに器楽作品では「音楽の捧げもの BWV.1079」とか「『高き御空よりわれは来たれり』によるカノン風変奏曲 BWV.769」とか、たんに「聴くための音楽」というより音による幾何学と言ってもいいくらいの数学的構築性が前面に押し出された作品も目立つようになります。もっともバッハの音楽って、わりと親しみやすい「ゴルトベルク」だって厳格な構造のカノンがいくつも含まれているし、このような「数学的」な音楽は「平均律」にも「インヴェンションとシンフォニア」にも認められること。そんなバッハなので、最晩年になっていよいよ対位法という作曲技法の「奥義」をきわめようと思い立ったのも、むりからぬ話ではあります。

 しかしながら…「フーガの技法」ほど、謎だらけの作品もほかにないと思う。解決済みの問題(どんな楽器で弾くか、とか)もあるけれども、たとえば「未完フーガ」はこの曲集に含まれるものなのかどうか、「2台のクラヴィーア用」に編曲された「鏡像フーガ(13番a/b)」は本来この曲集に入るべき作品なのか、初版楽譜と自筆譜にしたって食いちがいが多くて、どこまでがバッハ自身の息のかかった彫版なのか、などまだまだ多くの謎が残されてもいます。

 ひさしぶりに、手許にある「フーガの技法」のCDをぜんぶ引っ張り出してみた(手許に11枚、あと図書館から借りて聴いたディスクとかもあります)。ディスクのなかには演奏者自身が解説を書いているものも多くて、それぞれになるほどと思わせるところもあるし、そんなわけなかろう、みたいな箇所もあったり(たとえば「4つのカノン」にそれぞれ水・空気・火・地をあてはめた仏人オルガニストとか。これはたぶんシュテークリヒの仮説をそのまま流用したんだと思う)。またつい最近、Naxosのライブラリー試聴のときに知って、ほしいと思っていたリチャード・トレーガーのクラヴィコードによる演奏盤も手に入れたので、エマール盤やタヘツィ盤など、あらためて聴きくらべてみました(あとできればヨハネス・エルンスト-ケーラーによるオルガン演奏盤もほしいところ)。

 エマールの演奏と「フーガの技法」については過去記事にてかんたんに書いているので、ここでは重複しないていどにもう一度おさらいしておきます。

1. 作曲年代 最新の筆跡・透かし模様研究によれば、「平均律」および「ゴルトベルク」完成直後の1742年ごろから着手したのではないかという。…つまり以前よく言われていた、「音楽の捧げもの」の「王の主題」から着想を得て「フーガの技法」全曲を貫く「基本主題」をこさえた…というのはまちがい、ということになる(とはいえ両者はよく似ている。とくに「転回形」主題と「王の主題」の類似性は無視できない[マルセル・ビッチ著『フーガ』文庫クセジュ、白水社、pp.62-3])。

2. 楽曲配列について ここで問題にする「配列」とはじっさいの演奏会用ではなくて、あくまで作曲者が意図した「出版用の」配列。当時の慣習からして「全曲演奏」というのはおそらく想定していないと思う(「連作」をすべて演奏する、というのは19世紀以降の発想)。とにかくバッハはContrapuncs 11までは確実に彫版を監督していたらしいから、Contrapunctus 1-11までは「初版楽譜」どおり。その後は「初版」では混乱していて、あてにならない。また「4つのカノン」は本来どこに配置される予定だったのか」についても「全曲の掉尾」という意見(バトラーなど)もあれば、「クラヴィーア練習曲集 第三巻」の「4つのデュエット」のように、終結を飾る堂々たるフーガ(BWV.552、「聖アンのフーガ」と英国で呼ばれているもの)直前に配されるべきとして、「未完フーガ」の直前だったという意見もある(ヴィーマーなど)。また「初版」では3声と4声の「鏡像フーガ」二曲の順序があべこべになっている。自筆譜(「ベルリン自筆譜」SBB-PK P200)に書かれてある順序が本来の姿。また「鏡像フーガ」13番の「2台クラヴィーア用編曲」は、やはりこの曲集には含めないほうがよいように思う。これはよくある「編曲の必要に迫られて」作曲したものかもしれないけれども、自由な声部をひとつ追加したためにきちんとした「鏡像」にさえなっていないから、やはりこの曲集にはふさわしくない。

