2016年09月18日

バッハは「無名の音楽家」?? 

 以下は、あくまで個人的感想で、それ以下でも以上でもなし。とはいえバッハ大好き人間としては、ちょっと挨拶に困るかなあ、というわけですこし書かせていただきます。

 先日見た民放のクラシック音楽家関連番組。もっともダ・ヴィンチも含まれていたから、必ずしもそうとは言えないかもしれないが( でも、ダ・ヴィンチ自身、すぐれたリュート弾きでもあった、ついでにガリレオの親父さんも )、とにかくその番組の出だしで取り上げられたのがわれらがバッハ。で、のっけから紹介されていたのが最晩年の作品「音楽の捧げもの BWV. 1079 」の「各種カノン」のひとつ、「2声の逆行カノン」。カニさんの横歩きにも似ていることから、「蟹のカノン」とも呼ばれる形式の、一種の音楽クイズじみた作品です。番組でも紹介されていたごとくバッハ自筆譜のままではどうやって演奏してよいものやら見当もつかないが、お尻のハ音記号から逆向きに[ つまり、鏡写しに表記されている ]書かれた音型も同時に鳴らすとアラ不思議、2声カノンとして成立するというもの。

 … と、ここまではよかったんですけど、そのあとで聞き捨てならないこんな趣旨の発言が。「生前のバッハは無名の音楽家だった。それが 19 世紀になって、再発見された」。

 むむむむむ、はへひほふ[ 柳瀬訳『フィネガン』の悪影響 ]、「無名の音楽家」なんて断定しちゃあ、それこそバッハも形無しでしょうよ、「シドいこと言うなあ」なんて。手許の文庫本を繰ってみると、
… 18 世紀をまっぷたつに区切る 1750 年に、どちらかいえば不遇のうちに世を去ったバッハは、音楽家として、特にオルガンやクラヴィーアの大演奏家として尊敬を受けてはいたものの、作曲家としてはすでにある程度時代遅れの存在だった。

 「知名度」ということでは、たしかにハンブルクの盟友テレマンやかのハンデル、昔の名前ヘンデル氏には足許にもおよばず、そういう点では劣っていたことは紛れもない事実。でも即、「名なしの音楽家」呼ばわりされてしまうと、一地方の宮仕え音楽家ていどでほんとに知られてなかったかのような印象を与える。当時の絶対王政社会では、音楽家は宮仕えが当たり前で、「知名度」イコール人口に膾炙していたというわけではない。ジャガイモ畑を汗して耕していた農民にとっては「ザクセン選帝侯宮廷作曲家」の称号も縁遠い話だったろうし、とにかくいまの尺度とはまるでちがっていたはず。いや、バッハの地元の人ならばたとえば礼拝で、あるいは公開演奏会で、はたまた「マルシャンとの公開鍵盤対決!」みたいなことを伝え聞いたりして、バッハのすばらしいオルガン / クラヴィーア独奏の妙技を知らぬ者はむしろいなかったと思う、というかバッハ一族が代々活躍してきた中部ドイツでは「音楽家」= バッハ、音楽家の代名詞的存在とも言える存在だった。いくらバッハが生業として「領主 / 宮廷 / 教会当局のため」に作品を書いたからといって、即それが「名無しの音楽家」というわけでもなかったことは、公共図書館にあるバッハ関連本をいくつか漁ってみれば明らかなこと。ラジオもテレビもなーんもない時代、海の向こうのヘンデル氏がいくら知名度抜群だったからって、当時の領邦国家集合体に住む人みんながみんなその名を知っていたわけじゃないでしょう。むしろ身近なバッハ氏のほうがよく知られていたはず。

 ものは言いよう、とは言うものの、もしバッハがほんとに「無名の音楽家」に過ぎなかったら、それこそメンデルスゾーンのような若き天才に「再発見」されようもなく、あるいはブラームスが、届けられた『ヘンデル全集』には目もくれなかったように、冷遇されたんじゃないかしら? よく知られていることながら、バッハの死後、彼の作品をいわば「伝統流派」のごとく継承していった音楽家が少なからずいた ―― むろんそこにはバッハの息子たちも、そしてバッハ直伝の弟子たちもいた ―― という幸運があったからこそ、メンデルスゾーンが肉屋の包み紙( だったっけ )に使われていたとかいう「マタイ」の自筆譜を見つけ、19 世紀のバッハ再評価へとつながったんじゃないかしら( くどいようだが、それがいいのかどうかはまた別問題 )。

 もっとも手許の本にもあるように「バッハの死をもってバロック音楽の終結を見るのは、19 世紀以来のドイツ音楽史観の悪癖」だと思うし、昨今の急激なバッハ研究の進展とかを素人なりに遠巻きに見ても、そういう 19 世紀以来の厚ぼったいバッハ像、バッハ神話はだいぶ崩されてきたようには思う。西洋音楽史におけるバロック音楽の終わりとバッハとの関係は、再検証されてしかるべきでしょう。

 逆に、当時はよく知られていたのにいまはほとんど忘れられている、なんていう音楽家もゴマンといる。たとえばバッハ評伝作者として超有名なフォルケルだって当時としては高名な音楽家で、たくさん作品を残しているのに、「古楽の楽しみ」その他の音楽番組で取り上げられたこととかあっただろうか ?? すくなくともワタシにはそんな記憶はなし。

 こう考えると、「無名」の基準っていったいなんだろ、って思う。なにをもって無名なのか。無名とくるとなんだかアマチュアみたいにも聞こえるが、アルビノーニはまさしくそんなハイアマチュアだった人。でもしっかりその作品は後世に残り、たびたび演奏会で取り上げられてもいる[ もっとも「アダージョ」は、「発見者」ジャゾットの作品だけど ]。そのじつバッハの親戚筋のヴァルターなんかはどうかな。『音楽事典 Musicalisches Lexicon 』編纂者としても有名だったこの人のオルガンコラール作品とかはたまーに耳にしたりするけど、ヴァルターの名前はいまやほとんど忘れられているように思う。パッヘルベルも声楽作品とか室内楽作品とかも書いているのに、「ニ長調のカノン」とちがってこちらは演奏されることはほとんどない、というか「きらクラ!」の「メンバー紹介」じゃないけど、「カノン」につづく「ジーグ」さえ演奏されることはめったにない。

 知名度ということではバッハの次男坊カール・フィリップ・エマヌエルのほうが、あるいはモーツァルトを教えたことでも知られる「ロンドンのバッハ」、末っ子ヨハン・クリスティアンのほうが親父さんのバッハより断然高かった … けれども、いまじゃどうなんでしょうかねぇ。一昨年生誕 300 年( ! )だったカール・フィリップ・エマヌエル作品の「全曲演奏会」みたいな企画はあったのだろうか … 欧州ではそんな企画があったのかもしれませんが( あ、いま聴いてる「リサイタル・ノヴァ」で、その次男坊の無伴奏フルートソナタ[ 無伴奏フルート・ソナタ Wq. 132 ]のオーボエ版がかかってました )。

 そういえばきのう、ヤボ用で静岡市にいたんですけど、駅前の本屋さんの洋書コーナーにてこういう本を見た。ぴろっとめくったら、いきなりバッハのあの例のハウスマンの描いた肖像画が。キャプション読むと、「[ 唯一バッハ当人を描いたものとされる肖像画中の ]バッハのむくんだ顔つきと手、そして晩年の自筆譜の乱れと眼疾は、糖尿病の症例と一致する」* 。むむむそうなのか ?? たしか卒中の発作とかなんとか、それが直接の死因だったような記憶があるけど。たしかにこちらのページにも書いてあるように、バッハがけっこう「よく食べる人」だったのはまちがいないようなので … ちなみに上記の本はやはり、というか、邦訳がすでに出ています。あ、そうそう、その本屋さんでもっとも驚いたのが、シュペングラーの『西洋の没落』の「新装復刊版」が昨年、刊行されていたこと。「現品限り、レジにて 30 % オフ!」というワゴンに突っこんであったけれども、それでもお高いことに変わりはない( 苦笑 )。個人的には、オビに紹介されていたオルテガ・イ・ガセットの全著作とかが復刊されるといいんだけど … というわけで、その本( 第 2 巻しかなかった )はもとにもどして、代わりにサン−テックスの新訳版『人間の大地』を買いました。

付記:「クラシック音楽館」で今月 4 日に放映されていたこちらのコーナー(?)。N響コンマスの「まろ」さんこと篠崎史紀さんと指揮者の広上淳一さんとの対談がすこぶるおもしろかった。そうそう、バッハって、「誰が弾いてもおんなじように感動」を味わえる、稀有な作曲家だってワタシもジュッっと前から思ってたんですよ! それを受けてまろさんが、「バッハの前では万人が平等なんだよね」と受けていたのも、またつく嬉ずうぜ[ ただし、エルマンのジョイス評伝に引用されていた、「バッハは変化のない人生を送った」というジョイスのことばは、むむむむ、はへひほふ、なのであった ]。

* … 追記。静岡市美術館にて開催中のこちらの展覧会を見に行ったついでに、ふたたび確認してみると、
... His puffy face and hands in his only authenticated portrait, and his deteriorating handwriting and vision in his later years, are consistent with a diagnosis of diabetes[ p. 449 ].
とあり、数十歩行った先の書架にその邦訳本2巻もあったので( 苦笑、すぐ近くにキャンベル本もあった )、確認してきました。「 … 後年失明して自分で書けなくなったのは、糖尿病のそれ[ 症例 ]と一致する」みたいな訳でした。ようするにダイアモンド氏は、ちょうどバッハが生きていたころのドイツでは「甘い尿の出る奇妙な病気」が流行っていたらしくて、バッハ晩年の症状が糖尿病患者の「それ[ こういう書き方は好きじゃないけど邦訳書ふうに書くと ]」とおんなじだ、っていうことが言いたいらしい。で、その話はこれでおしまいで、そこからつぎのセクションが始まっていた( 苦笑x2)。
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2016年09月04日

フローベルガー ⇒ 『フィネガンズ・ウェイク』

 先週の「古楽の楽しみ」は夏の特番のようでして、古楽界で活躍されているさまざまなゲストの方といっしょに進行する、というものでした。で、なかでもおもしろかったのは、以前ここでも取り上げたフローベルガーの「組曲 第 27 番 ホ短調 アルマンド」。これ作曲者自身が「ライン渡河の船中で重大な危険に遭遇して作曲」とかっていう副題つけている作品で、なんと、レオンハルトや弟子のボプ・ファン・アスペレンが各フレーズを説明する独白とともに弾いているというひじょーに珍しい音源があるという! で、番組ではその珍しい音源ふたつがかかりまして、レオンハルトのほうはたしかに「ノーブルな( 当日のゲスト演奏家の弁 )」、あの落ち着いた声でチェンバロばらばら弾きつつライン川に落っこちた顛末を語ってました。なるほど、状況を描写する「語り」付きだと、だれが聴いてもとてもわかりやすいですな。

 で、聴いてるうちにふと思ったんですが … そうか、ジョイス最晩年の畢生の大作『フィネガンズ・ウェイク』も、こんなふうな「講釈」付きで「演奏」される「楽譜」みたいな作品なんだな、と。ほんらい文学作品というものは、ふつーに活字を目で追って読んで楽しめばそれでいいんですが、これはそうはいかない。それがジョイスの仕掛けた「小説のたくらみ」なんだから。でもこちとらとしては目の前の本をなんとか読まなくてはならない( あるいは throw-away しちゃうか、ブルームみたいに )。楽譜それじたいでは音も鳴らず、作品として完成させるにはまずもって演奏家の介在が絶対不可欠なんですが、ジョイス自身、「純粋な音楽( エルマンの『ジョイス伝』から )」だと語っていたところからして、そんなら「講釈付き」の演奏ヴァージョンで柳瀬訳を読んでみたらどうだろうか、と思ったしだい。というわけで、本日は「ヤナセ語」訳、いや、演奏版かな、ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』冒頭部を見てみようと思います。まずは「講釈」付きの原文から、開巻ページ( p.3 、この作品は世界で唯一、ページ構成が異なる刊本や版であってもすべておんなじという本になっている。だから読むのはくたびれるが、検索するときはすこぶる便利な造りになっている )。「講釈」はおもにこちらの注釈付きサイトおよび手許のキャンベル本( Campbell, H.M. Robinson, A Skeleton Key to Finnegans Wake )、そして手に入れたばかりの古本『フィネガン辛航紀( 1992 )』を参照しました。*
riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodious vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.

riverrun:コールリッジの詩 Kubla Khan 冒頭節[ In Xanadu did Kubla Khan / A stately pleasure-dome decree : Where Alph, the sacred river, ran / Through caverns measureless to man /
Down to a sunless sea. ]を暗示するという説あり。地誌的に読めば、「リフィー川がフランシスコ会アダムとイヴ教会の前を過ぎ、曲がりくねって湾に達し、ホウス岬にある城とその周縁へとわれらをふたたび引き連れる」。Eve and Adam's:フランシスコ会系教会で、別称「無原罪の御宿り教会」。アングリカン系のクライストチャーチ大聖堂にも近い場所にある。昔、同じ名前の居酒屋で隠れてミサをあげていたことからいまでもそう呼ばれている。cf.「死せるものたち」( 新潮文庫版『ダブリナーズ』p. 298 )
commodious vicus :ローマ皇帝コンモドゥス、ジャンバッティスタ・ヴィーコが隠れている。commodious は「広くてゆったりした空間」または good の意。vicus は中世の分教区単位としての小村で、' a convenient cycle' ともとれる。
「イヴとアダム[ アイルランド神話のアナじゃないけど、ジョイスはここで大地母神的なイヴのほうを先に出している ]」ということからして、ここは「創世記」の記述も暗示させる。ようはすべての始まり、ということ[ そしてまた巻末の the でぐるっともどってくる ]。

