2015年11月07日

『バッハの生涯と芸術』

 前の拙記事で書いたように、フォルケルの書いた『バッハ伝[ 過去に何点か邦訳が出ているようですが、ここでは岩波文庫版を取り上げます ]』をさっそく通読。以下、読後感などを備忘録ていどに。

 バッハ研究に携わる人にとってはおそらく次男坊たちの書いた『故人略伝』とならんでバッハ評伝に関する「最古の」一次資料であることはまちがいないこの『バッハ伝』ですが、「この芸術家のために不滅の記念碑を建て、… ドイツという名の名誉に少しでも値する者は … 」、「この際、私の目的とするのは、ただただドイツの芸術にそれ相応の記念碑を建て、… 」、そして結語の「そしてこの人間 ―― かつて存在し、そしておそらく今後も存在するであろう最大の音楽詩人であり最大の音楽朗唱者たる彼は、ドイツ人であった。祖国よ、彼を誇るがよい」などからも感じられるように、バッハという名が即ドイツ( 国家 )と結びつけられ、「神格化」されて語られている部分が多くて、言ってみれば「バッハ伝」というより、「リュリ讃」ならぬ「バッハ讃」といったおもむきです。

 ヨハン・ニコラウス・フォルケルの生きた時代は、ヴィーン会議後に成立した「ドイツ連邦」成立と重なるころで、そういう意味では「熱烈な愛国者精神」というものが全編にわたって溢れていてもちっとも不思議ではない。それゆえ「バッハの息子たちから直接聞いたバッハの逸話」に、多少の「お手盛り」があるのは否めず、この著作( 著者本人は「論文」と言っている )を読むときは、「どこからどこまでが事実にもとづき、どこからどこまでが著者のお手盛りか」を意識しながらとくに注意して読む必要があると思う。

 そうは言ってもこの著作に描かれたバッハのエピソードはおおいに興味惹かれるのも事実。だいぶ前に書いたことながら、たとえば作曲の際、鍵盤楽器で音出ししながら曲作りする人を「クラヴィーアの騎士」と呼んで揶揄したこととか[ p. 86 の記述では「指の作曲家( あるいはバッハが後年名づけたように、クラヴィーア軽騎兵 )でしかありえない」]、親戚のヨハン・ゴットフリート・ヴァルターによればなんでもヴァイマール時代の若き巨匠バッハは、「自分はどんな鍵盤作品でも初見でつかえることなく弾ける」とつぶやいたそうで、そこで一週間後、自宅にやってきたバッハに一泡吹かせてやろうと画策した話とかは、以前もほかの本や資料で読んだ憶えがあるのでなるほどこういうことだったかと改めて確認したり( こちらの話は、バッハがクラヴィーアの譜面台に載っかっている楽譜を片っ端から初見で弾くクセがあり、ヴァルターは決して初見では弾けない「難曲」も混ぜて置いてあったんだそうな。その結果、「彼がその楽譜をめくって、端から弾いている間に、彼を招いた友人[ ヴァルターのこと ]は、隣りの部屋に朝食の用意をしに行った。数分たつと、バッハは改悛を余儀なくされるように仕組まれている曲に来て、それを弾き通そうとした。しかし弾き始めてまもなく、一つの箇所で立ち往生をした。彼はその箇所をじっくり眺め、あらためて弾き始めたが、そこまで来ると、また閊えてしまった。『駄目だ』―― 彼は隣室でくすくす笑っている友人に向かって『なんでも弾いてのけられるなんてもんじゃない。とんでもないことだ!』と叫びながら、楽器を離れた[ pp. 67 − 8 ] 」)。大バッハでさえもつかえちゃう「難曲」って、いったいどんなのだったんだろ ?? 

 そしていまひとつは、フォルケル自身もまたすぐれた音楽家で、バッハと同様にオルガニストでもあったので、作品の様式や演奏、作曲といった事柄については「盛られ」ている点は注意が必要とはいえ、この点に関するフォルケルの記述はすなおに受け取っていいように思う。たとえばバッハは「自作の曲を弾く時は、大抵テンポを非常に速くとったが、その生気に加えて、演奏にこの上なく豊かな多様性を与えることを心得ていたので、一曲一曲が彼の手にかかると、まるで弁舌のように物を言った。彼は、強い激情を表そうとする時には、他の人たちがよく打鍵に過度の力を加えるのとは違って、和音と旋律の音型、すなわち内面的な芸術手段によって、それを行った[ p. 73 ]」とか、あるいは弟子に対して、「彼らにむずかしい箇所を緩和してやるために、彼は一つの見事な方法を用いた。すなわち、彼らがこれから練習することになっている曲を、まず全曲つづけて弾いて聴かせた上で、こんな風に響かなければならないのだ、と言った[ p. 121 ]」とか。

 そして、フォルケルの伝記にバッハ作品の特徴として何度か出てくるのが、「歌唱性」です。これは特筆に値する気がする。ヴァルヒャもまったくおんなじようなことを指摘して、弟子たちに「まずは歌うように」と教えていたこととも重なり合います[ そしてヴァルヒャ自身、そのようにして練習もしていた。いつだったかインターネットのどこかで BWV. 1018 のオブリガートチェンバロパートを、その上に乗っかるヴァイオリンパートを「歌いながら」練習していたヴァルヒャの録音ファイルを聴いたことがある]。
… 個々の声部に自由な、よどみない歌を持たせようとするため、… 当時の音楽教科書ではまだ教えられていない、彼の偉大な天分が彼に吹きこんだ方法を用いた。

… いくすじかの旋律、それはいずれも歌うことのできるもので、それぞれ時を得て上声に現れることができ、…

… バッハは … 自分の個々の声部に、まったく自由な、流麗な歌をうたわせようとした …

… 全曲をすべての声部において音符から音符へと転回させることができ、しかも澱みない調べや澄んだ楽節に少しの中断をも生じさせないくらいになった。それによって彼は、どんな音程の、どんな動き方の、どんなに技巧的なカノンをも、いかにも軽やかに、流れるように作って、それに用いた技法を少しも気づかせず、むしろそれをまったく自然な曲のように響かせることを学んだ[ このくだり、たとえば「ゴルトベルク BWV. 988 」の第9変奏「3度のカノン」を耳にすればたちどころに納得されると思う ]。

[ コラール歌詞に作曲する際のバッハの教授法について書かれているくだりで ] … 彼の内声部は、時には上声部として用いることができるほど、歌い易いのである。彼の弟子たちもそれらの練習において、そのような長所を目ざして努力しなければならなかった。
 そして「バッハの作品」と題された第9章では、取り上げた楽曲について、ご丁寧なことに「譜例」までついてます。寡聞にして知らないが、この手の音楽家の「評伝もの」で、このように「譜例」つきなのは、これ以前にもあったのだろうか … 故吉田秀和氏だったか、クラシック音楽評論に「譜例」を添付するやり方は自分あたりが元祖だ、みたいなことをおっしゃっていたけれど、その伝でいけばフォルケルの『バッハ伝』も、「譜例」を使用した嚆矢、ということになるのかな[ とはいえ、p. 175 の図 16 の BWV. 546 フーガ主題のプラルトリラーが、通例耳にする演奏よりふたつ前の4分音符にくっついてますが< → こちらの原文 PDF ファイルの p. 81 > … ]。ちなみに「教師としてのバッハ[ 第7章 ]」では、バッハがいかに教え上手だったかが具体的に語られていてとてもおもしろい。

評価:るんるんるんるんるんるん

関係ない追記:木曜夜の NHK-FM「ベスト・オヴ・クラシック」で流れた「ベルリン・コンツェルトハウス室内オーケストラ演奏会」。同楽団リーダーの日下紗矢子さんをゲストに呼んで、パッヘルベルの「カノン ニ長調」とかおなじみヴィヴァルディの「四季」全曲とかとにかく楽しい放送でしたが( 再放送希望!)、その日下さんの「ドイツと日本の楽団員のちがいについて」のコメントがすこぶる印象的だったのでこちらにもメモっておきます。

 日本の楽団員は、「全体練習前に完璧に予習をすませていて、いつでも準備万端、ほとんど手直しなし」。対するあちらの楽団員というのは、「全体練習前に予習するなんて団員は皆無で時間が来ればさっさと帰る、だがいざ練習にかかると短期間で仕上がる。その集中度は眼を見張るものがある」と、およそそんな趣旨のことを言ってました。列車はダイヤ通りにきっかり来る、荷物は期日通りに届かなければイライラする、何事もタイムテーブル通り杓子定規に事が進むのは当たり前、みたいに思っている国民性がこういう場面でも発揮される、と言えるかもしれないが、同時に根がひねくれているワタシみたいな天邪鬼は、おおやけの義務あるいは仕事と個人の生活との線引きが明確かつ真の意味で効率的な欧州人のやり方はすばらしい、と思ったりもする。30 数年も前に刊行された岩城宏之さんの『岩城音楽教室 / 美を味わえる子どもに育てる』というすばらしい本をこの前買ったんですが、ページを繰ってみて、それこそ目を見張る記述がそこここにある。日下さんのコメントとも重なる部分も多いので、また日を改めてなにか書く … かもしれないってこればっかでスミマセン。

posted by Curragh at 08:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 最近読んだ本

2015年10月25日

「マタイ」なのか、「ケーテン侯の葬送音楽」なのか

 先週の「古楽の楽しみ」は、大好きなバッハのオルガン作品がまたぞろ出てくる、というわけで、聴取前までそっちの関心しかなかったのではあるが …「 BWV. 244」なる作品、はて、そんなもんシュミーダーの作品目録にあったかしらん、などと首をひねって寝違えそうになり、ええっとたしか 200 番台はモテットとかオラトリオ、ミサ曲( バッハはルター派なので、ほんらいはミサ曲をこさえる職務上の義務などなかったが、当時のライプツィッヒ市ではキリエとグロリア、いわゆる「小ミサ」を上演する習慣があったとかなんとか、そんなことをどこかで耳にした覚えがある )、受難曲だったっけ …… なんて思ってさて聴取してみたら、なんだこれ「マタイ」じゃん !?¿ 

