『ラブライブ!』シリーズは(自分の持論っぽくなってしまってなんか申し訳ない気もするが)、音楽要素てんこ盛り盛りな、ひとかどの教養小説(Bildungsroman、ビルドゥングスロマン)だと思っている。それは無印=wラブライブ!』から始まり、『ラブライブ! サンシャイン!!』、『虹ヶ咲』(通称アニガサキ)、『ラブライブ! スーパースター!!』へと受け継がれ、アプリゲーム上の「活動日誌」を主体に展開する『ラブライブ! 蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』、そして現在進行中の新しいプロジェクト『イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD』に至るまで、このシリーズの物語の核≠ヘ、高校生のあいだだけという期間限定で活動するスクールアイドルたちの精神的成長を描くことで、いま若い人、かつて若かった人とに関係なく、幅広い世代のココロに深く突き刺さる普遍的真理をさりげなく示していることにあると思っている。そんな描き方の手法にすっかりハマって、気がつくと数年が経っていた(微苦笑)。
とくに「アニガサキ」からの OVA(NEXT SKY)、そして完結編と銘打たれた本作までの流れは、もうまんま教養小説(成長小説)と言って遜色ない仕上がりだし、実際そうだと思う。前作では沖縄組6人(と、途中で合流した高咲侑)と、彼らを支える高咲侑との関係性、とくに本作を貫く中心思想的な“friendly rivalry”、「仲間でライバル」「ライバルで仲間」の、前者の「仲間でライバル」とはどういうことなのかが、鐘嵐珠(ショウ・ランジュ)と上原歩夢の関係を通じて深堀りした脚本の妙に感動した。
だいたい三部作というのは中央のエピソードで人間ドラマが急転したり、思わぬ事実が判明したりと登場人物(キャラクター)の内面をぐいぐい掘り下げる展開が少なくない(序・破・急の破)。かの 『スター・ウォーズ』シリーズなんかもそう(とくに、初期三部作のエピソード5など)。
というわけで、ここではえいがさき第2章に登場する「関西組」メインの6人について、各キャラクターの視点に立って思うことを書き出してみたい。
すれ違いと互いのほんとうのキモチ/家族≠ニいう永遠のテーマ: 劇場版『ラブライブ! サンシャイン!!』(2019)でも、小原鞠莉とその母とのギクシャクした親子関係が描かれていたように、本作でも家族≠ニいう、絶つことのできない血のつながりと、血のつながりに依存しないもうひとつのつながり≠観る者に深く考えさせるような展開が、名門音楽一家出身のミア・テイラーのエピソードに出てくる。
ミアは日本に来て、ニジガクのスクールアイドル同好会に入ったあと、なんの制約も受けずに思いのままに歌うことができていた …… ように見える。しかし、少し歳の離れた姉クロエがスクールアイドルグランプリ(SIGPX)のアンバサダー(ようは広報大使ね)として来日し、ミアと再会したことで、ミアは幼少時のトラウマを再び突きつけられることになる。
今回、自分の出番も顧みず(?)、「ライバルで仲間」のために狂言回し的裏方に徹するのが、離島出身者の朝香果林。方向音痴をものともせず、果敢にもクロエの居場所を突き止め(綾小路姫乃さんナイスアシスト!)、相手とサシで向き合い、「家族は一生続くものでしょ」と突っぱねられたあとでこう切り返す──「わたしは、一生続くのは家族だけだとは思いません」
これは、離島から単身上京して、学業のかたわら芸能関係の仕事をこなしてきた彼女にしか言えない科白だと思うし、家族というのはあまりに近すぎてじつはまるで見えてないこともよくあったりするもの。げんに、なんですかあのフリフリなロリータファッションは(苦笑)。baseball 大好きでボーイッシュなぼさぼさショートヘアなミアちがあんな衣装をあてがわれて内心、いい気分でいられるはずがない。
──なんでこんな服着なきゃいけないのさ?このやりとりだけでも、この姉さんが、自分の妹の趣味嗜好がまるでわかってないことが露呈している(着せ替え人形的な扱い)。さらに言えば、「スクールアイドルはしょせん期間限定の寄り道的な活動。そこに時間を割いているヒマなんてない」みたいな発言もして、そこに残りの高校生活を全投入してきた優木せつ菜(中川菜々)の心を再起不能なまでに打ちのめしてしまう…けっきょくクロエの認識も、鞠莉ママとたいして変わらなかった、ということです(この時点では)。
──よく似合うと思ったからよ
["What's supposed to all this ? / Just supposed it did suit you ! のように聞こえた]
ミアはクロエに急かされるようにして、いったん帰国を決意する。その後の璃奈とミアの顔の向きや顔に差す影の細かい描写がまた絶妙で、心理描写といい風景描写といいほんとうにムダなコマというのがまったくない。しかし観ているほうもぼんやりしていると見過ごしてしまうくらいさりげない(subtlety の極致といふべきか)ので、それで何回も観て確認に追われたりする(GPX アプリの異変は、璃奈がミアのためにアプリ専用の配信カメラを操作したときのタイムラグに現れていて、天才肌のメカニックでもある璃奈はその瞬間、アプリの不調を見抜いていた。直後のカメラの挙動もなにやらおかしいし)。