Sir Tristram, violer d'amores, fr'over the short sea, had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war: nor had topsawyer's rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County's gorgios while they went doublin their mumper all the time: nor avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick: not yet, though venissoon after, had a kidscad buttended a bland old isaac: not yet, though all's fair in vanessy, were sosie sesthers wroth with twone nathandjoe. Rot a peck of pa's malt had Jhem or Shen brewed by arclight and rory end to the regginbrow was to be seen ringsome on the aquaface.

violer d'amores:楽器の「愛のヴィオラ」と violeur d'amours を引っかけている。チェンバロやクラヴィコード、オルガン、サックバットなんかも登場することからして、中世以来の「古い」楽器を取り上げているところもこの作品の中世趣味が伺われる[ cf. 「そりゃあもう魂臨菜 ( こんりんざい )、昼邪 ( ひるじゃ ) つきあいきれないくらい中世だった<『フィネガン III 』p.51、原本では p. 423 > 」 ]。サー・トリストラムは前にも書いたけど実在のホウス初代城主サー・アモリー・トリストラムで、もちろん騎士トリスタン( ウェールズ語ではドラスタン・ヴァーブ・タスフ )が響き、ひょっとしたら(?)『トリストラム・シャンディ』も隠れているかも。
fr'over the short sea:from over the Irish 'Choppy' Sea、日本の「鳴門海峡」なんかもそうだけど、だだっ広い大洋ではなく「短い海」は狭く、潮流の激しい荒海も想起させる。
environs:郊外、周縁部。
had passencore rearrived ... :仏語 pas encore で「まだ … ない」。North Armorica はブルターニュの古名と北アメリカの暗示。過去完了とそれと矛盾する「まだ … ない」で、直線的ではない円環する時間の流れを暗示。
scraggy isthmus:「ぎさぎざの地峡」、子宮の一部名称も暗示か? 
his penisolate war:歴史上の「半島戦争」と「男女の一戦[ あとはご想像にお任せします ]」とを掛けているらしい。ナポレオンとの戦いについてはすぐあとの「博茸館」の展示案内で細かく描写される。
wielderfight his penisolate war:独語の wieder( again )と wielder と戦いを掛けあわせている。
topsawyer's rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County's gorgios while they went doublin their mumper all the time:topsawyer は材木のてっぺんに立って鋸引く人、親方。これと当地ダブリン建設者としてジョイスが出版人宛て書簡で言及したアイルランド移民ピーター・ソーヤー → トム・ソーヤーとを掛けている[ ただし、実際の名前はジョナサン・ソーヤー ]。オコネー川は米国ジョージア州ローレンス郡庁所在地ダブリンを流れる川。ダブリン市の守護聖人聖ローレンス、初代ホウス城主の改名後の名前ローレンスとも掛けている。
exaggerated themselse to:ダブリンのモットーは ' Doubling all the time.' でもある。rocks には money の意もあり、好景気で町の人口が増えつづけ発展したこと、または rocks を睾丸と取れば文字通り子孫が繁栄して町が栄えたことを暗示。
gorgios:非ジプシー民あるいは「若造」と、gorgeous が響く。
doublin their mumper:double + Dublin、mumper:number + 1492 年に初めて醸造された当地の地ビール MUM からか。
avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick:a voice from a fire bellowed ME to baptise thou-art-peat-rick.
独語 taufen は「洗礼を施す」、mische miche[ アイルランド語で I AM, ME ]は混線しがちな無線交信で繰り返した時代の表現。全体として聖パトリック来島によるアイルランド全土のキリスト教化を暗示。また mishe にモーセが響くとする説あり。そうすると燃える柴の話(「出エジプト 3:2」)ともからめて「燃える柴」を「燃える泥」、ピートの島アイルランドとも読める。
venissoon:very soon と鹿肉の venison。
kidscad buttended a bland old isaac:以下、「創世記」のエサウとヤコブの家督権をめぐって父親のイサクじいさんを騙した話につながる( 「創世記」27:19 )。またここではチャールズ・パーネルによりアイルランド国民党当主の座を追われたアイザック・バットの話も同時に織り込まれてもいる。双子兄弟の息子と親父の HCE との確執、世代間闘争の暗示。
all's fair in vanessy, were sosie sesthers wroth with twone nathandjoe:vanessy には vanity とスフィフトの愛人のひとりヴァネッサが、sosie sesthers にはもうひとりの愛人名ステラが入っている。
twone nathandjoe:twone は two + one、うしろのは Jonathan をひっくり返してふたつにしたアナグラム。Jonathan の愛称 Nathan は「サムエル記」に出てくる預言者の名前でもある[ ナタンはダビデ王が人妻を娶ったことを非難した。HCE のフィーニクス公園での「罪」の暗示 ]。
Jhem or Shen, rory end to the regginbrow was to be seen ringsome on the aquaface : いずれも「創世記」のノアの息子たちのセム、ハム、ヤフェトを暗示、また Jhem or Shen = Jameson ととれば、ギネス醸造所と並んで老舗ウィスキー蒸溜所のジェイムソンとも読める。全体で「親父の麦芽を2ガロンほどジェムかシェンがアーク灯の明かりで発酵させると、虹が弧を描いてその赤い端が水面を囲んで見えはじめた」。rory end には orient も響く[ ジョイス自身の説明では rory は red の意らしい ]。regginbrow は 独語 regenbogen + rainbow で、新しい時代の幕開け、移行を暗示。また『フィネガン II 』冒頭の章に出てくるイシーの友だち「四重虹集い」のフローラたち[ 4x7= 28 人 ]も暗示。

The fall (bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonnerronn- tuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthurnuk!) of a once wallstrait oldparr is retaled early in bed and later on life down through all christian minstrelsy. The great fall of the offwall entailed at such short notice the pftjschute of Finnegan, erse solid man, that the humptyhillhead of humself prumptly sends an unquiring one well to the west in quest of his tumptytumtoes: and their upturnpikepointandplace is at the knock out in the park where oranges have been laid to rust upon the green since devlinsfirst loved livvy.

a once wallstrait oldparr:昔、英国シュロップシャーにいた 152 歳まで生き長らえたというトーマス・パーという老人とその老人にちなんだウィスキー OLD PARR およびウォール街の株式相場。「暴落」、つまり「転落」の暗示。ちなみに百語の「雷鳴」の日本語について、ジョイスはあるとき、「日本には四つの怖いものがあると聞いたが、カミナリはそのひとつに入っているか?」と質問している。retaled:retold
christian minstrelsy:19 世紀、米国からロンドンにやってきて公演していた Christy Minstrels という一座と Christian ministry を引っ掛けている。あるいは中世ヨーロッパのミンネゼンガーたちの後裔か。
pftjschute of Finnegan:pfui → 嫌悪、chute → 転落
erse solid man = Irish man
humptyhillhead of humself prumptly:ハンプティ・ダンプティと「背こぶのある」HCE の暗示。
humptyhillhead:落っこちてダブリンに横たわるフィネガンの「頭」の丘、つまりホウス岬。
to the west in quest of his tumptytumtoes:ふくれた「あんよ」を探して西へ、つまりフィーニクス公園の丘。その前の well は公園化される前にここに存在したとされる「泉」も暗示か。
their upturnpikepointandplace is at the knock out in the park where oranges have been laid to rust upon the green since devlinsfirst loved livvy :フィーニクス公園近くチャペリゾッドには 19 世紀までターンパイクがあった。HCE のパブはそのチャペリゾッドにある。knock out はアイルランドゲール語 cnoc、つまり hill + Castleknock。カッスルノックはフィーニクス公園北西の門 … らしいが、キャンベルによるとそこにはセメタリーがあったみたいです。死のイメージなのかな。西は死者の国の方角ですし。
orange, green はカトリック( 土着のアイルランド人 )とプロテスタント( 侵略者 )との対比。
 … とってもちかれた。暑いし( 苦笑 )、でもこれまだ開巻 1 ページ[ p. 3 ]目だけナンスよ。キャンベル本はこの冒頭部だけ「精密に」検討していて、次のページのパラグラフもあるんだけど、とても邪ないがもうムリ。文献資料のたぐいがワタシの周囲を囲んで( environ )いるので、暑さはさらに輪をかけられ、化身とならざる身、いよいよもって混乱の度を増しております、というわけで、暑さに負けずに気力を振り絞って( ? )つづけますと、ヤナセ語訳による冒頭部が意外にも( ! )すなおな直訳に近く、しかも日本語の文章として読んでもすこぶるおもしろいという、とんでもない離れ軽業を披露している、ということをあらためて再確認したしだいであります … ほんとに清水ミチコさんじゃないけど、「世界初の活字芸人」の面目躍如です。

 以上の「講釈」―― と言ってもこれが完全な「解釈」なんてことはありえず、あくまで可能性のひとつにすぎないが ―― を踏まえて、柳瀬先生による名訳をじっくり味わってみましょう[ 訳文の総ルビは割愛 ]。
 川走、イブとアダム礼盃亭を過ぎ、く寝る岸辺から輪ん曲する湾へ、今も度失せぬ巡り路を媚行し、巡り戻るは栄地四囲委蛇たるホウス城とその周円。
 サー・トリストラム、かの恋の伶人が、短潮の海を越え、ノース・アルモリカからこちらヨーロッパ・マイナーの凹ぎす地峡へ遅れ早せながら孤軍筆戦せんと、ふた旅やってきたのは、もうとうに、まだまだだった。オコーネー河畔の頭ソーヤー団地がうわっさうわっさとダブリつづけ、ローレンス郡は常時阿集にふくれあがったのも、もうまだだった。遠炎の一声が吾め割れ目とのたまわって汝パトリックの泥誕を洗礼したのも、もうまだだった。鹿るのちに、山羊皮息子が若下司のいたりで盲碌伊作爺さんを食ぶらかしたのも、じきにまだだった。恋は発条サというものの、ステラれ姉妹がふたりでに情ナサン男に憤ったのは、まだだった。親父の麦芽をちょっぴり醱酵させたのをジェムかシェンがアーク明りのもとで醸造し終えると、赤にじむ虹弓の端が水面に弧つぜんと見えようとしていた。
 転落( ババババベラガガラババボンプティドッヒャンプティゴゴロゴロゲギカミナロンコンサンダダンダダウォールルガガイッテヘヘヘトールトルルトロンブロンビピッカズゼゾンンドドーッフダフラフクオオヤジジグシャッーン!)、旧魚留街の老仁の尾話は初耳には寝床で、のちには命流くキリシ譚吟遊史に語り継がれる。離壁の大潰落はたちまちにしてごっ墜男フィネガンのずってーん落を巻き込んで、頭んぐり身が食むしゃらに浅索好きを西へと井戸ませ、無垢っちょあんよを探しにやらせる。するとそのひっくり肢ってん場っ点は公園の隅ロッキー、どぶリンの初いとしいリフィーがく寝って以来、オレンジたちが寄りどりち緑に赤さびるままにい草っているところ。( pp. 19 − 20 )

 そして、対立する二者の闘争、あるいは「意くさ」の話につながり、「棟梁フィネガン」の埋葬へとつながっていく。「く寝る」とか「委蛇たる」、「短潮の海」、「孤軍筆戦」なんかはさすが。代わりに「愛のヴィオール」はあんまり反映されてないけど、おそらく全体としての軽重( ケイジュウじゃないですよ )を判断してのことだと思う。「行」や「礼亭」にもトリスタン伝説、あるいは「聖杯」のニュアンスが入っているように思う。

 ただ、この作品については、手許の Penguin 版の序文を書いてるジョン・ビショップさんという人の意見に全面的に諸手を挙げて賛成ですね。つまり一般的な「直線的語り」で話が進む小説とまるでちがって、この本の語りはそれこそのれつの回らない酩酊言語の夢言語の多層言語構造なので、「理屈の上では、この本の読者はどこから読んでも、楽しみと恩恵を得ることができる」。† もっとも、「現場作業員」たる翻訳者はそういうわけにはいかないが。

 以前、柳瀬先生のこの『フィネガン』翻訳について、日本の地名( このへんだと石廊崎や田子 )や川名( 黄瀬川[!]、那賀川まで出てくる )、果ては著名人の名前まで出てきて、なんて自由な翻訳なんだろう、と書いた覚えがあるけれど、こうして『辛航紀』を読みますと、いやいやどうしてそんなことはなかったんですね。たった一行しか、訳せなかった日もあったそうですし( そりゃそうだろう … )。大変失礼しました、と言いたいところだが、それでもある意味では先生はとても恵まれた方だったように思う。先生ご自身、べつの著作でこう書いてます。
… 当時は、ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳に没頭していた。昼夜の別なくジョイス語の世界にどっぷり浸かっていた。一睡もしないまま大学に行って授業に入る日も多く、それが体力的にかなり無理になっていた。『フィネガンズ・ウェイク』を取るか大学を取るかの選択で、ぼくは『フィネガンズ・ウェイク』を取った。
――『日本語ほど面白いものはない:邑智小学校六年一組 特別授業』p. 13
 柳瀬先生の御霊安らかにと祈りつつ、この前「きらクラ!」で耳にしたフィンジの「エクローグ」を捧げたいと思います。



*... 参考文献など:
宮田恭子『ジョイスと中世文化 ―「フィネガンズ・ウェイク」をめぐる旅』みすず書房 2009
同    『抄訳 フィネガンズ・ウェイク』集英社 2004
柳瀬尚紀『フィネガン辛航紀:「フィネガンズ・ウェイク」 を読むための本』河出書房新社 1992
同   『翻訳は実践である』河出書房新社 1997
同   『辞書はジョイスフル』TBS ブリタニカ 1994
同   『日本語ほど面白いものはない:邑智小学校六年一組 特別授業』新潮社 2010
J. Campbell & H.M. Robinson : A Skeleton Key to Finnegans Wake: Unlocking James Joyce's Masterwork 1944 ; Collected Works of Joseph Campbell, New World Library Edition, 2005