3. 「自筆譜」は印刷版下そのものの「清書譜」なのか? 「ベルリン自筆譜」と呼ばれているバッハ直筆の楽譜については「初版」といろいろな点で食いちがっている。音価が倍になったり、拍子が変更されていたり…そもそも自筆譜からしてあまりにも「訂正」ないし「推敲」箇所が多い。小林先生とかも書いているけれども、やっぱり自分も「ベルリン自筆譜」は「決定稿」ではない気がする。強いて言えば「決定稿」半歩手前のものかな? 

4. 演奏楽器について すでに1920年代にリーチュという人が「これは鍵盤楽器、とくにチェンバロ独奏用として」作曲されたものだと結論づけている。「チェンバロ派」の代表はレオンハルトで、やはり独自に論文を発表して、この作品がチェンバロを想定して作曲されたものであると結論づけている。ただしレオンハルト説では「未完のフーガ」は本来、この曲集とは無関係のものと一蹴している。ひとつの根拠として、「未完フーガ」抜きで小節数を数えると「平均律 第一巻」とおなじ小節数になるとか…また「24」という数字にこだわって「フーガの技法」も本来、24曲のフーガとカノンからなる曲集になるはずだったとか主張している人もいるけれども、「数象徴」に走る研究者同様、恣意的かつ的外れかと思う。だいいち、「ひとつの主要楽句にもとづく、ありとあらゆる種類のコントラプンクトとカノン(『故人略伝』)」が目的の曲集と、方向性じたいがちがう「平均律」とおなじに作る必要はまったくないし、バッハほどクリエイティヴな天才が「二番煎じ」みたいな試みをするとも思えないし。語法的には当時のオルガン手鍵盤の音域を逸脱した箇所(「10度のカノン」)もあるし、あきらかにチェンバロとかクラヴィコードを想定していたと思うけれども、オルガンで弾いてはいけないわけでもないと思う。曲想によってはオルガンのほうが効果的だと思われるものも含まれている(「コントラプンクトゥス第7では、全4声部を経めぐってゆく拡大形の主題を、ペダルに移しかえ適切なレジストレーション[リード管がよい!]をほどこすことによって、聞こえやすくすることが可能」――タヘツィの解説から)。

5. 未完のフーガについて 「初版」では「3主題によるフーガ Fuga a 3 Soggetti」とあるが、19世紀末のノッテボームはじめ多くの研究者が指摘するように、やはり基本主題と組み合わせて終結する「四重フーガ」だったのではないかと思う。わからないのは、『故人略伝』にある、「…バッハは最後の病気に妨げられて、彼の構想からすると、最後から二番目のフーガを完成することも、4つの主題を含んでいて、後に4声部が全部、一音符残らず正確に転回されて現れるという最後のフーガを労作することもできなかった」という一文が真に意味するところ。「未完フーガ」のあとにもう一曲、つづくのか? それともこれは、3つの主題しか書かれていない「未完フーガ」とはまるで別物の話なのか? 第一主題がじつは「基本主題」の一変形、という主張もあり、やはりよくわからない。第一主題が提示される最初の部分はそれだけで自己完結した(「フーガの技法」では全曲がかならずしも厳格な古様式を意識して作曲されてはいないが、ここでは原形・転回形の組み合わされたストレッタの頻出する厳格な古様式に立ち返っている)フーガになっている。その後活発に走り出す第二の主題と有名なB-A-C-H主題が導入されるけれども、それぞれの新主題導入の「間隔」はどんどん短くなっている。ということは基本主題が導入される「間隔」はさらに短くなっていたかもしれない――つまり終結直前にちょこっと顔を出してあっけなく終わる、という構想だったかもしれない(バトラー)。

