先週の月曜朝に聴いた「古楽の楽しみ」。中世の音楽形式のひとつコンドゥクトゥスなるものが出てきたり、「ロバと酒飲みとばくち打ちたちのミサ曲」というなんともユーモラスな作曲者不詳のミサ曲 ( ? ) が出てきたりしたので、ちょっと手許のコピーを調べて中世ヨーロッパ風の「無礼講」だった正月 1 日のいわゆる「愚者祭」とか、その前、12月28日の「幼な子殉教者の祝日」に催されたという「少年司教 ( boy bishop ) 」の話とかとからめて書くつもりでした。でもこの間、たてつづけに著名な音楽家の訃報があいつぎ、そしていまごろになって、古楽復興の立役者、オランダの鍵盤楽器奏者で指揮者のグスタフ・レオンハルト氏まで逝去されていた事実を知り、しばし呆然。しかも行年 83 というのは、奇しくも 21年前の8月に亡くなったドイツを代表するバッハ弾き、ヘルムート・ヴァルヒャともおなじだった。
レオンハルトが残した功績、というか音楽的遺産はあまりにも大きい。日本人からも数多くのお弟子さんを輩出していますし。レオンハルトの来日公演にはたいていそういったお弟子さんとか、孫弟子の先生とかが一般聴衆に混じっていることが多くて、最後の来日公演となった昨年 5月末の明治学院チャペルでのオルガンリサイタルでも BCJ の鈴木雅明氏が聴きに来ていたりした ( その後伝え聞いたところでは終演後、レオンハルトとしばし談笑していたらしい ) 。なので一音楽ファンにして門外漢の自分がかの巨匠について、あれやこれや書くのはかえって失礼な気がして気がひけるのですが、レオンハルトの貴重な実演に接したひとりとして、個人的感想を綴ってみたい。
昨年 5月の来日公演時に書いた記事でも触れたけれども、自分がはじめてこの老巨匠の演奏に接したのは忘れもしない 1996 年 3 月、池袋西口の東京芸術劇場で、席はたしか 3 階席中央だったと思う。ご存知のようにここのオルガンはフランスのガルニエというオルガンビルダーが建造したもので、3 つの回転台にそれぞれ筍よろしく乗っかったオルガンがぐるりと回転して「ルネサンス・バロック」面、「ロマンティックオルガン」面と 3 つの「顔」をもつ楽器として有名 ( それゆえいろいろ問題もあるけれど。途中で止まったりとか … ) 。レオンハルトは「ルネサンス・バロック面」を使って演奏してくれた。スペインのアラウホとか聞き慣れない人の作品がつぎつぎに奏でられ、たしかバッハはアンコールピースのコラール前奏曲だったように思う。印象は、意外とエネルギッシュで、堅苦しさはみじんもなかった。でも氏のすらりとした長身、その端正な物腰がなんともいえずカッコよくて、「ああ、ワタシも年とったらあんなふうになりたいものだ」なんてまだ 20 代だったけれどもそんな感慨を抱いたりした。また演奏のときには眼鏡をかけ、客席に向かってお辞儀するときはさりげなく眼鏡をジャケットの胸ポケットにしまうその仕草がとてもダンディだった、という印象もあった。
2 回目の「レオンハルト体験」は静岡音楽館 AOI での公演で、2004年6月のこと。前回がオルガンだったので、こんどはチェンバロを、と考えていたら、おあつらえ向きに静岡市での公演とあいなり、大喜びで聴きに行ったものです。レオンハルトはステージに登場すると、みずから楽器の「ふた」を立てて、やおら演奏しはじめた。自分の席は前から 5 番目で、左寄りだったから両手の動きがとてもよく見えるし、楽譜までよく見えて、ある意味ひじょうにラッキーな好位置だった。このときはフローベルガーとか大クープランとかフォルクレとかフランスものが多かったような気が ( プログラム、探したけど出てこない ) … でも当時書いた「覚え書き」をいま見ると、最後はバッハの「パルティータ BWV.767」だったようだ … 以下、その「覚え書き」からの引用。↓
―― 相対湿度が低かったせいかどうか知りませんが、当夜の公演では開始直後は客席からやたらとゴホゴホが聞こえてきました … そのうちそういった雑音は ―― たぶんチェンバロの繊細な響きに耳が慣れ、レオンハルトの演奏に集中できるようになったからというのもあるかと思うが ―― あまり聞かれなくなりましたが、代わりに演奏者自身の「オフォン ! 」が。各曲が終わり、拍手にこたえたあと、かならず咳払いしてました。高齢というのもあるかもしれませんが、かなりしんどかったのかもしれません。でもいざ鍵盤に向かうとがぜん若返り、トッカータの速い走句では右足でトントンとリズムをとり、迫力あふれる演奏でした。掉尾のコラールパルティータもまさに名演。
―― 聴衆の鳴りやまぬ拍手にこたえ、アンコールとして2 曲弾いてくれましたが、うち 1 曲はなんと例の「無伴奏ヴァイオリンパルティータ第 2 番」のサラバンド !! 弾き始めて数秒のタイムラグがあってからそのことに気づきました … このアンコール作品もまた絶品。ここでホール関係者とおぼしきオジさんから花束が ―― というより、二輪ほどの薔薇 … せっかく巨匠が来静してくれたんだから、もっとでっかい花束にしたらいかがかと。これじゃいくらなんでも巨匠に失礼です。
… あいかわらず勝手なこと書いてるな ( 苦笑 ) 。最後の来日公演については拙記事参照。
レオンハルトなどオランダの鍵盤楽器奏者は、たいてい「助手」というのをつけない。譜めくりもストップ操作もぜんぶ自分ひとりでこなす。マリー・クレール-アラン、ジャン・ギユー、アンドレ・イゾワールといった仏人奏者や一部の英国の奏者、サイモン・プレストンなんかもひとりでこなすタイプですが、レオンハルトやコープマンに言わせると、バッハ時代まではこの「すべてひとりでこなす」スタイルが常識だったから、そうしなくてはならないという。だからいつも助手なしで弾いているんですね。
こちらの追悼記事を見ますと、「わたしは学者ぶるのは嫌いだ。音楽家は解釈の基本原則の正しさを認識したうえで、あとは自身の感興に従って演奏すべきだ」みたいな発言もしている。レオンハルトとというとどうも衒学肌の近づきにくさがあるような印象を持たれたりするけれども、ご本人はまったくそんなことは念頭になし。あるお弟子さんの回想では、レッスンを受けるために先生の家( 1605 年に建てられたお屋敷で、17 世紀の調度品でいっぱいだったという )を訪ねたら、レオンハルト先生は口笛 ( ! ) 吹き吹き、軽やかに階下へ降りてきたんだという。またコープマンによると、たまたまレッスンの持ち合わせ曲がない時なんか、「ハイ、今日はこれでおしまい」と言って打ち切ったとか。時間のムダを徹底的に省く合理主義者でもあったみたいです。またあるときはインタヴューにこたえて、「わたしは朝寝坊の芸術家なんかじゃありません」。朝早く起床する、規則正しい生活を送っておられたらしい。そして極めつけは、「レオンハルトは現代のバッハだ ! 」とフランス・ブリュッヘンが呼んだことについてどう思うか、と訊かれたときは、笑顔でこう返したという。「ひじょうに親しい友人による、愛すべき誇張です」。
またレオンハルトは長年、生まれ故郷オランダ・アムステルダムの新教会オルガニストを務めており、チェンバロ弾きと同様にオルガン弾きとしてもまさに名人だった。そしてオルガニストとしてのレオンハルト最大の功績は、自身も好きだというスペインのアラウホとか、バッハ以前のあまり世間では知られていないオルガン作曲家の作品を、これまた世間ではほとんど忘れ去られているような歴史的オルガンを用いて数多くの録音を残したことだと思っている。こんな地味な活動を長いあいだ細々とつづけるにはよほどの情熱がなければとうてい成し遂げられないはずです。そんなアルバムが図書館から借りられるのもうれしいし、うち何枚かは手許にあるとはいえ、とうていすべてを聴ききれるものじゃない。でもこうして行ったこともない、聴いたこともない古いオルガンの響きにひとり浸る瞬間は、最高に贅沢なひとときだと感じている。
椎名雄一郎氏のアルバムのライナーに、レオンハルトからこんなことを言われたとしてつぎのようにあります … 師、曰く、「一生、楽譜の勉強をつづけなさい」。西洋音楽、ことにバッハ時代とそれ以前の作曲家の作品を演奏する場合、まさにこの「音楽の解釈」に尽きるといってもいいから、ほんとそのとおりだと思う。「17 世紀と 18 世紀のあいだには、埋めがたい溝がある」とも言っていたとか読んだことがある。だからなおさら、土台となる「解釈」をしっかり構築しなさい、ということなのだろう ( → 来日公演の招聘元だった音楽事務所によるレオンハルトへのインタヴュー ) 。なおレオンハルト氏の葬儀は、現地時間 24日に執り行われるらしい。↓ は、12月12日、パリでの最後のリサイタル。
レオンハルトが現地時間の16日に逝去する前、日本でも戦後を代表する作曲家の先生が他界された。別宮貞雄先生、享年 89。こちらは老衰というから、大往生と言ってよいのかもしれないが、かつての盟友、吉田秀和氏にしてみれば、もうすこし … という思いもあるのではと察します。米良美一さんの歌う「さくら横ちょう」は最高です。そして別宮先生の亡くなる前、松の内がとれたばかりの 8日には、なんと玉木宏樹氏まで逝かれてしまった。享年 68。まだ「向こう岸」へ旅立つには早すぎる歳です。レオンハルト氏、別宮貞雄氏、玉木宏樹氏のご冥福を心から祈ります。
2012年01月22日
2011年10月09日
He who made a difference.