† ... 使用した原書は James Joyce, Finnegans Wake, Penguin Classics Reissue edition, 1999 。引用箇所は p. x 。なおこちらのようなすばらしいサイトも「遅れ早せながら」、このたび発見した。そして余談ながら、「日本ジェイムズ・ジョイス協会事務局」がなんと !! 静岡市にあったこともつい最近知った( joyceful ! )。

posted by Curragh at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 名訳に学ぶ

2016年08月22日

『ダブリナーズ』

 予告通り、先月逝去された柳瀬尚紀先生の名訳から、いくつか引いてみたいと思います。まずはジョイス初期の傑作短篇集 Dubliners ( 1914;新潮文庫版 2009 )から、出だしの「姉妹 The Sisters 」冒頭部を[ 以下、下線は引用者、ルビと太字強調は訳文のまま ]。*
 あの人は今度こそ助からない。三度目の卒中だった。毎晩毎晩、僕はあの家の前へ行っては( 学校は休みに入っていた )、明かりの(とも)っている四角い窓を見つめた。来る晩も来る晩も、ほんのりと一様に、変らず明りが点っていた。もし()くなったのなら、暗く(かげ)ったブラインドに(ろう)(そく)影が映るはずだ。死んだ人の(まくら)(もと)には二本の蠟燭を立てることになっているのだから。しょっちゅう聞かされていた。わたしはもう長くない。そんなのは(あだ)(ごと)だと思っていた。今になってみれば、本当だったのだ。毎晩、あの窓を見上げながら、(ちゅう)(ふう)という言葉を小さくひとりごちた。それまではずっと、別世界の言葉みたいに耳になじまないひびきだった。(ユー)()(リッド)(けい)(せつ)(けい)(カテ)()()()の聖職売買という言葉と同じようなひびき。それが今や、極悪非道の生き物の名前みたいなひびきに聞える。怖くて(すく)みあがった。そりくせ少しは近づいて行って、そいつの荒仕事を見届けたい気がした。( p. 11 )
 おんなじ箇所を、新潮文庫にかつて入っていた旧訳版と比較してみます。
 今度はもうだめだろう、これで三度目の卒中だったから。毎晩のように、私はあの家の前を通って( ちょうど休暇だったので )、あかりのついた四角い窓を注意ぶかくながめた。くる晩もくる晩もそこは相変わらず、淡く一様に明るんでいるのを見た。もし()くなったのなら、暗くかげった(まど)(おお)いに(ろう)(そく)の灯がうつるだろう、と私は思っていた。なぜというに、死人の頭のところには必ず二本の蠟燭を立てるということを知っていたから。彼はよく私に言ったものだ ―― 「わしはもう長くはあるまい」と、だが、私はそれをいいかげんな言いぐさとしか考えていなかった。いまそのことばが嘘でないことがわかった。毎晩窓を仰ぎながら、私はひとり小さな声で、「(パラ)(リシス)」と言ってみるのだった。これは私の耳に、ユークリッド幾何学の()()(モン)( 訳注 平行四辺形の一角を含んでその相似形を切り取った残りの形 )ということばや、『カトリック要理』の中の()()()()( 訳注 僧職における昇進、禄、利得を売買する行為 )ということばとおなじように、いつも奇妙にひびくのであった。けれども、いまは何か(ざい)(ごう)の深い者の名前のようにひびいてきた。で、私はこわくてたまらないのだが、しかもなお、それに近よってその恐ろしい働きを見とどけたいと思うのだった。

[ 原文 ]:THERE was no hope for him this time: it was the third stroke. Night after night I had passed the house ( it was vacation time ) and studied the lighted square of window: and night after night I had found it lighted in the same way, faintly and evenly. If he was dead, I thought, I would see the reflection of candles on the darkened blind for I knew that two candles must be set at the head of a corpse. He had often said to me : I am not long for this world, and I had thought his words idle. Now I knew they were true. Every night as I gazed up at the window I said softly to myself the word paralysis. It had always sounded strangely in my ears, like the word gnomon in the Euclid and the word simony in the Catechism. But now it sounded to me like the name of some maleficent and sinful being. It filled me with fear, and yet I longed to be nearer to it and to look upon its deadly work.

 この冒頭部の下線箇所、集英社版『ダブリンの市民( 1999 )』ではそれぞれ「休暇中だった」、「 … 暗いブラインドに蠟燭の()(かげ)が映るはずだ」、「いつもはこの言葉がよそよそしく響いたものだ」になってます。「よそよそしい」、むむむ。当たらずとも遠からず? 

 前にも書いたように、翻訳というのは音楽作品の演奏( 解釈 )とおんなじで、翻訳者が 10 人いれば 10 通りの訳文ができあがるもので、ワタシはこの人のこの訳が好き、という嗜好の問題もあるので一概にいいとか悪いとか言えないかもしれない。偉大な先達による翻訳という営為にケチつける、という意図はまったくないながら( そんな資格も三角もないことは重々承知 )、ではこのジョイスの手になる短編冒頭をはじめて読む読み手にとって、どれがもっともイメージを掻き立てられる翻訳なのか、あるいはどの訳がこの物語をすんなりイメージできるのか。そういう視点に立ったとき、今回、3 人の訳者先生による「姉妹」冒頭部の訳文をはじめて突き合わせて一読した者としては、やはり柳瀬先生の翻訳がもっとも鮮やかで、自然で、神経の行き届いた訳文に仕上がっている、というのが率直な感想でした。たとえば新潮文庫の旧版の書き出しは、とてもじゃないが少年の視点で語られている文章とは思えず、壮年期にさしかかってからの回想文体のようで、ジョイスの意図にはそぐわないんじゃないの、と一読者としてはそんなふうにも感じる。「文体」って文学作品の命みたいなもんですから、翻訳するときはこういう点にも神経を配らないといけない … と自分に言い聞かせつつ。

 柳瀬先生の他の著作もこの際だからといくつか読んでみると、集英社の3巻本『ユリシーズ』邦訳に対してはずいぶんと辛辣です。たしかに不要な「脚注」というのもところどころ目についたりする。「姉妹」にしても、のっけに出てくる gnomon について、「平行四辺形の一角からその相似形を取り去った残りの部分」まではいいにしても、なんでまたすぐそのあとに「日時計の指針という意味もある」なんてつづくのか。こんなとこでいきなり「日時計の針」なんてあり得ないのにもかかわらず、にです[ もっとも、「出会い」にさりげなく出てくる「日もいまだ明けやらぬうちに … 」というのが『ガリア戦記』の英訳引用とか、「土くれ」に出てくるマイケル・ウィリアム・バルフという人のオペラのアリア「夢に見しわれは」、あるいは「委員会室の蔦の日」のチャールズ・スチュアート・パーネルについての説明とかは邦訳読者の理解の助けになるとは思うけど ]。

 著作を読んだかぎりでは、柳瀬先生にとって翻訳とはまずなによりも「文体を翻訳すること」の一点に尽きる。深町眞理子氏も、著作でやはり「いかに」をどう訳出するか、を強調していて、けっきょくおんなじことをおっしゃっている。そういう「柳瀬の姿勢」は、随所に見られる。たとえば「二人の伊達男 Two Gallants 」に出てくる 'His voice seemed winnowed of vigour ; and to enforce his words he added with humour : ... ' を「この声は活力を簸( ひ )られたふうだった。そこで言葉を補強すべく、茶目っ気をこめて言いそえた」とあえて古風な「簸る」を当ててます。おなじ箇所を新潮文庫旧訳版は「彼の声は、精力からふるい出されるようだった。そして、自分の言葉を強調するために、諧謔( かいぎゃく )を加えて言い添えた ―― 」、集英社版では「その声には活力を吹き捨てたような感じがある。彼は自分の言葉を強調するために、ユーモアをまじえてつけ加えた」。… むむむ、「ふるい出される」だの、「吹き捨てた」だの … なんかこういまいちピンとこないなあ( 苦笑 )。外ヅラの威勢だけはやたらいい、カラ元気張ってるだけってとこなんだろうけれども。

 短編集なので、あっちこっち拾いたいのはやまやまながら、一気に飛んでもっとも有名な巻末の「死せるものたち The Dead 」の、もっとも印象的な終結部を一部ですが引いてみます。
 カサカサッと窓ガラスを打つ音がして、窓を見やった。また雪が降りだしている。眠りに落ちつつ見つめると、ひらひら舞う銀色と黒の雪が、灯火の中を斜めに滑り落ちる。自分も西へ向う旅に出る時が来たのだ。そう、新聞の伝えるとおりだ。雪はアイルランド全土に降っている。…… 雪がかすかに音立てて宇宙の彼方から()(なた)から舞い降り、生けるものと死せるものの上にあまねく、そのすべての(さい)()の降下のごとく、かすかに音立てて降り落ちるのを聞きながら、彼の魂はゆっくりと感覚を失っていった。

[ 原文 ]:A few light taps upon the pane made him turn to the window. It had begun to snow again. He watched sleepily the flakes, silver and dark, falling obliquely against the lamplight. The time had come for him to set out on his journey westward. Yes, the newspapers were right : ...... His soul swooned slowly as he heard the snow falling faintly through the universe and faintly falling, like the descent of their last end, upon all the living and the dead.

 旧訳版では、
 サラサラと窓ガラスにあたる軽い音が、彼を窓の方にふりむかせた。また雪が降りはじめたのだ。彼は(がい)(とう)の光へ斜めに落ちかかる、銀と薄墨の雪片を眠たげにながめた。西部への旅に出発する時間がきたのだ。そう、新聞の言うとおりだ、アイルランドじゅうがすっかり雪なのだ。…… 天地万物をこめてひそやかに降りかかり、なべての生けるものと死せるものの上に、それらの最期が到来したように、ひそやかに振りかかる雪の音を耳にしながら、彼の心はおもむろに意識を失っていった。

 両訳文を比べてみてどうでしょうか。ひとつ気づくのは人称代名詞の頻度。柳瀬訳では「自分」以外の「彼」だの「それら」だのがひとつも使われていないことに気づきます。これも先生の「翻訳の姿勢」かと思ったしだいです。ワタシもなるべく人称代名詞は使いたくない人で、理想はコミさん[ 故田中小実昌氏 ]みたいな文章が書けるといいな、なんて不遜にも考えていたりするんですけど、柳瀬先生も人称代名詞なしでこの終結部をみごとに訳出されてます。いまひとつ気づくのが、降り落ちる雪の擬音の処理。北海道根室市出身、ということもあるのだろうか、「カサカサッ」という窓に当たる音がとても vivid に聞こえる。ここの箇所を集英社版では「二、三度、窓ガラスを軽く打つ音が聞こえたので、彼は窓の方を向いた」。またしても「彼」 !! あと細かいことだが「〜の方へ」という言い方も、スピード感が殺がれてよくないと思う。

 「姉妹」も「死せるものたち」も、話者こそ生けるものたちではあるけれど、そのじつ死者がテーマになっている作品、というわけでつぎは「死者たちの声」に溢れかえっているような、というかアビイ叫喚みたいな作品へとつづく……

* ... 手許にある原本は James Joyce, Dubliners , Modern Library Edition, repr., corrected text by Robert Sholes in consultation with Richard Ellmann, New York, 1993。柳瀬先生の著作の引用はすべて『翻訳は実践である』、河出文庫、1997。

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2016年08月07日

「あいつのものモノリスしい単神話めき ! …」、名翻訳家逝く

 先月から今月にかけて、偉大な功績を残された方の訃報があいついだ。先月 26 日には日本を代表するピアニストのひとり中村紘子さんが( 享年 72、文筆家としても名を馳せた先生なので、リンク先はあえて著作ページにしてあります )、そして 31 日には昭和の大横綱、「ウルフ」の異名をとったもと横綱「千代の富士」の九重親方が( 享年 61 )、そして個人的にとてもショックだったのが、英文学者でジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』個人全訳を成し遂げたあの名翻訳家、柳瀬尚紀先生の訃報だった[ 地元紙での扱いがあまりにもささやかだったため、はじめは気づかなかった。ちなみに「東京新聞」は顔写真付きだった。さすが ]。肺炎だったらしい。享年 73。こんなこと言うと不謹慎だが、7月 30 日で 73、と、数字まであわせなくてもよかったのに。もっともっと翻訳してほしかったのに。もっともあいかわらず悟りの遅い不肖ワタシは、柳瀬先生が現在、文芸誌に『ユリシーズ』全訳を目指して連載中だった、なんてことさえ知らなかった( mmm ... mṃm ... ṃmṃ )。

 手許にある『辞書はジョイスフル』という楽しいエッセイ( 1994 )。この本に、20 年前の 1996 年に新聞社の取材に答えていた記事の切り抜きを挟んであって、ひさしぶりに眺めてみる[ ちなみに ↑ の「mmm ... 」は、先生のこのエッセイ本文から借用した ]。「現代に問う『ユリシーズ』下」というタイトルの記事で( ということは「上」もあったわけで、そっちのほうは図書館に保存してある過去記事でも見ないとわからないけど )、先生のお写真のキャプションにこう書いてあって、いかにも先生らしいな、と微笑んだことなど思い出していた ―― 「ぼくは 1 年前より 365 日分英語ができるようになってると思う」。ということは、先生は『ユリシーズ』全訳になんと 20 年もかかり、ついぞ未完に終わってしまった、ということになる( もっともベストセラーにもなリ、映画化もされた『窓から逃げた 100 歳老人』などの邦訳に従事していたなど、一時期『ユリシーズ』完訳作業から離れていたようですが )。心より、柳瀬先生のご冥福をお祈りします(『フィネガン』邦訳についてはこちらの拙記事参照 )。

 『辞書はジョイスフル』、あらためて読んでみると、『フィネガン』翻訳の手の内もあちこちで航海、ではなく公開されてまして、そうか、「卑猥に類スるキャロル歌いめ !! ( 原文:Lewd's carol ! [ Finnegans Wake, p. 501 ])」なんてのもあったんだ、とか、その他いろいろ発見が。でも先生は、「『フィネガンズ・ウェイク』全訳で最も頭を悩ましたひとつ」と告白してもいる( ibid., p. 25 )。あいにく『フィネガン辛航紀』のほうは、いまだ未読。静岡県内の公立図書館の串刺し検索かけてなんとしてでも読んでみようと思う(『辞書は 〜 』のオビの惹句で、清水ミチコさんの評がすこぶる的を射ていておもしろい。曰く、「世界初の活字芸人である」)。

