2023年07月28日

「自分の限界を決めるのはやめます」

 とくにコロナ禍後の、いまの日本(と世界)を見て感じること。それは“All for one”だけを叫び、ご自分の責務(“One for all”)を果たそうとはツユほどにも感じない人が洋の東西を問わず大多数だということです。この OVA 作品は上映時間が短いながらも、世界を変えるとは、自分を変えることという真実をあらためて教えてくれる佳作です。

 このさい一言しておくと、ワタシが一貫してこのアニメシリーズを追っているのは、狭い意味でのオタク根性(C.V. の◯◯さん推しとかのたぐい。基本的にストーリーとキャラクター重視派で、キャラに生命を吹き込む声優さんをはじめ、監督さんやその他制作陣のみなさんは「裏方」であり、主役は「作品」だという作品本位主義)からではない。一連の作品群が、J.ジョイスの『ユリシーズ』(1922)に出てきた「あれが神です」というスティーヴン・ディーダラスの科白を地で行く、音楽主体の「教養小説」アニメだと本気で考えているからだ(だから『ラブライブ! サンシャイン!!』の考察小冊子も書いた)。

 で、ここに書いたのはもうずいぶん前になるけれども、通称アニガサキと呼ばれる TV アニメ版『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の1期と2期も、機会あるごとに繰り返し観てきた(そういえばこの前、某ネット TV にて『ラブライブ!』シリーズ全作一挙配信もあった。現時点で全 104 話、50 時間強というトンデモない分量なので、さすがに一気見はムリだったが)。

 そしてこれは脚本の方向性ないしクセというのにも左右されるかも知れないが、一見、「同好会」という独自の活動を展開しているニジガクのスクールアイドルたちは、「ラブライブ!」という大会からもっとも遠く離れているように見えるが、じつはこのアニメシリーズが終始一貫、訴え続けてきたことをもっともわかりやすいかたちで体現していると個人的には感じている。ぶっちゃけた話、このシリーズでいちばん好きになったのがアニガサキで、われながらこんな展開になって驚いている。Aqours ももちろん好きですよ、なんたって地元民ですし、スピンオフの『幻日のヨハネ』がいまちょうど放映されていますしね。もっともこちらは完全に方向性の異なる「異世界もの」に仕立てられているから、大会としての「ラブライブ!」うんぬんとは直接的な関係はありません。

 というわけで TV アニメ2期の最終話で英ロンドンの短期留学へ旅立った上原歩夢が2週間の滞在を終えて帰国するシーンから今回の OVA 作品は始まります …… で、毎度ここで断っているように、内容に関してはワタシなんかよりはるかに深い洞察を披瀝してくれるブロガーさんたちが一定数おりますので、内容に関してはそちらを参照いただくとして、いくつか印象的な場面を記しておきます。

 またもや「桜坂しずくプロデュース」(?)かどうかはわからないが、のっけから意味深なバラード調の楽曲と、これまでのニジガク同好会の軌跡をたどるかのような MV で始まる(ちなみにワタシは初回を聖地のお台場の劇場で鑑賞してきたので、いまさっき見てきた風景がそのままスクリーンに大きく映し出されていて、いつもながらちょっと不思議な感じがした)。アニガサキを全話観た人ならたちまちピンとくるけれども、この曲を歌っているのは三船栞子・鐘嵐珠(ショウ・ランジュ)・ミア・テイラーの3人からなるユニット R3BIRTH(リバース)。TV アニメ本編では出番のなかったこの3人組の歌唱で OVA 版が始まるという、すばらしく自然な展開になっていたのが好感できる(さらに、秋葉原・沼津・金沢と他シリーズの舞台までさりげなく出して、おまけに高咲侑や宮下愛らが「おいしいね!」とのっぽパンや寿太郎みかんジュースを味わうカットまであるというサービスの細かさ)。というか、この作品は最初からそんな「神」展開ばかりで、『ラブライブ!』シリーズお得意の風景描写にキャラの心理を重ねる手法も、アニガサキがいちばん洗練されている。ちなみにミアちが MC で言っていたのは、「ボクたちはまだまだ止まらない YO! だからみんなもしっかりついてきて!」だと思う(“We're not stopping here, hang on tight!”)。

