2025年12月25日

Finem lauda! と快哉を叫びたい「えいがさき」第2章

 昨秋公開された『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第1章』(えいがさき第1章、以下えいがさき)』を観てからずっと楽しみにしていた続編が封切となり、公開初日にさっそく地元劇場にて鑑賞へ。以来、ことあるごとにいろいろな場面やシークエンス、科白回しなど気になる箇所がぽんぽん出てきてはまた観に行く、を繰り返した(じつは今日も観に行った…お台場くんだりまで[木曜を待たずに上映終了したため。だからお台場行きは直前までアタマになかった])。

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※ ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場

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※シネマサンシャイン沼津

 『ラブライブ!』シリーズは(自分の持論っぽくなってしまってなんか申し訳ない気もするが)、音楽要素てんこ盛り盛りな、ひとかどの教養小説(Bildungsroman、ビルドゥングスロマン)だと思っている。それは無印=wラブライブ!』から始まり、『ラブライブ! サンシャイン!!』、『虹ヶ咲』(通称アニガサキ)、『ラブライブ! スーパースター!!』へと受け継がれ、アプリゲーム上の「活動日誌」を主体に展開する『ラブライブ! 蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』、そして現在進行中の新しいプロジェクト『イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD』に至るまで、このシリーズの物語の核≠ヘ、高校生のあいだだけという期間限定で活動するスクールアイドルたちの精神的成長を描くことで、いま若い人、かつて若かった人とに関係なく、幅広い世代のココロに深く突き刺さる普遍的真理をさりげなく示していることにあると思っている。そんな描き方の手法にすっかりハマって、気がつくと数年が経っていた(微苦笑)。

 とくに「アニガサキ」からの OVA(NEXT SKY)、そして完結編と銘打たれた本作までの流れは、もうまんま教養小説(成長小説)と言って遜色ない仕上がりだし、実際そうだと思う。前作では沖縄組6人(と、途中で合流した高咲侑)と、彼らを支える高咲侑との関係性、とくに本作を貫く中心思想的な“friendly rivalry”、「仲間でライバル」「ライバルで仲間」の、前者の「仲間でライバル」とはどういうことなのかが、鐘嵐珠(ショウ・ランジュ)と上原歩夢の関係を通じて深堀りした脚本の妙に感動した。

 だいたい三部作というのは中央のエピソードで人間ドラマが急転したり、思わぬ事実が判明したりと登場人物(キャラクター)の内面をぐいぐい掘り下げる展開が少なくない(序・破・急の破)。かの 『スター・ウォーズ』シリーズなんかもそう(とくに、初期三部作のエピソード5など)。

 というわけで、ここではえいがさき第2章に登場する「関西組」メインの6人について、各キャラクターの視点に立って思うことを書き出してみたい。

すれ違いと互いのほんとうのキモチ/家族≠ニいう永遠のテーマ: 劇場版『ラブライブ! サンシャイン!!』(2019)でも、小原鞠莉とその母とのギクシャクした親子関係が描かれていたように、本作でも家族≠ニいう、絶つことのできない血のつながりと、血のつながりに依存しないもうひとつのつながり≠観る者に深く考えさせるような展開が、名門音楽一家出身のミア・テイラーのエピソードに出てくる。

 ミアは日本に来て、ニジガクのスクールアイドル同好会に入ったあと、なんの制約も受けずに思いのままに歌うことができていた …… ように見える。しかし、少し歳の離れた姉クロエがスクールアイドルグランプリ(SIGPX)のアンバサダー(ようは広報大使ね)として来日し、ミアと再会したことで、ミアは幼少時のトラウマを再び突きつけられることになる。

 今回、自分の出番も顧みず(?)、「ライバルで仲間」のために狂言回し的裏方に徹するのが、離島出身者の朝香果林。方向音痴をものともせず、果敢にもクロエの居場所を突き止め(綾小路姫乃さんナイスアシスト!)、相手とサシで向き合い、「家族は一生続くものでしょ」と突っぱねられたあとでこう切り返す──「わたしは、一生続くのは家族だけだとは思いません」

 これは、離島から単身上京して、学業のかたわら芸能関係の仕事をこなしてきた彼女にしか言えない科白だと思うし、家族というのはあまりに近すぎてじつはまるで見えてないこともよくあったりするもの。げんに、なんですかあのフリフリなロリータファッションは(苦笑)。baseball 大好きでボーイッシュなぼさぼさショートヘアなミアちがあんな衣装をあてがわれて内心、いい気分でいられるはずがない。
──なんでこんな服着なきゃいけないのさ? 
──よく似合うと思ったからよ
["What's supposed to all this ? / Just supposed it did suit you ! のように聞こえた]
 このやりとりだけでも、この姉さんが、自分の妹の趣味嗜好がまるでわかってないことが露呈している(着せ替え人形的な扱い)。さらに言えば、「スクールアイドルはしょせん期間限定の寄り道的な活動。そこに時間を割いているヒマなんてない」みたいな発言もして、そこに残りの高校生活を全投入してきた優木せつ菜(中川菜々)の心を再起不能なまでに打ちのめしてしまう…けっきょくクロエの認識も、鞠莉ママとたいして変わらなかった、ということです(この時点では)。

