「なによッ、こんなとこに呼び出して!」
「ゴメンずらぁ。ルビィちゃんも来てるよ!」
「うゆ。あれ、その手に持ってるのは … なに?」
「これ、マルのいまの気持ちを書き留めたものずら。千歌ちゃんたちに見せる前に、まずふたりに読んでもらおうと思って」
「フッフッフッ、わがリトルデーモンよ、闇の契約書の文面なのね!」
「ちがうずら」
「 … ちょっとなにヨこれ、改行がぜんぜんないじゃない !! アンタ人さまに自分の書いた文章を見せるときは … 」
「わざとずら ♪ このマルの書いた文だけど、アイルランドの小説家にジェイムズ・ジョイスという人がいるずら。その人の代表作『ユリシーズ』最後の挿話のマル版パロディになってるずら。だからちょっと読みにくいのは目をつむって、とにかく読んでほしいずら!」
「目をつむって読む … むずかしいな」(そういう意味じゃないずらよ〜)
* * *
だってそうずら yes マル信じられないずら yes 浦の星の図書室でルビィちゃんといっしょに過ごすのが当たり前だと思っていたそんなマル自身がいまではひとかどのスクールアイドル憧れだったスクールアイドルに知らない子たちからも声をかけられる存在になったんだよ yes ヘタレ堕天使の善子ちゃんの言い方を借りれば「現実こそリアル、リアルこそ正義」になるんだろうけれどもそもそもなにが正しくてなにが正しくないのかなんていずれ塵芥に死ぬ定めの人間が勝手にこさえたものにすぎないんじゃないずらか yes たとえば宇宙から見た地球がそうずら「国境」なんてないずらそもそもそんなものははじめから存在してないずら yes そして最近マルはこう思うずら人間の目から見たこの世界って黒か白かあなたかオラかあるいはキェルケゴールじゃないけれど「あれかこれか」とかどうしてもそう見えちゃうけれどもそんなこともはやどうでもよいずら問題じゃないずらものごとの本質ではないずらってこと yes こんなこといきなり言い出してマル本の読みすぎでニーチェみたいについに頭にきたかなんて思わないでほしいずら yes だってよおく考えてほしいずらだれかにとっての正しいこと正義っていうのはそうではないだれかにしてみればはなはだ害悪かもしれないってことそういうこともあり得るんだってことよかれと思ってやっていたことがじつは環境に悪影響を与えていたりするしもっと言えば正義のための戦いなんてのもありえないってこと(でもマルも人のことあまり言えないずらみんなといっしょにみとしーでバイトしたとき洗剤ぜんぶ入れて泡だらけになってあとでダイヤちゃんにやんわりとブッブーですわ! されたっけ)ようするにだれしも自分のことになるとへっぽこぴーなんだからある物差しや尺度や価値判断や道徳を他人に押しつけちゃダメだってことずら yes 絶対なるものがないことに疑問をもつずらかでもたとえば一日の長さだってそうずら地球は一日 24 時間だけどすぐ外側の火星の一日は地球より 40 分長いずら yes それじゃもっと外側をまわってる土星の一日はもっと長いと思ったらじつはそうじゃないずら土星は地球より自転が速いから土星の一日はたったの 10 時間 30 分しかないずらこんなとこじゃとても生活できないずら yes ようするに絶対的基準というか「汝 … すべし」by ニーチェなるものははじめから存在してないずら yes そういえば日本の諺にもあるじゃん「甲の損は乙の得」ってマルはこれすばらしい先人の知恵先人の叡智だと思うずらだれかが損すればだれかが得するそれが人の世だからこれこそ正義絶対に正しいことなんてハナからないずら yes そうそうマルはお寺の子どもだからどうしても仏教の僧侶みたいな発想をしてしまうマルにはそういうクセがあるずら yes 「ラブライブ!」