2016年09月04日

フローベルガー ⇒ 『フィネガンズ・ウェイク』

 先週の「古楽の楽しみ」は夏の特番のようでして、古楽界で活躍されているさまざまなゲストの方といっしょに進行する、というものでした。で、なかでもおもしろかったのは、以前ここでも取り上げたフローベルガーの「組曲 第 27 番 ホ短調 アルマンド」。これ作曲者自身が「ライン渡河の船中で重大な危険に遭遇して作曲」とかっていう副題つけている作品で、なんと、レオンハルトや弟子のボプ・ファン・アスペレンが各フレーズを説明する独白とともに弾いているというひじょーに珍しい音源があるという! で、番組ではその珍しい音源ふたつがかかりまして、レオンハルトのほうはたしかに「ノーブルな( 当日のゲスト演奏家の弁 )」、あの落ち着いた声でチェンバロばらばら弾きつつライン川に落っこちた顛末を語ってました。なるほど、状況を描写する「語り」付きだと、だれが聴いてもとてもわかりやすいですな。

 で、聴いてるうちにふと思ったんですが … そうか、ジョイス最晩年の畢生の大作『フィネガンズ・ウェイク』も、こんなふうな「講釈」付きで「演奏」される「楽譜」みたいな作品なんだな、と。ほんらい文学作品というものは、ふつーに活字を目で追って読んで楽しめばそれでいいんですが、これはそうはいかない。それがジョイスの仕掛けた「小説のたくらみ」なんだから。でもこちとらとしては目の前の本をなんとか読まなくてはならない( あるいは throw-away しちゃうか、ブルームみたいに )。楽譜それじたいでは音も鳴らず、作品として完成させるにはまずもって演奏家の介在が絶対不可欠なんですが、ジョイス自身、「純粋な音楽( エルマンの『ジョイス伝』から )」だと語っていたところからして、そんなら「講釈付き」の演奏ヴァージョンで柳瀬訳を読んでみたらどうだろうか、と思ったしだい。というわけで、本日は「ヤナセ語」訳、いや、演奏版かな、ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』冒頭部を見てみようと思います。まずは「講釈」付きの原文から、開巻ページ( p.3 、この作品は世界で唯一、ページ構成が異なる刊本や版であってもすべておんなじという本になっている。だから読むのはくたびれるが、検索するときはすこぶる便利な造りになっている )。「講釈」はおもにこちらの注釈付きサイトおよび手許のキャンベル本( Campbell, H.M. Robinson, A Skeleton Key to Finnegans Wake )、そして手に入れたばかりの古本『フィネガン辛航紀( 1992 )』を参照しました。*
riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodious vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.

riverrun:コールリッジの詩 Kubla Khan 冒頭節[ In Xanadu did Kubla Khan / A stately pleasure-dome decree : Where Alph, the sacred river, ran / Through caverns measureless to man /
Down to a sunless sea. ]を暗示するという説あり。地誌的に読めば、「リフィー川がフランシスコ会アダムとイヴ教会の前を過ぎ、曲がりくねって湾に達し、ホウス岬にある城とその周縁へとわれらをふたたび引き連れる」。Eve and Adam's:フランシスコ会系教会で、別称「無原罪の御宿り教会」。アングリカン系のクライストチャーチ大聖堂にも近い場所にある。昔、同じ名前の居酒屋で隠れてミサをあげていたことからいまでもそう呼ばれている。cf.「死せるものたち」( 新潮文庫版『ダブリナーズ』p. 298 )
commodious vicus :ローマ皇帝コンモドゥス、ジャンバッティスタ・ヴィーコが隠れている。commodious は「広くてゆったりした空間」または good の意。vicus は中世の分教区単位としての小村で、' a convenient cycle' ともとれる。
「イヴとアダム[ アイルランド神話のアナじゃないけど、ジョイスはここで大地母神的なイヴのほうを先に出している ]」ということからして、ここは「創世記」の記述も暗示させる。ようはすべての始まり、ということ[ そしてまた巻末の the でぐるっともどってくる ]。

Sir Tristram, violer d'amores, fr'over the short sea, had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war: nor had topsawyer's rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County's gorgios while they went doublin their mumper all the time: nor avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick: not yet, though venissoon after, had a kidscad buttended a bland old isaac: not yet, though all's fair in vanessy, were sosie sesthers wroth with twone nathandjoe. Rot a peck of pa's malt had Jhem or Shen brewed by arclight and rory end to the regginbrow was to be seen ringsome on the aquaface.

violer d'amores:楽器の「愛のヴィオラ」と violeur d'amours を引っかけている。チェンバロやクラヴィコード、オルガン、サックバットなんかも登場することからして、中世以来の「古い」楽器を取り上げているところもこの作品の中世趣味が伺われる[ cf. 「そりゃあもう魂臨菜 ( こんりんざい )、昼邪 ( ひるじゃ ) つきあいきれないくらい中世だった<『フィネガン III 』p.51、原本では p. 423 > 」 ]。サー・トリストラムは前にも書いたけど実在のホウス初代城主サー・アモリー・トリストラムで、もちろん騎士トリスタン( ウェールズ語ではドラスタン・ヴァーブ・タスフ )が響き、ひょっとしたら(?)『トリストラム・シャンディ』も隠れているかも。
fr'over the short sea:from over the Irish 'Choppy' Sea、日本の「鳴門海峡」なんかもそうだけど、だだっ広い大洋ではなく「短い海」は狭く、潮流の激しい荒海も想起させる。
environs:郊外、周縁部。
had passencore rearrived ... :仏語 pas encore で「まだ … ない」。North Armorica はブルターニュの古名と北アメリカの暗示。過去完了とそれと矛盾する「まだ … ない」で、直線的ではない円環する時間の流れを暗示。
scraggy isthmus:「ぎさぎざの地峡」、子宮の一部名称も暗示か? 
his penisolate war:歴史上の「半島戦争」と「男女の一戦[ あとはご想像にお任せします ]」とを掛けているらしい。ナポレオンとの戦いについてはすぐあとの「博茸館」の展示案内で細かく描写される。
wielderfight his penisolate war:独語の wieder( again )と wielder と戦いを掛けあわせている。
topsawyer's rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County's gorgios while they went doublin their mumper all the time:topsawyer は材木のてっぺんに立って鋸引く人、親方。これと当地ダブリン建設者としてジョイスが出版人宛て書簡で言及したアイルランド移民ピーター・ソーヤー → トム・ソーヤーとを掛けている[ ただし、実際の名前はジョナサン・ソーヤー ]。オコネー川は米国ジョージア州ローレンス郡庁所在地ダブリンを流れる川。ダブリン市の守護聖人聖ローレンス、初代ホウス城主の改名後の名前ローレンスとも掛けている。
exaggerated themselse to:ダブリンのモットーは ' Doubling all the time.' でもある。rocks には money の意もあり、好景気で町の人口が増えつづけ発展したこと、または rocks を睾丸と取れば文字通り子孫が繁栄して町が栄えたことを暗示。
gorgios:非ジプシー民あるいは「若造」と、gorgeous が響く。
doublin their mumper:double + Dublin、mumper:number + 1492 年に初めて醸造された当地の地ビール MUM からか。
avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick:a voice from a fire bellowed ME to baptise thou-art-peat-rick.
独語 taufen は「洗礼を施す」、mische miche[ アイルランド語で I AM, ME ]は混線しがちな無線交信で繰り返した時代の表現。全体として聖パトリック来島によるアイルランド全土のキリスト教化を暗示。また mishe にモーセが響くとする説あり。そうすると燃える柴の話(「出エジプト 3:2」)ともからめて「燃える柴」を「燃える泥」、ピートの島アイルランドとも読める。
venissoon:very soon と鹿肉の venison。
kidscad buttended a bland old isaac:以下、「創世記」のエサウとヤコブの家督権をめぐって父親のイサクじいさんを騙した話につながる( 「創世記」27:19 )。またここではチャールズ・パーネルによりアイルランド国民党当主の座を追われたアイザック・バットの話も同時に織り込まれてもいる。双子兄弟の息子と親父の HCE との確執、世代間闘争の暗示。
all's fair in vanessy, were sosie sesthers wroth with twone nathandjoe:vanessy には vanity とスフィフトの愛人のひとりヴァネッサが、sosie sesthers にはもうひとりの愛人名ステラが入っている。
twone nathandjoe:twone は two + one、うしろのは Jonathan をひっくり返してふたつにしたアナグラム。Jonathan の愛称 Nathan は「サムエル記」に出てくる預言者の名前でもある[ ナタンはダビデ王が人妻を娶ったことを非難した。HCE のフィーニクス公園での「罪」の暗示 ]。
Jhem or Shen, rory end to the regginbrow was to be seen ringsome on the aquaface : いずれも「創世記」のノアの息子たちのセム、ハム、ヤフェトを暗示、また Jhem or Shen = Jameson ととれば、ギネス醸造所と並んで老舗ウィスキー蒸溜所のジェイムソンとも読める。全体で「親父の麦芽を2ガロンほどジェムかシェンがアーク灯の明かりで発酵させると、虹が弧を描いてその赤い端が水面を囲んで見えはじめた」。rory end には orient も響く[ ジョイス自身の説明では rory は red の意らしい ]。regginbrow は 独語 regenbogen + rainbow で、新しい時代の幕開け、移行を暗示。また『フィネガン II 』冒頭の章に出てくるイシーの友だち「四重虹集い」のフローラたち[ 4x7= 28 人 ]も暗示。