… 自分はひねくれ者なので、世間で話題になっていることの後追いみたいなことを書くのがきらいときている。最近どうにも時間がとれなくて ―― というかヤボ用が多い、と言ったほうがいいかな ―― 書きたいことはあいかわらずあって、そろそろ『航海』関連のこととか書きたいなとか、今週の NHK-FM 「ベスト・オヴ・クラシック」のこの時期恒例「欧州古楽週間」の放送の感想とかも書きたいなとか思っていても、あっという間に時間がなくなってけっきょくボツにしてしまう、ここのところずっとそんなことの繰り返し。でも最低限、「週 1 回」くらいで投稿というペースは守りたいと思っていますので、本日もたいしたものじゃありませんが書かせていただきます。
先週はなんといってもカリスマ経営者だったスティーヴ・ジョブズ氏が亡くなった、という一報でもちきりみたいな感じでしたね。なのでほかのことはまたのちほど、ということにしまして、「個人差のある」卑見なぞをすこしばかり。
きのう見た「海外ネットワーク」で、ゲストのダニエル・カールさんはジョブズさんを ' visionary ' だったと評してました。芸能関係者のみならず、DTP や DTM 、とくに CG でなにかをこさえるといったいわゆる creative と呼ばれる仕事に携わる人にとって、パソコン = Mac という印象があります。そしてほかならぬ「個人向け」コンピュータというのを世界に先駆けて開発して売り出したのがジョブズさんたちの仲間が起業した Apple Computer ( 当時の呼称 ) 。あいにくワタシは Mac とはあんまり縁がなかったけれども、たしか1994年ごろだったか、三省堂書店にて 1 台の Mac を見たときはちょっとおどろいた。当時の汎用 OS は Windows ではなくて、まだ MS-DOS 機が主流だった時代。そんななかで鮮やかなグラフィカルインターフェイス、マウスによるかんたんで「直感的な」操作性をそなえた Mac はひときわ「ちがって」見えたことを憶えている。もっとも値札見てぶっとんだのは、言うまでもないが … ( 苦笑 )。またおなじころ、『風景写真』という雑誌があって、巻末のほうに「Mac を使ってリヴァーサル原版をデジタル化」みたいな記事があった。記事で紹介されていたその人はアマチュア風景写真家で、ブローニー判や35mm 判で撮影した画像をせっせとスキャンして Mac に取りこみ、デジタルアーカイヴ化していた。なにしろ当時のことだから、これだけの作業をぜんぶひとりでこなすのは一大事。母艦の Mac はじめ、どれもコモディティ化しておらず、しょせんワタシにとっては高嶺の花、指をくわえて「世の中、すごい人がいるもんだ」と感心するばかりだった。
ジョブズさんの経歴についてはくわしい人が思い思いに書いているからそちらを参照していただくとして、言動とか見てまして以前からこの人、時代の最先端をゆく企業のトップにしてはなにかしら異様というか、あきらかにちがう空気をもった人だと感じていた。孤高の求道者というか。デザインや操作性にたいする徹底的なこだわり、感性の鋭さなんかはたんなる天才肌の理系人間とはまるでちがうぞという印象を抱いていた。今回、ジョブズさんの訃報にさいして、若かりしころになんと「禅」にはまっていた、なんて話を聞きまして、合点がいったしだい。なるほど、あのギリギリまで無駄を削ぎ落した優美なデザインの発想源のひとつは、禅の思想にあったのか、と。
またジョブズさんは自身が大学を1年ほどで中退したからなのか、世の中の大人たちの作った既成概念というものにたいへん skeptical な人だったようです。とにかく「常識を疑え」、と。たしか Apple に復帰した当時、流れていた Mac の宣伝文句が、' Think different. ' だったように思う。これもその一種の「反骨精神」の現れだったのかもしれない。初代 iPhone お披露目のプレゼン動画とか見たことがあるけれど、例の出で立ちで登場し、自信満々に「キーボードもマウスもない。ではどう操作するのか? そうだ、指だ! 」と説明するさまは、まことに compelling というか、とにかく聞く者をぐっと惹きつける説得力に満ちていた。「こんなもん売れない」なんて言っていた国内のキャリアだって、いまじゃどうですか。そこがその「売れない」と思っていたはずの iPhone の軍門に下っているというのは、なんとも皮肉な展開ではある。そしてそこから出るという iPhone 4S は、ちょっと食指をそそられる ( 笑 ) 。
ジョブズ「語録」にも反骨精神というかそんな信念がにじみ出ていたようにも思う。たしか「個人が動画や音楽の編集をもっと楽しめるようにすること」も製品開発の目標というか、ヴィジョンとして持っていたようなことも聞いた。で、最近流れている iPad 2 の TV CM なんか見ても、やはりそういう信念が感じられる作りになっている。「 … わたしたちは会議に出て、ホームムービーを作り、あたらしいことを学ぶだろう。しかしその方法は、もはやおなじではない」。それにしてもオバマ大統領の追悼の辞は簡潔にしてじつに言い得て妙だと思った。とくに ' By making computers personal and putting the internet in our pockets, he made the information revolution not only accessible, but intuitive and fun. ' というくだりなんかは。 ジョブズさんとその仲間たちの功績をひとことで言えば、「インターネットをポケットに入れて持ち歩く」ことを可能にして、しかも「直感的で楽しい」 IT 革命だった。たしかに!
ジョブズさんがたんなるアタマでっかちのテクノロジー・ギークじゃなかったことはたしかだと思う。でもジョブズさんもやはり自分の立ち上げた IT 企業の経営者。競合他社にたいしては容赦なかったし、また自社製品を製造する工場では周辺環境への配慮があまりなかったとかいわれる。iPhone 製造の委託先での社員の労働環境もいっとき問題になったりしたことがありましたし。もっともこれは経営者の問題ではなく、形を変えた「帝国主義」的な米国型グローバリゼーションのひずみの問題だとは思うが … いま「農本主義者」ウェンデル・ベリーの古い著作を読んでいるから、よけいにそう感じるのかもしれない。
ジョブズさんが世に送り出した製品はある種革命的で、たしかに世の中を便利にし、世の中の「仕組み」そのものも変えたかもしれない。でもベリーやマッキベンの著作 ( 最新刊の Eaarth もすこし読みだしたところ ) なんかを読まなくても、いまのわれわれを取り巻く情勢はけっして楽観視できないギリギリの崖っぷちであることには変わりはない。ようするに、不要不急なモノをもちすぎている。そのために地球そのものにたいへんな「負荷」をかけてしまっている。われわれは、しょせん「仮住まい」のはかない現し身でしかないのに。いつまでも「経済成長」前提の経済構造ないし社会がつづくわけもない。石油だっていずれ枯渇する。温暖化はさらに加速している。大震災と原発事故もある。放射線の影響は、子々孫々までつづく。ではどうすればいいのか? と、ひとりひとりが真剣に向き合わざるを得なくなっている、という気持ちがますますつよくなっているのもまた事実。
そういうときこそ、ジョブズさんのつぎのことばがヒントになるかもしれない。これも何度も TV で流れたから、いまさらという向きもいるとは思うけれども。2005 年、スタンフォード大学の卒業式で送った餞のことばの掉尾です。この部分、なんとなくヨーダのような、キャンベルのような … ↓
“Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma − which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.”
( ↑ の引用元はこちら )
R.I.P. Steven P. Jobs.
追記:いまさっきこんな記事を見つけました。え、Einstein : His Life and Universe ? 著者が Walter Issacson ?? これってあの「機械翻訳」で出版したとかで回収騒ぎになったという、あの本の原著者じゃないですか。こういう原本はおそらくどこかが邦訳版権を押さえているはずなので、こんどは原著者にたいして非礼失礼のないように願います。そういういいかげんな「やっつけ仕事」を人一倍きらっていたジョブズさんにたいしても失礼ですしね ( 後記:講談社から邦訳本が発売されることがすでに決まっているそうです。早っ! ) 。
先週はなんといってもカリスマ経営者だったスティーヴ・ジョブズ氏が亡くなった、という一報でもちきりみたいな感じでしたね。なのでほかのことはまたのちほど、ということにしまして、「個人差のある」卑見なぞをすこしばかり。
きのう見た「海外ネットワーク」で、ゲストのダニエル・カールさんはジョブズさんを ' visionary ' だったと評してました。芸能関係者のみならず、DTP や DTM 、とくに CG でなにかをこさえるといったいわゆる creative と呼ばれる仕事に携わる人にとって、パソコン = Mac という印象があります。そしてほかならぬ「個人向け」コンピュータというのを世界に先駆けて開発して売り出したのがジョブズさんたちの仲間が起業した Apple Computer ( 当時の呼称 ) 。あいにくワタシは Mac とはあんまり縁がなかったけれども、たしか1994年ごろだったか、三省堂書店にて 1 台の Mac を見たときはちょっとおどろいた。当時の汎用 OS は Windows ではなくて、まだ MS-DOS 機が主流だった時代。そんななかで鮮やかなグラフィカルインターフェイス、マウスによるかんたんで「直感的な」操作性をそなえた Mac はひときわ「ちがって」見えたことを憶えている。もっとも値札見てぶっとんだのは、言うまでもないが … ( 苦笑 )。またおなじころ、『風景写真』という雑誌があって、巻末のほうに「Mac を使ってリヴァーサル原版をデジタル化」みたいな記事があった。記事で紹介されていたその人はアマチュア風景写真家で、ブローニー判や35mm 判で撮影した画像をせっせとスキャンして Mac に取りこみ、デジタルアーカイヴ化していた。なにしろ当時のことだから、これだけの作業をぜんぶひとりでこなすのは一大事。母艦の Mac はじめ、どれもコモディティ化しておらず、しょせんワタシにとっては高嶺の花、指をくわえて「世の中、すごい人がいるもんだ」と感心するばかりだった。
ジョブズさんの経歴についてはくわしい人が思い思いに書いているからそちらを参照していただくとして、言動とか見てまして以前からこの人、時代の最先端をゆく企業のトップにしてはなにかしら異様というか、あきらかにちがう空気をもった人だと感じていた。孤高の求道者というか。デザインや操作性にたいする徹底的なこだわり、感性の鋭さなんかはたんなる天才肌の理系人間とはまるでちがうぞという印象を抱いていた。今回、ジョブズさんの訃報にさいして、若かりしころになんと「禅」にはまっていた、なんて話を聞きまして、合点がいったしだい。なるほど、あのギリギリまで無駄を削ぎ落した優美なデザインの発想源のひとつは、禅の思想にあったのか、と。
またジョブズさんは自身が大学を1年ほどで中退したからなのか、世の中の大人たちの作った既成概念というものにたいへん skeptical な人だったようです。とにかく「常識を疑え」、と。たしか Apple に復帰した当時、流れていた Mac の宣伝文句が、' Think different. ' だったように思う。これもその一種の「反骨精神」の現れだったのかもしれない。初代 iPhone お披露目のプレゼン動画とか見たことがあるけれど、例の出で立ちで登場し、自信満々に「キーボードもマウスもない。ではどう操作するのか? そうだ、指だ! 」と説明するさまは、まことに compelling というか、とにかく聞く者をぐっと惹きつける説得力に満ちていた。「こんなもん売れない」なんて言っていた国内のキャリアだって、いまじゃどうですか。そこがその「売れない」と思っていたはずの iPhone の軍門に下っているというのは、なんとも皮肉な展開ではある。そしてそこから出るという iPhone 4S は、ちょっと食指をそそられる ( 笑 ) 。
ジョブズ「語録」にも反骨精神というかそんな信念がにじみ出ていたようにも思う。たしか「個人が動画や音楽の編集をもっと楽しめるようにすること」も製品開発の目標というか、ヴィジョンとして持っていたようなことも聞いた。で、最近流れている iPad 2 の TV CM なんか見ても、やはりそういう信念が感じられる作りになっている。「 … わたしたちは会議に出て、ホームムービーを作り、あたらしいことを学ぶだろう。しかしその方法は、もはやおなじではない」。それにしてもオバマ大統領の追悼の辞は簡潔にしてじつに言い得て妙だと思った。とくに ' By making computers personal and putting the internet in our pockets, he made the information revolution not only accessible, but intuitive and fun. ' というくだりなんかは。 ジョブズさんとその仲間たちの功績をひとことで言えば、「インターネットをポケットに入れて持ち歩く」ことを可能にして、しかも「直感的で楽しい」 IT 革命だった。たしかに!