 そして先生は名翻訳者の例に漏れず、無類の辞書 / 事典好きだった。とにかく辞書大好き人間で、そのこともたっぷり紙幅を割いて書いてある。『フィネガン』にはあまたの見たこともない難読漢字が詰めこまれている感ありだが、たとえばそういう漢字ないし熟語をどうやって拾って、見つけてきたかもくわしく書いてあって門外漢にはひじょうに参考になる。『諸橋大漢和』とか、『角川新国語辞典』の「付録」とか … たとえば、
… もはや十二憑きはない、血そめつき、気さわぎ、夜迷い、単于憑き、殺め好き、 … ( III 巻、p. 310 )
なんてのは、すべてこの辞書の付録の「月の異名」を参照してこさえたヤナセ語「変奏」だそうです。で、先生によると引用箇所の「原形」はつぎのとおり。
かすみそめつき( 霞初月 )、きさらぎ( 如月 )、やよひ( 弥生 )、うづき( 卯月 )、あやめづき( 菖蒲月 ) …
 というわけで、寡聞にして知らないが、もし生前、柳瀬先生が「小学校からの英語必修化」の話を聞いたら、「とんでもない、まずは日本語でしょ、日本語は天才である !!! 」と応じたかもしれない。「1月」の異名というのがこれまたすごくて、かすみそめつきだけでなく、いわひづき( 祝月 )、履端( りたん )、質多羅( せいたら )etc., … 前にも書いたけど色の名前だって、ほんとたくさんあるのが日本語という言語。そしてそれをさらに豊かにしているのが、各地方に伝わる方言ですかね。あ、そういえば記事のお題にもした『フィネガン』の一節、そのすぐあとに「ああ、ほうかい! もうそのことはいわんでくれ[ ' ... And his monomyth! Ah ho! Say no more about it!' Ibid., p. 581 ]」とつづくけど、「ああ、ほうかい!」を見た瞬間、ワタシの頭には懐かしい祖母の声が聞こえてきた( 西伊豆の方言でもあるのです。意味はもちろん、「ああ、そうかい」)。そういえば祖母は「ウルフ」が大好きで、取り組みのときは決まって「千代、ほら行けッ、千代 !! 」とテレビ観戦していた。
凡人が『フィネガンズ・ウェイク』を読もうとすると、いかに外国語を知らないかを知る。いかに外国語に通じていないかを知る。
 そこで辞書だ。凡人には辞書がある。
 たとえばアルメニア語であれ、アルバニア語であれ、動詞のように活用のあるものはむずかしいとしても、少なくとも名詞なら凡人にも辞書は引ける。――『辞書はジョイスフル』p. 21

 こんなこと言うと怒られそうだが、SNS 全盛時代、あまりにもことばというものを大切にしていない使い手が多過ぎる。昔は原稿用紙とか便箋に( この季節だったら )手汗かきかき辞書片手に升目を埋め、読み直してまた書きなおす、みたいなことを繰り返して、ようやく第三者である読み手に読んでもらえるようにしたもんだけれども、いまじゃチョチョいと入力して( それも変換予測機能もついて )、ろくすっぽ推敲もせずすぐ送信、あっという間に全世界に公開されちゃうという、ある意味ソラ恐ろしい時代。昔も今もデマというものはあるけれども、虚報 / 誤報をツイートされれば最悪の場合、世界中を巻きこむ危険性も孕んでいるのがいまのご時世。あまりに「速報性」ばかりが偏重されている気がするのはタワシ、じゃなくてワタシだけかしら[ 以上、現場報告員、前大佐でした。名はセバスション、出はリオデジャナイヨと、だんだん日本語が怪しくなってきております ]。こういうお気軽さはなにもことばに限ったことじゃなくて、前記事で取り上げた怪物捕まえ手系ゲームにも言えることだし、世の中全般に対しても言えることではないのか、となんだか偏屈オヤジみたいになってしまった( ついでに牛3つで「犇めく」ですが、柳瀬先生によるとなんと「雷4つ」合わさった漢字まであるそうです )。

 手許にある柳瀬先生の訳書としては、いまひとつ『ダブリナーズ』もある。いつか「名訳に学ぶ」として取り上げたいと考えてます。合掌[ ヤナセ先生、あばあばあばよわん、達っぱでね !! ]。
… 冠涙にむせびて己の挽歌を、天使の機関車の泣きむせぶごとく。理非ィなる人生は遺棄るに値するや ? 唯いな !  
 この一節をキャンベルはこんなふうに紐解いている ――「人生は、それを捨てるに値するものだろうか ? 」。『フィネガン』には全編に現れる「 1132 ( とその変形 )」や 29 人の女生徒の口から各国語による「平和」が繰り出されるなど、それなりにメッセージ性もあるしプロットもある。けっして「精神を病んだ物書きの狂文」ではない。

[ 付記 ]:参考までに、本家サイト別館「ヤナセ語訳『フィネガンズ・ウェイク』を読むためのかんたんな道しるべ[ β版 ]

 … いまさっき調べたら、なんとなんといつも行ってる図書館に、Finnegans Wake 原本が置いてあったことを発見 !¿! Ulysses は借りたことあったけど、まさか『フィネガン』原本まであるとは … おそらくだれからも顧みられなくて書庫でショコんぼりしてるだろうから( 苦しい )、こんど借りてみようかな。だれがなんと言おうと、'harpsidiscord' を「破ープシコード ( I 巻、p. 37 )」としたのは、快哉ものです[ ただし、「フィネガン徹夜祭 / 本文は英語 」という但し書きは、どうなのかな、あれは英語のように見えて、じつは「字酔イス語」なので。柳瀬先生によると、『フィネガン』関連辞典 / 事典 / 注釈本のたぐいでもっとも役に立ったのが 2 冊あり、そのひとつが比較神話学者キャンベルがヘンリー・モートン・ロビンソンという人と書いた『「フィネガンズ・ウェイク」を開く親鍵 A Skeleton Key to Finnegans Wake 』だったそうです ]。

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2016年07月24日

「ならぬことは … 」⇒ 「レリオ、または生への回帰」

1). 以前、ここでも取り上げたスペインの思想家オルテガの『大衆の反逆』。蒸し返しになるけどその本にこういう一節が出てきます。
「世襲貴族」はどういう生を生きることになるのか、彼自身の生か、それとも傑物であった初代の生を生きるのか? そのどちらでもないのだ。彼は他人の生を演ずるように、つまり、他人でも自分自身でもないように宣告されているのである。当然ながら、彼の生は真正さを失い、他人の生の単なる代理か見せかけに変質せざるをえない。… 生とはすべて、自己実現のための戦いであり、努力である。私が自分の生を実現させるに当たって直面する困難こそ、まさしく私の能力を目覚めさせ、行動をひき起こすものなのだ。( p. 146 )
 また、いま読んでる Kindle 本( ほんとは「紙の本」で読みたかったのだが、これしかフォーマットがないというのでしかたなく )に、「 … われわれの欲望はほとんどの場合、なにが欲しいかではなく、ご近所さんが持ってないものを手に入れたいという欲求から発している[ ゆえにけっして満たされることはなく、つねに「欠乏感」に苛まれる ]」という一文にもお目にかかったりした。*

 なにが言いたいのかというと、例のバカげた騒動でして … こういう言い方するとなに言ってんだと怒られそうだが、このさいハッキリ言わせていただくと、VR だか AR だかなんだか知りまへんが、しょせんはゲームの世界の住人( いや、文字どおり「怪物」か )をわざわざ「現実世界」にスーパーインポーズしてまでピコピコゲームさせることはないでしょう !!! … おかげでなにも知らないワタシは( 日本上陸は 20日、との某 IT 系 Web ニュース記事に引っかかっていた人 )その「当日」の金曜日、三島駅前の交差点で信号待ちをしていたら ――「オイディプスの最新の化身が、いまもつづく美女と野獣のロマンスが、今日の午後、42 丁目と 5 番街の交差点に立ち、信号待ちをしている( J. キャンベル『千の顔をもつ英雄』)」―― かわいらしいセーラー服姿の怪物の集団がわさわさやってきた。向こうはまるでワタシが見えてないらしく、こちとらは車道に押し出されかけて、危うくオイディプスならぬピカチュウに間接的に殺されそうになった( 瞬間湯沸し器状態 )。

 開発元は Niantic( 発音はナイアンティック、Νίκη をニケと呼ばずナイキと発音するのとおなじ流儀 )とかいう Google からスピンオフしたスタートアップで、つい先日、お台場に世界中からスマホ持った人が集まったとか言う Ingress というイベント( という言い方でいいのかどうか、当方は関知せず )とおなじ会社。もちろんポケモンなので本家本元も共同で開発しているわけなんですが … この手の携帯端末向けゲームというのは以前よりあったとは思う。ただし、本末転倒もここまでくるともう … と、深き淵よりの嘆息のみ。「無理が通れば道理が引っこむ」ってやつですかね。後先考えてないとはこのこと。これがどれだけ潜在的な危険性をはらんでいるのか、開発元は認識しているのだろうか? あるいは喜々として「ミジュマル、ゲットぉ!」とか興じている方々は? 英語で言えば、preposterous ってやつ( 原義は「おしりが前に」、ようするに後先逆ということ )。「危ない」ということは、たとえば配信開始しておきながら、あらためて周知徹底を図る、あるいは関係機関にも働きかけている、という動きから見ると、開発元も認識しているからで … 先行配信された米国やドイツなどの海外ではさっそくやらかしている御仁が出てくるしまつ( そのうち訴訟沙汰にまでなるんじゃないかと危惧している人 )。

 自家用車を運転している人、とくに「ゴールドな」人にとって、これはハタ迷惑きわまりないと思う。もっとも、車高の高いバスなんかに乗っていて信号待ちで停車している隣のレーンのクルマを見ると、あろうことか運転しながらスマホいじってる人もときおり見かけたりする。どっちにしても危険行為にはちがいなくて、その当人だけの問題ではすまされない。ワタシだってピカチュウに殺されたくない、冗談じゃないですよ( こんなことになろうとは … )。

 逆に、いまどきの若い世代ってある意味不幸だ、とも感じる。どういうことかって言うと、
 便利さという名のもとに科学によって人間はどんどん怠け者になってゆく。さらにエレクトロニクスによる映像文化の革命的な進歩は、人間の心を表面的な愉悦で虜にし、安易な受身人間に育てていく。しかも最悪なのは人間から肝腎要の想像力と思考力を奪い取ってしまうことだ。画像は決定的ともいえるもので、その先に想像力の広がる余地はまことに少ない。
 一方、読書による活字から広がる想像力にはリミットがなく、バラエティにとんだ発想が派生的に自然に生まれてくるのだ。
 映像過多の世界に育った子供たちの精神は枯渇し、誰もが画一化され、最新テクノロジーの機器のもたらす血の通わぬ非情さに人間味を失う。ピストルの引き金を絞れば弾が飛び出しどういう結末を招くのか、刃物を突き出せばどういうことになるのか、想像力の欠如した人間には考えも及ばない。ゲームと現実との境も消える。―― 児玉清『すべては今日から』pp. 267 −8
 引用したオルテガや、児玉さんのことばをしかと噛みしめていただきたい、と思う。ちなみに引用した児玉さんの文章(「認めてしまっていいのか」)は、2000 年に書かれたもの。世界各地の狂乱(?)ぶりを見ると、十年一日(「じゅうねんいちじつ」と読む )どころか、15 年一日ですな。なんていうか、Google にせよ Amazon にせよ Niantic にせよ、しょせんはこういうコンテンツプロバイダーという巨人の手の上で踊らされてるだけじゃないかって気がするんですね。

 VR / AR について言えば、もちろん技術なのでそれ自体に倫理もクソもなくて、とどのつまりエンドユーザー側にすべてはかかってくる、とは言える。利用方法しだいではたしかにこれすばらしいでしょう。たとえば黄金崎[ こがねざき ]なんか、1989 年 4 月の大崩落以来、幸田文さんの随筆じゃないがずっと「崩れ」つづけて、あれから 27 年が経過したいまじゃすっかり様変わりしてしまった。地質的に脆弱で( 変朽安山岩 )、しかも台風や冬の西風による暴浪をまともに喰らう岬という地形ゆえしかたないと言えばしかたないのだが、たとえばタブレット端末をかざして岬を見たら、在りし日の黄金崎の姿が出現する、あるいは山側を振り返ればかつての旧国道 136 号線が現れる、なんていうアプリはありかな、と思ったりする( 観光協会の方、ご一考を )。†

 以上、ゲームするのはかまわないが、とにかくいま自分がしていることに対する責任と、これをしたらそのあとどうなるか、という想像力まで捨てるな、と言いたい。
… わたしたちが生きていることは奇跡だ。いろいろな出会いがあり、チャンスがある。人間は自分の人生を方向づけることができる。…… スーパーでものを買うことはできるが、人生の何年間かをそこで買うことはできない。何かを買うときは、人生の一部の時間を使って得たお金で払っているのだ。人生の時間を尊重しなければならない。人生を享受するための自由な時間が必要だから。―― ウルグアイ元大統領ホセ・ムヒカ氏

2). 話変わっていまさっき見たこちらの番組。いやー、もうビックリ。知ってる人にとってはそんなことも知らんのか、という話ではあるが、しがないワタシはいまのいままで、ベルリオーズの代表作「幻想交響曲 Op. 14 」に、「続編」の Op. 14b なる作品があるとは知らなかった。

 この作品、「レリオ、または生への回帰」は、端的に感想を言えば、「意識の流れ」の音楽、それもヴァージニア・ウルフ、キャサリン・マンスフィールド、ジョイス、フォークナーといったいわば「本家」より先んじているという点でまず驚かされる( もっとも、『トリストラム・シャンディ』という先行例はあるが、心理学など、近現代的な手法として見た場合 )。そうか、ベルリオーズは「幻想交響曲」とセットで演奏するようにと言っていたのか。でもそうするとお客はえんえん2時間も座席に縛られることになる( 2時間と言ったって、映画とはちと話がちがいますし )。そのためかどうかは知らないが、この作品はめったに演奏されないらしい。なんてもったいない。ワタシなんか、「幻想 〜 」のほうはなかば食傷気味だったから、もう新鮮この上ない音楽体験だった。モノローグあり、テノールやバリトンの独唱あり、合唱あり、幻想曲ありで、ごっちゃごちゃのごった煮もいいところなんですが、そこがまたいい! 形式なんかクソくらえ、オレはこう書きたいんだ、こう響かせたいんだ、諸君、だまって聴きたまえ !! みたいな自意識過剰丸出しのロマンティシズムがすばらしい。このとりとめのなさはどこか『フィネガンズ・ウェイク』にも通じるような気も … しないわけでもない。ま、作曲コンクールに出したら「選外」にされちゃいそうな、文字どおり型破りな、とほうもない作品ではある。でも、たまにはこういうはっちゃけた作品というのもいいではないか。ワタシなんかは終楽章での「空気の精たちの合唱」を聴いているうち、どういうわけかブラッドベリの名作短編『みずうみ』を思い浮かべてしまった。というか、そういう感じのショートショート1篇が、自分でも書けそうな気がしてきた( なんの根拠もなく )。こういう「とりとめのない」音楽というのは、あらたな作品を生み出す力と勇気をも聴き手に与えてくれるものなのかもしれない。

* ... [ 原文 ]:Much of our desire finds its source not in what we want, but from our desire to keep up with the Jones's[ sic ].