予備予選の曲作りのときだってそうずら yes そのときルビィちゃんちでマルみんなにこう言ったずら「すなわち『無』というのはすべてがないのではなく『無』という状態があるということずら」ところがマルの言おうとしていたことわかってくれたのは自称堕天使ヨハネの善子ちゃんだけだったずら yes 善子ちゃんてああ見えてほんとはとても友だち思いで線の細い傷つきやすい女の子ほんとうは心根のやさしい子なんずら「善子」という名前のとおりずら「名は体をあらはす」一例ずら yes マルはちゃんとわかってるずら ♪ だってマルは幼稚園のころから善子ちゃんを見てきたから yes それでね善子ちゃんとマルとは見た目も趣味も言動もまるで水と油コインの裏と表つまり正反対かつ対照性に思われているようだけどじつはそうじゃないずら yes マルにも善子ちゃんのような素質と言うか要素というかつまりユングの言う「アニマ / アニムス」のように善子ちゃんにはマルみたいな素質要素がマルには善子ちゃんとおなじような素質要素がじつは生来備わっているずら yes 本題にもどるけれども正義か悪か正しいか悪いか主体か客体かというのはしょせん人間のモノの見方でいかようにも変わるし時代風潮常識為政者のご意向あるいはどこの地域に生まれたかその他もろもろのことが壁ないしヴェールとなってそれを通してしか世界を見るからにほかならないのであってほんらいは単純だったはずの事柄がややこしくあるいはむつかしく思えたり見えたりするだけかもしれないってことずら幼稚園に通っていたころを思い起こせばそれがすぐわかるというものずら yes この輝きを見えなくしているのは古代アフリカの神話に出てくる「トリックスター」なのかもしれないずらあるいは古代インドのサンスクリット古典なんかに出てくるこの世界を「もや」のように覆って世界の真の姿を隠している「マーヤー」なのかもしれないずら yes ある高名なお坊さまで学者の先生でもあるおじさんがテレビでこう言っていたらしいずら yes 言っていたらしいというのはマルの家にはテレビとかスマホとか電気で動く文明の利器があんまりないからずら yes とにかくその先生が言うには「自分」が見ている「自分」なんてものはそもそも存在していない幻想幻影虚像だって yes マルそれはじめて聞いたとき自分の心の中をのぞかれたような不思議な気持ちがしたずら yes じつはマルも昔からと言ってもまだ人生15(3月4日の早生まれずら)年しか生きてないけれどもそれでも Aqours としてルビィちゃんや善子ちゃんや千歌ちゃんたちと行動を共にしてきて心からそう思っているずら yes 千歌ちゃんはよく自分のことを「普通怪獣ちかちー」と自虐的に表現しているけれどもそれを言ったらマルたちも超絶地味な普通怪獣トリオずら yes 地味アンド地味アンド地味を地で行くようなここ内浦も普通なんだって思っていたずらでもそれはマーヤー幻想虚像自分で勝手にそう思いこんでいただけずらほんとうはそうじゃないってことを Aqours のみんなそしてクライメイトそして地域の人たちから教えてもらったずらマルは今年一年 Aqours の仲間といっしょにたっくさんいろんな経験を積んできてそういうことがわかっただけでもマルじゅうぶん幸せずら Aqours そして Aqours という名の宝物のような輝きのかたまりのようなスクールアイドル部を作ってくれた千歌ちゃんには感謝しかないずら Aqours はマルの運命だったずら yes でも考えてみればたしかにそうずら自分が考えている「自分」あるいは「自我」なんてしょせん幻影うつろう影もうひとつのさすらう影ゲーテもこう言ってるずら「すべて移ろうものは比喩に過ぎない」ってあっこれ『ファウスト』の結びの有名な一節ずら yes あるいは夏目漱石の「則天去私」の書も言わんとするところはおなじだと思うずら yes 突き詰めて考えるとこの世の中には絶対的なものなどなにひとつないってことずらそれゆえ究極的存在とは人間のことばで翻訳すればけっきょく「無」の一語に尽きるずら yes だからマルは「無」ということばをそのとき使ったんずら yes マルうれしかったなだってダイヤちゃんがマルの提案を生かした歌詞をちゃんと歌ってくれてマルの想いを実現させてくれたから3年生と1年生をまとめてくれたダイヤちゃんにも感謝ずら yes とにかく話もどすと善子ちゃんにはマルの要素がマルには善子ちゃんの要素があるってことその証拠にマルが「無」と言ったときにまっさきに理解してくれたのが善子ちゃんずら yes マルほんとにうれしかったずら yes だからねマルが言いたいのはこういうことわたしたちはひとりびとりみんなちがっているけれどもそれは「マーヤー」にすぎない永遠の究極的存在絶対的存在に対して人間が「神」とか「仏」とかあるいは「無」とかそういうイメージなり名称なりを与えて象徴あるいはシンボルとして捉えているものがそれぞれ各人に反映あるいは影あるいは一部に … とにかくそういうふうに「映って見えている」にすぎないのであってもともとはひとつマルも善子ちゃんもルビィちゃんもダイヤちゃんも千歌ちゃん梨子ちゃん曜ちゃん鞠莉ちゃん果南ちゃん浦の星のみんなみーんな究極的には一者つまりひとつひとりはみんなみんなはひとりということなんずら yes だからみんなちがってみんないいずらそれはすばらしいことずら正しいとかまちがってるとかないずら yes そうそれであのときなにもない古寺のお堂でみんながあんなふうに言ったずらかすなわちそれは「テンポも音色も大きさも」「ひとつひとつぜんぶちがってばらばらだけど」「ひとつひとつが重なって」「ひとつひとつが調和して」「ひとつの曲になっていく」マルたちもずら ♪ yes そしてその曲が生まれたのもほかならない「無」の中からだったずら音楽もそうだけど芸術アートというのはおしなべて「無」から生まれるもんずらマルはそう思うずら yes そしてこれは飛躍かもしれないけどいちばん強い人ってマッチョとか力があるとかお金持ちとかそんなんじゃなくて「無」ととことん向き合って生きてきた人じゃないずらかこういう人の精神的な力ってものすごく強いはず場合によっては世の中を動かす力に変わったりもするずら yes だからほんとうに大切なこと進路とかもそうだけどそういうことを決めるときはほかのみんなの意見は聞いてもいいけど最後にどうするか決めるのは自分しかいないずら「無」とじっくり向き合うことずら yes 自分がほんとうにやりたいことはなんだろうかとか自分がほんとうに好きなことってなんだろうとかとことん自問していくうちにこたえはおのずと見つかると思うずら yes だから Aqours の3年生はめいめいが進むべき道を自分の心と向き合って心の声を聞き取って自分で決めたずら yes 他人の指図する道他人の歩いた道そういうのではなくまだだれも歩いたことのない自分だけの道を自分で見つけたずらこれはとてもとても勇気がいることずらだって人もうらやむいかなる大金持ちでさえ自分の人生を 100% コントロールして人生設計どおりに人生を送ってる人そんな人なんてこの地球上にただのひとりもいないずらだれひとりとして自分の思うように生きてる人なんていないずらだから自分の歩むべき道からはずれないようにするってことはものすごく勇気がいることずら yes そしてこれはアーサー王伝承のひとつともみごとに重なるずら「森のもっとも深いところ、道も小径もないところへとそれぞれ出発した」ってね yes えっじゃあマルは将来なにになりたいかってそうずらね … やっぱりマルは本が大好きだからカズオ・イシグロみたいなすごい小説家になるのはムリかもしれないし太宰のようなあるいは郷土の偉大な先達の芹沢光治良とか井上靖とかそういうふうにもなれないかもしれないけれどもでも小説家になりたいずら yes あと英文がしっかり読めるようになれたらイシグロ作品を原書で読んでみたいずらそして村上春樹のように好きな作家のアンソロジーを自分で編んで翻訳して出版してみたいずら yes ひょっとしたら外国にもスクールアイドルがいるかもしれないしスクールアイドルの物語というのもあるかもしれないずらもしスクールアイドルものを運よく見つけられたらぜったいマルが翻訳して日本の読者に紹介するずらだってマル自身スクールアイドル経験者だもんスクールアイドルの世界はよく知ってる当事者のマル以外にだれが訳すずら yes そこでマルたちのユニット Aqours についてマルが思ってることもすこしだけ yes Aqours もわたしたちもつねに変わりつづけるいっときだってひとつのある状態にとどまったりはしないずらそしてこれはすべての生きとし生けるものみんなそうこれは定めずら世の理あっこれ「ことわり」ずら yes そしてマルたちもいずれ年とってこの世界から消えるずらだから Aqours もマルたちもこの澎湃たる宇宙広大無辺な宇宙悠久の時を刻む宇宙におけるマルたち Aqours の存在した時間なんてほんとうに一瞬のそのまた一瞬のそのまた一瞬にすぎないずら yes だからこそとマルは思う「永遠の輝き」とはこの刹那束の間の生のなかにこそあるって yes Aqours というユニット名からしてそれを表しているずら Aqua つまり水と ours とのカバン語造語合成語ずらでも大事なのはカバン語とかそんなんじゃなくてマルたちはいやマルたち人間はみんな「水」だってこと水とおなじ性質をもった存在だってこと