ジョブズさんがたんなるアタマでっかちのテクノロジー・ギークじゃなかったことはたしかだと思う。でもジョブズさんもやはり自分の立ち上げた IT 企業の経営者。競合他社にたいしては容赦なかったし、また自社製品を製造する工場では周辺環境への配慮があまりなかったとかいわれる。iPhone 製造の委託先での社員の労働環境もいっとき問題になったりしたことがありましたし。もっともこれは経営者の問題ではなく、形を変えた「帝国主義」的な米国型グローバリゼーションのひずみの問題だとは思うが … いま「農本主義者」ウェンデル・ベリーの古い著作を読んでいるから、よけいにそう感じるのかもしれない。
ジョブズさんが世に送り出した製品はある種革命的で、たしかに世の中を便利にし、世の中の「仕組み」そのものも変えたかもしれない。でもベリーやマッキベンの著作 ( 最新刊の Eaarth もすこし読みだしたところ ) なんかを読まなくても、いまのわれわれを取り巻く情勢はけっして楽観視できないギリギリの崖っぷちであることには変わりはない。ようするに、不要不急なモノをもちすぎている。そのために地球そのものにたいへんな「負荷」をかけてしまっている。われわれは、しょせん「仮住まい」のはかない現し身でしかないのに。いつまでも「経済成長」前提の経済構造ないし社会がつづくわけもない。石油だっていずれ枯渇する。温暖化はさらに加速している。大震災と原発事故もある。放射線の影響は、子々孫々までつづく。ではどうすればいいのか? と、ひとりひとりが真剣に向き合わざるを得なくなっている、という気持ちがますますつよくなっているのもまた事実。
そういうときこそ、ジョブズさんのつぎのことばがヒントになるかもしれない。これも何度も TV で流れたから、いまさらという向きもいるとは思うけれども。2005 年、スタンフォード大学の卒業式で送った餞のことばの掉尾です。この部分、なんとなくヨーダのような、キャンベルのような … ↓
“Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma − which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.”
( ↑ の引用元はこちら )
R.I.P. Steven P. Jobs.
追記:いまさっきこんな記事を見つけました。え、Einstein : His Life and Universe ? 著者が Walter Issacson ?? これってあの「機械翻訳」で出版したとかで回収騒ぎになったという、あの本の原著者じゃないですか。こういう原本はおそらくどこかが邦訳版権を押さえているはずなので、こんどは原著者にたいして非礼失礼のないように願います。そういういいかげんな「やっつけ仕事」を人一倍きらっていたジョブズさんにたいしても失礼ですしね ( 後記:講談社から邦訳本が発売されることがすでに決まっているそうです。早っ! ) 。
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2011年09月26日
彼岸の明けに旅立ったマータイさん
お彼岸明けの今日26日、ノーベル平和賞を受けたケニアの環境保護活動家ワンガリ・マータイさんが逝去されたとの報を聞いておどろいています。くわしくはわかりませんが、癌で入院していたらしい。享年71歳。まだまだ「向こう岸」へ旅立たれるお歳ではないですよね … 。「もったいない」というすばらしい日本語を世界規模で普及させてくれた大恩人でもある。返す返すも残念だ。
お彼岸ということで、台風のために延び延びになっていた墓参にようやく行ってきまして、祖母、父、親戚の伯母、曽祖父などまとめて参ってきて、日ごろの無精を詫びたしだい ( 台風による倒木とかも見かけた ) 。もっともこれは墓参りに行った本人の気持ちの問題かもしれないが … 。そしてお世話になっていますお寺さんに布施を渡して、代わりに『円覚 秋ひがん号』という小冊子をもらう ( ここのお寺は円覚寺派の禅寺なので、「般若心経」なのです ) 。ぱっと表紙を開くと、円覚寺管長さん直筆の書が掲載されてまして、「今日好風」とある。? と思って管長さんによる同名記事を読みますと、こうありました。
巻頭の色紙は「今日好風」 こんにちこうふうと読みます。難しい言葉ではありません。「今日はよい風だ」という意味です。中国の唐の時代に趙州 ( じょうしゅう ) 和尚という方がいらっしゃいました。我々の宗祖臨済禅師と時を同じくして活躍された禅僧です。その方の語録を読んでいて見つけた語です。
… 趙州和尚にある僧が、「迷いと悟りその二つにとらわれないとは、どういう心境ですか」と問うと、趙州和尚はサラリと「今日好風、今日はよい風だね」と答えました。何ともさわやかな答えです。
「この迷いの此岸から悟りの彼岸へと向けて努力しましょうという期間が本来のお彼岸の意味です」とも書いてありました。またべつの住職の方が書かれた記事では、日本における「お彼岸」行事のそもそものはじまりが崇道天皇の霊を鎮めるためだったということもはじめて知った。
比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルの Myths to live by にも、またつい最近手に入れた A Joseph Campbell Companion ― Reflections on the Art of Living という語録ハンドブックみたいな本にも「彼岸」について出てきます。日本人のくせにこういう仏教関係の話にはとんと疎いので、円覚寺派管長さんの記事とか、キャンベルの文章からはいろいろと教えられることが多い。キャンベルは「彼岸」イコール Nirvana 、涅槃つまり悟りの地とし、その「向こう岸」へ渡る「舟」に乗船するには「この世 ( 此岸 ) 」でのありとあらゆる所有物いっさいを捨てるという条件があり、また二度ともどれない片道切符の船旅になぞらえている。しかもこの舟にはたったひとりしか乗船できない。これはいわゆる初期の仏教教団の教え「上座部 ( 小乗 ) 仏教 ( Hīnayāna ) 」のことで、言ってみれば選ばれし少数の人の乗る舟。たいしていまここ、この「涙の谷」にほかならないこの場所こそ、ありとあらゆるものがじつはひとつの存在にほかならない場所、つまり Nirvana だという「覚醒」が衆生にとって救いになるという発想がチベット経由で日本へ伝わったのが「大乗仏教 ( Mahāyāna ) 」の教えだという。で、キャンベルはそのすぐあとでこうつづけています。
This whole broad earth is the ferryboat, already floating at dock in infinite space.
皮相な意味ではなく、深い意味において徹底的に楽観主義者らしいキャンベル教授は、そのあとでこんなふうにも書いている。いついかなるときもいかなる場所であっても悲しみと苦しみに満ちたこの世界ではあるが、苦しみから逃れる場もまた存在する。それが Nirvana だ。Nirvana はこの世界そのもの。欲望や怖れを抱くことなく、すべてありのまま、事事無礙でこの世界を受け入れること。Nirvana はここなのだ! 、と。* 「今日好風、今日はよい風だね」ということばを見たとき、この「 Nirvana はいまここにある」を思い出していた。古今東西の文献を渉猟してきた比較神話学者キャンベルは、趙州老師のこの至言を知っていたのだろうかとふと思った。
「彼岸」ついでにこの前見た教育 TV の「こころの時代」では、駒澤大学名誉教授の田上太秀さんが懇切丁寧に「涅槃経」とか読み解きながら、「彼岸」へいたるには「八正道」を修めなければならないとかしゃべってました。こちらもおおいに参考になった、なにぶん無知なもので。
円覚寺管長さんの文章では、昨年の『円覚 うらぼん号』の記事がおもしろかった。管長老大師の実家は、なんとあんこ屋で、「おはぎ」にからめて書かれてあって微笑ましかった。それを読んではじめて知ったのが、「波羅蜜」という「般若心経」にも出てくる謎めいたことば。なんのことはない、サンスクリット語の Pāramitā のそのまんま音写で、「到彼岸」のための修行 ( 六波羅蜜とか ) のことだった。
… 墓参のあと、二年ぶりに大田子海岸に行きまして、沖に浮かぶ田子島に沈む秋の夕陽の写真を撮ってました。おこないがよかったのか ( ? ) 、雲が多かったわりにはいい感じに駿河湾の海原を焦がしながら沈む夕陽を拝むことができました。まさに「西方浄土」の光景。ラテン語版『聖ブレンダンの航海』に出てくる「聖人たちの約束の地」も、文脈からすなおに判断するとドネゴール州のスリーヴリーグという大断崖の海岸からさほど離れていない西の海の沖にある。古アイルランド語の síd ( シード ) はいわゆる「妖精の国」という意味あいの「異界」で「霊魂の安らぐ地」とはべつものらしいけれども、ブルターニュ半島フィニステール沖の西の海には伝説の町「イス」が現れるという伝承もあって、なんだかこちらも「西方浄土」と似ています。
… マータイさんの霊安らかにと祈りつつ。
* ... Myths to live by , p. 141 - 146.
お彼岸ということで、台風のために延び延びになっていた墓参にようやく行ってきまして、祖母、父、親戚の伯母、曽祖父などまとめて参ってきて、日ごろの無精を詫びたしだい ( 台風による倒木とかも見かけた ) 。もっともこれは墓参りに行った本人の気持ちの問題かもしれないが … 。そしてお世話になっていますお寺さんに布施を渡して、代わりに『円覚 秋ひがん号』という小冊子をもらう ( ここのお寺は円覚寺派の禅寺なので、「般若心経」なのです ) 。ぱっと表紙を開くと、円覚寺管長さん直筆の書が掲載されてまして、「今日好風」とある。? と思って管長さんによる同名記事を読みますと、こうありました。
巻頭の色紙は「今日好風」 こんにちこうふうと読みます。難しい言葉ではありません。「今日はよい風だ」という意味です。中国の唐の時代に趙州 ( じょうしゅう ) 和尚という方がいらっしゃいました。我々の宗祖臨済禅師と時を同じくして活躍された禅僧です。その方の語録を読んでいて見つけた語です。
… 趙州和尚にある僧が、「迷いと悟りその二つにとらわれないとは、どういう心境ですか」と問うと、趙州和尚はサラリと「今日好風、今日はよい風だね」と答えました。何ともさわやかな答えです。
「この迷いの此岸から悟りの彼岸へと向けて努力しましょうという期間が本来のお彼岸の意味です」とも書いてありました。またべつの住職の方が書かれた記事では、日本における「お彼岸」行事のそもそものはじまりが崇道天皇の霊を鎮めるためだったということもはじめて知った。
比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルの Myths to live by にも、またつい最近手に入れた A Joseph Campbell Companion ― Reflections on the Art of Living という語録ハンドブックみたいな本にも「彼岸」について出てきます。日本人のくせにこういう仏教関係の話にはとんと疎いので、円覚寺派管長さんの記事とか、キャンベルの文章からはいろいろと教えられることが多い。キャンベルは「彼岸」イコール Nirvana 、涅槃つまり悟りの地とし、その「向こう岸」へ渡る「舟」に乗船するには「この世 ( 此岸 ) 」でのありとあらゆる所有物いっさいを捨てるという条件があり、また二度ともどれない片道切符の船旅になぞらえている。しかもこの舟にはたったひとりしか乗船できない。これはいわゆる初期の仏教教団の教え「上座部 ( 小乗 ) 仏教 ( Hīnayāna ) 」のことで、言ってみれば選ばれし少数の人の乗る舟。たいしていまここ、この「涙の谷」にほかならないこの場所こそ、ありとあらゆるものがじつはひとつの存在にほかならない場所、つまり Nirvana だという「覚醒」が衆生にとって救いになるという発想がチベット経由で日本へ伝わったのが「大乗仏教 ( Mahāyāna ) 」の教えだという。で、キャンベルはそのすぐあとでこうつづけています。
This whole broad earth is the ferryboat, already floating at dock in infinite space.