 ミアはクロエに急かされるようにして、いったん帰国を決意する。その後の璃奈とミアの顔の向きや顔に差す影の細かい描写がまた絶妙で、心理描写といい風景描写といいほんとうにムダなコマというのがまったくない。しかし観ているほうもぼんやりしていると見過ごしてしまうくらいさりげない(subtlety の極致といふべきか)ので、それで何回も観て確認に追われたりする(GPX アプリの異変は、璃奈がミアのためにアプリ専用の配信カメラを操作したときのタイムラグに現れていて、天才肌のメカニックでもある璃奈はその瞬間、アプリの不調を見抜いていた。直後のカメラの挙動もなにやらおかしいし)。

 以前、アニメムジカの若葉睦/モーティスの DID 問題に関する拙記事で、海外の DID 当事者が実際の症状と比較して、アニメムジカで描かれていた睦の解離性障害や解離性健忘などを仔細に論じた長文を読んだって書いたけれども、「線画だけになった睦とモーティスが互いに1本のギターを抱き合ったまま無意識の奈落へ沈んでいく」カットをなんとその人は「ユリ」(百合)と表現していた。最初は読み間違いかとも思ったけれども、よくよく考えてみると、「精神的合一」というのも百合と言って良くない理由はとくに見当たらず …… だからあえて言いましょう。高咲侑役の声優さんもある配信でフリップに書いたとおり、あれは「けっこん」です。もちろん大真面目に書いている。アプリはぶっ壊れているから、当然 NO SIGNAL。ミアの歌と、その「返歌」であるボードをはずした素顔の璃奈の歌は、互いのほんとうのキモチを通わせた「連詩」のような歌となっている(たとえばミアちの歌に出てくる intertwine が、璃奈の歌では weave together で返されている)。
そうか …… これがボクのほんとうの気持ちか。璃奈も、ボクと同じように感じてくれてたんだね。だったら、ボクもこの気持ちに従う
 小原鞠莉のときと同じく、ミアも「他人の敷いたレール」(Cf. アニメムジカ 12 話で豊川祥子が放った「もうお祖父様の言いなりにはなりません!」)の呪縛から解き放たれて、純粋に「自分の心の声」に従う道をみずから選択する。
… 璃奈のボードは気持ちを隠すためじゃなくて …… 伝えるためのものだろ?
 不肖ワタシはこのカットを見たとき、ルーク・スカイウォーカーが、いまやライトサイドに戻った父アナキン・スカイウォーカーの顔から黒い鉄仮面マスクをはずした場面を思い出していた。そして、
── Chloe, meeting school idols reminded me how much fun singing could be. They saved me ! I can't choose between family and friends. So ... I do need your support. Please, let me stay here a little longer !
 ミアはこのときはじめて、クロエ姉さんに本心を打ち明けることができた。

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※ atré 秋葉原のラブライブ! シリーズ オフィシャルストア/
スクールアイドルシアター

「突破力のある人」を復活させた栞子のコトバと、心からの respect の告白: この作品が好きな人はみんなそうだろうと思うけれども、前半のミアちと璃奈のキズナもじゅうぶん感動的なんですが、それ以上のトンでもない感情の起伏を物語後半、宮下愛と優木せつ菜から食らわされることになろうとは、誰が予測できただろうか? しかもアニガサキの最初のほうのエピソードにまでそれはさかのぼる。解像度が高いとかもうそんな次元ではないですよ。強いて言えば、キャラクターへの愛の深さが生み出したキセキのような展開、としか言いようがない。そして、いままで追ってきたどの『ラブライブ!』シリーズよりも深い、普遍的真理をさらりと示す至高のシークエンスが続く(たまんねぇ〜 by 嵐千砂都 ○️)

 その前に、「スクールアイドルは一生続けられるものではない」ことに悶々とする優木せつ菜に関しては、個人的にはこの小説版を下敷きにしていると強く感じさせられる。小説版のヒロインは文字どおり優木せつ菜/中川菜々で、小説版でもやはり「スクールアイドルとしての有限性」について物思いにふける描写が出てくる。
「紅姫(アカヒメ)は忘れられてしまうことは怖くなかったのでしょうか ……」
「忘れられてしまうことを受け入れる気持ちとは、どんなものなのでしょうか ……」
…… 自分が生徒会長ではなくなって、やがて──そんな日は考えたくないけれど──学生という与えられた期間が終わってスクールアイドルでもなくなる──そうなった時に、はたして、優木せつ菜≠ヘ覚えていてもらえるのかと。(ibid., pp. 252−253)
 果林がミアちのほんとうのキモチを見抜き、彼女のために動いていたように、そういう適性≠ノすぐれたもうひとりの助っ人である三船栞子が、ここでついに行動を起こす(ちなみにアプリカメラがちゃんと稼働していた初日に先陣を切った彼女の MV もまたシンボリックで良き。卵から突き出す鳳凰の尾≒本に挟まった栞、そしてすぐあとでミアちが Wow! と感嘆の声をあげた、宇治の平等院鳳凰堂ともつながっていく。ついでに GPX 開始時刻は正午きっかりで、GPX 運営のファイナル決定の発表があったのも正午と、きっちりシンメトリックにまとめている)。

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※ 特典デュープフィルムより、三船栞子の歌唱シークエンスの一部カット