The fall (bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonnerronn- tuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthurnuk!) of a once wallstrait oldparr is retaled early in bed and later on life down through all christian minstrelsy. The great fall of the offwall entailed at such short notice the pftjschute of Finnegan, erse solid man, that the humptyhillhead of humself prumptly sends an unquiring one well to the west in quest of his tumptytumtoes: and their upturnpikepointandplace is at the knock out in the park where oranges have been laid to rust upon the green since devlinsfirst loved livvy.

a once wallstrait oldparr:昔、英国シュロップシャーにいた 152 歳まで生き長らえたというトーマス・パーという老人とその老人にちなんだウィスキー OLD PARR およびウォール街の株式相場。「暴落」、つまり「転落」の暗示。ちなみに百語の「雷鳴」の日本語について、ジョイスはあるとき、「日本には四つの怖いものがあると聞いたが、カミナリはそのひとつに入っているか?」と質問している。retaled:retold
christian minstrelsy:19 世紀、米国からロンドンにやってきて公演していた Christy Minstrels という一座と Christian ministry を引っ掛けている。あるいは中世ヨーロッパのミンネゼンガーたちの後裔か。
pftjschute of Finnegan:pfui → 嫌悪、chute → 転落
erse solid man = Irish man
humptyhillhead of humself prumptly:ハンプティ・ダンプティと「背こぶのある」HCE の暗示。
humptyhillhead:落っこちてダブリンに横たわるフィネガンの「頭」の丘、つまりホウス岬。
to the west in quest of his tumptytumtoes:ふくれた「あんよ」を探して西へ、つまりフィーニクス公園の丘。その前の well は公園化される前にここに存在したとされる「泉」も暗示か。
their upturnpikepointandplace is at the knock out in the park where oranges have been laid to rust upon the green since devlinsfirst loved livvy :フィーニクス公園近くチャペリゾッドには 19 世紀までターンパイクがあった。HCE のパブはそのチャペリゾッドにある。knock out はアイルランドゲール語 cnoc、つまり hill + Castleknock。カッスルノックはフィーニクス公園北西の門 … らしいが、キャンベルによるとそこにはセメタリーがあったみたいです。死のイメージなのかな。西は死者の国の方角ですし。
orange, green はカトリック( 土着のアイルランド人 )とプロテスタント( 侵略者 )との対比。
 … とってもちかれた。暑いし( 苦笑 )、でもこれまだ開巻 1 ページ[ p. 3 ]目だけナンスよ。キャンベル本はこの冒頭部だけ「精密に」検討していて、次のページのパラグラフもあるんだけど、とても邪ないがもうムリ。文献資料のたぐいがワタシの周囲を囲んで( environ )いるので、暑さはさらに輪をかけられ、化身とならざる身、いよいよもって混乱の度を増しております、というわけで、暑さに負けずに気力を振り絞って( ? )つづけますと、ヤナセ語訳による冒頭部が意外にも( ! )すなおな直訳に近く、しかも日本語の文章として読んでもすこぶるおもしろいという、とんでもない離れ軽業を披露している、ということをあらためて再確認したしだいであります … ほんとに清水ミチコさんじゃないけど、「世界初の活字芸人」の面目躍如です。

 以上の「講釈」―― と言ってもこれが完全な「解釈」なんてことはありえず、あくまで可能性のひとつにすぎないが ―― を踏まえて、柳瀬先生による名訳をじっくり味わってみましょう[ 訳文の総ルビは割愛 ]。
 川走、イブとアダム礼盃亭を過ぎ、く寝る岸辺から輪ん曲する湾へ、今も度失せぬ巡り路を媚行し、巡り戻るは栄地四囲委蛇たるホウス城とその周円。
 サー・トリストラム、かの恋の伶人が、短潮の海を越え、ノース・アルモリカからこちらヨーロッパ・マイナーの凹ぎす地峡へ遅れ早せながら孤軍筆戦せんと、ふた旅やってきたのは、もうとうに、まだまだだった。オコーネー河畔の頭ソーヤー団地がうわっさうわっさとダブリつづけ、ローレンス郡は常時阿集にふくれあがったのも、もうまだだった。遠炎の一声が吾め割れ目とのたまわって汝パトリックの泥誕を洗礼したのも、もうまだだった。鹿るのちに、山羊皮息子が若下司のいたりで盲碌伊作爺さんを食ぶらかしたのも、じきにまだだった。恋は発条サというものの、ステラれ姉妹がふたりでに情ナサン男に憤ったのは、まだだった。親父の麦芽をちょっぴり醱酵させたのをジェムかシェンがアーク明りのもとで醸造し終えると、赤にじむ虹弓の端が水面に弧つぜんと見えようとしていた。
 転落( ババババベラガガラババボンプティドッヒャンプティゴゴロゴロゲギカミナロンコンサンダダンダダウォールルガガイッテヘヘヘトールトルルトロンブロンビピッカズゼゾンンドドーッフダフラフクオオヤジジグシャッーン!)、旧魚留街の老仁の尾話は初耳には寝床で、のちには命流くキリシ譚吟遊史に語り継がれる。離壁の大潰落はたちまちにしてごっ墜男フィネガンのずってーん落を巻き込んで、頭んぐり身が食むしゃらに浅索好きを西へと井戸ませ、無垢っちょあんよを探しにやらせる。するとそのひっくり肢ってん場っ点は公園の隅ロッキー、どぶリンの初いとしいリフィーがく寝って以来、オレンジたちが寄りどりち緑に赤さびるままにい草っているところ。( pp. 19 − 20 )