皮相な意味ではなく、深い意味において徹底的に楽観主義者らしいキャンベル教授は、そのあとでこんなふうにも書いている。いついかなるときもいかなる場所であっても悲しみと苦しみに満ちたこの世界ではあるが、苦しみから逃れる場もまた存在する。それが Nirvana だ。Nirvana はこの世界そのもの。欲望や怖れを抱くことなく、すべてありのまま、事事無礙でこの世界を受け入れること。Nirvana はここなのだ! 、と。* 「今日好風、今日はよい風だね」ということばを見たとき、この「 Nirvana はいまここにある」を思い出していた。古今東西の文献を渉猟してきた比較神話学者キャンベルは、趙州老師のこの至言を知っていたのだろうかとふと思った。
「彼岸」ついでにこの前見た教育 TV の「こころの時代」では、駒澤大学名誉教授の田上太秀さんが懇切丁寧に「涅槃経」とか読み解きながら、「彼岸」へいたるには「八正道」を修めなければならないとかしゃべってました。こちらもおおいに参考になった、なにぶん無知なもので。
円覚寺管長さんの文章では、昨年の『円覚 うらぼん号』の記事がおもしろかった。管長老大師の実家は、なんとあんこ屋で、「おはぎ」にからめて書かれてあって微笑ましかった。それを読んではじめて知ったのが、「波羅蜜」という「般若心経」にも出てくる謎めいたことば。なんのことはない、サンスクリット語の Pāramitā のそのまんま音写で、「到彼岸」のための修行 ( 六波羅蜜とか ) のことだった。
… 墓参のあと、二年ぶりに大田子海岸に行きまして、沖に浮かぶ田子島に沈む秋の夕陽の写真を撮ってました。おこないがよかったのか ( ? ) 、雲が多かったわりにはいい感じに駿河湾の海原を焦がしながら沈む夕陽を拝むことができました。まさに「西方浄土」の光景。ラテン語版『聖ブレンダンの航海』に出てくる「聖人たちの約束の地」も、文脈からすなおに判断するとドネゴール州のスリーヴリーグという大断崖の海岸からさほど離れていない西の海の沖にある。古アイルランド語の síd ( シード ) はいわゆる「妖精の国」という意味あいの「異界」で「霊魂の安らぐ地」とはべつものらしいけれども、ブルターニュ半島フィニステール沖の西の海には伝説の町「イス」が現れるという伝承もあって、なんだかこちらも「西方浄土」と似ています。
… マータイさんの霊安らかにと祈りつつ。
* ... Myths to live by , p. 141 - 146.
2011年08月27日
人は mortal な存在だとは言うものの …
いやもう、ほんとうにびっくりした。まさか … というのが偽らざる心境でした。
尊敬する柳瀬陽介先生の綴られるブログには門外漢ながらいろいろ考えさせられることが多くて読ませてもらっているのですが、第一人者の山岡先生のあまりに突然すぎる逝去を伝える記事には、ほんとうにおどろきました … 享年62 歳。失礼なたとえかもしれないが、あの大バッハでさえ65 まで生きたのに … 。
自分のようないいかげんを絵に描いて写真に撮ったような分際の者が偉大な翻訳家について、あるいはその業績についてああだこうだと書くつもりは毛頭ありませんが、ひとつ印象に残っていたことがあるのでそれだけ書きたいと思います。
20年くらい前だったか、ある翻訳雑誌に山岡先生はこんなことを書いておられた。某経済学者先生の名前で麗々しく訳書が出ていて、それを読んでみたら日本語訳文がどうにもお粗末。ハーヴァード大学で教鞭をとるような大先生がこんな文章を書くはずがない、おそらくゼミの院生が下訳したものだろう。本には訳者として当の経済学者先生の名前で出るのに、こんな拙い訳文を提出して失礼ではないか、そしてこの邦訳を出版する版元も、先生にたいして失礼ではないか、とたしかそんなことを書いていたと記憶している。ちなみにそのハーヴァードの経済学の先生というのは、いま地元紙にて健筆を振るっている先生なんですが … 。そのころの山岡先生は訳しにくい経済用語や時事用語の訳語を示すコラム記事を寄稿してもいました。イメージ的には、口さがなくておっかない感じ( じっさいにははにかみ屋さんだったみたいですが )。
翻訳、というと鈴木主税先生(マッキベンの『自然の終焉』が印象につよい)や飛田茂雄先生(『生きるよすがとしての神話』などのキャンベル神話学本など)、浅羽莢子先生(自分が持っているのは『妖精の王国』)や菊池光先生(フランシスの『競馬』ものとか)もすでに亡くなられているけれども、いちばん脂の乗り切った山岡先生も足早に旅立たれてしまうとは … 今月はサッカー元日本代表の松田直樹選手に名優の竹脇無我氏など、訃報が多いと感じていたときだったのでいまだ信じられない気持ちです。
山岡先生の『翻訳とは何か ― 職業としての翻訳』は、キャンベルの神話学本とならんで、長く世に残る名著だと信じています。合掌。
尊敬する柳瀬陽介先生の綴られるブログには門外漢ながらいろいろ考えさせられることが多くて読ませてもらっているのですが、第一人者の山岡先生のあまりに突然すぎる逝去を伝える記事には、ほんとうにおどろきました … 享年62 歳。失礼なたとえかもしれないが、あの大バッハでさえ65 まで生きたのに … 。
自分のようないいかげんを絵に描いて写真に撮ったような分際の者が偉大な翻訳家について、あるいはその業績についてああだこうだと書くつもりは毛頭ありませんが、ひとつ印象に残っていたことがあるのでそれだけ書きたいと思います。
20年くらい前だったか、ある翻訳雑誌に山岡先生はこんなことを書いておられた。某経済学者先生の名前で麗々しく訳書が出ていて、それを読んでみたら日本語訳文がどうにもお粗末。ハーヴァード大学で教鞭をとるような大先生がこんな文章を書くはずがない、おそらくゼミの院生が下訳したものだろう。本には訳者として当の経済学者先生の名前で出るのに、こんな拙い訳文を提出して失礼ではないか、そしてこの邦訳を出版する版元も、先生にたいして失礼ではないか、とたしかそんなことを書いていたと記憶している。ちなみにそのハーヴァードの経済学の先生というのは、いま地元紙にて健筆を振るっている先生なんですが … 。そのころの山岡先生は訳しにくい経済用語や時事用語の訳語を示すコラム記事を寄稿してもいました。イメージ的には、口さがなくておっかない感じ( じっさいにははにかみ屋さんだったみたいですが )。
翻訳、というと鈴木主税先生(マッキベンの『自然の終焉』が印象につよい)や飛田茂雄先生(『生きるよすがとしての神話』などのキャンベル神話学本など)、浅羽莢子先生(自分が持っているのは『妖精の王国』)や菊池光先生(フランシスの『競馬』ものとか)もすでに亡くなられているけれども、いちばん脂の乗り切った山岡先生も足早に旅立たれてしまうとは … 今月はサッカー元日本代表の松田直樹選手に名優の竹脇無我氏など、訃報が多いと感じていたときだったのでいまだ信じられない気持ちです。
山岡先生の『翻訳とは何か ― 職業としての翻訳』は、キャンベルの神話学本とならんで、長く世に残る名著だと信じています。合掌。
タグ:翻訳論
2011年05月22日
メータの「第9」と児玉さんの訃報
1). 午後の昼下がりに先日ここでもすこし書いた、ズービン・メータ指揮・NHK交響楽団による東日本大震災被災者支援チャリティーコンサートのもようをEテレ(NHK 教育TVと書きたいところですが)で見ながらお昼を食べてました。じつはカブるように、1時間ほど前からNHK-FM でもおんなじプログラムを流してまして、そちらを聴いたあとでTV に切り替えた。マーラーの「復活」もオルガンが入っているし聴取したかったけれども、TV 放映のほうを優先。映像つきで聴くと迫力がまたすごいですね … やはり鬼気迫る、というか、ピーンと張り詰めたような緊張感が会場全体を包んでいました。それゆえに終楽章の「このような調べではなく、心地よい歌を!」とバスの独唱で開始されるシラーの歌詞も、ひときわ心に響くものがある(ちなみに途中からにわかに行進曲風のリズムになるけれども、ベースになっているのはあの「トルコ行進曲」らしい)。全曲通して聴くと、やはりすばらしい公演だったと思います。メータは2004年12月26日に発生したスマトラ島沖大地震による大津波で故郷ムンバイが被災していたらしい。そういう体験があるからなのか、多くの演奏家が福島の原発事故もあって大挙出国していたにもかかわらず、単身、取って返してくれたんだと思う。公演前、被災された方のみならずペットのことまで気遣うスピーチをしてましたが、メータという音楽家の人間性がにじみ出た感動的なスピーチだったと思います。ほんとうにありがとう、マエストロ! インタヴューでも言ってましたけれども、そう、困難なときにあるほど、音楽はその力ないし真価を発揮してくれるものだと自分も信じています。音楽にかぎったことではないとは思うけれども、芸術こそ「心の復興」には欠かせない要素のひとつだと思う。
2). と、そんなとき、名優の児玉清さんが胃癌で亡くなられたとの報をNHKラジオ第1 の「ラジオビタミン」にて聞いて、え、まさかと思った。77 歳、まだあちらへ逝くには早すぎたような気もするが … 児玉さんのイメージは、つい最近では大河ドラマ … もあるけれど、なんといっても36年間、司会を務めてきた「アタック 25」だろう。「慎重かつ大胆に!」とか名台詞を残し、また出場者にたいする気遣いについてもメータに劣らずすばらしかった。当然、本日の放映分は追悼番組に切り替えられてましたが、はじめて目にするオフショットの数々にちょっと涙腺が緩んでしまった。あんなふうにキャンディとか配ってたんですね … このさりげない気配り、さすがです。出場者からの私信にもきちんと返信していたといいます。こういう点でさっぱり気の利かないヤボな門外漢はひたすら頭を掻いて反省しきり。思えば子どものころからあのクイズ番組は大好きでして、土曜の昼に学校から(当時は週休二日制ではない!!)帰宅すると、まっさきに「世界の料理ショー」を見て、日曜朝は「兼高かおる 世界の旅」、そして昼は「アタック 25」と決まっていた。たしか当時の「今週のチャンピオン」に与えられる特典は、花の都パリ旅行だったと思った。憧れのルーヴル美術館とかノートルダム寺院とかの映像を繰り返し見ては、いつか行ってみたいもんだと思っていた(いまもそう orz 先立つものはないが、そろそろ考えるか??)。それはともかくとして、児玉さんは英独仏語に堪能で、かつたいへんな読書家としても有名で、「ラジオビタミン」でもおもしろかった本を定期的に何冊も紹介してくれました。
児玉さん長い間お疲れさまでした。そして、ありがとう。
3). 先日、約20年ぶり(!)くらいに近郊の柿田川を廻ってきました … 風景じたいはそんなに変化ないようですが、やはり湧水量の減少が気になります。3月の大地震のとき、川底の軽石層がはげしく揺さぶられたためか、いっときコーヒー色に濁った水が噴出したそうですが、いまはふだんどおり。で、しばしボードウォーク上で撮影していたら、どやどやと団体さんがやってきた。来たはいいけれど、信じがたいことに歩き煙草の人がいた。言っておきますがここは観光地じゃない。地元有志で結成する「みどりのトラスト」が管理する自然保護区であり、われわれの飲料水でもある(「泉水源地」が源頭部対岸にある)。それに足許は板張りの歩道(尾瀬にあるのとおんなじような感じのもの)。このへんではここでしかお目にかかれない「アオハダトンボ」という稀少種も生息している(見かけたが、動きが速すぎて撮影できず … orz )。いずれにせよこういう「物見遊山」気分の方は困る。厳に謹んでいただきたい。… とそんな折も折、なんと柿田川がこのほど「国の天然記念物」に指定されたという朗報が! ちょうど自分が現地に行っていたその日に決まったんだそうです。
追記:先日、某週刊誌を立ち読みしていたら、生前の児玉さんの読書家ぶりを伝える記事がありました … それによると、児玉さんは時代小説の執筆準備に取りかかっていたらしく、また海外文学の翻訳の話もあったらしい。大好きな海外ミステリは邦訳が出るまで待てず、海外に仕事で出られたときに原書をごっそりとまとめ買いするほどだったとか。またあるミステリ作家が児玉さんのインタヴューを受けたさい、児玉さんの読みこみの深さに感動してなんと「創作ノート」をプレゼントしたとか、いかにも児玉さんらしいおもしろいエピソードが満載でした。… それにしても児玉清訳と銘打った邦訳本がついぞ出なかったのは、やはり残念なところ。これほどの愛書家にして読みの深い読者の手になる翻訳は、きっと後世に残る「名訳」になっただろうに(海外ミステリでは、児玉さんは一連の「競馬もの」で知られる故ディック・フランシスが大好きだったとか)。