 使用音源は、ハルモニア・ムンディのこの音盤( しっかし NML ってすごいな、こんな新録音までライブラリーに入ってるとは … )。カウンターテナーのダミアン・ギヨンさんて、たしか 2009 年の LFJ で教会カンタータを歌っていた歌手じゃなかったかな。あのときの指揮者はお名前は失念したが、本業がヴァイオリニストの方だと思った。この「ケーテン侯のための葬送音楽」はうまいぐあいに四つの部分に分かれているから、一日ひとつずつ聴いていく、ついでにオルガン作品もね、みたいな構成だった[ → 参考までに磯山先生のブログ記事 ]。

 で、今回、カギとなるのがどうもフォルケルによる『バッハ伝』の記述だったので、幸い、いつも行ってる図書館に岩波文庫版[『バッハの生涯と芸術』]があったので借りてきてまじめに通読してみる気になった( 苦笑 )。* フォルケルのこの評伝はその筋では超有名ながら、恥ずかしながらきちんと読んだことさえなかったから ―― 「 96 」の From Sundown to Sunup のときのように ―― せっかくのよい機会だからこのさい目を通しておこう、と殊勝な思いを抱いたしだい。磯山先生に感謝しなくては。

 そのフォルケルによれば[ 下線強調は引用者 ]、
1723 年、クーナウの死後、バッハはライプツィヒのトーマス学校のカントル兼音楽監督に任命された。… アンハルト・ケーテンのレーオポルト侯は彼を非常に愛していた。それゆえバッハとしては侯に仕えるのをやめるのは、気が進まなかった。しかし、それから間もなく侯が歿したので、天命が彼を正しく導いたことを知った。彼にとって非常に悲しい侯の死に寄せて、とりわけ美しい数々の二重合唱をふくむ葬送の音楽を作って、それをケーテンでみずから上演した。
で、そのすぐあとの「訳注」を見ますと、
 その葬送カンタータは『嘆け、子供たちよ … 』BWV 244a であり、それのバッハ自筆の楽譜をフォルケルが所有していたが、のちに散佚した。
 11 曲から成るこの曲にバッハは、そのころ作曲していた『マタイ受難曲』BWV 244 から9曲を取り入れ、歌詞を書き換えて用いた。冒頭の合唱の音楽は、前に作った別の葬送カンタータ BWV 198 の中のものを用いた。またこの冒頭の曲はのちに『ロ短調ミサ』BWV 232 の冒頭の「キューリエ」に用いられた。
 バッハの教会用の声楽曲は非常に数は多いが、右に見られるように、すでに作ってある曲を、組合わせを変えたり、歌詞を入れ換えたりして作り上げる例が少なくなかった。[ 以上、pp. 44 − 5 ]
むむむ … そうだったのか、遅かりし由良之助、寡聞にしてこの「葬送音楽」はまるで知らなかった。でもそうですねぇ、磯山先生のおっしゃるように、自筆譜ないし筆写譜が残ってさえいれば、レチタティーヴォはまちがいなくバッハの新作だったはずなので、だいぶ印象は変わってくるだろうな。第一印象としては、言い方はなんだかなあとは思うが、まんま「マタイ」のパクり( 失礼 )という印象が拭えない。でも、こういう「再現」の試みじたいは高く評価したいと思う。個人的には、これはこれでけっこう気に入ったので。そしてもちろん、作曲者バッハ本人にしても、いまは亡き愛する主君への文字どおり万感の思いをこめて上演したことは想像に難くない。ワタシは磯山先生がこの『故人略伝』の記述を引いて説明してくれたとき、なんかこう目頭がカーっと熱くなるのであった[ バッハがケーテンの宮廷に仕えていたのは、わずか6年間にすぎない ]。

 ただ、磯山先生によると、この「再現演奏」をドイツのどっかで開いたら、聴衆のうち8名ほどが「気分が悪くなって」会場を出て行った、なんていうこぼれ話までついてました。うーん、たしかにドイツ人聴衆は当然のことながら母国語で聴いているし、なんてったってこれ「マタイ」の「転用[ パロディ ]」作品ですから、無理からぬ話かもしれない。

 そそっかしいワタシは、てっきりいっしょにかかるオルガン作品も、なんらかの関係があるのかなんて期待していたけれど、これは先生の趣味で選曲されたものらしい。でも「パッサカリア BWV. 582 」が「バッハがまだ若いころの初期作品の傑作」というのは、いまだに信じられない人( ケラーはたしかケーテン時代の作品に分類していた )。最新のバッハ研究ではそうなんだろうけれども、あの老成した堂々たる8小節にもおよぶ低音主題といい、つづくフーガの展開といい、そして圧倒的なナポリの6の終結といい、どう考えてもこれがまだはたちになるか、ならないかの時代に作曲されたなんて思えない。いくら「天才」だったとはいえ( → BWV. 582 についてはこちらの拙記事も参照 )。ちなみにかかっていた音源のオルガンの響きもすばらしくて、気に入りました。どっかに売ってないかな? 

* ... 訂正:当初、ワタシはバッハの次男坊 C. P. E. バッハらが書いたと言われる『故人略伝( 1754 )』と、フォルケルが彼らの証言にもとづいて 1802 年に出版した『バッハ伝』とをゴッチャにしてました。誤記をお詫びしたうえで、当該箇所を訂正しました m( _ _)m ちなみに岩波文庫版訳者先生によれば、バッハの長男ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルとのあいだには生後すぐ死亡した「双子の姉弟」がいた、とのことで、彼は正確には次男坊ではなく「三男坊」にあたる、ということもはじめて知った … 18 世紀当時のことなので、新生児の死亡率がひじょうに高かったわけですね。

posted by Curragh at 22:57| Comment(4) | TrackBack(0) | NHK-FM

2015年10月11日

「メンバー紹介」番外編

1). 本日の「きらクラ!」の「メンバー紹介」に、バッハの超有名な「ニ短調のトッカータとフーガ BWV. 565 」が登場してまして、なんでも冒頭の嵐のごとく降下するあの音型と、それにつづく減七のアルペッジョばかりに気を取られ、気づかないうちに次のトラックに突入、ということが多いので、これを機会にじっくりフーガを聴いてみたい、ぜひとも「メンバー紹介」してほしい、という趣旨のリクエスト[ 京都市の「消しゴムの角を使って叱られました」さんから ]。番組ではこのフーガ部分がたしか「6分」ほどつづく、とかふかわさんがおっしゃっていたので、ためしにこちらの演奏版で確認してみたところ、もう少し短めの5分でした( ふかわさん曰く、「冒頭の一発芸に気を取られて … 」には、笑った。ちなみにいま、再放送にて確認したら、サットマリー盤でもやはり5分で終わっていた。テンポもけっこう「快速」でしたし … )。

 手許のポケットスコアで確認すると、フーガ主題の入りはちょうど切れよく 30 小節目から始まり、再びトッカータが嵐のごとく舞いもどってくるのが 127 小節目以降( 区切りを示すフェルマータが記されている )。番組でかかっていた音源はサットマリーの新録音のようで、使用楽器は塚谷水無子さんも使用した、オランダのバーヴォ教会のミュラー製作の歴史的オルガン。ちなみに番組ではこの音源でコーダまでかかっていたけれども、BWV. 565 はトッカータが額縁のように真ん中のフーガを取り囲む、ブクステフーデやブルーンスによくある「北ドイツ オルガン楽派」流儀の即興的要素のきわめて濃い作品。たしかサイモン・プレストンだったか、「これはバッハの真作ではない」とか言われたり、また「原曲はヴァイオリン独奏曲」説もあるという、いわくつきの作品。前にも書いたけれども、こういう構造を持ったバッハの他のオルガン用作品って、見当たらないのも事実。技巧的にも鍵盤のために書かれた書法、というより、ヴァイオリンなど弦楽器系だと思う。ところでゲストの三浦友理枝さんが、「このフーガってトッカータの延長線上にあるような書き方ですね、わりとギザギザしていて … 」みたいな発言をされていて、さすが、と思いました。トッカータ冒頭部の音型からフーガ主題が導き出されていることを演奏家の直感でみごと言い当てておりました。

 それで、念のため過去記事探してみたらそれらしい記事がないみたいなので、ここで手短に「メンバー紹介」のそのまたメンバー紹介をしておきたいと思います ―― それは「ドリア調」と呼ばれる、もうひとつの「ニ短調トッカータとフーガ BWV. 538 」のことです。

 こちらのほうはオルガン作品が量産されたヴァイマール時代、1708 − 17年にかけて作曲されたと考えられているもの。あいにく自筆譜は現存せず、親戚のヴァルターによる筆写譜で伝えられています。

 こっちの「ニ短調トッカータとフーガ」は、「ドリア調」の添え名が暗示するように、 BWV. 565 とおんなじニ短調作品ながらフラットなしの記譜法をとっているため、便宜上中世の教会旋法の呼び名がつけられてます[ よって、厳密な意味での「ドリア旋法」というわけではない ]。かつてカルロ・カーリーが NHK ホールでの来日公演の際、この「トッカータ」のゼクエンツ音型を評して「蒸気機関車」と言ったのをいまだに憶えています … で、ご本人はいかにもオルガンのエンターティナーよろしく、わざとらしいほどの推進力をもって(?)、このトッカータを弾きまくっておりました。

 BWV. 565 のほうが即興演奏の記録、みたいな作品であるのに対し、BWV. 538 のほうは主鍵盤 / ポジティフ鍵盤との音色の対比( いまふうに言えば、fortepiano の対比 )をはっきりと念頭に置いたイタリアの協奏曲風書法で全編書かれてます。そして BWV. 565 とのもっとも大きなちがいは、北ドイツ楽派のようなトッカータ−フーガ−トッカータみたいな書き方ではなく、堂々たるトッカータ[ 前奏曲と言ってもいい ]と、これまたどっしりとした厳格かつ古風な対位法書法による巨大なフーガが互いに向き合い、対峙するような書き方になっていることです。フーガ終結部あたりは、複雑に込み入ったストレッタになっていて、足鍵盤のトリルまで出てきて、技術的にも演奏がひじょうに難しいフーガです。