† ... テクノロジーがいかに文明社会を形成したか、あるいは影響を与えたかについて考察した本として、こちらのサイトで紹介されている「紙の歴史」ものの新刊洋書は、ちょっと興味あります。ま、プラトンはツイートしたりなんかせんでしょうな( 苦笑 )。とはいえ、
' ... It’s not technology that’s to blame for this current state. As Kurlansky writes, it’s merely a response to our demands: faster, cheaper, and “an innate desire for connection.” These demands have delivered us to today, a rare place where the challenge now isn’t a lack of information, but perhaps too much of it. '
というのは、どうなんでしょ。情報過多に見えて、そのじつこれほど必要な情報を読み解く能力( リテラシー )のない時代って過去になかったと思いますよ。たとえば観天望気とか、「ブラタモリ」じゃないけど「ここは断層谷だ」とか、あるいは自然を読んで身を守るといったたぐいの能力ですね。「ポケモン探しで、みんなが外に出るようになって、いつもの風景が新鮮に見えた」からいいじゃないかっていう向きもいるが、そういう人ほど、ふだんからなにも観察していない。端末画面上の怪物探しに夢中になってるあいだに、ツマグロヒョウモンチョウが道端に咲くオオイヌノフグリに舞い降りても気づくわけがない。新しい発見は端末機械の表示する仮想現実という名の幻影にすぎず、「現実のいまここ」ではない。とにかくそういう生活の知恵ないし情報能力って、今の人より昔の人のほうがはるかにあったと思います( 身近な例で行くと、国指定天然記念物の「丹那断層」は箱根峠あたりから見るとはっきりとその爪痕が見え、これが芦ノ湖からはるか伊豆市までつづいていることがわかる )。景勝地に来て、ただきれいな景色、とだけ感じているうちは、そこから発せられる「情報」をなにひとつ受け取ってはいないんです[ 芦ノ湖ついでに、富士山頂から芦ノ湖と黄金崎が同時に見えた日の翌日は荒天になりやすい … という観天望気もあります ]。

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2016年06月19日

最高のアマチュア、理想のアマチュア

 いまさっき見た「クラシック音楽館」。今宵もまた4月の N響定演[ サントリーホール定期 ]からで、指揮はこの前バッハ・プロでおおいに感動させてくれたマエストロ・スラットキン。で、本日は「米国の指揮者はこの人なくして存在し得ない」とまで言った、かのレナード・バーンスタインの名作ミュージカル「ウェストサイド物語」から「シンフォニエッタ・ダンス」や「キャンディード序曲」、「3つのダンス・エピソード」、そして後半が「感情に訴える力、という点で共通点がある」というマーラーの「4番」でした。

 今回、個人的にひじょうに感銘を受けたのは、プログラム後半前にスラットキン自身が語っていたことでした。それは銀行・投資関係の専門誌 Institutional Investor なる業界誌があるそうなんですが、その創刊に携わったひとりの実業家の話でして、その人、ギルバート・キャプラン氏はあるとき、マーラーの「2番」、いわゆる「復活」を聴いて天啓を受けたごとくいたく感動し、それ以来暇さえあれば楽曲研究にどっぷり、それだけでは気がすまず、ゲオルグ・ショルティなど米国の指揮者数名に宛てて手紙をしたため、「頼むからどこかのオケでこの作品を自分に振らせてほしい!」と頼みつづけていたんだそうです。スラットキンさんのところにもこのお願いの手紙が来たので、なら会ってみましょう、ということでじっさいに会って話してみた。「スコアは読めるの?」と訊いたら、「読めないけど、ピアノは少々心得がある」。で、仕事の合間を縫ってなんと、スラットキン氏みずから個人レッスン !!! 数年がかりでようやくこれなら大丈夫、というわけで「最初で最後の」つもりで念願かなってオケを前に「復活」を振ったらこれが大絶賛され、以後、マーラーの「復活」専門指揮者(!)としてあっちこっちのオケを客演したり、マーラーに関する講演まで引き受けたりと、なんともすごい展開になってしまったんだそうです[ ついでにお金持ちだったので自筆スコアまで買って、初版譜に 300 もの誤りを見つけ、みずから「校訂楽譜」を作ってしまったというからもっとびっくり ]。

 で、そんな折にスラットキンさんがキャプラン氏に、マーラーの講演をしてくれないかと連絡したら、「ドクターストップがかかってしまって残念ながらできそうにない」と。それからほどなくして帰らぬ人になってしまったんだそうです( キャプラン氏は今年の元日に逝去 )。

 … 不肖ワタシはこのお話を聞いて、深く感動するとともに、いろいろ考えさせられてしまった。いくら好きだからって、惚れこんだからって、キャプランさんのようにじっさいに夢をかなえられる人というのはそうはいないでしょう。でもマエストロ・スラットキンがいみじくも言うように、「情熱、ということに関して言えば、プロよりアマチュアのほうが上だったりする」。言ってみればキャプランさんはハイアマチュアの典型、アマチュアの理想像、最高のアマチュアだったと思う。マーラーのその作品が、それまで本人も気づくことさえなかった自分がほんとうにやりたいこと、あるいは「至福」の発見と自覚へと導いた、と言えるのではないか。マーラーが、キャプラン氏のほんらいの自己を引き出したように思えてならない。

 「彼のことを思うたび、芸術の持つ力のすばらしさを感ぜずにはいられない。マーラーを振るときはいつも彼のことを思う」というふうにスラットキンさんはおっしゃっていた。ほんとすばらしい話だった。

 でもってこんな美しい話のあとでこういうこと持ち出すのは、品性下劣のなせる業かもしれないけど、そのとき同時にワタシの脳裡をかすめたのは辞職した都知事氏のこと。といっても今回の件ではなくて、もっと昔の若かりしころの、それも「翻訳」がらみの話。なんでも当時、政治学者の卵だった方が下訳者としてこき使われたあげく、訳書には自分のクレジットはおろか、一文字たりとも訳出さえしてないこの国際政治学者先生の名前で麗々しく出版され、その後もウンともスンともなかった、というあのお話です。

 門外漢がここで気になったのは、なんでこのタイミングでそんな古い話を … という点もさることながら、「業績を横取りされた」、盗まれたと強調していること。たしかにお気の毒ではある。下訳者制度って日本特有みたいでして、米国で活躍しているさる翻訳者先生の著作を読んだとき、こちらと向こうの翻訳者事情、とりわけ下訳制度について言及している箇所が目にとまった。その先生は、自分の名前を出す、つまり文責を取るだけの資質のない者がなんで「他人の名前」で翻訳書を刊行するのか、さっぱりわからない、と同僚に言われたんだそうです。いつぞやのゴーストライター騒動じゃないですけど、たしかにこういう例はけっこうふつうにあります。それがまた、しっかり朱を入れてくれるんならまだしも、当の上訳者ないし監訳者は上がってきたゲラ刷りさえろくに見もしないでそのまま印刷所に回す、なんてことがとくに昔はよくあったようです( これはチェックを怠った版元編集者も同罪 )。心理学や経済学など、人文科学系の一般教養書のたぐいに読むに耐えないホンヤクがひじょうに多かった、というのは、ひとつにはこの下訳制度の「悪用」の必然的結果、と言えるとも思います。

 ただどうしても解せないのが、「翻訳書を出すことが学者 / 研究者としての業績としてカウントされる」というこの業界(?)の慣行です。ことばは悪いが点数稼ぎ、ということか。じっさい、「業績作りをしたいので、なにか翻訳の仕事、ありますか?」って訊いてきた大学の先生がいたっていう話が昔あった。大学人にもいろいろござれではあるが、そのていどの感覚の人って昔は多かったのかな、いまはどうだか知りませんけど。「二足のわらじ」として翻訳という営為にかかわる、というんなら、「やむにやまれぬ情熱」、あるいは熱意に突き動かされて、っていうのが、ほんらいあるべき仕事の態度じゃないでしょうか。これこそアマチュアの理想形、アマチュアでしかなし得ないこと、最高のアマチュア、アマチュア冥利に尽きると思うんですけどね … たんなる「業績(=点数 )のため」に「翻訳でも」というのは、結果オーライならそれでいいじゃん、と言えなくもないけれど、キャプラン氏の成し遂げた「業績」とははるか遠いところ、対極に位置していると思うのはワタシだけだろうか。

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2016年06月11日

「ブランダン跳び」、「トリスタン跳び」、「聖マロ跳び」

 この前も書いたことなんですけど、「三保の松原」近くにある東海大学海洋学部の図書館地階に眠っていた「第 1 回 聖ブレンダン協会国際会議」紀要本( Atlantic Visions, 1989 )。拙記事ではマッカーナ先生による『聖ブレンダンの航海』成立に至るさまざまな要因ないし起源についての考察のことをご紹介したんですが、本を閲覧したときにいまひとつ食指をそそられるものがありまして、それがアングロ・ノルマン語版『航海』になんの前触れもなく登場する「ブランダン跳び」に関する論考。というわけで行きがかり上、またまたこの「ブランダン跳び」を取り上げることにします( 苦笑、以前書いた関連記事はこちら )。

 そもそもこれっていったいなんなの? という向きのために若干の説明を。8世紀後半ころに成立したとされるヒベルノ・ラテン語で書かれた『聖ブレンダンの航海』は、俗に「中世のベストセラー」と称されるほど欧州大陸で人気があったアイルランド聖人による航海譚だったんですけど( ラテン語散文版だけでも 125 もの写本群が現存 )、vernacular、つまり各国語に翻訳[ 否、「翻案」と言ったほうがいい ]された写本というのもこれまたけっこうな数が残ってまして、なかでもその代表格みたいなのがアングロ・ノルマン語で書かれた『聖ブランダンの航海 Le Voyage de Saint Brendan / Brandan 』。くわしいことは本家サイトのこちらにて書いてありますが、成立年代は一般的に 1120 年ころ * と言われてます。現存する写本は6つあり、ふたつは断片のみ。うちもっとも引用されているのが大英図書館蔵の「写本 A[ MS A, London, British Library, Cotton Vespasian B X (I), 14 世紀 ]」と言われるもので、総数 1,834 行のアングロ・ノルマン語韻文作品。「ブランダン跳び」の考察をしたビルバオのスペイン人言語学者と思われる先生( Dr M. I. Lemarchand )も言及しているように、おそらく朗唱、もっと言えば「歌って」聞かせるために書かれた作品だと思われます。作者は一般的にブノワと表記される、ノルマン宮廷に仕えていた(?)ベネディクト会修道士。

 でもって問題の箇所なんですが、ちょくちょくここでも引用させてもらってる、松村先生のこちらの論考の「訳注」によりますと、「ラテン語版の Saltus( 草原の意味 )を、ブノワは『跳躍』を意味するフランス語 salt に移しかえている」とあります。ちなみにこの salt は現代仏語では saut になります[ ソなんだ、というくだらないダジャレを言いたくなった人 ]。

 松村訳ではそこの箇所はどうなってんのか、というと[ 下線は引用者。ラテン語版『航海』では chs. 3−4 に当たる ]、
… ブランダンは大海原に向けて出発した、
そこにゆけという神の命令を聞いた者として
決して縁者のほうを振り返りはしない
より大事な場所にゆく決心を固めていた
陸地が続く限り進んでいった
足を止めるつもりはまったくなかった
とある岩までやってきた いま、平民が
「ブランダン跳び」と呼ぶ岩である
[ 原文は 'Or le apelent le salt Brandan' ]
この岩は海に向かってながくのび、岬のようであった
この岬の下に船着き場があり、
そこで海に川の急流が流れこんでいた
急流は小さく、たいそう細く、絶壁からまっすぐに流れ落ちていた
ブランダンより前にこの高台を
降りた者はいなかった、と思う

そこで彼は木材を持ってこさせ、
舟を作らせた( ll. 157 − 174 )

 Lemarchand 先生は、ここのところを「地の果て」の断崖絶壁から、文字どおり海に向かって「跳ん」でふわりと降り立ち(!)、革舟の建造にかかった、というふうに「解釈」してます。