2). と、そんなとき、名優の児玉清さんが胃癌で亡くなられたとの報をNHKラジオ第1 の「ラジオビタミン」にて聞いて、え、まさかと思った。77 歳、まだあちらへ逝くには早すぎたような気もするが … 児玉さんのイメージは、つい最近では大河ドラマ … もあるけれど、なんといっても36年間、司会を務めてきた「アタック 25」だろう。「慎重かつ大胆に!」とか名台詞を残し、また出場者にたいする気遣いについてもメータに劣らずすばらしかった。当然、本日の放映分は追悼番組に切り替えられてましたが、はじめて目にするオフショットの数々にちょっと涙腺が緩んでしまった。あんなふうにキャンディとか配ってたんですね … このさりげない気配り、さすがです。出場者からの私信にもきちんと返信していたといいます。こういう点でさっぱり気の利かないヤボな門外漢はひたすら頭を掻いて反省しきり。思えば子どものころからあのクイズ番組は大好きでして、土曜の昼に学校から(当時は週休二日制ではない!!)帰宅すると、まっさきに「世界の料理ショー」を見て、日曜朝は「兼高かおる 世界の旅」、そして昼は「アタック 25」と決まっていた。たしか当時の「今週のチャンピオン」に与えられる特典は、花の都パリ旅行だったと思った。憧れのルーヴル美術館とかノートルダム寺院とかの映像を繰り返し見ては、いつか行ってみたいもんだと思っていた(いまもそう orz 先立つものはないが、そろそろ考えるか??)。それはともかくとして、児玉さんは英独仏語に堪能で、かつたいへんな読書家としても有名で、「ラジオビタミン」でもおもしろかった本を定期的に何冊も紹介してくれました。
児玉さん長い間お疲れさまでした。そして、ありがとう。
3). 先日、約20年ぶり(!)くらいに近郊の柿田川を廻ってきました … 風景じたいはそんなに変化ないようですが、やはり湧水量の減少が気になります。3月の大地震のとき、川底の軽石層がはげしく揺さぶられたためか、いっときコーヒー色に濁った水が噴出したそうですが、いまはふだんどおり。で、しばしボードウォーク上で撮影していたら、どやどやと団体さんがやってきた。来たはいいけれど、信じがたいことに歩き煙草の人がいた。言っておきますがここは観光地じゃない。地元有志で結成する「みどりのトラスト」が管理する自然保護区であり、われわれの飲料水でもある(「泉水源地」が源頭部対岸にある)。それに足許は板張りの歩道(尾瀬にあるのとおんなじような感じのもの)。このへんではここでしかお目にかかれない「アオハダトンボ」という稀少種も生息している(見かけたが、動きが速すぎて撮影できず … orz )。いずれにせよこういう「物見遊山」気分の方は困る。厳に謹んでいただきたい。… とそんな折も折、なんと柿田川がこのほど「国の天然記念物」に指定されたという朗報が! ちょうど自分が現地に行っていたその日に決まったんだそうです。
追記:先日、某週刊誌を立ち読みしていたら、生前の児玉さんの読書家ぶりを伝える記事がありました … それによると、児玉さんは時代小説の執筆準備に取りかかっていたらしく、また海外文学の翻訳の話もあったらしい。大好きな海外ミステリは邦訳が出るまで待てず、海外に仕事で出られたときに原書をごっそりとまとめ買いするほどだったとか。またあるミステリ作家が児玉さんのインタヴューを受けたさい、児玉さんの読みこみの深さに感動してなんと「創作ノート」をプレゼントしたとか、いかにも児玉さんらしいおもしろいエピソードが満載でした。… それにしても児玉清訳と銘打った邦訳本がついぞ出なかったのは、やはり残念なところ。これほどの愛書家にして読みの深い読者の手になる翻訳は、きっと後世に残る「名訳」になっただろうに(海外ミステリでは、児玉さんは一連の「競馬もの」で知られる故ディック・フランシスが大好きだったとか)。
2008年12月07日
フルネ氏のこと
先月3日の文化の日に、フランスを代表する世界最高齢の指揮者、ジャン・フルネ氏が逝去されていたことをいまごろになって知りました(遅すぎ…)。巨匠ですから、おそらく地元紙にも訃報くらいは掲載されていたはずだとは思うけれども、気づかなかったorz …それも「明日のNHK-FMはなにやるのかな?」と番組表を見て、「ジャン・フルネ追悼」という見出しが飛びこんできて愕然とした。てっきりお元気だとばかり思っていたのに。3年前に引退記念公演を、ほかならぬこの日本で開いてくれた親日家のマエストロ、長いあいだありがとうございました、という気持ちでいっぱいです。95歳だったので、奇しくもシュヴァイツァー博士とおなじ歳で亡くなられてしまいました(→東京都交響楽団の関連ページ)。
その「フルネ追悼特集」を組んだのは、けさの「20世紀の名演奏」。おなじく「レクイエム」を作曲しているモーリス・デュリュフレがオルガンを弾いているフォーレの「レクイエム」とか、フランス近代ものを中心にかかりました(「レクイエム」ついでに、最近、'Dies irae'の作詞者が聖フランチェスコの高弟にして伝記作者としても知られるトマス・ダ・チェラーノ Tomaso da Celanoなる人だったらしいことを知りました)。合掌。
その「フルネ追悼特集」を組んだのは、けさの「20世紀の名演奏」。おなじく「レクイエム」を作曲しているモーリス・デュリュフレがオルガンを弾いているフォーレの「レクイエム」とか、フランス近代ものを中心にかかりました(「レクイエム」ついでに、最近、'Dies irae'の作詞者が聖フランチェスコの高弟にして伝記作者としても知られるトマス・ダ・チェラーノ Tomaso da Celanoなる人だったらしいことを知りました)。合掌。
2008年08月30日
あまりに悲しすぎる結末
アフガニスタンで農業指導活動に従事していたNGO「ペシャワール会」の伊藤和也さんが誘拐され、殺害された悲報には、多くの方が衝撃を受けたと思います。静岡県出身者なので、当然地元紙は連日のように報じていますが、現地情報が二転三転、「解放」かと思いきや、一転して最悪の結末を迎えたことを最初に知ったとき、「話がちがうじゃないか!」と思わず口走ってしまった。
伊藤さんの所属していた日本人NGOの人たちは、ヘロインの原料になる違法なケシ栽培から小麦などの作物に転換する農業を地元の農家に教える活動をつづけていたらしい。ただ、度重なる旱魃と飢饉で国内治安がかなり悪くなり、昨年から段階的に日本人スタッフを帰国させるようにしていたという。いまごろこんなこと言うのもおかしいけれども、同NGOの農業指導に当たったという方が、伊藤さんから受け取った最後のメールに「8月中旬の帰国はキャンセルしました」と言っていました。そのとき帰国できていれば…とやはり思ってしまう。
伊藤さんが現地で撮影したという写真も見ました。かの地ではよほど信頼されていないかぎり、女性や子供の写真は撮れないといいます(最悪の場合は撃ち殺されるとも)。一面花畑のなかで生き生きとした表情の子どもたちを見ていると、ほんとうに現地の人の信頼が厚かったんだなあということがひしひしと伝わってきます。誘拐されたと知った村の人がそれこそ総動員で捜索に当たり、その数千人とも聞きました。それだけアフガニスタンの人に慕われていたまだ31歳の青年に、どうしてこんなむごいことができてしまうのだろうか…伊藤さんを誘拐した実行犯というアフガニスタン人の写真も見たが、目がうつろだと思った。悲しいことだが、アフガニスタンにかぎらずどこの世界でも「話をしても通じない」人種というものはいるもの。自分たちの不利益となると手段を選ばない。
静岡県関係者でこのような不遇の最期を遂げたのは、4年前の橋田信介氏の場合もそうだった。米軍の攻撃で目を負傷したイラク人少年に日本で治療を受けさせようと奔走していたさなかのことだった。さいわい、この少年は来日して目の手術を受けることができたとはいえ、悲しい事件ではあった。
内戦状態にある国、治安の悪い国へ民間の援助団体の人が活動するのはたしかにいろいろ問題をはらんでいるとは思う。現地スタッフはみんな悔しがっていたといいます。志半ばで倒れた伊藤さんの遺志はかならず引き継ぐと誓い合ったそうですが、マザー・テレサの言った「われわれの最大の敵は、無関心」ということばのように、みんなが関心を持ってできるところから行動することの尊さを身をもって教えてくれたようにも思います。まだまだ生きるべきだった故人にたいして「おくやみ」というのはおかしいとは思うが、いまはただ合掌するほかない。
追記。こういうサイトもあります。わたしも署名しました。
伊藤さんの所属していた日本人NGOの人たちは、ヘロインの原料になる違法なケシ栽培から小麦などの作物に転換する農業を地元の農家に教える活動をつづけていたらしい。ただ、度重なる旱魃と飢饉で国内治安がかなり悪くなり、昨年から段階的に日本人スタッフを帰国させるようにしていたという。いまごろこんなこと言うのもおかしいけれども、同NGOの農業指導に当たったという方が、伊藤さんから受け取った最後のメールに「8月中旬の帰国はキャンセルしました」と言っていました。そのとき帰国できていれば…とやはり思ってしまう。
伊藤さんが現地で撮影したという写真も見ました。かの地ではよほど信頼されていないかぎり、女性や子供の写真は撮れないといいます(最悪の場合は撃ち殺されるとも)。一面花畑のなかで生き生きとした表情の子どもたちを見ていると、ほんとうに現地の人の信頼が厚かったんだなあということがひしひしと伝わってきます。誘拐されたと知った村の人がそれこそ総動員で捜索に当たり、その数千人とも聞きました。それだけアフガニスタンの人に慕われていたまだ31歳の青年に、どうしてこんなむごいことができてしまうのだろうか…伊藤さんを誘拐した実行犯というアフガニスタン人の写真も見たが、目がうつろだと思った。悲しいことだが、アフガニスタンにかぎらずどこの世界でも「話をしても通じない」人種というものはいるもの。自分たちの不利益となると手段を選ばない。
静岡県関係者でこのような不遇の最期を遂げたのは、4年前の橋田信介氏の場合もそうだった。米軍の攻撃で目を負傷したイラク人少年に日本で治療を受けさせようと奔走していたさなかのことだった。さいわい、この少年は来日して目の手術を受けることができたとはいえ、悲しい事件ではあった。
内戦状態にある国、治安の悪い国へ民間の援助団体の人が活動するのはたしかにいろいろ問題をはらんでいるとは思う。現地スタッフはみんな悔しがっていたといいます。志半ばで倒れた伊藤さんの遺志はかならず引き継ぐと誓い合ったそうですが、マザー・テレサの言った「われわれの最大の敵は、無関心」ということばのように、みんなが関心を持ってできるところから行動することの尊さを身をもって教えてくれたようにも思います。まだまだ生きるべきだった故人にたいして「おくやみ」というのはおかしいとは思うが、いまはただ合掌するほかない。
追記。こういうサイトもあります。わたしも署名しました。
2008年04月12日
小川国夫氏まで…
小川国夫氏が逝去された。80歳、まだまだ召される歳ではないと思っていたのですが…。文学関係では、今月2日に児童文学者の石井桃子さんが亡くなったばかり。大物があいついで逝かれ、まさに巨星堕つ、という感じです。もっとも小川作品をまともに読んでいない者が、こんなこと書くのははなはだお門ちがいであることは百も承知なんですが、やはり静岡県ゆかりの作家なので、座視するのも忍びない、と思ったので…(→関連記事1、→関連記事2)。
小川氏は1956年、単車で欧州各地を放浪した体験をもとに綴った『アポロンの島』を世に問うて以来、ずっと生まれ故郷の藤枝市を拠点に活動されてきた。小川氏は生前、「故郷にあるのはことばであり、それこそが母国語であり、故郷に生きることでしか文学は生まれない」と語っていたそうですが、これはなんと深みのあることばではないですか。静岡県で文学同人活動をされている人にとって、文字どおり燈台みたいな偉大な書き手だった、という印象がある。小川氏同様、静岡で文学を志す人の精神的支柱、ということでは、おもに児童文学で活躍された谷本誠剛氏も思い出されます。小川氏はついこの前、たしか新年に地元紙に記事を寄稿されたばかりだったのに、残念でなりません(故郷藤枝には、小川氏の作品もふくむ郷土ゆかりの作家の貴重な資料を展示した文学館が昨年秋に開館している)また小川氏は、ローマカトリックの信徒でもありました。遅まきながら、氏のキリスト教関連の著作をなにか読んでみようかと思います。自分の読書の好みとして、随筆とか紀行ものが好きなので、そちらのほうも探してみようかな。とにかくいまたはただ、ご冥福をお祈りするばかりです。合掌。Requiem aeternam dona ei, Domine: et lux perpetua luceat ei. Requiescant in pace.