 バッハは生涯にわたって、「オルガン鑑定家」としての仕事もつづけていて、その名声も全ドイツで轟いていたそうですが、この作品、1732 年9月 28 日、カッセルの聖マルティン教会での新オルガン落成式で演奏したという記録が残ってます。ちなみに愛妻家バッハだからかどうかは知りませんが、このカッセル旅行には奥さんのアンナ・マグダレーナも同伴していたとのこと。



2). 先週の「古楽の楽しみ」は、「コンソートの魅力」と題して、プレトリウスの「テルプシコーレ」とかかかってましたが、個人的に聞き耳立てたのが、 16 − 17 世紀スペインオルガン音楽の大家、コレア・デ・アラウホの「無原罪の御宿りの祝日の聖歌」についての大塚先生のこんなコメントでした。
アラウホは四つの声部を独立して記譜しています。これはオルガン / 合奏、どちらでも演奏可能で、当時すでにこのような演奏習慣があったことは確実です。

 むむむそうなのか … ワタシはてっきり、このような書法、つまり鍵盤譜ではなく、S−A−T−B の各声部に分かれて記譜する習慣は、たとえばイタリアの同時代の大家、フレスコバルディあたりかと思ってました。ひょっとしたらスペインのほうが先んじていたのかな? だとしたら、バッハの「フーガの技法 BWV. 1080 」の総譜書法も、辿っていけばアラウホにまで行き着く、ということになる。で、先週の放送ではその「フーガの技法」も、アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテット( ALSQ )によるリコーダー四重奏版でかかってましたね[ コントラプンクトゥス1と3]。

 「コンソート」ついでに、フレットワークによるヴィオール合奏版によるパーセルとかもかかってました。ヴィオールコンソートは当時の英国で流行っていて、最高音部を「トレブル」って言うらしいけれども、それ聞いた瞬間、ボーイソプラノを想起してしまう条件反射にひとり苦笑するワタシであった。さらにはその「トレブル」な子どもたちによるヴィオールコンソートというのも活躍していたという記録まで残っている。ややこしや。

posted by Curragh at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | バッハのオルガン作品

2015年09月28日

『マンスフィールド短編集 幸福・園遊会』

 村岡花子訳『王子と乞食』を取り上げてから、ずいぶん時間が経ってしまいました。気がつけばもう秋、スーパームーンの「十六夜」の満月を迎えてしまった( なんか欧州では皆既月蝕らしいけれど )。

 で、たまにはこちらのトピックもなにか取り上げようかと考えてたんですが … たまたま読んだ英米ノンフィクションものの名翻訳家、故鈴木主税先生の著書にも引用されていた、ニュージーランド出身でフランスで没したキャサリン・マンスフィールドの作品集からいくつか引くことにしました( なんか強引? )。

 邦訳は、『マンスフィールド全集』を除けば、新潮文庫に入っている短編集と岩波文庫に収録されている短編集、そしてちくま文庫に入っている短編集とがあるようですが、とりあえず今回はいつも行ってる図書館の書庫にこれまたたまたまあった岩波版を取り上げてみます[ 以下、参照した原書は The Collected Stories of Katherine Mansfield, Penguin Twentieth-Century Classics, 1981 ]。

 どなただったか、「翻訳なんて 30 年もてばよいほう」とか発言された大御所がおりましたが、手許の岩波版の邦訳[ 崎山正毅、伊沢龍雄 共訳 ]は初版刊行がなんと 1969 年 !! アポロ 11 号の月着陸の年じゃね。でもほんとうの「初版」はもっともっと古くて、1934 年 !!! 訳者曰く、「このたび、新しい版を出すおすすめを受け、伊沢龍雄君と分担して仕事にかかることとした」。

 で、さっそくもっと新しい『全集( 1999 )』本と併せて読んでみると、これが意外にも(?)こちらの思っていたほどには訳文の古色蒼然さは感じられず、むしろ『全集』よりもよいのでは、と思える箇所も散見された。これは比べ読みしたこっちもちょっとびっくりだった。
... And this was her corner. She stumbled a little on her way out and lurched against the girl next her. “I beg your pardon,” said Rosabel, but the girl did not even look up. Rosabel saw that she was smiling as she read.
 Westbourne Grove looked as she had always imagined Venice to look at night, mysterious, dark, even the hansoms were like gondolas dodging up and down, and the lights trailing luridly − tongues of flame licking the wet street − magic fish swimming in the Grand Canal. She was more than glad to reach Richmond Road, but from the corner of the street until she came to No. 26 she thought of those four flights of stairs. Oh, why four flights! It was really criminal to expect people to live so high up.

[ 中略 ]バスがロザベルの下りる街かどに着いた。彼女は、下りようとしてちょっとつまずき、隣りにいる娘の方によろめいた。「失礼しました。」と彼女はいったが、娘は顔もあげなかった。ロザベルは、彼女が本を読みながら笑っているのを見た。
 ウェストボーン・グローヴは、彼女がいつも想像しているヴェニスの夜のように、暗く神秘的に見えた。二輪馬車までが河をゆききするゴンドラのようであった ―― そのぶきみに尾を引く馬車の燈火は、まるで焔の舌が濡れた街路をなめているようで ―― 大運河に泳いでいる美しい魚にも似ていた。彼女は、リッチモンド・ロードに着いてなんともいえぬくらいうれしかった。しかし、街かどから二六番地に行く間、あの五階まで上る階段のことを考えさせられた。ああ、あ! 四つの階段! あんな高いところに人間が住むなんて言語道断だわ! 

―― 「ロザベルの疲れ[ 作品冒頭部、引用した原文はこちら。引用文中「大運河」に「グランド・キャナル」のルビ、pp. 12 − 13 ]」
 'I beg your pardon' というのがやはり時代を感じさせます( いまだったら ' I'm sorry ! ' がふつうだろう )。これは岩波版の冒頭に収録された短編で、しかもマンスフィールド 19 歳のときの処女短編でもある … 書かれたのはなんと 1908 年 !!  ジェイコブ・A・リースがニューヨークの「ばた屋横丁」のスラム街をマグネシウム粉を爆発させてストロボ焚いて撮影していた、そんな時代の作品なんであります。当時の「乗り合いバス」は、当然のことながらいま街なかを走ってるやつとはまるでちがう代物。馬車も現役だったころのお話です。
The Picton boat was due to leave at half-past eleven. It was a beautiful night, mild, starry, only when they got out of the cab and started to walk down the Old Wharf that jutted out into the harbour, a faint wind blowing off the water ruffled under Fenella's hat, and she put up her hand to keep it on. It was dark on the Old Wharf, very dark ; the wool sheds, the cattle trucks, the cranes standing up so high, the little squat railway engine, all seemed carved out of solid darkness. Here and there on a rounded wood-pile, that was like the stalk of a huge black mushroom, there hung a lantern, but it seemed afraid to unfurl its timid, quivering light in all that blackness; it burned softly, as if for itself.

ピクトン行きの船は十一時半出航の予定だった。暖かで、星のかがやく美しい夜であった。しかし、みんなが、馬車から下りて、港につき出ている「旧波止場」を歩き出すと、海面から吹いて来るかすかな風が、フィネラの帽子の下でパタパタして、片手を上げて、それをおさえなければならなかった。「旧波止場」の上は暗かった ―― まっくらだった。羊毛刈場、家畜貨車、そびえ立つ起重機、小さなずんぐりした鉄道機関車 ―― みんな深いやみのなかに、彫りもののように見えた。あちこちに、大きな黒い茸の柄のようなまるい棒杭の上に、ランプが釣ってあった。しかし、それは、あたり一面のやみのなかに、そのおずおずとふるえる光を広げるのをおそれているかのように見えた ―― それは、まるで自分だけのために静かに燃えているのであった。―― 「船旅 [ ibid., p. 177, 1921 ]」 → 原文
 ちなみにこのおなじ冒頭部、『全集』では、
 ピクトン行きの船は十一時半に出ることになっていた。穏やかな、星のきらめく、美しい夜だったが、しかし彼らが馬車から降りて、港の方へ突き出た旧桟橋に沿って歩き出した時には、水の上を渡ってくるそよ風が、フェネラの帽子の下の髪をそよがせ、彼女は手をあげて帽子を押さえた。旧桟橋の上は暗かった、まっ暗だった。羊毛置場、牛をのせた無蓋貨車、非常に高くそびえているクレーン車、小さなずんぐりした機関車、すべてが暗黒の塊で彫って作ってあるように思われた。ここそこの丸い材木を積み重ねた山の上に、それは巨大なキノコの茎のようだったが、ちょうちんがぶら下がっていた。しかしそれは全くの暗黒の中で、おどおどしたふるえる光を広げるのを恐れているように思われた。まるで自分だけのためのように、静かに燃えていた(『全集』p. 241 )。
 … いくらなんでも「ちょうちん」はないでしょう !! それと下線部は明らかにまちがい。前の拙記事でちょこっと触れたディ−キャンプの昔のファンタジーもの短編に 'The Hardwood Pile' なんていう作品もあったけれども、ここの [a] rounded wood-pile は「平たいものを積み重ねたもの」ではなくて、ただたんに水面に突き出す「棒杭( 安藤一郎訳の新潮文庫版では「木杭」 )」でしょう、船着場の風景でときたまお目にかかるような[ あとそれと「クレーン 」ってのもなあ … なんか船着場というより、工事現場みたいな印象 ]。てっぺんにランタンの灯りが乗っかっていて、それでキノコみたいに見えたのでせう。ああ松茸食べたい( 笑 )
... All the same, without being morbid, and giving way to−to memories and so on, I must confess that there does seem to me something sad in life. It is hard to say what it is. I don't mean the sorrow that we all know, like illness and poverty and death. No, it is something different. It is there, deep down, deep down, part of one, like one's breathing. However hard I work and tire myself I have only to stop to know it is there, waiting. I often wonder if everybody feels the same. One can never know. But isn't it extraordinary that under his sweet, joyful little singing it was just this ―― sadness ? ―― Ah, what is it ? ―― that I heard.