──愛さんとわたしは、少し似ているところがあると思っていましたから、意外とは思いません
──んん? 似てるかなぁ、アタシたち ……
──人のためには動けるけど、自分のためには動けない。一見、感覚的に行動しているように見えますけど、ほんとうはとても周りに気を配っていますよね? 
──言われてみればたしかに …… そうかも! なんで?! 
 こうして動ける≠謔、になった宮下愛は、雨が降りしきる大阪の街並みを眺めていたせつ菜を見つけると、彼女が「人生のバイブル」だと言い、優木せつ菜というステージネームを与えてくれた SF ものアニメをいっしょに鑑賞する。
──カッコよかったね …… でも、せっつーとは少し違うよね? やっぱり愛さんにとっては、せっつーがヒーローだなあ …… ほんとうだよ ……
──アタシ、せっつーが学校の屋上でライヴしたときのこと、いまでもはっきり覚えてるよ。愛さん、あのときのせっつーにめっちゃ憧れちゃって、スクールアイドルをやってみたくなったって言ったよね? それからずっと、同好会のみんなを、キミのことを見ていたよ。自分の弱いところを認めて、どんどん成長していくキミを、すごいなって思って見てた。キミは強くなった。それってぜんぶ、優木せつ菜がいたからじゃない? だから、いなくなるなんて言わないでよ。キミが思い描いたアイドルは、きっといまのキミになっていて、これから先もずっと、たくさんの人たちに力を与えていける …… みんなにも。アタシにも
 この場面を最初に目にしたときにアタマに浮かんだのは、「宝玉の網」(インドラの網)という古代インドの神話のイメージだった。互いが互いをキラキラと反射し合う。愛とせつ菜/菜々の関係には、心から互いをリスペクトし合う揺るぎない感情がある。それはきっと血縁関係を超越している。愛とせつ菜だけでない。ひとり斜に構えたところがあった朝香果林が、本作でまさかの役回りを演じるまでに「成長」を遂げている。ニジガク同好会の 13 人すべてにおいてそうした「成長」が描かれている。friendly rivalry、「仲間でライバル」「ライバルで仲間」をここまで描ききった教養小説というのを、寡聞にして自分は知らない。

 スクールアイドルフェスティバルのときのようなやり方で、自分たちの力で「お祭り」を続行したニジガク関西組。そのトリをつとめた宮下愛は、神戸港のシンボル・ポートタワーを背景に、最初はせつ菜のアイコンと自分のアイコンが組み合わさった同心円状の円形ステージ(円≠ヘ永遠性の象徴でもあるし、愛の歌う楽曲タイトルもまた Circle of Love と円環のイメージがある)で、その後さらに上の頂点のステージから、かわいらしい王冠≠斜に被ってパフォーマンスする。愛のせつ菜に対するリスペクト、せつ菜の愛に対するリスペクトが文字どおり愛をいちばん高い地点にまで引き上げ、彼女はせつ菜をオマージュした力強い右脚の蹴り上げを繰り出す。それを見た他校のスクールアイドルたちも奮起し、彼女たちと同じく不完全燃焼だったオーディエンスの目に輝きがもどり(ココで、三宮センター街のカラオケ会場で愛に励まされたモブの子が、ポートタワーのてっぺんから愛がオーディエンスに向かって「みんなはどう?」と問いかけたとき、まっさきに声を上げる …… こういう作り込みの細やかさもニジガクならではの見どころ)、愛の理想とする「みんなが楽しくなれるステージ」の盛り上がりは最高潮に達する。それが圧倒的な映像技術を駆使して縦横無尽に表現されていく ── 古代ケルトの豊穣のシンボル「ダクザの大釜」の饗宴にも思える、Circle of Love の楽しさ全開のステージ …… だから、彼女たちの活動は限られた時間でしか咲かないように見えて、じつは永遠性(eternity)を宿した存在でもある。せつ菜はきっと、宮下愛からまったく思いがけない告白≠受けて、その真理に気づけたのではないかと個人的には感じている。(※ お題のラテン語は、「結末を賛美せよ」という意味。くわしくは『ラテン語名句小辞典』を見てね)。

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※ 特典デュープフィルムより、宮下愛の圧巻のステージ

評価:るんるんるんるんるんるんるんるんるんるん

2023年09月30日

小説版ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 紅蓮の剣姫〜フレイムソード・プリンセス〜

 いままでいろんな分野の本を──必要に迫られたり、たんなる好奇心からだったりといろいろだが──積ん読乱読精読してきたけれども、ウン十年生きてきてこのたびはじめて「ラノベ」(ライトノヴェル)なるもののページを繰った …… 人間の運命って不思議ずら。

 もっともこれは、通称アニガサキと呼ばれているニジガク(『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』)のある時点のエピソードを小説仕立て≠ノしたノヴェライゼーションという体裁なので、厳密な意味でのラノベ作品とは言えないかもしれない。それでもワタシにはすごく新鮮だったし、個性豊かなニジガクのスクールアイドル同好会のめんめんの内面をアニメではなく、活字で表現するのもアリだと思った。小坊のころに読んだ(というか学んだ)マンガの描き方指南本に、「マンガは絵で表現するから意味がある。文字で表現したければ、小説を書けばよいのである」とあって、たしかに、と感じたのをつい昨日のことのように思い出す。

 小説版には、活字表現ならではの場面描写、各キャラクターの心のひだの奥に分け入った細かな心理描写の妙がある点が良いところ。だからやはりこの作品はあくまで小説版として独立した立ち位置を与えるべきかと思う。ただ、個人的な好みを言わせてもらえれば、オーディオブックとして発売してほしいところではある(高咲侑、上原歩夢、そして本作のヒロインである優木せつ菜/中川菜々の声≠ェ脳内再生されるけれども、やはり声優さんに演じてもらう朗読劇、ないしはオーディオブック版がこの作品についてはとくにふさわしいかと。オーディオブック版なら寝っ転がりながらでもこのアツい物語を楽しめますしね)。