 R3BIRTH の登場で、カンのいい人はさてはと思ったかもしれないが、歩夢がロンドンから連れてきたアイラというスクールアイドル志望の子の物語ながら、じつは栞子が抱えていた悩みの解決が果たされる展開で、隠れ主役は栞子だった。これまでの栞子は「適性」というタームで、みずからの無限の可能性を「鳥かご」に閉じ込めていたひとりだった──それを解放するのは誰か? 自分しかいない。
アイラさん。やはり、あなたはわたしに似ています。無理なものは無理って、自分で限界を決めてるところ。
…… 私も自分の限界を決めるのはやめます! だから、思い切り楽しみましょう! 
たしかに世の中、「思ったとおり不条理」というのはどうしてもあるが、それでも頭角を現すような人はいるわけで。差はなにかと問われれば、これまた以前から繰り返し書いてきたことの蒸し返しになるが、「あきらめずに続けてきた」人だけが限界を突き抜けて、「ほんとうになりたかった自分」、「ほんとうにやりたかった仕事」などをつかみとることができるのではないかって思う。トシとってきてますます強くそう感じるようになった。アイラの場合は、たとえ学校の正式な認可が得られくてもダイスキは貫くことができる、ということを栞子から身をもって教えられたところに現実味があり、大きな感動があったのではないだろうか。こういうバタフライ効果が広がれば広がるほど、世界を変える原動力となる。

 また「スクールアイドルの聖地」のひとつ、神田明神の男坂を降りているときの、天王寺璃奈と宮下愛のやりとり──「愛さんは何をお願いしたの?」「これからもみんなと楽しく、スクールアイドルやれますようにって」「わたしも同じ!」──は、今後の展開に影を落とすカジュアルトークかもしれない(来年以降、劇場版3部作として制作が決まっている)。

 そして相変わらず楽曲も攻めていて、いかにもニジガクらしくて最高。まだ ED シングルは買ってないが、冒頭の「Feel Alive」の盤はラジカセの CD デッキに入れっぱなしにして仕事中もかけっぱなしにするほど気に入っている。ラップ系はニガテなはずなのに、なぜかこちら(「Go Our Way!」)は心地よいのが不思議(Oh E Ah Oh Oh E Ah!)。

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 あと本編とはカンケイないが、エンドロールの「発表会」について。自分もメッセージ寄せて応募した身だからそれだけでバイアスが〜とか言われそうだが、この企画、一部の人はお気に召さないようで。個人的にはもうすこしじっくり見たかったのはしかたないとして、こういう企画をアタマごなしにダメとか言う人は、はっきり言って軽蔑する。「◯◯大学でがんばります」「りっぱな教員をめざしてがんばります」「政治家を目指します」「人前でしっかり話せるようになりたい」などなど …… これのどこがいけないというのだろう? 「みんなで叶える物語」で始まったこのシリーズらしい参加企画で無問題ラ! と思いますがね。みなさんのメッセージはいまはあまり見られないけれども、じつに多くの方が真摯に「決意の光」を表明されていて、ワタシもおおいに刺激を受けた口。それに虹ヶ咲学園ですからね。虹ってほら、昨今では diversity の象徴でしょう。なんでもありな寛容さも作品の売りのひとつかと(そういえばつい最近、訳したのがその「虹」のでき方に関する記事だった)。それを自由闊達に表現するには、必然的に「ラブライブ!」大会出場を目指さない主人公たちのストーリーとして描く手法に行き着くわけです。

 蛇足ながらアニガサキの脚本を書いたのは田中仁さんという方で、こちらも大人気ご当地もの TV アニメ『ゆるキャン△』の脚本を書いた方でもある …… のはファンなら百も承知でしょうが、伊豆半島も出てきた2期はとても楽しめた(西伊豆町の黄金崎までまさかの聖地認定)。アニガサキは脚本の秀逸さも光る作品であるのは間違いない。

2022年06月10日

stars we chase 最高ずら

 いま放映中の『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期の第9話。このTV アニメシリーズはどういうわけか3の倍数回、とくにいままでのグループが9人組だったこともあってか、ストーリー展開の重要回が9の場合が多いような印象を受けますが、今回もまさにそんな展開でした。