 ……とはいうものの、病的になったり、思い出して悲しみにくれたりしないでいても、人生には悲しいものがあるということを告白しなければなりません。それがなんであるかは申しあげることはむずかしいのです。私は、病気とか、貧乏とか、死とかいう誰でもが知っている悲しみをいっているのではありません。いや、それとはぜんぜんちがうものなのです。それは、人の呼吸のように、人についたもの、深い深いところにあるものなのです。私が一所懸命に働き、疲れ切って、仕事をやめると、それがすぐ待ちかまえているのがわかります。みなさんはそれと同じようにお感じになることがおありでしょうか。それはどうだかわかりません。それにしても、おかしなことに、あの子のかわいい、楽しい歌ごえのなかに、この …… 悲しさ …… が聞こえたのです …… もし悲しさでないとしたらそれはいったい何なのでしょう ……
――「カナリヤ[ ibid., p. 393, 1922 → 原文 ]」
 この掌編は、マンスフィールドの絶筆らしいです。今回、ひょんなことからまたしてもジョイスと同世代、しかも「意識の流れ」系に入る( と思う )マンスフィールド作品を原本と邦訳本とのあいだを行ったり来たり、自分なりに味わいながら読んでみたんですが、とくにこの最後の作品なんか、もうすばらしいですね。とても味わい深いというか … 崎山先生にご指名されたもうひとりの訳者、伊沢先生による「解説」に、「彼女の作品は物語性が稀薄である。プロットらしいプロットもない( p. 401 )」なんて書かれてあるけど、ワタシはこういうのがけっこう好きときている。

 原文は同時代の、たとえばジョイスの『ダブリナーズ』なんかに比べればはるかに難易度は低い。とはいえ、「解説」にもあるように、「デリケートな彼女の文体は、一見易しいようでいて、その陰影を日本語に移すことは難しい」。ま、とくに文芸ものの翻訳は大なり小なり「日本語に移すことはむずかしい」んでしょうけれども。『全集』よりは全体的に出来が上、と判断した岩波文庫版ではあるけれど、最新のちくま文庫版とかも見てみないとそのへんなんとも言えない。とはいえ、マンスフィールドのように邦訳本が複数刊行されている原作の場合は、「手に取って選ぶ楽しみ」というのがあるわけだから、それプラス原文も味わうというのが、けっこうぜいたくな読み方なのかもしれない。いみじくも岩波文庫版「解説」が、次のように書いてあるように。
翻訳はどのようにしようと所詮完璧なものになり得ない。彼女の文章には難しい単語が比較的少ないので、特に若い方々が、原文で一篇でも味読していただければ、この翻訳が原作への架け橋となれば、訳者として何より幸いである。

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2015年09月27日

「曾宮一念と山本丘人」⇒ aptX ってなに? 

1). 「ゲイジュツの秋」というわけではないけれども、週末、こちらの展覧会を見てきました。

 佐野美術館 … は、平成元年(!)に洋画家の梅原龍三郎の描いた富士山の絵ばかり集めた展覧会以来 … のような気がする。ほんと久しぶりに訪問したわけなんですが、数年前に静岡市で見た曾宮一念さんの油絵と、同時代人の山本丘人さんの日本画という組み合わせの妙がいとをかし、と思えたので、見に行こう! と思っていたらあっという間に会期末になってしまったので、あわてて馳せ参じたしだい。

 山本画伯 … のほうは寡聞にして知らなかったが、チラシにも使用されている「青い海」という作品にたいへん心惹かれたのでぜひ見たい、加えて「画家は廃業」、そして「へなぶり」をひねっていた曾宮さんのダイナミックに躍動する油絵作品も同時展示される、とあっては、行かないわけにはいかない。

 「青い海」という作品は 1932 [ 昭和7年 ]年に描かれたものらしいですが、現物を見てそのデカさにまず圧倒された。そしてこの絵が現在の熱海市網代港で描かれたものであることもわかった。いまでもこんなふうに見えるのかな? 絵の大きさ、ということでは展示室に入ってまず目に入る 1928 年作「公園の初夏」という作品。上野公園の西郷さんの銅像近くの崖下とイチョウの大木を描いたものらしいですが、画面中央上部に聳え立つその大イチョウの先端が画面からハミ出しているあたりが、なんというか生命力というかエネルギーを感じまして、すばらしいと思ったのでした。

 山本画伯関連では作品のほかに杖や眼鏡、画材( 岩絵の具や絵筆、鉛筆にクレヨン、膠など )などの遺品も展示されてまして、こちらも興味津々。展示の最後のほうの四幅対からなる「季節風」の、なんとも言えない独特の色彩感覚にも目が引きつけられました … が、南伊豆の現在の妻良[「めら」と読む ]漁港の夜景を描いたとおぼしき「満月夜( 1963 )」もすこぶる印象的でした。下絵もいくつか展示されていて、「青い海」の「下図」もあり、スケッチと作品とどこがどうちがうのかなと見較べてみたり。ちなみに「小下図」なんていう呼び名があるんですね、知らなかった。「出品目録」の英語表記では大きいのも小さいのも preparatory drawing でしたけれども。

 対して、久しぶりに見ます洋画家、曾宮一念画伯の作品。で、これは予期してなかったんですが、静岡市でお目にかかったあの「冬の海 仁科( 1936 )」にもめでたく再会 !! これはうれしかったな。「再会」ということでは、「スペインの野」、「裾野と愛鷹」、「洋上夕日」にも再びお目にかかることができて、こちらもじっくり鑑賞。この手の展覧会ではたいてい、画家自身の著書その他から引用されたことばも添えられたりするんですが、そうそう思いだした、たしか曾宮先生は「雲も、山も、岩も、水も、その本質はすべておなじである」という気づきないし開眼があったんですよね。曾宮画伯の遺品展示品では晩年、失明したあとに使用していた定規と力強い殴り書きのような直筆文、そして交流のあった藤枝静男さんとの絵葉書がありました。

 画家のことばつながりでは、日本画の山本丘人画伯もすばらしいことばを残されていて、見終わったあと、図録に転載されていたそのことばを思わずメモってしまった( 苦笑 )。曰く、
個性を强く生かしぬく人。それを深く掘り下げて行く人は、何よりも立派である。… たとひ草であれ、「その人ならでは」の深さと美が表現されれば、蔑視することはできない ―― といふことを、私は言ひたいのだ。

… 人は諸行無常と悟って生きるべきか。
移り変わる明日に向かって祈るべきか。
… そういえば、ラファエロの「聖母子像」ものに出てくる愛くるしい天使みたいに、くるくる巻き毛のかわいい赤ちゃんを抱っこした若いお母さんも鑑賞してました。つぎの展覧会は、そんなお子さまにはぴったりな趣向かも、と思ったり。

2). ところでいまさっき聴いていた「N響定演」の生中継、マエストロ・ブロムシュテットのベートーヴェン「2番」&「皇帝」もすばらしかった … けれども、そのあと聴いた OTTAVA Phonica Special 。オーディオ評論家の山之内正さんという方がゲスト出演されていて、デジタルオーディオのこと、音楽 CD のこと、アナログ音源復活のこと、「ハイレゾ」のことなどなどこちらのアタマが覚えきれないほど、中身の詰まったおもしろく、かつ役に立つお話をされていて、こちらも少々びっくりした[ 願わくばこの番組も Salone みたいに再放送してくれるとうれしいんですけど ]。たとえば CD って、前にも書いたと思うがやはり 30 年くらい経つと、ダメになっちゃうものなんですねー … 再生機器では再生できなかったものが、PC のプレーヤーに入れたらフツーに再生できたので、リッピングしてデータを吸い出した、とか … ワタシの手許の CD 音源でもっとも古いのはたしかヴァルヒャの「バッハ以前のオルガン音楽の巨匠たち」なので、こりゃ確認せにゃあかんな、と内心、アセったり。そういえば最近、どうも手持ちの音源だけでなく、図書館から借りてくる CD もうまく再生されないことがあって、この放送聴くまでずっと機械側に原因があるとばかり思っていた。そうじゃないとしたら … 考えただけでゾッとしてくる。参ったなあ … 最近の HDD はけっこう耐久性があります、RAID を組んでリッピングして、云々。なるほどなあとは思うが、そんなことしているヒマもなければ、カネもなし。たいしたコレクションではないとはいえ、150 枚くらいはたぶんあるであろう、わが CD 音源をぜんぶリッピングするなりして万が一のために「複製」、つまりバックアップをとるなんてどだい不可能。

 ではいまはやりのオンデマンド音源はどうか。たとえば TuneIn なんていうひじょうに便利なアプリがあり、これでいまや( 出先では回線速度がネックになってブツブツ切れたりするものの )スマホで Organlive とか BBC Radio3 とかふつーに聴取できちゃう時代。NAXOS だったかな、ハイレゾ音源を切り売りしているくらいだし、これからは CD を所有する、のではなく、「聴く権利」を買ってストリーミングで聴くのがよいのか? でも好事魔多し! 山之内氏の説明によれば、たとえば「売れなくなったんで配信やめます」って一方的に( !! )打ち切られる場合もあるという[ カネ払って買ってんのに、どういうこと? ]。世の中、なかなかうまくいかないもんですねェ( 嘆息 )。

 そういえば以前、OTTAVA プレゼンターのオススメだかに、audio-technica 製スピーカーが紹介されていて、思わず食指が動いたけれども( けっきょくまだ買ってない人 )、ここの会社のイヤホンは愛用していて、ダメになるたびにおなじシリーズを買い換えている( し、スペアも常備している )。林田さんによると、PC 音源を聴く場合、USB 接続タイプよりイヤホン端子接続タイプのほうがよいみたいですね。ワタシはいまだに 10 年以上選手の FM トランスミッターでラジカセ( !! )に飛ばしてそっちのスピーカーで聴いたりするけれども。

 山之内氏のお話ではもうひとつ、'aptX' なる略語も耳にして、なんぞやそれ? と思ってさっそくぐぐったら、こういうものらしい。Bluetooth で飛ばす場合によく使用されている高音質なコーデックのことらしいです … こうなるともうほとんど浦島状態ですわ。