 なんといっても唸らされたのは、さすが手練れのラノベ作家さんだけあって、巧まずしてストーリーに引き込むその筆力、そしてアニガサキのメインストーリーとの親和性かな。この小説版は、鎌倉市内の桜坂しずくの家でお泊まり会をした直後の 11月初旬から始まっている。「港区近隣の学生たちが主体となってお台場で行われる文化交流会=vに虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会も参加することになり、演し物について話し合っていたちょうどそのせつな、優木せつ菜が(せつなだけに)部室に飛び込んできて、大人気ラノベ『紅蓮の剣姫(けんき)』のミニフィルムの自主制作と上映会の開催依頼が同好会に来たとみんなに告知する。

 つまりこのお話は、お泊まり会−アニメ本編の同好会 Firstライブ直前にすっぽりはまる設定になっている。小説版で描かれた「ミニフィルム上映会」というエピソードがあったからこその Firstライブなのだと知れば、さらにエモエモで尊みはもっと深まる、というわけ。ひとりひとりのキャラクターに関しても、これまでのアニメ本編のエピソードがさらりと引用されて、アニガサキをまったく観たことがない読者にも配慮が行き届いている。それでいてこうした引用はクドくならず、アニガサキをがっつり鑑賞したという向きもなんの違和感なくすっと感情移入できる。このへんはさすがとしか言いようがない。

 ただ一点だけ個人的に? がつく箇所は、p.115 の朝香果林の性格描写のくだりくらい。「…… どちらかと言えば物事を理論で考える果林に対して、直感的な[宮下]愛の意見はとても参考になる」。下線部は、テストの成績はいつも赤点すれすれでどちらか言えば学業は苦手らしい彼女にしてはずいぶん知的な言い回しで、才女的な雰囲気さえも感じるところなんですが、ようするに[DiverDiva というユニットを組む相手の]直感的に物事を捉える宮下愛と違って自分はひとつひとつ順序立てて物事を考えるたちだ、ということですから、ここはもっと通俗的な表現でいいような気がする。「論理的」でもまだカッコよすぎる感じがするので、「物事を理屈で考える果林に対して … 」くらいではないかと。

 それ以外はとくに違和感なく物語の世界にどっぷり浸れて、フィクションものとしては久しぶりにワクワクしながら読み進めることができた。アニメの小説版という先入観なしに、ふつうの文学作品としても出色の出来だと思う。アニメ世界の感動が、紙の上の活字となってよみがえってくるようだった。なによりすばらしかったのは、『ラブライブ!』シリーズに通底するメタメッセージを小説版でもしっかり伝えている点。たとえば、音楽室でふたりきりになった侑がせつ菜に声をかける場面──
「──あのね、忘れることなんてないよ」
と、ふいに侑がそう口にした。
「え……?」
「私たちが……せつ菜ちゃんのことを大好きなみんなが、せつ菜ちゃんのことを忘れることなんてない。こんな風に、せつ菜ちゃんとの思い出はいっぱいある。ここだけじゃなくて、部室にも、教室にも、屋上にも、中庭にも、たくさんたくさん、もう数え切れないくらい。それは何があったって消えないよ」
(中略)
「だから優木せつ菜≠ヘいつだってみんなの心の中にいる。どんなかたちになっても忘れられることなんて絶対にない。何もなかったことになるなんてない。せつ菜ちゃんの灯は消えないよ。お節介かもしれないけど、それだけはせつ菜ちゃんに伝えておきたくって」
 ラストシーンの「紅蓮の剣姫」の紅姫(アカヒメ)の心情をどう演じればよいか悩んでいたせつ菜の迷いは、この侑のことばと、その後、同好会メンバーも合流して演奏された「Love U my friends」で消え、剣姫としての紅姫がどんな気持ちでこの世界から消えていったか、そのほんとうの気持をつかむことができた。ここの場面を読むと、どうしても劇場版『ラブライブ! サンシャイン!!』の高海千歌の次の科白が思い出される。
だいじょうぶ、なくならないよ! 
浦の星も。この校舎も。グラウンドも。
図書室も。屋上も。部室も。
海も。砂浜も。バス停も。
太陽も。船も。空も。
山も。街も。
Aqoursも。
帰ろう! 
ぜんぶぜんぶぜんぶここにある。ここに残っている。0には、
ぜったいならないんだよ。
私たちの中に残って、ずっとそばにいる。
ずっといっしょに歩いていく。
ぜんぶ、私たちの一部なんだよ。
「変わるものと、変わらないもの」。この小説版では、卒業を控える朝香果林と、下級生の宮下愛とのやりとりにもそれが描かれているが、これはまさに永遠のテーマと言えるもの。「さよならだけが人生だ」と訳したのは井伏鱒二だったか。英語には ❝Life goes on.❞ という言い方があるけれども、人が生き続ける以上、年をとってゆく以上、変化はしかたないこと。し・か・し、それでも変わらないものというのはある。「永遠をいまここで経験しなければ、それを経験することは決してない」と比較神話学者のキャンベルは言った。『ラブライブ!』シリーズにもそれがしっかり描かれているとワタシは思っている。だから人生の教科書だという人もいるし、文字どおり人生が一変したような人もいる。こんな強烈なパワーを秘めた物語(コンテンツという言い方はあまり好きじゃない。もともとの意味は「中が満たされたもの」、字義どおり中身というただそれだけなので)はそうそうお目にかかれるもんじゃないと個人的には思っている。