 そして、対立する二者の闘争、あるいは「意くさ」の話につながり、「棟梁フィネガン」の埋葬へとつながっていく。「く寝る」とか「委蛇たる」、「短潮の海」、「孤軍筆戦」なんかはさすが。代わりに「愛のヴィオール」はあんまり反映されてないけど、おそらく全体としての軽重( ケイジュウじゃないですよ )を判断してのことだと思う。「行」や「礼亭」にもトリスタン伝説、あるいは「聖杯」のニュアンスが入っているように思う。

 ただ、この作品については、手許の Penguin 版の序文を書いてるジョン・ビショップさんという人の意見に全面的に諸手を挙げて賛成ですね。つまり一般的な「直線的語り」で話が進む小説とまるでちがって、この本の語りはそれこそのれつの回らない酩酊言語の夢言語の多層言語構造なので、「理屈の上では、この本の読者はどこから読んでも、楽しみと恩恵を得ることができる」。† もっとも、「現場作業員」たる翻訳者はそういうわけにはいかないが。

 以前、柳瀬先生のこの『フィネガン』翻訳について、日本の地名( このへんだと石廊崎や田子 )や川名( 黄瀬川[!]、那賀川まで出てくる )、果ては著名人の名前まで出てきて、なんて自由な翻訳なんだろう、と書いた覚えがあるけれど、こうして『辛航紀』を読みますと、いやいやどうしてそんなことはなかったんですね。たった一行しか、訳せなかった日もあったそうですし( そりゃそうだろう … )。大変失礼しました、と言いたいところだが、それでもある意味では先生はとても恵まれた方だったように思う。先生ご自身、べつの著作でこう書いてます。
… 当時は、ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳に没頭していた。昼夜の別なくジョイス語の世界にどっぷり浸かっていた。一睡もしないまま大学に行って授業に入る日も多く、それが体力的にかなり無理になっていた。『フィネガンズ・ウェイク』を取るか大学を取るかの選択で、ぼくは『フィネガンズ・ウェイク』を取った。
――『日本語ほど面白いものはない:邑智小学校六年一組 特別授業』p. 13
 柳瀬先生の御霊安らかにと祈りつつ、この前「きらクラ!」で耳にしたフィンジの「エクローグ」を捧げたいと思います。



*... 参考文献など:
宮田恭子『ジョイスと中世文化 ―「フィネガンズ・ウェイク」をめぐる旅』みすず書房 2009
同    『抄訳 フィネガンズ・ウェイク』集英社 2004
柳瀬尚紀『フィネガン辛航紀:「フィネガンズ・ウェイク」 を読むための本』河出書房新社 1992
同   『翻訳は実践である』河出書房新社 1997
同   『辞書はジョイスフル』TBS ブリタニカ 1994
同   『日本語ほど面白いものはない:邑智小学校六年一組 特別授業』新潮社 2010
J. Campbell & H.M. Robinson : A Skeleton Key to Finnegans Wake: Unlocking James Joyce's Masterwork 1944 ; Collected Works of Joseph Campbell, New World Library Edition, 2005

† ... 使用した原書は James Joyce, Finnegans Wake, Penguin Classics Reissue edition, 1999 。引用箇所は p. x 。なおこちらのようなすばらしいサイトも「遅れ早せながら」、このたび発見した。そして余談ながら、「日本ジェイムズ・ジョイス協会事務局」がなんと !! 静岡市にあったこともつい最近知った( joyceful ! )。

posted by Curragh at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 名訳に学ぶ

2016年08月22日

『ダブリナーズ』

 予告通り、先月逝去された柳瀬尚紀先生の名訳から、いくつか引いてみたいと思います。まずはジョイス初期の傑作短篇集 Dubliners ( 1914;新潮文庫版 2009 )から、出だしの「姉妹 The Sisters 」冒頭部を[ 以下、下線は引用者、ルビと太字強調は訳文のまま ]。*
 あの人は今度こそ助からない。三度目の卒中だった。毎晩毎晩、僕はあの家の前へ行っては( 学校は休みに入っていた )、明かりの(とも)っている四角い窓を見つめた。来る晩も来る晩も、ほんのりと一様に、変らず明りが点っていた。もし()くなったのなら、暗く(かげ)ったブラインドに(ろう)(そく)影が映るはずだ。死んだ人の(まくら)(もと)には二本の蠟燭を立てることになっているのだから。しょっちゅう聞かされていた。わたしはもう長くない。そんなのは(あだ)(ごと)だと思っていた。今になってみれば、本当だったのだ。毎晩、あの窓を見上げながら、(ちゅう)(ふう)という言葉を小さくひとりごちた。それまではずっと、別世界の言葉みたいに耳になじまないひびきだった。(ユー)()(リッド)(けい)(せつ)(けい)(カテ)()()()の聖職売買という言葉と同じようなひびき。それが今や、極悪非道の生き物の名前みたいなひびきに聞える。怖くて(すく)みあがった。そりくせ少しは近づいて行って、そいつの荒仕事を見届けたい気がした。( p. 11 )
 おんなじ箇所を、新潮文庫にかつて入っていた旧訳版と比較してみます。
 今度はもうだめだろう、これで三度目の卒中だったから。毎晩のように、私はあの家の前を通って( ちょうど休暇だったので )、あかりのついた四角い窓を注意ぶかくながめた。くる晩もくる晩もそこは相変わらず、淡く一様に明るんでいるのを見た。もし()くなったのなら、暗くかげった(まど)(おお)いに(ろう)(そく)の灯がうつるだろう、と私は思っていた。なぜというに、死人の頭のところには必ず二本の蠟燭を立てるということを知っていたから。彼はよく私に言ったものだ ―― 「わしはもう長くはあるまい」と、だが、私はそれをいいかげんな言いぐさとしか考えていなかった。いまそのことばが嘘でないことがわかった。毎晩窓を仰ぎながら、私はひとり小さな声で、「(パラ)(リシス)」と言ってみるのだった。これは私の耳に、ユークリッド幾何学の()()(モン)( 訳注 平行四辺形の一角を含んでその相似形を切り取った残りの形 )ということばや、『カトリック要理』の中の()()()()( 訳注 僧職における昇進、禄、利得を売買する行為 )ということばとおなじように、いつも奇妙にひびくのであった。けれども、いまは何か(ざい)(ごう)の深い者の名前のようにひびいてきた。で、私はこわくてたまらないのだが、しかもなお、それに近よってその恐ろしい働きを見とどけたいと思うのだった。

[ 原文 ]:THERE was no hope for him this time: it was the third stroke. Night after night I had passed the house ( it was vacation time ) and studied the lighted square of window: and night after night I had found it lighted in the same way, faintly and evenly. If he was dead, I thought, I would see the reflection of candles on the darkened blind for I knew that two candles must be set at the head of a corpse. He had often said to me : I am not long for this world, and I had thought his words idle. Now I knew they were true. Every night as I gazed up at the window I said softly to myself the word paralysis. It had always sounded strangely in my ears, like the word gnomon in the Euclid and the word simony in the Catechism. But now it sounded to me like the name of some maleficent and sinful being. It filled me with fear, and yet I longed to be nearer to it and to look upon its deadly work.

 この冒頭部の下線箇所、集英社版『ダブリンの市民( 1999 )』ではそれぞれ「休暇中だった」、「 … 暗いブラインドに蠟燭の()(かげ)が映るはずだ」、「いつもはこの言葉がよそよそしく響いたものだ」になってます。「よそよそしい」、むむむ。当たらずとも遠からず? 