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2015年09月22日

「繰り返し」の復権 ⇒ 「赤い扇風機」 ⇒ 「舞踏譜」

 ただいま、「今日は一日 “世界のオーケストラ” 三昧」聴取中。堀米ゆず子さんや、宮本文昭さんとかが出演されてしゃべってます( お昼すぎくらいには、指揮者の高関健さんもゲスト出演されてました )。

1). きのうの「クラシックの迷宮」。「妙技 エスファハニのチェンバロ」と題していたので、興味津々、聴いてました。このマハン・エスファハニというチェンバリスト、寡聞にしてまったく知らなかった。「ミニマル音楽」のスティーヴ・ライヒの「ピアノ・フェイズ」だったかな、多重録音した音源らしいですが、ピアノ以上に機械的(!)、無機質なチェンバロのキンキン音を聴いていると、発狂しそうになってきた( 苦笑 )。チェンバロは前にも書いたように、ピアノみたいな音量増減による表情をつけられない( 上と下の鍵盤の交替とか連結とかバフストップとかによるしかない )ので、この手の作品の演奏ではよけいその無機質な感じが強調されるのだと思う。またグレツキの「チェンバロ協奏曲 作品 40 」という作品も初耳だったが … なんという圧倒的な「繰り返し」!!! 畳みかけるような、とかそんなもんじゃない、これはもう暴力的とさえ感じられるいかんともしがたい音の絨毯爆撃、みたいなものすごい作品だった、少なくともワタシの耳では。なんというか、いかにも現代音楽だなあ、という感じ。バッハやクープランがこれ聴いたらどう思うかな。なんつー弾き方してんだコラ! って一喝するかも。ガルッピの「チェンバロの慰め」の正反対、これほどまでに聴く者に不安を掻き立てるチェンバロ音楽は聴いたことがない。ところでこの音源で使われていた楽器ってまさかバロックチェンバロのレプリカ楽器ではあるまい。オケだって大音量で攻撃してくるし、負けじとダンダンダンダンって叩きつけていたことから察すると、使用していたのはモダンチェンバロじゃないかな? いずれにしてもこのエスファハニという演奏家、チェンバロの鬼才って感じですね! 要チェックかな。

 それともうひとつ、案内役の片山さんの解説で印象的だったのが、「繰り返し」の復権、ということば。バロック時代までの変奏曲形式、たとえばシャコンヌ / パッサカリア、グラウンド( パーセルなど )には「固執低音主題」というのが付き物だったけれども、古典派以降は「ソナタ形式」が主流になって見向きもされなくなった( そして通奏低音も消滅した )… が、1980 年代くらいから、その「固執する主題」あるいは動機が復活してきた、とそんなふうにおっしゃっていた。そういえば basso ostinato を「執拗低音」なんて訳語で呼んだりするけれども、おんなじ動機 / 主題がえんえんと「しつこく」、コーダまで繰り返される。これのもっとも極端な例が「ミニマル音楽」なんだろうけれども、なるほど、そう言われてみればそうかも、と思ったのでした。音楽における「繰り返し」って、言わばもっとも原初的なものだから、かつて廃れた形式がこういうかたちでそれこそしつこく回帰してくるものなのかもしれない。

2). で、本日の「世界のオーケストラ」三昧なんですが … ボストン交響楽団は例外として、フィラデルフィア管弦楽団、NYフィル、シカゴ交響楽団など、米国の一流と言われているオケの「本拠地」ホールって、どういうわけか(?)音響が悪い場合が多かったりする。ようするに NHK ホールみたいに残響が短すぎる。そのせいなのか、やたら音を張り上げるようなスタイルの奏法が特徴になったりする。ホールの良し悪しがオケの音質、いや音楽性まで左右するという、なんともソラ恐ろしい話ではある。

 それはそうと、高関さんだったかな、ぽろっとついでみたいに話された内容がすごすぎて、思わず聞き耳を立ててしまった ―― ロシアの名指揮者、スヴェトラーノフ氏はなんとなんと、指揮台の譜面台の上に小さな「赤い扇風機」を演奏中ずっと回しっぱなしにしていた、という !!! 

 ホントかね、と思って聴きながらスマホで検索したら、たとえばこちらの検証ページとかが引っかかった。いやもう驚いた。そんなことしてたんだなあ[ と、口あんぐり ]。なくて七癖、ってとこかしら。

3). そういえば先週の「古楽の楽しみ」は太陽王ルイ 14 世時代のリュリとかカンベールとかのバレエ、オペラ作品を中心にかかっていたけれども、関根先生が、「 … これはステップの指示が記された舞踏譜で … 」と、そんなことを話していた。と、ここで天啓のごとくナゾが解けた。なんのナゾかって、いつぞや書いたこの拙記事で疑問に思った、あの「譜面のあるダンス」。ほんとのところを知るには原文に当たってみるほかないが、おそらくこれは関根先生の言う「舞踏譜」の意味にちがいないでしょうな、時代的にもどんぴしゃですし。「舞踏譜」って現物がどんなのか見たことないけど、「数字付き低音[ 通奏低音 ]」みたいな楽譜なんですかねぇ。

posted by Curragh at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | NHK-FM

2015年09月08日

「だけしか」⇒ 'your wife' ⇒ 健全な批評

1). もうだいぶ時間が経過しているけれども、『文藝春秋』を買いまして、今年の芥川賞受賞作品二編、楽しませていただきました。個人的には「流行りものは読まない( 苦笑 )」というモットーがあるんですが、率直な読後感としては、どっちもそれぞれ味があっておもしろいなあ、と。ラストの神谷さんのぶっとび(?)ぶりとか、「早う迎えにきてほしか」が口癖ながら、さらさらその気のない祖父さんと孫の( ちぐはぐな )やりとりとか、どちらもさすが、と思ったのでありました。

 でもってこれは内容ではなく、表記のことで気になった点がひとつだけ … 偶然にも、両作品には「 … だけしか … 」という言い回しが使われていて、引っかかるものがあったのも事実でした。
… 最初は神谷さんにまつわることだけしか綴っていなかったノートに、最近では漫才のネタや雑感までもが書き込まれ、もはや自分の日記のようにさえなっていた。――『火花』

… サロン代わりに通院している老人たちは一割から三割だけしか医療費を負担せず、…
――『スクラップ・アンド・ビルド』
だけしか、ねぇ。昔、文章教室みたいなとこで注意されたことに、まさにこの「だけしか」があったもので。もっとも「言語」というものは生き物、ナマモノなので、時代を経てだんだんに移り変わるもの。おそらくいまの若い読み手がここの箇所見ても、とくになにも感じずにすすっと先に進むと思う。ある意味、世代がわかる箇所、と言えるのかも。

 ついでに『火花』は、作中のコンビ名「スパークス」と引っかけているのかな、と思っていたら、こちらのブログ記事によると、又吉さん自身の以前のコンビ名も引っかけてあるらしい。小説の仕掛け、ってことかな。

2). この手の「文芸もの」、とくに散文で書かれた「小説」というジャンルは、翻訳という観点からもひじょうにむずかしいものであることはまちがいない( もっともこと外国語で書かれたものならどんな文書ドキュメントの類いでも、それぞれ骨を折る部分はたくさんあるけど )。たまたま時おなじくして、図書館からこういう本を借りて読んでいたら、キャサリン・マンスフィールドの短編 The Stranger( 1920 ) の一節が孫引用されていた。著者の故鈴木主税氏は、マッキベンの処女作『自然の終焉』をはじめ、ベストセラーになった『大国の興亡』など、ノンフィクション本やだれも手を付けないような(!)大部の著作をたくさん邦訳された大先生。引用されているのは、慶応大学教授だった鈴木孝夫氏のエッセイ『ことばの人間学』でして、こちらの鈴木先生は、
"We can't go quite so fast," said she. "I've got people to say good-bye to ―― and then there's the Captain." As his face fell she gave his arm a small understanding squeeze. "If the Captain comes off the bridge I want you to thank him for having looked after your wife so beautifully." Well, he'd got her. If she wanted another ten minutes ―― As he gave way she was surrounded. The whole first-class seemed to want to say good-bye to Janey.
の太字箇所がどうしても解せなかったんだそうです( ここは、前年に結婚した欧州大陸に住む長女を訪問する10 か月[!]の船旅を終えて帰ってきた妻 Janey を、やっとの思いで出迎えた旦那の Hammond 氏とのやりとり )。

 著者の鈴木先生は、「鈴木孝夫の英語力は、… とびきり優秀な日本人の水準をもはるかに抜いているそうだから、われわれ平凡な日本人が英語の文章の細かいニュアンスをどの程度まで理解できるのか、まったく心もとない話だ」と書いています( pp. 132 − 36 )。

 英語力に自信をお持ちの方、太字箇所をどう思われます? オチを言うと、「コロンブスの卵」的な話になってしまうんですけども … 不肖ワタシがここんところを読んだとき即座に思ったのは、いつぞやここで取り上げた The Da Vinci Code がらみの的外れな指摘だった。はっきり言って、この手の英文を正しく解釈する、読解するというのは、もう語学的にどうのこうのという話じゃない。感覚、いや直感としか言いようがない。でもってワタシはマンスフィールドの上記作品が収められている原本( Collected Stories of Katherine Mansfield, Penguin Books, 1981 )を図書館で借りて、ついでに現在入手可能な邦訳としては唯一ではないかと思われるこちらの本も借りて、じっくり読んでみた。するとたとえば、
Would she really not be long ? What was the time now ? Out came the watch ; he stared at nothing. That was rather queer of Janey, wasn't it ? Why couldn't she have told the stewardess to say good-bye for her ? Why did she have to go chasing after the ship's doctor ? She could have sent a note from the hotel even if the affair had been urgent. Urgent ? Did it ―― could it mean that she had been ill on the voyage ―― she was keeping something from him ? That was it ! He seized his hat. He was going off to find that fellow and to wring the truth out of him at all costs. He thought he'd noticed just something. She was just a touch too calm ―― too steady. From the very first moment ――
なんてことが書かれてあったり、このハモンドさんという人がどういう人で、どういう気持ちをわが愛妻 ―― だれの手にも渡してなるものか ―― に抱いていたのかがこの物語中、暗示されている箇所がそこここに見受けられます。とくれば、ここは奥さんがそんなダンナさんの心情をなかば見透かしたように your wife とことさら強調したのも、なるほどと思われるはずです。