 本文に添えられた相模氏によるかわいらしい挿絵も良き。巻末のせつ菜のイラストには「虹ちゃんに出会えてよかった」と添えられているが、この本を読んだすべての読者もおそらく同じ気持ちかと思う。

評価:るんるんるんるんるんるんるんるん

2023年07月28日

「自分の限界を決めるのはやめます」

 とくにコロナ禍後の、いまの日本(と世界)を見て感じること。それは“All for one”だけを叫び、ご自分の責務(“One for all”)を果たそうとはツユほどにも感じない人が洋の東西を問わず大多数だということです。この OVA 作品は上映時間が短いながらも、世界を変えるとは、自分を変えることという真実をあらためて教えてくれる佳作です。

 このさい一言しておくと、ワタシが一貫してこのアニメシリーズを追っているのは、狭い意味でのオタク根性(C.V. の◯◯さん推しとかのたぐい。基本的にストーリーとキャラクター重視派で、キャラに生命を吹き込む声優さんをはじめ、監督さんやその他制作陣のみなさんは「裏方」であり、主役は「作品」だという作品本位主義)からではない。一連の作品群が、J.ジョイスの『ユリシーズ』(1922)に出てきた「あれが神です」というスティーヴン・ディーダラスの科白を地で行く、音楽主体の「教養小説」アニメだと本気で考えているからだ(だから『ラブライブ! サンシャイン!!』の考察小冊子も書いた)。

 で、ここに書いたのはもうずいぶん前になるけれども、通称アニガサキと呼ばれる TV アニメ版『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の1期と2期も、機会あるごとに繰り返し観てきた(そういえばこの前、某ネット TV にて『ラブライブ!』シリーズ全作一挙配信もあった。現時点で全 104 話、50 時間強というトンデモない分量なので、さすがに一気見はムリだったが)。

 そしてこれは脚本の方向性ないしクセというのにも左右されるかも知れないが、一見、「同好会」という独自の活動を展開しているニジガクのスクールアイドルたちは、「ラブライブ!」という大会からもっとも遠く離れているように見えるが、じつはこのアニメシリーズが終始一貫、訴え続けてきたことをもっともわかりやすいかたちで体現していると個人的には感じている。ぶっちゃけた話、このシリーズでいちばん好きになったのがアニガサキで、われながらこんな展開になって驚いている。Aqours ももちろん好きですよ、なんたって地元民ですし、スピンオフの『幻日のヨハネ』がいまちょうど放映されていますしね。もっともこちらは完全に方向性の異なる「異世界もの」に仕立てられているから、大会としての「ラブライブ!」うんぬんとは直接的な関係はありません。

 というわけで TV アニメ2期の最終話で英ロンドンの短期留学へ旅立った上原歩夢が2週間の滞在を終えて帰国するシーンから今回の OVA 作品は始まります …… で、毎度ここで断っているように、内容に関してはワタシなんかよりはるかに深い洞察を披瀝してくれるブロガーさんたちが一定数おりますので、内容に関してはそちらを参照いただくとして、いくつか印象的な場面を記しておきます。

 またもや「桜坂しずくプロデュース」(?)かどうかはわからないが、のっけから意味深なバラード調の楽曲と、これまでのニジガク同好会の軌跡をたどるかのような MV で始まる(ちなみにワタシは初回を聖地のお台場の劇場で鑑賞してきたので、いまさっき見てきた風景がそのままスクリーンに大きく映し出されていて、いつもながらちょっと不思議な感じがした)。アニガサキを全話観た人ならたちまちピンとくるけれども、この曲を歌っているのは三船栞子・鐘嵐珠(ショウ・ランジュ)・ミア・テイラーの3人からなるユニット R3BIRTH(リバース)。TV アニメ本編では出番のなかったこの3人組の歌唱で OVA 版が始まるという、すばらしく自然な展開になっていたのが好感できる(さらに、秋葉原・沼津・金沢と他シリーズの舞台までさりげなく出して、おまけに高咲侑や宮下愛らが「おいしいね!」とのっぽパンや寿太郎みかんジュースを味わうカットまであるというサービスの細かさ)。というか、この作品は最初からそんな「神」展開ばかりで、『ラブライブ!』シリーズお得意の風景描写にキャラの心理を重ねる手法も、アニガサキがいちばん洗練されている。ちなみにミアちが MC で言っていたのは、「ボクたちはまだまだ止まらない YO! だからみんなもしっかりついてきて!」だと思う(“We're not stopping here, hang on tight!”)。