 不肖ワタシはてっきりこの箇所を、実在のディングル半島ブランドン山の北西岸側とその直下の岬( ブランドンヘッド、あるいはブランドン入江と呼ばれている小港 )を指しているにすぎないとかんたんに考えておりました。でもまあたしかに「異界( 黄泉の世界、死者の国 )」への「跳躍」という、古今東西の神話や伝説に見られる普遍的パターンのケルト的反映、というふうにも捉えることはできそうです。でもたとえばいまのところの最新校訂本であるこちらの本の編者による注釈なんか見ますと、ラテン語版校訂本編者セルマーの注も引きつつ、「ブノワは、ラテン語版で少し前に出てくる<( ブレンダンの奇蹟の )野 saltus >」をこの場面に移したうえで、古仏語で『跳躍』を意味する salt に結びつけたように見受けられる」みたいなことしか書いてません。

 ビルバオの先生による考察はベルール作『トリスタン物語』に出てくる「トリスタン跳び」を引き合いに出すに留まらず、La Bataille Loquifer なるまるで知らない武勲詩に登場するという「聖マロ跳び( !! )」、果ては中世スペインの伝承に出てくるイングランド王リチャードの話( ムーア人から自軍を救うために騎乗したまま海に向かって跳躍した )、ヘスペリデス( ヘラクレスと金のりんご )、果てはダンテの『神曲』まで引っ張りだして、「地の果て」−「跳躍」−「神慮」−「不死」−「西の果て」という説を展開してます。ようするにブランダン修道院長は、ほかの中世の聖人たちの例に漏れず、彼岸と此岸、あの世とこの世を往還できる力がある人として描かれる必要があったために「地の果て」の絶壁から「目に入るのは海と雲だけ( ll. 213−4)」の世界へと跳んだのだ、と。当時はこうした「異界」の存在がいまほど不思議がられてもいなかったと思われること、また聖人伝やそれに類する書物の言及による真実の証明みたいな発想がわりとふつうだったこと、そして「この世の生はしょせん流刑のようなもの」と認識されていたことなどを引いて、「『地の果て』から跳躍すること、すなわち< ブランダン跳び >は最適かつ完璧な隠喩ではなかろうか」と結んでます( 蛇足ながらスペイン北部海岸沿いにあるビスカヤ県の県都ビルバオ市はバスク語圏なので、ケルトつながりでもある。『アイルランド来寇の書』に出てくるケルト人の祖先「ミールの息子たち」は、イベリア半島から渡来した可能性が高い )。

 もっとも、引き合いに出されている「トリスタン跳び」のほうは「あしたへ … 」、じゃなくて異界へジャンプ! といった含意はまるでなく、文字どおり敵陣から逃れるためにやむなく「飛び降りた」わけでして、その点はこの先生も断ってます。というわけで蒸し返しになるが、参考までにその「トリスタン跳び」のくだりも引用しておきます。

 一同がたどり行く道の途中、
とある岩山の上に礼拝堂があった。
それは岩山の突端に建てられていて、
海を見下ろし、北風に吹き曝されている。
内陣と呼ばれる部分は
一段と小高いところに位置し、
その先はただ絶壁あるのみ。

皆様がた、この岩山の中途に
大きな広い岩が突き出ていた。
トリスタンはいとも軽やかにそこへ降り立つ。
吹き上げる風が服を膨らませ、
まっしぐらに落下するのを防いだからだ。
コーンウォールの人々は今なおこの岩石を
「トリスタン跳び」と呼んでいる。
礼拝堂は人で一杯になっていた。
トリスタンは飛び降りる。
砂は軟らかだ。
膝まで砂にめり込んだ。
礼拝堂の前で待ち受けていた連中は
見事待ちぼうけ。トリスタンは逃げた。
神は大いなる情けをかけ給うた! 
大股で飛ぶように、彼は渚伝いに逃げ出す。
… ( ll. 915 − 961 ) **

 すばらしい考察だとは思うけれども、「フーガの技法」の詩編対応説よろしく、やや深読みのすぎる嫌いもなくはない。いや、テーマが「跳躍」なのだから、これくらいは許容範囲なのかな。

* … 原野昇 編『フランス中世文学を学ぶ人のために』p. xxvii による。本家サイトにも書いたように、成立年代は 1106 − 1121 年と推定される。

** 『フランス中世文学集 1 信仰と愛と』白水社、1990, pp. 174 −5. ベルール本『トリスタン』は、いわゆる「流布本系」と言われる系譜に属するもので、制作年代は 1170 − 90 年と推定されるが、物語の後半はべつの作者の手によるものとする説もある。

 なお Le Voyage de Saint Brendan については、電子テキスト本( !? )があることをついさっき発見( しかも現代仏語訳つき )! あいにくワタシは古仏語とかはわからないので、専門に学ばれている方は参照してみてください[ しかしそれにしてもすごいなここ、『ロランの歌( c. 1100 )』に『オーカッサンとニコレット( c. 1290 )』、中世に流行った『動物寓意集』まであるとは … ]。

2016年06月05日

よい音楽と、そうでない音楽

 いまさっき視聴したこちらの番組。4月 16 日に開かれた「第 1832 回 N響定演」からで、前半は大好きなバッハのさまざまな仮面、じゃなくて、いろんな編曲ものの至れり尽くせりオンパレードみたいなプログラム( まったくの偶然ながら、1+8+3+2+= 14、BACH だ !! )、後半は「革新的」と指揮者スラットキンが評するプロコフィエフの「交響曲第5番 変ロ長調 作品 100 」。

 スラットキンはインタヴューで開口一番、「この世には二種類の音楽しかない。よい音楽と、そうでない音楽だ[ 'There is good music, and there's the other stuff.' のように言ってた ]」とおっしゃってまして、個人的にまったくそのとおり、というか、ふだん思っていることをまんま言ってくださったのがうれしかった。スラットキンさんはジャンル横断的になんでも聴くと言っていて、その際基準になるのがたしかな耳があるかどうかだ、とも。ワタシもこのブログで、好き嫌いの問題という言い方をよくしてきたけれども、行きつくところはとどのつまりそうなるとは思うが、好きか嫌いか以前に聴くに値する音楽なのかどうなのか、これが的確に判断できるということも大事だと思う。そういう能力ないし感覚を持ちあわせてないと、いつぞやの「 HIROSHIMA 」事件ではないけれど、音楽とまるで関係ないところで文句つけたりすることにもなる( いまは著作権とかうるさいからしかたないけど、バッハ時代はふつーに人さまの作品をせっせと筆写して好き勝手に編曲して演奏していた )。作曲者がだれかではなく、作品としてどうなのか、ここが大事だと考えます。

 と、前置きはさておいて、この日の定演は生中継で「らじる」でも楽しんでいたけど、TV はやっぱいいもんだ。最近、NHKホールのシュッケオルガンの出番がなにげに増えているような気がして(?)そちらもうれしい。でもスラットキンさんの指揮でこの日の公演のもようを見ているうちに、ああ、この定演だけは実演に接するべきだったかも、と思ったり。なんたって「教会カンタータ BWV. 26 」の出だしのシンフォニア、原曲の無伴奏パルティータ BWV. 1006 前奏曲と、さらに管弦楽編曲版と、なんと3回も !!! 楽しめてしまうという、なんともぜーたくなプログラムだったのだから。オルガン弾いていた美しい女性奏者はどなたなのか、クレジットもされてなかったのでわからなかったけれども、オケのメンバー同様、オルガン界にも若い人材がどんどん出てきているから、だんだんこういうことが増えてくるのだらう。

 もうひとつうれしかったことは、なんと !!! 若きスラットキンさんとN響との懐かしの初共演に、これまたなんともひさしぶりにお目にかかれたこと。1984 年 10 月 17 日、というから、32 年前! しかも演奏曲がヴェーベルン編曲による「リチェルカータ」。そうか、スラットキンさん指揮N響の初顔合わせはバッハだったんだ。で、自分は中学生のとき、「N響アワー」でこれを見ています。眺めているうちに涙目になってきてしまった。原曲は言わずと知れた「音楽の捧げもの」の「6声のリチェルカーレ」で、「大王の主題」が一音ずつ金管から木管、そして弦楽へと受け渡されていくというひじょうにおもしろい、色彩的な管弦楽語法が駆使されてます。ヴェーベルン好きな人は、まずもって聴くべきすぱらしい編曲ものだと思います。

 そして最後の締めが、またまたバッハ、それも「シャコンヌ( BWV.1004 の終曲 )」を、4人のチェロアンサンブルで !!!! こういう編曲は寡聞にして聴いたことがなかったから、なんか今宵はすごく得した気分だ。チェロは音域のとても広い楽器だから、なるほどこういう芸当もありというわけなんですね。

 冒頭のインタヴューにもどるけれども、スラットキンさんは子どものころ、身近なところにオルガンを持つ音楽ホールもなく、またユダヤ教徒の集会所のシナゴーグにもオルガンなんかなかったから、バッハ体験はもっぱら管弦楽編曲されたもの、オーマンディ、ストコフスキー、レスピーギといった人たちの編曲を通して聴いたのが最初だったと話してました。「それがわたしにとっての authentic なバッハだったのです」。でも、前にも書いたことの蒸し返しになるが、どんなに転がっても、どんなに姿かたちを変じても、バッハはバッハなんですねぇ。この日の定演のもようを聴き直してみて、あらためてバッハの音楽の持つ測り知れない奥深さ、果てしない広がり、そしてなによりもその生き生きとした生命力、エネルギーをバシバシ感じました。ありがたいことです。マエストロ・スラットキンに、心からの感謝を捧げます( ほぼおなじ内容のことがこちらのページにも掲載されてます )。

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2016年05月23日

『聖杯の探索』 & others

1). 前記事で書いたお題の本、だいぶ前に読んだ『エネアス物語』同様、page-turner でして、遅読なワタシでも 2 日ほどで読みきれた。時間ができたので、せっかくだから読後感まじりにラテン語版『聖ブレンダンの航海』および『聖ブレンダン伝』と似ていると思った箇所なんかを備忘録ていどにメモっていきます。
第 1 章「ガラアド[ ガラハッド ]の到着と聖杯探索の出発」:聖霊降臨祭( ! )当日、年老いた賢者が手を引いてアルテュール王[ アーサー王 ]の宮廷に連れてきた「待望の騎士」と聖杯の出現と消滅、聖杯探索の冒険[ aventures, この語はキーワードをなす最重要語句なのだが、訳者先生の言われているように、邦訳文では文脈に応じて冒険 / 幸運 / 偶発事など適宜訳し分ける必要がある、ようするに翻訳不可能語 ]の挿話は、ラテン語版『航海』冒頭の「聖バーリンドの話」と構造的によく似ている。「弟子の選抜」は聖杯探索に出かける円卓の騎士に、というぐあいに。
第 2 章「さまざまの冒険」:「ガラアドがそこ[ 白衣の修道院、つまりシトー会修道院 ]に来て門を叩くと、修道僧たちが外へ出てきて、かれを遍歴の騎士とよくわかっているらしく、親切に馬から助けおろしてくれた( p. 49 )」。当時の修道院には日本風に言えば寺院の宿坊があって、坊さんたちは旅人や「遍歴の騎士」、病人や物乞いなどが訪ねてきた場合は断らずに丁重にもてなして宿を提供した、という当時の慣習をそのまま記述していると考えられる( これは「聖ベネディクトの修道戒律」にもとづいている )。同様に『航海』でも、たとえば第 12 章「聖エルベの修道院の島」で、ブレンダン一行もまた島の修道士たちに手厚くもてなされ、また当時のアイルランド教会で歌われていた独自の聖歌をそのまま引用したとおぼしき箇所がある。

また騎士ガラアドが受ける< 墓地の冒険 >に出てくる悪魔の描写は、『航海』第 7 章の「修道士の死」に出てくる悪魔と酷似している;

< 墓地の冒険 >「おい! ガラアド、イエス・キリストの従僕よ、それ以上おれに近づくな。おれはここでずっと安楽にくらしていたのに、おまえが来ると、ここから出て行かねばならなくなるではないか」( p. 64 )

『航海』第 7 章 < 修道士の死 > 「神の人[ ブレンダン修道院長のこと ]よ、なぜおれを 7 年のあいだ暮らしてきた住処から追放し、自分の相続財産から遠ざけるのか[ 'Cur me, uir Dei, iactas de mea habitacione, in qua iam per septem annos habitaui, et facis me abalienari ab hereditate mea ? ' ]」。
こうわめいて「黒い子ども」の姿をした悪魔が盗みを働いた修道士の胸から飛び出す。

< 隠修尼の庵でのペルスヴァル >「さて物語の語るところによれば、ペルスヴァルはランスロと別れた後、隠修尼の庵に戻ったが、これは彼女から、自分たちの手を逃れた例の騎士の噂を聞けると思ったからである」以降( pp. 116 −8 );ここで隠修尼がペルスヴァルに騎士との決闘を思いとどまるように忠告する場面は、たとえばリズモア書所収の古アイルランドゲール語版『聖ブレンダン伝』に出てくる聖女イタの挿話とよく似ている。聖イタはブレンダンの乳母で、動物の血で汚れた舟[ 革舟カラハを指す ]ではあなたの目指す「聖人たちの約束の地」へはたどり着けまいと忠告する。ついでにこの尼さんはペルスヴァルがそれと知らずに死なせてしまった「寡婦の母親」の最期についても彼に語る。

第 7 章「コルブニックからサラスへ」:
 「イエス・キリストの従僕よ、前へ出なさい。そして、そなたがあれほどまでに見たいと望んでいたものを、見るがよい」
 そこで、ガラアドは進み出て、聖なる< 器 >の中を見る。見るとすぐ、かれはじつにもう激しく震え出す ―― 現世の肉なる者が天界のものを目にするとすぐに。( pp. 414 ff. )

 目的を果たした主人公があっけなく身罷る、というのも『航海』最終章のブレンダン院長のあっけない昇天を記述した箇所が思い出される。
 キャンベル本でもたびたび引用されている、「森のもっとも深いところ、道も小径もないところへとめいめいは出発した」というくだりに代表されるように、この物語には「めいめい、おのれの道を進んだ」といった記述が頻出する。作者が「逸名のシトー会士」らしいということはキャンベル本でも、そして訳者の天沢退二郎先生による「解説」でも書いてあるとおりで、その流れでふつうに解釈すると、ひょっとしたら福音書の記述[ cf. Mk 16:15、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」とか ]あたりを意識しているかもしれないが、キャンベルはここを読んだとき、おそらく直観的に「個人のヨーロッパ」の誕生を見出したんだと思う。