 最後は独断と偏見に満ちた(?)各「コントラプンクト」について。

1. 「原形基本主題の4声単純フーガ」。厳格な古様式書法で書かれ、バッハのほかのフーガに見られるような明確な間奏エピソードは存在せず、教会旋法的で転調さえほとんどない。出だしの主題-応答提示は「十字架型」。最後でわりと「当世風な」書法の劇的な盛り上がりがある。
2. 「原形基本主題の4声単純フーガ」その2。前者がおごそかで中立、静的としたらこっちはせかせかとせわしなく動的。出だしはB-T-A-Sと「階段状」に主題が提示される。後半(69-70小節)ではじめて変形された主題が出てくる。自筆譜ではこの直後に終止していたが、「初版楽譜」ではバッハはこのあとにソプラノ主題提示を追加、数小節書き足している。
3. 「転回基本主題の4声単純フーガ」。フレスコバルディかフローベルガーを思わせるような半音階的な対位主題がまとわりつく。後半、変形された主題と原形主題の転回形が組み合わされる。
4. 「転回基本主題の4声単純フーガ」その2。「真正な」転回形主題ではじまる。この「単一主題グループ」最後のフーガは前3曲とがらりと変わって、自由な間奏部と提示部とが交互に交代する書法。最初のグループ中もっとも大規模なフーガ(138小節)。「コントラプンクトゥス4は室内楽だ(エマール)」
5. 「変形された基本主題とその転回形による反行フーガ」。ここでふたたび厳格な古様式に立ち返る。頻繁に複雑なストレッタが現れ、みじかいエピソードのかけあい部分も緊張感あるストレッタで書かれ、二番目は「鏡像」を暗示するかのようにたがいに声部を入れ替えて現れる。終結部は6声に達する。
6. 「変形主要主題とその縮小による反行フーガ」。「初版」で「フランス様式で」と書かれたフーガ。フランス風序曲を思わせる付点リズム音型が使われていることから、演奏家のなかにはここから「あらたな形式のフーガが開始される」という合図だと解釈する人もいる。三拍子系と四拍子系のリズムが混在しているが、当時の演奏習慣にしたがって複付点音符として弾いたほうが聴き手にとっても聴きやすい。変形された基本主題と転回主題とが交互に現れるが、たがいに半分の音価に縮小されたかたちと組み合わされる。
7. 「変形主要主題とその縮小・拡大による反行フーガ」。縮小形につづいて倍の音価に拡大された変形主要主題がからみあう。拡大された主題はまるでコラールの定旋律のように聴こえる。
8. 「2つの新主題と変形主要主題による三重フーガ」。ここではじめて3声部曲が現れる。ふたつ目の主題にはすでにB-A-C-H動機が含まれている(39-42小節)。
9. 「新主題と原形基本主題による二重フーガ」。ふたたび4声にもどる。ここでは12度でたがいにひっくり返って現れる転回対位という技法が使われている(8度の転回対位は基本的な技法ゆえに、独立した楽曲としては作曲しなかったと思われる)。全曲中、最大限に「躁状態な」、つまりハイなフーガになっている。文字どおりふたつの主題の「追いかけっこ」(↓演奏例。譜例つきなので、じつにわかりやすい)。