 当方、この手の本が大好きなこともあって、前にも書いたけれども、手許にはキャンベル本の翻訳者、故飛田茂雄先生の『翻訳の技法』なんかもあったりします … でも最終章の「長文演習課題文」をよくよく見ると、ちょっと不適切というか、ナゾナゾのオチがわかるかわからないかで訳が決まってしまうような問題もあったりします( わが子にメスを入れられない外科医の「母親」の話とか )。こういう問題ないし限界は、どうしてもこの手の「翻訳指南本」にはつきものかもしれない。もっとも、「読めば読んだぶん、誤訳は減る」とは思うが、これさえアタマに入れさえすれば、いま目の前にひろげてある英語原文なり原本なりが正しく読めますヨ、なんてことはむろんありえない話で … 浜の真砂は尽きるとも、で[ ちょっと喩えがヘンか ]。Ninety Six を '96' と書いちゃったりする軍人さんだっていたくらいですし…。

3). こういう話を持ちだしたのも、どうも巷では「他人様の揚げ足取り」にすぎないことがあまりにも横行しているような気がするからでして … そういうあんたはどうなんだ、とくるかもしれないが、だれが見てもこれおかしいでしょ、ひどいよね、というものしか取り上げていない( はず )。少なくとも書いている本人はツマラン揚げ足取りはしていないつもりでいる。ここのところ「パクリ狩り」が流行っているようですが、しかるべき教養と知識を持った人がしかるべき批判ないし批評をするぶんならなんら問題はないし、どんどんすべきだと思う。翻訳がらみでは誤訳の指摘、ということがすぐ思い浮かぶが、上記の例にもあるとおり、どんな達人だってまちがえることはある。『愛するということ』改訳(!)者の鈴木晶先生はかつて、アフリカで kite が飛んでいる、という箇所を「凧」としたり、「麦畑で踊っても、麦の穂は折れない」という空気の精みたいな伝説的バレリーナの記述に出てきた corn を「トウモロコシ」とやって、舞踏史の専門家から「こんなことも知らない人がバレエの本を訳しているとは」とコキおろされたんだそうな(『翻訳は楽しい』pp. 130 − 31 ) [ 前にも書いたかもしれないが、飛田先生も似たようなこぼれ話を告白している。ロンドン地下鉄の意味の tube を「試験官」と誤記したゲラ刷りを見た校正者から誤訳の指摘を受けた、と ]。

 … さんざ揚げ足取りしておいて、「ほんとうの」問題の本質には目もくれず、「祭りだワッショイ」でハイおしまい、では、この国の言論空間はますます風化浸蝕に晒されるだけだろう、自戒の意味もこめて。

 というわけで、最後はひさしぶりに ―― いや、性懲りもなく? ―― 小クイズ。出典はこちらの本。米国の詩人 Galway Kinnell という人の書いた詩集から 'Farewell' の一節。これは本文で書いたような前後関係とか感覚とかはまったく関係なしに、文芸ものの翻訳者を志す学習者だったら一発で「正しく」読み取ってほしいところ。ちなみにこの本によると、邦訳では下線箇所がそれぞれ「手や顔を洗う」、「二、三人ずつ」になってたんだそうです。ちなみにオケが演奏していたのは、ハイドンの有名な「告別[交響曲第 45 番]」。
The orchestra disappears ――
by ones, the way we wash up on this unmusical shore,
and by twos, the way we enter the ark where the world goes on beginning.

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2015年08月30日

豪州のおいしいリースリング Jacob's Creek

1). 最近、「ジョルジュ・デュブッフ」輸入元サントリーワインの FB ページを見たら、なんと、もう葡萄の収穫が始まっているらしい( ご苦労さまです )。今年の欧州の夏は場所によっては熱波に見舞われたようでして、音楽の都ヴィーン( これだけはウィーンと書けない人 )でも最高気温が 35°C 近かった日があったとか、チェコやドイツでもそうとう暑かったらしい。ということは葡萄の生育にとってはまずまずだったはずなので、収穫が早まったのもむべなるかな、という気はするけれども … そういえば「セレクションプリュス」というデュブッフ社のとびきり値段の張るヌーヴォーのラベルにはいついつに収穫しました、という日付けとロット番号が表記されてるんですが、ワタシが買ったやつで最も早かったのはたしか9月初めだったと思う。8月末にもう収穫初日って、いままででもっとも早いほうかもしれない。もっとも現地の人の話を聞いたわけじゃないので、よくわかんないけれども。

 ちなみに ―― 怒られるかもしれないが ―― 上記 FB ページの8月 24 日付投稿記事をそのまま転載させていただくと、
「今日からぶどうの収穫がはじまります」

ボンジュール! デュブッフ社のアドリアンです。
8月も好天が続き、ぶどうは健康なまま「Ban des vendanges(バン デ ヴァンダンジュ)」と呼ばれる収穫日を迎える事が出来ました。

今年のぶどうの実は例年に比べ小さく収穫量も少ないと予想されますが、皮が厚く濃度の高いジュースを湛えており、グレートヴィンテージとされる 2009 年(8/27から収穫開始 )、2011 年( 8/24から収穫開始 )を思い起こさせる出来栄えになっていると実感しています。

ボジョレーのヴァカンスはもうおしまい。
美味しいヌーヴォーづくりに邁進します!

2). そんな折も折、暑い夏はやっぱギネススタウトでしょ、というわけでここんとこ缶入りのやつ買っては週末に楽しんだりしているのですが、OTTAVA プレゼンターのひとり斉藤茂 GM から、まったくたまたま耳寄りな情報を聞いた。なんでも斉藤さんは、オーストラリアの歴史あるワイナリーのジェイコブス・クリーク( ブランドン入江も Brandon Creek と書くけど、こっちのクリークは小渓流のほう )のリースリングをたまたま見かけたスーパー(!)で買って家で飲んでみたらこれがよい !!! というわけで「番組に連動したプレゼンターからのオススメ」に。斉藤さん曰く、「かなりシャープでドライな白ワインです。レモンやライムなど柑橘系をイメージさせるアロマ、重さはなく爽やかな飲み口ですが、それだけではない旨みも、しっかり用意されています」。

 安酒専科とはいえ、ワイン好きとあってはこの情報ははずせない( 苦笑 )。というわけで、運よく近所のこれまたスーパーにてハーフボトルの「リースリング」を発見したのでめでたく購入( ワタシが見つけたのは昨年のヴィンテージのもの )。さっそく試してみたけど、たまには辛口リースリングというのもいいもんだ。リースリング、と聞くと、なんか「甘口」の代表みたいな先入観があったもので、たとえばアルザスワインもかつてはドイツ語圏だったためなのか、そんな甘口リースリングが多い印象がある。そんなわけで、いままでリースリングという品種から醸された白を飲んだことがなかった。ようするにリースリング初心者、というわけなんですが、これは買って大正解! でした。もっともこれはワタシ個人の感想なので、こればっかりはじっさいに試してみるより他にないとは思うけれども、シャルドネほどのパンチの強さもドライさもなく、とても軽くて飲み口のよい白だと思いました。グラスから立ち上がるアロマも清々しい柑橘系で、これも個人的には大満足。誤解を恐れずに言えば、これは「白ワイン版ボージョレ」という感じ。すっきり辛口たけど、フルーティな味です。斉藤さんに感謝しなくては。もう少し涼しくなってきたら、こんどはここのカベルネ・ソーヴィニヨンを試してみようかな。

 … なんてこと書いているうちに、もう8月も終わりですね( 汗 ) … 。「きらクラ」じゃないけど、皆さまもどうかご自愛くださいませ。

付記:ヴィーンつながりでは、けさ見たこちらの番組。楽友協会大ホールのことが取り上げられていまして、舞台正面バルコニー上に聳える大オルガンについてもあらたな事実が。前面パイプ列のことを「プロスペクト」と呼んだりするんですが、ここの楽器のプロスペクトパイプ群は、すべてダミー、つまり音の出ない純粋な「飾り」だったんですねぇ。もっともプロスペクトの一部がただの飾り、というのはバッハ時代にもありました。で、あの名門ホールのオルガンのプロスペクトも、もしやって以前から感じてはいたんですが、ほんとにそうだったんだ。ここのオルガンはパイプ総数 8,000 本余、4段手鍵盤という大きな規模の楽器で、パイプのほとんどが実際にはコントラバス奏者の後ろの壁の中に収容されているみたいです。

posted by Curragh at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ワイン関連

2015年08月18日

チェンバロの響きは朝にこそふさわしい? 