 一読した印象としては『航海』同様、やはり中世修道院文学の典型と言っていい作品だと感じた。でもこれはなにも教条主義的であるとか、説教ばっかりとか( ランスロにしろペルスヴァルにしろ、この物語では世捨て人みたいな「隠者」や「賢者」が彼らに対してお説教を垂れる、もしくは「幻夢」の解明といった箇所がやたらと多いのもまた事実だが )、そういう読みはちょっと一面的にすぎるとも思います。なんたってここでは情けないほどコテンパンに書かれちゃっているガラアドの父ランスロ卿ですが、そんな[ シトー会的に ]ダメ人間丸出しなランスロについても、ちゃんと救われる記述が用意されていたりと( < 僧の死 >、p. 191 など )、弱い人間という点ではこの物語の影の主人公はやはりランスロかなあ、と。ランスロはだから、オジサン的にはなんか肩入れしたくなってしまう好人物( 苦笑 )。これに対して息子の「高潔な」騎士、騎士の鑑たるガラアドは、言ってみればシトー会的理想人であり、父親とちがって情欲さえもまるでなくて( 苦笑 2 )およそ人間くさくない男、というか、年齢的にどう考えてもまだはたちにもならない少年騎士です。だから、聖杯の中身 ―― 生身の人間の目が正視するにはとても耐えられないもの ―― を目の当たりにしたとたんにぐったりして、臨終の秘蹟にあずかってそのまま昇天、という結末はいささか気の毒でもある。もっと人生を楽しんでからでもいいのに、って思ってしまった。

 BBC ドキュメンタリー「幻の民 ケルト人」でのプロインシャス・マッカーナ先生の言い方を借りれば、『聖ブレンダンの航海』は「火が点いたみたいに」あっという間に大陸ヨーロッパに広まっていった、中世アイルランド教会の修道院文学の一典型だとすれば、シトー会の思想の色濃いこちらの『聖杯の探索』も、まちがいなく当時書かれた修道院文学の最高峰だったろう、と思います。でも物語としてのおもしろさまで骨抜きにしていないところがすばらしい。むしろこっちの点こそ称賛すべき。キャンベルも当時の一修道会の思想は認めつつ、物語としての完成度の高さはしっかり評価している。そうでなかったらのちのちまで残らなかったでしょう。

 この本、あいにく絶版らしくて、もうすこし早く知っていればよかったなあ、といささか悔やまれる。というわけで評価は るんるんるんるんるんるんるんるん

 … ところでその訳者先生による「訳注」に、すごいことが書いてあった。↓
343 頁 < 不思議な帯革の剣 >―― この剣はクレティアン・ド・トロワ『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』第 4712 行に出てくる( 白水社版『フランス中世文学集』第二巻所収拙訳 231 頁が初版でこれを<< 不思議の柄の剣 >> としているのは信じられない誤訳 )

こんなふうに正直に告白されている先生には、はじめてお目にかかった。翻訳という営為に対する真摯さが感じられて、なんかこう、胸が熱くなったのであった。

2). それでもってふたたび前記事のつづきです。新訳版『千の顔をもつ英雄』。断っておきますけどワタシは今回の新訳を評価してます。だからこそ苦言を呈したいと思ったしだい。ほんとは書かずにダンマリ決めてようかとも考えたが、やっぱやめた( 苦笑 )。タネ明かしの前に、僭越ながら拙試訳をまずは書き出しておきます。
 たとえばコンゴで、目を赤くした呪術医の前を通りがかり、その口から発せられる夢幻のような意味不明の呪文に興味をそそられ耳を傾ける。あるいは中国の神秘家、老子の短詩を抄訳で読み、目を開かれた思いがして歓喜に浸る。時にはトマス・アクィナスの深遠な議論の硬い殻をこじ開け、イヌイットの奇怪な妖精譚を読んで突然、光り輝く真の意味に気づく ―― そこに見出すのは、姿かたちがいかに変わろうとも、これらはみな驚くべき一貫性を持つひとつの物語にすぎない、という事実であり、単に見知ったり聞いたりする以上に、自分で経験すべき事柄のほうが多いのだ、ということを抗しがたいほど繰り返し示唆してもいる、ということである。
 いかなる時代、どのような環境においても、人間の生きる世界にはあまねく、人間が紡ぎ出すさまざまな神話が花開いてきた。神話は霊感の生ける泉であり、そこから人間の肉体と精神の活動が生み出す限りの事象が生み出されてきた。神話は、宇宙の尽きせぬエネルギーの秘められた入り口であり、この開口部を抜けて人間の内面へと流れこみ文化的発露を促してきた、と言っても言い過ぎではないだろう。さまざまな宗教、哲学、芸術も、先史時代や歴史時代の人間社会の諸形態も、そして科学技術の重要な発見や眠りを乱す夢でさえ、みな一様に神話という名の根源的な魔法の円環から湧き上がってくる。

[ 原文 ] Whether we listen with aloof amusement to the dreamlike mumbo jumbo of some red-eyed witch doctor of the Congo, or read with cultivated rapture thin translations from the sonnets of the mystic Lao-tse; now and again crack the hard nutshell of an argument of Aquinas, or catch suddenly the shining meaning of a bizarre Eskimo fairy tale: it will be always the one, shape-shifting yet marvelously constant story that we find, together with a challengingly persistent suggestion of more remaining to be experienced than will ever be known or told.
Throughout the inhabited world, in all times and under every circumstance, the myths of man have flourished; and they have been the living inspiration of whatever else may have appeared out of the activities of the human body and mind. It would not be too much to say that myth is the secret opening through which the inexhaustible energies of the cosmos pour into human cultural manifestation. Religions, philosophies, arts, the social forms of primitive and historic man, prime discoveries in science and technology, the very dreams that blister sleep, boil up from the basic, magic ring of myth. [ 下線は引用者 ]
 じつはここの箇所、名翻訳者だった飛田茂雄先生が自著『翻訳の技法』上で、初訳本( 1984 )の冒頭部を引いたあと、みずからみごとな訳例を掲載しているところでして、ワタシは拙い試訳文をこさえたあとで改めて飛田先生の訳例と突き合わせて、そりゃもう顔からグリフォンよろしく火が出るような思いがしたんですけど、飛田先生の訳文はとにかくすばらしい、というほかない( pp. 64 − 8、蛇足ながらワタシは最後の一文を、近所の柿田川湧水群の「湧き間」のイメージで訳した。ちなみに飛田先生は「噴火口」のイメージで訳出してます )。

 新訳本の冒頭部は、なんというか、初訳本よりはたしかにマトモでありましにはなってますが、それでも? をつけざるをえない箇所が散見される。もっとも人によってはこんなもんどうでもいい、言ってることがわかりゃいいんだ、という感想を持たれる向きもいるでしょう。でも以下に引用するように看過するには忍びない問題点がいくつかある。
 コンゴの呪術医が充血した目でわけのわからない呪文を唱えるのを醒めた目で面白がって聞いたり、神秘主義者老子の詩句の薄っぺらな訳を教養人の気分で喜んで読んだり、たまにトマス・アクィナス … の難解な説の固い殻を砕いたり、エスキモーの奇抜なおとぎ話の輝くような意味がふとわかったりするときも、私たちの前にあるのは常に、形は変わっても驚くほど中身は変わらない同一のストーリーであり、これから知ったり聞いたりすること以外にも経験するべきものがあることが執拗に暗示されている( pp. 17 − 8)。
 下線部の訳、はっきり言ってワタシの頭ではまるで理解不能[ だし、これではキャンベルの言わんとするところが的確に伝わらない ]。出だしの dreamlike もなんで落としたのかな? こういうところこそ、イマジネーションを働かせてほしいところだと思うのに。thin はただたんに「ページ数がなくて薄い」の意のはずで、初訳本のような「浅薄に翻訳したもの[!]」なんてのよりはましかもしれないが、ふつう日本語で「薄っぺらな訳」ときたら、読み手は「中身のない翻訳なのか」って取るんじゃないでしょうかね。あともうすこし先の「 … 神話の象徴とは … そのひとつひとつが、自らの根源となる胚芽のような力を、損なわれることなく内に抱えているのである」というのもよくわからない … 'They are spontaneous productions of the psyche, and each bears within it, undamaged, the germ power of its source.' の訳ですが、「神話は、精神[ プシケ ]が自ずと産み落としたものであり、そうして産まれたそれぞれの神話にも、あらたな神話を生み出すおおもとの根源の力が損なわれることなくそのまま内包されている」くらいだろうと思うのだけれども。ようするにここでキャンベルが言いたいのは、精神が自ずと産みだした神話というもののなかにもその神話を生み出したおおもとの力がそのまま備わっていて、そこからまた新たなる神話がこれまたぽこぽこ自然発生的に生まれるのだ、ということだろう[ ひょっとしたらそういう含意でこういうふうに書いたのかな … 謎 ]。

 個人的にはこの手の本は、『宇宙意識』の名訳がある鈴木晶先生の手で出してほしかったなあ、と思う。キャンベルの神話解釈って( わたしはユング派なんかじゃありませんよ、という本人の弁にもかかわらず )、ユング流の精神分析ないし深層心理学的アプローチが基本になってると思いますので、そっち方面に明るく、かつ達意の日本語が綴れる先生のほうがより適任かと老婆心ながら思われます。それとこれはこちらの語感とあちらのそれとのちがいだろうが、「出立」とか「処女出産」という訳語選定もなあ … 。ところでこの新訳本、ワタシとおなじく期待していた向きがひじょうに多かった(?)と見えて、手許の買った本の奥付見たら、今年 2月時点でなんと四刷 !!! だったら再々校、できますよね、『 21 世紀の資本』みたいに ??? 

 翻訳で思い出したが、いま図書館からこちらの本も借りてます … 『マルタの鷹』の翻訳者、でピンとこない人も、映画にもなった『探偵物語』の作者、とくればああ、あの人かと思われるはず。英米ハードボイルドものやミステリものの名翻訳家だった小鷹信光先生のご本です。小鷹先生は昨年暮れ、80 を前にして逝去されてしまったけれども、巻末のことばがすごくずっしりと重く響く[ 太字強調は引用者 ]。
[ 小鷹先生が俎上に載せたさる邦訳本の批評について、おなじく大先達の深町眞理子先生がやんわりと小鷹先生側のまちがいを指摘して ]これと同じような誤りを、この 30 年間、私は無数に繰り返してきたのだろう。そのすべてを拾いだせば、誤訳の山が築かれるに違いない。翻訳にあたっておそろしいのは、大多数の読者がそれに気づいていないことである。だが、おそらく当の翻訳家自身も気づいていないこの誤りに気づいている無言の評者がどこかにいる。そのことを肝に銘じて、新しい仕事にとり組まねばならない。自戒もふくめて、これをこの本の結びにしよう。
 あいにくこちらの本も版元品切れみたいです。復刊望む !! 

付記:こちらのサイト、すごすぎる! 小鷹先生が生前収集していたというヴィテージものペーパーバックの表紙コレクションなんかもう、往年の LP ジャケットコレクションみたいで熱燗、ではなくて圧巻のひとこと。さらについでにこの本もほしかったりする。

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2016年05月16日

マッカーナ教授の『聖ブレンダンの航海』についての論考 ⇒「薄っぺらな訳」って? 

 本日は Beannachtaí na Lá Fhéile Bhreanainn !! というわけで、今年もぶじに、個人的にはとても大切なこの日を迎えることができまして、感謝( きのうの日曜は復活祭から 50 日の「聖霊降臨祭」で、ラテン語版『聖ブレンダンの航海』では「鳥の楽園[ フェロー諸島? ]」の挿話が意味深長に関連づけられている祝日 )。

 で、先日、 2004 年 5 月 21 日に満 77 歳、日本風に言えば喜寿の歳に亡くなったケルト学の権威、ユニヴァーシティコレッジ・ダブリンのプロインシャス・マッカーナ教授の代表作と言える著作 Celtic Mythology についてヨタ話めいたことをすこし書いたりしたんですけど[ この件についてはまた後述 ]、そのあとふと、そうだ、マッカーナ先生は聖ブレンダンについてなんか書いているのかな? と思って手許の The Legend of Saint Brendan を眺めていたら、Atlantic Visions という 27 年も前に出た本に収録されていることを知った。で、さらに静岡県内の公共図書館を串刺し検索できるサイトで調べてみると、なんとなんと( ってこればっかで申し訳ないですけど )、世界文化遺産のひとつ「三保の松原」近くの東海大学海洋学部の図書館にこの本が納本されている事実が判明 … むむむ、この本はこのワタシをいまのいままで待っていたのだ、こりゃ行かない手はないずら、というわけで、いつぞやの静大附属図書館のときのように、喜び勇んで馳せ参じたのであった( ついでに三保の松原にもはじめて行ってみた )。

 驚いたことにこの本、1985 年 9 月、ダブリン市やブレンダンゆかりのケリー州で開催された「第 1 回 聖ブレンダン協会国際会議( !¿! )」の紀要だそうで、そんなもんやってたんか、と思って、本が入ってた書架( というか、完全に書庫 )のある地下の部屋(!)に、これまたおあつらえ向きに用意されてある机にダークグリーンのハードカバー装丁の原書を開きひとりゆっくりとくつろぎつつパラパラ繰ってみたら、あのティム・セヴェリンの名前も出てくるではないですか( はしがきみたいな短文を寄稿していた )。セヴェリンが参考にしていたらしい「聖ブレンダンはコロンブスより先んじて新世界に到達した最初のヨーロッパ人」説の本の著者とかが言及されているところからしても、そういう学説がけっこう評判になっていた当時の熱気をいくぶんなりとも引きずっていたころに書かれたことを認識させられる、そんな内容でした。参加者の顔ぶれもマッカーナ教授のようなケルト学専門家だけでなく、海事史家、考古学者、アマチュアヨットマン、高校の先生とじつにいろいろ … いちばんビックリしたのはこんなアイリッシュ色に満ち満ちた会議にどういうわけか日本人( !!! )まで含まれていて、巻末の論考に名前を連ねてました( Mr Takau Shimada ってだれだろ? 寄稿文はまだきちんと読んでないけど、江戸時代の踏み絵に関するものらしい[ キリスト教 → 隠れキリシタンということなのかな ] )。