10. 「新主題と変形主要主題による二重フーガ」。「4声の二重フーガ」その2。こちらは変形された基本主題の転回形とやはりリズムの異なる新主題とが組み合わされ、両者は10度の転回対位の関係で声部を交代して提示される。3度と6度の甘美な響きが特徴。
11. 「2つの新主題と変形主要主題による三重フーガ」その2。こちらは8番目のフーガと共通の主題をもつ4声部の三重フーガ。やはりB-A-C-H動機が含まれている。「未完フーガ」をのぞいてもっとも完成度の高いフーガで、一部の演奏家や研究者が指摘するように、受難曲を思わせるような劇的な曲想になっている。
12a/b. 「変形主要主題による鏡像フーガ」。4声部で書かれているが、全曲中唯一の3拍子をとるフーガ。途中から主題じたいがさらに変形されて現れる。ピアノなどの鍵盤楽器で弾く場合、通常はひとりではむりで、もうひとり演奏者が必要になる。オルガンの場合は足鍵盤があるから、この問題はクリアできるけれども…いずれにせよみごとと言うほかなし。
13a/b. 「変形主要主題による鏡像フーガ」。こちらは3声の鏡像フーガ。前者が静的だったのにたいし、こちらはその反動(?)でひじょうに活発に走り回る。こういう対比関係、ないし緊張関係もバッハらしいところではある。
4つのカノン 順序については諸説紛々だが、ヴィーマー説をとりたいところ。つまり15,17,16,14(決定稿のほう)がいいような気がする。カノンのみ2声で書かれたのは、厳格なカノン技法を徹底的に極めようとする意図のためだと思われるけれども、ほんの一部、規則から逸脱した箇所もある。じっさいの演奏という点をけっして忘れなかった実務家バッハらしいと言えば、らしいかな。
14. 「未完の四重フーガ」。4声。↑で書いたように、「3つの主題によるフーガ」と解釈すべきかどうか、判断しがたいところではありますが、規模からすれば「四重フーガ」であってもぜんぜんおかしくないし、これら3つの主題と基本主題とは結合可能。239小節目でぷっつり途絶えたのは、病気の進行というよりむしろ「ロ短調ミサ」とか「音楽の捧げもの」のほうを優先させていたためだろうと思う(ちなみに中断箇所の小節数が2+3+9=14、BACHだ! と主張している人もいる)。「未完フーガ」についてはほかのフーガと大きく異なり、「4声の総譜」というかたちではなくて、なぜかふつうの上下二段の鍵盤譜になっていて、そこにこちゃこちゃと書きつけられ、また紙の「片面」しか使われていない。「紙の倹約」ということにかけては人一倍うるさかったバッハがどうしてこんな書き方をしたのか? バッハはいったいなにを意図していたのだろうか? 

 …かならずしも「全曲演奏」すべき作品とは思っていないけれども、やっぱり一度は実演に接して聴いてみたいものですねぇ(一部だけならコープマン・マトーの二台チェンバロ連奏で聴いたことはある)。

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2009年10月04日

けっきょくは愛情の深さ

 以前、ちょこっと書いたことのある、浜松アクトシティ中ホールのオルガン「被水」事件。もうあれからかれこれ10年以上は経過しているけれども、オルガン好きにとってあの悲惨な事件はついきのうのことのように憶えている。もちろん、故意にやらかしたわけではないから、人間だれしもまちがいは犯すものですし、いまさらなんでスプリンクラーを誤作動させたのかとかは問いません。ただ、あの直後、フランスから飛んできた製造元のコアラン社長がひと言、地元紙記者に向かってじつに悲しげに言ったことばがひじょうに印象に残っています――「もっと楽器に愛情を注いでほしい」。しばらくして朝刊コラム欄にて、日本人はすぐ「被害額はいくらだ」とか、すぐ「お金の話」になってしまう、そのへんの意識を変えなくてはならないという趣旨のことが書かれていた。