 個人的にちょっと驚いたのは、全編英語歌詞の挿入歌が披露されたこと。メインで歌唱されるアニソン(いや、前にも書いたが『ラブライブ!』シリーズの全楽曲はもはやアニソンなどではない、と言い切ってよいと思っている)で全編英語歌詞というのは、これがはじめてなのでは? ミア・テイラー(米国の名門音楽家一族の生まれの14歳で、ニジガクには飛び級で3年に編入)は当初、香港からやってきた留学生で自分の「ビジネスパートナー」の鐘嵐珠(ショウ・ランジュ)のために書いた楽曲を、自分が歌うために「転用(バッハもよくやっていたパロディと呼ばれる技法)」するわけですが、MIDI キーボードでポロンポロンと音出ししていたフレーズ、あれもしっかり楽曲に再現されてましたね。

 それはともかく、あいかわらず攻めているというか、やっぱり『ラブライブ!』シリーズらしいなぁ、と感じたのも事実。『スーパースター!!』の Liella! 5人グループのときもラップ(!)調の楽曲が登場したりと、つぎつぎと新しいことに挑む姿勢は見ていてすがすがしいとさえ感じます。今回の楽曲なんかまんま洋楽、Billboard Hot なんたら、という感じの仕上がりで、向こうの人がなんの先入観もなくコレ聴かされたらブッとぶんじゃないでしょうかね。

 で、その歌詞内容がこれまた刺さりまくりで、このシリーズに一貫して流れているメタメッセージがしっかり歌われているのがまたすばらしい。すばらしすぎて、つい試訳をこさえてしまったほど(後述)。

 じつはこれ、↓ にもあるように、公式さんが限定公開している MV に日本語歌詞が掲載されているんですけれども、こちらに関しては、一部からこんな声も寄せられています。いわく、「公式訳、意訳がすごすぎて原語のニュアンスが伝わらないのでは?」、「stars we chase 試聴動画の訳見てるけど、押韻最優先で書かれてんのか意訳すぎてまったくわからん」……

 また、日本語歌詞が先にあって、それに英語歌詞をアテていったようだという話もあります(真偽のほどは不明、こちらなどが参考になるかも)。

 ワタシも公式さんの公式「訳」を見たとき、こっちがオリジナルで、英語歌詞はそれをベースにしたものではないか、という印象を受けた。双方を比べ読みしてそう思っただけで、なんの根拠もないが …… おおまかな内容はどちらもほぼ同じで(当たり前)、ようは聴く人の好みの問題なんですが、解釈的に引っかかりやすいところがひとつあります。
Shadow walk and dealing, truth inside revealing / Still, a part of me's seeking that feeling
 ここの ‘truth inside revealing’ は、「どうせオラなんてこんなもん」というイジけた気持ちが「現れた」くらいの意味でしょう。そうとらないと直後の歌詞とつながらない。ちなみに c.v. の内田秀さんがこの箇所を的確に説明されていたので、重複も顧みず、ここでも引用しておきますね(発言内容は YouTube で配信されていた、「最新話直前生放送」から)。
(あの輝きは時間とともに小さくなっていった、だから目を閉じたんだ)…… 英語の歌詞もね、“Shadow walk and dealing,”とあるんだけど、「影の中歩いて」、dealing というのがなんだろ、「慣れる」とか、もう長いこと暗闇にいるから(慣れちゃったけど)、でも、“Still, a part of me's seeking that feeling”というのが、一部の自分が、まだその感情を求めてる、ていう。だから、あの輝きを忘れられない、みたいな。……
(また、“It's back and now / Take your hand out, we can reach”のくだりですが、now は take your hand out にかかる。だからほんらいは It's back / and now take your hand out, we can reach となるべきところ)

 本編に「領域展開」して組み込まれた MV もまたすばらしい。暗い部屋(?)の中にぽつんと置かれた空っぽの鳥かごのモティーフは、Aqours の桜内梨子が内浦の海に潜り、求めていた「音」を見つけたときを思い出させるような描写だった。「夜の海の航海」というやつですね(こちらとはまるでカンケイないけれども、昔、『ナイチンゲールのかご』というパリ木の子どもたちが主演した映画があったのも思い出した)。不肖ワタシもすっかりミア・テイラーの熱唱にアテられてしまって、このシングル盤は買うずら、と思ったしだい。というわけで、最後に僭越ではありますが、拙試訳をくっつけておきます。
stars we chase sung by Mia Taylor[TV 挿入歌版]