小川氏は1956年、単車で欧州各地を放浪した体験をもとに綴った『アポロンの島』を世に問うて以来、ずっと生まれ故郷の藤枝市を拠点に活動されてきた。小川氏は生前、「故郷にあるのはことばであり、それこそが母国語であり、故郷に生きることでしか文学は生まれない」と語っていたそうですが、これはなんと深みのあることばではないですか。静岡県で文学同人活動をされている人にとって、文字どおり燈台みたいな偉大な書き手だった、という印象がある。小川氏同様、静岡で文学を志す人の精神的支柱、ということでは、おもに児童文学で活躍された谷本誠剛氏も思い出されます。小川氏はついこの前、たしか新年に地元紙に記事を寄稿されたばかりだったのに、残念でなりません(故郷藤枝には、小川氏の作品もふくむ郷土ゆかりの作家の貴重な資料を展示した文学館が昨年秋に開館している)また小川氏は、ローマカトリックの信徒でもありました。遅まきながら、氏のキリスト教関連の著作をなにか読んでみようかと思います。自分の読書の好みとして、随筆とか紀行ものが好きなので、そちらのほうも探してみようかな。とにかくいまたはただ、ご冥福をお祈りするばかりです。合掌。Requiem aeternam dona ei, Domine: et lux perpetua luceat ei. Requiescant in pace.
2007年10月21日
あまりに早すぎる死
JICAの青年海外協力隊員としてアフリカ・ザンビアに派遣されていた若い女性が急逝した…という記事が土曜日の地元紙夕刊一面に掲載されていて、自分もわが目を疑いました。紙面には足踏みミシンを前にして、村の娘さんたちとはちきれんばかりの笑顔を見せている写真も掲載されていました。享年26歳。神様はときとしてなんと無慈悲なのだろう。
「しずおか異国通信」という、海外で活躍されている静岡県出身の方が寄稿する短い連載コラムがあって、たとえばパリ在住のエッセイストという女性は、「パリは表通りはきれいだが一歩路地裏に入ると犬の糞だらけ」とか、現地に住んでいる人ならではのおもしろくてためになる話が読めます。絶筆となった最後の短信文には、日本のふろしきよろしく使いようによってはなんにでも使える「チテンゲ」なる布のことを書いていました。電気・水道なしの村で、旅立つ前に習得した裁縫技術の指導にあたって現地女性の自立支援をしたり、収入向上のためのローンの仕組みづくりにも取り組んでいたらしい。
4月、現地を訪問した妹さんに、「楽しくてたまらない」と話していたという。任期は来年3月までだったらしい。今月6日、脳内出血で倒れ、志半ばで亡くなられた。臨終のさい、ひと粒の涙を流したという。
自分もふくめていまの日本人は、自分はなにもしない反面、人の揚げ足取りのようなクレーマーが多い気がする(そう言えばそんなお題の本がベストセラーになってもいる)。かなり昔、あるTV番組でシュヴァイツァー博士にかんするクイズを放映したとき、回答者のひとりが当時、晩年の博士を批判する風潮があったことに触れて、「なんだかんだ言ったって行動した人がいちばんえらい。よっぽど強い意志がなければ、あんなひどい状況で50年も活動できるわけがない」と発言していたのを思い出す。そう、じっさいに行動した人がいちばんえらいのです。
とにかくほんとうに残念でならない。ご本人もさぞや無念だったろう。老若男女問わず情けない事件の報道ばかりが目につく昨今ですが、彼女のような気高い志をもった若い人はまだまだたくさんいるので、きっと彼女の遺志を継いでくれる人が現れると思います。合掌。
「しずおか異国通信」という、海外で活躍されている静岡県出身の方が寄稿する短い連載コラムがあって、たとえばパリ在住のエッセイストという女性は、「パリは表通りはきれいだが一歩路地裏に入ると犬の糞だらけ」とか、現地に住んでいる人ならではのおもしろくてためになる話が読めます。絶筆となった最後の短信文には、日本のふろしきよろしく使いようによってはなんにでも使える「チテンゲ」なる布のことを書いていました。電気・水道なしの村で、旅立つ前に習得した裁縫技術の指導にあたって現地女性の自立支援をしたり、収入向上のためのローンの仕組みづくりにも取り組んでいたらしい。
4月、現地を訪問した妹さんに、「楽しくてたまらない」と話していたという。任期は来年3月までだったらしい。今月6日、脳内出血で倒れ、志半ばで亡くなられた。臨終のさい、ひと粒の涙を流したという。
自分もふくめていまの日本人は、自分はなにもしない反面、人の揚げ足取りのようなクレーマーが多い気がする(そう言えばそんなお題の本がベストセラーになってもいる)。かなり昔、あるTV番組でシュヴァイツァー博士にかんするクイズを放映したとき、回答者のひとりが当時、晩年の博士を批判する風潮があったことに触れて、「なんだかんだ言ったって行動した人がいちばんえらい。よっぽど強い意志がなければ、あんなひどい状況で50年も活動できるわけがない」と発言していたのを思い出す。そう、じっさいに行動した人がいちばんえらいのです。
とにかくほんとうに残念でならない。ご本人もさぞや無念だったろう。老若男女問わず情けない事件の報道ばかりが目につく昨今ですが、彼女のような気高い志をもった若い人はまだまだたくさんいるので、きっと彼女の遺志を継いでくれる人が現れると思います。合掌。
2007年09月01日
サイデンさん逝く
『雪国』、『伊豆の踊り子』など川端文学の名英訳者で、『源氏物語』の英訳など、数々の訳業を残して日本文学界に多大な貢献をしたエドワード・サイデンステッカー先生が亡くなられた。享年86。今年の春に自宅で転倒して頭部を強打、昏睡状態に陥り、そのまま意識はもどらずに召されてしまった…とのこと。てっきり元気なものと思っていただけにちょっとショックでした(→NYtimesの記事)。
はじめて知ったけれど、サイデン先生はもと海兵隊員で、硫黄島作戦にも参加していたらしい。硫黄島、と言えば例の星条旗の写真がひじょうに有名ですが、あの写真を撮った隊員ジョー・ローゼンソールもちょうど一年前(8月20日)に94年の天寿をまっとうしたことをふと思い出した。
永らく日米を往復する生活を送っていたけれど、昨年春に日本永住を決意されたばかりだったというのに…。
日本人以上に日本文化にたいして造詣が深く、その博覧強記ぶりに舌を巻くような外人ならぬ「内人」とでも言うべきすごい方はほかにももちろんいるけれど、こと文学においてはサイデン先生とドナルド・キーン先生ほど傑出した人もいないと思う。ちょうどときおなじくして地元紙にはさまってくるお坊さんの書いたコラムを見たら朝青龍問題に触れて、「『日の下開山』の意義と心構えは、外国生まれには理解がむづかしかろう」との一文があったが、すぐれた文物を見抜く目をもった人ならば日本人だろうが外国人だろうが関係ないことだと思う。よくありがちな「日本固有の伝統文化は外国人には理解できない」的発想ですね。あの横綱の場合は、ただたんに性格の問題かと思う。日本文化に精通した「内人」は昔からけっこういますよ。ラフカディオ・ハーンなんかもそうですね。身近な例では、旧清水市にも「ウィーン生まれの日本男児」と言いたいくらいの日本人以上に日本人な人を紹介した地元TV局の番組を見たことがありますし(こちらはもと「ウィーンの森少年合唱団」団員だったという経歴の持ち主)。逆に、クリスチャンでもなんでもない日本人がバッハの音楽を聴いて涙するのもおなじこと。ドイツ人でなければダメとか日本人でなければダメ、ということはけっしてない。日本語についてはいまどきの人のほうが日本語がからきしできない人が多いのではないでしょうか。「トレンド」というカタカナ語は知っていても、「スウセイ」を漢字で書けないとか。以前おんなじこと書いたかもしれないが、「心のおけない友だち」をまるで逆の意味にとってしまうとか。
そうは言っても、さしものサイデン先生をして川端文学は「翻訳不可能」と言わしめてもいる。たとえば『雪国』冒頭のあの印象深い書き出しのサイデン訳は
The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky.