 本題。とりあえず興味をそそられたほかの寄稿文も含めてマッカーナ先生の論考をコピーしたので、それを見ながら以下に要約してみます[ Atlantic Visions, edited by John de Courcy Ireland & David C. Sheehy, Boole, Dublin, 1989, pp. 3 − 16 ]。
『聖ブレンダンの航海』の文学的 / 歴史的源流について

by Proinsias Mac Cana

1. 起源としての『ブランの航海』:
8 世紀初頭に成立したとされる『フェバルの息子ブランの航海』は、先行する古アイルランドゲール語で書かれた一連の「エフトリ( echtrae / echtrai, 異界行 / 冒険譚 )」との共通要素の混入が目立つ。たとえばシーなどの異界から使者(『コンラの異界行』と『ブランの航海』では、女人 )がやってきて、自分たちの住む国へと誘いだす、というモティーフは『クリウタンの息子ロイガレの冒険』や『病のクー・フリン』にも見られ、このような共通項の存在は 90 年も前にアルフレッド・ノットが指摘している。ここでおもしろいのは、旧来の土着宗教組織( ドルイド )は異教として描かれているのに対し、『ブランの航海』における「女人の島」[ Tír Tairngiri ]はキリスト教における「天上の楽園」のごとく見做している、という書き方が意識的になされている点である。この点について、のちのキリスト教の要素が混入していることは間違いないが、カーニーの主張するようにキリスト教など外国由来の要素が起源か、というと不明な点が多過ぎる。異界はつねに「生者の国」、つまり「不死」の王国であり、この概念じたいはおそらくキリスト教化以前の異教由来のものだと思われる。またエフトリでは異界が単一世界であることが暗示されているのに対し、イムラヴァでは実際の航海の経験からか、大洋上に散らばる島々という暗示がある。

2. 『ブランの航海』と『聖ブレンダンの航海』、その他イムラヴァとの関係:
カーニーは『ブランの航海』を、7世紀に存在していたと推定される『聖ブレンダンの航海』の原型から宗教色を取り除いた世俗ヴァージョンだ、と主張するが、これは奇妙なことである。『ブランの航海』と『コンラの異界行』では、異界が一連の島という概念を下敷きにしている。
アダムナーンの『聖コルンバ伝』には、修道院長の許可を得なかった修道士を同乗させたコルマックが「絶海の砂漠」探しに失敗する話が出てくる[ → 関連拙記事 ]。これはのちのイムラヴァに出てくる「余所者」というモティーフの先駆けとなったかもしれない。当時はこのような荒行のような航海についての話が伝説化して流布していたことを示唆してもいる。

 リズモアで編纂されたと推定され、1925 年にチャールズ・プラマーが編集した『アイルランド聖人たちの連祷』には、イムラヴァとしては現存していない聖人による航海が断片的記録として書かれている。そのうち、ブリュッセルのベルギー王立図書館所蔵の「サラマンカ写本」に収められた『聖フィンターン( Saint Fintán / Munnu, d. 635 )伝』にはフィンターンが「約束の地」を訪問したおり、かの地にはコルム・キレ、ブレンダン、[ アハボーの ]ケネクの 3人がいて、自分を招待してくれた隠者に対し、耐え難い試練に遭遇したり誘惑に打ち負かされそうになったときは「石の山」、現在のスリーヴ・リーグ付近に突き出す岬に行ってそこから船出するようにと忠告した。これは『聖ブレンダンの航海』冒頭部[ 聖バーリンドの訪問 ]とも呼応し、フィンターンの「約束の地」における居所の名前も Port Subai、つまり『ブランの航海』の Inis Subai[ 歓喜の島 ]および『航海』の Insula Deliciarum が響く。

 またエムリの修道院長聖エルベに捧げられた「連祷」では、「約束の地」を 24 人の弟子とともに何度も訪問していることが示唆されており、「実をつけた葡萄の若枝」を手にしていたとされる。これは『航海』のあるヴァージョンと、また『ネラの異界行』に出てくる夏の花を持ち帰る挿話とも対応する。

 当時の社会的制裁としての「追放」とこれら修道士による「自己追放」航海についてはたとえば『アングロ・サクソン年代記』の 891 年の記述( 3人のアイルランド人が、オールのない小舟でアルフレッド大王のもとにやってきた … )や、トマス・チャールズ−エドワーズによる論考[ 'The Social Background to Irish Peregrinatio', 1976 ]を参照。

3. まとめ:古アイルランドゲール語で書かれたイムラヴァ / エフトリ、およびラテン語版『聖ブレンダンの航海』との年代順に見た系譜については現時点で判明している史料からでは作成不可能だが、一般的に合意されているのは、『聖ブレンダン伝』のひとつは『航海』より先に存在していたということと、『連祷』に出てくる聖ブレンダン伝説はすべて『ブレンダン伝』から採られたものであって『航海』からではない、ということである。そしてアイルランドゲール語 / ラテン語による「航海譚」は、7 世紀以降に発展していったジャンルであり、9世紀初頭には文学ジャンルとして確立していた、ということも言える。

 そして、土着のキリスト教化以前の要素が含まれている可能性はあるにせよ、これらの「航海譚」はすべて修道院での創作活動から生まれたものであり、黙示録的終末観や聖イシドールの著作、当時の動物寓意譚や鉱物誌からの引用なども自由に取りこみ成立している。ラテン語版『航海』は、他の大半のアイルランド聖人列伝ほどには地域色が強く押し出されていないことから欧州大陸の知識層にもすぐさま受け入れられ、その想像力に訴えかける探求の船旅には尽くせぬ魅力があり、やがてアーサー王もの物語群としてふたたびこのおなじ探求の旅[ つまり、聖杯を探索する冒険として ]が現れることになる。

 → ご参考までに本家サイト「ケルト航海譚について
 … それにしてもこの本、よくぞこの図書館にいてくださいましたってほんとうにありがたく思いました。確率論的に言えば、かぎりなくゼロに近いではないですか。原書じたいとっくに絶版で、しかも名の知れた大手版元から出ているわけでもないですし。こういう偶然も、たまーにはあるものだなあ( これで宝くじでも当たればもっといいけど … )。

 そしてマッカーナ先生の本( Celtic Mythology )ですが、先日ようやく英国から(!)届きまして、中身を見てまたびっくりぽん。なんとこの本、ハードカバーの大判で、一般的な書籍、というより図版がたくさん収録されていてその合間に本文が挟まっているという、りっぱな装丁の本だったんです。しかもこれ初版本なんですけど状態もすごくよくて、おまけに破格の安価で買うことができて、この件に関しても運に恵まれたと思います。

 それにしても … 邦訳本の貧弱さはどうなの、って思ってしまう。カラーを含むオリジナルの図版がすべて使えなかったのはたぶん「大人の事情」ってやつかもしれないが( 版権者が特定できなかったとか )、創元社にもこの手の原書を翻訳した図説本シリーズとかがあるけど、そういう体裁で発行できなかったのかな、と。もっとも翻訳がもうすこしなんとかなっていれば、そんな短所も補ったんでしょうけれどもね。

 原書カバーそでに著者マッカーナ教授の若かりしころのお写真も印刷されてたんですが … れれ、よおく見ると、この先生、どっかで見たような … ってそのときピピっと思い出した! そうだ、かつて NHK の「海外ドキュメンタリー」で放映された、「幻の民 ケルト人」に出演してしゃべってたあの先生じゃなかろうか、と思ってぐぐってみた … が、あいにく映像が出てこない。でもクレジットはされている。というわけでもう手っ取り早く手持ちの VHS ビデオテープを引っぱりだして、20 数年ぶりに録画したものを見てみることにした( 大汗 )。テープじたいは良好でカビも生えてなかったとはいえ、ほんとにひさしぶりにこれ見るもので大丈夫じゃろか、と思ってたけどぶじに視聴できまして、やっぱりそうでした。前にもここで書いたことあるけどそう、「聖ブレンドンの航海」って吹き替えられていた、あのシーンでした( しかしなんでまたブレンドンになっちゃったのかしら、スクリプトくらい持ってたと思うが、まさか耳で聞いた音声から起こしたのかな? ついでながら教授の名前を紹介するキャプションは「P. マッカナ教授」になってました )。

 Celtic Mythology の初版本を眺めていると、いろいろ感慨が湧いてくる … この本が出たころはちょうど自分が生まれたころでもあり、こうしてめぐりめぐって( SW EP7 のラストシーンのように )またマッカーナ先生とこういうかたちで「再会」するとは … なんだかケルト十字架のごとき「円環」を描いているような気もしないわけではない。ぐるぐる、ぐるぐる … というわけで、ニューグレンジ遺跡のあの渦巻き文様なんかの図版も当然あるわけなんですが、それで思い出したのが、どういうわけか近所の長泉町の古墳から 2003 年に出土したという太刀の「柄頭[ つかがしら ]」のこと。2014 年夏に地元紙に掲載されていた記事の切り抜きがこの前、ぱらりと出てきまして、腐食して鉄の塊みたいになっていたこの柄頭を文明の利器、3Dプリンター(!)でレプリカを作ってみたらなんと !! ケルトの渦巻文様そっくりな模様が再現されていた、というもの。どういうつながりかはわからないが、かたや西の海の果ての島国で、かたや日出る国の富士山の麓でまったく似たような文様が出現するっていうのは … キャンベル本じゃないけど、地域も民族もちがうのにおんなじようなイメージが出てくるってほんと不思議ですねぇ。

関係ない追記:
朝、日が出るとすぐ、騎士たちは起きて武具を身に着け、城にあった礼拝堂へ弥撒を聴きに行った。それが終わると、馬に跨り、城主に神の御恵みがあるようにと祈り、城主の昨晩の歓待に謝意を表した。それから城を出ると、前夜相談した通りに、ひとりひとり別々になって、森の中へ、ひとりはこちら、ひとりはあちらと、森がいっそう深そうな方へ、道も小径もないところへと出発した。
―― 作者不詳『聖杯の探索』天沢退二郎訳、人文書院[ 1994 ]、p. 48
 まさかこちらの本までとっくの昔に邦訳が出ていたとはつゆ知らず、急ぎ「相互貸し出し」制度をフル活用していま、読みはじめてます。思っていたより大部で中身の濃い物語で、ちょっと圧倒されてますが … そんな折も折、じつはジョーゼフ・キャンベルが単独で刊行した本としてははじめての著作であり、いまや古典と言ってもいい『千の顔をもつ英雄』の待望の新訳本が、しかもお手頃な文庫本となって不死鳥のごとく復活していた( SW 新作航海、じゃなくて公開にあわせて出版したらしい )。というわけでついでに本屋にも立ち寄って、取り急ぎ冒頭部だけつつっと目を走らせてみますと … ン? こういう表現にドラゴンよろしく唐突に出くわした:

「 … 薄っぺらな訳」

 原文( The Hero with a Thousand Faces, 1949 )はつぎのとおり[ 下線は引用者 ]。
Whether we listen with aloof amusement to the dreamlike mumbo jumbo of some red-eyed witch doctor of the Congo, or read with cultivated rapture thin translations from the sonnets of the mystic Lao-tse; now and again crack the hard nutshell of an argument of Aquinas, or catch suddenly the shining meaning of a bizarre Eskimo fairy tale: it will be always the one, shape-shifting yet marvelously constant story that we find, together with a challengingly persistent suggestion of more remaining to be experienced than will ever be known or told.
Throughout the inhabited world, in all times and under every circumstance, the myths of man have flourished; and they have been the living inspiration of whatever else may have appeared out of the activities of the human body and mind. It would not be too much to say that myth is the secret opening through which the inexhaustible energies of the cosmos pour into human cultural manifestation. Religions, philosophies, arts, the social forms of primitive and historic man, prime discoveries in science and technology, the very dreams that blister sleep, boil up from the basic, magic ring of myth.
 前にも書いたかもしれないですが、この本の初訳本( 1984 )はとにかく評判の悪い本だったようでして、ある意味マッカーナ先生の Celtic Mythology の邦訳本といい勝負(?)だったようです … そこで期待して見てみたら、言い方はよくないが、いきなりコケてしまったような印象。ついでにその下の '... together with a challengingly persistent suggestion of more remaining to be experienced than will ever be known or told.' の訳もどうなのかな、と。ここの箇所は出だしでいちばん重要なくだりと言ってもいい部分で、大げさに言えばキャンベルという学者の根幹となる思想、考え方、ものの見方が垣間見えさえするところなんですけど … みなさんはどうですか、英語に自信があると自認されている先生方なんかとくに? 宿題にしておきましょう( 笑 )。

 ワタシは文字どおりなんにしてもディレッタントな門外漢なんで、とてもおこがましくて人さまのことなんざああだ、こうだとは言えた義理じゃないですけど、すくなくとも thin translation( s )の thin が「薄っぺらな」 になるわけないですよ。揚げ足取りする気なぞさらさらないが、イマジネーション不足じゃないんですか、これ? それこそ薄っぺらい、ぞろっぺいな印象をどうしても受けてしまう。いちおうこれでもキャンベル本は何冊か原書 / 邦訳本で読んでますんで、なおさらそう感じます。

 じつはワタシはこの前、強風のやつにカサを破壊されまして、どうせ買い換えるなら台風にも負けないカサを買うか、と息巻いていたところなので、せっかくの新訳本ではあるがとりあえず買うのはすこし先延ばしにしたので( 苦笑 )、手許に揃えてからまたこの件については書こうか、って思ってはいるんですけどもね … 。