 R3BIRTH の登場で、カンのいい人はさてはと思ったかもしれないが、歩夢がロンドンから連れてきたアイラというスクールアイドル志望の子の物語ながら、じつは栞子が抱えていた悩みの解決が果たされる展開で、隠れ主役は栞子だった。これまでの栞子は「適性」というタームで、みずからの無限の可能性を「鳥かご」に閉じ込めていたひとりだった──それを解放するのは誰か? 自分しかいない。
アイラさん。やはり、あなたはわたしに似ています。無理なものは無理って、自分で限界を決めてるところ。
…… 私も自分の限界を決めるのはやめます! だから、思い切り楽しみましょう! 
たしかに世の中、「思ったとおり不条理」というのはどうしてもあるが、それでも頭角を現すような人はいるわけで。差はなにかと問われれば、これまた以前から繰り返し書いてきたことの蒸し返しになるが、「あきらめずに続けてきた」人だけが限界を突き抜けて、「ほんとうになりたかった自分」、「ほんとうにやりたかった仕事」などをつかみとることができるのではないかって思う。トシとってきてますます強くそう感じるようになった。アイラの場合は、たとえ学校の正式な認可が得られくてもダイスキは貫くことができる、ということを栞子から身をもって教えられたところに現実味があり、大きな感動があったのではないだろうか。こういうバタフライ効果が広がれば広がるほど、世界を変える原動力となる。

 また「スクールアイドルの聖地」のひとつ、神田明神の男坂を降りているときの、天王寺璃奈と宮下愛のやりとり──「愛さんは何をお願いしたの?」「これからもみんなと楽しく、スクールアイドルやれますようにって」「わたしも同じ!」──は、今後の展開に影を落とすカジュアルトークかもしれない(来年以降、劇場版3部作として制作が決まっている)。

 そして相変わらず楽曲も攻めていて、いかにもニジガクらしくて最高。まだ ED シングルは買ってないが、冒頭の「Feel Alive」の盤はラジカセの CD デッキに入れっぱなしにして仕事中もかけっぱなしにするほど気に入っている。ラップ系はニガテなはずなのに、なぜかこちら(「Go Our Way!」)は心地よいのが不思議(Oh E Ah Oh Oh E Ah!)。

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 あと本編とはカンケイないが、エンドロールの「発表会」について。自分もメッセージ寄せて応募した身だからそれだけでバイアスが〜とか言われそうだが、この企画、一部の人はお気に召さないようで。個人的にはもうすこしじっくり見たかったのはしかたないとして、こういう企画をアタマごなしにダメとか言う人は、はっきり言って軽蔑する。「◯◯大学でがんばります」「りっぱな教員をめざしてがんばります」「政治家を目指します」「人前でしっかり話せるようになりたい」などなど …… これのどこがいけないというのだろう? 「みんなで叶える物語」で始まったこのシリーズらしい参加企画で無問題ラ! と思いますがね。みなさんのメッセージはいまはあまり見られないけれども、じつに多くの方が真摯に「決意の光」を表明されていて、ワタシもおおいに刺激を受けた口。それに虹ヶ咲学園ですからね。虹ってほら、昨今では diversity の象徴でしょう。なんでもありな寛容さも作品の売りのひとつかと(そういえばつい最近、訳したのがその「虹」のでき方に関する記事だった)。それを自由闊達に表現するには、必然的に「ラブライブ!」大会出場を目指さない主人公たちのストーリーとして描く手法に行き着くわけです。

 蛇足ながらアニガサキの脚本を書いたのは田中仁さんという方で、こちらも大人気ご当地もの TV アニメ『ゆるキャン△』の脚本を書いた方でもある …… のはファンなら百も承知でしょうが、伊豆半島も出てきた2期はとても楽しめた(西伊豆町の黄金崎までまさかの聖地認定)。アニガサキは脚本の秀逸さも光る作品であるのは間違いない。

2022年06月10日

stars we chase 最高ずら

 いま放映中の『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期の第9話。このTV アニメシリーズはどういうわけか3の倍数回、とくにいままでのグループが9人組だったこともあってか、ストーリー展開の重要回が9の場合が多いような印象を受けますが、今回もまさにそんな展開でした。

 個人的にちょっと驚いたのは、全編英語歌詞の挿入歌が披露されたこと。メインで歌唱されるアニソン(いや、前にも書いたが『ラブライブ!』シリーズの全楽曲はもはやアニソンなどではない、と言い切ってよいと思っている)で全編英語歌詞というのは、これがはじめてなのでは? ミア・テイラー(米国の名門音楽家一族の生まれの14歳で、ニジガクには飛び級で3年に編入)は当初、香港からやってきた留学生で自分の「ビジネスパートナー」の鐘嵐珠(ショウ・ランジュ)のために書いた楽曲を、自分が歌うために「転用(バッハもよくやっていたパロディと呼ばれる技法)」するわけですが、MIDI キーボードでポロンポロンと音出ししていたフレーズ、あれもしっかり楽曲に再現されてましたね。

 それはともかく、あいかわらず攻めているというか、やっぱり『ラブライブ!』シリーズらしいなぁ、と感じたのも事実。『スーパースター!!』の Liella! 5人グループのときもラップ(!)調の楽曲が登場したりと、つぎつぎと新しいことに挑む姿勢は見ていてすがすがしいとさえ感じます。今回の楽曲なんかまんま洋楽、Billboard Hot なんたら、という感じの仕上がりで、向こうの人がなんの先入観もなくコレ聴かされたらブッとぶんじゃないでしょうかね。

 で、その歌詞内容がこれまた刺さりまくりで、このシリーズに一貫して流れているメタメッセージがしっかり歌われているのがまたすばらしい。すばらしすぎて、つい試訳をこさえてしまったほど(後述)。