 前にも書いたように、翻訳というのは音楽作品の演奏( 解釈 )とおんなじで、翻訳者が 10 人いれば 10 通りの訳文ができあがるもので、ワタシはこの人のこの訳が好き、という嗜好の問題もあるので一概にいいとか悪いとか言えないかもしれない。偉大な先達による翻訳という営為にケチつける、という意図はまったくないながら( そんな資格も三角もないことは重々承知 )、ではこのジョイスの手になる短編冒頭をはじめて読む読み手にとって、どれがもっともイメージを掻き立てられる翻訳なのか、あるいはどの訳がこの物語をすんなりイメージできるのか。そういう視点に立ったとき、今回、3 人の訳者先生による「姉妹」冒頭部の訳文をはじめて突き合わせて一読した者としては、やはり柳瀬先生の翻訳がもっとも鮮やかで、自然で、神経の行き届いた訳文に仕上がっている、というのが率直な感想でした。たとえば新潮文庫の旧版の書き出しは、とてもじゃないが少年の視点で語られている文章とは思えず、壮年期にさしかかってからの回想文体のようで、ジョイスの意図にはそぐわないんじゃないの、と一読者としてはそんなふうにも感じる。「文体」って文学作品の命みたいなもんですから、翻訳するときはこういう点にも神経を配らないといけない … と自分に言い聞かせつつ。

 柳瀬先生の他の著作もこの際だからといくつか読んでみると、集英社の3巻本『ユリシーズ』邦訳に対してはずいぶんと辛辣です。たしかに不要な「脚注」というのもところどころ目についたりする。「姉妹」にしても、のっけに出てくる gnomon について、「平行四辺形の一角からその相似形を取り去った残りの部分」まではいいにしても、なんでまたすぐそのあとに「日時計の指針という意味もある」なんてつづくのか。こんなとこでいきなり「日時計の針」なんてあり得ないのにもかかわらず、にです[ もっとも、「出会い」にさりげなく出てくる「日もいまだ明けやらぬうちに … 」というのが『ガリア戦記』の英訳引用とか、「土くれ」に出てくるマイケル・ウィリアム・バルフという人のオペラのアリア「夢に見しわれは」、あるいは「委員会室の蔦の日」のチャールズ・スチュアート・パーネルについての説明とかは邦訳読者の理解の助けになるとは思うけど ]。

 著作を読んだかぎりでは、柳瀬先生にとって翻訳とはまずなによりも「文体を翻訳すること」の一点に尽きる。深町眞理子氏も、著作でやはり「いかに」をどう訳出するか、を強調していて、けっきょくおんなじことをおっしゃっている。そういう「柳瀬の姿勢」は、随所に見られる。たとえば「二人の伊達男 Two Gallants 」に出てくる 'His voice seemed winnowed of vigour ; and to enforce his words he added with humour : ... ' を「この声は活力を簸( ひ )られたふうだった。そこで言葉を補強すべく、茶目っ気をこめて言いそえた」とあえて古風な「簸る」を当ててます。おなじ箇所を新潮文庫旧訳版は「彼の声は、精力からふるい出されるようだった。そして、自分の言葉を強調するために、諧謔( かいぎゃく )を加えて言い添えた ―― 」、集英社版では「その声には活力を吹き捨てたような感じがある。彼は自分の言葉を強調するために、ユーモアをまじえてつけ加えた」。… むむむ、「ふるい出される」だの、「吹き捨てた」だの … なんかこういまいちピンとこないなあ( 苦笑 )。外ヅラの威勢だけはやたらいい、カラ元気張ってるだけってとこなんだろうけれども。

 短編集なので、あっちこっち拾いたいのはやまやまながら、一気に飛んでもっとも有名な巻末の「死せるものたち The Dead 」の、もっとも印象的な終結部を一部ですが引いてみます。
 カサカサッと窓ガラスを打つ音がして、窓を見やった。また雪が降りだしている。眠りに落ちつつ見つめると、ひらひら舞う銀色と黒の雪が、灯火の中を斜めに滑り落ちる。自分も西へ向う旅に出る時が来たのだ。そう、新聞の伝えるとおりだ。雪はアイルランド全土に降っている。…… 雪がかすかに音立てて宇宙の彼方から()(なた)から舞い降り、生けるものと死せるものの上にあまねく、そのすべての(さい)()の降下のごとく、かすかに音立てて降り落ちるのを聞きながら、彼の魂はゆっくりと感覚を失っていった。

[ 原文 ]:A few light taps upon the pane made him turn to the window. It had begun to snow again. He watched sleepily the flakes, silver and dark, falling obliquely against the lamplight. The time had come for him to set out on his journey westward. Yes, the newspapers were right : ...... His soul swooned slowly as he heard the snow falling faintly through the universe and faintly falling, like the descent of their last end, upon all the living and the dead.

 旧訳版では、
 サラサラと窓ガラスにあたる軽い音が、彼を窓の方にふりむかせた。また雪が降りはじめたのだ。彼は(がい)(とう)の光へ斜めに落ちかかる、銀と薄墨の雪片を眠たげにながめた。西部への旅に出発する時間がきたのだ。そう、新聞の言うとおりだ、アイルランドじゅうがすっかり雪なのだ。…… 天地万物をこめてひそやかに降りかかり、なべての生けるものと死せるものの上に、それらの最期が到来したように、ひそやかに振りかかる雪の音を耳にしながら、彼の心はおもむろに意識を失っていった。

 両訳文を比べてみてどうでしょうか。ひとつ気づくのは人称代名詞の頻度。柳瀬訳では「自分」以外の「彼」だの「それら」だのがひとつも使われていないことに気づきます。これも先生の「翻訳の姿勢」かと思ったしだいです。ワタシもなるべく人称代名詞は使いたくない人で、理想はコミさん[ 故田中小実昌氏 ]みたいな文章が書けるといいな、なんて不遜にも考えていたりするんですけど、柳瀬先生も人称代名詞なしでこの終結部をみごとに訳出されてます。いまひとつ気づくのが、降り落ちる雪の擬音の処理。北海道根室市出身、ということもあるのだろうか、「カサカサッ」という窓に当たる音がとても vivid に聞こえる。ここの箇所を集英社版では「二、三度、窓ガラスを軽く打つ音が聞こえたので、彼は窓の方を向いた」。またしても「彼」 !! あと細かいことだが「〜の方へ」という言い方も、スピード感が殺がれてよくないと思う。

 「姉妹」も「死せるものたち」も、話者こそ生けるものたちではあるけれど、そのじつ死者がテーマになっている作品、というわけでつぎは「死者たちの声」に溢れかえっているような、というかアビイ叫喚みたいな作品へとつづく……

* ... 手許にある原本は James Joyce, Dubliners , Modern Library Edition, repr., corrected text by Robert Sholes in consultation with Richard Ellmann, New York, 1993。柳瀬先生の著作の引用はすべて『翻訳は実践である』、河出文庫、1997。

posted by Curragh at 03:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 名訳に学ぶ