yes 水は一瞬たりともおなじ形にとどまったりしはないマルたちもおなじずら yes 人間みんなそうずらそしてこの世は平安時代からいや地球いや太陽系いや全宇宙のはじまりビッグバンのとき以来ずっとおなじだったためしはないずらそれが世の理永遠不変の真理ずら yes だからマルは Aqours という名前が大好きダイヤちゃんに感謝ずら yes 脱線するけどこの広い宇宙には地球のような惑星がいくつもあるらしいって聞いたずら yes 昔こんなこと言ってた作家がいたずら「アンドロメダとわれわれの住む銀河は約 230 万光年離れている。こう聞くとはるかかなたにあると思えるかもしれないがそれぞれの銀河の直径は 15 万年から 20 万光年はある。だからアンドロメダを十何回か転がせばわれわれの住む銀河にたどりつく。そのアンドロメダにはもうひとりの自分つまり『分身X』がいるかもしれない」って yes そうずら yes アンドロメダ銀河のどこかに地球のパラレル惑星みたいのがあってそこにパラレル日本みたいな島国があってそこにパラレル伊豆半島みたいなのがあってそこに内浦そっくりで淡島もある美しい入江があってそこに「Xハナマル」がいるずらマル信じてるずら yes その「Xハナマル」がこっちを見てこう思うずら「あっあそこに『Yハナマル』がいる」って yes Aqours と言えば「輝き」が最大のテーマだけどこれ仏教にも通じるずら yes 仏教では「一切衆生悉有仏性 いっさいしゅじょうしつうぶっしょう」と教えているずら yes アイルランドの小説家もこれとまったくおんなじこと言ってるずら「万物の輝き」って yes ことばも文化もみんなちがうけれどもわたしたち人間はけっきょくみんなおんなじってことずら根源的に「一」なんずら yes すべてのものに「輝き」はあるずら yes マルたちだけじゃないどんな人にも輝きはあるずらそれに気づくか気づかないかで生き方それじたいが変わると思うずら yes そんなことどもをつらつら考えていたらあるとき内浦の海がそれまでとまったくちがって見えたずらこんなに輝いていたんだってことにはじめて気がついてしばらくその場から動けなくなったずらこれがいわゆるエピファニーってやつずらか yes 一見「ふつう」に思ってるこの毎日平凡な毎日こそ非凡の連続「ある」ことがむつかしいということの連続だから「輝き」があるし文字どおりありがたいことずら yes マルたちもあのときみんなで歌ったずら「明日への途中じゃなくいまはいまだね」「この瞬間のことが重なっては消えてく」これまさしく Aqours そのものずら yes 過去現在未来すべてはつながっているすべてを肯定しないと人生は先に進めないずら yes マルほんとうにそう思ってるずらたとえどんなにつらいことがあっても全力で否定したいときがやってきても起きたことは取り返せないしどんなに時間がかかったとしてもすべてを受け入れる肯定するしかすべは道はないずら yes とにかく「勇気はどこに」と自分の心に訊いてみることこれがやっぱり大事だと思うずら yes マルたち Aqours はいまこの瞬間ただ舞を舞っているだけ yes 外国の神話学の先生が昔日本に来たときに見たんだって同行していたべつの学者先生が神職の人に訊いたんだって「あなたたちの宗教にはどんな教義があるのか」って yes そしたらその人しばらく考えこんでやおらこうこたえたんだって「わたしたちには教義などありません。ただ舞を舞うだけです」って yes マルたちが歌った歌にもあるずら「踊れ踊れ」「世界はいつもあきらめない心に」「道を探す手がかりを与えてくれる」って yes Aqours つまりいっときたりともおなじ状態ではない水とおなじくマルたちの過ごす時間もあっという間に消えていくマルたちもあっという間に卒業する yes でもマルは思うあのときみんなといっしょにすごした時間 Aqours として活動した時間 Aqours として成し遂げたことは大人になってもけっして忘れないって yes あのときの「輝き」はまちがいなく永遠の光 yes これぞ音楽の力音楽のもつすばらしさずら yes 音楽と言えば Aqours 作曲担当梨子ちゃんスゴイずらこの前その梨子ちゃんに教えてもらったずら「想いよひとつになれ」は「海に還るもの」の姉妹版というか Aqours 版なんだけどパッヘルベルという300年以上も前のドイツの作曲家だった人のカノンという曲をコード進行に使ってるって話してくれたずら yes 閉校祭のとき善子ちゃんの手伝いで弾いていたあのゴシック(?)