 じつはこれ、↓ にもあるように、公式さんが限定公開している MV に日本語歌詞が掲載されているんですけれども、こちらに関しては、一部からこんな声も寄せられています。いわく、「公式訳、意訳がすごすぎて原語のニュアンスが伝わらないのでは?」、「stars we chase 試聴動画の訳見てるけど、押韻最優先で書かれてんのか意訳すぎてまったくわからん」……

 また、日本語歌詞が先にあって、それに英語歌詞をアテていったようだという話もあります(真偽のほどは不明、こちらなどが参考になるかも)。

 ワタシも公式さんの公式「訳」を見たとき、こっちがオリジナルで、英語歌詞はそれをベースにしたものではないか、という印象を受けた。双方を比べ読みしてそう思っただけで、なんの根拠もないが …… おおまかな内容はどちらもほぼ同じで(当たり前)、ようは聴く人の好みの問題なんですが、解釈的に引っかかりやすいところがひとつあります。
Shadow walk and dealing, truth inside revealing / Still, a part of me's seeking that feeling
 ここの ‘truth inside revealing’ は、「どうせオラなんてこんなもん」というイジけた気持ちが「現れた」くらいの意味でしょう。そうとらないと直後の歌詞とつながらない。ちなみに c.v. の内田秀さんがこの箇所を的確に説明されていたので、重複も顧みず、ここでも引用しておきますね(発言内容は YouTube で配信されていた、「最新話直前生放送」から)。
(あの輝きは時間とともに小さくなっていった、だから目を閉じたんだ)…… 英語の歌詞もね、“Shadow walk and dealing,”とあるんだけど、「影の中歩いて」、dealing というのがなんだろ、「慣れる」とか、もう長いこと暗闇にいるから(慣れちゃったけど)、でも、“Still, a part of me's seeking that feeling”というのが、一部の自分が、まだその感情を求めてる、ていう。だから、あの輝きを忘れられない、みたいな。……
(また、“It's back and now / Take your hand out, we can reach”のくだりですが、now は take your hand out にかかる。だからほんらいは It's back / and now take your hand out, we can reach となるべきところ)

 本編に「領域展開」して組み込まれた MV もまたすばらしい。暗い部屋(?)の中にぽつんと置かれた空っぽの鳥かごのモティーフは、Aqours の桜内梨子が内浦の海に潜り、求めていた「音」を見つけたときを思い出させるような描写だった。「夜の海の航海」というやつですね(こちらとはまるでカンケイないけれども、昔、『ナイチンゲールのかご』というパリ木の子どもたちが主演した映画があったのも思い出した)。不肖ワタシもすっかりミア・テイラーの熱唱にアテられてしまって、このシングル盤は買うずら、と思ったしだい。というわけで、最後に僭越ではありますが、拙試訳をくっつけておきます。
stars we chase sung by Mia Taylor[TV 挿入歌版]

昔 ぼくは星を見上げて ずっと追いかけてた
手を伸ばせばつかめるって信じてた
でもぼくが思ってたより それはずっと遠くて
あの輝きもずっと小さくて だから目を閉じた

いつだろう 顔をそむけるようになったのは? 
いつだろう 苦しい気持ちばかり大きくなっていったのは? 
いつしか影を見て歩いてた これがほんとの姿なんだと
でも心のどこかで あの輝きを追ってた

きみにささげた音楽に 夢をこめた
それは巡り巡って ぼくの中にもどってきたよ
きみが教えてくれたんだ この光がまぶしく輝く場所を

それはもどってきた
手を伸ばそう ぼくらなら届くよ
解き放たれるときを ずっと待ってたんだ
それはどんどん大きくなって 叫びになる
ぼくらの明日はもっと輝くよ

勇気を出して

あの星にはどんな色も どんな輝きもある
ここから見つけよう
ともに輝こう
きみの輝きを隠さないで



2020年10月31日

「輝き」から「トキメキ」へ

 沼津市内浦地区を舞台にしたTVアニメ作品『ラブライブ! サンシャイン!!』も、今年ではや5周年。で、声優さんたちのユニットもまだまだ活動中で、つい最近もベストアルバム盤が出たりと、コロナ禍でさんざんな一年という印象はあるけれども、こちらのパワーはあいかわらず健在です。

 そしてちょうど昨年のいまごろ、ここで告知した初の著作の拙小冊子も、なんとかぶじに発売1周年を迎えることになりました。あいにく3箇所ほどポカミス(タイポ、誤植)が残ってはいるんですが、読んで気にならないていどであることと、原稿を贈呈用の紙の本として組み直してそのままなので、Kindle 本の体裁にもどす時間がとれないということもあり、改訂版を出す予定はいまのところありません。ただその後、劇場版ムックを買いまして、その本にこのシリーズ監督の酒井和男氏がロケハンのエピソードをコメントしたくだりに「物語の舞台は当初、伊豆大島(!)を考えていた」ということを明かされていて、こういう追加情報はおいおい、入れておきたいとも考えてはいます。

 Aqours の活躍した『サンシャイン!!』とその集大成たる劇場版の強烈な印象はまだ残ってはいるものの、『ラブライブ!』シリーズ最新作の TV アニメ版も気になってはいたから、しっかり第1話から観ています …… まず思ったのは、アニメーションの絵柄というか色彩そのものがすごく透明感があり、「『サンシャイン!!』よりさらに進化」しているように思えたこと(これは TV 受像機を昨年、新調したせいもあるかもしれないが)。パステル画っぽい感じなんですが、出だしの優木せつ菜のド派手なライヴを演出する「火炎」とか、透明感がありながらあたかもホンモノの火炎が噴出しているかのような迫真の描写にまず引き込まれた。 CG もいまや3D 主体ですからね〜、技術的には前作から5年も経っていれば、そりゃ変わりますよね。