以前、アニメムジカの若葉睦/モーティスの DID 問題に関する拙記事で、海外の DID 当事者が実際の症状と比較して、アニメムジカで描かれていた睦の解離性障害や解離性健忘などを仔細に論じた長文を読んだって書いたけれども、「線画だけになった睦とモーティスが互いに1本のギターを抱き合ったまま無意識の奈落へ沈んでいく」カットをなんとその人は「ユリ」(百合)と表現していた。最初は読み間違いかとも思ったけれども、よくよく考えてみると、「精神的合一」というのも百合と言って良くない理由はとくに見当たらず …… だからあえて言いましょう。高咲侑役の声優さんもある配信でフリップに書いたとおり、あれは「けっこん」です。もちろん大真面目に書いている。アプリはぶっ壊れているから、当然 NO SIGNAL。ミアの歌と、その「返歌」であるボードをはずした素顔の璃奈の歌は、互いのほんとうのキモチを通わせた「連詩」のような歌となっている(たとえばミアちの歌に出てくる intertwine が、璃奈の歌では weave together で返されている)。
そうか …… これがボクのほんとうの気持ちか。璃奈も、ボクと同じように感じてくれてたんだね。だったら、ボクもこの気持ちに従う小原鞠莉のときと同じく、ミアも「他人の敷いたレール」(Cf. アニメムジカ 12 話で豊川祥子が放った「もうお祖父様の言いなりにはなりません!」)の呪縛から解き放たれて、純粋に「自分の心の声」に従う道をみずから選択する。
… 璃奈のボードは気持ちを隠すためじゃなくて …… 伝えるためのものだろ?不肖ワタシはこのカットを見たとき、ルーク・スカイウォーカーが、いまやライトサイドに戻った父アナキン・スカイウォーカーの顔から黒い鉄仮面マスクをはずした場面を思い出していた。そして、
── Chloe, meeting school idols reminded me how much fun singing could be. They saved me ! I can't choose between family and friends. So ... I do need your support. Please, let me stay here a little longer !ミアはこのときはじめて、クロエ姉さんに本心を打ち明けることができた。
「突破力のある人」を復活させた栞子のコトバと、心からの respect の告白: この作品が好きな人はみんなそうだろうと思うけれども、前半のミアちと璃奈のキズナもじゅうぶん感動的なんですが、それ以上のトンでもない感情の起伏を物語後半、宮下愛と優木せつ菜から食らわされることになろうとは、誰が予測できただろうか? しかもアニガサキの最初のほうのエピソードにまでそれはさかのぼる。解像度が高いとかもうそんな次元ではないですよ。強いて言えば、キャラクターへの愛の深さが生み出したキセキのような展開、としか言いようがない。そして、いままで追ってきたどの『ラブライブ!』シリーズよりも深い、普遍的真理をさらりと示す至高のシークエンスが続く(たまんねぇ〜 by 嵐千砂都
その前に、「スクールアイドルは一生続けられるものではない」ことに悶々とする優木せつ菜に関しては、個人的にはこの小説版を下敷きにしていると強く感じさせられる。小説版のヒロインは文字どおり優木せつ菜/中川菜々で、小説版でもやはり「スクールアイドルとしての有限性」について物思いにふける描写が出てくる。
「紅姫(アカヒメ)は忘れられてしまうことは怖くなかったのでしょうか ……」果林がミアちのほんとうのキモチを見抜き、彼女のために動いていたように、そういう適性≠ノすぐれたもうひとりの助っ人である三船栞子が、ここでついに行動を起こす(ちなみにアプリカメラがちゃんと稼働していた初日に先陣を切った彼女の MV もまたシンボリックで良き。卵から突き出す鳳凰の尾≒本に挟まった栞、そしてすぐあとでミアちが Wow! と感嘆の声をあげた、宇治の平等院鳳凰堂ともつながっていく。ついでに GPX 開始時刻は正午きっかりで、GPX 運営のファイナル決定の発表があったのも正午と、きっちりシンメトリックにまとめている)。
「忘れられてしまうことを受け入れる気持ちとは、どんなものなのでしょうか ……」
…… 自分が生徒会長ではなくなって、やがて──そんな日は考えたくないけれど──学生という与えられた期間が終わってスクールアイドルでもなくなる──そうなった時に、はたして、優木せつ菜≠ヘ覚えていてもらえるのかと。(ibid., pp. 252−253)
──愛さんとわたしは、少し似ているところがあると思っていましたから、意外とは思いませんこうして動ける≠謔、になった宮下愛は、雨が降りしきる大阪の街並みを眺めていたせつ菜を見つけると、彼女が「人生のバイブル」だと言い、優木せつ菜というステージネームを与えてくれた SF ものアニメをいっしょに鑑賞する。
──んん? 似てるかなぁ、アタシたち ……
──人のためには動けるけど、自分のためには動けない。一見、感覚的に行動しているように見えますけど、ほんとうはとても周りに気を配っていますよね?