となっていて、サイデン先生は「夜の底が白くなった」の部分について、「nightとwhiteと韻を踏ませることで表現した」と述べています。とにかく翻訳に際して苦労されたことだけはたしかです(「国境(くにざかい)」ということばも英訳文のリズムを優先してあえて訳さなかったらしい)。
The quiet pond
A frog leaps in,
The sound of the water.
こちらは有名な芭蕉の句のサイデン訳。五七五に対応するかたちで英語の3行詩にまとめています(ただし頭韻・押韻・フットは無視)。「古池や…」を'the quiet pond'と表現を変えたことについてもたしかどこかで苦労話を読んだ憶えがあります。当たり前ですが、ここをまんま'old pond'にしたらそれこそばかげていてぶち壊しです。
知らぬ間に来て泊まっていたのかと疑って、島村がまくらもとの時計をひろうと、まだ六時半だった。(『雪国』)
... Shimamura glanced around the room, wondering if she had come in the night without his knowing it. He picked up the watch beside his pillow. It was only six-thirty.
原作とサイデン訳とを比べてみると、日本語と英語でおなじ状況を言うのにこうもちがうのかとあらためて感じます。主語と人称代名詞の有無、文意を正確に伝える必要最低限の補充とそれに伴うセンテンス分けなど、和文英訳という観点から見てもまさにうってつけの教材でもあります。
日本文学の英訳ついでに思い出しましたが、ある小説で、酔っ払って「トラ」になった…という箇所をなにを思ったか、「彼はtigerになった」みたいに誤訳した英訳者がいるとか。げに難しき日本語哉!!
自分自身の勉強のためにも、ひさしぶりにサイデン先生の英訳版『伊豆の踊り子』と原本とをならべて読んでみようかな。合掌。
はじめて知ったけれど、サイデン先生はもと海兵隊員で、硫黄島作戦にも参加していたらしい。硫黄島、と言えば例の星条旗の写真がひじょうに有名ですが、あの写真を撮った隊員ジョー・ローゼンソールもちょうど一年前(8月20日)に94年の天寿をまっとうしたことをふと思い出した。
永らく日米を往復する生活を送っていたけれど、昨年春に日本永住を決意されたばかりだったというのに…。
日本人以上に日本文化にたいして造詣が深く、その博覧強記ぶりに舌を巻くような外人ならぬ「内人」とでも言うべきすごい方はほかにももちろんいるけれど、こと文学においてはサイデン先生とドナルド・キーン先生ほど傑出した人もいないと思う。ちょうどときおなじくして地元紙にはさまってくるお坊さんの書いたコラムを見たら朝青龍問題に触れて、「『日の下開山』の意義と心構えは、外国生まれには理解がむづかしかろう」との一文があったが、すぐれた文物を見抜く目をもった人ならば日本人だろうが外国人だろうが関係ないことだと思う。よくありがちな「日本固有の伝統文化は外国人には理解できない」的発想ですね。あの横綱の場合は、ただたんに性格の問題かと思う。日本文化に精通した「内人」は昔からけっこういますよ。ラフカディオ・ハーンなんかもそうですね。身近な例では、旧清水市にも「ウィーン生まれの日本男児」と言いたいくらいの日本人以上に日本人な人を紹介した地元TV局の番組を見たことがありますし(こちらはもと「ウィーンの森少年合唱団」団員だったという経歴の持ち主)。逆に、クリスチャンでもなんでもない日本人がバッハの音楽を聴いて涙するのもおなじこと。ドイツ人でなければダメとか日本人でなければダメ、ということはけっしてない。日本語についてはいまどきの人のほうが日本語がからきしできない人が多いのではないでしょうか。「トレンド」というカタカナ語は知っていても、「スウセイ」を漢字で書けないとか。以前おんなじこと書いたかもしれないが、「心のおけない友だち」をまるで逆の意味にとってしまうとか。
そうは言っても、さしものサイデン先生をして川端文学は「翻訳不可能」と言わしめてもいる。たとえば『雪国』冒頭のあの印象深い書き出しのサイデン訳は
The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky.
となっていて、サイデン先生は「夜の底が白くなった」の部分について、「nightとwhiteと韻を踏ませることで表現した」と述べています。とにかく翻訳に際して苦労されたことだけはたしかです(「国境(くにざかい)」ということばも英訳文のリズムを優先してあえて訳さなかったらしい)。
The quiet pond
A frog leaps in,
The sound of the water.
こちらは有名な芭蕉の句のサイデン訳。五七五に対応するかたちで英語の3行詩にまとめています(ただし頭韻・押韻・フットは無視)。「古池や…」を'the quiet pond'と表現を変えたことについてもたしかどこかで苦労話を読んだ憶えがあります。当たり前ですが、ここをまんま'old pond'にしたらそれこそばかげていてぶち壊しです。
知らぬ間に来て泊まっていたのかと疑って、島村がまくらもとの時計をひろうと、まだ六時半だった。(『雪国』)
... Shimamura glanced around the room, wondering if she had come in the night without his knowing it. He picked up the watch beside his pillow. It was only six-thirty.
原作とサイデン訳とを比べてみると、日本語と英語でおなじ状況を言うのにこうもちがうのかとあらためて感じます。主語と人称代名詞の有無、文意を正確に伝える必要最低限の補充とそれに伴うセンテンス分けなど、和文英訳という観点から見てもまさにうってつけの教材でもあります。
日本文学の英訳ついでに思い出しましたが、ある小説で、酔っ払って「トラ」になった…という箇所をなにを思ったか、「彼はtigerになった」みたいに誤訳した英訳者がいるとか。げに難しき日本語哉!!
自分自身の勉強のためにも、ひさしぶりにサイデン先生の英訳版『伊豆の踊り子』と原本とをならべて読んでみようかな。合掌。
2007年03月24日
ヘフリガー氏逝く
17日、奇しくも聖パトリックの祝日にスイス出身の名テノール、エルンスト・ヘフリガー氏が故郷ダボスで亡くなった。享年87歳。急性心不全だったらしい。先月だったか、NHK教育の「思い出の名演奏」で、1992年に来日したときのもようを放映してました。歌っていたのは、すべて日本歌曲。そのときはじめて知ったのですが、ヘフリガー氏は本場欧州の超一流歌手としてはひじょうに希なことですが、日本歌曲をなんと日本語で歌う、ということを晩年のレパートリーとしてまじめに取り上げていたようです。当然のことながら当時、ヘフリガー氏のこの野心的ともいえる試みは日本の聴衆に深い感銘をあたえたらしい。じっさいにヘフリガー氏の熱演を見ていると、ドイツ人歌手が日本語で歌う、ということがまったく新奇に聴こえない。ヘフリガーと言えば、かつてカール・リヒター指揮「マタイ受難曲」での福音史家の名演ぶりがすぐに思い出されるのですが、日本歌曲を歌うその姿もじつに説得力があり、日本歌曲の普遍性、すばらしさを再認識させてくれました。あのとつとつと優しく語りかけるような歌い方が、聴く者の心を深く揺さぶります。涙が出るほど感動しました。
昨今のテノール歌手はたいていがオペラ畑の歌手。ヘフリガー氏はオペラにも出演したけれど、どちらかと言えばドイツリートの大家という印象が強いですね。まちがいなく20世紀を代表するドイツリート歌手のひとり、と言えるでしょう。合掌。
昨今のテノール歌手はたいていがオペラ畑の歌手。ヘフリガー氏はオペラにも出演したけれど、どちらかと言えばドイツリートの大家という印象が強いですね。まちがいなく20世紀を代表するドイツリート歌手のひとり、と言えるでしょう。合掌。
2006年12月23日
バーベラ氏逝く
1). 18日の地元紙朝刊の訃報欄。扱いこそ小さかったけれども、見覚えのある名前と顔写真が。アニメーション作家ジョゼフ・バーベラ氏でした。享年95歳。死因は老衰らしい。ロス郊外の自宅で息を引き取った、ということなのでりっぱな大往生、と言えるかもしれません。
バーベラ氏、というと、往年の名コンビ、故ウィリアム・ハンナ氏(2001年に90歳で逝去)との合作アニメ作品がいくつか思い浮かびます…「スクービー・ドゥー」、「原始家族フリントストーン」、「宇宙家族ジェットソン」、「ヨギ・ベア」、「チキチキマシン猛レース」…でもなんといってもこのコンビの名声を高めたのはMGM時代に制作された「トムとジェリー」シリーズでしょう。
自分も子どものころ、TVで再放映(何回目?)していたのをよく見ていました。10年以上前にも地元放送局が旧シリーズと新シリーズをつづけて放映していたとき、なるべくすべて録画しようとして録りためたVHSテープをいまだに何本も保管していますが、たまに見てみるとけっこうおもしろくて、懐かしさも手伝ってついつい見入ってしまいます。いまにして思うと、この「トムとジェリー」シリーズを通してはるかな大国アメリカとその文化というものを知ったような気がします。アニメというといまや日本発の作品が世界中を席巻している感ありですが、かつて漫画(cartoon)とアニメーションは、実写映画とならんで米国大衆文化の象徴的存在のように評されていました。自分にとっての「トムとジェリー」はまさしくそんな作品。たとえば上下べつべつに動くあの妙ちきりんなドア。たいてい体の大きなトムのほうが痛い目にあわされるのですが、あれがDutch doorなる代物だと知ったのは高校生になってからでした。オイルヒーターやディスポーザーなどをはじめて知ったのもこの「トムとジェリー」から。でも短編映画として製作された初期シリーズは日本と米国が戦っている最中の作品なので、たとえば中間部に挿入される独立した短編には「引退したB-29」の一家、なんてものも登場したりで時代性が反映した作品もひじょうに多いし、当時の米国人の理想のライフスタイル観がどんなものなのか、考現学ふうに見直してみるのもおもしろいかもしれません(ちなみに好きな作品はトムとジェリーがたまさか「休戦」する「メリークリスマス!」とか、ジェリーの親戚ペコスおじさんがドタバタを巻き起こす「ひげも使いよう」、主役ふたり(二匹?)は出てこないけれども「へんてこオペラ」は最高に笑えます)。
国内の多くのニュース配信サイトでも、「トムとジェリー」生みの親の死について報道していますが、NYTimesの訃報記事によると、アニメーターになる前は銀行勤めのほかにも脚本を書いたり、なんとアマチュアのボクサーだったときもあったり(コナン・ドイルもボクシングはかなりの腕前だった)と、いろいろな職業を経験していたみたいですね。
…国内でもここのところ訃報があいついでいますが、下田海中水族館に36年ものあいだ「勤続」していた雌のオキゴンドウ「ジャンボ」までとうとう逝ってしまった。何度か城山の麓、深い入江にある水族館に行って「ジャンボ」もふくめたイルカショーを見たりしたので、やはり寂しい。
2). …きのうのNHK-FM「ミュージックプラザ第1部 クラシック」。オールクリスマス楽曲で、帰宅してすぐラジカセの電源を入れるととたんに聞き覚えのある歌声が。ひさしぶりにBACのMerry Christmasの収録曲を聴きました。書棚から、ニューカレッジの演奏会場で買ったCarols for Christmas Morning と女子パウロ会が出している「オルガン選曲集/ヨーロッパのクリスマス」、それと山野楽器で買ったハノーファー少年合唱団の歌とナレーションの楽しい「降誕物語」とBACのアルバムも取り出してみる。これからえんえんと聴いてみようかな。