2015年11月29日

『チップス先生 さようなら』

 「名訳に学ぶ」、本日はジェイムズ・ヒルトン不朽の名作 Goodbye, Mr Chips 。訳者は菊池重三郎氏、邦訳本[ 新潮文庫版 ]は 1956 年、というから、ヘルムート・ヴァルヒャが「バッハオルガン作品全集」ステレオ録音に取りかかったのとおなじ年というから、そうとう古い! 訳語の選択もいまからすればやや時代がかっている感ありではありますが、英米文芸ものを勉強する向きにはとても参考になる邦訳だと、個人的には思ってます。というわけで、まずは出だしから( 手許の原書は Bantam Books Edition, 1986、下線強調は引用者 )。
 年をとってくると、( もちろん病気ではなくて )、どうにも眠くてうつらうつらすることがある。そんな時には、まるで田園風景の中に動く牛の群れでも見るように、時のたつのがものうく思われるものだ。秋の学期が進み、日足も短くなって、点呼の前だというのに、もうガス燈をつけずにはいられないほど暗くなる時刻になると、チップスが抱く思いはそれに似たようなものであった。チップスは、老船長のように、過去の生活から身に沁みた色々の合図でもって、いまだに時間を測るくせがあった。道路をはさんで学校と隣り合ったウィケット夫人の家に住んでいる彼にしてみれば、それも無理ない話、学校の先生を辞めてから十年以上もそこで暮らしていながら、彼とこの家の主婦とが守っているのは、グリニッジ標準時間というよりは、むしろブルックフィールド学校の時間であった[ pp. 5−6 ]。

When you are getting on in years ( but not ill, of course ), you get very sleepy at times, and the hours seem to pass like lazy cattle moving across a landscape. It was like that for Chips as the autumn term progressed and the days shortened till it was actually dark enough to light the gas before call-over. For Chips, like some old sea captain, still measured time by the signals of the past; and well he might, for he lived at Mrs. Wickett's, just across the road from the School. He had been there more than a decade, ever since he finally gave up his mastership; and it was Brookfield far more than Greenwich time that both he and his landlady kept.

 彼は年をとってきた ( だが、もちろん病気ではない )。メリヴェイル医師も言うように、まったく、どこといって具合の悪いところは少しもなかった。
 「どうも、あなたの元気にゃあ、かないませんな
 と、たいがい二週間ぐらい間を置いては()に来てくれるメリヴェイルは、シェリー酒をなめながら驚いて見せるのである[ ibid. ]。

He was getting on in years ( but not ill, of course ); indeed, as Doctor Merivale said, there was really nothing the matter with him. "My dear fellow, you're fitter than I am," Merivale would say, sipping a glass of sherry when he called every fortnight or so.
 作者ヒルトンがこの愛らしい作品をものしたのは ―― なかば伝説化しているかもしれないが ―― British Weekly 1933 年クリスマス号に掲載するための小品を依頼されたためで、アイディアが煮詰まって呻吟しているとき、自転車に乗って近所をぐるぐる回っていたときにひらめいて、というか天から降ってきて、締め切り前わずか4日間で一気呵成に書き上げた、と言われてます。

 つぎに、父親がタイタニック号に乗船していた生徒とのやりとりの科白から。
… 「さて、…… あーム …… グレイスン、よかったなあ。めでたしめでたしだ。君もこれでホッとしたにちがいない」
 「は、はい、先生」
 静かな、ものに感じ易い少年だったが …… 後日、チップスがお悔みを述べるような運命( めぐりあわせ )になった相手は、父親のグレイスンで、この息子の方ではなかった。[ p. 56 ]

... "Well, umph−I'm delighted, Grayson. A happy ending. You must be feeling pretty pleased with life."
"Y-yes, sir."
A quiet, nervous boy. And it was Grayson Senior, not Junior, with whom Chips was destined later to condole.
 懇意にしてくれた老校長亡きあと、赴任した若い新校長ロールストンとの諍いの場面。あんたの教えるラテン語の発音は時代遅れだ、ただちに新方式に改めよ、と暗に退職を迫ってきて一悶着あった場面から。
 チップスは敵に組み付く手掛かりを、やっと掴んだ。
 「ああ、そんなことですかい?」
 彼は軽く相手をイナシて答えた。[ p. 60, 「イナシ」に傍点]

... At last Chips had something tangible that he could tackle. "Oh, THAT!" he answered, scornfully.
 やり手( a live wire )のロールストン校長の宣伝工作のおかげ(?)で名門ブルックフィールドにも無教養な「成金」の子息たちが大量に入ってきたことに対する、チッピング[ チップス先生の本名 ]先生の辛辣なコメントから。
… 怒りっぽく、諧謔を解せず、釣り合いのとれた感覚というものを欠いている、それが成り上がり者の正体で …… まったく、均衡感覚の欠如である。だから、何はさて惜いても、ブルックフィールドで教えこまなければならぬものは、このことであって、その意味では、ラテン語もギリシャ語も化学も機械学も実はそれほど重要ではない。しかも、この釣り合いの感覚という奴は、試験問題にしたり、修了証書を与えて、それでどうこう決まりをつけるわけにはいかんじゃないか …… 。[ p. 64 ]

... Touchy, no sense of humor, no sense of proportion−that was the matter with them, these new fellows... No sense of proportion. And it was a sense of proportion, above all things, that Brookfield ought to teach −not so much Latin or Greek or Chemistry or Mechanics. And you couldn't expect to test that sense of proportion by setting papers and granting certificates...
… なんだかどっかの国のお役所に言って聞かせてやりたい独白ではある。

 全欧州を巻きこんだ第1次世界大戦。ある満月の夜、独軍機がバラバラと空爆してきた。そのとき年少者クラスでラテン語の古典を読ませていたチップス先生は、このまま校舎内にとどまっていたほうが安全だと考え、授業を続行した。
… 彼はかまわずラテン語を続けていった。ドカンドカン響き渡る砲声と高射砲弾の耳を貫くような唸りに、ともすれば消されそうになる声を大きくして。生徒は苛々して、勉強に身を入れてるものはほとんどなかった。彼は静かに言った。
 「ロバートスン、世界歴史のこの特別な瞬間に、…… あーム …… 二千年前ガリアで、シーザーが何をしようと、そんなことは …… あーム …… 何となく二義的な重要性しかなく、[ 中略 ] … どうでもいいと、君は思うかもしれない。しかし、わしははっきり言っておくが、…… あーム …… ロバートスン君や、真実( ほんとう )はそんなもんじゃないんだよ」
 ちょうどその時、凄まじい爆発の音が、それもすぐ近くで、爆発した。
 「 …… いけないんだ、…… あーム …… もの事の重大さを、…… あーム …… その物音で判断してはな。ああ、絶対にいけないんだ」
 クスクス笑いが聞こえた。
 「二千年も長い間、大事がられてきた、…… あーム …… このようなことは、化学( バケガク )屋が、実験室で、新種の害悪を発明したからといって、そんなもので、消し飛んでしまうもんではないんだよ」[ pp. 83 −4]

So he went on with his Latin, speaking a little louder amid the reverberating crashes of the guns and the shrill whine of anti-aircraft shells. Some of the boys were nervous; few were able to be attentive. He said, gently: "It may possibly seem to you, Robertson − at this particular moment in the world's history − umph − that the affairs of Caesar in Gaul some two thousand years ago − are − umph − of somewhat secondary importance ...... But believe me − umph − my dear Robertson − that is not really the case." Just then there came a particularly loud explosion − quite near. "You cannot − umph − judge the importance of things−umph−by the noise they make. Oh dear me, no." A little chuckle. "And these things − umph − that have mattered − for thousands of years−are not going to be−snuffed out−because some stink merchant − in his laboratory − invents a new kind of mischief." [ stink について、『ランダムハウス』の語義説明によると「{単数扱い}{英俗}(学科としての)化学;自然科学」]
例によって脱線すると、今年は三島由紀夫生誕 90 年( あのような死を遂げてから 45 年 )でもあるんですが、その三島氏は、こちらの本によるとこんなことも言っていたそうですよ。「若い人は、まず古典を読むべきだ」。英文学者の斎藤兆史先生も、オックスフォードだったか、そこで「宣命[ せんみょうと読む ]」の研究をしている英国人学生のことを NHK の語学テキストに書いていたけど、いまや風前の灯なのかね、チップス先生よろしくこういう「すぐ役に立たないもの[ つまり、お金にならないもの ]」を教えることに関する対立ないし論争は、昔もいまもよくあることだったのかもしれない。げんにロールストン校長の口を借りて、こんな科白も出てくる。「時代は、あなたがそれを理解すると否とに拘らず、今や刻々と変化しているのです。このごろの親たちは、誰にも通じないような言葉の切れ端なんかどうでもよいから、もっと何か、三年間の学費で、役に立つものを仕込んで貰いたいと要求しだしているのです[ p. 62 ]」。