 先週の「古楽の楽しみ」は夏休み特番(?)、「特集 “チェンバロの魅力” 〜 チェンバロってどんな楽器? 」。で、ふだんとはちがう大きなスタジオに案内役のおひとり、大塚直哉先生所有の大型2段鍵盤フレンチタイプの楽器まで持ちこみ、必要に応じて実際に音を出したり、あるいはゲストの演奏家とデュオをライヴで(!)聴かせてくれたりと、チェンバロ好きにとっては至れり尽くせりの感ありだったんじゃないでしょうか。

 自分も放送を聴取して、いま一度この楽器の仕組みを再確認したところです … まず2段鍵盤楽器の場合、下の鍵盤がメインで、いわば典型的なチェンバロらしい音を響かせる鍵盤、上のは弦を弾く「爪[ プレクトラム ]」の位置がより端に近いため、下の鍵盤に比べて「軽め」の音が出るようになってます。いずれもオルガンのフィート律で言うところの「8フィート」弦ですが、下の鍵盤にはもうひとつ弦が張ってあり、こちらはオクターヴ高い4フィート弦が張ってある … つまり、ぜんぶで三種類の弦が張ってある、ということになります。鍵盤の両脇にはスライダーのつまみがついていて、これでどの弦を鳴らすかを決める( オルガンで言うストップ / レジスター )。もうひとつ音色を変える機構として、「リュートストップ / バフストップ」という仕掛けがあり、これは弦にフェルトを押し当てて「こもった」ような響きに変えるもの。ポロンポロンと、ハープみたいなやさしい音が出ます。なんでこういうことをするかと言えば、ピアノみたいに切れ目なく音量を上げたり減らしたりができないから。いわゆるデュナーミクの表現については、チェンバロの発想法はオルガンのそれとほぼおなじものと言っていいと思う。つまり鍵盤交替、カプラーによる鍵盤連結による、「階段式」の強弱の付け方、もしくは「陰影の付け方」とでも言うべきか。大塚先生によれば、じつは指先の微調整でもクラヴィコードみたいに音が微妙に変わるんだとか。上の鍵盤を押しこむと、下の鍵盤と連動する( カプラー )ので、イタリア様式の合奏協奏曲のような、「ソロ」と「テュッティ」の擬似効果が生まれる。バッハの「イタリア協奏曲 BWV. 971 」は、まさにそのような2段鍵盤チェンバロ特有の表現を前提にして書かれている( から、ほんらいはピアノでは弾けないはず。ただしグールドの演奏は好きだが )。

 個人的には水曜放送分の西山まりえさんとのやりとりがおもしろかった。とくに「ミーントーン[ 中全音律 ]」話とか … ミーントーンで盛り上がるおふたりの会話を聞いてると、まるで音大生どうしのコアな会話を立ち聞きしているような気がする( 笑 )。さらには西山さんの持ちこんだイタリア様式1段鍵盤楽器は、低音部がいわゆる分割鍵盤、ブロークンオクターヴの楽器だった。なんでもレの半音の上にさらにキーが乗っかってるんだそうだ … マジで弾きにくそう( 苦笑 )。

 通奏低音についてのおふたりの話( と実演 )もすこぶる興味深かったんですが、なんと言っても熱燗だったのが、即興演奏。ドレミファ 〜 長調で即興を披露した大塚氏に対し、西山氏はおなじような音型を短調で弾いて即興を披露。「バッハが遠隔転調したあと、どうやってもどってくるのか、わかるようになる気がする」とかなんとか、即興演奏ができるようになるとそんなことも「見えて」くるのか 〜 と、脱帽状態、いや脱力状態か( 分割鍵盤のレの半音のそのまた上の鍵の音も出していた )。一度でいいからそんなカッコいいこと言ってみたいものだ。

 最終日はおなじみ松川梨香さんと。松川さんは実物に触るのがはじめてだったようで、キーを押すと弦を弾く、あの独特な感覚を体感して感激していたようす。以下、視聴者からの質問コーナーに寄せられた質問に答えつつ進行:

1). チェンバロケースの装飾について
17−18 世紀、貴族の時代から市民階級の時代へと移るとともに、きらびやかな装飾から質実剛健な外観へと変わっていった。イタリアの1段鍵盤タイプは白木のまま、フレンチタイプは華やかな装飾、とくに「シノワズリ」などの東洋風趣味な装飾ケースが流行ったりした
トレヴァー・ピノックの音源でヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」
2). 鍵盤の色が黒白逆なのは? 
現代ピアノのようなタイプもけっこうある。イタリアの1段鍵盤タイプの楽器など
白=象牙 / 牛骨、黒=黒檀のことが多い
一説によれば、女性奏者の指先を美しく見せるため? 
3). なぜチェンバロには上下2段の鍵盤なのか
1段鍵盤の楽器も多い( ルッカース一族製作の楽器、たとえばヴァルヒャが「平均律クラヴィーア」録音で使用したような歴史的楽器とか )
ソロとテュッティの交替をひとりの奏者で表現できる
上の鍵盤は張り方の違いと爪の位置のちがいで「軽く」響く
リクエストのヴァルヒャの音源では、モダンチェンバロ( アンマーチェンバロ )を使用している。「イギリス組曲 第3番 BWV. 808 」前奏曲
この演奏では、16 フィート弦や鍵盤連結を使用してオルガンのような重厚さを強調している
4). ヴァージナルは、狭義には箱型小型チェンバロで、英国で流行した
通常の大型チェンバロは、フリューゲル[ 翼型 ]タイプと呼ばれる、独の大型楽器は先端が「丸く」なっているものもあり
ホグウッドの音源でバードの小品「この道を通りゆく人は」
5). ピアノと弾くときとチェンバロを弾くときのちがいは、ピアノが弾ければチェンバロも弾けるのか? 
ピアノ=打弦楽器、チェンバロ=撥弦楽器
はい、ともいいえ、とも答えられる
求められる技術が異なるから
鍵盤のタッチは比較的軽い、幅[ と奥行き ]はピアノより狭い
鍵盤連結するとタッチはその分重くなる
スコット・ロスの音源でD. スカルラッティ「ソナタ ト長調 K. 13」
6). 強弱をつけられないチェンバロでの演奏はどのようにしているのか
弦を弾くタイミングをずらす、鍵盤を連結する、鍵盤交替するなど
リクエスト:ユゲット・ドレフュスの音源によるバッハ「平均律 第1巻 22番」の前奏曲
7). チェンバロの場合、ミーントーンを含め、調律の種類がひじょうに多い
ギターやヴァイオリン奏者と同様、調律は演奏者自身がする
リサイタルの場合は専属の調律師に頼む場合もある
プレクトラムが折れる、弦が切れるというトラブルもまれにある
8). チェンバロのための現代作品はけっこう多い
武満徹、リゲティ、ラッター、グラス、フランセなど
リクエスト:F. クープラン「神秘な防壁」[ 生演奏 ]

… 願わくば再放送を希望。あるいは次回はオルガン特番にしてほしいです。ちなみに仏語のクラヴサン clavecin は、原型になった古楽器 clavicymbalum から派生したもので、クラヴィ+シンバルだそうです。なるほど。チェンバロはもちろん伊語の clavicembalo の独語読みで、どっちもクラヴィチェンバルム clavicembalum[ 鍵盤で弾くツィンバロム ]から派生した呼び名になります。そういえば「モダンチェンバロ」についての言及もあったけれども、'70 年代の「イージーリスニング」ものにはモダンチェンバロ、ないしは「プリペアド・チェンバロ」とでも言うべき改造楽器がやたら演奏に加わっていたような記憶がある。前にも書いたけど、たとえばポール・モーリアなんかがそうですよね(「恋はみずいろ」など )。



 先週はこのようにチェンバロづくし、松川さんも「チェンバロの響きは朝にふさわしい!」みたいなことをおっしゃっていて、なるほどたしかにそうかもと思ったり。こう暑いと( 苦笑 )、いくら無類のオルガン音楽好きでもワンワン響くオルガンよりすっと減衰する心地よいチェンバロの響きのほうが精神的にもいいかもです。ヴァルヒャの2度目の「平均律クラヴィーア」の音源もあることだし、週末の朝にでも全曲、聴いてみようかと思う、今日このごろ[ * 2016 年 3 月の再放送を聴取しての加筆訂正あり ]。

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2015年08月17日

南北戦争 ⇒ 終戦 70 年

1). 新訳版『風と共に去りぬ』に、次のようなスカーレットの科白が出てきます。
「もっと綿を植えよう。もっともっと。あしたポークをメイコンへ
()
って、種を買ってこさせよう。もうヤンキーに焼かれることもないし、味方の軍隊にとられることもないんだ。ああ、やれやれ! この秋には、綿花の値もうなぎ上りよ!」

 70 回目の終戦の日の何日か前だったと思うけれども、地元紙投稿欄にも「明日からはもう空襲はないんだ!」という戦争体験者の方の述懐が載っていました。心情的には、南北戦争時代の南部白人スカーレットと、こちらの述懐とは、なんらの距離もなくて、戦争の惨禍を文字通り命からがらくぐり抜けてきた凄絶な体験をした人ならばだれだって心底、そう思うものだろう。

 ところでふたつ前の拙記事で取り上げた Ninety Six という地名の出てくる本。『風と共に … 』を読み進めていくうちに、なんか急に(?)当時の南部プランテーションで奴隷として白人に従事していたアフリカ系米国人のことが気になりだして、件の本がいつぞやお世話になった静大附属図書館(!)の書庫に入っていることを知り、いつも行ってる図書館経由で( 相互利用制度 )借りることができたので、さっそく読んでみた。例の '96' は、当時北軍の第3海兵歩兵部隊に所属していたジェイムズ・マクファーソンという名の中尉さんだった人の行軍日記が出典だということがわかった。1864 年5月5日、マクファーソン中尉はヴァージニア州の戦闘で南軍側の捕虜になり、サウスカロライナ州コロンビア近くの収容所に送られた。同年 11 月下旬、マクファーソン中尉は仲間3人とともに収容所から脱走。テネシー州ノックスヴィル近くの北部合衆国側との境界線を目指し、200 マイル以上もの距離をひたすら逃げ、脱走にからくも成功したという話。で、マクファーソン中尉の「日記」からわかるのは、当時の黒人たちの共同体が彼らの脱走成功には欠かせなかった、ということです。「口コミ」という連絡手段がありますが、あれのもっと大掛かりなやつ( bush telegraph )を駆使して、ひとつの黒人コミュニティからつぎのコミュニティへと、彼らの逃亡ルートの道案内をリレーしただけでなく、「おいしい食べ物( 'Here the negroes could not do enough for us, supplying us with edibles of a nice character ...', p. 114 )」までたっぷり用意してくれたりとその働きぶりに目を見張ったことが鮮やかに活写されています。ようするに貴重な第一級史料のひとつ、なんですな。例の Ninety Six の北にあったとかいう鉄道を横切った、という話は、12 月5日付の日記に出てきます。