昔 ぼくは星を見上げて ずっと追いかけてた
手を伸ばせばつかめるって信じてた
でもぼくが思ってたより それはずっと遠くて
あの輝きもずっと小さくて だから目を閉じた

いつだろう 顔をそむけるようになったのは? 
いつだろう 苦しい気持ちばかり大きくなっていったのは? 
いつしか影を見て歩いてた これがほんとの姿なんだと
でも心のどこかで あの輝きを追ってた

きみにささげた音楽に 夢をこめた
それは巡り巡って ぼくの中にもどってきたよ
きみが教えてくれたんだ この光がまぶしく輝く場所を

それはもどってきた
手を伸ばそう ぼくらなら届くよ
解き放たれるときを ずっと待ってたんだ
それはどんどん大きくなって 叫びになる
ぼくらの明日はもっと輝くよ

勇気を出して

あの星にはどんな色も どんな輝きもある
ここから見つけよう
ともに輝こう
きみの輝きを隠さないで



2020年10月31日

「輝き」から「トキメキ」へ

 沼津市内浦地区を舞台にしたTVアニメ作品『ラブライブ! サンシャイン!!』も、今年ではや5周年。で、声優さんたちのユニットもまだまだ活動中で、つい最近もベストアルバム盤が出たりと、コロナ禍でさんざんな一年という印象はあるけれども、こちらのパワーはあいかわらず健在です。

 そしてちょうど昨年のいまごろ、ここで告知した初の著作の拙小冊子も、なんとかぶじに発売1周年を迎えることになりました。あいにく3箇所ほどポカミス(タイポ、誤植)が残ってはいるんですが、読んで気にならないていどであることと、原稿を贈呈用の紙の本として組み直してそのままなので、Kindle 本の体裁にもどす時間がとれないということもあり、改訂版を出す予定はいまのところありません。ただその後、劇場版ムックを買いまして、その本にこのシリーズ監督の酒井和男氏がロケハンのエピソードをコメントしたくだりに「物語の舞台は当初、伊豆大島(!)を考えていた」ということを明かされていて、こういう追加情報はおいおい、入れておきたいとも考えてはいます。

 Aqours の活躍した『サンシャイン!!』とその集大成たる劇場版の強烈な印象はまだ残ってはいるものの、『ラブライブ!』シリーズ最新作の TV アニメ版も気になってはいたから、しっかり第1話から観ています …… まず思ったのは、アニメーションの絵柄というか色彩そのものがすごく透明感があり、「『サンシャイン!!』よりさらに進化」しているように思えたこと(これは TV 受像機を昨年、新調したせいもあるかもしれないが)。パステル画っぽい感じなんですが、出だしの優木せつ菜のド派手なライヴを演出する「火炎」とか、透明感がありながらあたかもホンモノの火炎が噴出しているかのような迫真の描写にまず引き込まれた。 CG もいまや3D 主体ですからね〜、技術的には前作から5年も経っていれば、そりゃ変わりますよね。

 放映開始から5話まで観た感想をひとことで言えば、「ああ、『ラブライブ!』そして『サンシャイン!!』で作品の土台となっているメタテーマの DNA は今回もしっかり受け継がれている」に尽きるかな。こちらはもともとリズムゲーム系から始まったユニットなので、TV アニメ放映が始まるまでイマイチ実感が湧かなかったんですけど、いざ始まってみればこの『ラブライブ!』シリーズが終始一貫、訴えてきたことがアレンジされつつも立ち現れていてまずはなにより。それは拙小冊子でも書いたように「教養小説」的であり、究極的には「アートとはなにか、人はどう生きればよいか」に通じるエートスだ。