 放映開始から5話まで観た感想をひとことで言えば、「ああ、『ラブライブ!』そして『サンシャイン!!』で作品の土台となっているメタテーマの DNA は今回もしっかり受け継がれている」に尽きるかな。こちらはもともとリズムゲーム系から始まったユニットなので、TV アニメ放映が始まるまでイマイチ実感が湧かなかったんですけど、いざ始まってみればこの『ラブライブ!』シリーズが終始一貫、訴えてきたことがアレンジされつつも立ち現れていてまずはなにより。それは拙小冊子でも書いたように「教養小説」的であり、究極的には「アートとはなにか、人はどう生きればよいか」に通じるエートスだ。

 とくにそれをつよく印象付けられたのが、第3話。生徒会長なんだけどこっそり(?)スクールアイドル活動をつづけていた優木せつ菜が、自分の大好きを通そうとしたあげく仲間と衝突し、自分がいなくなれば残った仲間はスクールアイドルの最高のステージ、すなわち「ラブライブ!」の大会に出場できる、と思っていた。ところがまったく思いがけないことばを、自分のパフォーマンスを見て「完全にトキメいた」高咲侑からかけられる:「だったら、『ラブライブ!』なんて出なくていい!」

 このシーンを観たとき、思わず快哉を叫んでいる自分がいた。ここがこのシリーズのいいところだと思う。μ's のころはまだ「ラブライブ!」という大会じたいが始まったばかりだったし、Aqours の高海千歌がそこに自分たちの目指す「輝き」があると信じて疑わなかったのも理解できる。でも、前作の劇場版までしっかり観た人ははっきり悟ったはずだ──とくにライバルの姉妹ユニット Saint Snow と Aqours の「『ラブライブ!』決勝延長戦」のシーンと、それを目の当たりにしたことで「ほんとうに大切なこととはなにか」に深い気づきを得た渡辺月の科白に。思うに、人の心を動かす、あるいは感動させるということは、なにかの大会に出るとか優勝するとか、そういうものとは本質的にいっさい関係ない。そういう外面的なものすべてを超越するものなのだ。アリストテレスばりの三段論法でもこれは証明できる。前にも引用したけれども重複も顧みずいま一度、月ちゃんの名科白を引くと、
…… 楽しむこと。みんなは、本気でスクールアイドルをやって心から楽しんでた。ぼくたちも、本気にならなくちゃダメなんだ。そのことをAqoursが、Saint Snowが気づかせてくれたんだよ

 ほんとうに好きなことを貫き通すってなかなかできないことです。でももし、それをあなたが持っているんなら、きのうが命日だったジョーゼフ・キャンベルが述べたように、それがもたらす「至福を追い求めよ」。それはアーサー王伝承群のひとつ『聖杯の探索』にもあるように、「森の中へ、ひとりはこちら、ひとりはあちらと、森がいっそう深そうな方へ、道も小径もないところへと出発(天沢退二郎訳)」することだ。ワタシがこのアニメシリーズを好きになったのも、こういう点がしっかり描かれているからだ。さらに言えば、このシリーズは「音楽」が主役でもある。これはやはり作詞家の腕の冴えに拠るところがきわめて大きいと思うが、Aqours にしても「ニジガク」のスクールアイドル同好会にしても、その歌われる内容の深さといいスケールの大きさといい、はっきり言ってコレはもう「アニソン」なんかじゃない。皮相なジャンルわけというものを完全に破壊し、超越していると思う。そしてジェイムズ・ジョイスをはじめおしなべて「真のアート」と呼べる芸術分野は例外なく、こういう勝手な腑分けや分類の枠組みをこっぱみじんに粉砕する。そういうアートのみが、ほんとうの意味で生きるということ、ほんとうの「輝き」や「ときめき」を生む永遠の生命の泉なのだ。

 もっともこれはアニメ作品なので、そんなに肩肘張らんでも、という声もあるだろうし、それはそれでいいんです。本だってどう読もうが個人の自由だし。ただこのシリーズに関して言いたいのは、けっして「スポ根もの」なんかじゃないってこと。それは誤解もいいところで、もっとも大切なメッセージを理解していない。高海千歌が気づいた「輝き」のありかは自分たちの走ってきたキセキ+自分たちの心のもちようであって、この点ははっきり酒井監督も言及している。高咲侑が優木せつ菜に自分の思いをぶつけて言った科白もまたこの延長線上にある──いちばん大切なことは「ラブライブ!」に出られるかどうかじゃない。あなたがいちばんトキメいて、輝いて、そしていちばん幸福を感じることができるかなのだ。彼女はそのことに直観的に気づいている。

 そして、この思いがけないひとことを受けたせつ菜は、こう返す。「わたしのほんとうのワガママを、大好きを貫いてもいいんですか? …… あなたはいま、自分が思っている以上にすごいことを言ったんですからね! どうなっても知りませんよ!」

 昨今、アートと称して一方的な政治的主張を押しつけてくるもの、ジョイスの用語で言えば「教訓的芸術」がかまびすしいなか、こういう描き方をするアート作品がひとつくらいはあっていいと思う。