 先日、図書館に自然もののDVDビデオを返しに行ったとき(ようやく「地デジ」対応TV受像機を導入したので、自分の撮ったデジカメ画像を昔の「スライド投影機」よろしく見たり、美しい自然風景のDVDを見ることが多くなった)、音楽のコーナーをぼんやり眺めていたら、なんと! 以前Kenさんがレヴューしていた「パイプオルガン誕生」というDVD作品が目の前にあるじゃない! これだいぶ前に、NHKがデジタルハイヴィジョン番組として放映していたもので、うちはそっちの契約はしてないから、いつか深夜帯に再放送するんじゃないかしら、と気長に待ちつづけて待ちくたびれていたものでした。もちろん迷わず借りました(笑)。西伊豆へ墓参りに行ったあとで、さっそく見てみました――オルガンという楽器は設置される空間にあわせて一台一台、手作りで文字どおりなにもないところから図面を引いて設計・建造される。今回、東京カテドラル新オルガン建造に白羽の矢が立ったのは、イタリア北部の美しい山里に工房を構えるマショーニ社。典型的な同族経営・家内工業的なマショーニ社は、欧州のオルガンビルダーのなかでもきわめて伝統を重んじる会社で、金属管(鈴と鉛の合金)もすべて自前で作る。DVDを眺めているうち、上記のコワラン社の社長さんの嘆きを不意に思い出してしまった。オルガンという楽器がいかにとほうもない時間と手間をかけて建造されてゆくものなのか、このDVD作品を見てはじめて理解できたような気がする。なにしろオルガンケースを設計し、3122本もあるパイプ一本一本を職人たちが手作りし、また人間で言えば「肺」にあたる「風箱(スライダーチェスト)」を組み立て、コンソール(演奏台)を作り…そうして精魂こめて完成させた部材を日本へ送り出し、こんどは現場で複雑なジグソーパズルよろしく組みあげる。組み立てが完了すればはいお疲れさん、とはいかなくて、ここから先はまたしても骨の折れる「調律」と「整音」作業が待っている。水銀灯の発する雑音も邪魔になるから、夜通し作業するときは真っ暗闇の中。木管・金属管一本一本について、納得いくまでひたすらミリ単位の微調整を繰り返す。この会社の場合は経営者マショーニ三兄弟のひとりが担当していました。

 このビデオを見て、なるほど! と思ったのがイタリアの有名な古オルガンが映ったときでした――あのボローニャの楽器! 以前図書館で借りたパレストリーナとかデ・マックとかのオルガン作品を弾いたタミンハのCDで使われていたオルガン好きにはわりと知られた1470年代に建造された古楽器でした(ダ・ヴィンチが生きていた時代の楽器ですよ)…東京カテドラルの楽器はミラノの古楽器の響きをモデルにしているそうですが、どうりでどっかで聴いたことあるような、たいへんやわらかくて暖か味のある音色だったんですね(あそこのオルガンについては「アーレントオルガン」ものを出しているギエルミさんが監修していたのですね。ギエルミさんが地元教会の楽器のストップを引き出してはこれはこんな音がします、とか言ってデモ演奏をしてくれたシーンはたいへんおもしろかった)。

 ふだんはお目にかかることさえない、オルガンの内部とか、トラッカーアクションにローラーボードといった昔の職人の創意工夫の成果もぞんぶんに紹介されてまして、とにかく感動しました。もっとも印象的だったのは、組み立て完了後、職人のひとりがはじめて自分たちの組み立てた楽器の「音出し」をする場面。はじめやや緊張気味にバッハの「トッカータ(、アダージョとフーガ ハ長調) BWV.564」冒頭部を弾きはじめたのですが、分厚い和音をフルストップで鳴らしたり、ヴィドールの「トッカータ(「オルガン交響曲 第5番」から)」を試奏するあたりになると、満面の笑顔。楽器の響きぐあいが自分たちの思い描いていたとおりだったのでしょう、職人たちの顔は子どもみたいに輝いていました。またオルガンの「肺」がふくらんだり縮んだり、生きた人間の呼吸そっくりな動きをするのもはじめて見た(風圧調整器の部分だと思う。「重し」が乗っていたから)。なるほど、だからバッハ先生は新造オルガン検査のとき、「この楽器がいい肺を持っているかどうか見ないとね」と言ってフルストップでばりばり弾いたんだな。

 とにかくこんなおもしろい音楽ものビデオ作品ははじめて見た。オルガンという楽器をよく知らない人にもこれはおすすめです。かくいう自分も「ブルドン Bourdon(木管)」とか「ヴォーチェ・ウマーナ(Voce Umana[伊]、「人間の声」の意。豆腐屋のラッパみたいな音を出すリード金属管)」というストップのパイプが、じっさいにはどんな響きなのか、またオルガンでもっとも重要な「プリンシパル principal(e)」列はどんな音色なのか、それぞれ単独で聴くことなどほとんどないから、これはひじょうに勉強になりました(→東京カテドラル公式サイト内のマショーニオルガンのページ。なお、こちらの画像のいちばん下に写っているストップが、「水笛」のストップ)。