 とくにそれをつよく印象付けられたのが、第3話。生徒会長なんだけどこっそり(?)スクールアイドル活動をつづけていた優木せつ菜が、自分の大好きを通そうとしたあげく仲間と衝突し、自分がいなくなれば残った仲間はスクールアイドルの最高のステージ、すなわち「ラブライブ!」の大会に出場できる、と思っていた。ところがまったく思いがけないことばを、自分のパフォーマンスを見て「完全にトキメいた」高咲侑からかけられる:「だったら、『ラブライブ!』なんて出なくていい!」

 このシーンを観たとき、思わず快哉を叫んでいる自分がいた。ここがこのシリーズのいいところだと思う。μ's のころはまだ「ラブライブ!」という大会じたいが始まったばかりだったし、Aqours の高海千歌がそこに自分たちの目指す「輝き」があると信じて疑わなかったのも理解できる。でも、前作の劇場版までしっかり観た人ははっきり悟ったはずだ──とくにライバルの姉妹ユニット Saint Snow と Aqours の「『ラブライブ!』決勝延長戦」のシーンと、それを目の当たりにしたことで「ほんとうに大切なこととはなにか」に深い気づきを得た渡辺月の科白に。思うに、人の心を動かす、あるいは感動させるということは、なにかの大会に出るとか優勝するとか、そういうものとは本質的にいっさい関係ない。そういう外面的なものすべてを超越するものなのだ。アリストテレスばりの三段論法でもこれは証明できる。前にも引用したけれども重複も顧みずいま一度、月ちゃんの名科白を引くと、
…… 楽しむこと。みんなは、本気でスクールアイドルをやって心から楽しんでた。ぼくたちも、本気にならなくちゃダメなんだ。そのことをAqoursが、Saint Snowが気づかせてくれたんだよ

 ほんとうに好きなことを貫き通すってなかなかできないことです。でももし、それをあなたが持っているんなら、きのうが命日だったジョーゼフ・キャンベルが述べたように、それがもたらす「至福を追い求めよ」。それはアーサー王伝承群のひとつ『聖杯の探索』にもあるように、「森の中へ、ひとりはこちら、ひとりはあちらと、森がいっそう深そうな方へ、道も小径もないところへと出発(天沢退二郎訳)」することだ。ワタシがこのアニメシリーズを好きになったのも、こういう点がしっかり描かれているからだ。さらに言えば、このシリーズは「音楽」が主役でもある。これはやはり作詞家の腕の冴えに拠るところがきわめて大きいと思うが、Aqours にしても「ニジガク」のスクールアイドル同好会にしても、その歌われる内容の深さといいスケールの大きさといい、はっきり言ってコレはもう「アニソン」なんかじゃない。皮相なジャンルわけというものを完全に破壊し、超越していると思う。そしてジェイムズ・ジョイスをはじめおしなべて「真のアート」と呼べる芸術分野は例外なく、こういう勝手な腑分けや分類の枠組みをこっぱみじんに粉砕する。そういうアートのみが、ほんとうの意味で生きるということ、ほんとうの「輝き」や「ときめき」を生む永遠の生命の泉なのだ。

 もっともこれはアニメ作品なので、そんなに肩肘張らんでも、という声もあるだろうし、それはそれでいいんです。本だってどう読もうが個人の自由だし。ただこのシリーズに関して言いたいのは、けっして「スポ根もの」なんかじゃないってこと。それは誤解もいいところで、もっとも大切なメッセージを理解していない。高海千歌が気づいた「輝き」のありかは自分たちの走ってきたキセキ+自分たちの心のもちようであって、この点ははっきり酒井監督も言及している。高咲侑が優木せつ菜に自分の思いをぶつけて言った科白もまたこの延長線上にある──いちばん大切なことは「ラブライブ!」に出られるかどうかじゃない。あなたがいちばんトキメいて、輝いて、そしていちばん幸福を感じることができるかなのだ。彼女はそのことに直観的に気づいている。

 そして、この思いがけないひとことを受けたせつ菜は、こう返す。「わたしのほんとうのワガママを、大好きを貫いてもいいんですか? …… あなたはいま、自分が思っている以上にすごいことを言ったんですからね! どうなっても知りませんよ!」

 昨今、アートと称して一方的な政治的主張を押しつけてくるもの、ジョイスの用語で言えば「教訓的芸術」がかまびすしいなか、こういう描き方をするアート作品がひとつくらいはあっていいと思う。