 そして引用が相前後するけど、前出のグレイスン少年、このつながりで気づいた方もおられると思うが、彼はブルックフィールド校出身の戦死者のひとり、というわけなんですね。校内礼拝堂で行われた追悼式典でチップス先生が、戦場に散った教え子とかつての同僚の名前を声を震わせて読みあげるくだりは、この時代を生きた作者ヒルトンの「戦争は絶対悪だ」というつよい思いがひしひしと伝わってくる(「チップスは、礼拝堂の後ろの席にいて、考えるのである、校長にとってはただ名前だけですむ。自分のように顔を覚えているわけではないからまだいい …… 」)。

 最後に訳者先生による巻末の「解説」からも少し引いておきます。
… < チップス先生 >は、…… 音楽的で、緊密で、冗漫なところがなく、散文詩でも読むような美しさである。それは用意周到な計量において創られたものではなく、霊感によって、流るるが如く、歌いあげられたものである。
訳者先生はこう評して、ヒルトンという書き手[ と、その文体 ]の「音楽性」に注目して書いてます。それと同時に、菊池先生の訳文もまた流れるような音楽性というものが感じられます。もっとも「イナシて」に見られるように、この先生お得意の日本語表現、というのもたぶんにあるかもしれない。ことこの作品の翻訳にかぎって言えば、なんというか、原作以上に名調子が随所に顔を出していて、それがまたパンチがほどよく効いていて、読んで心地よいのもまた事実。講談師の名講釈を聞いている趣さえあります。その菊池氏が、ハーパー・リーの名作『アラバマ物語』の邦訳も手がけていたこともつい最近知ったようなていたらくなわが身ではあるけれど、こんどはこちらもあわせて読んでみたいと思った。「翻訳はせいぜいもって 30 年」とかって言われるけれど、半世紀以上も持ちこたえているこの邦訳本は称賛に値する、と思ってます。

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2015年09月28日

『マンスフィールド短編集 幸福・園遊会』

 村岡花子訳『王子と乞食』を取り上げてから、ずいぶん時間が経ってしまいました。気がつけばもう秋、スーパームーンの「十六夜」の満月を迎えてしまった( なんか欧州では皆既月蝕らしいけれど )。

 で、たまにはこちらのトピックもなにか取り上げようかと考えてたんですが … たまたま読んだ英米ノンフィクションものの名翻訳家、故鈴木主税先生の著書にも引用されていた、ニュージーランド出身でフランスで没したキャサリン・マンスフィールドの作品集からいくつか引くことにしました( なんか強引? )。

 邦訳は、『マンスフィールド全集』を除けば、新潮文庫に入っている短編集と岩波文庫に収録されている短編集、そしてちくま文庫に入っている短編集とがあるようですが、とりあえず今回はいつも行ってる図書館の書庫にこれまたたまたまあった岩波版を取り上げてみます[ 以下、参照した原書は The Collected Stories of Katherine Mansfield, Penguin Twentieth-Century Classics, 1981 ]。

 どなただったか、「翻訳なんて 30 年もてばよいほう」とか発言された大御所がおりましたが、手許の岩波版の邦訳[ 崎山正毅、伊沢龍雄 共訳 ]は初版刊行がなんと 1969 年 !! アポロ 11 号の月着陸の年じゃね。でもほんとうの「初版」はもっともっと古くて、1934 年 !!! 訳者曰く、「このたび、新しい版を出すおすすめを受け、伊沢龍雄君と分担して仕事にかかることとした」。

 で、さっそくもっと新しい『全集( 1999 )』本と併せて読んでみると、これが意外にも(?)こちらの思っていたほどには訳文の古色蒼然さは感じられず、むしろ『全集』よりもよいのでは、と思える箇所も散見された。これは比べ読みしたこっちもちょっとびっくりだった。
... And this was her corner. She stumbled a little on her way out and lurched against the girl next her. “I beg your pardon,” said Rosabel, but the girl did not even look up. Rosabel saw that she was smiling as she read.
 Westbourne Grove looked as she had always imagined Venice to look at night, mysterious, dark, even the hansoms were like gondolas dodging up and down, and the lights trailing luridly − tongues of flame licking the wet street − magic fish swimming in the Grand Canal. She was more than glad to reach Richmond Road, but from the corner of the street until she came to No. 26 she thought of those four flights of stairs. Oh, why four flights! It was really criminal to expect people to live so high up.

[ 中略 ]バスがロザベルの下りる街かどに着いた。彼女は、下りようとしてちょっとつまずき、隣りにいる娘の方によろめいた。「失礼しました。」と彼女はいったが、娘は顔もあげなかった。ロザベルは、彼女が本を読みながら笑っているのを見た。
 ウェストボーン・グローヴは、彼女がいつも想像しているヴェニスの夜のように、暗く神秘的に見えた。二輪馬車までが河をゆききするゴンドラのようであった ―― そのぶきみに尾を引く馬車の燈火は、まるで焔の舌が濡れた街路をなめているようで ―― 大運河に泳いでいる美しい魚にも似ていた。彼女は、リッチモンド・ロードに着いてなんともいえぬくらいうれしかった。しかし、街かどから二六番地に行く間、あの五階まで上る階段のことを考えさせられた。ああ、あ! 四つの階段! あんな高いところに人間が住むなんて言語道断だわ! 

―― 「ロザベルの疲れ[ 作品冒頭部、引用した原文はこちら。引用文中「大運河」に「グランド・キャナル」のルビ、pp. 12 − 13 ]」
 'I beg your pardon' というのがやはり時代を感じさせます( いまだったら ' I'm sorry ! ' がふつうだろう )。これは岩波版の冒頭に収録された短編で、しかもマンスフィールド 19 歳のときの処女短編でもある … 書かれたのはなんと 1908 年 !!  ジェイコブ・A・リースがニューヨークの「ばた屋横丁」のスラム街をマグネシウム粉を爆発させてストロボ焚いて撮影していた、そんな時代の作品なんであります。当時の「乗り合いバス」は、当然のことながらいま街なかを走ってるやつとはまるでちがう代物。馬車も現役だったころのお話です。
The Picton boat was due to leave at half-past eleven. It was a beautiful night, mild, starry, only when they got out of the cab and started to walk down the Old Wharf that jutted out into the harbour, a faint wind blowing off the water ruffled under Fenella's hat, and she put up her hand to keep it on. It was dark on the Old Wharf, very dark ; the wool sheds, the cattle trucks, the cranes standing up so high, the little squat railway engine, all seemed carved out of solid darkness. Here and there on a rounded wood-pile, that was like the stalk of a huge black mushroom, there hung a lantern, but it seemed afraid to unfurl its timid, quivering light in all that blackness; it burned softly, as if for itself.