 オルガンはたしかに「高い」買い物かもしれないけれども、職人たちが狭いオルガンケースの中で頭をぶつけながら一所懸命に組み立てているということを知れば、一見、とっつき悪そうな巨大な楽器もきわめて人間臭く見えてくるだろうし、楽器に注ぐ愛情も強く、深くなってくるように思われます(それにしてもあのトラッカーアクションってすごい仕掛けだ。素麺みたいなぺらぺらの細長い棒状の板がそれぞれの音鍵に連結されているのだから! そして、オルガニストの指の動きに瞬時に反応するさまも目の当たりにした。どうりで古い時代のイタリアのオルガン教本かなにかに、「トラッカーアクションはオルガニストの指をつくる」とか書いてあったわけだ)。

 「愛情」ということでは、先だって英国から届いた封書。中身はここの教会の修復されたオルガンのこけら落とし演奏会のリーフレット。ここのオルガンもまた、地元教区民の並々ならぬ愛情と思いがこめられていることを知って、ひとりで感動していた。ここにかいつまんで書きますと――『地殻の物理学』なる本まで書くような地理学者でもあったここの教区教会主任司祭が以前勤めていた教会に建造させたオルガンがなんらかの事情で使われなくなり、そのケースを譲ってもらったのが1865年のこと。その2年後、こんどは最愛の妻を若くして亡くしてしまい、1869年、亡き妻にささげるためにそれまでオルガンさえなかったこの教区教会に譲り受けたケースを使って4ストップのささやかなオルガンを設置させた、という(この人は96歳まで長生きした)。その後、ちょうど40年前に手動の「ふいご」から電動式送風機に切り替えられたりしたものの、長年の湿気にさらされつづけたためと寄る年波には勝てず、ついにこの19世紀の楽器は2004年に取り払われた。そのとき教区教会の音楽面を熱心に支えていた教区委員のひとりマンフレッド・ヘッブルスウェイトという方が亡くなり、故ヘッブルスウェイト氏の夫人が多額の寄付を申し出た。この寄付を元手にして、教会とつながりのあるケンブリッジ・ジーザスカレッジの当時の音楽監督やオルガンビルダーたちと教会側が協議して、あらたに修復されるオルガンを設置することに決まった。規模も拡張され、3つの手鍵盤と足鍵盤をもつ21ストップの堂々とした楽器へと「変身」。建造当時の音色を守るためにパイプはほとんどが旧楽器と近隣教会から譲渡された19世紀末に製作されたものを使用、ケースのプロスペクトも以前の楽器のものを修復した上でそのまま流用。音響面と設置上の考慮からいままで設置されていた北側入り口ではなく、西口にオルガンのためのバルコニー(オルガンロフト)をあらたに作り、そこへ修復した楽器を設置することに決まり、ついに今年6月、修復された新オルガンは完成した…。

 このような地方のちっぽけな教区教会の、これまた小型のオルガンではありますが、その背後にはこのようにじつに多くの人の「熱い思い」がこめられているのです。いまのご時世、あまりにも多くの場面ですぐ「カネ」のことが話題にのぼるのを見聞きしますが、そういう呪縛から逃れられるようになるのはいったいいつになることやら。

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2009年09月06日

シュヴァイツァー博士の演奏

 今月4日はシュヴァイツァー博士の命日( 1965年没 )。というわけで、「阿修羅展」の帰りに買ってきたシュヴァイツァー博士の3枚組CDを聴いています。前にも書いたけれどもこちらの録音は戦後まもないころのもので、以前東芝 EMI から LPで出ていたものより新しい。よく見かける「グンスバッシュ教区教会のオルガンを弾くシュヴァイツァー博士」という写真も、じつはそのときに撮られたもの( →こちらの画像 )。