──言われてみればたしかに …… そうかも! なんで?!
──カッコよかったね …… でも、せっつーとは少し違うよね? やっぱり愛さんにとっては、せっつーがヒーローだなあ …… ほんとうだよ ……この場面を最初に目にしたときにアタマに浮かんだのは、「宝玉の網」(インドラの網)という古代インドの神話のイメージだった。互いが互いをキラキラと反射し合う。愛とせつ菜/菜々の関係には、心から互いをリスペクトし合う揺るぎない感情がある。それはきっと血縁関係を超越している。愛とせつ菜だけでない。ひとり斜に構えたところがあった朝香果林が、本作でまさかの役回りを演じるまでに「成長」を遂げている。ニジガク同好会の 13 人すべてにおいてそうした「成長」が描かれている。friendly rivalry、「仲間でライバル」「ライバルで仲間」をここまで描ききった教養小説というのを、寡聞にして自分は知らない。
──アタシ、せっつーが学校の屋上でライヴしたときのこと、いまでもはっきり覚えてるよ。愛さん、あのときのせっつーにめっちゃ憧れちゃって、スクールアイドルをやってみたくなったって言ったよね? それからずっと、同好会のみんなを、キミのことを見ていたよ。自分の弱いところを認めて、どんどん成長していくキミを、すごいなって思って見てた。キミは強くなった。それってぜんぶ、優木せつ菜がいたからじゃない? だから、いなくなるなんて言わないでよ。キミが思い描いたアイドルは、きっといまのキミになっていて、これから先もずっと、たくさんの人たちに力を与えていける …… みんなにも。アタシにも
スクールアイドルフェスティバルのときのようなやり方で、自分たちの力で「お祭り」を続行したニジガク関西組。そのトリをつとめた宮下愛は、神戸港のシンボル・ポートタワーを背景に、最初はせつ菜のアイコンと自分のアイコンが組み合わさった同心円状の円形ステージ(円≠ヘ永遠性の象徴でもあるし、愛の歌う楽曲タイトルもまた Circle of Love と円環のイメージがある)で、その後さらに上の頂点のステージから、かわいらしい王冠≠斜に被ってパフォーマンスする。愛のせつ菜に対するリスペクト、せつ菜の愛に対するリスペクトが文字どおり愛をいちばん高い地点にまで引き上げ、彼女はせつ菜をオマージュした力強い右脚の蹴り上げを繰り出す。それを見た他校のスクールアイドルたちも奮起し、彼女たちと同じく不完全燃焼だったオーディエンスの目に輝きがもどり(ココで、三宮センター街のカラオケ会場で愛に励まされたモブの子が、ポートタワーのてっぺんから愛がオーディエンスに向かって「みんなはどう?」と問いかけたとき、まっさきに声を上げる …… こういう作り込みの細やかさもニジガクならではの見どころ)、愛の理想とする「みんなが楽しくなれるステージ」の盛り上がりは最高潮に達する。それが圧倒的な映像技術を駆使して縦横無尽に表現されていく ── 古代ケルトの豊穣のシンボル「ダクザの大釜」の饗宴にも思える、Circle of Love の楽しさ全開のステージ …… だから、彼女たちの活動は限られた時間でしか咲かないように見えて、じつは永遠性(eternity)を宿した存在でもある。せつ菜はきっと、宮下愛からまったく思いがけない告白≠受けて、その真理に気づけたのではないかと個人的には感じている。(※ お題のラテン語は、「結末を賛美せよ」という意味。くわしくは『ラテン語名句小辞典』を見てね)。
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