ピクトン行きの船は十一時半出航の予定だった。暖かで、星のかがやく美しい夜であった。しかし、みんなが、馬車から下りて、港につき出ている「旧波止場」を歩き出すと、海面から吹いて来るかすかな風が、フィネラの帽子の下でパタパタして、片手を上げて、それをおさえなければならなかった。「旧波止場」の上は暗かった ―― まっくらだった。羊毛刈場、家畜貨車、そびえ立つ起重機、小さなずんぐりした鉄道機関車 ―― みんな深いやみのなかに、彫りもののように見えた。あちこちに、大きな黒い茸の柄のようなまるい棒杭の上に、ランプが釣ってあった。しかし、それは、あたり一面のやみのなかに、そのおずおずとふるえる光を広げるのをおそれているかのように見えた ―― それは、まるで自分だけのために静かに燃えているのであった。―― 「船旅 [ ibid., p. 177, 1921 ]」 → 原文
 ちなみにこのおなじ冒頭部、『全集』では、
 ピクトン行きの船は十一時半に出ることになっていた。穏やかな、星のきらめく、美しい夜だったが、しかし彼らが馬車から降りて、港の方へ突き出た旧桟橋に沿って歩き出した時には、水の上を渡ってくるそよ風が、フェネラの帽子の下の髪をそよがせ、彼女は手をあげて帽子を押さえた。旧桟橋の上は暗かった、まっ暗だった。羊毛置場、牛をのせた無蓋貨車、非常に高くそびえているクレーン車、小さなずんぐりした機関車、すべてが暗黒の塊で彫って作ってあるように思われた。ここそこの丸い材木を積み重ねた山の上に、それは巨大なキノコの茎のようだったが、ちょうちんがぶら下がっていた。しかしそれは全くの暗黒の中で、おどおどしたふるえる光を広げるのを恐れているように思われた。まるで自分だけのためのように、静かに燃えていた(『全集』p. 241 )。
 … いくらなんでも「ちょうちん」はないでしょう !! それと下線部は明らかにまちがい。前の拙記事でちょこっと触れたディ−キャンプの昔のファンタジーもの短編に 'The Hardwood Pile' なんていう作品もあったけれども、ここの [a] rounded wood-pile は「平たいものを積み重ねたもの」ではなくて、ただたんに水面に突き出す「棒杭( 安藤一郎訳の新潮文庫版では「木杭」 )」でしょう、船着場の風景でときたまお目にかかるような[ あとそれと「クレーン 」ってのもなあ … なんか船着場というより、工事現場みたいな印象 ]。てっぺんにランタンの灯りが乗っかっていて、それでキノコみたいに見えたのでせう。ああ松茸食べたい( 笑 )
... All the same, without being morbid, and giving way to−to memories and so on, I must confess that there does seem to me something sad in life. It is hard to say what it is. I don't mean the sorrow that we all know, like illness and poverty and death. No, it is something different. It is there, deep down, deep down, part of one, like one's breathing. However hard I work and tire myself I have only to stop to know it is there, waiting. I often wonder if everybody feels the same. One can never know. But isn't it extraordinary that under his sweet, joyful little singing it was just this ―― sadness ? ―― Ah, what is it ? ―― that I heard.

 ……とはいうものの、病的になったり、思い出して悲しみにくれたりしないでいても、人生には悲しいものがあるということを告白しなければなりません。それがなんであるかは申しあげることはむずかしいのです。私は、病気とか、貧乏とか、死とかいう誰でもが知っている悲しみをいっているのではありません。いや、それとはぜんぜんちがうものなのです。それは、人の呼吸のように、人についたもの、深い深いところにあるものなのです。私が一所懸命に働き、疲れ切って、仕事をやめると、それがすぐ待ちかまえているのがわかります。みなさんはそれと同じようにお感じになることがおありでしょうか。それはどうだかわかりません。それにしても、おかしなことに、あの子のかわいい、楽しい歌ごえのなかに、この …… 悲しさ …… が聞こえたのです …… もし悲しさでないとしたらそれはいったい何なのでしょう ……
――「カナリヤ[ ibid., p. 393, 1922 → 原文 ]」
 この掌編は、マンスフィールドの絶筆らしいです。今回、ひょんなことからまたしてもジョイスと同世代、しかも「意識の流れ」系に入る( と思う )マンスフィールド作品を原本と邦訳本とのあいだを行ったり来たり、自分なりに味わいながら読んでみたんですが、とくにこの最後の作品なんか、もうすばらしいですね。とても味わい深いというか … 崎山先生にご指名されたもうひとりの訳者、伊沢先生による「解説」に、「彼女の作品は物語性が稀薄である。プロットらしいプロットもない( p. 401 )」なんて書かれてあるけど、ワタシはこういうのがけっこう好きときている。

 原文は同時代の、たとえばジョイスの『ダブリナーズ』なんかに比べればはるかに難易度は低い。とはいえ、「解説」にもあるように、「デリケートな彼女の文体は、一見易しいようでいて、その陰影を日本語に移すことは難しい」。ま、とくに文芸ものの翻訳は大なり小なり「日本語に移すことはむずかしい」んでしょうけれども。『全集』よりは全体的に出来が上、と判断した岩波文庫版ではあるけれど、最新のちくま文庫版とかも見てみないとそのへんなんとも言えない。とはいえ、マンスフィールドのように邦訳本が複数刊行されている原作の場合は、「手に取って選ぶ楽しみ」というのがあるわけだから、それプラス原文も味わうというのが、けっこうぜいたくな読み方なのかもしれない。いみじくも岩波文庫版「解説」が、次のように書いてあるように。
翻訳はどのようにしようと所詮完璧なものになり得ない。彼女の文章には難しい単語が比較的少ないので、特に若い方々が、原文で一篇でも味読していただければ、この翻訳が原作への架け橋となれば、訳者として何より幸いである。

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2014年08月15日

村岡花子訳『王子と乞食』

 今回、新カテゴリを始めました。題して「名訳に学ぶ」。

 直接のきっかけは、故飛田茂雄先生の著書『翻訳の技法 ― 英文翻訳を志すあなたに』をいまごろになってようやく入手したこと。折にふれて先達の「名訳」には言及してきたつもり … だったが、やはりケチつけることのほうが多かったかも、門外漢のくせにね、という反省もありまして、あらためて偉大な先達から翻訳とはいかに、という点を学びなおしてみよう、という趣旨です。英語、とくると、昨今ではなにかと「会話」が重視されがちではあるけれど、Web 全盛時代、スマートフォンでどこにいても外国の、それも英語で表記された情報に文字どおり呑まれているのが現実ではないかな。つまり読む力 / 書く力も大事だってことです。それをもっとも端的に学べるのが、やっぱり人さまの翻訳と原文とを比較照合するという、一見しちめんどくさい作業にこそあるのではないか、とも思います( 飛田先生のこの本については、気が向いたらまたべつの機会に書くかもしれないし、書かないかもしれません … )。