 博士はアフリカ大陸の仏領赤道アフリカ(いまのガボン共和国)で黒人たちの医療奉仕の道に進むと決めたとき、オルガンの師匠ヴィドールから、「音楽家のおまえになにができるんだ、銃も持たずに戦場に行くようなもんだ!」と頑強に反対された。けれどもヴィドールは愛弟子の意思が揺らがないことを知ると、こんどは逆に資金集めのオルガンリサイタルを開いたりと奔走してくれたという。ある意味このふたりは、理想的な師弟関係だったのかもしれない。けれどもシュヴァイツァー博士も人の子、やはり音楽との「今生の別れ」はさぞつらかったろうと思う。かつて「古オルガンを守れ!」と欧州中を駆け回っては歴史的オルガン保護のカンパのための演奏会を開いたり、また名著『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ』を世に問うなど、まさに音楽家として脂の乗り切っていたそのときに医者になることを決意し、大学に入りなおして医学の勉強をし、医師となってひとり密林のただなかへ飛びこんでいったのだから(「オルガン小曲集」の本質を見抜いた『バッハ』の記述は有名 )。現地の黒人社会特有の慣習に戸惑いつつも懸命に診療に当たっていたある日、フランスの友人たちから思いがけずすばらしいプレゼントを贈られた ―― 足鍵盤つきのアップライトピアノ! 高温多湿の熱帯での使用に耐えられるように特注で製作された楽器でした。しかし当初、博士はあまり喜んでいなかったらしい。「もう音楽家としての生命は終わったのだ。はやく手と足を鈍らせたほうがあきらめもつくだろう」、そんなふうに考えていたそうです。ところが仕事上でどうしても苛立ちが押さえきれずに悶々としていたある日のこと、ふと思い立った。「そうだ、こういうときこそ偉大なバッハの音楽を研究すべきではないか」。考え直して贈られたピアノに向かうと、不思議と気持ちもやわらいでいった。以後、博士はすこしでも時間ができると、この熱帯仕様足鍵盤つき特製ピアノでバッハの鍵盤作品の研究に没頭したと言います( →そのピアノを弾くシュヴァイツァー博士 )。

 シュヴァイツァーの演奏は、こんにちの聴き手の耳からすると、たとえばヴァルヒャやリヒターの比ではなく、ましてや超絶技巧でその名を知られるヴァージル・フォックスとは比べものにならない。スタイルも古くて、ロマン派的な発想を随所に引き摺ってもいる( 有名な「ニ短調のトッカータ BWV.565 」も収録されているけれども、テンポが異様に遅く感じられる )。シュヴァイツァーは医師として活動しはじめたあとは一介のアマチュア演奏家として、帰国した折にランバレネ病院の運営資金集めの手段としてオルガン演奏会を開くていどでした。そんなシュヴァイツァーの演奏に感銘を受けていた若き音楽家がいました ―― それが 20世紀を代表する「バッハ弾き」と言ってもよい、ヘルムート・ヴァルヒャその人でした。ギュンター・ラミンのもとで必死にバッハのポリフォニーの糸を手繰り寄せて吸収していったヴァルヒャ青年にとっては、まさにこのシュヴァイツァーの演奏こそお手本だったという。それはサイモン・プレストンのことばを借りれば、「気取らない演奏」*。厚ぼったいごてごてしたライプツィッヒオルガン楽派の演奏スタイルに疑問を感じていたヴァルヒャは、やがてフランクフルトでシュヴァイツァーを道しるべとして、独自の道を歩むようになる。このとき師匠のラミンは弟子の離反を決して許そうとはしなかったと言われています( 日本語版Wikipedia記事を見たら、最初の音楽の師オイゲン・ミュンヒが名指揮者シャルル・ミュンシュの叔父だったとは知らなかった )。

 たしかにこうしてシュヴァイツァーの弾くバッハに耳を傾けていると、人間的な温かみ、精神性というものを強く感じます。これで録音がもっと響きのいいステレオだったらさぞや…と思う。前にも書いたけれども演奏もまた人なり、ですね。とにかくこの3枚組のアルバムはすばらしい。買って正解でした。

*…『バッハ全集』小学館刊から。

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