…そういえば夕方6時前、オランダ・アルクマール(ヴァルヒャが2度目のバッハ・オルガン作品全集の録音のときに弾いたシュニットガー改作の歴史的オルガンがある街)のチーズ造りの話を放映していたとき、おお、これまたどこかで聴いたことのあるソプラノヴォイスが…と思っていたら、懐かしのリアム・オケインではないですか。流れたのはたしかR.シュトラウスの「あすの朝」だったと思います。
バーベラ氏、というと、往年の名コンビ、故ウィリアム・ハンナ氏(2001年に90歳で逝去)との合作アニメ作品がいくつか思い浮かびます…「スクービー・ドゥー」、「原始家族フリントストーン」、「宇宙家族ジェットソン」、「ヨギ・ベア」、「チキチキマシン猛レース」…でもなんといってもこのコンビの名声を高めたのはMGM時代に制作された「トムとジェリー」シリーズでしょう。
自分も子どものころ、TVで再放映(何回目?)していたのをよく見ていました。10年以上前にも地元放送局が旧シリーズと新シリーズをつづけて放映していたとき、なるべくすべて録画しようとして録りためたVHSテープをいまだに何本も保管していますが、たまに見てみるとけっこうおもしろくて、懐かしさも手伝ってついつい見入ってしまいます。いまにして思うと、この「トムとジェリー」シリーズを通してはるかな大国アメリカとその文化というものを知ったような気がします。アニメというといまや日本発の作品が世界中を席巻している感ありですが、かつて漫画(cartoon)とアニメーションは、実写映画とならんで米国大衆文化の象徴的存在のように評されていました。自分にとっての「トムとジェリー」はまさしくそんな作品。たとえば上下べつべつに動くあの妙ちきりんなドア。たいてい体の大きなトムのほうが痛い目にあわされるのですが、あれがDutch doorなる代物だと知ったのは高校生になってからでした。オイルヒーターやディスポーザーなどをはじめて知ったのもこの「トムとジェリー」から。でも短編映画として製作された初期シリーズは日本と米国が戦っている最中の作品なので、たとえば中間部に挿入される独立した短編には「引退したB-29」の一家、なんてものも登場したりで時代性が反映した作品もひじょうに多いし、当時の米国人の理想のライフスタイル観がどんなものなのか、考現学ふうに見直してみるのもおもしろいかもしれません(ちなみに好きな作品はトムとジェリーがたまさか「休戦」する「メリークリスマス!」とか、ジェリーの親戚ペコスおじさんがドタバタを巻き起こす「ひげも使いよう」、主役ふたり(二匹?)は出てこないけれども「へんてこオペラ」は最高に笑えます)。
国内の多くのニュース配信サイトでも、「トムとジェリー」生みの親の死について報道していますが、NYTimesの訃報記事によると、アニメーターになる前は銀行勤めのほかにも脚本を書いたり、なんとアマチュアのボクサーだったときもあったり(コナン・ドイルもボクシングはかなりの腕前だった)と、いろいろな職業を経験していたみたいですね。
…国内でもここのところ訃報があいついでいますが、下田海中水族館に36年ものあいだ「勤続」していた雌のオキゴンドウ「ジャンボ」までとうとう逝ってしまった。何度か城山の麓、深い入江にある水族館に行って「ジャンボ」もふくめたイルカショーを見たりしたので、やはり寂しい。
2). …きのうのNHK-FM「ミュージックプラザ第1部 クラシック」。オールクリスマス楽曲で、帰宅してすぐラジカセの電源を入れるととたんに聞き覚えのある歌声が。ひさしぶりにBACのMerry Christmasの収録曲を聴きました。書棚から、ニューカレッジの演奏会場で買ったCarols for Christmas Morning と女子パウロ会が出している「オルガン選曲集/ヨーロッパのクリスマス」、それと山野楽器で買ったハノーファー少年合唱団の歌とナレーションの楽しい「降誕物語」とBACのアルバムも取り出してみる。これからえんえんと聴いてみようかな。
…そういえば夕方6時前、オランダ・アルクマール(ヴァルヒャが2度目のバッハ・オルガン作品全集の録音のときに弾いたシュニットガー改作の歴史的オルガンがある街)のチーズ造りの話を放映していたとき、おお、これまたどこかで聴いたことのあるソプラノヴォイスが…と思っていたら、懐かしのリアム・オケインではないですか。流れたのはたしかR.シュトラウスの「あすの朝」だったと思います。
2006年11月04日
巨星堕つ
白川静先生が亡くなられた。先月30日のことだったらしい。
齢96にしてなお現役の漢字語源研究者で、地元紙にも「白川博士の漢字ワールド」という、NIE(「教育に新聞を!」運動)協賛の特集記事をときおり掲載して、そのつど自分も「へぇ〜!!」と感心しきりだった。
白川先生についてはNHKの特集番組かなにかで見て知った、というていど、『字統』のみ図書館でちょっと閲覧したていどなんですが、その学問研究にたいする真摯な姿勢と言うか、求道者という言い方がぴったりな「わが道をゆく」的な物腰がなんともカッコよくて、日本にもこんなすごい大先生がいるんだと強く印象に残っています。NHKテレビで見たときは、京都のご自宅書庫で文字どおり古今の漢字学文献に埋もれて虫眼鏡片手に黙々と研究をつづける姿、午後3時きっかりに「哲学の道」を散歩される姿が映し出されて、その規則正しい生活ぶりはどこかカトリックや正教の修道士然としていた。漢字語源にかんする分野の研究はほとんど白川先生が独力で切り開かれたようなものなので、いわゆる「学閥」とも無縁で、その意味でも真の学究者だった。また漢字の成り立ちについての解説もほんと「目からうろこ」で、これまた驚かされることが多かった。最近、英語学習でも「語源」から系統立てて学ぶことの重要性が説かれているけれども、漢字もまたしかりで、小中学校の国語とくに漢字学習もたんに暗記するばかりではなくて、もっと「漢字の成り立ち」から芋づる式につながるような教授法にしなければほんとうに身につかないのではと思う(自分自身、漢字のど忘れのひどいことは棚にあげてはいるけれどorz)。ことばの学習では、なんの脈略もない単語どうしをいっぺんに覚えようったって生理的に受けつけないのでテストが終わればすぐに忘れてけっきょく非効率。やはり「語源」とか、「成り立ち」とかで系統立てて学習したほうが、一見回り道に見えて一番の早道のような気がする。ことばは歴史・文化にほかならないのだから、いくら語彙が豊富でも、ことばの周辺領域まで学ばなければそれこそ「木を見て森を見ず」で終わってしまうでしょう。
…と思っていろいろ検索して見たら、なんとおあつらえむきにこんな記事が。そうそう、これこそ理想的な学習法ですね。たんなる詰め込みではだれだっておもしろくもなんともないけれども、漢字の成り立ちをわかりやすく説明することから入れば自然と興味がわいてくる、興味がわけば自分からその先が知りたくなる。子どもってそういうものだと思います。
「お釣りは…からになります」、「あちらで…お伺いください」などヘンテコな日本語がまかり通り、「心のおけない親友」がまったく逆の意味に取られたりと、日本人相手に日本語が通じなかったりするこのご時世に、またひとり偉大な「ことばの教師」が逝ってしまった。合掌。
…それと直接関係はないけれど、文学つながりでは『ソフィーの選択』で有名な米国人作家ウィリアム・スタイロン氏も1日に逝去されたとのこと。享年81歳。
…ついでに有名なことではあるが念のため。「目からうろこ」は聖書(新共同訳版)「使徒言行録」第9章18節、「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」から派生した表現です(サウロは偉大な伝道者聖パウロのもとの名)。ついでに「豚に真珠」も。有名な「山上の説教」でイエスが述べたとされる説教から(「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」Matt.7:6.)。
齢96にしてなお現役の漢字語源研究者で、地元紙にも「白川博士の漢字ワールド」という、NIE(「教育に新聞を!」運動)協賛の特集記事をときおり掲載して、そのつど自分も「へぇ〜!!」と感心しきりだった。
白川先生についてはNHKの特集番組かなにかで見て知った、というていど、『字統』のみ図書館でちょっと閲覧したていどなんですが、その学問研究にたいする真摯な姿勢と言うか、求道者という言い方がぴったりな「わが道をゆく」的な物腰がなんともカッコよくて、日本にもこんなすごい大先生がいるんだと強く印象に残っています。NHKテレビで見たときは、京都のご自宅書庫で文字どおり古今の漢字学文献に埋もれて虫眼鏡片手に黙々と研究をつづける姿、午後3時きっかりに「哲学の道」を散歩される姿が映し出されて、その規則正しい生活ぶりはどこかカトリックや正教の修道士然としていた。漢字語源にかんする分野の研究はほとんど白川先生が独力で切り開かれたようなものなので、いわゆる「学閥」とも無縁で、その意味でも真の学究者だった。また漢字の成り立ちについての解説もほんと「目からうろこ」で、これまた驚かされることが多かった。最近、英語学習でも「語源」から系統立てて学ぶことの重要性が説かれているけれども、漢字もまたしかりで、小中学校の国語とくに漢字学習もたんに暗記するばかりではなくて、もっと「漢字の成り立ち」から芋づる式につながるような教授法にしなければほんとうに身につかないのではと思う(自分自身、漢字のど忘れのひどいことは棚にあげてはいるけれどorz)。ことばの学習では、なんの脈略もない単語どうしをいっぺんに覚えようったって生理的に受けつけないのでテストが終わればすぐに忘れてけっきょく非効率。やはり「語源」とか、「成り立ち」とかで系統立てて学習したほうが、一見回り道に見えて一番の早道のような気がする。ことばは歴史・文化にほかならないのだから、いくら語彙が豊富でも、ことばの周辺領域まで学ばなければそれこそ「木を見て森を見ず」で終わってしまうでしょう。
…と思っていろいろ検索して見たら、なんとおあつらえむきにこんな記事が。そうそう、これこそ理想的な学習法ですね。たんなる詰め込みではだれだっておもしろくもなんともないけれども、漢字の成り立ちをわかりやすく説明することから入れば自然と興味がわいてくる、興味がわけば自分からその先が知りたくなる。子どもってそういうものだと思います。
「お釣りは…からになります」、「あちらで…お伺いください」などヘンテコな日本語がまかり通り、「心のおけない親友」がまったく逆の意味に取られたりと、日本人相手に日本語が通じなかったりするこのご時世に、またひとり偉大な「ことばの教師」が逝ってしまった。合掌。
…それと直接関係はないけれど、文学つながりでは『ソフィーの選択』で有名な米国人作家ウィリアム・スタイロン氏も1日に逝去されたとのこと。享年81歳。
…ついでに有名なことではあるが念のため。「目からうろこ」は聖書(新共同訳版)「使徒言行録」第9章18節、「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」から派生した表現です(サウロは偉大な伝道者聖パウロのもとの名)。ついでに「豚に真珠」も。有名な「山上の説教」でイエスが述べたとされる説教から(「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」Matt.7:6.)。