 手始めに、やはりなんだかんだ言いつつも毎回、こぴっと視聴している朝ドラ「花子とアン」にちなみまして、村岡花子訳の岩波文庫版『王子と乞食』を取り上げてみたいと思います! 原作は、もちろん「水深二尋」の、マーク・トウェインですね( 本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ、この米国の文豪は 1835年、ハレー彗星とともに生を受け、1910年、ハレー彗星とともに世を去った )。取り上げる箇所は、1). 冒頭部、2). 王子エドワードと容姿が瓜ふたつのトム・カンティとがはじめて出会った場面、3). 結末部分からの抜粋( 固有名詞などの表記もそのまま転載して引用。下線強調は引用者 )。
1). 十六世紀もそろそろなかば過ぎようというころのある秋の日、ロンドンに住むカンティという貧乏人の家に、男の子がひとり生れた。それと同じ日に、同じロンドンの市中の、チュードルの宮殿で、待ちに待たれた男の子がうぶ声をあげた。この男の子は、チュードルの一家一族はもちろんのこと、イギリス全土の国民、イギリス人というイギリス人が待ちこがれ、この子に希望をかけ、この子のために朝晩いのり続けたのだから、いま、いよいよ生れたという知らせを聞いて、国中の熱狂はちょう点にのぼった。特別にしたしい交際をしていない者たちまで、だきついたり、キッスしたり、うれし涙を流しあった。だれもかれもみんな仕事を休み、思うぞんぶんのご馳走を食べ、その上に、おどるやら歌うやらのお祭気分がいく日もいく日も続いた。…
 イギリス国中、どこへいっても、うわさはこの子供のことばかり。人びとの話はこのエドワード・チュードル、つまり、自分をいわってくれるこのにぎやかさも、朝ばん自分をお守りしているのが、貴族や貴婦人であることもしらず、( 知ったところで、たいしてありがたいとも感じないだろうが )絹やしゅす地の着物をきせられ、なにもわからず生きている皇太子のことばかりだった。
 それにくらべ、片いっぽうの、ぼろにつつまれたトム・カンティのことは、この子が生れて、喜びどころか、たいへんな迷惑を感じた親兄弟のものたちが、ぶつぶつぐちを云ったほかには、だれひとりトムのトの字も口にする者はなかった

[ 原文 ] In the ancient city of London, on a certain autumn day in the second quarter of the sixteenth century, a boy was born to a poor family of the name of Canty, who did not want him. On the same day another English child was born to a rich family of the name of Tudor, who did want him. All England wanted him too. England had so longed for him, and hoped for him, and prayed God for him, that, now that he was really come, the people went nearly mad for joy. Mere acquaintances hugged and kissed each other and cried. Everybody took a holiday, and high and low, rich and poor, feasted and danced and sang, and got very mellow; and they kept this up for days and nights together ...
There was no talk in all England but of the new baby, Edward Tudor, Prince of Wales, who lay lapped in silks and satins, unconscious of all this fuss, and not knowing that great lords and ladies were tending him and watching over him − and not caring, either. But there was no talk about the other baby, Tom Canty, lapped in his poor rags, except among the family of paupers whom he had just come to trouble with his presence.

2). 「着物は一枚しかないのか?」
 「それよりよけいに持って、なんになりましょう? 身体はたったひとつでございますもの
 「これはどうもおもしろい。ふしぎな理くつだ。いや、ゆるしてくれ、おまえの云ったことを笑うつもりではなかった。とにかく、ベットとナンにはすぐに、着物やつきそいの者をやることにしよう。わたくしのそばの者たちによく云いつけておこう。なに、礼をいうにはおよばぬ。なんでもないことだ。おまえはほんとうによく話をするな。臆せず話すからおもしろい。教育はうけたか?」
 「教育といわれましても、あるのか、ないのか、自分にもわかりませんが、神父アンドリュウという親切な牧師様が書物を教えてくれております」
 「ラテン語を知ってるか?」
 「ほんのすこしばかりならば知っているつもりでございます」
 「ラテン語はおぼえておいてためになるものだぞ。骨のおれるのも、はじめだけだ。ギリシャ語のほうはすこしむずかしいな。けれども、ラテン語もギリシャ語でも、そのほかどこの言葉でも、エリザベス王女だの、ジェーン・グレイ姫には、ちっともむずかしくなさそうだよ。あのふたりのうまさといったら、すばらしいものだ。それはそうとして、オーファル小路の話をきかせてくれないか。おまえたちの生活はおもしろいか? どうだ、トム?」

[ 原文 ] "Their garment! Have they but one?"
 "Ah, good your worship, what would they do with more? Truly they have not two bodies each."
 "It is a quaint and marvellous thought! Thy pardon, I had not meant to laugh. But thy good Nan and thy Bet shall have raiment and lackeys enow, and that soon, too: my cofferer shall look to it. No, thank me not; 'tis nothing. Thou speakest well; thou hast an easy grace in it. Art learned?"
 "I know not if I am or not, sir. The good priest that is called Father Andrew taught me, of his kindness, from his books."
 "Know'st thou the Latin?"
 "But scantly, sir, I doubt."
 "Learn it, lad: 'tis hard only at first. The Greek is harder; but neither these nor any tongues else, I think, are hard to the Lady Elizabeth and my cousin. Thou should'st hear those damsels at it! But tell me of thy Offal Court. Hast thou a pleasant life there?"

3). さて、悲しいことに、エドワード六世は実に短命であった。しかしその短い年月は、まことに生きがいのある生涯で、彼の重臣は一度のみならずいく度も、あまりに寛大な王の性情に反対し、王が修正を加えようとされる法律は、もとのままでも決してひどいものではなく、なにも大した苦痛を人民に感じさせるものではないと論じたことがあったが、その度ごとにわかい国王は、愛情にみちあふれた大きな目に、強いうれいをふくませて、その重臣を見ながら答えるのであった。
 「そちらが苦痛や迫害についてなにを知ろうぞ? 余と余の民は知っているそちは知らぬ
 エドワード六世の治世は、残酷な当時の世にあって、めずらしく仁政のおこなわれたときであった。この若い国王に別れをつげようとしているいま、私たちはこのことばをおぼえて、彼の名を讃美しよう

[ 原文 ] Yes, King Edward VI. lived only a few years, poor boy, but he lived them worthily. More than once, when some great dignitary, some gilded vassal of the crown, made argument against his leniency, and urged that some law which he was bent upon amending was gentle enough for its purpose, and wrought no suffering or oppression which any one need mightily mind, the young King turned the mournful eloquence of his great compassionate eyes upon him and answered−
 "What dost thou know of suffering and oppression? I and my people know, but not thou."
 The reign of Edward VI. was a singularly merciful one for those harsh times. Now that we are taking leave of him, let us try to keep this in our minds, to his credit.

from The Project Gutenberg EBook of The Prince and The Pauper, Complete by Mark Twain (Samuel Clemens)

 村岡さんの邦訳は初版が 1927年 10月 15日、「箱入り、布張のアールデコ調の装丁に、天金が施されている美しい本」*になって当時の平凡社の世界家庭文学大系シリーズとして刊行された。1934年には版元が岩波書店に変わり、戦後まもない 1950年に再刊された。手許の本の奥付を見ると、2013年4月現在で 67刷。ちなみにこの『王子と乞食』、日本ではじめての翻訳本というのが 1898( 明治31 )年、巌谷小波という人によってはじめて世に出た … というのが定説みたいですが、じつはもっと早く、1893年に、山縣五十雄という人がすでに訳を試みているが、これは日の目を見なかった。†

 本日は 69回目の「終戦の日」。こうしてこういうことができるのも、平和だからこそ。約 310万人もの戦没者の存在をけっして忘れてはならないと思う。そういう意味でも、朝ドラじゃないけど「想像の翼」をひろげるというのは、けっして無駄なことではない。むしろいま一番、欠けているのがこの「想像力」ではないか。「想像力の翼」というのは、なにも翻訳を志す人にかぎったことではないはずです。

*... 村岡恵理『アンのゆりかご / 村岡花子の生涯』pp. 220−2.
†... 日本におけるトウェイン文学の受容については、石原 剛『マーク・トウェインと日本 / 変貌するアメリカの象徴』pp. 32−60 を参照。明治期から現代のミュージカルや映画、アニメ作品まで、これほど幅広く論じた本というのはおそらくないと思う。ぜひご一読を。

おまけ:マーク・トウェイン名言集

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