な曲もそのパッヘルベルという人が生きていた当時そしてそれは音楽の父って言われてるバッハも生きていた時代で梨子ちゃんに言わせれば正しくはゴシックじゃなくてバロック音楽と呼ばれる時代のオルガン曲っぽく作ったんだって梨子ちゃんはほんとすごいずら yes でねマル思ったんだけど昔のヨーロッパの古い音楽がこうしてちゃんと生きてるんだってことを梨子ちゃんは肌で感じているんだなってもちろんマルだって知ってはいたずらでも感じると知ってるのとでは天と地ほどもちがいがあるずら yes こんなマルもいちおう女学院の聖歌隊で歌ってたけどいままでそのことをあまり意識してはいなかったずら yes 西洋の音楽って英語だとミュージックずらその語源は古代ギリシャの「ミューズ」つまりギリシャ語で「ムーサ 美を司る女神さま」ずら yes ミューズって聞いてマルびっくりしたずらだってマルが図書室で眺めていたアイドル雑誌に載っていたマル憧れの人がいたスクールアイドルユニットそれこそが「μ's 」だったからずら yes ギリシャ語とくればやっぱ善子ちゃんずら yes たまたま出会った仔犬を勝手に「ライラプス」なんて名づけちゃうんだからほんとは「あんこ」なんだけどね yes でもそういうところが善子ちゃんのいいとこずら yes だからだからマルは思うマルが大人になってこの先どんなことが待ち受けていようとも Aqours のひとりとしてみんなといっしょに行動できたこと歌ってきたこと合宿したこと楽しかったこと辛かったこと悔しかったことうれしかったこと決勝に出て最高のパフォーマンスをしたことヨキソバシャイ煮THEフトッチョバーガーその他おいしいものをいっぱい食べられたことその他もろもろの思い出がぜんぶすべてマルを支えてくれる生きるよすがとなってくれるつまり Aqours はこれからのマルとともにあるずらこれは奇跡以外のなにものでもないずらマルの人生を変えてくれたのだから yes 生きているかぎり色褪せることなく輝きつづける光の源ずら Aqours は yes そうずら yes そうずら yes いまも yes これからも yes ずっと yes
* ... ジョイス『ユリシーズ(Ulysses 1922)』の結尾はつぎのとおり[柳瀬訳版が未完のため、原文を引用しておきます]。最終挿話「ペネロペイア」は主人公レオポルド・ブルームの妻モリーの yes に始まり yes で終わる改行句読点いっさいなしのえんえんとつづく長大な一文で書かれている。
... and Gibraltar as a girl where I was a Flower of the mountain yes when I put the rose in my hair like the Andalusian girls used or shall I wear a red yes and how he kissed me under the Moorish wall and I thought well as well him as another and then I asked him with my eyes to ask again yes and then he asked me would I yes to say yes my mountain flower and first I put my arms around him yes and drew him down to me so he could feel my breasts all perfume yes and his heart was going like mad and yes I said yes I will Yes.
[代筆者より]:今年は個人的にもいろいろとありましたが … まさか年末恒例の締めの記事が『サンシャイン !! 』がらみになるとは今年のはじめにはほんとユメにも思ってませんでした。キャンベル本やら『フィネガンズ・ウェイク』やら、気に入るととことんのめりこむタイプなので、その点はご容赦を。みなさまにとっても新しい年が平穏無事な一年となりますように。