 この本( George P. Rawick, From Sundown to Sunup, 1972 )全体を ―― 期限が切られていたのでやや大雑把ではあるが ―― 通読してみて思ったのは、「南部の黒人奴隷たちは人間としての自由を剥奪された被害者だ」とか、「強制収容所だった」みたいな言説は必ずしもあたらない、ということだった。そしてこれも寡聞にしてはじめて知ったのだが、南北戦争前にも、奴隷ではない「自由な」黒人たちというのがきわめて少数ながらも存在していたこと、そして、『風と共に … 』でもそれとなく出てきたのでありますが、黒人奴隷女性が「マッサ( またはマースなど )」と呼ばれていた使用者( 主人 )の子どもを産む(!)というケースもけっこうあったらしい。つまり「黒人社会と白人社会とは完全に断絶されていたわけでなく、抑圧的な場合が多かったとはいえ、南部プランテーション制度での両者の交流は活発だった」ということでした。なのでスカーレットの乳母が黒人の大女マミーであったのも、当時の南部ではよくあることで、それにもとづいて書いた、ということになる。そしてこれもはじめて知ったのだが、南北戦争当時、すでに黒人奴隷および解放奴隷に対する「聞き書き」調査が連邦政府後援プロジェクトとして行われていたという事実。この「聞き書き」は 1930 年代、FSA の写真家ドロシア・ラングとかウォーカー・エヴァンス、ゴードン・パークス、カール・マイダンスとかが活躍していた時代にもさらに大規模に実施されていたけれども、その存在は 1960 年代に「再発見」されるまで埋もれていた( その間、黒人奴隷の記録はほとんど残っていないというまちがった認識がはびこった )。この本は、そういう元奴隷だったアフリカ系米国人による膨大なナラティヴを集めたもの( Volume I Of The American Slave: A Composite Autobiography, 1972−79 )で、この本はその巻頭を飾る、言わば全体を俯瞰したような内容の本だった( これらの調査はほとんどが聞き書きだが、なかには元奴隷本人の直筆もある。書名の From Sundown to Sunup は、昼間は主人にこき使われている黒人たちが、日没から夜が明けるまでのあいだは「自分自身のために生き、完全な犠牲者になるのを防ぐための基盤としての行動や制度を創り上げていった」ことを指している )。

 とはいえ当時の黒人奴隷たちの境遇がひどかったことに変わりはないけれど、そんな逆境の中でもたくましく生きていた黒人たちの話がたくさん出てくる。たとえば先祖の土地である西アフリカ沿岸地域に伝わる土着の神々が姿と役割をがらりと変えて、新大陸でも崇拝されていたとか、黒人教会の母体になった「夜の密会」の話とか( 黒人奴隷たちは、わりとすんなりキリスト教を受け入れていた。たとえば「三位一体」という教義については、土着のトリックスター信仰にもあった「神さまはいろいろに変身する」というふうに捉え再解釈していた。この関連でハイチのヴードゥー教の話なんかも出てくる )、結婚するときに不可欠な「ほうき飛び越えの儀式」とか「地下鉄道」とか、とにかく知らない話がいろいろ出てきて個人的にはおおいに刺激を受けた。そして( 当然と言えば当然ながら )南北戦争勃発時の北部は黒人奴隷に依存する綿花栽培経済とはまるで構造の異なる経済と社会であり、北部にいた黒人の数も南部に比べれば圧倒的に少なかったらしい。南部人にとってはありふれた黒人も、北部人にとっては人づてに耳にするていどのもので、南北戦争開戦時は「なんでそんな連中のために戦わなければならないのだ」と、アイルランド系移民などの低賃金労働者からの突き上げ、ないし反発がすごかったという。なかでももっとも大きかった暴動が、1863 年に起きたニューヨーク徴兵暴動だった。ちなみに終戦後、黒人「もと奴隷」たちはせっかく解放されてもまともな仕事にありつけず( 識字率も低いしろくな教育を受けていなかったため、というのもあるが、「プアホワイト」と呼ばれた低所得白人層の子弟にとっても事情はおんなじだった )、仕事を求めてやっとの思いで北部にたどり着いてもおなじく低所得でこき使われていた白人労働者階級から迫害されたりで、けっきょくもとの「マッサ / マース」たちの経営する大農園へともどったり、あるいはどこも行くあてがないからと、戦前同様にそのまま農園主の許で働く黒人たちが大半だったようです。その後も悪名高い KKK や南部諸州による隔離政策の合法化など、マルコムXやキング牧師の時代まで苦汁をなめつづけたアフリカ系米国人たちの歴史は、周知のとおり。あと、黒人霊歌( 'Steal Away' とか )の話もちょこっと出てきたりします。そして社会学の立場から、北部流儀のいびつな資本主義の産業構造が押しつけられた結果、白人の底辺労働者層と「もと奴隷」黒人とがいかに搾取され、かつ人種偏見も助長されたか、みたいなくだりも目を開かれる思いがして、なんだか部分的にながらも『 21 世紀の資本』の先取りみたいな印象も受けた。

 … ついでながら、かつて日本でもブームを巻き起こしたアレックス・ヘイリーの自伝的作品『ルーツ』も思い出した … 当時、小学生だったけれども見てましたよ、あのテレビドラマシリーズ !! 最後には著者( カメオ出演ではなく、演じていたのはプロの俳優 )も出てきて、「[ 自分のご先祖さまは ]クンタ・キンテだ !! 」と叫ぶ場面とか、米国で苦労した年老いた父親に空港(?)かどっかの売店で自ら買った自分のベストセラー( !! )を差し出して、受け取った父親が息子に向かって微笑んで「ありがとう」と言う場面とか、ほんとうに久しぶりに思い出しましたよ … ちなみに「ルーツ roots 」なる外来語が定着したのも、この『ルーツ』がきっかけでした。以後、「自分のルーツ探し」が巷で流行ったりする[ 老婆心ながら、著者ヘイリーは『大空港』で知られるアーサー・ヘイリーとは別人 ]。

2). 『風と共に … 』を読んでいまひとつ強く感じたのは、太平洋戦争時の日本と南北戦争時の米国南部の情況が不気味なくらい符合することが多々ある、ということです( 周りの「空気」を怖れてなにも言えないとか )。人間のやることだから、あるいは人間心理というのは洋の東西を問わず … と括ることもできるかもしれないが、先の大戦での犠牲者 310 万人余、南北戦争に斃れた兵士 50 万人以上、というとんでもない犠牲を払ったその「大義」、「正義」っていったいなんだったのかと思わざるをえない。IS などの原理主義勢力によるテロリズムの脅威や、核戦争の危機もいまだ拭えていない 21 世紀のいまに生きるわれわれにとって、やはり確実に言えることは「戦争というのは絶対悪である」ということだろう。米国の作家で L. スプレイグ・ディ−キャンプという人がいたけど、その人のファンタジーものに、「ひとりだろうが百人だろうが、殺人は殺人だ」というくだりが出てくる。そういえば最近、与党の若手議員だかが、安保法制法案に反対を叫ぶ学生団体に対して「自分勝手だ」とかなんとか、のたまわったなんて話を聞きますと、連日 33 度超えのクソ暑さにもかかわらず、怪談よろしく背筋が凍りつく思いがする。若い人たちが反対するのはしごく当然だ。いつの時代も、戦争に駆り出されるのは体力のある若い人。その人たちの両親だって、わが子に進んで見ず知らずの若い人を殺してほしいなんて思うわけもない。憎しみの連鎖というものを断ち切らないと、詩人の谷川俊太郎さんじゃないけど、「戦争はなくならない」。そういうことを平然と垂れる議員さん方には、先日、松崎町在住の主婦の方が地元紙に投稿した一文を見るといい。
 近年世界情勢は変化しましたが、自国の防衛が個別的自衛権では、どこがどのようにいけないのでしょうか。…… 今回も戦争の悲惨さを知らない世代の政治家たちが、国民の安全は政治家が守ると言いながら自分達の解釈によって議論もそこそこに法案を成立させようとするのは、あまりにも乱暴なように思われます。…… 民主主義国家とは国民が主権者ではないでしょうか。
 前にも書いたかもしれないが、自分がはたちのとき、癌で入院していた伯父さんが、「おまえはたちになったのか? なら徴兵検査だな」とつぶやいたのを鮮明に覚えている。そして Microsoft の創業者のひとりによって発見されたのが、もうひとり別の伯父さんが乗艦していた「戦艦武蔵」だった。戦争体験者のほとんどが 80−90 歳代になり、ほとんどが自分も含めて戦争を知らない世代が大半を占めるようになった。

3). 首相の談話の公式な「英訳」というのが地元紙紙面に大きく掲載されてました。で、気になったのは下線部分。
Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.

 In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.

[ 談話原文 ]寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

ここ、どうにもつながりが悪いと思いませんか? なんか前後の文脈顧みずむりやりって感じで … ほかの人はどうかなって思っていたら、たとえばこちらの比較ページにも、この箇所が取り上げられていたりするし、こちらの記事でも、'But he added:“We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with the war, be predestined to apologise ... "' みたいに紹介している。ワタシはこの件に関して、基本的にこちらの先生の意見とおんなじですね。「歴史の延長線上に自分たちがいると認識する」ことがなくなったら、またこの国の指導者は暴走するだろう、立憲君主としての時の天皇の意見や心情もろくに斟酌せずにね。こういう発想は、原発再稼働とおんなじです。「喉元すぎれば … 」とか「ほとぼりが … 」とか、そろそろいい頃合いだろうとか、見くびっているというかタカをくくってるんじゃないでしょうかねぇ。そういえば最近、中電の「浜岡原子力館」の TV CM がやたら目につくようになった。

 この英訳にもどれば、新聞紙上のコメントにあるように、remorse とか repentance などの単語はよほど洋書・洋雑誌を多読しないかぎり、あんまりお目にかからないだろうから、この際覚えておいて損はないでしょうね。

追記:いまさっきひょっとして、と思って動画サイトあたってみたら、↓ のようなクリップが出てきました … そしていまさらながら、原作者ヘイリーを演じていた俳優というのが、なんとなんとあのジェイムズ・アール・ジョーンズだった !! そうかあ、ダース・ヴェイダーのあの声の吹き替えやっていた黒人名優さんだったのか … と、遅かりし由良之助の心境( 苦笑 )。



posted by Curragh at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など